「えっ……珠裡さんって化け狸なんですか?」
 驚きのあまり声を上げる由梨子に、真央は慌てて人差し指を立てる。そしてちらりと珠裡の席の方へと目をやる。今は休み時間であり、その席の周りは転校生に興味津々なクラスメイトたちであふれかえっていた。
 珠裡の方の対応も実に慣れたもので、クラスメイトのうち何人かは珠裡が自分の名を知っている事に驚いているようだった。
 それもそのはずだ、と真央は思う。数日間とはいえ、珠裡は自分の――紺崎真央の代わりに学校に来ていたのだ。クラスメイトたちにはそれはあくまで紺崎真央としてしか記憶に残っていないだろうが、珠裡の方はそうではない。
 本当は、珠裡の正体を由梨子に話すべきかどうか真央は悩んだ。しかし、今の状況における味方を一人でも増やしたくて――そして、由梨子には出来るだけ嘘をつきたくなくて――話すことにしたのだった。
「珠裡ちゃんのお母さんと、母さまが知り合いなの。……この前、いろいろあって……」
 さすがに血みどろの戦いを繰り広げたとまでは言えず、詳細に関しては真央は口を濁した。
「……紺崎、ちょっといいか?」
 不意に、廊下の方から声をかけられた。担任だった。真央は慌てて立ち上がり、廊下に出る。
「綿貫君と知り合いだそうだな。昼休みにでも学校を案内してあげなさい」
「……はい」
 いやだ、等と言えるはずも無かった。渋々うなずき、席に戻る。ちらりと横目で珠裡の方を見ると、なんとも意味深な笑みを浮かべているのが見えた。
 やはり、何か仕掛けてくるつもりなのだ――真央はきゅっと手を握りしめ、全身を緊張に強ばらせる。
 妖狸には、正体がバレぬ様、人間の社会に紛れて生活をしなければならない掟のようなものがあるという話は知っている。だから、珠裡がこのように女子生徒として学校に入り込んで来るのはある意味当然の成り行きとも言える。
 しかし、真央は考える。あえて自分と同じ学校、それも同じクラスを選んで入ってきたという事実について。そこには明らかに妖狸の掟以外の目的があるとしか思えなかった。「真央さん、大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫」
 よほど昏い顔をしていたのだろうか。由梨子が心配そうに顔をのぞき込んできていて、真央は慌てて笑顔を浮かべる。
(……父さまにも相談しなきゃ)
 しかし、あの状態ではたして意思の疎通が出来るのだろうか。
 真央は暗澹たる気持ちで、二時限目の授業を迎えねばならなかった。


 

 

 

 

 

『キツネツキ』

第四十六話

 

 

 

 

 



「ねえ、校内を案内してくれるんでしょ?」
 珠裡が声をかけてきたのは、四時限目が終わった直後――昼休みだった。
「あ、うん……」
 真央はわずかに身構えながら、珠裡の方へと向き直る。
「あっ、真央さん私も一緒に――」
「大丈夫、由梨ちゃんは教室で待ってて」
「でも……」
「大丈夫だから」
 由梨子に微笑を返して、真央は珠裡を連れて教室を後にする。本音を言えば一人では心細く、由梨子にも来て欲しかったが、だからこそあえて真央は一人を選んだ。
(珠裡ちゃんの方が年下なんだから……)
 そう、怖がってばかりもいられない。少なくとも自分の方が年長者なのだから。
「ねえ」
「な、なぁに?」
 しかし、珠裡の物言いは、およそ年上に対する遠慮など含まれていなかった。むしろ真央の方が気圧されているかのように、辿々しく返事をする。
「あのバカ人間が居ないみたいだけど、どこに居るの?」
 ばかにんげん――真央はその単語をつぶやくようにして吟味し、その指す意味を探した。
(…………父さまのことかな?)
 そういえば、珠裡はそのように月彦を罵っていた事があったように感じる。おそらく間違いはないだろう。
「父さまなら一学年上の違うクラスだよ」
「えぇー!? なにそれ。私はあのバカ人間と同じところがいいって言ったのに!」
 珠裡はたちまちほほを膨らませ、いらだち紛れに廊下に設置されている消火器のケースを蹴りつける。
「だ、だめだよ! そんな事したら……」
「うるさいうるさい! ばーかばーか、バカギツネ!」
 真央が止めようとすると、珠裡は癇癪でも起こしたかのように暴れ、手がつけられなくなる。
「ああもう、仕方ないからほら。そのバカ人間のクラスに案内してよ」
「いいけど……でも、父さまは今日学校休んでるから……」
「はぁ? なにそれ! 何で来てないの!?」
「そ、それは……」
 真央は口ごもらざるを得なかった。自分も確かなことは知らず、想像は出来るがそれも他人に話すような事ではないからだ。
(……そもそも私のクラスに入った時点で、父さまとは違うクラスなんだって気づかなかったのかな?)
 ひょっとすると思っていた以上に――残念な子なのかもしれない。
「あーもう、せっかくあのバカクズ人間に復讐出来ると思って楽しみにしてたのに。クラスは違うし、そもそも学校にも来てないし、勉強はつまんないしもー最悪! 私帰る!」
「え……?」
 真央は最初、冗談かと思った。しかし存外珠裡は本気なのか、ずかずかと昇降口に向かって歩き出し、真央は慌てて後を追い、腕をつかんで引き留める。
「帰るって……ダメだよ! 学校はそんなに簡単に帰ったりしちゃいけないんだよ?」
「だってつまんないんだもん。てゆーか! 私に触るな!」
「ご、ごめん……とにかく、授業が終わるまでは帰っちゃだめだよ」
「どうして?」
「どうしてって……そういう決まりだから……」
 なぜ妖狐――半分ではあるが――の自分が人間世界の決まり事について説明せねばならないのだろうと、真央は小首をかしげたい気分になりながらも、言葉を続ける。
「それに、珠裡ちゃんも“掟”があるんでしょ? ここで勝手に帰ったりしたら、絶対変な目で見られるし、ひょっとしたら正体がバレちゃうかもしれないよ?」
 たかだか無断早退くらいで正体がバレるわけはないのだが、珠裡にはそんな事までは分かるまいと、真央はその可能性にかけた。
「……正体がバレるのは困る……ママにまた怒られる……」
 ぶぅと。珠裡は唇を尖らせながらつぶやく。
「だったら、教室に戻ってきちんと授業を受けないとダメだよ。午後の授業は二つだけだから、午前中の半分だよ?」
「むー……」
 珠裡が渋々、上履きの先を教室の方へと向ける。この段階になって、真央自身もなぜ自分はこれほどまでに珠裡の世話を焼いているのだろうと不思議に思い始めた。珠裡の事など放っておいても良いはずなのに、なぜこうまで引き留めようとしているのだろう――と。
「……分かった、教室に戻る」
 渋々納得したらしく、珠裡が歩き出す――が、その足はすぐに止まった。
「ねえ、ごはんは?」
「ごはん? お昼はお弁当か購買でパンを買うんだよ。珠裡ちゃんはお弁当持ってきてないの?」
「持ってきてない。だってママが人間の学校はわざわざ自分でお弁当持って行かなくても時間になったらごはんが出てくるって言ってたもん」
「それは……小学校と中学校までだよ。ここは高校だから、自分たちで準備しないといけないの」
 おそらく、自分の代わりに学校に行っていた時は葛葉が用意した弁当を何の疑いも無く食べていたのだろうと、真央は推測した。そしてその母親であるまみもまた、うろ覚えの知識を珠裡に吹き込んでしまった為、このような行き違いが起きてしまったのだろう。
「そんなの聞いてない! ごはんが無いとお腹がすいてもう一歩もあるけなーい!」
 珠裡はわめきながら、廊下のど真ん中に座り込んでしまう。……何故だか真央は激しく全身から力が抜けるのを感じた。
「……教室まで戻ったら、私のお弁当半分あげるから」
「妖狐のエサなんか死んでもやだ! そんなの食べたら体が腐っちゃう」
「じゃあ……えーと……珠裡ちゃんお金は持ってきてないの?」
「お金? ママにもらったのがあるよ、ほら!」
 そう言って、珠裡が取り出したのは小さな小判だった。見てみると“慶長”と書かれていた。
「キラキラしててスゴいでしょ! これ一枚で何でも買えるからって、自分で判断して必要なものは買いなさいって、でも無駄遣いはしちゃだめだって」
 何でも買える、というのが誇らしいのか、珠裡はえへんと胸を張ってみせる。真央は小さくため息をついて、仕方なしに自分の財布から小銭をいくつか取り出して、珠裡に見せた。
「…………こういうのはもってないの?」
 珠裡はふるふると首を振る。
「そんなはした金なんて持ってるわけないじゃない。これ一枚で何でも買えるんだから」
「……あのね、珠裡ちゃん。そのお金は今はもう使われてないんだよ?」
「何言ってるの? ママがこれで何でも買えるって言ってたんだから買えるに決まってるじゃない! あ、わかった! 私をだましてこのお金を盗る気なんでしょ!」
 そうはいかない、とばかりに珠裡は小判を真央の目から隠すようにポケットにしまう。
「……とにかく、一緒に購買に行こう? 今日は私が代わりに買ってあげるから」
「えーっ……」
 立ちたくない、歩きたくないと駄々をこねる珠裡をなんとか説得して、購買へと向かう。
 どうにかこうにか教室までたどり着いたときには、胸の内で密かについたため息の数は軽く100を超えていた。


 

 誰かに頼まれたわけでは決してないのだが、気がつけば珠裡の保護者のような事をするはめになりながら、辛くも一日が終わった。
 幸い、目立った被害は無く――珠裡もどういうわけか、他のクラスメイト達と過ごしている間だけは外見相応の振る舞いをするため――真央もまた由梨子とともに帰路についた。
「すみません、今日は早く帰ってお店の手伝いをしないといけないので……」
「うん、またね、由梨ちゃん」
 分かれ道にさしかかるや、申し訳なさそうに由梨子は断り、駅の方へと向かう。もちろん由梨子が今は兄、白耀の元に居候していることは真央も知っているから快く見送った。
 ――が、由梨子と別れ一人きりになると、全身に激しい疲れを覚えた。まるで重力が突然倍にでもなったかのように手足が重く、真央はそれらを引きずるように家路をたどる。
 原因ははっきりしている。学校に居る間中、ずっと緊張して気を張っていたからだ。いつ、珠裡が何を仕掛けてくるかわからない。いついかなる時にどういった事態が発生しても対処できるように緊張していたその糸が、一人になった瞬間ぷつりと切れたのだった。
(…………私も、あんなだったのかな)
 真央は歩きながら過去の記憶を振り返る。紺崎家に来たばかりの頃は、人間社会の常識についてはわずかな知識しか無かった。当然迷惑をかけたこともあっただろう。そんな自分が特別奇異な目で見られる事もなく学校生活を送れるのは、もちろん月彦の存在もあるのだが、それ以上に霧亜の存在が大きいと真央は思っていた。
 学校に通う前、真央は霧亜に様々なことを教わった。高校レベルの学力を身につけさせてくれたのも霧亜であり、学校での立ち振る舞いや常識についての知識を教えてくれたのも霧亜だった。それが無ければ、自分も珠裡のように浮いた存在になっていたかもしれない。
(……珠裡ちゃんにもそういう人が居ればいいのに)
 ふと考え、そしてそういう存在は居ないのだろうな、と真央は思う。珠裡は人間を――というより、妖狸以外の種族すべてを小馬鹿にしている節がある。仮に珠裡にきちんと教育を施そうという人間が現れても、きっと珠裡は言うことを聞かないだろう。
(……珠裡ちゃんが“失敗”して、学校から居なくなったら……)
 それは自分にとって何も損ではない――むしろ、宿敵と言ってもいい相手が居なくなるのだから喜ばしいことだと思う反面、何かが。まるで喉に引っかかった魚の骨のように、そのことを素直に喜べないのも事実だった。
 その“魚の骨”の正体が考えても考えても分からなくて、やがて真央はその件について悩むのを止めた。


「ねえ真央、あんた私と友達になりたいんだって?」
 翌朝、教室へと向かう真央の前に突如現れた珠裡がなんとも得意げに――さながら鬼の首でも取ってきたかのように――言った。
「えっ……?」
 真央はかすかに身構えつつ、珠裡の言わんとする所を必死に察そうとする。珠裡はといえば、真央がそんな思案に耽っている事など気にもならないとばかりに得意そうな笑みを浮かべたままだ。
「ゆうべママに聞いたの。どうしてあのバカ人間と同じクラスじゃなくてバカギツネと同じクラスにしたのかって。そしたら、あんたたちが私に仲良くして欲しいって言ったからだって」
「………………。」
 真央は言葉を返せなかった。もちろん真央はそんな事を言った覚えは無い。珠裡は“あんたたち”と複数形で言ったが、当然あの母親が「妖狸と仲良くしろ」などと言うはずも無い。
 となれば、誰がそのような事を口にしたのかは、すぐに察する事ができた。
「ねえほら、黙ってないで何か言いなさいよ」
「…………えと……珠裡ちゃんと友達になりたいっていうのは……本当だよ」
 “それ”が月彦の意向であるならば、真央には逆らう事など出来なかった。
 真央の答えに満足したのか、珠裡はにんまりと笑ったまま、大きくうなずいた。
「じゃあ、真央は今日から私の子分ね! はい決まり!」
「え……子分……?」
「そうよ。だって、私に仲良くして欲しいんでしょ?」
「うん……」
「でも、私は妖狐なんかと仲良くしたくないし。でも、真央が子分になるなら、友達のフリくらいはしてあげる」
「…………分かった。珠裡ちゃんの子分でいいよ」
 つい小声で返事をしてしまったのは、こんな話がもし母の耳に入ったら一体全体何がどうなってしまうのか見当もつかなかったからだった。最悪、自分もオシオキを受ける事になるかもしれない。
「なぁーにー? 聞こえない。もっと大きな声でちゃんと言って?」
「……珠裡ちゃんの子分にしてください」
 真央は周囲に居る見知らぬ生徒達に聞こえぬよう配慮しながらも、可能な限り大きな声でそう宣言する。
「よろしい。これでもう真央は私の子分なんだから、私の命令には絶対服従だからね!」
 キャッキャと無邪気な子供のように飛び跳ねながら珠裡ははしゃぎ、たかたかと教室の方へと走り去っていった。



 

 不可抗力的な流れで珠裡の子分とされてしまい、学校が真央にとって楽しい場所ではなくなるのに、そう時間はかからなかった。
「紺崎さんってさ、親が借金作って逃げちゃったらしいよ?」
「だから今親戚の家に預けられて居候なんだって」
「うわー、悲惨。あたしだったら耐えられないかも〜」
 昼休み。
 教室の後ろの方で、クラスの女子達がそんなことを囁きあっていた。話の内容は聞こえてはいたが、真央は頑なに前を向き、聞こえないふりを続けていた。
 珠裡の転入からまだ数日だというのに、クラスの中には珠裡を中心としたグループが出来つつあった。そのグループの女子すべてが、かつて真央が「ひょっとしたらこの人には嫌われてるのかな?」と感じた女子であり、自分の直感は間違っていなかった事を暗に思い知った。
「真央さん、ちょっと散歩しに行きませんか?」
 気を遣ってくれたのだろう。由梨子が自分の弁当包みを手に、そんな誘いを持ちかけてきた。
「ありがとう、由梨ちゃん。でも、今日は外は寒いから」
「でもほら、今日は天気もいいですし……風もそんなにないですから、日向ならポカポカしてきっと気持ちいいですよ」
 気遣ってくれるのは嬉しいし、真央としても出来ることならこんなに居心地の悪い教室から飛び出してしまいたかった。しかしそれでは珠裡に屈することと同じではないかと、真央の中に意地のようなものが出来つつあった。
「真央さん?」
「あ、うん……じゃあ、行こう、かな」
 やや強引に由梨子に手を引かれ、真央は教室を後にする。背後で、クスクスと珠裡とその取り巻きたちが笑っているのが聞こえた。

「…………すみません、真央さん。何とか出来ればいいんですけど」
 廊下を歩きながら、由梨子が沈痛めいた声で言った。
「ううん、これは私の問題だから。由梨ちゃんは気にしないで」
「でも……いくら親同士が仲が悪いからって……珠裡さんの態度はひどいと思います」
「…………仕方ないよ」
 珠裡の母まみと真狐はそれこそ天敵同士と言っても良い関係だ。自分が母親に妖狸の悪口を聞かされて育ったように、珠裡もまた妖狐の悪口を聞かされて育ったのだろう。真央とて、月彦の意向さえ無かったら珠裡の事など無視して口も利きたくなかった。
「……お弁当、また珠裡さんに?」
「うん……お弁当箱はちゃんと返してくれるんだけど」
 妖狸族自体が大食いなのか、それとも珠裡が成長期だからなのか。珠裡は二時間目の休み時間には空きっ腹をかかえてぐったりしている事が多かった。そのため、最近は真央に自分の弁当を差し出すように命令してくるようになったのだった。
「……私、先生に言ってみましょうか?」
「それは止めて、由梨ちゃん。あんまり大事にはしたくないの。珠裡ちゃんもきっとまだこっちに慣れてないだけだと思うから」
「でも……」
「おねがい、由梨ちゃん」
 大事にしたくないというのは本当だった。しかしそれよりも真央が密かに怖かったのは、母親に叱られる事だった。仮にこれが人間の女子にいじめられているという事であれば、あるいは真央は母親に泣きついたかもしれない。しかし妖狸の、しかも年下が相手となれば、或いはなんて不甲斐ない娘だと真狐に怒鳴りつけられるのではないかと。
(父さまだったら……)
 叱ったりはせず、純粋に力になってくれるはずだ。
 しかし今は――。
「……先輩が居れば、きっと何とかしてくれる……と思うんですけど……」
 由梨子もまた同じ思いを抱いているらしい。困ったときに考える事が同じという事に、真央は少しだけ苦笑する。
「……あっ、そうだ。真央さん、お弁当なんですけど……もし良かったら明日からは私が真央さんの分まで作って来ましょうか?」
「それは……」
 由梨子の申し出は嬉しい。しかし、そこまで甘えてしまう事にはさすがに抵抗があった。
 が、由梨子は真央のそんな気持ちを察するように静かに首を振った。
「元をたどれば、私が真央さんのお兄さんにお世話になってるんです。妹の真央さんに、その恩を少し返すだけですから、気にしないでください」
「……ありがとう、由梨ちゃん」
 あぁ、こういった言い回しが本当に上手だなと。真央は嫌味ではなく素直に感心した。相手の気持ちを心底慮っていなければ出来ない発想だと。
「……由梨ちゃん、もし父さまが良くなったら、また三人で遊びに行こうね」
「そうですね。そのときは是非誘って下さい」
 微笑混じりに話しながら、真央は少しだけ辛い現実を忘れる事が出来た。


 その日の放課後、真央は珠裡に言われて空き教室へと呼び出された。由梨子がバイトの為早くに帰らねばならず、分かれて一人きりになった所を狙われたのは明白だった。
「ねえ真央。おうまさんになってよ」
「おうまさん……?」
 怪訝そうに訪ね返す真央の背後に、クスクスと含み笑いを漏らしながら、珠裡の取り巻きの女子達が回り込む。
「そ。おうまさん知らないの? さっすがバカギツネの真央ね。頭悪すぎじゃない?」
「……おうまさんくらい知ってるもん」
「知ってるなら早くやりなさいよ」
「……っ……どうして、そんなことしなきゃいけないの?」
「べつに? ただみんなに真央が私の子分だって見せてやりたいだけ」
 みんな、というのは珠裡の主な取り巻きである三人の女子だろう。三人とも、まるで羽虫をつまんで遊ぶ子供のように残酷な笑みを浮かべていた。」
「ほら、床に手をついて、四つん這いになるの」
「……っ……」
 珠裡に肩を掴まれ、押さえつけられる。真央はわずかに抵抗はしたが、やがて膝をつき、両手を床についた。
 その背中に、珠裡が勢いよくまたがってくる。
「っ……」
「あっははー! ほらほら、早く走りなさいよ」
 小馬鹿にするように、珠裡が真央の頭をぺちぺちと叩いてくる。真央は唇を噛みながら、言われるままにのろのろと四つん這いのまま歩き出す。
「うわー、ホントにやってるし」
「タマちゃんえげつなーwww」
「ひっさーん」
 取り巻きの3人がニヤつきながら冷やかすように言った。
「ほら、真央。もっと早く走りなさいよ。ほらほら」
 ムチにでも見立てているのか、珠裡が30センチ定規でペシペシと尻を叩いてくる。真央は促されるままに教室内をぐるぐると回らされ、取り巻きの女子達は自分の足下を真央が通過する度に笑い声を上げた。
「どーどー、はいおつかれー。うわー、すごーい。真冬なのに真央汗びっしょりになってる。そんなにキツかった? クスクス……」
 真央の背に跨がったまま、被さるようにして珠裡が顔をのぞき込んでくる。小柄とはいえ、人一人背中に乗せたまま早歩き以上の速度で這わされれば息も上がるというものだった。
「んもぅ、しょうがないなぁ。じゃあはい、頑張った子分にご褒美あげちゃう」
 そう言って、珠裡が鞄から取り出したのは一本の、何の調理もされていないニンジンだった。
「えっ……」
 呼吸を整えながらニンジンを受け取った真央は、何かを期待するような四人の目にぞくりと背筋を冷やした。
「早く食べなよ、真央」
 ニヤつきながら、珠裡が言う。
「食べろ、って……」
「なぁに? 食べ方もわからないの? どんだけ頭悪いの? バカなの? そのままかじればいいじゃない」
 真央はもう一度ニンジンに目を落とす。何の調理もされていない、皮すら剥かれていないニンジンがそこにあった。
「何やってんのよ、早く食べなさいよ」
 取り巻き一人が言い、どんと背中を突き飛ばしてくる。
「た、珠裡ちゃん……」
 真央は助けを求めるように、珠裡の顔を見た。
「何よ、その顔。まさか嫌だっていうの? 私の子分になりたいって自分で言ったクセに、私の命令が聞けないの?」
「だって……こんなの……」
「ああそう、分かった。真央が私の命令聞けないっていうのなら――」
 そこで珠裡は身を屈め、膝をついたままの真央の耳元へとそっと唇を近づける。
「ママに言いつけて、あんたとあんたの父親をひどい目に遭わせちゃおうかなぁ?」
「……――っ!」
 とっさに珠裡の言葉の通りの出来事を想像して、真央は震えた。
「……たべ、ます……食べる、から……だから……」
「だったら早くしなさいよ。ほーら!」
 パンパンと手を叩いて促されて、真央は意を決してニンジンへとかじりついた。火の通されていないニンジンは堅く、囓り取るだけでも至難の業だった。
「うわー、本当に食べてる」
「どんだけ子分になりたいの? マジ受けるーwww」
「ちょっとぉ、涙目になってるよ。みんなやめたげなよーwww」
 取り巻きたちに囃し立てられながらも、真央はガリョガリョと必死になってニンジンをむさぼり続ける。
「ねえ、本当はニンジン大好きなんじゃない? ガツガツ食べてるよ」
「ニンジン好きなんだ、じゃあ明日からいっぱいもってきてあげよーかwww」
「ねえねえ、今度はこれクラスの男子達の前でやらせない? ちやほやしてるやつらの目を覚まさせてやろーよ」
 取り巻き達の言葉など右から左に聞き流しながら、真央はようやくのことでニンジンを食べ終えた。それを見届けて、珠裡がにんまりと笑みを浮かべる。
「ご褒美は気に入った? 真央。明日もいっぱい可愛がってあげるからね」

 



 帰宅して自室に入るまで、自分がどう歩いて帰ってきたのか真央は全く覚えていなかった。
「父さま……」
 部屋に入るなり、真央は膝から崩れるようにしてベッドに横になったままの父親にすがりつく。
 何かを口にしかけて、止まる。かすれたような呻きと息だけが漏れ、真央は唇を閉じてそのまま掛け布団の上に鼻を擦りつけるようにして顔を伏せた。
 誰かのせいにするのは筋違いだ。これは単純に。純粋に自分が不甲斐ないだけの問題だ。
 顔を上げ、ちらりと視線を走らせた先には勉強机があった。引き出しには、いつも母との通話に使う狐狗狸さん用紙が入っている。
 ――言えるわけがない。
 年下の、しかもよりにもよって妖狸に苛められたとあっては、あの母親の気性からして叱られるのは明白だった。
 しかし、その後で状況を改善する手助けはしてくれるかもしれない。或いは、珠裡を学校から追い出してくれるかもしれない。
 真央は立ち上がり、何かに操られているような足取りで勉強机へと向かい、椅子に座る。
「……っ……」
 が、そこまでだった。真央は首を振って己の考えを否定する。同時に堪えようのない悔しさから涙があふれ、机の上にいくつかの雫を落とす。
 悔しい。
 悔しい。
 悔しい。
 思わず握り拳をつくり、机に叩きつけかけて――しかし、すんでのところでその手は緩み、机に下ろした手はすでに拳の形をなしていなかった。
 辛かった事は、前にもたくさんあった。しかしそういった目に遭いながらも、心のどこかで言い訳をしていた。
 同郷の妖狐達に苛められた時は、自分は半妖だからと言い訳をした。学校に入って元級友達に怖い目に遭わされた時は、自分の方が遙かに年下で弱い存在なのだと言い訳した。
 だが今回だけは、どうにも言い訳のしようのない相手だ。珠裡は自分よりも年下で、
さらに言えばその力量においても到底恐れるような相手ではない。
 自分にも矜恃が――プライドがあるのだという事を、真央はこのとき自覚した。
「……自分の力で、なんとかしなきゃ」
 珠裡よりも、馬の真似までさせられても逆らうことの出来なかった自分自身に腹が立つ。そして自分を情けないと思う以上に、父に、母に対して申し訳ないと真央は思う。
 父――月彦ならば、きっと仲良くしろと言うだろう。だがしかし、自分にそのつもりがあっても珠裡にその気が無ければそれは成り立たない。
 ならば、どうすれば良いのか。
「………………。」
 真央の中で、答えはすぐに出ていた。
 珠裡に“仲良くしたい”と思わせればいいのだ。
 そのためには――。
「……父さま」
 くるりと。忘我状態の月彦の方を振り返る。
 自分の中で何かが変わり始めるのを、真央は感じた。



 

 綿貫珠裡には、たくさんの不満があった。
 第一の不満は、母まみが仮の宿とした家が学校から遠く、通学に時間がかかる事だった。第二の不満は学校の授業そのものがつまらなく、しかも拘束時間が長い事だった。第三の不満は低俗下劣なクラスメイト達の低レベルな会話にも愛想笑いを返し、波風を立てないようにしなければならないことで、第四の不満はそこからさらに踏み入ってくる鬱陶しいとりまきの女子達の相手をせねばならない事だった。
 他にも上げればきりが無いが、それらの中で最も珠裡が腹に据えかねているのは同じクラスに真央が居る事と、月彦が居ない事だった。
 そもそも珠裡が人間の学校に本格的に通おうと思ったきっかけが月彦の存在であり――もちろん、以前に受けた仕打ちに対する仕返しをするためにだが――そのためには同じクラスであったほうが都合が良かったのだが、どうやら母まみにはその意思が巧く伝わらなかったらしかった。
 何とか変更出来ないものかと頼みはしたが聞き入れられず、結果珠裡はふくれっ面で学校に通い続ける羽目になった。その不満のはけ口として、真央の存在は実に丁度良かった。
(くふふ……今日はどんな目に遭わせてやろうかしら)
 昨日の真央の姿を思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。宿敵である妖狐を四つん這いに這わせ、馬のように乗り回してやったうえ生の人参まで食わせてやったのだ。しかも、母の力は借りずに自分の力だけで。
 珠裡にとってこれほどの痛快事は記憶に無く、それだけに強烈な成功経験として自信の源になりつつあった。
 家に帰った後、早速まみに自慢しようかと思って、珠裡は踏みとどまった。せっかくだからこのまま子分としての調教を重ね、文字通り自分の犬のように躾けてからまみに見せた方がより驚いてもらえると思ったのだ。
(憎き妖狐の女の娘を完璧に子分にしてやったら、いっぱい褒めてもらえるよね)
 通学に使うバスの中でその事を思い出し、笑いを堪えようとしても、くふくふと息が漏れてしまう。周りからは変な目で見られていたが、珠裡は全く気にしてはいなかった。
 程なくバスが学校近くの停留所へと到着し、珠裡はいつも通りに定期を運転手に見せて下車する。この辺りの“人間ルール”についても徐々に慣れてきていた。
 校門を潜り、昇降口へと移動する。靴を脱ぎ、上履きと履き替えようと靴箱のふたを開けた瞬間――
「きゃあ!」
 突如、得体の知れないものが中から飛び出してきて、珠裡は悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。
「な、何っ……」
 声をうわずらせながら、珠裡は飛び出してきたものを確認する。それは緑色の、ビニール製のカエルのオモチャだった。
「ぐぅぅぅぅ…………だ、誰よ! 誰がこんなことしたの!?」
 カエルのオモチャをむんずとつかみ、床に叩きつけながら珠裡は周囲に居る生徒をにらみつける――が、皆が皆怪訝そうな顔をして足早にその場を去っていく
「おはよう、珠裡ちゃん」
 突然死角から声をかけられ、珠裡は心臓をどきりと跳ねさせながら振り返る。
「ま、真央……?」
 背後に立っていたのは、紺崎真央。昨日、馬のように乗り回してやった相手だ。紛れもなくそのはずなのに、珠裡はつい語尾に疑問符をつけてしまう。
(…………こんなに大きかったっけ……?)
 確かに身長差はあった。しかし、これほどだっただろうか。
 何となく、“居づらい”と感じる。珠裡は困惑しつつもフンと鼻を鳴らし、手早く上履きに履き替えるとまるでその場から逃げるように教室へと向かった。


「真央、お弁当出しなさいよ」
 二時限目が終わった後の休み時間、珠裡はいつものように真央へと詰め寄った。
「いいよ。はい」
 意外なことに、真央は二つ返事で弁当箱を差し出してきた。
 昨日までならば、最初に聞こえなかったフリをし、さらに詰め寄ると愛想笑いを返して、最後に渋々自分の弁当包みを差し出してくるという流れだったというのに。
「…………」
 珠裡は少しだけ訝しみながら弁当包みを受け取り、自分の席へと戻る。一瞬ちらりと真央の方へと視線をやると、真央は珠裡に背を向けたまま、宮本由梨子とかいうクラスメイトの一人と喋っている所だった。
 ふふんと意味も無く鼻を鳴らして、珠裡は弁当包みを解いていく。
 ――その刹那。
「ぎゃっ」
 包みを解くや否や、突然何か緑色のものが中から飛び出してきて、珠裡は避けようと仰け反ってそのまま椅子ごと背後にひっくり返ってしまう。
 ガターン!と、派手な音が教室内に響き渡り、クラスメイトの何人かが悲鳴混じりに珠裡の元へと駆け寄ってくる。
「あいたたたた……」
 駆け寄ってきた女子達に手を引かれる形で珠裡は立ち上がり、椅子を元に戻す。先ほど飛び出してきた緑色の影の小体を見極めようと辺りを見回すも、それらしいものはどこにも無かった。
 キッ、と。反射的に珠裡は真央の方をにらみつける。真央も、その話し相手の由梨子も驚いたような顔をしていたが、珠裡は見逃さなかった。
 目が合った瞬間、真央が吹き出したようにフフッ、と笑ったのを。
「ちょっと、真央! どういうつもり!?」
「……? どうしたの? 珠裡ちゃん」
「どうしたのじゃないわよ! 弁当包みの中に何を入れたのよ!」
「何も入れてないよ?」
 きょとんと、真央は目を丸くしながら首を傾げる。
 カッと、珠裡は頭に血が上るのを感じた。妖狐なんかにバカにされるのは、妖狸のプライドが許さないのだ。
「とぼけるんじゃないわよ! ヘンな緑色のが飛び出してくるように仕掛けてたでしょ!」
 真央の胸ぐらに掴みかかろうとしたその手が、誰かに掴まれた。由梨子だった。
「真央さんは何もしてないって言ってるじゃないですか。第一、私はずっと見てましたけど、珠裡さんは一人で勝手にひっくり返ってましたよ」
「…………っっっ!」
 珠裡はいらだち紛れに由梨子を睨み付ける。が、真央とは違い由梨子は怯む気配すら見せず、逆にまっすぐに珠裡の目を見据えてきた。その剣のように尖った視線にむしろ珠裡の方が気圧されて後ずさってしまい、無意識のうちに珠裡は視線を外した。
 そのまま踵を返して、再度自分の席の周りを探してみるが、確かに飛び出してきたはずの緑色の物体は何処にも見当たらなかった。
 諦めて着席し、珠裡は半開きになったままの弁当包みの中。弁当箱の蓋を見る。が、そこには可愛らしくデフォルメされたカエルの絵が描かれてるだけで、特別不審な点は見当たらなかった。

 四時限目、珠裡は再度悲鳴を上げて尻餅をついた。四時限目の授業は体育で、体操着に着替えようと体操着入れの口を開いた瞬間、またしても緑色のカエルが――今度ははっきりとカエルだと視認できた――が飛び出してきたからだ。
 しかし尻餅をつき、バクバクと異常な速度で波打つ心臓を押さえながら辺りを探しても、飛び出してきたはずのカエルの姿は何処にも無かった。もしやと思って体操着入れの中を探ってみると、緑色のカエルの絵が描かれたメモ用紙が出てきた。
「ちょっと、真央! 一体何の真似!?」
 頭に血が上るのを感じる。もはや、一連の悪戯は真央の仕業としか思えなかった。着替え途中の真央の腕を掴み、ぐいと引き寄せる。
「……? どうしたの? 珠裡ちゃん」
「とぼけないでよ! 朝からチャチな悪戯仕掛けて、仕返しのつもり!?」
「仕返し?」
 またしても、真央はきょとんと目を丸くして首を傾げる。本当に心当たりが無いとでも言いたげなその仕草に、珠裡のイライラは募っていく。
「いい加減にしてください。真央さんが一体何をしたって言うんですか?」
 二人の間に割って入ってきたのは、またしても宮本由梨子だった。やむなく珠裡は手を離し、真央からも離れた。
 この女は苦手だと思った。そもそも人間相手では、素性を明かすわけにもいかない。必定、栄光ある妖狸のさらにその首領血族の珠玉であることも、この愚かな女には知らしめる事が出来ない。
(忌々しい女……いつかこいつもイジメてやる)
 真央の次はお前だと、珠裡は憎々しげに唇の中だけで呟く。妖狐に肩入れするというだけで、敵とするには十分すぎる理由だった。
「タマちゃんどうしたの?」
 声をかけてきたのは、真央を苛める際の取り巻きの一人だった。
「何? 紺崎が何かしてきたの?」
「ほんっとウザいよねー、あの子。ちょっと顔がいいからって生意気だし」
 二人目、三人目までもがゾロゾロと集まり、珠裡の周りに輪を作る。
「この間なんて、生活指導の先生にスカートの長さ注意されて、スカートの丈は変えてませんーなんて言ってたんだよ? ハーフだかなんだか知らないけど、足の長さなんか自慢するなっての」
「それよりもさ、アレのほうが問題あると思わない?」
 アレ、と言いながら取り巻きの一人――長身のそばかす女が自分の胸の前で円を作る。
「あり得ないでしょ、あのサイズは。お前は牛かっての」
「ねー。詰め物でもしてんじゃない?」
「超ウケるー、そこまでして目立ちたいんだ?」
「そうとしか思えないじゃん。体育の時なんて、男子も男の先生もみんな血走った目でガン見してるんだよ?」
 やいのやいのと取り巻き三人が頭を突き合わせるようにしてヒソヒソ話を――声の音量的に半分以上は真央の耳にも届いているだろうが――続ける。が、珠裡はその輪に加わる気が起きなかった。
 確かに真央の事は嫌いだが、それはあくまで妖狐は敵だという確固たる信念に基づいて嫌いなわけであり、この取り巻き達のように自分に無いものを持つ同姓に対する嫉妬が理由ではないからだ。
(……まあでも、真央をうらやみたくなるのも当然かもね)
 珠裡は冷めた目で取り巻き達を見ながら、内心そんな事を思う。珠裡の目から見ても、三人の容姿はおよそ同類の牡に好かれるような類いでは無かった。見事なでこぼこトリオとでも言うべきか、チビ、ノッポ、デブの三拍子がそろった三人組はクラスでも爪弾きにされているらしかった。
 実のところ、この三人とはあまり仲良くしないほうがいいと。他のクラスメイト達から何度か忠告を受けたりもした。それでもこうして周囲に存在することを許しているのは、ひとえに真央を嬲るには単純に数で囲むのが都合が良かったからだ。
(でも、だからって私までお前達と同じにされたら堪らないわ)
 こと、可愛らしさ愛くるしさという点において、珠裡は自分に敵うような者は居ないと思っていた。何故なら自分は偉大なる妖狸族の首領カムロの長女まみの娘であり、皆から愛されるべき存在として産み落とされた者だからだ。
(……だからこそ、早く復讐してやらなきゃいけないのに)
 あのバカ人間に自分という存在の偉大さ、素晴らしさを思い知らせてやらねばならない。そしてその上で、自分がやったことの“責任”をとらせてやらなければ。
「ねーねー、タマちゃん。今日の放課後もヤッちゃうんでしょ?」
 長身そばかすの言葉に、珠裡は無言でうなずく。
「今日は宮本が邪魔してくるかもねー。あの女マジでウザいんですけどー」
「あいつも紺崎が転校してくる前は教室の隅っこで暗い顔して置物になってる地味子だったくせにね」
「うんうん、ぶっちゃけ私、二学期になるまで一度も声聞いたことなかったもん」
「えーー、じゃあ嫌われ者同士くっついちゃった系? みっじめー」
 いつもならば、お愛想程度には話を合わせてやる所だが、どういうわけか全くそんな気分にはなれず、珠裡は三人の体を避けるようにして更衣室を後にした。


 
 放課後。
 珠裡とその取り巻き三人は昨日同様、真央を空き教室へと呼び出した。珠裡とその取り巻き三人にとって意外だったのは、真央が自ら由梨子を遠ざけ、一人で校内をぶらついていた事だった。
 そう、さながら――誘っているかのように。
「真央、今日はずいぶんとコケにしてくれたじゃない」
 昨日と同じ布陣。真央の正面に珠裡が立ち、さらに真央を囲むように取り巻き三人が立つ。
 昨日と違う点があるとすれば、真央におびえた様子が全くなく、微笑すら浮かべていることだ。
「あれ、全部あんたの仕業なんでしょ? 分かってるんだから」
「……?」
 真央が首を傾げる。くっ、と珠裡は唇を噛み締めるも、二の句が出ない。
「ねえ」
 言葉に詰まっている珠裡の代わりに口を開いたのは、取り巻きの一人だった。
「ノコノコついてきて、あんた自分の状況分かってんの?」
 口火を切ったように、残りの二人も続いて口を開く。
「あんたタマちゃんに何か嫌がらせしたんでしょ? 謝りなさいよ」
「ほら、床に手をついて謝りなさいよ」
 言いながら、取り巻きの一人――太った女子が真央のふくらはぎの辺りを蹴りつける。
 きゃ、と悲鳴を漏らしたのは真央ではなかった。
「いったぁ〜い! 何すんのよ!」
「ぇ、あれ……ご、ごめん! あれ……?」
 その様子を見ていた珠裡自身、我が目を疑った。肥満女子は間違いなく真央の足を蹴りつけたはずだった。しかし実際に彼女が蹴ったのは斜め前に立っていたそばかすノッポの足だった。
「ちょっと、何笑ってるのよ!」
 金切り声を上げたのは、もう一人の取り巻き、メガネをかけた背の低い女子だ。
「笑ってないよ」
「いーや、笑った! うちらの事笑ってた!」
「マジで? 性格悪っ、信じらんない」
「いいからほら、四つん這いになりなさいよ!」
 取り巻き達が、真央の肩を押さえつけ、無理矢理膝をつかせようとする。
 ――が、真央は動かない。三人がかりで両肩を押さえつけられているというのに、けろりとした顔で立っていた。
「ほらっ、踏ん張ってないでしゃがめって言ってるのよ!」
 チビメガネが罵るように言い、真央の足を蹴りつけようとするが、その足先は明後日の方角へと空を切り、そのままバランスを崩して尻餅をつく。
「ちょっと、何やってんの!?」
 勝手に一人で転んだチビメガネに、そばかすノッポがあきれたような声を出す。その後も三人がかりで真央を四つん這いにさせようとしたが、その試みはすべて失敗に終わった。
 次第に、三人の顔が困惑から恐怖へと歪む。まるで、そんな変化を察知したかのように、真央が口を開いた。
「珠裡ちゃん、二人だけで屋上に行こうか?」
 びくりと、身が震えるのを珠裡は感じた。今の今まで、自分がこの場に存在しているという実感が無く、まるである種のショーでも見ているかのような気さえしていた。
 だから、真央に話しかけられた時、さながら映画館でスクリーン越しに俳優に突然名前を呼ばれたような、そんな薄気味悪さを感じた。
「な、なんで私がバカギツネの言うことなんか聞かなきゃいけないのよ!」
「怖いの?」
 間髪入れずに、無機質な声で真央が問うてくる。
「こ、怖いって……どういう意味よ!」
「私が怖いの? 珠裡ちゃん」
「こ、怖いわけないじゃない! いいわよ、屋上でも何処でも行ってやるわよ」
 真央は笑顔のまま無言でうなずき、一足先に教室を後にする。珠裡もその後に続こうとして――教室の出口で、ふと背後を振り返った。
 真央が教室から去った途端、三人組は膝から崩れ落ちて各々惚けたような顔をしていた。疲労困憊――否、まるで何かに化かされたかのような、茫然自失とした顔立ちだった。
(まさか……真央が?)
 ありえない。あの女は愚劣極まりない妖狐の中でもさらに最下層の落ちこぼれのはずだ。
 珠裡は脳裏をよぎった不吉な考えを払うように首を振り、真央の後を追った。



 
 

 階段を上がり、屋上へと出る。フェンスに囲まれたちょっとした広場ほどの領域のその中央に、真央は屋上への入り口に背を向ける形で立っていた。
 すでに日が傾きかけ、オレンジ色の光が中央に立つ真央の影をその身長よりも遙かに長く伸ばしている。それが奇妙なほどに不気味に見え、珠裡はぞくりと。尾の付け根の辺りに寒気のようなものを感じた。
 真央が背を向けたままなのも不気味だった。くるりと、今にも振り返りそうで振り返らない。もしくは、振り返ったその顔は異形の顔になっているのではないか。そんな想像ばかりが膨らんで、珠裡はなかなか屋上へと一歩を踏み出せなかった。
(……なんで、私がこんなやつに)
 何を恐れる事がある。相手は妖狐の、しかも半妖の落ちこぼれだ。血筋で言えば、カムロの孫である自分のほうが遙かに上のはずだ。
 珠裡は意を決して屋上へと踏み入る。――その瞬間。
「ひぃぃ!」
 ガッッシャァァァアン!
 珠裡のすぐ背後で、けたたましい音を立てて扉が閉まった。同時に、ガチャリと鍵のかかる音。
 珠裡は咄嗟に真央の方を見る――が、真央はその場に立ち尽くしたまま、振り返りもしていなかった。
 何故勝手にドアが閉まったのか――否、それだけならば、風の仕業だとも言い張れる。しかし何故鍵まで。珠裡はドアノブを握り、軽く回してみるが間違いなく鍵がかかっており、ノブは回らなかった。
(う……やば……)
 下着に違和感を感じる。ドアの閉まる音があまりに大きくて、驚きのあまり下着を少し濡らしてしまったらしい。スカートがあるからバレはしないだろうが、珠裡は無意識のうちに内股気味になってしまう。
「珠裡ちゃん」
 背後から、真央の声。珠裡は再度真央の方へと向き直る。いつの間にか真央も珠裡の方へと向き直っており、そこには珠裡の杞憂とは裏腹に、異形の貌ではなくなんとも優しげな微笑があった。
 ただ、その顔も西日によって色濃く影が落ち、ひどく不気味な形相に、珠裡には見えた。
「な、何よ! こっ……こんなことで私を脅かそうとしても無駄なんだからね!」
「脅かそうなんてしてないよ」
 真央が、ゆっくりと歩み寄ってくる。そして一歩半ほどの距離まで来るや、そっと右手を差し出してくる。
「私はただ、珠裡ちゃんと仲良くしたいだけだよ」
「ふざけるな! バカギツネなんかと誰が仲良くするもんか!」
 差し出された右手を、珠裡は思い切り引っぱたく。
「……そんなに強く叩いたら痛いよ、珠裡ちゃん」
「うるさいうるさいうるさい! バーカバーカ! バカギツネ! 仲良くして欲しかったら子分になれって言ったでしょ? ほら、今すぐ四つん這いになっておうまさんになりなさいよ!」
「珠裡ちゃん、何か聞こえない?」
 真央の声は、まるで澄んだ鈴の音のように、珠裡の大声を割ってその耳へと届いた。
「…………何が聞こえるっていうの」
「ほら、ゲコゲコって。カエルの泣き声みたいなの聞こえない?」
「カエルの泣き声?」
 珠裡が怪訝な声を出したのは当然だった。今は1月、カエルの泣き声など聞こえるはずが無い。
「ほら、やっぱり聞こえるよ」
「そんなもの聞こえるわけ……」
 言いかけて、止まる。周囲に漂う喧噪の中。微かにカエルの泣き声のようなものを聞いた気がしたからだ。
 そんな馬鹿なと思い、珠裡は再度耳に意識を集中させる。今度はよりはっきりと聞こえた。間違いない、これはカエルの泣き声だ。
「なんで……どうして……」
 珠裡は困惑して、辺りを見回す。もちろんカエルの姿などあるはずが無い。しかし、聞こえる。いつのまにか周囲の喧噪すらかき消すほどに、さながら真夏の夜の田んぼに囲まれたあぜ道にでも居るかのように、けたたましいほどの大合唱が。
「えっ、真央?」
 辺りを見回して、珠裡は気がついた。いつの間にか屋上から真央の姿が消えていた。
「ど、何処に行ったのよ……真央、返事しなさいよ!」
 カエルの泣き声は、ますます大きくなる。オレンジ一色だった屋上が、加速度的に闇に包まれ始める。
「ほら、見て。声だけじゃないよ?」
 姿は見えない、背後から声だけが聞こえた。はっと振り返ると、屋上一面に無数の大小様々な色のカエルの姿。皆が皆、珠裡の方を向き一斉にゲコゲコと鳴いていた。
「ひいいいいいいいっ!!!」
 連続して起こる“あり得ないこと”に、珠裡は完全にパニックを起こしていた。半狂乱になって屋上からの出口であるドアノブをガチャガチャと回すが、鍵のかかっているドアは一向に開く気配が無い。
「珠裡ちゃん、珠裡ちゃん」
 ちょんちょんと、肩を叩く指。珠裡は反射的に振り返って――
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
 自分の身の丈よりも巨大なカエルを目の当たりにして、絶叫を上げながら、失神した。



 珠裡がその場にへたり込んでしまってから数分。屋上に響き渡っていたカエルの鳴き声が止み、程なくカチャリとドアの鍵が外れる音が聞こえた。
「あの、真央さん……言われた通りにしましたけど……」
 携帯型のラジカセを手に屋上へと入ってきたのは由梨子だった。真央もまた、クラスメイトの演劇部員からこっそり借りたカエルのかぶり物を脱ぎ、ふぅと頭を振る。
「……ちょっと、怖がらせ過ぎたんじゃないですか? 珠裡さん、失神しちゃってますけど……」
「……うん。ちょっと効き過ぎちゃったみたい」
 真央自身、ここまでうまくいくとは思っていなかった。
 仲良くしたくないと思っている相手に、仲良くしたいと手っ取り早く思わせる方法――それは敵にしたくないと思わせる事だ。
 或いは、珠裡相手であれば単純なとっくみあいでも勝てたかもしれない。しかし、極力暴力は使いたくはなかった。
 だから、怖がらせることにした。
(……母さまは、狸はビックリするとすぐ失神するって言ってたけど)
 珠裡を見ていると、母の言葉は正しかったように思える。尤も、さすがにまみクラスになるとこうはいかないだろうが。
 降りかかる火の粉を、自分の力だけで払うためにはどうすればいいのか。真央は真剣に考えた。そのためにはまず自分には何が出来るのかを知らねばならなかった。
 マッチの火以下の狐火、出来損ないの変化、そして“もどき”の域を出ない幻術。これらが真央に出来るすべてだった。
 狐火は論外、変化については化ける事が出来てもその後のケアが問題だった。となれば、残された武器は一つしかない。
 とはいえ、その“もどき”も何の耐性もないただの人間相手であれば何とかなる可能性はあった。しかし珠裡は一応とはいえ妖狸。だから、“それらしく見せる”為に、どうしても小道具が、演出が必要だった。
 真央は屋上に散らばったカラフルな色合いのゴム製のボールを一つずつ拾い集めては、持参したビニール袋へと戻していく。珠裡の恐がり方から察するに、おそらく珠裡にはこのボール一つ一つが本物のカエルのように見えていたのだろう。
(……きっと、母さまなら)
 こんな小道具など使わずに、己の力のみで“化かす”事が出来るのだろう。しかし、今の真央にはこれで精一杯だった。
「珠裡ちゃん、珠裡ちゃん、起きて」
 真央は白目を向いたままひっくり返っている珠裡の側へとしゃがみ込むと、その肩をゆさゆさと揺さぶる。幸い、珠裡はすぐに目を覚ました。
「ひっ、か、カエル!?」
「カエルはもう居ないよ、珠裡ちゃん」
 真央はにっこりと、笑顔で語りかける。
「でも、珠裡ちゃんがいい子にしてくれないと、またカエルさんが来るよ」
「ひぃっ」
 珠裡は大慌てで立ち上がり――そして、自分がへたりこんでいたその場所に出来てしまっている水たまりへの視線に気がついて、再度目尻から涙をあふれさせながら赤面する。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅ………………バーカ! 真央のバーカ!」
 そして、堰を切ったように喚きだした。
「バーカバーカ! 誰が仲良くなんかしてやるもんか! バーカ! バーカ! 帰ったらママに言いつけてやる! バカギツネなんか死んじゃえーーーーー!」
 そして喚きながらドアを開け、校舎の中へと消えていった。
「……失敗したんでしょうか?」
 珠裡が目を覚ますなり、大慌てで物陰に退避していた由梨子がそっと顔を覗かせる。その答えは、真央にも分からなかった。
 ふう、と小さくため息をつく。
「…………疲れちゃった。帰ろう、由梨ちゃん」



 


「月彦、まだ具合良くならないのかしら」
 帰宅し、葛葉と二人だけの些か早めの夕食を摂っていた時だった。ふと、思い出したように葛葉がそんな事を零した。
「うん……まだダメみたい」
 少なくとも真央が見る限り、月彦の容態は回復しているようには見えなかった。悪化こそしていないものの、その目は虚空を漂い続け焦点を決して結ばない。語りかけても返事をすることはなく、せめてもの救いは介護の手つきとはいえ食事とトイレだけはきちんと済ませている事だ。
「学校もいつまでも休ませるわけにもいかないし、一度病院に連れて行った方がいいのかしら」
 果たしてそれはどうだろうかと、真央はお箸の先を口に含んだまま思った。おそらく父がああなってしまったのは母真狐によってもたらされた精神的ショックが原因なのだろうが、はたしてそれが病院で治療出来るものなのだろうかと。
(……おっぱいでもダメだったし…………)
 “あの父親”ならば、胸さえ触らせておけば骨折くらいなら自力で治してしまうのではないか――そんな不思議な印象が、真央の中にはある。しかし今回は原因が原因故か、胸を触らせても怯えこそすれ回復の兆しは皆無だった。
「困ったわねぇ……こんな時霧亜が居てくれたらいいんだけど」
「姉さまが?」
 何故ここで霧亜の名が出てくるのだろう。真央はきょとんと首を傾げる。
「昔から月彦が拗ねてたり落ち込んでたりしたときは、あの子に頼むとすぐに直ってたの。でも、病室から連れてくるわけにもいかないわよねぇ……」
 夕食の間中、葛葉は困った、困ったと口癖のように繰り返しては、時折意味深に真央の顔を見てくるのだった。
(……私が、姉さまの病室まで父さまを連れて行けば……何とかなる、のかな)
 そうしろ、と葛葉は言っているのだろうか。しかしそれは無理な話だ。あそこには妖狐――半分ではあるが――の自分はまともに近づく事が出来ない。
(あっ……)
 はたと、真央は脳裏に電撃が走るのを感じた。
 ひょっとしたら、“同じ手”が効くかもしれないと。
「……ねえ、義母さま」
「なぁに、真央ちゃん」
 不思議だった。葛葉の微笑を見ていると、突飛な考えとしか思えない自分の発想が、まるで正解だと言われているような気分にさせられるからだ。
「姉さまの写真……ちょっと、貸してほしいの」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 月彦は、幸せの国に居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ははははは、ほーら、真央。高い高ーい!」
 一面に菜の花が咲く花畑の中央で、月彦は最愛の一人娘と戯れていた。月彦も、真央も、それぞれ純白のシャツに純白のズボン、そして純白のワンピースという出で立ちだが、真央の姿はどう見ても年相応――否、年齢よりもさらに幼い姿だった。月彦は両手で自分の膝ほどの身長しかない愛娘を抱え上げ、空に向かって放り投げては“高い高い”を繰り返す。
「父さま! 私にもやって!」
「私にも! 私にも!」
「とうさまー!」
「ははは、慌てるなって。かわりばんこだ。そーら!」
 自分の周りに輪を作り、順番待ちをしているちっちゃな真央達を月彦はかわりばんこに高い高いしてやる。一人娘のはずなのに、どう見ても十人近くの真央が周りを囲んでいるのだが、月彦は気にもとめていなかった。
 何故ならここは幸せの国なのだから。
「とうさま! 見て見て! お花で冠を作ったの!」
「おお、きれいな花冠じゃないか。真央は天才だな」
「ほらほら、父さま! 私が作ったのの方がもっと大きいよ!」
「おお、こっちのも凄いな。よしよし、いい子だ」
「うー! 私のほうがキレイだもん!」
「私の方が大きいもん!」
「こらこら、喧嘩するなって。仲良くしないとおやつ抜きだぞ?」
 花冠を持ってきた二人のチビ真央の頭を撫でながら、小さな花冠は頭に、大きい方は首にかける。
「うーっ!」
「うーっ!」
 二人のチビ真央はもう一人の花冠を作って来たチビ真央と、月彦の方を交互に見て不満そうに唸った後、まるで磁石が反発するようにそれぞれ逆の方向へと走り出した。
「やれやれ……ま、何にせよ元気なのはいいことだ」
 月彦は花畑の上に腰を落ち着け、そのままごろりと横になる。
「先輩、膝枕ですか?」
 ごろりと横になったその頭が落ち着く場所には、由梨子の姿があった。いつの間に――などとは考えない。
 何故ならここは幸せの国なのだから。
「ああ、由梨ちゃん頼むよ」
「はい」
 真央と同じ純白のワンピース姿の由梨子は――この国では、男も女も服は純白らしい――真央とは対照的に現実の姿よりも成長して見えた。月彦よりもさらに年上の、二十才前後に見える由梨子に膝枕されて、月彦は至福の刻に酔いしれる。
「あぁ……最高だなぁ……もうずっとここに居たいなぁ」
 この場所でどれほどの時間を過ごしただろうか。もはや現実世界がどのような場所であったのかすら記憶が朧気になりかけていた。
 否、現実世界などというものは本当にあったのだろうか。例えあったとしても、自分にはこの世界さえあればいいのではないか。
 ここならば、親友の彼女を寝取った件で良心の呵責に苛まれる事も無い。酒好きの姉妹の間でなんとも綱渡りな二股がけをすることもない。怖い猫や狸が襲ってくる事も無い。
 ましてや、“あの女”が現れることなんて――
「あぁぁ〜……余は満足じゃ…………」
 由梨子の太ももをナデナデしながら、月彦は至福に酔い続ける。
「先輩」
 髪を撫でていた由梨子の手が、そんな呟きと同時に不意に消えた。
「どわっ」
 消えたのは手だけではなかった。太ももも――否、由梨子の姿自体が消えていた。さらに辺りを見渡せば、一面菜の花畑であったはずのその場所はごつごつとした岩が剥き出しの荒野にすげ替えられていた。
 辺りで黄色い声を上げて遊んでいた真央達の姿も無かった。
 ざわりと。
 月彦の胸を、不安という名の冷たい手が撫でつける。
「な、何だ……」
 ぞくりと、背筋が震えた。
 何かが、来る。それは遙か遠くからゆっくりと、しかし凄まじい速度で接近してくる。
 姿は見えない。どこから来るのかも分からない。しかし近づいてくるという事だけはっきりと知覚出来る。
「い、嫌だ……嫌だ、俺はずっとここに居たいんだ!」
 “それ”は夢の時間の終焉を告げる者だ。
 周囲に風が巻き始めていた。それは徐々に激しさを増し、はらはらと雨粒までもが混じり始める。
 どす黒い雲に覆われた空がゴロゴロとうなり声を上げる。ピシャー! ガガガガゴーン!――遙か遠くで落雷の音が聞こえる。
 風雨はさらに激しさを増し、肌に当たる雨粒は痛いほどだった。
 ふいに、背後に誰かの気配を感じた。
 見るまでもなく、そこに居るとはっきりと分かる、肌を刺すような存在感。
 がくがくと、全身が震え始める。
 振り返るのは恐ろしい。しかし、振り返らないのはもっと恐ろしい。
 月彦は、歯の根を鳴らしながら、ゆっくりと振り返った。
「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
 “居る”のは振り返る前から分かっていた。分かっていて尚、月彦は叫ばざるを得なかった。
 まるで死神の装束のように漆黒の服をまとった姉の姿を前にして、月彦は尻餅をつきながら――尻を擦るようにして――ずりずりと後退する。
 月彦が下がった分だけ、霧亜が距離を詰めてくる。無言、その顔は無表情のようにも、怒っているようにも見える。
「い、いやだ……帰るのは嫌だ……嫌だ!」
 イヤイヤをするように首をふる月彦の頭の上に、霧亜の右手の影が差す。
「い、嫌だ……やめっ――」



「や、やめっ……やめろ! 姉ちゃん……姉ちゃ………………はっ!?」
 胸をかきむしりながら、自らの魘される声で、月彦は目を覚ました。
「ね、姉ちゃん……?」
 眼前にあったはずの怒り顔の姉の姿は何処にもなかった。そこは見慣れた自室であり、当然のことながら風も逆巻いてなければカミナリもおちていない。
「ゆ、め……か……?」
 何かが、急速に失われていくのを感じた。限りなく幸せな場所に居たはずであるのに、まるで指の間から水がこぼれるように、それらの記憶が失われていく。
「なんか……体が重い、な……」
 上体を起こしながら、月彦は軽く拳を握ってみる。まるで、寝たきりのまま一年ほど過ごしたかのように、全身の反応が鈍かった。
「真央……?」
 ようやくにして、というべきか。月彦はベッドの傍らに膝をつき、上体を月彦の下半身に被さるようにして目を閉じている愛娘の姿に気がついた。
「真央、どうした……寝てるのか?」
 軽く体を揺さぶってみる。ん、と微かに息を漏らして、真央が身じろぎをする。寝ていた、というよりは、なにやらひどく消耗していて、疲労困憊のあまり伏していたというように、月彦には見えた。
「父さま……?」
 重たげに瞼を持ち上げながら、真央がゆっくりと身を起こす。
「父さま……私が分かるの?」
「分かるもなにも……真央は真央だろ?――ってうわ」
「父さまぁぁ!!!」
 さながら、レスリングのタックルばりのような突進抱擁を受けて、月彦はベッドに押し倒された。
「お、おい……真央?」
 訳も分からず、月彦は真央が泣き止むまでその頭を撫でてやる事しか出来なかった。


「えっ……じゃあ俺一週間も寝たきりだったのか!?」
 ようやく落ち着いた真央から事情を説明されるなり、月彦は驚愕を隠しきれなかった。あくまで月彦の体感時間としては――幸せの国での記憶がすっぽりと抜け落ちてしまった為――やや長めに寝てしまった程度のものしか無かったからだ。
「っかしいな……なんでそんな事に……」
 と、記憶をたどるなり真っ先にこの世で最も見たくない女の顔が脳裏に浮かび、月彦は背筋を冷やす。
「そ、そうだ……あのとき真狐のやつが……」
「母さまが……?」
 月彦にしがみついたまま、真央が目を爛々と輝かせながら顔をのぞき込んでくる。
「………………しっかし、そんなに寝たままだったってことは、学校とかずっと休んでた事になるのか。ヤバいな」
 むううと唸りながら露骨に話題を変えた月彦に対して、真央は露骨に不満そうな顔をするが、その不満を言葉にすることは無かった。
「て、うわっ!……なんだこれ、髪が……」
 真央から視線を逸らし、はたと。窓ガラスに映る自分の顔を見るなり、月彦は悲鳴を上げた。何故ならそこに写った自分の顔は――顔はともかく――頭髪が真っ白になってしまっていたからだ。
「………………これは、学校に行く前に白髪染めが必要だな」
 おそらくはショックのあまり――だろう。あの晩、あの女から受けた屈辱を鑑みればさもありなんと月彦は思う。
「母さんなら持ってるかもしれない。悪い、真央……ちょっとどいてくれるか?」
 しがみつかれたままでは立ち上がる事も出来ないと、月彦はそれとなく促し、ベッドから出る。
「どわっ」
 一週間寝たきりというのは本当だったらしく、立ち上がっただけでがくがくと両足が震えた。萎えきっていた筋肉を叱咤しながら、月彦は頼りない足取りで階下へと降りていく。
「あら月彦。もう具合はいいの?」
 たたみ終えた洗濯物を手にした葛葉が丁度階段の下を通りかかり、にっこりと笑みを返してくる。
「ああ……なんか、寝込んでたみたいで……ごめん、母さん。……あ、そうだ。白髪染め持ってない?」
 ぴきっ。
 一瞬、月彦は周囲の気温が下がるのを感じた。
「月彦、どうして私が白髪染めを持っていると思ったの?」
「えっ、いや……」
「母さん、そんなに白髪が多いかしら? それとも、白髪を染めていると思ったの?」
 ひやりと、周囲の気温が下がるのを感じた。
「ご、ごめん! そういう意味じゃなくって……」
 なにやら洒落にならない雰囲気を感じて、月彦は慌てて謝った――こんこんこんと、玄関のドアがノックされたのはそのときだった。
「おばんどす」
 ノックに遅れること数秒。ドア越しに聞こえた典雅な声に、月彦は萎えた足から力が抜け、その場に座り込んでしまった。


 主婦(?)同士、どうやら話が合うらしい。まみは玄関先でひとしきり葛葉と話し込んだ後、家の中へと上がり込んできた。
「ごめんやす」
 階段の方へと近づいてくるのを見て、月彦は慌てて自室へと戻る。声が聞こえたのか、早くも真央が青い顔をしていた。
「どうしよう……父さま!」
「ど、どうしようって……一体全体なんでまみさんが……」
 ついさっき長い眠りから覚めたばかりの月彦には、何がなにやら分からない。ぽつりと、真央が漏らした。
「あのね、父さま。……父さまが寝込んでた間に、珠裡ちゃんが学校に転入してきたの」
「何だと!?」
「……それでね、今日……ちょっといろいろあって、珠裡ちゃんが泣きながら帰って……ママに言いつけてやるって言ってたんだけど……」
 まさか本当に言いつけるなんて――真央の声はかすれていた。
「……事情はよくわからんが……と、とにかく話を聞いてみるしかないな」
 逃げようとしたところで、逃げ切れるような相手ではないことは身に染みて知っている。月彦がそう結論づけた瞬間、こんこんと自室のドアがノックされた。
「邪魔しますえ」
「……どうぞ」
 まみが開けるよりも先に、月彦が自らドアを開け、招き入れる。まみは藤色の着物にいつもの鯨幕帯という出で立ちで、何故か右手には表面に光沢のある――どこかで見た事がある類いの――小さな紙袋を下げていた。
「……まぁ、けったいな色しはって。“いめちぇん”どすか?」
 顔を合わせるなり、まみが目を丸くする。ああそういえばと、月彦は髪をぽりぽりと掻く。
「……そんなところです」
「珠裡に聞きましたえ。えらい長いこと学校休んではるとか」
「ええ、でも明日からは行けそうです。……あ、どうぞ、座って下さい」
 一応ながらも座布団を出すと、まみはどっこらしょ、と腰をおちつけた。
「……それで、今日は何の用ですか?」
 対峙するように月彦も座り――正座だった――それとなく促すと、まみは一息おいてから手に提げていた紙袋を両手で丁寧に差し出してきた。
「これ、受け取ってもらえますやろか」
「……これは?」
 月彦はおそるおそる紙袋を受け取り、中身を改める。紙袋の外装とは裏腹に中に入っていたものは――むしろ外装通りの品であり、それ故に月彦は驚きを隠せなかった。
 何故ならそれは携帯の――詳しく言えばスマイルホンと呼ばれるシリーズの――それも最新のものだったからだ。
「真央はんが持ってはったの、珠裡が壊してしもたんどっしゃろ。そこまでしたらあかんて、はっきり言わんかったうちの責任どす。本来なら同じものを準備するんが筋どすが……“キカイ”は苦手どしてなぁ」
 ふう、とため息混じりにまみは首を振る。何となく、言わんとする所は月彦にも分かった。
「ツテを頼って手に入れてもろた“サイシンキシュ”どす。何とかこれで堪忍してもらえまへんやろか?」
「いや……えーと……ど、どうする? 真央」
 てっきり、珠裡の件で怒鳴り込みに来たのだと思い込んでいた月彦(と真央)は完全に面食らっていた。
「わ、私は……別に、いい、けど……」
「ほんまどすか? ……はぁー……これで肩の荷が下りましたわ」
 はふう、とまみが肩の力を抜く。それは月彦も、真央も同様だった。
(……ていうか、意外と義理堅い人なんだな)
 だったら最初から喧嘩なんか仕掛けてこなければいいのに、と思うも、あれはあれでまみの事情があったのではないかという気がしてくる。
(……少なくとも、真狐よりは常識がありそうだ)
 もちろん、携帯に何らかの仕掛けがしてあり、さらなる騒動の呼び水とならないとも限らないわけだが。
「さて、用も済みましたし、今日の所はおいとましますわ」
 どっこらしょ、と腰を上げるまみに声をかけたのは、月彦ではなく真央だった。
「あのっ」
 踵を返そうとしたまみが、ぴたりと体の動きを止める。
「きょ、今日のこと……珠裡ちゃんから聞いてないんですか?」
「今日のこと……ああ」
 ぽんと、まみが手を叩き、微笑む。
「そういえば、わんわん泣きながら帰って来ましたなぁ。あんさんにずいぶん可愛がってもろたみたいで、くやしいくやしいー言うて地団駄踏んでましたわ」
「そ、それは……珠裡ちゃんが……」
「“その件”でうちが言いたいことは、一つだけどす」
 まみはコホンと咳をつき、真面目な顔をする。
「……どんどんやってもろてよろし」
「「え?」」
 疑問符がハウリングした。くすりと、まみが笑う。
「“学校”での事には、“あの女”が出しゃばって来ん限りうちは一切関与しまへん。どんどん泣かしてもろてかまいまへんえ」
「いやそんな……別にわざと泣かしたりとかする気はないですけど……なんでまた?」
 月彦の言葉に、真央がどことなく居づらそうな顔をする。
「うちがあんさんらと同じ学校にあの子を入れたんは、あの子の甘ったれを直すためでもあるんどす。世間様の荒波に揉まれれば、あの子も少しは逞しゅうなりますやろ」
 おじいはんが甘やかしすぎたんどす――ぶつぶつと、まみは愚痴のようなものを零しながらため息をつく。
「顔を見ればわかりますえ。自分に手を出したらママが黙ってないーとか、そないなこと言われたんどっしゃろ?」
 真央はわずかに逡巡して、こくりとうなずく。
「子供の喧嘩に親が出るほど、みっともない事はあらしまへん。あの子が甘えた事言うとったら、びしっと頬の一つも張りとばして構いまへんえ」
「そ、そこまではさすがにしませんけど……でも、分かりました。珠裡の事は――えと、学校での事はって意味ですけど、俺たちに任せて下さい」
「うちははなからそのつもりどす。その分の礼はおいおいさせてもらいますえ」
 ほな、とまみは部屋を辞し、階下でまた何事か葛葉と十五分ほど話をしてから帰って行った。



 まるで呼吸をするのを忘れていたかのように、月彦と真央はほとんど同時にはああと大きくため息をついた。
「はぁぁ…………なんつーか、“まともな人”だよな」
 真央に同意を求めるように呟くと、真央もまたしばし逡巡した後――おそらくは、“誰”と比べて“まとも”なのかを察したが故の逡巡だったのだろう――控えめにこくりとうなずいた。
「……私、ぜったい仕返しされると思った」
「…………そんなに手ひどく珠裡を苛めたのか?」
「苛めたわけじゃ……ない…………と思うんだけど……」
 真央はどこか自信なさそうに、ぽつりぽつりと自分が珠裡にした事を語り出す。珠裡の靴箱にカエルのオモチャを仕込んだこと。弁当包みや珠裡の体操着入れの中にちょっとした“仕掛け”をしたこと。視界や距離感を狂わせるお香を使って、自分に危害を加えようとするたまりの取り巻き達を煙に巻いたこと――。
「……なんだ、真央は全然悪くないじゃないか」
 そして最後まで話を聞いて、月彦はあっさりとそう結論づけた。
「ようはアレだ。正当防衛ってヤツだろ? 全然問題ないって。そりゃあまみさんもどんどんやってかまわないって言うわけだ」
「で、でも……珠裡ちゃん、最後怯えて気絶までしちゃったし……」
 罪悪感でも感じているのか、真央はぱふんとキツネ耳を伏せるようにしてうつむく。
「先に仕掛けてきたのは珠裡のほうなんだろ? だったら問題ないって。むしろよくやった。えらいぞ、真央」
 月彦は真央の頭を撫で、そっと抱き寄せてやる。
「誰の力も借りずに、自分の力で解決しようとしたんだもんな。えらいえらい」
「ぁっ……で、でも……由梨ちゃんには手伝ってもらったし……」
「そんなの、手伝ってもらったうちに入るもんか。…………これは久しぶりにご褒美をやらないといけないな」
「えっ」
 ぴくぴくぴくっ。キツネ耳が、聞き捨てならない言葉を聞いたとばかりに、震えながらピンと立つ。
「で、でも……珠裡ちゃん、私よりも年下だし……ちょっと驚かせて、もう二度としないでねって注意しただけだし……」
「自分の力でそれをやったってのがご褒美に値するって言ってるんだ。謙遜なんかしなくていいんだぞ?」
 具体的には、真央が一体どうやって珠裡を怖がらせたのかは月彦には分からない。真央は“幻術もどき”を使ったと言うが、人間である月彦にはそれが一体どういうものか、朧気に想像することしか出来なかった。が先ほどの真央の説明で、どうやら真央は自分が真狐のような幻術が使えないことを知ったうえで、その弱点を補填するように様々な仕掛けを打ったという事はわかる。
(……そういうところが、やっぱり“アイツ”の血なんだろうなぁ)
 戦力が、実力が足りないなら知恵で補う。そういった真央のやり方が嬉しくもあり、あの女の血がそうさせたのだと考えるとモヤモヤしたりと、月彦はなんとも複雑だった。
「……それで、真央はどうしてほしい?」
「んと……じゃ、じゃあ……いつもみたいに、普通にシて欲しい、な」
 真央の、あからさまに遠慮したような物言いに、月彦は何故か侮辱されたような気がした。
(……真央、俺に気を遣っているのか?)
 病み上がりだから、無理をさせてはいけない――母親と違って心の優しい真央の事であるから、そのくらいの事は考えているかもしれない。
(……確かに、完調にはほど遠いと言わざるをえないが……)
 だからといって「今は病み上がりだから、体力が回復するまでご褒美は待ってくれ」等と言えるはずもなく、言う気もおきなかった。
 むしろ、真央がそうして遠慮すればするほどに、意地でも真央の望みを叶えてやりたいと思う――紺崎月彦とはそういう男だった。
「真央、遠慮するな。何でもいいんだぞ? えーと……今日は…………なんだ、金曜日じゃないか。何なら、どこか近場でお泊まりつきのデートとかでもいいんだぞ」
「…………本当に、何でもいいの?」
 おそるおそる、真央が顎を引いて上目遣いに訪ねてくる。月彦は当然のように頷き返した。――その事を、死ぬほど後悔するとも知らずに。
「じゃあ……父さま……一つだけ、どうしても知りたいことがあるの」
「うん?」
「この前、母さまとどんな事をシたのか、教えて?」



 それは口にするべきではないという事は、真央も重々理解していた。なにせ、“この父親”がショックのあまり“あのように”なってしまうほどの事なのだ。
 それはおそらく心に深い傷を与えたであろうし、知らぬフリ気づかぬフリをするのが一番であるのは真央にも分かっている。
 ――が、どうしても好奇心に抗う事が出来なかった。
「あぁ、うん……なるほど……そう来たか…………」
 眼前の月彦の笑顔は苦渋に歪み、瞬く間に脂汗に満ちた。自らの軽率な発言を後悔しているであろう事は真央の目にも明らかだった。
 ごめんなさい、父さま。今のは聞かなかった事にして――真央はそう言って、この場を収めようと思った。
「ねえ、父さま教えて。母さまとどんなことシたの?」
 しかし、実際に口から出たのはそんな言葉。知らず知らずのうちに月彦のパジャマの袖まで掴んでいた。
「ど、どんな事って言われてもなぁ………………俺自身何も覚えてないんだよな」
 あははと、月彦はごまかすように頭を掻く。それはもう見事な――五才の子供すら騙すことも出来なそうな――態とらしい笑い方だった。
 心の奥底にある好奇心という名の焚き火に、大量の薪がくべられるのを、真央は感じた。
(母さまばっかり、ズルい……)
 否、それはもはや好奇心ではなく、嫉妬心だったのかもしれない。普段はそれこそひた隠しに隠し続けている“それ”が、めらめらと燃え上がるのを感じる。
 長く月彦が寝込んでいたせいで、いろいろと“溜まっている”というのも理由の一つではあった。とにもかくにも、自分自身でもどうにも出来ない衝動に駆られて、真央はさらに詰め寄る。
「嘘。父さま、意地悪しないで教えて」
「う、嘘じゃないぞ? ほ……本当に覚えてないんだ」
 どうやら、この件に関しては“忘れてしまった”という事で押し通すつもりらしい。
 普段ならば、ぶうと頬の一つも膨らませてちょっとばかり拗ねて終わり――であったかもしれない。
 しかし、今回は違った。
「父さま、本当に忘れたの?」
 一体何があったのか知りたい――その強すぎる思い故、真央は無意識のうちに“術”を発動させてしまっていた。それは本来ならば術とも呼べない目くらまし――未熟な妖狸一匹を騙すのにすら小細工を用いねばならないレベルの――であったはずのものだ。
 しかし今、真央が月彦に対して施そうとしたそれは、かつて無いほどの集中力によって生み出された、れっきとした幻術と言っても遜色ないレベルの完成度となっていた。
「な、何が言いたいんだ、真央? 俺が嘘を言ってるって言いたいのか?」
「ちゃんとこっちを見て、私の目を見て言って、父さま」
 ばつの悪さ故か、それとも“何か”を感じ取ったのか。視線を逸らそうとする月彦の頭に手を添えて、無理矢理に自分の方を向かせ、目を合わせる。
「ま、真央……?」
「父さま、忘れたなら思い出して」
 それとなく逃げようとする月彦を逃がさじと、真央はさらに詰め寄る。否――それはもはや詰め寄るというよりは押し倒すと言うべきものだった。月彦の両手首をベッドにおしつけ、その体に跨がり、さらに詰め寄る。
「父さま、あの日……母さまが来た日の夜、一体何があったの?」
「あ……あ、の……とき……は……」
 まるで譫言。夢うつつのまま、夢の中の相手に喋りかけるような口調だった。目の焦点は合っているようで合っておらず、真央のほうを向いてはいるが、何も見えてはいない。
 “かかって”いる。幻術使いとして未熟な真央にも、それがありありと分かるほどに。
 ――ゾクッ。
 そんな催眠状態の月彦を見下ろしながら、真央は不意に悪寒にも似たものが背筋を走るのを感じた。
(今なら……)
 決して、最初から“それ”を狙ったわけではなかった。むしろそうであったならば、意外なところで油断のならないところがある月彦のこと、或いは途中で看破したかもしれない。
 しかし、真央自身まったく意図していなかったが故に、すなわち完全な偶然故にそれは成功し、真央は己が最も望む“ご褒美”のすぐ目の前まで自分が到達している事に、遅まきながらに気がついた。
 あの夜に一体何があったのか――それを聞くだけでよかった。もちろん、同じ事をしたい、されたいという欲望が全く無かったと言えば嘘になる。
 ならば、この状況は。
「ぁっ……」
 ゾクゾクゾクッ――!
 これから自分がしようとする事を想像するだけで、尾の付け根からイナズマにも似た快感が迸る。
(でも……)
 それは本当にやっても良いことなのだろうか――そう問いかけてくるのは、真央の中の“人間”の部分だった。頭に浮かんだ悪戯を行うことに待ったをかける存在――俗に良識だとか、良心だとか言われるもの――その言葉に耳を傾けなければと思う反面、疎ましいとも思う。
(…………父さまも、ご褒美をくれるって言ってたし)
 “そんなこと”をするのは良くないと自分を止める良心に、真央はそう言い訳をする。それは、人間の良心が獣の欲望に負けた瞬間でもあった。
「父さま……」
 真央は吐息を乱しながら、徐に制服の上着を脱ぎ、さらにリボンを外し、それをまるで目隠しでもするように月彦の頭に巻く。
「ま、真央……?」
 月彦は抵抗らしい抵抗をしなかった。催眠状態というのはそういうものなのかもしれない。真央は続けて、シャツの胸元のボタンを外し、ブラのホックを外す。
「んっ」
 シャツの内側で、今までブラに支えられていた乳房がたゆんと揺れるのを感じる。声が漏れてしまったのは、早くも尖ってしまっている先端がブラの生地とこすれてしまった為だ。
 早く、早く月彦に触って欲しい――その欲求を文字通り生唾を飲むようにして堪えながら、真央はヘビが這うような仕草で、月彦の右手を掴む。
「父さま、触って?」
 そのまま月彦の手を引き寄せ、ボタンを外したシャツの隙間から自らの胸元へと導く。
「う、ぁ……や、止めっ……ろ……」
 どういうわけか、この段階で月彦は強い拒否反応を示した。しかし、真央は構わず半ば力任せに胸元へと招き寄せ、月彦の指を母譲りのたわわな乳肉へと埋めさせる。
「あぁっ」
 ぴくんと、全身が揺れた。ただ、指先で直に胸を触れられただけであるのに、それまで身を燃やしていた肉欲が十倍にもなったように感じる。
 このまま我を忘れて欲望のままに抱かれたい――その衝動を必死に堪えながら、真央は最後の仕上げに入る。
「父さま、わかる?」
 指を引きつらせたまま動かそうとしない月彦に変わって、真央は自ら掴んでいる月彦の手首を動かし、胸を揉みしだくようにしながら、さらに上半身を前傾させ、月彦の顔へと唇を寄せる。
「これはね、母さまのおっぱいなんだよ?」
「真狐……の?」
 目隠しをされたままの月彦は、相変わらず指を引きつらせたまま、譫言のように呟く。
「ち、がう……これは――」
「違わないよ。これは母さまのおっぱい」
 その身に赤い妖力の光を迸らせながら、真央はさらに言葉を続ける。
「父さまはね、今から母さまに襲われちゃうの」
 まるで、真央自身その現実を信じ込むかのように――否、自らが本当に“あの母親”であると思い込むかのように。
 確固たる事実のみを語るように。
 その言葉に妖力を込めて、月彦の耳へと流し込んでいく。
 ………………。
 …………。
 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 真央にとっては幸運で、月彦にとっては不運だった事は、月彦が長い長い夢の世界から目覚めて間もないという事だった。
 えてして、夢の中ではそれは夢であると気づけないものである。ましてや、月彦の体は――脳はというべきか――長い間“その状態”に慣らされていた。もちろん真央が珠裡の時とは比較にならない集中力をもって渾身の幻術を仕掛けたということも一因ではあるが、その成功の3割ほどを担ったのは月彦がまだ“寝ぼけ”ていたからだった。
 むろん月彦にもその自覚はなく、故に真央に囁かれるままに現状が現実であると錯覚してしまった。
 だから。
「ま……こ……? 本当に、真狐なのか?」
「そうよ、あたしよ」
 目隠しごしに聞こえたその声に、月彦は慌てて右手を引き、目隠しを取り去った。
「げぇっ」
 そして目隠しをとるなり、自分に跨がっているこの世で最も憎むべき相手の顔を前にして悲鳴を上げた。
「あたしに会いたくて会いたくて堪らなかったんでしょ? だから会いに来てやったわよ」
  真狐は背の向こうで赤い光を放つ尾を踊るように揺らしながら、ぺろりと舌なめずりをする。
「だ、誰がっ……」
 冷や汗――否、もはや脂汗とも言うべきものが全身から吹き出るのを感じる。この女に組み伏せられ、跨がられるということがどういった未來を招くのか。
 月彦はもう十分過ぎる程に熟知していた。
「あら、抵抗しようとしても無駄よ? あんたは死ぬまであたしのオモチャなんだから」
 体を起こそうとするなり、まるでそれを察知したかのように真狐の手が月彦の手首を捕らえ、ベッドへと押さえつける。
 たぷんっ、と。その巨乳が眼前につきつけられる。
「くっ……」
「ほぉーら。あんたの大好きなおっぱい。吸ってもいいのよ?」
「だ、誰が……」
「ホント、強がりだけは一人前なんだから。………………しっかり勃ってるクセに」
 ぐりぐりと。真狐が月彦の股間の上に跨がったまま腰をくねらせ、擦りつけてくる。
「ほらほら、いつもみたいに“ヤらせてください。お願いします”って言いなさいよ」
「なっ……だ、誰がいつそんな事を言ったぁ!」
「あれ、言ってなかったかしら?」
 くすくすと女狐笑みを浮かべながら、真狐はさらに体を倒し、ぎゅううと胸をおしつけてくる。
「うおおっ……」
 その質量に、月彦は思わず仰け反りそうになる。同時に、ギンッ、とパジャマズボンとトランクスの下で剛直が硬度を増す。
 くすりと、また女狐が笑う。
「あっ、また大きくなった。どんだけおっぱい好きなのよ」
「う、うるさい!」
「ほら、触りたかったら触ってもいいのよ?」
 うりうりと、まるでたきつけるように真狐は体を揺さぶってくる。
 くっ、と歯を食いしばりながら、月彦はふと。奇妙な違和感に捕らわれる。
(…………なんか、ヘンじゃないか?)
 月彦自身、その違和感の正体がすぐには分からなかった。
「ほらっ、ほらぁ……あたしとヤりたいんでしょ?」
 挑発的な言動だが、その裏に何か切羽詰まったものを感じる。余裕がないと言うべきか。
(……もしかして)
 真央が化けているのでは――などとは、月彦はみじんも思わなかった。
(…………こいつ、相当溜まってやがるな)
 と、月彦は最も単純な解釈をした。単純に、純粋にヤりたくてヤりたくて溜まらなくなって夜這いをかけてきたのだろうと。
(…………こいつ、ついこないだあんだけヤッたのに)
 呆れながらも、月彦はどこか冷静に考えていた。すべては推測の域を出ないが、少なくとも目の前の女が切羽詰まっている事だけは間違いないようだった。
 それはイコール弱みではないかと。
「おい、真狐」
「何よ……きゃっ」
 自分でも驚くほどにあっさりと、両手首を押さえつけていた真狐の手を振り払い、逆に真狐の肩を掴んで体を起こさせる。
「ちょっ、あんっ」
 そして、体を起こさせるや否や、ボーリングの玉ほどもありそうなその両乳を着物ごと力任せに掴み、揉みしだく。
「ぁっ、やっ……あぁぁっ……!」
 ビクビクビクッ……!――真狐はたちまち身を震わせながらのけぞり、甘い声を漏らす。
(……やっぱりだ。そうとう溜まって……いや、“飢えてる”って言うべきか?)
 ぐに、ぐにと乳をこね回すたびに、真狐はびくびくと体を揺らしながら声を上げ、その都度腰砕けになっていく。
 ――弱い。そう感じる。
「……どうした。随分“良さそう”じゃないか」
「う、うるさ…………あんっ!」
 元からはだけている着物をさらにはだけさせ、腰帯の上までズリ下ろす。あらわになった色白の肌を舐めるように見ながら、さらにその巨乳をこね回す。
「あっ、あっ、あっ」
「こないだあんだけシたのに、もう我慢出来なくて男に跨がりにきたのか。このド淫乱が」
 吐き捨てるように言いながら、強めにピンクの先端をつねると
「あーーーーーーーーッ!!!!」
 弓なりに身を反らせながら、感極まった声を上げる。
「なんだ、胸だけでイッたのか?」
 愛撫をいったん止め、嘲笑混じりに言う。くっ、と。真狐はほほを紅潮させたまま唇を噛む。
 “宿敵”のそんな仕草に、月彦はゾクゾクと背筋が震えるのを感じる。
「ね、ねぇ……」
「ん?」
「何、サボってんのよ……は、早く……」
「早く、何だ?」
 月彦がとぼけた声を出すと、真狐はますます唇を噛み締めながら、身もだえするように肩を抱く。
(……まるで欲求不満中の真央だな)
 こういうところも母親似か――などと思いながら、月彦はやれやれと両手を頭の後ろで組んで完全に傍観の体勢に入る。
「ちょっと……ねえ……」
 真狐はいらだつような声を上げ、尻尾を不満げにぶんぶんと振る。
(こいつもこいつだな。いつもだったら、俺が手を出すのを待ったりしないで、勝手にいろいろするクセに)
 奇妙なほどの“受け身”が気にならなくもない。が、露骨に怪しいという程でも無い。
(……コイツのことだ。俺に手を出させておいて、後からからかうつもりなのかもしれない)
 或いは、単純にシたくてシたくてたまらないだけなのかもしれない。それも、自分主導ではなく、男主導のエッチがしたいというような気分になっているだけの可能性もある。
 相手が相手なだけに、用心に用心を重ねながら――それでいて、この弱みにつけ込んで今までの仕返しをしてやろうと、月彦の脳はフル回転していた。
(……そうだ、せっかくだから……思い切り屈辱的な扱いをしてやるか)
 前回自分が受けた仕打ちを思い出しながら、月彦はむくりと体を起こし、ベッドの端に腰掛ける。
「おい、真狐。ベッドから下りろ」
「な、なんでよ……」
「下りたら教えてやる」
 威圧するように見据えると、意外なことに真狐は素直にベッドから下りた。少しは反発するかなと予想していた月彦としては、少々物足りない結果とも言える。
 しかし、それほど気にもしない。何故なら今度こそ、この女の屈辱に歪む顔が見れるに決まっているからだ。
「跪いて舐めろ」
 しゅぱぱーんと脱衣を済ませ、すでに滾りに滾っている剛直を眼前に突きつけての命令。間違いなく罵声の一つもあげるだろうという、月彦の予想は見事に裏切られた。
 何故なら、真狐はとろんと蕩けるような目をしたかと思えば、有無を言わさず四つん這いのまま剛直に唇をつけようとしたからだ。
「お、おい!」
 これには月彦の方が慌てて声を上げた。一方真狐の方も、はっと月彦の声で我に返ったように慌てて体を引いた。
「ふ、ふざけんじゃないわよ! なんで、あたしがそんなコト……」
「いいから舐めろ。上手に出来たら、“その後”も相手してやるぞ」
「その、後?」
 オウム返しに尋ねてくる真狐に、月彦はこくりとうなずいてみせる。
「すんげームラムラして、ヤりたくてヤりたくて堪らないんだろ?」
「だ、誰が……」
「嫌なら別にいいんだぞ? 他の男の所にでも行けよ」
「……っ……わかったわよ」
 さも渋々、仕方なさそうに真狐は剛直に手を伸ばし、ぎゅっと握りしめるや先端にキスをしてくる。
「んっ、ぁ……んふっ……」
 渋々している――という体を装ってはいるが、やはり本心ではしゃぶりつきたくて仕方がなかったのだろう。ねっとりと絡みつくような舌使いを通じてそれらを感じ取りながら、同時に月彦は困った事態に陥っていた。
(やっべ…………これ、すっげー興奮する……)
 真狐にしゃぶられているのではない。“しゃぶらせている”のだ。この違いは天と地ほどの開きがあった。
 仕方なさそうに、嫌々剛直に舌を這わせている様子を見下ろしているだけで、今にも達してしまいそうになる。
 この鼻持ちならない女に無理矢理しゃぶらせている――それはいつぞやの優巳の奉仕の時にも似た興奮だったが、その度合いは桁違いだった。
 はあはあと、息を荒げながら月彦は真狐の頭に手を置き、むんずと前髪の辺りを掴んでやや上を向かせる。
 真狐が不満そうに一瞬睨み付けてくるが、すぐに剛直へと視線を落とし、むしろいっそう激しく頭を前後させる。
「んぷっ、んふっ……んぷっ、んんっ、んぷっ……!」
 じゅぽ、じゅぽと涎の泡がはじける音を立てながら真狐がスパートをかける。それは明らかに月彦をイかせようとする動きであり、それ故に月彦は抗わねばならなかった。
「っ……おい、真狐。胸も使え」
 このまま続けられたらヤバい――そう直感し、月彦は咄嗟に指示を出した。真狐はまたしても仕方なさそうに――両胸を寄せてあげるようにして剛直を挟み込み、にゅり、にゅりと上下に擦り始める。
(うおおおお……た、たまらん! どっちにしろヤバいぞ、これは!)
 圧倒的な乳肉の質量。唾液をローション代わりにして剛直全体を包み込むようにして擦りあげられ、月彦は思わず背をそらせてしまう。
「だ、出すぞ!」
 叫ぶように言って、月彦は再び真狐の前髪を掴み、顔を引き寄せる。
「やっ、ちょッ………………っ」
 剛直を真狐の鼻面に突きつけ、どびゅるっ、と白濁液をまき散らす。一発目というのは量が多いのが当たり前だが、“それにしても”という量を、剛直が震える度に打ち出し、汚していく。
「ふーっ…………ふーっ…………ふーっ…………」
 射精の間は、何かモノを考える余裕は一切無かった。ただ、とにかくこの鼻持ちならない女の尊厳を踏みにじってやりたいという欲望に従って、月彦は征服の証とも言える白濁汁を真狐の顔にかけ、最後には剛直の先端を頬に擦りつけるようにしてなすりつける。
「っっっ〜〜〜〜〜!」
 盛大にぶっかけられ、ろくに目もあけられない様子の真狐が睨み付けてくる――が、それが逆に月彦の興奮に日を注ぐ形になった。我ながらよく出したと呆れるほどの量。ゲル状の白濁汁は真狐の顔や髪にこびりつくも、その質量を支えきれずに糸を引いて滴り落ちては、たわわな胸元や腰帯の上まではだけた着物の上へと落ち、“獲物”を白くデコレイトしていく。
 ごくりと、生唾を飲む。過去に受けた様々な屈辱によるしがらみの一切が、この瞬間月彦の頭から飛んだ。
「おい、真狐。ベッドに上がれ」
 言うが早いか、月彦は自ら真狐の腕を引いていた。



 獣の叫び声が、木霊していた。
「あーーーーーーーッ!!! あーーーーーーーッ!!!!」
 後ろから乱暴に突き上げられ、真狐が髪を振り乱しながら声を荒げる。その背には玉のような汗が浮き、それらは月彦が激しく腰を打ち付ける度にはじけるように宙を舞い、辺りに“発情した牝の体臭”を振りまいていた。
 それらによってさらに興奮をかきたてられ、月彦は被さるようにして両胸を揉みしだき、先ほどから立ったり寝たりを繰り返しているキツネ耳を口に含み、甘く噛む。
「あぁぁぁ、ぁぁぁぁぁぁァァッ!!!」
 キュキュキュッ! キュキュッ!!
 真狐が悲鳴を上げながらも、剛直をキツく締め付けてくる。
「淫乱マゾ狐」
 噛んだ耳を舐めながら、ぼそりとささやきかける。
「お前がそんなだから、娘の真央まで“痛いくらいの方が良い”なんて言い出すんだ」
 ぺしんと、白桃のような尻をやや強めに叩く。真狐が振り返り、何事かを言おうと口を開く――が、言葉が発せられるよりも先に、月彦は腰のくびれを掴み、すぱぁん!と強烈に剛直を突き入れる。
「いひぃぃっ!!」
 真狐が言おうとした言葉は、そのまま嬌声となって室内を満たす。その悲痛めいた声に、ゾクゾクと背筋が震えるほどの興奮と快楽を、月彦は覚える。
「……この前は」
 腰を引き、ずんっ、と突く。
「ほとんどずっと、お前に上を取られたままだったからな」
 さらにずん、と。
「どうだ。上に跨がるより、後ろから突かれる方がいいだろ?」
 完全な上から目線。そういう言い方では、例え真実でも、“この女”は絶対に否定する――そう見越した上の問いかけだった。
「っ……っくっ…………んぁっ……あっ、あぁ!」
「聞かれたらちゃんと返事をしろ」
「くひぃっ、あっ、あぃぃぃぃぃぃッ!!!!!」
 腰のくびれを掴んで引き寄せ、奧まで押し込んだまま、ぐりぐりと先端でえぐるように刺激すると、真狐はベッドシーツをかきむしるようにして声を荒げる。激しく毛を逆立たせたままのその尾が、快感の度合いをしめしており、動きを止めるやたちまちへなへなと力なく横たわろうとする尾が萎える寸前で腰を引き、突く。
「あぁんっ!」
「どうした、もうヘバったのか? 真央の方がまだタフだぞ?」
 まるで土下座でもするように、上体を伏せたまま良いように突かれるままの真狐の後ろ髪を掴んでマクラから顔を持ち上げながら、月彦はささやきかける。
「だ、だって…………こんな、……こんな、の……知らない……」
 ぜえぜえと、息も絶え絶えに言う真狐に、月彦はくすりと微笑みかける。
「何言ってんだ。お前とする時はいつも“こう”だろ?」
 グンと、存在を誇張させるように剛直をそらせる。それだけで、真狐はひぃと怯えたような声を上げた。
(あぁぁ…………)
 真狐のそんな声が、9割5分ほど失われていた月彦の男としての自尊心を回復させていく。あれほどの相手を、今自分は好き勝手に犯している、ヒィヒィと泣き声すら上げさせている――。
(…………もしかして、“アレ”は夢だったんじゃなかろうか)
 きっとそうに違いないとすら、月彦は思い始めていた。
(……そうだ。夢かどうか試してみよう)
 それは男としての自信を回復させる為に必須な作業なように、月彦には思えた。
「おい、真狐。お前にチャンスをやる」
「えっ……」
 言うが早いか、月彦は真狐の腰を掴んだまま、ごろんと後方に寝そべった。
「ちょっ……何を……くっ……」
「今度はお前を上にならせてやるって言ってるんだ。ほら、好きに動いてみろよ」
 ほらこっちを向け、と真狐の尻を叩いて催促をする。真狐はよたよたと頼りなげな動きで月彦の方へと向き直ると、これまた頼りなげに腰をくねらせ始める。
(……なんだそりゃ?)
 と、月彦は思わざるを得ない。或いは、これ幸いとばかりに一気に攻勢に転じるのではないかと身構えていた月彦としては、肩すかしも良いところだった。
「おい、どうした。こんなもんか?」
「だ、だって……これ……ホントにおっきくて…………」
「……ダメだな。話にならん」
 月彦は、真狐の太もものあたりに当てていた手を、再度腰のくびれへと持って行く。そして掴むや否や――
「あぁん!」
 ベッドのスプリングを利用して、激しく突き上げる。
「あんっ、あんっあんっ!」
 たっぷたっぷと、巨乳をちぎれんばかりに揺らしながら、真狐は喘ぐ。その様子は完全に腰砕けであり、されるがままの一言だった。
「あっ! あっ! あっ! も、っ……止めっ、こ、壊れ……あぁぁぁぁぁ!!」
「もう止めて、か。…………さて、前にお前に同じ事を言ったやつは、どういう目に遭わされたかな?」
「そ、そんなの知らなっ……あーーーーーーーーッ!!!!」
 ビクビクビクゥ!
 真狐の体が、大きく跳ね、膣内がキツく、断続的に締まる。くっ、と唇を噛みながら、月彦は再度身を起こし、いつもの形――対面座位へと移行しかけて、慌てて中断した。
(あっぶね……何でこんなヤツと……)
 対面座位を通り越し、正常位にまで押し倒す。
(……つい、真央とシてる時みたいな気分になっちまった。…………こいつが妙に大人しくて受け身なせいだ)
 イきそうになったら、対面座位に移行して、甘々なキスをしながら一緒にイく――というのが真央とのエッチの定番(無論、毎回それで終わりというわけではないが)なのだが、うっかり真狐相手に同じ流れをなぞりそうになってしまった事に、月彦は少なからずショックを受けた。
(…………確かに、コイツも“これくらいの小賢しさ”なら可愛げが無くもないんだが、な)
 いつも“こう”というわけではないという事は、月彦自身良く知っていた。今回はまさに千載一遇、言うなれば盲亀浮木のようなものだ。或いは二度と無いチャンスかもしれない。
 だったら。
「はぁ…………はぁ…………はぁ…………」
 正常位に移行しても、真狐はぐったりとベッドの上に四肢を力なく投げ出したまま、うつろな目で呼吸を整えていた。その長い髪には未だ多くの白濁液が絡みついたままであり、白くたわわな胸元も、より白く濁った液によって装飾されている。
 まだまだ足りない――真狐の姿を見下ろしながら、月彦はそんな事を思う。もっともっと、この女を征服してやりたいと。
「はぁっ…………はぁっ…………えっ、ちょ……まだ……んんぅぅ!」
 繋がったまま――萎え知らずの剛直で、軽くこづいてやる。まだヘバるのは早いぞ――そう言うかのように。
「ね、ねぇ……もう、ホントに……やっ、やめっ……あぁぁあ!」
 ぐりっ、と。剛直の先がある場所を軽く擦るなり、真狐は異常なまでに体を震わせて反応した。
「ん? なんだ。お前もココ弱いのか?」
 それはほとんどクセとなっている動きだった。母娘だからというのもあるのだろう。どうしても真央とする時の動きをなぞってしまうところがあり――それ故に、月彦は新しい“弱み”に気がついた。
「奇遇だな。真央もココ擦ってやるとすっげー喜ぶんだ」
「やっ……ちょ、待っ……い、今は……あひぃぃぃぃっぃッ!!!!」
 ビクビクビクビクゥ!
 ビクッ! ビクビクッ!
 さながら、船の上に打ち上げられた人魚の如く、真狐が腰をケイレンさせながら、激しく前後させる。
「やっ、やめっ……ぁぁあンッ!! ちょっ、そこホントにだめっ……やめっ……! あぁぁぁぁっ! あぁぁっ! あーーーーーーーーーッ!!!」

 ビクビクビクッ!
 
 まるでブリッジでもするように腰を跳ねさせながら、真狐はイヤイヤと首をふり、剛直を締め上げながらイき続ける。
「あはぁぁぁ……はーっ…………はぁーーーー…………ね、ねぇ……そこもうホントにだめ……い、イきすぎておかしくなりそ…………あァーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
 もちろん、月彦に真狐の嘆願を聞き入れるつもりなど毛頭無い。むしろ、眼前の女が目尻に涙を浮かべながら止めて、止めてと言うたびに思わず口元がにやけてしまいそうなほどの興奮を覚えるのだから、止めるわけがなかった。
「……すげぇな、ビュッ、ビュッって潮吹きっぱなしでシーツまでビッチョリだぞ。そんなに良いのか」
 由梨ちゃんとシてるみたいだ――軽口を叩きながら、月彦は執拗にそのポイントを突き、擦りあげる。
「あはぁぁッ! はぁぁあんっ! あっぁぁああっ……ゆっ…………ゆるひ、てぇ…………も、ほんとにらめぇぇ……ゆるひてぇ……!」
「許して? 俺に許して欲しいのか?」
 こくこくと。激しく肩を上下させながら真狐が必死に頷き返してくる。
「…………じゃあ、“ごめんなさい”って言ってみろ」
「ご――」
 真狐は一度言葉に詰まるも、すぐに月彦を見上げて言い直した。
「ごめん、なさい」
「ダメだ。許さない」
 月彦は冷徹に却下しながらも、真狐に被さるようにしてその脇の下から手を回し、両手で真狐の頭を掴んで自分の方を向かせて、固定する。目尻に涙を浮かべ――完全に泣き顔で許しを請う様になっている宿敵の顔を間近に見下ろしながら、月彦は腰を使う。
「あぅぅっ! んんぅぅううっ……ご、ごめんなさい……ごめんなさい、ゆるして……ゆるしてぇぇ」
「ダメだ、絶対に許さない」
 はぁはぁと、月彦はここにきて露骨に息を荒げていた。有酸素運動のせいではない、純粋な興奮による呼吸の乱れだった。
「はあはあはあ…………」
 密着したまま腰を使うのはもどかしかったが、憎い女の泣き顔を見下ろしながらイくという目的を達成するためにはこれは外せない条件だった。
(いっそ――)
 このままツバでもはきかけてやったら、さらに興奮できるのかもしれない。できるのかもしれないが、実際にやろうという気にはなれなかった。
 だから、代わりに。
「ほら、イけよ淫乱。たっぷり中に出してやるから」
 言葉で嬲り、一際深く突き入れる。
「あアアッ――」
 ビクビクビクッ――真狐の体が震え、シーツをかきむしってばかりだった手が、ぎゅうとしがみつくように背に回ってくるのを感じた。
「あアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
 文字通り、獣の遠吠えのような嬌声。耳を劈くその声を聞きながら、月彦もまた肉欲の限りを真狐の奧へとぶちまける。
「くはぁぁぁぁぁあぁ………………」
 ドリュッ! ドリュッ! ドリュッ!
 思わず背筋が冷えるほどの量が、眼前の女の体内へとはき出されていく。
(……見た目だけは一級品だからな)
 ヤッた後の満足度という意味ではある意味では一番かもしれない――それ故の射精量かもしれないと。
 若干賢者タイムに入りかけている月彦は、そんな事を思う。
(ていうか……コイツ……!)
 ぎゅうう、としがみつくように抱きしめられている事もさることながら、痙攣しっぱなしの肉襞が文字通り精を搾り取るように絡みついてくる。
(真央並……いや、下手すると真央より……くはぁぁあ……)
 “奧に引っ張られる”――そう錯覚するほどの肉襞の吸い付きに、賢者タイムに入りかけていた月彦はムラムラと肉欲の炎が再燃するのを感じる。
(ヤバい……こんなんじゃ全然足りねえ……)
 ほんの十数秒前、これ以上ないというほどの満足感を味わったはずだった。味わったはずなのに、もう今は目の前の女に再度抱きたくて堪らなくなっている。
「……おい、真狐」
「ふぁ……?」
 月彦の肩に額を当てるようにして身を硬直させていた真狐は、そんな気の抜けたような声と共に視線を月彦の方へと向けた。蕩けきったような、それでいて何とも腹の立つ事にどこか満足そうな顔をしていて、それ故に――月彦は苛立ちにも似たものを感じざるを得ない。
「……四つん這いになって尻を上げろ。また後ろからしてやる」


 幻術は、大別すれば二つに分けられる。
 すなわち、“化ける”か“化かす”かである。
 変化の術は主に前者に含まれ、今回真央が月彦や珠裡に使ったのは後者に属するものである。
 その利点や欠点を上げればきりが無いが、その中で主だった欠点をいくつか上げるとするならば、“解除条件”を設定せずに使用した場合、例え術者が解呪を望んだとしてもそれが叶わない場合があるという事である。
 具体的にどういう状況かというと……。

「あぁぁあっ、あぁっ、あぁっ……も、むりぃぃ……とう、さまぁ……おね、が……も、止めて……止めてぇ!!」
 背後から突かれながら、真央は必死に懇願する――が、その叫びは悲しいほどに届かなかった。
「全然無理じゃないだろ。真央ならこれくらい平気だぞ?」
「わ、私が真央なのぉ……お願い、父さまぁ……正気に戻ってぇ!!」
 先ほどから何度、同じ事を叫んだだろうか。
 しかし結果は――。
「なんだ、まだまだ元気じゃないか。後何回イかせればそんなナマイキな口をきけなくなるかな」
 言葉が通じていないわけではない。現に、「もう無理」だとか「止めて」といった懇願はきちんと届いている。
 しかし、正体を明かすような発言に関してのみが、月彦の耳に届かないのだ。
 或いは。
 月彦はとっくに正気に戻っていて――もしくは、最初から騙されてなど居なくて――母のフリをした自分を叱る度にあえてとぼけているのかもしれない。
 しかし、それにしては。
「あああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 ぐりっ、と。慣れ親しんだそれよりも明らかに太く堅い剛直に貫かれて、真央は悲痛な声を上げる。
「あぁ、いい声だ。……ほら、もっと聞かせろ」
「あぁっ!! あぁぁっ!! あぁぁぁ!! あーーーーーーっ!!」
 ぱんぱんぱん!――尻に痛みを感じるほどに乱暴に突かれ、真央は己の意思とは無関係に声を上げさせられる。
「そらっ、そろそろだ。中出しされてイけ」
「あんっ! あんっ! あんっ! あっ、あァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
 奧の奧まで突き入れられた剛直がぶるりと震え、熱い塊がはき出されるのを感じる。
「あはぁぁぁ……」
 これで何度目だろうか。真央は白く霞がかかったような頭で記憶を振り返るも、その堪えにたどり着くよりも先に、ぎゅうとその体が抱きしめられる。
「……どうだ、淫乱狐。そろそろ反省したか?」
「はーっ…………はーっ…………し、したぁ……もぅ、した、からぁ……ひぃぃぃぃッ!!」
 前へと回ってきた手が下腹部――恥毛の下へと下り、敏感な突起を愛で始める。
「反省はした、か。…………まぁ口ではなんとでも言えるからな」
 くちゅくちゅと、結合部からあふれ出す白濁汁を絡めるような手つきで、月彦は淫核を撫で続ける。
「はぁーーーー…………はぁぁぁ…………父さまぁ……もぅ、ホントに無理だよぉ…………」
 静止を懇願しつつも、真央には月彦がまだまだ止める気などないことは悲しいほどに分かっていた。何故なら、一度も抜かれないまま幾度となく射精を繰り返してきた剛直が、一向に萎えていないからだ。
(これ、が……母さまとする時の……父さま、なの?)
 太さや堅さもさることながら、攻撃的な言動や、相手を安宿の娼婦かなにかのように扱うその冷徹さ――あらゆるものを鑑みて、真央は羨望を感じずには居られない。
(母さまは……いつも、こんな……)
 ごくりと、唾を飲んでしまう。実際に自分の身に降りかかるや、必死に静止を懇願してしまっているというのに。
 こうしてケダモノのように犯されながら、幾度となく「こんなに激しいのなんて受け止めきれない」と思わされたというのに。
 それでもやはり羨ましいと感じてしまう。
(……それに、父さまの、髪……)
 その“変化”に気がついたのはいつからだっただろうか。最初は間違いなく白髪だったそれが、気づいたときには普段通りではないにしろ、八割ほどまで黒く染まっているではないか。
 そう、まるで――“男としての自信”の回復を表現するかのように。
「……少し疲れたしな。それじゃあどれくらい反省したのか、“口”で示してみせろ」
 そう言われて、不意に体を解放された。口でしろ、という事なのだという事は、もちろん分かる。
 分かるが。
(…………もし、逆らったら……)
 今度は、一体何をされるのだろうか。そのことを考えると、ゾクゾクが止まらない。
 月彦は、おそらく本当に幻術にかかっている。目の前にいるのが娘ではなく、母真狐だと思い込んでいる。逆らえば、おそらく今まで以上に容赦のない仕置きをされることは間違いない。
 “娘”の時には絶対に味わえないものが味わえるかもしれない――その期待が真央を迷わせる。
「ぁ…………」
 逆らってみたい――そんな誘惑に、真央は尾を震わせながら悶えてしまう。すでに身の丈に合わない陵辱を受け続け、意識を無くしてしまう事も数回。疲労も激しく、このまま同じように抱かれ続けるだけでも再起不能にされてしまうかもしれないのに。
(だって……父さまに、母さまの代わりにされるのなんて……)
 おそらく、この先二度と無いだろう。今決断を下せなかった事を、後日絶対に悔いることはないと断言することはできない。
 だったら――。
「どうした。やっぱり反省したってのは口だけか?」
 ベッドから下りるなり、考え込むように動きを止めてしまっていた真央に、冷徹な言葉が降りかかる。
「く――」
 迷う。本当に肉欲に身をゆだねてしまってよいものかどうか。
「口でするなんて……絶対、イヤ」
 ぴくりと、月彦が――なんとも嬉しそうに――口元をゆがめるのが、真央にも分かった。
 数時間にも及ぶ陵辱の中で、一つだけ学んだ事もある。それは無理に母の口調を真似なくとも、幻術の支配下にある月彦には勝手に母の口調のそれに変わって伝わっているらしいという事だ。
「…………やれやれ。本当にどうしようもないくらい性悪狐なんだな、お前は」
 月彦の手が伸びてくる。髪を掴まれ、剛直の方へと引き寄せられる。が、真央はあえて抵抗し――当然髪を引かれて痛いのだが――口戯を拒むようにイヤイヤをした。
 もちろん、そうした方が“目の前の牡”がますます興奮し、股間を憤らせると知った上で、だ。
「咥えろ、と言ってるんだ」
「あがっ……ごっ………………ごふぉっ……!!」
 頬を掴まれ、無理矢理口をこじ開けられ、剛直をねじ込まれる。
「んんんんっ!! んふぉ………………ング……んふぉ……!」
 そのまま、強引に頭を前後させられる。ここまで来れば、剛直に吸い付いたり、なめ回したりしても月彦の不興を買うことはないと、真央も学んでいる。むしろ進んで剛直にしゃぶりつき、舌を絡めた。
「淫乱狐が」
 心底蔑むようなその声に、真央は背筋の震えが止まらない。何度も喉奧を突かれて苦しくて堪らなかったが、そんなことなど全く気にならないほど真央は興奮していた。
「ンプ……ンプ……んんっ…………んんっ!!」
 気を抜くと、うっとりとした目で見上げてしまいそうになる。――が、あえて真央はせいっぱい月彦を睨み付ける。言わずもがな、その方が月彦の興奮が増すと知っているからだ。
「……おい、真狐。今度はどこに欲しい?」
 最初は、顔にかけられた。その次は飲まされた。その次と次はもうどうされたのか覚えていない。
 真央は剛直を口から抜こうとするように激しくかぶりを振った。
 “それ”で月彦の腹が決まると知っているからだ。
「分かった、飲ませて欲しいんだな?」
 月彦に頭を押さえつけられ、剛直をねじ込まれる。
「ンング…………!!!」
 ごびゅっ……!
 喉の奥で、どろりとしたものが溢れるのを感じる。
「ンゴッ……ンググッ……グゴッ……!」
 剛直がいつまで立っても抜かれないから、真央はそれらを巧く飲み込む事が出来ず、地獄のような苦しみを味わう。
「ングッ……ケハッ…………カハッ……カハッ……!」
 ようやくにして剛直が引き抜かれ、真央は激しくむせた。ゲル状の精液が鼻から垂れてきて、さらにむせると父親のあざ笑う声が聞こえた。
「……どうだ、これで懲りたか?」
 真央は噎せながら、呼吸を整えながら、キッ、と。可能な限り攻撃的な視線を月彦の方へ向ける。
「そうか」
 月彦はただ一言。実に愉快そうに言ってベッドから立ち上がると、真央の手を引き部屋の隅に立たせた。
「壁に手をついて尻をこっちに向けろ」
 真央の行動は遅れた。意図的に逆らったのではない。先ほどまでさんざんに注ぎ込まれた精液が、立ち上がった事で一気に溢れ、太ももを伝うのに気を取られてしまったのだった。
「早くしろ」
 ぺしんと、強めに尻を叩かれる。普段のプレイの中でも、こうして尻を叩かれる事は少なくないのだが、いつも音だけは派手だが痛みは少ない叩き方だった。しかし、今は叩かれる度に鋭い痛みが走り、真央は慌てて言われた通りに月彦の方に尻を向ける。
「尻はもっと高く、だ」
 尾を掴まれぐいと尻を上げさせられる。反射的に真央はつま先立ちになり――そこを、息が詰まるほどの巨根で突き上げられる。
「かはっ……んっ……ああぁあっ!!」
 背後からの凄まじい圧力に、真央は壁で胸を押しつぶされながらも、必死に体を支えねばならなかった。
「あぁぁあっ! ぁああっ! あぁぁ!」
 疲労困憊。もうろくに足にも力が入らない。ましてや、このようにつま先立ちのまま突かれるなど耐えられるはずが無い。
 現に両足は生まれたての子鹿のそれのようにがくがくと震え、真央は何度も耐えられずに崩れ落ちそうになる。
 が、そのたびに
「ちゃんと尻を上げてろ」
 ぺしんと、尻を叩かれ、真央は慌ててつま先立ちになる。
「そん、なぁ……父さま、も……無理……」
「無理? そうか。無理ならしょうがないな」
 突然全く予想外の返事が帰ってきて、真央はかえって混乱した。否、困惑というべきか。――同時に、期待もした。
 何故なら、父親が突然このような甘いことを言う時は――。
「……じゃあ、今度はこっちに入れるか」
「っっ……やっ、父さま……そっちは――………………あぁぁぁぁッ!!!」
 全く予期していなかった場所に挿入され、真央は悲鳴を――演技ではなく――上げた。
「……やれやれ、さっきからどうも逆らうと思ったら、大事なことを忘れてた。淫乱狐サマは全部の穴に精液を注ぎ込まれないと満足出来ないんだっけか」
 嘲笑混じりに言いながら、月彦は真央の腰を掴み、まるで自分の体の一部でも使っているかのように全く遠慮の無い動きで陵辱を続ける。
「だ、だめぇぇ……父さまぁ……そ、そこは……違う、のぉ…………やっ、恥ず、かしい………………」
 そちらに挿れられるのは初めてではない。が、久しく無かったのも事実。“久しぶり”の挿入に、真央は演技ではなく心底羞恥を感じる。
 そしてその“本気で”という部分は、どうやら月彦にも伝わるらしかった。
「どうした。好き勝手に男をくわえ込むクセに、“こっち”を犯られるのは恥ずかしいのか?」
 ほら、顔を見せてみろ――顎を掴まれ、真央は無理矢理に振り向かされる。月彦の目には、母真狐が尻穴を犯されて羞恥に悶えている顔に見えているのだろう。
 その証拠に、ググンと剛直の太さが1,2倍ほどにもふくれあがるのを、真央は感じた。
「ひっ……ぎ…………だ、だめ……父さま……こ、こんなの……裂け、ちゃう…………」
「ん? まぁ大丈夫だろ。 なんたってド淫乱のマゾ狐だからな」
 本気でそう思っているのか、月彦の動きには全く遠慮というものがなかった。
「あぁぁァっ……あぁぁァァッ!! ふと、いぃぃ…………父さまの、太すぎぃぃ…………あぁぁぁぁ………」
 ほら、やっぱり平気だろ?――そんなあざけるような声が、耳元で聞こえた。
「ほら、もっと聞かせろよ。淫乱狐サマが恥ずかしい尻穴ほじくられて、イヤなのに出ちまう声をな」
「あんっ! やっ、は、早っ……あぁん! あっ、あんっ! あんっ! あぁんっ! あぁぁん! あんっ! あっ、あっ、あっ!! ふぁぁっ……」
 突如口に指を差し込まれて、真央は危うく噛みそうになる。人差し指と、中指。それらが真央の舌を嬲るようにうごめき、真央もまた月彦の指をしゃぶるように舌を絡める。
(あぁぁ……父さまぁ……父さまぁ……!)
 普段より遙かに激しいエッチではあるが、たった一つだけ、真央には不満な事があった。それは月彦が全くキスをしてくれない事だった。
 もちろん月彦は母真狐としているつもりなのであるから、それは仕方ないとも思う。第一、キスが混じってしまっては“この流れ”が壊れてしまうようにも思える。
 故に、真央は口の中に差し込まれた指を夢中になってしゃぶった。キスとはまるで違うが、口の中に対する愛撫に飢えていたというのもある。
「……真狐、そろそろだ。たっぷりナカに出してやる」
 しかし、真央にとって至福の指舐めも、月彦の言葉で唐突に中断させられる。唾液まみれの指で腰を掴まれ、激しく突き上げられる。
「あヒィィ!!! あぁぁぁあっ!! あぁんっ! あぁぁぁっ!!!」
 尻穴を犯される恥辱というものは、とうに麻痺していた。あるのはただ、大好きな父親に抱かれているという快楽のみ。
「あぁぁあっ……ぁぁあっ! 父さまっ……父さまぁっ…………お、おしりっで……お尻でッ……イくっ……イッちゃう……イクゥ!!!!!」
 達すると同時に、真央は再びつま先立ちになり――剛直からはき出される精を受け止める。
「あぁぁぁぁぁ……………………………………!!」
 ビクビクと痙攣する体を抱きしめられながら、真央は急速に意識が遠のいていくのを感じた。

 
 


 月彦は、熟睡していた。
 明け方近くまでやりたい放題――それも憎い敵相手に、一方的とも言える陵辱劇を繰り広げ、これ以上無いという程の満足感と共に眠りについた。
 が、月彦は魘されていた。
「うううぅ……ん………………」
 よほど怖いものにでも追われているのか、もがくように手足を動かし、さらに呼吸も荒く、顔には脂汗すら滲んでいた。
「うわっ、あぁぁあ! ね、姉ちゃん、ごめん! もうしな――っ……!?」
 そして、とうとう自らのわめき声で目を覚まし、跳ねるような勢いで上体を起こした。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……ゆ、夢……夢か?」
 一体どこからが夢だ?――かぶりを振って、辺りを見回す。まだ薄暗い室内。カーテンの隙間からはほのかな陽光。ベッドの中に感じる、自分以外の体温。
 ああそうだ、夕べは“あの女”と――。
「って、真央!?」
「んっ……父さま……?」
 てっきり、“母親の方”だと思ったぬくもりは真央のものだった。これまた何とも気怠そうで眠たげな――それでいて満足げな目をしょぼしょぼさせながら、上体をわずかに起こしては再度、月彦の方にすり寄るように傾けてくる。
「あ、れ……真央? あれ……」
 月彦は、混乱した。記憶が正しければ、昨夜は真央ではなく真狐とシたはずなのだ。しかし、目の前の真央はどう見ても「たっぷりシて大満足」という様子なのだ。
「お、おい……真央! 何があったのか教えてくれ!」
 ………………。
 …………。
 ……。


 ……。
 …………。
 ………………。
「………………。」
 そして聞かされるや否や、月彦は両手で顔を覆い、まるで強姦された直後の元処女のように身を縮めて、さめざめと泣いた。
「ご、ごめんなさい……父さま」
 真央の謝罪の声も右から左。月彦は悲しいやら恥ずかしいやらで真央とろくに顔を合わせる事も出来なかった。
(…………変だとは思ったんだ)
 らしくないと言うべきか。姿形こそ真狐のそれに見えるものの、およそ“手強さ”というものを感じない。すべての物事が自分の思い通りに運んでしまう。やった、ついに自分は“あの女”をやり込めてやったのだ、と――達成感を得られたのもつかの間。……そう、本当につかの間だった。
(俺は……本当は真央だとも気づかずに、いい気になって真狐を嬲っているつもりになっていたのか)
 恥ずかしい、死にたい――側に真央が居なかったら、さめざめとではなく大声で泣きたい気分だった。
「で、でもね? 昨日の父さまスゴかったよ?」
 おそらくはフォローのつもりなのだろうが、真央にそうやって慰められれば慰められるほどに、月彦はことさら情けない気持ちにさせられるのだった。
「…………真央、一つ聞いてもいいか?」
 こくりと、真央はうなずく。
「俺はどうして、真央を真狐だと勘違いしたんだ?」
「そ、それは……」
 真央は口ごもる。が、ごまかしようがないと思ったのか、正直に答えた。
「げん……じゅつ?」
「……珠裡ちゃんに効いたから、ひょっとしたら父さまにも効くかなぁ、って……」
 ばつが悪そうに語尾が聞き取りにくくなるのは、真央もまた罪悪感を感じているからなのだろう。
「真央」
 月彦は、真央の肩をしっかりと掴み、その両目を見据えた。
「二度とするな」
「で、でも……」
「でもじゃない。二度とするな」
 お前には見えないのか、俺の心が流している血の涙が!――まるでそう言外に含めるかのように、月彦は真剣に窘める。
「自分の身を守るためならいい。だが! 二度と俺には使うな!」
「う、うん……父さまが、そう言うなら……」
「いいか、真央。絶対だぞ! 絶対だからな! 金輪際真狐のフリなんかするな!」
 真央は渋々頷くが、あまり納得はしていないらしかった。きっと心の奥底では「どうしてダメなの?」という疑問を抱えている事だろう。
(どうしても、だ)
 単純に、娘に手玉にとられたようで悔しいという気持ちも無くは無い。同時にこれ以上あの女に舐められ、あざけられるネタを増やしたくない。たとえ自分の意思でやったのではないにしても、真央に真狐のフリをさせてヤッている等とあの女に知られたらどうなることか。
『なぁーに? あんた、あたしに敵わないからって、真央にあたしのフリさせて憂さ晴らししてるの?』
 そう言ってあざ笑う姿まで瞼の裏に浮かぶようだった。
(……しかし、真央が自衛の術を覚えたのは喜ばしい事だが……同時に懸念も増えたな)
 一応この場では身を守る時以外は使うなと窘めはしたものの、真央がその気になればまた騙されてしまうかもしれないのだ。
(……ん、待てよ?)
 不意に脳裏に閃くものを感じて、月彦ははたと、真央に視線を落とす。
「父さま?」
「真央、一つ聞くが……その幻術ってので、たとえば姉ちゃんに――」
 ゾッと。月彦は己の思いつきを口にしかけた瞬間、凄まじい寒気を感じて慌てて口を閉じた。
「姉さまに……?」
「い、いや……何でも無い。忘れてくれ」
 危うかった。一体自分は何を口走ろうとしたのか。昨日の事がショックで何か思考の箍が緩んでいるとしか思えなかった。
「あっ、そーだ!」
 真央が突然素っ頓狂な声を上げ、マクラの下へと手を伸ばす。
「なんだ……写真…………って、姉ちゃんの写真!?」
「昨日義母さまに借りて、マクラの下に入れたまま忘れちゃってたの」
「な、なんで姉ちゃんの写真を……俺のマクラなんかの下に……」
 そんな恐れ多いものを下に敷いて寝ていたのかと、月彦は背筋が凍る思いだった。
(そりゃあ、悪夢も見るわけだ)
 二連続で霧亜の夢を見せられたのも或いは偶然ではなかったのかもしれない。無論月彦は、真央があえて霧亜の夢を見る用、写真に簡単な夢見の術式まで仕掛けていたことは知らなかった。
「…………義母さまがね、姉さまが居たら、父さまにずる休みなんかぜったいにさせないのにーって言ってたの。だから……」
「……確かに、姉ちゃんがいたら……」
 大嫌いな女に犯されたショックで一週間近くも寝込むなどという“贅沢”は許されなかっただろう。

 どうやら、病み上がりの身での対真狐戦(本当は真央だが)はそれなりに体に負担がかかったらしい。目ははっきりと覚めているのに、いざベッドから出ようとすると体が重くて仕方なかった。一方真央の方も「いつもよりスゴかった」というだけあって、やはり本調子ではないのか、或いは単純に久しぶりにイチャイチャしたいだけなのか、月彦に倣ってベッドから出ようとはしなかった。
 結局二人そろってベッドを出たのは昼前であり、そこからこれまた一緒にシャワーを浴びた。脱衣所で鏡を見て、月彦はそこで初めて真っ白になっていた自分の髪が8割方黒く戻っている事を知った。
 そう、さながら――男としての自信を(ちょっとだけ)取り戻したことの証左であるかのように。
(………………でも、人間の髪ってそういう仕組みなんだっけか)
 何か引っかかるものは感じたが、月彦は気にしないことにした。シャワーを終えると、丁度葛葉が買い物か何かから返ってきたらしく、玄関ドアの閉まる音が聞こえた。
「あら、丁度良かったわ。真央ちゃん、お昼ご飯の準備手伝ってくれるかしら?」
 脱衣所から出るなり、真央が葛葉に呼ばれ台所へと向かう。月彦も何か手伝おうと真央の後を追うと――
「ああ、そうそう。そういえば月彦、あなたに電話があったわよ」
「俺に電話?」
「“雛森先生”から。4回くらいはかかってきたかしら」
 げぇ!――月彦は思わず叫んでしまうところだった。
「随分学校休んでるみたいですけど、大丈夫ですか?って」
「…………部活の顧問の先生なんだ。……心配性な人なんだ」
 確かに一週間も休めば気を揉みもするかもしれない。だからといって家に電話までしなくても――と、月彦はなにやら見えない重圧のようなものを感じて、一気に全身が疲れるのを感じた。
「具合が良くなったらでいいから、一度連絡してほしいって言ってたわよ」
 と、葛葉が携帯の番号が書かれたメモ用紙を差し出してくる。月彦は渋々それを受け取り、ちらりと葛葉の背後でいそいそと昼食の用意をしている真央を盗み見てから、玄関と台所とを結ぶ廊下の脇に設置されている電話機へと向かった。
(……電話なんて……どうせ月曜になったら顔を合わせるんだから無駄だと思うんだけどな)
 しかしここで電話をするという事を怠れば、どうヘソを曲げられるともしれない。否、すでに曲げている可能性もある。そうなった場合のめんどくささは今電話をすることの非では無いという思いから、月彦はため息混じりにメモ用紙に書かれた番号をプッシュする。
(番号書いたメモなら前にもらったのに、わざわざ母さんに控えさせるなんて……こりゃあ覚悟しといた方が良さそうだ)
 雪乃のおかんむり具合を想像しながら、月彦は受話器を耳に当てる。呼び出し音が一回、二回目の途中で『もしもし?』となんとも眠たそうな声が聞こえた。
「あ、もしもし? 俺です」
『えっ、こ……紺崎クン!?』
 驚いたような大声が響き、月彦は反射的に背後を振り返りながら受話器を押さえつけた。
(ん?)
 そして、同時に気づいた。受話器から聞こえてきた声が、予想していた人物のそれとは似て非なる事に。
 そう、この声は雛森は雛森でも――。
「あれ……もしかして…………矢紗美さん、ですか?」


 


 

 



 
 


 

 

 

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