「すみませんでした!!!」
 月彦は、人目も憚らずに土下座をした。朝の学校、その職員室の前で。雪乃の姿を見るなり、一も二もなく廊下にはいつくばり、頭を下げた。
 当然、周りには他の生徒や教師の目もあった。が、そんなものなどまったく気にならなかった。とにかく、雪乃に対する申し訳なさのあまり、そうせずにはいられなかった。
「……紺崎くん?」
 頭上から雪乃の驚いたような声が聞こえてきたが、月彦はそのまま廊下に手をつき頭を擦りつけんばかりに下げたまま動かなかった。
「一体どうしたの? ほら、こんな所でそんな事してちゃダメじゃない」
 そっと両肩に雪乃の手が触れ、月彦は優しく体を起こされた。
「ぁ……」
 と、一瞬安堵しそうになったのは、少なくとも雪乃の顔を見た限りではいつも通りの――とりあえずそんなに怒っているようには見えなかったからだ。
「ほら、立って?」
「は、はい……」
 雪乃に促されるままに月彦は立ち上がる。雪乃は月彦の膝や手をぱんぱんと軽く手で払い、よし、と微笑むやそのまま職員室の中へと入っていってしまった。
「あっ……」
 てっきり罵倒され、足蹴にされるものだとばかり思っていた月彦は、完全に肩をスカされた形になった。
「ひ、雛森せん――」
 と、雪乃を再度呼ぼうとして、はたと。月彦は己に集中する視線に気がついた。
(……そっか。さすがにここじゃマズイよな)
 いくらなんでも人目がありすぎる。さっきの雪乃の態度はそういう意味もあったのだと納得して、月彦は一端教室に引き上げる事にした。


 その後、休み時間、昼休みと月彦は雪乃と二人きりになる機会をうかがい続けた。が、不思議なほどにその機会は訪れなかった。まるで、避けられているかのように、雪乃の居所がつかめないのだった。
(いや、実際避けられてるのかもしれない)
 そうでなくては、英語の授業が終わった後すぐさま後を追ったというのに、廊下に出るや否や後ろ姿を見失うという事があるだろうか。いつもならばそれこそ追いかけて下さい、追いついて下さいと言わんばかりにもたもたしている雪乃が、今日ばかりは疾風のように素早く行方をくらましてしまうのだ。
 当然の事ながら、“部活”に顔を出すということもなかった。仕方なく月彦はラビととりとめのない世間話などをした後、日が暮れると同時に学校を後にした。
 学校を出た後の行き先は、家ではなく雪乃のマンションだった。月彦は外から雪乃の部屋の灯りが灯っている事を確認してから、玄関口で雪乃の番号を入力し、呼び出しブザーを押した。
 が、返事がない。試しに何度か押してみるも、やはり反応がない。月彦は一度外に出て、雪乃の部屋の灯りが間違いなく灯っている事を確認してから、もう一度ブザーを鳴らしてみた。
 しかし反応がない。或いは、入浴中という可能性も考えて、月彦はマンションの前で小一時間ほど時間を潰し、再度ブザーを鳴らしてみた。
 が、反応がない。部屋の灯りは間違いなくついている。
「うーん……」
 仕方なく、月彦は最後の手段とばかりに公衆電話を使う事にした。秘蔵のメモから雪乃の番号を探し出し、まずは携帯へとかけてみた。
『はい、雛森です』
 三コール目で漸く待ちに待った雪乃の声が聞けて、月彦は思わず歓喜の声を上げてしまいそうになった。
「あっ、もしもし……先生ですか? 俺です、月彦です」
『紺崎くん? なぁに? こんな時間にどうしたの?』
 驚いた――という声ではない。かといって不機嫌という風でもない。極めて普段通りな雪乃の声に月彦は安堵と――そして同時に不安を覚えた。
「ええと……すみません、今、先生のマンションのすぐ側まで来てるんですけど……ちょっと会って話せませんか?」
 自分がしてしまった事の失礼さを考えれば、電話口で謝罪をする事など許されないと月彦は思っていた。きちんと顔を合わせた上で、雪乃に謝罪をしなければならないと。
『…………悪いけど、今日は疲れてるから』
 いつも通りの雪乃の声――しかし、どこか無機質な響きのする声でそう言うなり、雪乃は一方的に通話を切ってしまった。
「あっ、ちょ……せ、先生!?」
 月彦は慌てて声を荒げるも、既に通話はきれた後であり、雪乃に声など届く筈もない。月彦は悩み、悩んで結局リダイヤルをしたが、今度は電話に出てもくれなかった。
(…………ヤバい、これは……予想以上に怒ってるぞ)
 改めて、己がしでかしてしまった事の重さを実感して、月彦は胃を絞られるような痛みを覚えた。


 



 或いは、良い機会なのかもしれない――そう思わなかったと言えば、嘘になる。どのみち、“今の関係”にはかなり無理があったのだ。雪乃の事を考えるならば、このまま縁が切れてしまうのもいいかもしれないと。
(……そういや、前にもこんな事あったな…………)
 そう、かつて雪乃に対して別れ話をしようと決意した時の事を思い出して、月彦は苦笑してしまう。まさかまたしても同じような事で悩む事になるとは思わなかったからだ。
(……でも、それは……きちんと謝ってからの話だな)
 誠心誠意謝罪して尚、雪乃が許さないというのであればそれはそれで仕方がない。
(そうだ、まずは……誠意を見せなきゃ)
 どれほど反省をしているか、雪乃に対してすまないと感じているか――それを示すのは言葉よりも行動だと月彦は思った。
 翌火曜日の朝、月彦は普段よりも一時間近くも早くに家を出て、雪乃のマンションの前へと向かった。朝、出勤前の雪乃を捕まえて謝ろうと思ったのだ。
 が、待てど暮らせど雪乃の姿が見えない。月彦は何度も何度も腕時計の時間を確認した。このままでは遅刻になってしまう、まさか雪乃は今日休むつもりなのだろうか――そこまで考えて、月彦は己がとんでもない勘違いをしている事に気がついた。
(……しまった、先生って……)
 通勤は当然の事ながら車だ。そして雪乃のマンションの駐車場は地下にあり、部屋からエレベーターを通じて地下へと降りた後は、専用の出入り口から外へと出る――つまり、マンションの入り口で待っていても雪乃に会える筈など無いのだ。
(……バカか俺は!)
 己のあまりの間抜けさに涙が出そうになりながらも、月彦は慌てて学校へと向かった。辛くも遅刻だけはせずに済んだが、その日も結局のらりくらりと雪乃にかわされ続け、まともに話をする事も出来なかった。
 
 翌水曜日。今度こそはと月彦はマンションの出入り口ではなく、学校の職員用玄関の前で朝から張る事にした。他の教師連中からは怪訝な顔をされたが、構ってなどいられなかった。
(あっ、来た……!)
 雪乃の車のシルエットを見て、こんなに嬉しかった事などあっただろうか――月彦はソワソワしながらも半身を隠し、職員用玄関口に雪乃が近づいてくるのを待った。
「あ、あのっ、先生――」
「ごめん、紺崎くん。急いでるから」
 しかし、雪乃はかつこつとハイヒールの音を響かせながら掌一つで月彦を黙らせるとそのまま玄関口の中へと消えてしまった。
「ま、待って下さい! 先生、大事な話があるんです!」
 玄関の中で靴を脱いでいる雪乃に、月彦は縋り付くようにして声をかけた。
「今日の放課後、俺図書室で待ってますから! お願いします!」
「…………。」
 雪乃はちらりと顔半分だけで振り返るも、そのまま何も言わずに廊下の奥へと消えていった。

 放課後、月彦は自分の言葉通りに図書室で雪乃を待った。待って待って待ち続けた。何故居場所が分かったのか、図書室の入り口の辺りから見覚えのある前髪が疑似餌の様にちらちら見えていても、あえて見えないフリをし続けた。この期に及んでラビと二人で仲良く喋ってる様などを見せてしまったら火に油だと思ったからだ。
(……ごめん、月島さん)
 ラビに対しても申し訳なさ一杯になりながらも、月彦は雪乃を待ち続けた。やがて日が暮れた。他の利用者も次々に姿を消し、最後の一人となっても雪乃は現れなかった。
 もう閉める時間だから――と、図書の先生に声をかけられ、月彦はやむなく図書室を後にした。帰り際、職員用駐車場を覗きに行ってみると、予想通り雪乃の車は既にそこには無かった。
「………………。」
 あぁ、自分がやったのはこういう事なのだと、月彦は三度理解した。
(…………そして多分、……いや、間違いなく……先生はもっとショックだった筈だ)
 ぎゅう、と絞られるように痛む胃を抑えながら、月彦はとぼとぼと帰路についた。
「………………。」
 そして、帰路の途中、月彦ははたと。ある予感を感じた。そう、えてしてこういうときに――まるで狙い澄ましたかのように――現れる奴がいるではないかと。一度それを察知してしまうと、それはもうただの予感ではないようにすら思えた。いっそこのまま和樹の家辺りに泊まりに行こうかとすら悩んで、結局月彦は平常通り自宅へと帰り着いた。
 まるで立てこもり犯の居る家屋に侵入する特殊部隊のような神妙な手つきで玄関のドアを開ける。真央の出迎えはない。そもそも人の気配すら感じない。
 そろり、そろりと階段を上がり、自室のドアの前で膝をつき耳を当てて中の様子を探る。やはり、人の気配はない。月彦はそっとドアノブをひねり、僅かな隙間から中の様子を観察した。
(…………気のせいだったか)
 どうやら誰も居ないようだと安堵のため息をつく。立ち上がり、部屋の中に入ろうとドアを大きく開けたその瞬間――。
「ばあっ!」
「うわぁっ……!」
 突然目の前に逆さになった女が現れ、月彦は悲鳴と共に尻餅をつく。妖怪“逆さ女”はそんな月彦の様をけらけらと笑いながら、くるりと空中で一回転をして地面に降り立った。
「で、出やがったな妖怪変化! い、言っとくがな、お前が居る事なんか最初から解ってたんだからな!」
「へぇ? 居るのが解ってるのに“うわぁっ”って尻餅ついちゃったワケ?」
「う、うるさい!」
 憎たらしいまでに声色を真似る真狐に月彦はそんな陳腐な言葉しか言えなかった。驚きのあまり落ち着きのない心臓を抑えながら、月彦は辛くも立ち上がり、部屋の中へと入る。
「ったく……いつもいつも断りもなく人の部屋に勝手に入り込みやがって! 用がないならとっとと帰れ!」
「なになに、随分ご機嫌ナナメじゃない。何かヤな事でもあったのぉ?」
「うるさい、黙れ。さっさと消えろ」
 毎度毎度のこの女の小芝居には付き合ってられんとばかりに、月彦はつれなく腕を振ってベッドへと腰を下ろした。そんな疲労困憊の月彦を挑発でもするように――といっても、普段からそうなのだが――真狐は己の巨乳揺らしながらくねくねと部屋の中を歩き、いつも通り勉強机の上に腰掛けようとして――
「あっ、いっけなーい」
 不意に着物の裾の辺りから小さい布袋のようなものを落とし、わざとらしく声を上げた。
「うっかり“どんなに怒ってる女の子とでも簡単に仲直り出来る薬”を落としちゃった。ねえ、ちょっと拾ってよ」
 机に腰掛け、これまた長い足を見せつけるように組みながら、真狐は媚びた声でそんな事を言う。
「…………………………うるさい、自分で拾え」
 月彦は吐き捨てるように言った。この女が“知りすぎている”事になど、今更驚く気にもなれなかった。
「えぇー、めんどくさぁい。月彦が拾ってくれないなら、このまま捨ててっちゃおうかなー?」
 これまた、くすくすと含み笑いが聞こえてきそうな程にわざとらしい口調だった。人を食ったようなその物言いに、いつになく余裕のない月彦は再び大声を上げそうになった。
「あれ……? 母さま?」
 が、声を上げずに済んだのは部屋の戸を開けて真央が現れたからだった。制服姿の真央は小首を傾げながら母親と父親を交互に見た。
「くすっ……安心しなさいよ。真央にはちゃーんと黙っててあげるから」
 真狐は机の上からぴょんと飛び降りると、頭から大きな?マークを出している真央の首へと手を回す。
「母さま?」
「なんでもないの。…………頭の悪いヘビを追い払ったくらいで有頂天になってたバカをからかいに来ただけだから、すぐに帰るわ」
 カラカラと勉強机側の窓を開けるや、真狐はいつもの如くぴょんとそこから飛び出していってしまう。ちっ、と月彦は舌打ちを一つ残して、真狐が落としていった“薬”を拾うやゴミ箱に叩きつけるように捨て、開いたままの窓を乱暴に閉めた。
「と、父さま……?」
「あぁ、悪い……驚かせちまったか。大丈夫だ、別に真央に対して怒ってるわけじゃない」
 怯えるように身を竦ませている真央をそっとベッドに座らせ、髪を撫でてやる。
(…………勿論、アイツに対して、ってワケでもない)
 しいて言うなら、自分自身に対する怒りだ。そのくらいの分別は、自分にもあると月彦は思っていた。
「……父さま、さっき……何を捨てたの?」
「ん? ああ、真狐の奴が落としていった薬だ。どうせろくでもない薬だから気にするな」
「母さまの……お薬?」
 ソワソワと、耳を動かしたり尻尾を動かしたりと途端に落ち着きが無くなった真央に対して、月彦は再度言葉を重ねた。
「……一応言っとくけど、拾ったりするんじゃないぞ? いいな、真央、絶対だからな?」
「う、うん……………………でも………………」
 すすす、と何やらバツが悪そうに視線を泳がせる愛娘に、月彦は苦笑しながらその肩を抱いた。
「こーら、何が“でも”だ」
 “真狐の薬”を諦めさせるには、それよりももっと“良いモノ”を与えるのが一番だと言わんばかりに、月彦は愛娘の体をベッドへと押し倒し、唇を奪った。



 真狐が置いていった薬になど興味を示すなと、一晩かけて月彦は“説得”した。当然、そんなモノを雪乃になど使えるハズがない。考慮にすら値しないと月彦は思った。
(……つっても)
 翌木曜日。とりつく島もないというのはまさにこのことだと、月彦は前日に引き続いて痛感していた。勿論、話しかければあくまで“生徒の一人”としては扱ってくれる。が、しかしそれ以上の事――二人きりで話をしたいという類の誘いに関しては一切のってはくれなかった。
(……悪いのは、俺の方だから、仕方ない)
 とはいっても、さすがに話も聞かないというのは酷いのではないかと、月彦は少しずつ思い始めていた。――そして、気がついた。
(………………まてよ、これも…………いつもの先生の気持ち、じゃないのか)
 いつもいつも雪乃は強引だと思っていた。が、しかしそれは容易なことでは話すら聞かない自分のせいだったのではないかと。
(…………確かに、これは辛い)
 今ならば理解できる。話を聞いてくれない事に焦れて、相手の腕を掴んで引きずってでも無理矢理“二人きり”のチャンスを作り出そうとした雪乃の気持ちが。
(…………むしろ、そうしろって言ってるのか?)
 今までの雪乃の態度は、つまりそういう事ではないのかと、月彦は思い始めていた。それこそが雪乃の求める“誠意”なのではないかと。
(……そうに違いない)
 放課後、月彦はその考えを実行に移してみる事にした。どうやら職員室に戻る所らしい雪乃の後ろ姿を見るなり後を追いかけた。
「雛森先生!」
 漸くにして追いつき、背後から声をかけると雪乃はぴたりと足を止め、半身だけ振り返った。
「どうしたの? 紺崎くん」
 英語教師が生徒に呼び止められた時のごく一般的な教師の対応――その見本のような姿勢、口調で雪乃は微笑すら浮かべていた。
「何度もすみません。大事な話があるんです、少しだけでいいですから一緒に来てくれませんか」
「ごめんね、今から職員会議なの」
 そう言って踵を返そうとする雪乃の腕を、月彦は力強く掴んだ。
「お願いします! 本当に大事な話なんです!」
「痛いわ。紺崎くん。……早く離して」
「何なら、職員会議が終わってからでもいいです。俺、何時まででも待――」
「離してって言ってるでしょ!」
 突然の大声に、廊下に居た生徒が――それこそ、廊下の端に居た生徒まで―― 一斉に振り返った。同時に、熊かなにかのような圧倒的な力で、掴んでいた腕が強引にふりほどかれた。
「…………何よ、今更」
 一瞬、ほんの一瞬だけ雪乃は怒りに満ちた目で月彦を見、吐き捨てるように呟いた。くるりときびすを返し、遠ざかっていくその背を、月彦は追う事は出来なかった。
(…………考えが、甘かった)
 そう思わざるを得ない。或いは、雪乃は自分の気持ちを知って欲しくて――実際はそこまで怒っているわけではないのだが、仕方なく演技で――あのように振る舞っているだけではないかと、そんな淡い希望は一瞬にして打ち砕かれた。
(…………待ってても、無駄……だろうなぁ)
 月彦はとぼとぼと教室に戻り、しばらく自分の机でぼうっと惚けた後、そのまま帰宅することにした。校門を出る際、ふと気になって月彦は部室棟の方を振り返った。見れば、天文部の部室の灯りがついていた。
 いっそ、雪乃の邪推の通りの仲になってやろうかと――ほんの一瞬だけ悪い考えが頭をよぎったが、すぐに頭を振って打ち消した。これ以上、ラビまで傷つけてどうするのだと。
(…………そうだよな、月島さんとの約束も……果たさなきゃ……)
 その為にはまず雪乃と仲直りをしなければならなくて、その為には――ぐるぐると渦のような思考を続けながら、月彦は校門を後にする。
(…………少し時間をおいたほうがいいのかな)
 せめて、もう少し雪乃の頭が冷えるまで待つべきなのだろうか――はぁ、とため息をつきながらとぼとぼと歩いていると、不意に――。
「あのぉ、すみません」
 背後から声をかけられた。
「コンタクト落としちゃってぇ、良かったら一緒に探してくれませんかぁ?」
「いいですよ」
 その明らかに“作った声”に苦笑しながら、月彦はくるりと振り返った。月彦よりも頭二つ分は背の低い、24,5才くらいの若い女だった。見れば、女はこれまた似合わない黒縁メガネなどをかけていた。
「あれ、メガネをかけているのにコンタクトを落としたんですか?」
「はい」
 女は悪びれもせずに頷いた。
「本当はコンタクトなんか落としてないんじゃないんですか?」
 はい、と。これまた女は悪びれもせずに頷き、黒縁メガネを外した。
「ひょっとして、ナンパですか?」
 うん、と。“女”はいつもの小悪魔的な笑みを口元に浮かべた。
「そろそろ、紺崎クンが困り果ててるんじゃないかなーって思って。待ち伏せしてたの」
「……どこか、その辺でお茶でもしませんか。矢紗美さん」
 月彦もまた、釣られるように――そして無意識のうちに――安堵の笑みを浮かべた。



 矢紗美は近くに車を停めていて、それに乗って学区から少しばかり離れたファミレスで“お茶”をする事になった。
「……今日が金曜日だったら、こんな所じゃなく私の部屋で〜って誘う所だったんだけどなぁ」
 席へと座り、二人分の飲み物を注文するなり、矢紗美が冗談っぽくそんな言葉を口にする。いつもならばそれは冗談ではあっても半ば本気の冗談であると月彦は察するのだが、今日に限っては正真正銘ただの冗談であると解った。何故ならば、矢紗美がその気ならば今日ではなく明日声をかけてくれば良かっただけの話だからだ。
「……そうですね。俺も久々に矢紗美さんの部屋に遊びに行きたいなぁって……そんな気分でした」
 だから、月彦も冗談でそんな言葉を口にした。矢紗美はぴくりと眉を震わせ、月彦の方を見る――が、すぐにふふふと余裕の笑みを浮かべた。
「ダメよ、紺崎クン。冗談でもそんな事言ったら。…………嬉しくなっちゃうじゃない」
「冗談じゃないですよ」
 月彦自身、己がどこまで冗談でどこから本気なのか解らなくなりながらも、矢紗美に微笑を返した。
「………………えーと。雪乃の事で、何か私に聞きたいことがあるんじゃなかったのかしら?」
 まるで、飼い主が缶切りを手に取るのを横目で見たおすまし猫のような、どこかソワソワしたような態度で矢紗美が露骨に話を本題へと戻してくる。
「ええ、まぁ…………正直、どうしたらいいか解らなくて…………困ってます」
「だいたいの事は私も雪乃から聞いてるわよ? 何でも、デートすっぽかしたんですって?」
 はい、と。月彦は肩を縮めながら小さく頷いた。
「どうしてそんな事したの?」
「ええと……言いづらいんですが…………先生とデートの約束をした事をすっかり忘れてて……」
「うわっ、最悪じゃない」
 矢紗美が呆気にとられた声を上げた瞬間、月彦は慌てて弁解の言葉をつなげた。
「た、ただ……これだけは言わせて下さい! その……先生とデートの約束をした時……ちょっといろいろと立て込んでる時で、本当はすぐにでも家に帰らなきゃいけなかったのに、先生に無理矢理呼び止められちゃって……」
「デートの約束してくれなきゃ、意地でも返さないわよ、って感じ?」
「ええ、まさにそんな…………ただ、それでも一応約束は約束ですから…………やっぱり、忘れた俺が悪いのは間違いないです」
「そうね、まがりなりにも約束をした以上、すっぽかした紺崎クンが悪いと私も思うわ」
 うん、と頷き、矢紗美は店員が持ってきたカプチーノにそっと口をつける。
「あとは、紺崎クンが携帯持ってないっていうのも問題だと思うわ。いくらデートの約束を忘れてても、携帯さえ持ってたら完全にすっぽかすなんて事にはならなかった筈だもの」
「それは…………はい、矢紗美さんの言う通りだと思います」
 月彦の注文したグレープジュースも来てはいたが、雰囲気的にとても口をつけられなかった。
「…………まぁ、人間だし、どんなに大切な約束でも忘れる事はある――っていうのはしょうがないとは思うわ。紺崎クンの場合はそこへさらに携帯を持っていないっていう特殊事情が重なっちゃって大惨事になっちゃったワケね」
「……も、持った方が便利っていうのは……解ってるんですけど……すみません」
「私に謝られても困るんだけど…………そりゃあ、私だって紺崎クンが携帯持っててくれたらなぁ、って思うことも多いけどね。…………けど、雪乃の方が十倍はそう思ってるんじゃないかしら?」
「はぁ……」
 月彦はなんとも微妙な返事しか返せない。この手の議論は過去にもかわした事だ。それこそ、正真正銘雪乃一人しか恋人が居ないという状況で在れば――或いは、そこへさらに矢紗美一人くらいならば――携帯を持つのも悪くはないかもしれない。
 しかし、今の状況を鑑みるに携帯など持とうものなら、一週間と立たずに全てが露呈し八つ裂きにされる未来しか浮かばなかった。
「…………まぁ、その話は一端おいといて。…………学校での雪乃、どんな感じ?」
「えーと…………普通、です。少なくとも、怒ってるようには見えません」
 表面上は――と、月彦は心の中で付け足した。
「紺崎クン、それね」
 ぴっ、と。矢紗美は人差し指でテーブルの上を指さすような手つきをする。
「マジギレしてます、っていう雪乃の合図よ」
「うっ……やっぱり、ですか」
「うん。あの子ってば、昔からそう。怒りが頂点突き抜けちゃうと普通に戻っちゃうの。だけどそれは怒りが消えたわけじゃなくて、押さえ込まれてるだけ。そして厄介なことに――」
「や、厄介なことに……?」
 ごくり、と生唾を飲む月彦を尻目に、矢紗美はそっとカプチーノに口をつけ、カップを皿の上に戻し、さらにふうとため息にも似た息を吐く。そのようにたっぷり三十秒は間を作ってから、ぽつりと言った。
「…………すっごく長いの」
「長いっていうと……」
「怒りが。……最長で半年、続くわ」
「は、半年も怒りっぱなしなんですか!?」
「最長で、ね。短ければ一月くらいで済むんじゃないかしら」
「そ、それでも一月……」
 がっくりと、月彦は大きく肩を落とした。この冷戦のような状況が最短でも一月は続くのかと思うと、それだけで胃が重くなるようだった。
「昔、さ。……あの子、太ってたじゃない?」
「ええ……」
「私が覚えてる限り、あの子が一番怒ったのは……小学校四年か五年くらいの頃だったかしら。うちの近所にシュークリームの美味しいケーキ屋さんがあったんだけど、ある日お父さんが得意先で貰ったとかで、家に持って帰ってきた事があったのね。そのシュークリーム、一個五百円もするだけあって本当にほっぺたが落ちるくらい美味しくって、私、ついついあの子達の分まで食べちゃった事があったのよ」
 あの子“達”という事は、末の妹の分もだな、と月彦は無言のうちに理解した。
「そうそう、確かニセのシュークリームとすり替えて、騙して食べさせたのよ。……でさ、内心しめしめと思ってたんだけど……」
「けど……?」
「どうも雪乃にだけはバレてたみたいでさ。……それから長い長ぁ〜い復讐が始まったんだけど……何されたと思う?」
「えーと…………すみません、想像つきません」
「その例のシュークリームだけどさ、特別な材料を使ってるとかで、一週間に一日だけ、限定五百個しか売られないのね。………………それをさ、毎週毎週買ってくるのよ、あの子」
「えっ……? どういう事ですか?」
「だーかーら、毎週行列に並んで、わざわざ一個買ってくるの。“お姉ちゃん、シュークリーム大好きでしょ?”って満面の笑顔で。最初はさ、なんでこの子こんな事するんだろうって不思議だったけど、段々気味悪くなってきてさ」
「そりゃあ……ええ、確かに……」
「そんなのを半年も続けられて、終いにはシュークリーム見るだけで吐き気するようになっちゃったのよね。…………そういう陰険なところがあるのよね、雪乃って」
「陰険……ですか……何となく、解らなくもない感じですが……それより――」
「それより?」
「先生が一番怒ったっていうのが、お菓子の事っていうのが俺は意外です。……てっきり、矢紗美さんに対して怒るなら……“彼氏”とられた時とかだとばかり思ってたものですから」
「ああ、確かに怒ってたけど……あくまで普通に怒るだけだったわよ? 多分あの子もそんなに本気じゃなかったんじゃない? 私の経験上、食べ物絡みの方があの子ってば洒落にならないくらいキレてたし」
「……食い物の恨みは恐ろしい、ってやつですね」
「だからさ、今回紺崎クンの事でそれだけ怒ってるって事は………………それだけ“本気”だったって事なんじゃないのかなぁ?」
「うっ…………」
 矢紗美の言葉が、鋭い刃物のように胸の奥へと突き刺さり、月彦は思わず胸を押さえた。
「だってさ、先週の金曜日のあの子の狼狽えぶりったらほんとヒドかったんだから。いきなり携帯に電話かけてきてさ、お姉ちゃん、どうしよう、紺崎くんと連絡取れないのぉ!って殆ど泣きそうな声で喚きまくるし」
「す、すみません…………矢紗美さんにまで、迷惑かかってたんですね……」
 月彦は改めて、矢紗美に対して頭を下げた。
「ああ、いーのいーの。私は私で、オロオロしてる雪乃の相手するのは別に苦じゃないっていうか、結構面白かったし。とりあえず、紺崎くんにも事情はあるんだろうから、連絡がとれたら何があったのかきちんと話を聞きなさいよーとは言っといたんだけどね………………その様子じゃあ、聞く耳なんか持たないって感じだった?」
「…………はい。とりつく島もないって感じでした」
「そっかぁ…………あの子ったらホントにしょうがないんだから。いくつになっても変わらないっていうか…………別に浮気されたわけじゃないんだから、デートの一回や二回すっぽかされたくらいで目くじら立てなくてもいいのにね」
 浮気、という言葉にさらにザクザクと月彦の胸は切り刻まれた。
(くっ……い、息が……)
 呼吸困難に陥りそうになりながらも、月彦は必死に深呼吸を繰り返した。
「……ねぇ、紺崎クン。いっそこのまま別れちゃえば?」
「えっ……」
 深呼吸を繰り返していた月彦は、思わぬ矢紗美の一言に絶句した。
「姉の私がこんな事言うのも何なんだけどさ、あの子は一度“本気の相手”に思い切りフラれた方がいいと思うのよね。紺崎クンだって、今回の事で“面倒くさい女だなぁ”って思ったんじゃない?」
「そ、それは…………全く思ってないって言ったら嘘になります、けど……」
 正確には、“今回の事”ではなく、常日頃から思っている、というのが正しかったりするのだが。
「ただ、ホント……今回の事に限れば……悪いのは完全に俺ですから。………………先生と別れるにしても、きちんと謝ってからにしたいんです」
「謝るって言ってもさー……まともに話も聞いてくれないんでしょ? もう捨てちゃえばいいのに。“シュークリームの時”で半年だったのよ? 紺崎クンの場合、一体何年かかるか私にも解らないんだから」
「さ、さすがに年単位は……俺も待てませんけど……とりあえず、もう少しは頑張ってみようかと思います」
 そう、せめて自分なりに精一杯謝ろうという努力はしたと納得できる程度には、雪乃につきまとってみようと。そんな月彦の覚悟を言葉の裏から感じ取ったのか、矢紗美が少しだけつまらなそうにテーブルの上で指先を泳がせた。
「…………妬けちゃうなぁ。…………雪乃ってばホントに紺崎クンに愛されてるんだ。…………いいなぁ」
 はふう、とため息混じりに遠い目をされて、月彦はやや反応に困ってしまった。
「あぁ、ゴメンね。……最近、ちょっと仕事の方が忙しくってさ……愚痴っぽくなっちゃってるのよね。ほら、なんか政治家の息子が失踪したって事件があったでしょ?」
「あぁ……そういえばニュースでやってましたね」
「いろいろ圧力とかかけられちゃって、管轄でもないのに引っ張り出されたりして……もーほんと毎日くたくたなの。…………だから今日、紺崎クンに会いに来たのは、半分くらいは“そのせい”だったりするのよね」
「え……っと……」
 遠回しに、疲れを癒して欲しい――そんなオーラを出されて、月彦はまたしても言葉に詰まってしまった。“申し訳ない”と思う気持ちの矛先が、雪乃から変わりそうになるのを感じた。
 くすりと、まるで月彦のそんな胸中を察したように矢紗美は苦笑を漏らした。そして“助け船”を口にする。
「……………………ホントはさ、一つだけあるのよね。半年と言わず、明日にでも雪乃と一瞬で仲直りできる手がさ」
「えっ!? どんな手ですか!?」
「………………教えたくないなぁ」
 ぷいと、矢紗美は軽くそっぽを向きながら、飲み終わったカプチーノのコップの取っ手を指先で弄る。
「そこをなんとか、お願いします、矢紗美さん!」
 テーブルに額をぶつけんばかりの勢いで、月彦は頭を下げた。
「そこまで知りたいなら教えてあげてもいいけど、その代わり――」
「その代わり……?」
 顔を上げながら、月彦は尋ね返した。矢紗美はしばらくそこで言葉を切ったまま思案するように固まり、最後にぺろりと舌を覗かせた。
「ごめん、何でもない。忘れて」
「……あの、俺に出来る事だったら――」
「雪乃と仲直りする手っ取り早い方法はね」
 月彦の言葉にかぶせるように、矢紗美は強引に切りだした。
「あの子の“夢”を叶えてあげればいいのよ」
「先生の……夢……ですか?」
「そう。たとえば――」


 金曜日の放課後、仕事を終え車に乗り込んだその瞬間をねらいすましたかのように携帯電話が鳴り出した。液晶画面に表示された名前は、姉からの着信である事を示していた。
 雪乃は、やや渋りながらも通話ボタンを押した。
『あっ、雪乃? もう仕事終わったー?』
「丁度今から帰る所だけど……どうしたの?」
『んー、ちょっとねー。久しぶりに二人で飲みにでも行かない?』
 いろいろと愚痴りたい事もあるでしょ?――そう小声で付け加えられ、反射的に車の窓から携帯を投げ捨てたくなったのは、姉の言葉が癪に障ったから――ではなかった。もっと別の、心底腹に据えかねる事を思い出してしまったからだ。
「……いいわよ。じゃあ、一端家に車置きに帰るから、六時半にいつもの場所で待ち合わせでいい?」
『りょーかい。店の方は私にまかせといて』
 通話が切られ、雪乃は携帯電話をハンドバッグへとしまうなりエンジンをかけ、車を発進させた。いつもより些か乱暴な運転になってしまうのも、やはり腹に据えかねる事があるからだった。
 マンションの地下駐車場へと車を停め、一端部屋に戻ってシャワーでも浴びてから出直そうかと迷って、結局そのまま待ち合わせの場所へと向かう事にした。これが夏場であれば話は別だが、たかが姉と飲みに行くのにわざわざシャワーなど浴びていく必要はないだろうと、半ばものぐさな理由からの判断だった。
 徒歩で駅へと向かい、駅前の喫茶店で矢紗美と合流するや、雪乃は姉の誘いのままに電車へと乗った。
「何処に飲みに行くの? 私、あんまり遠くまでは行きたくない気分なんだけど」
「三駅くらいよ。……とっておきのお店を後輩に教えてもらったから、あんたも連れて行ってあげようと思ってね」
 別に、やけ酒さえ飲めるならその辺の居酒屋でも構わないと雪乃は思ったが、基本“誘いを持ちかけて来た方が奢り”という雛森家姉妹の間の暗黙のルールに則って、こうなったら姉が泣いて制止をせがむくらいに飲みまくってやろうと心に決めた。
(…………どうせ、紺崎くんとの事を笑いに来たに決まってるんだから)
 この姉が飲みに誘ってくるという事は、即ちそういう事なのだろうと雪乃は見抜いていた。ならばせめてその懐に痛打を加えることで一矢報いてやろうと――いつになく攻撃的な思考に偏っている雪乃は思った。
 矢紗美の言った通り三駅隣で降りた後は、駅前の路地裏を矢紗美の先導のままに歩いた。
 ――が。
「……ねえ、ちょっと。まだつかないの?」
 二十分ほど歩いた所で、雪乃は苛立ち紛れに呟いた。
「おっかしいなぁ…………この辺だって聞いたんだけど」
「聞いた……って、お店の場所すらうろ覚えなの!?」
 自分から誘ったクセにと、雪乃はさらに苛立ちを募らせた。尤も、普段であればここまで苛立ちは募らなかったであろうが、今夜――否、先週の金曜日以降に限っては事情が違っていた。
「まぁまぁ、そう怒らないでよ。目立つ店らしいから、近くまで行けばすぐ見つかるって言ってたし………………あ、そうだ。雪乃、手鏡持ってない?」
「持ってるけど……お姉ちゃん自分のがあるでしょ」
「今日の昼間、うっかり割っちゃったのよ。お願い、ちょっと貸して?」
 目にゴミが入っちゃったみたいなの――片目を瞑りながらそう言う姉に雪乃はため息をつきながら、手鏡を取り出そうとハンドバックに手を入れる。――が、よほど目が痛いのか、手鏡を取り出す間も無くハンドバッグごとほとんどひったくるように奪われ、矢紗美はそのまま公園の公衆トイレへと駆けていった。
「ちょっと、お姉ちゃん!?」
 雪乃は抗議の声を上げたが、散々歩き回らされた事による足の痛みから、後を追う事は止めた。
「……何よ。トイレがあるんなら、無理に手鏡使わなくてもいいじゃない」
 目のゴミを取るだけなら、無理に手鏡を借りなくても公衆トイレの鏡だけでも十分なのではと雪乃は思ったが、そこはそこ。無理に咎めるほどの違和感も感じなかった。我が姉ながらトンチキな事をするものだと少しだけ呆れながら、雪乃は公園の外で帰りを待った。幸い、矢紗美は五分とかからずに戻ってきた。
「お待たせ、ありがとね」
「……ねえ、お姉ちゃん。もうどっかその辺の店にしない? 足痛くなってきちゃった」
 こんなに歩き回らされると知っていればパンプスなど履いては来なかったのにと、雪乃は恨みがましい目で姉を見る。何故なら、矢紗美の方はちゃっかりとスニーカーを履いていたからだ。
「ちょっと待って、今後輩に電話して詳しい場所聞いてみるから」
 矢紗美は携帯を取り出し、電話をかけ始める。幸い目当ての相手はすぐ捕まったらしく、そのまましばし談笑を続けて通話を切るなり、雪乃は信じられない言葉を聞いた。
「ごめーん、雪乃。どうも逆方向だったみたい」
「……はぁ?」
「だからぁ、逆方向に三駅だったみたいなの。そりゃあ見つからないわけよね」
「…………。」
 絶句するとはまさにこのことだった。
「そーゆーワケだから、一端駅に戻るわよ」
「…………。」
 ぶちぶちと血管が弾けそうになるのを我慢しながらも、雪乃は渋々矢紗美の後に続いた。つま先と踵の痛みを我慢しながら駅へと戻り、来た時とは逆方向に六駅移動した。その間、お子様サイズな姉だけがちゃっかり自分の席を確保した事についても、雪乃は密かに苛立ちを募らせていた。
 そうしてイライラしながら漸くにして目的の駅へと到着し、さらに十分ほど歩かされてたどり着いたその店の前で、雪乃はまたしても愕然とした。
「あららー…………今日は臨時休業だってさ」
「見れば解るわよ!」
 ドアの前に張られた張り紙の文言に、雪乃の怒りは臨界へと達した。
「何なのよ、もう! お姉ちゃんは私をからかう為に呼んだワケ!?」
「ちょっと、ちょっと。雪乃ってば落ち着きなさいよ。お店が休みなのは私のせいじゃないでしょ?」
「もういい! 私帰る!」
 雪乃は金切り声を上げ、携帯を取り出すやタクシーを呼んだ。足の痛みも相まって苛立ちは頂点に達し、ここからさらに駅、そして駅から家まで歩く事すらうんざりしたからだった。
 タクシーを待つ間、雪乃は一切矢紗美とは口を利かなかった。矢紗美もまた、やれやれと言わんばかりのあきれ顔をしたまま、雪乃に対して話しかけてこようとはしなかった。
 が、タクシーが到着していよいよ乗り込むという段になって、
「…………感謝しなさいよ、雪乃」
 ぽつりとそんな言葉を漏らした。当然、雪乃には姉が何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。
 タクシーでマンションの前へとたどり着き、痛む足に歯を食いしばりながら玄関を通り抜けようとして――雪乃は俄に青ざめた。
「えっ……?」
 いつものように家の鍵を使ってオートロックを抜けようと、ハンドバッグを漁った雪乃は信じられないものを見た。取り出したキーホルダーには車の鍵はついていても、家の鍵がついていなかったからだ。
 バッグの中で外れてしまったのかと、雪乃は慌てて中身をひっくり返すようにして探したが、見つからない。ポケットの中かと思って探すも、やはり見つからなかった。
 どこかに落としたのかと、ゾッと背筋が震えた。が、すぐに別の可能性を思いつき、しかもそれこそが本命の可能性が大だと思うや忽ち怒りが沸いてきた。
(…………お姉ちゃんだわ)
 あの時だ――と、雪乃は思った。あの時、バッグを貸した時に鍵をとられたのだと。
「……なんて事すんのよぉ……!」
 恐らくは、軽い悪戯のつもりなのだろう。昔からこの手の悪戯をよくやるのが矢紗美という女の性なのだと、雪乃はぎりぎりと歯を鳴らした。
 とにもかくにも鍵を持ってこさせようと雪乃は携帯を取り出し、姉のそれへとかける――が、留守電にしか繋がらない。留守なわけがない、きっとあの姉は携帯電話を握りしめながらほくそ笑んでいるのだと思うと、尚更怒りが沸いて止まらなかった。
(…………ひっぱたいてやる!)
 もう我慢の限界だとばかりに、雪乃は姉の自宅に乗り込んでやろうとマンションの玄関を出ようとして――俄に足を萎えさせた。
(……痛い)
 そもそもが、歩き疲れて痛みを堪えかねたからこそタクシーを使って帰ってきたのだ。ここからさらに姉の自宅へと赴くのは――例えまたタクシーを使ったとしても――ひどく億劫に思えた。
(…………明日よ。明日……家に押しかけて、タクシー代も全部払わせてやるんだから)
 今度ばかりは“お茶目なイタズラ”ではでは済まさないと、雪乃は怒りを貯めながら――しかし途方に暮れた。現実問題として、これからどうやって家に入ろうかと。
「あっ……」
 そして、はたと思い出した。ハンドバッグの内側のチャックのさらに奥に、“合い鍵”を入れていた事を。
「………………。」
 ピンクのリボンのついたそれを取り出すなり、雪乃は極めて複雑な気分になった。そもそもこれは、先週の金曜日に“ある人物”に渡す予定だったものだからだ。
(…………紺崎くんのバカ)
 雪乃は胸の内で一言そう呟き、合い鍵を使ってマンションの中へと入る。エレベーターを使いながら、そういえば――と、雪乃は記憶を振り返っていた。
(…………紺崎くんの為の合い鍵作った、って……お姉ちゃんに話したっけ)
 だからこそのイタズラなのかもしれないと、雪乃は思った。合い鍵を所持しているからこそ成り立つイタズラ――勿論、そうだとしても姉のやった事を許す気など雪乃には無かった。抜け目のない姉の事だから、ひょっとしたらバッグの中を漁った際に合い鍵まで発見したからこそのイタズラなのかもしれないが、だとしてもタチが悪すぎる。
(…………全くもう……お姉ちゃんといい、紺崎くんといい……どこまで人をバカにしてるのかしら)
 足さえ痛まなければ、このまま買い出しに行って一人でやけ酒用の酒をを買い込んでくる所だった。雪乃は肩を怒らせながら自室の前まで来るや乱暴に鍵を差し込み、ドアを開けた。
(えっ……)
 と。その瞬間、雪乃は再び固まった。ドアを開けたその向こうには灯りが灯っていた。
(やだ、消し忘れたのかしら……)
 そういう危惧は、さらに部屋の中から聞こえてくる包丁の音によって消された。部屋の中に誰かが居る――雪乃は咄嗟に、部屋を間違えてしまった可能性を考慮した。
(ううん、そんな筈無い……だって、ちゃんと鍵を開けて入ってきたんだから……)
 混乱しながら、雪乃は不意に視線を落とした。玄関に見慣れない靴が――否、見覚えのある靴がきちんと並んでおかれていた。
 そんな馬鹿な、だってこの靴は――。
(嘘っ……嘘、でしょ?)
 雪乃は慌てて靴を脱ぎ、リビングへと入った。
「あっ、先生。お帰りなさい」
「こ、紺崎……くん?」
 台所に立つ――自前らしい青のエプロン姿の――月彦の姿を見るなり、雪乃は驚きの余り卒倒しそうになった。
 何故なら、この光景は――。
「随分早かったですね。すみません、まだご飯の支度終わってないんです。……あっ、でもお風呂の用意は出来てますから、先にどうですか?」
 雛森雪乃が密かに思い描き続けた“夢”の一つに違いなかったからだ。


 落ち着かなければならない――そう、まずは落ち着く事だと、雪乃は目眩を覚えながらもリビングの椅子に腰を下ろし、何度も深呼吸をした。
(……まさか、本当に……夢?)
 その可能性もゼロではないとすら、雪乃は思っていた。第一、何故ここに月彦が居るのか。合い鍵を渡した後ならばいざ知らず、まだ渡してすらいないというのに。
(ううん、違う……これは紛れもない現実よ。現実に……起こってる事なのよ……)
 まずその前提を否定してはならない。そうでなければ、何も考えられなくなってしまう。そう、雪乃は今自分が紛れもない現実世界に居るという前提の上で、何が起きているのかを理解しようとした。
(これは現実……そしてここは私の部屋。……なのに、紺崎くんがエプロンをつけて、夕飯の支度をしてる……)
 雪乃はそっと顔を上げ、ちらりと月彦の様子を伺った。何の料理を作っているのかは解らないが、そうして料理をしている月彦の横顔を見ているだけで顔がにやけそうになってしまう。
(だ、ダメ! ダメよ! 私、怒ってるんだから!)
 ぽう、と見とれてしまいそうになるのを、雪乃は慌てて戒めた。そう、甘い顔などしてはダメなのだ。デートをすっぽかすという事がどれほど重い罪なのかを月彦が思い知り、泣いて謝罪をしてくるまで絶対に許さないと決めたではないか。
(そうよ……そして、紺崎くんもきちんと携帯を持つようにするなら、許してあげるって……)
 それこそが、雪乃のシナリオだった。今回の事に限らず、月彦が携帯さえ持つようになれば“今後のこと”もいろいろとやりやすくなるに違いないからだ。
(だけど…………だけど…………でも、どうして……)
 とりあえず、勢いのままに雪乃は月彦の言葉を無視し、リビングの椅子へと座ってはみたものの、その心中は波が渦巻く岩礁のように穏やかではなかった。
(…………〜〜〜〜〜っっっ…………!)
 怒りの頂点とも言うべき状態から、突然夢のような――それこそ、夢にまでみた――シチュエーションへと放り込まれ、雪乃自身どうしてよいか解らなかった。そう、あまりに夢に見た内容過ぎて、怒りにまかせて問答無用とばかりに月彦を追い払う事すらも出来なかった。
「………………こ、紺崎くん! 貴方に聞きたい事があるわ!」
 結局、場の雰囲気に堪りかねて雪乃は立ち上がり、月彦へと噛み付いた。
「はい? 何ですか?」
「まずっ、第一に、どうやって部屋に入ったの?! 鍵なんて持ってない筈でしょ?」
「あぁ、そのことですか」
 月彦はニッコリと微笑みながら、ぐつぐつと煮込んでいた鍋の中身をオタマで掬い、耐熱皿へと移していく。
(あっ……それは……)
 と、雪乃はつい背筋がザワつくのを止められなかった。料理には疎い雪乃にも、月彦が何を作ろうとしているのか解ってしまったからだ。
「部屋に入った方法については、後でゆっくり話しますから、とりあえず先にお風呂でもどうですか? ご飯の用意はまだしばらくかかりますから」
「……〜〜〜っっ…………ふ、ふんっ……言われなくったって……入ってくるわよ…………」
 まるで子供のような憎まれ口を叩いて、雪乃はわざと肩を怒らせ足音を響かせながら寝室へと移動し、着替えを手に脱衣所へと向かう。浴室の中を覗くと、月彦の言葉の通り、万全の準備をされている湯船がモウモウと白い湯気を立てていた。
(ううぅ……)
 そんな湯船を前に、雪乃はへなへなと力無く膝をついてしまった。何から何まで自分でやらなければならない一人暮らしが身に染みている雪乃にとって、仕事から帰ってきたら風呂の用意が既に出来ているという事自体、軽い感動を覚える出来事だった。
(…………どうして今なのよぉ……)
 そのことが、雪乃には憎たらしくすら思えた。そう、何故“今”なのかと。嬉しいことを、嬉しいと素直に言うことが出来ない今このような事をされても、生殺しのようなものではないかと。
「ううぅ……」
 雪乃は半泣きになりながら脱衣し、浴室へと入った。月彦がどういうつもりなのかは解らないし、読めない。読めないが――しかし、“万が一”に供えて、雪乃はしっかりと体の隅々まで洗う事にした。

「あっ、先生。湯加減はどうでした?」
「………………。」
 月彦の言葉を無視して、雪乃はどっかりとリビングのテーブル脇の椅子へと座る。着替えは当然、“普通”のパジャマだった。自分一人ではなく、一応まがりなりにも“来客”が居るのだから、寝間着ではなく部屋着という選択肢も無くは無かったのだが、様々な葛藤の末雪乃は寝間着を選んだ。とはいっても、“とっておき”ではない、ごく普通のパジャマではあるが。
「…………ちょっと暑いわね」
「あっ、すみません。暖房切りますね」
 慌てて、月彦がリモコンを手に暖房を切る。元々、室温は適度な気温に設定されていたのだが、それを暑いと感じてしまったのはそれだけ長風呂をしてしまったからだった。現在の状況について考えに考えながらも、ひょっとしたら「背中を流しましょうか?」と声をかけてくるのではないかという期待が、雪乃に長風呂をさせたのだった。
 が、さすがにそこまでは出来なかったのか、そもそも念頭にも浮かばなかったのか、入浴中の雪乃が声をかけられることはなかった。尤も、それはそれで雪乃はホッとしていた。そんな魅力的な誘いを持ちかけられたら、それこそ自分がどうなってしまうか雪乃自身解らなかった。
「丁度夕飯の支度も終わった所だったんです。……晩ご飯、食べますよね?」
「…………うん」
 むすっとした顔で、雪乃はどこかばつが悪そうに頷いた。最早意識していなければそうした顔も出来ないほどに、雪乃の胸中はドキドキで一杯だった。
(紺崎くんの……手料理…………しかも……!)
 狙ったのか、偶然なのか。目の前に出されたそれはどう見ても――大好物でもある――海鮮グラタンだった。家には耐熱皿などは無かった筈だから、恐らくは材料と一緒に皿も月彦が自分で用意したのだろう。
(……あぁん、もぅ! なんでこんな時にぃ……!)
 それこそ、平常時であれば飛び上がって喜び、そのまま月彦に抱きついてキスの嵐を見舞ってやりたいほどに嬉しいサプライズであるというのに、むすっとした顔を続けなければならない現在の状況が恨めしくて仕方がなかった。
(いっそ――)
 全てを水に流して、この状況を楽しむ事に専念したほうがいいのではないかとすら思えてくる。
(ううん、ダメダメ…………簡単に許したりなんかしたら、絶対にダメなんだから)
 連絡も無しにデートをすっぽかすなど言語道断、今後二度とさせない為にも心底反省させなければならない。
(あぁ、でも……でもっ……!)
 白い、ホタテ貝を模したような形の耐熱皿に盛られたグラタンもまた、見れば見るほどに美味しそうだった。ホワイトソースの中にうっすらと見えるエビの身や貝の身は言うに及ばず、ほんのりと焦げ目のついたチーズの香ばしさに思わず涎が出てしまいそうだった。
(ううぅ〜っ……!)
 見れば、月彦もまた自分の分のグラタンを手に雪乃の対面席へと座っていた。そしてそのまま自分の皿には手をつけず、じぃっと雪乃の方へと不安げな目を向けてくる。
「……わ、わかったわよ! た、食べれば……いいんでしょ……」
 思わずにやけてしまいそうになるのを必死にかみ殺しながら、雪乃はぶっきらぼうに言って皿の横に添えられていたフォークを手に持った。そのままホワイトソースの中へと突き刺し、マカロニと具を掬い上げるようにして――出来たてで湯気を立てるそれをふうふうと冷ましながら――口へと運ぶ。
「…………!!!」
 大好物という事もあり、今まで多種多様な店で海鮮グラタンを食べてきた。しかし、今日この時ほど美味しいと感じた事はなかった。
「あの……どうですか?」
「…………まぁまぁね。……一応、食べられるレベルの味だわ」
 つんと、ぶっきらぼうに言いながら、雪乃の心の中は申し訳なさで一杯だった。本当は絶賛したかった。対面の席なんかじゃなく、隣で――それこそ椅子をくっつけるようにして体を密着させながら食べたかった。
(そして……アツアツのグラタンをふう、ふうって紺崎くんに冷ましてもらいながら食べられたら――)
 そんな妄想に顔が真っ赤になりかけて、雪乃は慌てて頭を振って遮断せねばならなかった。そして重ね重ね、“この状況”を雪乃は恨んだ。嬉しい事を嬉しいと言えない――これほど苦しいことはない。
(ううぅ……美味しい…………本当はすごく美味しいのよ? 紺崎くん)
 それを口に出来ない事がもどかしくて堪らない。むしろ、ストレスすら感じた。もう、いっその事――何度も何度もそう思っては、その考えを雪乃は打ち消した。打ち消すたびに、その次はより長く悩むようになった。


「………………さてと、それじゃあ……そろそろ聞かせてもらおうかしら。どうして紺崎くんがうちに居るのか」
 夕食が終わり、月彦が後かたづけをするのを待ってから、雪乃は改めて切りだした。口調こそあからさまに不機嫌を装ってはいるが、それはもう九分九厘演技だった。
「…………何から話せばいいのか…………とりあえず、まず先に謝らせて下さい。先生、先週の金曜日は本当にすみませんでした!」
 月彦はエプロンを畳み、椅子の背へとかけるや、リビングの床に手をついて深々と頭を下げた。
「……そ、それはまた別の話! いいから、聞いた事にだけすぐ答えて!」
 足下で土下座をする月彦の姿を見ていられなくて、雪乃は慌てて声を荒げた。そう、怒りに充ち満ちていた時ならばそれこそ、“何を今更?”としか思わなかった月彦の謝罪が、痛恨の一撃となって雪乃の胸を貫いたのだった。
「……わかりました。……座ってもいいですか?」
 頭を上げた月彦に、雪乃は頷いた。月彦が先ほどと同じ席へと座り、雪乃もまた対面の席へと座った。
「………………順番に話すと長くなりますから、率直に言います。……矢紗美さんに手伝って貰ったんです」
「お姉ちゃんに!?」
 思いも寄らなかった言葉に、雪乃は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ど、どうして……どういう事なの!? まさか――」
 先週末、家に居なかったのは――と、雪乃は最悪の想像をした。が、しかし月彦は慌てたように首を振った。
「ち、違います! ええと…………先週の事で、先生をすごく怒らせちゃって……それで、どうすればいいんだろう、って……悩んでた時に……」
「悩んでた時に?」
「た、たまたま……学校帰りに……矢紗美さんとばったり会っちゃって……それで、先生との事を相談したんです」
「……たまたま? 学校帰りに?」
 そんな偶然があるだろうか、と雪乃は思い切り訝しんだ。姉の勤め先と自宅、そして自分の勤め先と月彦の自宅の場所をそれぞれ頭の中で浮かべてみて、どう考えても“仕事帰りに、たまたま偶然”という事態は起こりえないと思ったからだ。
「ええ……それに関しては、先生に信じてもらうしかないです。本当に、ばったり偶然会っちゃって……そしたら、暇だから仲直りを手伝ってくれるって……」
「………………待って。じゃあ……お姉ちゃんが鍵をとったのは……」
「すみません、俺が借りる為です。……あの時、公衆トイレに俺も居たんです」
「…………ひょっとして、晩ご飯のメニューも?」
「はい。矢紗美さんから、仲直りしたいならこれしかない、って」
「……………………。」
 雪乃は、漸くにして理解した。あの時、去り際の姉の言葉の意味を。
「……気に入らないわ」
 拳を握りながら、雪乃は反射的に呟いた。
「どうして紺崎くんが私に黙ってお姉ちゃんと会ったりしてるのよ。その上二人でコソコソ悪巧みなんかしたりして…………一体どういうつもりなの?」
 憎々しげに呟きながらも、雪乃は内心冷や汗をかいていた。違う、こんな事を言いたいわけではない――しかし、自分の口が勝手に喋るのを止められなかった。
「鍵だって、もし私が合い鍵もってなかったらどうするつもりだったの? ううん、その前に部屋の灯りがついてる事に私が気づいて、警察に通報したりするかも、って、そういう事は考えなかったの?」
 違う、こんな事が言いたいんじゃない――目の前でみるみる肩を萎縮させる月彦を見ながら、雪乃は泣きたい気分だった。
 そう、月彦には悪気などなく、ただただ仲直りしたい一心で、自分に出来る精一杯の方法でサプライズを企画し、実行しただけだという事を雪乃も無論解っていた。そして、そうするしかないという状態まで追い込んだのが自分だという事も。
 それが解っているからこそ、今暴言を口にしている自分自身が、雪乃は憎くて憎くて仕方なかった。
「…………すみません」
 口にしている雪乃自身、なんとも自分勝手な暴言だとあきれ果てるような罵声を受けて尚、月彦は一言も反論せず、ただただそう言って頭を下げた。キュンと、雪乃はもうそれだけで胸の奥が痛み、何も言えなくなってしまった。
「……確かに、考えが足りませんでした。家に勝手に入るなんて……失礼ですよね。警察を呼ばれる可能性だってあったわけですし…………本当にすみませんでした」
「……い、いいのよ……もう…………考えたのがお姉ちゃんって時点で…………考えが足りないのは……仕方……ないんだから…………」
 月彦に謝られるたびに胸が締め付けられるようで、雪乃はついそんな言葉を口にした。そして口にしながら、はたと。仮に本当に警察に通報していた場合の事を考えた。
(……お姉ちゃんの事だから――)
 その時はその時で、大事にならないように予め手は打ってあったのではないかと。何せ姉はあれでも――それこそ腐っても――婦警だ。ひょっとしたら今夜、私の妹から通報があるかもしれないけど、サプライズの一環だから適当に聞いたフリして無視しちゃって――そのくらいの根回しはしてあったのかもしれない。
 それとも、部屋の明かりになど気づく筈がないと思いこまれていたのか。その辺の事については、次回顔を合わせた時に問いつめる必要があると雪乃は感じた。そう、無論……月彦と“偶然会った”件についても。
「あの……先生」
 黙ったまま思案に耽っている雪乃に、恐る恐るという形で月彦が言葉をかけてくる。
「確かに今夜……矢紗美さんに手伝ってもらいましたし、どうすれば先生に喜んでもらえるかってアドバイスももらいましたけど、それを実行に移したのは俺ですから。……だから――」
「…………お姉ちゃんには何も言うなって、そう言いたいのかしら?」
 はい、と月彦は目を伏せながら頷く。
「…………いやにお姉ちゃんを庇うのね」
 この期に及んでそんな憎まれ口を叩く自分にもう、雪乃は髪をかきむしりたくなった。違う、自分はこんな“嫌な女”ではない――例え本性はそうであったとしても月彦の前でだけは、それは絶対に見せたくないというのに。
(…………お姉ちゃんに嫉妬……してるのかしら)
 自分の目の届かない所で姉と月彦が会い、“サプライズ”を計画している所を想像するだけで、雪乃のは握り拳を作りたくなる。
「……と、とにかく…………鍵の件に関しては……ちょっと、どうかと思うけど……………………ご、ご飯は………………グラタンは、美味しかった……わよ?」
 もう、これ以上月彦に“嫌な女”だと思われたくない――そんな一心から出た言葉だった。姉がどういうつもりで月彦に会ったのかは気にはなるが、少なくとも今はそんな事を気にしている場合ではなかった。仲直りをしようと必死に歩み寄ってきてくれている月彦の想いに応えなければと――頭では解っているのだが。
(……私も、この一週間つれなくしてごめんなさい、って……)
 そう言えたら、どれほど気が楽か。もう既に頭の中では月彦を許しきっているくせに、つまらない意地だけがどうすることも出来ない。
 せめてもの救いは、グラタンは美味しかったという言葉に月彦が僅かに笑顔を見せてくれた事だった。
「良かった……矢紗美さんから先生の大好物だって聞いてはいたんですけど、味付けまではわからなくって……結局うちと同じ味付けになっちゃったんで結構不安だったんです」
「確かに……お母さんが作ってくれてたのとは大分違ったけど…………お、美味しかった事には……変わりは、ない、わ……」
 否、美味しいことに変わりがない――どころではない。少なくとも雪乃自身は実家で食べ続けた母のそれよりも美味しいと感じた。それは偏に、作り手の問題であるという事は無論雪乃にも解っていた。
「だから…………特別に……デートすっぽかした事については……仕方ないから、許して……あげるわ」
 まるで、喉に引っかかっていた骨を吐き出すかのような――苦々しい言い方だった。
「……本当、ですか!?」
 が、しかし月彦にしてみれば、言葉の上でも許しがもらえたという事が嬉しかったのか、それこそ快哉を叫ぶかのような声を上げた。
「い、言っとくけど……許すのは今回だけ、だからね? 今度、また同じ事をしたら…………もう、絶対に許さないんだから!」
「解ってます、二度とすっぽかしたりなんかしません!」
 月彦との間に蟠っていた空気が徐々に和んでいくのを感じながら、雪乃もつい笑みを浮かべてしまいそうになって――慌てて顔を引き締めた。そう、あくまで“仕方なく、ギリギリ許した”という体裁だけは繕わねばならないと思ったからだ。
(……“嫌な女”だって……思われるのも嫌だけど…………“楽な女”だって思われるのも、嫌)
 何かやらかしてしまっても、簡単に許す女だとは思われたくない――例え実際は違っていても――そこだけは譲れなかった。
 そう、雪乃はあくまで憮然と“まだ結構怒ってる”というような演技を続けた。
 だから。
「……えと、じゃあ……そろそろ俺は帰ります」
 そんな信じられない言葉を耳にしても、迂闊には動けなかった。
「……こ、紺崎くん?」
「はい?」
「今、帰る、って……言った?」
「はい。……あっ、そっか。鍵返すの忘れてました」
 月彦はズボンのポケットから見覚えのある形の鍵を出すや、テーブルの上に置いた。
「そ、そうじゃなくて……」
 無事“仲直り”も済み、てっきりこのままお泊まりだと思っていた雪乃は内心慌てた。というより、このまま仲直りをすれば今夜は思う存分イチャイチャできると、そんな見返りを期待したからこそ許した――という部分もあっただけに、雪乃は本当に慌てた。
(で、でも…………私の方から、泊まっていって、なんて……)
 言えるわけがない。そう、普段ならばともかく、“まだ怒ってる”今、そんな事を言うのは不自然ではないか。
「先生?」
「えと……だから、その…………さ、最近、勉強の方はどうなのかしら?」
 雪乃は必死に“引き留める理由”を考え続け、声が裏返りそうになりながらも辛うじてそんな言葉を口にした。
「勉強…………まぁ、普通、ですね。可もなく不可も無しって感じです」
「そ、そう……それなら、いいの」
 どうやらいつかのやる気は、今は消えているらしかった。が、今の雪乃にとって無論、月彦の勉強に対する意欲度など、まったくもってどうでもよかった。
 どうにかして合法的に引き留めなければと、雪乃の脳は凄まじい速度で演算を続ける。
「あっ、そ、そうだ! 紺崎くん、お風呂の排水溝ちょっと見てくれないかしら?」
「えっ……排水溝がどうかしたんですか?」
「うん……最近ちょっと流れが悪くって……お風呂の準備してて気がつかなかった?」
「いえ……じゃあ、ちょっと見てみます」
 どこか釈然としないような声で返事をしながら、月彦が浴室へと消えていく。雪乃は当然、その後ろに続いた。
「うーん……見た感じどうにもなってないみたいですけど……」
「……水を流してみたらはっきりするんじゃないかしら」
 雪乃もまた浴室へと入るなり、シャワーのヘッドを手に取る。勿論、排水溝の流れが悪いなどというのはただの建前だ。
 狙いは――
「うわっ、ちょっ……先せっ……冷たっ……」
「ご、ごめんなさい! かかっちゃった?」
 雪乃はこっそりとシャワーの狙いを月彦の背に定めるや、思い切り冷水を噴き出させた。当然、月彦の全身はびしょぬれになり――。
「本当にごめんなさい、紺崎くん。……仕方ないからもうお風呂にはいっちゃえばいいと思うわ。……そのまま帰ったりしたら、風邪ひいちゃうでしょ?」
「はぁ……確かに、そうですね…………でも、着替えが……」
「大丈夫、下着やパジャマだったら紺崎くんのは前から用意してあるし、服も洗濯して乾燥機に入れればすぐに乾くから」
 何も心配することはないとばかりに雪乃は早口に言って――内心渋々――脱衣所を後にする。
 そう、最早“怒っているフリ”を続ける事よりも、如何に月彦を帰さず、お泊まりをさせるか、そればかりを念頭に行動してしまっている自分に、無論雪乃は気がついていなかった。


 



「えっ……洗濯機壊れちゃったんですか?」
「そうなの。ほら、うんともすんとも言わなくなっちゃって」
 湯から上がり、着替えとは名ばかりのパジャマ姿の月彦に、雪乃は見せつけるように洗濯機のボタンを押してみせる。が、洗濯機は何の反応も返してこない。当然だ、先ほどこっそりコンセントを抜いておいたのだから。
「……仕方ないから、今日はもう泊まっていけばいいんじゃないかしら」
 そう、さも仕方なさそうに雪乃は言ったつもりだったが、その実。ソワソワと、もし尻に尻尾が生えていれば、パタパタ振らずにはいられないほどに気分が高まってきていた。
「……でも、良いんですか?」
「良いって、何がかしら?」
「いや……その……泊まっても……」
「し、仕方ないでしょ! こんな濡れた服で帰らせるわけにもいかないし――」
 と、そこまで口にして、雪乃はしまったとばかりに口を噤んだ。完璧に策を弄したつもりだったが、ただ一つだけ失念していた事があった。
(……乾燥機だけ使いたいって言われたら――)
 拒む術がない。むしろ故障を装うなら洗濯機よりも乾燥機だったと、雪乃は激しく後悔した。
(お願い、気づかないで……!)
 雪乃は祈るような気持ちになりながら、月彦の目を乾燥機からそらすべく、そっと脱衣所を後にした。幸い、月彦は何も言わずにリビングへとついてきた。
 ホッと安堵の息をつくと同時に、雪乃は奇妙な手持ちぶさたの状況へと追い込まれた。
(……まだ十時前……か)
 寝るには早すぎ、かといって他に特にやることもない。――否、やりたい事ならば、それこそいくらでもある。が、その大半は今は――少なくとも、怒っているフリをしているつもりの今は――出来る事ではなかった。
「……な、何か……テレビでも見る?」
 月彦もまた手持ちぶさただったのか、雪乃の提案に快く乗ってきた。リビングの、ソファの方へと腰掛け、雪乃はテレビをつけた。月彦もまた雪乃とややスペースを空ける形でソファへと腰掛け、テレビへと視線を向けた。
「何か見たい番組があったら言ってね?」
「いえ……俺は普段殆どテレビ見ませんから、先生の好きな番組でいいですよ」
「……私も、そんなには見ないのよね」
 雪乃はやむなくリモコンを操作し、洋画らしいチャンネルへと合わせた。九時から始まったらしいそれは、既に話も半ばという事もあって途中から見てもさっぱりな内容だった。
 勿論、雪乃はそんな映画などどうでも良かった。目はテレビ画面へと向きながらも、頭の中は常に、どうすればさりげなく、無理のない流れで月彦をベッドの中へと連れ込めるかという一事のみに絞られていた。
(そうよ……今夜の紺崎くん、いつになく奥手だもの。…………下手すると、折角お泊まりさせたのに……)
 朝まで何もない、という事すらあり得ると、雪乃はその想像にゾッと肝を冷やした。
(…………お酒飲ませちゃう手は……アリ……かな?)
 雪乃は考え、あまりいい手ではないと思った。月彦が酒に弱く、簡単に前後不覚になってしまうというのであればアリだったかもしれない。が、雪乃が覚えている限りでは、特別強くもない代わりに弱くもない筈だった。少なくとも、ちょっとやそっとで我を忘れるという事はありえないと。
 とはいえ、多少なりとも理性を失わせやすくする助けくらいには、なるかもしれない。
(……いっそ――)
 そう、いっそ――今夜だけで、何度そう思ったか。いっそ素直に月彦の袖を引き、一緒に寝ようと言う事が出来れば、どんなに気が楽かと。
(紺崎くんが……すぐ側に居るだけで……こんなに、ドキドキしっぱなし、なのに……)
 あれほどに、狂おしいまでに体を支配していた“ムカムカ”や“イライラ”も何処へやら。それこそ、月彦の手料理それ自体がある種の解毒作用でもあったかのように、綺麗さっぱり消え失せていた。そして後に残ったのは、狂おしいまでの紺崎月彦に対する“飢え”だった。
(そうよ……だって――)
 雪乃は思い出す。“おあずけ”となってしまったのは、何も先週に限った事ではない。その前――勉強会の時も、結局逃げられたような形になってしまっている。さらに振り返れば、その前の時も、天文部の部室で物足りなさを噛みしめながら泣く泣く着替えに家に帰るという体たらくだった。
 言うなれば、長く――それこそ、信じられない程に長く焦らされ続けているようなものだ。今夜こそは絶対に逃がしたくないという想いはそこから生まれていると言っても過言ではなかった。
(……んっ……)
 ごくりと、唾を飲む。そう、今夜こそは絶対に逃がさない。元々、度を超した怒りによって紛らわされていたものが、怒り自体が消え失せた事で完全に雪乃の四肢を支配していた。
「…………ちょっと、着替えてこようかな」
 独り言のように呟いて、雪乃は一人寝室へと移動した。色気のカケラもないパジャマを脱ぎ、さらに下着も脱いだ。代わりに、とっておきのガーダーベルト付きの黒のベビードールへと着替えた。
(これはちょっとやりすぎ……かなぁ……殆ど下着みたいなものだし……でも…………)
 月彦に対して見せないで、一体誰に見せるというのか――“勝負下着”ならぬ“勝負寝間着”であからさまに男を誘惑しようとすることに対する羞恥をなんとかねじ伏せて、雪乃は寝室を後にした。
「…………!」
 雪乃の姿を目にするなり、月彦は驚くように目を丸くし、そしてすぐさま視線をそらせた。雪乃もまた、月彦のそんな反応に胸の奥を弾ませながらも、あくまで何も気がつかなかったというフリをして先ほど同様ソファに腰掛ける。
(……紺崎、くん)
 あからさまに挙動不審な態度になった月彦を横目でチラチラ観察しながら、雪乃も表面上は平然とテレビ画面へと目を向けていた。先ほど同様、洋画の内容などどうでもよかった。ただただ、月彦の反応だけが、雪乃は気になった。
(……紺崎くん、ソワソワ……してる?)
 目に見えて落ち着きがなくなったのは、雪乃にも解った。意味もなく膝の上で指を組んだり、それを解いたり。壁掛け時計へと目をやったり、そしてテレビ画面へと視線を戻す際にちらりと雪乃の方を見てきたりと、そんな落ち着きのない月彦の反応に、雪乃は密かに興奮を覚えた。
 教師としてではなく、“女”として意識されている――そう思えたからだ。
(……やだ……体……熱くなってきちゃった……)
 チラチラと月彦に盗み見られているだけだというのに、肌が熱く火照り出すのを雪乃は止められなかった。
「……なんか喉乾いちゃった。……紺崎くん、何か飲む?」
「あっ……いえ……俺は……――っ……」
 声に反応するかのように、月彦が雪乃の方へと視線を向けて――しかし慌てて顔を背けながら口ごもる――そんな反応が堪らないと雪乃は思う。
「遠慮しないで。お風呂上がりだもの、喉……乾いてるんじゃない?」
「それは……はい、じゃあ……少しだけ、頂きます」
 うん、と雪乃は頷き、わざとテレビと月彦との間を通るようにして台所へと立つ。料理は不得手だが、酒の方はそれなりに心得がある。専用のグラスにロックアイスとオレンジジュース、適量のウォッカを注ぎ、隠し味にレモンの絞り汁を数滴加えた特製のスクリュードライバーを二人分用意し、雪乃はソファへと戻った。
「お待たせ。はい、紺崎くん」
「あ、すみません……い、頂きます」
 戻る際、雪乃はさりげなく月彦の隣へと座る。ぎょっと、驚いてスペースを空けようと腰を上げる月彦に釘を刺す形で、雪乃はグラスを手渡した。手渡しながらさりげなく足を組み替えると、忽ち月彦はぷいと視線を反らし、慌てたようにグラスへと口をつけた。
「あっ」
 そして、そんな声を上げた。
「これ、ひょっとしてお酒ですか?」
「そうよ? でも、アルコールはちょこっとだけだから、飲みやすいでしょ?」
「ええ……そ、そうですね……確かに、飲みやすいです」
 そう、その口当たりの良さこそスクリュードライバーの特徴なのだと、雪乃は内心ほくそ笑んでいた。その実、アルコール度数のほうはビックリするほど高かったりするのだが、そんな事はおくびにも出さない。例え僅かでも月彦が理性を失してくれたほうが、この後の事がやりやすくなるからだった。
(…………教え子騙して、お酒のませちゃうなんて……ね)
 今更ながら、雪乃は自分の行為が信じられなかった。尤も、飲酒以前に肉体関係を持ってしまっている事のほうが問題ではあるのだが。
「美味しい? 紺崎くん。お代わりはあるから、欲しかったら言ってね」
 僅かに月彦に身を寄せ、丁度手にもったグラスへと視線を向けると胸の谷間が目に映るように位置取りながら、雪乃はあくまで他意はないという口調で言った。
「ありがとうございます。…………じゃあ、もう一杯だけもらえますか?」
 それは喉が渇いているからというよりは、目のやり場に困るから離れて欲しい――まるでそう言うかのように、月彦は一息にグラスの中身を飲み干し、雪乃へと手渡してきた。雪乃はグラスを受け取るや、自分のそれをテーブルへと置き、台所に戻ってすぐさま“二杯目”を作った。
「ど、どうも……先生は飲まないんですか?」
「ん、勿論飲むわよ?」
 先ほど同様、月彦の隣へと座りグラスを渡すなり、雪乃もまた自分のそれへと唇をつける。親しみ慣れたオレンジの酸味とウォッカの辛味を味わいながらも、雪乃の目は猛禽のそれのように、隣の月彦の様子を――それこそ、呼吸のリズムすらも計るように観察していた。
 心なしか、先ほどまでよりも月彦の“盗み見”の回数が増えている事に、内心ゾクゾクと興奮を覚えながら、雪乃はさらに見せつけるように足を組みかえた。


「大丈夫? 紺崎くん」
「すみません……ちょっと、酔っぱらっちゃったみたいで……」
 月彦の様子が目に見えて変わったのは、“五杯目”を口にしている途中だった。
「やっぱりお酒はまだちょっと早すぎたかしら。……大丈夫? 横になった方が楽よ?」
「そ、そうですか? じゃあ……っと、すみません……」
 申し訳なさそうに笑いながら、ソファへと横になろうとする月彦の肩を、当然のように雪乃は掴んだ。
「そんな所じゃゆっくり休めないでしょ? ベッドを貸してあげるから、そっちで横になった方がいいわ」
「えっ……。で、でも……もし、吐いたりなんかしたら……」
「大丈夫、洗面器とかも一緒に持ってきてあげるわ。……ほら、肩かしてあげるから」
 最早月彦の言い分など関係ないとばかりに雪乃は強引に月彦に肩を貸すや、寝室へと連れ込んみ、掛け布団をまくり月彦を横にならせると自分はその側へと腰掛ける。
「どう? 少しは楽になった?」
「は、はい…………大分、楽に……なってきました。吐き気とかはそんなに無いんで……多分少し休めば……」
「ごめんね、紺崎くん。ひょっとして無理して飲んでくれてたの?」
「いえ……別に無理なんて……」
 力無く笑う月彦に、雪乃は何やらうずうずと堪えかねるものを感じた。そう、この状態ならば、“アレ”もできるのではないかと――。
「……ねぇ、紺崎くん。マクラ……あったほうが楽でしょ?」
「ええ、そりゃあ……」
「だったら、私の膝貸してあげる。……お酒飲ませちゃったお詫びに」
 雪乃はベッドに腰掛けたまま、ぽむぽむと己の太股を軽く叩いた。えっ、と二の足を踏む月彦のパジャマを掴み、殆ど無理矢理引き寄せるようにして、強引に“膝枕”をさせた。
「どう、紺崎くん。この方が楽でしょ?」
「えーと……はい…………ただ…………」
「ただ?」
「い、いえ……何でもないです!」
 相変わらずキョドったままの月彦が可愛らしくすら思えて、雪乃は微笑みながらそっとその髪を撫でつける。
(……えへへ、紺崎くんに膝枕しちゃった)
 撫でながら、密かに野望の一つが叶った事に笑みを漏らさずにはいられなかった。――そう、最早演技の上ですらも、“ムスッとしている”事ができない程に。
(……そうだわ、いっそこのまま――)
 月彦の髪を撫でながら、はたと。雪乃の脳裏に“悪い考え”が浮かぶ。それをどうしても試してみたくて、雪乃はそーっと背を曲げ、体を前屈みにさせていく。
「……!? せ、せんせっ……ちょっ……んぷっ……」
「あっ、ごめんね、紺崎くん。苦しかった?」
 さりげなく月彦の顔を乳房で圧迫しておきながら、雪乃はしれっとした声を出して再び背筋を伸ばす。
(…………いつもの紺崎くんだったら、ここまでやったら間違いなく変わっちゃってるのに)
 そのことが恨めしくもあり、同時におかしくもあった。いつもの、あの悪魔が乗り移ったかのような積極的な月彦も悪くはないのだが、今のように年相応に――或いはそれ以上に――慎み深い月彦というのもアリかもしれないと。
(…………そうよ、折角だから――)
 月彦が一体どこまで耐えられるのか、実験をしてしまうのも悪くはないかも知れないと、そんな悪い考えが浮かぶ。――恐らくは雪乃もまた酔っていたのだろう。そうでなければ、後々どんな事になるか容易く想像がつきそうな試みを実際にやろうとは、到底思わなかったに違いない。
「……なんだか眠くなってきちゃった。私も横になろうかしら」
 そう、間違いなく雪乃は酔っていたのだ。いつになく謙虚で慎み深い恋人を前にして、今の自分ならば何でも思い通りに出来るような錯覚にすら陥っていたのだから。
「あっ、じゃあ……俺はソファーで」
 と、ベッドから出ようとする月彦の肩を、再度雪乃は掴んだ。
「紺崎くん、具合悪いんでしょ? そんな人をソファになんて寝かせられないわ」
「いや、もう治りましたから」
「うちのベッドはほら、この通り大きいし。並んで二人寝るくらい何でもないから」
 雪乃は月彦の隣へと体を横たえながら、しかし“ある程度のスペース”は意図的に空けた。
「それに、紺崎くんも……今夜はただ眠るだけなんでしょ?」
「……えーと……?」
「まさか、あれだけ盛大にデートをすっぽかしておいて、しかもそれを許してもらった側から、私に夜這いなんてかけたりしないわよね?」
「そ、それは……はい。……だ、大丈夫です…………先生を襲ったりなんか、絶対しません」
「それなら、一緒に寝ても何の問題もないじゃない。…………ちなみに、今日は“大丈夫な日”だから、ナマでしちゃってもOKだったりするんだけど、ね」
 そう、今夜はナマでし放題なのだと――その部分だけ、まるで男を惑わす淫魔のような口調で雪乃は囁く。
「……あ、安全日……なんですか?」
「そうよ? だけど関係ないでしょ?」
「まぁ……そ、そう……ですね」
「私も今夜はお姉ちゃんにいっぱい歩き回らされて疲れちゃったから、このまま寝たいし。…………ふぁぁ、じゃあお休み、紺崎くん」
 雪乃はわざとらしく欠伸をして、もぞりと掛け布団を肩まで被る。そして背中越しに、しぶしぶといった具合に月彦もまた肩まで布団を被るのを感じて、密かに拳を握りながら心の中で快哉を叫んだ。そう、“この状態”にまで持ち込んでしまえば、後はもうこっちのものだと。
「…………。」
 布団の中でソワソワしながらたっぷり五分ほど待ち、雪乃はそっと寝返りを打つフリをして月彦の方へと向き直った。月彦はといえば、ベッドの隅にギリギリまで寄る形で、しかも雪乃に対して背を向けるように寝ていた。
「紺崎くん」
「……はい?」
「そんなに隅っこじゃ危ないわ。もう少しこっちに寄った方がいいわよ?」
「いえ、大丈夫です。俺、そういう寝相だけは良いですから」
「紺崎くんの寝相が良くても、私が寝ぼけて蹴り飛ばして落としちゃうかもしれないから。ほら、もっとこっちに来なさい」
「わ、解りました……じゃあ、少しだけ」
 ずりずりと、月彦は雪乃に背を向けたまま体を動かし、二十センチばかりベッドの端から遠ざかる。くすっ――そんな笑みすら零しながら、雪乃はそっとその背に体を密着させた。
「せっ、先生!?」
「ん? なぁに?」
「いえ、その…………」
 素っ頓狂な声を上げながら身を強ばらせる月彦の脇の間から両手を差し込み、ぎゅうーっ、と抱きしめるように雪乃はさらに密着する。
「あの……先生……?」
「どうしたの? 紺崎くん」
 雪乃の声はあくまで惚けていた。胸元をぎゅうぎゅう押しつけるようにしながら、両手はしっかりと月彦の胸元へと回し、その肩口に顎を乗せる形でふぅ……と耳に息を吹きかける。
「なっ……ちょっ……」
「さっきからどうしたの? 紺崎くん。言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃない」
「いや……えーと、その……あまり、くっつかないでもらえると……ありがたいんですけど……」
「どうして?」
 自然と、甘えるような声になった。ふぅ、とさらに月彦の耳の裏に吐息をかけると、抱きついている両腕を通して月彦が全身を強ばらせるのが解った。
「せ、先生にそんな風にされると……我慢が、効かなくなるっていうか……その……」
「何の我慢が効かなくなるっていうの?」
「何の、って……聞かれても……困るんですけど……」
 狼狽しきっている月彦の声に、雪乃はかつて感じた事のない類の不思議な愉悦を覚えた。もっと、もっと月彦を追いつめて、困らせてやりたい――ゾクゾクとした快感と共に、そんな考えに雪乃は支配される。
(ふぁぁ……紺崎くんの……ニオイ……)
 鼻先を月彦の後ろ髪に埋めるようにしながら、雪乃は思い切り息を吸い込んだ。それは当然の事ながら嗅ぎ慣れた自宅のシャンプーの香りなのだが、それとは別の、“好きなオスのニオイ”にうっとりと、体の芯までとろけそうになる。
 自然と、月彦の“前”へと回した手が南下を始める。胸板から腹部へ、腹部からさらに下へ――
「せ、先生っ……ちょっ……」
 月彦が上ずった声を上げながら、身を捩ろうとする――が、雪乃は背後からしっかりと抱きしめ、それを許さない。そうして動きを封じながら、右手を月彦の股間部へと――。
「……ちょっと、紺崎くん?」
 そして“それ”を寝間着ズボンの上から撫でるように触りながら、雪乃はあえて責めるようなキツい口調で囁きかける。
「“これ”は一体どういうことなの?」
「どう……って言われても……っ……」
「どうして、“こんな風”になってるの?って聞いてるんだけど」
 ズボンを突き破らんばかりに膨張しているその場所を執拗に右手で撫でながら、雪乃はそれこそ怒りがぶり返したと言わんばかりに責め立てる。
(……やだ……紺崎くんの……久しぶりに触ったけど……やっぱり、スゴい……)
 その実、心臓が早鐘のように鳴り、興奮のあまり吐息が荒くなるのを禁じ得ない。寝間着ズボン越しとはいえ、牡そのものとも言えるその場所を撫でさする事を止められなかった。
「紺崎くん、ちゃんと答えて」
 内心、今にも鼻血が出そうな程に興奮しながらも、雪乃はあえてキツい口調せ責め立てる。尤も、面と向かっていればそれこそまさに“口だけ”であるという事を月彦にも見破られたであろうが、幸い月彦の体勢から雪乃の顔色までうかがうことは出来ない。
「っ……す、すみません……その……先生に、密着されて……つい……」
「どういう事? 紺崎くん、ちゃんとこないだのこと反省してるの? 本気で悪いと思ってるの?」
 キツイ口調で責め立てながらも、雪乃は愛撫の手は止めない。それこそ、ズボンの上から剛直を握りしめるようにしながら、こしゅ、こしゅと上下に擦り上げる。
「っ……も、もちろん……っ……は、反省、して……ます……」
「だったらどうしてこんな風になってるの? きちんと反省して、申し訳ない気持ちでいっぱいなら、こんな風にはならないんじゃないのかしら?」
 自分が言っていることがムチャクチャな理論である事など、雪乃自信百も承知だった。解っていて尚、止める事ができなかった。
 そう、いつもいつも何かと主導権を握られ続けてきた年下の恋人に“言葉責め”をするという未曾有の機会にこれ以上ないほどに興奮を覚えていたからだ。
(……そうよ。私の方が……ずっと年上なんだから……たまには、こういうのだって……)
 今まで散々焦らされてきたのだから、少しくらい意地悪をしたって許されるはず――雪乃は己の内側に沸々と沸き起こる正体不明の不安に対してそのように誤魔化しながら、さらに言葉を続ける。
「どうしたの、紺崎くん。さっきより堅く、大きくなってるんじゃない?」
「そ、それは……先生が、触るから、です……」
「関係ないでしょ。紺崎くんが本当に反省してるんなら、私が何をしたって。……紺崎くん、本当に悪いことをしたって思ってるの?」
「お、思ってます! 海より深く反省してます!」
「だったら、“これ”……元に戻してみせてよ」
 ぎゅっ――剛直をズボン越しに握りしめながら、雪乃は――悪女のような声色でぼそりと囁く。
「そん、な……」
「出来ないっていうの? 紺崎くんの“反省”ってその程度なの?」
 ゾクゾクゾクッ――背筋を駆けめぐる快感に雪乃は身震いしながら、“この状況”を楽しんでいた。
(……このまま直接触っちゃおうかしら)
 “ズボン越し”などまだるっこしい。いっそトランクスの中まで手を入れて、直接撫でさすってやればより月彦を追いつめる事が出来るのではないか――そんな事を考えながらハァハァしていた雪乃は、当然気がついていなかった。
「…………元に戻したら、反省したって認めてくれますか?」
 自分が相手にしている“モノ”が、年相応に謙虚な青年ではなくなりつつある事に。
「今回の事、全部水に流してくれますか?」
 そんな月彦の呟きと共に、雪乃は不意に右手首を掴まれ、強引に剛直から手を離された。
「えっ……?」
 一瞬。ほんの一瞬の出来事だった。あれほどしっかり抱きしめていたはずの月彦の体が、まるで霧に溶けるように手応えが無くなったと思った時にはもう、視界の端に掛け布団が舞っていて――。
「……だったら、望み通り――俺がどれだけ“反省”しているか、思い知らせてあげますよ」
 雪乃は仰向けにされて、両手首をベッドへと押さえつけられていた。



「あっ……あぁ……ちょ、ちょっと、紺崎くん!?」
 訳の分からないうちに自分が逆に押し倒される形にされてしまい、雪乃は慌てて声を上げた。
「何ですか、先生」
「何ですかって……い、一体どういうつもりなの? も、もし……変なことしたら――んっ……」
 雪乃が喋り終わるのを待たず、月彦の手がぎゅう、と胸元を掴んでくる。
「変なことって、こういう事ですか?」
「そ、そう……よ……早く、離し……んぁっ……」
 しかし、月彦は手を離すどころか、ベビードールのブラ状の生地の上からぐにぐにと捏ねるように揉み始める。
「や、やだ……ちょっ……止め…………んっぅ…………」
 月彦の手を払いのけようと、雪乃はその手首を掴む――が、それ以上の事は何も出来なかった。
(ぁっ、ぁっ……紺崎くん……ひょっとして――)
 “いつものやつ”では――たちまち、雪乃の胸はこれ以上ないほどに高鳴り始める。この普段は焦れったいほどに奥ゆかしい年下男がそうなった時、一体どういう事になるのか――過去の例をいちいち思い出すまでもなく、雪乃は身に染みていた。
「……やれやれですね。先生、さっきは随分勝手なことを言ってましたけど、先生はどうなんですか?」
「ど、どう……って……何が……」
「いちいち口で言わないと解りませんか?」
 月彦の手が、キュッと。布地越しに堅く尖った部分をつまみ上げる。
「あぁうッ……!」
「こんなに、背中越しでも解るくらい尖らせながら偉そうな事を言っても、説得力なんか無いって事です」
「ち、違っ……これ、は……今、紺崎くんにっ……触られた、から……」
「へぇ?」
 月彦は楽しげに声を出しながらも、くりくりと胸の先端を弄る事を止めない。
「じゃあ、その格好はどう説明するんですか?」
「か、格好……って……」
「どうして、わざわざパジャマを脱いで、そんな格好になったのか、って聞いてるんです」
「ぁっ、ぁっ……やっ……そこ、擦らなっ…………っ……」
「先生、質問にはちゃんと答えてもらえますか」
「〜〜〜っっ…………へ、部屋が……暑かったから、よ……」
 へぇ?――月彦がまた、楽しげに声を上げる。
「部屋が暑い――ただそれだけの理由で、そんな……男を誘うような格好になるんですか?」
「べ、つに……さ、そってる……ワケ、じゃ………………」
 ぷいと、雪乃はばつの悪さからつい視線をそらせた。
「と、とにかく! 私、まだ完全に紺崎くんの事許したわけじゃないんだからね!? こ、これ以上……変な事したら……ほ、本気で怒るんだから!」
「これ以上の変な事……たとえば――」
 月彦の手が、雪乃の顎に触れる。あっ、と思った時には、くいと顎を持ち上げられて――。
「んっ……」
 一瞬、ほんの一瞬だけ唇が触れ合った。
「あっ、やっ……」
 反射的に月彦の背へと手を回してしまいそうになった雪乃は、あまりに短すぎるキスにそんな声まで出してしまった。
(そんな……一瞬だけ、なんて……)
 今までの会話の流れも忘れて、雪乃は眼前の年下男を心底憎らしく思った。こんな生殺しのようなキスをされたのでは、ますます許すわけにはいかないとさえ。
「……先生、やっぱり寝ましょうか」
 そして雪乃は、さらに信じられない言葉を耳にした。
「えっ……?」
「“変なこと”をしたら、先生ますます許してくれないんですよね? だから、寝ます」
「何を……言って……こ、紺崎くん!?」
 雪乃が声を上げるのも構わず、月彦はごろりと寝転がってしまう。そしてそのまま背後から雪乃を抱きすくめるように――まるで、先ほどまでと真逆の位置取りで――手を回してくる。
「こ……紺崎、くん?」
「寝ましょう、先生」
 耳の裏に、月彦の吐息が触れる。それだけで、雪乃は甘い声が出てしまいそうになる。さらに、“前”へと回った月彦の手がさわさわと蠢き――。
「っ……やっ……」
 最初は胸元を捉えていたその手が、徐々に下へと下がっていく。だめっ――そんな掠れた声を上げながらも、雪乃は月彦の手の侵攻を止められなかった。そう、丁度先ほど、月彦もまた止められなかったように。
(だ、ダメ……さ、触られたら……バレ、ちゃう……)
 乳首をたたせていた――どころではない。月彦を背後から抱きしめながら、その剛直を愛撫しながら、自らも下着が濡れそぼる程に溢れさせてしまっていた事が、全部。
 しかし、雪乃の危惧は――ある意味、最悪の形で外れた。
「ひっ……!?」
 月彦の手は、雪乃の腹部で止まった。そしてそのまま円を描くように撫でられて、雪乃は思わず唇を噛んだ。
「っ……や、だ……紺崎くん……どこ、触って……」
「どこって……お腹、ですけど。何かまずいんですか?」
 まさかまだお腹の具合が悪いんですか?――そんな軽口を叩きながらも、月彦は腹部を撫でさする事を止めない。
(ううぅぅぅ〜〜〜〜〜っっっ…………)
 そう、ただ腹部を撫でられているだけ――しかしそれはある意味では、胸などよりもよほど“弱い”場所だった。
(だ、め……そこ、だめ……ダメ、なのに……)
 正確には、腹部のさらに奥――熱を帯びた子宮を意識させられるような愛撫に、雪乃はもう瞳までとろけさせていた。
「ひゃあっ……こ、紺崎く…………ぁっ、ぁっぁぁぁぁぁ……」
 さらにはむっ、と耳たぶを責められ、雪乃はもう声を抑える事も出来ず、甲高い声を上げてしまう。腹部への愛撫は執拗に続き、子宮の熱が伝播していくにつれて雪乃は自ら腰までくねらせはじめていた。
「はーっ…………はーっ…………はーっ………………」
 それは呼吸というよりも、体の中に溜まりに溜まった“熱”を排熱するための行為――そんな気さえし始めていた。
(あつ、い……体……すごく、熱くなってる……)
 体が疼く……とはまさにこのことだった。疼いて、疼いて、疼いて疼いて仕方がない。雪乃は焦れったげに太股を摺り合わせながら、そっと腹部を撫でつけている月彦の手の甲側から、自分の手を重ねた。
「……先生?」
 驚いたような声を出して――それも、演技臭い声だったが――月彦が愛撫の手を止めた。雪乃はさらに重ねた手を、月彦の指の間に自らの指を差し込むようにして握りしめた。
「どうしたんですか?」
「……〜〜〜〜っっっ……」
 惚けたような声を出す月彦に、雪乃は精一杯身を捩って抗議の目を向けた。
「……ちゃんと口で言ってくれないと、解りません」
「っっっ! ………………お、怒るわよ?」
 雪乃には、そうとしか言えなかった。
「い、いい加減にしないと…………ホントのホントに怒るんだから」
「……俺は、先生の口から、ちゃんと聞きたい……そう言ってるんですけど?」
 くぅ、と雪乃は思わず下唇を噛んだ。やはり、ベッドの中では自分は月彦に勝てないのか――ちょっとした屈辱感を噛みしめながらも、それでも雪乃は口を開かずには居られなかった。
「……し、して……欲しいの!」
 そして、一度口にしてしまえば、後はもう――止めどなかった。止めどなく、本音が。
「い、今まで……紺崎くんとできなかった分、いっぱい……いっぱいシたいの!」
 後半はもう、月彦の体に縋り付き、喚くように雪乃は言った。その背に回ってきた月彦の手はひどく優しく、そして力強かった。
「……解りました」
 再度、顎が持ち上げられ、唇を奪われる。今度は、雪乃の希望通りの――長い、長いキスだった。



「あっ……ぅ…………やっ……こ、紺崎くん……もうっ……」
 長い長いキスのあと、さらに短いキスの合間合間に体をまさぐるように愛撫されて、雪乃は溜まりかねるように声を上げた。
「もうっ……大丈夫、だから……ね?」
 これ以上ないという程に優しい愛撫ですら、今の雪乃には焦らされているようにしか感じなかった。もみゅもみゅと弄ぶように胸をこね回す月彦の手首を掴み、媚びるように言う――が。
「……先生も、エッチするのすごく久しぶりの筈ですよね。…………もうちょっとしっかり“前準備”をしたほうがいいと思うんですけど」
 月彦はにっこりと、それこそ天使の面を被った悪魔のように微笑んでくる。ううぅ、と唸ったのは雪乃だ。
「もう、大丈夫、って……い、言ってる……でしょ? ねぇ……だから……」
 キュンキュンと鳴く様に疼く腹部の熱を堪えかねて、雪乃は殆ど泣きつくような声で言った。言いながら、もう待ちきれないとばかりに自らショーツの端に指を差し込み、するりとずりおろしていく。
(やだ……自分から、こんな――……)
 自ら下着を脱ぎ始めるという己の行為に、雪乃はたちまち羞恥に顔を赤く染めた。染めながらも、しかし下着から足を抜く事は止められなかった。
「紺崎、くぅん……お願い……欲しい、のぉ……」
 欲しい――そう、とうとう口にまで出してしまった。
(欲しい……欲しいの……お願い、早く来てぇ……!)
 全身が、それこそ細胞の一つ一つに至るまでが涎を垂らしながら月彦を求めているかのようだった。あの太く逞しい肉柱で貫かれたい――堅い先端で、ぐりぐりと子宮口を抉られたい。そんな雪乃の思いを体現するかのように、両手が触手のように月彦の体へと絡みつき、引き寄せる。
「……解りました。……じゃあ、先生……足を開いて下さい」
「んっ…………こ、こう……? これで、いいでしょ……?」
 雪乃は月彦に言われるままに足を開き、既に自ら下着を脱ぎ捨て、何も覆い隠すものがない秘部を露わにする。
「……じゃあ、次は…………“欲しい場所”を自分で指で開いて見せて下さい。いつもみたいに」
「ぁっ……っぅ………………〜〜〜〜〜っっ……!」
 反論する時間すらも惜しかった。雪乃は開きかけた口をすぐに食いしばり、言われるままに人差し指と中指でくぱぁ、と秘裂を開いてみせた。
(っっ……い、いつもみたいにって……こんな事、そんな……何回も、は……)
 羞恥と屈辱がない交ぜになり、雪乃は目尻に涙すら浮かべた。それほど無茶な要求をされて尚、飲まざるを得ない程に――渇望していた。
「わかりました、“そこ”に欲しいんですね。…………じゃあ、早速」
 早速――と言う割りには、月彦はえらくもったいぶった手つきでパジャマを脱ぎ始める。しかも、脱いだそれを丁寧に畳むというおまけ付きだ。
(うぅーーーーーっ!!)
 そう唸り出したいのを必死に我慢して、雪乃は待った。
(……紺崎くんだって、シたくてシたくて堪らないクセに)
 ギン勃ちしっぱなしの股間が何よりの証拠だった。月彦が脱衣したことも相まって、雪乃の目はもう完全にそこへとロックオンされていた。
(いっそ、このまま――)
 不意打ちで抱きつき、口に咥えてしまおうか――そんな考えすら浮かんだ。以前はあれほどに抵抗があった口での奉仕ですら、今はもう体の疼きを収める為の一つの手段に成り下がっていた。
(そうよ……そのまま、主導権をとっちゃえば……)
 ゾクリと、先ほどまでの――月彦をいいようにしていた時の快感が蘇ってきて、雪乃はそーっと月彦の背後から忍び寄る。もう少しで射程距離――そんな時だった。まるで気配を察知したかのように、くるりと月彦が振り返ったのは。
「……さてと、お待たせしました、先生」
 否、気配どころではない。雪乃の目論見を全て看破したかのように、伸ばした手を掴むやベッドに押しつける形で再度雪乃を押し倒してくる。
「あっ……」
 試みは失敗したが、しかしそれでも雪乃は月彦に押し倒される事に一切抵抗はしなかった。何故ならこれはこれで、雪乃の思い通りではあったからだ。
「……じゃあ、行きますよ、先生。…………ナマでいいんですよね?」
「う、うん……今日は……大丈夫な日、だから……」
 雪乃は再度、自ら足を開き、月彦を受け入れやすい体勢になる。ぐっ、と。焦れに焦れた秘裂に堅く熱い肉の塊が押し当てられるのを感じるや、声を上げずにはいられなかった。
「あぁっ……ぁっ……こ、紺崎くんっ……あぁっ、あっ、あァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
 堅い肉に秘裂を押し広げられる感触に、雪乃は堪らず声を上げ、腰を跳ねさせた。
「……先生?」
 月彦が怪訝そうな声を上げたのも当然だった。何故なら、まだ先端部分しか入っていないからだ。
「ふ、ぁ…………す、ごい……こ、紺崎くんのって……こ、こんなにっっ……ぐいぃ……って、広げ、られて……や、だめっ、だめぇっ! もっと、もっとゆっくりぃ!」
 ぐぐぐと秘部を押し広げるようにして入ってくる剛直の感触に、雪乃は軽い感動すら覚えていた。恐らくは、長く抱いてもらえなかったからなのであろうが、いつになく強い圧迫感を感じた。
「…………最初に、随分と先生に焦らされましたからね。……そのせいかもしれません」
「そう……なの? 焦らされたら、こんな風に…………やっ……かはっ……ま、まだ……奥に、来るっぅ……!」
 ゾクゾクゾクッ……!
 極太の肉柱に奥の奥まで刺し貫かれ、雪乃はもう完全に下半身が痺れたようになってしまった。
(あぁっ……出てるっぅ……気持ちいいの、いっぱい……)
 “それ”がエンドルフィンなのか、それともアドレナリンなのか、ドーパミンなのか、雪乃には判断がつかない。つかないが、一つだけ解っている事は月彦にこうして抱かれる事で、大量の“脳汁”が溢れ出し、他のことなどどうなってもいいと思えるほどの快感を得られるという事だ。
「っ……くっ…………よく、絞まる………………じゃあ、少しずつ……動きますよ?」
「んっ……ゆ、ゆっくり……おねがい…………ゆっくり、好き、なの…………」
 ググンと雪乃の膣内に収まって尚、猛々しく反ったままのそれがゆっくりと引き、再び押し込まれる。
「あっ、あっ、あっ……!」
 再度、引いて……押し込まれる。
「あっ、あっ、あっ、あッ……!」
 声を抑える事など、とても出来ない。肉柱の表面と肉襞が擦れあうたびに凄まじい快感が生まれ、顎を浮かすようにして声が出てしまう。
「あぁっ、あぁぁっ、あぁッ!! んっ……あぁぁっ……!」
 ゾクッ!
 ゾクッ……ゾクゾクッ!
 快感に、背筋が震える。指が勝手にベッドシーツをかきむしり、太股が痙攣するように跳ねる。
(あぁ……あぁぁっ……す、ごい……すごい、のぉ…………気持ち、いぃ……!)
 長く焦らされた――というのも、無論あるだろう。しかしその分を差し引いても、“良すぎ”た。
「ぁっ、ぁっ……あぁん!」
 こんっ、と。軽く“奥”を小突くように突かれ、雪乃は大きく体を震わせた。
「“ゆっくり”ばかりじゃ先生も退屈でしょうから。…………少しずつ早くしていきますよ?」
「やっ……ま、待って……ゆっくりでいい、から……ゆっくりがっっ……ああぁん! あんっ、……あぁぁんっ!!」
 奥を小突かれ、子宮を揺らされるたびに腰が跳ねる。体の奥深くに溜まりに溜まっていた熱が散らされ、さらに肌が火照ってくるのを感じる。
「先生? ほら……」
「やっ、んぅっ……んんっ……ンンンッ!!」
 そうして、雪乃の意識が下半身へと集中した頃を見計らって、不意打ちのように唇を奪われる。
(やっ……ぁん! あぁん!)
 唇を塞がれたまま、ずんっ、ずんとクイでも打ち込むように強く突き上げられ、雪乃は喉奥で噎びながら両手で月彦にしがみついていた。
「ぁはァッ……! はぁっ、はぁっ……こ、こんざき、くぅん……やっ……ぁう……ひぃ……!」
 どっぷりと快感漬けにされた脳ではもう、自分が何をされているのかも理解できなかった。ただただ雪乃は本能に従い、寄り“良い”場所に当たる様、腰を僅かに持ち上げたり、傾けたりしながら頂点へと上り詰めていく。
「……先生、今日は安全日……でしたよね?」
 せえ、はあ、ぜえ、はあ。肩で息をしながら、雪乃はこくりと頷いてみせる。
「そうですか。…………でも先生、安全日だからって、別に絶対中に出さなきゃいけないって事はないですよね?」
 えっ、と。雪乃には月彦が何を言っているのか理解できなかった。
「こ、紺崎……くん?」
「それに、安全日だからって絶対安全とは限りませんし。…………やっぱり、ここは無難に外に出した方が――」
「だ、だめっ……」
 考えるよりも先に、雪乃は月彦の首へと手を絡め、拒否していた。
「……先生?」
 月彦は多くを語らない。ただ、優しく雪乃の頬を撫でてくるのみだ。――そう、月彦が言わんとする事など、雪乃は百も承知だった。こうして直前になって焦らされるのは、何も今回が初めてというわけでもない。しかし、その目論見通りに動く事を矜持が許さなかった。
 そう、雪乃の矜持は頑健に抵抗をしたが――。
「外に、出しちゃ……だめぇ……!」
 実際には、雪乃は目尻に涙すら浮かべながら、懇願してしまっていた。
「ナカに……ナカに欲しいのぉ……ナカじゃないと嫌ぁ!」
 かつての自分であれば、口にする事すら出来なかったであろう“おねだり”が矢継ぎ早に溢れてくる。そのことが雪乃には恐ろしく――そして少しだけ嬉しくもあった。
「ねぇっ……お願い、紺崎くんの精子……私の中に……溢れちゃうくらい……いっぱい注いでぇ……!」
 手を、月彦の腰へと絡めながら、雪乃は自ら腰をくねらせ、剛直をしゃぶるように動かしながら“おねだり”をする。勿論、考えての行為ではない。“そうせずにはいられない”からそうしたまでだった。
「……さて、どうしましょうか」
 そう言って意地の悪い笑みを浮かべる月彦が、雪乃には本物の悪魔のように見えた。
「ぁっ、ぁっ……やぁっ……おね、がい……紺崎くぅん…………ナカに……欲しいのぉ……中出ししてぇ……!」
 ムービーカメラあたりで撮影され、正気の時に見せられたらそれこそ発狂しかねない程に淫らな言葉を吐きながら、雪乃は必死になって“おねだり”を繰り返す。
「……仕方ないですね」
 そう言う月彦が実のところどれほど余裕を無くしているのか、それを見破る事ができていれば、雪乃の対応も少しは変わった筈だった。しかし、“男性経験”の絶対的な足り無さが雪乃を盲目にしていた。
「あっ、ぁあんっ!」
 止まっていた剛直の動きが、再開する。息がつまるほどの質量が、下から上へ、上から下へとピストン運動を繰り返す。
「あぁっ……あぁぁっ……あぁぁん! 紺崎くんっ……紺崎くぅんっ……!」
 月彦もまた、絶頂へと登る為にスパートをかけているのだと、雪乃にも解った。そう、牡がイく為の動き――射精をする為の動きに、興奮を覚えるなという方が無理だった。否が応にも雪乃の気分は高まり、月彦の動きに呼応するように快感を高めていく。
「あぁっ、ぁぁっぁっ……んんっ……はぁはぁっ……す、ごい……すごいぃ…………どんどん、良く、なるぅっ…………あぁんっ! あんっ! あぁっ、あっ、あっ……はぁはぁっ……こ、紺崎くぅんっ…………も、だめっ…………私っ……もうっ…………!」
「っ……先生の、ナカも…………っ……やばっ……くっ…………すみ、ません……俺もッ…………もうっ…………」
 予定では、もう少しは持つ筈だったのに――そう言いたげな月彦の言葉だったが、その意味を雪乃は殆ど理解できなかった。そう、ただ――その言葉の指し示す事実、もう射精を堪える事ができないという一点のみ、雪乃は理解した。
「あぁっ、あぁぁぁぁっ、あぁぁぁぁぁッ……あぁぁぁぁァァァーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!」
 ずんっ、……ずんっ、……ずんっ……!
 トドメとばかりに最後に一際強く、三連続で突き上げられた後。ぶるりと、剛直が膨れあがるように震え、びゅうっ、と。
「あぁぁぁぁッ…………!!!」
 びゅっ、びゅっ、びゅぅっ、びゅっ……!
「あっ、あっ、あっ……あぁんっ……! あんっ……!」
 剛直が震え、特濃の牡液が注がれる都度、雪乃は体を震わせ、小刻みにイく。
(あっ、ぁっ……す、ごいぃぃ…………ドクドクって、出てるぅぅ……!)
 子宮にたっぷりと精液を注がれながら、雪乃はあまりの快感に全身を痺れさせていた。何度味わっても慣れる事も飽きる事もない。それどころか回を増すごとにより“良く”なるこの快感に勝るものなど、この世にはないとすら思う。
「ふーっ……ふーっ………………先生、早くてすみません…………もうちょっと、もつ筈だったんですけど」
 やや脱力気味に被さりながら、すまなそうに言う月彦に対して、勿論非難の気持ちなど沸く筈もない。
「…………いいのよ、紺崎くん………………いいから……ちゃんと、“最後”まで……シて?」
 射精して尚全く萎えない剛直をきゅん、きゅんと意図的に締めながら、雪乃は“続き”を促した。月彦は苦笑し、口づけをするやゆっくりと腰を動かしてくる。
「んん……!」
 そう、中出しの後の“コレ”がまた“良い”のだと、雪乃はキスに応じながら自らもゆっくりと腰をくねらせる。
「んっ……んぅっ……ちゅっ……んっ……」
 にゅぐり、にゅぐりと自らの分泌液と精液が混ざる感触に、ついついキスにも熱が入ってしまう。
 自分はもうきっと、紺崎月彦無しでは生きていけない――雪乃は快感漬けにされた頭で、そんな事を思った。


「ひぁっ、あぁぁあッ、あぁぁあっ……あぁぁあああッ……!!!!」
 ベッドの端に座った月彦に抱きすくめられ、尻を抱えるような姿勢で散々に上下に揺さぶられイきそうになった瞬間――まさにそこを狙い澄ましたかのように、びゅくりと。
「あっ、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
 雪乃は両手で月彦の体にしがみつき、はしたなく声を荒げながらイく。びゅく、びゅくと子宮口で弾ける精液の感触に尻を震わせながら、うっとりと瞳まで潤ませ、脱力する。
(ぁっ、ぁっ……す、ごい……ホントに、すごいぃぃ…………イッても、イッても…………全然収まらないぃぃ…………)
 いちいち数えている余裕などない。それでも、そろそろ十に近い数中出しされているというのに、全身の細胞という細胞がもっと、もっとと求めてくるのだから雪乃自身堪らなかった。
「ぁっ……ぁっ……こんざき、くぅん……」
 ウズウズと、下腹の辺りから突き上げてくる“ムラムラ”に突き動かされるように、雪乃は焦れったげに月彦の体へと手を這わせる。
「おね、がい……もっと…………もっと、シてぇ……!」
 くすりと、月彦は困ったような笑みを浮かべた。
「……さすがに、“溜まってた”だけありますね。………………じゃあ、先生……こういうのはどうですか?」
「えっ…………きゃあ!?」
 月彦の両手が、再び雪乃の尻を掴む――や否や、突然月彦が立ち上がり、雪乃は慌てて月彦の首に両手をひっかけ、さらに腰に足を絡めた。
「ぁぐっ……ぅ……!?」
「…………先生って、“奥”好きですよね。…………こうしたら、より“良い”んじゃないか、って思ったんですけど」
 雪乃の尻を掴んでいる月彦の手から、徐々に力が抜けていく。――同時に、秘裂へと収まったままの剛直の先端へと体重がかかり――。
「あっ、あっ……あっ…………!」
 ゾゾゾゾゾッ……!
 背筋を駆け抜ける快感に、雪乃は堪らず背を弓なりに反らせた。
「……どうですか? 先生」
「やっ……ぁっ……こ、紺崎くん…………ちょっ………………あはァッ!」
 ずんっ、と。月彦が雪乃の体を持ち上げ、落とす。堅い先端に子宮口を強く小突かれ、雪乃は視界に火花が散った。
「くひぃッ……! っ……くはぁぁっ…………だ、だめっ……こ、紺崎くん……これ…………」
 強すぎる――その言葉は、さらなる“悲鳴”によってかき消された。
「かはぁッ!」
 ずんっ……!
 腹の奥底に響く衝撃に、雪乃は足の指先まで反らせた。
「あっ、あっ、あっ……だめっ、だめっ……あっ、あっ、ァッ……!」
 今度は小刻みに体を揺らされる。堅い先端をグリグリと子宮口に擦りつけられ、何度も、何度も視界に火花が散った。
「やっ……だ、めぇ……ぁっ、あんっ……あんっ、あんっ、あんッ……!  あぁっ……おね、が……紺崎、くっっ……ぁあんっ……!……下ろし……ぅんっ……!……下ろし、て…………あはァァァッ!!!」
 じっくりと――まるで快感を貯めるように小刻みに揺さぶられ続けた後、唐突に大きく体を持ち上げられ、落とすと同時に突き上げられて、雪乃は容易くイかされてしまう。
「ん、先生もうイッちゃったんですか? …………やっぱり、相当“良い”みたいですね」
「あぁっ、ぁっ、ち、違っ……あっ、あっ、あッ……!」
 また、小刻みに体を揺すられ、コン、コンと“奥”小突かれ、雪乃は喘ぐ以外の事が出来なくされてしまう。
「やっ、い、イヤッ……これ、やぁっ……あぁっ、あぁっ、あぁぁっ……あぁんっ……あんっ……あぁぁんっ……あぁんっ……!」
「イヤじゃないですよね。……だって、先生さっきからすっごい“蕩けた”顔してますよ?」
「し、してなっ……そんな、顔っ……してなっっ…………あああァァァーーーーーーーーーーーッ!!!」
 ビクビクッ。
 ビクッ。
 ビクゥゥッ!!!
 それは、不意打ちのように突然襲ってきた絶頂だった。体が痙攣するように跳ね、歯の根が合わないほどの快楽にうっかり両手を月彦から離してしまいそうになる。
(あ、ぁっ……す、ごい……どぱぁっ、て……出てるぅ……!)
 ドクドクと、まるで弁が壊れたような勢いで分泌される脳内物質に、雪乃は目眩すら感じた。
「先生、気持ちいいのは解りますけど、自分ばっかりイかないでください。……ズルいですよ、次は俺も一緒にイきますから……それまで我慢してくださいね?」
「ぁっ、……こ、紺崎くん……もっ……下ろし…………おねっっ……ひぅッ!」
 ずんっ――!
 その申し出は却下だと言わんばかりに強く突かれ、雪乃はもうそれ以上何も言えなくされてしまった。
「あぁぁぁっ、あぁぁっ、ひっぁっ……ひぃうっ!……やぁぁっ……これっ……ヤバい、のぉ…………つ、強すぎる…………し、子宮、壊れちゃうぅぅ……!」
「大丈夫です。……その辺の加減は、ちゃんとしてますから…………思い切り楽しんで下さい。……ほら、先生? もっとちゃんと捕まらないと落ちちゃいますよ?」
 月彦に促されて、雪乃はやむなく両手を月彦の脇から背へと回し、肩に引っかけるようにしてしっかりと掴まる。――それは、より乱暴に動かれても大丈夫なようにとの、無意識下での判断からの行動だった。
 そして、雪乃の尻を掴んでいる淫獣がくすりと笑みを浮かべたのは、勿論その事を――雪乃自身気がついていない本音を――見透かしたからだった。
「……じゃあ、動きますよ?」
「ぅ……あっ、ぁっ、ぁっ…………」
 雪乃は反射的に身を竦め、強ばらせた。しかし、そんな雪乃の覚悟とは裏腹に、最初に襲ってきたのは、ひどくもったいぶった“振動”だった。
「あっ……あっ、あっあっ……あっ、あっ、あっ、あっ……!」
 しかし、もったいぶっていると感じたのは初めだけだった。“振動”は徐々に強く、雪乃は子宮を揺さぶられる快感に次第に歯を食いしばらねばならなくなった。
「〜〜〜〜〜っっっ……!!! ……くひぃぃっ……! ひぅっ……ぁうっ、あぁあんっ! あぁっ、あっ! あぁあっあっ……あぁぁっ!!!」
 “振動”が、その振幅を増し、たぱん、たぱんと肉と肉がぶつかる音が響き渡る。ずんっ、ずんと体の奥底へと突き上げるその衝撃に、雪乃はもうサカり声が止まらない。
「あぁぁぁぁッ……あぁぁぁぁッ!! あはぁぁぁあっ…………ひぁっっ……あひぃぃぃッ!!! ……はぁっ、はぁっ…………あぁっぁぁあああッ!!!!」
 まるで弄ぶように――時折ふっと抽送を止められるのがなんとも憎たらしかった。その一瞬の“間”のせいで、“その次”の衝撃が倍加しているようにすら、雪乃には思えた。
「っ……先生……ビクビクって……締めすぎ、です…………そろそろ、俺も……ッ……!」
「あぁぁっ、ぁぁっ……こ、こんざっ…………あぁぁぁあっ、あぁぁぁぁァァッ!!!! あうっ……あっ、やぁっ…………だ、だめっ…………スゴいの、来るっ…………来ちゃうっっ…………ああァァァァァッ!!!!」
 ズンッ……!
 一際体重の乗ったその一撃と同時に、びゅくりと吐き出された白濁の感触を最後に。
「あァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!!!」
 雪乃は失神した。



 


 陽光。
 カーテンの隙間から漏れてくるそれにちらちらと起床を促されながらも、全身を包む心地よい気怠さの誘惑のままに雪乃は眠り続けた。
「ううん……」
 そう、今朝は“いつも”とは違うのだ。ムラムラとやり場のない疼きに睡眠を阻害され、やっと眠れたかと思えば淫夢に苛まれる状態からやっと抜け出せたのだ。
 何故なら、ほら……すぐ側に――…………半分眠ったまま、もぞもぞとベッドの中で手を這わせ、当然“そこに居るはず”の相手を雪乃は捜す。
 しかし、どれほど手を伸ばしても這わせても、目当てのものにはたどり着かない。あれ、これはおかしいと雪乃の意識が徐々に覚醒を始める。とうとう瞼まで開けてしまい、そしてハッキリと見た。
「……紺崎、くん?」
 ぐるりと周りを見回しても、どこにも月彦の姿が見あたらない。まただ――雪乃は瞬間湯沸かし器のように頭に血を上らせ、叫び出しそうになった。
(また、勝手に帰ったんだわ!)
 きぃぃと歯がみしながら雪乃は下着とシャツだけを纏い、寝室を出た。
「あっ、先生。おはようございます」
「ひゃあっ!?」
 そして寝室を出るなり、昨夜と同じくエプロンをつけて台所に立つ月彦の姿に驚き、つい変な悲鳴まで上げてしまった。
「……先生?」
「な、なんでもないの! ……てっきり、紺崎くんが勝手に帰っちゃったのかと思ってたから……驚いちゃって」
 怒りが、忽ち安堵に変わる。そして安堵が胸の高鳴りへと変わるのに、そう時間はかからなかった。
(……夢じゃないのかしら)
 つい疑ってしまうのは、この光景がまたしても雪乃が夢見たものの一つだったからだ。休みの日の朝、目を覚ますと台所に月彦が立っていて朝食の準備をしている――何度、そんな妄想を抱き、夢想し、虚しさを噛みしめた事か。
「な、何を作ってるの?」
 尋ねながら、雪乃はさりげなく月彦の側へと寄り添う。コンロに乗せられたフライパンの上では、ベーコンが四切れほど焼かれ、じゅうじゅうと小気味の良い音を立てている。
「ベーコンエッグです。簡単な料理しか出来なくって……すみません」
「そんなことないわよ? ベーコンエッグなんて私作れないもの」
 えっ、と。月彦にドン引きするような顔をされて、雪乃は慌てて続きの言葉を口にした。
「な、何か手伝う事ない?」
「あっ……と……じゃあ、冷蔵庫から卵出してもらえますか?」
「うんっ」
 雪乃は即座に冷蔵庫を開け、卵をパックごと取りだした。
「えと……二つでよかったんですけど、先生ひょっとしてお腹すいてますか?」
「うん、紺崎くんだってそうじゃないの?」
「そりゃあもう…………じゃあ、奮発して2個ずつ使っちゃいましょうか」
 うん、と満面の笑みで頷き、雪乃はそのまま月彦の左腕に自らの右腕を絡めて寄り添った。
「あ、あの……先生……そうされてると……動きづらいんですけど」
 月彦の遠回しな抗議も、完全にラブイチャモードに入ってしまった雪乃の耳には届かなかった。
(…………紺崎くんと二人で一緒にごはん作れるなんて)
 実際にはただ邪魔にしかなっていないなど念頭にも浮かばず、雪乃は心ゆくまで台所でのイチャイチャを楽しんだ。


 十一時前後という、朝食なんだか昼食なんだかという微妙な時間帯の食事を、これまたこれ以上ないという程にイチャイチャと食べた後は、二人で一緒にシャワーを浴びた。実際の所、月彦は先に起きた際一人でシャワーを浴びていたらしいのだが、無理を言ってもう一度付き合わせたのだった。
 そして、シャワーの後には――

「んっ、はっ……んくっ……んんっ……!」
 雪乃は下着だけを身に纏うと再度月彦を寝室へと連れ込み――シーツの交換だけは、シャワーの前に済ませた――押し倒すや否や唇を奪っていた。
「んっ……!? せ、先生……ちょっ……」
「……? なぁに、紺崎くん」
 ベッドへと押し倒した月彦のシャツを――月彦の部屋着用にと、雪乃が用意したものの一つ――胸板までまくしあげながら、雪乃は尋ね返した。
「いや……えーと、その……また、するんですか?」
 月彦に指摘されて、あっ、と雪乃は一瞬我に返った。夢にまで見た“休日の朝のイチャイチャ”からの当然の流れとして寝室に連れ込んでしまったが、よくよく考えてみれば、今回のこれはそもそも“正式なお泊まり”ではない。なし崩し的な――いうなればイレギュラーのようなものだ。
「…………ひょっとして、紺崎くんは……もう、帰りたかったりする?」
 雪乃は恐る恐る尋ねてみた。そもそも、昨夜は無理矢理強引に泊めさせたようなものだ。そのことを、ひょっとしたら月彦は良く思っていないのではないか――そんな不安もあった。
「い、いえ……そういうわけじゃなくてですね…………その、俺としては…………折角ですから、先週のデートのやり直しとか、出来たらなぁ……って」
「……デートの、やり直しをしたいの?」
 帰りたいと言われなかった事で、雪乃は密かに安堵の息をついた。……同時に、デートのやり直しという誘いに心が躍った。
(……そういうことなら)
 雪乃としても大賛成だった。
 そして――。
「紺崎くん? デートだからって必ずしも外に出かけなきゃいけない事はないと思うんだけど」
 きゅっと、雪乃は月彦の体を太股で挟むようにして、下半身を密着させる。下着越しに早くも月彦の“牡”の部分が首をもたげてくるのを心地よく感じながら、自らもそこに擂り宛てるように腰を前後させる。
「せ、先生っ……!?」
「ほらぁ……紺崎くんだって、まだまだ物足りないんでしょ?」
 何より、一番もの足りてないのは雪乃自身だった。昨夜はそれこそ、不意打ち的に失神させられてしまったが、そのくらいで溜まりに溜まった性欲は消えたりはしない。
(もっと……いっぱいイきたい……イかせて欲しいの、紺崎くん)
 そして、しつこいほどに中出しをされたい――そんな想いを込めるように、雪乃は部屋着ズボンの上からでもはっきりと解るほどに存在を誇張する剛直に、自らの下着を擦りつける。
「ね? 紺崎くん。いいでしょ?」
 まるで、プレゼントをねだるような声色で囁くと、月彦はしぶしぶ頷いた。――“午後の予定”が決まった瞬間でもあった。


 



「っ……せ、先生っ……くぅう……!
 雪乃は一人ベッドから降り、ベッドに腰掛けた月彦の足の間に跪くような形で、れろり、れろりと剛直に舌を這わせる。
「んんっ……んんっ、はっんっ……ちゅっ、んっ……ンンッ……!」
 眼前にの肉柱へと雪乃は一心不乱に舌を這わせ、唾液を塗りつけるようにして舐め上げる。初期の頃こそ抵抗のあった口での奉仕も、いつしか苦手意識は消え失せ、むしろ望んでやろうとすら思うようになりつつあった。
(だって……ほら、ね?)
 れろり、と先端部分を舐め上げると、反応するようにぴくぴくと小さく震えるのがなんとも可愛らしくて堪らない。いつだったか女性雑誌で読んだ――人間は口にも性感帯を持ち、キスやフェラで快感を覚えるのはそのせいだという記事は恐らく真実なのだろうと、雪乃は思う。そう、実際に口での奉仕をしながら、雪乃自身も微量ながらも快感を得ていた。
 が、それは男性側が受け取るであろう量に比べれば微々たるものだ。至極、こうしてフェラをしている限り、雪乃はほぼ一方的に月彦に対してだけ快楽を与え続け、“優位”に立つコトが出来るわけだった。処女を捧げて以降、何かと主導権を握られっぱなしの雪乃にとって数少ない、自分が主導権を握れる瞬間という事もあり、フェラをする事が徐々に苦にならなくなっていった、という面もあった。
(それに……んっ……)
 奉仕を続けているうちに、先端からトロトロと漏れだしてくる透明な蜜の味が、これまた甘美極まりないのだ。ちろちろと舌先で舐めとっているうちに体の芯から熱くさせられるそれは雪乃にとっては紛れもない、媚薬の一つだった。
(……でも、紺崎くんは“コッチ”の方が好きなのよね?)
 月彦の反応から、ただ舐めるだけよりも深く咥えて頭を前後させたほうがより感じるらしいという事を雪乃は見抜いていた。それも、前後させながらさらに強烈に吸い上げれば――。
「くぅっ……ぁっ……せ、先生っ……ちょっ……ヤバッ……」
 頭を押さえつけるように手が乗ってきて、雪乃は剛直を咥えたままつい笑みを漏らしてしまいそうになる。雪乃はそのまま二度、三度と強烈に吸い上げながら頭を前後させ、グプ、グプと頭の中まで響くくぐもった音に自身もうっとりとしながら徐々にスパートをかける。
「っ……っ……ぅっ…………せ、先生っっ……もう、俺っっ …………!」
 頭に乗った手に、力が籠もる。ぐい、とさらに剛直を喉奥に押し込みたいのを必死に押さえているような手つきだと、雪乃は思った。月彦の意志を汲み、可能な限り深くまで剛直を咥えこんだその時――。
「ンンンッ!!」
 口の中で、剛直が一瞬膨れあがった――と感じた時にはもう、喉に熱い奔流を感じ取っていた。
「ンンッ……! ンクッ……んくっ……んぐっ……んっ …………ンッ!」
 雪乃は剛直を咥えたまま喉を鳴らし、打ち出されたそれらを嚥下していく。液体というよりもゲル状というのが正しいそれらが、ぬろり、ぬろりとゆっくり食道を滑り落ちていく感触が堪らなくて、雪乃はぶるりと身震いまでした。
「んはっぁ……ちゅっ……んちゅっ…………紺崎くん……気持ちよかった?」
 剛直から唇を離し、さらにぺろぺろと飲み干しそこねた白濁を舐めとりながら、雪乃は小首を傾げるようにして尋ねた。射精にまでもっていったのだから、月彦が感じてくれた事など明々白々ではあったが、あえてその口から聞きたいと思った。
「え、えぇ……そりゃもう………次は、俺の番ですね」
 月彦に手を引かれるようにして雪乃はベッドの上へと持ち上げられ、そのままの流れで唇を奪われた。
(あぁん、紺崎くん……優しいんだから)
 フェラの後は、すぐにキス――それが定番の流れになっているのは、かつて自分が漏らした言葉がきっかけになっている事を勿論雪乃は知っていた。だからこそ雪乃も遠慮などはせず、思い切り甘えるように月彦にキスをねだった。
「んっ……ンッ……あぁんっ!」
 月彦の膝に座るような形でキスを続けながら、雪乃は不意に声を上げた。月彦の手が背へと周り、ブラのホックをハズしたのだった。たゆんっ、と。二つの固まりが拘束から放たれ、微かに揺れるのを再度唇を重ねながら雪乃は感じた。
「んんっ……あんっ、ちゅっ……んんっ……!」
 断続的にキスをしながらも、その合間合間にブラヒモから手を抜き、雪乃は胸元を露わにする。程なく胸元への愛撫が始まり、唇を合わせたまま喉奥で声を上げる回数が次第に多くなる。
「ちゅっ、んっ……あんっ…………ねぇ……こっちもぉ…………」
 雪乃は焦れったげに月彦の手を掴んで誘導し、下腹の方へと誘う。僅かに足を開き、下着の中へと指を誘い――
「ああァン!」
 ちゅくりっ――汁気たっぷりのそこに月彦の指が埋没するなり、雪乃は弾かれたように声を上げた。
「あはァァ……もっとぉ……もっと弄ってぇ……!」
 雪乃の声に応えるように、人差し指と中指の二本が秘裂へと潜り込み、にゅぐり、にゅぐりと肉襞を擦り上げてくる。
「あっあっ、あっ……あはぁぁ…………あぁんっ! あっ、んっ……ンンッ……!」
 指の動きに合わせるように腰をくねらせながら、雪乃はしがみつくような手つきで月彦の首へと手を伸ばし、強引に唇を奪った。
「ンンッ! ンッ、ンンッ!」
 秘裂をかき回す指の動きを真似するように、舌を差し込み月彦のそれと絡め合う。ゾクゾクとした快感が背筋を駆け上ってくるのを感じる。
 我慢が、出来なくなる。
「あふっ……ぅ…………紺崎くん……そろそろ……ね?」
 欲しいの――照れもあり、最後の一言だけは掠れるような声で耳元で囁いた。或いは、また意地悪をされて焦らされるのでは――そんな危惧はあっさりと消えた。
「解りました。俺もそろそろ我慢が辛かった所です」
 月彦の手でやさしくベッドに横たえられ、下着が脱がされる。足を開かされ、剛直が宛われるや――
「ああああァァァッ!!」
 みちみちと膣肉をこじ開けるように体を貫くその肉塊。例え“来る”のが解っていても、覚悟を決めていても、雪乃は声を出さずにはいられなかった。
「あはぁあっ……ンッ……ぅ…………はぁはぁ…………す、ごぉい…………挿れられた、だけでぇ……くひぃぃ………………」
「先生のナカもすごく良いですよ。……最初の頃に比べて大分こなれてきたっていうか……っ……体格のせいでしょうか、先生のって凄く深くて……っ……」
 月彦が胸元へと手を這わせ弄りながら、ゆっくりと腰を使い始める。そう、雪乃の好きな“ゆっくり”で。
「あっ、あっ、あっ……あっ、あっあっ……!」
「“これくらい”が一番良いんですよね、先生?」
 そう、まさにベストの速度での抽送に、雪乃は奥歯が震えた。ゾクゾクッ、ゾクゾクッ――そんな悪寒めいた快楽に歯の根が合わないのだ。
「ひぃぁっ……あはぁぁぁっ……ひぅっ……やぅっ……こ、紺崎、くん……良いっ……良い、の……やっ……だめっ、良すぎる、かも……」
「今度は失神なんてしないでくださいね? …………実はあの後、ムラムラしたままでなかなか眠れなかったんですから」
「あっ…………ご、ごめん……なさい……」
 苦笑混じりの月彦の言葉に、雪乃は反射的に謝罪の言葉を口にした。
「俺がやりすぎただけですから、先生が謝るようなことじゃないですよ」
「ンッ、ぁぁっ……でもっ……ぉ……あぁんっ!」
 ゾゾゾゾゾッ――!
 “ゆっくり”によって確実に積み重ねられていく快楽が、徐々に雪乃の理性をはぎ取っていく。心を、剥き身にしていく。
「あぁあん! あぁぁっ……ンンッ!!」
 自分に被さっている男が、愛しくて愛しくて堪らなく思えてくる。目尻に涙すら浮かべながら、雪乃は自分でも予期しなかった言葉を口にした。
「あっ、あぁっ…………ンッ……こ、紺崎、くん…………ごめん、なさい……」
「先生、それはもういいですから」
 苦笑する月彦に、雪乃はふるふると首を振る。
「ち、がう、のぉ……はぁはぁ…………その、ことじゃ、なく、て……き、昨日の、事……」
「昨日?」
 怪訝そうな声を出して、月彦が抽送を止める。
「そ、その前、も……紺崎くんが……謝ろうとしてくれてるのに……何度も、無視、しちゃったし……」
「そんなの……むしろそれが普通なんじゃないんですか? なんたってデートすっぽかされたんですから」
「だ、だけど……それでも、やっぱり……私の態度は酷かったかもしれないって…………だ、だから……ごめんなさい」
 そう、“平常時”では、悪いと思いつつも見栄や意地が邪魔をして謝る事など出来なかった。しかし今なら――
「昨日……紺崎くんがご飯つくってくれたのも……本当は、すごく嬉しかったの……すごく、嬉しくて……美味しくて……あ、頭ヘンになっちゃうんじゃないかっていうくらい、ホントのホントに嬉しかったんだから!」
「先生……」
 月彦はそれ以上何も言わず、ただ無言でぎゅっ……と雪乃の体を抱きしめてきた。
「紺崎、くん……」
 雪乃もまた、月彦の背へと手を回し、ぎゅうっ……と抱きしめた。抱きしめながら、どちらともなく――唇を糸で引き合ったかのように重ね合った。
「ンッ……ンンッ……んっ……!」
 ちゅっ、ちぅっぺろ――最初こそ、小鳥が餌をついばみ合うような軽いキスだったのが、徐々にネットリと濃い、唾液の音が室内中に響くような激しいものへと変わっていく。それに釣られる形で、月彦の抽送が再開される。
「……先生、俺にももう一度謝らせて下さい。…………先週の金曜日は本当にすみませんでした」
「んっ……ぅっ……はぁはぁ……わ、私も、……ごめん、ね……紺崎くん……あぁん!」 
 月彦に抱きしめられたまま、ぐーりぐーりと腰を使われ、雪乃は殆ど譫言のように言った。
「はぁっ……はぁっ…………ああぁぁうッ!! ……ふぅ……ふぅ…………こ、紺崎くん……ごめん、…………もぅ、私……イきそ…………はぁはぁ……」
 そしていつしか、“謝る理由”が変わり始める。手が、足が、腰が、雪乃の意志に反して蠢き、快楽を貪り始める。
「解りました。……じゃあ、一緒に合わせて……イきましょうか」
 月彦が体を起こそうとするのを、雪乃は両手に力を込めて拒んだ。
「やぁっ……このままっ……このまま、イかせてぇ……!」
 抱きしめ合ったままイきたい――雪乃は潤んだ目でそう訴えた。月彦は苦笑し、ちゅっ、と雪乃を慰めるように口づけをして、その不自由な姿勢のままスパートをかけ始める。
「あっ、あっ、あっ、あっ……!」
 剛直の動き自体は、それこそ“普段のスパート”に比べれば大したことはない。が、しかし、密着した月彦の肉体から伝わってくる筋肉の躍動と心臓の鼓動、荒々しい息づかい、汗の匂い――それら全てが、雪乃を段とばしで絶頂へと押し上げていく。
「あっ、あッ……あぁっ、あぁぁっ、あっ……あぁぁぁッ!!! あぁぁっ、あぁぁぁッ……あぁぁぁぁァァァッ!!! だめっ、だめっ……イくっ……イッちゃう…………イくっ……いくっ、いくっ……イクッ……イクゥゥッ!!!!」
「ッ……先生っ……!」
 絶頂の瞬間、ぎゅうっ――と。それこそ息も出来ないほどに強く、強く抱きしめられた。
 そして――
「あっ……はぁぁぁぁぁあッ……!」
 びゅぐ、びゅぐと子宮に注ぎ込まれる熱い奔流に、肺に残っていた空気を絞り出される形で雪乃は声を上げていた。
「あぁっ、ぁっ……き、気持ち、いい、…………はぁはぁ…………ンッ……びゅっ、びゅっ……って、まだ、出てるぅ……」
 ゾゾゾゾゾッ――!
 特濃の精液の感触に声を震わせながら、雪乃は月彦の背に回した手に力を込める。くい、くいと下半身が持ち上がってしまうのはもっと、もっとと体が無意識のうちに“おねだり”をしているからだった。
「……先生、困ったことになりました」
 ぜえ、ぜえと呼吸を整えていた月彦が、唐突にぽつりとそんな言葉を漏らした。
「こま、った……って?」
「ほら、よく言うじゃないですか。…………“ケンカした後のエッチは燃える”って」
 よく言うかはともかくとして、確かにその言葉自体は雪乃自身聞き覚えのあるものだった。
「…………なんか、俺……燃えてきちゃいました」
 ググンッ――そんな擬音が聞こえてきそうなほどに力強く、萎えしらずの剛直がさらに力を漲らせる。
 そして、“第二ラウンド”が始まった。


 かつて、雪乃は一つの危惧を抱いた。それは、月彦からの放置プレイによって“ムラムラ”が極限近くまで溜まる事によって起きた不安だった。
 そう、ひょっとしたら――月彦とシても、スッキリする事はないのではないかという危惧。まだまだシたりないのに、先にダウンされてしまったら自分はどうすればいいのか――そんな思いはまさしく杞憂だったのだという事を、雪乃は改めて理解した。
「はぁっ……はぁっ……あぁんっ……ぁっ……やっ……ぁっ……あはァァッ!!」
 背後から覆い被さられるように突かれながら、雪乃は些か掠れた声で喘ぐ。“第二ラウンド”から明らかにケダモノ性を増した月彦に一方的に犯され続け、最早“今”が何ラウンドなのかすら雪乃には解らなかった。
 ただ、カーテンの隙間から漏れていた陽光が消え失せるだけの時間が経っている事だけは間違いがなかった。
「先生っ……先生っ……!」
 逃がさない――その意思表示のように雪乃の腰のくびれをしっかりと掴み、腰を振るう月彦の息もまた、荒い。呆れた持久力と言わざるを得なかった。
「あぁぁっ、ぁぁっ……こん、ざき、くっ……も……だめっ……はぁっ……はぁっ……おか、しく、なりそっ…………はぁっ、はぁっ……」
 最早、まともに体を起こす力も残っていなかった。雪乃は膝を立て、尻だけを持ち上げたような体勢でただただ好き勝手に突かれ続ける。
「何をっ、言って……るんですか、……まだまだ、これからじゃないですか」
 再度、月彦が被さってくる。剛直の先端がグググと押しつけられ、むぎゅうと両乳が掴まれた瞬間――
「やっ……も、ナカはぁっ……ひぅっ!」
 びゅぐんっ……!
 熱い精を注ぎ込まれると同時に、雪乃は尻を震わせて声を上げる。
「あっ、あァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」
 同時に、身を襲う絶頂。それこそ――かつて雪乃が望んだとおり――しつこい程に注ぎ込まれる白濁液に強制的にイかされ、雪乃は力の入らない手でベッドシーツを握りしめる。
(やっ……もっ……おな、か……苦しっ……)
 抜かずの五発、十発――或いはそれ以上繰り返され、腹部に圧迫感すら感じる程に精液を注がれ、それがまた雪乃の興奮に拍車をかけていた。
(こん、なに……いっぱい……)
 中出しされた精液の圧力を“内側”から感じて、雪乃は身も心もとろけそうになってしまう。
「はぁっ……はぁっ…………おね、がい……紺崎、くんっ……も……これ以上、は………………ぱ、パンク、しちゃう……」
 ゾクッ……ゾクゾクッ……!
 しつこく射精されるたびに感じる圧迫感に声を震わせながら、雪乃は懇願せざるを得なかった。“これ”に慣れてしまってはいけない、やみつきになってしまってはいけない――そんな恐怖から出た言葉でもあった。
「…………ダメです、先生。……俺はまだまだシ足りません」
「こ、紺崎くん…………ひっ……」
 ググンッ……!
 膣内に収まったままの剛直が力強く震えるのを感じて、雪乃は怯えるような声を漏らしてしまう。
「だ、だめぇっ……こ、これ以上、され、たら…………ホントにどうにかなっちゃう!」
「……そんな事を言われても……俺、まだこんななんですけど?」
「っ、ぁ、ぁ……」
 ぐい、ぐいとまるで催促をするように“奥”を押され、雪乃はそれだけで声を漏らしてしまう。
「………………だけど、そうですね。…………先生がもし、俺の“お願い”を聞いてくれるのなら、頑張って我慢します」
「紺崎くんの……お願い?」
 雪乃の脳裏に、咄嗟に過去の“お願い”の記憶が蘇る。今度は一体どんな恥ずかしい事を要求されるのだろうと。
「違いますよ。……“そういう事”じゃないです」
 雪乃の不安そうな顔で全てを察したかのように、月彦は――交配中では珍しい――優しい笑みを浮かべた。
「……その、もう少し……月島さんと仲良くしてもらえないかと思って」
「あ、あの子と……?」
 そういう“お願い”は全く想定していなかった雪乃は、しばらくの間月彦の言葉の意味を理解することが出来なかった。
「はい。月島さんって……多分本当に星を見たりするのが好きで、それ以外の“他意”は無い子だと思うんです。だから、先生もあくまで顧問として、普通に接してあげて欲しいんです」
「そ、そんなの……今、だって……」
「でも、たまに……月島さんが話しかけても無視したりしてますよね?」
 俺はちゃんと見てるんですよ?――そう言わんばかりに、キュッ、と胸の先端を抓られ、雪乃は小さく唸った。確かに、月彦の言う通りだったからだ。
(だって……あの子さえ居なかったら……)
 それこそ、部室は月彦と二人きりのパラダイスと化すのにと。その想い故に、頭では解っていてもどうしても辛く当たってしまうのは雪乃自身どうにもしがたい部分があった。
「先生の気持ちは分かります。……それを承知で、お願いしてるんです」
「で、でもぉ……あぁんっ……!」
「……その代わり、二人きりの時はこうして……いっぱいサービスしますから、お願いします」
 剛直が小刻みに前後し、優しく肉襞を擦り上げながら――はむっ、と耳を咥えられ、舐められる。ゾゾゾと、快感が背筋を登ってくる。
「わ、わかった……わよ…………こ、紺崎、くんの……言うとおり……少しだけ……優しく、するように……する、から……」
「本当ですか?」
「ほ、本当っ…………だからっ……ンッ……やっ……だめっ……ぇっ……!」
 確認を求めるように、ぐり、ぐりと剛直で弱い場所を刺激され、雪乃はそれだけで全身の力が抜けてしまう。こんなのは卑怯だと、雪乃は頭の片隅でちらりと思った。こんな形で“お願い”をされたら、例え人を殺してほしいという願いですら、或いは聞かされてしまうかもしれないと。
「…………そうだ、先生。…………厚かましいとは思うんですけど、もう一つだけ……聞いてもらってもいいですか?」
「な、何よ……お願いは、一つじゃなかったの?」
「すみません、これも月島さんがらみの事なんで…………ひとくくりって事でお願いします」
 またあの子の事かと、雪乃の中に次第に嫉妬の炎が灯る。何故そこまであのトンデモツインテ女に構うのだろうと、その裏を勘ぐりたくなってくる。
「今度、夜の学校で天体観測とかやりたいと思うんです。……ほら、一応天文部ですから、それらしい活動もしないとマズイじゃないですか」
「……それも、あの子の希望じゃないの?」
 ラビに対する嫉妬から、雪乃はついそんな言葉を漏らしてしまう。
「月島さんと、俺の希望です。だから、先生にはその辺の活動に関する許可とかをとって欲しいんですけど……」
「それ、は……いいけど……」
 ちらりと、雪乃は月彦に目配せをする。月彦もまた、くすりと笑う。
「解ってます。こっそり夜の学校で……っていうのも俺は嫌いじゃないですよ」
 ぼそぼそとそんな言葉を囁かれて、雪乃は咄嗟に耳まで顔を赤らめた。
「ち、違っ……そういう事じゃ、なくて……み、見返りっていうか……今度こそ、ちゃんとしたデートがしたいなぁって……そう言いたかったの!」
「すみません、先生の事ですから、てっきり“そっち”かと思ってしまいました。……まぁ、デートの方が良ければ、それはそれで」
「べ、別に……デートの方が良いってワケじゃ……ンッ……!」
 剛直が僅かに引き、ゆっくりと子宮口を小突かれる。
「……さて、一応……“商談成立”って事だと思うんですけど…………先生、どうします?」
「ど、どう……って……あんっ!」
 また、ゆっくりと剛直が引き、こちゅんと突かれる。
「やっ……こ、紺崎くん……」
「本当に……止めちゃっていいんですか?」
 再度、ゆっくりと剛直が引いていく。何処までも、何処までも引いていくそれを追いかけるように、雪乃は月彦に向けて尻を突き出してしまう。
「やっ……ま、待って……抜かない、でぇ……」
 そして、反射的に叫んでしまっていた。
「……本音が出ましたね、先生?」
「ぁっ…………あぁんっ!」
 ずんっ、と一気に戻ってきた剛直に強く子宮を揺さぶられ、雪乃は弾かれたように声を上げた。
「あっ、ぁっ……い、イヤッ……違う、の…………だって……紺崎くんが……焦らすみたいに……あぁぁっ……!」
「じゃあ、抜きますよ?」
「ま、待って……!」
 またしても引き抜かれようとする剛直に、雪乃は殆ど叫ぶように言った。
「ちゃ、ちゃんと……イカせてぇ…………中途半端は、イヤぁ……」
「でも、“お願い”を聞いてもらう代わりに今日はもう止める、って約束ですし……」
「や、止める前に……最後に、一回だけ……」
「これ以上されたら、頭がどうにかなっちゃうんじゃ無かったですっけ?」
「い、意地悪……しないでぇ…………い、今……止められたら……それこそ、本当に頭がどうにかなっちゃう!」
 やれやれ――そう言いたげな、月彦の苦笑。しかし、どんな顔をされようとも、雪乃にはもう月彦に縋り付くしか術が無かった。
「解りました。……じゃあ、先生の希望通り、最後に一回だけ……思い切りイかせてあげます」
「ンンッ……ぁっ、やっ……止めっ……お腹……撫でないでぇっ……!」
 思い切りイかせる――その言葉から、てっきり激しく突かれるものだと思っていた雪乃は拍子抜けを食らった。月彦は密着するように雪乃に被さったまま、ただただ優しく雪乃の腹部を撫でつけてきたのだ。
「まずは準備ですよ。何事にも準備は必要です。……ここ撫でると、先生すぐハァハァ言いますよね?」
「それっはぁ……だって……ンンッ……!」
 性欲の源とも言えるモノが、その奥にあるから――腹部を刺激される事で、否が応にも“そこ”に意識が集中してしまうから。
(あぁっ……だめぇっ……子宮……熱いぃ……)
 熱いのは、血が集中する為か。それとも散々に中出しされた白濁液の熱が残留している為か。
(欲し、い……欲しい…………もっと、欲しいぃぃ……!)
 既に、精液漬けと言っても過言ではないほどに注がれて尚、その欲求が収まらない。肉体的にはそれこそ限界と言っても過言ではない程に突かれているにもかかわらず、天井知らずに性欲が高まっていくのを、雪乃は感じた。
「ついでですから、こっちも弄ってあげますね」
「ひゃぅっ……!? やっ……そ、そこはぁぁ……あっぁぁぁぁぁッ!!」
 そして唐突に――今まで殆ど手つかずだった淫核を弄られ、雪乃は身を強ばらせながら声を荒げる。
「おっ、ぎゅっ、ぎゅっ、って先生のナカも反応してますね」
「ああぁぁぁっ……だ、めぇ……クリは、だめぇっ……! はぁっ……はぁっ……クリで、イきたくないのぉ……ちゃんと、紺崎くんので、イかせてぇ……!」
 淫核を執拗に弄られ、絶頂が近づくにつれて雪乃はついつい本音を口に出してしまった。指でイかされるのでは本当の満足は得られない、太く、堅い肉柱でしっかりとイかされたいと。
「解ってますって。……じゃあ、そろそろ俺も動きますから…………先生、一人だけ先にイッたりしない様、ちゃんと我慢してくださいよ?」
 散々体を弄って、一人だけイかされる寸前にまで仕上げておきながら、月彦は勝手な事を言って抽送を始める。平常時で在れば、それこそ文句も言えただろうが――。
「あっ、あぁぁッ、あぁぁッ!!!」
 ゆっくり、ゆっくりと剛直を動かされ、それだけで雪乃は反論も何もできなくされてしまう。
「うっ……おぉっ……すっげっ……ビクビクって、痙攣するみたいに、絞まる…………先生、ちゃんと我慢してくださいよ? もし、途中で勝手にイッたりしたら…………中出しは無しですからね?」
「っっ…………ンッ……ぅぅぅっ……!」
 ぼしょぼしょと耳の裏に囁かれた言葉にハッと、雪乃は身を強ばらせ精一杯両手でシーツを握った。
(さ、先にイッたら……ダメって……そんなのっっ…………)
 既にもう、限界ギリギリに近いというのに。
「くひぃっ! ンンッ……あはぁッ……ひぅっ……ンンッ……はぁはぁっ……あぁぁぁぁぁっ……!」
 剛直をのの字を描くように動かされ、雪乃は涎にまみれた舌を突き出すようにして声を荒げる。何度も、何度も絶頂を超えそうになるのを懸命に堪え、その度に精神が摩耗していくのを感じる。
「やっ……ぁっ……も、無理っ……ぃぃ…………こん、ざっ……くっ……はや、く……早クッ……ゥ……」
「っ……そんなに、急かさないで下さい…………もう少しですから」
 抽送が、俄に速度を増す。比例するように、ずんっ、ずんと子宮を揺らす衝撃も強くなる。
「ふぁっ……あぁん! あぁんっ! あぁぁんっ! ぁはぁっっ……はぁはぁっ…………ひぃっ……ンッ……ズン、ズンって……来るっぅ……あぁぁっ!」
 ずん、ずんと強く突き上げられながら、雪乃は不意に“上下”が反転するのを感じた。抽送の合間、合間に片足を持ち上げられ、ぐるりと体の向きを仰向けに代えられたのだった。
「あっ、ぁっ……紺崎、くぅんっ……!」
 雪乃は無意識のうちに力の入らない両手を月彦へと伸ばし、その首を絡め取るようにして抱きしめた。
「あぁっ! ァァァッ……! はぁはぁっ…………ンンッ……ンンッ…………!」
 そのまま、唇を重ねる。――そう、最後は口づけをしながら共にイこうという月彦の意志を、言わずもがなに雪乃はくみ取っていた。
「ンンッ……ンンッ、んんっ……ぁふっ……ぁっ……らめっ……も、イくっ……ンンッ……ンンッ……ちゅはっ……ちゅっ……んっ…………はぁはぁ……イくぅッ……ンンッ……!」
 キスの合間合間に喘ぎ声を漏らしながら、雪乃もまたキスを通じて月彦の限界を感じ取った。れろれろと舌を絡め合いながら、互いの限界を計り合うように興奮を高めていき――。
「ンッ……ンン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!!」
 互いに、互いの腕で強く抱きしめ合いながら――絶頂に達する。雪乃は下半身を痙攣させながら背を弓なりに反らし、ドクドクと注ぎ込まれる白濁液を子宮口で受け止める。
(あぁんっ……精子っ……紺崎くんのっ……精子ぃぃ……!)
 痙攣するようにヒクつく下半身を自らくねらせながら、雪乃は下腹部に圧迫感すら感じるほどの射精にうっとりと瞳を潤ませる。
「んはぁぁっ……ンンッ……あぁんっ……ちゅっ……ンッ…………!!」
 絶頂と呼ぶには、あまりに長いそれに感動すら覚えながら、夢中になってキスをする。
「はぁぁっ……ンッ……紺崎くぅんっ……」
「せ、先生!? ……んぷっ……」
 月彦に喋らせる暇など作らせない――それほどに、キスをしたくて、愛しくて堪らなかった。
「んっ……ちゅっ……んっ………………ね、紺崎くん……もう一回……もう一回だけ、シよ?」
 長い――どれほど長い絶頂であろうとも、終わりは来る。そして終わりが来るや否や、身が燃えるような焦れに襲われて、雪乃は求めずにはいられなかった。



 何はともあれ結果オーライだと、月彦は思った。
(先生の機嫌は直ったし、月島さんとの約束も果たせそうだし……)
 雪乃のマンションから帰る際に半ば無理矢理押しつけられた合い鍵については、月彦は深くは考えない事にした。そのうち、必要を感じれば使うこともあるだろう――そんな事を考えながら、そっと財布の隠しポケットにしまった。
(………………矢紗美さんには、そのうちお礼しなきゃいけない、よなぁ)
 今回雪乃と無事仲直りが出来たのは、偏に矢紗美のおかげと言っても過言ではない。さすがにこのまま何事も無く――というわけにはいかないだろう。
(……いい人、だよなぁ)
 それこそ、出会ったばかりの頃とは比べものにならない程に。かつては、矢紗美に借りを作ってしまったというだけで憂鬱になったものだが、今ではむしろ会うきっかけが出来たと、そのようにすら思ってしまう自分が居る。
(いやいや……何を考えてるんだ。……やっと、泥沼から抜け出せそうになったんじゃないか)
 折角抜け出せた泥沼に自らハマりにいくバカが何処にいる――矢紗美に対して抱きそうになる好意を無理矢理ねじ伏せながら、月彦はすっかり日の暮れた家路を辿る。
「……ただいま」
「父さま、おかえりー!」
 いつもの事ながら、真っ先に玄関先で出迎えてくれる真央のフライング抱きつきを腰を落としてしっかり受け止めながら、その頭を優しく撫でてやる。
「悪かったな、真央。久々に会う友達だったから、ついつい長居して泊まり込みに――」
「父さま、あのね。……お願いがあるの」
 雪乃のマンションからの帰り道、必死に考えた――金曜の夜、土曜の夜の二連泊の言い訳をぶったぎる形で真央がかぶせてくる。
「お、お願い?」
 うん、と真央は頷き――そして、思わず耳を疑うような言葉を口にした。
「…………由梨ちゃんと、デートしてあげて欲しいの」
 


 


 

 
 

 

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