人間誰しも何らかの星の下に生まれるものなのかもしれない――そんなことを考えてしまったのは、どうにも自分はそういったものに縁があるらしいと自覚してしまったからだった。
 通勤用の車が故障してしまったから、直るまで車を貸して欲しいと姉に頼まれて――本当は断りたかったが、頭金を出してもらっている上先日の借りもあったからやむなく(さらに言うなら矢紗美の職場はマンションから遠く、マンションの交通の便も極端に悪い)――愛車を貸す約束をしてしまい、しばらくの間バス通勤をする羽目になった雪乃はその初日の帰り道。自宅そばのバス停で降りた後、何となく気を引かれて立ち寄った公園のベンチの下にそっと置かれたダンボール箱を見つけてしまったのだった。
 まさかと思って箱をベンチの下から引き出し、開けてみると中には平皿が一枚と、その上に盛られた残りわずかなキャットフード。そして一緒に入れられているタオルにくるまるようにして一匹の子猫が震えていた。
「…………はぁ」
 そう。どうやら自分はこういったものに縁があるらしいと、雪乃はしばしベンチに腰を下ろして何とも言えない気分に浸り続けた。縁があるのは何も捨て猫、捨て犬に限った話ではなかった。もちろんそれらを拾ってしまうことも今回に始まった事ではないが、それでなくてもやれ友人から里親探しを頼まれたり、怪我をした小鳥を拾ってしまったりと、そういった事が年に一回以上のペースで起こるのだ。
 今にして思えば、さして特別な信念があったわけでもないのに半ば惰性で就いてしまった教職も、“そういった星の元”の一環だったのではないかとすら思えてくる。
(…………さすがに考えすぎかしら)
 庇護が必要な動物たちと人間の子供はまた別だろうと思いつつも、しかしやはり目の前の子猫を見捨てられず、雪乃はそっとダンボール箱を抱え上げて帰路につく。
(……猫は苦手なのに)
 昔から、およそ懐かれた試しがなく、迂闊に近づけばたちまち生傷を作られる動物というのが雪乃にとっての猫という生き物の評価だった。
(………でも、こんな真冬に外に捨てるなんて、どういう神経してるのかしら)
 猫に対する苦手よりも、無責任な飼い主に対する怒りが勝り、雪乃は少なからず憤慨していた。こんなダンボールと、申し訳程度のタオルなどで寒さが凌げるわけがないではないか。
 飼えないならせめて自分の手で引き取り手を捜してやるべきではないのか。暇がないというのならば知り合いに頼むなりなんなり――現に雪乃は幾度と無く知り合いに頼まれて里親探しをした事がある――いくらでも手段はあるはずではないか。
「……はぁ」
 などと怒りながら歩いているうちにマンション前までたどり着き、雪乃はため息混じりにエレベーターを上がり、自宅のドアを開ける。ひょっとしたらいつぞやのように月彦が先回りして夕飯の支度なんかしてくれているのではという淡い期待も、人気のないリビングの寒々とした空気がきっちりと否定してくれた。
 雪乃は一端ダンボール箱をリビングのテーブルに置き、部屋の暖房を入れてからシャワーを浴びて部屋着に着替える。そして思い出したように冷蔵庫を開け、牛乳を取り出すと、皿に移し電子レンジでやや温いと感じる程度にまで暖めて、そっとダンボール箱の中へと入れた。
 よほど凍えていたのか、子猫は部屋の暖房を入れて尚タオルにくるまったまま出てこようとはしなかった。が、程なく鼻をひくひくと鳴らし、よたよたとなんとも頼りない足取りでミルクの入った皿へと近づくと、てちてちと舐め始めた。
「……とりあえず、明日の帰りには何か買ってきてあげるから、それまではミルクで我慢しなさいよ?」
 ふてくされるような声で呟くと、子猫はまるで返事をするようにニャアと小さく鳴き、そしてまたてちてちとミルクを舐め始めた。子猫は顔の上半分から背中にかけて焦げ茶のような色合いで、鼻の上あたりから腹にかけて白といったカラーリングで、ミルクがよほどおいしいのか、(子猫のわりには)長いシッポの先を左右に振っていた。
「あんたね……私が拾ってやらなかったら凍え死んでたかもしれないのよ? そこのところちゃんと解ってるの?」
 子猫がミルクを舐める様があまりに暢気そうに見え、雪乃は奇妙な不満を感じてその背中をつついてみたりする。
「いーい? 恩に感じてるのなら恩返しくらいちゃんとしなさいよ? ………………猫にこんな事言ってもしょうがないけど」
 最後の一言は、雪乃自身自分は何を言っているのだろうと恥ずかしくなって漏らした言葉だった。
 子猫は皿から顔を上げるとぺろりと口の周りを舐め、再度ニャアと小さく鳴いた。

 

 

 

 

『キツネツキ』

第四十二話

 

 

 

 

 



 翌朝。雪乃は迷った末、弱めに暖房をかけたまま学校へと向かった。昨日より一時間近くも早いバスに乗ったのは、朝生徒が登校する前にやっておきたい事があるからだった。
 朝の七時前。まだうっすらと朝日がさしたばかりの学校では朝練をしているらしいどこかの部活動の声がひっきりなしに響いていた。
(そうだわ、朝練ってことで朝に紺崎くんを呼び出せないかしら……)
 校庭をランニングしている生徒を見るなり、ピキーンとそんな事を思いつくも、天文部で一体全体何を練習するというのかと、雪乃は自分で自分の考えにダメ出しをする。
(……だったら、朝の観測…………朝にしか見えない星とかあるのかしら……)
 などと下らない事を考えながらも教員用の昇降口へと向かい、靴を校内用のサンダルへと履き替える。向かう先は職員室ではなく、廊下の所々に設置されている掲示板だった。
 まず、すでに掲示されている張り紙類を避けてスペースを作り、その上でハンドバッグから昨夜のうちに自宅のパソコンで作成した“里親募集”のポスターを貼り、画鋲で四隅を留める。
 同様に他の掲示板も周り、ポスターを貼り付けていく。本来ならば校長なり教頭なり学年主任なりに先に許可を得てから貼らねばならない所だが、過去の経験から事後承諾でも別に問題はないということを雪乃は知っていた。
「よし、こんな所かな。……早く見つかるといいんだけれど……」
 ポスターには大きく里親募集の文字。そして携帯のカメラで撮影し、ノートパソコンの方のメールアドレスへと添付してポスター作成の際に貼り付けた子猫の写真。そして連絡先が書いてあった。
 これで二,三日様子を見て連絡がないようであれば仕方がない。同僚の教師やさらにその友人のアテを探すしかないかもしれないと。そんな事を思いながら雪乃が腕時計に目を落とし、そろそろ職員室に行こうかと踵を返した時だった。
「あれ、先生……また子猫の里親探してるんですか?」
「紺崎くん……!?」
 おそらくは、丁度背後を通りかかったのだろう。思いも寄らぬ恋人――だと、雪乃は思っている――の出現に雪乃は火を噴かんばかりに顔を赤くした。
「そうなの……昨日、帰りに拾っちゃって……」
「へぇ……一匹だけですか?」
「うん」
 頷きながらすすす、と雪乃はさりげなく月彦に身を寄せようとするも、その都度側を他の生徒が通りかかり、再び距離を開けざるを得なかった。そして雪乃にとって歯がゆい事に、月彦の方は自分のそんなやきもきした気持ちに全く気づくそぶりが無く、さも興味深そうに子猫の写真に見入っていた。
「メスの子猫……生後一ヶ月くらいですね。この柄だと……ひょっとすると雑種じゃなくてノルウェイジャンフォレストキャットかもしれませんね」
「のるうぇいじゃん……?」
「猫の種類の事ですよ。綺麗な柄の長毛種です。成猫もとっても可愛いですよ」
「へ、へぇー……そうなんだ。紺崎くんは詳しいのね」
 そんなどうでもいい話よりも、久しぶりに人目を盗んでこっそりキスでもしてくれないかなと、雪乃がそんな事を考えていた矢先だった。
「そうだ、良かったら今日、先生の家に子猫見に行ってもいいですか?」
「ふぁ!?」
 その言葉があまりにも予想だにしないものであった為か、雪乃は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「こ、紺崎くん……今、なんて……」
「あ、いえ……ですから……子猫見に行っても良いですか、って……ああ、別に先生の方の都合がわる――」
「悪くない! 全然平気! 子猫見に来るの!?」
「ええ……最近色々あって……ちょっと子猫に癒されたいなぁと……」
 ずずいっ、と上体を乗り出した雪乃から逃げるように月彦は上体を引き、さらに後退りをする。
「解ったわ。じゃあ、今日は私も歩きだから、放課後部室――……じゃなくって、図書室で待ってくれる? 仕事が終わり次第私もすぐ行くから」
「え……わざわざ図書室でですか?」
「うん。ほら、部室棟の方で待ち合わせにすると、職員用の昇降口が遠いじゃない?」
 はぁ、と気のない返事を月彦は返してくる。もちろん、本当の理由は部室で待ち合わせなどしたらどんな邪魔が入るかわからないからだった。
(もう、紺崎くんったら…………“癒し”が欲しいなら、子猫じゃなくて私に直接言ってくれればいいのに)
 ハグでも膝枕でも耳かきでもそれ以上でも、何でも言うとおりにしてあげるのにと、雪乃はやや潤んだ瞳から強烈にラヴビームを照射しながらそんな事を思う。
「じゃ、じゃあ……HRが始まりますから、俺はそろそろ教室に行きますね」
「あっ……もぉ、紺崎くんったら……」
 そしてそのビームの熱量に物怖じしたように月彦が足早に掲示板の前から去ってしまう。思わずその後を追いそうになって、はたと雪乃は漸く正気に戻った。
「ま、いいか。焦らなくても今日の夜は紺崎くんが来るんだし」
 そのときの事を想像するだけで、今から胸の高鳴りが止まらない雪乃だった。



 ほぼ丸一日、雪乃は悶々としながら過ごした。思い返してみれば、件の合宿が失敗に終わって以来――雪乃にとっては失敗以外の何物でもなかった――月彦とろくに接する機会が無かった。
 今日こそ、長い長い空白を埋めるチャンスだと。そのためには一分一秒たりとも無駄は出来ず、授業をしながらも頭の中では月彦が部屋に上がってから帰るまでのスケジュールを綿密に練りながら過ごした。
 そして漸く一日の業務から開放されるや、雪乃は浮かれながら踊るような足取りで図書室へと向かった。
「お待たせ! 紺崎くん!」
 他の生徒からの怪訝な視線などなんのその。ぐわらと入り口の引き戸を開けるなり図書室の端まで届きそうな声と共に、月彦の姿を探した。
 そして、そのまま固まった。
「あっ、先生。早かったですね」
 机の上に広げていた本から顔を上げ、月彦が静かに微笑む。そしてその対面席に座っていた人物もまた手元の本から顔を上げ、雪乃に向かって微笑みかけてくる。
「………………。」
 たちまち雪乃は頭痛を覚え、指で目頭を押さえた。
「先生? どうかしたんですか?」
 そこへ、読んでいた本を仕舞い終えたらしい月彦が声をかけてきた。雪乃は咄嗟に月彦の腕を引き、図書館前廊下の曲がり角まで引っ張っていく。
「わっとと……せ、先生!?」
「ねえ、紺崎くん。どうして月島さんが図書室に居るの?」
 そして、今自分が疑問に思っている事をストレートに口にした。
「ど、どうしてって……ええとですね、帰りのHRが終わった後、図書室に行こうとしたら途中で月島さんに会っちゃって……」
「それで?」
「今日は部室に行かないのって聞かれたから、今日は先生の家に子猫を見に行くから部室には行かないって答えて……そしたら月島さんも子猫が見たいと……」
「…………………………。」
 あーもう! この男はっっっ!!
 周囲に人目が無ければ、雪乃は地団駄を踏みたい気分だった。
「…………ねえ、紺崎くん。やっぱり今日は子猫を見に行くのはやめようって、あの子に言ってきてくれない?」
「えっ……どうしてですか?」
 どうしてじゃないでしょ!――雪乃はそう叫びたかった。
「だから……ほら、あの子が居るとイロイロと……ね?」
「でもそんな仲間はずれみたいな事……可哀想じゃないですか。……第一、今日は俺も純粋に子猫を見に行くだけのつもりですから、月島さんが居たって関係ないと思うんですけど」
「か、関係あるの! だいたい――」
 そこまで口にして、雪乃はハッと口を噤む。月彦の後方、図書室前の廊下からの曲がり口の辺りをちろちろと金色の疑似餌が揺れていた。
 程なく、そっとラビが顔を出し、ニッコリと微笑んでくる。雪乃もやむなく微笑み返し、掴んでいた月彦の手を離した。
「…………あーもう、解ったわよ…………子猫でもなんでも見に来ればいいじゃない」
 あまり無理にラビを遠ざけようとして月彦に嫌われてしまっては本末転倒になってしまう。雪乃は渋々ながらも“大人の貫禄”を見せざるを得なかった。
「…………だってさ。良かったね、月島さん」
 月彦が微笑みかけるなり、ラビは疑似餌のような前髪をピコンと跳ねさせて文字通り飛び上がって喜んだ。
「…………すみません、先生。…………後で“お礼”はしますから」
 そして、さりげなく耳元に囁かれた言葉に、雪乃もまた飛び上がりそうになってしまった。
「え……こ、紺崎くん……?」
 ハッと顔を赤らめて月彦の方を見るもそれ以上の言葉は返って来ず、雪乃はますます悶々としながら二人を伴い、学校を後にした。


「え、猫に牛乳ってあげちゃだめなの?」
「ええ。絶対ダメってわけじゃないんですけど、普通の牛乳はやっぱり人間用に作られたものですから」
 マンションへと帰る前に先にペットショップへと寄り、月彦にアドバイスをもらいながら猫缶のコーナーなどをぶらついていた時の事だった。
「えーと……確か……ラクトース……だったかな。牛乳にそれが含まれていて、猫は個体差でそれが消化できる子と出来ない子がいるらしいんですよ。出来る子なら問題はないっぽいんですけど、やっぱり出来るだけ猫用のミルクをあげたほうがいいと思いますよ」
「ふぅん……猫って面倒くさいのね」
 月彦の勧めで、雪乃は渋々猫用のミルクを買い物かごへと入れる。どのみち近いうちに里親に引き取られる予定の子猫なのだから、そんなに熱心に世話をしてやる必要は無いような気がしなくもないが、害となる食べ物を与えてみすみす弱らせるのも悪い気がした為だ。
 とりあえず二,三日分のエサとして子猫用の缶詰をさらにいくつか買い物かごへと放り込み、レジへと持っていく。
「そういえば月島さんは?」
「あれ……? ちょっと探してきます」
「あっ」
 別に探しに行かなくていいのにと口にしかけて、雪乃は渋々口を噤む。
(……このままはぐれて居なくなってくれればいいのに)
 それを口に出す事は月彦の不興を買うと解っていても、雪乃は願わざるを得ない。程なく会計を終えた頃、月彦と共にラビがどこからともなく現れ、そのままレジへと並んでいた。
「あれ、月島さんも買い物?」
「みたいです」
「……ふぅん」
 あの子も家でペットでも飼ってるのだろうか――特に興味も持てず、雪乃はラビの会計を待ってからペットショップを後にした。

 ペットショップを出てからは歩きでマンションへと向かった。バスを使っても良かったのだが、ペットショップの位置がなんとも微妙でバスを使っても歩いても時間的にはさして変わらなかった為だ。
(…………本当なら)
 今日、これからの時間は月彦と二人きりのイチャイチャタイムになるはずだったのにと、雪乃は自宅のドアにカギを差し込みながら、ちらりとラビに恨みがましい視線を一瞬だけ送る。
「…………?」
 が、当のラビは雪乃の気持ちなど微塵も解してないらしく、雪乃が見ているものを自分も見ようとするかのように背後を振り返って首をかしげていた。
 はぁ、と小さくため息を一つついてドアを開ける。
「さ、上がって。ちょっと散らかってるけど」
「おじゃまします」
「おじゃま、します」
「私は先に着替えてくるから、子猫見たいなら先に見てて」
 雪乃は寝室に置いておいたダンボール箱を居間のテーブルの上へと移し、自分は再び寝室へと戻って部屋着であるトレーナーとジーンズに着替える。
(あーあ、紺崎くんだけだったらなぁ……)
 こんな色気のない格好ではなく、思い切って下着とカッターシャツのみの姿でさりげなく誘惑したりもできたのにと。雪乃は着替えながらもため息を禁じ得ない。
 居間の方からは早くも二人の楽しげな声が聞こえていて、自宅だというのに雪乃は何となく仲間はずれにされているような気分に陥った。きっと天の岩戸に閉じこもった天照大神の気持ちはこんなだったのだろうと思いながら、雪乃もまた居間へと戻った。
「おまたせ。……子猫はどう? まだ生きてる?」
 居間へと戻るなり、そんな毒舌を吐いてしまったのはそれ故でもあったのだが、二人は特に気にした様子もなく頭をつつき合わせるようにしてダンボール箱の中をのぞき込んでいた。
「あ、先生。この子おなか減ってるみたいだったんで、先に猫缶あげちゃいました」
「それは別に良いけど……」
 雪乃はむすっとした顔を隠そうともせず、居間のソファに腰を下ろす。本来ならば仕事終わりの一杯ということでビールでも口にしたい所だったが、さすがに生徒の前だからと自重した。
「ひな、もりせんせっ!」
「どうしたの? 月島さん」
「この、子……抱いても、いい、ですか?」
「別に良いけど……」
 行きがかり上面倒を見てはいるが、別に私が飼ってるわけじゃない――そんな事を胸の中で呟きながら、雪乃はリモコンを手に取り、テレビをつける。
「ぁっ」
 と、かすかな悲鳴が聞こえたのはそのときだった。
「だ、大丈夫? 月島さん」
「だい、じょぶ……」
「どうしたの? 引っかかれたの?」
「ええ、月島さんがちょっと……血は出てないみたいですけど」
「…………猫ってほんとすぐ引っ掻くのよね」
 雪乃自身、過去に幾度と無く引っかかれた記憶を思い出しながら、しみじみと頷く。
「多分、お腹が減って機嫌が悪かったんじゃないかな。触るのは食べ終わるまで待ってからのほうが良いかもしれない」
「……うん」
 先ほど引っかかれた指を舐めながらラビは頷き、ソファにちょこんと着席する。月彦もまたダンボール箱から視線を外し、ラビの隣へと座った。
(……そこじゃないでしょ?)
 現在の位置関係はテーブルを時計の中心とすると、月彦が十二時、ラビが十時、雪乃が八時といった状態だった。もちろん、ラビも月彦もダンボール箱をのぞき込んでいた状態からそのままソファに腰を下ろしたら現在の位置になってしまっただけで別段他意は無い事は解っている。むしろ月彦がわざわざ移動して雪乃の隣へと座ったらそれこそラビに変な目で見られるのは間違いない。
 そんなことは雪乃は百も承知だったが、それでもラビを妬まずにはいられなかった。
「あ、そろそろ良いかも……んじゃ、今度は俺が……」
 どことなく張りつめた空気に耐えかねるように、月彦が腰を上げてダンボール箱をのぞき込み、子猫が食事を止めているのを確認してからそっと手をいれる。
「よーしよし、いい子だ……よしよし……乱暴な子かと思ったら、意外とおとなしいですね」
 子猫は月彦の左手の上でちょこんと丸くなり、右手の指先で頭や背中を優しく撫でられて心地よさそうに目を瞑っていた。
「あっ、わ、私も……!」
 それを見て、今ならばとラビが指を出して撫でようとする――が。
「ぁぅっ!」
 たちまち、子猫は目を見開き、かぷりとラビの指に噛みついた。
「つ、月島さん!?」
「だい、じょぶ……い、痛くない……」
 ラビは指先を噛まれたまま尚も耐え、そしてにっこりと子猫にほほえみかける。
 そう、さながら「怯えていただけなんだよね?」と語りかけるような、そんなほほえみに絆されるように、子猫もおそるおそるラビの指先から口を離した。
 そして――。
「ぁぅっ」
 再度、かぷりと噛みついた。
「こ、こらっ、噛んじゃダメ!」
 さすがに痛みに負けてラビが指を引き、月彦がめっ、と叱るが子猫は何処吹く風。
「へ、変だな……俺の指は噛まないのに……」
 確かに、子猫は月彦の指だけは全く警戒しておらず、撫でられるままにごろりとお腹まで見せていた。が、尚もラビが諦めきれずに指を出そうとするや――
「フーッ!」
 野生をむき出しにするような荒々しい声と共にまだ小さなツメを精一杯伸ばして威嚇するように構えられ、ラビは渋々指を引っ込める。
「……不思議ね。紺崎くんの指がよっぽど気持ちいいのかしら」
 一部始終を見ていた雪乃は何となく溜飲の下がる思いだった。そして、月彦だけ受け入れる子猫に対して共感にも近いものを感じ始めていた。
「そんな筈は…………試しに先生も触ってみますか?」
「え……? 私はいいわよ……引っ掻かれるに決まってるもの」
「いやでも、万が一って事もありますから」
 一体何が万が一なのかと雪乃は口を尖らせながらも、惚れた弱みもあって月彦の提案を無碍に断る事も出来ず、人差し指をそーっと子猫に近づけていく。
 指先が子猫まで十センチほどに迫った所で、子猫はぴくりと髭を揺らし、雪乃の指を見た。咄嗟に雪乃は指を軽く引くが、ラビの時のようにあからさまな威嚇では無かった事から、再度ゆっくり指を近づけていく。
 指がもう子猫の目と鼻の先までくると、意外にも子猫は月彦の手のひらの上でよろりと立ち上がり、自ら体をすりつけるようにして雪乃の指先に頬ずりした。さらに恐る恐る雪乃が首の後ろや背中を撫でると、月彦の時同様にごろりと無防備に腹まで見せた。
「ど、どうし……て……!」
 それを見て泣きそうな声を上げたのはラビだった。ソファから立ち上がり、両手を握りしめてぶんぶんと振りながら納得がいかないと憤慨していた。
「まぁまぁ、月島さん。そんなに怒らないで」
 ラビに対して軽い優越感さえ覚えながら、雪乃は月彦の手のひらから子猫を受け取り、自らの左手の上に乗せながら右手で優しくなでつける。
「うぅ〜〜〜っっっ…………!」
 それを見て、ラビが羨ましそうにうなり声を上げる。……くすりと、雪乃は小さく、小さく笑って言った。
「月島さん、もう一度試してみる?」
 そっと子猫を差し出すと、ラビはしばし逡巡した挙げ句意を決しそっと手を伸ばしてくる――が、ラビの手の接近を鋭く察知するや、子猫はたちまちフーッ!と威嚇するような声を出し始めた。
「…………やっぱりダメみたいね。どうしてかしら」
「どうしてだろう……月島さん、何か猫が嫌いな匂いを出す物とかに触ったりした?」
「…………! ……せん、せ……手、あら、洗う……洗ってきてもっっ」
「流しでも洗面台でも好きな方使っていいわよ」
 大人の余裕を見せながら、雪乃は子猫にイイコ、イイコをし続ける。
 しかし結局いくら手を洗おうとも、ラビが子猫に威嚇されなくなる事はなかった。



 すっかり気落ちしてしまったらしいラビのスカートのポケットから童謡『うさぎ』のメロディが流れてきたのは、逆にすっかり気を良くしたらしい雪乃が来客用のクッキーや紅茶を今更ながらに振る舞い始めたまさにその時だった。
「……ぁっ……もしもし……レミ……?」
 ラビは慌てて携帯を取り出すや、玄関の方へと移動し、小声でぼそぼそと会話を続ける。
 そんなラビの様子を雪乃は特に気にもせず、三人分のティーカップを出して紅茶を注いでいく。丁度紅茶を注ぎ終えた所で、通話を終えたラビが玄関から戻ってきた。
「あ、あのっ……わた、私……か、帰らないと……ごはんの、時間……」
「あら」
 という雪乃の残念そうな声が、なんとも嬉しくてたまらない――という風に、月彦には聞こえた。さりげなく横目で時計を見る。いつの間にか時間は過ぎ、時刻は七時前になっていた。
「うわ、もうこんな時間か。……じゃあ月島さん、俺も一緒に――」
「折角準備したんだし、お茶とクッキーだけでも食べていったら? 紺崎くん」
「えっ、いや……でも月島さんが……」
「月島さんも子供じゃないんだし、一人で帰れるでしょ?」
 有無を言わせない雪乃の言葉に、月彦の意見は完全に遮断された。さらに雪乃はてきぱきとキッチンペーパーとハンカチでラビの分のクッキーを手早く包み始めた。
「今日は折角来てくれたのに残念だったわね。はいこれ、家に帰って妹さん……レミちゃんだったかしら。……と一緒に食べてね」
「ぁぅ……せんせっ……あり、ありがと、……ございますっ」
 おそらくは、『なんて親切で優しい先生なんだろう!』と感激しているのだろう、ラビは両目をウルウルさせながらクッキーを受け取り、鞄にしまうと深々と頭を下げ、玄関から出て行った。雪乃もまたラビを玄関先で見送り、ドアを閉めるや鍵をかけて――オートロックだから自動でかかるのだが――チェーンまでかけていた。
「さて、と。……紺崎くん?」
「な、なんですか……?」
 月彦の問いには答えず、雪乃は鼻歌交じりに近づいてきて、ぴったりと体を密着させるようにしてソファに腰を下ろしてきた。
「うわっ、っと……せ、先生!?」
「なぁに? 紺崎くん」
 雪乃はさらに背中側から腰へと手を回してきて、首までかくんと肩に凭れさせてくる。
「な、なぁに……じゃなくて……えと、こういうことは今日はしないって……そう言ったと思うんですけど……」
「こういうことって……たとえばどんなこと?」
「で、ですから……」
 すすすと、腰に回った手でもぞもぞと脇腹の辺りを撫でられて、月彦は声をうわずらせてしまう。
(……本当に、“そういう気分”じゃないのに…………)
 優巳との一件で受けたショックを少しでも解消したくて、純粋に子猫の愛くるしい様に癒されたかっただけなのにと。普段ならむしろ微笑ましく思える雪乃のアピールが今日このときばかりは鬱陶しくすら感じてしまう。
(…………こういうとき、きっと矢紗美さんだったら……)
 こちらの気持ちを察して、無理な事を言ったり要求したりはしないんだろうなと。月彦は雪乃に失礼だとは解っては居ても内心比べてしまうのを止められなかった。
(膝枕一つとっても、矢紗美さんと先生じゃ癒され具合が全然違ったもんな……)
 “その差”は一体どこからくるのだろう――或いはこれが“包容力”というものの差なのだろうかと。雪乃にごろにゃーんとばかりに密着されながら月彦はそんな事を考える。
(ひょっとしたら、“長女”と“次女”の差……なのかな?)
 矢紗美は長女故に年下の意をくむ事に長けており、逆に雪乃は次女故に無意識のうちに甘え癖がついているのではないだろうか。
(…………でも、先生にも妹はいるんだよな)
 次女ではあるが、末っ子ではない筈なのだ。だとすればこの差は何か別の――。
「紺崎くん、紺崎くん」
 ちょんちょんと頬を突かれ、月彦は思考を中断して雪乃の方へと目をやる。
「んっ」
 と、雪乃はなにやらクッキーを口にくわえ、月彦に差し出すようにして目を瞑る。
「……どうも」
 くれるという事だろうかと、月彦はそのクッキーをつまんで受け取った。
「……そうじゃなくて!」
 たちまち、雪乃が怒ったような声を出し、やりなおしとばかりに新たにクッキーの端をくわえ、月彦に差し出してくる。
(……ひょっとして)
 こちらも口で応じろという事だろうかと当たりをつけて、月彦はしぶしぶ逆側の端へと口をつけた。今度はダメ出しをされず、雪乃は満足そうに喉をならしてカリカリとちょこっとずつクッキーを囓り出し、月彦もそれを真似して――程なく唇が重なった。
「んっ……」
 ちゅっ、と唇が触れ合う、一瞬だけのキス。意外にも雪乃はすぐに唇を放し、えへへと恥ずかしそうに微笑んでから、再度クッキーを口にくわえ、もう一度と促してくる。
(……ほんと、しょうがない先生だなぁ……)
 少しばかり面倒ではあるが、そういう事をやりたいという雪乃が可愛くも思え――もはや年上ではなく年下をあやしているような気分で――月彦は雪乃に調子を合わせてやるのだった。



 ひとしきりイチャイチャした後、さすがに明日も学校があるからと、雪乃は渋々ながらも九時前には月彦を解放し、家へと帰した。
「ふぁぁ……」
 玄関先で月彦を見送り、ドアを閉めるなりついそんな甘いため息めいたものを漏らしてしまう。
「もぉ……あの子がもっと早く帰ってくれれば……もうちょっと長く二人きりで居られたのに……」
 そのことがやや不満ではあったが、しかしそのくらいは許してあげようかと思える程に、雪乃は上機嫌だった。鼻歌交じりにシャワーを浴びて、冷蔵庫から湯上がりのビールを一杯。そこで漸く、そういえばまだ夕飯を食べていないと言うことに気がつき――さらに、それなら月彦を見送るついでにどこかファミレスで一緒に夕飯を食べればよかったと後悔して――やむなく、冷凍庫から冷食のドリアを取り出し、電子レンジで温めた。
「あら……?」
 ドリアでフォークを突いていると、完全に存在を忘れていた子猫がなんと自力でダンボール箱の壁を必死によじ登り、鼻をひくひくさせながら苦しげに顔を覗かせていた。雪乃が腰を上げて箱の中を見てみると、先ほどまで皿の上にあったはずの猫缶の中身は綺麗サッパリ無くなってしまっていた。
「もうお腹が空いたのかしら」
 そう思ってテーブルの上を見てみると、まだ中身が半分残っている猫缶が放置されていた。どうやら子猫に与えられたのは一缶の半分だけだったらしく、雪乃は残りの半分をダンボール箱の中の小皿へと移してやった。
「ニャア」
 と、子猫は嬉しげに鳴いてたちまちエサに飛びついた。雪乃はさらに夕方買った猫用のミルクを別の小皿へとうつして少しだけ暖めてやり、箱の中へと入れてやった。子猫はまたしても嬉しげにニャアと泣き、交互に口をつけていた。
「……ふふ、猫も意外と可愛いじゃない」
 食事に夢中な子猫の背や首などをちょん、ちょんと指でつつくと、その都度猫は嬉しそうに身をよじり、雪乃の指に体をすりつけてくる。ラビに対する反応とは雲泥の愛くるしさに、“猫とはすぐ引っ掻く生き物”という雪乃の常識は徐々に覆されていく。
「今日はあんたのおかげで紺崎くんが来てくれたようなものだしね。……こういうのも“招き猫”っていうのかしら」
 “本格的な絡み”こそ達成できなかったものの、久しぶりのイチャイチャ達成に雪乃は至極上機嫌だった。
(…………でも、ひょっとしたらこれってけっこういい手なんじゃないかしら)
 常日頃からなんとかして月彦を家に招けないものかと頭を悩ませていた雪乃にとって、今日の朝の月彦の発言はあまりに衝撃的だった。そう、たかだか子猫一匹を見るためだけにああも簡単に、しかも月彦の側から行ってもいいかと訪ねられるとは予想だにしていなかった。
(……そうよ、使えるわ)
 まがりなりにも教師と生徒という関係である以上、露骨に「今夜うちに来ない?」とは切り出しづらかったが、これが「子猫を見に来ない?」であれば、倫理上も何の問題もないではないか。
 そう考えると、目の前の子猫が自分と月彦の関係を後押しする為に神様が遣わしたクピドのようにすら思えてきて、より一層可愛らしく見えてくるから不思議だった。


 翌日、雪乃はあえて部屋の中を最低限散らかして家を出た。そしていつも通りに授業をこなして、月彦のクラスの授業が終わるなり――
「紺崎くん、ちょっと来てくれる?」
 と、さりげなく月彦を教室から連れ出し、廊下の端まで引っ張ってくる。
「せ、先生!? どうかしたんですか?」
「……紺崎くん、確か猫に詳しかったわよね?」
「詳しい……ってほど詳しいわけじゃないですけど…………子猫がどうかしたんですか?」
「私にもよくわからないんだけど……今朝起きたら、なんだか具合悪そうにぐったりしてたの。病院に連れて行ってあげようかとも思ったんだけど……仕事があるし、ただ寝てるだけかもしれなかったからそのまま出てきちゃったんだけど…………」
「具合、悪そうだったんですか……?」
 うん、と雪乃はさも子猫が心配でたまらないといった顔で頷く。
「だから今日、出来るだけ早く帰りたかったんだけど……放課後職員会議があってちょっと遅くなりそうなの。…………もし、紺崎くん予定とか無かったら、合い鍵を使って私の代わりにあの子の様子見ててあげてくれないかしら」
「………………解りました。そういうことなら任せてください。HRが終わり次第ダッシュで様子見に行きますから!」
「本当!? ありがとう、紺崎くん。…………あ、もし本当に具合悪そうで、紺崎くんが本気で危ないって思ったら、動物病院とかに連れて行っちゃって構わないから」
「解りました。……昨日元気にしてましたから、さすがにそんなに深刻な事にはなってないと思いたいですが」
「そうよね。そうだといいんだけど……とにかく、あの子のことお願いね。あっ、それから――」
 心底子猫を心配している風の月彦に少しばかり心を痛めながらも、雪乃は一度立ち去ろうとして足を止め、さも今思い出したと言わんばかりの口調で続ける。
「……その、恥ずかしい話なんだけど……朝、子猫の事で気が動転しちゃってて、みっともないくらい部屋が散らかったままなの。下着とか洗濯物とかも片づけてないまんまだから、部屋に入るのは出来れば紺崎くんだけにして欲しいんだけど……」
「そ、それは……ええと、むしろ俺が入っちゃってもいいんですか?」
「……わ、私も恥ずかしいけど……紺崎くんだったら……ね?」
「わ、わかりました……と、とにかく……子猫の件は俺にまかせといてください」
「ありがとう、私も仕事が終わり次第すぐ帰るから」
 ほっと胸をなで下ろしながら月彦に別れを告げるも、内心しめしめと雪乃はほくそ笑んでたりする。無論、子猫の具合が悪そうなどというのはデマカセであり、すべては月彦を単独で家に呼ぶための口実だった。
(職員会議があるのは本当だけど、それでも五時過ぎには帰れるし……その後は……ふふふふふっ)
 昨日に引き続いて今日も――それも昨日よりも長く――月彦とイチャイチャできると、雪乃の頭はもはやそれ一色と言っても過言では無かった。

 

 


 人生、追い風の時というものはありとあらゆるものが自分の味方をしてくれるものなのではないか――予定よりも大幅に早く職員会議から解放された雪乃は今にもスキップをしてしまいそうな浮かれ気分で家路を急いでいた。具体的に言うならば、バスではなくハイヤーを使って自宅に帰るほどに雪乃は急いだ。
 そして、自宅マンションの前でハイヤーから降りるや、明かりがついている自分の部屋を見上げてニヤニヤがとまらなくなってしまった。エレベーターを待っている時間すらもどかしくて息をきらして階段を駆け上がり、自宅の前で少しだけ深呼吸をして浮かれた顔を引き締めた後、勢いよくドアを開けた。
「ただいま! 紺崎くん!」
「あら、おかえり雪乃。早かったわね」
 そしてドアを開けるなり、リビングのソファで缶ビール片手にくつろいでいた姉の姿に、雪乃は盛大にコケてしまった。
「なっ」
 よろりと立ち上がりながらも、雪乃は震える声を止められなかった。
「なんで……お姉ちゃんが……」
「あっ、先生! ずいぶん早かったですね、子猫は大丈夫そうですよ」
 トイレにでも行っていたのか、遅れて現れた月彦の腕を掴み、姉の目の届かない脱衣所の方まで雪乃は引きずるようにして連れ込んだ。
「どういうことなの? どうしてお姉ちゃんが居るの!?」
 ほとんど月彦の胸ぐらを掴むようにして雪乃はかすれ声で問い正す。
「あれ……ひょっとしてマズかったですか……?」
「まずいとかそういうんじゃなくて、どうしてって聞いてるの!」
「えと……俺、先生に言われたとおりに学校が終わってすぐに先生のマンションに行ったんですよ……そしたら、マンションの前で偶然矢紗美さんとばったり会っちゃいまして……」
「お姉ちゃんと……偶然?」
 そんな偶然があるのだろうか――雪乃は露骨に訝しんだ。
(ていうか……確か、前にも……)
 そう、あれは忘れもしない。初めて月彦に夕飯を作ってもらった時の事。あのときも確か“偶然出会った”と言っていなかったか。
「ええ、なんでも先生に車を借りてたとかで……修理に出していた自分の車が予定より早く戻ってきたから、急いで返しにきたそうなんです。なんか、携帯に連絡しても繋がらないとかで……仕方ないから直接来た所だったそうなんですが……」
「……そういえば……」
 今日はもう“帰ってからのこと”に頭がいっぱいで、ただの一度も携帯をチェックしていなかったと、雪乃は今更ながらに自分のうかれっぷりを自覚した。念のためハンドバッグから携帯を取り出して履歴を確認してみると、確かに昼に二度の着信、そしてメールが三通と夕方にも着信がきていた。
(……なんでよりにもよって今日なのよ! 一週間くらいかかるって言ってたじゃない!)
 車なんて急いで返さなくてもいいのに!――あり得ないタイミングで横やりを入れてくる姉に憤慨し、雪乃は我慢できずに地団駄まで踏んでしまう。
「せ、先生……?」
「…………ていうか、紺崎くん? 私ちゃんと言ったでしょ!? 部屋が散らかってるから、下着とか洗濯物とかもあるから紺崎くん以外誰も部屋にいれないでって!」
「ええ、ですから…………男の俺よりは肉親の矢紗美さんの方が大丈夫だろうと思って……先に矢紗美さんに入ってもらって片づけてもらったんですけど……」
 マズかったですか?――そう訪ね返してくる月彦に雪乃は頭突きをしたい気分だった。
(相変わらず……もぉぉ……気の使い方がおかしいってなんで解ってくれないの!?)
 確かに、下着や洗濯物を異性に見られるのは女としてこれ以上ない程に恥ずかしい。が、それも恋人となれば話は別だ。無論全く恥ずかしくないと言えば嘘になるが、それでも月彦ならばと、雪乃なりの自分はそれほどまでに貴方を認めているのよというさりげないアピールでもあったのだが。
(しかも……よりにもよってお姉ちゃんに……)
 下手をすれば、まだラビに見られた方がマシであったかもしれないと。雪乃はがっくりと肩を落としながらリビングへと戻る。
「あら、内緒話はもう終わったの?」
 ビール片手にソファに腰掛けた矢紗美がニヤニヤと、意味深な笑みを浮かべていた。
「とりあえず、姉としてこれだけは言っておくわ。どれだけ慌ててたんだか知らないけど、洗濯物はともかく部屋中に下着まき散らしたまま出勤するのはさすがにどうなのかしら」
「う、うるさいわね! 車返しに来ただけなんでしょ、用が済んだならさっさと帰ってよ!」
「あっ、紺崎クンもよかったらビールいかが? 冷えてて美味しいわよ?」
「いえ、俺は……」
「それ、うちの冷蔵庫に入ってたやつでしょ!? 勝手に飲まないでよ!」
「別に良いじゃない、ビールの一本や二本くらい。……あっ、あくびしてる〜かーわいい♪」
 矢紗美は雪乃を無視するように露骨に話をすり替え、ダンボール箱の中をのぞき込む。
「ねえ、この子の里親探してるんでしょ? 何ならうちの署でも探してあげよっか?」
「いいっ! 自分で探すから、とにかくお姉ちゃんは帰ってよ!」
「あっ、ちょ……こらっ、ビールが零れるじゃない」
 雪乃はもう焦れて矢紗美の腕を掴み、直接ソファから引っ張り出そうとする。
 ――が。
「せ、先生……落ち着いてください。別にビールくらい良いじゃないですか。ほら、子猫も無事だった事ですし……」
 ほらほら落ち着いて――と、まるで幼子をあやそうとするかのように、月彦が両手で子猫を持ち上げ、雪乃をなだめにかかるが、それは全く持って逆効果だった。
(……なんで紺崎くんがお姉ちゃんの肩を持つのよ)
 ひょっとしてこの二人デキているのでは――とまではさすがに思わなかったが、それにしても何となく感じる二人の親しげなオーラに、雪乃は不満を募らせていた。
(今日こそは、って思ってたのに……)
 合宿の時といい、昨日といい、何故毎回毎回邪魔が入るのだろう。――職員会議が早期解決した頃に感じていた人生追い風気分は何処へやら、雪乃はがっくりとその場に膝を突いてしまう。
「せ、先生!?」
「……もういい。……シャワーあびてくる」
 慌てて駆け寄ってきた月彦を押しのけて、雪乃は寝室で着替えを手に取るとそのまま脱衣所へと引きこもった。腹立ち紛れにいつもより長めのシャワーを浴び、どうにかこうにか気分を落ち着けて脱衣所を後にすると、リビングはなにやら悲鳴に満ちていた。
「……どうしたの?」
「あっ、先生……子猫が……」
 髪を拭き拭き訪ねると、すっかり狼狽しきった月彦が子猫を抱いたままそっと矢紗美の方を指さしていた。
「あーあ……やられちゃった……ごめん雪乃、着替え貸してくれない?」
 シャツとスカートの両方に手のひら大のシミを作った矢紗美に懇願され、雪乃は渋々寝室へと入るや、学校行事等の時に使う教師用のジャージの上下を手にリビングへと戻った。
「……ジャージ…………」
「嫌なら貸さないわよ? てゆーか、お姉ちゃんに合うサイズの服なんて私もってないし」
「……まぁいいわ。その代わり洗濯機と乾燥機かりるわよ」
 矢紗美は渋々ジャージを受け取るや、雪乃と入れ替わる形で脱衣所へと入った。
(ふん、天罰だわ)
 雪乃は憤慨しつつも月彦の手から子猫を受け取り、よくやったと言わんばかりに丁寧に撫でてやる。
「ニャア」
 雪乃の手の中で子猫もまた何とも満足そうに鳴くのだった。



「いやー、すっげぇ美味かったです。さすがですね矢紗美さん」
「冷蔵庫にもうちょっとまともな材料があれば、もっといろいろ作れたんだけどね」
「いやいや、あり合わせの材料でもこんな美味しいのが作れるんだから、本当にすごいと思います」
「あら、紺崎クンってばお上手なんだから。……じゃあ今度うちに遊びに来る? とびっきりのごちそう振る舞っちゃうわよ?」
「あはは……えと、それは………………すみません、遠慮します……」
 夕飯は矢紗美が作ったパエリアとカボチャのポタージュスープであり、和気藹々と食事をする二人を横目で見つつ雪乃はもくもくとスプーンを動かしていた。
(…………なんか、配置がおかしいんじゃない?)
 ソファではなく、食卓の方の椅子に座っての食事なのだが、並び方としては矢紗美と雪乃が横並び、そして矢紗美の正面の席に月彦という配置だった。
(……どうして紺崎くんがお姉ちゃんの前なの?)
 なんともさりげなく、ごく自然な成り行きでこの配置になってしまった為、雪乃としても口を挟む余地がなかったのだが、改めて考えてみれば何かがおかしいと思わざるを得ない。
(普通、私の隣か……せめて正面じゃないの?)
 これではまるで、月彦と矢紗美が恋人同士で、自分が邪魔者みたいではないか。
「でもこれ、ほんと味付けが絶妙ですよね。スパイシーでちょっと味が濃いめなのにうるさすぎないっていうか、濃いめだからこそカボチャのスープの甘みが引き立ってより美味しく感じますし。具も鶏肉やイカが一緒くたになってるのに、それぞれが調和してなおかつ互いに引き立てて何倍もうまみが増してる感じですね」
「お世辞もそれだけ言えると上出来ね。また作ってあげたいって思わされちゃうもの」
「お世辞なんかじゃないですって! 矢紗美さんの料理なら俺、いくらでも食べられそうです」
「もう、紺崎クンったら……そんなに褒められても――」
「ねえ」
 楽しげな二人の会話を一刀両断にする形で、雪乃は大げさな音を立ててスプーンを置いた。
「お姉ちゃんの服、もう乾いてるんじゃないかしら?」
「まだじゃないですか? だってほら、乾燥機は……あれ?」
「十分以上前から乾燥機は止まってるわよ」
 そんなことすらも気づいていなかったのかと、雪乃は内心苛立ちを隠せなかった。
「……はいはい、わかったわよ。たくもぅ、しょうがないわねぇ」
 矢紗美は妹の気持ちなどすべて見透かしているかのようにふふんと鼻で笑って、やれやれと席を立つ。
「帰ればいいんでしょ? 折角の紺崎クンとの時間を邪魔して悪かったわね」
 解ってるんならもっと早くに帰りなさいよ――そう言いたいのをぐっとこらえて、雪乃は無言で矢紗美を睨み付ける。が、矢紗美はそんな妹の視線など何処吹く風で、ジャージから乾かした服へと着替え、帰り支度を始める。
「矢紗美さん……もう帰っちゃうんですか……?」
「さすがに、ね。これ以上長居したら雪乃に刺し殺されそうだもの」
 苦笑しながら靴を履き、とんとんとつま先で地面を叩く。
「じゃあね、雪乃。子猫、もらい手が見つからなかったら私も探してあげるから、その時は遠慮しないで言うのよ?」
「はい、その時はお願いします、矢紗美さん」
 返事をしない雪乃の代わりに月彦が答え、程なく矢紗美は玄関を後にした。
「………………先生、ちょっと酷くないですか?」
「酷いって、何がかしら?」
 矢紗美を見送り終わるなり、リビングに戻ってきた月彦が漏らした言葉に、雪乃は鋭く反応した。
「矢紗美さんに対する態度というか……ほら、今日はともかく前の合宿の時もいろいろ迷惑かけちゃったわけですし……」
「……解ってるわよ。…………お姉ちゃんには…………あとで、謝っておくわ…………」
 そう、姉に対する自分の態度が褒められた物ではないことなど、雪乃自身理解はしている。理解はしているが、姉と月彦が楽しげに会話をしている所を見せつけられると、それだけで心中穏やかではいられなくなってしまう。
(もし、紺崎くんまでお姉ちゃんに取られちゃったら……って……)
 それは決して杞憂ではない。過去に幾度となく現実となった事だ。
「……ねえ、紺崎くん。これだけは言っておくわね」
「はい……?」
「“アレ”が、お姉ちゃんのいつもの手なんだからね?」
「いつもの手……ですか?」
「そう! ああやってさりげなく料理出来る女だってアピールして、男をオトしちゃうのよ。全部計算ずくでやってることなの! 騙されちゃダメよ!?」
「はぁ……」
 気のない返事をする月彦に、雪乃はますますもって不安を禁じ得ない。
「紺崎くん、私が言ってるのは冗談でもなんでもなくって、本当の事! 紛れもない真実なんだからね? お姉ちゃんなんかに気を許したらそれこそ骨までしゃぶられて、用済みになった途端捨てられる悲しい末路しか無いんだから!」
「わ、わかりました……大丈夫です、騙されたりしませんから、安心してください」
 じっ、と真剣なまなざしで詰め寄るも、月彦はどこかばつが悪そうに視線を反らせてしまう。その行動の真意を、雪乃はいつもの“紺崎くんはなかなか私の気持ちを解ってくれない”程度にしか捕らえなかった。
「そ、そーいえば! この子をもらいたいって、まだ誰も言って来ないんですか?」
「……うん。ポスター貼ったの昨日だし、さすがにね」
 雪乃は嘘をついた。実は今日の昼休みと休み時間だけで、三件もの申し込みがあったのだ。いずれも女生徒で、まだ希望者が居なければ是非もらいたいという申し出だったが、雪乃はそのすべてにとりあえず保留という決定を下した。
 無論それには理由があった。
「……あのね、紺崎くん。……私、考えたんだけど……」
 そう、“今日のこと”や“昨日のこと”は特別な例だ。本来ならば起こりうる筈のない偶然がたまたま重なってしまっただけの不幸な一例に過ぎない。
 そうでさえなければ――。
「紺崎くんさえ良かったら……この子、私が飼っちゃおうかな」


 

「飼う……って、先生がって事ですか?」
 雪乃の言葉があまりに予想外で、月彦はつい尋ね返してしまった。
「うん。……あくまで紺崎くんが良ければだけど」
「……俺が、ですか?」
 またしても、雪乃の言葉の意味が月彦にはわからなかった。子猫の現時点での所有者が紺崎月彦であるのならば、雪乃の言葉も理解できる。だがしかし、現状どちらかといえば子猫の所有権は雪乃にあるのではないか。
「ええと、言い方が悪かったわね。…………順を追って説明するわね」
 とりあえずこっちに来て座って、と。雪乃に促されて月彦はソファへと腰を下ろし、その隣にぴったりと寄り添う形で雪乃が座る。
「前にも言ったと思うけど、私、猫とは本当に相性悪くってさ。今までずっと大嫌いだったんだけど……」
 そこまで言って、雪乃はそっとダンボール箱からうたた寝していた子猫を抱き上げ、膝の上へと乗せる。
「ほら、この子は結構懐いてくれてるみたいだし。そうなってくると、猫も案外悪くないなぁって思えてきちゃって」
「な、なるほど……でも、このマンションって動物飼っていいんですか?」
「それは大丈夫。契約の時に不動産屋の人がそんな事言ってた筈だし、時々だけど犬連れてる人とかとも廊下で会うし、問題ないと思うわ」
「うーん、でも先生。生き物を飼うって結構大変ですよ? 相応にお金もかかりますし、里親探しが出来るのも子猫のうちだけで、成猫になったらまず引き取ってなんかもらえませんし……大丈夫なんですか?」
 もし、軽い気持ちで飼おうとしているのならば、止めねばならない。そんな事になって、最終的に不幸になるのはこの愛くるしい子猫なのだ。
「勿論不安はあるわ。猫なんて実家じゃ飼った事ないし、おばあちゃんの家にはいっぱい居たけど…………でも、紺崎くんは詳しいんでしょ?」
「く、詳しいっていうか……うちも昔ちょこっと飼った事があるくらいで……」
「でも、私よりは詳しいんでしょ?」
「そりゃ、まぁ……簡単なアドバイスくらいなら出来ますけど」
 猫博士のように頼られるのも困ると、月彦はそこだけは誤解しないで欲しいと雪乃に軽く釘を刺す。
「それで充分よ。…………それに紺崎くん、猫好きなんでしょ?」
「そう、ですね。犬か猫かで言われると、猫の方が好きです」
 それはかつて雪乃に言った筈の言葉だった。雪乃も覚えていたのか、大きく頷く。
「だったら、やっぱりこの子飼っちゃうのが丁度いいかなって思うの。………………実を言うとね、仕事が終わって誰も居ない部屋に帰って一人で過ごすのって結構寂しいものなの。この子が居れば気も紛れるかなぁ、って」
 部屋に一人で居ると寂しい――そのくだりは、妙に感情の籠もった言い方をされ、月彦は空笑いを浮かべざるを得ない。まるで遠回しに“紺崎くんが構ってくれないからよ?”と言われているような気がしたからだ。
「紺崎くんも好きなら、“お泊まり”しにくる時も問題はないし。……この子も紺崎くんに懐いてるみたいだし」
 そう言って、雪乃がそっと子猫を差し出してくる。確かに雪乃の言う通り、矢紗美やラビにはあれだけ敵意むき出しだった子猫はあっさりと月彦の掌へと移り、そのままごろりと丸くなってしまう。
「ま、まぁ……先生が本気で飼うつもりなら、俺が反対する理由はないですよ」
 かといっておおっぴらに賛成する気にもなれず、月彦自身その理由がわからなかった。
「良かった! じゃあ紺崎くんも賛成してくれるのね?」
「賛成というか……」
 言葉を濁しながら、月彦は痛感していた。反対する理由がないという事は、イコール賛成ではないのだという真実を。
「そーだ! 紺崎くん今度の土日は空いてる?」
「えっ、どうしてですか?」
「ほら、この子うちで飼うわけだし……土日のうちに色々必要なもの買いに行こうかと思うの。私一人だと必要なものが解らないから、出来れば紺崎くんにも付き合って欲しいんだけど」
「今度の土日、ですか」
 雪乃の言葉を聞きながら、月彦は今更ながらに何故自分が雪乃が猫を飼う事に賛成できなかったのかを理解していた。そう、それは単純に“拘束率”が上がるからだったのだ。
(…………でも、これは断れない、よな)
 実際問題、雪乃一人に任せて、もし必要なものが足りなければ最終的に迷惑を被るのは何の罪もない子猫だ。さすがにそれは忍びない、と思う。
「…………解りました。じゃあ、土曜日空けておきますから――」
「土日…………で、いいでしょ?」
 ずいと。雪乃がさらに密着してきて、体重をかけながらぽつりと呟く。呟きではあるが、何とも覆し難い響きをはらんでいた。
「ええと……多分そんなに大変な買い物には……」
 ぐい、ぐいと雪乃に体重をかけられ、月彦はソファの端へ、端へとおいつめられていく。雪乃と接している左腕の辺りに乳圧がかかるのをハッキリと知覚しながら、月彦は子猫が潰されてしまわないようにそっとテーブルの上へと逃がす。
「ねえ、紺崎くん」
 子猫を逃がした後の手が、手の甲側からしっかりと雪乃に握られる。気がつくと、肩に顎を乗せられるほどに密着されていた。
「どにち。でいいでしょ?」
「は、はい……そう、ですね…………」
 耳の裏を擽るように囁かれて、月彦は思わず頷いてしまう。実を言うと、囁き自体よりも押しつけられているおっぱいの感触と、グラマー女教師特有の濃厚フェロモンの方にグラグラ来てしまってたりする。
(…………なんだかんだで、先生も俺の弱いツボ見抜いてきてるんじゃないだろうか……)
 “そういう誘い方”をされると断り切れない事を見越されている気がして――かといってこれといった対応策も思いつかなくて――何ともモヤモヤする月彦だった。


 週末はデート(建前はあくまで子猫の為の必需品を買いに行くだけ)というエサが効いたのか、前日に引き続いて雪乃は思いの外早く解放してくれた。
(うーん、先生の気持ちは解るんだけど……やっぱり“拘束される”って感じだなぁ……)
 一度捕まってしまったら、容易に逃げる事が出来ないからそう感じてしまうのかもしれない。雪乃と二人きりで過ごす事自体それほどイヤというわけではないのだが、かといって進んで二人きりになりたいと思う程でもなかったりする。
(その点、矢紗美さんだったら……)
 今日、雪乃の家に行って、矢紗美と会えた事は単純に嬉しかったし、手料理を食べられたのも本当に幸運だったと思える。そう、今だからこそ月彦には実感として確信する事が出来た。
(…………今なら、矢紗美さんに“騙された”っていう男の人たちの気持ちが、解る気がする)
 たとえ男を落とす為の手であっても構わない、ああして手料理を振る舞われて――それでいて本当に美味しいのだから堪らない――しかも、あくまで控えめに、雪乃を立てるようにさりげなく自分から身を引かれたりしたら、否が応にも好感度が上がってしまうではないか。
(……ヤバいな、矢紗美さんになら……騙されてもいいって思っちまう)
 マズい兆候だ――そう思う反面、それでもいいんじゃないかと思ってしまう自分がいる。世の中には『騙されているんじゃない、騙されたいんだ』という嗜好の人間も居るという事は知っていたが、まさか自分がその領域に足を突っ込む事になるとは夢にも思っていなかった。
 やれやれと首をふりながら、月彦は早足に家路を急ぐ。雪乃の解放が早かったおかげで、この分なら八時前には家に帰れそうだと――そんな事を月彦が考えた時だった。
 突然――
「ん……?」
 それは、なんの変哲もない十字路だった。辛うじて車一台が通れるくらいの道幅しかない道同士が交差しているその場所に差し掛かるや、不意に目の前をオレンジ色の塊がぽてーん、ぽてーんと。まるで放り投げられたような勢いで転がった。
「あっ」
 と。その転がった塊――みかんを追うようにして現れた人影に、月彦はぎゅっと胃を絞られるような感覚を覚えた。
「あ、菖蒲……さん?」
「月彦さま……お久しぶりでございます」
 見慣れたメイド服に身を包んだ菖蒲は、道に転がったみかんを拾い上げるや、月彦に対して深々と頭を下げる。――やいなや、両手で抱えていた紙製の袋からぽろぽろとみかんがこぼれ落ちるも、その全てを菖蒲は恐るべき手の早さで地面に落ちる前に拾い上げて紙袋の中へと戻す。
「ひ、久しぶり……だね。今帰り?」
 はい、と。菖蒲はいつもの感情をあまり表に出さない顔で小さく頷く。
「そ……っか。俺も今から家に帰る所なんだ」
 じゃあ、またね。――さりげなく手を振ってその場を去ろうとするも――
「あの――」
 “月彦はその場から逃げ出した! しかし回り込まれてしまった!”――まるで、そんな一文が目に見えるようだった。菖蒲は足音一つ立てず、一瞬のうちに月彦の進路を塞ぐ形で目の前に立ちふさがる。
「月彦さま、みかんはお好きですか?」
「ううん、全然! みかんは全くだめなんだ!」
「左様でございますか……」
 しゅん、とネコミミをしおれさせる菖蒲に、月彦は良心の呵責を覚える。実際にはどちらかといえば好きな果物なのだが、この場合好きと言ってしまったらまたぞろ厄介な事に巻き込まれる気がしてならなかった。
「お得意様に頂いたものなのですが、正直わたくし一人ではこの数は……」
 菖蒲は抱えている紙袋に目を落とし、そのままちらりと月彦の方へと視線を泳がせてくる。
「な、何ならご近所さんに配ったりするといいんじゃないかな? ほら、遅めの引っ越しの挨拶って事でさ」
「………………。」
 月彦の提案に、菖蒲は賛同も反対もせず、ただただじぃぃ〜っと熱っぽい視線を向けてくる。やがて根負けするように、月彦の方が視線を逸らしてしまう。
「あの、月彦さま?」
 月彦が視線を逸らすや否や、ずいと。菖蒲が一歩踏み出してくる。
「斯様な場所で“偶然”お会いしたのも何かの縁と存じます。……宜しければ、少し部屋に寄って行かれませんか?」
「う、嬉しいお誘いだけど、今日は遠慮しとくよ。家で母さんが晩ご飯作って待ってるからさ」
 愛想笑いを浮かべて、あくまでさりげなく菖蒲の横を抜けようとして――ぐいと。ブレザーの袖が掴まれる。
「あ、菖蒲さん?」
「……決してお手間はとらせませんから。……少々伺いたい事もございますし」
 是非、と詰め寄ってくる菖蒲から逃げるように、一歩、二歩と月彦は後退りをする。
「……伺いたい事って?」
 話があるのならここで聞く――言外にそう含めて、月彦は辛くも踏みとどまる。菖蒲が、少しだけ眉根を寄せ、戸惑うように瞳を泳がせるのが解った。
「あの、月彦さま」
 かさりと、紙袋を抱きしめる手をもどかしげに動かして、菖蒲が漸く――と言わんばかりに重たげに口を開く。
「申し訳ございません。催促するわけではないのですが、もしや月彦さまはお忘れではないのかと、どうしても気になったものですから」
「……もしかして――」
「はい。……“鈴”の件なのですが」
 やっぱり――月彦は胃を見えない手で雑巾絞りにされるような痛みを覚え、その場に膝まで突きかける。
「も、勿論忘れてないよ。……大丈夫、ちゃんと代わりの鈴は用意するから」
「……左様でございますか。…………催促をするわけではないのですが、出来るだけ早めにお願い申し上げます」
 催促するわけではないと言ってはいるものの、菖蒲は全身から――それこそ髪の毛の一本一本に至るまで催促オーラを迸らせ、それらがカラカラに乾く程に絞られた月彦の胃をさらにきつく締め上げる。
「わ、解ってるって……期待してくれてていいよ」
「はい、それはもう」
 菖蒲は微かに首をかしげて、うっとりと瞳を潤ませながら微笑む。その笑顔に、月彦はもうあわわあわわになってしまう。
「……わたくしは月彦さまのしもべでございます。“言いつけ”もきちんと遵守し、一日たりとも欠かしておりません。……ですが、真のしもべになるためには月彦さまに鈴をいただかなくてはなりません。…………わたくしはその時を心待ちにしております」
「えっ……いや、別にそんな大げさなものじゃ……俺はただ……」
「ただ……何でございますか?」
「え、あ、いや……その……」
 ただ、壊してしまった鈴を弁償する“だけ”のつもり――などと口にしようものなら、忽ち肩より上の部品を失ってしまう気がして、口に出来なかった。
(そ、そうだよな……仮にも、白耀から贈られた大事な鈴を壊しちゃったわけだし……ただ弁償するだけじゃマズイ……よな……)
 なるほど、人はこうして泥沼にハマっていくのかもしれない――月彦は胸をかきむしるように爪を立てながら、身をもってそれを痛感していた。
「と、とにかく……鈴の件は了解したからさ。じゃあ、またね、菖蒲さん」
 また袖を捕まれるのではないかとドキドキしながら、月彦は今度こそ菖蒲の脇を抜け、家路を急ぐ。そしてよせばいいのに、曲がり角の手前で背後を振り返ってしまった。
(うっ、まだこっち見てる……)
 闇の中で爛々と輝く双眸から逃げるように、月彦は全力ダッシュで家へと帰るのだった。



 土曜日の朝、月彦は前日に雪乃と交わした待ち合わせの時間に合わせて家を出た。いつもならばそれとなく、そしてさりげなく真央が玄関まで見送りつつ「今日はかまってくれないの?」とばかりに口にこそ出さないまでも不満そうなオーラを滲ませるのだが、今日に限って真央の見送りは無かった。
(……変……だけど、まぁいいか。多分大丈夫だろう)
 真央の様子に違和感を覚えるのは、今日に限った事ではなかった。何日か前から、どことなく挙動不審な様子が少なからずあった。――が、月彦はさして問題視もしていなかった。そのことを気にかける余裕があまりなかったから――というのもある。
(ええと……まずは土日で先生に合宿のお礼をして……その後は菖蒲さんの件を……ううぅ、胃が痛い……)
 雪乃の件は、別に構わない。ラビの為に雪乃が動いてくれたのは事実であるし、その労力には報いねばならないし、買い物に付き合う事自体は多少面倒だとは思うものの、“その後”に関しては月彦自身決して嫌ではない。むしろある意味ではご褒美とも言えるものだから、問題は殆ど無い。
 だがしかし、菖蒲の件は違う。考えれば考えるほどに泥沼な状況であり、一体どうすれば抜け出せるのか皆目見当もつかない。とはいえ、壊してしまった鈴の弁償をしなければならないのは事実であり、無視するわけにもいかない。
(鈴を弁償して…………あとはもう一切関わらない…………ってのがベスト……なのか?)
 それが簡単に出来るのならば苦労は無い。……が、やるしかない。菖蒲の為にも、そして何よりも白耀の為にも。
(…………そして、やっぱり降ってきたか)
 ぽつ、ぽつと地面の色を変える雫の量が徐々に増え始め、月彦は持参した傘を開いて、雪乃との待ち合わせ場所であるコンビニの駐車場へと急ぐ。雪乃との待ち合わせ時間は九時なのだが――この“待ち合わせ時間”については、六時だとか七時だとかあり得ない時間にしようとする雪乃と、前日さんざんに揉めた――雪乃の性格上、かなり前から待っているだろうと予想しての早足だった。
 そして、待ち合わせよりも三十分も速く着いたにもかかわらず、駐車場には既に雪乃の車が停車していた。月彦は小さくため息をついて、助手席の窓を軽くノックしてからドアを開けた。
「先生、お待たせしました」
「あっ、紺崎くん!? …………大丈夫よ、私も今来た所だから」
 傘の雫を払って助手席へと入り、シートベルトをかけながら、月彦はちらりと運転席と助手席の間にある袋へと視線を落とす。それは恐らく雪乃の朝食だったのであろうファーストフードの包み紙やらなにやらが入っている袋であり、少なくとも駐車場に着いてそれらを食べ終わるまでの時間雪乃は待っていたという事になる。
(……なんだろう、比べちゃいけないって解ってはいるんだけど……)
 少なくともこれが矢紗美とのデートであれば、仮に朝食がファーストフードであったとしても、それを示唆するようなものは車内には絶対に残さないのではないだろうか。勿論、それらが残っているからといって雪乃に対して幻滅するとか、そういう事は無いのだが。
 とはいえ、雪乃も今日の“デート”を決して軽んじているわけではないらしく、比較的見慣れたスーツ姿ではあるものの胸元もやや露出気味スカートの丈も短めで、意識して視線を逸らさなければグイグイ視線が吸い寄せられてしまうところだった。
「あっ、そーだ。紺崎くん朝ご飯はもう食べた? ハンバーガーいくつか残ってるんだけど」
「いえ、家出食べてきましたから大丈夫です」
 そういえば、前にも雪乃と出かける際に朝食がファーストフードだった事があったなと――その時は確か葬式用の喪服まで着用して真央の目を欺いた事も思い出して――月彦はつい微笑んでしまう。
(女子力……ってヤツなんだろうなぁ…………先生に矢紗美さんみたいな事を求めるわけじゃないんだけど)
 とはいえ、こういったあどけなさ、飾らなさも雪乃の魅力の一つかもしれないと、月彦は好意的に解釈することにした。
「とりあえず出発しませんか? 客でもないのにずっと駐車場使ってるのも悪いですし……」
「そうね。……じゃあ、紺崎くんはどこに行きたい?」
「どこにって……子猫用の必需品を買いに行くんじゃないんですか?」
「冗談よ。でも、ただペットショップに行って買うだけじゃ、折角のデートがすぐ終わっちゃうじゃない?」
 俺はデートのつもりはなかったんですけど――それを口にしたらどうなるかくらい、月彦にも解る事だった。
「ははは、そうですね。…………じゃあ……ちょっと遠くのデパートとかに買いに行くっていうのはどうですか? まだ九時前ですし、丁度十時過ぎくらいに着く距離なら、ちょっとしたドライブにもなりますし」
「うーん……そうね、そうしよっか。…………今日の本番は“帰ってから”だし」
 ぽつりと、意味深に呟かれた言葉に、月彦は戦慄を感じずにはいられなかった。が、勿論そんな事はおくびにも出さずに笑顔を零し、程なく車は駐車場を離れた。


 買い物は、思いの外手間取る事となった。その最大の要因は、“ペット用品”をデパート――いわゆる百貨店に求めた事だった。勿論百貨店というからには、その品揃えは大抵のものを網羅し、当然その中にはペット用品も少なからず含まれている。だがしかし、多様性を追求したことで、それぞれの分野での品揃えは専門店に比べて劣らざるを得ない。
 つまるところ、最初から素直にペットショップに行っていればものの三十分で終わる買い物が、結局二件のデパートをハシゴし、それでも見つからなかった品を買うためにペットショップまで行くはめになったのだった。
「えーと、猫用のトイレと、トイレの砂と、食器と子猫用のキャットフードと、成猫用のも一応用意しておいて、あとはノミ取り首輪にノミ取り櫛、猫用シャンプーと……」
 あらかじめ用意しておいたメモ用紙に既に購入済みの項目のみ横線を引きながら、月彦はまだ線が引けていない品物を探し出し、買い物籠へと放り込んでいく。
「ちょ、ちょっとちょっと紺崎くん! 猫一匹飼うのにこんなにたくさん買わなきゃいけないの!?」
「当たり前ですよ。先生は生き物を何だと思ってるんですか」
 恐らく雪乃はトイレの砂とキャットフードでも買っておけば大丈夫だと思っていたのではないだろうか。月彦が持参したメモ用紙を見て、呆れたように声を荒げていた。
「だってだって、この変なバッグみたいなのなんて別にいらないでしょ?」
 雪乃が指さしたのは、小さな犬小屋に取っ手がついたような、俗に言う猫用のキャリーバッグだった。
「必要です。いつ病気になって病院に連れて行かなきゃいけなくなるかわからないんですから。その時先生はどうするつもりなんですか? まさか病院までだっこして連れて行くつもりなんですか?」
「そ、それは……その時になって用意すればいいんじゃないの?」
「甘い、甘過ぎです。猫がそんな“買ったばかりのキャリーバッグ”にあっさり入ってくれると思ってるんですか? 子猫の時からなじませて、いざというときは抵抗無く入ってくれるようにしておかないとダメなんですよ。ただでさえ体調が悪い時に、不慣れなものの中に閉じこめられたりしたら余計体調が悪化しちゃうじゃないですか。むしろ猫がこの中に入ると安心するっていうくらい慣れさせるために今必要なんです」
「そ、そういうものなの……?」
「そういうものです」
「じゃあ、この猫用のベッドっていうのは!? さすがにこれはいらないんじゃないの?」
 次に雪乃が指摘したのは猫用のベッド――ふかふかの生地で出来たかまくらのようなデザインのペット用品だった。
「必要です。猫にとって“自分の場所”っていうのはとても大事なんです。きちんと落ち着ける場所を用意してあげないと、ストレスが溜まって暴れ回って部屋中のものを壊したり、尿結石が出来たりするんですよ」
「でも……暖房付きなんて……贅沢すぎない?」
 月彦が選んだのは、コンセント付きの暖房機能もあるベッドだったのだが、勿論同じような形のもので暖房機能なしのものもあり、雪乃はそちらの方にしたそうだった。
「先生。先生は車を買うときに、暖房機能がある車と、無い車、どっちを買いますか?」
「それは……暖房ある方だけど……」
「そっちの方が多少高くても、そっちを買いますよね? つまり、そういう事です」
 ううぅ、と雪乃は不満そうな唸り声を漏らすも、反論にまでは至らないようだった。
「先生、考えてもみてください。あの子は一度人間に捨てられてるんです。この寒い冬の最中、独りぼっちでダンボールの中で凍えて、それこそ死にそうなくらい寂しくて辛い思いをしたと思うんです。そんな子だからこそ、“この人に拾われて良かった!”って思ってもらえるくらい、幸せにしてあげたいと思いませんか?」
「うーん……紺崎くんの言いたいことも解るんだけど……」
「ああそうそう、これも忘れちゃいけなかった。“爪研ぎ”、室内飼いをするなら、これは必須ですね」
「待って! 紺崎くん待って! これは何!? ただダンボールを重ね合わせただけじゃないの? なのにこの値段!?」
「…………まぁ、技術料としては些か高い感は否めないですけど、でもこれ、自分で作ろうと思ったら結構面倒ですよ?」
 それとも先生が自分で自作しますか?――その質問に、雪乃は黙って月彦を制止していた手から力を抜いた。
「えーと、あとは…………うん、これが手頃かな。運動不足になるといけませんから、これも必須ですね。キャットタワー」
「これも必要なの!?」
「必須ですね。運動不足は肥満や生活習慣病の原因ですから。室内飼いの猫はどうしても運動不足になりがちですから、こういうもので運動させてあげないと」
「で、でも……そんなに大きいのじゃなくてもいいんじゃない? ほら、こっちのなら大きさも半分で値段も手頃だし……」
「そんなチャチなのじゃすぐに壊れちゃいますよ。安物買いの銭失いで結局高くつきます。こういうのは、最初に一番良いのを買うのが一番お金がかからないんです」
 そう言って、月彦はもっとも大型の――そしてお値段も18000円(税別)と決してお手軽ではない――キャットタワー(組み立て式)を小脇に抱える。
「……うーん、だいたいこんな所ですかね。必要なものは全部そろったと思います。……じゃあ先生、レジに向かいましょうか」
「ううぅ……」
 不気味な唸り声を上げながらも雪乃は月彦の後に続き、「ぜったい元をとってやるんだから」と繰り返し呟くのだった。


 猫用のトイレ、トイレの砂。猫用食器を水用とエサ用にそれぞれ一つずつ。外出時用の自動給餌機にキャットフード(ドライとウェットそれぞれ子猫用、大人用両方)、猫用ミルクに猫用おやつ、ベランダ用猫草、ノミ取り首輪(ピンク、鈴付き)、ノミ取り櫛。ノミ取りシャンプー、リンス。猫用キャリーバッグ、猫用ベッド、爪研ぎ、キャットタワー。猫用おもちゃ(猫じゃらし風のものと、ネズミを模したぬいぐるみの二つ)。
 以上が二件のデパートとペットショップを回って買ったものなのだが、その合計額は少なくとも店を出るなり財布の中を覗き込んだ雪乃が愕然とするほどのものであったらしい。
(…………ちょっと悪いことをしたかな……でも全部必需品だしな)
 肩を落とす雪乃の後ろ姿にチクチクと胸を刺されながらも、後でフォローしなければと、そんな事を思う。
 会計を終えた品物を袋に入るものは袋に詰め、入らないものは月彦が小脇に抱えて車へと戻り、後部座席へと積む。
「さて、と。買い物も終わりましたし、帰りますか?」
 微妙に口数が減った雪乃にさりげなく促すも、返事はなかなか返って来なかった。
「……ごはん」
「ごはん?」
「お昼! もう十二時過ぎてるし、お昼食べてから帰る!」
「は、はぁ……俺は構わないですけど」
 何故昼飯を食べるだけなのにそんなに大声を荒げるのか、月彦には全く理解出来なかった。すぐさま雪乃は車を急発進させ、後輪をスライドさせながら鮮やかに駐車場から車道へと滑り込む。
「ちょ、ちょ……せ、先生!?」
「紺崎くんはお昼は何か食べたいのはある?」
「いえ、特にはないですけど」
「じゃあ、お寿司でいいわね?」
「え、寿司ですか!?」
 それは、寿司が嫌いという意味ではなかった。先ほどペット用品で散財したばかりなのに、ここでさらに寿司なのかという意味での言葉だった。
「食べたい気分なの。紺崎くんは嫌?」
「い、いいえ……嫌じゃ、ないです」
 何となく雪乃の勢いに飲まれる形で、月彦は同意せざるを得なかった。

 寿司とはいっても、雪乃が目をつけたのは国道を十キロ走れば必ず一件は目にするような、有名な回転寿司のチェーン店だった。
 結構な客入りらしく、休日の昼飯時だという事もあってレジ前には行列が出来ていた。とはいえ、客の回転率もなかなかのもので、十五分も待たないうちに目の前に並んでいた二十人ほどの人数はすっかり店の席へと収まっていた。
「紺崎くん、遠慮なんかしないでどんどん食べてね」
「は、はぁ……」
 遠慮せずに食べて――まるでその言葉は雪乃自身の“遠慮”を消したのではないかという程に、見事な食べっぷりだった。具体的に言えば、“下流”の家族連れが気の毒な程に、めぼしいネタの殆どが雪乃によって取り去られ、口の中に葬られていた。
(…………昔は太ってた、っていうのも頷ける)
 この勢いで食べ続けたら、そりゃあドラム缶にもなるだろうなと。ある意味見ていて爽快さすら感じる食べっぷりだった。
(ていうか、ヤケ食い……なのか、これは)
 少なくとも正常な“食事”には見えない。まるで憎いものでも退治するような手つきで寿司皿を積み上げていく雪乃に軽い恐怖すら感じてしまう程だ。
(………………俺は別にいいですけど、“ソレ”は普通の人の前じゃマズイですよ、先生)
 自分はもう“慣れてる”から何とも思わないが、仮に雪乃が見合いなどをして、相手の男性と初めて食事をする際にこの食べっぷりを見せてしまったら、次はもう会ってはもらえないのではないだろうか。
 決して、食べ方が汚いというわけでも、食い意地がはっているというわけでもない。ただ、“美人がその量を食べる”という事自体に引かれるだろうと、月彦はそんな事を考えながら、雪乃の1/4くらいのペースでちまちまと食べ続け、12皿ほどを積み上げた。


 

 食事の後は寄り道をせずにまっすぐマンションへと帰った。二人とも買い物袋を両手に抱えて部屋へと入るなり――。
「先生……?」
 買ったものを整理する月彦の脇を抜ける形で、雪乃はよたよたと寝室の方へと向かい、ベッドの手前で膝をつくとそのままガックリと上半身だけをベッドに埋めさせる。
「うぅ…………気持ち悪い……食べ過ぎちゃったみたい」
「……大丈夫ですか?」
 今にも死にそうな声を出す雪乃にそっと声をかけるが、返事は返ってこなかった。そういえば、帰りの車の中でも極端に口数が少なかったのは、食べ過ぎで苦しかったからだったのかと、月彦は今更ながらに合点がいった。
(まぁ、そりゃあ……五十皿近く食べてたもんな)
 むしろよく食べきったものだと、逆に感心さえするほどだ。
「ぅぅ……昔はあれくらい平気で食べられたのに……うぷっ……」
「先生、そんなに苦しいならいっそ吐いちゃえば楽になりますよ」
 雪乃の背中をさすってやりながらも、自然と目が豊満な肉付きのヒップの方へと吸い寄せられてしまうのは男の性だった。ましてや、このように尻を差し出すように向けられては尚更――
「大丈夫……だけど、ごめん……ちょっとだけ休ませて……」
「解りました。俺は向こうで買ってきたもののセッティングをやってますから、気分が悪くなったりしたらすぐ教えてくださいね」
 休日。寝室に女教師と二人きり。無防備に突き出されたおしり――それらの要素に際限なくムラムラをかき立てられながらも、月彦はぐっと押し殺して居間へと戻り、作業に入る。
(やれやれ……本当にしょうがない先生だな。…………矢紗美さんが守りたくなるわけだ)
 もしここにいるのが自分ではなく、ただ雪乃の体目的の悪漢であったら、間違いなく手込めにされている所だろう――等と勝手なことを思っては苦笑し、月彦は手始めに猫用トイレを居間の隅にセットし、そこにトイレ用の砂を注ぎ込む。
「よーし、出来たぞ。ほら、お前用のトイレだ」
 月彦はそっと子猫をダンボールから出し、新品のトイレ砂の上へとのせる。ちなみに今までは、細切りにした新聞紙をトイレの砂代わりに使っており、子猫は神妙そうな足つきでトイレ砂の上をうろうろしながら「なんぞ? なんぞ?」とばかりに浅く掘って感触を確かめていた。
 そんな子猫の戸惑う様を横目で見ながら、月彦は空箱になったダンボール箱を丁寧に潰し、続いて他のペット用品も開封していく。
 新品の食器を洗い、そこに子猫用のエサとミルクをいれて置くと、子猫はたちまち飛びつくようにして食らいついた。よしよしと背中を撫でながら、続いてキャットタワーの組み立てに入る。さすが値が張っただけのことはあり、キャットタワーはその支柱も足場もすべて柔らかい生地に毛皮を生やしたような、猫が怪我をしにくく爪を立てて上りやすいしくみになっていた。また頂上部には鳥の巣状の休憩所もあり、さらに足場の下側にはいかにも猫が飛びつきそうな毛糸のボールがぶら下がっていたりと至れり尽くせりだった。
 そうやって全ての品の開封と、給餌機のセッティングを終えた所で、漸く雪乃が寝室から出てきた。
「ごめん、紺崎くん……お水もらえる?」
「はい。ちょっと待ってください」
 足下がフラついている雪乃をソファに座らせ、月彦はすぐさまコップに水を汲んで手渡した。
「ありがと……」
 雪乃は一息にそれを飲んで、ふうと息を吐く。そして、居間にセッティングされたキャットタワーへと目を向けた。
「ごめんね、紺崎くんに全部やらせちゃって」
「いえ、組み立てとか結構面白かったですよ。気にしないでください」
「……こうしてみると、ずいぶん大きいわね。やっぱりこんなに大きいのはいらなかったんじゃない?」
「そんな事ないですよ。今はまだ子猫だからそう感じるかもしれませんけど、成猫になったらこれでも小さいくらいです」
「猫ってそんなに大きくなるの?」
「この子はメスだからそんなには大きくならないとは思いますけど……ただ、友達の家だとメスでも体重五キロくらいまで大きく育ってましたから、何ともいえないですね」
「ふぅん……」
 雪乃の目が、エサをはぐはぐしている子猫の方へと動く。程なく、食事を終えた子猫はぺろりと口の周りを舐めた後、顔を洗い、そしておもむろにキャットタワーの方へと顔を向けた。
 見慣れないモノがある!――最初は用心深く、慎重に鼻をひくひく耳をぴこぴこさせながら近づき、やがて危険はないと判断するやたちまち飛びつき、支柱をよじ登り始める。
「…………とまぁ、こんな風に猫が上って遊ぶわけですよ」
「それは解るんだけど……アレは何?」
 雪乃が指さしたのは、ペット用ベッドを置いている台座ことそれが入っていたダンボール箱――の壁面の一部を鋏で切り抜き、猫が出入りできるようにしたものだった。
「ああ、これですか。猫って意外とこういう“ダンボール箱の中”って好きなんですよ。これなら大きさも手頃だから、この子が気に入るようなら捨てずにとっておくのもアリなんじゃないかなって思って作ってみました。ベッド本体の方は後で先生が邪魔にならない場所にうつしてください」
「…………最初からダンボール箱だけ用意すればよかったんじゃないの?」
「ダンボール箱が好きな猫は多いですけど、気に入ってくれるかどうかはわかりませんから。一応ちゃんとしたベッドも用意してあげたほうがいいですよ」
 ちなみに子猫自身はといえば、キャットタワー頂上の部屋が気に入ったのか、先ほどから中に入ったまま一向に出てこようとしない。
「あと、こっちのおもちゃは普段は引き出しの中とか、猫の手の触れない場所に保管してくださいね。じゃないと留守中とかにボロボロにされちゃいますから」
「わかったわ」
「それから、おやつもあんまり与えすぎないでくださいね。一度あげたらすっごいせがまれて欲しい、欲しいって飛びつかれると思いますけど、そこは心を鬼にして我慢です」
「うん」
「あと、人間の食べ物は極力あげないでください。一応俺が知ってる限りの“猫に与えてはいけない食べ物”のリストをここに書いておきましたから……えーと、どこか目につきやすい所に……」
「それなら、冷蔵庫の扉に張っておいて」
「わかりました。………………先生?」
「なぁに?」
 メモ用紙をマグネットで冷蔵庫の扉に貼りながら、月彦は恐る恐る雪乃に声をかける。
「あ、いえ……俺の勘違いだったらすみません。……なんだか先生、ちょっと機嫌悪くないですか?」
「そんな事は無いわよ?」
 ただ――と、雪乃は空になったコップをソファの前のテーブルに置きながら、まるで独り言のように呟く。
「…………なんだか、紺崎くんが子猫の事ばかり気にするから、出来れば私の事も同じくらい気にして欲しいなぁ……って、思っちゃったり」
「…………ははは」
「“二人きり”で、“私の隣が空いてる”のに、どうして離れて立ったままなんだろう、とか」
「えーと……それじゃあ、失礼します」
 そこまで言われては、もはや行くしかない。月彦は一瞬迷いつつも、雪乃の隣へと腰を下ろす。――と同時に、雪乃は忽ち笑顔を零し、月彦の手を自ら取って自分の腰へとまわさせる。
「手はこうでしょ?」
「せ、先生……具合悪いんじゃないんですか?」
「んーん、もう大丈夫。紺崎くんとくっついたら、すぐ治っちゃった。……ほら、もっと力いれて、ぐいっって抱き寄せて?」
 はい――月彦は乾いた声で返事をしながら、雪乃の背中から腰へとまわされた左手で、ぐいと抱き寄せる。
「ん〜〜〜〜っ………………幸せっ」
 雪乃はそのまま体を傾け、ソファの上で半ば月彦を押し倒すように体重をかけながらごろにゃーんと甘え始める。
「…………毎日紺崎くんとこうして一緒に居られたら、最高なんだけどなぁ」
「……そうですね」
 相づちをうちつつも、「さすがに毎日は勘弁してください」と心の中で呟く。
(嫌じゃない……嫌じゃないんだけど……)
 グラマー女教師のわがままボディの圧力をほぼ全身で受け止めながら、月彦はなんとも複雑だった。
(だめだ、だめだ……矢紗美さんと比べたらダメだ)
 雪乃には雪乃の良さがある。自分はそれを良く知っている筈だ。悪いところばかり見ようとするな――月彦は重しのようにのし掛かられながら、必死にそんな事を思う。
「…………そーだ、忘れてたわ」
「何ですか?」
「あの子の名前! 紺崎くん考えてくれた?」
 ああ、と月彦も言われて思い出した。そういえば、雪乃が子猫を飼うと決まった後、妙な事を言い出したのだ。「子猫の名前は紺崎くんが決めて欲しい」――と。
(……すっかり忘れてた。まずいな、何も考えてない…………)
 うーん、と月彦がうなっていると、突然――。
「きゃっ!?」
 雪乃が素っ頓狂な声を上げて、がばっと上体を起こした。
「せ、先生? どうしたんですか?」
「ビックリしたぁ……この子がいきなり飛び乗ってきたの」
 雪乃がもぞもぞと背中に手を回し、掌にのせた子猫を差し出してくる。
「ニャア」
 と、子猫は何とも暢気そうに鳴き、大きくあくびをする。
「………………ノンちゃん、というのはどうでしょう?」
「ノンちゃん?」
「はい。ノルウェイジャンの略と……あと、ほら、結構暢気そうな子ですから。合わせてノンちゃん………………安直で済みません」
「ノンちゃん……ノンか。うん、良いんじゃない? 私は好きよ」
 雪乃は掌の上の子猫の背を撫でながら、微笑みかける。
「ノン、お前の名前はノンよ」
 その仕草がまるで母親が赤ん坊に話しかけているようで、月彦もまたなにやらほっこりしてしまう。
「…………不思議。…………なんだかこの子が紺崎くんとの間に出来た赤ちゃんに思えてきちゃった」
 雪乃もまた同様の事を考えたのか、照れ笑いを浮かべる。
「そう思えるくらい愛情を注いであげれば、きっと子猫も幸せだと思いますよ」
 月彦もまた、ノンの背中を撫でる。ノンはそのまましばし撫でられるままにされて心地よさそうにしていたが、やがてぴょんと雪乃の掌から飛び降りるとそのままキャットタワーをよじ登り、頂上のVIPルームに入ってしまった。
「…………ねえ、紺崎くん」
 それを見届けるなり、再び雪乃がすりっ……と体をかぶせてくる。もはや月彦は殆どソファに寝そべるような形になり、その上から雪乃が跨るように被さりながら、囁いてくる。
「……本物の赤ちゃん……作ってみない?」



「本物の赤ちゃんって……先生、さすがにそれは――」
「ち、違っ……そういう意味じゃなくって!」
 自分が口にした言葉の意味にたった今気がついたかのように雪乃は顔を赤くし、慌てて否定する。
「なんていうか……その…………い、言い回しっていうか……ねぇ、解るでしょ?」
 何となく、雪乃の言わんとする事は察せるものの、それはむしろド直球ではないかと月彦は思うのだった。
(ふむ。……先生の望む通りにするのは簡単だけど……)
 触れれば落ちる、誘えばすぐ落ちる男だと思われるのも心外だなと――ふとそんな事を思う。ここは一つ――もちろん、最終的には雪乃を満足させる前提で――ちょっと意地悪をしてみようかなと。
「すみません、よく解らないんですが……どういう事ですか?」
「だ、だから……!」
 雪乃が腰の辺りをくねくねさせながら訴えかけるように凝視してくる。
「この前の合宿の時も、私が体調崩しちゃってダメだったし……“その前”なんてもうずいぶん前だし……」
「……???」
 まるで数学の授業を受ける猫のように首をかしげる月彦の頭を、雪乃が両手で鷲づかみにしたのはその時だった。
「え、エッチしたい、って! そう言ってるのよ!」
 羞恥メーターが振り切ってしまったのか、両目に涙すらにじませながら、雪乃が真っ赤な顔でうーっ、と唸る。
「こんなの、普通逆でしょ! 普通は生徒の方がエッチしたいって迫ってきて、教師のほうが焦らす役でしょ! どうして逆になるのよ!」
「……何をもって“普通”と言ってるのかは解りませんが……」
 恐らくは、雪乃の好きな“女教師×男子生徒モノ”のドラマか映画あたりがソースではないかと月彦は睨む。
「うぅー……もぉ、紺崎くんと一緒に居ると女としての自信を無くしちゃいそうになるわ…………私ってそんなに魅力がないの?」
「いえ、そんな事はないです」
 そこはきっぱりと月彦は否定する。
(むしろ……)
 体だけで言えば、文字通りむしゃぶりつきたい程の我が儘ボディであるのは間違いない。
「違うっていうんなら、もっと紺崎くんの方から迫って来てよ! そしたら私だって“今日はダメ”とか、“この後出かけなきゃいけないの”とか……焦らしたり、色々出来るのに!」
 あぁ、なんだか変なスイッチが入っちゃってるな――顔を真っ赤にしたままわめき散らす雪乃を見上げながら、月彦は内心ほっこりしていた。
「前にも言ったでしょ!? 紺崎くんはもっと我が儘を言ってくれていいの! いつも私の方から迫らなきゃいけないっておかしいじゃない!」
「先生、これも何度も言ってる事ですけど……俺はそういうのをきちんと我慢できる人間になりたいんです」
「……だから、今は我慢しなくていいの! …………紺崎くんがしたい事があるなら……好きに、してくれていいんだからね?」
 ソファの上で横向きに月彦を押し倒し、自分はそれに跨ったまま、雪乃は怒るような口調で呟く。
(…………素直に“触って”って言えないのが、良くも悪くも先生だよなぁ)
 勿論、雪乃のテンション――気分次第ではそういう事もあるだろう。現に冬休み明けの時などはムラムラMAXの雪乃にこれでもかと誘惑されたものだ。
(…………まぁ、あんまり焦らすのも悪い、か)
 何より、雪乃には合宿の件での恩がある。あまり焦らして、雪乃をキレさせてしまってはそれこそ本末転倒だ。
「俺がしたい事……ですか……そうですね」
 ここで注意しなければならないのは、雪乃が求めているのは“紺崎月彦がしたいこと”ではなく、“雛森雪乃が紺崎月彦としたいこと”だという事だ。
「先生と、キスがしたいです」
 雪乃の目をハッキリと見据えて言うと、それだけで雪乃はぴくんと体を揺らして反応した。言葉そのものが雪乃の胸を貫き、キュンと鳴らしたのが触れている体越しに感じられるようだった。
「キス……キスね。……まぁ、紺崎くんがしたいっていうのなら……」
 視線を泳がせながら、さも“私はそうでもないけど”という態度を取るのは、雪乃なりの見栄なのだろう。そのくせ、ソワソワを隠しきれないといった感じで、雪乃がゆっくりと上体をかぶせてくる。
「んっ……」
 そのまま、吸い込まれるように唇が重なる。雪乃の柔らかい唇の感触をしっかりと感じながら、月彦はそっと両手を雪乃の背まで回し、易しく撫でる。
「んっ、んっ……」
 何度か唇をつけては放し、文字通り啄むようなキスを繰り返しながら、月彦は雪乃の背を、後頭部を撫でる。雪乃はその度に心地よさそうに喉を鳴らし、唇が触れている時間が徐々に長くなる。
「んっ、んぁっ、んっ、んっ……」
 先に舌を使い始めたのは、意外なことに雪乃の方だった。雪乃もまた両手を月彦の体へと這わせ、その頬を撫でたり肩を撫でたり。髪を撫でたりしながら、くちくちと唾液で出来た泡のはじける音を立てながらキスに没頭する。
「んっ、んんんっ……ちゅっ……んっ、ちゅっ……ちゅっ…………ふはぁ…………これで……満足?」
 たっぷり十五分ほどはそうして戯れるようにキスを続けた後、ついと雪乃が上体を起こしてそんな事を言う。
(…………先生のほうが全然満足してないって顔してますよ?)
 或いは、雪乃から見れば自分のほうがそう見えているのだろうか――とにもかくにも、どちらとも一言も発さない内に、再びキスは再開された。
「んんぅっ……んぁっ……んんっ……!」
 獣のように荒々しいキスとはまさにこの事だった。余程飢えていて、それを隠しきれなくなったのか、雪乃はそれこそ月彦の舌をしゃぶるようにキスを続ける。月彦もまたそれを受けながら、徐々に。徐々に両手を雪乃の背中から腰、そして尻の方へと伸ばしていく。
「ぁぁ……」
 月彦の手が尻を鷲づかみにするや、雪乃はキスを中断して短く喘いだ。すっかり潤んだ瞳で物言いたげに月彦を見据え、そして結局何も言わずにキスを再開させる。
 月彦もそれを受けて、やんわりと雪乃の尻肉を揉み始める。
「んっ、んんっ……んんっ……!」
 揉む手の動きに応じて、雪乃の舌の動きが止まったり、逆に激しくなったりするのを感じながら、月彦も揉む手の力を調節する。時には激しく、パン生地でもこねるように揉み、また時には易しく、表面を撫でさするだけにとどめて雪乃を焦らした。
 そして“撫でるだけ”の時には決まって雪乃はキスを中断して、抗議するような目を向けてくるのだった。
「どうかしましたか?」
 そこで“物足りない”とはっきり言えない雪乃が可愛く思えて、月彦はついつい揉む手を強めて雪乃を甘やかしてしまう。
(……やっぱりスゴいな……この“肉感”は……)
 “人間”では随一――その褒め方は雪乃に対して失礼になるかもしれない。が、両手から伝わってくる尻肉の感触は間違いなく一級品であるというデータを示しており、否が応にも興奮をかき立てられる。
(いや、ダメだダメだ……今日の所は、自分の楽しみよりも、先生に満足してもらう事を優先して……ああ、でもこれは……)
 欲望のままに流されてしまいたい――そんな誘惑に必死に抗いながら、月彦は必死に演技を続ける。――そう、即ち“雪乃の求める月彦像”になりきるために。
「先生……あの、先生……ちょっと、待ってください」
 放っておけば一日中キスを続けるのではないかという程にどん欲に求めてくる雪乃に、月彦は“参った”と言わんばかりに口を挟む。
「なぁに? どうしたの? 紺崎くん」
 雪乃の息は荒かった。あれだけキスを熱心に続ければ当然だと、月彦は思う。
「ええと、その……さっき“我が儘”を言ったばかりでアレなんですけど………………俺、先生のお尻に……直接触りたい、です」
 普段ならば――というより、今までならば、そんなこといちいち確認せずとも勝手に脱がし、触っていた。しかし、今日はそういうわけにはいかない。なんとしても雪乃に“今までで一番良かった”と思ってもらいたい――月彦の心はそんなサービス精神に充ち満ちていた。
「私のお尻に触りたいの?」
 どうやら、この申し出は月彦の思った以上に雪乃の自尊心――女としての自信と言うべきか――を刺激したらしかった。雪乃は恐らくニヤニヤしてしまいそうになる顔を必死にかみ殺して平生を装い、その上で“大人の女の余裕”を見せたくて堪らないといった様子で上体をかぶせ、体重をかけてくる。
「はい……凄く、触りたい。です」
「……ン、いいわよ。…………正直な子には、ご褒美あげちゃう。……紺崎くんの好きなようにして?」
 あぁ、やっぱり“お姉さんが教えてあげる”的なシチュが先生は好きなんだな――そんな事を思いながら、月彦はおずおずと。さも“恐れ多くて手が巧く動かない”といった演技すら交えながら、雪乃のタイトミニを捲し上げていく。そして、ストッキングの下へと手を忍ばせ、両手で直に雪乃の尻に触れ、揉む。
「んんぅ…………いーい? 紺崎くん…………こんなことさせてあげるのは、貴方だけ……なんだからね?」
 微かに眉を寄せながら、雪乃は若干余裕の無くなった声でそんな事を言う。一方月彦はといえば、“衣服越し”ではない生の肉の感触に没頭するように、ぐにぐにと尻肉を揉み続ける。
「ンッ……やだ…………ンッ……ね、ねぇ……他にしたいことはないの? お尻だけじゃ……やンっ……!」
 ぶるるっ――密着している為、雪乃が背筋を振るわせるのすらも伝わってくる。
「……そうですね。こうして先生のお尻を触りながら……もっとキスができたら最高です」
「……も、もぉ……紺崎くんったら欲張りなんだから…………い、いいわよ……キス、すればいいんでしょ?」
 さも“仕方ない”と言いたげに愚痴りながら、雪乃はためらいもせずに唇を重ねてくる。
「んん…………んぅ…………!」
 キスの調子に合わせるようにやんわりと、円を描くように尻肉をこねると、雪乃はなんとも心地よさそうに喉を鳴らして両手で月彦の頭を抱き込むように密着してくる。一応抑えてはいるのだろうが、それでも漏れてしまうらしい鼻息がこそばゆく、月彦は苦笑してしまいそうになるのを堪えながら、両手の指先と掌から伝わってくる感触を堪能する。
(ううぅ……挿れたい……けど、我慢、我慢だ……)
 このむっちり我が儘ボディの女教師を一刻も早く押し倒し、特濃の子種を注ぎ込んでやりたい――そんな欲望にがつんがつん頭を揺さぶられながら、月彦は懸命に耐える。
(それじゃあいつもと同じだ……今日は、絶対に先生を満足させるんだ……)
 それこそが、ゆくゆくは雪乃とラビを和解させる事にも繋がる筈だと――そうとでも思わなければ、発情フェロモン全開のグラマー女教師に密着されたままキスと尻愛撫のみで耐える事など不可能だった。
「……ねえ、紺崎くん」
 さらに三十分ほど、キスしながら体をまさぐり合うような事を続けた所で、堪りかねたように雪乃が声を出した。
「お尻と……キス、だけで、いいの?」
 はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ。
 すっかり出来上がってしまっている風の濡れ濡れの目で見つめながら、雪乃がそんな事を聞いてくる。
(先生、それはもう“キスとお尻だけじゃ満足できない”って言ってるのと同じですよ)
 やっぱり雪乃に“お姉さんが教えてあげる”をさせるには、生徒側のサポートが必須だなと、そんな事を思う。
「……えと、実は俺も……そろそろ違う事がしたいなぁって思ってた所です」
「お、思ってたなら早く言えばいいじゃない!………………それで、何がしたいの?」
「それなんですが……大きな声で言うのは恥ずかしいんで、先生ちょっと耳を貸してもらえますか?」
「えっ、えっ……そ、そんな恥ずかしい事……したいの?」
 あからさまに同様する雪乃に苦笑しそうになりながらも、月彦は雪乃の上体を誘導し、殆ど抱き合うような姿勢で自分の方へと耳を向けさせる。
 その耳を――れろりと舐め上げる。
「ひゃん!」
 舐められるとは思ってなかったのか、雪乃はまるで十代の少女のような可愛らしい声を上げてビクンと体を揺らす。月彦はそのまま雪乃が逃げられない様両手で体を抱きしめたまま、れろり、れろりと雪乃の耳を丁寧に舐め上げる。
「やっ、ちょ……紺崎くっ……み、耳は……だめぇぇぇ……!」
 びく、びくと腕の中で雪乃が体を震わせるのが解る。勿論ダメだと言われたからといって逃がしたりはせず――そして雪乃が首を振って逃げる事も出来ないよう、しっかりと頭も抑えて――レロレロを続ける。
「ふ、ぁぁ……や、だめ…………ち、力……抜けちゃうぅぅ……」
 ゾゾゾゾゾ――!
 そんな寒気めいたものが雪乃の体を駆けめぐっているのが、月彦の方にも伝わってくる。
(…………あんまり従順にやりすぎて、先生に感づかれちゃったら元も子もないからな)
 時折こうして“いつものちょっと意地悪な一面”を混ぜてカムフラージュしておこうという、月彦のささやかな作戦だった。
「…………すみません、事後承諾になっちゃいました。…………先生の耳、こんなふうに舐めたかったんです」
「うぅ……もぉ! 先に言いなさいよぉ!」
 たっぷり雪乃の耳を舐めて良い感じの声を出させてから、月彦は漸くその体を解放する。
「…………折角、良い感じだったのに……もぉ……そういう事する子には我が儘聞いてあげないわよ?」
 ちょっと本気で怒ってるフリ――のつもりなのだろう。そのくせ、“耳舐め”でますますムラムラが溜まってしまったのか、もどかしげにモジモジしているのだから月彦としては対処に困る所だった。
「本当にすみません、出来心だったんです」
「……ちゃんと反省したなら、今回だけは許してあげるけど」
「本当ですか!?」
「だから……早く、次の“我が儘”を言えばいいじゃない。……次はどうしたいの?」
 ほら早く言え早く言えと言わんばかりに雪乃に急かされ、月彦はあえてうーんと悩むような仕草をする。
「難しいですね。いざ考えてみると、やりたいことばっかりで……どれか一つに絞るなんてなかなか……」
「べ、別に……一つにしろなんて言ってないでしょ!? ……同時に出来るのは……同時でもいいし、なんなら紺崎くんがやりたい事、順番に全部やればいいじゃない」
「いえ、ですからその順番を決めるのが難しくて…………ちなみに先生はどうして欲しいんですか?」
「え……わ、私!?」
「はい。先生が何かして欲しい事があるなら、それがイコール俺のしたい事ってわけでもあるんですけど」
「私が……して欲しい事……」
 ごくり、と。雪乃が生唾を飲むのが解った。そして何とも長い葛藤の後、雪乃が出した答えは――
「わ、私の事はいいの! 今日は紺崎くんの我が儘を聞いてあげるって言ってるでしょ?」
「…………そうですか。解りました……じゃあ、遠慮無く……“我が儘”を言っちゃいますね」
「それでいいの! …………それで、どうしたいの?」
「そうですね。……キスもしましたしお尻も触りましたし……やはり、そろそろ“メインディッシュ”を頂きたいなぁと……」
「メインディッシュ?」
 ごくりと、再度雪乃が生唾を飲む。
「はい。…………大好きな先生のおっぱいを、心ゆくまで堪能したいです」
 え、そっち?――そんな呟きが聞こえてきそうな雪乃のリアクションに、月彦は終始笑顔を崩さない。
 雪乃がなかなか“お姉さん”になりきれないのと同様に、月彦もまた――自覚はないものの――“内気な男子生徒役”になりきれないのだった。



 なんとなく、“今日はいける流れ”かもしれないと、そんな事を思っていた。
 出だしこそお世辞にもスムーズとは言い難かったが、そのせいか“いつもとは違う流れ”でイチャイチャに突入し、幸か不幸か雪乃のペースで事は進んだ。
(このままいければ……)
 月彦に“年上の貫禄”をたっぷり見せつけ、惚れ直させる事も出来るのではないかと思い始めた辺りで、徐々に雲行きが怪しくなり始めた。
「……先生、どうしたんですか? 我が儘、聞いてくれるんじゃないんですか?」
「あ、うん……そ、そうね…………ど……どうすればいいのかしら?」
「俺が起きますから、代わりに先生がソファに寝てください。勿論仰向けで」
 月彦に言われるままに体を入れ替え――ついでに、脱ぎかけだったストッキングをすべて脱ぎ、さらに上着も脱いで――雪乃はソファに仰向けに横たわる。すかさず月彦がシャツのボタンを外してきて、黒のブラが露出する。
(……嫌なわけじゃないんだけど……)
 月彦に服を脱がされながら、雪乃は人知れず焦れていた。元々、長いこと“おあずけ”を食らったままであり、したくてしたくて堪らないのを必死に我慢して平生を装っていた矢先のイチャイチャなのだ。
(……紺崎くんだって、もうあんなになってるのに)
 ブラのホックを外され、ブラを首の方へと押し上げられながら、雪乃はちらりと月彦の股間の辺りへと視線を這わせる。そこはもう、痛々しいまでに怒張し、ズボンをつきやぶらんばかりになっていた。
(……私に遠慮してるのかしら)
 キスだの尻だの小刻みな要求ではなく、はっきりと一言“抱きたい”――そう言ってくれれば、迷わず全身を差し出す覚悟があるのに。
(…………でも、アレはアレで……悪くなかったかも……)
 月彦が望みを言い、それを叶えてやる――ただそれだけの事だったが、それは雪乃の女としての自信、満足度を満たすには充分なやりとりだった。ひょっとしたら、月彦は自分に女としての魅力を感じてくれていないのではないか――そんな不安も消え失せ、純粋にイチャイチャを楽しめるようにもなった。
 ただ――。
(紺崎くんのが……欲しい…………)
 その欲求は元から――それこそ、四六時中と言い換えてもいいほどに――あった。が、尻を揉まれキスをしている辺りから徐々に強くなり、耳を舐められた辺りで耐え難いほどになった。
(それなのに、胸だけ……なんて……)
 月彦の望みは叶えてやりたい――が、しかしそれは同時に雪乃にとって緩い拷問でもあった。
「……スゴい、相変わらずスゴいですね、先生のおっぱい。……何度も見てるのに、こうやって改めて見ると、感動しそうになります」
「そ、そう? ……あ、あんまりそんな風に見られると……恥ずかしいんだけど……」
「……一応、改めて尋ねますけど……俺の好きにしていいんですよね?」
「……えと……そう、ね。…………痛くしたりしないなら、紺崎くんの好きにして……いいわ」
 何もつけていない胸を、月彦にガン見されている――それだけで、雪乃の心拍数は際限なく跳ね上がり、その緊張を伝えるように先端は硬くそそり立つ。
「あっ、んっ」
 ぐに、と。その頂きごと月彦の手に掴まれ、揉まれる。
「んっ、ぁ」
 続いて、もう片方も。両手で同時に、ぐに、ぐにと円を描くように揉まれ、雪乃は吐息を漏らしながら全身から力を抜いていく。
(紺崎くんに……おっぱい、触られてる……)
 これは夢ではない、現実の出来事なのだと――先ほど、尻を触られている時にも思ったが――雪乃は噛みしめるように記憶に刻みつける。
(ぁっ、ぁっ……気持ちいいの、来るっ、ぅ……)
 月彦に胸を見られ、触られている――そのことを自覚しながら触れられる事で、背筋を電気のようなものが駆けめぐる。
(昔は、こんなじゃなかった、のに……)
 胸を触られても、ただむず痒かったり、マッサージ的な意味で気持ちいいだけだったのに。
 今は。
「あっ、ぁっ、ぁっ」
 気を抜けば、声まで出てしまう。腰が勝手にくい、くいと何かを求めるように蠢いてしまう。
「……先生?」
「え、ぁ、なに?」
「また、キスしてもいいですか?」
 そんなの、いちいち聞かなくてもいいのに――そんな言葉をぐっと飲み込んで、雪乃は小さく頷き返す。
「ンッ……!」
 忽ち唇が重なり、雪乃の舌を探すように月彦の舌が入ってくる。雪乃もまた自ら積極的に舌を絡め、月彦の唾液を啜るようにくちくちと音を鳴らして吸い付く。
(あぁんっ……紺崎くん……紺崎くんの……唾、甘い……?)
 厳密に言えば、決して糖分を感じるわけではない。が、“そう錯覚してしまう”程に、雪乃には堪らなく美味に思える。
(もっと、もっと飲ませて……いっぱい注ぎ込んで……!)
 さすがにハッキリと「唾液を飲ませて欲しい」等とは言えるわけもなく、雪乃は月彦の舌を通じてもたらされるそれを味わい、こくり、こくりと嚥下していく。
「ふぁぁっ、あぁぁぁぁぁぁ……!」
 そうしてキスに夢中になっていた矢先、唐突に胸の先端部をきゅっと摘まれ、雪乃は素っ頓狂な声を出してしまう。
(えっ、えっ……? 胸、触られただけなのに……)
 なのに、こんな声が出てしまうのが信じられなくて、雪乃は軽い混乱に陥った。
「ん、先生……胸、いつもより良いんですか?」
 どうやら月彦にとっても意外だったらしい。そう思うと、先ほど自分が漏らしてしまった喘ぎ声がとても恥ずかしいものに思えて、雪乃は一気に顔を赤くした。
「ち、違うのぉ……何か、変で……ふあっ、だ、だめ……んんっ……ちゅっ、んんっ……ちゅっ……あむっ、ちゅ……ぁっ、ふやぁぁぁぁ……!」
 雪乃の抗弁を封じるようなキス――そしてその最中にむぎゅ、むぎゅと丹念に乳をこねられ、雪乃は背を反らすようにしながら声を上げてしまう。
(どう、して? ずっと、シてなかった、から?)
 溜まってたから、感じやすくなってしまっているだけなのだろうか。否、“溜まってた”事は今までにも何度もある。それこそ、性欲が抑えられないという意味では冬休み明けの頃のほうがすさまじかったくらいだ。
 つまり、原因はそれ以外――
「……先生のおっぱい、すっごく美味しそうです。……このまま食べちゃいますね」
「ふぇ……? ぁっ、ちょっ……紺崎くっ……ぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」
 ぐっと乳肉を掴み、盛り上がった先端部分をはむっと咥えこまれ、そのままレロレロとなめ回されて――雪乃は下半身をハネさせながら声を荒げてしまう。
「ちょっ……だ、だめっ……なんか、変っ……やっ……ま、待っ…………ぁぁっぁぁぁあッ!」
 右のおっぱいを吸われたら、左のおっぱいも差し出しなさい――そんなどこかで聞いたような、それでいて何処にも存在しないような文言が一瞬雪乃の頭をよぎり、そして“結果的には”同じ事を月彦にされ、雪乃は引きつった指でソファの皮を引っ掻く事しか出来なかった。
「……スゴい反応ですね。……先生、おっぱい吸われるだけでそんなに気持ちよくなっちゃったら、赤ちゃん育てる時大変ですね」
「ち、違ぅぅ……ぁひん!」
 相変わらず、反論はさせてもらえない。それよりも早く、はむっ、と先端部をくわえこまれ、扱くように舌先で刺激されて雪乃は何も言えなくされてしまう。
(ううぅ……ズルい……どうして、私の方だけ……)
 同じように、月彦が言葉も出ないくらいに感じさせて主導権を握ってやりたいのに。何故そう出来ないのか、雪乃は不思議で堪らず、そして悔しくて仕方がなかった。
「先生、ほら……気持ちよくてくたぁ、ってなっちゃってる所悪いんですけど、ちょっと体を起こしてもらえますか?」
 そしてそんな事を考えている間にも月彦の手で体を抱き起こされ、ソファに寝そべる形から月彦の前に背中を向けて座る形にさせられる。
「こ、紺崎くん?」
「すみません、先生。……今度はこんな風に“後ろから”先生のおっぱいを触りたいんです。ダメですか?」
 一応は伺いを立てる形をとっているが、勿論雪乃にそれを拒否する権利も余裕も無かった。それどころか答える間すらなく――
「あぁんっ」
 脇の間から滑り込んできた月彦の両手に両胸をがっしり掴まれ、もみくちゃにされる。
「あっ、あっ、あっ……!」
 ぐにぐにとゴム鞠でもこねるように容赦なく揉みこねられ、雪乃はただあえぎを漏らす事すら出来ない。
「ほら、先生?」
 そして月彦に促されるままに体を捻り、唇を重ねる。
「んは、んちゅっ……んんっ、ちゅっ……」
 口の端からはしたなく涎を零しながら、雪乃はキスに没頭する。むぎゅ、むぎゅと強めに胸をこねられる度に頭まで痺れて、“些細なこと”などどうでもよくなってくる。
「んはぁっ……ねぇ、紺崎くん……私、もぅ……」
 年上としてのプライドも、見栄ももはやどうでも良い。ただ、一刻も早く“欲しい”――その欲求に負ける形で雪乃が口を開く――が。
「んはぁぁっ、んくっんんんぅう……!」
 まるで“そこから先は言わせない”とばかりに、月彦の指がねじ込まれ、雪乃は強制的に指フェラをさせられる。
(ぁっ、ぁっ……紺崎くんの……ゆ、び……?)
 遅れてそのことを自覚するや、雪乃はむしろ自ら積極的に舌を絡め、指をしゃぶる。そんな筈はないのに、まるで棒アイスかなにかでも舐めているかのように、舌先が甘く痺れ、自然と蕩けるような顔になる。
「…………そういえば、先生って“ココ”も弱かったですよね」
 だから、そんな月彦の囁きも、半ば以上雪乃の耳には届かなかった。勿論雪乃が聞かなかったからといって月彦が手を止める筈もなく、左手の指をしゃぶらせたまま、右手が徐々に胸元から腹部の辺りへと降りてくる。
「んふっ、んぷっ……んんっ……んんんン!」
 さわっ――軽く腹部を撫でられただけで、雪乃は背筋を伸ばし、危うく月彦の指を噛みそうになる程に喘いだ。
「ぷぁ……だ、ダメ……紺崎くん……はぁ……はぁ…………そこは、だめぇ……んぷっ……んんっ……!」
 嘆願は聞き入れられず、雪乃は再度指をしゃぶらされる。そして、月彦の右手はさわ、さわと雪乃の腹部を執拗なまでに撫で始める。
(ダメ、ダメ、ダメぇぇ……!)
 否が応にも“そこ”に意識が向く。さながら、男性器が充血して勃起するのと同様に、“その場所”に血が集まり、子を作る準備を始めるような――そんな“錯覚”に、雪乃は恐怖に近いものを感じる。
(あぁぁ……ダメ……そこ、刺激しないで…………欲しくなる…………欲しくなっちゃう……!)
 ドクッ! ドピュッ! ドリュッ!――過去に中出しされた時の感触がフラッシュバックのようによみがえってきて、雪乃はぶるりと身震いする。
(ダメ、ダメ……“アレ”はダメなの……ダメっ、絶対ダメぇえ……)
 ごちゅっ、と隙間無く押しつけられた剛直の先端から溢れる、特濃の牡液。たっぷりと注ぎ込まれたそれが子宮内で行き場を無くし、内側から押す圧迫感までもが鮮明に蘇ってきて、雪乃は息を荒げずにはいられなかった。
「ぁ、ぁ……だ、だめ……紺崎くん、止め、て……」
 雪乃は力の入らない手で何とか月彦の左手を掴み、指を引き抜かせて――懇願する。
「……何がダメなんですか?」
 そんなこと、百も承知のくせに惚ける月彦が憎くすら思える。
「こ、これ……止めて……」
 そして雪乃もまた巧く説明出来ず、腹部を撫でる月彦の手首を掴み、制止を懇願する。
「先生、俺は“どうしてダメなのか”を聞いてるんですけど?」
「そ、それは……」
 言えない。
 言えるわけがない。
 例え過去に口にしてしまった事があったとしても。そして口にしなくとも月彦にはモロバレであったとしても。
 それでも、軽々に口に出すことは出来ない言葉だった。
「…………先生、白状します。…………実は俺、先生に“あの言葉”を言われるの、すげー弱いんです」
「え……?」
「初めて言われた時、なんかゾクッ、て来て、先生の事がメチャクチャ可愛いって思っちゃったんですよね」
「あっ、あっ……だ、だめぇぇ……!」
 一度は止めた手の動きが、再開される。さわ、さわと腹部を撫でる手を、もう雪乃は止められなかった。
「ほら、先生? 俺の我が儘は聞いてくれるんじゃなかったんですか?」
 まるで、体中の水分と血が子宮に集まり、喉がカラカラに乾くような――そんな感覚。それでいて求めるものは水でも酒でもなく、ただ一つのみ。
「せ――」
 それを口にすれば、もはや自分は“教師”ではなく、そして“女”ですらない。
 ただの“メス”に成り下がると解っていても。
「精子……欲しくなっちゃうのぉ…………紺崎くんの精子……欲しいぃぃ」
 視界の外で、月彦が口元を歪めるのが、雪乃にも解った。



 

「……折角です。たまにはベッド以外の場所でしませんか?」
 その月彦の提案を吟味する余裕も、ましてや否定して代案を出す余裕も雪乃には無かった。
 月彦に促されるままにソファから立ち上がり、食卓の方へと歩まされる。
「そのまま、そこに腰掛けて……そして足を開いてください。……あぁ、下着は先に脱いじゃってください」
 言われるままに、雪乃は下着を脱ぎ――それは自分でも驚く程にぐっしょりと濡れそぼっており、雪乃の指先から床へと落ちる際、ぴちゃりと淫靡な音を立てた。
 そして、雪乃は月彦の言葉の通り、腰の高さほどもある食卓に腰掛け、足を開く。もはや身に纏っているのはタイトミニだけであり、それは何故か脱げとは言われなかった。
「…………凄い濡れ方ですね。太股の辺りまでテラテラ光って……先生がこんなになるの、初めてじゃないですか?」
「ぁ、ぅ……」
 足を開いて食卓に腰掛ける雪乃の前にかがみ込むようにして覗き込んでくる月彦に、咄嗟に雪乃は足を閉じようとして――。
「先生、ダメです。ちゃんとよく見えるように開いてください」
 月彦の言葉で、辛くも開き続ける。
(い、や……また、こんな格好……)
 そういえば過去にも、月彦に“女性器の事を教えて欲しい”とせがまれ、こんな形になったことを、雪乃は思い出した。
「も、う……いい、でしょ……紺崎くん……は、恥ずかしい、から……ね?」
「ダメです。…………先生、今度は自分の指で広げて、奥の方まで見せてください」
「なっ……」
「“我が儘”です。……ほら、先生?」
 ううぅ――そんな呻き声を漏らしながら、雪乃はそっと右手の指で自らの秘裂を開き、“奥”を月彦に見せる。同時に、まるで月彦から顔を隠すように左手で目元を覆ってしまう。
「…………ピンク色の肉襞がヒクッ、ヒクッって誘うみたいに動いてますね。……凄く、美味しそうです」
「え、や……あんっ!」
 ちゅっ、と。広げた場所に口づけをされ、雪乃はビクンと背を反らす。
「ちょっ、やっ……こ、紺崎くん、そこはっ……んんっ!」
 そのまま、れろり、れろりと割れ目に沿って舌を動かされ、さらにはちゅぱちゅぱと淫核をしゃぶるようにされて雪乃は食卓をきしませながら喘ぐ。
「…………ああ、すみません。焦らすつもりはなかったんですが、先生のがすっごく美味しそうで、つい味見をしちゃいました」
 イきそうになる寸前の所でついと口を離したかと思えば、いけしゃあしゃあとそんなことを言う月彦の首を、雪乃は半ば本気で締めてやろうかと思った。
「……もう、いい、でしょ…………こ、これ以上意地悪したら……本気で怒るわよ?」
 もちろん思っただけで実行には移せず、月彦の首もと目がけて伸ばした両手も、首ではなくその後ろ側へと絡め、自分のそばへと引き寄せる為にのみ使われた。
「解ってます。…………俺の方も、いい加減我慢出来なくなった所です」
 スパーンと、いつもながら見事の一言しか言えない一瞬の脱衣を済ませるや、怒張しきっている分身を軽く扱きながら宛ってくる。
「や、やだ……紺崎くんの……なんだかいつもより大きくない?」
「いつも通りです――と言いたい所ですけど、どうでしょうね。……ひょっとしたら、先生が興奮させすぎたせいで、いつもより2割り増しくらいにはなってるかもしれません」
「わ、私がって…………あ、アレは、紺崎くんが言えって……んんぅっ、やだ……まだ、話してるとちゅ……あぁあん!」
 ぐい、と接合部が広げられる感触。続いて、ぐいぐいと中まで広げられる感触に、雪乃は言葉を詰まらせる。
「だ、だめっ……紺崎くん、ちょっ……待っ……やっ……〜〜〜〜っっっ!!」
 剛直が半ば程まで進んだ所で、雪乃は“それ”を抑えきれず、達してしまった。
(やだ……い、挿れられた、だけ、なのにぃ……!)
 それほどまでに体が欲していたという事なのだろうか。月彦の肉系と肉襞が擦れ合った途端、雪乃自身どうにも抑えきれないほどの快感の波に翻弄されて、容易くイかされてしまったのだった。
「あれ……先生? もうイッたんですか?」
「だ、だから……待って、って……さ、さっき……紺崎くんに口で、されて……それだけで、もうヤバかったのに……」
「でも、“軽く”ですよね。……じゃあ、続きを――」
「ぁっ……ま、待って!」
 ハッと。雪乃は快楽に身を任せようとした瞬間、まるで冷や水でも浴びせられたように“姉の言葉”を思い出した。挿入を続けようとする月彦の両肩を掴んで、制止させる。
「その前に……一つだけ、約束して。……今日は、……奥まで入れたりしないって」
「……どうしてですか?」
「ど、どうしてって……それは――……」
 ポルチオ性感帯を開発されると、セックス中毒者のようになってしまう危険性があるから――などとは、口が裂けても言えなかった。
「えと……その、ね。今まで黙ってたけど……奥突かれるのって、結構痛いの。……だから、出来れば止めてほしいの」
 仕方なく、雪乃は嘘をつくことにした。
「………………そうだったんですか。気がつかなくてすみませんでした…………俺はてっきり、先生は奥の方が好きなものとばかり思ってました」
 しゅん、と肩を落とす月彦に、雪乃は良心の呵責を感じずにはいられなかった。
「……とにかく、そういうわけだから……今日は、お……奥は、止めてね?」
「解りました」
 任せてくださいとばかりに月彦は頷き、そして挿入を再開する。
「あっ、やっ……」
 言ったそばから、剛直は雪乃の中を押し広げながらグングン最奥に近づいてきて、雪乃が制止しようと手を伸ばした所で――ぴたりと止まった。
「……こんな感じですか?」
「う、うん……それで、いいの……」
 それはまさに寸止め。隙間は1ミリあるかないかといった、神業のように雪乃には感じられた。
(今更だけど……紺崎くんって、ひょっとしてスゴい?)
 それとも、こんなことは年頃の男子であればだれでも出来る事なのだろうか。
「んっ……ぁっ、ぁあっ、あぁん!」
 そんなつまらない事を考えていられたのも、月彦が腰を引き始めるまでだった。
「ふぁっ、あぁあっ! す、ごぃぃ……こんざき、くっ……やっ、これ……良すぎ……あぁあ!」
 ぎし、ぎしと食卓を揺らしながら、雪乃は背を仰け反らせて喘ぐ。不安定な姿勢でろくに掴まる場所がないから、無意識のうちに剛直を余計に締め上げてしまい、それが結果的に摩擦の増加に繋がっているようだった。
「っ……先生の方だって……なんか、いつもより絡みついてくるっていうか……」
 月彦の手が腰のくびれから、尻の辺りへと宛われ、さらにズンッ、ズンと強く突き上げられる――が、その実、全て寸止めであり、剛直の先端と膣奥はただの一度も触れていなかった。
(……なんか……変……)
 望み通りの展開であるというのに、雪乃は不思議な不満を感じていた。月彦の言うとおり、いつもより締めてしまっているのか、剛直が出入りする度に得られる快感はそれこそ身震いして声を抑えずにはいられない程だった。
 であるのに“何か”が足りない――そう感じてしまう。
「はぁっ……はぁっ……紺崎くん……胸も……おっぱいも、触ってぇ……!」
 その“何か”を埋めたくて、雪乃は喘ぎながら懇願する。雪乃のおねだり通りに月彦は腰を使いながら両手でむっぎゅむぎゅと双乳をこね回し――その間も全てミリ単位の寸止めをするというのがどれほどの大技かなど、無論雪乃は知らない――そのままキスまで交わした。
 ――が、“埋まらない”。
(そんな、どう、して……)
 まるで、大きく穴の空いた風呂桶で水を汲み、栓のされていない湯船を満たそうとしているような――そんな何とももどかしい感覚だった。
(ダメ……これじゃ……)
 イきそうなのに、イけない。月彦に動かれれば動かれる程に、もどかしさばかりが募ってどうしようもなくなる。
「……先生? どうかしましたか?」
「えっ……べ、別に……ンッ……どうも……す、すごく……良いわよ?」
 “大人の余裕笑み”――を浮かべながらも、内心雪乃は焦れに焦れていた。いつもならば、とっくに2,3回はイかされている程に月彦に突かれているのに、それなのにイけないのだ。
「っ……ンッ……はぁぁあっ……あんっ! あぁあんっ! ぁはぁあっ……こ、紺崎くん……も、もっと……お――」
 そこまで口にして、ハッと。雪乃は慌てて唇を噤んだ。
「もっと、何ですか?」
「な、何でもないの……すっごく良いから……このまま、続けて……」
 雪乃の言葉の通りに、なんとも事務的な動きで月彦が腰を振り、それは雪乃を“イけそうで、イけない”ギリギリの所にとどめ続ける。
 イきたい。
 イきたい。
 イきたい。
 頭の中が、徐々にその言葉で埋め尽くされていく。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ…………はぁっ…………んぅっ…………はぁっ…………はぁっ…………」
 イきたい。
 イきたい。
 イきたい、イきたい、イきたい。
 イきたい、イきたい、イきたい、イきたい。
 さながら、ギアをローのままアクセルをベタ踏みにしているような――そんな焦れったさの終わりは唐突に訪れた。
「ひゃあッ!? ぁッ…………っっっ〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!」
 それは、恐らく事故だったのだろう。力加減を失敗した月彦に突然こちゅんと“奥”を突かれ、雪乃は素っ頓狂な声を上げて顎を跳ねさせ――そのまま達してしまった。
「す、すみません……先生、大丈夫ですか?」
 月彦の声に返事をする余裕はなかった。ビクッ、ビクッと体を痙攣させながら、それでも雪乃は“達した”事が月彦にバレぬよう、右手で口元を押さえ必死に歯を食いしばって声を押し殺す。
「…………っ……だい、じょぶ…………つ、次は……気をつけてね?」
 そして、出来るだけ普通に。いつも通りの声、笑顔で月彦へと返す。
「はい、すみませんでした」
 月彦は恐縮するように肩を縮こまらせ、抽送を再開させる。……一回、二回、三回……まだまだ寸止めは続く。十回、十一回、十二回…………三十一回、三十二回、三十三回目で、突然こちゅん、と――。
「んひぃッ! あっ……あぁぁ〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!」
 ビクッ、ビクビクッ、ビクゥ!
 今度は、声を抑えきれなかった。雪乃は月彦の首に片手をかけたまま、ビクッ、ビクと体をハネさせる。
「す、すみません、先生……また失敗しちゃいました」
 月彦の言い訳は、先ほどよりも空々しく聞こえた。――しかし、雪乃は怒らなかった。
「お、奥……突いちゃ、ダメだって……言ったでしょ? 次は、ちゃんと……気をつけて……」
「はい!」
 月彦の返事はとても元気に満ちあふれていた。
 が、しかし、その後も月彦は“ミス”を連発した。
「あっ、あっ、あっ……こ、こらっ、ぁ……奥、だめっ……奥だめって言ってる、でしょ!」
「すみません、善処はしてるんですが……」
 何とも白々しい言い訳だった。その実、もはや“奥を突かない事”の方が少なかった。4回に1回、6回に1回だけ寸止めをされ、その何度かに一度の寸止めが余計に雪乃の快感を高める。
「はぁっ……はぁっ……だめ、だめなの……奥は、奥は……あひぃッ!!!」
 コン、コン、コン――子宮を揺さぶるその衝撃に雪乃は極みへと押し上げられ、あと一回でイく――という所での寸止め。ドッと焦れた所で、こつんと一際強く突き上げられて、イかされる。
「あぁぁ〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」
 もはや、声を抑えられない――否、抑える気もなかった。溢れた恥蜜を尻周り――食卓の足にまで滴らせながら、雪乃は喘ぎ続ける。
(やっ……奥、良い……奥突かれると……頭がぼぅってなって、子宮がキュってなって……何も、考えられなくなるっぅ……)
 突かれる反動を利用して、雪乃は自ら腰を差し出すようにすら動いてしまう。そうして強く突かれる度に、指の先まで電撃のような快感が迸り、顎を浮かせるようにして喘いでしまう。
 くすりと、月彦が笑ったのはその時だった。
「…………先生、そろそろ素直になりましょうか」
「す、なお……?」
「痛いなんて嘘ですよね? 本当は好きなんですよね?」
「ち、違……」
「違うなら、今度は本当の本当に二度と奥を突きませんよ?」
 あぅ、と。雪乃は唇を噛んでしまう。
「……き、嫌いじゃ……ない、わ」
「好き、なんですよね?」
 こんっ、と剛直の先端が奥に触れる。しかし、離れない。そのまま密着してくる。
「あっ、あぁ、ぁ……」
「正直に答えてください」
「あっ、あぁぁぁぁっ、ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 そのままグリグリと押しつけるように動かれ、雪乃は奥歯をガチガチ言わせながら声を荒げる。
「ほら、先生?」
「す、好きぃぃ……好き、だから……言った、から……だから、止め……あひぃいぃッ!!! ぁっ、ぁっ、ぁぁぁぁぁァァ〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!」
 雪乃が“白状”してもすぐには止めず、しっかりとイかせてから、月彦はついと腰を引く。
「正直な先生は大好きです。…………じゃあ、次はどうして急にそんな嘘をついたのか、吐いてもらいましょうか」
 月彦の手が、雪乃の両膝の裏へと周り、持ち上げてくる。雪乃は反射的に月彦の首へと両手を回すや、尻が食卓から浮き、完全に月彦に抱え上げられる形になる。
「こ、紺崎……くん?」
 雪乃は勿論覚えていた。“この姿勢”は、前回月彦に失神させられた時のものと同じだと。
「やっ、ダメ……これ、ダメぇ……!」
「何がダメなのか俺には解りませんけど……じゃあ、質問の続きです。……どうして急にそんな嘘をついたんですか?」
「そ、それ、はぁ……あぁぁぁぁぁぁっやめ、だめっ、揺すっちゃ……あぁァァッ!!」
 膣奥に剛直の先端が密着した状態で小刻みに体を揺さぶられ、雪乃はたちまち声を荒げる。
「やめっ、らめっ……ひぐっ……あぅうッ!!! っっっ!!!」
「ほら、先生? 教えてください」
 3回ほど立て続けにイかされた後は、今度は大きなストロークでたぱん、たぱんと肉同士がぶつかり合う音を響かせながら、何度も何度も突き上げられる。
「あーーーーッ!! あぁぁーーーーーッ!!! ……い、言うっ……言うっ……からぁあっ……グリグリしなっ……れっッ…………あァァーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!」
 2分32秒。
 それが雪乃が全てを白状させられるまでにかかった時間だった。



「はーーーーっ………………はーーーーーっ……………………はーーーーーっ……………………」
 両足を月彦の体に絡めてしがみつき、今にもずり落ちそうになりながら、雪乃はすんでの所で意識をつなぎ止め、呼吸を整えていた。
「なるほどなるほど……矢紗美さんに入れ知恵されたんですね。………………やっと納得がいきました」
 うん、うんと頷いて、月彦は今にもずりおちそうな雪乃を抱え直すように、縦にゆすって抱え直す。
「……先生、結論から言います。…………そんなの気にする必要はないですよ」
「何、言っ…………も、もし……ホントに……お姉ちゃんが言った人、みたいに……なっちゃったら……」
「その時はその時、ちゃんと俺が責任とりますから、安心してください」
「えっ」
 ズキュゥゥウン!
 朦朧としていた雪乃の意識は、この瞬間一気に覚醒した。
(今……“責任とる”って言ったわよね?)
 確かに聞いた、間違いなく聞いた。聞き間違えでも空耳でもない。
(責任とるって……勿論アレよね。アレをするって事よね)
 勿論、今までも雪乃自身はそのつもりで付き合ってきた。が、月彦の側からあまりにもその辺を具体化するような言葉が聞けないから、ひょっとしたら遊ばれてるだけなのではないかとほんのちょっとだけ思っていた。
 その不安が、この瞬間完全に消し飛んだ。
「わっ、ちょっ……せ、先生!?」
 何処にそんな力が?――雪乃自身危ぶみたくなるほどだった。両手で強引に月彦の首を下げさせ、その口に軽くキス――そして。
「紺崎くん……紺崎くんの精子……欲しい……」
 ためらいもせず、雪乃はその言葉を口にした。
「せ、先生……?」
 不思議な余裕が、雪乃の中に生まれていた。或いはこれが噂に聞く“正妻の余裕”というやつなのかもしれないとすら思っていた。
 戸惑う月彦が可愛いとすら思える程に、雪乃の中には余裕が生まれていた。
「今、すっごく欲しくなっちゃったの。…………お願い、紺崎くん」
 事実、欲しいと――雪乃は全身で感じていた。残念ながら危険日ではなく――たとえそうだったとしても、様々な問題から“今はまだ”産むわけにはいかないのだが、産む産まないを別にしても、純粋に思った。
 この男の精子を、子宮に受けたいと。
「あーー…………えーと……先生ひょっとして…………」
 何か勘違いしてるみたいだけど、説明すると面倒くさいことになりそうだから勘違いされたままでいいか―― 一件そのように見える月彦の苦笑すらも、“一世一代の告白をした後の照れ隠し”にしか、雪乃には見えなかった。
 ひとえに、“余裕”のなせる業だった。
「えと……じゃあ、先生……動きますよ?」
「うん、……ぁ、あん!」
 体位は先ほどと同じ。であるのに、こちゅんと突き上げられて体を迸った快楽は、それまでの“電撃のような”ものではなく、まるでトロリとした甘い蜜が体の中に注ぎ込まれるかのようだった。
「あっ、あっ、あっ!」
 月彦の動き方が優しいから――というのも、あるかもしれない。先ほどまでのように尋問めいたものではなく、相手を気遣い、少しずつ快感を溜めて絶頂へと近づけていくことを目的とした動きで――雪乃自身も、月彦のその気遣いを察して――ますます快感が高まるのを感じた。
「っ……くぁぁっ……なんか、先生の中、急にウネウネってしだして……中も、すっごく熱くなってきて……くはぁぁ…………」
「あんっ、あんっ! き、気持ちいい……? 紺崎くん」
「ええ、かなり……っ……これ、は……ちょっと、キツい、かも…………っ……」
「あっ……わ、私……重い、かしら……んんっ……そ、それなら……おろして、くれても……」
「そ、そうじゃなくて――くっ……」
 そうじゃない、といいつつも、やはり重かったのか、雪乃は先ほどまで同様に食卓の上へと下ろされた。
「はぁ、はぁ……さっきまでも、目の前で先生があんまり可愛いイき方するから、結構ヤバかったんですけど……すみません、もう……持ちそうに、ない、です……」
「……嬉しい、紺崎くん。そんなにいっぱい気持ちよくなってくれたのね。…………でも、次からは我慢しなくていいのよ?」
 そっと月彦の首に手を回して抱き寄せ、キス。
 そして。
「……はやく精子ちょうだい。……ね?」
 そのまま月彦の耳へと囁きかける。意識せずとも、艶っぽい声になってしまい――どうやらそれは思いの外月彦を興奮させてしまったのだということを、その目つきがギラリと変わった事で、雪乃は理解した。
「先生、ダメですよ。さっきのですらかなりキてるのに、そんなダメ押しをされたら…………俺、どうなっちゃうか自分でもわからないですよ?」
「紺崎くんがどうにかなっちゃったら、その時は私が責任とってあげる」
 来て?――雪乃は自ら誘うように体を開き、月彦を迎え入れる。
「あァンッ…………あぁぁっ……なんだか……さっきまで、より……グンって……中で沿って……あぁぁあ!」
「興奮させたのは先生です。…………責任とってもらいますよ?」
 グググ――下腹に収まっているものがさらに質量を増し、雪乃の体を内部から圧迫する。
「そんっ……なっ……ちょっ、ちょっと……紺崎くん……こ、こんなの、だめ……私、壊されちゃう……ぁぁぁぁぁあァ!」
 月彦が腰を引くだけで、反り返った先端とエラでごりごりと肉襞が削られ、声を抑えずにはいられない。
「はぁっ……はぁっ……先生の、中……すっげぇ締まって……はぁはぁ……」
「んんっ、あんっ! ぁっ、くぅ、ンッ! ま、待って……こんざき、くっ…………は、速っ……も、もうちょっと、優しっ……あぁん!」
 最初こそ気遣うような腰使いだったものが、徐々に荒々しく、雪乃の体の事など全く考えていないものへと変わっていく。
「あっ、あぁっ、ぁあっ! やっ、ら、乱暴、なのに…………あぁぁっ! だめっ、だめっ……紺崎くんっ……私っ……あぁぁあっ、ぁぁぁあッ!」
「先生っ、先生っ……先生っ、先生!」
 ぱちゅん、ぱちゅんと互いの腰がぶつかる度に飛沫が飛び散り、部屋中に水音を響かせる。
 月彦の手が、雪乃の体を這う。玉のように浮いた汗を指先であつめるようなその動きは、やはりというべきかたぷたぷと揺れ動く胸元で止まった。そのままむぎゅむぎゅと捏ねられながら、雪乃も徐々に極みへと上っていく。
「あぁぁぁっ、紺崎くんっ……紺崎くんッ……もぉ、だめっ……い、イき、そ…………いっしょ、一緒、に……一緒に、イこ……?」
「わかって、ます……うっ、……くっ…………せ、先生……ちょっ、これ……ヤバいかもしれません……今までで、一番濃いの、出る、かも………くっ……」
 ぱちゅんっ、ぱちゅんっ、ぱちゅんっ…………ぱちゅん!
 大きく溜めた一突きと共に、剛直の先端が子宮口へと押しつけられる。
 ――刹那。
「あああぁぁぁぁッ!!! あぁぁっ、ぁぁっ、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」
 どぷ、どぷと特濃の精液を注ぎ込まれながら、雪乃もまたイく。
「あぁぁぁっ、ぁぁ……だ、だめ……やだ……こんなの、多すぎ…………あぁぁぁッ、あぁぁぁぁ!」
 どぷっ、どぷっ!
 かつてない程の勢いで注ぎ込まれる白濁液に、雪乃は背筋を冷やす――が、その何十倍もの至福感に、目尻に滲ませた涙を零してしまう。
「うれ、しい……紺崎くん……こん、なに、いっぱい……ンンッ……だ、だめ……もう、入らな……〜〜〜〜〜っっっ……!」
 下腹を圧迫する圧力に雪乃は眉根を寄せ、奥歯を噛みしめる。
(っっっ……だ、ダメ……これ……クセになっちゃう……!)
 ゾクゾクゾク――!
 射精を受けながら、二度、三度と立て続けに雪乃はイかされ、身も心もとろけてしまう。
 さらに。
「はーっ…………はーっ…………先生……」
「紺崎くん……」
 どちらともなく、唇を重ね、絶頂の余韻を楽しみながらのキス。
(あぁぁ……ダメ……幸せすぎて……また……っ……!)
 下腹に月彦の熱を感じながらのキス――ただそれだけで、雪乃は達し、キュッ、キュッと月彦のものを締め付けてしまう。
「ん……? 先生、まだ欲しいんですか?」
 キスを終えた月彦が苦笑混じりにそんな事を聞いてくる。普段であれば、間違いなく否定する所だった。
 しかし、今は――。
「うん……欲しいの」
 恥ずかしげもなく――否、頬が染まる程度には恥ずかしがりながら――雪乃は呟く。
「わかりました」
 月彦は苦笑を浮かべたまま頷き、そして雪乃の体を“お姫様だっこ”する。
「続きは、ベッドでしましょうか」



 今日は全面的に雪乃を持ち上げ、満足して貰う筈だった。が、しかし何処で何をどう間違えたのか、気がついたときにはいつもの流れ。
 とはいえ、これはこれで別に良いかとその流れを踏襲しようとして――月彦は未知のルートに迷い込んだ事に遅まきながらに気がついた。
「はーっ……はーっ……紺崎くぅん……紺崎くん……んぁっ、あぁあん……!」
 月彦の上に跨ったまま、雪乃がねちっこく腰を使う。その腰使いには辿々しさも遠慮も無い、ただ快楽を貪る為だけに特化した、淫魔のような動きだった。
「せ、先生……くはぁ……」
 月彦は雪乃の体へと手を伸ばしかけるも、咄嗟にぐりん、ぐりんと雪乃が大きく腰を使い、骨抜きにされる形で月彦の両手はベッドの上へと戻される。
(なんで、こんな……さ、最初は、いつも通りだった、のに……)
 雪乃をベッドへと連れ込んだ辺りから、どうも雲行きが怪しくなった。いつになくテンションが高めなのには気がついていたが、行為を続けるうちに徐々に主導権を失い、二時間ほど前にとうとう雪乃に押し倒され、そこからはずっと騎乗位で嬲られつづけていた。
「くぉぉ……せ、先生……ヤバ、いです……ちょっ、で、出る……」
「あんっ、いいのよ? 紺崎くん……紺崎くんが出したいだけ、いっぱい……あぁん!」
 月彦は雪乃の腰を掴み、何度目か解らない射精を行う。
「あぁんっ! あんっ……もぉ……紺崎くんったら容赦ないんだから。……いくら大丈夫な日だからって、これはちょっと出し過ぎよ?」
 ぐり、ぐりと腰をまわして剛直の先端を刺激しながら、雪乃はまるで“おいた”をした生徒を叱るように、めっ、と額を指先で小突いてくる。
(お、俺の知らない先生だ……!)
 また何かに取り憑かれてしまったのだろうか――そんな月彦の危惧を知ってか知らずか、雪乃はおもむろに上半身を倒してきて、そのまま二,三度キスをしては照れるように笑う。
(あ、やっぱり俺の知ってる先生だ……)
 ということは、取り憑かれているわけではなく、あくまでテンションが上がってよくわからない性格になってしまっているだけらしい。
 何故そうなってしまったのか――は、この際どうでも良かった。月彦が考えるのは、“どうすれば主導権を取り戻せるのか”ということだった。
(いや待てよ……別に無理に取り返す必要は無い……か?)
 当初の予定とは流れが違うものの、結果的に雪乃が気分良くセックスに没頭できているのであれば、これはこれで良いのかもしれない。
 ただ――。
(この姿勢は、なんつーか……)
 “嫌な過去”を思い出してしまいそうで、胸の奥がゾワゾワするのだった。ましてや、“あの女”を彷彿とさせるわがままボディの持ち主ともなれば、その既視感も尚更だった。
(くそ……いらんトラウマ植え付けやがって!)
 月彦としても、たまにはこうして下から揺れるおっぱいを見上げながら、雪乃に好きにさせてみたいと思う。が、どうしても“あの女”の影がチラついて集中できないのだった。
 何もこれは雪乃との事に限った事ではない。真央相手でも、ちょっと主導権をとられると忽ち胸の奥がムズムズゾワゾワしてくるのだから堪らない。
「せ、先生……」
「なぁに、紺崎くん」
「その……ええと、う、後ろから……してもいいですか?」
「紺崎くんは後ろからシたいの?」
 くい、くいと腰を使われ、月彦は反射的に歯を食いしばる。
(くは……ドロドロで……ぬちょぬちょで、暖かくて……そのくせキュ、キュって締め付けてきて……あぁぁ……別にこのままでも……)
 このまま雪乃に主導権をとられつづけるのもそんなに悪くないのではないか――そんな方向にくじけそうになる心を奮い立たせて、月彦は再度声を荒げる。
「せ、先生……お願いします……後ろから……させてください」
「どうしよっかなぁ?」
 それはまたしても“月彦の知らない雛森雪乃”だった。悪戯っぽい笑みを浮かべて、精液でドロドロの膣内を剛直でかき回すように腰を使うその様は、むしろ“姉”に近いように月彦には見えた。
(……そりゃあ、“材料”は同じなんだもんな。矢紗美さんに似てたって……)
 何も不自然な事はない――そんな事を考えていると、ぬぬぬっ、と雪乃が腰を持ち上げ、一気に落としてくる。
「くぁっ……!」
「くすっ……紺崎くんの感じてる声……かーわいい。……じゃあ、いっぱい声聞かせてくれたご褒美に、後ろからさせてあげよっかな?」
「ぜ、是非!」
 何が是非なのか、と月彦自身悲しくなりながらも、とにかく雪乃の下から抜け出さなければと、そのことのみに執心する。
 そんな月彦をからかうように――。
「ちょ、先生……早くどいて、欲しいんですけど……」
 後ろからさせてあげる、と言ったくせに、雪乃は相変わらず腰を落としたまま、そして両足で月彦の腰をがっちりホールドしたまま動かないのだ。
「…………前言撤回。……もうちょっと、紺崎くんが感じてる声聞きたくなっちゃった」
「へ?…………うわっ!」
 言うが早いか、雪乃は腰を持ち上げて月彦の上から退くも、月彦が上体を起こすよりも早く体を足の方へと滑らせぺろりと。白濁にまみれた剛直に舌を這わせる。
「せ、先生? ……くっ……」
 ちゅぱ、ちゅぱっ。
 ちゅぷっ、ぬぷっ。
 くぽっ。ぬぷっ。
 ぺろっ、ちゅ。
 寝室中に淫靡な音を響かせながら、雪乃が剛直をしゃぶりはじめる。月彦はたちまち全身が痺れたようになってしまい、ただただ雪乃の頭に手を添える事しか出来ない。
(ちょっ……先生……フェラ、巧っっ…………くはぁぁぁぁ……!)
 “これ”が少し前までフェラを嫌がっていた女性のテクなのかと。
(いや、テクとかそういうんじゃなくて……迷いがないっていうか……貪欲っていうか……)
 強いて言うなら、由梨子のそれよりも真央のそれに近い動きだった。
「紺崎くん」
 雪乃の声と共に、舌の動きも止まり唇も離れてしまった。それがなんとも焦れったく感じる。
「声、我慢しないでいいからね?」
「いやべつに、我慢なんて……くぁぁぁ……!」
 反論は聞かない、そう言うかのようにちゅぽちゅぽとしゃぶられ、月彦は思わずシーツに爪を立ててしまう。
「……我慢しないでって、言ってるでしょ?」
「……いや、そこはさすがに勘弁してください」
 機嫌を悪くしたような声で言われ、やむなく月彦は反論する。
(……先生だって、男がアヘアヘ言う所なんて見たくないだろうに)
 確かに雪乃に対しては声を我慢しないようにと詰め寄る事もある。が、そこはそこ。女と男では違うモノなのだと月彦は思う。
「と、とにかく……先生……口でするのは、もういいですから……い、いい加減解放……っっっ……」
 またしても声を上げてしまいそうになり、月彦は頬の内側の肉を噛んで辛くも堪える。
「だぁめ。紺崎くんがイくまで、止めない」
 ちゅぱっ、ちゅぽっ、ちゅぷっ、ぬぷ。
 っぷ、ぐぷっ、ぬぷっ、ぐぽ。
 ちゅぽっ、くぷっ、っぷっ、ちゅぷっ。
 雪乃のスパートに、月彦は堪らず背を反らせてしまう。
「くぁ、ぁ……せ、先生……」
「くす……紺崎くん、腰動いちゃってるわよ?」
 ちらりと、ウインクでもするように横目で見ながら、雪乃が最後のスパートをかけてくる。
「っ……っくっ……!」
 我慢の甲斐もなく、月彦は腰を跳ねさせながら何度も、何度も雪乃の口腔内に射精を繰り返す。
「んぷっ、んぅっ……!」
 それは態となのか、射精の途中で雪乃が唇を放し、顔で白濁汁を受け止める。受け止めながら、コクリ、コクリと喉を鳴らす。
「ン、まだ全然元気。さすが紺崎くん」
 前髪と頬、鼻に白濁をべっとりとつけたまま、そのことを気にする様子もなく、雪乃が微笑む。
「っっっ……せ、先生ぇ!」
 その瞬間、月彦の中の“獣”が俄に覚醒した。バネ仕掛けの人形のような速度で月彦は飛び起き、そのまま雪乃を被さるようにして押し倒す。
「あんっ、紺崎くん……乱暴はダメよ?」
 この期に及んでまだ余裕風を吹かせる雪乃を俯せに押し倒し、その秘裂に剛直を宛い――
「んぁ……ぁぁああんっ!」
 そのまま一気に押し込む。たちまち、ぬるぬるぐちょぐちょに肉襞が絡みついてきて、月彦は嘆息めいた息を漏らす。
「あぁん……紺崎くん……優しく、してね?」
 ベッドに伏せ膝を立てた姿勢のまま、雪乃がそんな事を言う。その一言が、“暴走”しかけていた月彦を俄に素に戻した。
「……解りました」
 このまま欲望に任せて好き勝手にヤッてしまうのは簡単――だがしかし、それはやってはいけない事だと。そう思ってしまう。
「あ、んっ……んっ、いい、よ……それ、いい……んんっ……あぁぁ!」
 腰を掴み、雪乃の好きな“ゆっくり”で抽送を開始する。
「それ、ぇ……それ、いい……イイぃ……あぁぁ……あぁぁぁ……!」
 ヒクヒクッ、ヒクヒクッ。
 喜ぶように痙攣する雪乃の中を味わいながら、月彦は気を抜けば早くなりすぎてしまう腰の動きを賢明に調節する。
「んんぅっ……だい、じょうぶ……もうちょっと、早く、てもぉ……あぁん!」
 微妙な腰の動きだけで意図を察したのか、雪乃の言葉に月彦は驚きを隠せなかった。
「……本当にいいんですか?」
 驚きのあまり、思わず腰を止めて尋ね返してしまった。
「いいぃ……いいからぁ……だから止めないで……動いてぇ!」
 催促するように腰をくねらされて、月彦はすぐさま動き出す。“ゆっくり”から、徐々に早く。
 腰に添えた手を時折尻肉へと宛い、揉み捏ねながら。突く角度を変え、時には∞を描くように腰をくねらせながら。
 徐々に。
 徐々に。
 雪乃を追いつめていく。
「はーーーっ……はーーーっ……奥、にぃ……来るっぅ……ズンズン、来て……はぁぁっ……いい、いいぃ……イきそ…………イッちゃう……イくぅ……!」
「先生、まだです……もうちょっと、我慢してください」
 月彦は腰の動きを止めて被さり、むぎゅ、むぎゅと乳をこね回す――雪乃もそこは察したもので、自ら首をひねり、キスをねだってくる。
「んはっ、んっ……ちゅっ……んんっ…………んんぅ……はぁ……はぁ……も、だめ……イッちゃうぅ……」
「我慢してください。……イくときは一緒に、ですよね?」
 先ほどフェラでやりこめられた事など一旦頭の中から消去して、月彦はあくまで雪乃を満足させるべく囁きかける。
「我慢、する……する、けど……だけど、でも……あぁん! だ、だめ……奥は……はぁはぁ……い、イくっ……ホントにイッちゃう……!」
 雪乃が本当にイッてしまわないように突き上げる強さを調節しながら、むっぎゅむっぎゅと双乳を捏ねまわし、月彦もまた興奮を高めていく。
「あっ、あっ、あっ……だめっ、だめっ……イくっ……イくっ……イッちゃう、イくっ、イくッ、イくっ……イクッ、イッ……――ぁぁぁぁっぁぁあああ!!!」
 トン、トン、トン――雪乃の“奥”を小刻みに突き、限界を見切って一際強く突き上げる。
「くっ……!」
 同時に、ぎゅうっ、と雪乃の体を両手で抱きしめ、白濁汁を注ぎ込んでいく。
「あはぁぁぁあっ……ンッ……ぁンッ……!」
 びゅく、びゅくと剛直が震え白濁汁を注入する度に、雪乃もまた体を震わせ、軽く達しているのが解る。そんな雪乃が愛しいとすら思える。
「……すみません、先生…………このまま、続けてもいいですか?」
 ぎゅっと抱きしめた腕全体から感じる、むっちりとした肉感、にゅりにゅりと吸い付くように剛直を刺激してくる肉襞の感触に刺激されて、射精したばかりだというのにムラムラとしたものがわき起こる。
「うん……いいよ。 いっぱいシよ?」
 やはり、俺の知らない先生かもしれない――照れながらも淫らに笑う雪乃に、月彦はそんな事を思った。



 


 とてつもなく幸せな夢を見て、しかもそれが途中で寸断されることもなく、プロローグからエンディングまできっちり見ることが出来たような。なんとも充実した目覚めだった。
「んぅ……」
 とはいえ、途方もない満足感、至福感とは裏腹に、体の方は起床時とは思えないほどにくたくたに疲れていて、体の節々が筋肉痛の様に痛んだ。
「ん……?」
 布団の中でもぞもぞと体を動かしながら、徐々にではあるが雪乃は“昨夜の記憶”を思い出していく。思い出していくにつれて、徐々にその顔は朱に染まり、それは全身へと伝播していった。
(えっ、えっ、えっ……?)
 昨夜の記憶――それは今までになく、自分が月彦をリードし、主導権を握ってのセックスをしたというものだった。無論、その間も正気を無くしていたわけではないのだが、言い換えれば“軽く酔っぱらってた”ような状況であり、思い出せば出す程に、自分のあり得ない一面を見せつけられて雪乃はあわわ、あわわになってしまう。
(や、やだ……私、なんであんな…………)
 そして、その様をライブで見続けたであろう月彦の記憶をなんとか消す方法はないものかとしばし解決策を模索して――結果どうにもならないという結論に達した。
「………………。」
 顔を真っ赤にしたまま、雪乃はもぞりと寝返りをうつ。もぞもぞと左手を伸ばしていくと、その指先はすぐに何かに触れた。もはや確認するまでもなく、雪乃は目を瞑ったままその“何か”に接近し、きゅっとしがみつくように抱きついた。
(紺崎くん……)
 月彦はまだ寝ているらしく、規則正しく寝息をたてていた。言わずもがな二人とも一糸纏わぬ姿であり、雪乃は全身で月彦の体温を感じながら、朝の幸せな一時を過ごした。


「んっ……あれ、先生……? もう起きてたんですか?」
 月彦が目を覚ましたのは、雪乃が添い寝していることに飽きてちょっとした悪戯をし始めた頃だった。
「うん。紺崎くんの寝顔いっぱい見ちゃった」
 ははは、と空笑いを浮かべながら、月彦が僅かに体を起こして、枕元の目覚まし時計へと目をやる。
「八時過ぎ、ですか。……えーと、昨日買い物から帰ったのが昼過ぎくらいでしたから……もう日曜の朝、ですね」
 月彦の言葉に、雪乃は少しだけ気分が沈むのを感じた。それはつまり、今夜はお泊まりができないという事だからだ。
(……一緒に住めればいいのに)
 それさえできれば、もはや何に遠慮することもない。学校に居る間を除けばそれこそ毎日朝晩好きなだけイチャイチャし放題なのにと。
「とりあえず……シャワーでも浴びて朝ご飯にしませんか?」
 勿論、月彦の提案に異論があるはずもなく、雪乃は笑顔で頷いた。

「や、やだ……紺崎くん……それ……」
「どうかしましたか?」
 どうかしましたか?――ではないと、雪乃は思う。何となくなし崩し的な流れで一緒にシャワーを浴びる形になってしまったものの、ふと気がつけば傍らに立つ月彦はすっかり“臨戦態勢”だったりする。
「ああ。…………まぁ、いつもの事じゃないですか」
 雪乃の視線に気がついた月彦が、いけしゃあしゃあとそんな事を言う。確かに月彦の言うとおりであり、むしろ“そうなっていない状態”の方が、雪乃には殆ど記憶に無かった。
「シャワー浴びるだけ……なのよね?」
「シャワー浴びるだけですよ?」
 シャワーヘッドからお湯を出しながら最終確認をする雪乃に、これまた月彦はいけしゃあしゃあと答える。勿論そんな言質をとったところで安心など出来る筈もなく――かといって浴室から逃げるわけにもいかず、それ以前に逃げる気もなく――雪乃は半ば水掛け遊びでもするように、むしろこの状況を純粋に楽しんでいた。
「…………先生、折角です。洗いっこしましょうか」
「えっ……うん……い、いいわよ?」
 ダメだと言う事は簡単だが、雪乃はあえて月彦の提案に乗った。
「じゃあ、まずは俺からいきますね」
 月彦はボディソープを手に出し、そのままにゅりにゅりと手揉みでもするように全体にヌメリを行き渡らせる。もはやスポンジを使う気すらないらしかった。
 雪乃は、態と月彦に背を向けるようにして“隙”を作った。月彦はそれを逃がさず、両脇の下からにょきりと生えてきた月彦の両手は忽ち雪乃の双乳を捕らえ、もみゅり、もみゅりと揉み始める。
「あんっ……やだ……紺崎くん……おっぱいだけじゃなくて……もっとちゃんと洗って」
「すみません。でもやっぱり、ここはしっかり洗っておかないと」
 月彦の言い分に苦笑してしまいそうになりながらも、雪乃はにゅりにゅりと普段の愛撫とは全く違った愛撫に次第に息を荒くする。
(あぁ……こういうの、いいかも……)
 そう、これこそが自分が求めているものなのだと。月彦とイチャつきながら、ちょっとエッチなことをしたり、されたり。単純に性欲の解消だけではない、“心”が満たされるスキンシップに、雪乃が思わず顔がにやけそうになってしまうのを我慢せねばならなかった。
「こ、紺崎くん……その、お尻に……当たってるんだけど……」
 “何が”かなの言うに及ばず。ぐいぐいと、存在を主張するように尻肉に押しつけられるそれを段々無視できなくなって、雪乃はつい口に出してしまう。
「すみません、先生。……ついでですから、“コレ”も使っていいですか?」
「そ、それは……ンッ……だ、だめ……押しつけないで」
 押しつけないで、といいつつ、雪乃は自ら月彦の方に尻を突き出すような姿勢になる。月彦もその辺は解ったもので、先端部分を秘裂へと宛うや、ゆっくりと前後させながら押し込んでくる。
「あっ、やっ……!」
 さも、不本意ながらも襲われている――そんな体裁をとりつつ、雪乃は月彦にされるがままになる、背後からにゅりにゅむと胸元をもみくちゃにされ泡立たせながら、ぐいぐいと剛直を押し込まれ、甘い息を漏らし始める。
「あっ、あっ、あっ……だめっ、だめっ…………シャワーだけって、言ったのにぃ……!」
 雪乃は、完全に“シチュエーション”を楽しんでいた。月彦の手が胸から腰、背中へと這い、ボディソープがさながらローションのように雪乃の全身にぬりたくられていく。その手は最終的に雪乃の腰のくびれへと添えられ――。
「あぁん! あンっ、あン!」
 ぱぁんっ、ぱぁん!
 浴室に尻肉を叩くような音を響かせながら、雪乃は激しく突き上げられる。
(あぁっ、あぁぁ……紺崎くぅん……!)
 たくましい肉槍が突き上げるたびに雪乃の子宮を揺らし、その度にジィンと痺れるような快楽が迸る。それは速度を変え角度を変え一度たりとも“同じ突き”など無く、徐々に、徐々に雪乃は両手をタイル張りの壁へとついて必死に体を支えながら、絶頂へと追いつめられていく。
「……先生、そろそろ良いですか?」
「ぁっ、だ、だめ……中は……あぁあっ、ぁっ、あぁーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
 まるで示し合わせたように、雪乃の我慢が限界に達しかけたところでの囁き。こちゅんと一際奥まで突き上げられ、そのままどびゅどくと白濁が溢れてくる。
「あはぁぁぁぁあ……!」
 ゾクゾクゾク……!
 イきながら、精子を受ける――これほど女としての喜びを感じる瞬間は無かった。
「先生……結局シちゃいましたね」
 ぎゅっと背後から抱きしめられ、優しく胸元を愛撫されながら――雪乃は身をよじり、月彦と唇を重ねた。



 
 やや長めのシャワーの後、雪乃は着替えるべく一人寝室へと入り、体にタオルを蒔いたままクローゼットを前にして真剣に悩んでいた。
 即ち、今から着るべき服は何か、で。
(ジャージなんて論外。普段着も微妙。……でも、朝なのに“コレ”も……ちょっと無いわよねぇ……)
 候補の一つとして手にとったのは、いつぞや月彦を誘惑したスケスケのベビードールだった。これから寝ようという時ならばまだしも、さすがに朝起きてシャワーを浴びてこんな格好になるのはどうかと、雪乃の常識が許さなかった。
(やっぱり普段着……でもでも、ジーンズとかだと脱がせにくいんじゃ…………)
 アレじゃない、コレじゃないと雪乃は悩みに悩み、そして結局選んだのは――“少し大きめの男物のカッターシャツと下着のみ”という格好だった。
(…………確か、紺崎くん……食いついてたわよね?)
 ベビードールほど露骨ではないものの、そこはかとなくセックスアピール出来る格好としてはまずまずの所ではないかと雪乃は判断した。勿論これは一緒にいるのが月彦だけだからこそ出来る格好でもあった。
(…………ブラは、外しちゃおうかしら)
カッターシャツのボタンも上二つ下二つは外し、きっちり胸元とショーツを“見せる”ように調節して、雪乃はそっと寝室から出る。ちなみに、月彦の着替えは以前買っておいた“紺崎くんお泊まり用の着替え”を既に渡してあったりする。
「あっ、先生。もう少しで朝ご飯出来ますよ」
 一足先に着替えた月彦はエプロンをつけ、台所で何かを焼いているようだった。雪乃はさりげなく近づき、フライパンを覗き込む。ベーコンつきの目玉焼きがじゅうじゅうと音を立て、香ばしい香りを立てていた。
「せ、先生……?」
 んーっ!――そんな唸り声的なものを口にしながら、雪乃はぎゅーーーっと月彦の背中から抱きつく。“料理が出来る男”というのも雪乃の理想の一つであり、現在のシチュエーションに感極まっての行動だった。
「紺崎くん。次は私にやらせて」
 月彦が今焼いているのは、どう見ても一人分だ。つまり、もう一度同じように焼く必要があり、その為の材料も既にコンロの隣に並べられていた。
「わかりました、じゃあ、俺の分は先生にお願いします」
 月彦は自分のエプロンを外し、雪乃に差し出してくる。立ち位置を入れ替える際、ちらりと。月彦の目が自分の胸元へと注がれたのを、雪乃は見逃さなかった。
「ねえ、どんな風に焼けばいいの?」
 さすがにベーコンエッグの焼き方くらいは知っていたが、これは雪乃なりの“甘え”だった。
「まず最初に、ベーコンをフライパンに敷いて、あとは卵を落とすだけですよ」
「わかったわ」
 雪乃は薄切りのベーコンを3きれフライパンにしき、その上に生卵を二つ落とし、目玉状にする。
「あとは蓋をして、卵の表面が白っぽくなるまで待てばいいんです」
「わかったわ、待てばいいのね」
 雪乃が使っているフライパンの蓋はガラス製で中がそのままみれるものだった。よって“焼け具合”を見るのは至極簡単だった。
(……まだかな?)
 フライパンの前に立ったまま、雪乃は人知れずソワソワしていた。勿論“まだかな”というのは、“焼け具合”の事ではなかった。
「ぁ……」
 そして、雪乃が待っていた瞬間は不意にやってきた。唐突にきゅっと、背後から抱きすくめられたのだ。
「こ、紺崎くん……!?」
「……………………先生。……昨夜はスゴかったですね」
 えっ――予期せぬ月彦の言葉に、雪乃は忽ち耳まで赤くなった。
「あんなに積極的な先生って初めてじゃなかったですか? 途中なんて、殆ど圧倒されっぱなしでしたし」
「あ、あれは……だ、だめ……もう忘れて! ちょっと、テンション上がっちゃっただけ、だから……やっ……」
 抱きしめていた手が雪乃の体を這い、胸元をまさぐってくる。
「……昨夜の事を思い出したら、またシたくなってきちゃいました」
「だ、だめよ……紺崎くん……まだ、料理中なのに……」
「すみません、先生。…………でも、そんな格好されたら、俺止まらなくなっちゃいます」
 むぎゅっ、とカッターシャツごと胸元を強く掴まれ、雪乃はビクンと体を揺らしてしまう。
「先生、このままここで……いいですか?」
「ダメよ……さっきしたばかりじゃない……」
 ズボン越しに怒張したものを尻の辺りにすりつけられ、雪乃は赤面しながらも吐息を乱す。
「どうしてもダメですか?」
 むっぎゅ、むっぎゅ。
 すり、すり。
 これでもかと両乳を捏ねられ、シャツ越しに尖った先端をきゅっと刺激され、さらに剛直を尻にすりつけられて――雪乃は早くも膝を笑わせてしまう。
「だ、ダメ……料理が焦げちゃうからぁ……!」
「そうですね。……じゃあ、続きはご飯の後にしますか」
 ぱっと、あっさり両胸が解放され、さらに“すりすり”も無くなって、途端に雪乃は欲求不満に陥った。
(うぅー…………でも、シちゃったらホントに焦げちゃうし……それに、確かにお腹もぺこぺこだし……)
 そうするのが正しいのは雪乃自身百も承知だった。しかし頭では解っていても、やはり“寸止め”は辛く、何となくモヤモヤした気持ちのまま朝食タイムへと突入するのだった。



「あぁっぁぁぁっ、ぁぁぁぁあ! だめっ、だめぇっ……もぅ、もう許してぇえ! 奥、突かないでぇ……!」
 寝室のベッドの上で、背後から獣のように犯されながら、雪乃は悲痛な声を上げる。
「だーめ、です。許しません。昨日あんなにシたのに、まだそんな格好をして誘うような先生には、軽くお仕置きです」
「ち、違っ……誘って、なんてぇ……あっ、ぁっ、あーーーーーーーーーッ!!!!」
 ビクビクッ、ビクッ!
 体が不自然に跳ね、イかされる。まだ寝室へと連れ込まれて三回目の絶頂だったが、昨夜の疲れも相まって雪乃は既に疲労困憊だった。
 そんな状況にもかかわらず、雪乃の心は幸せに満ちていた。
(あぁぁ……嘘みたい……!)
 焦らされ、ムラムラしながらの朝食。“その後”の事は漠然と考えてはいたものの、明確なプランがあるわけではなかった。とにかくイチャイチャできればそれでいいと思っていた矢先――雪乃はなし崩し的に寝室へと連れ込まれ、ベッドに押し倒されたのだった。
 その後の展開は、雪乃が漠然と妄想していた“これからの予定”を遙かに上回るものだった。
「“我が儘”をもっと言えって言ったのは先生ですよ? それはつまり、こんな風に先生を襲っちゃってもOKって事ですよね?」
 そう、文字通りなし崩し的だった。雪乃に抵抗する気など微塵もなかったから、それは失敗のしようがなかった。そうやって月彦が無理矢理迫ってくるおかげで、雪乃は不慣れな“誘い役”をやらずとも済み、嫌がるフリすらする事が出来た。
「はーっ…………はーっ…………もぉダメ、紺崎くん……私、くたくた……んっ、ちゅっ……んんっ……!」
 月彦の指先で顎を捕らえられ、背後を振り向かされてのキス――それを終えるなり。
「……先生、嘘はダメですよ。……まだ全然元気じゃないですか」
 “それ”をキスで判断できる月彦が凄いと雪乃が思うが早いか、ぐいと、左足が跳ね上げられる。
「きゃっ……!? あ、あん!」
 雪乃の右足を月彦がまたぎ、左足を肩に抱えるような姿勢で、抽送が再開される。
「だ、ダメぇ……こんな、格好……はぁはぁ……紺崎くんお願い、もう許してぇ……!」
「先生が本気でそう思ってたら、俺は今すぐにでも止めますよ」
 まるで、雪乃の考えている事など全てお見通し――そんな笑みだった。
「あぁぁっ、だめっ……だめぇっ……こんなのっ……あぁぁあっ! ……おかしくなるぅぅ!!」
 それは、決して誇張ではなかった。ただ、その前に“嬉しすぎて”が抜けているだけだ。
 くすりと、またしても月彦は雪乃の心根など見透かしたように微笑み、抱えていた雪乃の左足を下ろして雪乃を仰向けにし、“正常位”にする。たちまち、雪乃は自発的に月彦の首に両腕を引っかけ、腰に足を絡めてしまう。
「……ほら、先生。まだまだ全然元気じゃないですか。……嘘は良くないですよ?」
「ち、違っ……だって……あぁああん!!」
 こちゅん! こちゅん! こちゅん!
 立て続けに強く、何度も何度も突き上げられ、雪乃は体を弾ませながら軽くイく。
「あーーーーーッ!! あーーーーーーッ!! あーーーーーーーッ!!」
 雪乃がイッても、月彦は動きを止めない。立て続けに、何度も、何度も雪乃はイかされる。
「くっ、ぁ……凄っ……ビクビクって、痙攣するみたいに体跳ねてますよ……大丈夫ですか?」
 “そうさせている張本人”が言うなと、文句の一つも投げかけてやりたい所だった。しかし、それは不可能だった。
「あぁぁぁあっ、ぁぁぁぁ! だ、めぇ……止めてぇ……か、かき回さないで……あぅううう! だめ、い、イくっ……またイッちゃう……!」
 口から出るのは喘ぎ声と弱音ばかり。雪乃は何度も何度も背骨がきしむほどに背を反らし、イかされ――
「あぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁああッ!!!!!!!!」
 一際強く突かれて、そのままどびゅどくと白濁を注入され、イく。
「ふぁぁぁ……奥、あつ、いぃ……」
「まだまだです。先生……まだたっぷり時間はありますから……一生忘れられないくらいイかせて、刻みつけてあげます」
 ………………。
 …………。
 ……。


 ……。
 …………。
 ………………。
 寝室のカーテンは最初から閉めたままであったが、それでも微かな朝日は室内に漏れ入っていた。それがやがて昼の日差しへと代わり、夕日のそれへと変わった。
「あっ、あっ、あっ……も、らめぇっ……あぁぁぁ……やっ……あぁぁぁ!!」
 譫言のように呟きながら、雪乃は生命の無い人形のように四肢をベッドに投げ出したまま、月彦に尚も抱かれ続けていた。朝から、殆ど休憩もなく、執拗にその体を求め続けられ、ねっとりといた白濁にまみれていない場所など無い程だった。
「大分大人しくなっちゃいましたね。……先生、ひょっとしてもうホントのホントに限界ですか?」
 こく、こくと雪乃は精一杯の力で頷いてみせる。
「解りました、じゃあ先生……最後に一回だけ。一緒にイッて終わりにしましょうか」
 自分を見下ろす月彦の目に、若干ではあるが“優しさ”が戻るのを察知して、雪乃は少しだけ安堵する。そこからは、それまでのようなケダモノじみた“交尾”ではなく、なんとも優しい“セックス”だった。
「あ、あんっ、あん……あん!」
 月彦に優しく突き上げられ、体が上下する感覚が、さながら海の上で波に揺られているかのように心地よかった。
「……ほら、先生?」
「ん……」
 月彦に促されて、口づけをする。くちゅ、くちと唇を舐め合うようにしながら、月彦が優しく動いてくる。
「あんっ、あんっ」
 甘い喘ぎに、どうしてもキスが中断されてしまう。それにもめげず、何度も唇を重ね、剛直もまた雪乃を労るように優しく膣内を愛撫してくる。
 “これ”はひょっとすると、一種の“クールダウン”なのかもしれないと、雪乃は思う。
「あぁっ、あんっ……こ、紺崎くん……だ、大丈夫……? ちゃんと、紺崎くんも……イけそう?」
 この期に及んで、雪乃がもっとも心配するのはそのことだった。最後の締めくくりに一緒にイきたいというのは雪乃も望むところであり、その為には月彦もきちんと快感を得られる事が大前提だ。
「心配しないでください。……早く動けばそれだけ気持ちいいってわけじゃないってことは、先生がよく解ってるんじゃないですか?」
「そう、だけど……ンッ……も、もし……イけなそうだったら、え、遠慮……しないで、いい、からぁ……」
「わかりました。……でも、大丈夫です。…………こうして先生のおっぱいがたゆたゆ揺れてる所を見てるだけで、メチャクチャ興奮してイきそうになってしまいますから」
 そんな筈はない――と思う反面、紺崎くんなら或いは……とも思ってしまい、雪乃は苦笑する。
「先生こそ、イけそうにない時は遠慮無く言ってくださいね?」
「それ、は……だい、じょ……ぅん! はぁはぁ……だいじょうぶ、だからぁ……あんっ……は、早く……紺崎くん、も……」
 雪乃にとって、“ゆっくり”は逆に絶頂への近道だった。今すぐにでもイきそうなのを堪えながら、雪乃は懸命に月彦を“待つ”。
「ひゃっ……やっ、耳っ……ぁぁぁぁぁ!!」
 とん、とんと優しく突かれる心地よさに没頭していた矢先、唐突に耳を舐められ、雪乃は危うくイかされそうになる。
「だめ……だめ……耳、は……だめぇぇ……」
 ゾゾゾゾゾッ――!
 背筋を上ってくる寒気にも似た快楽に、雪乃は必死にイくのを我慢する。
「あ、耳は弱かったんでしたね。……すみません、うっかりしてました」
「う、うっかりって……んんっ、ちゅぁはっ……んちゅっ……ンンッ……!」
 うっかりうっかりと言いつつ、月彦はそのまま流れるように雪乃の唇を奪い、さらに胸元をこね回しながら、小刻みに腰を使ってくる。
(やっ、ぁっ……き、キス……あっ、ずん、ずんって……突かれ……やっ……だめ、い、イくっ……イッちゃう……!)
 ひょっとして、月彦は“一緒にイく気”など毛ほどもないのでは――そう思いたくなるほどのいやらしい責めだった。
「ほら、先生……もうちょっとですから」
 しかし、そうやって月彦に励まされると、頑張らなければという気にさせられる。至極、雪乃は絶頂のギリギリ一歩手前でひたすら踏ん張るような状態にさせられる。
「あぁぁぁっ……あぁぁぁぁぁ! あぁぁぁぁぁぁ! だ、めぇ……だめぇ……も、無理っぃ……」
「もう少しです、先生、我慢してください」
「む、無理……もぉ……らめ……」
 ギリギリもギリギリ、あと一ミリでも月彦に動かれたら。何かをされたらダムが決壊するように快感という波に翻弄されるという所で、雪乃は辛くも踏みとどまる――が。
「らめっ、らめっ、らめっ……あっ、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
 とうとう快感を抑えられず、雪乃は絶叫のように声を上げ、大きく腰を跳ねさせながらイく。
「あぁぁぁぁあっ!! あああァァッ! あぁぁぁあッ!!」
 “波”は一度では収まらなかった。二度、三度と何度も立て続けに雪乃を揺らし、その都度視界に火花を散らしながら、雪乃はイく。
「くおっ……せ、先生……ッ……」
 どくりと、白濁のうねりを受けたのは何度目の“波”の時だったろうか。
「あぁん! あんっ……あん!」
 既に幾度目かにも解らない射精なのに、どびゅ、どびゅとその勢いを確かに感じる事が出来る。子宮に満ちる熱い液体の感触に、雪乃は身震いしながら甘い声を出し、絶頂の余韻に浸る。
「はーっ…………はーーーーっ…………さ、さすがに、ちょっと疲れました……」
 くたぁ、と月彦が力無く被さってきて、雪乃もまた力のろくに入らない両手でその体を抱き留める。
 そのまま、どちらともなく唇を重ね、抱き合ったままくち、くちと。小鳥のカップルがエサを取り合うようようなキスをしながら、互いの髪を撫でたりと。たっぷり三十分以上余韻を楽しんだ。
「……先生、満足してくれましたか?」
 うん、と。雪乃は精一杯の包容と、屈託のない笑顔で月彦に返事を返した。
「……こんなの初めて」
 その言葉を月彦に言うのはなにやらおかしいような気もしたが、それが雪乃の素直な感想だった。勿論、その言葉が“男が女から言われたい言葉ランキング一位”を取得する偉大な言葉である事など、雪乃が知るはずもなかった。



「うう、ぅ……し、死にそうだ……でも、先生にはきっちり“恩返し”はしたぞ……」
 午後六時過ぎ。月彦は覚束ない足取りで雪乃のマンションを後にし、帰路へとついた。
(先生も満足してくれたみたいだし……これで“この件”はもう安心だろう)
 子猫もきっと邪険には扱われないだろう。給餌機を買っておいたおかげで心おきなく雪乃への恩返しに専念する事も出来た。万々歳の結果と言える。
(…………ただ、思ってたより……)
 体力の消耗が激しいのも否めなかった。それはひとえに、雪乃を満足させようと必死になったからに他ならない。
 激しく責めて、雪乃を失神させてそこで終わりにすることは――恐らく不可能ではなかった。しかしそれではきっと雪乃は満足しないだろう。全身全霊で雪乃が求めているモノを察し、その望みを叶えてやらなければ。皮肉なことに、そこで活きたのは真央との間で培ったスキルだった。
(先生も真央と同じで、基本“手を出して欲しい”系の人なんな、きっと)
 とにもかくにも、雪乃を満足させる事は出来た。唯一にして最大の懸念は、“次”も“このレベル”を雪乃が求めやしないかという事だった。
(…………さすがにそんなのが続いたら……)
 自分の方が枯死してしまうだろう。特に、下手に雪乃のテンションを上げる事は逆効果だと、月彦は学んだ。ハイパー雪乃とでも言うべきか、積極的になった雪乃はそれはそれで魅力的ではあるものの、まともに付き合っていたら文字通り身が持たないのだ。
「とにかく、これで……当面の課題は……菖蒲さんの鈴、か……」
 雪乃の買い物も同じ猫がらみであったが、“こっちの猫”の厄介さは雲泥だった。正直、一体どうすれば事態が丸く収まるのか、月彦には見当すらつかなかった。
「…………参った。ひょっとして猫に祟られでもしてるのか」
 “あの人”といい、どうにも自分は“猫難”が多すぎる気がして、月彦は肩を落としながらため息混じりに呟く。
 ――その時だった。
『猫のことでお困りですか?』
 一瞬、心臓が止まるかと思った。否、一秒か二秒くらいは、本当に止まったかもしれない。
「その、声は……!」
 月彦はハッと顔を上げ、辺りに視線を向ける。片側一車線の車道とガードレールで分けられた歩道には、月彦以外の人影はなく、また車道を挟んだ反対側の歩道へと視線を向けてもやはり人影はない。
(……後ろだ!)
 “あの人”に限らず、猫というのはいつもそうだと、月彦は咄嗟に背後を振り返るが、やはり人影はない。もしや振り返った瞬間、目にもとまらぬスピードで再び背中側に移動しているのでは――そんな危惧から、月彦は何度もフェイントをかけながら、背後を振り返る。
 くすくすと、上品な笑い声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「なっ」
 すかさず、月彦は声が聞こえた方へと視線を向け――そして驚愕した。“人影”が無いのも当然だった。“声”は歩道脇の塀の上に丸く鎮座している三毛猫から聞こえていた。
「まさか……春菜、さん……?」
 月彦の問いに、猫は答えずやや肥満気味の体をでんと塀の上に預けたまま、明らかに自我を感じさせる視線を月彦へと向けてくる。その目は、心なしか紫の輝きを帯びているように、月彦には見えた。
『猫のことでお困りですか?』
 そして猫は、よく知っている声で同じ言葉を繰り返し口にした。
『よろしければ、解決してさしあげましょうか?』
「っ……い、いいです! 困ってません! 自力で全然大丈夫です!」
 首を縦に振ろうものならとんでもない事になる気がして、月彦は慌てて返事を返した。三毛猫はしばし黙り、そして唐突に――。
「ファァ……」
 その瞳から紫の輝きが消えるや、きょとんと。まるで白昼夢から醒めたように大あくびをして、そのまま月彦には見向きもせずに塀の上を歩いてどこかに行ってしまった。
「っっっっ………………ぷはぁぁぁあぁぁぁああ! あっぶねぇ……死ぬかと思った…………」
 別段刃物を向けられたわけでも、殺されそうになったわけでもないのに、“助かった”と思わずにはいられない程のプレッシャーから解放されて、月彦は膝に手をついて息を吐く。
(なんだ、今の三毛猫は……まさか本人――じゃあないよな)
 恐らくは、春菜の遣いか――否、あの“たった今術が解けた”と言わんばかりのきょとんとした目は、しばしの間だけ“口を借りた”と考えるのが正しいのではないか。
(なんだなんだ、まさか全ての猫の目と口を使っていつでも好きな場所を覗いたり喋れたりするとかじゃないよな? さすがにそんなの怖すぎるぞ……)
 改めてゾッと肝を冷やして――月彦は肩を抱きながらぶるりと震える。
(確かに……春菜さんなら……菖蒲さんの事も巧くやってくれそうだけど……)
 その場合、とんでもない人物に大きな借りを作る事になってしまい、状況的にはむしろ悪化してしまうのではないだろうか。
「…………子猫、可愛かったなぁ」
 なんとなく現実逃避をしながら、家路を辿る月彦だった。



 ――数日後。

「はぁ!? あの猫あんたが飼う事になったの?」
 仕事帰りに、いつもの居酒屋に唐突に呼び出された矢紗美は、妹の突然の言葉に驚きを隠せなかった。
「別にいいでしょ? うちのマンションはペットOKだし、あの子も私に懐いてたし」
「あんた猫大嫌いだったじゃない。おばあちゃんちで引っかかれた時なんて、猫なんてこの世から消えてなくなればいいのにーとか言ってたくせに……どういう風の吹き回し?」
「ノンをあんな駄猫たちと一緒にしないでよ! まだ子猫なのにとーっても利口で可愛くて良い子なんだから」
 どうやらノンというのがあの子猫の名前らしい。
「……てゆーか、あんたに生き物の世話とか出来るの? ミドリガメしかまともに育てたことないくせに」
「お姉ちゃんには解らないでしょうけど、あの子は私の所に来る運命だったのよ。……それに、ノンの面倒は紺崎くんも見てくれる事になってるし」
 妹の得意気な一言に、ぴくりと。矢紗美は日本酒の入ったグラスを持つ手を止めた。
「……雪乃、あんたまさか……子猫をダシに紺崎クンを……」
「ち、違うわよ! 猫は、前から飼おうって思ってたの! 紺崎くんの事とは関係ないわ!」
 ああ、これは図星を突かれた時の反応だと、矢紗美は“姉の目”ですぐさま理解した。
「たまたま子猫飼っちゃおうかな、って思ったら、そしたら紺崎くんも子猫好きって言うからさ。だったら二人で一緒に面倒見ようって事になって、一緒に名前とか考えたりして……キャー!」
 顔を真っ赤にしながらテーブルをバンバン叩く雪乃のテンションとは裏腹に、矢紗美の心は真冬の鉄骨のように冷え切っていた。
 そう、まさに“前回”とは真逆の図式になってしまっているわけなのだが、“浮かれている方”には浮かれている自覚が無い為、矢紗美自身もその事には気づいていなかった。
「多分、赤ちゃんが生まれて、一緒に名前考える時ってこんな感じなんだろうなぁ、って。もーすっごいドキドキしちゃって、そしたら紺崎くんもソワソワしちゃったりして、うふふ」
 なるほど、ノロケ話を聞かせる為に呼び出されたのかと。矢紗美は冷めた目でグラスを煽り、おつまみのゲソ天を口へと放り込む。
「あっ、店員さーん! ビールの大一つ追加お願い。あとあと、手羽先にチーズ春巻きにサラダも。……お姉ちゃんも何か頼む?」
「私はいいわ」
「そう? じゃあえーとえーと……明太うどんと、あと揚げ出し豆腐に、日本酒このオススメってなってる全部もってきて」
 かしこまりました――店員は手早くメモを取り、奥へと引っ込んでいく。
「言っとくけど、私今日はあんまり食べないから」
「そうなの? ひょっとしてお姉ちゃん具合とか悪かったりする?」
「別に、そういうのはないけど」
「あ、解った。“アレ”なんでしょ? んもぅ、周りにバレちゃうなんて、お姉ちゃんもまだまだね」
 妹の言動を心の底から鬱陶しく感じながらも、矢紗美はちびり、ちびりとグラスの縁を舐めるように日本酒を口に含む。
「ま、大丈夫よ。あれくらい私一人で食べるから」
「ずいぶんな食欲ね。……昔みたいになっても知らないわよ?」
 ぴくりと、矢紗美の一言に今度は雪乃の動きが一瞬止まる。
「…………嫌なこと言わないでよ。これでも一応気をつけてはいるんだから。…………でもね、ダメなの。紺崎くんと会っちゃうとどうしても食欲出ちゃって」
「なんでそこで紺崎クンが出てくるのよ」
 口にして、矢紗美は小さく舌を鳴らした。こんな突っかかるような口調は不自然だったと反省して――そしてそんな事は全く気にしていないらしい暢気な妹の顔を見て、安堵した。
「……んふふ…………おねーちゃんさぁ、いろんな彼氏と付き合ったみたいだけど、ひょっとしたらエッチの事ならもう私の方が経験上なんじゃないかな」
「はぁ?」
 威嚇すら含んだ矢紗美の声にも、雪乃はニヤニヤと余裕の笑みを返してくるばかり。どうやら、既に結構酔っているらしかった。
「お姉ちゃんの彼氏も結構タフみたいだけど、紺崎くんには及ばないんじゃないかなぁ?」
「………………。」
「この前の土日なんてもーほんと凄かったんだから。久しぶりに紺崎くんがお泊まりしたいーって言い出してさ、表向きは“子猫と遊びたいから”とか言ってたんだけど、もう下心見え見えって感じ? でも、そこはあえて気がつかないフリをしてあげてさ、家に呼んであげたらもう子猫なんかそっちのけでエッチしたいエッチしたいって迫られちゃって。もうね、それだけ必死にお願いされたら私も断りきれなくって、少しくらいならいいかな、って気を許したらもーそこから殆ど夜通しよ、夜通し。文字通りケダモノ、って感じ? “寝かせない”とかじゃなくって、息も満足に出来ないくらい激しくされちゃって、頭はもうクラクラ、夜明けまであっという間だったわぁ……」
 矢紗美は黙って、店員が持ってきたつまみに橋を延ばし、咀嚼する。
「そんだけしつこくされちゃうとさ、エッチが終わった後でも体がぽーってなっちゃって。三日以上経つのに体がポカポカしたまま肌の火照りが収まらないの。きっと代謝が凄く上がっちゃってるのね、もーお腹が空いて好いて仕方ないの」
「……中途半端にダイエットすると、リバウンドで前より太るらしいから、気をつけたほうがいいわよ」
 またしても、矢紗美の言葉に雪乃が体の動きを止める。
「今日は何なの? さっきから水差すような事ばっかり言って……あー、ひょっとしてお姉ちゃん、例の彼氏にフラれたんじゃないの?」
「まさか。あんたじゃないんだから、私が捨てる事はあっても捨てられる事なんてあるわけないじゃない」
 かちんと、雪乃の頭の中のスイッチが入るのが、矢紗美にも解った。
「……そうやってムキになるところが怪しいわね。いつもだったら“勝手に想像すれば?”って余裕ぶって流すクセに。お姉ちゃんらしくないわよ?…………案外本当にフラれたんじゃないの?」
「フラれてないって言ってるでしょ」
 言って、矢紗美はまたしても舌打ちする。いけない、こんな妹と同レベルの口論をしてどうするのかと。
(…………どう考えても、紺崎クンは雪乃なんかより私の方にメロメロなんだから、張り合う必要なんてないのよ)
 そう、雪乃の言う事など八割増しくらいに誇張されてねつ造されたものだ。聞き流してしまえばいい――矢紗美は軽く深呼吸をして、気分をおちつける。
「雪乃。…………遊びじゃないといいわね」
 そして、にっこりと。余裕の笑みで矢紗美は意味深に呟く。
「何よそれ、どういう意味?」
「言葉通りの意味よ。…………あんた、紺崎クンとの年齢差考えたことあるの? あんたはそりゃあ結婚するつもりで紺崎クンと付き合ってるかもしれないけど、向こうもそうだとは限らないって考えた事ないの?」
 そう、張り合う必要はない。必要はないが、すっかり脳みそピンクで浮かれまくっている妹に“立場の差”というものは教えてやらねばならない。曲がりなりにも“自分の方が女として上”等と思われない為にも。
「なーんだ、そんな事?」
 矢紗美の予定では、ここで妹は不安に駆られ、疑心暗鬼になる――筈だった。ましてや、勝ち誇ったような笑みなど出来る筈がなかった。
「…………どうしよっかなぁ。お姉ちゃんにだけ教えちゃおうかな………………私ね、紺崎くんにプロポーズされちゃった」
「はぁーーーーーーーー!?」
 思わず、声が裏返ってしまった。
「な、何よ……そこまで驚かなくてもいいじゃない」
 むしろ言った雪乃の方が、矢紗美のリアクションに驚いたように目をぱちくりさせていた。
「だって、そりゃ……驚くでしょ。プロポーズって……」
「うん、私も驚いちゃった。でもね、この前のお泊まりの時にはっきり言われちゃったの。“俺は責任をとって、先生と結婚します”って」
「……冗談でしょ?」
「冗談でも聞き間違いでもないの。はっきりと、この耳で聞いたんだから」
 そんなバカな――思わずそう口にしてしまう所だった。
(嘘でしょ? だって……)
 あの手この手を駆使して入念に準備を進め、先だっての合宿の一件で間違いなく虜にした筈だった。もはや紺崎月彦は寝ても覚めても雛森矢紗美の事しか考えられず、そして考える度に胸が苦しくて堪らなくなるようにし向けた筈だった。
(なのに……雪乃にプロポーズ?)
 ありえない――と思う。それを事実だと認めるよりも、妹が寝ぼけて夢と現実をごっちゃにしてしまった可能性のほうがまだ信じられる程だ。
「あ、もちろんプロポーズされたって言っても、紺崎くんは学生だし。今すぐどうこうって話じゃないのよ? でも、これからちょっとずつ“この先のこと”とかも相談しちゃったりして……ねえお姉ちゃん、お父さん達の所にはいつ頃挨拶に――」
「ごめん、帰る」
 矢紗美は一言のみを残して、席を立つ。
「えっ、ちょっ、お姉ちゃん!?」
 追いすがってくる雪乃を振り払い、矢紗美は店を後にする。尚も追ってくる雪乃を店員が止め、その隙に矢紗美は早足に店の前から離れた。
 帰るなら、路地裏から大通りへと出て適当にタクシーを拾えば済む話だった。事実、路地裏から大通りへと出ると飲み屋帰りの客待ちのタクシーがそれこそ引く手数多だったが、矢紗美はそのまま歩道を歩き続けた。
「…………なんだっていうのよ!」
 心中に渦巻いていた炎が突然気炎となって立ち上り、矢紗美は憤怒に任せて靴底で思い切りガードレールを蹴りつける。周りに居た通行人達がギョッと目を剥き、矢紗美は居たたまれなくなって足早にその場を後にする。
(雪乃にプロポーズって……何よそれ。……私に惚れてるんじゃなかったの?)
 まさか、勘違いをしていたのは自分の方だったのでは――胸の奥に感じる不愉快な痛みに唇を噛みながら、矢紗美は宛もなく夜の街を歩き続けるのだった。

 

 

 

 

 


 


 

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