昼下がりの午後。枕に頭を預けたままウトウトと微睡んでいた霧亜は、およそ病院内に相応しくないドタバタした足音で俄に意識を覚醒させた。
 体を起こし、ベッドに座る形で足を降ろす。松葉杖の一つを掴み構える。――バタンと勢いよく病室のドアが開けられたのはその時だった。
「姉ちゃん! 退院決まったって本当か!?」
 ドアの前の衝立から弟が間抜け面を晒した瞬間、霧亜はその顔目がけて松葉杖を投げつける。どわっ、と月彦は松葉杖の柄で顔面を強打して悲鳴を上げ、その場に膝を突いた。
「ノックしろって言ってるでしょ」
「ご、ごめん……姉ちゃん」
 赤くなった鼻を押さえながら、月彦はよろりと立ち上がる。その顔はいつになくへらへらと緩みきっており、霧亜は露骨に舌打ちをする。
「でもさ、退院決まったんだろ!? 明日くらいには帰れるのか? それとも明後日か?」
「…………。」
 まるで、躾のなっていない小型犬にまとわりつかれるような苛立ちを覚えて、霧亜は反射的に引き出しを開け、煙草を探す――が、見つからない。ああ、そういえば切らしていたんだと、今更ながらに思い出して再度舌打ちをする。
「月彦、煙草」
 霧亜は弟の顔を見もせずに命令した。――が。
「……姉ちゃん、病室で吸うのは止めようぜ。家に帰ってからなら、いくらでも吸っていいからさ」
「私の命令が聞けないっていうの?」
 ぎろりと睨み付けると、月彦は怯えたように数歩後ずさった。霧亜は左手の人差し指で、ちょいちょいと、側に寄るように促す。そして、十分に“射程距離”に入った所で、もう一本の松葉杖の柄を握りしめ、思い切り弟の肩口へと振り下ろした。
「ぐぁっ……痛っつ…………」
 月彦は防御も回避もしなかった。微動だにせず松葉杖の一撃を浴びて、再び膝を突く。その頭目がけてもう一撃殴りつけてやろうかと、霧亜は立ち上がって松葉杖を振りかぶる――その瞬間、弟と目が合った。
「め、メチャクチャ痛ぇけど……姉ちゃんが退院できる事の方が、万倍くらい嬉しいよ」
「……っ……」
 霧亜は唇を噛み、露骨に顔を歪めると振りかぶった松葉杖を薙ぐようにして投げ捨てた。ひゅっ、とその先端が月彦の髪を掠め、松葉杖は壁に当たって派手な音を立てた。
「目障りよ」
 吐き捨てるように言って、霧亜はベッドへと腰を落ち着ける。そんな姉の胸中を知ってか知らずか、相変わらず緩みきった顔をしている弟は恐る恐る立ち上がると、二本の松葉杖を拾ってベッドの側の棚へと立てかける。
「じゃあ、姉ちゃん。今日はもう帰るけど……退院したら真央や母さんと一緒にお祝いするからさ」
 “姉からの反撃”を恐れているのか、まるで捨てぜりふのように早口に言って、月彦は病室を後にした。
「…………っ……」
 堪えようのないほどの苛立ちが胸中で疼き、霧亜は辛うじて自由の利く右手で己の胸をかきむしった。恐らくは、煙草が切れていることの禁断症状も相まっているのだろう。どうにも気分が落ち着かず、体を横たえている事が出来なくて、松葉杖を手に病室を出た。
 いつになくムシャクシャした気分だった。気晴らしの為に、誰か適当な女でも手込めにして憂さを晴らしてやろうか――そんな思いから病院内を徘徊するも、手頃な獲物が見つからない。そもそも、病院関係者で年頃の娘――それでいて、比較的好みのタイプ――はあらかた食い漁った後であるから尚更だった。
 いっそ、患者の見舞いに来た外来者でもいいかと物色をしていた時、霧亜はふと奇妙な視線を感じて背後を振り返った。
「…………。」
 薄暗い病院の廊下には、忙しなく動き回る看護士と、点滴をぶら下げたまま歩く老齢の入院患者しか見えない。霧亜はしばしそのまま注視した後、再度歩き始めた。
 結局、獲物は見つからず、仕方なく“妹”の看護婦に煙草を買いに行かせた。そのまま何の気なしに屋上に出て、寒空の下立て続けに三本ほどぷかぷかと煙を燻らせた所で、「病室ではもう吸うな」という弟の言葉を思い出して、反射的に屋上を囲っている鉄柵を思い切り蹴りつけた。
「いッ……」
 蹴ったのは、無論怪我をしていないほうの足ではあったのだが、サンダルごしではその衝撃を殺しきれず自らの足にまで痛みが走った。我ながらなんと愚かなことをしてしまったのだろうと、その痛みがかえって霧亜の頭を冷静にした。
 さらにもう一本その場で吸い、さすがに寒くなってきた所で病室に戻ろうと、松葉杖を手に屋上を後にする。屋外へと通じるドアを閉め、階段へとさしかかった――その時だった。
「バイバイ、キーちゃん」
 聞き覚えのある声と共に背中を強く押され、霧亜の両足は地面から離れた。

 

 

 

 

 

『キツネツキ』

第四十一話

 

 

 

 

 


 夕暮れ時。
 いつ見ても妙な作りの屋敷だと、黒須優巳は呆れとも感心ともつかない思いを抱きながら、左右を高い塀に挟まれた石畳の一本道を進んでいた。ゴロゴロと耳障りな音が付随しているのはキャリーバッグを引いている為だ。
 郷里の父親からの出頭命令――というよりは、親戚の法事をやるから顔くらい出せというだけのものだったが――で帰郷したついでに、姉の所にも顔を出そうと思ったのだが、毎度の事ながらこの“通り”の長さには辟易しそうになる。右側にある塀も、左側にある塀も、その内側の敷地は全て姉の養子先である土岐坂の屋敷の庭なのだが、肝心の屋敷の入り口までは半キロ以上あるこの細い石畳の道を延々歩かねばならないのだ。
 意地の悪い作りだ、と優巳は思う。まるで、自分の邸宅の広さを来訪者に身をもって思い知らせる為にこのような作りにしたとしか、優巳には思えない。
 そうして心中で呪いの言葉を吐きながらも隘路を抜けると、十段ほどの石段の先にこれまた嫌味のように大きな両開きの門扉が出迎えてくれる。まるで戦国時代の城門を彷彿とさせるようなその大仰な造りは豪奢を通り越して滑稽にすら見える。備え付けの呼び鈴で使用人を呼ぶと、あっさり中へと通された。無論それは、予め尋ねる旨を“姉”に伝えておいたからなのだが、アポの無い者は例えどのような用向きであろうともあの門扉は開かれないのだと、優巳は姉から聞いて知っていた。
 門を抜け、キャリーバッグを使用人に預け、先導されて三和土を上がり、屋敷の中へと案内される。優巳の実家もお世辞にも近代的とは言えない作りの屋敷ではあるが、土岐坂の屋敷はそのままずばり平安時代から持ってきたような――古風で、それでいて気品に満ちた――造りになっていた。
「ゆみーーーーーーーー!」
 靴下でスケートが出来そうな程に磨き上げられた廊下を歩いていると、遙か先から慣れ親しんだ声が聞こえて、優巳は顔を向けるや否やたちまち表情を綻ばせた。
「愛奈!」
 大和撫子――まさにその言葉を体現するかのような、腰ほどもある艶のある長髪。所々に金の刺繍が入った白衣に緋色の袴、白足袋といった格好の女性がその大きな胸をゆっさゆっさと揺らしながら――二卵性とはいえ、一応双子な筈なのだが――駆け寄ってくる。優巳もまた両手を広げて自ら駆け寄り、忽ち二人はとびつくようにして互いの体を抱きしめ合った。
「もぉ、優巳ってば来るの遅いよぉ! 待ちくたびれちゃったじゃない」
「ごめーん。親父がなかなか帰してくれなくってさぁ。これでも急いで来たんだよ?」
「うんうん、分かってるって。あーーーんもぉ、半年ぶりに会ったのに優巳ってばちっとも変わってないのね。まるで毎日顔を合わせてたみたい」
「それは毎日鏡を見てるからでしょ?」
「それもそっか。双子だもんね」
「そうそう。双子だもん」
 キャハハ、ウフフ――そんなじゃれ合うような声を上げながら、優巳はふいに愛奈に唇を奪われた。
「んぅ……」
 別に驚いたりはしなかった。これは“二人の間での挨拶”の一環。すぐに優巳もそれに応じ、姉の舌を吸い始める。
「んっ、んっ」
「んぁ……ぁふ」
 キスは次第に熱っぽく、互いの体を抱きしめている手が徐々に愛撫めいた手つきへと変わり始める。
「んはっ…………優巳、ちょっとキス上手になった?」
「愛奈が下手になったんだよ。ちゃんとエッチしてるの?」
「たまに。相手は下働きの女官とかばっかりだけど」
「そんなイモ臭い田舎娘ばっかり相手にしてるからテクが劣化しちゃうんだよ」
「そんな事言われたって仕方ないじゃない。私は優巳と違って、屋敷から出られないんだから」
「そういえばそうだったね。……ごめん」
「いーのいーの。私は全然気にしてないから。…………それよりさ、優巳。早く聞かせてよ。いっぱいあるんでしょ? 土産話」
「あ、うん。そだね。その前にどこか部屋に入ろうよ。長旅でもう足が棒みたい」
「まかせて。優巳の為に一番いい部屋空けさせてるんだから」
「そんな事言ってぇ、どーせいつもの部屋なんでしょ?」
「まぁね。だってあの部屋が一番いい部屋なんだもん。離れだし、余計な邪魔も入らないし、ね」
 邪悪な笑みを浮かべる姉に同調するように優巳もまた笑みを浮かべ、その後に続いた。



 愛奈に案内された先は、廊下とを障子戸によって区切られた畳敷きの六畳ほどの和室だった。家具らしい家具は衣服用の小ダンスと衣紋掛けくらいしか無く、奥にある襖の向こうにも六畳の和室があり、そこには寝室の用意がされている事も優巳は知っていた。何故なら土岐坂の屋敷に泊まる時は決まってこの部屋へと案内されるからだ。
「ほんと、いっつもこの部屋だよねー」
 上着を脱ぎ、衣紋掛けへとかけながら、優巳はやれやれといった口調で呟く。
「優巳はもっと広い部屋がいいの?」
「そういうわけじゃないんだけどさ。これだけ広いお屋敷なんだから、たまにはさぁ……」
「文句言わないの。それとも、“正式なお客様”として本殿の方に泊まりたい? 堅苦しい雰囲気の中で二時間くらい正座したまま食事したり、退屈な舞とか見せられて“オジョウズデスネ”なんて言ったりしたい?」
「無理無理。二時間正座なんて絶対無理だから」
「じゃあ、こういうところで我慢しなきゃ。第一、広い部屋ってあれはあれで落ち着かないんだよ?」
「そういうものなんだ。まぁ、離れの方が気兼ねなく手足は伸ばせるかぁ」
 優巳は座布団を引っ張り出し、どっかと足を伸ばして腰を下ろす。対して、愛奈の方は座布団を使わず、優巳とは畳一畳を挟んでぴしりと正座をする。
「愛奈、正座なんかしなくていいんだよ? 二人きりなんだし、足のばしちゃいなよ」
「もう馴れちゃってるから、正座じゃないと逆に落ち着かないの。……あ、そーだ。優巳お腹空いてない?」
「実はもうぺこぺこ」
「そうだろうと思って、準備させてたの」
 愛奈が徐に部屋の隅に下がっている紐を引くと、天井裏の方からチリチリと鈴のような音が聞こえた。程なく、障子戸越しに女官の影が浮かび、「失礼致します」の声と共に優巳の前へと膳が運ばれてくる。
「ちょ、ちょっとぉ、愛奈、これぇ……」
「見ての通り、“ソーダ茶漬け”だよ。……優巳、大好きだったでしょ?」
「それ、子供の頃の話だよぉ……今はさすがにこんなの食べないって」
 眼前にあるのは、駄菓子屋などで売っている粉ジュースをお茶の代わりに用いた茶漬けだ。確かに愛奈の言う通り、子供の頃は好んで食べてはいたのだが。
「どうせなら、もうちょっといいもの食べさせてよ。こんなお菓子みたいなのじゃなくってさぁ」
「いいじゃない、ちょっとくらい。優巳の為にわざわざ準備させたんだよ?」
 苦笑混じり照れ混じりに優巳は遠回しに拒絶するが、愛奈はニコニコと笑みを浮かべたまま食べて、食べてと執拗に促してくる。
 仕方なく、優巳は目の前で不気味な泡を立てているソーダ茶漬けへと口をつける。一応子供の頃は大好きであっただけに、食えないという事はなく、腹が減っていた事も相まってぺろりと一膳平らげてしまった。
「美味しかった? 優巳」
「まぁね。ここの女官さん、ビックリしてるんじゃないかな。こんな料理作らされたの初めてじゃないの?」
「そうかもしれないね。でもみんな、私が言う事には絶対逆らわないから」
 笑顔のままの姉の口から放たれた言葉に、優巳は咄嗟にうまい返しが思いつかなかった。
「まあ、そりゃそうだよね。なんたって土岐坂家の一人娘だもん。養女でも、それは変わらないわけだし」
「ねえ優巳」
 まだ優巳が喋り終わるよりも先に、愛奈が言葉をかぶせてくる。
「それっぽっちじゃ全然足りないでしょ? もっと持ってこさせようか?」
「えっ、いいよぉ。こんなのより普通のご飯が食べたいよ」
「もっと持ってこさせるね」
 愛奈は再びちりちりと鈴を鳴らし、女官を呼ぶ。忽ち優巳の眼前にあった空の膳が下げられ、再度ソーダ茶漬けが運ばれてくる。
「ちょ、ちょっと……愛奈……もう要らないって……」
「優巳、大好きだったよね。お腹空いてるんでしょ? 食べていいんだよ?」
 ほら――愛奈の手で箸を握らされ、優巳は渋々茶碗を手に、茶漬けをかき込んでいく。
「まだ足りない?」
 そして食べ終わるや、そんな事を聞かれる。
「ううん、もうお腹一杯。ごちそうさま、愛奈」
「もっと持ってこさせるね」
 愛奈は再度鈴を鳴らし、女官を呼ぶ。優巳の前から空の膳を下げ、再度――今度はどんぶりいっぱいのソーダ茶漬けが運ばれてくる。
「あ、愛奈……ひょっとして、怒ってるの?」
 ここに至って漸く、優巳はその事を悟り始めた。
「怒ってる? どうして?」
 愛奈はにこにこと笑みを絶やさない。それはさながら、涅槃の菩薩のように見る者を安らがせる、嫌味など欠片もない純粋な微笑みだ。
 しかし、優巳は知っている。姉は、腑を煮えさせながらも、同じ笑みを浮かべる事が出来るという事を。
「ご、ごめんね……愛奈……何か、気に障る事しちゃったなら謝るから……機嫌直してよ」
「気に障る事なんか何もないよ? ほら、優巳。冷めちゃう前に早く食べなよ」
「も、もう食べられないよ……本当にお腹いっぱいなの」
「優巳の為に無理言って作ってもらったんだよ? いいから食べて」
「あ、愛奈ぁ……」
「食べて」
 すっ、と衣擦れの音を立てて愛奈は優巳の背後へと周り、まるで二人羽織でもするかのように、優巳の両手に自らの両手を添え、箸を持つよう促してくる。
「ほ、ホントにゴメンって! ね、許してよ……」
「…………っ……ぷ、ぷぷぷ……アハハハハハハハハハ!!!」
 優巳が半ば本気で怯え、懇願したその時だった。突如愛奈は頬を膨らませ、そのまま吹き出すように笑い出し、畳の上を転げ始める。
「うそ、嘘。冗談だって! 優巳ったら本気でビビっちゃって、かーわいい」
「あ、愛奈……?」
「どう? 巧かった? “本気で怒ってるフリ”。ねえねえ、怖かった?」
 そこに至って漸く、優巳は自分がからかわれたという事を知った。
「もぉ! 愛奈ってばタチ悪すぎ! そーゆー事は他の人相手にやりなよ!」
「ごめんごめん、優巳ならどういう反応するかなーって思ってさ」
 愛奈は紐を引いて女官を呼ぶと、手つかずのどんぶり茶漬けを下げさせる。
「あーもう、本気であったま来た! 愛奈の為にヒーくんの話いっぱいしてあげようって思ってたのに、もうしてあげない!」
「えぇーーー! ごめんなさい! ほんっとーーーにごめんなさい! 謝るから許してぇ」
「ふん。携帯のカメラでヒーくんの写真も撮ってきてあげたけど、それももう見せてあげない」
「ヒーくんの写真!? 見せて見せて見せて見せて見せて見せて! 写真見せて!」
 まるで、猫にマタタビ――愛奈は忽ち鼻息荒くいきり立ち、蜘蛛の糸に集る亡者の如く優巳につかみかかってくる。
「ちょ、ちょっと愛奈ぁ」
「見せて! 見せて! ヒーくんの写真見せてよぉ! 見せて見せて!」
「ああもうっ、分かったから、見せてあげるから離れてよ!」
 血に飢えたゾンビのように絡みついてくる姉に根負けする形で優巳は声を上げ、漸くの事でその腕を振り払った。
「まったくもー……愛奈のソレ、ほとんどビョーキだよね」
「病気でもなんでもいいから、早く見せてよぉ。 ほらほら早くう!」
 ばんばんと畳を叩きながら催促してくる姉に、優巳はため息を禁じ得ない。
「はいはい、分かったわよ。えーとヒーくんの写真は、っと…………はい、これが今のヒーくんの写真」
 優巳は己の携帯の液晶画面に隠し撮りをしたブレザー姿の月彦の画像を表示させ、姉へと手渡す。愛奈は手にとるなり携帯の画面を凝視し――
「きゃわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
 そんな変な悲鳴を上げた。
「きゃわ?」
「やだ……嘘……ヒーくん超かっこいーーーーーーっ!」
 えぇっ……――顔を真っ赤にしながら奇声を上げる姉に、優巳は露骨に眉を寄せた。
「はぁはぁ……ヒーくん……ヒーくぅん……はあはあ……あんなにちっちゃかったのに……あぁん、凛々しすぎぃ…………ぺろぺろしたいよぉ……」
「ちょ、ちょっと……愛奈?」
 携帯を力一杯握りしめぎしぎしと軋ませながらテンションマックスの姉に恐れに近いものを感じつつ、優巳は恐る恐る声をかける。が、どうやら完全に自分(と月彦)の世界に入ってしまったらしい愛奈は携帯の画像と見つめ合ったまま畳みの上をごろごろと転げ回るばかり。
「うっ」
 そして、唐突にそんな悲鳴めいたくぐもった声を上げるや、口元を押さえながら優巳の方に携帯を返してくる。
「あ、愛奈……大丈夫?」
「鼻血……出ちゃった。ティッシュ持ってない?」
「興奮しすぎだって。……はい、ティッシュ」
 優巳はポケットティッシュを取り出すと、携帯の代わりに姉へと渡した。
「わからないなぁ。あんな冴えなそうなのの何処がいいのか…………………………そりゃあ、内に光るものも無きにしもあらずだっていうのは分かるけどさ」
 ずくん、と下腹に疼くものを感じて、優巳は小声で付け加えた。
「ううぅ……ねぇ、優巳。ヒーくんの写真ってそれだけしかないの?」
 鼻にティッシュを詰め、上を向いたり首をトントンしたりすること二十分弱。漸くにして鼻血が止まったらしく、愛奈は部屋の隅のゴミ箱に赤黒く変色したそれらを放りながら、そんな事を尋ねてくる。
「……うん。ホントは、デジカメでいろいろ撮ったんだけどさ……ちょっとミスってデータ消しちゃったの」
「ええええーーーーーー何やってるのよ! 優巳のバカ! バカ! 他の何を消してもいいけど、ヒーくんの写真だけは残しておきなさいよ!」
「ま、また今度撮ってくるからさ……それでいいでしょ?」
「もーーーー……使えない妹なんだから。それじゃあ何のためにわざわざヒーくんちに泊まりにいったんだか分からないじゃない」
「べ、別にヒーくんの写真撮るためだけに泊まったわけじゃないわよ! 私は、ただ……キーちゃんに……」
 あっ、と。突然、愛奈がヘビが鳥のタマゴを見つけたような声を上げる。
「そうそう! 忘れてた! 優巳はあのヒトブタに復讐しにいったんだよね!」 
「う、うん……」
 先ほど、月彦の画像写真を見てきゃあきゃあ声を上げていた女と同じ人物とは思えない程に、愛奈はひどく冷たい笑みを浮かべる。
「キャハッ、ねえねえ、どれくらい殴りつけてやったの? ちゃんと私の分までボコボコにしてくれた? 整形しても元に戻らないくらい、メチャメチャのグチャグチャにやった?」
「えっと……」
 優巳は、口ごもる。鼻息荒く詰め寄ってくる姉の視線から逃げるように視線を伏せ、顔を背ける。
「優巳?」
「ご、ごめんね……愛奈。ちょっと……失敗しちゃって……復讐、出来なかったの」
「何それ。どういう事?」
 姉の声が、露骨に低くなる。優巳は嫌な汗が出るのを感じながらも、恐る恐る口を開く。
「わ、私も最初はメチャメチャに殴りつけてやるつもりでお見舞いに行ったんだよ? 例の三段警棒もちゃんと持っていったし……だけど……」
「だけど?」
「……で、出来なかったの…………だって、キーちゃん信じられないくらい綺麗になってるんだもん……だから……」
「だから?」
「だ、だから……グチャグチャのボコボコにする前に、先にヒーくん苛めたりして、キーちゃんの泣き顔とか見たいなぁって……それで代わりに……水差しのお茶を頭からかけて……それ以上は……」
「……水差しのお茶を……頭からかけた、だけ?」
 こくりと、優巳は小さく頷く。
「…………もぉ、しょーがないなぁ」
 苦笑。慰めるような手つきで、愛奈は優巳の頭を撫でてくる。その手が、唐突にくっと優巳の頭を鷲づかみにし、畳目がけて叩きつけた。
「ぎゃんっ! い、痛いよ、愛奈ぁ」
「痛い? そう。これが“痛い”っていう事よ、優巳?」
 優巳は抵抗するが、愛奈に背後から馬乗りになるようにして頭を押さえつけられていてまともに抗う事が出来ない。
「少しは思い出してくれた? あのヒトブタに殴りつけられた時の事を。いっぱい血が出たよね。優巳も私も、死んじゃってもおかしくないくらい殴られたよね。痛かったよね?」
 ぎりぎりと、今度は頭を押さえつけている手が優巳の髪を掴み、まるでむしり取ろうとするかのように強く握りしめる。
「痛い痛い痛い! 止めてよ愛奈ぁ!」
「ねぇ優巳。私、すっごく楽しみにしてたんだよ? 優巳がヒーくんと会って、ヒーくんの写真いっぱい持ってきてくれるのと、私の代わりにヒトブタに復讐してくれる事。ホントのホントに楽しみにしてたんだよ?」
 ギリギリギリ――無数の毛根から伝わってくる痛烈な電気信号に、優巳は雄叫びのような悲鳴を上げる。
「私、ちゃんと頼んだよね。ヒーくんのエッチな写真と、あの女への復讐。その為だったら、ヒーくんとエッチしてもいいって、そこまで譲歩したの忘れてないよね? なのに…………失敗したのが片方だけなら、ギリギリ許してあげたけど、両方はダメ。両方はダメだよ、優巳。私はそんなに優しくないよ」
「ご、ごめん……本当にごめん、愛奈……次は、次はちゃんとやるからぁ……」
「だぁめ」
 愛奈は囁くように言い、舌なめずりをしてさらに言葉を続ける。
「あんたには“罰”を与えるわ、優巳」
「ばつ……?」
「あ、そっか。優巳は覚えてないんだったね。しょーがないなぁ」
 愛奈は背後から優巳の体を組み伏せたまま、徐に右腕を優巳の視線の先へと持ってくる。優巳の目の前で、徐々に愛奈の右腕が黒い光に覆われ始める。
「あ、愛奈……やだ、嘘……何、するの?」
「ねぇ優巳。ウメおばあちゃんの事覚えてる?」
 怯える優巳に、愛奈はそんな事を尋ねてくる。
「う、め……?」
「母方のおばあちゃんの名前よ。……ほら、子供の頃あんなにいっぱい可愛がってもらったじゃない」
「し、知らない……覚えてないよ、愛奈……」
「ホントにぃ? ホントのホントに覚えてないの? あんなにいっぱい可愛がられて、玩具とかもいっぱい買ってもらって、一緒にお風呂入ったり、一緒に寝たりしてたのに。全然覚えてないの?」
「覚えてない……そんな人知らないよ!」
 どれほど水を向けられても、愛奈が言うような記憶など、優巳の中には欠片も存在しなかった。くすくすと、姉の含み笑いの声がさらに大きくなる。
「そうだよ。優巳は覚えてるわけがないんだよ。……だって、あたしが消したんだもん」
「消し……た……?」
「そ。前にも優巳がバカやってお仕置きした時に消してやったの。……こうやって」
「ぇ、ぁっ……やっ……な、何……ぁ、ぁぁぁぁぁァァァッ!!!」
 愛奈が鈍く光る右腕を後頭部へと宛った瞬間、電気ショックでも受けたかのように体が跳ねた。否、本当に電流でも流されたのかもしれない、全身にびりびりと痺れのようなものが走り、視界に火花が散った。
「い、あっ……ひゃめっ……あギャッ……あぁっ、あぁぁぁぁ!!」
 まるで、見えない手で頭の中をかき回されているかの様。優巳は両目から涙を溢れさせ舌を突き出すようにしながら声を荒げ、必死に制止を懇願する。
「…………はい、止めてあげたわよ。…………ねぇ優巳。1たす1はいくつ?」
「ふぇ……?」
「ほら、すぐに答えてよ。1たす1は?」
「1たす1は………………」
 まだ痺れの残る頭でなんとか姉の言葉を理解し、優巳は答えようとする。――が、どうしてもその答えが導き出せない。
(えっ……どうして……)
 それはさながら、海で泳いでいた際に突然足を引かれたような――そんな恐怖だった。何故なら、1+1=……小学校に入るまえの子供ですら出来る計算の答えが導き出せないのだから。
「どうしたの、優巳分からないの? じゃあ2たす3は?」
「2たす3……は………………」
 わからない。どうしても答えが導き出せない。姉の笑い声が、一層大きくなる。
「ぷっ、くくく……あっははー! 出来ないんだ! 大学生なのにっ、大学生なのに足し算も出来ないんだ! アハハハハハハハハ!!」
「やっ……な、何をしたの……愛奈……」
「何って、“罰”の一環だよ。優巳の頭にちょっとした“呪”をかけてやったの。……一生足し算が出来なくなるように」
「う、嘘…………や、止めてよ……と、解いてよ、愛奈ぁ!」
「アハハハハハハハハ! 別に良いじゃない、足し算くらい出来なくても死ぬことはないと思うよー?」
「い、いやぁ……お願いだから……元に戻して……お願い……お願い、愛奈ぁ……」
「だぁーめ。出来損ないのダメ人間の優巳にはぴったりじゃない。……ぷ、くく……一桁の足し算も出来ない二十歳…………あっはははははははははは!!!」
 愛奈は最早優巳の体を押さえつけるのを止め、子供のように畳の上を転げ回りながら腹を抱えて笑い出す。
「あ、愛奈ぁ……ねぇ、ふざけてないでホントに止めてよぉ……こんなの酷すぎだよ……」
 優巳は体を起こし、笑い転げている姉に恐る恐る声をかける。
「ねぇ、愛奈……私たち姉妹でしょ? 私はいつだって愛奈の味方だったじゃない」
「姉妹? 味方? 何言ってるの?」
 愛奈はぴたりと笑いを止めると体を起こし、そして哀れな生き物でも見るような目で優巳を見る。
「もしかしてさ、優巳は私と自分が対等だとでも思ってるの?」
「えっ……」
「それって、ひどい勘違いだから。いい? 二人分の人間の材料から、優れた部分だけを選りすぐって作られたのが私なの。あんたはその余り、使い物にならないグズグズのダメ肉の部分だけを集めて出来たソーセージ人間なのよ」
「そんな、言い方……」
「ぷ、ふふ……ねえ、ほら……思い出してみなさいよ。昔から、勉強でも運動でも、何か一つでも優巳が私に勝てたものがあった? ううん、私に勝てなくても、何か一つでも自分は人より優れてるって自慢出来るものはある?」
「そ、それ……は……」
 姉の言葉が、達人の剣閃のように優巳の心をズタズタに切り刻む。それはまごうことなき真実であり、優巳は一言一句たりとも反論が出来なかった。
「っ、っ……ひ、酷いよ、愛奈……そこまで、言わなく、ても……」
「“本当の事”でしょ。……せめてあんたが“力”さえ持ってたら、私がこんな僻地の自称名家(笑)になんて養女に出される事も無かったのに。屋敷に監禁されて、毎日毎日成金ジジイ共の不能を治したり、脂ぎったオヤジ共のハゲを治したりしなくても良かったのに。あんたが代わりにそうなれば良かったのに」
「……っ……あ、愛奈が養子に出されたのは……“力”のせいだけじゃ……」
 うっかり“真実”を口にしかけて、優巳はハッと口を噤む。――が、もう遅かった。
「……うん? 優巳は何が言いたいのかなぁ?」
「ひっ……」
 およそ、血を分けた姉妹から感じる気配ではない。獰猛な肉食獣――捕食者にでも睨み付けられているかの様だった。。愛奈の手が、ひどく優しい手つきで優巳の顎を撫でてくる。
「ふふっ……怯えちゃって、かーわいい。……ねぇ、優巳。……久々にしゃぶってよ」
 愛奈は徐に立ち上がり、しゅるしゅると帯を解いて袴を脱ぐと、白衣の合間からそそり立った男根を覗かせる。
「さっき、ヒーくんの写真見てから勃ちっぱなしなの」
「あ、愛奈……」
「上手に出来たら、“呪”を解いてあげるわ。ほら」
 逆らうことなど出来るはずもない。優巳は自ら愛奈の股ぐらへと顔を埋め、奉仕を始めた。


 愛奈は、いわゆるアンドロギュノス――両性具有なのだろう。ハッキリと確認した事は無いが、優巳は成長と共に覚えた知識でそう思っていた。姉と初めて体を重ねたのが一体いつのことか、優巳は思い出せない。しかし、物心ついた頃には両親の目を盗んでは互いの体に手を這わせ、性器を愛撫しあっていたような記憶がおぼろげながら残っていた。
「んふっ、んんっ……ンンッ……!」
 女の体にはあまりに不釣り合いなその突起を口の中へと含み、頭を前後させながら舌と喉で扱き上げる。あぁっ――と、忽ち姉が甘い声を上げ始める。
「あぁんっ……あんっ……いいよぉ……ンッ……やっぱりフェラは優巳が一番上手……他の誰にやらせても、こんなに気持ちよくならないもの。ちっちゃな頃から仕込んだ甲斐があるってものだわ」
「んぶぶっ、んぶっ……んんっ、んぐっ……!」
 口の端から涎の糸を垂らしながら、優巳は必死になって奉仕を続ける。恐らくは“消された記憶”とやらに関係しているのか、全身の細胞という細胞が愛奈に対して震え上がっていた。
 ――そう、手を抜けば恐ろしい仕置きが待っていると。
「ぁっ、あンっ……そ、そこっ……そこぉ……もっと舐めてぇ……ちゅぱちゅぱってしてぇ! あぁ〜〜〜いいよぉ、優巳ぃっ……すっごくいい……はぁはぁ……さっきはヒドい事言ってごめんね。優巳は才能あるよ、性欲処理機としての才能だけど、アハハハハハハハハ!」
「んはっ……あ、愛奈ぁ……は、早く……“呪”を……解いてよぉ……いつもみたいに、ちゃんとするからぁ……んグッ」
「いいから。無駄口叩いてないでしゃぶりなさいよ。……あぁぁ……!」
 男性器で強引に口を塞がれ、危うく噛みそうになってしまう。仕方なく、優巳は奉仕を続行させることにした。
「はぁはぁ……あぁぁ……すっごく良い……そのまま、女の子の方も弄って?」
 愛奈に促されて、優巳は男性器の下側に位置している女性器の方へと指を這わせ、既に蜜を溢れさせているその場所をクチュクチュと弄る。
「あぁッ、ぁぁぁっ! だめぇ……もぉ立ってらんない!」
 両足をがくがくと震わせながら、愛奈が喘ぐ。そして唐突に、にゅぽんと口から怒張が引き抜かれた。
「優巳ぃ……久々にシよ? ほら、あっちの部屋、もうお布団敷いてあるから」
「う、うん……でも、まだ私お風呂――」
「そんなのいいから。すぐシよ?」
 逆らえる状況ではなく、優巳は言われるままに隣の部屋へと移動した。さらに、愛奈に促されるままにズボンに手をかけ、脱ぐ。
「下着も」
 そしてその下のショーツを、愛奈に一気に膝下まで降ろされる。同時に背中を突き飛ばされ布団の上に転がされた。
「あ、愛奈……待ってよ、まだ、私あんまり濡れてな――」
「大丈夫だよ。優巳がいっぱい舐めてくれたから、ほぉら……涎でべとべとだし」
 背後から組み伏せられ、ぐりぐりと怒張の先端が秘裂へと押しつけられる。そのまま、強引に――
「あ、あぁぁぁッ……!」
「ンンッ……はぁぁ……優巳ぃ……」
 ぐい、ぐいと怒張を奥へ奥へと埋没させながら、愛奈は愛しげに優巳の体を抱きしめてくる。
「あっ、あっ、あぁーーーーーッ! これこれ、コレがいいのぉ……あぁぁんッ! あぁぁぁ……優巳ぃ……私ね、優巳のナカの感触大好きだよ。ネットリしつこくって、ヒクヒクって絡みついてくるみたいで、今まで抱いてきた女の子達の中で一番好き」
「あ、愛奈、ぁぁ……ンンッ……」
 背後から密着され、頬を舐められ、そのまま唇を奪われる。
「ね、ほら……優巳もイイでしょ?」
「う、うん……スゴく気持ちいいよ、愛奈ぁ」
「彼氏よりも、私の方が良い?」
「全然、比べものにならないよぉ……あぁっ、ぁっ……」
 事実、愛奈にとっての優巳の体が最も相性が良いように、優巳にとっても愛奈のそれが最も相性が良いように感じられる。――そう、単純に体の相性だけならば、その筈だったのだが。
「じゃあ、ヒーくんとならどう?」
 ぼそりと、不意に耳元に囁かれた言葉に、優巳は冷や水を浴びせられたように全身の動きを止めた。
「ん? どーしたの、優巳。黙ってないで答えてよ。ヒーくんとも寝たんでしょ?」
「うん……だって、愛奈が別に寝てもいいって……」
「言ったよー? だから聞いてるんじゃない。どっちがイイ?って」
「も、勿論愛奈の方がいいに決まってるじゃない! ヒーくんなんてヘタクソすぎて全然気持ちよくなかったよ」
「ふーん、ヒーくんエッチ下手なんだ?」
「そ、そーだよ! 愛奈の方が全然上手だよ!」
「…………じゃあ、どうして答えに詰まったのかなぁ?」
 意地悪く囁きながら、愛奈が少しずつ腰の動きを早めてくる。
「ぅっ、ぁっ……ンッ……あ、愛奈ぁ…………やっ、早っ……ぁっ……!」
 ぐりん、ぐりんと抉るように腰を使われ、優巳は思わず布団を握りしめ悲痛めいた声を漏らす。
「優巳ぃ、ちょっと変だよ? いつもはもっと、“あーっ! あーっ!”って大声上げるのに、まるで今日は全然感じてないみたい」
「そんな事……んぅっ……き、気持ちいいよぉ……愛奈ぁぁ……」
「嘘。下手な演技なんかしてもバレバレだよ、優巳?」
「え、演技なんて……ぁぁウッ!!」
 ぐりっ、と。奥を一際強く擦り上げられ、優巳は堪らず悲鳴を上げてしまう。
「怒らないから、本当の事教えて、優巳。……ヒーくんのはそんなに“良かった”の?」
「ぁぁぁっ、ぅぅぅっ……ンンンッ……ぁぁっ……っっ……」
 ずんっ、ずんと背後から突き上げられながら、優巳は必死に首を振る――が。
「“良かった”んでしょ? ほら、優巳ぃ。正直に教えて、怒らないから」
 甘く、甘く。母親が幼い子供に囁くような声だった。その甘い魔力に満ちた声色に促されるように、優巳は恐る恐る首を縦に振った。
「アハッ。やっぱりそーなんだ。優巳ったら、ヒーくんにアヘアヘ言わされてイかされちゃったんだ?」
「ち、違うぅ……そんな、には……」
「いーのいーの。コレで優巳にも分かったでしょ? ヒーくんの“良さ”が。勿論私は昔から知ってたよ? ヒーくんはスゴい男になるって。私と釣り合い取れる男はヒーくんだけだって。運命の二人なんだって」
「うん……私も、そう思うよ、愛奈」
「その点、優巳とあのヒトブタもお似合いだよね。お互いクズ同志でさ。ねぇ優巳、自分でもそう思うでしょ?」
 うん、と優巳が小さく頷いた瞬間だった。再び後頭部が掴まれ、グリッ、と布団に押しつけられる。
「やっ、い、痛いっ……」
「ゆみー? 忘れちゃったのかなー? そうやって適当にハイハイ言われるの、私が大嫌いだってコト」
「だ、だって……ああァウッ!」
「てゆーか、優巳のくせにヒーくんとエッチして気持ちよくなってるのが生意気。許せない。折角私以外じゃイけないように呪をかけておいたのに、なんかそれも解けちゃってるみたいだし」
「え……な、何……それ……」
「あっ、優巳は知らないんだっけ。それとも忘れさせたんだっけ? アハッ、私ももう覚えてないや。でも、別に良いよ。今度は特別強力なのかけておいてあげるから」
「や、止めてよぉ……もう、私の体に変なコトしないでよぉ……」
「だぁめ、止めない。優巳も知ってるでしょ? 私の力は“血”が近い相手ほど効きやすいって。ようは、優巳の体が一番弄り易いんだよねー」
 ゆっくりと抽送を続けながら、まるで恋人相手に寝物語でもするように、愛奈は囁く。
「一緒に暮らしてた頃はさ、二人でいっぱいいっぱいアソんだよね? 優巳の頭の中イジって、“おちんぽください”しかしゃべれないようにして、浮浪者の群れの中に放り込んだコトもあったっけ」
「ぇ……あ、愛奈……?」
「嘘だと思うー? ひょっとしたら、嘘かもしれないねー。“呪”と違って、一度消した記憶は元に戻せないから、確かめらんないし。私の記憶違いだと良いねー?」
 囁きながら、愛奈は徐々に息を荒げていく。同様に腰の動きも激しいものに変わっていく。
「ぁっ、ぁっ……う、嘘ぉ……愛奈ぁ……嘘って言ってぇ……ぁぁぁ……」
「アハッ! マジ泣きしてるの? はぁはぁ……いつ見てもたまんない……優巳ってばホントいい顔で泣くよね。でもね、まだ泣くのは早いよー?」
 ぐすん、ぐすんとすすり泣く妹を慰めるかのような手つきで、愛奈は右手を優巳の頭へと宛い――光らせる。
「ぁッ……ァァ……! い、いやっ……ま、た……入ってくるっ……あ、頭の中に、入ってくるぅ……!」
「ふふっふー……今日はなーにを消しちゃおっかなぁ? ねぇねぇ、優巳。どの思い出を消されたくなぁい?」
「い、嫌っ……止めて……け、消さないでぇ……!」
 優巳は半狂乱になって暴れ、愛奈の下から抜け出そうとするが、体の制御までも愛奈の支配下に置かれてしまっているのか、身動き一つ出来なかった。――そう、唯一こうして声をあげ泣き叫ぶコトだけが、愛奈に“許可”されているかのように。
「アハッ、いいよぉ、すっごく良い! たまんないよぉ、優巳のその顔、その声! ホントに追いつめられてギリギリって感じですっごくいいよぉ! はぁはぁ……だめぇ、興奮しすぎてイッちゃいそ……ぁんっ……!」
 左手だけでぎゅっと優巳の体を抱きしめながら、愛奈が射精をこらえるように腰の動きを止める。
「はぁはぁ……もぉ、優巳のバカぁ……あんまり興奮させないでよ……ちょっと出ちゃったじゃない……」
 愛奈は忌々しげに呟いて、そしてぐいと。優巳の後ろ髪を掴んだまま、身を逸らさせる。
「い、痛い……あ、愛奈ぁ……」
「決ーめた。優巳ぃ……大学に彼氏居るって言ってたよねー?」
「っっ……! やっ……止めて……愛奈、それは止めて!」
「どーして? どうせ遊びで付き合ってるだけの男でしょ?」
「ち、違うの……さ、最初は……遊び、だったけど……でも、今は真面目に付き合って……」
「却・下♪ 真面目な恋愛なんて優巳には似合わないから、消しちゃうよー?」
 愛奈の手によって再び布団に頭を押さえつけられ――そして、優巳は不可視の手が頭の中を這い回る感触に絶叫した。
「イヤァァァァッ!! 止めて、止めてよ愛奈! 止めてよぉぉ!!」
「……ぁあんっ、良いよぉ……優巳のそういう反応、すっごく濡れちゃう」
 背後から組み伏せたまま、ぐり、ぐりと愛奈は腰を使うが、それによってもたらされる快楽など優巳には最早どうでもよくなっていた。ただただ、愛奈の“手”から大事なものを守ろうと、それにのみ意識を集中させる。
 そう、確かに最初は遊びだった。大学で見かけた、いかにもモテなそうな、冴えなそうな男を面白半分にからかってやろうと声をかけただけだった。恐らくは、同年代の女性とろくに喋ったことがないのだろう、終始ドギマギとした男の様子に、心中で大笑いした程だ。
 しかし、同時に何故か惹かれるものも感じた。二度、三度とデートを続けるうち、一緒に居る事がそんなに嫌いではなくなっている自分に気がついた。
 そして――。
「ぁッ…………ぁッ…………ぁッ……」
 消されたくない。消させない――“彼”との思い出を繰り返し反芻し、抵抗をしていた――その筈だった。
「ぁ……嫌ッ……止め−、て……」
 しかし気がつけば、一緒にデートした場所が思い出せない。初めてキスをした場所が思い出せない。顔が、名前が――
「あっ……ぁっ……」
「はい終わりー。気分はどう?」
「あ……あっ……」
「頭の中スッキリしてるでしょ? ねぇほら優巳……愛しい愛しい彼氏の名前私にも教えてよ。ほら、覚えてるなら言ってみて?」
「ぁ、ぁ……愛奈ぁぁぁ……も、戻して…………消したの、元に、戻してよぉ……」
「あーゴメン。それは無理だから。さっきも言ったでしょ? “呪”なら解く事も出来るけど、消しちゃった記憶はもう戻せないの」
「酷い……酷すぎるよぉ……どうして……」
「そうそう。ついでにネタバラししちゃうとさ、その彼氏と付き合うようにし向けたのも私なんだよねー。大学の男で、一番不細工で女縁無さそうな奴の事が好きになるように、優巳の頭の中弄ってあげたの」
「えっ……?」
「わかんないなら別にいいよ。……ふふっ、でも、あっさり消えちゃったね。やっぱり“呪”でそういう風にし向けただけだと弱いのかなー?」
 愛奈が、舌なめずりをしながら再度、右手を優巳の後頭部へと宛う。
「あっさり消しちゃって私もイきそびれちゃったから……次は優巳の“本命”消しちゃおうかなー?」
「ぇっ、ほ、本命……って……まさか……ぁっ、ぁあっ……ひぎぃっ……やっ、止めっ……」
「勿論、優巳が大好きなヒトブタちゃんの事だよー? アッハー、ほらほらぁ、どんどん消しちゃうよぉ?」
「やっ、い、嫌ッ……愛奈っ、それだけは……それだけは止めて! 許してぇ! お願い、キーちゃんだけは消さないでぇぇえ!!!」
「あぁぁンッ……すっごぉい……優巳が本気で怖がってるの、いやらしい粘膜越しにビンビン伝わって来るっ……ンッ……はぁはぁ……ほら、優巳……もっとちゃんとこっちに顔を見せて?」
 愛奈は巧みに体を入れ替え、優巳の片足を潜るようにして後背位から正常位の形へと入れ替える。そして両手で泣きじゃくる優巳の顔を押さえて己の方を向かせ、腰を使う。
「や、止めて……ホントに止めてよぉ、愛奈ぁ……お願い、お願いだから……何でもするから……だから、キーちゃんの事だけは消さないでよぉ……」
「ホントに? ホントに何でもする?」
 右手の光を収めて、腰の動きまで止めて、愛奈はそっと囁く。
「す、する……なんでも愛奈の言う事聞く……! だから……」
「じゃあさ、今度“キーちゃん”に会ったら、両目を潰してカミソリで鼻そぎ落としてきてよ」
 えっ――と、優巳は姉の言葉に一瞬言葉を失った。
「アハッ! あのクソ女を本物のヒトブタみたいな顔にしてさ、そんで写真撮ってくるって約束してくれたら止めてあげるよー?」
「……ぁ……っ……」
「どうしたの、優巳。出来ないの? 出来ない事があるのに、軽々しく“何でもするから”なんて言っちゃダメだよー?」
 愛奈の右手が再び発光し、そして――抽送が再開される。
「やっ、愛奈……止めて……他の事なら、何でも……だからっ……キーちゃんだけはっ……」
「アッハーッ! スゴいよ、優巳! 全然消えないよぉ! “彼氏”の時とは大違い! 本当に“キーちゃん”の事好きなんだ? でもね……ほら……こうして端っこの方から少しずつ削っていけば……」
「ひァッ……ぁぁぁぁあ! ぁぁぁっ、やっ、やめっ……やっ……ほ、ホントに消えちゃう…………止めて、止めてぇ! 許して、愛奈ぁぁ!」
「だ、あ、め。……はぁはぁ……いいよぉ……すっごく良い……他人が大事にしてるものをメチャクチャに汚したり、壊したりするのって大好き。たまんない……はぁはぁ……優巳ぃ……ほら、もっと叫んで……ぁんッ……キュッて絞まるぅぅ……!」
 “相手”の体の事など微塵も配慮していない、己が快楽を得る為だけの腰使いに優巳は翻弄されながら、それでも声を上げずにはいられない。
「あぁぁぁっ、ぁぁっ、あい、なぁ……止めて……お願い……止めてぇぇ……」
 見えない触手が頭の中を這い、“大事なもの”をそぎ落としていく感覚。それはまるで下腹部を狂ったように突き上げてくる肉槍の動きに連動しているようにすら思えて、優巳は必死に姉の支配下から逃れようと試みる。
「だめだめ、逃がさないよー? ほらほら、そんなに嫌がらないでよ、優巳の弱いトコいっぱい擦って気持ちよくしてあげるからぁ……ンッ……ほらぁっ、優巳はココ弱いでしょ?」
「ぁっ、ぁぁっ……や、やめっ……擦らなっ……ぁくぅぅ…………!」
「アハッ……段々“無防備”になってきたねー? そうだよぉ? 優巳が気持ちよくなるとその分“キーちゃん”が消え易くなっちゃうんだよ? ルールは理解したかなぁ?」
「い、いやっ……イヤッぁぁ……あぁぁっ、ぁぁぁあッ!!」
 如何に優巳が抵抗をしようとしても、相手は全てを知り尽くしている。姉の肉柱によって弱い場所を執拗に擦り上げられ、優巳は己の意志とは無関係に腰を浮かせてしまう。
「んー? 優巳、腰浮いちゃってるよ? そろそろイカせて欲しいってこと?」
 優巳は、目尻に涙すら滲ませて必死に首を振る。――それを、愛奈は処刑される罪人を見下ろす貴族のような、冷淡な笑みで見下ろす。
「わかった。じゃあ、優巳の希望通り、優巳がイくのと同時にキーちゃんとの思い出全部消してあげるね」
「ひぁっ……やっ……あ、あい、な……やっ……らめっ、らめっ……あぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 ねちっこく弱点を攻めてくる姉の腰使いにできた抵抗は、そんな声をあげる事だけだった。
「あんっ……優巳ったら締めすぎぃ……はぁはぁ……イイよぉ……私もうすぐイッちゃいそう…………あぁぁ……優巳ぃ……優巳ぃぃ……」
 優巳に被さり、目尻に浮かんだ涙を舌先で舐めながら、愛奈も息を荒げ、腰の動きを早めていく。
「ンッ、ぁっ……優巳っぃ……もっと顔よく見せてぇ……あぁぁっ……優巳ぃぃ……あぁっ、あぁぁーーーっ……ああぁぁぁぁーーーーーーーーーーッ!!!!」
「やっ……いやっ、いやっ……いやっァァァアッッ!!!!!」
 優巳が強制的な絶頂に身を震わせると同時に、愛奈が一際深く怒張を突き入れ、甲高い声を上げる。同時に、ドクリと。熱いものが優巳の中に溢れた。
「あンッ……あンッ……ぁっ、ぁっ……やぁぁっ……射精、止まんない…………あんっ……あんっ……ぁぁぁぁ……気持ちいいぃぃ……」
 びゅ、びゅ、びゅっ――怒張が脈動するたびに熱い粘液が優巳の中に吐き出されていく。愛奈が脱力し、互いの胸を押しつぶすようにしてしなだれかかってくる。
「はーっ…………はーっ…………優巳……すっごく良かったよ。……ん? どーしたの? まだ泣いてるの?」
 ほんの一分前とはうって変わった優しい声で、泣きじゃくる優巳の髪を撫でながら、そんな言葉をかけてくる。
「そんなに泣かないでよ。キーちゃんの記憶消しちゃうなんて嘘に決まってるじゃない。ほらほら、お仕置きは終わり。お姉ちゃん今賢者タイムだから、いっぱい優しくしてあげるよー?」
 優巳の体を抱きしめながら、愛奈はよしよしと幼子をあやすように頭を撫でる。――が。
「やっぱりダメかぁ。……じゃあ、いつものおまじないしてあげる。怖いの怖いの飛んでけーって、優巳の頭の中リセットしてあげる」
「ひっ」
 愛奈の手が、優巳の頭部へとそれられた瞬間、優巳は反射的に怯えるように身を竦め、逃げようとする。しかし、無論そんな事は愛奈が許さない。
「くすくす……。簡単には壊さないよ? 優巳は大事な大事な玩具だもん」


「あっ、あっ、あっ……あぁぁッ……愛奈っ、愛奈っ……だめっ、ぇ……も、私……イッ……いくっ……ぅ!!!」
「んっ……ぁっ、わ、私、もぉ……優巳、優巳ぃぃっ……あっ、やっ……で、出ちゃうぅっ……!!」
 殆ど同時に絶頂へと上り詰め、互いの体を抱きしめ合いながら、イく。
「あぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!」
 愛奈に抱きしめられながら、愛奈を抱きしめながら、優巳は稲妻のように全身を迸る快楽に声をあげる。ビクビクビクゥ……!――愛奈と繋がっている部分を中心に体が痙攣し、極みへと上り詰めた後は全身を気怠さが包んだ。
「はひぃぃ……優巳ぃぃ……イイよぉ……三回目なのに、どぴゅうう、って一杯出ちゃった」
 愛奈もまた脱力し――双子とは思えないほどに豊かな――胸元を押しつぶすようにしながらギュウと密着してくる。
「もぉ……愛奈ったらぁ……ナマでしちゃってるのにそんなにいっぱいナカに出しちゃダメだってばぁ」
「だってぇ、優巳のナカが気持ちよすぎるんだもん。それに私の精子って殆ど生殖能力無いんだから、妊娠なんかしないよ」
「“殆ど”なんでしょ?」
「たったの0.3%だよ。そんなの、ゼロと変わらないじゃない」
 愛奈が体を起こし、再び腰を使い始める。
「ぁ、あんっ……もぉ……愛奈ぁ……まだする気なの?」
「だってぇ、優巳、明日にはもう帰っちゃうんでしょ?」
「それは大学があるから……ンッ……」
「またしばらく優巳と会えないんだもん。寂しくならないように、いっぱいいっぱいエッチしておきたいの」
「もぉ、愛奈ったら……ホントに寂しがり屋なんだから」
 優巳は愛奈の首へと己の手を絡め、そっと引き寄せてキスをする。
「ねぇ、優巳……また後ろからシていい?」
「また……って、今日はまだバックはしてないよ?」
「あ、そだっけ。ごめん、私の勘違い。…………ねぇ、シていい?」
「愛奈ってば、バック好きだよね。いいよ……いっぱい気持ちよくしてね?」
 うん、と姉は無邪気に頷き、体を起こす。繋がったまま、優巳は俯せになり、四つんばいになると、待ちかねたように愛奈が腰を振り始めた。
「あっ、あっ、ンッ……あんっ!」
 女性のような外見からは想像出来ないほどに荒々しく突き上げられ、優巳は忽ち声を上げさせられる。
「あ、愛奈ぁ……ちょっ……乱暴、過ぎぃ……」
「ごめんね、優巳……バックだと、なんだかすっごく興奮しちゃうの……」
「それはっ……あんっ、わ、分かる……けどぉ……あぁんっ……あ、愛奈ぁ……も、もうちょっと……角度とか、変えて……」
「ぅん……? こう?」
「あっ、あっ、あっ……あぁ〜〜〜〜〜〜っ……そ、そこぉ……そこ、凄く良いぃ……!」
 姉のペニスで弱い部分を擦り上げられ、優巳は敷き布団を握りしめながら声を荒げる。
「あんっ……優巳の声……すっごく気持ちよさそう……私の方まで……あんっ……感じて、来ちゃう……」
「良いっ……ほんとに気持ちいいぃ……はぁはぁ……愛奈っ、愛奈ぁっ……ヤバいよぉ……私、もっ……イきそ……」
「もう? ちょっと早いよ、優巳。もうちょっと我慢してよ」
「あぁぁっ……む、無理ぃ……あっ、あっ……あっ、あっ、あっ……い、イくっ……イクッ……!」
 びくっ、びくと下半身を震わせながら、優巳が達しようとしたその瞬間だった。唐突に、ぴたりと愛奈が体の動きを止めた。
「ぇっ……あ、愛奈……?」
「だーめ、一人じゃイかせない」
 腰のくびれをしっかりと掴み、勝手に腰を動かす事も許されない状態で寸止めされ、忽ち優巳は焦れた。
「あ、愛奈ぁ……いじわる、しないで……い、イかせて、よぉ」
「イかせて欲しい?」
「う、うん……はや、くぅ……」
「じゃあ――」
 すすすと、愛奈は玉のような汗が浮いた優巳の背中へと指を滑らせながら上体をかぶせ、きゅっと抱きしめ、耳元へと唇を寄せる。
「代わりに、私のお願い聞いてくれる?」
「おね……がい?」
「うん。……向こうに戻ったらさ、もう一回ヒーくん達にちょっかいだしてよ」
「えっ……どうして……」
「どうして、じゃないよ、優巳。今度こそキッチリあの女に復讐してきてって言ってるの」
「ぁ……で、でも……ぁんっ」
 愛奈が、ゆっくりと腰を使い始める。決して優巳が達することが出来ないほどの速度で、ゆっくりと。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ」
「優巳。……優巳も、こんな傷つけられてムカつくでしょ?」
 愛奈の手が、優巳の横髪をかきあげ、かつて霧亜によって刻みつけられた傷痕を露わにする。無論、鏡を使わなければその傷痕は優巳自身には見えないのだが、どんな傷が残っているのかは他ならぬ優巳自身が熟知していた。
「ね、優巳。あんな女、いっそコロしちゃいなよ。大丈夫、後のことは私がどうとでもしてあげるからさ」
「ぁっ、ぁっ、ぁっ……」
 愛奈に囁かれながらゆっくり腰を使われると、不思議とその通りにしたほうがいいのではないかという気がしてくる。腰を使われ、それによって焦れにもにた快楽を送り込まれる度に、まるで愛奈自身のどす黒い憎しみまで注ぎ込まれているような――そんな錯覚すら――。
「ぁ……うん……そう、だね……キーちゃん……すっごくムカつくよね」
「でしょぉ? ね、お願い。普通にボコボコにしてもいいし、何なら階段から突き落としちゃうってのもおもしろいんじゃない? 仮に死んじゃっても“事故”にしやすいしさ。ね、名案だと思わない?」
 うん。――優巳はどこか虚ろな目をしたまま、小さく頷く。
「それと、もう一つ。ヒトブタに復讐した後はさ、今度はヒーくんに……」
 ボソボソと愛奈に囁かれた言葉は、不思議と優巳の記憶には残らなかった。しかし間違いなく頭に刻みつけられ、その証拠に優巳は無意識の内に姉に頷き返していた。
「ありがとーーーーーー! 優巳大好き!」
 ぎゅううっ、と優巳は苦しいくらいに抱きしめられ、そして何度も何度も優しく髪を撫でられる。
「ぁっ、愛奈……く、苦しいよぉ……」
「あぁん……ごめんね、優巳の事好き過ぎてつい力入っちゃうの。……じゃあ、ご褒美にいっぱいいっぱい気持ちよくしてあげる」
 話は終わり――とばかりに愛奈は体を起こし、ぱぁんっ、と尻が鳴るほどに強く突き上げてくる。
「あっ、あっ、あっ……あ、愛奈ぁ……あぁんっ、あんっ、あんっ!」
 腰のくびれを掴まれ、乱暴に――しかし的確に、優巳の弱い場所を愛奈は突き上げてくる。
「ぁはぁっ! ぁうっ、ぁあっ、ああぅっ、あうっぁぅう!」
 時には深く、根本まで埋没させグリグリと先端で抉るように動かれ、また時には浅い場所で小刻みに突き上げられる。優巳もまた姉の動きにあわせて腰をくねらせ、また時には意図的に膣内に力を込めて締め上げ、互いに高みへと登っていく。
「あぁっぁぁぁっ、愛奈っ、あいなぁぁっ……も、だめぇ……い、イくっ、ぅぅ……」
「んっ、ぁっ……あんっ……いいよ、優巳……私もっ……ァンッ……も、少し、で……一緒に、イこ?」
 布団の端を握りしめている手を、愛奈が上から握りしめてくる。
「あっ、あっ、あっ!」
「ンッ、ぁっ、ぁんっ!」
 互いの口から漏れる声が、徐々に同調し始める。
 そして――。
「あぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!!」
 双子は、同時に声を荒げ、達した。



「えぇぇー……ホントに帰っちゃうの?」
「何日も大学休めないし……ごめんね、愛奈」
 翌日の昼過ぎ。優巳はもっと居てもっと居てと食い下がる姉を半ば引きずるようにして屋敷の玄関口へと歩む。
「また連休とかに遊びに来るからさ。ね?」
「そんな事言ってぇ……サークルがどうとかいつも理由つけてなかなか顔みせないくせに」
 ぶう、と拗ねた幼児のように頬を膨らませる姉に苦笑しながら、優巳は使用人の手からキャリーバッグを受け取る。
「それに、キーちゃん達にちょっかい出してきてって言ったのは愛奈じゃない。どっちみち帰らないとヒーくんにも会えないんだよ?」
「そうなんだけど……」
 愛奈はどこか熱っぽく呟いて、そして使用人の目も憚らずに優巳の側へと身を寄せると、両手を背中へと回してくる。
「正直、ヤり足りないっていうかさ……やっぱり優巳の体って、私にとって特別みたい。一番しっくり来るって言うか、他のどんなスタイルのいい子とエッチしてても思うの。“あぁ、やっぱり優巳じゃないとダメだなぁ”って」
「……それは私も同じだよ、愛奈。私も……愛奈じゃないとダメだなーってよく思うもん」
「たとえば、誰としたときにそう感じる?」
「誰って――」
 苦笑しながら“例”を上げようとして、はたと。優巳の唇は止まった。そう、それはさながら“そこにあるはずのもの”を手に取ろうとして、それが影も形も見あたらないような――そんな制止だった。
「優巳……?」
「え……っと……」
 自分には、日常的にセックスをするような相手が居た――ような気がしたが、記憶をどれだけ探ってみてもそんな相手には心当たりがない。なにやら目隠しをしたまま、何が入っているのか分からない箱の中へと手を突っ込んでいるような、そんな漠然とした不安に優巳は掌がジットリと汗ばむのを感じた。
「た、たとえば……一人でシてる時とかさ」
「アハッ、オナニーはほどほどにしときなよー? どうしても我慢出来なくなったらうちまで来てくれれば、いくらでも相手してあげるんだから」
「どんなにムラムラしても、電車で片道三時間はちょっと遠いよ」
 あははと互いに苦笑し、そして不意に訪れる沈黙。
「……じゃあ、電車の時間に遅れちゃうから、そろそろ行くよ。またね、愛奈」
「うん、またね、優巳。……あ、待って、優巳!」
 靴を履こうとした矢先、姉に呼び止められて、優巳はくるりと振り返る。
「愛奈?」
「うちから一番近い駅までって歩いてどれくらいかかるの?」
「…………?」
 姉は一体何を聞いているのだろうと、優巳は最初にそう疑問に思った。屋敷から最寄り駅までの距離など、自分よりも姉の方が遙かに熟知している筈だからだ。
「えーと……“通り”に出るまでに二十分くらいかかって……そこからさらに十五分くらいかな」
「合計で何分くらい?」
 またしても奇妙な質問だと、優巳は思わざるを得なかった。土岐坂家別邸の門扉から通りまでの長ったらしい道を抜けるのに二十分かかり、さらにそこから駅まで十五分なのだから、その合計は――。
「え、と……合計で……」
「合計で?」
「…………っ……」
 優巳は舌を凍り付かせたまま、全身から冷や汗を溢れさせていた。二十分の道のりと十五分の道のりの合計は何分の道のりになるか。そんな分かり切った答えを、何故か導き出す事が出来ない。
「あ、ごめんね、優巳。変なこと聞いちゃって。二十分と十五分の合計だから、三十五分って決まってるよね」
「そ、そーだよ! もぅ、愛奈ったら分かり切った事聞いてくるんだもん、逆にびっくりしちゃったじゃない」
 空笑いで誤魔化し、釣られて愛奈も声を上げて笑う。
「じゃあ、愛奈。もう、私行かなきゃいけないから」
「ごめんね、変な事で引き留めちゃって。……またね、優巳」
「うん、またね。愛奈」
 どういうわけか冷や汗が止まらず、優巳は急いで靴を履くや、殆ど逃げるように姉の邸宅を後にした。



「…………へ?」
 母の言葉が信じられず、月彦は思わずそう尋ね返してしまった。
「ごめん、母さん。今、なんて言ったのか分からなかった……もう一回言ってくれる?」
「霧亜ったら病院の階段から落ちちゃったらしいの。だから退院はもう少し先になるんですって」
 葛葉は包丁を握ったまま――台所で夕飯の支度中なのだから当然ではあるのだが――にっこりと、まるで「今夜のおかずはハンバーグよ」と言うのと同じような笑顔、声色でさらりと言ってのける。
「…………ちょっと待って。もうすぐ退院できるって母さんから聞いたのは昨日の朝だったよね。んで、俺昨日の夕方、姉ちゃんの見舞いに行ってきたばっかりなんだけど……」
「階段から落ちたのはその後みたい。昨日の夜病院から電話があって、今日の昼間様子を見てきたけど――」
「昨日の夜に病院から連絡があったなら、なんで昨日教えてくれないんだよ!」
 おっとり口調で淡々と語る母親に我慢ならず、月彦はつい声を荒げてしまう。
「そもそも姉ちゃんが最初に入院した時だって、忘れてたとか言って一週間以上経ってからしか教えてくれなかっただろ! なんで隠すんだよ!」
 きょとんと、葛葉は目を丸くしたまましばらく固まり、困ったような笑みを零した。
「……ごめんなさいね。隠してたわけじゃないの。ただ、別に命に関わるような怪我じゃないって話だったから……」
「だけど万が一って事があるだろ!」
 自分の母親が何事にもおおらかである事に今までいろいろと恩恵を受けてきた身なれど、今度ばかりは声を荒げずにはいられなかった。五体満足な状態ですら、階段から落ちれば最悪命を落としかねないというのに、今の霧亜は片腕片足が不自由な状態ではないか。それで階段から落ちてしまう等それはもう病院側の怠慢ではないのか――。
「……俺、姉ちゃんの様子見に行ってくる」
 胸の内に沸いた怒りにも似た感情を母にぶつけるのは忍びず、月彦は駆け足に二階の自室へと飛び込み、先に部屋に帰っていた真央に短く病院に行く旨を伝え、部屋を出る。
 自転車に跨り、ハンドルを引っこ抜くような勢いでの立ち漕ぎ&信号無視スレスレで霧亜の入院している病院へと到着したのは面会時間が終了する5時半ギリギリだった。
 日を改めて下さいと困り顔をする受付嬢にそこをなんとかと食い下がり、なんとか十分だけ面会時間を伸ばして貰い、月彦は真っ先に霧亜の病室へと向かった。
「姉ちゃん! 大丈夫か!?」
 と、月彦は言いたかった。言いたかったが、実際は“だいじ”まで喋った時点で顔面に松葉杖の直撃を受け、その場に膝をついた。
「ノックしろって何遍言わせるのよ」
「ご、ごめん……姉ちゃん……」
 松葉杖は丁度鼻を強打しており、ツツツと垂れる鼻血を手持ちのティッシュで拭きつつ、月彦は涙のにじんだ目でしっかりと姉の容態を確認した。一度はとれた筈の頭の包帯が再度巻かれ、さらに腕のギブスも新しいものに変わっていた。
(……でも良かった……本当に大丈夫だったんだな)
 少なくとも、松葉杖を投げるくらいの元気はあるという事が、月彦には何より嬉しかった。無論、“治りかけ”の所を再度痛めてしまったらしいという事は聞くまでもなく、退院が伸びる事は最早必然だろうと、そのことのみ残念でならなかった。
「か、階段から落ちたって聞いてさ……どうしても自分の目で無事を確認したかったんだ」
 ちっ、と。霧亜が露骨に舌を鳴らす。
「……言わないでって言っといたのに」
「えっ……?」
「何でも無いわ。用が済んだなら帰りなさい」
「ああ、うん……」
 相変わらず、とりつく島の無さは妙子以上だと、月彦はしょんぼりとしながら言われるままに退室をしかけて――ふと、足を止める。
「な、なぁ……姉ちゃん」
「…………。」
「一つだけ、聞いていいかな。…………なんで階段から落ちたんだ?」
 霧亜からの返事はない。まるで弟の存在など気づいていないとでも言うかのように、霧亜はベッドに腰掛けたまま、はらり、はらりと膝の上に広げた女性週刊誌のページをめくる。
「いや、そもそも本当に階段から落ちたのか?」
「……質問は一つじゃなかったの」
 霧亜は雑誌から一切視線を上げず、独り言のように呟く。
「いや、えと……だって……おかしいだろ。いくら怪我してて自由が利かないからって、姉ちゃんが階段から落ちるなんて……」
 霧亜が階段から落ちた――それは例えるなら、“魚が溺れてる”と聞かされたような気分だった。あの姉に限って、いくら体の自由が利かないとはいえ、階段から落ちるような無様なミスをするわけがないと。
「なぁ、姉ちゃん。なんで答えてくれないんだよ。……やっぱり本当は――」
 霧亜は雑誌に視線を落としたまま、無言でベッドの端の方を指さす。その先を辿ると、そこには1/3と2/3に分かれた松葉杖が立てかけられていた。
「松葉杖が折れたから……なのか?」
 霧亜は否定も肯定もせず、はらり、はらりと雑誌のページをめくるばかり。
「そ、っか。わかった…………今日はもう帰るよ。…………退院延びたのはすげーショックだけど、姉ちゃんが無事で良かった」
 得心がいかないものを感じつつも、それ以上霧亜を追求することができず月彦は先ほど投げつけられた無事な方の松葉杖をそっとベッドに立てかけ、病室を出て行くことにした。
「一つだけ忠告しておくわ」
 ドアノブに手をかけた時だった。思い出したように霧亜が声を上げ、月彦ははっと立ち止まり、姉の方へと体を向けた。
「もし、“誰か”に、“何か”を吹き込まれても絶対に相手をするんじゃないわよ」
「……? 姉ちゃん、どういう事だ?」
 霧亜は相変わらず雑誌に視線を落としたまま顔を上げない。それは雑誌を読んでいるというよりは、弟を無視するための小道具として雑誌を使っているだけという動きだった。そして無論、月彦にもそれは解りすぎる程に解った。
「…………。」
 どうやらそれ以上の“助言”は口にする気はないらしいと悟り、月彦は再度ドアノブを握り、病室を後にする。
(姉ちゃん……相変わらず素っ気ない、けど……)
 病室を去る際、ちょっとだけニヤけそうになってしまったのは、霧亜が投げつけてきた松葉杖が“無事な方”のものだった事が密かに嬉しかったからだった。もし仮に折れた方の松葉杖を投げつけられていたら――角度にもよるが――折れて鋭利にとがっている先端などが直撃すれば大惨事になっていた事だろう。そうならぬ様姉が配慮してくれたことが身もだえしそうなほどに嬉しくて、うっかり浮わついてしまいそうになった月彦の心を引き締めたのは、同じく姉が最後に残した言葉だった。
(…………どういう意味だ? やっぱりただ階段から落ちただけじゃないのか?)
 松葉杖が折れたから、階段から落ちた――それは一見理由として筋が通っているように思える。が、しかし。そもそも松葉杖というものはそう簡単に折れるものだろうか。霧亜が使っているものは金属製ではない、重いがその分丈夫な木製のもので、主軸の太さは竹刀ほどもある。そんなもの、折ろうと思っても折れないものではないのか。
「………………。」
 何か“作為”の臭いを感じ、月彦は病院の廊下ではたと足を止める。今にして思えば、折れた松葉杖をさもこれ見よがしにベッドの端に立てかけてあった事すら意味があったのではないかと思えてくる。そう、さながら“原因はコレ”と来訪者に納得させるためにあえて置いてあるのではないかと。
(もしかしたら、退院するのが嫌で態と……っていうのも考えたけど)
 だからといって、いたずらに自分の体を痛めつけるのは理にかなっていないように思える。そもそも霧亜がその気になれば入院に限らずともいくらでも家を出る手段はある筈なのだ。
(やっぱり誰かに落とされた?……いや、まさかな)
 霧亜に振られた女の子による復讐で――という線も無くはないとは思うが、どうもしっくりこない。背後から忍び寄る曲者の気配にあの姉が気がつかないとは到底考えにくいのだ。何かに気を取られて平常心を失ってでもいない限りは、そもそも姉の背後をとること自体、常人には不可能だと――親バカならぬ弟バカである自覚は無論無い――月彦は思っていた。
 ううむ、と唸りながら再度歩き出し、無理を聞いてくれた受付の看護士に礼を言って正面玄関を後にする。そのまま駐輪場へと向かい、自転車に乗ろうとした――その時だった。
「ヒーくん」
 背後から聞こえた媚びたような声に、月彦は瞬時に体の動きを止めた。振り返るまでもない、記憶と照らし合わせるまでもない。誰の声かなど、瞬時に理解した。
「あっ、やっぱりヒーくんだ。久しぶり〜、今日はキーちゃんのお見舞い?」
 ゆっくりと振り返ると、やはりそこには予想通りの人物が立っていた。上着こそ着ているものの、生足むき出しのショートパンツ姿を確認するまでもない。
 黒須優巳。かつて姉の愛奈と共に自分を虐め抜き、そして先だってはなし崩しに家へと泊まり込み、真央にまで手を出そうとした女。
 その人を小馬鹿にしたような笑みを見た瞬間。ぶちんっ、と。
 月彦は頭の中で何かが切れる音を聞いた。



 “直感で理解する”とはまさにこのことだった。姉が落ちるはずのない階段を落ちた。病室のベッドにはこれ見よがしに“原因”らしき折れた松葉杖が立てかけられていた。そして去り際の言葉。それらすべてから導かれた“解”が目の前にあった。
「…………そうか。お前の仕業か」
「ヒーくん? っきゃッ!」
 きょとんと首を傾げる優巳の側へと瞬時に迫り、月彦は右手でその喉を掴み、駐輪場側の病院の外壁へと優巳の背を叩きつける。
「かはっ」
 優巳が苦しげに息を吐き、藻掻くが無論月彦は腕の力を緩めたりなどしない。ブレザーの袖越しに優巳が両手で掴みかかり、爪をたてるようにして引きはがそうとしているが、月彦の怒りの前には無意味だった。
「ちょっ……止めっ…………」
「前に言わなかったか? 二度と俺たちに近づくなって。……姉ちゃんを突き落としたのはお前だな。…………ぶっ殺してやる!」
「かっ……ハッ………………!」
 ギリギリギリ――容赦なく右腕に力を込めていく。そのまま力を込め続けていけば、女の細首など容易く握りつぶしてしまえそうだった。
 ――が。
「…………っ…………」
 “手応え”がこれ以上はヤバいと感じた所で、月彦は辛うじて冷静さを取り戻し、右手から力を抜いた。
「かはっ……かはっ……ケホッ、ケホッ……」
 優巳はその場に膝から崩れ、噎せながら呼吸を整える。そのまま唾でも吐きかけてやろうかと思うも、さすがにそこは堪えた。
「もぉ……ヒドいなぁ……けほっ……いきなり首締めてくるなんてどういうつもり?」
 漸く呼吸が調い、優巳は壁にもたれながらよろりと立ち上がる。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、私はたまたま病院の前を通りかかって、ヒーくんっぽい後ろ姿の男の子が居たから声かけただけだよ?」
「……そんな話、信用すると思ってんのか?」
 姉がするはずのない怪我をし、その現場に姉と因縁の深い女が彷徨いていた。状況証拠としてはこれで十分だと、月彦は思っていた。
「てゆーか、さっきキーちゃんが階段から落ちたとか言ってたけど、本当なの?」
「お前がやったんだろ! ふざけんな!」
 自分でも驚くほどの声で、月彦は怒鳴り散らしていた。遠い庭木から、一斉に野鳥が飛び立つ――が、月彦の目は眼前の女を捕らえたまま離さない。
「キーちゃんがそう言ったの?」
 しかし、優巳はけろりとした顔でそんな事を尋ね返してくる。
「…………姉ちゃんがそんな告げ口みたいな真似するわけないだろ」
「じゃあ、証拠でもあるの? 私が突き落とした、って」
「…………っ……証拠は、無い…………けど、他に考えられないんだよ!」
「…………ヒーくん、それちょっと酷くない?」
 うっ、と。月彦は優巳の剣幕に押される形で口を噤んでしまう。
「キーちゃんだって人間だもん。階段から落ちる事くらいあるんじゃないの? ましてや、キーちゃん怪我して片手片足不自由なんだし。そんなキーちゃんが階段から落ちて、そのお見舞いに来たヒーくんの側を通りかかったっていうだけで私は犯人にされなきゃいけないの?」
「そ、それだけじゃない! 前に見舞いに行った時だって――」
「そのことはちゃんと謝ったじゃない。前にヒーくんちに泊まって、殆ど追い出されるみたいに出て行かされてから、私ずっとヒーくんに言われたとおりにしてたんだよ? 連絡はするな、尋ねてくるな……って言われてたから……だけど、そろそろヒーくんも許してくれるんじゃないかなって、そう思ったから……勇気を出して声をかけてみただけなのに……」
 優巳の声が、徐々に涙声へと変化する。比例して両目いっぱいに涙が溜まっていき、あれほど胸の奥を渦巻いていた怒りはいつのまにか霧散し、逆に罪悪感すら月彦は感じ始めていた。
(いや、騙されるな! これがこいつらの手じゃないか!)
 前回の事を忘れたのかと、月彦は己自身の心を叱咤するが、眼前で今にも泣き崩れそうになっている優巳の姿がとても演技に見えず、狼狽を禁じ得なかった。
「…………分かった。言いがかりつけて悪かった」
 それだけを言って、月彦は踵を返した。殆ど逃げるようにして自転車を押し、そのまま跨ろうとした所で
「待ってよ」
 引き留められた。
「言いがかりつけて、首まで絞めておいて、“悪かった”だけで済ませる気?」
 涙半分怒り半分――そんな顔で、優巳が睨み付けてくる。確かに、本当に優巳が無実であったなら、濡れ衣を着せられた挙げ句首まで絞められ、“悪かった”だけで済まされては頭にも来るだろう。
 そう、正に“無実であれば、怒る筈だ”という月彦の考えにあまりに当てはまり過ぎるのが、かえって疑いを増す結果になった。
「土下座でもしろってのか?」
「そうじゃなくて……ねぇヒーくん、私はただ本当にヒーくん達と仲良くしたいだけなの。いい加減昔の事は水に流さない?」
 どの口が言ってるんだと、月彦の胸に怒りの炎が再燃する。反省した、昔のことは水に流したい、これからは仲良くしよう――その言葉を信じたばかりにどんな目に遭ったか忘れてるとでも思っているのか。
「……悪いけど、俺はもう優巳姉達とは口も聞きたくないし、顔も見たくない。二度と顔を見たくないっていうのは“しばらくの間”じゃなくってこの先ずっとって事だ。金輪際俺たちに関わらないでくれ」
 優巳に背を向け、ほとんど捨て台詞のように言って月彦はその場を去ろうとする――が。
「待って、ヒーくん!」
 そこで足を止めてしまうからダメなのだと、わかってはいるのだが――月彦自身どうにも自分の性分がままならず、足を止めて振り返ってしまう。
「じゃあ、一回だけ! 一回だけ私とデートしよ?」
「デート?」
 この女は一体何を言ってるのだろうと、月彦は軽い混乱に陥った。もう口も聞きたくない顔も見たくないから接触してくるなと言っているのに、何故にデートをしようという話になるのか。
「そのデートでさ、ヒーくんが本気の本気で私たちと関わり合いたくないって思ったんだったら、私も諦めて引き下がるよ。でも、もしヒーくんがそれで思い直してくれるのなら、少しずつでも仲良くしてほしいの。……ダメ?」
「……悪いけど……」
 眼前の女ととてもデートなどという気分にはなれず、月彦は即座に断ろうとしたが。
「お願い、ヒーくん! 最後の最後に一度だけチャンスをくれてもいいじゃない、ね?」
「いや、でも……」
「お願い!」
 涙目の優巳に詰め寄られにじり寄られ、どうしても断り切る事が出来なかった。
「…………………………わかった、よ…………一度だけ、なら……」
「本当!? ヒーくんありがとーーーー!」
「うわっ……だ、抱きつくなよ! デートって言っても、普通にちょっと出かけたりするだけだからな?」
「うんうん、解ってるって。実はさ、行き先はもう決めてあるの。ほらっ」
 と、優巳が上着のポケットから取り出したのは一枚のチケットだった。それは大仰に白金色にコーティングされ、大きく“ワイワイランド株主優待券”と書かれていた。
「遊園地のプラチナチケット。この間実家に帰った時に、親戚の叔父さんにもらったの。大人二名様まで一日フリーパスつきの入場券だよ! なんと園内での飲み食いも全部タダ! スゴいでしょ?」
「……へぇ」
「本当は大学の彼氏と一緒に遊んできなさいーってもらったんだけどさ、私彼氏なんか居ないし。せっかくだからこの間のお詫びも兼ねて、ヒーくんと一緒に遊びたいなぁって」
 お詫びなら、そのチケットだけをくれればいいのにと。月彦はプラチナの名の通り白金色に輝きを放つチケットを矯めつ眇めつしながらそんな事を思う。
「…………待てよ。優巳姉、大学に本命の彼氏居るって言ってなかったか?」
「居たら良かったんだけどね。ヒーくんに嘘つきたくないから正直に言っちゃうけど、私男縁無くってさ。変なストーカーにはしょっちゅう付きまとわれるんだけどね。…………ヒーくんが今フリーなら、彼女に立候補したい所なんだけどなぁー?」
「悪いけど、それは遠慮する」
「あはは、だよねー……。いっぱいヒドい事しちゃったもんね。簡単に許してくれるとは私も思ってないよ。……だからさ、ちょっとずつでも贖罪して、ヒーくんに信じてもらいたいの」
「…………………………優巳姉の言いたい事は解ったよ。んで、いつにするんだ?」
「とりあえず今週の土曜、朝の八時に駅で待ち合わせでどう?」
「今週か…………まぁ、いやなことは早めにすませたいからな。それでいい」
「あはは……ヒーくんって結構キツい事も平気で言っちゃうんだ……それだけの事しちゃったから仕方ないか。…………じゃあ、今週土曜、待ってるから」
 優巳は泣き笑いのような顔でそれだけ言って、そっと踵を返すと月彦の視界から消えた。
「………………馬鹿だな、俺が本当に行くと思ってんのか」
 月彦は強がるように鼻で笑う。――そう、優巳の誘いをどうにか断る方法は無いかと考えていた矢先、気がついてしまったのだ。
 即ち、“行く”と約束しても、当日行かなければいいだけの話ではないかと。
「誰が行くかよ。一人で待ち惚けてろ」
 月彦もまた自転車に跨り、駐輪場を後にした。



 病院周りを優巳が彷徨いていた件について、霧亜に報告すべきか否か、月彦は大いに悩んだ。悩んだ挙げ句黙っていようと決めた。
 階段から落ちた件に関して優巳が関わっている可能性は0ではないが、それを霧亜に言ったところでおそらく何も変わらないだろうと判断したのだ。霧亜の怪我がただの事故にしろ優巳の仕業にしろ、あの姉は「何もするな」としか言わないだろう。病室を去る際に霧亜が言った言葉はそういう意味であると、月彦は理解していた。
(…………姉ちゃんがそう言うのなら、俺もあいつらを無視してりゃいいんだ)
 優巳が真実和解を望んでいようが、何かを仕掛けるつもりだろうが、相手にしなければ問題はない。入院中の姉の身が気がかりではあったが、さすがに“二度目”はないだろうとふんでもいた。そんなことになれば、それこそ病院側の管理責任も問われるであろうから、きっと病院側でも警戒はされているだろう。
(…………でも、もし姉ちゃんの事故が優巳姉の仕業だったら、俺は……)
 否、余計なことは考えるな――姉が無視しろと言っているのならば、その通りにするのが一番良いのだ。
(そうだ、とにかく週末は無視だ。優巳姉のデートなんてありえない)
 そう、それだけはありえないと、月彦は堅く心に決めていた。

 そして迎えた土曜日の朝。金曜の夜は普段よりも三割り増しで濃い絡みとなるのが常だが、それを意図的に五割ほどまで引き上げたのは、翌朝は昼まで泥のように眠りたかったという理由が大きい。
 が、どういうわけか月彦が目を覚ましたのは朝の七時過ぎだった。隣では昨夜さんざんに声を上げさせて二度ほど失神までさせた真央がなんとも心地よさそうに寝息を立てており、月彦は愛娘の体を抱きしめるようにして二度寝を試みた。
 しかし、眠れない。どうにもソワソワとして落ち着かず、やむなく月彦は真央を起こさぬようそっとベッドからはい出て階下へと降りる事にした。
「あら、今日はずいぶん早いのね」
「ああ、うん……なんだか目が冴えちゃって」
 あらあら、と葛葉は意味深な笑みを浮かべ、すぐに朝ご飯の用意をするわね、とせわしなく動き始める。月彦はとりあえずシャワーを浴びた後、所在なげに食卓につき、そしてちらりと横目で壁掛け時計を見た。
(七時二十分……)
 朝食の用意が出来上がるのにあと十分ほどだろうか。それから急いで食べて準備して十五分、四十五分に家を出れば八時までには駅に行けるか――。
(まあ、行かないけどな)
 一足先に出されたホットミルクに口をつけながら、月彦はそんな事を考えて苦笑する。当然朝食を急いで食べたりもせず、むしろいつもよりも時間をかけてもそもそとトーストを囓り、サラダを貪り、食事が終わった時には七時五十分を回っていた。
(今からじゃ、たとえ急いだって待ち合わせには間に合わないな。ザマーミロ!)
 そのまま食卓で、いつもならさして見向きもしない新聞などに三十分ほどじっくり目を通し、いい加減活字を読むのに飽きてきた所でそこはかとなく席を立つ。なにやら誰かと電話をしているらしい葛葉の脇を通り抜け、二階へと上がり自室をのぞき込むと、真央はまだ寝ていた。
(…………どこか出かけようかと思ったけど、寝てるのを起こすのも可哀想だな)
 こんな事なら昨夜のうちに明日は出かけようと声をかけておくべきだったと、そんな後悔をしながら、月彦はさりげなく部屋着から外出用のセーターとジーンズ、上着を羽織る。
(…………たまには中古ゲームでも発掘しにいくか)
 何となく、家にジッとしているのは良くないような気がして――別段欲しいゲームがあるわけではないが、それならそれで古き良き隠れ名作を探すのも悪くはないなと、月彦は誰に対してするでもなしにいいわけじみたことを考えながら、真央を起こさぬ様足音を殺して階下へと降り、玄関へと向かう。
(…………えーと、駅とは反対方向にもゲームショップは何件かあった筈だよな)
 自転車を使わず歩いていけば、丁度店が開いた頃に着くだろう――そんな計算をしながら、ドアノブを捻り、開けた瞬間だった。
「あっ、ヒーくん!」
「…………ッ!」
 ドアの向こうに立っていた人物の顔を見るなり、月彦は慌ててドアを閉めようとした――が、すんでのところでがっしりとドアが捕まれ、さらに片足の靴をねじ込まれてその試みは阻止されてしまった。
「ちょ、ちょっとちょっと、ヒーくんどうして閉めるの!?」
「……くっ……」
 確かにこのままドアを閉めてしまった所でなんの解決にもならないと、月彦は観念してドアを開けた。
「…………なんで優巳姉がここに居るんだよ」
「あっ、ひどーい! 待ち合わせの場所にヒーくんがいつまで経っても来ないから迎えに来てあげたんだよ?」
「む、迎えに……」
 しまった、その可能性は全く考慮していなかったと、月彦は己の迂闊さを呪いたくなった。
「ヒーくんのことだから、ひょっとして今日のこと忘れちゃってるんじゃないかなって思って、念のため電話かけてみたらおばさんがでてさ。ヒーくん家でまったりしてるって聞いて、急いで来ちゃった♪」
「べ、別に忘れてたわけじゃ……」
「そうなの? まぁいいや。じゃあ、さっそく出発しよ?」
「ま、待ってくれ……優巳姉! 実は今日用事が――」
「どんな用事?」
 間髪入れずに訪ね返されて、月彦はぐっと言葉を詰まらせてしまう。
「ええと……ちょっと、買い物とか……」
「そんなのデートの後で私も一緒に行ってあげるよ。とにかくバスの時間に間に合わなくなっちゃうから急ご?」
「……うぅぅ」
 半ば優巳の強引さに引きずられる形で、月彦は渋々駅へと向かうのだった。



 

 三十分後、月彦は遊園地直行のバスに揺られながら窓の外を眺めていた。
「週末雨になるかもってニュースで言ってたけど、晴れてよかったね、ヒーくん」
 バスが何処に向かっているかなど、月彦は知りもしなかった。ただただ優巳に腕を引かれるままに駅へと連れて行かれ、そのまま発車寸前のバスに背中を押される形でおしこまれたのだから。
「私、男の子と二人きりで遊園地いくのなんて高校の時以来だよ。なんだか緊張してきちゃった」
 となりにはちゃっかりと優巳が座り、先ほどからひっきりなしにしゃべり続けているが、その言葉の半分も月彦の耳には届いてはいなかった。
「ちなみにヒーくんは女の子と二人だけで遊園地行ったことあるの?」
 なので当然その質問も月彦の耳を左から右へと駆け抜けただけで、優巳はしばし返事が欲しそうに視線を向けていたが、程なく諦めたように目線を自分の膝の方へとやった。
「あっ、そうそう! 折角だから今日は自分でお弁当作ってみたの! 自信作だから期待してくれてていいよ?」
 しかし、その言葉もやはり左から右。程なく、月彦はどんと左肩を思い切り叩かれた。
「どわっ、な、何すんだよ優巳姉!」
「それはこっちのセリフだよ! 今日はせっかくのデートなんだから、もうちょっと楽しそうにしてくれたっていいんじゃない!?」
「…………はぁ…………」
 気の抜けたような返事を返しながらも、月彦は内心思っていた。
(…………何寝ぼけたこと言ってるんだ?)
 隣にいるのが真央や由梨子、或いは矢紗美やせめて雪乃であれば楽しい顔の一つも出来るだろう。だが実際となりにいるのは毛虫並の嫌悪すら感じる女だ。
 これでどう楽しい顔をしろというのか。
「もぉ〜〜、人が折角気合い入れておしゃれまでしてきたのに、ヒーくんはどう見ても普段着って感じだし。テンション下がっちゃうなぁ」
 はぁ、おしゃれですか――月彦は視線を落とし、しげしげと優巳の姿を見る。確かにファッション誌などで取り扱われてそうな黒のキャスケットに上着は前を開けた黒のミニトレンチ。上は白のシャツに下は白と黒の縦縞のショートパンツ。腕にはブレスレットやらなにやらと、何となく“金のかかってそう”な格好であり、それなりに着飾ってる感はある。
 あるのだが。
(……だったら、せめてブーツとかにするべきじゃないのか)
 膝上までのおしゃれを膝下の足首まで丸めた靴下とスニーカーが明らかにぶちこわしにしていると、月彦は思った。思ったが、目の前の女のファッションなどそもそもどうでもよく、女性としての魅力など感じる筈もなく、また助言をしてやろうという気すらも起きない相手だったから特に口を挟む気も起きなかった。
(…………まぁ、優巳姉なりのポリシーなんだろう)
 そうでなくては、こんな子供じみた――今時子供でもやるのか?――靴下の履き方をするわけがない。
「あ、見てみて、ヒーくん! 観覧車が見えてきたよ!」
「あぁ……」
 優巳の指さす先に目指す遊園地――ワイワイランドとかいったか――の観覧車が見え、月彦は悟りを開いた者が大金を目にしたときのような声で返事を返す。
「………………ていうか、優巳姉。なんかさっきからえらく香ばしい匂いがしないか?」
「あ、ヒーくんもそう思う?」
「うん。……しかもどんどん酷くなってる」
「……多分、近くに養豚場があるからじゃないかな」
「……養豚場、が近くにあるのか?」
「うん、さっき看板があったよ」
「…………。」
「…………。」
 悪臭はさらに増し、月彦はもちろんのことやがて優巳もその口を開くのを止めた。
 そして程なく、バスは遊園地の駐車場へと到着した。


「なぁ、優巳姉。……俺、降りてから気がついたんだけど」
「うん」
「あのバス、乗客は俺たち二人だけだったよな?」
「そういえばそうだね」
「遊園地直行のバス……だったよな?」
「うん」
「確か日に三本、午前中と、昼過ぎと、夜の三本しかないバスだったよな?」
「うん」
「土曜の午前中のバスの乗客が二人だけっておかしくないか?」
「そう、かな?」
「だってほら、駐車場みてみろよ。ガラッガラだぜ?」
 おそらく数百台は止められそうな駐車場には見たところ十数台分しか埋まっていなかった。
「ひょっとして、今日は休みなんてオチは……」
「そ、そんなことないよ! だってほら、チケットにも年中無休って書いてあるし…………とにかく入場ゲートまで行ってみようよ!」
「……まぁ、確かにここでぼけっと突っ立ってるよりは……しかし、ひでぇ匂いだな」
 バスから降りるなり、悪臭はよりいっそう酷くなった。ひょっとして遊園地と養豚場は隣接しているのではないかと思いたくなる程の悪臭に、月彦は軽く目眩すら覚える。
「に、匂いも中に入っちゃえば大分マシになるって! ほらほら、ヒーくん急ご?」
「……そうだといいけどな」
 優巳に腕を引かれる形で、月彦は入場ゲートらしき場所へと移動する――が。
「…………なんか、寂れてないか?」
 それが、ゲート越しに中を見た月彦の正直な感想だった。
「……あのドケチの叔父さんがどうしてタダでチケットくれたのか、気にはなってたんだけど……」
「タダなのには理由があるってか……てか、いつのまにかずいぶんと僻地まで来てたんだな」
 月彦は改めて遊園地の周囲を見回してみる。見渡す限りの山と緑。およそ民家らしいものは見あたらず、あるのは姿は見えずとも匂いでその存在を確信できる養豚場だけ。
(……こんな僻地の、しかも○ンコ臭い遊園地じゃあ、デートは元より家族連れだって敬遠するだろう)
 つまるところ、この遊園地は間違いなく閉園秒読み体制に入っているらしい――月彦は呼吸を若干控えながら、そのことを覚悟した。
「…………ごめんね、ヒーくん。私もこんな所だって知らなくって」
 さすがに罪悪感を感じているのか、優巳はチラチラと月彦の方に視線を向けつつそんな言葉を漏らす。
「……別にこんなことで優巳姉を恨んだりはしないよ。……んでどーする? このまま帰るか? それとも一応中に入るのか?」
「…………せっかくだし、覗くだけ覗いていこうよ。タダで遊べるんだし……それにほら、次のバスまで三時間以上待たなきゃいけないしさ」
「……そうするか」
 なんとも高くつきそうな“タダ”だと思いながら、月彦は優巳とともに入場ゲートへと向かう。開演時間から三十分も経っていないというのに居眠りをしている受付嬢を強めの呼びかけで起こして、プラチナチケットを二枚のゴールドパスへと代えてもらい、園内へと入場する。
「あとはこれを見せれば、乗り物も飲み物も食べ物も全部タダで遊べるはずだよ」
「それはありがたいな。自販機でも使えるのか?」
「自販機は……どうなんだろう。ちょっと聞いてくるね」
 優巳は首をかしげ、入場ゲートの方へと小走りに戻って、そして肩を落として戻ってきた。
「自販機じゃ使えないんだって」
「ま、そのくらいはしょうがないか。……で、どうする?」
「うーん……ヒーくんは何に乗りたい?」
「いや別に。強いて言うなら、この臭いが届かない場所に行きたい」
 そう、肥の臭いは園内に居て尚止まる事を知らず、執拗にストレスを与え続けてくるのだった。
「それはたぶん無理じゃないかな……中に入っても変わらないってことは、何処に行っても臭いはついてくると思うよ。…………あっ、そーだ! 忘れてた!」
 優巳が手を叩いて声を上げ、リュックからカメラを取り出す。
「ヒーくんヒーくん、記念撮影しよ!」
「記念撮影?」
「そう、ヒーくんと遊園地にきた記念に写真をとるの! まずはほら、入場ゲートの所で」
「……それ、絶対とらないとダメか?」
 どこかの女教師のような事を言い出す優巳に、月彦は露骨に眉を寄せる。
「うん、絶対ダメ」
「………………わかった」
 気は進まないものの、どうしても嫌だと突っぱねる理由も思いつけず、月彦は渋々優巳とともに入場ゲート近くまで戻った。
「えーと……誰か……」
 おそらくは、シャッター係を誰かに頼もうとしているのだろうが、悲しいまでに周囲には客が居らず、優巳は右往左往を繰り返していた。
(…………もしかして、今日の客は俺たち二人だけなんじゃないのか)
 月彦がそう危ぶむほどに、周囲には人っ子一人居なかった。やむなく優巳は受付へと戻り、中にいた受付嬢を引っ張り出してシャッター係を頼んでいた。
「ほらほらヒーくん、もっと笑って!」
 受付嬢にカメラを渡し、優巳がぴったりとくっつき、腕まで絡めてくる。
「優巳姉、くっつきすぎだ」
「いいじゃない。ほらほら、ヒーくん笑ってってば」
「気が向いたらな」
 もちろん笑ったりはせず、普段と変わらない顔で二度のシャッターを乗り切り、無事“記念撮影”は終了した。
「さて、と。それじゃあ改めて……ヒーくんは何に乗りたい?」
「うーん…………」
 月彦はしぶしぶゴールドパスと共に渡されたパンフレットを開き、絵入りで紹介されてるアトラクションとにらめっこする。
「…………ごめん、優巳姉。見事なまでに何一つ心惹かれるものがない」
 陳腐な竜のイラストつきで紹介されているジェットコースター“サンダードラゴン”に始まり、やれド迫力のフリーフォールだのなんだのと紹介されてはいるものの、どれをとっても“ここにしかない”というものではなく、ただでさえ遊園地というものが好きでもない月彦としてはわざわざ乗りたいと思えないのだった。
(これがまた真央や由梨ちゃんと来てるってんなら話は別だが)
 心惹かれない相手とのデートというのはここまで気持ちが冷めてしまうものなのかと、月彦は改めて目から鱗が落ちる思いだった。
(…………考えてみたら、矢紗美さんとのデートはすっげぇ楽しかったんだよなぁ。…………矢紗美さんも苦手な人のはずなんだが……)
 むしろ、機会さえあれば是非ともまたどこかに連れて行ってもらいたいと思える程だったりするのだが、様々な事情からこちらからは素直に切り出せないのがもどかしかったりする。
(不思議だな……先生とのデートはそんなに後を引いたりしないのに……)
 同じ年上の女性でもこうまで違うのかと。矢紗美とのお出かけを思い出してホンワカしていた月彦を現実に呼び戻したのは、もちろん毛虫レベルに嫌っている女の声だった。
「うーん……じゃあ、とりあえずジェットコースター乗ってみる?」
「……………………ジェットコースターか……いやな思い出があるから出来れば避けたいかな」
「嫌な思い出……ってどんな?」
「いや、まぁ……人に言うような事じゃないんだけどな」
 言わずもがな、雪乃にさんざんに乗せられてゲロまで吐くはめになった件だが、月彦は説明を省いた。
「あっ、わかった! ヒーくんジェットコースター怖いんでしょ?」
「そう言うと思った。……じゃあ、怖くないってことを証明するために一度だけ付き合って乗るよ」
 誰も彼も言う事は同じだなと、月彦は内心ため息をつきながら優巳と共に“サンダードラゴン”乗り場へと向かった。

 ――約二時間後。


「あっ、見て見て、ヒーくん! 丁度良いところにベンチがあるよ! ちょっと休憩してあそこでお昼ご飯食べようよ」
「…………そうだな、休憩するか」
 二時間かけて園内を歩き回り、アトラクションをハシゴした為か、軽い疲れを覚えて月彦はやれやれとベンチへと腰を下ろす。
(予想通りっちゃ予想通りなんだが、案の定微塵も面白くなかったな……)
 最初に乗ったアトラクションである“サンダードラゴン”はまだ良かった。――否、こうして振り返ればこそまだマシだったと思えるが、それは他のアトラクションがあまりに酷かったからに他ならない。
 高さも半端ならば速度も中途半端。ループも旋回も何一つほめるところが無く、一応は一番の売りらしい“イナズマカーブ”と呼ばれるジグザグに折れ曲がった部分などはガクガクと左右に小刻みに体を揺さぶられてただただ吐き気を催しただけのシロモノだった。
 乗り終わった後の感想としては、月彦は優巳が漏らした言葉と全く同じものをもった。そう――「高さよりも速度よりも、終始ギシギシ軋みっぱなしの車体と錆の浮いたレールが一番怖かった」――と。
 その後に乗ったバードフライヤーやらパイレーツやらも言わずもがな。優巳がどうしても入ってみたいとゴネて渋々同行したミラーハウスなどは掃除もろくに行われていないのか、手垢で汚れまくりのガラスのせいで一目瞭然でありこれまた興ざめ。遠巻きに眺めただけで近寄りもしなかったメリーゴーランドなどは“ウ○コ馬”と横っ腹に書かれたラクガキが消されもしていなかった。
 入園して約二時間経つというのに、未だに自分たち以外の客とは一度も遭遇せず、当然の事ながらすべてのアトラクションは常に0人待ち。だからといって係員達が特別親切にしてくれるというわけでもなく、むしろ他人との接触を嫌う田舎の農民のような、極力無言で返事すらろくに返さないような接客も当然好感などもてるはずもない。
 そして客が居ないはずなのに、どこそこに散っている紙くずやパックのゴミなどが西部劇よろしく風が吹く度に寂しく転がる様は不愉快を通り越して哀愁すら感じさせる。
「私、何か飲み物買ってくるよ。ヒーくんはなにがいい?」
「えーと……じゃあ、熱いお茶で」
「わかった。荷物は置いていくから、ちゃんと見張っててね?」
 優巳は肩掛けバッグをベンチの上に置き、トテトテと何処へともなく消えていく。五分ほど経って戻ってきた優巳の両手には、缶ジュースと缶のお茶が握られていた。
「あれ、優巳姉もしかして自販機で買ってきたのか?」
「うん。最初はパスつかってタダでもらおうと思ってランチスペース探したんだけど……」
「けど?」
「なんか、お店が全部閉まってるみたいで……」
「あぁ……」
 さもありなん、と月彦は冷めた目で納得した。通常のレジャー施設ならばあり得ないことだが、“ここ”ならあり得ると。
「それは悪かったな、優巳姉。いくらだった? 自分の分は払うよ」
「え、いいよー、飲み物代くらい私が出すって」
「いや、いい。優巳姉に借りなんか作りたくない」
 月彦は財布から百円玉を二枚取り出すと、強引に優巳の手に握らせ、お茶を受け取る。
「借りとか、そういうんじゃないんだけどな…………じゃあ、お弁当食べようか!」
 優巳が無理矢理に明るい声を出して、先ほどまで重そうに抱えていたバッグから大きな弁当包みを取り出し、開く。
「ふっふふー、ヒーくん、見て驚かないでよ? …………じゃーん!」
「………………………ん?」
 巨大な弁当包みから現れたのは、三段重ねの重箱のような――その実、材質はプラスチックのようだが――弁当箱だった。優巳はじゃーんのかけ声と共にそれらを順に分離させ、ベンチの上へと並べていく。
「なんと、全部おにぎりでしたー!」
「………………はぁ………」
「ちょっとちょっと、ヒーくん! ここは驚くか、笑うか、突っ込むところだって!」
「はぁ………」
「もぉー………ノリ悪いなあ。………ヒーくんってひょっとしてコミュ障?」
 ぶう、と頬をふくらまされ、月彦は何故かとても残念な気持ちになった。
「もう……折角体をはってボケたのに台無しだよ。……とりあえずはい、これ。ヒーくんの分のおはし、とお皿」
 あっけにとられていると、半ば無理矢理に割り箸と紙皿を押しつけられた。
「…………あーっ……折角のところ悪いんだけど、優巳姉。俺はお茶だけでいいや」
「どうして? おなかすいてないの?」
「いや、腹は減ってるんだけど……これ、優巳姉が作ったんだろ?」
「当たり前じゃない」
「しかもおにぎりってことは優巳姉が直に手で握ったんだろ? そんなおにぎり気持ち悪くてとても喉を通らないよ」
「………………。」
「悪いな、優巳姉」
 月彦はそっと割り箸と紙皿をベンチの上に置き、お茶の蓋を開けてすする。
「……ヒーくん…………さすがにそれは酷いよ」
「えっ……ゆ、優巳姉?」
「ヒーくんの為に早起きして一生懸命作ったのに……そんなこと言われたらいくら私でも泣いちゃうよ?」
 うるるっ……と実際に目尻に涙を溜められ、とたんに月彦はあたふたと慌てて缶をベンチにおいた。
「ああぁっ、ち、違うって! お、俺が言いたかったのはほら、この匂い! この匂いのせいで気持ち悪くてとてもおにぎりなんか喉を通らないってことで……」
「嘘。私が手で握ったおにぎりが気持ち悪いってはっきり言った」
「い、言ってないって!」
「じゃあ、食べて?」
 ずい、と。優巳は重箱の一段目を手にもち、月彦の方へと差し出してくる。
「うぅぅ……だ、だから匂いが……」
「気持ち悪くないなら食べてよ。じゃないとホントに泣くから」
「くっ……」
 さては、泣かれると弱いことに気がついているな――そう推測はしながらも、月彦は優巳の要求に抗いきれず、渋々箸を右手に皿を左手に構える。
「わ、解ったよ! 一個だけ……一個だけだぞ。……ったく、泣けば何でも俺が言うこと聞くなんて思うなよ?」
 月彦は重箱からおにぎりを一つ――従来の三角型ではなく、俵のような形をしていて中央部分に腹帯のようにノリが巻かれている――つまみ上げ、意を決してかじりついた。
「ぐっ」
 そこで吐き出さなかったのは、一つの奇跡と言えたかもしれない。おにぎりの半分ほど口にいれた瞬間、予想だにしなかった果汁と酸味の広がりに月彦の頭は完全にパニックに陥った。
「…………。」
 さすがに作った張本人を前にはき出すわけにもいかず、むぐむぐと咀嚼して辛くも飲み込む。そして月彦はおそるおそる自分が食したおにぎりの断面を見た。おにぎりの中央付近には、見慣れない緑色の塊が見えた。
「……優巳姉、この緑色のは何だ?」
「何って……キウイだよ?」
「は……?」
 けろりと、当然のように言う優巳に月彦は声を裏返らせた。
「ヒーくんが食べたのは一段目でしょ? んとね、三列のうち左のがキウイで、真ん中がイチゴ、右がバナナだよ」
「…………二段目は?」
「二段目はいろいろ! グミとか、ガムとかのいろんな味がよりどりみどり!」
「……………………………………三段目は?」
「ひ、み、つ♪ 食べてからのお楽しみだよ!」
 あぁ、そういえば――と月彦は昔を振り返っていた。優巳はこういった“ごはん+甘いモノ”という組み合わせを好んで食べる女であったと。
「…………そういや、優巳姉って昔粉ジュースでお茶漬け作って食ったりしてたな」
「やだ、ヒーくんったらそんな昔のこと覚えてるの? もぉ、さすがに今はそんなの食べたりしないってばぁ」
 先ほどの泣きそうな顔は何処へやら、優巳は頬をわずかに赤らめながらばしーんと背中を叩いてくる。
(今は、か……)
 優巳の基準に困惑しながらも、また涙を見せられるのが怖くて、月彦は味覚を押し殺しながらおにぎりを腹に詰めるのだった。


 昼食の後、さらにいくつかのアトラクションを回ったが、しかしやはり楽しむことは出来なかった。理由の一つは優巳同伴であるということ、二つ目はしつこく漂い続ける肥の匂い、三つ目は昼食の食い合わせが最悪で胃がムカムカしていたからだった。
(……せめて、優巳姉に悪意があれば……こちらとしても対処のしようがあるんだが……)
 おそらく、優巳の価値観では正真正銘あのおにぎりこそが“ごちそう”なのだろう。その証拠に、優巳自身はあのフルーティなおにぎりをさも美味そうにむしゃむしゃと食べていた。
 そういった様々な事柄から臨界近くまでストレスを溜めながらもぶつける目標が無く、月彦はなんとももどかしい思いをした。いっそ優巳に怒鳴りつけすべてのイライラを発散して強引に帰ってしまおうかとも思ったが、さすがにそれだけはやってはいけない気がして、月彦は渋々ながらも午後のアトラクション巡りに付き合っていた。
「……なぁ、まだ写真撮るのか?」
 午前中もそうであったが、どういうわけか優巳はアトラクションを一つ巡るたびに記念写真を撮りたがった。最初はさして気にしていなかった月彦だったが、それも五回十回と続けられればさすがに不審に思えてくる。
「えっ、だって折角来たんだし……」
「だからって律儀に全部のアトラクションの前で撮ることないだろ?」
「そうだけど……やっはりこういうのって記念だからさ」
「…………ひょっとして、何かに悪用する気なんじゃないのか?」
「あ、悪用なんて……私はただ……愛奈に頼まれて……」
「愛姉が……?」
「うん。“本物の恋人同士みたいな写真”が欲しいって頼まれちゃったの。……ほら、私たちって双子だからさ、顔は同じじゃない? だからきっと自分がヒーくんとデートしたつもりでニヤニヤしながら眺めたりするんだと思うよ」
「…………っ……」
 “あの女”が自分の写真を眺めながらニヤついている――月彦の頭の中にある愛奈の姿は幼少期のままだったが、それを想像するなり全身から冷や汗が出た。――そう、目の前にいる優巳に対する嫌悪感などとは比べモノにならないほどに、自分はあの女を恐れ、そして嫌っているのだと。全身の鳥肌に月彦は教えられた。
「……優巳姉、頼みがある」
「なーに?」
「その写真、愛姉にだけは渡さないでくれ」
「ごめん、それは無理。今度は絶対の絶対の絶対にヒーくんの写真が欲しいって、愛奈にカメラまで手渡されちゃったんだもん。ほら見て? これデジカメとかじゃないんだよ?」
 言われて、月彦は気がついた。優巳が手にしているそれは前回持っていたようなデジカメではなく、通常のフィルムを使って撮影するタイプのカメラだった。
「いいじゃない、写真くらいさ。……そりゃあ愛奈も昔はヒーくんにいろいろちょっかいだしてたから、ヒーくんは嫌な思い出多いのかもしれないけど」
「多いんじゃない。嫌な思い出“しか”ないんだ」
「……解ってるよ。私たちはやりすぎちゃったんだよね。キーちゃんがキレちゃったのも当然だと思う。だけどね、愛奈ももう昔の愛奈じゃないんだよ?」
 どうだかな――月彦は口には出さず、心の内だけで呟く。
「この前実家に帰ったついでにさ、愛奈の所にも寄ったんだけど……愛奈、昔のことヒーくんに謝りたいって言ってたよ?」
「ごめん、優巳姉。愛姉の話は聞きたくないんだ。…………優巳姉がそういうつもりなら、俺はもう付き合えない。一人で先に帰らせてもらう」
 月彦は強引に話題を終了させ、一足先に歩き出す。
「あ、ヒーくん待ってよ! お願い、帰るなんて言わないで!」
「……じゃあ、愛姉に写真をやらないって約束してくれるか?」
「えと……それは……」
「さよなら、優巳姉」
「わ、解ったよ! 愛奈には……カメラ無くしちゃったってことにして写真は渡さないから、だから最後に――」
「最後に……何だ?」
 月彦は足を止め、振り返る。
「最後にね……私、ヒーくんと一緒に観覧車に乗りたいな」
「観覧車…………まぁ、別にいいけど…………本当に愛姉には写真は渡さないんだな?」
「うん! 約束するよ! 指切りする?」
「………………いや、それはいい。…………んじゃバスの時間も近いし、最後に観覧車だけ乗って帰るか」
 月彦は腕時計に目をやり、午後の便の時間から逆算し、観覧車に乗る時間が十分にあることを確認してから一人先に搭乗口へと歩き出す。
「あ、待ってよ、ヒーくん!」
 優巳もまた小走りに横に並んできて、何かを催促するように手の甲と甲を触れさせてきたり、脇腹をつついてきたりするが、月彦はあえて無視をして観覧車の搭乗口を目指した。
 観覧車もまた当然のように0人待ちであり、月彦は一足先にゴンドラへと乗り込み、その対面席に座る形で優巳も着席する。
 程なくゴンドラはゆっくりと上昇し、高度を上げていく。
「実は私、高いところってちょっと苦手なんだよね。この……地面に足がついてない感じが落ち着かないっていうか……」
「…………観覧車乗りたいって言ったのは優巳姉だろ?」
 何をトンチキな事を言ってるんだと、月彦は露骨に眉を寄せる。
「そうだけど……前にね、愛奈がヒーくんと一緒に観覧車に乗りたいって言ってたから……」
 また愛姉かよ、と月彦は内心毒づかざるを得ない。
「悪いけど、愛姉の話は聞きたくない」
「……気持ちは解るけど、愛奈は本当にヒーくんの事好きなんだよ? はっきり言って私から見てもちょっと引いちゃうくらいスゴいんだから」
「愛姉の話は聞きたくないって言ってるだろ」
「……解ったよ。ヒーくんがそこまで嫌がるなら止めるね」
 それきり優巳は口を噤み、ただただゴンドラだけがゆっくりと高度を上げていく。
「……ヒーくん、ねえ、ちょっと……」
「何だよ、優巳姉」
 しかし優巳が黙っていたのもゴンドラが時計で言う十時の位置まで上がるまでだった。
「私、そっちにいっちゃダメかな?」
「はぁ?」
 ゴンドラの中は思いの外広く、大人三人が腰掛けられる椅子が入り口の左右に配置されており、月彦はその左側、優巳は右側に座っているわけなのだが。
「やっぱり、その……ちょっと、怖くって……さっきから震えが止まらないの」
「だから?」
「そ、そっちに行っちゃダメ……かな」
「ダメだ」
「ひ、ひーくぅん……!」
 およそ年上とは思えない、今にも泣き出しそうな声を出す優巳に、月彦は大きく肩をゆらしてため息をつく。
「好きにしろよ」
 呟くなり、月彦は左側に詰め、右側にスペースを作る。たちまち、優巳が黄色い声を上げ荷物だけをその場に残して月彦の隣へと移ってくる。が、さすがに遠慮はしているのか、ぴったりとくっついてくるような事は無かった。
「ねえ、ヒーくん」
「何だよ」
「手だけ……握っててもいいかな?」
「…………。」
 月彦は無言で右手を放り出し、優巳に握らせる。
「ありがとう、ヒーくんってなんだかんだでやっぱり優しいよね」
 優しくしてはいけない相手にも優しくしてしまうのだから、むしろ悪癖であると、月彦は内心毒づく。
「あとさ、出来れば観覧車の中で写真も一枚撮りたいんだけど……ダメかな?」
「……撮って……どうするんだ?」
 暗に何かを確認するように、月彦は訪ねる。優巳もそれを察したようにわずかに表情を曇らせた。
「大丈夫。あくまでただの記念として撮っておきたいだけだからさ」
「………………好きにしろよ」
「ありがと! これで愛奈におしおきされなくてすむよ!」
 優巳は喜々としてリュックからカメラを取り出すと、セルフタイマーをセットして向かいの座席の上へと置く。程なく、フラッシュと同時にシャッターがきられた。
「…………ちょっと待て、優巳姉。おしおきって何のことだ?」
「へ? ヒーくん何言ってるの?」
「いや、今優巳姉が言ったろ。愛姉におしおきされるとかなんとか」
「言ってないよ? おしおきだなんて、愛奈がそんなことするわけないじゃない。ヒーくんの聞き間違いじゃない?」
「…………もう一度聞くけど、写真は絶対に愛姉には渡さないんだよな?」
「だから何度もそう言ってるじゃない。疑り深いにも程があると思うよ?」
「……そうか。悪かったな」
 程なく、ゴンドラは時計の文字盤でいうところの三時の位置を通過し、地上へと降りた。



 観覧車を出た後はほとんどまっすぐ入場ゲートへと向かい、遊園地を後にした。こんな場所での土産など欲しくもないしましてや余計な金など絶対に使いたくないと、月彦と優巳の意見が合致したためだった。
 帰りのバスの中で揺られること約一時間半。何よりありがたかったのはやはりあの悪臭から離れられたことだった。慣れ親しんだ最寄り駅にバスから降り立った瞬間、空気というものはこれほど美味いものだったのかと軽く感動すら覚える。
「よし、じゃあ帰るか!」
 軽く伸びをして自宅に向けて月彦が歩き出した時だった。
「ちょ、ちょっと待って! ヒーくんもう帰っちゃうの?」
「ちゃんと約束通りデートはしたからな。もう帰っていいだろ」
「そうだけど……でもまだ五時前だよ?」
「だから?」
「だ、だから……もうちょっと遊んでくれてもいいじゃない。ね?」
「いや、いいよ。それに最初に言ったろ? 買い物に行きたいって」
「だったら、私も一緒に――」
「なぁ優巳姉。俺は優巳姉の我が儘に半日かけて付き合ってやっただろ。だったら今度は俺の我が儘も聞いてくれるのが筋じゃないのか?」
「ヒーくんの……我が儘……?」
「何度も言うけど、やっぱり優巳姉と一緒にいても全く楽しくないし、ストレスしか感じないんだ。せっかく遊園地に誘ってもらって悪いけど、金輪際関わらないで欲しいっていう気持ちは全く揺らいでない」
「そんな……」
「酷い、って思うか? だったらそのまま俺や姉ちゃんを嫌いになって関わらないようにしてくれたら俺も嬉しい。……じゃあな、優巳姉」
 軽く手を振り、踵を返して改札口へと向かう――背に。
「待って! ヒーくん! お願い、助けて!」
 さながら、投げ槍か何かのように、優巳の叫びが月彦の胸を貫いた。
「……優巳姉?」
 あっ、と。月彦が足を止めて振り返るなり、他ならぬ優巳自身が自分の叫びに驚いているような、そんな顔をしていた。
「ええと……大きな声出してごめんね。…………実は今、ちょっと……ストーカーっぽい人に付きまとわれててさ、結構困ってたりするんだよね」
「それで?」
「だからさ、もしヒーくんさえ良かったら…………一度その人にガツンって言ってやってくれないかな。“俺の女に手を出すな!”とかさ……もちろん、演技でいいから」
「………………。」
 そういえば、病院の駐輪場で会った時にストーカー被害にあっているというような話をしていた覚えはある。
 しかし。
(……何か、おかしくないか)
 何故今その話をするのか。今の今まで“ストーカーをどうにかしてほしい”という話など一切無かったではないか。
 優巳の言動に拭いきれない違和感を感じ、月彦は即座には判断を下せなかった。順当に考えれば、優巳の目的は不明だが、自分を引き留める為にとっさにデマカセを口にしたと考えるのが正しいように思える。
(でも、それにしては……)
 先ほどの“助けて!”という優巳の叫びが真実味を帯びすぎていたように思えるのだった。そう、咄嗟に口にしたにしてはあまりに切実な叫び――実際に死地にでも居なければ到底出す事など出来ないような、それほどまでに差し迫った“懇願”でなければ、そもそも足を止めて振り返ったりはしなかった。
「…………ね、お願い、ヒーくん。何なら、アパートまで送ってくれるだけでもいいからさ」
「…………………………優巳姉のアパートってここから遠いのか?」
「近くはないけど、でも電車ですぐだよ!」
「なら、アパートの前までだな。それまでに本当にストーカーが現れたら、彼氏のフリくらいはしてやるよ。…………本当にストーカーが現れたら、な」
 “罠”の可能性は十二分にあるといえる。しかし、万に一つ――否、億に一つの確率でも、真実優巳が助けを必要としている可能性をどうしても無視出来なくて、月彦は自らも死地へと向かうのだった。


 十中八九――否、十のうち限りなく十の確率で“ストーカー”の話などデマカセだろうと月彦は思っていた。
 だから。
「待ってたぞ、優巳! なんで電話もメールも無視するんだよ!」
 優巳の道案内のままに目的のアパートへと迫った時、突然物陰から現れた男に月彦は完全に虚を突かれた。
「……あーもう……やっぱりだよ。ほら、ヒーくん。この人がストーカーだよ」
 優巳は後退り、月彦の陰に隠れるようにして呟く。その段階になって漸く――おそらくは優巳しか目に入っていなかったらしい――ストーカー男の方も月彦の方へと目を向けてきた。
「何だよ、お前……まさかお前が優巳の新しい男なのか?」
「あっ、いや――」
 咄嗟に否定しようとした所で、優巳に脇腹を小突かれる。
「……ああ、そうだ。悪いけど、もう優巳に付きまとうのは止めてくれないか」
「何だと……なぁ優巳! 本当なのかよ! 一体いつから……」
「とにかく! そーゆー事だから! …………ホントにいい加減にしてくれないかなぁ?」
「いい加減にって……なぁ優巳、頼むから説明くらいしてくれよ。一体何がいけなかったんだ? 悪いところがあるなら言ってくれれば直すから……」
「だーかーら! あんたなんか知らないって何度言えば解ってくれるの? あんまりしつこいと今度こそ本当に警察呼ぶよ?」
「ゆ、優巳……どうしちまったんだよ……」
 ストーカー男は絶句し、涙すらこぼしながらその場にがっくりと膝をつく。
「……行こ、ヒーくん」
「あ、あぁ……」
 優巳に手を引かれる形で、月彦はアパートの中へと連れ込まれる。そのまま部屋の前まで来たところで、はっと我に返った。
「って! もういいだろ!? 一応ストーカーには新しい彼氏が居るって見せたわけだし、俺はもう帰るから――」
「ダメだよ、ヒーくん。たぶんまだアイツあそこに居るよ。ヒーくんだけ先に帰る所見られたら、またしつこくインターホン鳴らされたりするかもしれないじゃない」
「だったらさっき自分で言ってたみたいに警察呼べばいいだろ?」
「そうしたいのは山々なんだけどね。……警察呼ぶっていっても、四六時中張り付いててくれるわけでもないしさ。変にこじれて、待ち伏せされて刺されちゃったりするのも怖いじゃない」
「……まぁ、な」
 そういえばつい先日そういった別れ話の拗れからの殺傷事件がテレビで放送されたばかりである事を月彦は思い出した。
「だからさ、せめてアイツが怪しまない程度にはうちで時間つぶしていってよ」
「……わかったよ」
 確かに優巳が言う事は正論であるようにも思え、月彦は渋々了承せざるを得なかった。
(まさか、仕込み……じゃないよな?)
 矢紗美の例があるだけに、可能性として無くはないとは思うものの、それにしては男の様子が変だったように思えるのだった。
(ストーカーの演技をするなら……もっとストーカーっぽくするよな、普通……)
 そう、件の男に対して月彦が最初に抱いた印象はストーカーではなく“元カレ”そのものだった。少なくとも男の言動だけを鑑みればそうとしか思えないのだが――。
(でもそれならそれで、ストーカーじゃなくて元カレがしつこくて困ってるって言えばいい話なワケで……)
 ひょっとして、前回“大学には彼氏が居る”と言っていた筈であるのにそれを否定している事と関係があるのではないか――。
「どうしたの? ヒーくん、入らないの?」
 優巳に促され、月彦は渋々玄関へと足を踏み入れる。アパートの外観からおおよそ察しはついたものの、部屋の中は意外に狭かった。
(意外だな。優巳姉の事だからもっと金のかかってそうな所に住んでると思ってたのに)
 畳半畳ほどの玄関口の先には畳二畳分ほどのキッチンスペース。左側に流し台やガスコンロ、冷蔵庫が設置されており、右側には浴室へと通じるらしきドアとトイレらしきドアが並んで設置されていた。
 その手狭なキッチンスペースを抜けると、八畳ほどのフローリングの居間があり、部屋の間取りとしてはそれですべてらしかった。エメラルドグリーンの絨毯の上にはガラス製のテーブル、部屋の隅にはベッドとモノトーンの勉強机。反対側には辞書や大学の教材らしき本が並んだ本棚に衣装ダンス、ハンガーラック、クローゼットなどがあり、丁度正面にはベランダへと通じるアルミサッシといった配置になっていた。
「適当に座ってて。あ、クッションとか使いたかったらクローゼットの下のほうにあるから」
「……あぁ」
 言われるままに月彦はクローゼットを開け、下段からブルーのクッションを引っ張り出し、それを下に敷く形でベッドとテーブルの間に腰を下ろす。
「あ、そーだ。ヒーくん甘いのと苦いの、どっちが好きなんだっけ?」
「いや、いいよ。何も飲みたくない」
「じゃあ、甘いのにしとくね」
「いや、だから……」
 キッチンへと通じるドア越しにかけられた声に言葉を失いながらも、月彦は力無く腰を落とす。電気ポットでも使ったのか、優巳は五分と空けずに戻ってきた。
「おまちどーさま。ココア濃い目にしといたよ!」
 ホクホクと湯気を立てるココア入りのブルーのカップが目の前に置かれるも、月彦はもちろん手をつけたりはしない。
「ん? ひょっとして毒味したほうがいい?」
「いや……」
 冗談っぽく言う優巳にうまく返事が返せず、月彦は渋々カップを手にとり、ココアに口をつける。
「あはは、なんか私の方もだんだんヒーくんとのつきあい方に慣れてきちゃったよ。…………とりあえず、先にお礼言っとくね。さっきはありがとう。これで引き下がってくれるといいんだけどね」
「……そのことなんだけど、優巳姉。あの人、本当にストーカーなのか?」
「どういう意味?」
「いや、たとえばさ……優巳姉はそのつもりはなかったけど、遊びでからかってたら向こうは付き合ってるつもりになっちまったとか、そういうんじゃないのか?」
「むしろそうだったら対処もしやすかったんだけどね。悪いけど全く接点のない、見覚えも無い見ず知らずの他人なんだよね。だいたいあんなイモ臭い男なんてそもそもからかう気にもならないって」
「…………そういうことになる、のか?」
 優巳の意見に賛同する――というわけではないが、先ほどの男は外見的には確かに同じ男の月彦の目から見てもいろいろと物申したくなる点が多かった。顔の美醜に関しては自分自身人のことを言えたものではないから省くとしても、清潔感を全く感じさせないぼさぼさの髪にろくに剃ってもいない口髭はさすがにどうなのだろうか。ファッションに関しても“十年前から同じものを着用してます”とばかりにくたびれたジーンズにジャンパー姿であり、月彦が内心もっとも引いたのは男がつけていた指先部分の無い皮の手袋だった。
(……あんなの、格ゲーのキャラくらいしかつけてるの見たことないぞ)
 或いはコスプレの一環なのかもしれないが、とにもかくにも優巳の言うとおり、どう考えても――蓼食う虫も好き好きとはいえ――いちおうは美人の部類であると言えなくもない優巳とはとても釣り合いがとれるようには思えなかった。
「こないだ実家帰った後くらいからずーっと付きまとわれててさ。しかもアイツ、いつのまにか私の携帯まで弄ったらしくって、勝手にアドレス帳に自分の番号とメアドいれたりしてたんだよ?」
「……最近のストーカーってそこまでやるのか?」
「ね? 引くでしょ? 気持ち悪くってすぐに携帯買い換えちゃったよ」
「………………まぁ、でも良かったよ。これで優巳姉も解っただろ?」
「解ったって、何が?」
「“嫌な奴”にストーキングされる気分が、だよ」
「……あんなのとは一緒にして欲しくないんだけどなぁ」
「そうだな。優巳姉の方が遙かにタチ悪いもんな」
「あはは……キツいなぁ………………でも、反論できないや」
「なぁ優巳姉。そろそろ三十分くらい経つし、さすがにもう帰っていいだろ?」
「えぇーっ、まだ早いよ! せめて日が暮れるまではうちに居なよ」
「この辺来たの初めてだからな、日が暮れる前には駅まで戻っておきたいんだ」
「大丈夫だって、あとでちゃんと駅まで送ってあげるからさ」
「いや、それは遠慮する。さっきも言ったろ、俺は元々ゲームショップに行く予定だったんだよ」
 半分ほど残したココアのカップをテーブルに戻し、月彦はよっこらせと立ち上がる――が、中腰になった瞬間かくんと足の力が抜けてしまい、月彦は再びクッションに腰を落としてしまう。
「え……?」
「ヒーくん、どうしたの?」
「いや……なんつーか…………体が……」
 月彦は再度立とうとするが、今度は体自体が巧く動かず、腰を上げることすら出来なかった。
「どうしたの、ヒーくん。帰るんじゃないの?」
 はっとして優巳の方へと目を向けると、いつかの時のように優巳が邪悪としか表現のしようのない笑みを浮かべていた。
「優巳姉……まさか……」
「………………アハッ! ダメだよぉ、ヒーくん。すっかり油断してたでしょ? ここが誰の家だかちゃんと解ってる?」
 ゆっくりと、優巳が立ち上がり、側へと寄ってくる。月彦は仰向けの状態から肘だけでなんとか優巳から距離を取ろうと試みるが、それは試すだけむなしい試みだった。
「ごふっ」
 どすん、と腹部を踏みつけられ、月彦は息を詰まらせる。そんな月彦を見下ろしながら、優巳はさらに愉快そうに笑った。
「この前、別れ際にちゃんと私言ったよね? “覚えてなさいよ”ってさ。……私がそんなに簡単にヒーくんにされた事忘れると思った?」
 それは、ひどく現実味のない光景に――少なくとも月彦には――見えた。昼間、遊園地でオニギリを美味しそうにほおばり、観覧車では震えながら手を握っていた人物がこうも一瞬で様変わりするものなのか。
 ネコをかぶるどころの話ではない。これでは悪魔憑き――まるで二重人格ではないか――
(ヤバい……マジで、体が動かねぇ……)
 とにかく逃げなければ――そう思い、必死に体を動かそうとするも、優巳に腹部を踏まれたままろくに動くことすら出来ない。
「っ……何を、飲ませた……」
 幸い、というべきか。シビレは舌にまでは回っていないらしく、言葉を発する事は出来た。
「俗に言う“シビレ薬”ってやつだよ。ああ、死んじゃったり後遺症のこっちゃったりはしないから安心していいよ? ただ、半日以上ほとんど体の自由は利かないだろうけど」
「……仲直りしたいって話は、やっぱり嘘だったのか」
「ヒーくんの態度次第じゃそれもアリかなーとは思ったんだけどね。……でも、ヒーくんは仲直りするの嫌なんでしょ?」
「……っ……ストーカーの話も、嘘だったのか」
「ああ、それは本当。あの人は正真正銘のストーカーだよ。仕込みとかじゃないから安心して? キャハッ」
 優巳が足を上げ、その重しから解放された瞬間、月彦は寝返りを打つようにしてなんとか逃げようと試みる――が。
「ぐふっ」
 その腹に、優巳のつま先が突き刺さる。
「くすっ、このままヒーくんをボコボコにしちゃうのも面白そうなんだけど……それは愛奈に止められてるからさ。……代わりにヒーくんのプライドをズタズタに引き裂いてあげるよ」
「くっ……」
 抗おうにも、体の自由が効かない。辛うじて動かせるのは首から上だけだが、それではろくに動くことすら出来ない。
「アハッ、ショータイムだよ、ヒーくん」


「ちゅはっ、んくっ……んんっ……ちゅっ……」
 剛直に、優巳の舌が這う。
「んはぁっ、んくっ、んっ……んぅっ……」
 ちゅぷちゅぷとくぐもった音を立てて、時折先端を咥えては鈴口に舌をねじ込むようにして刺激してくる。体が痺れてるとはいえ、剛直をはい回る舌の感触まで消えたわけではなく、むしろ普段より強烈に感じる気さえするから厄介ではあった。
「んはぁっ……どう? ヒーくん。良かったら声とか出してもいいんだよ?」
 衣類をはぎ取られ、ベッドの上に仰向けに寝かされ、両腕は申し訳程度にタオルによって後ろ手に結ばれていた。もっとも、そもそも体の自由が利かないのだからそんな拘束に何の意味もないのだが、おそらくは優巳の視覚的な都合だろうと月彦は勝手に思っていた。
「っ……これ、が……俺のプライドをズタズタにするってことなのか? ずいぶんやることがヌルいんだな」
「アハッ、強がり言ってられるのも今だけだよ? すぐにアヘアヘにしてイかせてくださいお願いしますって言わせてやるんだから」
 やはりヌルい――と、優巳の言葉を聞きながら月彦は思わざるを得ない。
(これが矢紗美さんだったら迷わず“後ろ”を狙ってきたりするんだろうな)
 もちろん、それは初期の頃の――出会ったばかりの矢紗美であれば、の話であり、今の矢紗美はそんなことは絶対にしないと月彦はある意味信頼していた。
「んぷっ……ほら、ヒーくん……んんちゅっ……んくっ、んくっ……ふはぁっ……イイでしょ? 私、フェラ上手だってよく褒められるんだよ?」
 まぁ、確かに悪くはないなと。月彦は胸の内でわずかばかり同意する。
「なぁ、はぁっ、んくっ……んぁっ……もぉ、ヒーくんのちょっと大きすぎだよぉ……こんなんじゃ顎疲れちゃうじゃない……」
 口戯にやや疲れたのか、優巳はにゅりにゅりと手で扱くようにしながら文句を言う。
「嫌なら止めろよ。別に俺が頼んでることじゃない」
「あっ、まだそーゆー態度とるんだ? じゃあちょっと本気でいくよ?」
 れろり、と剛直のくびれの辺りを舐めて優巳は笑い、先端部から一気に深くくわえこむ。
「っ……ぅあ……っ……」
 “飲み込まれる”ような感触に、月彦は思わず声を漏らしてしまう。優巳はそのまま強く吸い上げながら頭を激しく前後させ、全体を余すところ無く刺激してくる。
「んぷっ、んぷっ……んっ……んっ……!」
 ぐじゅぐじゅ、じゅぽじゅぽと激しい水音を立てながらの口戯に、月彦は溜まらず嘆息を漏らす。
「んはぁっ……ふふっ、ダメだよ。ヒーくん……簡単にはイかせないよ?」
 ちゅぽん、と唐突に優巳は口を離し、そして舌なめずりをしながら挑発するように剛直を握り、親指の腹で先端をぐりぐりとこすってくる。
「っ……優巳、ねえ……」
「どうしたの、ヒーくん? 辛いの? ぴくぴくって痙攣しちゃってるよ?」
 優巳はまるで添い寝でもするように身を寄せ、意地悪く耳元で囁いてくる。
「ほら、イかせて欲しかったら言いなよ。巧くおねだり出来たらイかせてあげるよー?」
「誰、が……くっ……」
 優巳が再び股ぐらへと忍び寄り、れろり、れろりと竿部分を根本からくびれまで、何度も何度もねちっこく舐め上げる。先ほどの強烈なバキュームフェラを味わったばかりの月彦にはそれがなんとももどかしく思え、ベッドシーツにツメを立ててしまう。
「くっ、ぅ……」
「フフっ……ほらぁ、もういいでしょ? ヒーくんはよくがんばったよ。言っちゃえば?」
「くぁぁぁぁっ……!」
 れろれろれろっ――仮首の辺りをくすぐるように舌先で刺激され、月彦は思わず背を仰け反らせて喘いでしまう。
「っ……わかっ、た……優巳姉……優巳姉の言うとおりに、する……だから……」
 アハッ――優巳が黄色い声を上げて笑い、ぺろりと剛直をひと舐めして舌をしまう。
「だから?」
「だから……最後に、一つだけ聞かせてくれ。……姉ちゃんの事故は……優巳姉のせいなのか?」
「アハ、この期に及んでまだキーちゃんのことが気になるんだ? ヒーくんってばホント筋金入りのシスコンだね」
「質問に……答えろよ、優巳姉……あれは、優巳姉がやったのか?」
「うん、そーだよ」
 けろりと。まるで好きな食べ物を聞かれ「ハンバーグ!」と元気よく答える幼子のような――そんな声で優巳はあっさりと首を縦に振る。
「後ろからね、どんっって。思い切り突き飛ばしちゃった、キャハッ」
「……そう、か。……それだけ聞ければ十分だ」
 ふう、と月彦は深いため息をつき、そして次の瞬間にはあっさりとタオルの拘束を外していた。
「え……」
 おそらく優巳は、それだけの言葉を発するのが精一杯だったのだろう。そんな優巳を逆に組み伏せ、ベッドの上で取り押さえることはなんとも容易な事だった。
「悪いな、優巳姉。実は結構前からシビレはとれてたんだ」
「えっ……えっ……? う、嘘……なんで、どうして……」
「さあな。俺に聞かれても困る。分量が足りなかったか、もしくは――」
 普段から“もっとヤバそうなクスリ”を盛られ続けたせいで体の解毒能力――耐性というべきか?――が上がっているのではないかと、月彦はそんな事を思う。
「……さてと、これから俺はどうするべきかな、優巳姉?」
 すっかり困惑しきったまま、両腕をベッドに押さえつけられ、怯えすら混じった目で自分を見上げる優巳を見下ろしながら、月彦は意味深に微笑む。
「ひ、ヒーくん?…………やだ……ら、乱暴はやめよ? ね?」
「暴力なんか振るわないさ。…………そんなこと、多分姉ちゃんも望んでないだろうしな。だけど、優巳姉言ってたよな。俺のプライドをズタズタにしてやるって」
 ぎり、と。ベッドに押さえつけている優巳の手首がきしむ程に強く月彦は握りしめる。
「それはつまり、自分がそういう目に遭わされても文句は言いませんって事だよな?」
「ま、待って……ヒーくん……きゃっ」
 もちろん優巳の言葉など右から左へと聞き流しながら、月彦は強引にその衣類をはぎ取り、ベッドの外へと放り投げていく。
「や、やだっ……自分で、自分で脱ぐからっ!」
 乱暴に脱がされる事が嫌なのか、それとも何か他に狙いがあるのか。優巳がせっぱ詰まったようにそんな声を上げるも、もちろん月彦は聞かない。あくまで強引に、乱暴に優巳のシャツを脱がし、ハーフズボンを引きずりおろし、ブラをはぎ取り、ショーツを引きちぎるように力任せに脱がしてしまう。
「やぁっ……ら、乱暴にしないでよ……せめて、普通に……」
「…………。」
 この期に及んでこの女は何を言っているのだろうと。月彦は怒りすら覚えた。
(……頭がどうかしてるんじゃないのか?)
 そもそも、怪我人を階段から突き落としたり、それを肉親の前で楽しげに暴露するなど正気の沙汰ではない。まともな精神の持ち主であれば絶対に出来ない事ではないのか。
「…………どうやら、“教育”が足りなかったみたいだな」
「ひ、ヒーくん……?」
 そう、文字通り足りなかったのだろう。前回の“アレ”では。ならば今回はより念入りに“躾”てやるしかない。
(…………今度こそ、二度と姉ちゃんに手出し出来ないようにしてやる)
 霧亜の忠告は、もはや月彦の頭の中から完全に消え失せていた。



 


 頭に血が上るという事を、これほど実感した事は無かったかもしれない。それほどまでに月彦は眼前の女に対して怒りを覚え、そして怒りのままに陵辱を開始した。
 ――が。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……あぁんっ、ぁんっ……イイ、よぉ……ヒーくんの……おっきくてぇ……奥まで、届いてぇ……んんぅ……」
 白い肢体をほのかにピンク色に染め、汗を浮かせながら優巳が声を上げる。二十歳のわりには肉付きが薄く、胸元もはおよそ揺れることなどあり得ないほどの質量しかない。
 だが、そんなわずかなふくらみですら先端がゆらめくほどに激しく、月彦は突き上げる。
「あんっ、あんっ、あぁんっ!………………ふふっ……ほらぁ、ヒーくんどうしたの? もっともっと激しくしてもいいんだよ?」
 くっ、と月彦は唇を噛み、優巳の腰のくびれを掴み、ぐりぐりとねじるようにして刺激をする。
「あっ、あぁっ、あぁぁーーーーッ! んぅっ、あぁっ……んんぅっ……ちょっとだけイきそうになっちゃった、さすがヒーくんだね、でもやっぱり愛奈の方が上かなぁ?」
 さすがに息が上がり、月彦は一端動きを止めて呼吸を整える。“始まって”から一体どれほどの時間が経ったのかは解らない。が、カーテン越しの光量で日が暮れているということだけは解った。
(どういうことだ……?)
 頭に血が上り、怒りにまかせて本能のままに優巳の衣服を剥ぎ、その体を貪った――が、ここに至って漸く月彦は何かがおかしいと感じ始めていた。
(前にシた時も、確かにイきにくかったのは覚えてる。でも……)
 これほどまでに“攻め”てイかせられなかった経験など無く、月彦は軽い混乱に陥っていた。そう、いつもならば自分のワンサイドゲームになる筈であるのに、良くて互角――否、むしろ――。
「ほらぁ、ヒーくん。休憩はもう終わりだよ?」
「うっ……」
 思わず声が出てしまうほどに強く、キュッ……と剛直が締め付けられる。
「くすくす、ヒーくんもう疲れちゃったの? じゃあ、今度は私が上になってあげる」
 一瞬の隙を突かれて、月彦が仰向けに寝かされ、優巳がその上に跨る形になる。
「ほらほらっ、イイでしょ? 愛奈にもよく褒められるんだよ? “優巳のが一番気持ちいい”って」
「くっ……」
 月彦の胸板に手をつき、優巳が腰をくねらせ始める。
(ぐっ……た、確かに……)
 ゴムの類など、無論つけてはいない。潤滑液たっぷりの粘膜が剛直のカリ首の溝にまでぴっちりと隙間無く密着し、キュンキュンと締め付けてくる上に優巳に腰まで振られ、月彦は思わず下唇を噛みながらベッドシーツをかきむしってしまう。
「ねぇ、ホラ……イイでしょ?」
「くぁぁぁぁっ……!」
 月彦の反応に気を良くしたのか、優巳はさらに得意になって腰を使い、被さるようにして唇を重ねてくる。月彦は無論顔を背けて拒絶するが、優巳は両手で月彦に正面を向かせ、強引にキスをする。
「ちゅっ、んっ……アハッ……ヒーくんどうしたの? 脂汗すっごいよ? イきたかったらイッちゃっていいんだよ? 早漏だなんてバカにしないからさ」
「っ……誰、が……」
「ほらほらほらぁ、我慢は体に毒だよー? イッちゃいなよ、ほら、ほら、ほらっ」
 優巳が、さらに締め付けを強くし、締めたまま腰を上下に振り、さらにくねらせてくる。
(っ……受けに回ったら、ダメだ……)
 華奢だから――なのだろうか。優巳のそれはなんともキツく、ぴっちりと密着されたまま動かれるとそれだけでヤバい程の刺激を受け、月彦はギリギリと奥歯をかみしめてそれに耐える。
(思い出せ、こいつは……姉ちゃんを階段から突き落とした女だ)
 そんな女に一方的にイかされてたまるかと、月彦は再度怒りを再燃させる。
「……悪いな、優巳姉。ここからは本気でいかせてもらう」
「何言ってるの? さっきまでだって本気だったクセに。…………ンッ……」
 ただ、がむしゃらに攻めてもダメだと、月彦はそのことを漸くにして学習した。ならばじっくりと、長期戦でいくまでだ。
 ずんっ、と。ゆっくり、大きく突き上げると、優巳がかすかに言葉を詰まらせる。
「本気っていや本気か。一応、“我を忘れるほど”怒ってたんだからな。……でもそれじゃあダメだって解った。攻め方を変えさせてもらう」
「何やっても無駄だって。前の時は不覚をとっちゃったけど、その気になればヒーくんのなんかじゃ……ンンンッ……」
 月彦は微妙に角度を調節しながら、突くというよりは剛直を擦りつけるような動きでゆっくりと攻める。そう、さながらいつも雪乃にするような、緩慢な、焦らすような動きで。
 勿論そうしたからといって、優巳の反応がすぐに変わる事は無かった。それでもじっくりと攻め続ける。
「前の時もそうだったけど、優巳姉って何か“変な感じ”がするんだよな」
「へ、変な……感じ? ……ぁ、やっ……」
 優巳が一瞬びくりと体を震わせ、腰を折り曲げる。反応が変わり始めたな――優巳の反応の変化に、自分の作戦が間違っていなかった事を、月彦は確信した。
「なんつーか……変な抵抗があるっていうかさ。巧く言えないんだけど、“それ”が優巳姉をイかせるのを邪魔してるように感じる」
「なにそれ……意味、わかんな……っ……うっ……やだっ……ちょっ……どうして……っ……」
「優巳姉、どうした? 体の力が抜けてきてるぞ」
「ぁっ……ぅっ、ぅっ……」
 下からじっくりと何度も突き上げるにつれて、優巳の上半身が徐々に被さってくる。月彦は優巳の腰を掴んで軽く持ち上げ、自らは腰を引き、一度大きく、強く突き上げる。
「アぁんっ」
 悲鳴ともとれるような声を上げて、腰を曲げて被さりかけていた優巳が一気に背を反らせる。気のせいか、優巳の体越しに感じていた禍々しいオーラまでもが薄れてきているように感じた。
「あっ、あっ、あっ!」
 そのまま三度、同じように大きく強く突き、優巳が軽くイッたのを確認してから、月彦は動きを止める。
 はぁ、はぁと優巳は肩で息をしながら、やや潤みを帯びた目でぎろりと睨み付けてくる。
「ちょ……何、したの……」
「別に。俺も説明なんかできないけど。…………ただ――」
「あぁんっ!」
 ぐりんと、優巳の中を抉るように動かす。
「何となく“こういう風にすればいいんじゃないか?”って思った通りに動いてみたら、ビンゴだったみたいだな」
「何、それ……そんな、適当で……」
「優巳姉、ずいぶん息が荒いな。上下交代するか?」
 優巳の返事を待たずに、月彦は強引に攻守の立場を入れ替える。それも、先ほどまでのように正常位ではなく、後背位の形に。
「や、やぁ……ちょっと、ヒーくん……あぁぁぁあッ!!」
 暴れる優巳の首根っこを押さえる形で、月彦は剛直を根本まで押し込む。
「かっ、はっ……ふ、深っ……ぁはぁぁッ!! んんっぁっ……ふぁっ、ぁあっ……!」
 そのまま、ズンズンといつになく乱暴に。優巳の体の事など全く考慮していない動きで、月彦は何度も何度も奥を突き上げる。
「あぁぁぁっぁぁっ、ぁぁぁっ!」
「……優巳姉って、バック好きだったっけ。……ずいぶん“慣れてる”みたいだけど」
 背後から被さり、ついいつものクセでたわわなおっぱいをもみゅもみゅしようとした手がスカッ、と空を切り、月彦は軽く舌打ちをする。
「……ていうか、優巳姉確か二十歳だよな。それでこの胸はちょっとヤバいんじゃないのか?」
「っっ……う、うるさっ……ンッ……そんなの、どうだって……」
「A以下、だろ。これは。小文字のzとでも言えばいいのか? あぁ、もっと下だな。ほとんど絶壁だしな」
 さわさわと優巳の胸板の辺りを撫でながら、月彦は意地悪く囁きかける。
「それからな、一つだけ言っとく。愛姉がどれだけ褒めたか知らないけどな、自分の体の事をあんまり過信しないほうがいいぞ? 俺が知ってるだけでも、優巳姉より“良い”相手なんて片手じゃ数えられないぜ?」
「ふ、ふん……すぐ、ばれる嘘なんかついちゃって……だいたい、ヒーくんなんて経験人数自体……せいぜい一人か二人……あァァッ!!」
「嘘だと思うのは優巳姉の勝手だ。……でも、だったらどうして俺は“我慢”出来たんだろうな?」
 言外に“もっと良い”相手に鍛えられているからだと言い含めながら、月彦は優巳の精神を、そして肉体を追いつめていく。
「くっ……ぅっ、ァはぁッ!!」
「大分色っぽい声になってきたな、優巳姉。そろそろイきそうなのか?」
「うる、さ……あぁんっ! 誰、が……ぁうっ!」
 優巳の中で快感の邪魔をしていた“何か”は霧散してしまったのか、月彦が弱い場所を刺激すれば刺激しただけ優巳は容易く声を上げる。
 そろそろか、と思う。
「まぁ、いいか。……とりあえず、イけよ、優巳姉」
「い、嫌ッ……よ……絶対っ、イッ……ぁっ、……〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!」
 優巳の言葉など無視して、その体に強制的に絶頂を味わわせる。矜持故のせめてもの抵抗か、体を震わせて明らかにイきながらも、優巳は歯を食いしばり声だけは押し殺していた。
「一回目、と」
 びくっ、びくと小刻みに痙攣を繰り返す優巳の体をあっさり解放し、月彦は勉強机の方へと視線を向ける。ちょっとした思いつき――もし“アレ”があるのなら、そういう試みも面白いかもしれないと。
 そう、“優巳のプライドをズタズタにする”事を無論月彦は忘れたわけではなかった。
「おっ、あったあった。優巳姉、この油性ペン借りるぞ?」
 勉強机の上のペン立てに入っていた黒の油性ペンを手にとり、月彦はベッドへと戻ると、尻だけを持ち上げた俯せ状態の優巳の右手の甲にキュッ、と線を一本引く。
「何、を……」
「ちょっとした記念だ」
 月彦は油性ペンのキャップを閉め、枕元の棚へと置く。
「“俺なんか”に無様にイかされる度に、一本ずつその線を増やしていくからな。……朝までに何本増えるか楽しみだな、優巳姉?」


 まるで、魂の抜けた人形でも相手にしているような――そんな気分だった。
「どうした、優巳姉。早く動いてくれよ」
 何度目の騎乗位か、もはや月彦にすらも解らない。優巳は月彦の言葉に促されるままに、機械的に腰をくねらせる。
「ダメだな、それじゃ」
 緩慢な動きに焦れて、月彦は優巳の足の付け根の辺りを掴むと下から何度も突き上げる。
「ぁぁあッ! くぅっ、ぁあっ……!」
「優巳姉って胸が無いから、騎乗位はつまらないな。……そろそろか?」
「ひっぃぁっ……もっ……ぅぁっ……ぁぁぁぁあっ……!」
 嬌声というよりはただの呻き声――舌に涎が絡まったような声を上げながら、優巳が大きく体を震わせる。月彦はさも無感動に枕元から油性ペンを手にとり、きゅっと。優巳の太股に書かれた“正”の隣に線を一本引く。

「騎乗位はもういいや。また後ろからしてやるよ」
「やっ……」
 優巳の体を押しのけ、組み敷こうとすると、思いの外強く抵抗をされた。 
「も、もぅ……無理……ゆるひてぇ……」
「何言ってんだ? “今日はこの前とは違う”んだろ? 早く本気見せてくれよ。これじゃまだこないだの方がマシだったぜ?」
 涙目で己を見上げる優巳の頭を鷲づかみにし、月彦は無慈悲にベッドへと叩きつける。
「やっ、ぁうっ、ぁっ……し、死ぬっ……死んじゃううぅ……」
「そうだな、ひょっとしたら死ぬかもしれないな。……姉ちゃんも階段から突き落とされた時にそう思ったろうな」
 淡々と。まるで長年その作業に従事してきた熟年の作業員が無意識下で行うような――そんな機械的な仕草で、月彦は優巳を組み伏せ、背後から犯す。
「やっ、ぁぁぁぁぁ……も、やぁ……い、挿れないでぇ……」
 涙声でベッドシーツをかきむしる――その手の甲には右にも左にも“正”の文字が書き込まれている。
「何言ってんだよ。優巳姉が自分から誘ってきたんだろ? 望み通りにしてやってるのにどうして嫌がるんだ?」
 月彦は背後から被さり、耳元に意地悪く囁きながらも容赦なく優巳の弱い場所を刺激し、イかせる。
「あーーーーッ、あーーーーーッ!! ……あああぁぁ…………ッッ……」
「また一回、と。ほら、優巳姉、自分で数えてみろよ。何回イかされた?」
 月彦は優巳の右手の甲、“正”のやや下、手首の辺りにさらに線を一本追加し、囁く。
「あ、ぁ……わから、な――ひぃッ!」
「解らないじゃねえよ。ちゃんと書いてやってるんだから数えろ。仮にも大学生なんだから足し算くらい出来るだろ?」
 苛立ちを隠そうともせず、月彦は思い切り優巳の尻へと平手を打ち下ろす。たちまち、優巳は怯えるような声を上げて自らの両手の甲と、足の付け根――太股の辺りに書かれた“正”の字へと視線を走らせる。
「じゅ、十七回…………………………です」
「そうだな。……………………何か言う事は?」
「ぇ……い、言う、こと……? ひぃぃっ!」
 容赦なく、月彦は優巳の尻へと平手を打ち下ろす。
「やぁぁっ、止め、てぇ……叩かないでぇ……痛いのは嫌ぁぁ……」
「姉ちゃんを殺しかけておいて、何か言うことはないのかって言ってんだよ!」
 もはや囁く――というレベルではない。月彦は優巳の耳を掴んで引っ張り、怒鳴りつける。ひぃ、と優巳が幼子のように悲鳴を上げる。
「ご、ごめんなさい……ゆ、許して、ください……」
「今度ばかりはごめんじゃ済まないだろ、優巳姉。姉ちゃんにもしものことがあったらどうするつもりだったんだよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……許して……」
「同じ事ばっかり繰り返して……優巳姉、ちゃんと聞いてんのか?」
「ぎゃぁぁっ、い、痛いぃぃ……やめてぇ……虐めないでぇ……!」
 眼前の女に対する怒りがあまりに強く、月彦はその後ろ髪をむしり取るような手つきで頭を持ち上げさせ――たちまち優巳が悲鳴を上げる。
「ちっ」
 優巳の反応があまりに幼児めいていて――本当に幼子を虐めているような錯覚に陥って――月彦は渋々手を離した。
「解らないな、優巳姉は一応姉ちゃんの事が好きなんだろ? なのになんで怪我させるような事するんだよ。普通好きな相手にはそういうこと出来ないもんだろ」
「そ、それ、は……私にも……」
「私にも、何だよ」
「私、にも……解らないの…………キーちゃんの事、本気で好きなのに……だけど、時々、我慢できないくらい憎く思える時があって……それ、で……」
「…………可愛さ余って、ってやつか」
 少しずつ。少しずつ、月彦は冷静さを取り戻しつつあった。意識してそう努めなければ、そのうち本当に眼前の女を殺してしまいそうだった。
「とにかく、今度という今度は謝られたからって、はいそうですかってすませるわけにはいかないからな。…………明日にでも、俺と一緒に姉ちゃんの病室に行ってもらうぜ。その後警察に突き出すかどうかはそのとき姉ちゃんに決めてもらうからな」
「え……け、警察……?」
「当たり前だろ。殺人未遂だぞ。“私は紺崎霧亜さんを階段から突き落としました”ってちゃんと証言してくれるんだろ?」
 拒否すればこのまま攻め殺すぞと言わんばかりに、月彦は背後から優巳の体に体重をかけ、首根っこを掴んだままギリギリと締め上げる。
「ぁぁう……ひ、ヒーくんの言うとおりにする、よぉ……だから、お願い……怖い声出さないでぇ」
 さながら、虐待を受けて過剰に怯える犬猫のような――そんな印象を優巳から受けて、月彦は舌打ちしながらも手を離した。
「約束だからな。後で手のひら返しなんかしてみろ。今度こそ本気でぶっ殺すからな」
 シャワー借りるからな――独り言のように吐き捨てて、月彦は優巳を解放すると一人でさっさとシャワーを浴びる。成り行きとはいえ、宿敵ともいえる女と絡み合って汚れた体を早く洗ってしまいたかった。
 腰にバスタオルを巻いただけの格好で――もちろんバスタオルは勝手に借りた――居間に戻ると、優巳はまだ服も着ずに裸のまま――毛布だけを体に巻き付けて座っていた。
「ひっ……」
 そして、月彦の姿を見るなり怯えるような声を上げてベッドの隅へと逃げ、そのまま背中を壁に貼り付けさせる。優巳のそんな行動に、まるで自分の方が加害者のような錯覚に月彦は陥った。
(…………悪いのは優巳姉の筈なのに)
 或いはこれも自分に罪悪感を与えるための演技ではないのか。しかし、部屋の隅で――優巳の部屋のベッドは壁に密着している――体を縮めるようにしながら震えている優巳は少なくとも月彦の目にはそうは見えず、そしてそのようになっている優巳を無視し続ける事も、月彦には出来なかった。
「…………優巳姉、来い」
「ひっ」
「いいから、来い」
 怯える優巳の手を掴み、月彦は無理矢理に引き寄せる。そのまま、震える優巳の体を抱きしめて、半ば強引に唇を重ねた。
「…………いいか、勘違いするなよ。これはただ、俺がそうしたいから、そうするだけだ」
 言って、再度キスをする。そのまま優巳の体をベッドへと押し倒し、撫で回す。
 自分が何をしているのか、月彦自身理解出来なかった。仕置きの為とはいえこんな女と体を重ねる事自体が不愉快でシャワーを浴びたばかりだというのに、何故こんな事をしているのか。
「ひ、ヒーくん……? ぁっ…………」
 優巳は戸惑うような声を上げながらも、強ばらせていた体から力を抜き始めていた。月彦に“乱暴”をする気はないという事を悟ったかのように。
(……これも、“罰”の一環だ)
 先ほどまでさんざんに嬲ってやったものの、月彦はただの一度も射精はしていなかった。このままではモヤモヤして眠れないから、この女の体を使ってスッキリさせてもらう――ただそれだけの事だと。
 月彦は己の心を誤魔化しながら――まるで労るような手つきで、優巳の胸元を撫で回す。
(………………確か、乳首弱いって……言ってたよな)
 殆どふくらみのない胸元を撫でながら、堅く尖っている先端部をこりこりと弄ってやると、次第に優巳は甘い息を漏らし始める。
「ぁっ、ぁっ……ひ、ヒーくん……どう、して…………ぁっ、ぁっ……!」
 先ほどまでとはうってかわった優しい愛撫に優巳も戸惑っているらしかった。それでも月彦の指先の動きに安堵するように脱力し、焦れったそうに身をくねらせる。
「あぁぁぁっ! ぁぁぁっ……ぁぅんっ……ぁっ、ぁぁ……!」
 さらに、指で弄った後に舌を這わせ、軽く噛むようにすると忽ち優巳は背を反らせるようにして大きく喘いだ。
「ひ、ヒーくぅん……それ、いい……ぁっ……もっと……もっと、してぇ……!」
 月彦の後頭部に手を回しながら、はぁはぁと喘ぎながら優巳が控えめな声でせがんでくる。月彦は渋々ながらも優巳の言う通りに舌先で乳首を転がすように弄り、時折きつく噛むようにして何度も声を上げさせる。
「ぁっぁぁぁぁ……あァーーーーーーーーッ!!!」
 そして一際大きく声を上げて優巳はイく。本来ならばそのまま間髪いれずに攻め続ける所だが、あえてそうはせず、月彦は優巳の呼吸が整うのを待った。
「…………何の真似だ?」
 月彦が手を止めて自分を見下ろしている意図を、恐らくは勘違いしたのだろう。優巳は突然ハッと怯えるような目をして、おずおずと自分の右手の甲を差し出すように伸ばしてくる。
「…………それはもういい」
 遅れて、月彦は理解した。さっきまでは、イかせる度に優巳の手や太股に油性ペンで線を追加していた。何度かは俺の手を煩わせるなと、イッても素直に手を差し出さない優巳の耳元で怒鳴りつけ、強引に手を取り書き込んだりもした。
 それを優巳は覚えていて、その通りにしなければまた怒鳴られると思ったのだろう。
「……大人しくしてれば、もう怒鳴ったりもしない」
 優巳の髪を撫で、そっと唇を重ねる。本当ははっきり“今度は優しくしてやる”とでも言えば良かったのかもしれないが、さすがにそこまでは口に出来なかった。
「…………優巳姉、挿れるからな。…………もう少し足を開いてくれ」
「う、うん……ぁっ……ぅっ……ゥンっ……!」
 ぬっ、と先端部分をゆっくりと埋没させ、そのままさらに速度を落としながら――三十秒以上もの時間をかけて、ゆっくり。ゆっくりと貫いていく。
「あっ、あっ、ぁっ……ぁっ………………ぁあっ……!」
 優巳の中を押し広げながら、自分の形に変えていく感覚――徐々に埋没させることでよりハッキリとそれが実感できる。先ほどまでの――がむしゃらにただ犯していた時とは違う、奇妙な征服感に月彦は興奮せずにはいられなかった。
(優巳姉のって……結構“深い”んだな)
 そんな事すらも今まで自分は気がつかなかったのかと。冷静に分析しながら、こつんと先端で奥を軽く小突く。
「あんっ」
 ほんの軽く突いただけなのに、優巳はそんな声を上げて軽く体を揺らした。月彦は少しだけ腰を引き、こん、こんと優しく膣奥を何度も小突いていく。
「あんっ、あんっ、……あんっ! やっ……あんっ……ヒーくんっ……そこっ、ンッ……そんな、ぁんっ……風に……あぁんっ……だ、だめっ……すぐっ……あん!」
「……なんだ、優巳姉。奥、こんな風に突かれるの弱いのか?」
 訪ねながらも、月彦は動きを止めない。そして、同時に気づいた。申し訳程度にしか塗れていなかった優巳の中がみるみるうちに潤い始め、結合部からも蜜があふれ出している事に。
「だ、だって……ンッ! ヒーくんの動き方……さっきまでと、全然……あぁん! だめっ、……だめっ……あん!……イッちゃう……イくっ……ぅ……!」
 優巳が言うほどの違いは無い筈だと、月彦は思っていた。確かに同じ“ゆっくり”でも、先ほどよりも“優しく”するように心がけてはいるが、それは言われてみればそうなった気がする、程度の違いしかない筈だった。
 少なくとも、月彦はそう思っていた。
「イくのはいいけどな、優巳姉。もうちょっと“水気”が少ない方が摩擦が大きくて俺は好きなんだけどな。いくらなんでも溢れさせすぎだぞ」
「はぁはぁ……そんな、の……あんっ……むり、ぃ……あぁぁぁっ……だめっ、だめっ……イクッ……ホントにイクッ……ぅ……ぁぁぁぁぁア!!!」
 こんっ、こんっ、コンッ!――優巳の様子を伺いながら、タイミングを合わせて少しだけ強く突き上げると、優巳はあっさりとイき、声を上げた。
「ぁっぁぁっ、ぁあ! だめっ……イッてる時にっ……突いちゃ、だめっ、ぇ!」
 ヒクヒクと痙攣しながら収縮し、締め付けてくる優巳の中の感触を楽しむように月彦はさらに二度、三度と小突き上げる。忽ち優巳が堪りかねるように月彦の背に手を回し、肩に爪を立てるようにしながら喘ぎ出す。
「……っ……イく時の締まり具合はなかなか良いな。褒めてやるよ、優巳姉」
 それは、キュンキュンと予想外なほどに締め付けられて危うくイかされそうになった月彦がつい漏らしてしまった強がりだった。
(…………別に我慢する必要もないんだが、侮られない程度には頑張らないと、な)
 元々は、このままでは欲求不満になって眠れないから、とりあえず優巳の体を使ってスッキリさせてもらうだけ――であった筈なのに、次第に目的が変わり始めていることに、勿論月彦は気がついていなかった。
「はぁ……はぁ……はぁっ……ひ、ヒーくぅん……い、今のは……ちょっと、ヤバいよぉ……腰、ガクガクってなって、んんっ……」
 再び、優巳の唇を奪う。今までのように唇を重ねるだけではない、ぬろり、ぬろりと舌を絡め合いながらも、優しく、優しく月彦は優巳の髪を撫でつける。
 まるで、慰めるように。
「んふっ……んんっ……んくっ……」
 月彦からの突然のディープキスに最初こそ戸惑っていた優巳も、次第に舌の動きを合わせてくる。
「んふっ……んン……んんっ……!」
 そのまま、月彦は腰を引き、軽く突く。優巳が喉の奥で噎ぶように鳴き、月彦はぬろりと舌を引き抜いた。
「あぁ……ヒーくぅん……もう、キス……止めるの……?」
 甘えるような声を出す優巳に、月彦はいい気になるなと口にしかけて、言葉を飲み込んだ。
「……もっとキスがしたいのか?」
「う、うん……したい……」
 わかった――とは言わず、月彦は無言で唇を重ねた。重ねながら――多分そのほうが優巳はもっと“良い”だろうと思って、胸元へと手を伸ばし、乳首を刺激してやる。
「ンンンっ……んぅ……!」
 優巳の反応があからさまに変わり、埋没したままの剛直がキュン、キュンと締め付けられる。反撃のつもりで、月彦は抽送を再開し、優巳の中を小突き始める。
「ふぁっ……ぁっ……あぁぁぁ!」
 堪りかねたように優巳が唇を放し、あえぎ出す。月彦も上体を起こして、さっきまでよりも大きく腰を引き、ずんっ、と強く突き上げる。
「あああぁぁぁぁ! …………はぁっ、はぁっ……あぁぁあん!」
 突き上げるたびに、優巳は大きく背を反らせ、顎を天に突き出すようにして喘ぐ。その体は上気してすっかりピンク色に染まり、早くも汗が滲み始めていた。
「…………さっきまでの半分も動いてないのに、ずいぶん良さそうだな」
 腰を大きく引いて突き上げる度に優巳は軽くイッているのか、キュンキュン締め付けられてその度に月彦は奥歯を噛みしめて耐えねばならなかった。
「だ、だって、ぇ……ヒーくん、なんだか、優し……あぁん!」
「気のせいだろ。なんで俺が優巳姉に優しくしなきゃいけないんだ」
 ふんと鼻で笑いながらも、月彦は優巳の腰のくびれに手を当てて持ち上げるようにしながら、ぐりぐりと膣内の上の方を刺激する。
「だ、だめ……そこっ……あぁぁぁぁぁぁぁァァッ!!」
 ビクッ、ビクッ、ビクビクッ……!
 優巳の腹部の辺りが激しく上下し、電気ショックでも撃たれたように全身を痙攣させる。“そこ”が弱点であることは、勿論看破済みだった。
「ま、って……待って……ヒーくん……次は……私に……私に、させて……」
「優巳姉に?」
「お願い……ね? 上にならせて」
 月彦はわずかに悩み、結局優巳に“上”を譲った。
「ごめんね、ヒーくん。…………今度は、私がヒーくんを気持ちよくさせてあげるから」
 そう言って、優巳は月彦の胸板に手を突くと自ら腰をくねらせ始める。
「んっ、んっ……はぁはぁ……んっ、んっ……!」
 優巳に騎乗位をやらせるのは今夜だけで何度目だろうか。もちろん月彦はさして期待はしていなかった。
(……だって、優巳姉胸無さ過ぎなんだよな)
 騎乗位の良さの半分以上はおっぱいにあると、月彦は思っていた。見てよし触ってよし揉んでよしの折角三拍子そろった体位であるのに、優巳相手ではそういった楽しみ方は全く出来ないのだ。
 だから、優巳の騎乗位には全く期待をしていなかったのに――。
「っ……ゆみ、ねえ……?」
 突然ゾクリとするほどの快楽が背筋を走って、月彦は反射的にベッドシーツに爪を立てた。
「はぁっ……はぁっ……ヒーくんっ……ヒーくぅん……!」
 優巳は目を閉じ、夢中になって腰を振る。きゅっ、と締め付けたまま腰を上下させ、さらに前後運動を交えたり、ねじるように回したり。
 やっていることは少し前の騎乗位とさほどに代わらないと言うのに、その行為一つ一つから得られる快感が段違いだった。
「いっぱい……迷惑かけちゃって、ごめんね……んっ……ふぅ、ふぅ…………ごめんね……んっ……」
 唯一違いがあるとすれば、真摯さ――優巳の動きの端々から、自分に出来る精一杯の動きで謝罪をしたいという想いが伝わってきて、それが冷め切っていた月彦の心を溶かし始めていた。
(んな……バカな……)
 そう思いたかった。しかし現に月彦は追いつめられ、自分の意思とは無関係にうわずった声を上げてしまう程に優巳の動きに翻弄されていた。
「ちょ……ヤバ……優巳、ねえ………………」
「ヒーくん、まだ一回も出してないよね……ヘタクソでごめんね。……でも、頑張るから……ンッ……出そうになったら……あんっ……中で、出しちゃっていいから……」
「中で、って……」
 前回はあんなにも嫌がっていたではないか。そんな月彦の心の中を見透かしたように、優巳がわずかに微笑む。
「……いっぱい優しくしてくれた、お礼、だよ……妊娠、しちゃうのは……ンッ……怖い、けど…………ヒーくんなら……ヒーくんだったら……ぁっ、ぁっ……」
 違う――と。月彦は何重もの意味で思った。
 優しくしたのは――月彦は認めたくはなかったが――罪悪感を誤魔化すためだ。それと、スッキリしてぐっすり眠るためだ。優巳のためではない。
 そしてもう一つの“違う”の意味は、こんなのは優巳姉ではないという思いだった。
(また……演技、なのか? それとも……こっちが素でいつもは悪ぶってるだけなのか……?)
 解らない。その両者にあまりにギャップがありすぎて、月彦にはとても同一人物には思えない。
「はぁっ、はぁっ……だ、だめっ……ごめんね……ひーくぅん…………あぁっ! ひ、ヒーくんが……イくまで……今度は我慢しようって、思ってたのに……はぁはぁ……も、だめ……イッちゃう……だめぇぇ……イくの、我慢できないぃぃ……」
 泣きそうな声で弱音を吐きながらも、それでも腰の動きを止められないのか、はあはあと喘ぎながら優巳は腰をくねらせ続ける。
「……っ……だい、じょうぶだ、優巳姉。……俺も、さすがに……もうっ……くっ……」
「ほ、本当……? ヒーくんも……あぁん! やっ、だめっ……だめだってばぁっ……い、イきそうなの、一生懸命我慢、してるのに……あんっ! だめっ、だめっ……突き上げないでっ……だめっ……だめ……!」
 優巳の両足の付け根を掴み、月彦もスパートをかけるように下から突き上げる。忽ち優巳は腰砕けになり、上体をかぶせてくる。
「ひ、ひーくぅん……」
 そして、両目一杯に涙を溜めた目で、月彦を見る。――デジャヴを感じて、そしてすぐに月彦は思い出した。遊園地で、観覧車の中で手を繋ぎたがっていたときのあの目だと、すぐに解った。
 月彦は無言のうちに優巳の意を汲んで、その後頭部に手を回して抱き寄せ、唇を重ねた。
「んんんン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっっっ!!!!!」
 唇が重なるのと、優巳がイくのは――そして、月彦が限界を迎えたのは同時だった。
 噎ぶ優巳の中に、ドクリと。溜まりに溜まった白濁液を容赦なくぶちまけ、注ぎ込んでいく。
「ンンンッ!!!! ンンンッ!! ンンンっ!!!」
 上に跨っている優巳は、その気になればいくらでも腰を上げて逃げられた筈だった。しかしそうはせず、むしろ密着するように腰を落とし、に膣奥を擦りつけるようにしながら射精を受け入れていた。
「っ……はぁぁ…………ヒーくん…………いっぱい出たね…………」
 そして射精が終わるなりそっと上体を起こし、優巳は照れるように笑った。その笑顔を――不覚にも可愛いと感じてしまって、月彦の方も慌てて照れるように顔を背けた。
「…………勘違いするなよ。…………一回出してスッキリしたかったから、その為に優巳姉を利用しただけだからな」
「うん、解ってる……ちゃんと解ってるよ、ヒーくん」
 月彦の視界の外で優巳は寂しげに笑って、そして剛直を引き抜くや、体を月彦の足の方へとずらす。
「ゆ、優巳姉!? そんなこと、しなくていい」
「……いいの、私がしたいって思ったんだから」
 いわゆるお掃除フェラ――白濁にまみれた剛直をぬろり、ぬろりと舐められ、月彦は早くもうわずった声を上げてしまう。
(…………畜生……マジで優巳姉の事がわかんねぇ。…………どっちが本当の優巳姉なんだ)
 結局そのまま口で抜かれて、月彦は二度目のシャワーを今度は優巳と共に浴びてやっと眠りにつくことが出来た。
 時刻は既に四時を回っていた。


 翌朝、月彦は目が覚めるなり真っ先に自宅へと連絡を入れ――例によって葛葉は心配すらしていなかったが、真央もそうだとは限らない為――それとなく葛葉に真央へのフォローを頼みつつ、月彦は病院が開く時間になるのを待ってから優巳と共に霧亜の病室へと向かった。
(……優巳姉を姉ちゃんに会わせるのはちょっと怖い気はするけど……)
 “被害者”である霧亜をさしおいて自分が直接優巳の処分を決めるわけにはいかず、月彦は迷いつつも優巳を伴って病室のドアをノックした。
「姉ちゃん、俺だけど」
 例によって返事はなく、月彦は少し待ってからそっとドアノブを回し、病室の中へと足を踏み入れた。
「……姉ちゃん、起きてるか?」
 そっと衝立の陰から顔を覗かせる。また松葉杖が飛んでくるのではないかと内心ヒヤヒヤしていたのだが、さすがにノックをきちんとした為か、そういう事は無かった。
 霧亜は仰向けに寝ていたが、月彦が衝立から顔を出した時には瞼を開け、のそりと。さも気怠そうに体を起こし、両足をベッドの外へと出す形で腰掛けた。
「……誰か連れてきたわね」
 下衆の匂いがするわ――まるで唾でも吐くように霧亜は言い、月彦の横――衝立越しに優巳を睨み付ける。
「あ、あぁ……ほら、優巳姉」
 月彦が促し、優巳が重い足取りで衝立の裏から歩み出る。……一瞬、ただでさえ厳しい姉の目が一際険しいものになるのが、月彦にも解った。
「どういう事かしら」
「えと、その……キーちゃん、ごめんなさい!」
 優巳はその場に膝をつき、両手もついて霧亜に土下座をする。
「……姉ちゃんを階段から突き落としたのは優巳姉なんだとよ。……どうする? 警察に突き出すか?」
 少しだけ――態度には出さないまでも――ほんの少しだけ、月彦は得意になっていた。どうだ、姉ちゃん。俺だってやるときはやるんだぜ?――姉にそんな様を気取られないよう細心の注意を払いながらも、やっぱり月彦は少しだけ得意気だった。
 こんな事で姉が褒めてくれるなどと甘い考えこそ抱いていないまでも、ほんの少しでも自分のことを認めてくれるのではないか――そんな考えがちらりとでも無かったかと言われれば嘘になる。
 内心そんな状態であったから、月彦には何故霧亜が何かに落胆するようにため息を漏らしたのか、その理由が理解出来なかった。
「……優巳、顔を上げて」
「キーちゃん?」
「そのまま立って」
 言われるままに、優巳は立ち上がる。
「後ろを向いて」
 優巳はくるりと、その場で霧亜に背を向ける。もしや、自分がされたように優巳の背を突き飛ばして報復するつもりなのだろうかと。そんな月彦の予想はカスリもしなかった。
「バカに付き合ってわざわざご苦労様。もう帰っていいわよ」
「へ?……ちょ、ちょっと姉ちゃん!?」
 霧亜の言葉が信じられなくて、月彦は声を少しばかり裏返らせてしまう。
「何言ってんだよ! 姉ちゃんを突き落としたのは優巳姉なんだぞ!? あっさり帰しちゃ――」
「何か勘違いしてるようだけど、私は誰にも突き落とされたりなんてしてないわ」
「えっ、でも……」
 月彦は戸惑い、視線を優巳の方へと走らせる。優巳もまた戸惑うように月彦の方へと視線を向けていた。
「確かに、私が階段から落ちた現場にその女は居たわ。だけどその女は何もしてないの。その女の存在に気がついて、慌てて振り返ろうとしたら足が滑って落ちただけよ」
「ま、待ってくれよ! 姉ちゃん、なんで優巳姉をかばうんだよ! だって、優巳姉が自分で言ったんだぞ!? 姉ちゃんを突き落としたって――」
「月彦」
 姉のその一言は、月彦が発言を途中で止めて全身を硬直させるのに十分な切れ味を持っていた。
「あんたは、その女の言葉と、私の言葉。どっちを信じるの?」
「なっ……だ、だって……」
「どっちを信じるの?」
 ぐっ、と月彦は言葉を失わざるをえなかった。
「そういうわけだから、優巳。帰っていいわよ」
「き、キーちゃん……あのね……私……」
「いいから出て行けって言ってるのよ」
 自分に向けられたわけではないと解っていても、月彦は思わず身を竦ませてしまった。ましてや、面と向かっていた優巳などは小さく悲鳴まで漏らしていた。
「ほ、本当に……ごめんね……」
 優巳は一言そう言い残して、ほとんど逃げるように病室から出て行った。
「姉ちゃん……どうして……」
「……まだ居たの?」
 横目でぎろりと睨まれて、月彦は思わず二歩ほど後退してしまう。
(何……だ? 姉ちゃん、ひょっとして怒ってる……のか?)
 あっさりと褒めてもらえる――とは思ってはいなかった。しかし、怒られるようなこともしていないと月彦は確信していた。
 それだけに、眼前の霧亜が何故怒っているのか、月彦は計りかねていた。
「………………うちでは犬を飼ったことはないけれど」
 霧亜が不意に、まるで独り言のように呟き始める。
「仮に飼ったとして。その犬があんたによく懐いていたとするわ」
「ね、姉ちゃん?」
「その犬はあんたに褒められようと思って、毎朝郵便受けから新聞を咥えて持ってくるんだけど、そうして持ってこられた新聞は涎まみれでグシャグシャで、牙で穴まで空いてて、読めたものじゃないの」
 月彦の言葉などまるで無視をして、霧亜は淡々と語る。
「新聞は自分で取りに行くからいいって、何度言ってもその犬は聞かない。自分では役に立ってるつもりだから、得意気にシッポまで振りながら、涎まみれの読めない新聞を持ってくるわけ。どれだけ叱っても理解しないバカ犬を、あんたならどうする?」
 霧亜が、ベッド脇に立てかけられていた松葉杖を手にとり、立ち上がる。そしてそのうちの片方を本来の用途とは逆に握り、ぶんっ、と大きく振る。
「ねえ月彦。今後の参考に教えてくれない? 棒で殴りつけてやればそのバカ犬はバカな真似を少しは自重するのかしら?」
「お、俺は………………俺だって、ちゃんと、自分で考えて――……痛ッ……」
 松葉杖が容赦なく肩口へと振り下ろされ、月彦は堪らずその場に膝を突く。同じ一撃だが、霧亜の力加減によるものか、いつぞやノックを怠って振り下ろされた時の数倍の痛さだった。
「誰に、何を言われても相手をするな。……そう言わなかったかしら」
「だけど……姉ちゃん!」
「“あの女”はね、あんたの気を引きたくて引きたくて仕方ないのよ。あんたに構って欲しくて、相手をして欲しくて、妹を使ってちょっかい出してきてるわけ。動いたらあの女の思うつぼなのよ。そんなことも解らないの?」
「あの女って……まさか……愛姉……?」
 その名を口にするだけで、ぞっと全身に鳥肌が立ち、全身に嫌な汗が滲む。
「あの女にとっては妹すらもただの捨て駒。仮に警察を使って二度と近づけないようにしたところで、“代わり”が用意されるだけ。……もっとも、それ以前にあの女の父親が手を回してくるでしょうけど」
 そういえば――と、月彦は思い出していた。優巳の父親は大地主であり、各界に太いパイプを持つと噂される人物であると。可愛い娘の罪状を握りつぶすくらいのことは確かにやりかねない。
 ふっと、霧亜が全身から力を抜き、ベッドへと腰を下ろす。
「……良かったわね、月彦。あんたの望み通り、“次”はもっと酷いことになるわよ」
「望み通りって……」
「何をすればあんたが構ってくれるか、あの女に教えたかったんでしょ? 自分を狙ってる女に、自分の急所は何なのか教えてやりたかったんでしょ?」
「ま、待ってくれ、姉ちゃん! 俺は別にそんなつもりじゃ……」
「あの女が真央ちゃんの存在に気がつかないといいわね。……知ったら、喜々として狙ってくるわよ」
「……っ……!」
 真央が狙われる――霧亜の言葉に、月彦は言葉を無くす程に戦慄した。今回、霧亜の身に起きたことがそのまま真央にも起きるかもしれない――そしてそうなった場合、その原因は自分が作ったことになる。
「…………そんなことは、絶対にさせるか。姉ちゃんにも、真央にも、絶対手出しなんかさせるもんか」
「そうね、あんたは自分で考えて、言われた以上の事が出来る賢い子だもの。期待しているわ」
 笑みすら伴って呟かれた霧亜の言葉に、月彦はもはや何も言えなかった。


 暗澹たる気持ちで病院を後にした月彦は、その敷地内を出るなり思わぬ人物の待ち伏せを受けた。
「あっ……」
 と。その男は月彦の顔を見るなり歓喜とも怒りともつかない困惑した表情を浮かべ、駆け寄ろうかどうしようかと散々迷うような微妙なステップを繰り返した後、小走りに駆け寄ってきた。
「や、やぁ……」
 霧亜とのやりとりによるショックから軽い心神喪失状態であった月彦は、自分に声をかけてきた人物が一体誰であるのか、しばしの間理解できなかった。
「…………あ、ストーカーの……」
 そして自分の前に立つ人物と記憶が漸く結びつくなり、月彦は反射的にそんな言葉を漏らした。
「お、俺はストーカーじゃない! …………いや、ストーカーなのかな……もう俺にもわからないや……」
 男は力無く笑い、そしてがっくりと肩を落とす。
「俺は……優巳と付き合ってるつもりだったけど……ひょっとしたらそう思ってたのは俺だけで、優巳にとってはストーカーだったのかもしれない…………そんな筈はないって思いたいけど、優巳の態度を見てるともう、そうとしか……」
「……付き合って……たんですか?」
 月彦の問いに、男は無言でポケットから携帯電話を取り出す。そしてなにやら操作をして、月彦の方へと液晶画面を向けてくる。
「これは……」
 そこには、男と優巳が身を寄せ合って微笑んでいる画像が映し出されていた。
「君に……どうしてもこれを見て欲しくて……………なぁ、君はどう思う? これでも俺はストーカーなのか?」
「……………………。」
 月彦には何とも答えられなかった。画像に写されている優巳の笑顔を見る限り、とても脅されたり強制されて無理矢理撮られた写真のようには見えない。しかし、二人の間に真実何があったかなど、一枚の写真からは解る筈がない。
「…………ごめん、いきなりこんなこと聞かれても迷惑だよな……。だけど、どうしても君に見て欲しくて…………」
 男は携帯をポケットにしまい、深くため息をつく。
「…………すみません、ひとつ聞いてもいいですか? 俺がここに居るってどうして解ったんですか?」
「昨日、優巳の部屋に泊まっただろ? それで朝、優巳と一緒にここに来て、優巳だけが帰ったから……そのまま待ってたんだ」
「………………。」
 まさか、ずっとアパートの外で見張っていたのか。
(…………ひょっとして本当にストーカーなんじゃないのか)
 しかし、優巳が一人で帰ったのを目撃しつつも優巳の後を追わなかったということは、やはり男が言っている事は真実なのではないかとも思える。
「…………すみません、俺にはなんとも言えません。……ただ、優巳の事はもう諦めたほうがいいと思いますよ」
「……そうだね。優巳の態度を見てると、本当にそう思えるよ。…………だけど、君もいつストーカー扱いされるかわからないから、それだけは覚悟しておいたほうがいいよ」
 最後の一言はおそらく、男なりのせめてもの一矢だったのだろう。
「そうですね、覚悟しておきます」
 月彦もまた無感動に返して、その場を後にした。

 


 ――数日後、土岐坂家別邸。

「アッハ! 優巳ありがとーーーーーーーーー! 優巳はやれば出来る子だって信じてたよ!」
 眼前の畳の上に広げられた十数枚の写真を見るなり、愛奈は骨付き肉を目の当たりにした犬のように興奮さめやらぬ声を出し、ばんばんと畳を叩いて喜んでいた。
「ぁ……うん、愛奈が喜んでくれて私も嬉しいよ」
 はて、自分は何故また姉の元に来ているのだろう――尋常ではない喜び方をする姉を前にして、優巳は今更ながらにそんな事を疑問に思っていた。
「あぁん……ヒーくんってばホントかわいーーーー! この“仕方なく付き合ってる”って感じの仏頂面が最高だよぉ……はぁはぁ……あぁぁあん……ヒーくん……ヒーくぅぅん」
 愛奈は写真に頬ずりをしたり、ぺろぺろとなめ回したりしながら時折畳を叩いては奇声を上げ、畳の上を転げ回る。慣れぬ者が見れば「正気を失ったのでは?」と思われかねない愛奈の狂行は一時間以上も続いた。
「はぁはぁ……だめ、また鼻血出ちゃう……私ちょっと向こう向いてるから、その間に写真しまっちゃって」
「う、うん……」
 愛奈に言われるままに、優巳は広げられた写真を元の封筒へと戻していく。もちろん愛奈の涎でべとべとになってしまっているものはきちんとハンカチで拭いてから戻した。
「戻したよ、愛奈」
「ありがとう、優巳。……こっちへおいで?」
 くるりと振り返った愛奈はぴしりと正座をし、ちょいちょいと手招きをしてくる。優巳はおそるおそる―― 一体自分が何を警戒しているのか、優巳自身にも解らなかったが――愛奈に招かれるままに膝を寄せていく。
「今回優巳は頑張ったから、特別に膝枕してあげる。特別だよ?」
「あ、ありがとう、愛奈」
 促されるままに優巳は愛奈の膝の上へと頭を乗せ、横になる。姉の手が、ゆっくり、これ以上ないという程に優しく髪を撫でてくる。
「ヒーくんとのデートの写真もちゃんと撮って、ヒトブタちゃんにもきっちり復讐したみたいだし。死ななかったのは残念だけど、それは優巳のせいじゃないしね。……ほんとしぶといよね、早く死ねばいいのに」
「…………。」
 うん、そうだね愛奈――ついうっかりそんな軽口を漏らしかけて、優巳は慌てて口を噤む。何故かは解らないが、それを口にしたら恐ろしい目に遭うような気がしたからだ。
「…………それで、優巳。どうだった?」
「え……どう、って?」
「ヒーくんとシたんでしょ?」
「う、うん……」
「何か変わった事は無かった?」
「えっと……そういえば、愛奈にもらった痺れ薬が全然効かなかったんだけど……」
「ああ、アレね。優巳には半日もつって言ったけど、実際は一時間もしないうちに切れちゃうやつなの。だからそれは別に変じゃないよ」
 えっ――優巳の声は、掠れていた。
「どうして……嘘ついたの?」
「別に、なんとなくだよ? だって、優巳にはそういうヤラレキャラっぽいのが似合うもの」
 姉の言葉の意味が、優巳には理解出来なかった。
「だから、それは当たり前の事で全然変な事じゃないの。……他に何か変わったことは無かったの?」
 優巳は混乱していた。姉が何を言っているのか、何を聞き出そうとしているのか全く理解できなかった。
 言葉を失っていると、くすりと。愛奈が笑みを一つ零して、質問を変えてきた。
「…………ねえ優巳、3+4はいくつ?」
「いくつ……って……7じゃないの?」
「じゃあ11+15は?」
「26……じゃないの?」
 ますますもって姉の言葉の意味がわからず、優巳は困惑する。が、愛奈は優巳の答えに満足したのか、アハッ、とさも嬉しそうな声を出す。
「やっぱりそーなんだ? さっすがヒーくん! ヒーくんすごいよ! やっぱり私たちって運命の二人だよ!」
「ちょ、ちょっと愛奈……どうしちゃったの? 私にも解るように説明してよ」
 さすがに黙っていられず、優巳は体を起こして愛奈に詰め寄る――が。
「んふふっ、だーめ。優巳にはまだ教えてあげない」
 しかし、愛奈はにんまりと意味深な笑みを浮かべるばかり。
「愛奈ぁ……ズルいよ、教えてくれたっていいじゃない。一体どういう事なの?」
「教えても優巳には解らないよ。……ヒーくんはね、私が黒く塗りつぶしたのを、白く塗り返せるって事だよ」
「愛奈が黒く塗ったのを……?」
「ね、ほら。やっぱり優巳には解らないでしょ? んふふふ……嬉しいなぁ……こんなに嬉しいのは久々だよ。次は何してヒーくんと遊ぼうかなぁ」
「……あ、愛奈……あのね? 次にまた何かするのなら、その時は……私、手伝わなくていいかな?」
 きょとんと。優巳の言葉に、愛奈は目を丸くする。
「何言ってるの、優巳。私はこの屋敷から出してもらえないんだよ? 優巳以外に頼りに出来る人もいないんだよ?」
「それは解ってるけど……さすがにこれ以上はマズいよ……キーちゃんにはちゃんと復讐したんだし、もういいじゃない。ね?」
「……どうしたの? 優巳。なんだか性格が変わっちゃったみたい。……もしかしてそれもヒーくんの仕業?」
「性格が変わった、って……」
 優巳自身、自覚はなかった。
(そう言えば……なんか、前より……)
 気のせいか、頭の中がクリアになっているような気はする。ずっと濁った霧のようなものがかかっていたのが、晴れてすっきりしたような――。
「…………ねえ優巳。今日は泊まっていきなよ」
「え、でも……明日大学あるし……」
 そう、今日は平日だ。なのにどうして自分は姉の元にやってきてしまっているのか、優巳自身不思議で堪らなかった。
「そんなのどうでもいいじゃない。ね? シよ?」
 姉の手が這い、優巳は半ば強引に唇を奪われる。
「ン……や、やだ……ちょ、愛奈……止めてよ!」
「アハッ! 嫌がる優巳ってなんだかすっごく新鮮だね。逆に燃えてきちゃったよ。じゃあ、今日は無理矢理っぽい感じでシちゃおっかな?」
「ひっ、……ま、待って……愛奈、止めて……!」
 姉とは、何度も体を重ねている。なのにどういうわけか、今日に限って姉に抱かれるという事が怖気が走るほどに嫌悪を呼んだ。
 優巳は半ば本気になって抵抗をしたが、愛奈はそれすらも面白がって、巧みに四肢を封じ、衣類を脱がせてくる。単純な身体能力の差でも、そしてそういった“寝技”のそのどちらも優巳は愛奈には敵わなかった。
「ふふっ、いーなぁ、この感じ。“嫌がってるのを無理矢理”ってシチュ、すっごく興奮しちゃう。あっ、そーだ。今度はさ、病室からキーちゃん攫ってレイプしちゃうっていうのはどうかな? そんで動画に撮ったりしてさ、ヒーくんに見せちゃうの! ねっ、ねっ、優巳。面白そうだと思わない?」
「そんな……い、イヤだよ……そんなの、手伝ったりしたら、今度こそ私……本当にヒーくんに殺されちゃう……!」
「ほんと、すっかり弱気になっちゃって。ヒーくんに何かされたのかな?……でも、大丈夫だよ、優巳。すぐに私が黒く塗り直してあげる。いつもの陽気でちょっと生意気で、そして従順な優巳に戻してあげる。そしたら怖い事なんて何もなくなるよ」
 内容とは正反対の、心の芯までとろけるようなそんな優しい声だった。愛奈の手がむき出しにされた優巳の胸元を這い、震え上がるように堅く立っている先端を優しく、優しくなで回してくる。
 姉の言葉の意味は、優巳には殆どわからない。解らないのに、何故か底の見えない水の底に体が沈んでいくような、そんな恐怖に優巳は震え上がった。
「い、や……助けて……だれか、たすけて、よぉ……」
 足を開かされ、堅くそそり立った肉の塊に貫かれながら、譫言のように何度も優巳は繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下おまけ  本編には関係ないので読みたい人だけどうぞ

 

 

 

 


 夕暮れ時。屋敷の庭池を跨ぐようにかけられた橋の上でその欄干に腰掛け、土岐坂愛奈は暇を持て余していた。既に“お勤め”を終え、その日にやるべき事、やらなければならない事は何一つないという黄昏時。両足をぷらぷらさせながら、その間を抜けていく子供の背丈ほどもある錦鯉を眺めたり、遠い山の端に沈む――実際には、それよりも屋敷を囲んでいる高い高い塀でその姿は見えなくなるのだが――夕日を眺めたり。
 愛奈は、退屈しきっていた。
「あっ」
 だから、彼女に仕える百人以上もの女官の一人が視界の端を横切った時、愛奈はまるで獲物を見つけた爬虫類のような声を出してぴょんと、欄干から橋の上へと降り立った。
「ねえ、ちょっと」
 丁寧にたたまれた大量の襦袢を両手でかかえた女官は、まるで愛奈の声が聞こえなかったかのように、ついと廊下の端を曲がった。アハッ――そんな黄色い声を上げて、愛奈は磨き上げられた濡れ縁の上を白足袋で滑るように追いかけていく。
「止まりなさい」
 最早、“聞こえなかった”という言い訳が絶対に出来ないほど距離を詰めて、愛奈は嬉々とした声で女官を呼び止めた。女官もさすがに“聞こえないふり”は出来ないと悟ったのか、足を止め抱えていた襦袢をそっと足下に置いて愛奈の前に平伏する。
「何か、御用でしょうか」
「逃げたでしょ」
 相手の言い分にかぶせるように、愛奈は強い語気で――しかし怒っている風ではなく、むしろ遊んでいる子供のように楽しげに――言った。
「と、とんでもございません」
「逃げたよね? あぁ、また厄介事に巻き込まれるって。早足になったよね?」
 女官はもう何も言わなかった。ただただ平伏し、頭を下げ続けていた。ぺろり、と愛奈は舌なめずりをして言った。
「顔を上げて」
 恐る恐る、女官が顔を上げる。不細工ではない――が、これといって思い入れのない顔だった。年は自分よりは上――恐らくは22,3くらいだろうか。身長もやや高く、スタイルは悪くない。髪は短く、若干の田舎臭さを除けば、多分美人の範疇に入る顔立ちだろう。
「名前は?」
「八森静香……と申します」
「八森……あぁ、分家の子ね。年は?」
「今年で21になります」
「アハッ、やっぱり年上なんだ。ここに来て何年?」
「……じきに三年になります」
「三年かぁ、ってことは“今年で終わり”だね。それとも、その後も屋敷に残るつもりなのかな?」
 分家の女は、二十歳になるまでに最低三年、本家に奉公に出なければならない――そんなばかげた風習がある事は、無論愛奈も知っていた。ただ、百年以上もの間続いているらしいその習わしも、近年になって大分たがが緩んできているらしく、この女官のように18や19で屋敷へやってくる分家の娘も少なくは無かった。
「……一応は、今年度で終わりという事にさせていただいております」
「アハッ、やっぱりそうなんだ。そうだよねー、三年もこんな屋敷に缶詰されたら普通嫌気がさしちゃうよね」
「そんな、事は……」
「気を使わなくていいんだよ? いつも見ていて大変そうだなぁって私でも思うくらいだもん。お給金も安いらしいし、正直割に合わないって思ってるでしょ?」
「そんな事はございません、愛奈さま。私どもにとって愛奈さまと土岐坂の家に仕える事こそ無上の喜びでございます。不満など微塵もございません」
「そういうお為ごかしはいいからさ、ホントの所教えてよ。ね、ほら……私にだけ特別にさ。正直に教えてくれたら、お父様に口利きしてお給金上げてあげてもいいよ? 私、自分の意見ちゃんと言ってくれる人大好きだもん。何なら、気に入らない同僚の話とかでも大歓迎だけど?」
「め、滅相もございません」
 女官は再び平服してしまう。ちっ、と愛奈は小さく舌打ちをする。
「……待って、そういえば今年で抜ける分家の子が、その後すぐに結婚するって聞いた気がするんだけど、ひょっとして……貴方の事?」
「……はい」
 それは、耳を澄ませていなければ聞こえないほどに小さな声だった。
「アハッ、そーなんだ。おめでとう!」
「あ、愛奈さま……?」
 愛奈は女官――静香の両手をとり、持ち上げながら嬉々と声を上げる。
「そっかぁ、結婚かぁ、いいなぁ。いい人見つかってホント良かったねー」
「……ありがとう、ございます。愛奈さま」
 まさかの主人からの祝詞に戸惑いながらも、おめでとうと言われて悪い気がするはずもなく、静香は照れ笑いを浮かべながら目尻に涙を浮かべる。
「ねえ、静香。結婚するって事はさ、相手の男ともうエッチはしたの?」
「えっ、と……」
「いいじゃない。お互いもう大人なんだし、それくらい教えてよ」
「……っ……はい、しまし、た」
 頬を赤らめながら、ためらいがちに静香は頷く。
「口でしてあげたことは?」
「あ、愛奈さま……もう……」
「いいから教えてよ。口でしたことは?」
「……あり、ます」
「ふぅーん?」
 愛奈は口元を歪めながら、そっと廊下の片側、屋敷の壁とは反対側の手すりへと体をもたれさせる。
「じゃあさ、私にもしてよ」
「えっ……」
「彼氏にするみたいにさ。私も気持ちよくして。…………三年もここに居るんなら、私の体の事くらい知ってるでしょ?」
「っ……あ、愛奈さま……どうか、それだけはご勘弁を……」
「だーめ。……シてくんなきゃ、お父様に告げ口して結婚出来ないようにしちゃうよ?」
「……っ……」
「ほらぁ、早くぅ」
 愛奈は自ら袴の腰帯を緩め、静香に促す。
「……せめて……場所を……」
「なぁに、ここじゃ出来ないっていうの?」
「ひ、人に見られます」
「私は構わないけど?」
 くつくつと笑いながら、愛奈はさらに促す。既に、静香の狼狽しきった様に肉竿が怒張し始めていた。
「愛奈さま……私は、結婚を……」
「貴方の都合なんか私の知った事じゃないわ。……耳が聞こえないの? 私は“しゃぶれ”って言ってるんだけど?」
「…………っ……わかり、ました」
 静香は全てを諦めたように目を伏せ、おずおずと膝立ちになり、愛奈の股間部分へと体を近づける。半脱ぎだった袴を下ろし、怒張しきっている肉竿を取り出すと、そっと口づけをする。
「んっ、んっ」
 そのまま、てちてちと肉竿を舐め始める。――が。
「きゃっ」
 五分と経たないうちに、愛奈は静香の頬に平手打ちをした。
「ヘタクソ。彼氏にするみたいにしろって言ったでしょ。彼氏にもそんな風に気のないフェラをするの?」
「……っ……も、もうしわけ、ございません」
「ほら、さっさと咥えなさいよ。風邪ひいちゃうじゃない」
 静香の髪を掴み、肉竿を頬に擦りつける。静香は両目に溜まった涙を一筋零し、肉竿に唇をつけるとそのまま一気に頬張った。
「そうそう、最初からそうすればいいのよ。…………ほら、ジッとしてないで、頭を前後させるのよ。じゅぽじゅぽって、音がするくらい強く吸いながら」
「ンぐぐっ……ング……んぶぶ……!」
 愛奈は静香の髪を掴み、強引に頭を前後させながら悶え声を上げる。屋敷の廊下の片隅でそのような嬌態を演じる二人のそばを、幾度となく他の女官が通り過ぎる――が、誰一人立ち止まりも、ましてや注視などする者は居ない。ある意味では、この有様がこの土岐坂別邸の“日常”であるからだ。触らぬ神に祟りなし、下手に足を止めようものならこの災厄が次は自分に訪れるという事を、女官達は知っているのだった。
「うーん、やっぱりイマイチね。優巳にさせるのと全然違うわ。……本気でやってそれなの? こんなんじゃ彼氏も満足してくれないでしょ?」
「んぶっ……んぷっ、んくっ……」
 静香はさらに涙を零しながら、必死になって頭を前後に振り、涎の糸を零しながら肉竿を吸う。
「……んー、だめ、イマイチ。あんた下手すぎ」
 愛奈は静香の髪を掴み、強引に肉竿から引きはがす。
「…………そーだ。…………ねえ貴方、“三年目”なら携帯電話くらい持ってるでしょ?」
「……はい」
「ちょっと出してよ」
「い、今は……ちょっと……」
「あ、そっか。特別な用事でも無い限り、基本携帯は預けっぱなしなんだっけ」
 屋敷に奉公に来る娘達は、三年目になって漸く一時的な帰郷や、外部と連絡の取れる携帯を持つ事を許される。が、これも基本的には屋敷の側に預け、余程のことがない限り使う事が出来ない決まりになっている。
「じゃあ、急いで取ってきてよ」
「で、でも……」
「いいから。急いで。一分以内ね」
 パンパンと手を叩いて催促するや、静香が慌てて走り出す。屋敷は広く、携帯を管理している女官長の詰め所まではどんなに急いでも一分では行けない。勿論愛奈はそんな事は百も承知で命令を下していた。
「おっそーい。三分の遅刻よ」
「も、もうしわけ……ござい、ません」
 はあはあ、ぜえぜえ。肩で息をしながら、静香は恐る恐る手にしていたものを差し出してくる。
「すっごーい! これ知ってるよ、アレでしょ? スマイルホンとかいう今出てる中で一番新しい奴だよね。へぇーっ、よく買えたね?」
「…………その、彼……からの………………です」
 プレゼントという単語をあえて避けたような、そんな言い方だった。
「ふぅーん。これってさ、確か動画とかもキレーに撮れるんだよね。どうやるの?」
「あ、はい……ええと……」
 静香がちょいちょいと画面を操作し、スマホを動画モードに設定する。
「おーけー、あとは分かるよ。…………じゃあ、続きお願い」
「え……?」
「え、じゃないよ。これで撮っててあげるからさ、さっきの続きしてよ」
「そん、な……あ、愛奈さま……」
「はーやーくー! 風邪ひいちゃうってば!」
 ばんばんと腰掛けている手すりを叩きながら、愛奈は催促する。渋々、といった具合に静香は膝をつき、奉仕を再開させる。
「あぁ……いーよぉ、いい絵撮れてるよぉ…………ほらほらぁ、さっきしてたみたいにもっとじゅぷ、じゅぷって音立てながらしなさいよ」
「ンぷ……ぐぷっ、んんぶっ……んぶぶっ……んグ……」
「あぁぁぁ……イイよぉ……この“嫌だけど、仕方なくやらされてる”って感じのフェラ、たまんない。ねぇ、静香。本当は私のことなんか大嫌いなんでしょ?」
「っ……そんな、事は……」
「嘘ばっかり。こんな事させられて嫌いにならないわけないじゃない。でも、私は全然構わないよ。嫌がってる子に無理矢理しゃぶらせるの、大好きだから。キャハハ!」
 愛奈は再度咥えるように促し、悶えた声を上げながらしばしうっとりと“奉仕”による快楽に興じる。――その目がはたと、静香の耳へと止まった。
「この耳……静香ってば、ひょっとして柔道とかやってた?」
「んぷっ……ぁ……は、はい……学生の、頃に……」
「やっぱりー。女官の割には身長も高めだし、絶対何かやってたと思ったよ。でも、柔道っていうのは奇遇だね。実は私も昔ちょこっとだけやってたんだよ。だけどさ、全然よわっちくって、すぐ辞めちゃった。ほら、耳も普通でしょ?」
「そ、それは……初耳で――んぐっ」
「はい休憩おわり。しっかりしゃぶって? 次はもうイくまで休憩なしだからねー?」
「んんっ、ン゛ン゛ッンンッ!!」
「あぁんっ……いいっ……だんだん良くなってきた…………静香みたいにさ、自分より体の大きな女に奉仕させるのって結構好きなんだよね……ンンッ……ぁぁっ……イきそ……ぁんっ!」
 愛奈は手すりから尻を浮かせ、片手で携帯を、片手で静香の頭を掴みながら、自ら腰を振り始める。
「あぁぁぁーーっ、良い感じ……ぁんっ……ねぇ、静香……どうして欲しい?」
 はぁはぁと、自らも肩で呼吸をしながら、愛奈はうっとりと瞳を潤ませ、尋ねる。
「顔にかけてほしい? それとも服にかけてあげようか?」
「ぷぁ……こ、困ります……まだ、勤務時間が……」
「だったら……どうして欲しいの?」
「っ…………く、口の中、に……」
「口の中に?」
「出して、下さい……」
「続けて言って?」
「く、口の中に、出して下さい」
「それが人にものを頼む態度かしら?」
「口の中に、出して下さい……お願い、します……」
「アハッ。……そっかぁ、静香がそこまでお願いするんなら、そうしてあげるよ。……言っとくけど、すぐに飲み込んじゃダメだよ? 分かった?」
 言って、愛奈は再び肉竿を静香の口へと挿入し、腰を振る。
「はぁぁ……もっと、吸って……ンッ……舌で、裏筋、舐めてっ……あぁんっ……あぁっ、はぁはぁ……出るっ……出るぅぅっ……あぁぁあん!!」
 そして、一気に絶頂へと上り詰め――静香の口腔内へと白濁液をぶちまける。
「あんっ……あンッ! あぁ〜〜〜っ!!!」
 射精の度に腰を震わせ甘い声を上げ、びゅく、びゅくと濁った液を放ち、その都度静香は苦しげに眉を寄せる。
「ぁふっ……ほら、勝手に飲み込んじゃだめだよー? チェックするから、口をあけて。舌の上にのせて見せて?」
「……ん、ぁ……」
 言われるままに、静香は口を開け――白く濁ったゼリーのようなそれを舌の上に乗せて愛奈に見せる。
「アハッ。きったなーい! 舌の上に他人の精液乗せるなんて何考えてるの? 私には絶対出来ないよ、アハハハハハハ!!」
 愛奈は膝を叩いて笑い、携帯を操作してズームまで使ってその様を録画する。
「まだだよー? 勝手に飲み込んじゃダメだからねー? たっぷり、歯で噛みながら唾液と混ぜて、口の中でクチュクチュして?」
「んぐっ……んんっ……」
 逆らうことは無駄だと悟ったのか、静香は言われるままにクチュクチュと口の中で精液と唾液を混ぜ合わせる。
「ふふふふふ……まだだよー? まだまだ。もっといっぱい、たーーーっぷり私の精子を味わって? 結婚して相手の男とセックスするときに、いつも私の事思い出しちゃうくらいに」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、愛奈は静香の髪を撫で、十分近くもの間そうやって“クチュクチュ”を続けさせた。
「はい、じゃあごっくんして?」
「んぐっ……ンッ……」
 ごきゅっ――そんな音を鳴らして、静香が口に溜まった大量の唾と共に精液の飲み干す。
「ねーねー、静香。ちょっと口あけてみて? うわっ、くっさーい! 息が生臭いよぉ……臭いからちょっと近くに来ないでくれるー? キャハハハハ!!」
「……っ……愛奈、さま……早く、携帯を……」
「言われなくても返すわよ。でも、今はダメ。静香のお仕事が終わったら私の部屋まで取りに来て」
「………………わかり、ました…………では、私はまだ……仕事がございますので」
 涙と、屈辱を堪えて、静香は再度平伏してそう言い、運搬中だった襦袢の束を手に立ち上がる。
「待ってよ。このままにしていく気?」
 その場を去ろうとする静香に、愛奈は自らの袴を指さしながら呟く。
「あんたは私に仕える女官でしょ? 身だしなみくらいきちんとやってくれる?」
「……はい。申し訳ございません」
 静香は再び襦袢を床の上に置き、愛奈の前に跪いて乱れてしまった袴を治していく。
「まぁでも、いい経験になったでしょ。これで次彼氏とエッチする時はフェラでアヘアヘ言わせられるじゃない」
「…………。」
 静香は無言で、袴の帯を結ぶ。
「ちなみに、静香の相手ってどんな男なの? 年上?年下?」
「……年下、です」
「付き合って何年?」
「……今年で六年、です」
「六年かぁ、結構長いんだねー。ってことは高校入ったばかりくらいからつきあってたのかな?」
「えと、その……従兄弟、ですから……元々仲が良くて……はっきり告白されてつきあい始めたのが……中学三年の時なんです」
 たどたどしく言いながら袴を直し終え、静香は再度平伏すると今度こそと襦袢の束を手に立ち上がり、しずしずとその場を後にする――その背を、愛奈は思い切り突き飛ばした。

「っっきゃあッ……あ、愛奈さま……何を……」
「…………何ソレ。幼なじみの従兄弟と結婚ってどういう事?」
 それは、先ほどまでのような――さながら、虫の羽を千切って無邪気に遊ぶ子供のような、嬉々とした声ではなかった。どす黒い、闇色のマグマをボコボコと噴出させる暗い火口から響いてくるような、聞く者を例外なく震えさせるような声だった。
「も、申し訳ございません……一体何が、お気に障っ――ぎゃッ」
 三度平伏し、謝罪しようとする静香の横っ腹を愛奈は再び蹴りつける。
「生意気」
 呟いて、再度蹴る。静香は屋敷の壁に背中を打ち付け、悲鳴を上げるが、愛奈は容赦せずにさらに蹴りつける。
「生意気よ、あんた。何様のつもり?」
 蹲っている静香の髪を掴み、一度持ち上げて板張りの廊下に叩きつける。悲鳴が屋敷中に轟く――が、誰一人その場に駆けつけてくる者など居ない。むしろ、それらの凶行を目にした者は我先にと踵を返した。
「…………っっ……いい加減にしてよ!」
 主からの度重なる罵詈雑言、悪行三昧に耐えかねて、とうとう静香は声を荒げ、愛奈の足を払いのけて立ち上がる。
「あんたこそ何様のつもり!? 親の権力を笠に着て毎日毎日やりたい放題……そうよ、あんたの言う通りよ! 誰もあんたなんかに本気で心服なんかしてないわよ! あんたなんか大嫌いだけど……だけどみんな……みんな、あんたの養父が怖いから、あんたの言いなりになってるだけよ!」
 溜まりに溜まった鬱憤を吹き出すように、静香は当たりに散らばってしまった襦袢の一つを掴みあげ、愛奈に向かって投げつける。
「ちょっとばかり妙な力使えるからって、金持ちのジジイ達にちやほやされていい気になってる裸の王様なのよ、あんたは。みんな影じゃ笑ってるわよ? “まともな女の体”すらしていない化け物が今日もまたおむずかりだ、ってね」
「…………。」
「本当は羨ましいんでしょう? “まともな体”の私たちが。だからそうやって虐げて憂さを晴らしてるんでしょう? ……そういえば、聞いたことがあるわ。あんた、なんとかって従兄弟の男の子にお熱なんだって? でも全然相手にされてないんだって? 当たり前じゃない。股の間から自分と同じもの生やしてる女なんて、正気の男なら絶対――かっ」
 一瞬、愛奈が眼前から消えたように――静香には見えた。そして気がついたときには、右手で喉を掴まれていた。
「かっ……くはっ、くひっ……」
「気づいてる? 静香。……あなた今、竜のウロコに触ったわよ?」
 竜のウロコ?――およそ、女の片腕の力とは思えない力で喉を圧迫され、静香は必死に愛奈の手をふりほどこうと試みながら、唇の動きだけでそう呟いた。
「逆鱗、ってやつ。…………私とヒーくんが何だって?」
 ギリギリギリ――喉を圧迫する力がさらに強まる。気がつくと、静香の両足は地面から浮いていた。身長は160を超え、体重も学生時代に比べればおちたとはいえ50kg以上はある。それを、片手で。
「かはっ、かひぃっ」
「面白いわ、貴方」
 呟いて、愛奈は唐突に静香の喉を解放する。忽ち、静香はその場に膝から崩れ落ち、肘を突いて四つんばいになったままで激しく咳き込んだ。
「ねえこれ、返して欲しいんでしょう?」
 愛奈は懐に入れていた静香のスマイルホンを取り出し、誘うようにぷらぷらと振る。
「今から私と一つ勝負をしなさい。それでもし貴方が勝てたら、すぐ返してあげるわ」


 

 


 そこは、大勢の客を招いての宴会などが催される百二十畳の大広間だった。天井も高く、ゆうに三メートルはあり、土岐坂家別邸の中で最も大きな部屋の一つだった。
 私と勝負をしろ――愛奈にそう言われ、静香は冷めやらぬ怒りもあってその挑発にのってしまった。しかし、愛奈に誘われるままに後に続き、大広間へとやってきた頃には幾分頭も冷め、次第に自分はとんでもない事をしてしまったのではないかという気がし始めていた。
 土岐坂愛奈。土岐坂家養女にして、事実上の一人娘。養父、養母を除けば誰一人彼女に意見を出来る人間など居らず、ましてや二人とも殆ど別邸には寄りつかないとなれば、この屋敷を統べているのは実質彼女といえる。
 その愛奈に、自分はとんでもない暴言を吐いてしまった。今後、彼女から一体どのような報復をされるのか――愛奈が本気になれば、どんなことでもありうるだけに、平生を装ってはいても今にも全身が震え出しそうだった。
「…………こんな所に連れてきて、何をなさるおつもりですか」
 それは、静香なりの――“謝罪”の第一歩だった。先ほどまでのような“タメ口”ではなく、あくまで女官としての言葉遣い。恐らくは腑を煮えさせているであろうこの愚かな支配者に、少しでも機嫌を戻してもらわなければならない。
 その為ならば、多少の矜持は――
「言ったでしょう。“勝負”だって」
「勝負……とは」
「柔道、強いんでしょう?」
 愛奈は大広間の中央で足を止め、くるりと静香の方を振り返る。
「だから、勝負してあげる。“妙な力”無しで、対等に」
「……あの、愛奈さま……」
 どこまで生意気な女なのか――否、“こいつ”は厳密には女ですらないのだ。静香は心中で毒づく。
(柔道で私をいたぶろうって、そういう腹づもりなわけね)
 先ほどの悪口雑言の借りを、肉体的な痛みで返そうというわけだ。この女の考えそうなことだ。
「勘違いしないで。別に手加減なんかは期待してないから。本気でかかってきていいのよ?」
 よく言う、と静香はさらに心の中で呟く。愛奈の一声で自分を含めた家族全員が容易く地元から追放されかねない分家の端女が、愛奈相手に本気でつかみかかれるわけがないではないか。
「もし一度でも、私の背中を畳につける事が出来たら、貴方のさっきの暴言聞かなかった事にしてあげる。……ほら、最初私は手を出さないから、好きなように組み手をとっていいのよ?」
 愛奈は両手を広げ、さあ好きにつかめとばかりに微笑を浮かべる――が、静香は動けない。
(この女は、どこまで人を嬲るの)
 どうせ手を出せるわけがないとたかをくくっているのだろう。つまり、完全に舐められているわけだ。
 次第に、怒りが再燃する。この女のにやけ顔を、畳に叩きつけてやりたいと思い始める。
「あっ、ひょっとしてコレの事心配してるの?」
 なかなかつかみかからない静香に焦れたのか、愛奈は胸元からスマイルホンを取り出す。
「それとも、“投げられたら不問にする”っていう私の言葉が信じられないのかな?」
「いえ、そんな……」
「しょうがないなぁ。じゃあ、“証人”を呼んであげる」
 愛奈は大広間の端へと行くと、ぶら下がっている紐を引き、ちりちりと鳴らした。それは愛奈の命によって屋敷の各場所にとりつけられた“呼び鈴”だった。部屋によって微妙に音色が違い、愛奈の側に仕える女官達はまずその音色の違いから教え込まれる事になる。
 一分と経たずに、大広間に一人の女官がやってきた。幸か不幸か、やってきたのは顔見知りの女官長だった。
「愛奈さま、お呼びでございますか」
「うん。あのね、この女が私に暴言を吐いたの」
 まぁ、と女官長は呆れたような、驚いたような声を上げ、そしてちらりと静香の方を見た。責めるような目ではなかった、むしろ哀れみすら感じているような、そんな目だった。
「だけど、この子がもし柔道で一回でも私を投げられたら、聞かなかった事にしてあげるって約束したの。貴方、証人になってくれる?」
「……寛大なお心遣い、痛み入ります。部下の躾が行き届かず、申し訳ございません。……お言葉通り、証人とならせて頂きます」
「あとコレ、静香ちゃんの大事なモノらしいから、決着つくまで預かってて」
「畏まりました」
 女官長はスマホを受け取り、そして二人から数歩後退り、離れる。
「……っていうワケだから、遠慮無くかかってきて」
「ですが……」
 この期に及んで、静香は尚逡巡した。一見フェアな勝負のように見えるが、巧妙な罠ではないのかと。
(でも、女官長が居れば……)
 静香の記憶では、彼女はひどく誠実な人間の筈だった。仮に“勝負”の後で愛奈が掌返しをしたとしても、彼女ならばなんとか取りなしてくれるのではないか。少なくとも最悪の事態だけは回避できるのではないか――。
「……愛奈さま、これだけは申し上げておきます」
「なーに?」
「私はこれでも、中学の頃……県大会で優勝した事がございます。しかし何分現役を離れて久しく、手加減が出来る自信がございません。愛奈さまも柔道を囓っておられるとの事ですが、最悪受け身くらいは取って頂かないと大怪我をさせてしまう恐れがございます」
「アハッ。県大会でゆーしょーしたんだ? 昔取った杵柄ってやつ? じゃあ静香ちゃんそーとー強いんだ? 楽しみー!」
「……愛奈さま、私は真面目に申し上げています」
「いーからさぁ、ほら、好きに組んで投げてみなさいよ。私にムカついてるんでしょ? 好きに投げて憂さ晴らしすればいいじゃない」
 愛奈はさらに歩み寄り、静香が手を伸ばせばすぐにでも白衣の襟をつかめるような距離で挑発してくる。
 静香の堪忍袋の緒が切れたのは、その時だった。
「……畏まりました」
 呟くと同時に、静香は愛奈の襟を取った。この女が、こうまで言っているのだ。言葉の通りにしてやれば、さぞかし溜飲も下がるだろう――静香は薄ら笑いすら浮かべながら愛奈につかみかかった。
「えっ」
 そう、愛奈の襟をつかんだ瞬間――静香はぐるりと視界が回転するのを感じた。体に染みついた習性が状況を理解するよりも早く、静香に受け身を取らせた。
「がはぁっ」
 しかし、やや遅れた。静香は畳みで背中を強かに打ち付け、噎んだ。
「いっぽーん。……って所かな? 久々にやってみたけど、結構体が覚えてるものだねー」
 けほ、けほと噎せながら、静香は自分を見下ろす愛奈の姿を見て、漸く自分が手もなく投げられてしまったのだという事を理解した。
(そんな、馬鹿な……)
 一体自分がどのようにして投げられたのか、全く分からなかった。一本背負いだったのか、それとも足払いの類だったのか――その違いさえ。
「アハッ、静香ちゃん納得いかないって顔してるねー。いーよいーよ、ほら立って? 静香ちゃんが納得いくまで、何回でも付き合ってあげる。時間無制限の一本勝負だよー?」
 言われるまでもなく、静香は立ちあがる。今のは、ただ油断していただけだ。どうやらこの女、それなりの実力者ではあるらしい。舐めてかかれる相手ではないと、静香は気合いを入れ直し、現役の頃のつもりで構え、組み付く。
 愛奈は、またしても無防備に襟を掴ませ、そして完全に後手に回る形で静香の袖と襟を掴んだ。
 二人が着用しているのは柔道着ではなく、巫女服と女官服だ。当然乱暴な扱いをすれば生地が裂けかねないのだが、そもそもそこまでのやりとりにすらならなかった。
(っ……この女……っ……)
 静香は果敢に攻める。ある時は腕力に任せ愛奈の重心を崩そうと試み、またある時は足を狙って姿勢を崩そうとした。しかし、その悉くがかわされる。強引に投げに行こうとすれば自護体によって巧みに防がれ、投げるどころか浮かす事すら出来ない。まるで足の裏に根でも生やしているかのように、体勢を崩すという事が出来ないのだった。
(そんな……そんな、嘘、よ……)
 柔道に限らず、ある程度武道の修練を積んだ者ならば、組み手を通して相手の実力を大凡測り知る事が出来る。しかし、今実際に組み手を通して感じる手応えを、静香は認める事が出来なかった。かつて、これほどまでに――自分に柔道を教えてくれた師を含めてさえ、“強い”と感じる相手を、静香は知らなかった。
 押しても引いても、地面に対する重心の高さがぴくりとも変化しない――まるで、決して“倒れる”事のない巨大な球でも相手にしているような気分だった。
「そろそろいいかなー? ……えいっ」
 ふざけているような声と共に、静香はふわりと体が浮き上がるような感覚を感じた。視界が回転し、咄嗟に受け身を取る――今度は、背中を強打することだけは避けられた。
「アハッ、上手上手。静香ちゃん受け身巧いねー、さすが県大会優勝だねー」
「ッ…………どう、して……なんで……」
 馬鹿な子――そんな呟きが、視界の外から聞こえた。声に釣られて視線を向けると、女官長が心底哀れむような目で静香を見ていた。
「愛奈さまは四段の現役選手を投げた事もあるのよ。たかだか中学の県大会で優勝した程度の貴方が敵うわけがないわ」
「よん……だん……?」
 仮にも柔道を囓った身である静香には、その言葉の意味は分かりすぎるほどに分かってしまった。
「昔の話だよー。ほら、早く立って?」
 愛奈に襟元を引かれるような形で、静香は無理矢理に立たされる。
「…………昔さぁ、とんでもなく嫌な女が居たの」
「っぎゃッ」
 そして立つや否や、静香は足を払われ、強かに畳みに打ち付けられる。「立って」――と、愛奈に強引に立たされる。
「その女に、私と妹は棒きれでメチャクチャに殴られてさ。もう少しで殺されちゃう所だったの。そんな事があってから、私たちは“護身術”を慣わされる事になったんだよね」
 立つや否や、今度は背負い投げによって静香は為す術なく畳の上に叩きつけられる。「立って」――と、静香は再度立たされる。
「うちの父親……ああ、実の父親の方だけど。そっちも結構顔が広くてさ。柔道、剣道、合気道……それぞれ“達人”って言われてる人たちに付きっきりでみっちり扱かれたよ。分かるかなー? 部活でワイワイやってただけの貴方とはモノが違うの」
「かっ、はっ……も、止め……げふっ」
 立たされ、投げられる。既に静香はもう抵抗の気力を失っていた。受け身を取っているとはいえ、何度も何度も畳に叩きつけられ、全身の自由まで効かなくなりはじめていた。
「すごーい! 静香ちゃん受け身うまいねー。でも弱いよぉ、全然相手になんないよ。なぁに? 中学の県大会で優勝っていうのは嘘だったの? それとも一番受け身が巧い子が優勝する受け身の大会だったのかなー?」
 ふざけているような愛奈の物言いだが、事実静香は全く敵わなかった。手も足も出ないとはまさにこの事であり、それが静香には悔しくて堪らなかった。中学で辞めてしまったとはいえ、相応の修練は積んできた。しかし、眼前の女に手もなく投げられるたびに、自分が流してきた汗や涙まで踏みにじられている様で、どうしようもないほどに悔しかった。
「ほらほら、どうしたの? これは時間無制限一本勝負なんだよ? この一本っていうのは、静香ちゃんが私から一本とるまでっていう意味だからね?」
「む、無理……です……あぎッ」
 ドンッ、と。背中から畳に叩きつけられる。最早、受け身もとれなくなりはじめていた。
「喋ってると舌噛んじゃうよー?」
「ぁっ、ぁ……やめっ……ゆるっ、し……ゆる、ひ――ギャあッ」
 ひゅんっ――体が風車の羽ように回転しての一本背負い。だむっ、と痛烈に叩きつけられ、静香は呼吸困難に陥った。
「かはっ、はひっぃ……」
「ほら、立って?」
「ぁっ、ぅ……た、助け……助け、て、くださ――」
 さらに自分を立たせようとする愛奈の手を振り切り、静香は側に立つ女官長の元へ必死に手を伸ばし、哀願する――が、彼女は静香から視線を逸らすように目を伏せ、決して手をさしのべようとはしなかった。
「アハッ、泣いちゃってるのぉ? 情けないなぁ。 ……ほら、立ちなさいよ。自分が一体誰に逆らったのか、身をもって思い知らせてあげる」
「ぁぁ、ぅぅ……」
 襟元を掴まれ、愛奈に無理矢理立たされるが、既に両足に感覚はなく、自力ではただ立っていることすらも出来ない。そんな状態でも、愛奈は容赦なく技を繰り出し、静香を投げ飛ばす。
「ぎゃンッ」
「アッハー! “ぎゃン”だって! 静香ちゃーん、ちゃんと受け身くらいとらないと危ないよー? 大けがしちゃうよぉ?」
「かはっ、かっ……」
 愛奈に見下ろされながら、静香はまともに呼吸が出来ず、畳の上でもんどり打ち、藻掻き続ける。
「ねぇねぇ、どんな気分? 自分の得意分野で正々堂々勝負して、ムカつく相手にボロボロに負けちゃうのってどんな気分? 死にたいくらい惨めな気分になっちゃってる? 静香ちゃん、いっぱいいっぱい努力して“ゆーしょー”したんだよね? 畳で耳がすり切れてこんなになっちゃうくらいだもんねー? アッハ、そんなに頑張ったのに負けてるんだ! “巧く手加減出来ないかもしれません。最悪、受け身くらいはとってください”とか言っといて、手も足も出ないんだ? キャハハハハ!!!」
「ぎゃッ」
 藻掻いている静香の頭を、愛奈が無慈悲に踏みつける。
「はぁはぁ……イイわぁ、たまんない。あなたみたいな子のプライドをボキボキに折って屈服させるの大好き…………はぁはぁ……ンッ……興奮しすぎて勃ってきちゃった……」
 静香の頭を踏みつけながら、愛奈はぶるりと体を震わせる。
「折角だから、このまま静香ちゃん食べちゃおうかなー? ねえちょっと。大急ぎでお布団出してきて」
「……畏まりました」
 女官長は二つ返事でその場を離れ、すぐに敷き布団を手に戻ってくる。
「やっ……な、に、を……」
 漸く呼吸が戻り始めた静香は、既に調いつつある“床”の容易に恐怖の声を上げた。
「うふふ……まだ体の自由が利かないでしょ?」
「や、やめ……やめっ……い、嫌ぁぁぁああ!」
 愛奈に引きずられる形で、静香は布団の上へと引っ張り込まれる。抵抗はするが、愛奈の言葉の通り、散々投げられたダメージが抜けておらず、四肢に殆ど力が入らなかった。
「い、いや……止めて……わ、私……来月結婚するんです……だから……」
「知ってるよ、さっき聞いたもん。ほら、早く脱いで」
「イヤぁぁっっ……お、おねがい、します……生意気な事を言ったのは謝ります……二度と逆らったりしません! ……だからっ」
「うんうん、殊勝な心がけだけど、ちょーーーっと遅かったねぇ。………………許すわけないでしょ、バーーーカ」
 耳元で悪意タップリに囁き――後半は感情を露わに怒鳴りつけて、愛奈は強引に静香の女官服と下着を脱がしてしまう。
「いやっ、いやいやぁッ! お、おねがい、します……口で、口でします、から……それだけは……それだけは……」
「イヤだよ。静香ちゃんフェラヘタクソだもん。……ほら、俯せになって尻こっちに向けなさいよ」
「いやっ、止めっ……いやっっ……ダメっ……イヤぁぁぁぁぁぁあああッ!!!!」
 自由の利かぬ体を強引に俯せにされ膝を立てさせられ――秘部に怒張した肉の塊が宛われた瞬間、静香は半狂乱になって叫んでいた。
「ふっふふ……イイよぉ、静香ちゃん。その反応すっごくイイよ……“犯してる”って実感できるよぉ……はぁはぁ……たまんないから、もぉ挿れちゃうよ?」
「いやいやいやぁッ! き、気持ち、悪い……そんなの、絶対に入れないでぇ!」
「気持ち悪いなんて傷つくなぁ。……うわぁ、静香ちゃん全身にすっごい鳥肌立っちゃってるよ? “おぞましい”って感じ? キャハッ」
 にゅり、にゅりと秘裂に剃って肉竿を動かしながら、愛奈は被さり、囁きかける。
「ねえほら、ホントに挿れちゃうよ? 嫌いで嫌いで堪らない相手に今から犯されちゃうんだよ? 怖い? ねえ怖い?」
「ぁっ、ぅ……止め、て……ホントに止めて、……ゆ、ゆるしてぇ……」
「私も鬼じゃないからさ。静香ちゃんが本気で、心の底から謝ってくれたら、ここで許してあげるよ?」
「ご、ごめんなさい……私が、バカ、でした……他のことなら何でもします!……ほ、本当です……ごめんなさい、ごめんなさい……許して、下さい……お願いします…………ぇっ、ぁっ、ぁぁぁぁぁっ!!!」
 静香は、必死に謝罪をする――が、そんな静香をあざ笑うかのように、肉襞を裂いて肉竿が侵入してくる。
「やっぱり許すのやーめた。アハハハハハハハハハ!!」
「あっ、ぁっ……ぁっ……そん、な…………酷い…………」
「酷いのはどっちかなー? 静香ちゃんが言ったことで、私いっぱい……いーっぱい傷ついたんだよ?」
 ぐっ、ぐっ――まだ殆ど濡れていない秘裂に肉竿をなじませるように、愛奈か小刻みに腰を使いながら奥へ、奥へと挿入してくる。
「ンッ……さすが、スポーツやってた子は締まりも……あンっ……作りも、深くって……イイわぁ……なかなか良いじゃない。気に入ったわよ、静香ちゃん」
「ぁっ、ぁっ……」
「アハッ、どーしたの? まだ挿れただけなのに放心状態? アハアハ、静香ちゃんって結構純情なんだ? なになに、“私、汚されちゃった”なんて思ったりしてるの?」
「……………………ッッ…………うる、さい…………化け物」
 押し殺したような、静香の低い声に、愛奈の嬌声と動きがピタリと止まる。
「なーに? 今何か言った? 静香ちゃん」
「化け物、って……言ったの。……人の形をしていない……人の心も分からない、化け物なんでしょ、あんたは……」
「………………どーしちゃったのかなぁ? さっきまで“止めてぇ!”って泣き叫んでたのに。……静香ちゃんキレて素が出ちゃった?」
「…………好き、に……すれば、いいわ…………あんたなんかに、何を、されても……私はもう、何も、感じない…………“汚された”なんて思わない……」
「アハッ、なにそれ、おもしろーい! わかった、アレでしょ? 今流行の“絶対チンポなんかに負けたりしない(キリッ)”ってやつでしょ?」
「……何とでも……言えば、いいわ……あんたがどんな邪魔をしようと……私は……結婚するの……結婚して、幸せになるの」
 それが、ある意味では“最大の復讐”になると、静香は思っていた。そう、眼前の女が何故突然ああも怒りだしたか――それを考えれば自明の事だった。ばかげた事だが、この女は嫉妬したのだ。“幼なじみの従兄弟”と結婚する自分に。
「ぷっ……ぷぷぷ……キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!! スゴいよー、静香ちゃん! 今までで一番笑えるよぉ! 真面目な顔でそんな事言われたら笑い止まらなくなっちゃうよ!」
 愛奈は忽ち堰を切ったように笑い出し、そして――腰を使い始める。
「っ……ぅっ……」
「ねえほら、もう一度言ってみてよぉ。彼以外のチンポ奥まで突っ込まれながら“私は絶対彼と幸せになってみせる(キリッ)”ってさぁ。……ねえほら、どうして唇噛んだりしてるの? 何も感じないんでしょ?」
「っ……っ…………ッ…………!」
「ねえねえ教えて? 何も感じないのにどうしてそんな悔しそうな顔してるの? このぐじゅぐじゅっていやらしい音はどこから聞こえてくるの? 黙ってないで教えてよ」
「ッ……ぁはッ!」
 ぱぁんっ、と一際強く突き上げられ、静香は思わず噛んでいた唇を離してしまう。
「っ、ぁっ……くっ…………ぅっ…………ンッ!」
「“くっ”だって。アハハハハッ!! “くっ”って何? “悔しいけど、感じちゃう”の“く”? この玩具おもしろーい!」
 愛奈は好き勝手に声を上げながら、好き勝手に突き上げる。静香はただただ、布団を握りしめ、陵辱に耐える。そう、こんな事いつまでもは続かない。辛いのは今だけ、今だけなのだと。それさえ耐えてしまえば――。
「はぁはぁ……いーよぉ、静香ちゃん。そういう反応する子って大好き…………好きすぎて、もう出ちゃいそう……ねえ、ほら……“中だけは止めてぇ!”って言ってよ。そういう風に嫌がる子に中出ししちゃうの大好きなの」
 バカじゃないのか、と。静香は心中で毒づく。そんな事を言われて、誰が言うとおりにするものかと。
(それに……私は知ってる……この女は……)
 そう、“噂”として漏れ聞いたことがある。この女の精子には、殆ど生殖能力が無いという事を。ゼロではないが、それこそ、一般的な男性のそれに比べれば皆無と言って良いほどに低いらしいということを、静香は知っていた。
 だから、恐れる事はない。黙って、身を縮めて嵐が過ぎ去るのを待てばいいのだ。
「ほらほらー、どうしたの? 結婚するんでしょー? 彼氏以外の子供デキちゃってもいいのかなー? それとも、安全日なのかな?」
「…………っ……」
 ぐっちゅ、にちゅ、ぐちゅっ。好き放題に突かれ、かき回されながら、静香は敷き布団のシーツを噛みしめながら、それに耐える。
「……あぁ、……ひょっとして、知ってるのかな? 私の精子には、殆ど生殖能力が無いってコト」
 腰を使いながら、愛奈が被さってくる。
「そっかぁ、だから開き直っちゃったんだ? 最悪でも、妊娠はない、って。…………認識甘いなぁ、さすが柔道バカの静香ちゃん。…………世の中には、妊娠よりも怖いコトがいっぱいあるんだよー?」
「ッ、んっ、ンッ……ンンッ……!!」
 愛奈が、スパートをかけてくる。静香はシーツを噛みながら、必死に堪える。間違っても、この女に与えられるもので、達してしまったりしないように。
「あっ、あっ……ンッ……きたきたっ……この感じっ……あぁぁぁ……出るっ、あ、あぁンッ!!」
 そして、一際深く肉竿が埋まり、びくん――と、撥ねる。忽ち、先端からびゅくり、びゅくりと熱い液体が迸り、静香の中を汚していく。
(……汚れていない……私は汚れていない……私は汚れていない……)
 何度も、何度も念じるように繰り返し心中で呟くも、それでも静香は涙を堪えきれなかった。
「あんっ……あんっ……ァはぁぁぁ……さっき出したわりには、結構いっぱい出たかなぁ? ふふっ…………ねえ、静香ちゃん。良いこと教えてあげよっか?」
 脱力し、静香の背中に被さり、愛しげに――静香にとっては不快極まりない行為だが――静香の体をなで回しながら、愛奈が囁く。
「静香ちゃんが知っての通り、私の精子には生殖能力なんて殆ど無いよ。だけどね、その代わり――強い中毒性のある特殊な催淫成分がタップリ含まれてるんだって」
「さい……いん?」
「あぁ、バカの静香ちゃんには言葉が難しすぎたかな? ようはね、私の精子には麻薬みたいな成分が入ってるってコト。……ただ、人によって効きやすかったり、効きにくかったりするらしいんだけど、静香ちゃんはどっちかなー?」
「そん、な……馬鹿な、話……」
「うん、実は嘘。…………なんちゃって、ホントだったり? やっぱり嘘? アハアハ、本当はどっちだろうねー?」
「……関係、ない…………私は……」
「そーそー。どっちでも関係ないよねー? 静香ちゃんはチンポなんかに負けたりしない強い子で、幼なじみの彼氏と結婚して幸せになるんだよね? 私も応援してるよ」
 ………………。
 …………。
 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あんっ……あんっ…………えっ、もう、撮ってるの……? ぁ、あんっ……わ、分かって……ます……あぁん!』
 画面の中で、女の上半身が上下に揺れていた。一糸まとわぬ姿で、肌をピンク色に染めた女は瞳を潤ませ、上下に揺れるたびにその口から甘い声を上げる。
『はぁはぁ……こ、こんばんは……タカくん……き、綺麗に撮れてるかな……? あんっ……な、生意気なコトを言って、強がってたくせに……無様にチンポに負けちゃった、シズカお姉ちゃん、だよ。……もし、良かったら……タカくんも……自分のおちんちん弄りながら、見てくれたら……お姉ちゃん嬉しい、な』
 女――静香は画面の中で複雑な笑みを浮かべながら、照れるように首を傾げる。
『と、突然だけど……タカくんとの結婚の約束……無かったことにして欲しいの……はぁはぁ……ご、ごめんね……あぁぁあんっ!!』
 静香の体が上下に激しく揺れ、同時に獣のようなサカリ声を上げて、静香はビクンと大きく体を震わせる。
『はぁ……はぁ……い、イッちゃった……あぁぁ……スゴいよぉ……これ、ホントにスゴいぃぃ……あんっ、あんっ! ご、ごめんね……本当にごめんね……私、本気で……タカくんのコト好きだったんだよ? だけど……あん!』
 また、びくりと仰け反るように体を震わせる。静香が達してしまった事は明らかだった。
『ちゅ、中三の時……だったよね……タカくんが初めて好きだって、告白してくれたの…………私、すっごく嬉しくって……高校入っても柔道続けようって思ってたけど……もし、鼻とか潰しちゃったらタカくんに捨てられちゃうかも、って……あぁん! た、タカくんは見た目なんか気にしないって言ってくれたけど……だけど、やっぱり怖くて……柔道には未練あったけど……でも、その分二人でいっぱいデートしたりして楽しかったから……私は、全然後悔なんかしてなかったよ』
 静香の体の縦揺れが止まり、代わりに今度は静香自身がくねくねと腰を使い始める。
『初めて、エッチしたのは高二の時だったよね……あんっ……二人とも、初めてで……凄く痛かったけど、でも……その何倍も嬉しくって……終わった後、二人で抱きしめ合ったまま泣いた、よね……あぁあん!』
 くちゅ、くちゅ、にゅちゅ、にちゅ――静香の腰の動きにあわせて、卑猥な音が響く。
『それから、何回も……エッチしたよね。……回数は、いつも、きっちり二回……最後は、二人で一緒にイくのが……決まり、だったよね』
 次第に、腰の動きが早くなる。にちゃにちゃという湿った音も加速度的に大きくなる。
『だけど……ごめんね、今だから、言えるけど……私は、いつもイッてなかったの……タカくんに合わせて……イくフリしてただけなのぉ……あぁっ、あっ、やっ、ダメっ、そんな、強く突き上げっ、あぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!』
 再び、静香の体が上下に激しく揺れ、耳を覆いたくなるほどにすさまじい声を上げながら大きく仰け反る。
『はーっ……はーっ……み、見てくれた? ほ、本当にイくときは……今みたいになっちゃうの……声なんて、絶対押さえられないし、体がびくんびくんって跳ねて、ぎゅーって締め付けちゃうの…………ごめんね、タカくんの事は好きだったけど……あんなちっちゃい包茎おちんちんじゃお姉ちゃんイけなかったの……あっ、あっ、あっ……だ、だめっ……また……あっ、あっ、あっ……ああぁぁ〜〜〜〜っっ!!』
 体を上下に揺らしながら、再度静香が達する。
『はぁはぁ……ナマのセックスは結婚するまでお預け、って……結局、タカくんとはゴム越しでしか、しなかったよね…………だから、あんっ……し、知らなかったのぉ……ゴム無しの生セックスが、こんなに、良いなんて……あぁあんっ! あぁっ、あっぁっ……スゴいいいい、これ、スゴいのぉ……き、気持ちぃぃぃい……ゴムなしのチンポでガンガン子宮突かれて、精子ドピュドピュかけられるの堪らないのぉ……!』
 画面内で激しく体を縦に揺らしながら、静香は殆ど叫ぶように言い、舌を突き出すようにしながら――イく。
『わ、私ね……た、タカくんの事……本当に、本当に大好き、だったんだよ……結婚して欲しいって言われた時も、すっごく嬉しくって……私、泣いちゃったよね? お、覚えてる?……あぁんっ……あ、あんなに……あんなに、タカくんの事、好きだったのに……あぁっ、ぁっひぃっ、あっ、あっ、そ、そこはダメぇえっ……あぁっ、あ、ォォォ……ぁはァァ! ごめんね……タカくん……私、もうタカくん以外のチンポで躾られちゃって……タカくんの事……どうでも良くなっちゃったのぉ……』
 はあはあ、ぜえぜえ。呼吸を整えるような息づかいで静香は言い、言いながら一筋の涙を零す。
『あぁぁぁぁっ、いいっ、チンポいいのぉ……か、勝てないぃぃ……こんなの、勝てるわけないよぉぉ……あぁぁぁっ……らめぇぇっ、ぁっ、ぁっぁっぁぁぁーーーーーーーッ!!! 何回も、何回もイかされて、頭、真っ白で……もぉセックスの事しか考えられないいぃ…………いひぃッ! ぁはぁっ、ひぅう……はぁぁンッ!』
 自ら腰を持ち上げ、何度も何度も腰を打ち付けるようにくねらせながら、静香は一心不乱に喘ぎ出す。
『あーーーーっ!! あーーーーっ!! た、タカくぅん……ちゃんと、見てる? 見ながら、おちんちん扱いてる? さ、最後はね……両手でピースサインしながらイけって言われてるのぉ……だから、タカくんも……い、一緒に……い、いいいしょ、にぃぃいぃぃはぉぉおおッ、くひっ、あはぁぁぁっ、あっ、ひぁぁぁっ、ら、らめぇぇ……ぉほォ! チンポ、しゅごしゅぎぃぃいい、イクッ……イグゥゥゥ!!!!!!!!』
 静香は己の言葉の通りに両手でピースサインをし、舌を突き出しながら白目を向いてイき――そこで、ぷつりと。
 画面は暗転した。


「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! スゴーい! 良く撮れてるよー、静香ちゃん」
 既に衣類を正し終わり、スマホで“撮影”した動画を見返すなり、愛奈ははしゃぎ回っていた。
「最後の“アヘ顔ダブルピース”なんてホントに白目向いちゃってるんだもん。さいっこーだよぉ、早速“彼氏”に送ってあげるねー?」
 愛奈はスマホを操作し、アドレスの中から“タカくん”を探しだし、躊躇いもなく撮影した動画をメールに添付して送りつける。
「ビックリするだろうな〜……うふうふ……ねぇ、静香ちゃん。どんな返事が返ってくると思うー?」
 愛奈は語りかける――が、静香からの返事は無かった。布団の上で、四肢を投げ出すようにして失神している静香は辛うじて呼吸で胸元が上下してはいるものの、およそ反応という類を返さない。
「……ほーんと、口ばっかりだったよね、静香ちゃん。あんな偉そうな口言っといて朝まで持たないんだもん。私の方がビックリだよ。ぷ、くく……“チンポしゅごしゅぎぃ”だって……アハハハハハハハ!!! 面白いからコレ優巳にも送ってあげよっと」
 愛奈はスマホを操作し、暗記していた優巳のアドレスを打ち込み、動画をメールに添付して送る。
 と、その送信が終わった途端、スマホがぶるぶると震えだした。
「あっ、静香ちゃん。彼氏から着信だよー? どうするー?」
 失神している静香からは、当然返事は帰ってこない。
「うふふ、しょーがないなぁ。私は優しいから、人の携帯に勝手に出たりはしないよ。コレは静香ちゃんに返しておくから、自分で返事返してあげてねー?」
 愛奈は失神している静香の手にスマホを握らせると、そのまま大広間を後にする。
「うわー、朝日出ちゃってるし。徹夜になっちゃった…………でもいっか」
 ちらりと、愛奈は背後を振り返る。
「いい退屈凌ぎにはなったよ。彼との幸せな結婚生活ガンバッてね、静香ちゃん」
 アハハハハハ――愛奈は屋敷中に響く高笑いを上げ、ぴしりと大広間の襖を閉めた。
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

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