TOP > ムーンピラーズ > ゼロの彼方


  NO/01- 003


 岡の上の展望台でグルリと周囲の光景を眺めてみたセスタだが、彼は、ここが自分の故郷だとは思えなかった。美しい光景に見とれた他の観光客のなかで、一人、銀髪の少年だけが浮かない顔をしている。
「まあ、そう気を落すことはないよ。別のところにも行けばいいさ。ここで手がかりが終わったわけじやない、今は、観光だと思えばいい」
 キイが力づけるように言うが、セスタはただ、彼女とゼクロスに申し訳ないという思いで楽しむ気になれないのだった。早く故郷が見つからなければ、何でも屋たちにかける迷惑はどんどん大きくなっていく。
 その思いに気づいたのか。優しい声が、複雑な心境の少年の耳をなでた。
『セスタ、気にする必要はありませんよ。キイはただ、観光を楽しみたいだけなのです。あなたの依頼を口実にして休暇を取っているようなものですから、あなたが迷惑を掛けている、と思うことはありません。あなたを、ある意味では利用しているのですよ』
「そうかな……ぼくは、普通の身体じやないんだよ? ぼくは、その、サイバー……」
『サイバーシンクロニシティ?』
「そう、それなんでしょ? 正直、怖いんだ。いつ、それになるかわからない。自分が自分でなくなるような感じがして、抑えられない。そうしたら、ゼクロスのことも傷つけるかもしれない」
 小声で答える彼のことばに、いつもはほぼ即座に応答するゼクロスが、黙り込んだ。
 気分を害してしまったのか、それとも説明に納得しただけか……と、セスタは少し不安になる。離れたところにいるキイがやりとりに気づいているのか、チラリと目を向けた。だが、彼女は何も言わず、さらに離れていく。
 実際に沈黙していたのは十秒程度か。ためらうように、綺麗な、少し沈んだ声がただ一人の相手にのみ届く。
『セスタ……ごめんなさい。わたしが愚かだったんです。今はもう、あんなこと思ってませんから……わたしが無神経だっただけですから』
 セスタは耳を疑った。どうして謝られるのかがわからない。
『自分の安全だけを考えて、あんなことを言ってしまったんです。あなたは何も悪くない。だから、せめてものお詫びとして、あなたの故郷捜しを手伝いたいんです。だから、どうか……キイやわたしに遠慮しないで』
「そんな、ぼくは……」
 なんと答えたらいいのかもわからなかった。
 ただ、ゼクロスを悲しませたくない。そのためには、自分が楽しめばいい、というのはわかる。そう思うようにゼクロスが仕向けているという可能性に気づかないほど、彼は幼くはなかったが。
 肩の力を抜くようつとめ、深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開き――
「セスタ、伏せろ!」
 キイの声が響いた。
 セスタも、他の客も、一斉に振り返る。キイは、売店の前で、両手にストローとふた付きのジュース入紙コップを持って立っていた。彼女の漆黒の瞳は、セスタの背後に向けられている。
 ことばを理解して、というより、本能的な反応で、セスタは膝を折った。脚が震えて安定せず、尻餅をついてへたり込む。ゼクロスが何か叫んでいたが、少年の耳には内容までは届いていなかった。頭が痺れたようになって、何も考えられない。
 彼が気づいたとき、キイが目の前に立っていた。
「大丈夫かい、セスタ?」
 左腕でカップを抱えて、キイは右手を差し出した。その手を取って、セスタは立ち上がる。まだ膝が震えていたが、深呼吸を繰り返すことで耐える。
「ゼクロス?」
『セスタ、大丈夫ですか?』
 マイクにささやくと、心配そうな声が返ってくる。
「うん……ねえ、ぼく、暴走……しなかった?」
 彼自身は、自分に怪我もなにもないことを知っている。だから、彼にとっての一番の気がかりは、扱いきれていない能力のことだった。
『ええ……何ともありませんでしたよ。わたしも含め、ティルムス上のどのシステムにも異常はありません』
 それを聞いて、彼はとりあえずはほっとする。
「スタナーの麻痺光線だよ。たぶん、直接ではなく、鏡に当てて狙ったんだろう。かなり腕の立つ者らしいな」
 わけがわからない様子のセスタに、キイが説明する。それを聞きながら辺りを見回した少年は、鏡面加工を施した壁とその反対側の壁に、焦げ目のようなものを見つけた。それが自分に当たっていたらと思うと、また震えがくるような思いになる。
「とにかく、怪我が無くてよかったよ」
 と、キイがカップを差し出した。
 それを受け取り、甘くさわやかな味の液体をすすると、少年は気持ちが落ち着いてくるのを感じる。
 展望室内は、少しの間ざわめいていた。騒ぎを聞きつけた警備員が二人、慌てた様子で走り寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
 とりあえず騒ぎの中心人物たちが無事だとわかると、彼らはほっとした様子で問うた。
 キイが状況を説明する。他の目撃者も、彼女の説明に説得力を加えた。
「犯人はおそらく、もう逃げているでしょうね。しばらく警備を強化したほうがいいかも知れません」
「そうですね……」
 キイのお節介なことばに、警備員たちは素直に同意した。
 本来なら警察を呼んで尋問や被害届けの提出などがあるのだが、被害者が地元の者でないということと、その被害者の希望もあり、警察への通報はしないことになった。相手が惑星問を渡り歩く犯罪者であれば、GP――ギャラクシーポリスヘの連絡という手続きが取られるが、被疑者不詳ではどうしようもない。
 その後まずキイがとった行動は、現場から離れ、できるだけ早く船に戻ることだった。
ゼクロスに管理された機内はどんなに警備が厳重なホテルよりも安全である。それを何となく感じているのか、セスタは機内に戻った瞬間、ほっとため息を洩らしていた。
 船は問もなく離陸する。だが、セスタはブリッジに向かうことなく、行き先も知らぬまま、自室に入った。
 何もかも忘れて眠りたかった。
 ベッドはふかふかで、清潔で、あたたかい。研究所の部屋にあった、少しかび臭いベッドとはまったく違う。
 彼は横になるなり、間もなく眠りに落ちた。
 一方、通路でセスタと別れたキイが向かう先は当然ブリッジだった。艦長席が彼女が機内にいる間の定位置である。
「相手の正体はわかったかい?」
 メインモニターを眺めながら、彼女はそう尋ねた。すでにティルムスの大気圏を脱出しているが、画面に映し出されている映像は流れゆく星々の光ではない。
 画面上には、キイのイヤリングに仕込まれたカメラで捉えられた映像が広がっていた。昼食時に同じ店内にいた、三人組。一見、テーブルの上の料理をつまみながら、談笑しているようだ。
 だがキイはその光景に違和感を感じる。そして、ゼクロスも。
『ネットワークの閲覧可能なデータベースには身元を特定できるデータがありません。名前は、黒い服の男性がスタッド・マリス、体格のいい男性がレオン・クランベリン、女性がフリス・レイヤー……おそらく偽名でしょうが。わたしたちより四〇分ほど前に、第二パーキング入りしています』
「こちらの行き先を感付かれたか……一番近い候補の惑星に向かうなんて、予想がつくからな」
『相手は、セスタがわたしたちに故郷捜索を依頼することも知っていたわけでしょう。一体どこで知ったのか…』
 第三者がそれを知るチャンスは、ごくわずかだったはずだ。詰め所を出て病院へ行き、そこからバルトル宇宙港に着くまでの間。移動はすべて乗り物を使っている。道中つけられる可能性は低い。
「警官やタクシーの運転手が相手方の仲問だったとか、脅されたとかいう可能性もなきにしもあらず、だが」
『当時、わたしがタクシー会社やバルトル警察の名簿を確認しています。その可能性も低いでしょう……これは、やはり』
「システム上のデータ、か」
 警察や宇宙港の機能を統制するシステムは、当然ながら厳重なセキュリティシステムにより守られている。
 だが、それを看過できる者は決してゼロにはならないのだ。どんなセキュリティも、その道を極めた者にとってはおもちゃ同然の扱いである。ゼクロスがアステン財団の研究所の機能をいとも蘭単に操ったように。
 しかし、ゼクロスが危倶しているのは、キイの考えていることとは少し違っていた。
『想像に過ぎませんが……もしかしたら、向こうには、セスタと同じような力を持った者がいるのかもしれません。もしそうだとしたら……』
「可能性はある。それなら、普通のセキュリティシステムでは安心できないな。このままじや例えセスタの故郷を見つけたとしても、彼は安全じゃない。調べてみる必要がある」
『それで、これからどうしますか?』
 映像が切り替わる。宇宙船XEXは、闇の中を飛んでいた。
 キイは背もたれに寄りかかって、わずかに視線を上に向ける。
「こちらの針路の後をつけている航宙機はあるかい?」
 彼女は質間に質問で返す。答は即座に返ってきた。
『同じ方向に向かっているのは四機。シャトルが二機と、輸送船が二機です。あの三人組のシャトルはありませんが、油断はできませんね』
「ああ。前もって用意していてどれかに乗り換えたかもしれないし。複数か、全部が追っ手かもしれない」
 サブモニターに色つきの点で表示された位置関係と、数字で確認できる距離からして、すぐにどれかと接触するといったことはあり得ない。だが、キイは後顧の憂いを絶つことにする。
「目標、シグナ・ステーションに設定。シャトルにワープモードはないだろうし、輸送船に搭載されていたとしてもそう高度なものではないだろうけど、一応、最速でいこうか」
『了解しました』
 目的地が設定されると同時に、使われていなかったサブモニターのひとつに灯が入った。
『座標、シグナ・ステーション。ハイパーAドライヴ起動。ワープモード』
 メインモニターの宇宙空問の闇が一瞬さらに濃い闇一色に染まる。それが次の瞬間、背後に流れていく色とりどりの光に変化した。実際に見えるそのままの映像ではない、コンピュータ・グラフィックスだ。
『超拡張空間に突入。脱出まで三七秒』
 画面端に表示された数字が減っていく。メインモニターの映像を見ていてもおもしろくないので、キイはチラリと、コンソールの上に置いたままの本を見た。しかし、一分もない旅の間では読み進めることもできないので、あきらめたように目を閉じる。
『異相スライド完了。座標、シグナ・ステーション中核より一キロメートル、水平地点』
 ゼクロスの声で、キイは再び目を開いた。
 鮮やかな緑と青が混じり合った惑星を背後に、淡い銀色の大規模宇宙ステーションが浮かんでいる。球状の中心を二重の輪が取り巻いたステーションは、闇に向かっていくつもの光を放っていた。遠くから見れば、細かな星が集まって楕円形を形作っているように見えるだろう。
 平和で文明の進んだ惑星エルソンの玄関口であり、宇宙を旅する者の中継地点でもあるこの宇宙ステーションは、まだ数少ない超A級人工知能により管理されていた。現在最大にして最高と言われるAI、シグナ。エルソンの科学の最先端を行く存在。
 ゼクロスはシグナに寄港許可を要請し、シグナはそれに答えて許可と第二六ゲートヘの誘導ビームを送る。
 ゆっくりと回転しているステーションのゲートのひとつが開き、誘導に従って近づく船を、内部からの重力波が引き寄せた。
 キイは宇宙空問が見えなくなる直前、ざっとモニターを見回す。
「さすがにここまで追われてないか」
 閉じていくゲートに遮られ、宇宙空問が見えなくなると、キイは視線を正面モニターに移し、溜め息を洩らす。ゼクロスは完全にゲートに収まると、推進機関を停止した。
 ブリッジを出る気配のないキイに、ゼクロスのスピーカーを借りて、管理システムのシグナが声をかける。
『突然の寄港だね、キイ。何かあったかい?』
「ああ、シグナ。色々と立て込んでいてね」
 キイは最高の頭脳と呼ばれる相手に、事情を説明した。
 ここに来た理由は、追っ手をまくためや安全を確保するためだけではない。それと同時に、データベースも ネットワークも整備されたここなら、セスタの故郷についての情報が手に入るかもしれないという希望もあった。
 事情を聞くと、温和で親切なエルソン人の思想のもとに人格を形成された人工知能は、全面的に協力することを約束した。
『しかしね、手がかりがセスタの記憶である以上、どうしても映像を本人に見てもらう必要がある』
 海と湖、そして雪が降る季節があるという条件に合う町は選び出せるが、それがセスタの故郷の風景と合うかどうかは、本人が確認しなけれぱわからない。
「ゼクロス、セスタはまだ寝てるかい?」
 コンソールの上の本に手を伸ばしながら、キイは何気ない調子できく。
 だが答はすぐには返らなかった。シグナと機器を共有している影響などというものは、普通ならありえない。
「ゼクロス?」
 十秒近く待ったところで、キイはもう一度声をかける。
『はい、キイ……セスタはまだ睡眠中ですよ』
「なにか異常でも?」
『いいえ、何も』
 嘘だ、とキイ――それにシグナも思った。だが、今はそれについては深く追求しないことにする。
『とにかく、これから入ってくる船には気をつけることにするよ。例の三人組が来たら、足止めしよう』
「ああ、頼むよ」
『ところで、キイ。ネットワークを通してきみたちの行方を尋ねてきた人がいる』
 シグナのことばに、本に集中しかけていたキイは、わずかに表情を動かして顔を上げた。
『クロンガン・ティアーノ博士だ。仕事の依頼らしく今の仕事が一段落ついたら連絡が欲しいと言っていたよ』
「へえ……」
 ティアーノ博士とは、バルトルで顔を合わせたばかりだった。キイに助け出され、その実力を見込んでの依頼だろうか。
「まあ、とりあえずこっちの依頼が片付いたらだね。仕事にもよるけど、大抵の場合は喜んでお引き受けするよ」
『そう伝えておくよ。セスタが起きたら呼びかけてくれ』
「あいよ」
 それを最後に、シグナは一度、ゼクロスにつながるチャンネルを離れた。
 チャンネル遮断を確認すると、本に集中するかに見えたキイは天井を仰ぐ。
「ゼクロス、大丈夫か?」
 何をきかれているかわからない風に、少し間をあけて、宇宙船の総合制御システムは返事をした。
『……何のことですか?』
「きみは嘘をつくのが下手だからね。カウンセラーならもっと他人の心理を捉えるような誤魔化し方を考えたほうがいいぞ」
『わたしが何を言ってもあなたは騙されないでしょう』
 ゼクロスは、映像技術とともに、カウンセリング技術に秀でていた。しかし、他人の心理はともかく、自分の感情を扱うのはあまり得意ではないようだ。それも大抵の場合、自分以上の処理速度と知識量を誇るシグナや、鋭い洞察力と直感を備えた、しかもつき合いの長い、気心の知れた相棒であるキイ・マスターの前だけでの話かもしれないが。
 キイの見透かしたようなことばに、思わず誤魔化そうとしていたことを認めてしまったゼクロスは、少しすねたように言った。
『あなたには、予想がついてるのでしょう? わたしに何があったのか……』
「でも、きみが何を聞き、何を見たのかまでは共有できないよ。ぜひ説明してほしいね」
 即座に、ゲート内を映していたメインモニターの映像が切り替わる。
 そこには、奇妙な光景が映し出されていた。
 くすんだ灰色の壁の真ん中に、四角い窓が開いている。その窓の外には暗い海か湖らしい、しかし真ん中が黄色っぽく濁ったものが広がっていた。水平線から上の空はどこか不気味な、黒ずんだ灰色に染まっている。
 そして、その空から海へ、白い小さな粒のようなものが降りそそいでいるようだった。
 だが、それは静止画像であり、その上ピントがぼけたように輪郭がはっきりしておらず、本当に窓の外にあるのが水面なのか、降りそそいでいるのが雪なのかはわからなかった。
『少しの間だけ、セスタの夢とシンクロしたようです……他にもいくつか映像を見ましたが、ぼやけていてはっきりしません。これは、その中でも一番マシなほうです』
 映像を見つめて、キイは腕を組む。
「どこかの、建物の内部なのか……ホテルや民家ではないみたいだな」
『倉庫か……あるいは、まるで牢獄のようにも思えますね。あるいは、軍の施設とか』
「それに……バルトルの研究施設のような」
 しかし、あの研究所の部屋は地下にあるため、窓はない。映像の壁からは、もっと閉鎖的で外部との交流を拒絶する雰囲気がある。
「条件に合う惑星で、水辺にこういう感じの建物がある町となると、さらに絞れるか?」
『シグナにも相談してみましょう』
 言って、少し間を置いて、
『キイ、セスタが目覚めたようですよ』
 ゼクロスはサブモニターに通路の映像を入れた。少年はあくびをしながら部屋を出て、ブリッジに向かうところらしい。
 キイは、彼が来るまで、じっとメインモニターを見ながら待った。
 やがて少年が髪をなでつけつつ、スライド式ドアの向こうから姿を現わす。
「よく眠れたかい?」
「あ、はい」
 セスタは少し恥ずかしそうに答えると、席に着いた。
「あの……ここは?」
「エルソン宙域のシグナ・ステーションだよ」
 ゲート内のものに戻っているモニターの映像を眺めて戸惑う彼に、キイは、シグナ・ステーションについて説明した。シグナもこのステーションもかなり有名だが、彼の記憶にはないらしい。
『今、だいぶあなたの故郷の候補を絞り込めたところですよ。七つの惑星、三二地域が候補になっています、見ていただけますか?』
 もちろん、セスタに断る理由はなかった。
 ゼクロスはシグナに協力してもらって絞り込んだ地域を複数の角度から見たものを、メインモニター、サブモニター二つを使って順に映していった。
 それを見て、セスタは首を振り、ときには考え込みながら、やはり首を振った。
 そして、そのまますべての候補が消える。
 再びゲート内のものに戻った映像を見ながら、少年は申し分けなさそうに言った。
「何か、どれも違うと思うんだ……でも、もしかしたらぼくの記憶が問違ってるのかも」
『それとも、ここにはないものかもね』
 と言ったのは、ゼクロスではなくシグナである。
 聞き覚えのない声にセスタは驚いたが、ステーションの頭脳はかまわず続けた。
『実は、一ヶ所だけ、外した惑星があるんだ』
 と告げるなり、映像が変わる。
 赤茶けた、どこか不気味な感星が、闇を背景にして浮かんでいた。一見したところ、青い海や湖はどこにもありそうもない。
「ラスカーンか……」
 キイは、疲れたような溜め息と同時につぶやく。
 そして、わけがわからない様子で視線を投げかけるセスタに気づき、説明する。
 ラスカーンは、もともと複数の民族の代表により構成される議会とその長、首長を中心に治められていた。
 しかし、ラヴァ・ハルスン族が惑星の支配という野望のために、議会に宣戦布告する。それが、五年ほど前のことだ。
 密かに備えていたラヴァ・ハルスンの兵器により、草木は枯れ、大地は病み、海も川も毒と血で汚れた。ラヴァ・ハルスンの本体は衛星や小惑星にあると言われ、今でも時折襲撃があるという。他の民族の生き残りのほとんどは脱出したが、何割かは故郷を離れたくない一心で、死の危険の中、隠れ住んでいると噂されている。
『あの惑星は危険過ぎる。今行ったら狙い撃ちにあうかもしれない』
『でも、もしラスカーンがセスタの故郷なら、行けば何か思い出すかも知れませんよ。それに……ご家族がいれば、助けたいと思うでしょう』
 ラスカーンが故郷で、家族がすでに故人になっていなければ、の話だろうが。
 セスタは映像をじっと眺めた。遠くからの眺めだからかもしれないが、そこが自分の故郷かどうか、まったくわからなかった。ただ、今までと違い、『これは違う』という感覚はない。単に情報が不足しているだけだ――と、彼は思い込もうとする。自分のために、キイやゼクロスを危険な目に遭わせたくはない。
 しかし、その惑星が唯一残された可能性にも違いなかった。
 それに、家族がいるかもしれない、というのも。
『行くつもりなのか?』
 シグナの声には、かすかな困惑と心配が聞き取れる。
 一方、キイの表情は、いつもと変わりなかった。
「そこに可能性があるなら行くべきだろう。仕事なんでね」
『何も心配いりませんよ。セスタのことは、わたしたちが必ず守りますから』
 ゼクロスのほうも、キイと同意見らしい。
『セスタ、少しでも可能性があるのなら、行ってみたいでしょう? ご家族でなくても、あなたを知っている友人がいるかもしれない』
 そうきかれて、セスタはどう答えていいのか困った。
 確かにゼクロスの言う通りではある。自分のことを知っている人物に会いたい。家族がいるなら会って話をしたい、そして、自分が一体何者なのかを知りたい。
 その欲求は強かった。もともとあったはずの記憶が抜け落ちていることで、本能のように、〈知りたい〉という欲望が突き上げてくる。衣食住を保障され直接的な身の危険から逃れた者が感じる、自分が何者なのか知りたいという当然の欲求だ。
 だが、一方で、足を引っ張るばかりの自分がこれ以上キイやゼクロスを引っ張り回していいのかという申し訳なさもある。
 口を開きかけてまた閉じる少年に、キイは落ち着いた光をたたえた漆黒の瞳を向けた。不安定さの欠片も感じられない、セスタにはない平静な精神。
「セスタ、わたしたちにとってラスカーンなどたいした危険ではないよ。だから気を使う必要はない。観光とは言わないが、よい経験にはなるさ」
 心を見透かしたようなことばに、セスタは少しだけ黙った。
 今は、甘えてもいいのかもしれない。
 少年は、意を決して口を開く。
「よろしくお願いします」
 早口にそう言うと、深々と頭を下げる。
 それを、キイはどこか嬉しげなほほ笑みを浮かべて見ていた。セスタが顔を上げたときには、その笑みはいつもの、どこか不敵な印象を与えるものに戻っているが。
『とりあえず、ラスカーン脱出者にセスタを知る者がいるかどうか調べてみるがね』
 妙なところで頑固なキイたちのことだ、もう決めてしまったものは変えそうにない、仕方がない、といった思い入れで、ステーションの中枢は言う。
『ラスカーンヘの接近許可をGPに要請しておくから、出発は明日にするといい。エルソンの規則でセスタの分のホテル代は無料になる』
「おことばに甘えさせてもらおう」
 キイはセスタを連れ、馴れ親しんだブリッジを出る。
『ごゆっくり』
 機外に出る二人を、ゼクロスはそのことばで見送った。



> next file
< return


TOP > ムーンピラーズ > ゼロの彼方