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 ――しばらくの間、誰1人として口を開かなかった。
 しかし、いつまでも沈黙を続けているわけにはいかない。それに、我に返るとすぐ、様々な疑問が頭に浮かぶ。
「シグナ。この施設の歴史の一部のはずだな、今のは……?」
 ストーナーが確認する。放棄された、地下施設。なぜ、そのシステムのアーカイヴ(資料庫)に宇宙船の艦長の日誌が?
『それだけではありません。なぜ、ここにASがあるのかも疑問です』
 シグナではない、宇宙船XEXの制御システムゼクロスが、さらに不可解な点を指摘する。彼は、量子力学的情報を操る装置AS――アストラルシステムの製作者ということになっている。
 あいにく、現在最大にして最高の頭脳とされている人工知能シグナすらも、それらの疑問に答える術を持っていなかった。
 しかし、やがて、彼らは気づく。一見画家志望の美少年風の容姿をした女性、キイ・マスターが、何やら考え込んでいることに。
『キイ……? どうかしましたか?』
 ゼクロスが、期待と不安のこもった声で自らの相棒を呼んだ。
 キイは顔を上げ、巨大スクリーンののなかの者も含め、全員が注目していることに気づく。
「ああ……どこかで聞いた気がするんだ。シャーレルの名を……。気のせいかもしれないが」
 珍しく、自信のないような声。まだ、記憶をたどっているのかもしれない。
 巨大スクリーンの向こうで、エルソンの宇宙科学研究所の所長、マスダ・リットンが肩をすくめた。
『とにかく、ASだけでも充分な成果だ。これ以上、危険を冒すことはない。一旦戻ったほうがいい』
 データの分析は、シグナとゼクロスで充分過ぎるほどだ。
 この地下施設はまだメインシステムと独立したセキュリティシステムが動いている。途中で行く手を塞ぐガードロボットを停止させ、あるいは破壊し、キイたちはここまでたどり着いた。それ以外にも、ここには危険な要素が多い。
 詳細が確認されていない、時に罠のような研究設備。最悪の環境。地下深くという閉塞感。
 危険だ。早く、立ち去ったほうがいい……
 全員が理解していた。来る時からわかっていたことではあるが、今はそれに加え、論理で説明できない〈予感〉と呼ぶべきものが、頭の中で警鐘を鳴らす。
 しかし、何か、納得がいかない。確かめなければ、とも思う。
『まだセキュリティ・システムは生きている。誰かがメインシステムの接続を切ったらしい。早く脱出したほうがいいだろう』
 ASで何か感じているのか、メインシステムと接続できないシグナが焦りを隠したような調子で言う。
「おかしいわね……
 レーザーガンをかまえたままのフォーシュが、形の良い眉をひそめる。
 その声は、刃のように冷たく冴え渡っていながら、どこか今にも弾け飛びそうな危うさを秘めていた。
「何を焦っているの、シグナ?」
 気のせいだろうか。空気が震えているようだ。焦っているのは自分でもあると、彼女は自覚していた。
「あなた、まるで誰かがここにいて、私たちを狙っているって言いたそうだわ……
 ディアロは我に返り、自分が拳を握っていることに気づいた。少年は、汗ばんだ手のひらを開き、顔をしかめる。
 気持ち悪い。
 一同の間に、何かが忍び込んでくるような――
『なっ――!?』
 空気が震えた。
 気のせいではない。大地のうなりのような音が徐々に大きくなっていく。
 それがはっきりと耳に届くと同時に、プツリ、と、スクリーンがブラックアウトした。
「ゼクロス! 所長! シグナ!」
 ユキナが声を張り上げる。しかし、音声も映像も、反応しない。完全にリンクが切れているのだ。
「どーなってんのよ、もう!」
 揺れは、空気だけではなくなっていた。揺れに押されて迫ってきた椅子を蹴り飛ばし、ユキナは出口に近づいた。ストーナー博士が先に駆け寄っていたが、分厚い防火扉が行く手を塞いでいる。
「頼む」
 博士が場所を空ける。ユキナは愛刀の柄に手をかけた。
「斬!」
 居合い一閃。刃は物に接触する一瞬、高熱を発する。それが、耐熱の防火扉をバターのようにあっさりと切り裂く。
「ここはまずい。脱出しなければ」
 ここは地下施設だ。生き埋めになれば腕に覚えがあるキイたちとはいえ、どうしようもない。
 ユキナが先頭を引き受けた。邪魔なものは片っ端から叩っ切るつもりだ。
 さらに増加しつつある揺れに足を取られそうになりながら、部屋の外へ。
 部屋から脱出する直前、キイは一度、振り返った。誰かに呼ばれたような気がしながら。

「やっ!」
 気合の声と同時に放たれた一撃が、ガードロボットの間接を切断した。金属の頭が壁に叩きつけられ、命令部分を失った身体は停止する。
 さらに、揺れなどおかまいなしに正確なフォーシュのレーザーが、ロボットの頭を撃ち抜く。
 キイと博士、デイアロはスキを突き、ロボットの背中にある停止パネルにコードの入った端末をを打ち込んだ。
 通路を出口めざして引き返しながら、後から後から現われる敵を片づけていく。
 と、突然、揺れが収まった。
「なんだ……?」
 疑問を抱くと同時に、かすかな浮遊感。
 だが、それもすぐに収まる。
「まさか……
 キイが顔を上げる。
 そして、走り出した。
「待って、キイ!」
 行く手――通路の角から、新手が現われる。追いかけたユキナが警告を発する前に、キイはかがみこんでいた。
 そして、その姿が消える。
 ゴガッ、という鈍い音が、たてつづけに耳に届く。
 ガードロボットたちは床に倒れた。キイはそれにかまわず、先を急いでいるらしい。ユキナたちもそれを追い、停止したロボットには目もくれず、通路の先をめざして走った。
 やがて、キイの背中を見つける。
 そこは、ここに侵入した際、ストーナー博士が「ありえない所にある」と評したドアだった。意味をなさないはずのドア。
 それを、キイは開けていた。そしてその向こうの光景は……
 立ち止まったユキナたちを、キイが振り向く。ゆっくりと。
「彼と話をしてみないといけないようだね。このまま、ここにいるわけにはいかないから」
 言って、歩き出す。
 入れ違いに、ユキナは数歩、進み出る。余り身体によくない風が、頬に当たった。
 青くはない空。汚れた、見覚えのある空。
 しばらくの間茫然としていた博士が、あることに気づいた。
「まずい……このまま宇宙に出られたら、我々は生きてはいられない!」
 そう言って、再び走り出す。
 なんとしてでも止めなければ。
 この船――シャーレルを。

 ブラックアウトしたはずのスクリーンに、灯が入っていた。キイが凝視するそれは、シャーレルの記憶。
 移民船シャーレルは、今まさに、太陽に突っ込もうとしていた。熱がその表面を溶かし、計器が異常を訴える。赤い帯をまとった、オレンジ色の球体が、その形がわからなくなるまで画面いっぱいに迫り――
 もう少しで、終われる……
 誰かがつぶやいた瞬間、爆発が起きた。
 機体がバラバラになる。しかし、強力な耐熱性のユニットに収められたシャーレルの本体だけは無事だ。
 それは、通りかかった宇宙船のある男の手に渡り、ミルドの近くにある〈船の墓場〉のボロボロの船に乗せられた。しかし、船も、人工知能も、うまく動作しなかった。
 そのまま船の墓場に捨て置かれているのを、やがてある研究者が発見し――

「そうして、船ごと研究所の一部になっていたってわけか……
 キイに追いついて、全員が再びスクリーンを見つめていた。腕を組み、ストーナーは哀れむように言う。
 スクリーンに展開される映像は、狂ったように繰り返し続けている。
 その前に立ち、キイは振り返った。どこかいつもと違う笑みを浮かべて。
「みんな、少しの間、出ていてくれるかい? ASで、エラーを検出できるかもしれない。それに、ちょっとワケ有りでね……
 懐かしむような、しかし、どこか自嘲めいた苦い笑み。
 その笑みを見れば、決して軽くはない因縁があるのがわかる。事態を打開するにしても他に手段があるわけでもなく、皆にできるのは、うなずくことだけだった。
 他の者たちが全員部屋を去ると、キイは腕輪型の装置、ASがはめられた左の手首を持ち上げた。手を高く掲げると、目を閉ざし、わずかな間、集中する。
 目を閉じたままの視界に、混沌を思わせる光景が広がる。踊り狂う、様々な色の光。それはぶつかり、突然消失したりしながら、薄く霧のかかったトンネルの中を行き来する。キイは、大きなトンネルのなかで、光を見上げていた。
 それは、彼女が創りあげたイメージ。見えるものそのままではないが、彼女の意識は確かに、そこに存在する。
 システムの情報世界を形作る回路のなかに。
 彼女はすでに、エラーをいくつも検出し、修復していた。しかし、今ここにいる目的は、それだけではない。
「シャーレル……私だよ。ミュートだ。今の、キイ・マスター」
 彼女は云った。今、キイ・マスターと呼ばれる意識体が。
 想いを音声や文字にする必要もないここでは、普段以上に間を置かず、それに対する反応があった。回路上の、声。
『あなたが……あなたがキイ……ミュート。あなたも、ジョーがいなくなるところにいた』
「ああ……
 思い出そうとするという行為が、リアルなフラッシュバックに直結する。
 パナ・ステーション。燃え上がるホテル。そこから多くの人々を救い出し、彼女は死んだ。シャーレルはただ、それを見ていることしかできなかった。救い出すべき人が多過ぎた……そのために、すでにASを使用するための力も尽きていた。
「私が殺したって言いたいのかい……?」
 無感情に言い、キイは、巨大な気配を見上げる。実際には、何も見えないが。
『あなたが、あなたがいれば……
 ほんの少しの差で、間に合わなかった。
 あと少しというところで、運命の糸は切れてしまったのだ。
『あなたのせいではない……わかっています。でも……
「納得いかないんだろう?」
『それだけではありません。まるで、私が疫病神であるかのように、周りの人々だけが死んでいく。すべては、このASのせいなのですか?』
 むなしさを伴うメッセージ。
 一方、キイは、ただ無感情に伝えるだけだった。
「私にはわからない。確かに、ASは災厄を呼ぶことも多い。それでも手放さないのは、災厄を止めることもできるから」
『私にはできない。私はもう……
 トンネルが絶望に染まった。
 キイは長期戦を覚悟したように、その場に座り込んだ。その様子を見て、シャーレルは根本的な質問をする。
『私はもう、宇宙に出たりしませんよ。あなたはなぜ、今もここにいるのですか?』
「きみを助けたいだけだよ……その理由は、知らないよ。ただ……
『ただ?』
「ここで見捨てたら、彼になんて言われるか知れたものじゃない。それに……きみが彼に似ているっていうのもあるかもしれないな」
 ぽつりと答えるのを最後に、音声のない会話は、少しの間、途絶えた。
 やがて、トンネルの奥から、ためらいがちなメッセージが送られてくる。
『ゼクロス……彼があなたの、今のキイ・マスターのパートナー。何か、皮肉ですね。いつか、彼が絶望しないことを願います』
 キイは、ふっと、自嘲気味に笑った。
「もう、絶望はしたのかもね、幾度となく。それでも、やらなければいけないことがあるんだよ。私にはある。でも、それは私だけじゃない。特別なことじゃないんだよ」
『私に、あるかどうか、いつ来るかもわからないやるべきことのために生きろと……?』
「それは待っていて来ることじゃない。見つけるんだよ。それもできないと言うなら、無理に生きろとも言わない」
 薄情なことを言い、立ち上がる。ここから、去っていこうというのか。
 しかし、彼女に、その気はなかった。本心では、力づくでも生きてもらうつもりだった。こういうことでは、本人の意思を尊重するつもりはない。容赦なく、生き地獄であっても、生かすことに全力を注ぐ。
 もしこれで駄目なら、ASを使って力づくででも――
 チラリとトンネルの奥を振り向いたその時、奥から、音なき声が響いてきた。
『キイ?』
 実際には音はなくとも、脳内の声のイメージが完璧にそれを再現してくれる。聞こえてきた声は、シャーレルのものではなかった。
「ゼクロス!」
『はい。電脳空間にいるのですね、キイ。プログラムは完全に修復されています。研究所ともつながっていますよ?』
 美しく、愛らしく、明るい声。トンネルの奥に白い光が差す。
 ゼクロスは、シャーレルの存在に気づいていない。ただ、何か感じたのか、不思議そうな気配を見せる。
 キイは一瞬迷った後、彼に告げた。
「ゼクロス……今、シャーレルとつながっている」
『本当に……? どこですか?』
 喜びと心配の気配が広がる。それが伝わったのか、ASで存在を隠していたシャーレルが沈黙を破った。
『私はここにいます。あなたが、ゼクロス……しかし、私はもう……
『あなたの力が必要なんです! お願いします、私に力を貸してください!』
『なぜ? 何が起こっているんです?』
 キイにも、何が起こっているのかはわからなかった。ただ、真実のほうは大体予想がついている。
『とにかく、話を聞いてください。せめて今夜だけでも』
「かなわないな……
 つぶやき、何か女性から男性への口説き文句みたいだなと思いつつ、キイは電脳空間を去った。

 惑星ネラウルの第2衛星ミルドの、飛行場。
 ここは飛行場の役目だけでなく、ひとつの都市としての機能も持っている。都市といっても、この建物の内部以外に街と呼べるものはないが。
 シャーレルの本体は、いずれエルソンの研究所に預けられることとなった。それまでは、シグナやゼクロスが監視している。
 さすが、カウンセラーというべきか。ゼクロスの壮絶な心理術で、シャーレルは態度を軟化させていた。ゼクロスは相手を退屈させない術を心得ている。
「もう、心理学の問題じゃないような気がするがなあ」
 適当な席に座り、ストーナーはうなった。
 彼とユキナは、ゼクロスにシグナ・ステーションまで送り届けてもらうことになっている。
 発進を指示し、キイは艦長席に腰を下ろす。
「単に新しい話し相手を見つけて喜んでるだけだね」
『いいじゃないですかー、解決したんだから』
「シャーレルもいい迷惑だよな。こんなのにつきまとわれるようになって」
 不満げな声を上げるゼクロスに、キイは容赦なく言ってのける。
『そ、そんなことありません! ……ないはずです……
「シャーレルも人がいいから、うるさいとも言えないしねえ。まだ、彼の試練の道は続くのか……
 心からの同情を込め、彼女は溜め息と一緒に吐き出した。
 その様子を見てなけなしの自信が揺らいだのか、ゼクロスは今にも泣き出しそうな声を上げる。
『そんなこと、そんなことないですよ、ね、ユキナさん、博士……? ね、ね?』
 ユキナが、あきれたようにキイをにらんだ。
「相棒苛めて楽しい~?」
「ちょっと悔しかったから」
 涼しい顔でつぶやき、キイはしらじらしく、メインモニタ-のシグナ・ステーションに目をやった。



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