カリカリ…カリ…。
淀みなく、シャーペンを振るう。
まるで、階下から漂ってくる香りに怯えるように。
扇風機が首を振る度に、むわっっ…とした熱気が散らされたり集まってきたり。
姉貴の部屋にはクーラーがついているのに、どうして受験生の俺の部屋にはついてないのだろう?
そもそもどうして世の中には受験なんてモノがあるのだろうか。
勉強というたった一つの事柄で人間の性能を区分けして将来を決めさせるなんて愚の骨頂だ、まったく…。
俺に世の中を変える力があれば今すぐ変えてやるのに!、と数多の受験生の多くは思っているはずだ。
そのうち何人かは、本気で変えるつもりで”上”を目指すのだろう。
そして、”上”にたどり着いた頃には、その初心すら忘れて汚職にまみれるのだ。
金と、酒と、女と…優越感に浸って、大衆を見下ろす。そんな生活は楽しいのだろうか?
俺は、姉貴と一緒に居られるなら、地獄でもかまわない。
「むっ…」
変なことを考え始めるとシャーペンが止まる。頭を振って邪念を打ち消し、ペンを走らせる。
勉強と偽って姉貴とデートに行ったおかげで中間は散々だった。今度の期末で結果を出さねば夏休みに塾、もしくは夏期講習に行かされるハメになる。
それは嫌だ、夏休みくらい毎日姉貴と一緒に遊びたい。
そのためには結果を出すしかない。普段の俺の成績は学校で332人中220番くらいだ。100番くらいに入ることができれば、親父達も俺の言い分を少しは聞くだろう。
しかし、はっきり言ってそれは絶望的な数字だ。
うちの高校はバリバリの進学校というわけではないが、それなりの進学校だ。
俺がロクに勉強をせずに200番辺りをうろうろしていられるのは生徒の約1/3が就職希望だからだ。つまり、進学組だけで判断するならば俺は果てしなく最低ランクということになる。
だから、今焦っている。
「…………………………………」
ふいに、とたとたとた………。そんな階段を駆け上がるような、音。
ついに来た、と思った。
コンコンとノックの音がして、ドアノブががちゃりと回った。
「勉強はかどってる?」
エプロン姿の姉貴が盆を持って、部屋に入ってきた。
盆の上には皿と、あと氷とストロー付のジュースが2人分。それを部屋の真ん中のテーブルに置き、ずいと勉強机の方に顔を覗かせてくる。
「ふむふむ、ちゃんとやってるわね」
「当たり前だろ、もうすぐ期末なんだから」
俺はくるりと椅子を回転させ、テーブルの方を向く。テーブルを挟んで、姉貴がベッドに腰を下ろす。
「明の部屋ってホント暑いわねぇ、こんな場所で勉強できるの?」
「そう思うなら部屋を交換してくれよ」
「嫌よ、あたしが暑くなるじゃない」
コップを持ち、ちぅ…とジュースを吸う姉貴。ちゃっかり自分の分を用意してるのが姉貴らしい。
「これは、もしかしてクッキー?」
皿の中、クッキングペーパーの上にこんもりと乗っている黒い塊を見た。姉貴の料理にしては珍しく、形になっている。
「なによ、あんた。これがシチューに見えるっての?」
「いや、姉貴がこんな高度な料理を作れるなんて思わなかったからさ」
この前、一緒に出かけた時に買った料理本を元に姉貴はいろいろな料理を作っては失敗させていた。
意外に姉貴が熱心にやっているのを見ると、本を買ってやった俺自身もなにやら嬉しくなってくるから不思議なものだ。
「…食べないの?」
気がつくと、姉貴がじぃ…と俺の方を見ている。多分、クッキーを食べるのを今か今かと待っているのだろう。
急かされるように、クッキーを一つ摘む。
色が黒いのはチョコクッキーだからだろうか。にしては匂いが変な気も…。
「………………」
今まで食べた数々の料理の記憶から、体が本能的に姉貴の料理を拒絶している。
しかしそれでも食わねばならない。それに今回のは一応クッキーの形に見えるのだから、そんなに酷い味はしないはず。
意を決して、口に放った。
「ぃッ………!?」
ガリッ、とまるで土を噛んだ様な歯ごたえの後に凄まじい苦みが口の中に広がった。
まただ、また姉貴は料理に失敗したのだ。
「あ、ねき…、味見は、した?」
「しないわよ、クッキーなんてカロリーの高い物をこんな時間に食べたら太るでしょ?」
なぜ、この人は、毎度のことながら、作った料理を、味見もせずに、俺に、食わせるのだろう。
毎度毎度、太るからと言って味見もしない…。その割には普段ダイエットに気を遣っているような素振りも見せない。
じんわりと、口の中一杯に広がる苦みと、戦いながら、必死に平生を、保った。
「少し焦げてるけど、味は普通でしょ?本に書いてある材料しか使ってないんだから」
ああ、そうか。多分色が黒いのはチョコでもなんでもなくてただ単に焦げてるだけだったのか。それならこの味にも納得がいく。
本来白ないしきつね色が好ましいクッキーの色が真っ黒になるまで焦がしてもそれを”少し”と言い張る姉貴の神経に脱帽した。
そもそも、料理本を読んで、電子レンジを使って………何故料理を焦がす?
「姉貴、もしかして…」
電子レンジの出力を全く無視して、料理しているのではないか。というか、理由はそれしか考えられない…っぽい。
「うん?」
「いや、なんでもない…」
多分、口で言っても姉貴は分からないだろうからあとで実践してみせるしかない。
刺すような視線に急かされて、再びクッキーを口に放る。ガリョッ…と口いっぱいに広がる苦み。一回噛む度に英単語が2,3個頭の中から消し飛ぶような不味さだ。
「ま、あんたも正念場だからさ、がんばりなさい。人間誰でも通る道なんだから」
ぽむ、と笑顔で肩を叩く姉貴。そう、姉貴はもう大学生…受験は、無い…。
「ううぅ…、せめて姉貴の部屋で勉強させてくれよぉ……」
「だーめ。初めにそう言って、様子を見に来たあたしを押し倒したのは誰?」
ぐさっ、と胸に釘が刺さる…。そう、確かに俺は襲った。薄着の姉貴、露出した肌にムラムラ来てしまった。
だがそれは男として、殆ど本能に近い衝動なのだからしょうがない。と、説明したが姉貴は聞いてくれなかった。
「期末が終わるまでキスも禁止、いいわね?」
つん、と俺の額を突きながら、さらに姉貴が釘を刺す。畜生…、期末が終わったら…覚えてろよ!…と、心の中で叫んでおく。
「でも、そうね―――」
ふいに、何かを思いついたような声。
「あんたがもし、次の期末で学年一位とれたら何かご褒美あげようかな〜?」
「ごほうび?」
「うん、ご褒美。明が一番喜びそうなのは…エッチなご褒美かな?」
「ぶっっっ!!」
飲み込んでいたジュースを鼻とストローから吐きだしてしまった。
「げほっ、げふっ!がはっげほっ!!」
「…何やってんのよ、汚いわね」
姉貴は冷静に、ティッシュ箱を取ると俺に向ける。噎せながら、俺はティッシュで顔とジュースが散ったテーブルの上を拭く。
「ふふっ、なぁに一人で興奮してるのよ、ホントに明は変態なんだから」
姉貴は腕を組んで、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて、俺を見る。
「がはっ…げほっ!…けふっ……はぁはぁ、あー…苦しかった」
炭酸ジュースは鼻に行くと地獄の苦しみというが、まさにそうだった。貴重な体験だ。
「姉貴、さっきの約束は本気だろうな!?」
あまりに、俺が気合いの入った声を出したからか、姉貴は一瞬きょとんと、
「ふふ、別に本気ってコトにしてもいいよ。どうせ1位なんて無理だろうし」
「じゃあ、俺が一位とったら、姉貴は俺の言うことを何でも聞くんだな?」
「何でもって……まぁいいか。どーせ無理だから」
甘い、姉貴は本当に甘い。甘すぎる。 俺の”本気”を見くびっている。
「まぁ、これで少しは勉強やる気になったでしょ?あと3日死ぬ気でがんばりな」
姉貴は立ち上がり、ぽむと俺の頭を撫で、そのまま部屋を出て行った。
俺はその後ろ姿を見ない、代わりに大きく、深呼吸をする。
すー………はー……。
すー………はー……。
「よしッ!!」
全身を、言いしれぬ高揚感が包み込んだ。体全体がまるでオーラのようなものに包まれているような気さえした。
くるりと椅子を反転させて、机に向かう。
ペンが、否、机の上の教科書類すら、まるで自分の体の一部であるような、そんな錯覚が俺を襲う。
期末テストまであと3日。
姉貴、約束を忘れるなよ……。
淀みなく、シャーペンを振るう。
まるで、階下から漂ってくる香りに怯えるように。
扇風機が首を振る度に、むわっっ…とした熱気が散らされたり集まってきたり。
姉貴の部屋にはクーラーがついているのに、どうして受験生の俺の部屋にはついてないのだろう?
そもそもどうして世の中には受験なんてモノがあるのだろうか。
勉強というたった一つの事柄で人間の性能を区分けして将来を決めさせるなんて愚の骨頂だ、まったく…。
俺に世の中を変える力があれば今すぐ変えてやるのに!、と数多の受験生の多くは思っているはずだ。
そのうち何人かは、本気で変えるつもりで”上”を目指すのだろう。
そして、”上”にたどり着いた頃には、その初心すら忘れて汚職にまみれるのだ。
金と、酒と、女と…優越感に浸って、大衆を見下ろす。そんな生活は楽しいのだろうか?
俺は、姉貴と一緒に居られるなら、地獄でもかまわない。
「むっ…」
変なことを考え始めるとシャーペンが止まる。頭を振って邪念を打ち消し、ペンを走らせる。
勉強と偽って姉貴とデートに行ったおかげで中間は散々だった。今度の期末で結果を出さねば夏休みに塾、もしくは夏期講習に行かされるハメになる。
それは嫌だ、夏休みくらい毎日姉貴と一緒に遊びたい。
そのためには結果を出すしかない。普段の俺の成績は学校で332人中220番くらいだ。100番くらいに入ることができれば、親父達も俺の言い分を少しは聞くだろう。
しかし、はっきり言ってそれは絶望的な数字だ。
うちの高校はバリバリの進学校というわけではないが、それなりの進学校だ。
俺がロクに勉強をせずに200番辺りをうろうろしていられるのは生徒の約1/3が就職希望だからだ。つまり、進学組だけで判断するならば俺は果てしなく最低ランクということになる。
だから、今焦っている。
「…………………………………」
ふいに、とたとたとた………。そんな階段を駆け上がるような、音。
ついに来た、と思った。
コンコンとノックの音がして、ドアノブががちゃりと回った。
「勉強はかどってる?」
エプロン姿の姉貴が盆を持って、部屋に入ってきた。
盆の上には皿と、あと氷とストロー付のジュースが2人分。それを部屋の真ん中のテーブルに置き、ずいと勉強机の方に顔を覗かせてくる。
「ふむふむ、ちゃんとやってるわね」
「当たり前だろ、もうすぐ期末なんだから」
俺はくるりと椅子を回転させ、テーブルの方を向く。テーブルを挟んで、姉貴がベッドに腰を下ろす。
「明の部屋ってホント暑いわねぇ、こんな場所で勉強できるの?」
「そう思うなら部屋を交換してくれよ」
「嫌よ、あたしが暑くなるじゃない」
コップを持ち、ちぅ…とジュースを吸う姉貴。ちゃっかり自分の分を用意してるのが姉貴らしい。
「これは、もしかしてクッキー?」
皿の中、クッキングペーパーの上にこんもりと乗っている黒い塊を見た。姉貴の料理にしては珍しく、形になっている。
「なによ、あんた。これがシチューに見えるっての?」
「いや、姉貴がこんな高度な料理を作れるなんて思わなかったからさ」
この前、一緒に出かけた時に買った料理本を元に姉貴はいろいろな料理を作っては失敗させていた。
意外に姉貴が熱心にやっているのを見ると、本を買ってやった俺自身もなにやら嬉しくなってくるから不思議なものだ。
「…食べないの?」
気がつくと、姉貴がじぃ…と俺の方を見ている。多分、クッキーを食べるのを今か今かと待っているのだろう。
急かされるように、クッキーを一つ摘む。
色が黒いのはチョコクッキーだからだろうか。にしては匂いが変な気も…。
「………………」
今まで食べた数々の料理の記憶から、体が本能的に姉貴の料理を拒絶している。
しかしそれでも食わねばならない。それに今回のは一応クッキーの形に見えるのだから、そんなに酷い味はしないはず。
意を決して、口に放った。
「ぃッ………!?」
ガリッ、とまるで土を噛んだ様な歯ごたえの後に凄まじい苦みが口の中に広がった。
まただ、また姉貴は料理に失敗したのだ。
「あ、ねき…、味見は、した?」
「しないわよ、クッキーなんてカロリーの高い物をこんな時間に食べたら太るでしょ?」
なぜ、この人は、毎度のことながら、作った料理を、味見もせずに、俺に、食わせるのだろう。
毎度毎度、太るからと言って味見もしない…。その割には普段ダイエットに気を遣っているような素振りも見せない。
じんわりと、口の中一杯に広がる苦みと、戦いながら、必死に平生を、保った。
「少し焦げてるけど、味は普通でしょ?本に書いてある材料しか使ってないんだから」
ああ、そうか。多分色が黒いのはチョコでもなんでもなくてただ単に焦げてるだけだったのか。それならこの味にも納得がいく。
本来白ないしきつね色が好ましいクッキーの色が真っ黒になるまで焦がしてもそれを”少し”と言い張る姉貴の神経に脱帽した。
そもそも、料理本を読んで、電子レンジを使って………何故料理を焦がす?
「姉貴、もしかして…」
電子レンジの出力を全く無視して、料理しているのではないか。というか、理由はそれしか考えられない…っぽい。
「うん?」
「いや、なんでもない…」
多分、口で言っても姉貴は分からないだろうからあとで実践してみせるしかない。
刺すような視線に急かされて、再びクッキーを口に放る。ガリョッ…と口いっぱいに広がる苦み。一回噛む度に英単語が2,3個頭の中から消し飛ぶような不味さだ。
「ま、あんたも正念場だからさ、がんばりなさい。人間誰でも通る道なんだから」
ぽむ、と笑顔で肩を叩く姉貴。そう、姉貴はもう大学生…受験は、無い…。
「ううぅ…、せめて姉貴の部屋で勉強させてくれよぉ……」
「だーめ。初めにそう言って、様子を見に来たあたしを押し倒したのは誰?」
ぐさっ、と胸に釘が刺さる…。そう、確かに俺は襲った。薄着の姉貴、露出した肌にムラムラ来てしまった。
だがそれは男として、殆ど本能に近い衝動なのだからしょうがない。と、説明したが姉貴は聞いてくれなかった。
「期末が終わるまでキスも禁止、いいわね?」
つん、と俺の額を突きながら、さらに姉貴が釘を刺す。畜生…、期末が終わったら…覚えてろよ!…と、心の中で叫んでおく。
「でも、そうね―――」
ふいに、何かを思いついたような声。
「あんたがもし、次の期末で学年一位とれたら何かご褒美あげようかな〜?」
「ごほうび?」
「うん、ご褒美。明が一番喜びそうなのは…エッチなご褒美かな?」
「ぶっっっ!!」
飲み込んでいたジュースを鼻とストローから吐きだしてしまった。
「げほっ、げふっ!がはっげほっ!!」
「…何やってんのよ、汚いわね」
姉貴は冷静に、ティッシュ箱を取ると俺に向ける。噎せながら、俺はティッシュで顔とジュースが散ったテーブルの上を拭く。
「ふふっ、なぁに一人で興奮してるのよ、ホントに明は変態なんだから」
姉貴は腕を組んで、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて、俺を見る。
「がはっ…げほっ!…けふっ……はぁはぁ、あー…苦しかった」
炭酸ジュースは鼻に行くと地獄の苦しみというが、まさにそうだった。貴重な体験だ。
「姉貴、さっきの約束は本気だろうな!?」
あまりに、俺が気合いの入った声を出したからか、姉貴は一瞬きょとんと、
「ふふ、別に本気ってコトにしてもいいよ。どうせ1位なんて無理だろうし」
「じゃあ、俺が一位とったら、姉貴は俺の言うことを何でも聞くんだな?」
「何でもって……まぁいいか。どーせ無理だから」
甘い、姉貴は本当に甘い。甘すぎる。 俺の”本気”を見くびっている。
「まぁ、これで少しは勉強やる気になったでしょ?あと3日死ぬ気でがんばりな」
姉貴は立ち上がり、ぽむと俺の頭を撫で、そのまま部屋を出て行った。
俺はその後ろ姿を見ない、代わりに大きく、深呼吸をする。
すー………はー……。
すー………はー……。
「よしッ!!」
全身を、言いしれぬ高揚感が包み込んだ。体全体がまるでオーラのようなものに包まれているような気さえした。
くるりと椅子を反転させて、机に向かう。
ペンが、否、机の上の教科書類すら、まるで自分の体の一部であるような、そんな錯覚が俺を襲う。
期末テストまであと3日。
姉貴、約束を忘れるなよ……。
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