料亭内での後かたづけと残務処理を他のスタッフに任せ、真田白耀は一足先に“自宅”へと移った。本来ならば、その後ろにはまるで影のように追従する従者の姿がある筈なのだが、少し前から諸事情により“通い”となっている為、白耀は一人、シンと静まりかえった邸宅内を歩いていく。
「…………。」
 奇妙な胸のざわつきを覚えるのは、今夜に限った事ではなかった。特に、長年連れ添った従者――菖蒲と離れる際に、それを特に強く感じた。“通い”となり、料亭での業務が終わるたびに――菖蒲が屋敷を去る度にそれを強く感じた。
 引き留めなければ――何度そう思っただろうか。しかしその都度、白耀は首を強く振って己の思いを打ち消した。一つには、自分は菖蒲に甘えすぎていたのではないか――そんな思いもある。が、それよりも、月彦や由梨子らに言われた言葉が楔となって白耀の行動を縛っていた。
 白耀は一人、邸宅内の濡れ縁を進み、不意に足を止める。空を見上げれば、奇しくも満月。胸が妙にザワつくのは、月のせいもあるかもしれない。特に意識もしていないのに三つの尾は昂るように揺れ、その毛先を包み込むように仄かに赤い光が迸る。
(このまま――)
 その身を霧へと変じ、菖蒲の元へと飛んでいこうか――それは実に抗いがたい誘惑だった。胸の内に宿る欲望のままに菖蒲の部屋を訪れ、夜這いをかけてしまえば――そこまで考えて、白耀はやはり首を振って己の想いを否定する。
 互いの仲を進展させるために、距離をとった方が良い――由梨子はそう助言をされた。そしてそれは、ある意味では正しかったのではないかと白耀は思う。こうして離れている間に、菖蒲に対する思いは止めどなく高ぶり、強くなっていくのを感じる。
 それはきっと菖蒲も同じなのだろうが、少なくともそれは態度には表れていない。それどころか、以前よりも若干素っ気なくなったようにすら感じる。それが尚更白耀にとってはもどかしく、狂おしいまでに菖蒲への想いを高めるのだった。
(……月彦さん、僕はどうすれば…………)
 やはり、ここは強引にでも声をかけ、逢瀬に連れ出すべきなのだろうか。それとも黙って機が熟すのを待つべきなのか。何とも決断しかねて、幾度月彦に助言を求めようと思っただろう。
「菖蒲……」
 重い塊でもはき出すように呟き、白耀はそっと縁側へと腰掛ける。“前”はそれこそ、菖蒲が何を求めているのか、心を見透かすように理解する事が出来た。しかし、それを受け止めることが出来なかった。
 今だから思える。それはただの“甘え”だったのだ。例えあの邪悪極まりない母親から受けたトラウマのせいであったとしても、それを克服してみせることが菖蒲の想いに対するなによりの答えではないのか。
 ただ、気づくのが遅すぎた――そう白耀は痛感していた。幸いにして、努力の甲斐もあって女性恐怖症は改善されつつある。しかし、まるでそれと反比例するように菖蒲の心が見えなくなった。
 故に、白耀は迷う。ひょっとしたら、自分は間違った道を進んでいるのではないかと。
「菖蒲……君の心が……知りたい」
 ため息混じりに呟いて、白耀はふと空を見上げる。煌々と夜空を照らす月の光が、一瞬翳ったのはその時だった。
「…………!」
 反射的に、白耀は立ち上がっていた。見間違いなどでは無かった。月が確かに、一瞬黒く翳った。それと同時に感じた、違和感。
「結界――大規模幻術……!? 一体誰が――」
 そこまで呟いた瞬間、白耀は全身が不可視の波動を受けるのを感じた。その“波”は白耀の全身を貫き、しかし髪の毛一本揺らす事はなく、彼方へと遠ざかっていった。
「…………。」
 次の瞬間には、白耀は何故庭先で自分が立ちつくしているのか解らなくなっていた。はてなと首をかしげていると――。
「……白耀さん?」
 背後から声をかけられた。振り返ると、濡れ縁の端、屋敷の奥へと続く曲がり角の辺りからこちらを見る長襦袢姿の由梨子の姿が見えた。
「やあ、由梨子さん。どうかしましたか?」
「いえ、その……あれ……?」
 問われて、由梨子はなにやら首をかしげ困惑していた。声をかけたのはいいものの、何を聞こうとしたのかを忘れてしまった――そんな様子に見えた。
「すみません、何かを尋ねようと思ったんですけど……」
「僕もそういう事はよくあります。気になさらないでください」
 それよりも、と。白耀は由梨子の姿に注視する。
「由梨子さん、明日は学校なのではないですか? 今日はもうお風呂に入って休まれた方が良いですよ」
「はい……ありがとうございます。でも、もう少しお手伝いをさせてください」
 由梨子は困ったように笑い、「失礼します」と丁寧に頭を下げてから廊下の奥へと姿を消した。恐らくは料亭の方の後かたづけを手伝いにいったのだろうと、白耀は推測した。
 正直、困った――と、白耀は思っていた。“諸事情”により一時的に由梨子を引き取るような形になってしまったわけだが、白耀としては別段その対価を由梨子に求めるつもりはなかったからだ。
 しかし、由梨子の方はそれでは気が済まないらしく、せめて空いている時間に料亭の手伝いや屋敷の掃除をさせて欲しいと言い出して譲らなかった。客人のつもりで迎えた由梨子にそのような事をさせるのは心苦しかったが、最終的にそうする事で由梨子が気兼ねなく過ごせるようになるのならと――無論、由梨子にとって重荷にならない範囲での手伝いを――了承したのだった。
(由梨子さんが側に居てくれるだけで、僕は救われているのですが……)
 菖蒲の事で荒みがちだった心が、由梨子が側に居ることで少しずつではあるものの、安らぐのを感じる。或いは、菖蒲という唯一無二の半身を得る前であったならば、由梨子に対して友情を超えた想いを抱いたかもしれないと、白耀はそんな事を思う。
「……はて」
 由梨子の姿が消え、白耀は再び視線を庭に、そして空の月へと戻す。先ほどの由梨子ではないが、何か大事な事を忘れてしまったような気がするが――しかしそれが何なのか、どうしても思い出す事が出来なかった。

 

 

 

 

『キツネツキ』

第四十三話

 

 

 

 

 


 奇しくも――というべきか。それは丁度、雪乃が“ノン”と出会ったのとほぼ同時刻の事だった。

 “その声”はとてもか細く、風の音にすら紛れるほどだった。最初は気のせいかと思い、やがてそうではないと確信し、真央は両掌を頭の後ろに立てて――さながら、“本来の耳”の代わりにするように――その声の元を辿った。
 夕暮れ時。たった一人の帰り道。本来ならば途中までは親友の由梨子と共に帰るのが日課なのだが、今日はそうではなかった。というのも、少し前から週に二日ほど、由梨子が“アルバイト”を理由に一人で帰るようになったからだ。
 何故急にアルバイトを始めたのか、由梨子は詳しくは語らなかったし、真央も聞かなかった。同じ時期から由梨子の家に遊びに行く機会も無くなり、変だなとは思いつつも、やはりそれほどには気にしなかった。
 とはいえ、一人きりの家路はやはり寂しい。だからこそ――というのもあった。仮にこれが由梨子と二人談笑をしながらの下校であれば、間違いなく“声”には気がつかなかっただろう。
「誰なの……? どこにいるの?」
 片側一車線の車道とガードレールで分けられた歩道のただ中で、真央は耳をそばだたせ、真剣に周囲を探った。ひとえに、声の主が“助け”を欲していたからだった。
 声は相変わらずか細い。ましてや真央の問いかけに応えたりもしない。それでも、微かに、微かに聞こえてくる声を頼りに、真央は入念に辺りに視線を走らせる。
 自然と、中腰になる。“声”はどうやら低い場所から聞こえてくるらしい。さらに腰を落とす。殆ど四つんばいに近い形になりながら、真央はまるで飼い主の匂いを辿る犬のように声の主を捜す。
 そうしてたどり着いたのは、最初に声を聞いた場所から五十メートルほど離れた空き地だった。住宅街の中、ぽっかりと家一件分のスペースが空いているその場所は“売り地”と書かれた看板とそれを囲む雑草の王国だった。
 空き地の入り口は有刺鉄線が張り巡らされ、容易には立ち入ることが出来なかった。真央はなんとか鉄線と鉄線の隙間から体を入れ――その際、制服にひっかき傷を作ってしまったが、それほど気にもとめなかった――辛くも中へと入る。僅かずつではあるが、“声”はハッキリと聞こえ始めていた。真央は慎重に歩を進め、草むらの中、捨てられた雑誌が丁度家の屋根のように被さっているその下で、“声の主”を見つけた。
「……小人だ」



 自分の掌ほどの大きさもない、その小さな体躯を目の当たりにした瞬間、真央がひやりと心臓を跳ねさせたのには理由があった。が、次の瞬間にはそれは深い安堵に変わった。真央の危惧とは裏腹に、眼前に横たわっている小人の姿は霧散したりはせず、確固たるものとして存在し続けていたからだ。
 大きさは10〜13センチといった所だろうか。体の割には頭が大きく、髪は緑色。肌の色は肌色だが白っぽく、服は何らかの葉と革を加工して作られたものらしく、腰帯つきのワンピースのような、袴のような、どちらとも言い難い姿をしていた。
 顔の輪郭は丸っぽく、性別不明の中性的な顔立ち。ただ鼻だけがつんと高く、一度見たら忘れられないほど特徴的な鼻だった。
(怪我、してる……)
 見れば、小人は左手の辺りに赤いものを滲ませ、目を閉じたままぐったりとしていた。野良猫か、或いはカラスにでも襲われたのだろうか。少なくとも“人間”の手による危害ではない事だけははっきりしていた。
 真央はスカートのポケットからハンカチを取り出すと、そっと小人の体を優しく包み、学生鞄のポケットへと入れた。多少窮屈かもしれないが、これが“本物の小人”であれば、間違っても人の目に晒すわけにはいかない。
「少しだけ我慢しててね。すぐに安全な所に連れて行ってあげるから」
 真央は再び有刺鉄線をかいくぐり、小走りに自宅へと急いだ。

 家に帰るなり、真央は真っ先に自室へと急いだ。一番の懸念は、既に父親が帰宅して部屋に居る事だったが、幸いにも室内には人影はなかった。
 真央は鞄のポケットからハンカチの包みを取り出し、机の上に広げる。
「もう大丈夫だよ。今から手当してあげるからね」
 語りかけるも、小人は意識を失っているのか、返事を返してこなかった。真央はやむなく“薬箱”から傷薬の入った小壺を取り出して、小人の左腕の傷に優しく塗った。
「痛かった? ごめんね」
 小人が悲鳴を漏らし、身じろぎするがひるんでなどいられない。傷薬には消毒効果のある薬草も混じっている、兎にも角にもしっかりと塗り込み、そして細かくちぎった包帯でしっかりと患部を巻き、最後に三角巾で首から吊すようにして固定する。
『ううぅ……』
 どうやら“治療”による激痛によって意識が戻ったのか、ぐったりとしていた小人は次第に瞼を開き、その大きな目を泳がせ始める。
 そして、真央と目が合うなり――
『に、人間!?』
 大あわてで飛び上がり、机の上の参考書の棚の裏へと隠れてしまった。
「あ、大丈夫だよ、小人さん。ほら」
 真央は可能な限り優しい声で促しながら、“耳”を出し、見せつけるように参考書の陰を覗き込む。
『……シュマリ?』
 そっと、参考書の陰からエメラルドのような目をした小人が顔を覗かせ、恐る恐る真央の前へと姿を見せる。
『もしや、貴方がワタシを助けてくれたのですか?』
 小人の声は少し訛りがあるものの、小さな鈴の音のように澄んでいた。
「うん。腕の怪我は薬を塗っておいたけど、他には痛む所とかはない?」
 小人はしばし体をひねったり、飛び跳ねてみたりして確認し、『大丈夫のようです』と返してきた。
『……どうやら、貴方はワタシの命の恩人のようです。危ないところを助けて頂き、まことにありがとうございました』
 小人は膝をつき、深々と頭を下げてくる。真央はなんだか照れくさくなって、顔を赤らめながら「気にしないで」と返した。
『ワタシはエトゥと申します。人間やあなた方が小人――或いはコロポックルと呼ぶ種族の末裔です』
「私は妖狐と人間のハーフの真央だよ。はじめまして、エトゥさん」
 コロポックル――その存在は聞いたことはあるものの、実際に目にするのは真央も初めてだった。自然と、興味深い目で観察をしてしまう。
『初めまして、シュマリのマオ。重ね重ねお礼を言わせてもらいます。貴方に助けて頂かなければ、ワタシはきっと動物に襲われて死ぬか、人に見られて死んでいた事でしょう』
「……やっぱり、“人に見られたら死んじゃう”って、本当なの?」
 はい――エトゥは苦いものでも噛むような声で、小さく頷いた。
『我々の事を良くご存じなのですね』
「前にね、母さまに教えてもらったの。……ホントはね、私も半分人間だから、見ちゃった時少し怖かったんだけど……」
『“人間に見られたら死ぬ”というのは、大昔に我々の祖先が神々と交わした契約の代償なのです。我々の里“ポンコタン”を人の目から隠し、絶対安全なものにする代わりに、ポンコタンから出る者にはそういう呪いがかかるようになってしまったのです。……神々の“基準”はワタシには解りませんが、少なくともマオは人間ではないと判断されたのでしょうね』
 二重の意味で命拾いをしました、と。エトゥは苦笑してみせる。
「じゃあ、エトゥさんの“ぽんこたん”がこの近くにあるの?」
『いえ、ワタシの里はもっと遠い……遙か北方にあります。ワタシはそこから旅をしてきたのです』
「何のために?」
 子供故の純粋な好奇心から、真央は尋ねた。しかし、エトゥの返事は思いの外遅れた。
『……薬の材料を探す為です』
「何の薬?」
『疫病を治すための薬です。今、ワタシの里ではとても恐ろしい病が蔓延し、里は滅亡の危機に瀕しているのです。里一番の占い師によれば、病を治す薬を作る為にはポンコタンの中だけでは絶対に手に入らない七つの材料を手に入れなければならず、ワタシの役目はそのうちの一つを持ち帰る事なのです』
「その材料って何なの?」
『……それが解らないのです』
 エトゥは沈痛な面持ちで首を横に振る。
『占い師も万能ではありません。辛うじて解っているのは“なぞかけ”のような手がかりと、それが存在するであろう大まかな場所だけなのです。それによれば、この辺りに目的のものは在るはずなのですが……』
「病気に効くお薬なら私も持ってるけど、それじゃあダメなの?」
『恐らく無理でしょう』
 エトゥは再度首を振る。
『この傷薬……匂いで解ります。とても良い傷薬ですが、使われている材料は我々が使っているものと大差無いようです。そのようなもので治る病であれば、ワタシたちが危険を冒してまで外界へと出向く事はありません』
「そうなんだ。お薬ならいっぱいあるけど、役に立たないんじゃしょうがないね」
『心遣いには感謝します。兎にも角にも、先を急ぐ身――ご恩は決して忘れません。それではっ』
 しゅたんっ、とエトゥは机を蹴り、窓枠へと飛び乗るやそのまま外へと飛び出そうとして――
『ぶはっ』
 ごちん、とガラスに頭をぶつけ、そのままフラリと机の上におちかけたところを慌てて真央が掌で受け止めた。
「ちゃんと窓を開けてから出ないと危ないよ」
『か、かたじけない……まさか玻璃がはめ込まれていたとは……不覚……し、しかしこれしきのことで……』
 エトゥは尚も立ち上がり、窓の方へと向かおうとするも、その動きは真央の目から見ても頼りないものだった。両足は生まれたての子鹿のようにガクガクと震え、歩くのも覚束ない。これでは、外に出た所で良くて鳥類のエサか、そうでなくても容易く人間に見つかって“霧散”してしまうのではないか。
「ねえ、エトゥさん。怪我が治るまで少しうちで休んでいったほうがいいよ」
『し、しかし……ワタシは一刻も早く……くっ……』
 強がりながらも、エトゥは膝を笑わせ、真央の掌の上で片膝をついてしまう。
「それに、その材料も詳しくわからないんでしょ? エトゥさんが休んでる間に、私が母さまに聞いてあげるよ! 母さまならどんなお薬の材料でも絶対に解るはずだから!」
『な、なんと……それはまことですか!?』
「うん。だからエトゥさんは安心して怪我を治すといいよ」
『かっ――』
 その瞬間、ぶわっ、と。エトゥのエメラルド色の大きな瞳から涙が溢れた。
『かたじけない……このご恩、いつか必ずお返しします……!』


 ひょんなことからコロポックルのエトゥを飼う事になった真央だが、一つだけ計算外の事があった。
 それは――
『申し訳ないが、マオ。ワタシの事は貴方の胸だけに留めておいて頂けませんか』
「どうして? 父さまは人間だけど、でも見ちゃいけないってちゃんと教えてあげれば、勝手に見たりなんか絶対にしないよ?」
『いいえ、それだけの問題ではないのです、マオは命の恩人ではありますが、それだけで我が里の命運全てを預けるわけにはいきません。貴方がきちんと秘密を守れる方だという事を証明していただけないのであれば、ワタシも貴方を信頼するわけにはいかないのです』
 なるほど、確かにエトゥの言うとおりかもしれないと、真央はエトゥの申し出を不快とも思わず、むしろ納得した。
(……そうだよね、ひょっとしたら、私が“悪者”なのかもしれないし)
 勿論真央自身は、自分にはエトゥらコロポックルをどうにかしてやろうという気など毛頭無い事を知っている。――が、エトゥにはそれが解らない。ひょっとしたら、罠に嵌めるつもりで助けたのでは――と勘ぐる事も出来る。だからこその“秘密”なのだろう。ここで自分が約束を破り、父親にエトゥの事を喋ってしまうような人間(というか、半妖)ならば、信じるに値しないという事だ。
「……解った。じゃあ、父さまにはエトゥさんの事は内緒にするね」
『申し訳ない、マオ。しかし、ワタシは文字通り命がけなのです。里の為にも、この命を容易く散らすわけにはいかないのです』
「大丈夫だよ、ちゃんと解ってるから。…………あっ、でも母さまには言ってもいいでしょ? 母さまは純粋な妖狐だし、それにちゃんと話さないとお薬の事も解らないし」
『そうですね……御母堂に関しては仕方ないと思えます。しかし、それ以外の方には――』
「だいじょーぶ! こう見えても私、口は堅いんだから!」
『信じます、マオ。……おや?』
 ぴくりと、エトゥが反応した物音に、真央もまた鋭く反応した。それは階下の――玄関のドアが開閉する音だった。
「大変! 父さまが帰ってきちゃった!」
『なんと……マオ、ワタシはどうすれば――』
「ええと、えーっと………………と、とりあえずクローゼットの中に隠れてて!」
 真央は掌でそっとエトゥをすくい上げると、クローゼットを開き、その中へとエトゥを入れて扉を閉める。――と同時に、部屋のドアが勢いよく開け放たれた。
「お、おかえり、とうさま」
「おう、ただいま、真央。…………どうしたんだ?」
 顔を併せるなり、月彦はいきなり不審そうに首をかしげてくる。
「えっ、ど……どうもしてないよ?」
「じゃあなんでそんな風にクローゼットの前に張り付いてるんだ?」
 言われて、真央は気がついた。まるで大の字のようにしてクローゼットに背中から張り付いてしまっている自分の状態に。
「あ、うん……そうだね。父さまがいきなりドアを開けるからびっくりしちゃった」
 あははと笑って、真央は油の切れたロボットのようなぎこちない足取りでクローゼットの前から離れ、よっこらしょとベッドの端に腰掛ける。
「ふむ……まぁいいか」
 なにやら意味深な呟きを漏らして、月彦はブレザーを脱ぎ、スパパーンと部屋着へと着替える。それはもう充分“特技”と胸を張って言えるレベルの高速の着替えだった。
「真央は着替えないのか?」
「う、うん…………大丈夫……あっ、宿題しなきゃ」
 間違ってもエトゥの事を気取られるわけにはいかない。自然に、いつも通り自然に振る舞わなければ――そう意識すればするほどに、真央の動きは理想とはかけ離れたものになっていく。
「父さま……机つかってもいい? 宿題しなきゃいけないの」
「今までダメだと言ったことはないと思うんだが……真央、今日は本当にどうしたんだ?」
「べ、別にどうもしてないよ?」
 真央は視線を泳がせながら、大急ぎで机の上に教科書とノートを広げ、ペンを握る。
「急いで宿題しなきゃ。今日はいっぱい宿題が出たから、いそいでやらなきゃ朝までには終わらないの。ああ忙しい、忙しい……」
 背後に経つ月彦の視線をひしひしと感じながら、真央はせかせかとシャープペンを走らせる。
(ダメ、父さまが疑ってる……!)
 後方から向けられる“なんか怪しいぞ?”という父親のオーラをひしひしと背に感じて、真央はあわわあわわになってしまう。
「そ、そーだ! 父さま、さっき義母さまがお夕飯の手伝いしてほしいって言ってたよ! 下に降りてお手伝いしてきたほうがいいんじゃないかな?」
「む……母さんがそんな事を?」
「うん! 今日のお夕飯の準備はものすごく大変だから、絶対手伝って欲しいって言ってたよ! 私は宿題やらないといけないから、父さまお願い、義母さまを手伝ってあげて」
「ふむ」
 月彦は黙り、しばし考えるように顎を撫でた後、部屋を後にし階下へと降りていった。ホッと、真央は安堵の息をついてそっとクローゼットへと忍び寄る。
「エトゥさん、ちゃんと秘密は守ったよ。もう大丈夫だからね」
「エトゥさんって誰だ?」
 っっっひゃあああああ!!!――そんな声にならない声を上げて、真央は文字通り飛び上がった。
「と、父さま、どうして下に行ってないの!?」
「いや、それがな……どうしても“コレ”が気にかかってしまってな」
 と、月彦はハンガーにかけられているブレザーの側へと歩み寄り、若干右に傾いているそれをぴしりと肩の線に沿って修正する。
「よし、ばっちりだ」
 うむり、と月彦は頷き、頷いたくせに数歩後ずさっては意味深にブレザーを眺めたり、腕や指の長さを使って無駄に壁までの距離を測ったりと、一向に部屋から出て行く気配がなかった。
(あぁぁ……父さまが意地悪してる……)
 さすがに真央にもそれは伝わった。恐らく“何らかの理由”で部屋から出て行ってほしがっている事を察知し、それを逆手にとってあえて居座っているのだろう。
 そんな父親の“意地悪”に、真央は不謹慎ながらもゾクゾクを禁じ得ない。
「うーむ、こうやってみるとうちの高校の制服って意外と格好いいな。特にこの肩から袖にかけてのラインが――」
 愚にもつかない事を言って室内に止まり続ける月彦を意識するあまり、真央の手は完全に止まってしまっていた。元より、ありもしない宿題だ。“そんな演技”よりも、父親からのあからさまな意地悪の方に、頭よりも体の方が反応してしまう。
「ところで、真央?」
「ひゃんっ」
 突然、右肩にぽんと手を置かれ、驚きのあまり真央は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「率直に聞くが、何か俺に隠してる事はないか?」
 すすすと、肩に置かれた手がそのまま襟元、首へと這ってくる。
(ぁ、ぁ、ぁ……)
 それだけで、真央は早鐘のように心臓を鳴らしながら、早くも呼吸を乱してしまう。
「な、何もかくしてなんか……ない……よ?」
 すり、すり。まるで捕食者がエモノの活きの良さを確かめるような、そんな手つきで首もとを撫でられ、真央は早くも腰の辺りをモジモジさせてしまう。
「ほんとーーーーに隠し事はしてないな?」
「し、してないぃ……何も隠したりなんか……んひぁっ……」
 ゾゾゾゾゾ――!――質問されながら、耳元に息を吹きかけられ、内耳から生えている白い毛を指先で擽られて、真央はビクンと背を反らす。
(ダメ、ダメ……我慢できなくなっちゃう……!)
 そのまま、指で毛先を擽るように刺激されて、真央はシャープペンを持つ指を引きつらせながらも、辛うじて返事を返す。
「…………そっか。真央がそう言うなら、きっと何もないんだな。悪かったな、変な事を聞いて」
 そして、“耳毛くすぐり”は唐突に終わったかと思えば、月彦はぽむと椅子の背もたれを軽く叩いて笑い、あっけないほどに軽い足取りで部屋から出て行った。今度こそ間違いなく、月彦が階下へと降りたのを“足音”で確認してから、真央は口元に溢れかけた涎を脱ぐい、力の余り入らない足でクローゼットに忍び寄る。
「エトゥさん、エトゥさん、聞こえる? お腹減ったりしてない?」
 真央は小声で語りかける――が、返事がない。もしや、怪我が悪化したのでは――そんな心配から、真央はそっとクローゼットの扉を開けた。
『くかー……すぴー……ぴるぴるー……』
 それは、“緊張”という言葉とはあまりにかけ離れた光景だった。見事な鼻提灯を造りながら寝こけている小人を前に、全身から力が抜ける真央だった。

 


 恐らくは、旅の疲れもあったのだろう。夕飯を終え、風呂に入る月彦を尻目に一人部屋へと戻った真央は、そっとクローゼットの中を覗いたが、エトゥはずっと寝こけたままだった。真央は仕方なく葛葉に使っていない小さな空き箱を貰い、その中にタオルを敷いて簡易ベッドにし、眠っているエトゥをそっと抱き上げてその上へと移した。さらに、何かの拍子で月彦がクローゼットを開けてしまっても、すぐに目に入らないように、下段に入っている衣装ケースとしきりの合間の極めて目につきにくい場所へと箱を移す。
(本当は父さまにも教えてあげたいけど……)
 自分は小人を拾ったのだと、本当なら自慢して回りたいくらいだった。それは、妖狐にとって――否、妖猫や妖狸といった他の種族にとっても――いわば人間でいう“宝くじに当たった”のと同じくらいの幸運の証なのだった。
(あっ、そうだ……いまのうちに母さまに連絡しとかなきゃ!)
 さすがに父親の前で堂々と“ネタバレ”をするわけにはいかない。月彦が風呂に入っている今が唯一無二のチャンスだった。
 真央は大急ぎで“用紙”を机の上に広げ、引き出しから十円玉を取り出して“鳥居”の上へと置いた。
 その時だった。
「いやー、良い風呂だった」
「っっっっ……!?」
 突然部屋のドアが開かれ、真央は大あわてで“用紙”と“十円玉”を引き出しの中に隠す。
「と、父さま……お風呂に入ってたんじゃないの?」
「ん? 入ってたぞ?」
 確かに、月彦は湯上がりそのままといったパジャマ姿だった。
「で、でも……全然足音が聞こえなかったよ?」
「ああ、何故だか不意に足音を消したまま部屋に戻りたくなってな」
 意味深な父親の笑みに、またしても真央は尾の付け根の辺りをゾクリとさせてしまう。
(……やっぱり、父さま疑ってる)
 まさか小人を隠して飼っている――とまでは感づいてはいないだろうが、少なくとも“何か隠し事をしている”という事だけは確信しているらしい。
「じゃ、じゃあ私も足音立てないようにお風呂でも入ってこようかな」
 真央は自分なりに精一杯の“自然”なフリで着替えを手にして部屋から出て行こうとして――月彦がクローゼットに近寄ろうとするのを横目で見て慌てて踵を返した。
「と、父さま! 何する気なの!?」
「何って……折角だからクローゼットの中の整理でもやろうかと思ってな」
 一体何が“折角だから”なのか。ツッコミどころ満載の父親の言い分に、またしても真央はゾクゾクしてしまう。
「お風呂上がりにそんな事やったらほこりまみれになっちゃうよ、父さま」
「む、それもそうか」
 真央の言い分ももっともだと思ったのか、月彦はクローゼットの取っ手にかけていた指を離す。
「…………まあでも、その時はもう一度シャワーでも浴びればいいか」
 そして、手を離した瞬間――まるで安堵した真央をあざ笑うようなタイミングで――再度取っ手に手をかける。
「だ、だめ! 父さま!」
 真央は慌てて月彦とクローゼットの間へと体を滑り込ませる。
「……何がダメなんだ?」
「ええと……と、とにかくダメなの……絶対に開けないで、父さま」
「理由も言わずに開けないでと言われてもな。……何だ、中に真狐でも隠れてるのか?」
 ふるふると、真央は首を横に振る。
「……ふむ」
 月彦は一歩下がり、なにやら考えるように腕を組み、指先で顎を触る。
「解った、真央がそこまで言うのなら、無理に開けたりはしない」
「ホント!? 父さま、ありがとう!」
 父親の言葉を、真央は素直に喜んだ。――が、それもつかの間だった。
「代わりに、クローゼットの中に何があるのか、真央自身に教えてもらう事にするか」
「えっ……」
 気がついた時には、月彦に腕を掴まれ、そのままベッドの中へと引き込まれていた。


「だ、ダメだよぉ……父さまぁ……まだ、お風呂にも入ってないのにぃ……」
 背後から抱きすくめるようにして、部屋着のパーカーの上からむっぎゅむぎゅと胸を捏ねられながら、真央はおざなりな抵抗を続ける。
「ん……珍しいな。今日はブラつけてるのか?」
「う、うん……だって……」
 真央自身、そこでハッと自分の行動の意味を知った。普段ならばいつ月彦に襲われてもいいように、家に居る間はブラをつけないのが通例だ。制服から着替える際にそうしなかったのは、無意識のうちに“来客”の事を考えてしまったからだ。
「…………何か変だな。ひょっとして真狐が化けてるんじゃないのか?」
「ち、違う……私は……んぁぁっ……!」
 もぞもぞと月彦の手がパーカーの内側へと入ってきて、あっさりとブラのホックを外し、カップを上へと押し上げてしまう。そのままむっぎゅ、むっぎゅと捏ねられ、真央はそれだけで息を乱し肌を上気させる。
「確かに、“この感じ”は真央だな。……いや、まだ解らないか」
 月彦の手が、まるで品定めでもするように真央の体をはい回る。腕を撫で首を撫で頬を撫で、部屋着のミニスカートの上から腰を撫で尻を撫で、太股を直に撫で――
「ふぁぁ……!」
 ゾゾゾゾゾッ――!
 焦らすような父親の愛撫に、真央はシッポの毛を逆立てながら甘い声を漏らしてしまう。
(っ……だ、め……エトゥさんに、聞こえちゃう……!)
 そして、すぐに右手で口を覆った――それを、月彦が見逃さない。
「……真央、どうした。何で声を我慢する?」
「べ、別に……我慢、してなんか……あぁぁぁ!」
 囁き、そしてそのまま耳の白い毛を舌先で擽るように舐められる。“囁き”の際には高確率でそれがセットでくると解っていても、真央は背を反らさずにはいられない。
「やっぱり何か隠してるな。ほら、真央……言え」
「ぁっ、ぁっ……な、何も、かくして、無っ……ぁぁぁああぁぁ!」
 むっぎゅ、むっぎゅ――背後からこれでもかと双乳を捏ねられながら、ちろちろと耳の中を擽るように舐められ、真央は容易くイかされそうになって――寸止めされる。
「ぁっ……ぁっ…………」
 ビクッ、ビクッ――不自然な愛撫の停止に、体が小刻みに痙攣し、身が燃えるような“焦れ”に真央は襲われる。
「うっ、ぁ……やっ、とう、さまぁ……ンンッ……!」
 顎を掴まれ、後ろを向かされての、キス。ぐじゅり、ぐじゅりと互いの唾液を交換するような濃密なキスを交わしながらも、さらに両乳が捏ねられ続け、真央は次第に思考力を無くしていく。
「……どうだ、白状する気になったか?」
 んはぁと唇を離すなり、髪を撫でられながら尋ねられ、ぽぅ、と惚けたまま真央はうっかり“白状”してしまいそうになった。
(だ、ダメ……エトゥさんと、約束、したんだから……)
 すんでのところでハッと正気を取り戻し、真央は無言で首を横に振る。
「……強情だな。……嫌いじゃないぞ、真央?」
 娘の態度に、月彦は気分を害するどころかむしろ喜んでいるかのように微笑み、そのまま力任せに真央の体を押し倒してくる。
「ぁっ、やっ……」
 ぐいと。ミニスカートの下に入り込んできた手が、強引に下着を脱がしにかかる。
「だ、だめぇ……父さま、お願い……止めて……」
 下着を脱がそうとする手を、真央は半ば本気で掴み、妨害しようとした。しかし、真央の妨害むなしく下着はあっさりと脱がされ、強引に足を開かされる。
(あぁぁ……私、父さまに襲われてる……!)
 “本気”で抵抗したのも、今日の月彦であればきっとそれすらもものともせずに脱がしてくれると確信したからだった。「脱げ」と命令されて脱ぐのも、拒絶している所を無理矢理脱がされるのもどちらも好きな真央としては、“本気で抵抗しても、敵わない”という事自体が興奮度を増す重要なファクターの一つだった。
 無論、それは相手が月彦の時に限るのだが。
(あぁぁ……父さま、父さま、父さまっ……!)
 そして、押し倒されて――こうして下から月彦を見上げているだけで、真央はドキドキが止まらなくなってしまう。今日は一体何をされるのだろう、何をされてしまうのだろう、際限なく妄想が膨らみ、止まらない。
「ぁっ、や…………とう、さまぁ…………はや、く…………ンッ……」
「……何が“早く”なんだ。真央?」
 月彦の言う通りだった。強引にベッドに連れ込まれ、下着を脱がされ襲われている筈なのに、自分を見下ろす父親の姿に興奮を抑えきれなくなり、真央は自ら求めるような言葉を口にしてしまっていた。
 そんな真央を見下ろしながら、月彦が脱衣を始める。スパパーンと残像しか見えないような神速の脱衣が終わるや、ぐいと。慣れ親しんだ感触が秘裂の辺りへと押し当てられる。
「ンぁぁああっ! やっ……とう、さま……いきなり、ァはぁぁッ!」
 先端が触れた――と“思った”時には、既に最奥まで貫かれていた。突然の事に、真央は大きく弓なりに背を反らせ、舌を突き出すようにして喘いだ。
「かはっ、かひっ……と、う……さま……や、……優しっ……あぁぁッ!」
「ダメだ」
 月彦の冷徹な声に、ゾクゾクと背筋が震え、快感が尚も倍加する。月彦は真央の腰を持ち上げ、太股の上に乗せるようにして腰上げ正常位の形にすると、そのまま容赦なく突き上げてくる。
「ぁはァッ! あぁっ、あぁあんっ!」
 下半身から突き上げる快楽に、真央はブリッジでもするように腰を跳ねさせ、喘ぎ続ける。
「…………真央、胸を揺らしすぎだ。なんとかしろ」
 捲し上げられているパーカーをさらに上へとずらす勢いで、たぷたぷと揺れる胸元をガン見して鼻息を荒くしながら、月彦がそんな要求を突きつけてくる。
「ご、ごめんなさい……父さまぁ……あぁん! で、でも……そんなにいっぱい突かれたら……おっぱい揺れちゃっあぁん!」
「……ほう、俺が悪いって言いたいのか?」
 冷徹な声に、またしてもゾクリと背筋が震える。
(あぁぁっ、ダメッ……イくっ、イッちゃう……!)
 キュンと膣内が収縮し、絶頂が“始まる”――その寸前で、またしても真央は寸止めされる。
「ぁっぁっ……やっ、やぁぁぁぁっ……!」
「誰が勝手にイッてもいいと言った、真央?」
 さらに、月彦の言葉が決定的だった。真央の体は、真央の意思よりも月彦の言葉を優先させる。
「とう、さまぁ…………おね、がい……イかせてぇ…………イきたい……イきたいのぉ……」
 くちゅ、くちゅと真央は自ら腰を回しながら――イくほどの激しい動きは許されておらず、とりたくてもとれない――目尻に涙すら溜めて、懇願する。
「イきたかったら、正直に白状しろ。……何を隠してるんだ?」
「ぁぅ…………な、何も……隠してなんか……ンぁぁぁあ!」
 真央が全てを喋り終わるよりも早くに、月彦が腰を使い始める。
「あぁン! あんっ! あンッ! あんっ、あぁん!」
 ずん、ずんと子宮口を小突くように何度も何度も突き上げられ、その都度にイきそうになりながらも、決してイく事は許されない。
 十分ほどそうして突かれ続け、真央は引きつった指でシーツをかきむしりながら時には制止を懇願し、そして時にはイく許しがほしいと懇願した。
 が、そのどちらも許されなかった。
「……どうだ、そろそろ気は変わったか?」
 唐突に腰の動きが止まり、真央は引きつった手でベッドシーツをかきむしる手を止めた。
「はァーー………………はァーーーーっ…………」
 ビクッ、ビクッ――まるで陸に打ち上げられた瀕死の魚のように時折体を痙攣させながら、真央は必死に首を横に振る。
「強情だな。誰に似たんだか………………じゃあ、“飴”で釣る事にするか」
 あめ?――真央がその単語の意味を理解するより早く、パーカーが脱がされ、ブラも取り去られた。そして体を抱え上げられ、月彦が体をずらしてベッドの端に腰掛けた瞬間、真央にもこれから何をされるのかが解った。
「やっ、父さま……ンンッ……ちゅっ……んっ……んんっ……はっ……んんっ……ちゅはっ、ちゅっ……んんっ……れろっ、れろっ、んっ……ンンッ!」
 それはなんとも甘いキスだった。甘すぎて舌が溶かされ、そのまま蜜かなにかに変化してしまうのではないかという程に。先ほどまでの拷問のような責め苦との落差が真央に尚更そう感じさせた。
(だめっ……だめっ……頭クラクラしちゃうぅ……!)
 くちゅ、くちゅと舌を絡ませあい、互いの唾液を啜りながら、真央は月彦にしがみつく手を止められない。キスの感触も、そしてなんとも愛しげに後頭部を撫でる手の感触も、全てが真央を甘く、甘く溶かしていく。
(っ……! だ、だめぇぇ……今、動かれたら……!)
 舌を絡ませながら、真央は尻を掴んだ手に体を持ち上げられるのを感じて、ひやりと悪寒すら覚えた。“イけない”今、そんな事をされたら本当に気が狂ってしまうかもしれない。
「ぁっ……ぁぁぁぁぁぁああああああっっっ!!」
 ほんの数センチばかり体を持ち上げられ、こちゅんと落とされただけ――それだけで、真央はキスを中断させ、獣のように声を荒げていた。
「……どうだ、真央。そろそろ言う気になったか?」
 月彦は真央の背中を撫で、その手を引きつったように不自然に硬直してしまっているシッポへと添える。
「やっ――」
 そして、付け根をこしゅこしゅと、優しく擦り上げてくる。
「ひぐっ……〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!」
 奥歯が震えるとはこのことだった。真央は両手で月彦にしがみついたまま快感の余り目眩を起こし、天地が逆になったような気さえした。
「い、言う……」
 そしてとうとう、屈してしまった。
「言う、から……だからぁ……も、止め……お、おかしくなっちゃううぅ……」
「ん、なんだ。もう終わりか?」
 まるで興ざめでもしたと言わんばかりの月彦の言葉に、真央は少しだけ冷静さを取り戻した。ひょっとしたら、月彦はもう少し“このシチュエーション”を楽しみたかったのではないか――そう考えて、申し訳ない気持ちになってしまったのだ。
「ほら、どうした、真央。……白状するんじゃないのか?」
 “冷静”になった分、真央には考えるゆとりが生まれた。快楽と焦れに屈する形で白状すると言ってしまったが、かといってエトゥの事を月彦に教えるわけにはいかない。例えこのやりとりをエトゥが聞いておらず、そして月彦が誰にも言わないと誓ってくれたとしても、大切な何かが壊れてしまうような気がした。
 だから、真央は――。
「あの、ね……クローゼットに、秘密があるのは、本当の事、なの……だけど、中を、誰にも見せちゃいけないの」
「どうしてだ?」
「それ、は…………“友達”との約束、なの…………絶対秘密にする、って……約束した、から……だから、ごめんなさい、父さま……」
「友達との約束、か」
 それは責めているわけでも、納得したわけでもない、感情の読みとれない呟きだった。
「真央、一つ聞く。その“友達”っていうのは信じられる友達なのか?」
 うんと、真央はしっかりと月彦の目を見据えて頷き返す。
「もう一つ。……今の話、本当に嘘はついてないんだな? 危険は無いな?」
「うん、それは、大丈夫だよ、父さま」
「解った。俺は真央を信じる、これ以上は何も聞かないし、クローゼットを勝手に開けたりもしない。…………但し、“言えるよう”になったら、きちんと説明をするんだぞ?」
「父さま……信じて、くれる……の?」
 あまりにもあっさりと納得してしまった月彦に、逆に真央の方が不安を覚えてしまった。ひょっとして、納得したフリをして後でこっそりクローゼットの中を見るつもりではないのか――そんな邪推すらしてしまう。
「信じるに決まってるだろ。……そりゃあ、不安が無いって言ったら嘘になるけどな」
 あぁぁ……っ!――真央はそんな声にならない声と共に、軽い感動すら覚えていた。叶うことなら、エトゥに見せてやりたかった。これが自分の父親なのだと誇りたかった。
「ところで、真央?」
 そんな月彦の言葉と共に、真央は下腹に埋まったままの“父親の分身”がググンと力を増すのを感じた。
「実は俺の方も白状するけどな、こっちも結構ギリギリだったんだ。強がってはみせてたが、真央があと五分粘ってたら俺の方がギブアップしてたかもしれん」
「あっ、あんっ! とう、さま……?」
 ぐ、ぐっ。優しく膣奥を小突かれながら、真央は困惑しながらも、甘い声を漏らしてしまう。
「このまま、最後までシてもいいか?」
 それは聞かれるまでもないことだった。真央は無言で月彦の背にまわした手をしっかりと肩口に引っかけ、激しく動かれても大丈夫なようにした。
「いい返事だ。…………真央、次はイッてもいいからな」
 但し、“一緒に”だ――そんな囁きを漏らして、尻を掴んでいる手に力が籠もり、持ち上げられる。
「あぁん!」
 腰を落とされ、真央は喘ぐ。キュッ、と意識的に剛直を締め付けると、月彦が眉を寄せるのが解った。
「っ……真央、さっきの仕返しのつもりか? こっちもヤバいって……そう言っただろ……」
 俺だけ先にイかせる気か?――苦笑混じりにそんなことを呟いて、月彦が小刻みに体を揺さぶってくる。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ……!」
 こちゅ、こちゅ、こちゅっ――小刻みに突かれながら、真央も徐々に息を荒くする。わざわざタイミングを合わせるような事をしなくとも、父親に抱かれ、そしてその精を受ければ否応なくイかされてしまう。そういう風に“躾”られてしまっている。それでも真央は可能な限り快感を共有し、無理なく同時に達したいと感じた。
(父さま、ありがとう、信じてくれて……)
 その感謝の念を示すかのように、真央は自ら腰をくねらせ、キュッ、キュッ、と不意打ちのように締め付ける。
「っ……こ、こら……真央っ……それ、ヤバっ……くぅぅ……!」
 月彦が歯を食いしばってイくのを堪えているのが伝わって、真央のほうもうれしさのあまりイきそうになってしまう。そう、月彦が真央の弱いことを熟知しているように、真央もまた月彦の弱い所を熟知していた。
(父さま……こんな風に抜くときにキュって締めると、弱いんだよね?)
 但し、それは諸刃の刃でもあった。そうして締め付けるということはその分摩擦が増し、真央の方にもより多くの快感が流れ込むという事。
 そして何より――
(父さまの、顔見てるだけで……)
 自分の体で感じて、達しそうになっている月彦の顔を見ているだけで、真央は腰の動きを止められなくなってしまう。早くイきたくて、イかせたくて我慢出来なくなってしまう。
「こ、こらっ……真央、勝手に動っ…………や、ヤバッ……ちょ、っ……!」
「はぁっ、はぁっ……とう、さまぁ……とう、さまっ……とうさまっ、とうさまっ……!」
 月彦に対する思いが高じる余り、真央は自ら腰を振り、知らぬ間に主導権が移ってしまっていた。
「とうさまっ……とうさまっ、とうさまっ、とうさま……!」
 譫言のように繰り返しながら、真央は腰を振り、くねらせる。そんな娘の動きに圧倒されるように月彦は徐々に腰砕けになり、座位というより殆ど騎乗位のようになってしまっていた。
 そして無意識のうちに、剛直の微妙な痙攣を真央は感じ取り、月彦の絶頂がそう遠くない事にも気づいていた。
 “それ”に合わせて、真央もまた高みへと上っていく。
「くっ、こ、このっ……はぁはぁっ……くそっ…………ま、真央……後で、覚えてっ……くぁぁぁあっ!!!」
「とうさまっ、とうさま……あっ、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!」
 びゅぐんっ、びゅうっ、びゅるっ!
 体が浮くほどの勢いで打ち出される熱流の塊に、真央は雄叫びのように天を仰いで声を荒げ、イく。
「あっ、あぁぁっ、ぁぁっ……ひぅ…………あ、熱いぃい…………やけど、しちゃうぅぅ……」
 ぎゅぬっ、ぎゅっ!――射精を続ける剛直をさらに、絞り込むように締め上げながら、真央は甘美な絶頂に酔いしれ、俄に脱力する。
「くはぁぁぁ…………す、吸われる…………くはぁ…………」
 ぜえはあ、ぜえはあ。
 互いに肩で息をしながら、真央はそのままくったりと月彦に被さる。その段階になって初めて“あれ、どうして私が上になってるの?”という疑問に直面したが、甘美な余韻の中ではさしたる問題ではなかった。
「り――」
 呼吸が整ってくるなり、不意に月彦が声を荒げた。
「リベンジだ、真央!」
 そして、真央は身に覚えのない罪に対する報復を一晩かけて受けるのだった。



 普段の営みよりも若干こってりと濃かったそれの影響は思いの外少なかった。何となく寝不足のような気がして、頭が重く、授業中何度か気を失ったような気がしなくもないも、それだけだった。
「真央さん、今日は一緒に帰りませんか?」
 HRが終わり、帰り支度をしていると不意に由梨子が話しかけてきた。
「前に言ってた美味しいクレープのお店、やっと場所が解ったんです。帰りに寄ってみませんか?」
「クレープ……」
 じゅるり、と口の中に唾が沸くのを感じながらも、真央はハッと家に残してきたエトゥの事を思い出した。
「ごめんね、由梨ちゃん。今日は急いで帰らないといけないの……」
「そうですか……それなら仕方ないですね。今度真央さんの都合の良い日に一緒に行きましょうか」
「本当にごめんね。私も行きたかったんだけど……」
 由梨子の言うクレープ店はクレープそのものよりも、使われているトッピング類が飛び抜けて美味しいともっぱらの評判だった。その中でも特に生クリームが絶品と噂されていて、真央自身是非一度食べてみたいと思っていた。
(でも、今日は急いで帰って母さまに連絡とらないと……)
 勝負は、月彦が帰ってくるまでの僅かな時間だ。さすがに“黙認”をとりつけたとはいえ、月彦の前で母親に連絡を取ろうとすることは憚られた。ひょっとしたら「真狐の協力は欲しいのに、俺には内緒なのか……」と無用の落ち込みを与えてしまうかもしれない。
(あ、そうだ……帰る前に借りてた本返しに行かなきゃ)
 先週、野草の事で調べものをする際、図書室で借りた本の返却期限が今日までであったのを思い出し、真央は教室で由梨子と別れてその足で図書室へと向かった。
 そこで――
(あっ……)
 真央は図書室の入り口で足を止め、すぐに踵を返した。“見てはいけないモノ”を目にしてしまったショックから、俄に鼓動が早くなる。
 ひょっとしたら見間違いかもしれない――そんな淡い希望と共に、真央はそっと図書室の中を覗き込む。
 やはり、見間違いではなかった。図書室のテーブルの一角でやや暇そうに開いた本に視線を落としているのは紛れもなく月彦であり、その対面席には金髪の女子が座っていた。
 端から見れば、放課後の一時をただ図書室でのんびりと過ごしているだけ――に見える。たまたま女子と向かい合わせに座ってしまっているだけで、そこには気に病むようなものは何も無いに違いない。
 そうに決まっている。やましいことなど何もない。――でも、ここでもし自分が声をかければ、きっと月彦は戸惑い、痛くもない腹を探られるような気分になるだろう。
 それは真央としても不本意な事だった。自分が見なかったフリをすれば済む問題は見なかったフリをすればいい。――真央はそう思って、素直に踵を返した。
(……本は、明日返そっと)
 一日遅れた所で、そこまで困る人も居ないだろう。真央は小脇に抱えていた野草図鑑を鞄に仕舞い、図書室前を後にした。


「ただいまー、今帰ったよ、エトゥさん」
 家に帰り、部屋へと入るなり真央は真っ先にクローゼットを開け、“ベッド”を覗き込んだ。
『おお、マオ。待ちわびました』
 エトゥは昨夜に引き続きベッドに身を横たえて休んでいたらしく、蛍光灯の光をややまぶしそうにしながらもむくりと体を起こす。
 真央もまたそっとベッドを手に持ち、机の上へと移した。
「すぐに母さまに連絡とってあげるね! あっ、お腹空いてない?」
『……出来れば、水と……あと花の蜜などをいただけるとありがたい』
「花の蜜はないけど……ハチミツならあったと思うから、持ってくるね!」
 真央は鞄を置き、階下へと降りるや食器棚からおちょこを二つ手に取り、片方には水を、そしてもう片方にはハチミツを入れてエトゥの元へと戻った。
『かたじけない』
 エトゥは深く頭を下げて二つのおちょこを受け取り、まず水を一息に飲み、次にハチミツを時間をかけてゆっくりと舐め始めた。
「トイレは行かなくても大丈夫?」
 モノを食べるということは、即ち出る方もあるという事だ。真央は自分なりに気を利かせたつもりだったが、エトゥはハチミツを舐めるのを一旦中断し、やや恥ずかしそうに真央を見上げる。
『……お心遣い痛み入ります。しかし、ワタシ達は年に数回しかそういったものを出しません』
「そうなの? あ、お水お代わりもってこようか?」
『かたじけない……それでは、お言葉に甘えて』
 真央は差し出されたおちょこを受け取り、ひとっ走り台所へと降りて水を汲む。ついでにハチミツの入った容器と水差しを手に二階へと戻った。
「はい、お代わりはいっぱいあるから、いくらでも食べてね」
 かたじけない、とエトゥは再度頭を下げる。その時、真央は気がついた。昨日は確かに三角巾で釣っていた筈のエトゥの左手の包帯が無くなっている事に。
「あれ、エトゥさん……もう左手の怪我大丈夫なの?」
『ああ、これですか。シュマリの傷薬はすごい効き目ですね。我が里の最上級のものに匹敵する治癒力です。まだ傷口は完璧には塞がっておりませんが、少し動かすくらいなら……イタタ……』
「無理しないほうがいいよ? …………そういえば、エトゥさんって何に襲われて怪我をしたの?」
 てっきり、カラスか猫あたりだと、真央は勝手に推測していた。が、エトゥからの答えはそのどれでもなかった。
『は……? 襲われた……? ワタシがそう言いましたか?』
「ううん。だって、あんなところで血を出して倒れてたんだもん、何かに襲われたんじゃないかなって」
『ワタシは襲われてなどおりません。あれはただ――』
「ただ……?」
『ワタシも記憶が曖昧なのですが……確か高い城壁の様な場所を考え事をしながら歩いていたら、突然足を踏み外してしまって……』
 ぶつぶつと、あぐらをかいたまま腕組みをし、エトゥは独り言でも呟くように話を続ける。
『その際、草の葉かなにかで腕を切ってしまって……高い城壁の上から落ちたショックも相まって意識朦朧としながら暗がりへと身を隠した所までは覚えておるのですが』
「城壁って……おうちの塀の事かな?」
 確かにエトゥを拾った空き地は道路に面している一面以外はすべて住宅の塀によって囲まれていた。そこの上を歩いていたら足を踏み外して、そして草で手を切って負傷してしまったという事なのだろうか。
 意外とおっちょこちょいな人なのかもしれないと、真央は思った。
「……エトゥさん、人間に姿を見られたら体が消えて死んじゃうんじゃないの?」
 さすがにそんな目立つような真似はどうかと、真央は思った。
 が。
『心配ご無用。ワタシにはこれがあります故』
 と、エトゥが腰に下げた袋から取り出したのは、見たこともないような色の“蓑”のような代物だった。
『これを、こうして……こうすれば……いかがですか?』
「わわっ、スゴい! 消えちゃった!」
 エトゥがその蓑を被ってしまうや、まるでカメレオンが擬態するようにその姿が真央から見えなくなった。
『外で行動する時は、いつもこれを使います。ワタシ達の生命線のようなものです。本当はもう一着あるのですが、落ちた際に紛失してしまったようで……これは予備のものです』
「ねえねえ、ちょっと貸して!」
 真央はエトゥから蓑を受け取り、そっと自分の手の先へとかけてみる。――が、見えなくなるどころか、色が変化することすらもなかった。
『それはワタシ達にしか使えないものですから』
「そうなんだ……」
 がっかりしながらも、真央は蓑を返した。エトゥは大事そうにそれを折りたたみ、袋へとしまう。
『そういえば、マオ。御母堂には連絡をとっていただけたのでしょうか?』
「あっ、忘れてた!」
 真央は慌てて勉強机の上に“用紙”を広げ、同じく引き出しから出した十円玉を用紙に書かれた鳥居の上へと置く。
「母さま、母さま、真央だよ。お返事して」
 そして、問いかける。妖力を使った、ごくごく初歩の長距離間通信妖術であり、真狐との主な連絡手段だった。真狐の方から返事があれば、それは“声”ではなく、十円玉の動きによってメッセージとなるのだが……。
「母さま、母さま、お返事して」
 呼びかけても、一向に返事が返ってこない。真央は首をかしげながらも、幾度となく呼び出しを続ける。
 しかし、十分ほど呼び出しを続けても、真狐からの返事はなかった。
「おかしいなぁ……」
 こんな事は初めてと言ってよかった。例えどんなに多忙な時でも、“いそがしいから いまははなせない”といった返信が返って来ていたというのに、今回に限っては十円玉がぴくりとも動かないのだ。
『連絡がつかないのですか?』
 どうやら食事を終えたらしいエトゥがクローゼットから自力で机の上へと上ってきて、興味深そうに広げられた用紙を見下ろしていた。
「うん、いつもならすぐ返事してくれるんだけど……」
『困りましたね……。もし御母堂と連絡がつかないとなると、やはり自力で探すしかないということに……』
「でも、それは難しいんでしょ?」
 はい、と。エトゥは小さく頷く。
『手がかりはあるのですが……正直ワタシには意味がわかりません。或いは、“近く”まで来る事ができれば、手がかりの意味もわかるかと思ったのですが』
「その手がかりって?」
 真央が尋ねると、エトゥは懐から小さな巻物のようなものを取り出し、綴じ紐を外してはらりと広げ、視線を落とす。
『“其は夜の闇よりも白く、朝の光よりも暗き”。“形は無く、大いなる喜びと共に現れしものなり”、“低き月より出でしものこそ最上、努々間違うなかれ”……どうでしょう、マオ。心当たりはありますか?』
「……なぞなぞ?」
 里を救う為に必要な材料の筈なのに、何故そんな謎掛けのような文章なのだろうと、真央にはそこが気になって仕方なかった。
『占いというのはそういうものらしいのです。事実、里から旅立った他の者達も皆、聞けば首をかしげるような内容の巻物を抱いて出立しておりました』
「うーん…………他にヒントとかは無いの?」
『後は、方角と……ああ、肝心なものを忘れておりました!』
 そう言って、エトゥはまたしても懐から今度は水晶玉のようなものを取り出した。
「これはなぁに?」
 真央はエトゥから水晶玉を受け取り、指先でつまんで転がしてみる。尤も、エトゥが手にしててこそ水晶玉サイズだが、真央が手に持てばそれは完全にビー玉だった。
『この水晶玉の導きに従って、ワタシはここまでやってきたのです。これをこうして翳すと――』
 エトゥが水晶玉を手にしたまま、いろんな方角へと翳す。すると、ある方向へと向けた時だけ、なにやら赤いモヤのようなものが水晶玉の中へと移り込み、まるで矢印を作るようにしてその先を指した。
『この玉の導きに従えば、必ず目的のものにたどり着けるらしいのです』
「じゃあ、この近くにあるって事なの?」
『或いは、自分の里とこの場所とを結んだ直線上のさらに先か。……ただ、この近くへ来て水晶玉の反応がより顕著になったのも事実です。ひょっとしたら、マオの言う通りこの近くに目的のものがあるのかもしれません』
「そっか…………じゃあ、私も一緒に探してあげる!」
 えっ、と。真央の申し出が余程意外だったのか、エトゥは呆気にとられていた。
『マオ、こう言っては何ですが、手助けはもう充分過ぎるほどに受けました。これ以上はとても恩をお返しすることができません』
「恩返しなんていらないよ。私が手伝ってあげたいから、手伝うの。それにエトゥさん、まだ手の怪我も治りきってないんでしょ?」
『ですが……しかし……』
「まだ、日暮れまでは時間あるし、さっそく探しにいってみようよ!」
 真央はエトゥをむんずと掴むと制服のスカートの中へと入れ、その足で紺崎邸を後にした。



 奇妙なことになってしまった――エトゥは真央のスカートの中で困惑のただ中から立ち直りきれずに居た。
 里の為に、一刻も早く薬の材料を持ち帰らなければならないのは違いないのだが、その事に関して何故無関係の真央がこれほどまでに協力的なのか、それがどうしても解らないのだった。
(シュマリというのはそういうものなのだろうか)
 シュマリとは、彼の故郷の言葉で“キツネ”の意だった。真央が生まれて初めてコロポックルを見たように、コロポックルのエトゥも“キツネ”を見るのは初めてだった。
(或いは――)
 幼さ故かもしれないと、エトゥは思った。見たところ、真央の年齢は体躯こそ人でいう14,5才のそれだが、実年齢はもっと低いのではないか。だとすればそれは彼の1/10以下の年齢であり、それ故に真央を巻き込んでいいものかどうか判断がつきかねてもいた。
「ねえねえ、エトゥさん。こっちでいいの?」
『はい。このまままっすぐ進んでください』
 ひょっとしたら、単純な好奇心、冒険心の類ではないだろうか。幼さ故の、非日常への憧れ。そのあたりが真央の行動の原動力だとすれば、そんなに気に病む事もないかと思える。
(いざとなれば……)
 真央を危険に巻き込む前に、蓑で姿を消し、そのまま逃げてしまえばいい。いかにシュマリ――妖狐といえども姿を消したコロポックルをわざわざ探し出しはすまい。ましてや、真央は半妖であり、しかも幼い。それを行うだけの知識も、技量も無いだろう。
(……大分近くなってきた)
 スカートの中には本来明かりなど無い。が、しかしエトゥが手にしている水晶玉からはひっきりなしに赤い光が迸り、明滅していた。それほど期待していたわけではないのだが、思いの外目的のものは近くに在ったらしい。
『マオ、どうやらかなり近くまで来ているようです』
 エトゥは小声で、しかしハッキリとした声で伝えた。小声であっても、ピンポイントで相手に“言葉”を伝えるのは、コロポックルの特技の一つだった。
『マオ?』
 気がつくと、真央の足取りが止まっていた。“何か”が起きたのだ――エトゥは蓑を被り、そっとポケットの縁から顔を覗かせ、辺りを観察した。
(…………マオ、何処を見ているのですか……? 人間……?)
 真央の視線の先を辿ると、そこにはなにやら四角い建物のようなものがあり、その正面の開閉している部分から三人の人間が出てくるのが見えた。一人は牡で、残りは二人とも牝だった。エトゥがそこまで確認するや、唐突に真央が踵を返し、危うくポケットからこぼれ落ちそうになってしまった。
『マオ? 何処に行くのですか? これでは逆方向です』
「ごめんね、エトゥさん。今日の探索はもうおしまい。日が暮れちゃうから」
 真央の声はいつも通り――ではなかった。否、表面上はそう聞こえなくもないが、それはまるで風船の表面のように張りつめたものを感じさせる声だった。
『マオ、大丈夫ですか? 何かあったのですか?』
「大丈夫だよ。何もないよ」
 真央の早足に揺さぶられながら、エトゥはそれ以上の追求を止めた。“何か”があったのは間違いないが、真央がそれを知られたくないと思うので在れば無理には聞かない。それがエトゥの距離感だった。
 “揺れ”はしばらく続いた。家に帰るのならとうに帰り着いている筈なのだが、どうもそういうわけではないらしい。エトゥは気になって、そっとポケットから顔を覗かせてみた。
 人の作った町並みは、コロポックルであるエトゥにはどれも似たり寄ったりに見える。代わりに、自然の木々や草むらであれば、それらが見たことのあるものか、ないものかは瞬時に解った。
 そして、真央のポケットから覗く景色は、エトゥがいままで一度も見たこともないものだった。それはいわゆる町はずれの裏山のような場所なのだろう。辺りに人気も民家も見あたらず、あるのは痩せた木々に腰近くまで伸びた雑草の群れ。
『マオ、こんな所で一体何をするのですか?』
「何って……遊ぶの」
 真央は無邪気な声で言って、辺りに落ちていた木の枝を拾い上げると、それをまるで剣でも振るうように雑草目がけて振り回し始める。
『マオ、止めてください。草が痛がっています』
 コロポックルにも、“草の声”などは聞こえない。――否、里に古くから居る長老などは聞こえる者も居るらしいのだが、少なくともエトゥにはそのような能力はない。無いが、木の枝によってなぎ払われた草々から伝わってくる“音”が、彼の耳には悲鳴にしか聞こえなかった。
「大丈夫だよ、だって草だもん」
 真央はさらに草をなぎ続け、踏み固めていく。エトゥは最初、真央が草木を虐めるつもりで薙いでいるのだと思った。しかしそれは間違いだった。
 “それ”は、いわばただの地ならしにすぎなかった。
「あ、あった! これを探してたの」
 真央が目をつけたのは、草が生い茂っていた時には見えなかった、小さな穴だった。真央は木の枝を使ってさらにその穴を広げ、そして中から一メートルほどの一匹の蛇を引っ張り出した。
『マオ、だめです。それは冬眠している蛇です』
「知ってるよ? だから、こうやって遊ぶの」
 真央は木の枝を捨て、蛇のしっぽを掴むやそれを思い切り振り回し始める。振り回して思い切り木の幹に叩きつけては振り回し、叩きつけては振り回し。それはまさに、命を弄ぶ“子供の遊び”だった。
『マオ、止めてください』
 エトゥは見ていられなくなって、制止を懇願せずにはいられなかった。しかし真央は止めない。まるで蛇は親の敵だと言わんばかりにふりまわし、叩きつける。
『マオ、止めなさい!』
 エトゥが“大声”で叫んだ瞬間、真央はびくりと体を震わせ、驚いたようにその手から蛇のしっぽを離した。“離れた場所から耳元に囁く”というコロポックルの能力を最大限に使った制止、恐らく真央には耳元で拡声器で怒鳴りつけられたように感じられた筈だ。
「……どうして止めなきゃいけないの?」
『マオ、貴方はその蛇を食べるつもりなのですか?』
 不満そうに頬を膨らませる真央に、エトゥはまるで子供を叱る父親のような声で語りかける。
「食べないよ? だって蛇あんまり美味しくないもん」
『食べないのなら殺してはいけません。マオはそのことを御母堂に教わらなかったのですか?』
「………………母さまはむしゃくしゃした時は蛇と狸なら虐めてもいいって言ってたもん」
 ぶぅと、真央は唇を尖らせる。
『……解りました。シュマリの教育方針についてワタシが詳しくないのも事実です。しかしマオ、貴方がこのような事を平気でする子供なら、ワタシはもう行動を共には出来ません』
「どうして? エトゥさんは蛇が好きなの?」
『好きとか嫌いとか、そういう問題ではありません。ワタシは食べもしない生き物を悪戯に殺してはいけないと、そう言われて育ちました。事実、ワタシもそうすべきだと思ってます』
「でも……」
『勿論それは我々コロポックルの考え方であって、シュマリの貴方にはそぐわないものかもしれません。ただ、そのように蛇を虐めて喜々としている貴方の姿は、正直ワタシには見るに耐えないのです。だから止めてほしいと思い、そしてこれからもそのような事はして欲しくないと思ってます。それはひとえに、ワタシがマオの事を友だと思いたいからです』
「…………うん。…………私も、エトゥさんとは仲良くしたいよ。……嫌われたくない」
『光栄です。……それなら、こういう事はもうしないと約束してください。……マオも、本当はこんなことはやってはいけないと解っているのではないですか? 解っているのに、自分でもどうしようもなくなって、当たらずにはいられなかったのではないですか?』
「………………。」
『答えられないのなら、それで構いません。ワタシも無理に尋ねるつもりはありません。………………マオ、これからはもうこんな事はしないと約束してくれますか?』
「…………うん。もう蛇は虐めない」
『蛇以外も出来れば止めてあげてください。……まだ辛うじて生きているようです、穴に戻してやりましょう』
「うん。…………蛇さん、ごめんなさい」
 エトゥも地面へと降り立ち、真央と共に蛇の埋め直しを手伝った。
(…………マオ、貴方が素直な子供で良かった)
 手伝いながら、エトゥは不意に故郷の里に伝わる話を思い出してた。人に姿を見られれば、忽ち雲散霧消してしまう“呪い”をかけられたコロポックル――但し、唯一の例外が存在するという伝説。
 それは邪心の無い――無邪気な子供。或いは、半分人間の血の混じった真央に姿を見られても大丈夫であったのは、ひとえに真央が無邪気な子供だったからかもしれないと、そんな事を思った。



 日も暮れてしまったという事で、結局その日の捜索は終了という事になった。夜目が利くからもう少しなら大丈夫――そう食い下がる真央に、エトゥは静かに首を振った。
『実はこの玉の使用には制限時間があるのです。日に約四半刻――凡そ三十分ほどしか使えないのです』
 そう言って、エトゥは水晶玉を翳すが、言葉の通りそこには何の反応も現れなかった。
「そうだったんだ……ごめんね、エトゥさん。折角近くまで行けてたのに」
『仕方ありません。また明日頑張りましょう』
「うん! 明日はうんと急いで学校から帰ってくるね!」
 真央はエトゥを拾い上げ、そっとスカートのポケットへと入れて帰路に就いた。

 幸い、月彦はまだ帰宅しておらず、真央は真っ先にクローゼットの中の“借り宿”へとエトゥを移した。
「エトゥさん、今のうちになにか欲しいものとかある?」
『大丈夫です、マオ。水も蜜も先ほど頂いたばかりです。このまま明日貴方が帰ってくるまで、静かに体を休めておきます』
「そっか。じゃあ、またね、エトゥさん」
 真央はそっとクローゼットを締めた。


 翌日、真央は前言の通りに大急ぎで家へと帰り、クローゼットを開けた。
「ただいま、エトゥさん!」
『……おかえりなさい、マオ』
 エトゥはタオルのベッドからむくりと体を起こすが、その様子はどことなくぎこちなかった。
「エトゥさん、どうしたの?」
『……どういう意味ですか? マオ』
「なんていうか……ちょっと変だよ? ひょっとして怪我したところが痛いの?」
『いえ……そういうわけでは……』
 エトゥは口ごもりながら、何故か顔を赤くする。
『……すみません、マオ。確かにワタシは少し戸惑っています。その理由を口にする事は、ひょっとしたらマオの不快にさせるかもしれないのですが……それでも良いですか?』
「どうしたの??」
 真央はその場に膝を突き、エトゥと目線の高さを合わせるようにしてきょとんと、正真正銘好奇心から尋ね返した。
『……昨夜、マオが同居している男性と行っていた行為についてですが……あれは、やはり生殖行為なのですか?』
 あっ、と。今度は真央のほうが顔を赤くする番だった。
「う、うん……そう、だよ?」
 そういえば――と、真央は今更ながらに昨夜のことを思い出して肩を縮こまらせる。“初日の夜”についてはエトゥから何も言われなかった為、てっきりエトゥは気にもしていないか、或いは聞こえていないのではと勝手に安堵していた。
 が、そういうわけではなかったらしい。初日は恐らく単純に怪我と旅の疲れから熟睡していて聞いていなかっただけで、“昨夜の分”は恐らくモロに聞かれてしまったのだろう。
『答えにくい質問をしてしまってすみません。どうしても気になってしまったものですから…………そうですか……正直、意外と言いますか……ワタシはてっきりマオはまだ幼い子供だと思っていたものですから、面食らってしまったというか、いやはや……』
「あぅぅ……ひょ、ひょっとして……全部聞こえちゃってたの?」
 恐らく、とエトゥもまた渋い顔で返してくる。
『これはとてもデリケートな問題だと思われます。……昨夜は驚きのあまり適切な対応が出来ませんでしたが、次からは予め言ってもらえれば、“外”で過ごして来ますから安心してください』
「ぁっ……で、でも……父さまが部屋の中に居たらそれも難しいし…………だ、誰にも……言ったりしないなら……」
 そう、これは仕方のない事なのだと。真央は割り切る事にした。
(エトゥさんに聞かれちゃうのは、恥ずかしい、けど……)
 だからといって、どうにもならない。さすがにエトゥを夜になる度に追い出すのは忍びなく、かといって月彦に「クローゼットの中に小人さんが居るから、今日は止めて」などと言えるはずもない。
(私が、我慢すれば……でも…………っ……)
 恥ずかしい、けど我慢しなければならない――そして、ほんのちょっぴりだけ“そういうプレイ”も悪くないかもしれないとドキドキしながら、真央は覚悟を決めた。
『そ、そうですか……マオがそれで良いと言うのであれば、ワタシも無理にとは……』
「と、とにかく、早く材料探しに行こうよ! 日が暮れちゃうよ!」
 早くこの話題から逃げたくて、真央は強引に話を逸らす。それはエトゥも同感だったらしく、すぐさま同意を返してきた。


 制服から普段着へと着替え、上着の胸ポケットにエトゥを忍ばせ、家を出る。
『マオ、まずは昨日、強く反応があった辺りへ行ってみましょう。玉を使うのはそれからで』
「そうだね。まかせといて!」
 真央は小走りに、昨日月彦と――そして女子と、女教師の三人を見かけたペットショップ屋へと向かった。そして昨日とほぼ同じ位置まで来るや、そっと小声でエトゥに語りかけた。
「着いたよ、エトゥさん」
『了解です、マオ。それでは玉を使います』
 ポケットの中で、もぞもぞとエトゥが動くのを感じる。エトゥの翳す玉を真央も見れれば話は早いのだが、これも蓑同様エトゥにしか使えず、外でそんな事をしていたらいつ誰にエトゥの姿を見られるか解らない。
『おかしい、昨日よりも反応が弱い。ですが、やはりこの近くにあるのは間違いなさそうです。マオ、時計の一時の方向に進んでもらえますか?』
「時計の一時……こっちだね」
 時計の文字盤を思い浮かべ、その方角へと歩み出す。もちろん実際には家があったり壁があったりでまっすぐ進む事などは出来ない。が、その都度臨機応変に道を曲がったり、回り道をしたりして、エトゥの誘導に従って真央がたどり着いたのは、なにやら高級そうなマンションの前だった。
『近い……どうやらこの中のようです』
「この中……」
 真央はマンションの前に立ち、見上げる。安アパートなどとは違い、その玄関はしっかりと閉じられており、見たところ住人か、住人にドアを開けて貰わないと入れない仕組みになっているようだった。
『……いけない、時間切れです……光が消えてしまいました』
 水晶の光は、約三十分しか持たない。兎にも角にも、今日はこれ以上の捜索は不可能だった。
「続きは明日だね、エトゥさん」
『そうなりますね。……明日こそは』
 真央はそっとポケットの上からエトゥを優しく撫で、帰路についた。

 さらに翌日。真央は前日同様一目散に帰宅し、そしてエトゥを伴って――前日たどり着いたマンションの前までやってきた。
「昨日の場所に着いたよ、エトゥさん」
『了解です、マオ。…………できれば今日こそは手に入れてしまいたいですね』
 エトゥの声に、真央は決意を感じた。そう、エトゥにとって“これ”は遊びではない。彼の故郷を病から救う為の、文字通り命がけの事なのだ。
(でも……本当にマンションの中だったら、どうしよう)
 昨日の玉の導きによってマンションの前までたどり着いたものの、まだはっきりとこの中に目的の材料があるときまったわけではない。玉が指し示すのは“方角”だけ、即ちこのマンションは単なる進路上である可能性も否めないのだ。
 その為、真央とエトゥは一計を案じ、先日とは真逆――丁度マンションの真裏の辺りで玉を使う事にしたのだった。これで玉がマンションの中を指し示せば、紛れもなく“材料”はマンションの中のどこかにあるという事になり、もしマンションがただの進路上であるのならば昨日に引き続き玉の誘導に従っていけばいい。
『では、いきます。…………これは』
「どうしたの?」
『マオ、今は昨日の建造物の方を向いているのですか?』
「うん。……どっちを差したの?」
『時計の文字盤でいうなら、九時の方角です。おかしい、どうして』
 昨日までの反応から判断するに、玉が差し示す方角は真正面か、真後ろしかあり得ない。しかし、玉が指し示すのは九時の方角――即ち左手側だ。
 それはつまり――。
「移動してる……ってこと?」
『そうなります。……マオ、追ってもらえますか?』
「うん!」
 玉の効力は三十分だけ。真央はそれを極力節約してもらいながら、小走りに街を駆けていく。
『反応が強くなってきました。このまままっすぐ進んで下さい』
 エトゥの誘導に従い、真央はまっすぐ進む。やがて見えてきたのは、市営の図書館だった。
(……こんな所に?)
 そう思わざるを得ない。ひょっとしてエトゥが探している材料というのは何かの本なのだろうか。移動したという事は、目的の本を昨日まで借りていた人物が昨日のマンションに住んでいて、今日は返却されているという事なのだろうか――。
『マオ、そろそろ時間切れです。急いで下さい』
「うん!」
 考えていても始まらない。真央は大急ぎで市営図書館へと走り、自動ドアをくぐり抜ける。
『近いです。このまままっすぐ……少し右に曲がって、まっすぐ……左に、そこです!』
 エトゥに言われるままに真央は歩き、そして――驚愕した。
 何故なら、そこには――。
「ん……? って、真央!?」
 自分の父親にうり二つの人間が立っていたからだ。


「父さま……一体ここで何してるの?」
「そりゃこっちのセリフだ。真央こそ、なんで図書館に?」
「それは……」
 真央は口ごもり、そしてちらりと。月彦が小脇に抱えている本へと目をやる。
「父さま、その本……」
「ん、ああ……ちょっとな、調べものだ。学校の図書室じゃあいい本が見つからなくてな」
 月彦は別段隠そうともせず、本の表紙を真央のほうへと見せてくる。
「“正しい猫の飼い方”、“子猫のきもち”、“ペットQ&A 猫編”…………父さま、猫を飼うの?」
「違う違う、俺じゃなくって…………っと、その……友達が飼うんだ。んで、なんか頼りにされちゃったからさ、きちんと勉強し直そうと思ってな」
 ひょっとして、その友達というのは一昨日見た金髪の女の子ではないか――そこまで考えて、真央は胸の奥がザワつくのを感じ、すぐに思考を打ち切った。
「……ねえ、父さま。一つ聞いてもいい?」
「ん? 何だ?」
「昨日、帰りが遅かったのは友達の家で遊んでたからって言ってたよね。その友達が、猫を飼うの?」
「……まぁ、そんなとこだ」
「その友達の家って、普通の一軒家?」
「そ、そうだが……それが何か関係あるのか?」
「……ううん、ちょっと気になっただけ」
 父さまは、嘘をついている――間接的に真央はそのことを確信し、俄に気分が落ち込むのを感じた。
(でもきっと、それは私が悪いんだ……)
 自分が嫉妬してしまうから、だからきっと余計な心配をかけまいとしているだけなのだ。嘘は嘘でも善意の嘘であり、それはイコール月彦の思いやりなのだと。真央は深呼吸を繰り返しながら、黒い想いを塗りつぶすように何度も何度も心の中で念じるように呟く。
「それで、真央は一体何の本を探しに来たんだ?」
「あ、うん……あのね、前に母さまがここに面白い絵本があるって言ってたから、ちょっと探しに来てみたの」
 完全な出任せだった。そのまま目的の絵本を探すフリをして、さりげなく図書館から去る――筈だったのだが。
「何だと、あいつが…………それはどんな絵本なんだ?」
 しかし、どうやらその出任せは完全に父親の興味を引いてしまったらしかった。
「それは、私にも解らない、けど……」
「なんてタイトルなんだ? ちゃんと真央が読んでも大丈夫な内容かどうか、俺が先に閲覧する!」
「え、えーと…………たしか、“ザクロ太郎”……だったと思う」
「ザクロ太郎だな! ちょっと待ってろ!」
 月彦は本を小脇に抱えたまま、なにやら端末の方へと早歩きで移動し、ぽちぽちと本のタイトルを打ち込み始める。
「ザクロ太郎……ザクロ太郎……無いな。本当にここにあるって言ってたのか?」
「うん……でも、無いなら無いで、別にいいかな」
 そもそも、その場の思いつきで口にしたタイトルだ。無いのが当然だと、真央は思う。
「いや、待てよ。ザクロ太郎は無いが、“ザクロ地蔵”ってのはあるぞ。これじゃないのか?」
「あ、うん……多分それだよ、父さま」
「二階書架……黒日本昔話コーナーか。よし、場所は解った。こっちだ、真央」


 結局、“ザクロ地蔵”は少年少女が読むような内容ではない、という判断が月彦によって下され、真央が閲覧することは許されなかった。それならそれでと図書館から真央が出ようとすると、どうせなら一緒に帰ろうと月彦もついてきてしまった。
 それはそれで真央としては嬉しかったのだが、おかげでずっとエトゥと話す機会は失われたままとなり、自宅へと帰り着きトイレの中へと入り鍵をかけてから、漸くに真央は一息をつく事ができた。
「エトゥさん、エトゥさん。もう出てきて大丈夫だよ」
 胸ポケットに向けて声をかけると、もぞりと“透明な塊”が顔を覗かせ、そして蓑を脱ぐや、忽ちエメラルド色の瞳がきらりと輝いた。
『大変でしたね、マオ。手がかりは見つかりましたか?』
 ずっとポケットに入ったままだったエトゥには、外の様子がわからない。よって、玉の光が最終的に何を指し示したのかは彼には解らないのだ。
「…………うん、見つかったよ」
 真央はしっかりと頷いた。
『本当ですか!?』
 うん、と。真央は再度大きく頷く。
「……そして、材料が何なのかも、解ったよ」
 おおお!――エトゥが目を見開き、感嘆の声を漏らす。が、それとは対照的に真央の心中は非常に複雑だった。
 エトゥに言ったことは嘘ではなかった。既に十分すぎるほどの“手がかり”を得、それらが示すものは一つしか考えられないのだ。
 最初に玉が指し示した場所。次に示した場所。そして最後に示した場所。その三つを鑑みて、“なぞかけ”を読む。
「夜の闇の中でも白くて、光よりも暗く――濁ってて、形がなくて、“喜び”と共に現れるモノ……」
 そして“月より出でる”とくれば、真央にはもう“アレ”しか思いつかなかった。
『どうしたのですか、マオ。何故顔を赤くしているのですか?』
「……んとね、エトゥさん。エトゥさんはその材料を手に入れたら、どうやって持って帰るつもりなの?」
『それは……その材料がどんなものかにもよりますが、たとえば液体の類であれば、これに入れて持ち帰るつもりです』
 そう言って、エトゥは腰に下げた布袋から真央の小指の先ほどの大きさの竹筒を取り出した。布袋の大きさよりも明らかに竹筒の方が大きいのだが、そのことについて真央は特に疑問には思わなかった。妖狐が使う道具にも、似たような性質のものはいくらでもあるからだ。
『これは桶いっぱいの水くらいなら収納することができる水筒です。中に入れている間は腐ったりはせず、たとえ百年前の水であっても飲むことができます。他にも、たとえば木の実であればこの布袋で――』
「待って、エトゥさん。その水筒は“水以外”も入れられるの?」
『液体であれば可能です。…………マオ、もしやその材料というのは液体なのですか?』
 液体――“アレ”を液体と分類して大丈夫なのだろうか。真央は一縷の不安を禁じ得なかった。液体というよりはゲル状、プリンやゼリーに近いものではないかと。
『マオ、何故涎を垂らすのですか?』
「っ! な、何でもないの!…………ねえ、エトゥさん……その材料って、やっぱりどうしても必要……なんだよね?」
『無論です。里を危機から救う薬を作るためにはそれが必要なのですから』
「…………ううぅ」
 そうなのだ。エトゥにはそれが必要であり、そして真央の推理通りなら、“材料”を手に入れる事はそれほど難しくはない。難しくはないが、真央は強い抵抗を感じた。
(……父さまのを、人にあげるなんて)
 それは、単純な独占欲だけの問題ではなかった。入手自体は難しくはないが、それを月彦に黙って人手に渡してしまうことは、月彦に対しても失礼な気さえする。
『マオ、教えて下さい。“材料”は何なのですか?』
「そ、それは……」
 教えてしまってもいいのだろうか――真央は悩んだ。出来れば、黙って現物だけをそっとエトゥに渡したい――が、しかしそれではエトゥが納得しないだろう。エトゥにとって材料探しは命がけの使命だ。それなのに、何の説明もなしに「これが貴方が探してたものだよ」では納得できる筈がない。
 真央は、覚悟を決めた。
「あのね、エトゥさん。その材料っていうのは――」


 真央は玉が指し示した場所に常に月彦が居た事――尤も、二度目の時ははっきりとその姿を確認したわけではないのだが――そして、なぞかけの内容とも符合する事から、それしか考えられないという旨をエトゥに話した。
 エトゥは、真央が想像していたほど同様も、困惑もしていなかった。
『薬の材料が人体からの分泌物だというのは、我々にとっては珍しい事ではありません』
 そう言って、エトゥは布袋からこぶし大ほどの袋を取り出し、中から丸薬を――真央から見れば、それはもうゴマ粒のようなサイズだが――取り出した。
『これは護身用の痺れ薬です。虫や小型の獣であれば、一粒口の中に放り込むだけで忽ち眠らせることが出来ます。この薬の主な材料は、人間の耳垢です』
 他にもいろいろあります――そう言いながら、エトゥは袋をしまう。
『ともあれ、確かにそれだけ符合する事実があるというのであれば、マオの推測は恐らく正しいと思われます』
「エトゥさんもそう思う? ……じゃあ――」
『はい。さすがに、人の精液では……単独での入手は難しいです。……もう一度だけ、協力をお願いできますか?』
「う、うん……わかった、エトゥさん」
 嫌とは言えない。“材料”を手に入れなければ、エトゥとその里の仲間が全滅してしまうかもしれないのだ。
「なんとか頑張って、明日の朝までには用意するから……その代わり、エトゥさん。お願いがあるの」
『何でしょう。ワタシに出来ることですか?』


 図書館にて、真央と思わぬ遭遇をしてしまった月彦だったが、その事自体についてはさして気にもとめていなかった。何といっても、“ただ調べものをしていただけ”なのだ。真央に見られたからといって何ら気兼ねをする必要もなく、“後ろめたくない”という事はこんなにもすがすがしいのかと、逆に体調が良くなった気さえするほどだった。
(ただ……)
 唯一、気がかりであったのは真央がわざわざ探しに来たという本を無碍に閲覧却下してしまった事だった。あの時はそうするのがベストであると判断したのだが――内容を見るに、絵本であることが信じられないほど凄惨なものであり、およそ情操教育にふさわしくないと思われた――しかしその判断は本当に良かったのかと、後になって思い始めたのだ。
 子供に切れない鋏を持たせるのは、切れる鋏を持たせるよりも遙かに危ないのだという。それと同じ事ではないかと月彦は思うのだった。
 無害なもの、無難なものばかりではなく、時には毒となるようなものとも触れあう事こそがより良い成長に繋がるのではないかと。
(……つっても、さすがにアレはなぁ)
 真狐お勧めというのは、間違いなく悪い意味で、だと月彦は確信していた。あんな絵本を生まれて初めて買い与えられたら、その子供の心は間違いなく崩壊してしまうのではないだろうか。
「っと……、こっちにも集中しないとな。土曜までにはきちんと調べ上げておかないと」
 ハッと。月彦は眠りから覚めるように眼前に広げられた資料とノートへと視線を戻し、シャープペンを握る手に力を込める。性格的にずぼらな一面のある雪乃のことだ、子猫を飼うといってもどこまで自分で調べたりするかは怪しいと月彦は見ていた。ならばと、最低限の知識、気をつけねばならないことくらいは自分がピックアップし、伝えてやらねばならない。そんな義務感から図書館で仕入れてきた資料に目を通しては、メモをとっていく。
「……父さま、ただいま…………」
「ん、おかえり、真央。なんだ、またどこか行ってたのか?」
 うん、と真央はどこか元気のない声で頷き、そしてそのままベッドの方へと座った。図書館から一緒に家までは帰ってきたのだが、その後は部屋へは戻らず、トイレにしばらく籠もったかと思ったらすぐさま外に出かけたのまでは、月彦も確認していた。
「もう日が暮れてるからな。あんまり一人で外を出歩いたらダメだぞ?」
 うん、と真央は頷くが、やはり様子がおかしい。ひょっとしたら、図書館での件を引きずっているのかもしれないと、月彦は思った。
(…………仕方ない。今夜は思い切り甘やかしてやるか)
 或いは、“クローゼットの秘密”とやらも関係あるのかもしれない。が、そちらに関しては翌日の話し合いで“全てが終わった後”にきちんと説明をするという約束し、一切口出しをしない事に決めている。
 よって月彦に出来る事は、思い切り真央を甘やかし、好みのプレイで機嫌を取り戻させる事のみだった。


 夕飯と入浴を終え、後はもうベッドに入るだけ――ある意味待ちに待ったその瞬間に備えて、月彦は月彦なりにいくつかのシミュレーションを頭の中で行っていた。
(普段の真央だったら、最初はちょっと高圧的に命令して、たっぷりゾクゾクさせて楽しませた後、思い切り甘くするのが王道ではあるんだが……)
 今日のように、やや元気がない時にそれは逆効果ではないかと、月彦は判断した。よって、やはり当初の予定通りに思いっきり甘々なスペシャルなやつでいこうと決めた。
「おまたせ……父さま」
 ベッドの端に腰掛け、悶々とシミュレーションを行っていると、やがて入浴を終えた真央が部屋へと戻ってきた。普段ならばそのまま隣に座り、甘えるようにしなだれかかってくるか、意味深に背中を向けて何らかの作業を始めるか――勿論、襲って欲しいという合図――のどちらかなのだが、今日はそのどちらでもなかった。
「…………。」
 真央は辿々しい仕草でハンガーにかけてある上着――先ほど外出した際に真央が着ていたもの――のポケットへと手を忍ばせ、何かを握りしめる。その後、深呼吸を数回。そして意を決したように、月彦の方へと向き直った。
「あ、あのね……父さま……今日は、これをつけてシて欲しいの」
 そう言って真央が差し出してきたものを見るなり、月彦は天地が逆になったかのような衝撃を受けた。
「ま、真央……それは……」
 それは四角いビニールに入った、どこからどう見ても“アレ”にしか見えないものだった。
(ど、どういう事だ……?)
 困惑する月彦をよそに、真央はさりげない――なんとも自然な仕草で、月彦の隣へと座り、かくんと首を傾けてくる。
(考えろ、考えるんだ)
 まさか、ついに初潮が来たという事なのだろうか。――否、それは違うと月彦は見ていた。もしそうならば、こんな遠回しなアピールではなく、素直に真央の口から告げられるのではないかと。
(いや、待て待て……男親にはなかなか言えないって聞いたことがあるぞ)
 真央にもそういった恥じらいは当然あるだろう。巧く言葉に出来ず、遠回しに察してもらおうと小道具を使っただけなのではないか――。
「あ、あのね……父さま?」
 困惑し、完全に石になってしまっている月彦を見かねたように、真央が口を開いた。
「“そう”じゃなくて……その……“こういうの”もシてみたいなぁ、って……思っただけなの」
「“こういうの”?」
 かしゃん、かしゃん、かしーん!
 頭の中で、パズルのピースがハマるように、月彦は即座に真央の言わんとする事を理解した。
(……そういうことか!)
 すなわち、これは“プレイ”だ。そして真央がそれを望んでいるのであれば――。
「あっ……」
 月彦は態と強引な手つきで真央が握っている避妊具を手にとると、そのままぽいとベッドの端へと投げ捨てる。
「だ、だめ……父さま……あんっ」
「ダメじゃないだろ。今までずっとナマでしてたのに、どうして急にそんな事を言い出すんだ?」
 意地悪く囁きながら、真央の背中側へと右手を回し、抱き寄せるようにしてパジャマの上からむぎゅ、むぎゅと巨乳をこね回す。勿論、真央はブラなどつけてはいない。
「あぁんっ……だめっ、だめぇ……今日は、“危ない日”なのぉ……」
 おざなりな抵抗をする真央を組み伏せる形で押し倒し、月彦は両手でむぎゅ、むぎゅとパジャマの前ボタンが弾けんばかりに乱暴に揉み捏ねる。
「危ない日ってどういう意味だ? ちゃんと説明しろ」
「そ、それはぁ……あぁん! だめぇ、そんなに、おっぱいされたら……」
 はぁ、はぁと早くも息を乱しながら、真央は自ら足を開き始める。勿論“下”はまだ脱がしておらず、下着もズボンも履いたままなのだが、そんなこととはお構いなしに男を受け入れる姿勢をしてしまう愛娘に、月彦は苦笑を漏らしてしまう。。
(なるほど、な。今日は“こういうシチュ”でシたいんだな?)
 “危険日”なのに、強引に迫られるシチュ――それが真央の望みなのだろう。確かに、危険日というものが存在しない真央にとっては、それはある意味憧れのシチュエーションであるのかもしれない。
(先生とじゃ、結構やり慣れたシチュだけど……真央相手だと、これはこれでなかなか新鮮だな)
 月彦自身、真央の“誘い”に乗りながらも、不思議な興奮を感じずにはいられなかった。
「あぁんっ、あぁんっ……やぁっ……とうさまぁ……そんなに、おっぱいばっかりシないでぇ……だめぇ……からだ、熱くなるぅ……!」
 しつこいほどに胸のみに集中しての愛撫を続け、真央が堪りかねたように声を荒げる。
「だって、危険日なんだろ? じゃあ、本番は出来ないじゃないか」
 月彦はスパパーンと一瞬で脱衣を住ませると、真央に添い寝をするように寝転がり、そのまま真央の後ろへと回ると、引き続き両手で双乳をこね回す。捏ねながら、真央のうなじ、耳をれろり、れろりと舌先で愛撫する。
「あぁん! だ、だから……アレ、つけて………あぁん!」
 パジャマのボタンをいくつか外し、弾けんばかりに実った白い塊を解放する。既に先端はピンと尖っており、月彦はそれを指先で摘むようにして刺激する。
「…………嫌だ、と言ったらどうする?」
「ぇ……あぁん!」
 乳を揉む手を止め、そのままするりと。真央が気づくよりも早く、パジャマズボンの下、下着のさらに下へと忍ばせ、くちゅりっ、愛でる。
「“危険日”なのはわかった。…………それでも、俺は真央とナマでしたい。……ダメか?」
「ぇっ……やっ、……と、父さま……そんな事、言われたら…………」
 真央を背後から抱きすくめるような形で愛撫している月彦の位置からは、真央の顔色などは殆どわからない。それでも、月彦には自分の娘が真っ赤に赤面してしまっている事が如実に伝わってくる。
(すげっ……うにゅうにゅって……蠢くみたいに……)
 特に顕著だったのが、下着の内側へと忍ばせている指への“反応”だった。秘裂のほんの浅い場所をくちくちと弄っていただけなのに、ナマでしたいと囁いた瞬間、まるで媚肉が吸い付くように絡みついてきて、ドロリとした蜜が溢れてきたのだ。
「真央、もう一度言う。…………ナマでシていいだろ?」
「ぁぅぅぅ…………だ、ダメぇ…………きょ、今日は……ナマはダメなのぉ…………」
 もじもじと全身をくねらせながらも、真央は必死に首を振り、“イヤイヤ”をする。その実、焦れったげに腰をくねらせ、月彦の指を自らくわえこもうとするように奥へ、奥へと誘ってくるのだから堪らない。
(よしよし……完全に“シチュエーション”を楽しんでるみたいだな)
 これが本当に初潮を迎え、危険日だというのならば月彦とてそうそう無理強いは出来ない。が、“プレイ”と割り切れば、何処まででも強気に出られるし、楽しむ事も出来る。
「やっ……父さま……お尻に……当たってるぅ……」
「当ててるんだ。真央にナマで挿れたくて、こんなになってるぞ、ってな」
 ぐい、ぐいとパジャマズボンの上から剛直をすり当てると、真央は忽ち喉を震わせて声を漏らし、二人の間で挟まれたようになっている狐尻尾がうぞうぞとうごめき出す。
「あっ、ぅぅ……スゴ、いよぉ……父さまの……こんなに……あぁん! だめ、だめぇ……ナマはダメぇ……」
「ほら、真央。……ズボンを脱げ、尻に直接擦りつけてやる」
 イヤイヤをする真央の狐耳に、ぼそりと囁いてやる。ハッとしたように、真央は体の動きを止め、ううぅと小さく唸りながらも、自らパジャマズボンを下ろし始める。
「はぁ、はぁ……んんっ……あぁんっ……やっ……にゅり、にゅりって……擦りつけられてるぅぅ……」
 真央が膝上あたりまでズボンを下ろすや、月彦はもう辛抱たまらないとばかりに露わになった尻と太股に剛直の先端を擦りつける。興奮のあまりすでに先走り汁が滲み、先端を塗りつけた後はまるでナメクジでも這ったかのようにてらてらと光沢を放つ。
「ふーっ……ふーっ…………どうだ、真央。まだ気は変わらないか?」
「ぁぅぅ……だ、だって……ぁっ、ぁっ……やっ、ゆ、指……動かしちゃ……っ!」
 にゅぷ、にゅぷと今度は秘裂に忍ばせた指を抜き差しし、真央に声を上げさせる。既にそこはたっぷりと熱い蜜を蓄え、物欲しげにヒクヒクと指を締め上げるほどに出来上がっていた。
 “プレイ”などお構いなしに、強引に剛直をねじ込み、極上の肉襞の感触を味わってしまいたい――そんな誘惑を歯ぎしりして我慢しながら、月彦は真央を満足させるべく、“焦らし”を続行する。
「はぁっ、はぁっ……とう、さまの……ゆ、び……はぁ、はぁ……ンッ……ぁぁ…………はぁっ、はぁっ……」
 左手で真央の体を抱きしめたまま、右手の人差し指と中指だけで、秘裂を愛でる。激しく動かしたりはしない。単純な抜き差しを繰り返し、キュキュキュと真央が吸い付くように締め付けてきたら、それに抗うように時折指を広げてやる――それだけで、真央が次第に我慢がきかなくなるのを、月彦は感じ取っていた。
「なぁ、真央。……いいだろ?」
 頃合いを見計らって囁く――が。意外にも真央は首を縦には振らなかった。
「だめ……父さま、お願い……今日はホントに危ない日なの……」
 涙目で振り返りながら、クチュクチュと秘裂を弄る手を押さえるように掴む真央の言葉を、月彦はうっかり信じてしまう所だった。それほどまでに、“今日はナマはダメ”という真央の意思がハッキリと伝わったのだ。
(……いや、まさか、な)
 いくらなんでもそんな筈はない。これはプレイの筈だ――そう月彦は思い直す。
(でも、“このまま行く”のはなんか違う気がするな。……それは“正解じゃない”気がする)
 勿論、ダメだと良いながらも無理矢理犯されるというプレイもそれなりに真央を満足させる事は出来るだろう。しかし、最上ではない。真央が求めているのは何だろうと、月彦は――こういう事にかけては天才的とも言える推理力で――考える。
 そして、“解”へとたどり着いた。
「…………解った。真央がそこまで言うのなら、ちゃんと避妊をしてやる」
 そう、答えははじめから提示されていたのだ。真央が何のために避妊具を用意したのか――それは使ってみたかったからに違いないのだ。
(……やれやれだな。そこまでこだわるのか)
 面倒だ等とは思わない。むしろ、そこまでシチュエーションにこだわる真央に脱帽する思いだった。
「とう……さま?」
 真央の体を解放し、月彦はベッドの端へと放ったままになっていた避妊具を手に取り、それを剛直へと装着する。
「これでいいんだろ、真央?」
「う、うん……ありがとう、父さま……」
 どこかぎこちない真央の返事は、“体の欲求”と、シチュエーションのギャップによるものだと、月彦は判断した。そう、真央も本当はこんなものを使わない行為を求めている筈なのだ。――そこをあえて避妊を要求したのは、“その後”の事を考えているからに決まっている。
「どうした、真央。言うとおりにしてやったぞ。…………いつまで下着をつけたままで居るんだ?」
「あっ…………っ……」
 ぴくんと、真央が瞳をとろけさせながら身震いする。そして、おずおずと――見せつけるような、と言い換えてもいい――仕草で、下着と、膝に引っかかっていたパジャマズボンを脱ぎ捨てる。
 それを見届けてから、月彦はゴロリと。ベッドの上に仰向けに寝そべった。
「真央の我が儘を聞いてやったからな。次は俺の我が儘を聞いてもらおうか」
「えっ……父さまの、我が儘……?」
「今日は真央が上だ。ほら、早くしろ」
「う、うん……」
 真央に騎乗位をさせる事は、それほど珍しくはない。しかし、“最初から”というのは些か異例で、その分真央の戸惑いも大きいようだった。
「じゃあ、挿れる、ね……ンっ……ぁ、ぁん……ァ……っ……!」
 真央が跨り、へそまで反り返ってしまっている剛直を自分の方へと向け、ゆっくりと腰を落としていく。
(っ……やっぱり……“ナマ”には劣る……か)
 薄めのコンドームを使っているとはいえ、感じる感触はやはりナマに比べるべくもない。それでも、思わず声をうわずらせてしまうのは、それだけ真央の中が極上な証だと、月彦は思った。
「んっ……はぁ、ン……ぁぁぁっ……ンッ……!」
 そして、“感触”に不満を感じるのは、真央も同じらしかった。どこか鼻にかかったような焦れったい声がその証だった。
「ほら、真央。早く動け」
「う、うん……うご、く……ンッ…………!」
 真央が、腰を使い始める。反動でたぷたぷと巨乳が揺れ、どれほど見続けても飽きないその光景に、自然と手がのびかけるが――あえて、月彦はその手を止めた。
「はぁっ、はぁっ……んっ……ぁ……ぅ………………と、とう……さま……?」
「どうした?」
「ぁんっ……ぁんっ…………な、なんでも、……ない……んっ……んっ……」
 真央の目は、明らかに“どうしていつもみたいにむぎゅむぎゅってシてくれないの?”と語っていた。月彦自身、そうしたいのは山々ではあったが、今は時期ではないと判断したのだった。
(もっと、もっとだ)
 折角の“プレイ”だ。昨日一昨日の尋問エッチとは比べモノにならないほどの“焦れったさ”を味わわせてやる――ぺろりと、意味深に舌なめずりをしながら、たわわに揺れる果実をガン見しつづける月彦だった。



「はぁっ……はぁっ……んっ……ぁっ……ぁうっ、ぅぅ…………ンッ……!」
 くちゃ、くちゃ、くちゅっ、くちゃっ。
 腰を使う度に結合部から淫音が響き、それらは時間が経つにつれてより顕著になっていた。
 既に、二時間。真央は月彦に跨り、腰を使い続けていた。もはや全身の肌は上気し、冬場の寒気などモノともせずに玉の汗を滲ませ、それらは真央が激しく腰を振る度に滴り落ち、或いは辺りへと飛び散った。
 しかし、それほどの労力を使って得られた快楽は、真央の体が欲している需要量に比べてあまりにも微々たるものだった。
(だめっ……これじゃ、イけないよぉ……父さまぁ……)
 必死に腰を振ってはみたものの、とても絶頂へ到達できる気がせず、そして薄いゴム膜を感じて伝わってくる剛直の挙動からも、月彦に充分な量の快楽が供給できていないことが解る。
 それは真央を焦らせ、より大胆な動きへと促すが、動きを激しくしたからといって得られる快楽はさほども変わらないのだから堪らなかった。
(これ……とっちゃいたい……でも、でもぉ……!)
 避妊具を使って欲しいと言ったのは自分の方だ。なのに、イけそうにないから外したい等とはとても口に出来なかった。それでなくとも、今の真央には妊娠とは別の理由で“避妊具を使わなければならない理由”があるから尚更だった。
「はーっ……はーっ……ンッ…………はーっ…………はーっ…………」
 疲労もあって、真央は体の動きが徐々に鈍くなるのを感じていた。そのくせ、体を襲う焦れの方は際限なく高まっているのだからたちが悪い。仮にこのまま“お開き”にでもされたら、確実に朝まで寝付けないほどの焦燥を、真央はその身に宿していた。
 だから。
「…………そろそろ、いいか」
 ぼそりと呟かれた月彦の言葉に、真央は曇天の中に一筋の光を見た想いがした。
「と、とうさまぁ…………あ、あぁぁあんっ!」
 ゾゾゾゾゾッ――!
 月彦が右手を伸ばして、真央の左乳をむぎゅう、と力任せに掴んだ――ただそれだけなのに、真央は背筋を震わせ、甘い声を荒げる。
 さらに。
「あぁっ、ぁっ……あぁぁぁ!」
 もう片方の乳も掴まれ、むぎゅ、むぎゅと指の合間から肉が盛り上がるほどに強く捏ねられ――
(やっ……う、嘘っ……)
 ゾクゾクゾクッ――!
 ただ、両胸を力任せに捏ねられただけ。それだけで、二時間かかってもイけなかった体が容易く絶頂付近にまで押し上げられるのを感じた。
(あぁぁっ……やっ、父さまに、触られただけで……!)
 月彦に“される”――それこそが、自分の体にとって一番の興奮材料なのだと、真央は痛感していた。
「どうした、真央。腰の動きが止まってるぞ?」
「ぁっ……ご、ごめんなさい、父さまぁ……んっ、あんっ……あん!」
 そして、月彦に促されるだけで、先ほどまでと同じように腰を使っているだけなのに、快感が倍加する。よしよしと、まるで褒めるように月彦の手が太股を、そして腰を撫でるだけで尻尾の毛が逆立ち、イきそうになってしまう。
(あぁっ、あぁぁっ……父さま、父さまぁ……!)
 真央は感極まり、腰をくねらせながら徐々に上体をかぶせ、月彦にキスをねだる。幸い拒絶などはされず、真央は両胸を月彦の胸板に押しつぶすようにして、くちゅ、くちゅと舌を絡め、キスに没頭する。
「ンぁぁっ……んっ、んんっ……んっ……とうひゃまっ……んんっ……んぁっ……!」
 “キス”で月彦も感じてくれているのか、ゴム膜越しに剛直がびくびくと震えているのが解る。真央はその痙攣を止めようとするかのように、意識的にぎゅぅぅぅ、と剛直を締めながら腰を持ち上げ、落とす。
「……っ……」
 微かな月彦の喘ぎを、真央は見逃さなかった。月彦をもっともっと追いつめたくなって、真央は夢中になってキスをし、淫らに腰をくねらせる。
「……こーら、真央。……調子にのるな」
 怒っている、というよりは照れ隠し――そんな声と共に強引にキスが中断され――真央は体を押し返されるのを感じた。
 否、ただ押し返されただけではない。月彦もまた体を起こしており、あぐらをかいたその姿勢は――真央の最も好きな体位の一つだった。
「ひゃんっ! やっ……父さま、尻尾は……だめぇ……!」
「ナマはダメ、危険日だからダメ、尻尾もダメ……今日の真央はずいぶんと我が儘だな。……お仕置き、だ」
 おしおき――真央は両目を潤ませながら、ついオウム返しに呟いてしまう。そして次の瞬間には、弾かれたように甘い声を上げていた。
「あぁぁぁっ! あぁっ、ひぁっ……やっ、めっ……し、尻尾……あぁぁあん!」
 こしゅ、こしゅ、こしゅっ。
 尾の付け根を強めに擦られ、真央は腰を跳ねさせながら声を荒げる。
 尻尾への愛撫は、さらに続く。
「ふやぁぁぁっ……ぁああ! ひぃぁっ……やぁぁっ、らめぇっ……と、さまぁ……尻尾、そんなに……やぁぁぁっ!」
「おっと、勝手にイくなよ? イくのは一緒に、だ。……真央、解ったな?」
 解ったな?の“な”と同時に、はむっと。狐耳が咥えられる。そのまま、れろり、れろりと――。
「あーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
 イくな、と明言されていなければ、或いは本当にイかされていたかもしれない。それほどの快楽――まるで稲妻にでも撃たれたような気分だった。
「ひぃぁっ……やっ……らめっ、……しっぽと、みみ……ろうり、らんてェ……ンぁっ……あぁぁっ、あっ、あっ、あっ……! あぁっ、あぁっ、あぁっ!」
 そこへさらに“縦揺れ”が加わる。真央は月彦の肩口にかけた指で爪をたてながら、ただただ甘い声を漏らす。
「何言ってんだ。……好きだろ? “同時攻め”は」
「やっ……んぁぁぁぁっ!!! んっ、んんっ…………ンぅぅう…………!」
 くちゅ、くちゅっ、くちゅっ。
 それは結合部から漏れてくる音なのか、それとも触手のように絡み合う舌から漏れる音なのか、もはや真央には判断が付かなかった。
(やっ、んっ……キス、しながら……尻尾もぉぉ……!)
 体を縦に揺さぶられながら、キスをされながら、さらに尻尾まで刺激される。全身を襲う稲妻のような快楽に翻弄され、真央はただただ身を任せる事しか出来ない。
「ふぅ……ふぅ…………真央、待たせたな。そろそろ……だ」
 そしてキスの終わりと同時に囁かれた言葉に、真央の興奮はMAXまで跳ね上がった。
「はぁっ……はぁっ……ぁんっ……だ、だめぇ……父さまぁ……ナカは……ナカはだめぇ……!」
 快楽付けでぽぅ……としながらも、真央は“プレイ”に殉じる事を忘れなかった。――そう、折角の機会なのだから、出来ることはやっておかないともったいないと。
 そんな真央の言葉に、月彦は苦笑を滲ませる。
「真央、忘れたのか? 今日はちゃんとゴムつけてるだろ?」
 言われて、真央は思い出した。そうなのだ、今日は“ナマ”ではない。事実、最初はそのことが気になって気になって仕方がなかった。
 しかし、今は違う。月彦に指摘されるまで、そのことを忘れるくらい――否、“気にならなくなる”くらいに、舌で、指で感じさせられた。
「あっ、あっ、あっ……!」
 尾を弄る手が離れ、月彦が両手で真央の尻を掴み、揺さぶってくる。“それ”が意味する所を察して、真央もまたイくべく、月彦の動きに合わせて腰を使い始める。
「っ……ふうっ、ふぅ…………真央、真央っ……」
「父さま、父さまぁっ……あっ、あっ……父さまぁ!」
 互いに愛しい者の名を呼び合いながら、徐々に高みへと上っていく。
 そして――。
「あっ、あっ、あっ……あぁっ、あぁっ、あぁっ……あぁぁぁっ、あぁぁっ……あぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!」
 びゅぐんっ――!
 そんな“振動”をゴム膜越しに感じて、真央は天を仰ぐようにして声を荒げ、イく。
 びゅぐっ、びゅぐっ、びゅっ――射精はさらに続くが、それはいつものように真央の中へと染みては来ず、ただただ“熱”を使えてくるのみ。
「はーっ…………はーっ…………んっ、ぁ……」
 それが、真央にはもどかしくて堪らない。共にイき、中出しをされ、そのままマーキングをするように父親の匂いを塗りつけられるのが至福の瞬間であるのに。
 “これ”ではそれが味わえない。
「ふーっ……ふーっ………………真央?」
 いつもならば、互いに抱き合い、余韻を味わう時間――だが、真央は自ら月彦の体をベッドへと押し倒し、そしてあまり力の入らない体をなんとか動かして、剛直を抜いた。
(う、わ……すご、い……)
 装着された避妊具の先端部分にたっぷりと溜まった液体を前にして、真央は思わず喉を鳴らしてしまう。――が、欲望のままにそれを“味わう”ことは許されない。真央は不慣れな手つきで慎重に避妊具を外すと、その根本の部分をきゅっと結んで中身が漏れないように処置をした。
(後は、これを……エトゥさんに渡せば……)
 “そっち”の件は問題はない筈だ。
 となれば。
「……とうさま」
 真央はちらりと、ベッドに寝そべったままの月彦の方へと視線を移す。そしてなんとも意味深な――それでいて、恥じらうように胸元と秘部をそれぞれ手と足で隠しながら、言った。
「こ、これで……もう、いいよね?」
 そう。さながら“無理矢理押し倒されて、渋々エッチには付き合ったけど、これでもう許してくれるよね?”――そういう目で、月彦を見る。
 月彦なら、きっと解ってくれる。意図を汲んでくれると信じて。
「……何が“もういい”んだ、真央?」
 くすりと、笑みを一つ。次の瞬間には、真央は再び押し倒されていた。
「やっ……と、父さま……?」
 怯えたフリ、抵抗するフリをしながら、真央は胸がドキドキするのを止められなかった。そう、“今まで”のは半分以上エトゥの為にやったことだ。
 しかし、これからは違う。純粋に楽しむ事が出来る。
「……悪いが、やっぱりあんなモノをつけたままじゃ満足できないな。……真央もそうだろ?」
「わ、私は……ぁぁぁ……!」
 ベッドに押し倒されて、手首を掴まれ、見下ろされている――それだけで、真央は腰の動きを止められなくなる。“もっとシたい”――と、月彦にアピールしてしまう。
「……真央、四つんばいになって尻をこっちに向けろ」
 ぞくん――!
 月彦の言葉に、悪寒のような快楽が迸る。
「だ、ダメだよ……父さま……も、もう……アレ、ないし……今日は、危ない日、なんだよ……?」
 はあはあと、息が弾む。今度はこのシチュエーションを避妊具なしで味わうことが出来る。
 それだけでもう、真央は目眩がしそうな程に興奮していた。
「真央、一つ覚えていくといい。男はな、“好きな相手”から危険日だって言われると、余計に襲いたくなるんだ」
 ああぁぁぁ!――思わず声に出して、真央は感激してしまった。月彦の言葉だけで、下腹の奥がキュンと疼き、軽い絶頂すら感じてしまう。
(だ、め……もう、我慢なんて……)
 とろんと、瞳がとろけるのが、自分でも解る。ゆっくりと、緩慢な動作で、真央は四つんばいになるや月彦の方へと尻を向け、尻尾を高く掲げる。
「……真央、それはナマでしてもいいって事か?」
 くつくつと笑いながら、月彦が尻を、尾を撫でてくる。
「だ、だめ……今日は、ダメ、なの……中に出したら……赤ちゃん出来ちゃう日なの……ぜったい……ぜったいナマでしちゃだめぇ……」
「そんな格好で尻を振りながら言われても説得力ゼロだな」
 月彦の言うとおりだった。一糸纏わぬ姿で、まるで尻を差し出すように男の方に向けながら口にする言葉ではない。ましてや、涎でも垂らすようにトロリ、トロリと恥蜜を垂らしながらでは、月彦の失笑を買うのも無理はないと、真央ですら思った。
(あぁぁっ……父さまぁっ……父さまぁ、早く……早く挿れてぇ……!)
 そう、解っていても、止まらない。真央は自ら尻を振るようにして懇願してしまう。しかし、待てど暮らせどその望みは叶えられず、月彦はただただ真央の尻を撫でてくるばかり。
「ふむ。……やっぱり気が変わった。危険日なのに、無理矢理犯るのはやっぱりよくないな」
「えっ……」
 そんな――思わずそうつなげてしまう所だった。辛くも真央は言葉を飲み込み、歯を食いしばる。
「ぁ、ぅ……」
 そして、尻を撫でていた手までもが離れてしまい、途端に真央は焦った。そんな馬鹿なと、そう思った。
 父さまが、ここで止めたりするはずがない。きっとこれはいつもの“意地悪”だ。
 そうに違いない――そうに違いないのに。
 真央の体は、次の瞬間には――勝手に動いていた。
「……真央? 何の真似だ?」
「ぁっ、ぅ……くっ………………」
 はぁはぁと、息を乱しながら、真央は月彦に向けた尻を――正確には、足を広げる。より秘裂が見えやすいようにと。そして、右手を這わせ、指でくぱぁと割り開き、月彦に“魅せる”。
「や、止めないで…………お願い、父さまぁ……」
 羞恥に顔を真っ赤に染めながら、気がついたときには懇願の言葉を、真央は口にしていた。
「もう、父さまのが欲しくて……こんな風に、ヒクッ、ヒクッてなっちゃってるの……お願い、父さまぁ……」
「……危険日だからナマはダメなんじゃなかったのか?」
「いいっ……ナマでもいいからぁ……だからお願い、父さまぁ……真央を、真央を犯してぇ……!」
 もはや、“シチュエーション”も“プレイ”もどうでも良かった。ただただ抱かれたい、抱いて欲しい――そのことのみを考え、行動する動物に、真央は成り下がっていた。
「…………やれやれ、真央は本当に我慢が苦手だな」
 呆れたような声と共に、月彦の手が再び真央の尻へと宛われ、ぐにぃ、と。尻肉を掴む。
「そこは駆け引きを楽しむ所だろ? 真央がもうちょっと頑張れば、まずは“口”でたっぷり味見をさせて焦らした後、“中はダメ”って言ってる真央を無理矢理後ろから犯して、中出しするプレイが出来たんだけどな」
「あっ、ぅ……だ、だってぇ……」
「解ってる。“それ”はまた次の機会だな」
 苦笑。そして、真央のよく知っている肉槍の感触が、つん――と、指で広げている場所を突く。
「今日の所は、男の前でそういう“はしたない事”をするとどういう目に遭うのかを、たっぷりと教えてやる。……真央、覚悟しろよ? 俺をこんなに興奮させたのは真央だからな?」
 グンッ、と。腕かと錯覚するような肉塊が、徐々に真央の中へと進入してくる。
「あっ、やっ……父さまっ……あぁぁっ、父さまっ、待っ……っ……ひぅっ、やっ……お、大きっ……あっ、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
 その後は、獣のように後ろから犯され続けた。



 翌朝、“昨夜”の反動か、やや調子の悪そうにしていた月彦を尻目に、「今日は日直だから」と。真央は一足先に、普段より三十分ほど早くに家を出た。
 不思議と、足取りは軽かった。昨夜も遅くまで月彦に責められ、何度か失神までしてしまったというのに、朝目が覚めた時にはまるで二十時間ぐっすり寝た後のように体調が良くなっていた。
 そういう事は前にも幾度かあり、真央自身何故だろうと首をかしげてはいるものの、特に害があるわけでもないからさして気にもしていなかった。兎にも角にも、急いで学校に行かねばならず、真央は息を切らして通学路を駆けた。
 昇降口で上履きへと履き替え、教室へは行かずにそのまま屋上を目指す。肩を弾ませながら階段を駆け上がり、屋上へと通じるドアを開けた瞬間――真央は思わず息を飲んでしまった。
「えっ……」
 こんな時間の屋上など、きっと誰も居ないに決まっていると、そう思っていた。だから、屋上の丁度中央辺りに立ち、まるで天からの迎えを待っているかのように両手を広げて空を仰いでいる人影を目にした瞬間、真央は思わず固まってしまった。
 金色の髪が、キラキラと。陽光を受けて輝いているようにすら見える――それは理屈抜きで、“綺麗”だと、真央に思わせる光景だった。
「ぁっ」
 そしてどうやら、人影の方も真央の視線に気がついたらしく、ハッと振り返って――忽ち顔を真っ赤に染めた。
「ご、ごめん、なさい」
 一体何を謝る事があるのだろう。人影――金髪の女子生徒は真央の脇を抜ける形で校舎の中へと入っていってしまった。
(今の人……あの時の……)
 真央は空を見上げる。夜の名残を僅かに残す早朝の空には、まだ微かな月の影が残っていた。あの女子生徒はそれを見ていたのだろうか。
「…………。」
 気にはなるが、今はそれどころではない。真央は当初の目的を果たす事にした。
「エトゥさん、エトゥさん、居る?」
 真央は屋上へと通じるドアを閉め、屋上へと着き出した昇降口部分の裏側へと回ってそっと声をかける。そう、前日のトイレでの打ち合わせで、朝この場所で落ち合おうと、エトゥと約束しておいたのだった。
 理由は、第一に“材料”を手に入れても、エトゥが部屋に居た状態では満足な受け渡しもしづらいという事。第二に、単純に手に入れる課程をエトゥに聞かれるのが恥ずかしかったという事だった。
『……マオ?』
 不意に足下から声が聞こえて、真央はすぐさまその場に屈み、声がした方向――貯水タンクの根本辺りを注視する。例の消える蓑を着ていたらしいエトゥが姿を現したのはその時だった。
「よかったぁ〜。エトゥさん、ちゃんと来れたんだね」
 待ち合わせ場所に学校の屋上を指定したのは真央だったが、エトゥと分かれた後でひょっとしたら来れないのではないかと、少しばかり不安になっていたのだった。
『マオから建物の特徴と道順を聞いていましたから、ここを見つけるのは簡単でした。……ただ、この場所に上がるのが一苦労で……』
「そうだよね、ごめんね。靴箱とかにしとけばよかったね」
 人間には見られてはいけないという縛りがある以上、あまり人目に触れるような場所で密会するのは良くないと思っての判断だったが、場所が少しばかり適切ではなかったと、真央は反省した。
「あっ、そうそう! “材料”ちゃんと手に入れてきたよ!」
 真央は鞄を漁り、丁度指輪ケースが入るくらいの小箱を取り出し、中からたっぷりと液体の詰まったピンク色のゴム風船のようなものを取り出す。
『おお! これが例の!』
 エトゥは大仰に喜び、感嘆の声を上げるが、真央の心中は複雑だった。
『早速受け取らせて頂きます』
 しかし、そんな真央の心中はつゆ知らず、エトゥは例の竹筒を取り出すやその栓を外し、ゴム風船の方へと向ける。するとたちまちゴム風船は縮みだし、最後にはぺたりとつぶれてしまった。
「すっごーい! 今のどうやったの!?」
『ワタシも原理はよく解らないのです。使い方のみ熟知している次第でして』
 エトゥは竹筒に栓をし、腰から下げている布袋へとしまう。
『ともあれ、多大なる助力に一族を代表して感謝します。……ありがとう、マオ。本当に助かりました』
「いいよ、気にしないで。……病気、治せるといいね!」
 深々と頭を下げられ、真央はむず痒くなってしまい、困ったように笑った。
「そーだ! もし学校が終わるまで待ってくれるなら、行けるところまでエトゥさん送ってあげるよ! “ぽんこたん”って遠いんでしょ? エトゥさんが歩いて帰るより、多分その方がずっと早く帰れるよ!」
 純粋な善意による申し出――だった。しかし、エトゥはなにやら複雑な表情を浮かべ、困ったように笑った。
『……そうですね。これさえ手に入れば、ワタシの役目も終わり、ポンコタンへと帰れる。その筈でした。………………昨日までは』
「………………何かあったの?」
『我々は“外”で連絡を取り合うときは特別に訓練した虫や小鳥で文をやりとりするのですが…………昨日、日が暮れる寸前にこの文が』
 と、エトゥは懐から緑色をした紙の束のようなものを取り出し、真央からも内容が見えるように地面へと置いた。――が、それはどうやらコロポックル独自の文体らしく、真央には全く読むことが出来なかった。
「……なんて書いてあるの?」
『…………ワタシと同じようにポンコタンを出て材料を探していた仲間の一人が、重傷を負って材料探しを断念せざるを得なくなったそうなのです。そして、出来るならばその役目を引き継いでもらえないか、と』
「えぇぇ……でも、材料って……」
 またあの暗号のような手がかりと、漠然とした方角で探さねばならないのだとしたら、それはとてつもない労力と時間が必要になるのではないか――真央のそんな危惧を振り払うように、エトゥが静かに首を振る。
『大丈夫です。我々は里で選び抜かれた七人です。重傷を負って役目から外れたとはいえ、その者も立派な猛者――……どうやらかなりの所まで突き止め、材料の名前も既に解っているらしいのです』
「なんていう材料なの?」
『“ヤミノメ”というものなのだそうです。マオは知っていますか?』
「………………なんとなく、聞いたことはあると思う」
 ハッキリとどんなものか頭に描く事は出来ない。しかし、視界の端をかすった覚えはある――そんな漠然とした記憶だった。
「多分おうちに帰って母さまに貰った図鑑を見れば解ると思う。…………確か、何かの植物の実だよ」
『おお! さすがシュマリは博識ですね。……正直、探さねばならない材料の名前は解ったものの、それがどんなもので、何処に行けば手に入るのかが解らず、途方に暮れていた所だったのです』
「ううん、私なんて全然だよ。……母さまに連絡がとれれば、母さまなら……ひょっとしたらその病気を治すお薬を作れるかもしれないんだけど……」
 あの後も幾度か、部屋で一人になる度に交信を試みた。しかし、真狐からの返事は一度も無く、十円玉はぴくりとも動かなかった。
 なんとなく嫌な予感がする――が、同時に真央は母親を信じてもいた。きっとなにかトラブルに巻き込まれているだけなのだろうと。そしていつものように颯爽と解決し、忘れた頃にけろりと現れるに違いないと信じていた。
『まだ連絡がとれないのですか…………ご無事であれば良いのですが』
「大丈夫だよ! 母さま強いもん!」
『それは心強い。……機会があれば、是非とも一度お目にかかりたいものです』
 世辞ではなく、心底そう思っているかのようなエトゥの言い方に、真央はまるで自分が褒められたようなこそばゆさを感じた。
「えっと……とりあえず、エトゥさんは放課後までここに隠れててくれる? 学校が終わったら、すぐに迎えに来るから」
『何から何までかたじけない。……こうなったらもう、頼りはマオだけです。よろしくお願いします』



 

 学校が終わり、放課後になるや、真央はエトゥを回収して即座に自宅へと向かった。部屋に戻るなりすぐさまクローゼットの中を漁り、真狐から貰った植物図鑑(紐でとじられている、ずいぶんと年期の入った代物)を取り出し、勉強机の上に広げた。
「えーと……ヤミノメ、ヤミノメ…………あ、あった!」
『なるほど。これがヤミノメですか』
 図鑑に載っているのは写真ではなく、水彩画のようなタッチの絵だった。それによれば、見た目は丁度スズランのようだが、スズランでいう花の部分が黒い目玉のような形の実になっていた。
「あっ、お薬の材料にもなるって書いてあるから、やっぱりこれだよ!」
『しかし、これは一体何処に行けば手に入るのでしょうか。この国の植物であればおおよそのモノは見たことがある筈なのですが、このようなものは一度も見た事がありません』
「秘境に行けばあると思うよ? これ、秘境に生えてる植物の図鑑だもん」
『秘境、とは……?』
「えっ。エトゥさん秘境しらないの?」
『あまり人の立ち入らない奥地、という意味でなら聞いたことはありますが……』
「秘境はそういうんじゃないの。人界と妖界の境目が秘境なんだよ?」
 少なくとも、真央は母親にそう教えられた。
『妖界と人界の境目、ですか』
「うん。大丈夫、秘境なら私が案内してあげられるから、きっとすぐ見つかるよ!」
『それは頼もしい』
「あっ、でも待って。なんか隅っこの方にちっちゃく注意書きがしてある……えーと……ヤミノメは“満月の夜”にしか実が成らなくて、しかも朝には全部熟して落ちちゃうんだって。薬の材料になるのは未成熟のものを乾燥させた場合のみ……エトゥさん、次の満月っていつだっけ?」
『明日……いえ、明々後日の夜の筈です』
「明々後日……丁度日曜日の夜だね。これなら学校を気にせず秘境に行けるね!」
『しかしマオ。ワタシはその秘境という場所について詳しくないのですが、そこはひょっとして危険な場所なのではないですか?』
「うーん、確かに秘境の事をよく知らない人とかだと、結構危ないかも」
『…………ならばマオ。ワタシにそこへの行き方だけを教えて下さい。そのような危ない場所に貴方を連れて行くわけにはいきません』
「ダメだよ、エトゥさん。エトゥさん一人で行く方が絶対危ないよ。……私なら大丈夫。普段からお薬の材料とか探しに、一人で遊びに行ってるから、平気だよ」
『しかし……』
「危なくなったら、ちゃんと逃げるから大丈夫だよ。あっ、もちろん逃げるときはエトゥさんも一緒だよ?」
『…………解りました、マオ。貴方がそこまで言うのなら、ワタシもマオを信じます。一緒にヤミノメを採りに行きましょう』
「うん!」



 週末に備えて、真央は一つだけ悩んだ事があった。それは、秘境に行く旨を月彦に伝えるか否かという事だった。
 目的のヤミノメが満月の夜にしか手に入らないのであれば、万全を期す為にも土曜日のうちに秘境へと渡り、早い段階で“ヤミノメ”自体を見つけておく必要がある。そして日曜の夜を待って実を回収し、帰るわけなのだが――下手をすれば帰りは夜中、最悪の場合月曜日の朝という事になりかねない。
 至極、黙ってでかければ父親に無用の心配をかけることになりかねない。かといって正直に何処に行くのかを明かせば、今度は自分もついてくると言い出す可能性がある。勿論それは真央を困らせる為ではなく、“危険そうな所に一人では行かせたくない”という月彦の優しさ故に起こりうる自体だと、真央にも解っていた。
 そして結局、真央は月彦には何も告げず、代わりに葛葉に伝えておくことにした。土曜日から泊まりがけで里帰りをするから、日曜日の帰りはひょっとしたら遅くなるかもしれない。なるべく早くに帰ってくるつもりだけど、それでも遅れてしまう事があるから、その時も心配せずに待ってて欲しいと。少なくとも葛葉にそう伝えておけば、仮に帰りが遅いと月彦が心配しても、葛葉の口から“理由”が告げられるだろうと、真央は読んだのだった。
 
 そして、土曜日の朝。真央は密かにまとめておいた荷物を背負い、エトゥと共に家を出た。どうやら月彦の方も土曜は予定があったらしく、真央よりさらに三十分ほど早く家を出ていた。おかげで何処に行くのかと呼び止められずに済み、真央は少しだけ安堵していた。
 最寄りのバス停でバスを待ち、山行きの――正確には狐美姫峠行きのそれに乗る。が、しかし降りるのは峠よりもかなり手前のバス停だった。慣れ親しんだというとさすがに語弊があるものの、いつ見ても変わらない古びた停留所で降りるなり、真央は迷わずアスファルトの道を外れ、山の奥へ奥へと入っていく。
「エトゥさん、もう出ても大丈夫だよ」
 停留所で降りた客は真央一人であり、辺りには民家一つない山の中には人の姿などあるはずもなかった。もぞりと、背中にしょっているリュックから不可視の塊がはい出してきて、ちょこんと肩にのるや、エトゥがエメラルド色の瞳を露わにする。
『ここが秘境なのですか?』
「ううん、ここはまだ山の中だよ。でも、もうすぐ入り口が見えるよ」
 そう言って、真央は道無き道を鼻歌交じりに進んでいく。そのまま歩き続けること約四十分。漸くにして、真央は“入り口”へとたどり着いた。


『これが入り口なのですか?』
「うん」
 エトゥの視線を辿るように、真央もまた眼前にそびえ立つ巨木を見る。その幹の太さは、大人四、五人が手を繋いで輪を作ってやっと一周できる程だ。しかしその幹の太さのわりに高さの方はそれほどでもなく、四メートルもない。そんなひどくアンバランスな巨木には一枚の葉もついておらず、見た目にはただの変わった枯れ木にしか見えない。
『……一体どうやって?』
 エトゥが首をかしげるのも無理はなかった。“入り口”の筈であるのに、巨木には扉どころか穴一つ空いていないのだから。
「まずはね、お供え物を用意して、手を叩くの」
 言って、真央は木の正面に立ち、背負っているリュックサックから油揚げ入りのパックをそっと木の根本に置き、ぱんぱんと二回手を叩く。
「イズコさま、イズコさま、道をつなげてください。お願いします」
 言って、真央はぺこりと丁寧にお辞儀をする。
『マオ、イズコ様というのは誰なのですか?』
「私もよく解らないんだけど、母さまの友達のヒトなんだって。ものすごく面倒くさがりなヒトで、いろんな所に近道とか作っちゃって、こうやってお願いすれば少しの間だけ通してくれるらしいの」
 説明をしてから、真央はくるりと巨木に背を向ける。
『マオ?』
「しーっ、静かにしてて、エトゥさん。お供え物をしたら、背中を向けるのがマナーなの」
 真央に言われて、エトゥは口を噤む。――そして微かに感じた。背後、巨木の方に何物かの気配を。
 たっぷり三分ほどそうして背を向け、真央がくるりと巨木に向き直った時にはパックも、そしてその中に入っていた油揚げも消えてしまっていた。
「通っていいって、行こう、エトゥさん!」
 真央に言われて、エトゥは気がついた。巨木の根元、丁度根っこと根っこの間の当たりに、ぽっかりと熊の巣穴のような穴が口をあけていることに。勿論、こんなに大きな穴を見落とすなんて事はありえない、先ほどまでは間違いなく無かった穴だった。
 驚くエトゥをよそに、真央は四つんばいになると迷わず穴の中へと入って行く。
「んしょ、んしょ……ちょっと太ったのかなぁ……エトゥさん、落ちないように気をつけてね」
『大丈夫です、マオ』
 穴の中を四つんばいになって進む事、さらに小一時間。最初は遠く、遙かな先に見えていた光が徐々に近づいてきて、やがて穴の縁へと手をかけ――。
「んしょっ……と。……エトゥさん、着いたよ!」
『ここが……“秘境”なのですか』
 一面の緑。そこは先ほどまでの山の中とはまったく別の“森の中”だった。背後を見れば、先ほど見た巨木にうり二つな木が立っており、その根元の穴がエトゥの見ている前で生き物のように蠢き、さらに土が盛り上がって今し方通ってきた穴を塞いでしまった。
『マオ、大変です! 穴が無くなってしまいました』
「大丈夫だよ、またお願いしたら通してくれるから。それに帰りはここを使わないし。……ちょっと暑いね、上着脱いじゃおっと」
 確かに気温が違う、とエトゥは思った。先ほどまでの“冬の山”とは明らかに違う、気温差にして十度くらいはあるだろうか。周囲の木々の緑を見ても、この場所の季節が冬ではないことはあきらかだった。
「おまたせ、じゃあ行こうか、エトゥさん」
 上着をリュックにしまい、やや厚手のパーカーにトレッキングスカート姿になった真央がぴょんと太い木の根を飛び越えるようにして歩き出す。上着を脱いだ真央の肩に上ったエトゥは改めて、周囲を見回した。
 一見、見渡す限りの緑――先ほどまで同様の森の中に見えるその場所は、エトゥにとって全く未知の領域だった。生い茂った木々を遠目に見る分には、それは単なる森の中という風にしか見えない。しかし、それらの植物一つ一つを具に観察すると、幹の色や葉の形といったものの一つ一つがエトゥの記憶にないものばかりで、全く違った生態系がそこに出来上がっていることが解る。
(このような場所が……)
 エトゥは言葉を失っていた。そもそも小人――コロポックルが“呪い”を享受してまで安全な住処を欲したのは、その生息領域が人のそれに極めて近しかったからに他ならない。
 そう、“外敵から身を隠す”という事が、コロポックルにとっての生活の知恵であり、身を守る武器であった。故に、その社会は極めて閉鎖的でみもあり、同じ種族であっても互いの里の位置を知らないという事も珍しくはない。
 そして、エトゥは思う。仮に自分たちの祖先がこのような場所の存在を知っていたら、或いはコロポックル族の在り方もずいぶんと変わっていたのではないかと。
「あっ、鵺だ! 近づくと噛みつかれちゃうから、気をつけなきゃだめなんだよ。噛まれたら体が痺れて、そのまま死んじゃって食べられちゃうから」
 ぬえ――その名前はエトゥも耳にした事はあった。鬱蒼とした森の中、紫がかった毒々しい色の葉を茂らせる巨木の根の間に蹲っているのは、サルのような頭とトラのような体、そして翼を持った獣だった。真央が鵺と呼んだそれは眠っているらしく、静かに寝息を立てていて、その脇を息を殺したまま、忍び足で真央は抜けていく。
「あっ、ナキワライ茸がこんなにたくさん生えてる! ちょっと採っていこっと」
 そうして、自分の身長の五倍はあろうかという鵺の脇を抜けたかと思えば、ちょろちょろと微かに水が流れる極浅の沢のような場所をめざとく見つけ、その周囲に密生しているコケやキノコのいくつかを毟りとり、持参した布袋の中へと放り込んでいく。
『マオ、貴方は……』
「しーっ。エトゥさん、今は喋らない方がいいよ」
 そう言って、真央は指の前に人差し指を立て、そのまま足音を立てぬように忍び足で沢の側に転がっている巨岩の影へと身を縮める。
 バサァッ――到底鳥の羽ばたきとは思えぬ程の重低音と風圧と共に、巨大な影が木々の切れ目から差し込んだのはその時だった。
(……なんという巨大な鳥……)
 反射的に上を見上げたエトゥは、木々の切れ目から辛うじて巨鳥の一部だけをかいま見る事が出来た。そう、まさにそれは一部分であり、微かに見えたそれが果たして翼なのか尾羽なのか、それすらも解らないほどに巨大な鳥だった。巨鳥は肺腑を震わせるほどの重い羽音を響かせながら、徐々に遠ざかっていった。
「あーーーー! 羽が落ちてる! 極楽鳥の羽ってすっごく希少なんだよ!?」
 巨鳥が飛び去って程なく、はらはらと落ちてきた一枚の羽を目にするなり、真央は目を輝かせて飛びついた。赤い羽根の中央部分に、まるでクジャクの羽のような目玉模様の入ったそれは、エトゥが一度も見たことがないものだった。
「これはね、暗いところでは明かりの代わりになるし、火傷の薬の材料にもなるんだよ」
『……驚きの連続で、言葉も出ません』
 それが、エトゥの正直な感想だった。そしてその驚きの対象には、側にいる真央も含まれていた。

 その後も、二人きりの冒険は続いた。
 “秘境”へと足を踏み入れてから約二時間。エトゥがはっきりそうだと解っただけでも、真央は既に十度以上命を落としかけていた。最初の鵺についてもそうだし、極楽鳥についてもそうだ。そのどちらも、自分を含めた上での真央の力では到底逃れ切れぬほどの力の差をエトゥは感じた。
 しかし、それほどの相手とニアミスしたにもかかわらず、実際問題として真央は手傷一つ負っていない。それはひとえに真央が適切かつ早急な危機回避法を行ったからに他ならない。
「あっ、ここからはちょっと危ないから、“煙”の準備しなきゃ。ちょっと待ってね、エトゥさん」
 怪しげなキノコや草、木の実を拾いながらさらに歩くこと一時間。なんとも毒々しい、赤い幹の木々が生い茂った森の入り口に差し掛かるなり、真央は不意に足を止め、背負っていたリュックから拍子木ほどの大きさの棒きれを二本取り出した。それぞれ違う木から作られているのか、微妙に色合いが違い、真央はそれぞれ一本ずつ右手と左手に持つと、先端部分をシャカシャカと擦り合わせ始める。
『マオ、何をしているのですか?』
「“虫除け”だよ。こうやって擦り合わせるとね――」
 説明するより見せた方が早いと思ったのか、真央は言葉を切ってより強く木々を擦り続ける。やがて摩擦の為か、擦り合わせている場所からぶすぶすと白い煙のようなものが立ち上り始め、真央は一旦擦るのをやめると棒きれを地面に置き、その上で踊るようにして全身を燻す。
「ここから先の森はね、怖ぁい蚊とか、ヒルとかがいっぱいいるの。だからこうやって虫除けの匂いをつけてから入らないと大変な事になっちゃうの」
『…………それを教えてくれたのは、御母堂ですか?』
「うん! 母さまはね、何でも知ってるんだよ?」
 全身をたっぷりと燻し終えた後、真央は棒きれの先端に水筒の水をかけて煙を止め、手ぬぐいで軽く拭ってからリュックの中へとしまった。
「これでばっちり! さ、行こう。エトゥさん」
『はい、マオ』



 “怖い蚊の居る暗い森”の中は、エトゥの想像を遙かに超える世界だった。何よりも、そこに巣くっているのはどう見ても蚊などには見えなかった。
 ブブブブブブ――そんな重低音が聞こえてきたのは、真央とエトゥが昼間とは思えぬほどに昏いその森の中へと足を踏み入れてから、ほんの十分足らずだった。
「あっ、ほら。アレだよエトゥさん」
 その辺で拾った棒きれを振り回しながら鼻歌を歌っていた真央が不意に歌を止め、棒きれで彼方を指さした。
『蜂……ですか?』
「ううん、蚊だよ」
 それは到底、蚊の羽音ではなかった。しかし、徐々に近づいてくるそれは確かに蚊のように巨大なストロー状の口をしていた。
「しっ、しっ。こっちに来ちゃダメ」
 体長二十センチはあろうかという蚊を、真央は棒きれを振って追い払う。蚊は容易には下がらず、真央の死角から接近しようとするも、まるで見えない壁に阻まれるように途中で何度も向きを変え、最後には諦めたように何処かへと飛び去って行った。
 蚊を追い払うと、再び真央は鼻歌を口ずさみながら森の奥へ、奥へと歩いていく。実はこの鼻歌も、何種類かの危険な生き物を遠ざける効果があるのだが、勿論エトゥは知らない。
「あーーーーーーーーっ!」
 暗い森の中を歩き続ける事さらに一時間。唐突に真央が声を上げ、そして一気に駆けだした。
『ま、マオ……急にどうしたのですか?』
「ほら! 見て見て! 芳露蜂の巣だよ!」
 真央が指さした先には、黄土色の巨大な“蟻塚”のようなものがそびえ立っていた。その高さは軽く真央の身長を超え、ちょっとした岩のようにすら見える。しかし、それは蟻塚ではない証拠に、空豆の房ほどもある大きな蜂が周囲を警戒するように飛び回っていた。
『マオ、いけない。あれは危険です!』
 その塚の大きさから判断するに、膨大な数の蜂が中に巣くっているのは間違いなかった。
「大丈夫、任せて。エトゥさん」
 真央は懐を探り、石のようなものを取り出して口にくわえる。どうやらそれは笛らしく、いつでも口に出来るようにネックレスにして身につけていたらしいそれを、真央は大きく息を吸い、吹く。
 ピィィィィィィ――!!!!
 甲高い音が耳を劈き、エトゥは慌てて耳を塞いだ。と同時に、黒々としたものが蜂の巣からあふれ出し、すさまじい勢いで飛び去っていくのが見えた。
「ごめんね、耳を塞いでって言いそびれちゃった」
『いえ、たいしたことではありません。…………マオ、一体何をしたのですか?』
「この笛はね、ハチクイの鳴き声にそっくりな音が出せるの。ハチクイは芳露蜂がものすごく嫌いな音を出して、こういう風に追い払ってその間に巣の幼虫とかを食べるの」
 真央はリュックを下ろし、コルクの栓つきの瓶を取り出すと、それを片手に抱えたまま、空いている手をずぼりと蟻塚ならぬ蜂塚へとめりこませる。
「んしょ、んしょ……あ、あった!」
 蜂塚の表皮をばりばりとめくり、その奥から黄金色に輝く蜜を指先ですくい取り、真央はぺろりと舐める。
「あっっまーーーーーーーい! 美味しーーーーーーーーーっ! ほらほら、エトゥさんも舐めてみて!」
『…………! これはっっ……』
 真央に指を向けられて、その指先についた蜜を舐めとるなり、エトゥはあまりの旨さに言葉を失った。
 本来、花の蜜はコロポックル族の主食ともいえるものなのだが、これほどまでに芳醇な味わいを持つ蜜を舐めたのは生まれて初めてだった。
「ね、美味しいでしょ?」
『……絶品です』
 真央が蜜をすくい取り、小瓶に詰めるのを見ながら、エトゥは後悔の念に駆られていた。“水筒”をもう一本余分に持っていれば、自分もこの蜜を採取して持って帰る事ができたのに――と。
「あーーーっ、蜂の子だ! これもプチプチして美味しいんだよ?」
 真央は巣の中から親指ほどの大きさの白い幼虫を取り出すと、ためらいもなくそれを口に放り込む。
「ンぁぁ〜〜甘くて美味しいよぉ……ぷりっぷりで、噛むとぴゅるって甘いのが出てきて体の力が抜けてきちゃう!」
 二匹、三匹と立て続けに食べ続け、四匹目をつまもうと真央が手を伸ばして――ぴたりと。その動きが唐突に止まった。
 ピコピコと、その両耳がまるでレーダーのように震え、様々な方角を向く。
「あっ、いっけない。そろそろ逃げないと戻ってきちゃう」
『戻ってくる? さっきの蜂がですか?』
「うん! 急いで逃げなきゃ。芳露蜂って怖い毒を持ってるからもし刺されたらショック死することも多いの! 死ななくても、手とか刺されたら太さが三倍くらいになっちゃうんだって!」
『それは怖い……それも御母堂の教えですか?』
「うん!」
 脱兎のごとくとはまさにこのことであり、一足早い離脱が功を奏したのか、真央が蜂に絡まれる事は無かった。
 その後も何やかやと見つけてはつまみ食いのような採集を続け、日が暮れる前には赤い森を抜ける事に成功した。

 一際深かった森林地帯を抜け、“ただの鬱蒼とした森”をしばらく進んだところで日が暮れた。どうやら最初から“休憩”をするポイントは決めていたらしく、薄暗い中でも真央は迷うことなくその場所へとたどり着き、腰を落ち着けた。
 それは、丁度巨岩と巨岩が“人”の字を作るように重なり合ったくぼみだった。奥行きも五メートルほどはあり、椅子代わりになる石や、テーブル代わりに使えそうな平べったい石なども完備されていた。
「義母さまが作ってくれたお弁当、晩ご飯になっちゃった」
 明かりは先ほど拾った極楽鳥の羽を使い、真央はテーブル石の上に弁当箱を広げ、むしゃむしゃと食事にいそしんでいた。エトゥもまた――コロポックル族はそんなに頻繁に食事をとる必要もないのだが――真央が採集した芳露蜂の蜜を少量分けて貰い、それを晩餐にした。
『マオ、“ヤミノメ”の場所まで、あとどれくらいなのですか?』
「んーと……図鑑に書いてあった場所は確かウマズメ湖の側だから、ここからなら歩いて五時間くらいだよ」
『……まだ結構遠いのですね』
「“入り口”からまっすぐ行ってたら三時間くらいで着いてたけど、でもそうすると黒い谷を通らなきゃいけないし、そっちは危ないから絶対行っちゃダメって母さまに言われてるの」
『なるほど、安全な道をしっかり選んで向かっているという事なのですね』
「うん。ごめんね、遠回りになっちゃって」
『いいえ』
 エトゥは静かに首を振る。
『十分すぎます。このような場所、例え我ら一族全員で挑んだとしても、誰一人目的の場所までたどり着けなかったでしょう。マオ、貴方が居たからこそ、ワタシもここまで来れたのです。何を不満に思う事がありましょう』
「えへへ。エトゥさんは褒めすぎだよ」
 真央も余程腹が減っていたのか、二人前に近い量があった弁当をぺろりと平らげ、さらに食後のデザートにと瓶に詰めていた蜜を殆ど舐め尽くしてしまった。
「あーーん! また全部舐めちゃった。……今度こそ父さまへのお土産にしようと思ったのに」
『…………また帰りに採る、というのは無理なのですか?』
「帰りはあそこを通らないから難しいよ。それに石笛も続けて使うと嫌がってくれなくなるから、二回目は危険なの。……新しい巣が見つかればいいんだけど」
『なるほど。そういうことなら仕方ありませんね。新たな巣が見つかる事を祈りましょう』
「うん! ていうか、今日はもうほんっと大収穫なんだよ!? いつもはこの半分も見つからないんだから!」
『そうなのですか?』
「そうなの! 芳露蜂の巣なんて、まだ今日の分も合わせて二回しか見つけたことないもん。それなのに、今日に限ってこんなにいろいろ採れるのはきっとエトゥさんが一緒だからだね」
『……だと良いのですが』
 エトゥは思わず苦笑をしてしまう。“小人”を見つけた者には幸運が訪れる――そんな伝説が人の間にはあることを、エトゥは知っている。が、それはただの迷信だ。単純に“見つけにくいもの”を見つける事が出来たのだから、自分にはきっと強運が宿っているに違いない――そう思いこんだ連中が吹いて回っているだけなのだ。そしてそれもコロポックル族が“呪い”を享受してからはことさら難しい――不可能と言い換えてもいいのが現状だ。
(……しかし今はその迷信に縋りたくなります)
 里の命運がかかっているというのに、自分の力はあまりにも無力。せめて真央に幸運を授ける事ができていたら――それは願いというよりも、祈りに近いものだった。
『…………マオ、今宵はもうここに泊まるのですか?』
「うん。夜は色々危ないから。朝になったら出発だよ」
『そうですか。……ちなみに、“音”は出しても大丈夫ですか?』
「音? あんまり大きな音はダメだけど、どういう音?」
『これです。マオの家ではさすがに人目を憚って無理でしたが……』
 エトゥが布袋から取り出したのは一本の横笛だった。エトゥはそれを構え、少しだけ吹いて音を出す。
『だいたいこれくらいの音が出ます。……大丈夫ですか?』
「うん、それくらいなら全然大丈夫だと思うよ。エトゥさん、何するの?」
『マオにはいくら感謝の言葉を並べても足りません。…………せめて一曲、マオの為に奏でさせて下さい』
 言って、エトゥはそっと横笛に口をつける。瞼を閉じ、そして心の赴くままに演奏を始める。
 コロポックルの文化には、楽譜というものは存在しない。楽器を使って演奏は行うが、それらは全てその時々の心の赴くままに奏でられる。
 たとえば、皆で宴会をするときはその楽しい気分のままに楽しい曲を。悲しみに暮れている時は悲しみを曲に乗せる。
 今、エトゥが奏でるのは“感謝の心”だった。それは楽しげなリズムから始まり、しかし“重み”を失わず軽すぎず、中盤からは清流の流れのように静かに、しかし音がとぎれる事はなく。そして徐々に緩急を織り交ぜ、まるで一つの物語を紡ぐかのように後半には幾重にも音を重ねてのクライマックス。最後にはたっぷりの余韻を残して、演奏は終了した。
 エトゥが瞼を開けると、真央は岩壁に背を預けたまま、眠るように目を閉じていた。やがてエトゥに遅れること数分、真央もまたゆっくりと瞼を開けた。
「………………すっごく良かったよ、エトゥさん。なんだかじぃーんって来ちゃって、ちょっと涙出ちゃった。今のはなんていう曲なの?」
『……答えかねる質問です。今のは心の赴くままに、指を動かし、奏でただけです。全く同じ演奏は、二度と出来ないでしょう』
「そっかぁ…………ありがとう、エトゥさん。……そーだ、お礼に今度は私がエトゥさんに私たちの歌を教えてあげる!」
『ほう、それはとても興味深いですね。……シュマリの歌ですか?』
「うん、まだ赤ちゃんだった頃にね、母さまがいっぱい歌ってくれらの。へたくそだったらごめんね」
 そう言って、真央は少し照れくさそうにしながら、子守歌を口ずさみ始める。そのメロディは独特だがとても覚えやすく、エトゥはすぐにそれを覚え、真央が歌い終わると同時に自らの笛で奏で始める。
 それを聴いて、真央もまた再度歌う。“己の心”を奏でる為にしか笛を使った事がないエトゥにとって、頭の中にある音を模す為に奏でるというのは初めての事だった。
 しかし、これはこれで悪くない――と思う。或いは遠い昔、呪いを受ける前の自分たちの祖先はこのようにしてシュマリ――キツネや、人と共に歌い、そして奏でていたのではないかとすら思うほどに、“しっくりくる”行為だった。
『……おや』
 そしてふと気がつけば、いつしか真央の歌は途絶え、地面に幾重にもしかれた大きな葉のベッドの上に身を横たえて寝息を立てていた。
『……そういえば、子守歌というのは子供を寝かしつける為の歌でしたね』
 エトゥは笛をしまい、極楽鳥の羽に手ぬぐいをかぶせて明かりを消し、自らも眠りについた。



 


 翌朝、どちらともなく起き出した二人は初日に採集した食べ物で簡単な朝食を摂り、目的地である湖の畔を目指して出発した。
 前日とは違い、鬱蒼とした森の中ではなく木々がまばらな林の中を歩き続け、特にこれといった障害もなく昼過ぎには目的の湖へと到着した。
「あぁっ、あったよ! エトゥさん! これでしょ?」
『確かに、あの図鑑に載っていた葉の形と一致しますね。…………しかし、本当に夜になれば実が成るのでしょうか』
「それは大丈夫だよ。……だけどエトゥさん、ヤミノメって多分、クルミくらいの大きさはあると思うけど、大丈夫? ちゃんと持って帰れるの?」
『その点は心配いりません、マオ。そういった木の実、果実専用の採集用具もばっちり用意していますから』
 旅に出た時点では、一体どういうものを持って帰らなければならないのかすら解らなかったのだ。故に、エトゥは考えられるあらゆるものを持って帰れる様、準備をしていた。
 湖の畔で日が暮れるのを待ち続ける事数時間。時折水を飲みに来る見たこともないような大型の獣やら鳥類から身を隠しながら、二人は満月を待ち続けた。
 やがて日が暮れ、夜の帳が下り、月が昇り始めた――まるでそれを待っていたかのように。
「あーっ! 実が出来てきたよ、エトゥさん」
『ですね。……どのくらい大きくなればいいのでしょう』
「んーと、ちょっと待ってね」
 真央はリュックから図鑑を取り出し、極楽鳥の羽を明かりの代わりにしながらページをめくる。
「ええと、実が最大まで大きくなると、表面に赤い筋が浮いてくるんだって。だから、赤い筋が浮き始めたら採っちゃっていいみたい」
『赤い筋……』
 真央もエトゥも、食い入るようにして闇色の果実を見守る。実が出来はじめてからさらに待つ事一時間、漸く実のいくつかに赤い筋が浮き始め、真央は早速そのうちの一つを毟りとった。
「これくらいでいいのかな? もうちょっと浮かぶまで待つ?」
『いえ、熟しすぎると逆にダメだと書いてあった筈です。赤い筋は浮いているのですから、これで大丈夫でしょう』
 言って、エトゥは布袋から一回り小さい布袋を取り出し、口を広げる。たちまち、ヤミノメはしゅるりと、その大きさを縮めながら布袋の中へと収納された。それは果実用の収納袋であり、リンゴほどの大きさのものであれば十個程度は収納することができるものだった。
『しかし念のため、“程度の違うもの”をいくつか余分に採っていきましょう』
「そうだね。あっちにも確か生えてたから、ちょっと見てくるね」
『頼みます、マオ』
 エトゥも自力で二,三個の実をむしり取り、収納袋へと入れる。さらに真央がとってきたものも収納し終えた時にはもう、月も大分高く昇っていた。
「よし、これでばっちりだね! 帰ろう、エトゥさん」
『今から帰るのですか?』
 真央の言葉に、エトゥは少なからず驚いた。既に夜更けと言ってもいい時間帯だ。その時間帯に出歩くのは危険だから、昨夜は早めに岩場で休憩したのではなかったのだろうか。
「だって、急がないと父さまに心配かけちゃうし……明日は学校だもん」
『しかし……大丈夫なのですか?』
「本当はあんまり良くないけど、でもここなら門が近いから平気だよ」
『???……どういう事ですか?』
 真央の言葉の意味がわからず、エトゥは首をかしげる――が、説明している時間が勿体ないとばかりに真央が歩き出した為、エトゥは落ちないようにしがみつかなければならなくなった。
「えーと……確かこの辺に……あ、あった!」
 真央が足を止めたのは湖畔から少し離れた森の中。いくつかの石が積み重ねられ、その手前に人の背丈ほどの小さな赤い鳥居が立っていた。このような人の痕跡がまるでない異界の地にあって、その光景はひどく異質なものにエトゥには見えた。
「イズコ様を祀ってある祠だよ。ずーーーーっと昔に誰かが作ったんだって。最初に通ってきた木の場所は同じ所にしか繋がらないけど、ここならいろんな所と繋がるから帰る時にはすごく便利なの」
 真央はリュックから行きに使ったものと同じパックの油揚げを積み上げられた石の前へと置き、パンパンと手を叩く。
「イズコ様、イズコ様、大きな木の入り口に帰らせて下さい。おねがいします」
 そして、丁寧に辞儀をして、背中を向ける。どうやらそれもマナーの一つらしい。行きの時と同様、背後に何者かが這い寄る気配がして、たっぷり三分ほど待ってから、真央はくるりと向き直った。当然のこと、と言っていいのか、そこにはもうパックの油揚げはなくなってしまっていた。
「さっ、帰ろうエトゥさん」
 言って、真央は人の背丈よりもやや高い程度の小さな鳥居をくぐる――その瞬間、体中に電気が走るような衝撃を受け、思わずエトゥは身を竦め瞼を閉じてしまった。
 そして、再び瞼を開けたその時には、行きの際に使った巨木の場所へと戻されていた。『……イズコ様という方は一体どれほどの力を持った方なのでしょうか』
 大きな力を持つ仙人や、妖術に長けた者の中には転移――いわゆる瞬間移動といった力を持つ者がいるという話は、エトゥも聞いた事がある。が、このようにまるでバス停かなにかのように他者を移動させるというのは、それこそ神懸かり的な力が無くては出来ない事ではないのだろうか。
「…………たしかにすごいヒトだよね。母さまに教えてもらってから何回も使ってるけど、今まで一度も気にしたこと無かったよ」
 真央はきょとんとした顔で首をかしげていた。瞬間移動など、エトゥにとっては体が震えるほどの超絶レア体験にもかかわらず、真央にとってはどうやら人間の世界のバスや電車などと大して変わらない認識しかないのかもしれない。
「さっ、急ごう、エトゥさん。バスが無くなっちゃう」
 真央に急かされる形で、エトゥは再び真央の肩に体を固定し、その場を後にした。


 やや遠いバス停まで小走りに向かったのは、この時間帯にはそこしか帰りのバスが無いからだった。もし逃してしまったら山の中で夜明かしする羽目になる為、息を弾ませながらバス停へとたどり着き、待つ事十数分。漸くやってきたバスに乗り込んだ真央は最後尾の席へと座り、ホッと安堵のため息をついた。
 ちなみに真央以外の乗客は一人も乗っていなかった。
「良かったね、エトゥさん。ちゃんと“ヤミノメ”が手に入って」
『そうですね。全てマオのおかげです』
 うっかりバスの運転手に見られてはいけないから、エトゥは姿を現す事はできないが、しかし声だけはしっかりと返ってきた。
「…………でも、これでお別れ……だね」
 エトゥを手伝う事が出来たのは嬉しいし、二人での秘境巡りも純粋に楽しかった。しかし、それは同時にエトゥとの別れを意味する。
『そうですね。……薬の材料を手に入れた以上、一刻も早く里へと帰らねばなりません。……この乗りものがマオの町に戻って、マオが降りたら――そこでお別れです』
「もう夜も遅いよ? もう一晩くらい泊まっていったほうがいいよ」
『いいえ、そういうわけにはいきません。……幸い、秘境での探索中はワタシはほとんどマオの肩に乗ったままでしたから、余力は充分に残っています。大丈夫です』
「でも……」
『……名残惜しいのは、私も同じです。…………可能性は決して高いとは言えません。しかし、もし無事病を治す薬を作り上げる事ができた暁には、ワタシは再びマオの元を訪れるつもりです。私用で里の外に出る事は硬く禁じられてはいますが、我々には恩返しをしなければならない相手がいると、同胞達を説得をしてみるつもりです』
「うん! 私、ずっと待ってるから! ……エトゥさんも高いところに上る時はきちんと足下に気をつけなきゃだめだよ?」
『ははっ、耳が痛いです。……大丈夫、もう二度とそんなヘマはしません』
「カラスとか猫とかにも気をつけてね? 車に踏まれちゃったら嫌だよ?」
『大丈夫、安心して下さい、マオ』
「…………。」
『…………。』
 やがて、バスが自宅から最寄りのバス停へと停車する。席を立ち、運賃箱へと料金を入れ、バスを出る――真央のその所作はいつになく重かった。
 バスから降り立ち、プシューという空気が抜けるような音と共に扉が閉まる。程なくバスが出発し、視界からも消える。
 降り立った場所は閑散とした住宅街の一角で、夜更けという事もあり一人の通行人も居なかった。
 だから、だろうか。――否、だとしてもリスクが高すぎると言わざるを得ない。
 にもかかわらず、真央は自分の肩に小人の姿を見た。
『……お別れです、マオ』
「エトゥさん。ダメだよ、ちゃんと蓑をつけないと」
『…………ひょっとしたら、これが最後になるかもしれません。ならばせめて、マオに忘れられないよう、素顔で別れを告げたかったのです』
「…………大丈夫だよ。エトゥさんの事、絶対に忘れたり――」
 そこまで真央が口にした時、ひゅっと。何かが肩をかすめるのを、真央は感じた。


「――こんな夜更けまで遊び歩いてはるなんて、躾のなってない娘はんどすなぁ」


 突然聞こえた声の方へと向くよりも先に、真央は真っ先に己の肩口へと手を伸ばしていた。しかし、真央の手は得体の知れない何かにはじき飛ばされた。
「エトゥさん!」
『マオ!』
 その“何か”――まるで着物の帯のようにみえるそれはエトゥの体を絡め取り、しゅるしゅると“持ち主”の元へと戻っていく。
「珍しい玩具持ってはりますな。“これ”が夜遊びの原因どすか?」
「止めて! エトゥさんを返して!」
 一も二もなく、真央は駆け出し、手を伸ばしていた。幸か不幸か、エトゥは雲散霧消したりせずに形を留めていた。即ち、“相手”が人間ではないことだけは明らかだった。
「……年端もいかない子供が夜遊びはあきまへん。……おしおきどすえ」
 にやりと、女が笑う。その手に握られていたエトゥが、まるでそれ自体が発火したように青白い炎に包まれ、悲鳴を上げる間も無く消滅する。
「エトゥさ…………そんなっ……嘘っ……イヤァァァァァァァァァァァァァァァア!!!!!!」
 真央の絶叫が、慟哭が、夜空に木霊した。


 一体何が起きたのか、真央はすぐには理解することが出来なかった。
 エトゥと出会い、そしてその旅の目的を知り、手伝いをした。二人で秘境巡りをし、夜は楽しく語らい、一緒に歌い、奏でた。
 折角仲良くなれたのに、別れるのが悲しかった。でも、それは仕方がない事だった。覚悟も決めていた。
 でも。
 “こんな別れ方”は望んでいなかった。

「ぁっ……ぁぁっ……そん、な…………エトゥさん……」
 真央はその場に膝から崩れ落ちる。目の前の女がエトゥを掴んでいた手を開くと、燃えカスのような黒い灰が夜風に乗り、真央の方へと舞い落ちる。
 真央にはそれがまるで、エトゥが別れを告げているように思えて、両手で救うようにしてそっと受け止めた。
 受け止めて――眼前の女を睨み付けた。
「どうして……どうして、エトゥさんを!」
「おしおき。そう言った筈どすえ。…………それが目上の者に向ける目どすか?」
 そこで初めて、真央は目の前の女をハッキリと見た。黒い髪は短く、肩ほどもない。頬の横の辺りで外向きに広がり、そこからくるりと内側に巻いている。そして髪の上にはちょこんと、あまり見慣れぬ形の黒い獣耳がにょきりと生えていた。
 目は目尻の下がった――俗に言う垂れ目であり、顔立ちは美形ではあるものの、相応に年齢を感じさせた。恐らくは、人でいう三十台前半から中盤、左の口元に黒子。口紅の色は薄紫。体つきも含めて、全体的にややふっくらとしている感があるものの、それは“太っている”というよりは“ふくよか”という表現が当てはまる程度のものだった。
 女はまるで喪服のように黒い着物を着ていたが、その帯には鯨幕のような白黒のラインが交互に入っいた。そして何よりも目を引くのが、女が首周りに蒔いている――成人式の振り袖の上などにつける――ショールだった。
 白い、一見ただの羽毛のショールに見えるそれを視界に捕らえたとき、真央はまるで心臓に毒液を流し込まれたような不快さを感じた。
「くすっ……こうして見ると、“あの女”の若い頃にそっくりどすなぁ。見ているだけでムカムカしますえ」
「あの……おんな……?」
「下品で、愚劣で、外道で、悪辣で、傲慢で、恥知らずの乳牛女――あんさんの母親どす」
「母さまを……知ってるの……?」
「知ってるもなにも……あんさんが生まれる遙か昔からの腐れ縁どす。……その様子やと、うちの事はなーんも聴かされてへんみたいおすな」
 もしや――と。真央は一つだけ心当たりがあった。それは先日、由梨子と月彦と三人でプールにデートをした後、自宅に帰っての事。
 珍しく怒り狂っていた母親が漏らしていた言葉。
「…………“シマシマデブ女”」
 真央の呟きに、ぴくりと。眼前の女が眉を揺らす。
「うれしーわぁ。うちの事そんな風に紹介してくれはってたん?………………あのクソ女、やっぱり八つ裂きにして正解やったおすえ」
「やつ……ざき?」
 まるで初めて耳にする単語のように、真央はオウム返しに口にする。女は、さも愉快そうに目を細め、小さく頷く。
「逆上してつっかかってくる相手を罠に嵌めるほど、簡単な事はあらしまへん。キュッと首を跳ねて、生皮剥いで肉は八つ裂きに、皮は尻敷きにしてやりましたわ」
「……嘘だ」
 吐き捨てるように、真央は言った。確かに、眼前の女から感じる気配はただごとではない。が、“あの母親”が負けるはずがないという確信が、真央にその言葉を吐かせた。
 女は、尚も笑う。笑いながら、意味深に自らが肩掛けにしているショールをなでつける。
「あんさん、“コハクキュウ”って知ってはります?」
「…………。」
 真央は黙って首を横に振る。
「それはあきまへん。あんさんもキツネの端くれなら、“狐白裘”は知っとかんとあきまへんえ」
 あんさんらの“死体”から作る衣どっしゃろ?――女はなんとも冷徹な笑みと共に、そうつなげる。
「あんさんらキツネの柔らかい腋の下の毛だけを集めて作られたんが狐白裘どす。昔の人間は面白いものを考えるもんどすなぁ…………せやから、うちも真似してみたんどすえ?」
 そう言って、女はショールをなでつける。何度も、何度も意味深に。
「これだけで、千匹分以上の毛皮が必要どしたわ。ほら、ここ。見えはります? この辺り、ちょっと黄色くくすんだ色になってますやろ? 見覚えあらしまへん?」
「そん、な……嘘……母さまが……?」
「毛皮にしても汚すぎて二束三文にしかならへんやて、ほんま癪に障る女どすえ。……あんさんはまだ若うおすから、良い毛が獲れそうどすなぁ?」
 女が、両手を広げる。それはまるで蝶が羽を広げるように、女の背後に鯨幕模様の帯が二本、放射状に伸びていく。
 ――刹那、真央は立ち上がると同時にその場から逃げ出していた。
「……それ、ひょっとして“逃げてるつもり”どすか?」
 しかし十メートルも走らないうちに両足に帯のようなものがからみつき、真央はつんのめるように地面に転がされた。
「あうっ……!」
「縮地も使えへんとか、どんだけ無能どすか? 呆れて言葉も出まへんわ」
「っ……ぅぅう!」
 唸るような声を上げて、真央は両手のひらを重ねるようにして女へと突き出した。今宵は満月、妖狐にとって妖力が最も漲る夜でもある。
 だからこそ使える、狐火を――。
「それはあきまへん」
 今の真央に出来る精一杯の抵抗――それはライターの炎よりも若干だけ大きな狐火。しかしそれは女の一息で容易く消し飛ばされてしまった。
「あきまへんわ。あんさん、弱すぎどす。弱いもんが勝算も無しに強いもんに逆らうのは愚の骨頂どす」
「あぁぅ……!」
 ぐいと、帯によって全身を拘束され、真央は逆さづりにされる。そのまま女と目線が重なる高さまで持ち上げられる。
「このまま人間の作った石道の上に頭から落としたら、どうなりまっしゃろか? “奥の手”があるなら、いまのうちどすえ?」
 真央は抵抗も、そしてもはや言葉も出なかった。互いの実力差は歴然であり、仮に叫んで助けを呼ぼうとすれば、この女はそれよりも早くに“帯”で口を塞ぐだろう。
(助けて……母さま……!)
 もはや、真央に出来る事は念じる事だけだった。今までは、そうやって念じれば――例外も無くはないが――いつも風のように助けに来てくれた。
 しかし、今回ばかりは無理だと、真央自身も理解し始めていた。
 女のショールの毛皮に見覚えがあったからではない。それも一因ではあるが、それよりも通信妖術による“呼びかけ”に全く答えなかった事が、真央に“そのこと”を確信させる。
 そう、この女の言う通り、本当に――。
「きゃっ……ぁあ!
 ひゅっ、と。唐突に脚に絡みついていた帯の力が緩み、真央の体は地面に向けて落下を始める――が、その逆さになった前髪が地面に触れるか否かの所で再度、帯に体を支えられる。
「殺すんは簡単どすえ。でも、そないに簡単に済ましたら溜飲が下がりまへん」
「え……?」
 今度はゆっくりと真央の体は再び地面へと戻され、帯の拘束自体も解かれた。あのまま頭から地面に叩きつければ――否、ただ落とされただけでも、下手をすれば首の骨が折れたかもしれないのに。
 つまり、この女は自分を殺しに来たわけではないという事を、真央は理解した。
「ここでカタつけてしもたら“余興”が台無しどす。……折角念入りに準備したんやから、ようさん楽しませてもらわな割にあいまへんわ」
「余興……? 準備……?」
 こくりと、女は静かに頷く。
「すぐにわかりますえ。……すぐに…………フフフ……」
 女はしゅるりと帯を戻し、くるりと踵を返そうとして、はたと止まる。
「そういえば、自己紹介がまだどしたな。……うちはまみ。妖狸のまみどす。今後ともおおきに」
 夜遊びもほどほどにせなあきまへんえ?――そう言い残して、今度こそ女……まみは踵を返し、そのまま遠ざかり、最後には闇に溶けるように姿を消した。



 しばらくの間、真央はその場に座り込んだまま、呆然と過ごした。突然の友の死、そして告げられた母の死によるショックは容易なことでは抜けず、しばらくは立ち上がる事すら出来なかった。
 しかしそれでも立ち上がり、帰路につくことができたのはひとえに父親――月彦の存在だった。そう、自分にはまだ父親がいる。今日起きた事も、月彦の胸で泣けばきっと幾分かは楽になるはずだと。
(父さま……父さまに、会いたい……!)
 一度は止まった涙が、再度あふれ出す。殆ど半泣きになりながら、真央は紺崎家の前へとやってきた。
「ただいま! 父さま! 義母さま! 遅くなってごめんなさい!」
 玄関のドアを開けるなり、真央は元気いっぱいに叫んだ。気がつけば、もう夜の十時を回っており、きっと心配をかけているだろうと思って、可能な限り“元気な声”で真央は帰宅を告げた。
 しかし、返事は無かった。勿論、だからといって真央は別段気にもしなかった。きっと葛葉は台所の方で何か手を離せない作業をしているのだろうし、父親にしても二階の部屋にいるか、風呂に入っている時ならば玄関まで聞こえるような声でわざわざ返事を返してきたりはしないはずだった。
 真央は靴を脱ぎ、そして真っ先に二階へと上がった。自室のドアをあける――が、やはりというべきか、月彦の姿は無かった。
(父さま、お風呂なのかな……)
 だったら、今日は一緒に入ってしまおうか――そんな事を考えて、真央が着替えを手にしようと部屋の中に入った、その時だった。
「ちょっと、あなた誰? 泥棒?」
 聞き慣れない尖った声に、真央はピタリと体の動きを止めた。
「えっ……?」
「あなたよ、あーなーた。人の家に勝手に入ってくるなんてどういうつもり?」
 気がつくと、室内には見たこともない少女の姿があった。身長は真央よりも頭一つ分ほど低く、黒髪でショートカット。顔立ちを見るに、恐らく由梨子と同年代――15,6才といった所だろうか。
 初めて見る顔――しかし、“誰か”に似ている。奇妙な既視感のようなものを、真央は覚えた。
「えっ、えっ……?」
 真央は混乱した。まさか、家を間違えてしまったのだろうか――否、そんな筈はない。自分は間違いなく紺崎家に返って来たはずだ。玄関からこの部屋に至るまでの道のりも、部屋の間取りも、全て真央の記憶と合致していた。
 それならば、眼前の少女は一体――。
「なんだ……何をモメてるんだ?」
 しかし、真央の混乱は長くは続かなかった。背後から聞こえた声に、真央は目尻に涙を浮かべながら振り返る。
「父さま!」
「うわっ、ととと……な、何だ!?」
 湯上がりパジャマ姿。髪を拭き拭き現れた月彦に真央はしがみつこうとして――背後から肩を掴まれて、無理矢理引きはがされた。
「ちょっと、あんた何なの?」
「父さま、聞いて! 部屋の中に知らない女の子がいるの!」
 真央は肩を掴んでいる手を振り払い、月彦の側に寄りそうようにして見知らぬ少女を指さした。
「はぁ? 意味不明だし。それはあんたでしょ?」
「父さま、この子は誰なの?
 見知らぬ少女が声を張り上げ、真央も負けじと声を荒げる。黒髪の少女が月彦の右腕を掴めば、真央も負けじと左腕を掴む。
 そして、次の瞬間――真央は信じられない言葉を耳にした。
「君は……誰だ?」
 月彦ははっきりと、真央の目を見て、そう口にした。

 



 


 

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