第一章 フェイヴァニカの遺跡


  五、ガーゴイル襲撃


 東地区は、劇場や高級住宅が建ち並ぶ静かな地域だ。閑静な街並みのところどころに、かすかに劇場からのメロディーと歓声が流れる。
「劇場か……。今も、あちこち公演しているね。学者が集まったところは、やっぱり公演が取り止めになったりしたのかな?」
 劇場から流れてくる美しい歌声や楽器が奏でるメロディーを聞くと、シリスは吟遊詩人の血が騒ぐらしい。彼は常に、武器である〈封魔槍デウス〉とともに、愛用の竪琴を背負っている。
「そういう調べ方もあったわね。ま、依頼料は出ないけど」
 一行は、人通りのない通りを都市の外、東門に向けて歩いていた。うって変わった東通りの賑わいが、数件の住宅越しに聞こえて来る。
 東通りの一本北の通りにある、少し高くなったところに、テラザート候の屋敷はある。
「あれが、委員長さんの屋敷か?」
 目的の建物が見えてきたところで、ザンベルが訊いた。公爵クラスの屋敷の割には、質素なほうである。だが、背景の黒雲のせいか、重々しい雰囲気をまとっていた。
 その黒雲を、ロイエがうっとうしそうに見上げた、その時だった。
「なに……あれ」
 言うのも面倒臭いといった調子で言い、ウンザリしたように溜め息を洩らす。
 見上げた空の彼方――黒雲が広がる真ん中あたりに、無数の黒い点が集まっていた。それは徐々に、その粒を大きくしている。それが有翼魔、ガーゴイルの群れだとわかるまでには、そう時間はかからなかった。
「さっそく、厄介事がやってきたってわけか」
 ロイエとは逆に、むしろ嬉々とした様子で大剣の柄を握るザンベル。
 くすんだ緑色の硬い皮膚に、鋭いキバとツメ、そして、コウモリのような翼。ガーゴイルたちは鋭い、赤く爛々と輝く目で四人を捕えると、一気に降下してくる。
「すべてを飲み込む赤きベールよ……灼熱をまとい我が敵を包み込め」
 精神集中により、魔力をエサに緋の月の破壊の波動を呼び寄せる。呪文はそれを導く助けとなるもので、術者の腕がよいほど短くなる。
「〈オールバーン〉!」
 ガーゴイルたちが降りきらないうちに、まず、リンファが唱えていた呪文を解き放った。彼女が得意とする火炎系攻撃魔法の中でも、最大の効果範囲を誇る、高位魔法だ。
 炎がある一点から広がり、空をのたうつオレンジ色のじゅうたんと化す。そこに捉われたものは一体も残らず、悲鳴も見せ場もないまま、灰と化して風に流れた。
 それでも、全部は捉えきれなかった。残り三分の一程度に向かって、ロイエとシリスが魔法を放つ。
「凍てつく吐息よ、光となって命を閉ざし、砕け……〈フリーズレイ〉!」
「大気の意志よ、切り裂く刃、吹きすさぶ風となり敵を撃て……〈シェイブウィンド〉!」
 青白いスポットライトがガーゴイルたちを凍りつかせて砕き、灰色の球体から撃ち出される無数の風の刃がガーゴイルの群れを切り刻む。
 ガーゴイルたちは間もなく、ほとんど出番もないまま、凍りついたチリと化して風にさらわれていった。
 ……しかしもう一人、さらに出番のなかった者がいた。
 愛用の長大な剣に手をかけたまま、ザンベルは一人、かたまっていた。それに気づくと、ロイエが意地悪く、突き放した調子で言う。
「あ、いたの?」
 その冷淡なことばに、ずっと同じポーズを保ったまま、ザンベルはやがて、小さく震え出した。
「だああっ! オレは単なる邪魔者か!?」
「それはもともとじゃない」
「ああっ、ザンベル、そんなことないって……今だってきっとザンベルが目立ってくれたから、ガーゴイルが市街地に飛んでいかないで済んだんだよ」
 やはり冷たいロイエと、どうしようもないフォローを入れるシリス。
 そんなやりとりをよそに、リンファ一人がいつも通り冷静に事態を分析している。
「ともかく、手間が省けたのは確かね」
 彼女が視線を向けた先には、ヴァティルの屋敷から駆けつけてくる、八人の男たちの姿があった。七人は同じ武装姿だが、一人はそれよりも身なりがいい。
 その、しっかりした身なりの、金髪でなかなかハンサムな青年が、近くまで来るなり、警戒した様子で声をかけてきた。
「さっきのは、一体なんだ? あいつらを倒したのはきみたちか?」
 シリスたちを取り囲もうと動く部下たちを手で制し、さすがに、八人のなかでは一番落ち着いた様子で問い掛けてくる。この青年が、テラザート候ヴァティルに間違いないだろう。
 そう目星をつけると、ロイエが問いかけに応じた。
「あのガーゴイルたちを倒したのは、ぼくら三人だよ。お兄さんは、調査委員会の委員長さんでしょ?」
 ザンベルの恨みがましい視線を受けながら、彼は何の警戒もない声で言う。それを聞き、相手も少し安心したらしい。
「ああ、わたしがヴァティルだ。ふと窓の外を見たらあの群れが飛んでくるのが見えてな。それで急いで来たというわけだ」
「こういうことは、初めてじゃないんでしょう? 屋敷に、これだけの私兵を置いておくくらいだもの」
 リンファの言う通り、ヴァティルに従う兵たちは、警備兵や王国近衛兵とは違う紋章をつけていた。おそらく、テラザート候の私兵なのだろう。
「あ、ああ。ここ最近、今回を含めて四度になるな」
 なぜか、わずかに動揺した様子で、応じるヴァティル。
 シリスはそのとき、リンファの知的に燃える目が、鋭く光った気がした。
「あのガーゴイルたちは、例の遺跡の情報を知っているあなたたちを狙っているのかしら?」
「そっ、それは……
 リンファの読みに、ヴァティルは愕然としたらしかった。
 だが、少しの間考え込むと、観念したように大きくうなずく。
「ああ、そう考えられている。……ところで、きみたちはどうするつもりだ? わたしとしてはこのことをバラされては困るし、きみたちのような優秀な人材を雇いたいところだが」
 ……それは、シリスたちが望んでいたこと、そのものだった。
 とりあえずヴァティルの屋敷に場所を替えて聞いたところ、任務は、遺跡の探索。最大拘束期間は一ヶ月で、依頼料は前金二千カクラム、成功報酬で六千カクラムと、リンファも納得の条件だ。
 ちなみに、冒険者や傭兵の世界にも、ルールがある。それがなければ、前金の持ち逃げが多発するだろう。それを防ぐため、契約書に、一応の連絡先を記し、依頼主が後で確認しておく。シリスたちの場合、業界一の信用と実績を誇る、〈疾風の源〉亭だ。
 それでもルール違反をした場合、依頼人も、別の冒険者を雇って捜させる、業界に違反者の情報を流す、依頼のエージェントとなる店に頼んで捜してもらう、といった措置を取る。場合によっては警備隊や国の兵士も動くので、うかつにルールを破る者はほとんどいない。
「でもさ、遺跡を探す前に、まず学者をどうにかしたほうがいいんじゃないの? ぼくらがいない間に殺されてたりするんじゃない?」
 メイドが運んできたお茶をひと口含み、ロイエが容赦なく、ヴァティルに棘のある視線を送る。
 それに少し怯みつつ、ヴァティルは同意した。
「それは、今も私兵に守らせているが、確かに不安が残る。他に冒険者を雇おうとも思っていたのだが……ガーゴイルの群れと渡り合えるくらいのレベルとなると……
「そりゃ、ぼくらくらいのレベルは、そうそういないだろうね。でもそれじゃ結局、兵士もいてもいなくても同じようなものってことだね」
 ヴァティルの後ろに控える二人の兵士が、びくっ! と青筋を立てるが……当のロイエは、まったく気にしない。
「それだけじゃない。妙なウワサを聞いたんだ。魔族が、遺跡を狙っている、と。だから、実力が高くても、滅多な者は雇えない。それに、今まで遺跡探索に向かった冒険者が帰って来ない手前もあるし……
「確かに、そうだろうな。これほど危険じゃなきゃ、もっと希望者が殺到しているだろう。まあ、信用してください。オレたちは何とか任務を果たしますよ」
 とはいえ、シリスにも不安がある。
 魔物より、高い魔力と知能を誇る、魔族。特に、人間が不老の秘宝のかけらを得たものは、神と同等の力を持つ。消魔大戦でルテとセイリス、どちらについたかで呼び名を変えただけなので、当然のことだが。
 今回の魔族というのは、その、高位魔族だろう。
 学者たちが集まっている近くの劇場にリンファとロイエが防御結界を張った後、シリスたちは、気を引き締めて任務に取り掛かった。