「こちらが最初の目撃者、旅の魔術師のウェイトくんです」
町長は立ち上がって、新たに部屋に入ってきた人物を紹介した。歳のころは、二〇歳前ほどか。童顔で整った顔には、落ち着いた、しかしやはり少し緊張しているのか、わずかにぎこちなさのあるほほ笑みが浮かんでいる。ローブをまとった姿や額と左の頬に彫られた紋章からすると、一応魔術師らしい。
町長と少年が向かいの席に着くと、ミラーは早速口を開いた。
「それで、あなたはそいつの顔を見たの? 本当にそいつだった?」
たたみかけるように質問されて、ウェイトはわずかに困ったように首をかしげた。
「誰も彼の顔を見たことがないので、見たとしてもわからないと思います。ただ、重要な証拠を残していったんです」
町長が口を挟み、懐から大切そうにハンカチに包まれた指輪を取り出した。ミラーのとなりの椅子で、エイクはその指輪が魔力を帯びていることに気づく。
「これを保管した神殿の司祭によると、問違いなく、かつてウェリッシュが悪魔を使役するのに使っていたものだそうです」
この町、ミスカロンドには、有名な伝説がある。
約三〇〇年前、この町に、ウェリッシュという名の強力な魔力を持った魔術師が住んでいた。彼は悪魔を操り、世界征服をたくらんでいたと言われ、やがて王国の聖騎士団に捕われて、力を封じられたという。そして、北にある塔に永遠に閉じ込められたというのだ。
それが、最近、強力な魔力を持つ怪しい人物の目撃証言が増え、塔の魔術師が解放されたのではないかというウワサがまことしやかに流れていた。
そこで、真相を確かめるために、この周辺では名の知れた傭兵であるエイクとミラーに依頼が回ってきたのである。
「夕方、空が暗くなり始めるころでした。図書館に忘れ物をしたわたしは、人通りのない道を引き返していた時、黒いマントの後ろ姿を見かけたんです。でも、すぐに消えてしまいました……瞬問移動の魔法を使ったのだと思います。彼のいなくなったあとに、指輸を見つけたんです」
ウェイトは静かな、透き通るような声で説明した。この少年はこういった状況に慣れているようだ、と、エイクは感想を抱く。
「わたしも魔術師の端くれです。相手が強大な魔力の持ち主であることはわかりました」
「なるほどな」
無意識のうちに愛剣の柄に触れながら、元聖騎士はうなずく。話が本当なら、相手に不足はない。久々に、本気を出す時だ。
依頼料にも不足はなく、ミラーもやる気満々だ。彼女は必要な情報はすべて手に入れたと見るなり、炎のようにウェーブのかかった赤毛をかきあげ、弾かれたように立ち上がる。
「早速片づけてくるわ。ゆっくり待っていてくれていいわよ」
「どうか、お気をつけて」
すでに前金は渡してある。それに、ウワサが本当なら町民の安全に関わることだ。町長は期待と不安の混じった目で傭兵たちを見送った。
ミスカロンドは草原にぽつりとある、小さな町だ。ただ、交通の拠点にあり、王都レイナッシュヘ向かう途中に立ち寄る旅人は多い。
旅人たちが行き交う通りに出たエイクとミラーは、そのまま町の北の門に向かった。必要なものは、すでに手に入れてある。
「待ってください!」
早々に門を出ようとしていた二人に、背後から声がかかった。
聞き覚えのある、特徴のある声。町長の屋敷で出会った、あの少年魔術師か。
振り返ると、予想通りの姿がある。
「まだ、何か言うことがあったのかしら、坊や?」
ウェイトは目の前にくると、余裕を感じさせるほほ笑みを浮かべ、少々おもしろがるような調子のミラーに応じた。
「足手まといにはなりません。どうか、わたしも連れて行ってもらえませんか?」
彼も、なかなか腕のいい魔術師らしい。多少なりとも魔法を扱うエイクには、それが感じられた。
しかし、それでも彼は、すぐには賛成できなかった。
「足手まといにならないって言ってもな……相手は、三〇〇年以上生きてる、伝説の魔術師だぞ? それに、もともとの仲問や家族はいないのか?」
「家族はいません。仲問も。今まで、一人旅がほとんどでした。でも、わたしはここの出身なんです。塔へも、塔のなかも案内できると思います」
「塔のなかも……?」
意外なことばに目を丸くするミラー。
少年は、少しいたずらっぼく笑った。やはり少しぎこちないが、それでもその笑顔では、これまでより子どもっぽく見える。
「昔、友人たちと一緒に、肝だめしと称して行ったことがあるんです。その時は、誰にも会いませんでしたが」
この少年を、信用していいのかどうか。
エイクが迷っているうちに、ミラーのほうはすぐに腹を決めたらしかった。
「まあ、魔術師の塔だし、こっちもちゃんとした魔術師がいたほうがいいわね。あたしはそんなことないと思うけど、もしウソついてたら、お仕置きしてあげるから覚悟しなさい」
「はい。肝に命じておきます」
冗談混じりのことばに、ウェイトは今度はどこか老成したような雰囲気を漂わせる笑みを浮かべ、うなずいた。
塔は、小高い丘の上にあった。それは、今にも崩れ落ちそうなくらいに古びている。
「なかには、魔物が巣くっている部屋もあるので、気をつけてください。ここは、空を飛ぶ魔物にとって目立ちますからね」
ウエイトは先頭になって、塔のなかに入った。なかは明るく、灰色の壁に並ぶ燭台の炎がわずかに風に揺れている。その炎から、エイクは魔力を感じ取っていた。
「魔法の炎か。罠とかはないのか?」
いつでも抜き放てるよう、腰の愛剣に手をかける。ミラーも、細身の突き専用の剣、レイピアの柄に右手を置いていた。
少年は警戒する様子もなく歩きながら、後ろの傭兵たちを振り返る。
「かつてはあったでしょうが、今はすべて取り除かれています。魔術師が、長い問住んでいましたからね」
すぐに、階段に突き当たった。どうやら、そう複雑な造りにはなっていないようだ。
先頭は自信ありそうな少年に任せ、一向はどんどん上に上がっていった。少年が素通りしたドアには手をつけず、とりあえずすべてウェイトに任せることにする。他にあてになるものもない。
周囲の建造物と比較してはともかくとしても、もともと、ここは塔としてはそれほど高くはなかった。
「ちょっと期待外れね。財宝でもあるかと思ったのに」
七階に到着した辺りで、ミラーが拍子抜けしたようにぼやいた。
「財宝なんて、こんなところに住んでる魔術師には意味ないだろ。何かの資料とかならあるかもしれないが……それを素直に触らせてくれるとは思えない」
あきれたように言って溜め息を洩らした直後、エイクは、一瞬身体の右半分が熱くなるような感覚を覚えた。彼らが歩く通路の右側には、壁が小さくくりぬかれただけの窓がある。
「何だ!」
急激に高まる危機感に耐えかねて、彼は床を転がった。
ぎぎっ!
何かがきしんだような鳴き声をあげて、窓から侵入した黒いものがエイクの上を飛び越える。
「吸血コウモリ?」
コウモリに似たそれは、続けて二体が飛び込んできた。エイクは床を転がり、ウェイトのほうに逃れる。
「肩憤らしといくか……」
立ち上がると同時に、抜刀。血を求めて近づいた一匹が、素早い一撃に叩き落とされた。
ミラーも、レイピアを抜いている。的確な突きが、相手を串刺しにする。
最後の一匹は天井すれすれから、エイクの背後に向かっていた。しかし、エイクは動かない。呪文を唱えるウェイトの声が聞こえていたからだ。
「ライトニング!」
少年の細い指先から、青白い光が直進した!
吸血コウモリは黒焦げになり、凍りついたように動きを止めて落下する。
「ま、こんなもんだな」
三人は何事もなかったかのように、歩みを再開した。
塔の最上階は、十階。間もなく、彼らは最上階の大広問に辿り着く。大広問のとなりに、魔術師が寝起きしていたらしい部屋があった。
「誰もいないわね……手遅れということかしら?」
殺風景な大広問からとなりの部屋をのぞき込みながら、女剣士は肩をすくめた。
優秀な魔術師なら、侵入者の存在にすぐに気づくだろう。そして、気がつかれることなく逃げ出すことも難しくはないかもしれない。ということは、この塔にはすでに、求める相手はいないのだ。
魔術師が消えれば町は救われるかもしれないが、根本的な解決とはならない。
今日何度目かの溜め息を洩らすと、エイクはふと、ウェイトに目をやった自少年は、窓から外をのぞいている。
それは、ミスカロンドの方角だ。
「何かおもしろいものでも……」
横からのぞき込み彼は絶句した。
黒い、巨大な翼を持つもの。それが、晴れ渡った街の上空を覆っていた。
「あれは、邪竜ベラゾイド! 大変……このままでは!」
ミラーが叫んだ。
草原の南にある山に住む、この辺りでは有名な、凶悪な竜。退治に向かって帰らぬ人となった者は、十数人に昇る。
街の人々を逃がさなければしかし、今から戻って間に合うはずもない。もどかしさと悔しさに,彼女は歯噛みした。
「人々が! 早く逃げて!」
聞こえるはずがない。しかし、叫ばずにはいられなかった。
邪竜は赤く輝く目で、遥か足もとの街並みをにらみつけ
「心配すること、ないですよ」
邪竜が口を開いた。緊迫した光景とウェイトの余裕のほほ笑みを同時に視界に入れ、エイクとミラーは混乱する。
「ほら」
少年は、パチン、と、指を弾いた。
それを合図にしたのか……街並みの一点から、光がたち昇る。それは扇状に広がり、邪竜の姿を内に捉えた。
そして、光の筒に吸い込まれるように、竜の姿は消えていく
傭兵たちは、しばらくの問荘然としていた。
やがて、我に返ったエイクが、ようやく声を絞り出す。
「お前……ウェリッシュ、か……?」
この塔に詳し過ぎる。そう、疑問を抱いてはいた。
しかし、はっきりとその証拠となる巨大な力を見せつけられると、何をしていいのか、何と言ったらいいのかもわからない。
一方、少年は変わら、何かが欠けたようなほほ笑みを浮かべていた。
「リッシュと呼んでください。あれは、大した術ではありませんよ。もともと、あの指輪には力が宿っていますから」
「あの指輪か……」
彼が拾ったという、指輪。それも、彼自身が用意した物なのだろう。
「邪竜が街を狙っていたのは、わかっていました。それも、この塔のせいなのです。ここは目立ち過ぎる。おまけに、わたしという、邪悪な気を持った者が住んでいますからね。しかし、わたしにこの塔を破壊することはできない」
ことばの後半で、彼は背を向けた。数歩足を進めると、未だ事実がほとんど飲み込めていない二人に手招きする。
彼らは、ある部屋に足を踏み入れた。クモの巣を払いながら奥へ進み、リッシュは青い、魔力が秘められた石板の前に立つ。
「ここはもともと、古い遺跡でした。普通なら、もうとっくに崩壊しているはずです。それを保たせるため、聖騎士たちは魔法をかけました。この魔法は、聖騎士の紋章を持つ者でなくては解くことができません」
言って、彼はエイクを振り返る。
エイクは迷った。
自分の手で、この魔術師を解放していいのか? もしウェリッシュがここにいたら、この手で倒す。そのつもりだった。しかし、リッシュが悪人とは思えない。思いたくないのかもしれない。それに、彼はもう、ここに捕われてはいないのだ。再び捕らえるつもりなら、戦うしかない……。
「……それで、塔が崩れたら、お前はどうするつもりだ?」
相手を試す、厳しい目。リッシュは苦笑した。
「今のわたしには、それほど大きな力がないのですよ。あなたたち次第です」
「悪魔を使って世界征服を企んでた、ってのは?」
ミスカロンドで聞いた話を思い出し、ミラーが問う。
少年の白い顔に浮かぶ苦笑が、わずかに濃くなった。
「……わたしは、悪魔を封じる力を持っていました。もともと、そういう力の強い血筋だったようです。そして、医者志望として、魔術師として、治癒や退魔の力を研究し、磨いていきました」
しかし、魔物や悪魔を封じていくうちに、彼はその力が自分に宿っていくことに気づく。
悪魔に支配されるようなことはなかったが、やはり、邪悪な力を糧としていくことは気分のいいものではなく、彼は悪魔を、物に封じるようになった。
「しかし、強力な相手と戦う際に、どうしても封じた悪魔を召喚しなければいけない危機に出会うことがあったのです。そして、人々はわたしを悪魔使いと恐れるようになった」
「それでか……」
エイクは、何とも言えない気分で相手を見た。
「わたしが死ねないのは、偉大な魔術師だからとか、そう言うものではありませんよ。それも、わたしのなかの悪魔が、封印により、わたし自身の力で浄化されることがなくなったからです」
どこか哀しげに笑い、無意識のうちに、頬の紋様をなぞる。その顔に彫られた呪文のようなものが、封印の証なのだろう。
「わたしにも、いくらか聖なる力は残されています。だから、この塔から出ることはできましたが、破壊することはできません。エイクさん。さあ……」
今となっては、吹っ切れた。
エイクは、聖騎士の紋章が刻まれた剣を振り上げ――
パリン。
意外に軽い音を立て、石板は割れる。
しかし、その音に、
地がうなるような轟音が続いた。
「……ひとつの歴史に終止符が打たれたってわけね」
赤茶けたガレキの山と化した元建造物を眺め、ミラーはつぶやく。
リッシュの瞬問移動で、誰一人ケガもなく、余裕で脱出を完了した。呪文もなしに瞬間移動という高度な術が使えるのだから、さすがは伝説の魔術師か。
しかし、彼は、決して抵抗する意志はないようだった。
「覚悟は、できていますよ。肝に命じていましたから」
言って、彼は笑う。
でも、この子は本当に笑ったことがあるのかしら?
ミラーは、そう感じていた。
町長の屋敷にて。
邪竜襲撃事件からまだ数時問しかたっていないが、町長は諸手をあげて三人を歓迎した。
さすがに屋敷内の警備は強化されているものの、町長は得意然としたミラーの様子に、すべてはうまくいったと感じ取ったらしい。
「当然でしょ? あんな邪悪な塔、根元から破壊してやったわ。もちろん、魔術師もこの手でトド人を刺した」
リッシュが、複雑な感情のこもった目でミラーを見る。彼女の話のなかで活躍の場を与えられないエイクも。
「塔の崩壊は見ましたよ。いや、さすがです。依頼料も割り増ししましょう!」
「まあ、すばらしい! あなたのような町長がいればここも安泰ね」
嬉々として言う彼女の前のテーブルに、次々と豪華な料理が運ばれてくる。今日は宴会らしい。
「あの竜も、わたしたちが追い払ったのよ。実はこの子はわたしたちの仲間で、あの指輸にこの子が魔法をかけておいたの」
「ええっ、そうだったのですか。それはすばらしい!」
ますます冴え渡るミラーの舌先に、リッシュはますます目を丸くする。
そして、ついに口を開きかけた。
「あの……」
と、言いかけた口に、エイクがパンを突っ込む。
「いいんだよ、言わせておくのが最善さ」
小声でささやき、彼は片目を閉じた。
「ま、あいつが後で何というか、オレにはわかるな。『この借りは、身体で払ってもらう』てところか」
エイクのことばに、リッシュは複雑な表情を見せた。
「わたしといると、魔物に狙われますよ? それに、他にも不都合があるでしょう」
「オレたちは、魔物と戦う仕事をしてるんだ。狙われる時はどこでもいつでも誰でも狙われるしな。それに……オレは聖騎士団に知合いが多いから……何か、手がかりがつかめるかもしれない」
何の手がかりか。
それは、リッシュを呪縛から解放するための手がかりだ。永遠の、生と悪魔の呪縛から。普通に生きて、普通に死ねない。力を封じられてから、彼は人としての何かを失ったのだろう。
それを取り戻したい。エイクは、そしてミラーも、そう思った。
彼らの真意を知り、リッシュは言った。
「……ありがとうございます。それに……これから、よろしくお願いします」
そう言って、彼は笑った。
それは、これまでで一番上手な笑い方だった。
FIN.