送る鐘の音

 陽はすでに地平線の上に顔を出し、草原の真ん中に現われた奇妙なシルエットを照らし出していた。それは、針山のようにも見える、黒く不気味な塔の並びだ。
 そこを目ざして、真っ直ぐ伸びた道を、黒衣の少女が歩いていた。その姿はまるで喪服にも見えて、行く手の街並みとともに一枚絵のような風景を演出している。
(ん……ああ、おはよう、セティア)
 少女のほかに、その周囲に生き物の姿はない。しかしどこからか、少年の声がセティアと呼ばれた少女の頭に響いた。
 遠方の者と対話することのできる魔法〈テレパシー〉の効果だった。遠方の者の視界を共有できる魔法〈ビジョン〉と併用してでも、長時間使い続けることは、少女――高名な魔女セティア・ターナーにとって、造作もないことだ。
「今日はずいぶん遅く起きたね、シゼル」
(最近、何だか凄く眠くてね。正直、次眠ったら起きられないんじゃないかと思うんだけど、いつの間にか寝ちゃうんだ。しかも、起きるたびに妙な痣が増えてきてるし)
 シゼルのことばに、魔女は少し間をおいて言った。
「ふうん……それじゃあ、できるだけ寝ないように努力してよ」
(善処するよ)
 その身を風霊の谷に置く少年は、だいぶ病が進行し弱ってているらしい。魔女とともに旅を始めたころに比べ、〈テレパシー〉の心の声も、いくらか弱くなっていた。
(ところで、あれはどんな街なの? 何か、悪の一団の根城みたいだけれど)
 近づく街並みをそう形容するシゼルのことばに、セティアは苦笑した。
「悪の一団じゃあないさ。あそこは、色々なことを研究する魔術師たちが集まる町なんだ」
(へえ、セティアのお仲間がいっぱいいるのか。それなら、色々と面白いことが起こりそうだから、楽しみだな)
 歩くうちに、街並みと、大きな門が見えてくる。門はアーチ状で、古く趣のある外観を呈していた。
 門をくぐると、石畳の通りや装飾の美しい街灯、黒くそびえるいくつもの塔が風景に溶け込んでいる。塔にはどれも、高い位置に鐘が備え付けられている。
 何かの実験なのか、門のそばにある広場では、ローブ姿が集まって台を取り囲んでいる。台の前に立つ男は、片手に魚を握っていた。
(あれは何の研究?)
「さあ……焼き魚が一番美味くなる炎の魔法か、保存の魔法でも実験してるんじゃないか」
 広場の脇を抜けて幅の広い道を歩き続けると、今度は、道端を小型の竜に乗って駆けるローブ姿が向かってきた。
「ど、どいてどいて~!」
 セティアが横に避けると、ローブ姿の手にした棒の先端に吊るされた肉の塊につられて走る竜が、高速で駆け抜けて行く。
(あれ、どうやって止まるんだろう?)
「肉を食べさせるか放すんじゃないか……食べ終えたあとが問題な気もするけれど」
 宿屋を探して、セティアは町の中心部を目ざした。塔ばかり目立つものの、普通の店や民家がないわけではないらしい。中心街に近づくにつれ、店で店主とやり取りをする客、道端を行くローブ姿ではない人々など、あちこちの町でも見かけられたような姿が増えていく。
(全員が魔術師ってわけでもないんだね)
 シゼルのことばに答えようと、セティアが口を開きかけたとき、空に大気を震わせるような轟音が響いた。塔に吊るされた鐘が一斉に規則正しく、ゴーン、ゴーンと重い音を刻む。
(何だろう、何かの合図かな?)
 不思議そうな少年のことばに答を返したのは、セティアではなかった。
「あれは、葬送の鐘ですね。結婚とか何か喜ばしいことがあるときはもっと明るい音色だし、警鐘はもっとテンポが速いし、この悲しい音色は、誰かが亡くなったってことです」
 買い物帰りらしい、灰色の髪に白いローブを着た青年が、買った物が高く積み重なった大きな袋を危なっかしく抱えたまま、通りかかりざまに親切に説明した。
「それにしても、〈テレパシー〉を使ったまま街中を歩く魔術師とは珍しい。この町の人じゃなさそうだね。旅人さんかい?」
「ええ、わたしはセティア・ターナー。彼はシゼルです」
 魔女が何気なく自己紹介をすると、突然、青年魔術師は表情を変える。抱えた袋の上からリンゴが転がり落ち、セティアがとっさに宙で受け止めた。
 それにも気がつかず、青年は目を見開き、口をパクパクさせてから、大声を上げる。
「あっ……あなたがあの、伝説の魔女セティア・ターナー!」
 大声に、周囲のローブ姿たちも振り返る。彼らの目も、魔女の前の青年同様、獲物を見つけた獣のように好奇心に輝く。
 このままでは、せっかく自分が見つけた魔女を取られてしまう――そう危惧したのか、青年は声をひそめてささやいた。
「こ、これは失礼を……わたしは、パルタ。是非、わたしの塔に来て話を聞かせてくれませんか? 昼食をご馳走します。いえ、よろしければ夕食も……泊まっていただいてもかまいません、部屋は余ってますし」
 それは、セティアにとって、願ってもない申し出だった。

 パルタの塔は、町の北西の外れの丘の上にそびえていた。街中に並ぶ塔のなかでも、かなり大きなものである。
(へえ、凄いね。魔術師はみんな自分の塔を持ってるの?)
 シゼルが感歎すると、パルタは少し照れくさそうな笑みを浮かべて応じる。
「何か研究テーマを持ってる魔術師は塔に住むけれど、大抵、お金もない若い魔術師は、ひとつの塔に研究室をひとつずつ持って共棲するんだ。でも、わたしは父も魔術師で、塔と一緒に、同じ研究を受け継いだからね」
「パルタさんは、何を研究しているんです?」
 セティアが問うと、興味を持たれたことが嬉しいのか、彼は頬を赤く染める。
「わたしは、あらゆる病気を治す魔法薬を研究してるんです」
 誇らしげに答え、黒い塔の出入口へ歩き出す。
 セティアとシゼルの間に、一瞬奇妙な沈黙が降りるが、それにも気がつかず、彼は客人たちを先導した。
 外側は漆黒だが、塔の内部はレンガ色で、生活感があった。ただ、装飾や棚に置いてある小物、そしてパルタが向かう先にある移動用の魔方陣など、端々に魔法に関わるものが置いてある。
 セティアとパルタが魔法陣にのると、それが光を発して二人を包み、三階へと運んだ。塔の主の説明によると、一階は接客用、二階が倉庫、四階以上が用途に合わせた研究室で、普段は主に三階で生活しているという。
 彼は客人を、広めの部屋に案内した。暖炉とテーブル、壁に掛けられた鏡や絵画、花瓶に白い花が活けられた机に少し古いソファーがあり、塔の中といえど、壁をくり貫いた窓の外の景色を除けば普通の家の今とさほど変わりはない。
「ようこそ、いらしてくださいました。あなたほどの魔術師に出会えるとは、光栄だなあ」
 茶と手作りらしいクッキーを出しながら、パルタは少し興奮したように言う。
「どうも」
 と礼を言って、セティアは、飲むと魔よけになると言われる茶を一口すする。ソファーは少々くたびれているものの、座り心地は悪くはなかった。
 一息つくと、彼女は漆黒の目を、真っ直ぐ青年に向けた。
「どんな病気も治す薬……というと、錬金術を専攻していらっしゃるんですね。それで、研究はどこまで進んでいらっしゃいますか?」
(まあ、お父さんから受け継いだって言うんだし、完成はしていないだろうけれどね)
 何も期待していない風にシゼルが付け加えると、パルタは決まり悪そうに頭を掻く。
「ええ、まあ……ただ、風邪と喘息だけ一瞬で完全に治す薬とか、頭痛と腹痛だけ一瞬で治す薬などは開発できました。ほとんどは、材料費が高過ぎて割に合わないですけどね……でも、必ずいつかは完成させます! もう少しで、材料の組み合わせが絞れそうなんです」
 夢見る時の輝く目で、若い錬金術師は勢い込んだ。
「まあ、わたしは錬金術は専門外ですが……
 言いかけて、魔女は口を閉じ、窓の外に目を向けた。
 小さな、木の葉のざわめきのような音が、徐々に大きくなっていた。間もなく、灰色の羽を持つフクロウが窓際に留まり、パルタを見る。
「ああ、来客があったみたいですね。ちょっと失礼します」
 言って、塔の主人は続けて呪文を唱えた。壁にかかった鏡に、本来は映らないはずの光景が映る。一階の出入口付近に、四人の白衣姿が並んでいた。
「ああ、いつものお医者さまたちか」
 〈テレパシー〉の効果なのか、パルタのことばは、相手にも届いているらしい。
(お世話になります。また、いつものを分けていただけないかと)
「遠慮することはないよ。全部取ってっていいから、どうぞどうぞ」
 医者たちは心の声でそれぞれに礼を言い、塔を出て行く。
(〈テレパシー〉と〈ビジョン〉って、こういう使い方もあるんだ)
「本当は、こういう使い方のほうが一般的なんだけどね」
 セティアがシゼルのことばに声をひそめて答えるうちに、パルタが苦笑しながら魔法を解いた。
「ラズムの実っていう、医者なら誰でも持ってるくらい一般的な鎮痛剤の材料があるんですけど、この辺じゃあ、もうほとんど採れなくなったんです。でも、うちの敷地には、父が育てていたのがいくらか残ってて……あのお医者様たちも、買うとなると遠くまで行かなければいけませんからね」
(それを全部ただであげるなんて、太っ腹だね。高く売れるんじゃない?)
「魔法の触媒のために、お金はいくらでも欲しいけどね。困ったときは助け合いだし、わたしは魔法でお医者様のお株を奪おうとしている立場だから、せめてこれくらいはね」
 少し冷めた茶をすすり、彼は思い出したように高名な魔女を見た。
「わたしのことは、大体お話したと思いますけれど……そろそろ、お二人に質問をしていいでしょうか。なぜずっと〈テレパシー〉と〈ビジョン〉をつなげているのかも、とっても気になります」
「その理由は……
 パルタが最初にそのことに興味を持ったことは、セティアにとっても有難かった。
 彼女は当時の記憶を思い返しながら、シゼルとの出会いや、彼の依頼を受けた経緯を説明した。最初はセティアの魔法の力に最大の興味を向けていたものの、パルタはシゼルの病気のことを知ると、熱心にその症状や、病気になった前後のことを質問した。その余りに熱心な様子に、セティアは何度か、昼食時が過ぎていることを言い出す機会を失ったほどである。
 やがて話が一段落すると、パルタはやっと、長い間話し込んでいたことに気がついた。
「お昼にしましょう。続きは、その時に」
 買って来た食材で手早く昼食を作るパルタを、セティアも手伝った。早く食事を取りたいという理由もあるが、彼がこれから何を言うのか、それを早く知りたかった。
 間もなく、パンにハムと野菜を挟んだものに、豆入りスープとデザートの果物という、素早く作ったわりにそれなりに見える昼食がテーブルに並ぶ。
「すみません、結局こんな食事で」
 パルタはすまなそうに言うが、セティアにとっては、悪くない食事だった。
「いえ、充分です。それより、さっきの話ですが……あなたは、シゼルがかかっている病気のことをご存知で?」
「実は、父が残した資料に、同じような病気のことが書かれているんです」
 スープを混ぜていた手を止め、机の引き出しから紙の束を取り出してテーブルに広げると、彼は至極真面目に言った。
「ただ、材料を集めるのが難しくて……それに、材料の最後のひとつがわからないんです。わかってる材料は、ルーンの粉……これは用意できますけど、もうひとつが高価なナスマゲロの葉。そしてもうひとつは……持ち帰った者はただ三人と言われる、風霊の谷の天使の末裔の羽根です」
 あきらめ半分のパルタの説明に、セティアは驚き――ポーチのひとつから、羽根を取り出した。
(それ、まだ持ってたんだ)
 セティアの次に驚きの表情を浮かべたパルタの頭に、喜びともあきれともつかない、複雑な気持ちが混じった少年の声が届く。
「ええと、ルーンの粉は取りおきがありますし、あとはナスマゲロの葉ですが……
「それって、いくらくらいするんですか?」
「魔法市では、その時どきで違いますが、最低でも二〇万は下らないかと……
(そんなにするの? 谷じゃ、その辺に生えてるよ)
 シゼルのことばに、魔女は苦笑する。
「羽根もその辺の人が生やしてるくらいだしね。それで、パルタさん――」
 セティアは、パルタに魔法市の場所を聞いた。彼女は昼食を詰め込むようにして食べ終えると、倉庫でルーンの粉を捜すというパルタを残し、塔を出て市場へ走った。

 魔法市でナスマゲロの葉を見つけたセティアは、魔法の触媒を扱うその店の店主に値段を聞き、珍しく目を見開いた。
「最近は数が少なくてね……最低でも、三一万だね」
 財布の中身を確かめ、売れそうな持ち物を計算しても、彼女が持ち合わせているのは、二〇万を少し超えるほどだった。
(まあ、仕方がないよ。どうせ買えても、最後のひとつはわからないわけだし)
 他人事のようなシゼルのことばを聞き流し、セティアは何とか、金をひねり出す方法を考えていた。一瞬、耳を飾る木の実形のイヤリングに触れ、これは売れない、というように首を振る。
 やがて、持っていたささいな道具をすべて出し、それでも足りないと知ると、彼女は腰に吊るしたナイフを店主に差し出した。
「おお、こいつは値打ち物だ!」
(ちょっと、それ、大事なものなんじゃないの?)
 喜んでナイフを眺め回す店主をセティアの視線で見ながら、シゼルが少し慌てたような声を出した。
 常にそばにおいていたそのナイフは、セティアが持つ魔法の道具の中でも、もっとも使う頻度の高い物だ。装飾も美しく、高価な物であることは一目見てわかる。
(こんなものよりは、シゼルとの旅のほうが気に入ってるからさ)
(そうかい……それは嬉しいね)
 二人が〈テレパシー〉でことばを交わす間に、店主は紐で茎をくくられた茶色いナスマゲロの葉の束を、丁寧に袋に包んでいた。
 少し軽くなった腰のベルトの、ポーチに葉を袋ごと入れ、セティアは塔へと引き返し始めた。
 すでに、陽は遠くの山並みにかかろうとしている。道を行く人々の姿も、だいぶ少なくなっていた。
「シゼルは、嬉しくないのかい?」
 塔が見えてきたころ、セティアが、余り喜んでいない様子のシゼルに、声をひそめて問うた。
(そりゃ、ぼくもできることなら死にたくないよ。でも、何度も裏切られてきたからさ。最後の材料がわからないと駄目なんだし、期待はしないよ)
 少年の声は、淡々としていた。
 それに答えようと口を開きかけたところで、目前に迫った塔から、青年魔術師が駆け出してくる。
「セティアさん、シゼルさん! 最後の材料がわかりました、ラズムの実です!」
(本当に?)
 パルタの歓喜の声にセティアも驚き、シゼルも、少しだけ、期待を込めた声を出す。
 二人の魔術師は、急いで丘の、ラズムの実が成っている辺りへ向かう。だが、背の低い植物に鳴るその実は、どこにも見当たらない。
「あのお医者さんたちは、まだ宿にいるでしょうか?」
「いつも、馬車で来てすぐに町を出るんです。先ほど〈テレパシー〉で連絡してみましたが、今日もそうだったみたいで……。この町に、医者はいませんし」
 多少の傷は魔法で治療できる上、大抵の病気も魔法薬で治すことができた。魔術師の多いこの町に、医者は必要がないということらしい。
(もういいよ。薬ができたところで、谷まで届けられないでしょう? 知ってるんだよ、もう時間がないってこと)
 ささやくような、眠たげな声が二人の脳裏に届く。
(パルタさんのお父さんの資料に、書いてあった……痣が出始めたら、死期は間近だって)
 それをまるで聞こえていない様子で無視して、魔術師たちは塔の周囲を捜し続けた。
 陽が落ちても、夕食もとらず、塔の周囲や丘の上だけではなく、町の周囲も捜し続けた。
 やがて、夜闇が深まり、薄れ、新たに陽が昇っても、彼らがラズムの実を手にすることはなかった。

 白いローブ姿が短く礼を言い、黒いローブ姿が、丘の上の塔から旅立っていく。
 早朝のために、人の姿はほとんどない。魔女はがら空きの道を、黄昏色の朝焼けに向かって歩いていた。
 朝もやがたちこめる中、彼女はアーチ上の門をくぐる。
 すると、ゴーンゴーンと、重く悲しい旋律が空を震わせ始めた。
(もうこんな時間か……
 魔女の頭の中に、少年の声が響く。
「シゼル。起きたのかい?」
(起きていたような、寝ていたような、良くわからない気分。でも、今も物凄く眠いんだ)
 魔女に弱々しい声で答えて、彼は少し、間を置いた。
……ぼくはもう、眠ることにするよ。おやすみ、セティア)
 すでに〈テレパシー〉を切り、返事のない少年のことばに、歩きながら、セティアは静かにささやき返す。
「おやすみ……シゼル」
 もやの中に消えていく魔女を送り出すかのように、鐘の音は空に反響し、長い間鳴り響いていた。