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  NO/01- 002


 紺碧の空を渡る白い鳥に見とれていたセスタは、その光景の角度が変わり始めると、少し驚いたように目を見開く。
 音も振動もなく、ゼクロスはゲートを出た。閉じていく地上の出入口の上空で、船は機首を上げる。
『メインドライヴ起動。発進』
 途端に、サブモニター内の地上の街並みが遠ざかっていく。メインモニターの空の蒼が、薄れ始めた。想像していた以上のあっけなさに、セスタは驚いていた。キイは何もしていない。船の機動はすべてゼクロスに任されているのだろう。
 キイは脚を組んで、ブリッジ後方の棚から持ってきた本を開いていた。本の表紙には、『これで想い人はあなたのもの・人体の自由を奪う秘孔術』という題字が書かれている。
 空は、白んでから暗くなった。少しも抵抗を受けていないかのように大気圏外に脱出したゼクロスを、底無しの闇が包んだ。闇の彼方には、チラチラと輝く光の粒が点在し、紺の翼にはかない光を投げかける。セスタはその光の粒に見入った。
『しばらく脱出速度のままで散歩でもしますか? ティルムスなら、ワープモードを使わずこのままでも、一時間ほどで着きますよ』
「だってさ」
 と、キイはセスタを見るとセスタは少し、しどろもどろになった。
「えっ……ぼくは、その、べつに……」
「散歩って、この付近に宇宙の観光名所はあったかな」
 キイが天井を仰ぐと、ゼクロスは即座に、航宙センターネットワークのデータベースや自身のアーカイヴから検索したデータを告げる。
『丁度、彗星がティルムスのとなりの惑星の軌道上に向かっていますね。それに、途中、〈ミラージュベール〉が見えるでしょう』
「じゃ、のんびりしていこうか」
 と、きかれて、セスタはうなずいた。
「は、はい……」
 気を使ってくれているのだろうか、と彼は思う。キイとゼクロスにとって、不本意な同行者のはずだ。ゼクロスは特にだが、キイにとっても、依頼料を払うあてがはっきりしない、迷惑な客のはずだと。
 落ち着かない気分で、彼はふと、サブモニターに目をやった。そこにはコンピュータ・グラフィックスで描かれたゼクロスが浮かんでいる。地上で見たときにはないものが、その姿に加わっていた。淡く白銀の輝きを帯びた、機体をめぐる環だ。その名はCSリングだと、ゼクロスが教えてくれた。
 それに見とれていると、キイが本から視線をずらす。
「退屈なら、棚にある本を読んでいるといい。それとも、機内探検でもするかい? 楽にしていていいんだよ」
「はい、ありがとうございます……」
 答えながら、セスタは棚を振り返った。棚に雑然と並んだ本の背表紙には、どれもなかなか個性的な題字が書かれている。『正しい悪人のいじめ方』、『日常会話でできる催眠術』、『じわじわ攻める関節技百選』などなど。
 一体どれを手に取っていいのか、それ以前に読んでいいものなのか迷い、少年は立ち尽くした。
 そこに、ゼクロスが助け船を出す。
『キイが読む本はあまり人生の助けになりませんよ。セスタさん、わたしが機内を案内しましょう。これからしばらくは、星の光も見えないですし』
「あ、はい。よろしくお願いします」
 言って、セスタは少し頼りない足取りでブリッジを出ていく。
 その背中が完全に見えなくなってから、キイはチラリと、スライドして閉じていくドアを振り返った。彼女の顔には、かすかに心配そうな色がにじんでいる。
「緊張してるな……宇宙旅行に慣れてないってだけじゃないな」
 セスタは席に座っている問も、膝の上でぎゆっと握りこぶしをつくっており、肩に力が入っているようだった。表情からしても、まだ一度もリラックスした顔を見せてはいない。
『人との交流に慣れていないのでしょうね。少しリハビリが必要かもしれません』
「まあ、それは、きみに任せるよ」
『任せてください』
 キイにそう答えながら、一方で、ゼクロスはセスタを案内している。彼にとっては、複数の人問との会話を処理することもたやすいことだ。
 ブリッジを出たセスタは、まず、客室に誘導された。
『ここがあなたの部屋ですよ。必要な物があれば、後で貨物室に案内しますから、そこから持ってきてください』
 部屋は広くはないが狭くもなく、ひと通りの調度品はそろっていた。ベッドに机、壁にはめこまれたモニターとスピーカー、データ保存媒体であるプリザーチップが何枚も収められた棚に、通信機やチャンネル合わせ用のメモリがついた手のひらサイズのリモコン。壁のモニターは、現在、外の闇を映し出している。
 部屋の清潔そうで明るい雰囲気と、高機能ながらコンパクトにまとまった機器に、セスタは感銘を受けた。何がどういった機能を持つのかわからなくても、一見しての印象でそれを感じ取る。
『細かい説明は後に回しましょう。それと、後でバルトル警察が割り出した惑星の各該当都市のなかで、映像があるものはお見せしましょう。何かわかるかもしれません』
 部屋の内装に見とれていたセスタは、少し驚き、慌てて相槌を打つ。
「あ、うん……はい」
『わたしに丁寧なことばを使う必要はありませんよ。あなたの話しやすいように、話してくださって結構です』
 その椅麗な声に、少しだけおかしそうな響きが入る。苦笑の表現か。
 セスタは、少しだけ口を尖らせた。初めて見せる、歳相応の少年らしい表情。
「それじゃあ、ゼクロスも、さん付けはやめて」
『了解』
 ゼクロスの声が嬉しそうなことに首を傾げながら、セスタは部屋を出た。
 客室は、もどもとはクルー用のものらしい。キイとセスタの部屋も含めると、全部で十部屋用意されている。
 シャワー室とトイレが三つずつ、それに医務室と調理室、作戦室が同じ階にあった。
 それぞれの階の間の移動は、ワープゲートを使う。上という選択肢もあるらしいが、ゼクロスはまず、下という選択肢を選んだようだった。
 彼はとりあえず、セスタを貨物室に案内する。
 そこは、外から見たときの船全体を思うと、よくこれだけの空問が内部にあるものだ、と思うほどに、広大だった。大小さまざまの何かの部品や、金属性のパイプ、布製らしいシートや道具などが並んだ棚が整然と置かれていた。輸送の仕事を請け負うときのためか、スペースには余裕がある、
 辺りを見回していたセスタは、壁に、二つ並んだ淡い緑色のドアを見つけた。
『あの先は冷凍室と冷蔵室です。中に入るなら、上着を着たほうがいいですよ』
 壁に、毛皮が使われた上着がかけられていた。少し大きいが、セスタはそれに袖を通して、冷蔵庫のほうのドアを開ける、
 ひやりとした空気が頬をなでた。銀色の棚が整然と並んでおり、それぞれの棚には、番号と名前が印されている。
『低温で保存する必要がある化学物質などもありますが、ほとんどは食料です。一度の航宙はたいてい日帰りなので、機内で食事ということは少ないですね。非常食か、後はドリンクとおやつ程度です。ここから各部屋にパイプがのびていて、部屋で番号を打ち込めば、該当の食料品やドリンクを配送できますよ』
「え……えっと、ジュースの番号は……」
『覚えるのが面倒でしたら、わたしに言っていただけると楽です。番号表も、いつでもモニターに表示できますし』
「そうなんだ……」
 ほっとした様子で、彼は冷蔵室を出る。そして、となりのドアの取っ手に手を掛けた。
「こっちも食料なの?」
『ええ、八割は……セスタ、寒いですよ』
「ちょっと見るだけ」
 と、彼はドアを開けた。
 なかは、冷蔵室と少しだけ違っていた。冷たい空気に少し身を退く少年は、壁や棚に、白い、照明を受けてキラキラ輝くものがびっしりと凝り固まっているのを見る。
「何あれ、氷? 雪みたい」.
『ええ……』
 寒さに耐えかねてか、セスタはすぐにドアを閉めた。
 その途端、壁に仕込まれたスピーカーから、驚いたような声が流れる。
『セスタ、雪を見たことがあるのですか?』
 そう言われて、セスタはようやく気づいた。彼は、自分のことばを思い出し、そのことばを告げる理由となった記憶をたどる。
 白い、綿毛のようなものが舞い降りる通りを、彼は歩いていた。もやがかかったようにぼやけた記憶のなかでは、周囲の光景もはっきりしない。ただ、道の左右に並ぶ建物は灰色っぼく、店のようなものはなかった。
 なぜか、すべてが倉庫であるかのように印象が薄く、建物ひとつひとつの特徴は思い出せない。
 ただ、はっきりと記憶に焼き付いているものもある。手のひらに触れるとあっと言う間に溶けていく雪のはかなさと、ほのかな冷たさ。
「そう……確か、ぼくが住んでいたところには、雪が降ったことがあった。普段は、暖かかったと思うけど……」
『そうですか。湖があって、海に囲まれていて、雪の季節がめぐってくる都市となると、もう少し絞れそうですね。故郷が少し近づいたかも知れませんよ』
「うん、そうだね」
 宇宙船制御システムは、嬉しそうに少年に声をかける。
 しかし、セスタはなぜか、喜ぶ気になれなかった。家族の待つ故郷と、雪の降る故郷の雰囲気がどこかずれている。何か、自分の記憶が信じられないような、奇妙な不信感と不安がこみあげてくる。
 だが、これ以上世話をかけるわけにもいかず、セスタはそれを口には出さなかった。そして彼は、記憶を思い出す時というのは不安になるものなんだろう、と思うことで自分を納得させることにする。
 貨物室を出ると、ゼクロスは彼を、ドックに案内した。そこには、シャトルや探査艇、いくつかの、大きさがそろえられた球形の探査装置サーチアイなどが並んでいる。駐車場に似たゲートの奥にはドアがあるが、その奥は立入禁止だという。兵器が収められているのだろう。
『この階は、あとは機関室と開かずの間くらいですからね。上へ行きましょうか』
「開かずの間?」
 通路を、ワープゲートに向かって歩きながら、セスタは問い返す。
『この船の心臓部です。簡単に言えば、わたしの中枢部です』
 その中枢部のある部屋に入るにはパスワードが必要で、パスワードを知る者は全宇宙に三人しかいない、その三人がなかに入ることも滅多に無い、と、ゼクロスは説明した。
『心臓部には、わたしの中枢だけでなく、ASもありますしね。セキュリティは厳童です』
「AS?」
 それは、バルトルの宇宙港でも聞いた名詞だった。あのときは今より緊張していたのもあって、疑間に思いながらも聞き流していた。
『ええ。アストラル・システムという、量子力学的情報を操る魔法のような装置です。多種多様な操作が可能ですが、想像力や意志力が必要なうえ、代償も大きいので、きちんと使いこなせる方は少ないです』
 はあ、とセスタは気の無い相槌を打った。わかったようなフリをしておくしかない。
 ワープゲートに入ると、ゼクロスは彼を一番上の階に転送した。視界を包んでいたやわらかい光が消えたとき、その空問を支配する唯一の人問は息をのむ。
 壁一面が宇宙空問を映していた。闇のなかに、ミルクの雫をこぼしたような輝きが無数、点在している。その網の目のような輝きの奥に、より大きくて強い、青白い輝きが見える。それは、長い尾を引いていた。
『あれが、ウィルシトン第二彗星です。拡大しますか?』
 思わず正面モニターに駆け寄ったセスタに、天井スピーカーからゼクロスが問いかける。セスタはほとんど無意識のうちに、うなずいていた。
 彗星が拡大される。やや緑がかった青の尾は、長く長く伸びていた。核の中心は白く、淡い光は外に向かうにつれ色を濃くしていく。      
 どんな芸術家も創りえない、自然で美しいグラデーション。
「きれい……」
 感嘆が洩れる。無意識の、自然の反応。
 彼は飽きずに、その映像を眺めていた。徐々に近づいてくる彗星もさることながら、彼は、無数の光度も大きさもまばらな光が集まり、輝きが網の目のような模様を作り出している、〈ミラージュベール〉にも心を引かれた。
 邪魔をしてはいけないと考えてか、沈黙していたゼクロスは、五分程度待ってから控えめに声をかけた。
『セスタ、あと一五分ほどでティルムスに着きます。一旦ブリッジに戻りませんか?』
 正面モニターが、拡大前に戻った。画面端に、白い惑星の姿がぼんやりと浮かんでいる。その影には、青の惑星がうっすらとたたずんでいた。
「奥の星がティルムスだよね?」
『はい、地表の九割を海に囲まれた惑星、ティルムスです。プロス系第四惑星で、〈水泡の里〉という別名もあります』
「楽しみだな」
 そこが故郷かもしれない、と思うと、彼は期待を込めて蒼き星を見た。
 しかし、その映像から受ける印象に呼び起こされて彼の胸に湧き上がるのは、郷愁や憧憬ではなく、ただ、奇妙な不安だけだった。

 ゼクロスは、ティルムスの都市クルクの宇宙港に到着した。クルクの宇宙港はアリの巣型ではなく、人工の島にある、ほとんどラインをひいただけのパーキング・エリアに着陸する形になる。壁と天井のあるゲートもあるが、そちらは料金が高いので、キイはただ同然の最下層の場所を選んだ。
 パーキング・エリアのある島から宇宙港の中枢、セントラルステーションまでは橋がかかっており、無料のエアバスで移動できる。ステーションからは、エアタクシーでの移動が主流だ。
「なんでワープゲートにしないんだろう?」
 タクシーを降りて、適当なレストランに入るキイを追いながら、セスタは独り言のように言った。
 店に入り、席を見繕いながら、キイが振り返る。
「そのほうが儲かるからさ。地元の者はみんなエアカーを持ってるし、政府としても、タクシー業界とかが観光客の落とすお金でうるおってくれたほうが都合がいい。それにまあ、観光客としても海が見える移動手段のほうがいいだろうし、今のままでみんな丸く収まってるんだね」
「便利なほうがいいとは限らない、ってことなの」
 話を聞いていたのか、カウンターの奥の若い女性が話しかけてくる。
 クルクは、暑いと感じるほどではないが、温暖な気候である。住民は皆薄着で、涼しげな服の上に半透明の布を巻き付けるような衣装が一般的だ。この店の女性主人らしい彼女も、青い腹部を見せる形の服に、膝上までのスウェット・パンツとサンダル、その上に白い半透明な布を肩に掛け、腰にも何枚か花びらのように巻き付けている、という、海辺のイメージに似合う格好だ。
「奥の眺めのいい席がお勧めよ。さあ、どうぞこちらへ」
 彼女はカウンターを出ると、キイとセスタを窓際の席に案内した。壁は全面ガラス張りで、帆船が水平線のそばにたゆとう、青い海が広がっている。
「ありがとう」
「ごゆっくり」
 席に座るとキイとセスタは椅子を引いた女性店主に礼を言う。店主は、笑顔でことばを返して戻っていった。
 店内は、昼食には遅い時間ではあるが、観光客らしい姿で賑わっていた。ウェイトレスが忙しそうにカウンターと客席を行き来する。
 昼食を注文すると、セスタは海を眺めた。締麗な、壮観な眺めだ。だが、彼が抱いた感想はそれだけだった。
「ここは違ってそうかい?」
 少年の心境を見て取ったらしく、キイが問う。
「まだ、わからないけど……もっと高いところから眺めてみたいな」
「じゃ、後で展望台に行こうか」
 煮え切らない様子で首を振る少年に、キイは気にする様子もなく答え、続いて襟元に隠されたマイクに声をかける。
「というわけで、後でエアタクシーの手配を頼むよ」
 セスタも、翻訳機の役目も果たすイヤリング型スピーカーと、超小型マイクを渡されて装着していた。キイの小声のささやきは、ゼクロスを通して少年のスピーカーからも伝えられている。
『わたしは観光会社の案内人ですか』
 ゼクロスのあきらめたような声も、セスタの耳に届いていた。
『わたしは一番安いパーキング・エリア上にさらされているというのに駐機代をケチって食事代に回すなんて』
「べつにいいじゃないか、雨が降るでもなし。潮風で錆びるような外郭でもないだろう」
『精神衛生上の問題です。まったく、あなたという人は……』
 昼食代も著ってもらっている身であるセスタは肩身が狭いが、キイは何ら気にしていない様子でことばを返す。
 ゼクロスはブツブツ言いながも、やがて、ふとセスタの様子に気づいた。
『セスタ、あなたは何も気にする必要ありませんよ。お客様なんですから』
「うん……ありがとう」
 小声でことばを返すそこへ、丁度、料理が運ばれてくる。
 並べられた料理に、少年は目を輝かせた。
 焼きたてのロールパンに、パンチッチ――ティルムス名産の、口のなかでプチプチと弾ける、楕円形のキノコのようなもの――と海藻スープ、デザートは、さっばりしたフルーツのシロップ漬けだ。
 しかし何といっても、メインディッシュは、焼いた宇宙牛の肉にサコロッティのエキスをかけたものである。
 サコロッティはやはりティルムス名産の植物で、幹にミルクのような、甘いトロトロしたエキスをたくわえている。栄養価も高く、菜食主義の民族などには重宝されていた。
 注文はほとんどキイに任せていたのだが、何でも屋の女性は、どうやらフルコースを頼んでいたらしい。これでは、駐機代をケチって食事代に回したと言われても仕方がないだろう。セスタは内心ゼクロスに同情した。
「さ、いくらでも召し上がれ」
「いただきます……」
 セスタに声をかけ、意気揚々とフォークとナイフを手にしたキイ自身も、宇宙牛の解体作業にかかった。さっそく切れ端をひとつ、口に運ぶ。
 口に入れるなり、ほのかに甘い香りが広がる。とろけるような甘さと旨味が舌の上に転がった。噛むと、内部に香草をちりばめた柔らかな肉が崩れ、旨味を凝縮した汁が舌の上にしみだす。
 それは、噛めば噛むほど濃くなった。
「おいしい」
 二人の口から、自然に感嘆の声が洩れる。
 その様子を見ていた女主人が破顔した。
「うちのシェフの自信作よ。どんな惑星から 来た人間も満足させるってのが目標なの。気に入っていただけて嬉しいわ」
「こちらこそ、おいしい料理と、料理人に感謝だね」
 カウンターの奥の厨房への出入口を一瞥して、キイは笑った。
 そのとき、テーブルをひとつ隔てたとなりの席の三人組が、そのやりとりに注目したのか、それともフルコースに目をとられたのか、じっとキイとセスタを見ていた。一瞬、そのなかの一人とキイは、目が合った。
 たまたまだろう、と思い、とりあえずキイは気にしないことにした。
 ベレー帽に芸術系学校の学生のような服装の何でも屋と、銀髪の少年は、個性的なティルムス人のなかにいても目立つ存在だった。しかし、店には外来の客も多く、その姿を気にした者はいない。
 彼らも、そうだった。一見したところでは。
「問違いないわねえ」
 地元の者とほとんど変わらないような涼しげな格好をした女性が、小さな鏡を眺め、肩の上までの金髪をなでつけながら、何気ない風を装った、軽い口調で言う。鏡のなか、彼女のむき出しの肩の上には、店を出ていく何でも屋と少年が映り込んでいる。
「ああ、あれか。じゃ、そう伝えとくぜ」
 暑そうな、黒い服を着込んだ男が、襟のボタンをひとつ開ける。隠されたマイクを指先で軽く叩き、合図を送りながら。
「あの二人がウワサのアレってことだよな。オレたちも、そろそろ行くか?」
 と、彼はもう一人の男に目を向けた。三人目は色黒で背の高い、いかにもスポーツマンといった風体の男だ。
「そうだな。遅れたら何を言われるかわかったものじゃない。とっととやることを済ませてしまうか」
 三人は立ち上がり、体格のいい男がポケットからカードを出す、彼がそれを店主に差し出し、すべてまとめて支払った。
「ワリカンだからな、後で払えよ」
「おいおい、一番食べてたあんたが言うのはずるいぜ」
 三人組は談笑しながら、店を出ていく。
 その様子は見たところ、どこにでもいる明るい若者たちと変わりない。店内の他の客も店の者も、少しも怪しむことはなかった。
 店を出た彼らは、裏にあるエアカー用のパーキング・エリアに向かう。レンタル・エアカーに乗り込み、エンジンをかけると、黒服の男が口を開く。車内に盗聴器の類が仕掛けられていないことは、乗り込む前に一通りチェックしてある。つまり、車内は完全に三人だけの、他の何者にものぞかれることのない空間だ。
「あいつらに間違いないんだな、フリス」
 彼は運転席から、となりの女性に目をやる。
 フリスと呼ばれた女は、少し反発を含んだ目で相手をにらんだ。
「あたしの記憶力に問違いはないわ。例の実験体セスタと、何でも屋のキイ・マスターに問違いない」
「でも、詳細はわからないんだろ?」
「セスタのことは機密だから教えられないって言うし、キイのことも詳細はつかめなかったって言うし、あたしにはどうしようもないよ」
 むっとしたようなフリスと胡散臭そうな黒服の間に不穏な空気を感じてか、色黒の男がことばで割って入った。
「本人に違いあるまい。我々の目的は、仕事を終えることだ。そうすれば、依頼人も満足する。それ以上詮索することもない」
 言いながら、懐から取り出した小型光線銃を点検する。
「違っていたら、また一からやるだけだ。もう一人の暗殺者とやらがすでに動いている。我々はできる範囲のことをやればいい。それだけでも充分な報酬が出る。死にさえしなければ、悪い仕事じゃない」
 彼のことばに、前列の座席の雰囲気が少しだけ落ちついた。二人とも、今が仕事中だということを思い出したらしい。
 黒服は気を取りなおして、
「そうだな」
 と短く答えると、アクセルを踏み込んだ。



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