なんといい眺めであることか。矢紗美は、己が作り出した“芸術品”の出来映えに満足していた。
「ねえ」
矢紗美は手を腰に、足先を延ばしてグリグリと“先端”を弄る。忽ち、くぐもった――蹴られた豚のような悲鳴がリビングに木霊した。
「どうして欲しいの?」
ぐり、ぐりとさらに矢紗美は足を動かし、それを弄る。靴下の生地にじわりと、透明な蜜が絡みつくがそれを気に止める様子はない。むしろ、自ら擦りつけているかのようにも見える。
「ほら、言ってみて。言わないと解らないわよ?」
矢紗美の問いかけには返事はない。それもその筈、問いかけている相手の口はボールギャグで塞がれていた。
正座をした若い男だった。否、その座り方は正座というよりは、拷問を受けている罪人のそれに近い。男は殆どの衣服を剥がれ、両腕を手錠で後ろ手に拘束されていた。下着すらも取り去られた中、ネクタイとカッターシャツだけ残されたのは、偏に矢紗美の趣味であるからだった。
男の素顔も実に矢紗美の好み通り、線の細い美形だったが、それも今は見る影もない。目には革製のアイマスク、口にはギャグボールを填められ呼吸の度に涎を溢れさせるその様は到底、署内でも評判の美形新米警官には見えない。はち切れんばかりに膨れている男性器も矢紗美の経験上並以上ではあった。
(……でも、あの子には及ばないわ)
不意に不愉快な男の顔が脳裏をよぎりかけて、矢紗美は強引に思考を切り替え、眼前の男へと視線を落とす。
半ば苛立ちまぎれに、足先で男の先端を弄る。男がくぐもった声を上げて体を俄に撥ねさせるが、無論容赦などしてやらない。
(……男って、ほんとバカ)
剛直の先端を弄られて豚のような悲鳴を上げ続ける男の様に、矢紗美は俄に機嫌を良くする。口元に笑みすら浮かべて、さらにぐりぐりと足先を擦りつけて男に声を上げさせる。
(こんな悪い遊び覚えちゃって。…………彼女いるクセに)
矢紗美は徐に、リビングの椅子の背もたれにかけられている男の上着のポケットから携帯電話を取り出す。勿論、待ち受け画面に指定されている写真を見るまでもなく、男の彼女の顔くらいは知っている。
(いっそ、バラしてやろうかしら)
方法は簡単だ。今の有様を携帯のカメラで撮影して、彼女のアドレスに添付メールで送ってしまえばいい。一瞬、本気でそうしてやろうかと考えて、矢紗美は慌てて頭を軽く振り、己のその思考を打ち消した。この男にはまだ利用価値がある、そんな事をして貴重な手駒を失うわけにはいかないのだ。
矢紗美は携帯を元通り男の上着へと戻し、改めて咎人の様に座し盲目の子犬のように矢紗美の姿を捜す男の方へと振り返った。
「くす……」
小さな笑みを一つ漏らして、矢紗美は男の側まで体を寄せると、そのまま男の両足を跨いで腰を下ろし、膝をついた。下着越しに、男の剛直がびくびくと震えるのを感じながら、矢紗美は涎まみれになってしまっている男の口元にそっと舌を這わせる。
「んっ、んっ……んっ……」
ギャグボールを食むようにしながら唾液を舐め取り、時折ふうと息を吹き込んでみせると男は面白いように反応を返した。その都度、尻の下にある男の剛直が痙攣するように震え、矢紗美もまた応じるように軽く腰を前後させると、男はますます苦しげに喘ぐ。
「ねえ、どうして欲しい?」
矢紗美はシャツの内側へと手を忍ばせ、男の胸板をなで回す。男としての魅力を十分に備えた筋力を指先から感じながら、矢紗美自身も興奮を禁じ得ないかの様に吐息を乱す。
「手がいい?」
腰を僅かに前後させ、下着越しに男の剛直を刷り上げながら、舐めるように矢紗美は囁く――が、男は小さく首を横に振る。
「じゃあ、口?」
男は首を横に振る。
「……私に挿れたいの?」
男は十秒ほど迷い、しかし首を横に振った。くすりと、矢紗美は笑みを零す。
「ワガママな子」
意地悪く囁きながら、男の乳首をきゅうと摘み上げる。男は悲鳴を上げ、体を俄に跳ねさせる。
「解ったわ。……アレがいいんでしょう?」
男は益体もなく頷いた。勿論、それが一番の望みであろうことなど、矢紗美には最初から解っていた。
「くす、そんなにアレがいいんだ。…………変態」
期待と興奮の為か、尻の下でますます硬く屹立しつつある剛直を感じながら、矢紗美は己の興奮を隠すように冷淡な口調で続けた。
「シてあげてもいいけど、……ちゃんと約束は守ってた?」
男は頷く。
「本当に? 嘘ついてもすぐに解るのよ?」
嘘などついていない――男は全身を使ってそのことを必死に表現した。その様があまりに可愛くて、矢紗美はつい笑みを零してしまう。
約束というのは、自分に断り無く一切の射精を禁じるというもの。自慰だろうが、彼女とのセックスだろうが、勝手に射精した場合は今後一切相手をしてやらないと明言していた。男自身が矢紗美にそこまで管理されることを望んでいなければ、とても不可能な制約だった。
「……解ったわ。私がこんなことシてあげるのはキミだけなんだから。……特別よ?」
矢紗美は徐に立ち上がり、履いていた黒のソックスを右足の分だけそっと脱ぐ。普段はストッキングが主であるが、今日この時の為にわざわざ履いていたものだった。
「ほら、リュウ君が大好きな、一日履き続けてムレムレになった靴下よ」
矢紗美はまだ残る暖かさを男に感じさせるように、ソックスを一端男の頬に当ててから、ギン立ちしっぱなしの剛直へと被せていく。
ゆっくり、ゆっくりと。興奮のあまり全身にじっとりと汗を滲ませ、手負いの獣のようにフゥフゥと肩で息をする男を焦らすように、矢紗美は時折態ともたついたりしながら被せていく。漸くに根本まで被せ終わるや、背後から男の体を抱きしめるようにしてソックス越しに剛直を握りしめる。
「ふふっ、さあ……握っててあげるから、いつもみたいに自分で腰を振りなさい」
みっともなく、無様にね――矢紗美は心の内だけでそう付け加え、男を膝立ちにさせた。男は矢紗美の言葉通りに、そして心の呟き通りに無様に腰をつかい始める。
くすりと、矢紗美が意地の悪い笑みを一つ零し、不意打ちのように剛直を握る手を一度だけ擦るように動かす。――男がくぐもった声を上げながら身体を痙攣させたのはその時だった。
どくっ、どくっ――剛直を握りしめた右手からそんな脈動が伝わってきて、被せたソックスの先端の色が変わっていく。あらあら……矢紗美は心の中でそんな呟きを漏らした。
「……ちょっと、誰が勝手にイッていいって言ったかしら?」
早漏、と罵りながらも矢紗美はソックス越しに爪を立てながら剛直を握りしめる。――忽ち、男はギャグボールの隙間から涎を吹き出しながら声を上げた。
「ちゃんと我慢できない子はお仕置きって、いつも言ってるでしょ?」
もしも口がきける状態であれば、男はあらん限りの言葉で謝罪し、そして言い訳をした事だろう。我慢できなかったのは、約束を守って一度も射精をしなかったからなのだと。勿論それは矢紗美にも解っている。それでいて、このプレイが男にとってどうにも我慢しかねる程に快楽を覚えてしまう行為であるという事も。
「残念だわ。最近あんまり会ってあげられなかったから、今日は好きなだけ靴下でこしゅこしゅしてイかせてあげようって思ってたのに。……もう終わりにしちゃおうかしら」
矢紗美は剛直を握りしめていた手をついと引き、そのまま立ち上がって男から距離をとってしまう。
そんな、まさか。本当に終わりなのか――男の心中の狼狽が、おろおろと矢紗美を捜すように首を振る男の挙動を見るまでもなく伝わってくる。
愚かを通り越して、最早哀れとも見れるその姿に、矢紗美は再度満足を覚えた。男とは、こうあるべき生き物なのだ。
「……ぅン…………ッ……!」
キュン、と下腹が痺れるような快感に、矢紗美はつい声を抑えかね、微かに漏らしてしまった。男の様に興奮が最高潮に達したから――ではなかった。男の様を、ある別の男子に重ねてしまって、その妄想が矢紗美に痺れるような快楽をもたらしたのだった。
(そうよ……あの子をこんな風にしてやったら……ンッ……)
あの鼻持ちならない年下男をこのように扱うことが出来れば、さぞ楽しい事だろう。勿論それは現実にはほぼ不可能な事であり、不可能であるからこそ妄想は甘美なものとなる。
矢紗美が抑えかねた声は、どうやら目と口を塞がれた男にも聞こえたらしかった。拘束されて不自由な体で這うようにして矢紗美の足下まで来るや、まだソックスを履いたままの左足に媚びるように鼻先を擦りつけてくる。
矢紗美の中に、再び苛立ちにも似た感情がわき起こる。足下に這い蹲った男を半ば蹴り上げるようにして体を起こさせ、さらにそのまま肩口を押し、仰向けに倒す。
黒のソックスを装着したままになっている剛直を踏みつけ、ぐりぐりと捻るようにして擦ってやると、男は悲痛とも喘ぎとも取れない声を涎と共にギャグボールの隙間から溢れさせながら、ものの十秒足らずで体を跳ねさせ、ソックスをさらに濡らした。
(……男は馬鹿。救いようがないくらい単純で、愚かな生き物)
快楽さえ与えてやれば、いくらでも操れるのだ。矢紗美は右足の裏でソックスごしに剛直をさらに擦り上げ、男がもう一度射精をしてようやく足をどけた。
「まだよ」
さすがに立て続けの射精に消耗しているのか、ぐったりとしたまま息を荒げている男を冷徹な声で上体を起こさせ、再度。背後から抱きしめる形で、今度は手でソックスごと剛直を握り、扱き上げる。
程なく、男が体を痙攣させながら射精をする。ドクッ、ドクッ――そんな命の脈動を感じながらも、矢紗美はすぐに手の動きを再開させる。
「まだダメ」
これぐらいでは、“あの子”は音を上げない。手を緩めたが最後、笑顔を浮かべたまま逆襲に転じてくる。
「もっと、もっとよ。ちゃんと我慢してたのなら、まだまだ出るでしょう?」
既に根本の当たりまでジットリと濡れそぼったソックスを握りしめ、巧みに扱き上げながら、矢紗美は貪欲な淫魔の様に精を搾り取る。無様に悶え涎まみれの声を荒げる男の姿は、脳内で別の男のそれへと差し替えられ、その妄想が更なる興奮を矢紗美にもたらした。
そうしてたっぷりと三十分ほど責め続けた後には、男は文字通り精根尽き果てて矢紗美の腕の中でぐったりと泡を吹いていた。くすりと、悪い笑みを一つ零し、矢紗美はぺろりと男の首筋に浮いた汗を舐めとる。
「じゃあ、例の件お願いね。……巧くやれたら、ご褒美にもっとスゴい事してあげる」
『キツネツキ』
第三十話
前編
はたして学校という場所はこんなにもエロい場所だっただろうか――狂おしい程に高ぶっている獣欲を必死に抑えながら、月彦は表面上は極めて平然と授業を受けていた。
(大体、女子の数が多すぎるんだ)
今まではなんとも思わなかったクラスメイトの半数が女子という事にすら腹立たしさを感じる。そのせいで教室内がなんとも甘ったるい香りに包まれ、呼吸をしているだけで下半身が反応してしまいそうになるのだ。
(それにあのスカートだ、冬場くらい女子も全員ズボンでいいだろうに)
意識して視界に入れまいとしても、何かと目に飛び込んでくる生足の群れ。無論、冬場という事もあり黒タイツの類を履いている女子も少なくはないのだが、その脚線自体が最早月彦にとっては凶器のようなものだった。
そう、少し前ならば逆に冷静さを取り戻させてくれる要素として散々役に立ってくれた隣の席の不美人さんの大根足(白くて美しいという方の意味では無い)ですら、気を抜けば鼻息荒く凝視してしまう程に。
(……ダメだ、少し空気の入れ換えを……)
幸い、というべきか。教室にはエアコンが備え付けられており、上方からの温風によって教室内は適度な気温に保たれている。が、しかしその気温を維持するために基本的には教室は密閉されている。一応休み時間の都度簡単な空気の入れ換えは行われているのだが、それだけでは教室内に充満している甘い香りを消し去る事はできない。
女の香りを含んでいない、新鮮な空気を吸いたい一心で、月彦は左側にある窓へと手を伸ばし、そろそろとアルミサッシを滑らせる。途端、すきま風がヒュウと教室内に吹き込み、クラスメイトが一斉に月彦の方へと目を向けた。抗議するようなその視線に堪えられず、月彦は慌てて窓を閉めざるを得なかった。
(畜生……人の気も知らないで……)
そんな恨み言めいた事を胸の内で呟きながら、月彦はふと今朝の真央とのやり取りを思い出した。
真央、明日の休み、久しぶりに二人きりでどこか出かけないか?――朝、家を出る際にさりげなく声をかけてみたのだ。が、しかし真央からの答えは拒絶、それも即答だった。
『ごめんね、父さま。明日は由梨ちゃんと約束があるの』
月彦の提案を即答で断るや、真央は手早く制服に着替えると部屋を後にし、階下へと降りていく。後に一人残された月彦はガックリとベッドに尻餅をつくようにして座り込んだのだった。
はたしてこれで何度目だろうか――と、月彦は授業もそっちのけで記憶を探った。以前ならばデートの誘いなど持ちかけようものなら目を輝かせ尻尾をくねらせ、当日が待ちきれないとばかりに夜の営みも三割り増しで激しくなったというのに。
(……どうしてこうなった)
深く考えるまでもなく原因は一つしか考えられなかった。そう、真央に我慢をさせすぎたからだ。
(……俺の事を恨んでいるのか?)
その可能性も十分考えられるし、単純に身体が慣れて以前のように殺人的ペースでエロる必要がなくなっただけなのかもしれない。後者であればある意味月彦の目論見通りであるのだが、さすがにここまで相手をしてもらえなくなるとは予想していなかった。
(……真央と、ヤりたい……!)
進歩がないと言われればそれまでだが、そう言われて尚何とも抑えがたい、狂おしい程の衝動だった。真央にモーションをかけ冷たくあしらわれればあしらわれる程に、過去に抱いた愛娘の肉体の味が確固たる記憶として蘇り、月彦の理性を揺さぶった。
幼さの残る顔立ちとは裏腹にはしたなく育った母譲りの巨乳を揉みくちゃにしながら、背後から欲望のままに犯してやりたい――そんな衝動に突き動かされて、真央を押し倒そうとしたのも一度や二度ではなかった。
が、それらは全て失敗に終わった。
『父さま、止めて』
月彦が強引に交尾に持ち込もうとするたびに、真央はさもうんざりといった顔で冷たくそう言い放った。それだけで、月彦は頭から冷水でもかけられたように意気消沈してしまい、続きをする事が出来なくなった。
(畜生……これじゃあ完全に立場が逆じゃないか)
今の月彦には、かつてベッドの中や風呂場で必死にモーションをかけてきた真央の気持ちが痛い程に理解できた。叶うならばあの瞬間に戻って真央の望みに答えてやりたいとさえ思っていた。
(仕返しか!? やっぱりこれは仕返しなのか!?)
本当は自分も抱いて欲しくて堪らないくせに、必死に平生を装いながら仕返しをしているだけなのだろうか。もしそうなのだとすれば、父親の威厳にかけても屈するわけにはいかないと月彦は思う。
(そうだ、真央にだって堪えられたんだ。父親の俺が堪えられないでどうする)
心頭滅却すれば火もまた涼し、火が涼しいと感じるくらいなのだから、性欲の一つや二つ堪えられて当然ではないか。
うむ、と小さく頷き、密かに気合をいれる月彦をよそに、授業の終わりを告げるチャイムが教室内に鳴り響いた。それまで数式の説明をしていた数学教師がチョークを置き、日直の号令によって教室内は活気のあるざわめきへと包まれた。
これ幸いとばかりに月彦はすぐさま自分の席の側の窓を全開にした。換気という名目ならば、誰からも文句を言われるいわれはないからだ。新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、ゆっくりと深呼吸をする月彦の耳が、クラスメイトの聞き捨てならない一言を拾ったのはその時だった。
「やっべ、英語の予習忘れた!!」
それは、さらなる試練の到来を意味していた。
ただでさえ甘ったるい教室内の匂いがより甘く、例えるなら蜂蜜の加工工場かなにかに迷い込んだかのようだった。
教卓の向こうでは、その甘い香りの根元ともいうべき雪乃がしきりに英文を板書し、その訳を説明したり時には生徒に訳をさせたりと授業を行っているが、そんなモノは全く頭に入ってこなかった。
気を抜けば、すぐにでも飛びかかってしまいそうなのを必死に堪え、月彦は脂汗を滲ませながら震える手で機械的に黒板の英文をノートへと写し取っていく。授業を真面目に受けたいのではない、何かをして気を紛らわさねばとても正気を保てないのだ。
(くっ……)
時折、ちらちらと向けられる色目すらも、今の月彦には効果覿面だった。だいたい、教師のくせにあのミニスカートはどういうつもりなんだと毒突いてやりたかった。必死に雪乃の手もと、黒板の英文のみに集中しているというのに、その尻と太股が気になって気になって仕方がない。
(くはぁぁ……)
気が付けば、月彦は両手の肘で机を押さえつけるようにして踏ん張っていた。そうしておかねば、不自然なまでに机が浮き上がってしまうからだ。
(……か、かくなる上は……)
これはもう、雪乃自身に責任をとってもらうしかない――そんな事まで、月彦は考え始めていた。そう、授業が全く手に着かなくなるような格好をしてきている雪乃が悪い、責任をとるべきだと。
(それに、先生も……シたい時は遠慮するなって言ってたし……!)
むしろ、何故我慢するのかと。そう言っていた筈だ。ならば、この極限にまで高まった獣欲を思いきりぶつける事に何ら躊躇うことは無いのではないか。
(そうだ、明日は土曜だし、ここは一つ先生に甘えてしまおう)
真央へのデートの誘いも断られた事であるし(しかも遊び相手が由梨子というのでは、自分が由梨子を誘うわけにもいかないし)、時期的にそろそろ雪乃の方も大分溜まっている頃であろうし、全てにおいて丸く収まる良案ではないか。
(……ってなわけだから、兎に角今は静まってくれ、今だけは、頼むから!)
こんなざまでは授業中は兎も角、休み時間にトイレに行く事すら出来ない。否、授業中であっても万が一問題をあてられでもしたら――。
「――はい、じゃあ、次の人。今の英文の続きを読んで下さい」
雪乃の声にはい、と返事をして、月彦の前の席の男子が椅子を引く音を立てて起立し、英文を読み始める。
えっ……と、月彦は肝が冷えるのを感じた。むらむらと妄想に耽っていて気が付いていなかったが、どうやら席順に教科書の英文を読まされていて、いつのまにかその順番が目の前まできていたのだった。
(なっ、なななななななぁああああああああああっっっ!!!!)
月彦は慌てて教科書を捲り、眼前の男子が読んでいるであろう箇所を捜しながら、横目でちらりと雪乃を見る。雪乃の方も丁度月彦に色目を使っていた所であり、やっと気付いてくれたのね紺崎くん、とでも言いたげにぱちりとウインクを返してきた。
(ちょっ、先生……違っ、今はダメなんですって! なんとか理由をつけて俺を飛ばして下さい!)
というような内容の念波を月彦は必死に送るが、送り手の月彦の方に発信能力がないのか、はたまた受取手の雪乃に受信能力が無いのか、意図は全く持って伝わらなかった。
そうこうしているうちに眼前の男子が英文を読み終え、着席してしまう。月彦は最後の願いを込めてもう一度雪乃の方を見たが、意味深に照れるばかりでとても意図を汲み取ってくれたようには見えなかった。
「……じゃあ、次の段落を……紺崎くん」
どこか熱を帯びた声で雪乃が促してくるも、月彦としては立てるわけがなかった。今、席を立つということは高校生としての健全な日常生活をドブに捨てるに等しいからだ。
「……紺崎くん?」
不審げな雪乃の声に誘われるようにして、クラスメイトの何人かが月彦の方へと視線を向けてくる。にじみ出る脂汗の量が一層増えるのを、月彦は感じた。
(どうする……どうする……どうすれば切り抜けられる……!?)
いつぞやのように体調が悪いと言ってやりすごすか?――しかし英文が読めないほど体調が悪いのならば保健室へ行けという流れになりかねない。今、席を離れる事はやはり社会的な死を意味するからこれは却下だった。
(静まれ、静まれ……頼むから静まってくれ……!)
このキカン棒さえなんとかなれば、英文など百万行だろうがなんだろうが読んでやるというのに。親の心子知らずの言葉通りに、月彦の息子は親の意を全く汲んでくれなかった。。
(なんとか……バレないように立てないか……!?)
月彦は入念にシミュレートを行うが、どれほどそっと立ち上がっても隠しきることは不可能だろうという結論に達した。両肘で押さえつけている机からの手応え的に、今立ち上がったが最後、ズボンのジッパーを突き破るか、ベルトの金具をはじき飛ばしてしまうことは間違いないと思えたからだ。
「……雛森先生、前々から疑問に思ってたんですけど」
窮地に立たされた月彦は、ほとんどヤケクソ気味に口を開いた。
「ただ英文を読むだけなら、別に席を立つ必要は無いですよね」
「えっ……?」
雪乃の疑問符を皮切りに、ざわりと教室内にどよめきが走る。
「勿論、俺もみんなも学校には勉強をしにきているわけですし、今は英語を習う時間なわけですから、英文を読めという先生の指示は至極真っ当だと思います。でも、その際に生徒に席を立たせたりするのは勉強とは何ら関係のない、ただの先生の自己満足じゃないんですか?」
「え……っと、こ……紺崎くん?」
「重ねて言いますけど、俺は英文を読みたくないわけじゃないんです。ただ、その為に生徒を一々起立させる先生のやりかたはどうかと思って意見してみただけです」
そこまで言って、月彦は自分の言葉に嘘はないという証を立てるかのように、前席の男子の続きの英文を雪乃が指摘した段落の終わりまで丁寧に読み上げた。月彦が英文を読み終えてからしばらくの間、教室内はシンと静まりかえったままだった。
「……っと、じゃあ……次の人、最後の段落まで…………席は、立たなくてもいいから」
たっぷり三十秒ほどの“間”の後、そう言った雪乃は明らかにショックを受けている様だった。
(先生、すみません……後で、後でちゃんと事情を説明しますから……!)
そんな雪乃の意気消沈した声を聞いて尚、机の下部を凹まさんばかりにそそり立っている己の下半身を月彦は殴りつけてやりたかった。
授業が終わり、しょんぼりと肩を落として教室を後にする雪乃の背を追いたかったが、前述の理由により月彦は席を立つ事が出来なかった。あまり親しくないクラスメイト達が自分の方を見ながらひそひそとなにやら囁きあっているのを横目で見ながら、それでも“真実”が露見するよりはマシだと月彦は己に言い聞かせた。
「どうした、虫の居所でも悪かったのか?」
「和樹……」
この親友にくらいは真実を告げてしまおうかと、一瞬血迷いかけてすぐさま月彦は開きかけた口を閉じた。和樹に秘密を漏らすということは即ち、もう一人の幼なじみに腹を抱えて地面を転がるようにして大笑いされる事と同義だからだ。
(……そして、間違いなく妙子にも……)
あちらは大笑いこそしないまでも、今でさえウジ虫か何かを見るような冷ややかな視線の温度がマイナス百度ほど上乗せされるであろう事は想像に難くない。
「……ああ、そうだな。ちょっと……な。先生に八つ当たりしちまった…………あとで謝っとかないとな」
「珍しいな、お前が八つ当たりなんて。……なんか力になれる事はあるか?」
「いや、完全に俺自身の問題だ。ありがとな、和樹」
他の幼なじみ連中に対しての口の軽ささえ無かったら、本当に気の良い男なのだ。そのことを身に染みて感じながら、月彦は漸くにして下半身に集中していた血液が全身へと散っていくのを実感した。
(……これで、どうにか――)
少なくとも、席を立つ事すら出来ないという事は無くなった。何しろ、英語の次の授業は体育なのだ。さすがにこれまで席を立つ事は拒否する!等という戯れ言はまかり通らない。
「まっ、とにかく気持ちを切り替えていくしかねえな。とりあえず早ぇとこ着替えようぜ」
「そうだな」
既に、クラスの女子は更衣室の方へと移動し、男子達だけが教室に残り体操着へと着替えを始めていた。月彦もまた他の男子に遅れながらも体操着であるジャージに手早く着替える。
その背後で、既に着替えを終えた男子達が一秒でも長く暖房の効いた教室内に居たいとばかりに雑談を交わしていた。
「……おい、今日の体育は女子と一緒にマット運動らしいぜ」
「マジかよ。一昨日は普通に男子だけでソフトボールだっただろ。それがなんでいきなりマット運動なんだ?」
「知らね。マラソンじゃなけりゃ何でもいいわ」
どうやら神様は余程俺に生き恥を晒させたいらしい――クラスメイト達の話を後ろ髪で聞きながら、月彦はまだまだ危機が去っていない事を知ったのだった。
異例とも言える男女混合の体育の授業を辛くも切り抜け、その後も追い打ちのように発生するラッキースケベなイベントを超人的な集中力と鋼の自制心で乗り切り、午後の授業の際にはもう月彦の精神はもはやボロボロに朽ち果てようとしていた。
最後の授業である現国をどうにかこうにか堪えきり、安堵のため息をつきかけたのもつかの間。担任の気まぐれによって帰りのホームルームで席替えが行われる事となり、嫌な予感を感じた月彦は他のクラスメイトがドン引きする程に席替え反対を唱えた。その理由を勘違いしたらしい右隣の席の不美人さん(擁護するならば、あくまで月彦の価値基準から見ての不美人)からの熱い視線を無視しながら、月彦は必死に力説を繰り返したが、担任は意見を変える事はなかった。
席替えを終え、くじ引き方式にもかかわらずまるで予めそうなることが決められていたとでもいうかのように、前後左右斜めを全て女子に囲まれた月彦は発狂寸前に陥りながら、いっそ人生というものを諦めてしまうのも悪くはないかもしれないと、そんな事まで考え始めていた。
ホームルームが終わってしばらくの間、月彦はやや放心気味に座したままだった。恐らく気を遣ってくれたのだろう。帰りにどこか遊びに行かないかという和樹の誘いを些かやさぐれ気味に断り、月彦は一人帰路についた。
(……しまった、先生に謝るのを忘れてた)
そのことに気が付いたのは、学校を大分離れてしまってからだった。戻って改めて雪乃に謝罪すべきかどうか悩み、さらに悩み、さんざんに悩んだ末、月彦は謝罪は後日に回す事に決めた。
(……今は無理だ。先生の側に近寄っただけで……どうにかなっちまうかもしれない)
さすがにあのような無体をしてしまった手前、さらに身体目的で言い寄るというのは月彦なりの倫理基準の限度を超えていた。自分はそこまで人外鬼畜ではないという分別をしなければ、このまま何処までも堕ちてしまいそうだった。
(……畜生、なんて不便な体なんだ)
真央を躾ているつもりで、その実調教されていたのは自分の方ではないか。事実、あの愛娘の体無しでは十日と持たずに日常生活をまともに遅れなくなってしまっている。
(……大丈夫、いつかきっと……慣れる)
所謂、禁断症状のようなものなのだ。今が一番辛く、この時期さえ乗り切ってしまえばきっと楽になる筈だと。何の根拠もないその希望的観測だけが月彦の心を支えていた。
(そうだ、だから……先生にも近寄らないほうがいいんだ。先生には悪いけど、距離がとれて良かった)
うむ、むしろこれで良かったのだと。一時の強烈な性欲に負けて謝った道に踏み出さなかった自分をむしろ褒めてやるべきだと、月彦は一連の不幸(?)にもめげず、全てを前向きに考える事にした。
その矢先だった。
「…………………………。」
視線の先に不審なものを見つけて、月彦の足は俄に止まった。同時に、気を取り直した際に笑顔に戻りかけた表情もまた、ひどく冷めたものへと変わった。
道ばたに落ちている、緑色がかったそれはちょっとした光沢を放っていた。近寄って見てみると、如何にも高級そうなワニ皮の財布だった。月彦は徐に手にとり、中身を見てみた。財布の中は、目も眩むばかりのキラキラしたカード類と、頬を張れそうな程の厚みがある万札が束になって入っていた。
「…………………………。」
月彦は財布を手に持ったまま、天を仰ぐように顔を上げ、ふうと大きく息を吐いた。やはりこれは、交番に届けなければならないのだろうか。いっそ道ばたに戻して知らぬ顔をして帰ってしまおうか。そのほうがいいのではないか――。
そんな思案がぐるぐると頭の中をめぐり、結局月彦は趣味の悪い財布を交番に届ける事にした。無視した所で、どうせまた違う理由で行かねばならなくなるに決まっていると、そんなやさぐれた気持ちも少なからずあった。
記憶を頼りに二十分ほど歩き、漸く交番へとたどり着いた。
「あの、すみません……財布拾ったんですけど――」
そっと交番の中を覗き込み、中にいた中年の警官に声をかけた。
「あら……ひょっとして紺崎クン?」
中年の警官よりも先に声を上げたのは、その後方の机でスーツ姿の男性相手に調書らしきものをとっていた婦警だった。勿論見知った顔であり、月彦は別段驚きもしなかった。
「奇遇ね、こんな所で会うなんて」
「矢紗美さん……あの、財布拾ったんですけど」
「それです! 婦警さん、それ私の財布です!」
ワニ皮の財布を差し出すやいなや、スーツ姿の男性が飛び上がるようにして席を立ち、声を荒げた。
「ありがとうございます! 大事な財布だったんです! 本当にありがとうございます!」
男性は些か過剰とも言えるような喜びようで月彦の手から財布を受け取るや、「そうだ、お礼の一割を――」と万札の束を取り出そうとする。
「いえ、そんなつもりで拾ったわけじゃないですから」
「いやいや、それでは私の気持ちが――」
「本当にいいんです。そんな大金受け取れません」
男が渡そうとしている万札の数は軽く十枚を超えていそうだった。さすがにそんな金は受け取れないと、月彦は固辞する。
「神谷さん」
そんな二人のやり取りを見ていた矢紗美が不意に声を出し、なにやらぼしょぼしょと“神谷さん”と呼ばれた男性に耳打ちをする。
「なるほど、……では、これならどうでしょうか。何か美味しいものでも食べて下さい」
そう言って男が万札の束の代わりに差し出したのは一枚の五千円札だった。これくらいならば受け取っても問題はないかなと、むしろ受け取らなければ角が立ち場に収拾がつかなくなるのではという思いから、月彦は渋々にそのお金を受け取った。
「良かったですね。もう財布落としたりしちゃダメですよ?」
「はい! 本当にご迷惑おかけしました!」
神谷と呼ばれた男は矢紗美と、中年の警官と、そして月彦に丁寧に辞儀をして、そして軽い足取りで交番を去っていった。その足取りを見るに、真実財布を落として困っていた所を親切な学生が届けてくれたお陰で九死に一生を得た――という様にしか見えなかった。
「……では自分は警邏に行ってきます。雛森さん、留守をお願いします」
スーツ姿の男性が去るや、まるで気を利かせたようなタイミングで今度は中年の警官が交番を後にする。後に残されたのは、留守を頼まれた矢紗美と、そして月彦の二人だけだった。
「……矢紗美さんってこの交番勤務だったんですね。知りませんでした」
「そういうわけじゃないの。本当は署の方なんだけど、ちょっと人手がたりないから手伝って欲しいって言われちゃって」
なるほど。たまたま財布を拾って交番に届けたら、そこにたまたま矢紗美さんが居たなんて、凄い偶然ですね――そんな言葉が喉まで出かかるも、月彦は辛くも飲み込んだ。
「……えと、じゃあ……俺も帰ります」
これまで散々に精神的に痛めつけられたせいもあり、矢紗美に対して愛想を振りまく余裕も無く、月彦は事務的に言って交番を後にしようとした。
「あっ……」
一瞬、そんな声が背中から聞こえた。振り返ると、矢紗美が出しかけた手をキュッと握りしめ、まるで隠すように体の後ろへと回しながらニッコリと微笑んだ。
「うん、またね、紺崎クン」
「…………。」
きゅう、と。見えない手で胃の辺りを掴まれたような気分だった。
(……なまじ無理矢理誘われるより、堪えるんだよなぁ……)
もしかしたら、そういう効果を狙ってやっているのかもしれないが、最近の矢紗美の挙動を思い出すに、月彦には演技ではないように思えてならない。
(いつまでも、こんな事続けられない……よな……)
自分にとっても、矢紗美にとっても為にならない。第一、回りの人間にも迷惑がかかるのではないか。
(……そうだ、明日はどうせ暇になるんだし、この際だから――)
いつぞやの約束を消化してしまうのも良いかも知れない。勿論、矢紗美の都合が合えばの話ではあるが。
月彦は、意を決して切り出してみることにした。
「……あの、矢紗美さん。今日、仕事何時に終わるんですか?」
翌朝、月彦は九時過ぎ時前に家を出て、その足で待ち合わせ場所であるファミレス駐車場へと向かった。
(……なんだか、体よくハメられたような気がしなくもないけど…………)
結局あの後、月彦は一度家に帰り、矢紗美の勤務が終わる時間帯にあわせて家を出、同じく私服に着替えた矢紗美と合流し、なんとなくの流れでそのままファミレスで夕食を一緒に食べる事になったのだった。
注文したメニューが来る迄の間、月彦はさりげなく翌日の予定などを訪ねてみた。矢紗美とて休日の予定くらいはあるであろうし、もし予定があるのならばそれはそれで仕方がないと月彦は思っていた。が、幸か不幸か矢紗美の返事は明日は丸一日空いているというものだった。
それならば、と。月彦は以前交わした“約束”の件を切り出した。矢紗美も明日の予定を訪ねられた事でそう切り出される事を薄々悟ってはいたのか、驚きこそ少ないまでも表情の端々や四肢の隅々に至るまで、喜びを隠そうとはしているが隠しきれていない有様だった。
(……まるで、先生みたいだ)
と。矢紗美の反応を見て月彦は思った。厳密には、雪乃の場合はデートの誘いを持ちかけられた時はそれこそ散歩に連れて行ってもらえると解った時の飼い犬のようにはしゃぐのに対し、矢紗美のそれは普段はおすまし顔で呼んでも来ない猫が、猫缶を手にとった飼い主の挙動が気になって仕方がないという具合なのだが、どちらの場合も喜びのあまりつい体が動いてしまうという点で似通っていた。
(……こんなに喜んでくれているのに)
自分は、矢紗美との最後のデートにしようとしている――そのことが月彦には心苦しかった。無論、最後に一度だけ普通のデートをしたいと言い出したのは矢紗美の方であるし、それをすることで矢紗美が気分良く身を引いてくれるのなら月彦としても願ったり叶ったりの筈だった
そう、少なくともファミレスを後にし、矢紗美の車で家の側まで送ってもらうまではこれで良いのだと思いこんでいた。
しかし、本当にそうなのだろうか――その疑問は、一夜明けてより一層黒く思い塊として月彦の胸の内に居座っていた。
(そういえば――)
と、月彦はさらに思い出す。学校でクラスメイトの女子達にあれだけ女の匂いを嗅がされ迷惑し、さらに雪乃を前にした時などは暴走気味の下半身を制御しきれなくて狼狽しきったというのに、ファミレスで矢紗美と向かい合って食事をした際にはそういった懊悩の一切を忘れてしまっていた。
(……矢紗美さんだって、十分すぎるくらい魅力的な人なのに)
そのことは、月彦も認めざるを得なかった。さすが雪乃の姉、とでも言うべきか。あのような出会いでさえなければ、普通に面と向き合って話をしているだけでドキドキと胸が高鳴ってしまう程の美人である事は否定できない。否、たとえではなく実際今も――。
(……まさか、嘘だろ……?)
月彦は歩みを止めて、ふと己の胸元に手を当ててみる。手のひらに意識を集中し、己の鼓動が正常かどうかを確かめる。
(…………気のせいだ)
昨日の事を――ファミレスで見た、デートの誘いを持ちかけたときの矢紗美のはにかむような笑顔を思い浮かべると、微かに鼓動が早まったような気がした。が、それはあくまで気のせいであると月彦は思いこむ事にした。
(そうだよ、今は変わっちゃったけど、そもそもあの人は――)
今までどれほどの迷惑を被ったのか忘れたのか!――そんな意味不明の叱咤を己の心に対して行わねばならない程に、月彦の心中は揺れた。それほどに、昨夜見た矢紗美の――どこか憂いを帯びた寂しげな――笑顔は月彦のハートをがっしり掴んでしまったのだ。
(ええい、落ち着け! 矢紗美さんは矢紗美さんだろ!)
何をそんなに心を乱す必要があるのだと。なにやらモヤモヤしたものを抱えながら、月彦は待ち合わせ場所へと到着した。
「なっ……」
さて矢紗美の車は、と視線を走らせていた矢先、とんでもないモノを見つけてしまい、月彦は文字通り凍り付いた。
(これは……先生の車……だよな、どう見ても)
外見は元より、ナンバープレートの数字までもが同じとくれば、最早疑う余地はない。月彦は冷や汗を滲ませながら一端物陰に身を隠すや、周囲に雪乃の姿が無いか入念にチェックする。
「……? 何してるの? 紺崎クン」
「うわああああああっ!!!!」
そっとファミレスの中の様子などをうかがっていたところを突然矢紗美に声をかけられ、月彦は奇声を上げながら飛び退った。
「や、矢紗美さんですか! 脅かさないで下さいよ!」
「ごめんごめん、でもそんなに驚くなんて思わなかったから。……なんで隠れてるの?」
「いやだって……そこに先生の車があるんですよ! こんな所見られたらヤバいじゃないですか」
「ああ、アレの事?」
くすりと、矢紗美が笑みを零す。
「先に言っとけばよかったね。今ちょっと私の車車検に出しててさ、しょうがないから雪乃に拝み倒して車借りてきたの」
「え……あれ矢紗美さんが乗ってきたんですか?」
体中に充ち満ちていた緊張感が一気にほどけ、月彦は危うくその場にへたり込んでしまう所だった。
「ほんとごめんね。昨日誘ってもらった時、車検で車ないからーって断ろうかとも思ったんだけど……折角紺崎クンのほうから誘ってくれたんだし、勿体ないなぁって……」
「……そんな、矢紗美さんの都合が悪かったんでしたら、俺は別の日でも全然良かったですよ」
矢紗美と話をしながら、さっきまでとは違った緊張感に体が支配されていくのを、月彦は感じた。
(なんだ……この感じは……)
ドキドキと、微かに胸の奥が苦しく、ときめくような感覚。それは非日常的な日常の中で月彦が久しく忘れていた、“年上の綺麗なお姉さんと話をすると緊張してしまう”という、男子高校生として至極当たり前の反応に他ならなかった。
駐車場での話もそこそこに、月彦は矢紗美に促されて車の助手席へと座らされた。
(ヤバいぞ……これは、巧く言えないけど、なんとなくヤバい気がする)
やがて矢紗美が車を発進させるも、月彦は奇妙な居心地の悪さを感じていた。それは決してこの車が雪乃の車だからという事だけではなかった。
(……矢紗美さんって、こんなに綺麗な人だったっけか)
否。事によっては侮辱ととられるかもしれないが、綺麗というよりは可愛いという表現のほうが似合うと月彦は思った。ベージュ色のデザインブラウスの上にはロングニットの赤のカーディガンを羽織り、黒のスカートにロングブーツというその出で立ちは女子大生くらいならば十分に通用する可愛らしさだった。
そう、ただ可愛いだけならば、何の問題もない。ヤバい、と感じてしまうのは、そんな矢紗美のとなりで、手のひらに汗が滲むほどに緊張してしまっている事なのだ。
「さあて、それじゃあどこ行こっか。紺崎クンはどこか行きたい所ある?」
「……いえ、特には……矢紗美さんにお任せします」
縺れそうになる舌をなんとか動かして、月彦はあくまで平生を装う。緊張のためか、口の中がカラカラに渇き、舌が張り付きそうだった。
「お任せ、かぁ……そうねえ、遊園地――は止めといたほうがいいかな」
くすりと、矢紗美が自嘲気味に笑う。
「この間雪乃と行ったばかりだもんね。……あの子と一緒に遊園地行くと、向こう十年は行かなくてもいいって思うでしょ?」
「そんなことは……せめて半年くらいです」
「あら、別にあの子を庇わなくてもいいのよ? 告げ口なんてしないから」
「……いえ、そんな……」
月彦は口籠もり、そこで会話も途切れた。矢紗美との会話が嫌というわけではなく、純粋に言葉が巧く出てこないのだ。
「…………よし決めた! あそこに紺崎クンを連れて行っちゃう」
「あそこ……って何処ですか?」
「それは着いてからのお楽しみ。折角のデートだもの、時間を目一杯使って楽しまなきゃ」
矢紗美の言葉は、暗に“最後のデートだから”という響きを含んでいた。それを残念だと感じてしまう自分の心の動きに、月彦はまだ気付いていなかった。
車は一端高速へと入り、一時間半ほど飛ばした後一般道へと降り、さらに一時間ほど走った頃には、風が仄かに潮の香りを含んでいた。
「紺崎クン、そろそろお腹空いたんじゃない?」
「そ……うですね、もう昼過ぎですし」
「もうちょっと待ってね。この先に――……紺崎くん、食べられないものとかはなかったわよね?」
「苦手な食べ物ってことならいくつかありますけど、基本的にはなんでもいけますよ」
「牡蠣とか大丈夫?」
「ええ、牡蠣フライとかむしろ好物な方です」
「良かったぁ……この先に、牡蠣料理の美味しい定食屋があるのよ。目的地に行く前に先にそこで御飯食べていこっか」
月彦にも異論は無く、十分ほど走った後、目当ての定食屋へと到着した。休日の昼時だからという事もあるだろうが、駐車場はほぼ満席に近く、どうやら美味しい牡蠣を出すという話は本当らしいと、月彦は密かに期待に胸を高鳴らせた。
「ちょっと待つ事になっちゃうかも、ごめんね」
「いえ、少しくらい待たされた方が料理も美味しく食べられるってものですよ」
事実、純和風の建物の入り口付近には順番待ちをしている家族連れや若いカップルなどが二、三ひしめき合っていた。月彦達もカウンター前にある予約帳に名前を書き込み、待つこと十数分。通された先は海の見える座敷席だった。
「さっ、なんでも好きなもの注文して。って言っても、ほとんど牡蠣料理だけどね」
矢紗美の言うとおり、メニューに載っている料理の八割は牡蠣が関係しているものだった。生牡蠣や牡蠣フライといった定番料理は勿論のこと、焼き牡蠣、牡蠣の酒蒸し、牡蠣の炊き込み御飯、牡蠣グラタン、牡蠣ドリア、牡蠣のクリームコロッケ等々、牡蠣好きであれば目移りして仕方がないであろう多彩さだった。
「……えっ、牡蠣……ラーメン?」
さて何にしたものかと順番にメニューに目を通していた矢先、聞き慣れない組み合わせを見つけてつい声に出してしまった。
「矢紗美さん……牡蠣ラーメンって美味しいんでしょうか」
「えっ、そんなのあるの? …………あら本当……牡蠣のラーメン……美味しいのかしら」
どうやら矢紗美も食べたことはないらしい。月彦はそれとなく周囲の客達へと視線を走らせてみるが、誰一人牡蠣ラーメンらしきものを食べている者は居なかった。
(…………牡蠣とラーメン……合う、か?)
頭の中で想像し、味を組み合わせて見る限り、とても美味しそうには思えない。が、それ故に、逆にどんな味がするのだろうかという奇妙な好奇心もまた沸き起こってくる。
(……行ってみるか?)
これがデートではなく、幼なじみや級友達と遊びに行った先での事ならば、月彦は間違いなくトライしたであろう。たとえどれほど口に合わなくとも、それをネタに話が盛り上がることは請け合いだからだ。
(……ここは、自重するか)
何より、そういったネタに走るような行為は矢紗美に対して失礼なように思えたのだ。月彦は気を取り直し、無難に牡蠣フライ定食を注文することにした。
「俺の方は決まりました。矢紗美さんは何にするんですか?」
「うーん……何にしようかしら……コロッケも美味しそうだし、でもそれを言うなら牡蠣フライも……」
どうやら本気で悩んでいるらしく、何度も何度もメニューのページをめくっては料理の写真とにらめっこをする矢紗美の姿が新鮮に思えて、月彦はつい笑みを零してしまった。
「……決めた、牡蠣ラーメンにするわ」
「なっ……や、矢紗美さん正気ですか!?」
「勿論、だってどんな味か気になるんだもの」
悪戯っぽく笑って、矢紗美が手を挙げて店員を呼ぶ。ならば自分も牡蠣ラーメンにチャレンジしてしまおうかと、月彦の中で奇妙な誘惑が首を擡げた。
「牡蠣ラーメン一つと、生牡蠣四人前。……あと、紺崎クンは?」
「あ、はい……俺は…………牡蠣フライ定食で」
しかし結局口から出たのは無難な牡蠣フライ定食だった。牡蠣ラーメンにトライできなかった理由の主なものとしては、矢紗美と同じものを注文するのが何となく気恥ずかしかったからだ。
(…………そんな事、気にしなくてもいい筈なのに)
何だろう、この胸に湧くモヤモヤとした気分は。胸を締め付けられるようで、それでいて決して不快ではないそれをどう扱えばいいのか、月彦は苦慮した。
「……それにしても、牡蠣ラーメンは兎も角として、生牡蠣四人前ってスゴいですね。矢紗美さんそんなに牡蠣好きなんですか?」
「何言ってるの、半分は紺崎クンの分よ?」
「えっ……そんな――」
「牡蠣フライも美味しいけど、やっぱり牡蠣は生牡蠣が一番だと思うの。ここに来たなら生牡蠣は絶対食べるべきよ!」
なるほど、この店に詳しそうな矢紗美がそう言うので在れば、そういうものなのかと、その熱意に押される形で月彦は納得してしまった。
「前に雪乃と一緒に来た時なんて、あの子美味しい美味しいって泣きそうな顔で言いながら十二人前ぺろりとやっちゃったんだから。紺崎クンならもっといっちゃうかも」
「じゅ、十二人前って……先生が、ですか?」
月彦の中では、雪乃は別段大食らいという印象は無かっただけに、矢紗美の言葉は俄には想像し難かった。
「紺崎クンの前だと猫被ってるのかも知れないけど、あの子ってああ見えてけっこー食べるのよ? じゃなきゃ、あんなにはならないでしょ?」
“あんな”というのが現在のプロポーションの事を指しているのか、それとも黒歴史時代の体型を指しているのか、月彦には判断がつかなかった。そのどちらでも、矢紗美の言葉は真実味を持つからだ。
「それに、私も雪乃も基本海でとれる食べ物って大好きなのよね。蟹とか、貝類とか、お刺身とか」
「なるほど……覚えておくことにします」
「うん、それがいいわ。……紺崎クンがこの先車の免許とか取って、雪乃をドライブに連れて行く時がきたら、この店とか連れてきてあげると喜ぶと思うわよ」
「矢紗美さん……」
まさか、その為に連れてきてくれたのだろうか。月彦は胸の奥に痛みにも似たものを感じて、咄嗟に矢紗美から視線を外した。そのまま、料理が来るまで一度も矢紗美の方を見ることができなかった。
牡蠣フライ定食は牡蠣料理専門店(厳密には牡蠣料理以外も僅かながらあるのだが)の名に恥じない味だった。とにかく牡蠣自体の味が普段口にするものとは段違いなのだ。
(……成る程、本当の牡蠣ってこんな味なのか)
濃厚でクリーミーな味わいに思わずため息が出てしまいそうだった。そしてそれに加えて美味なのが、矢紗美が注文した生牡蠣だった。
添えられたトッピングはカクテルソースに塩、ニンニク醤油、レモン、ネギなどであり、そのどれを組み合わせても絶品であり、雪乃がむせび泣きながら十二人前食べてしまったという話も決して誇張ではないと思わされる味だった。
「紺崎クン紺崎クン、この蟹ミソ乗せて食べてみて、美味しいわよ!」
「へぇ、これ蟹ミソだったんですか。試してみます」
早速スプーンで蟹ミソらしい塊を掬い、牡蠣の上に乗せて醤油とレモンを少々、殻ごと手にとってじゅるりと吸い込む様にして口に含むと――。
「ンンンッ!!!」
忽ち広がる濃厚な味わいに月彦は舌鼓を打ち、思わず声まで上げてしまいそうになった。勿論実際には口を開かず、この珠玉の味わいを一滴たりとも逃すものかとばかりにたっぷり咀嚼し、飲み込んだ後に残るのは甘美な余韻のみ。
「ぷはぁ……これスゴいですねほんと……先生が食べ過ぎちゃったってのも解る気がします」
「気に入ってもらえて良かったわ。……あ、店員さん、生牡蠣四人前追加お願いします」
「って、ちょっ、矢紗美さん! さすがに注文し過ぎじゃ……」
「いいからいいから、いっぱい食べちゃって。紺崎クン、それくらいじゃ全然たりないでしょ?」
「いえ、“アレ”は矢紗美さんの料理が美味しかったからついつい食べ過ぎちゃったわけで……いや勿論この牡蠣も凄く美味しいんですけど」
月彦が気にしているのは値段の事だった。美味しいものというのは当然それ相応の値が張るものだ。
「細かいこと気にしちゃだめよ? 楽しむ時はおもいっきり遠慮無く楽しむ、それが私のモットーなんだから」
「……でも……って、矢紗美さん……ラーメンのほうは食べないんですか?」
はたと、月彦は矢紗美の手元で殆ど手つかずなままのラーメンへと目をやった。
「あー、うん……そうね……これも食べなきゃいけないんだけど……」
「………………ひょっとして、不味いんですか?」
ぼしょぼしょと、月彦は間違っても店員には聞こえないように小声で問いかけてみる。
「……牡蠣は美味しいのよ、牡蠣は」
矢紗美もそれに合わせる様に小声でそのような答えを返してくる。
「……良かったら紺崎クン、少し食べてみる?」
「…………では、少しだけ……」
どんな味がするのか、それなりに興味はあった。月彦は矢紗美からどんぶりを受け取り、まずはレンゲでスープを掬ってみる。
「……………………。」
次に麺をつまみ、ずるずると口に含み、咀嚼する。麺自体の出来は決して悪くはなく、歯ごたえや喉越しに関しては文句のないレベルだった。
しかし――。
「……ね、何も言えなくなるでしょ?」
矢紗美の言う通りだった。他の牡蠣料理に関しては間違いなく絶品といえるのだが、この牡蠣ラーメンに関しては店長が血迷ったとしか思えなかった。
「……私っていつもこうなのよね。薄々地雷だって解ってるのに、つい踏みに行っちゃうの。友達と一緒の時なんて特にそう」
「へぇ……矢紗美さんも…………なんか意外です」
あまり隙がないというイメージが強い矢紗美にもそんなお茶目な一面があるというのがなんとも微笑ましく月彦には思える。心なしか、矢紗美との距離が縮まったようにも感じた。
「……ま、まぁでも……このラーメン俺はそんなに嫌いじゃないですよ!」
なんとなく、そんな矢紗美の役に立ちたくて、月彦はつい嘘をついた。
「もし矢紗美さんが食べたくないんでしたら、俺が残りもらっちゃってもいいですか?」
「本当? 紺崎クンが食べちゃいたいなら、私は全然構わないけど」
「ええ、意外とこれはこれで味が不快っていうか……いや不快じゃなく深いというかなんというか」
自分でも何を言っているのだろうと半ば混乱気味に月彦はずるずると言葉を失わせるラーメンを腹に収めていく。
矢紗美の為にせめてなにかしら役に立ちたいと、そう思っての行動だった。
食事を終えて向かった先は、海沿いにある巨大な水族館だった。
「私も雪乃も、海の幸は食べるのも大好きだけど、見るのも好きなの」
館内はほんのりと暗く、ゆっくりと水槽の前を移動しながら、まるで独り言のように矢紗美は呟く。
「……そういえば、先生も前に水族館でバイトしてましたね」
「あの子ったら車のことになると湯水の如くお金突っ込んじゃうタイプだから、見ていてヒヤヒヤしてたのよね。……尤も、今じゃあ車よりも紺崎クンの方にご執心みたいだけど」
「ははは……喜んでいい所なんでしょうか」
「勿論喜ぶべき所よ? 雪乃だっていつまでもあんなバカやってるわけにはいかないんだし、第一私は立場上危険運転は取り締まらなきゃいけないんだから、ほんと随分と気を揉んだわ。だから、紺崎クンと雪乃がデキちゃった事に、姉としては本当に喜んでるのよ」
姉としては、の部分だけ妙に力がこもっているように月彦には感じられた。まるで、女としては快く思っていないとでも付け加えたいかのように。
「折角なんだから、紺崎クンももっと積極的にあの子を調教しちゃえばいいのに。姉として言わせてもらうけど、あの子ったらほんっっっと男に免疫ないんだから、紺崎クンが頼めば、どんな事でもしてくれると思うわよ?」
「それは……確かに魅力的な提案なんですけど……」
口籠もりながらも、月彦はつい想像をしてしまう。何でも思い通りにさせてくれる雪乃というのも、確かにそそられるものだ。あの体を文字通り好きなときに好きに出来るというのは、男としての最終的な目標の一つと言っても過言ではないのではないか。
(……でも、考えてみれば今でも……割とそうだよな……)
何かをしたい、させて欲しいと雪乃に懇願し、断られた事など皆無に等しいのではないか。それこそまだまだ初期の頃に口での奉仕を願って断られた事くらいで、後はだいたい強く頼めば渋々ながらも承諾してくれるという印象が強い。
(……ヤバっ、先生の事考えたら……)
折角忘れかけていた過充電気味の性欲が首を擡げかけて、月彦は慌てて思考を切り替える事にした。頭の中身を空っぽにして、水槽の中をゆうゆうと泳ぐ魚達と精神を同化させることで、辛くも体の一部でジッパーを突き破るという事故を防ぐ事に成功した。
そのまま、とりとめのない世間話などをしながら矢紗美と二人、ゆっくりと館内を練り歩いた。途中展示されていたシロナガスクジラのペニスのあまりの大きさに驚き、完膚無きまでに叩きのめされ敗北感を植え付けられたり、巨大な水槽の中で不気味に上下するマンボウの姿に恐怖に近いものを感じたりと、それこそ本当のデートのように楽しむ事が出来た。少なくとも、月彦自身はそう感じた。
「じゃあ紺崎クン、最後はあれに乗って帰ろっか」
と、矢紗美が指を指したのは潜水艦型の遊覧船だった。勿論異論など在るはずもなく、月彦は素直に矢紗美の提案に乗ることにした。
「……スキューバとかやりたくなっちゃうわよね、ああいうの見ちゃうと」
円形の窓の向こうでは潜水夫が餌付けを行い、魚たちを招き寄せていた。南国のように彩色豊かな熱帯魚たちがお出迎え、というわけにはいかないが、普段はなかなか見ることの出来ない海の中の光景はただそれだけで魅力的だった。
「矢紗美さん、スキューバやったことあるんですか?」
「学生の頃、友達と海外旅行行ったときに一度だけね。ああでも、お婆ちゃんの家が海の近くだから、素潜りとかだったら昔からよく潜ったりしてたわ」
「へぇ……俺も興味はあるんですよね、スキューバ」
「今は厳しいけど、暖かくなったらやってみればいいじゃない。…………雪乃と一緒に」
「はは……先生も好きなら、それもアリかもしれませんね」
「私程じゃないけど、あの子も泳ぐのは好きな筈よ。ダイエットやってた時なんて、鬼気迫る顔してプールに通ってたし」
「……それは、泳ぎが好きっていうのとはまた違うような……」
どちらかといえば、思い出したくない類というやつではないのだろうか。
「……そういえば、先生の水着姿とかって、まだ見たことないですね」
いつぞやの水族館で見た時は水着姿ではなくスウェットスーツだった。裸や下着姿の雪乃は幾度となく見た事があるが、水着となるとまた違った趣があるに違いない。
「アレは反則よ、ハッキリ言って。姉の目からみてもそう思うわ」
「……そんなにスゴいんですか?」
「渚の視線は独り占め、って感じ。あの子がもし英語教師じゃなくて体育教師で、水泳の授業とかで水着を着たりしてたら、血迷って人の道を踏み外す生徒が一人か二人出てくるんじゃないかしら」
「………………そんなに、ですか」
ごくりと、月彦は反射的に生唾を飲んでしまう。またぞろ下半身が反応しかけて、慌てて窓の外を泳ぐ小魚たちと精神を同化させねばならなかった。
「私だって、それなりに胸あるし、プロポーションだって悪くない自信はあるけど、正直あの子と一緒には泳ぎたくないわ。引き立て役になっちゃうもの」
「そんな……そんな事はないですよ。矢紗美さんには矢紗美さんの良さが……」
「ありがとう、紺崎クン。でも、あの辛さは本人にしか解らないと思うわ。……私にだって、雪乃と同じ血が入ってる筈なのにね」
「……矢紗美さん」
はたと、月彦は思いだした。かつて何度も、矢紗美と雪乃を比べるような発言をしてきた自分に。一度は、泣かれもした。
(…………やっぱり、矢紗美さん……気にしてたんだ)
単純に考えてその筈なのだ。姉であるのに、身長も、胸も全て妹に負けている。気にしていない筈が無いではないか。
(……俺は、なんて事を……)
改めて、己の至らなさに歯がみしたくなる。人には触れてはいけない痛みというものが存在するのだ。
「でも、そうね……雪乃と一緒じゃなくて、紺崎クンと二人きりだったら……水着姿になるのも悪くなかったかもね」
「…………俺も、是非見てみたいです、矢紗美さんの水着姿」
「……ほんと、残念だわ。今が冬じゃなくて夏だったら、こうして見るだけじゃなくて、一緒に海に入ったりも出来たのに」
まるで自分にはもう、永遠に夏という季節は来ないとでも言いたげな矢紗美の呟きに、月彦はただただ視線を逸らすことしか出来なかった。
一時間弱ほどの海中散歩の後、一度は矢紗美と共に車に戻った。
が。
「そうだわ、お土産買わなきゃ」
「土産……ですか?」
「雪乃に車借りる時に約束しちゃったのよ。お土産買って帰るって」
なるほど、そういう事であれば手ぶらで帰るわけにはいかないだろう。月彦もまた矢紗美に付き合い、水族館脇の土産物屋へと足を運んだ。
「ちゃちゃっと済ませちゃうから、待っててくれてもいいのよ?」
「いえ、折角ですから俺も何か買おうかなって」
辛いのは、雪乃とのデート同様、真央や由梨子への土産を買うことは出来ない事だった。勿論、葛葉に対しても同様に危うい。
(……妙子になら)
と一瞬考え、月彦は首を振った。前回それで他の幼なじみ二人に散々痛い腹を探られたばかりではないか。
「むぅ……」
折角はるばる遠くまでやってきたのだ。何かしら記念品のようなものを買って帰りたいとは思うのだが、良い相手が思い浮かばない。多少の危険を承知で何か自分用のキーホルダーでも買おうかと思い、売り場を探していた時だった。
「あっ」
と。先にキーホルダー売り場で品物を物色していた矢紗美と目が合い、同時に矢紗美が手にとっていたものを慌てて商品棚へと戻した。まるで、ばつが悪い瞬間を見られてしまった、とでもいうかのように。
「貝殻の……キーホルダーですか?」
「うん、家の鍵とかつけるのにいいかな、って思ったんだけど。こういうのってすぐ割れちゃったりするのよね」
さもこんなものには興味がない、と示すかの様に、あっさりと矢紗美はキーホルダー売り場を後にする。
「……貝、か……そういや、姉ちゃんが好きだったな」
昔は家族で海に行くたびにどこからか大きなの巻き貝を拾ってきては、よく耳に当てている姿を目にしたものだ。一度どうしても真似をしてみたくて、自力で大きな巻き貝を拾って耳に当て、中に入っていたヤドカリに思いきり耳を挟まれたのも今となっては良い思い出だ。
(……そうだ、姉ちゃんになら……)
入院中の姉ならば、土産を買っていっても問題は少ないように思える。友達と海に行ってきたとでも言えば。別段不思議にも思わないだろう。
(……って、なんで姉ちゃんに土産なんて……)
またぞろ嫌味を言われて、挙げ句土産を踏み砕かれるのが落ちではないか。
「……………………まぁ、でも……他に買っていく相手もいないしな」
要らないと言われたら、素直に自分のものにしてしまえばいい――月彦はいくつかあるキーホルダーの中でピンク色の巻き貝のものを選び、レジへと向かった。
土産物屋から出た時にはもう日が陰り、西日へと変わろうとしていた。
「さて、それじゃあ帰ろっか」
両手にぎっしりと紙袋を下げた矢紗美に促され、月彦も助手席へと乗り込んだ。
「矢紗美さんも随分色々買いましたね」
「まあ、車貸してもらったわけだし、それに――」
と、一瞬躊躇うように矢紗美は言葉を止め、そして続けた。
「前に雪乃から遊園地のお土産いっぱいもらった時さ、正直ちょっと妬けちゃったから……その仕返しっていうのもあるかな」
「そういえば、先生も随分買い込んでましたね。友達にあげる分もあるから、って言ってましたけど」
「クッキー二箱、おまんじゅう一箱、チーズケーキまるまる一つにお酒のボトル五本にその肴になりそうな漬け物や佃煮スモークサーモンスモークチーズその他諸々渡されて、それら全部食べ終わるまでたっぷり二日がかりで紺崎クンとのノロケ話聴かされたのよね。…………ああもう、思い出したら腹が立ってきたわ」
「あ、あの……矢紗美さんは真似しないで下さいね?」
わなわなと思い出し怒りに身を震わせる矢紗美に、月彦は控えめに釘を刺した。そんなことをされた日には、最悪雪乃に背後から刺されるかもしれない。
「あ、もちろん紺崎クンと一緒に行ったっていう事は内緒にするわよ? あくまで匿名の男友達Aと一緒にデートしてきた、って事で済ませるから安心して」
「お願いですから、“つい口が滑っちゃって”……なんてのは止めてくださいね」
苦笑して、月彦はシートベルトをつける。程なく矢紗美が車を発進させた。
窓から差し込む夕日が、赤々と車内を照らし出す。徐々に沈んでいく太陽が、否が応にも“終わり”が近いのだと感じさせる。
(……変、だよな……矢紗美さんとのデートなんて、さっさと終わらせてしまいたい類の事だったのに)
思いの外楽しかったせいか、このままデートが終わってしまう事が残念であると感じてしまう。その心境の変化が、月彦には信じられなかった。
(……いっそ、あんな約束……無かったことに……)
今回のデートを最後に、矢紗美とは一切の付き合いを断つ――その前言を撤回してしまおうかとすら思ってしまう。
(だめだ、だめだ……今までそうやって、ズルズルとダメな方に落ちてきたんじゃないか)
今回ばかりは心を鬼にして初志貫徹するべきだと、月彦は改めて思い直した。無意識のうちに膝の上で握り拳を作り、唇まで噛んだ――それを、矢紗美が横目で見ていた。
「……今日はごめんね、結局私の我が儘で紺崎クンを一日振り回しちゃっただけになっちゃったね」
「えっ、あ……いえ、俺も凄く楽しかったですよ。本当に、お世辞とかじゃなく」
「いいのいいの、私だって、薄々気が付いてるもの。……バカな事してるなぁ……って」
「そんな……」
「……ああもう、ダメ! 湿っぽいのは無し! 最後まで楽しく行こう!」
車内の沈みかけた雰囲気を無理矢理明るくしようとするかのように、矢紗美が声を張り上げる。
「そうだ、紺崎クン。……今日、ちょっと帰りが遅くなっても大丈夫?」
「どれくらいかにもよりますけど、うちって結構放任気味ですから、少しくらいなら大丈夫ですよ」
「そっか、それじゃあ帰りにちょっと寄り道しちゃうね」
そう言って、矢紗美は行きの時とは違う道へと車を走らせる。土地勘の無い月彦にも、車が高速道路の方ではなく、山の方へと向かう道に入った事は解った。
「どこに行くんですか?」
「私のとっておきの場所。安心して、ホテルとかモーテルとか、そういうのじゃないから」
「矢紗美さんのとっておきの場所ですか……楽しみです」
本当に、世辞でも建前でもなく。矢紗美と最後に過ごす時間を純粋に楽しもうと、月彦は思った。
矢紗美の目当ての場所は、曲がりくねった山道を一時間半ほど走った先にあった。一見、丸太小屋のコテージか何かに見えるそれは、どうやら歴とした喫茶店の様だった。
ただ――。
「……これ、閉まってませんか?」
車から降りて店に近づくなり、月彦はついそんな言葉を口にした。ログハウス風の喫茶店はおよそ人の気配というものが感じられず、殆ど日が落ちた今となっても明かり一つ灯っていなかった。
こじんまりとした駐車場には自分達の車以外は一台も止まっておらず、よく目を凝らせば入り口のドアの所には張り紙らしきものも見えた。内容は、“長らくご愛顧頂きありがとうございました。誠に勝手ながら、○月×日をもちまして――”といった文言が辛うじて見てとれた。
「ここ……無くなっちゃったんだ」
矢紗美は店の前に立ちつくし、まるで独り言のように呟く。店が潰れてしまっていた事が余程ショックだったのだろう。月彦の存在など忘れてしまったかのように放心し、立ちつくしていた。かと思えばよろよろと頼りない足取りで店の入り口へと近づき、完全に人気の無くなってしまった店内を覗き込むように背伸びをする。
「矢紗美さん……? 大丈夫ですか?」
その尋常ではない様子に、月彦は思わず声をかけた。しかし、矢紗美はその言葉も聞こえていないかのように、店の外周沿いに歩いていく。その先、店の側面には人の背丈ほどの水車が備え付けられていて、山肌から吹き出すようにして降り注ぐ水を受けてキィキィと寂しげに回っていた。
「……そっか、考えてみたら……最後に来たときから五年以上経っちゃったのか」
月彦に話し掛けるというよりは、まるで主を失った水車へと語りかけるような口ぶりだった。
「随分ご無沙汰しちゃったなぁ……もっと早くに来ればよかった」
「……ひょっとして、知り合いのお店とかだったんですか?」
恐る恐る、月彦は声をかけてみた。矢紗美はハッと、まるで月彦の存在を今思い出したとでもいうかのように振り返って、そして寂しげに笑った。
「ううん、マスターとはそれなりに顔見知りだったけど、私はあくまでただのお客さん。第一、ここに来たのは今日合わせてもたったの四回だから、常連って程でもなかったかな」
ただ――と、矢紗美は再び視線を水車へと戻す。
「ここのマスターの煎れる紅茶と、水車で挽いた小麦粉で作ったパンとアップルパイは凄く好きだった。こんなに遠い所じゃなかったら、毎日通いたいくらい」
「……そうだったんですか」
自らも料理好きな矢紗美がそこまで褒めるのならば、本当に美味しかったのだろう。
(……ただ、立地条件が……悪すぎるよなぁ)
月彦はここまでの道のりを思い出してそう思う。この喫茶店へとたどり着くまで、およそ民家らしい民家すら見かけなかったのだ。
「……本当に、凄く美味しかったのよ。……だから、最後に紺崎クンにも……って思ったんだけど」
「……大丈夫ですよ、矢紗美さん。お店は無くなったみたいですけど、それだけ腕の良かった人なら、案外どこかもっと客が来やすい場所でお店作り直してるかもしれませんよ? そうだ、新しい店の連絡先とかどこかに書いてあるかも――」
月彦は無理矢理陽気に声を張り上げて、入り口まで戻ると文字の掠れた張り紙へと視線を落とした。が、しかし新しい店の住所どころか、連絡先すら書かれてはいなかった。
「あっ……」
不意に、ヒュウと肌を切り裂くような冷たい風が吹き、接着力の限界を超えた張り紙が辛くも風に攫われていってしまう。まるでその風が呼び水であったかのように、辺りの気温がみるみる下がり始めている事に月彦は気が付いた。
いつしか、陽は完全に沈んでしまっていた。
「とにかく、これ以上ここに居てもしょうがないですから、車の中に戻りましょう。大分気温も下がってきてるみたいですし……」
「うん……そうだね」
茫然自失気味な矢紗美の背を押すようにして、月彦は駐車場へと早足に歩く。その視線の先で、不意に何か黒いものが動いた。
「ん……?」
「…………紺崎クン、どうかしたの?」
「あ、いえ……何か今、人影みたいなのが見えたような……」
駐車してある車の陰から、人影らしきものが離れ、山の方へと消えた――ように見えたのだ。
(……まさか、見間違いだ)
大方猿か何かだろう。第一、人だとすれば何故逃げる必要があるというのか。
「……いえ、やっぱり俺の気のせいだったみたいです。とりあえず急いで車の中に戻りましょう、このままここにいたら風邪ひいちゃいますよ」
月彦は再び、矢紗美の背を押して車へと歩み出す。振り返って空を見れば、嫌な色の雲が夜闇の中、その質量と存在感を増し続けていた。
「……天気予報じゃ雪は降らないって言ってたのに」
「仕方ないですよ、山の天気は変わりやすいって言いますし……俺の方の門限とかは気にしなくて大丈夫ですから、とにかく安全運転で下山しましょう」
山の天気は変わりやすい――それは真実だということを、月彦は身をもって感じていた。矢紗美と共に車に乗り込み、喫茶店の駐車場を出る時にはもうはらはらと小雪が舞い始めていたからだ。
それもすぐに桜の花びらほどの大きさのものへと代わり、瞬く間に視界は白く染め上げられた。必然的に矢紗美も車のスピードを落とし、そのもどかしいほどのスピードですら時折車体が横滑りし、雪道に不慣れな月彦などはそのたびに冷や汗をかいた。
「……雪乃のことだから、チェーンなんて積んでないでしょうね。せめてスタッドレスなら、もうちょっとマシなんだけど」
「……まあ、普段雪道なんて走らないでしょうから……」
フロントガラスの向こう、ヘッドライトに照らし出された視界はあまりに狭く、逆に降りしきる雪は目映いばかりに光を反射し、余計に周囲を見えづらくしていた。
「……矢紗美さん、これちょっと……一端車止めて雪が止むの待った方がいいんじゃないですか?」
「……そうしたい所だけど、雪が止む保証も無いのよ? 下手すると動けなくなっちゃうかも」
「でも、これじゃあガードレールがどこにあるかも見えませんし、対向車だって解るかどうか……」
「……確かに紺崎クンの言うとおりかもね。再発進できるかどうかが不安だけど……路肩に止めてちょっと様子を見よっか」
矢紗美は慎重に車を山の方へと寄せ、停車させる。しきりに動くワイパーの向こうに降りしきる雪は、勢いを増しこそすれ止むようには到底見えなかった。
「……紺崎クン、本当にごめんね。まさかこんな事になるなんて……」
「こればっかりはしょうがないですよ。大丈夫、きっとすぐに止みますって」
そうは言っても、やはり雪足は陰りを見せない。どうやら気温もどんどん下がっているらしく、暖房の効いた車内に居て尚肩を抱きたくなるほどに冷え込み始めていた。
「……ねえ、紺崎クン。ちょっと暖房弱くなってきてない?」
「言われてみれば……あんまり風出てきてませんね」
月彦は助手席側の通風口にそっと手を当ててみる。吹き出る暖かい風は目に見えて衰えていた。
「って、え……?」
「あっ……」
と、二人同時に声が出たのは、突然車のエンジンが止まったからだった。慌てて矢紗美がキーを捻るが、エンジンはもどかしげなうなり声を上げるばかりで一向にかかる気配がない。
「やだ……どうしちゃったのかしら……」
「まさか……故障ですか?」
よりにもよってこんなタイミングで故障するなどあり得るのだろうか。矢紗美は何度も何度もエンジンをかけようと試みるが、やはり巧く行かない。
「ダメだわ、バッテリーもガソリンも大丈夫な筈なんだけど……」
「……この雪じゃ、ちょっと外に出て直接様子見る、ってわけにもいかないですね」
「そうね。第一、エンジンの事なんて殆ど解らないし……雪乃だったら詳しいんだろうけど……」
「俺もさすがに車のことは……役立たずですみません」
「紺崎クンはしょうがないわよ。まだ免許もとれない年なんだし。…………でも、本当にどうしよっか。このままじゃ車の中で凍えちゃうわ」
既に、吐く息までもが白く濁り始めていた。“凍死”という未来が、次第に現実味を帯びてくるのを、月彦は感じた。
「……携帯で助けを呼ぶしかないかもしれませんね」
「そうね。この雪の中、ロードサービスがこんな場所まで来てくれるかどうか解らないけど……最悪、119番しなくちゃいけなくなるかもしれないわね」
確かに矢紗美の言うとおり、修理屋が来てくれなければ119番をするしかないだろう。月彦は改めて、携帯電話というものの便利さを噛みしめる思いだった。
(……やっぱり俺も持った方がいいかな、携帯電話……)
あれば便利だろう、とは思う。しかし、それは同時に身の破滅を招きそうでどうしても本気で持とうという気にはなれないのだ。
(携帯買って、そのことを先生に知られたりしたら、毎晩電話かかってきたりしそうだしな……)
携帯に着信がある度にトイレに籠もったり、外に出てこっそり話したりしている自分の姿が容易に想像できて、やはりダメだという結論に達した。
「……矢紗美さん? 何してるんですか?」
思案に耽っている間に、てっきり矢紗美は電話をかけたものだと思っていた。しかし当の矢紗美はといえば、携帯を手にしたままなにやら様々なポーズをとってはそのたびに顔を青ざめさせている。
「…………紺崎クン、悪い報せがあるわ」
シートベルトを外し、車の後部座席の方まで移動したり、さらには少しだけドアを開けて携帯を持った手だけを外に出したりした後、矢紗美は諦めたように呟いた。
「……ここ、携帯の電波届いてないみたい」
「悪いことは重なるっていうのは本当かもね。…………やっぱり日頃の行いかしら」
「……そういう事なら、俺の方に原因があるかもしれません」
苦笑しながら、月彦は震える矢紗美の背に手を回し、しっかりと抱き寄せる。携帯で助けを呼ぶのは不可能と解った後、これはいよいよヤバいということで月彦は矢紗美と共に後部座席へと移り、互いに身を寄せ合うようにして体温の維持に努める事にしたのだった。
不幸中の幸いは、車の後部座席の脇に毛布が積まれていた事だった。
「……雪乃に感謝しなきゃね。この車に毛布が積んであったのは、きっと紺崎クンとデートした時に車の中でイチャイチャする為よ?」
「……本当に助かりましたね。これが無かったら凍えていたかもしれません」
矢紗美と二人身を寄せ、毛布をポンチョのように羽織り、ただただ雪が止む事を願った。雪さえ止めば、山道を歩いて戻って先ほどの廃墟へと戻る事も出来るのだ。望みは薄いが、ひょっとしたら電話などが残っているかもしれず、それでなくともきちんとした丸太小屋の形をしている分、車の中で夜を過ごすよりはマシなようにも思える。
(いや、そんなことをしなくても徒歩で道沿いに下山していけば、どこかで携帯が使えるようになる筈だよな)
しかしどのみち、雪が止まなければそのどちらも無理なのだ。雪には素人でも、その怖さくらいは知っている。猛吹雪に見舞われ、民家からほんの十メートルほどの場所で迷い、命を落とした者もいるという。とにかく今はただ、こうして体力を温存しているのが一番正しい筈なのだ。
「……矢紗美さん、良かったら俺の上着着ますか?」
単純な体格の差だろうか。こうして毛布の下で身を寄せている矢紗美の体温がどうにも低いように感じられる。
「うん、大丈夫……私こうみえて寒さには強いんだから」
矢紗美は笑顔を返すが、その肌は死人のように白く、唇が紫に染まっていてはむしろ痛々しさしか目立たない。月彦は無言でジャンパーを脱ぐと毛布の下で矢紗美の肩から被せ、さらに身を寄せるのではなく背後から抱きすくめるようにした。
「こ、紺崎クン……!?」
「これなら、少しはマシですか?」
反面、己が背中側から感じる寒気はそれまでの数割り増しとなったが、我慢できない程ではなかった。むしろ、隣で歯を鳴らされているよりはこのほうが遙かにマシだった。
「……うん、凄く……暖かい……ありがとう、紺崎クン」
毛布の中で、月彦の手の上からそっと矢紗美が手を重ねてくる。その手がまたゾッとするほどに冷たく、月彦は両手で矢紗美の手を揉むようにして暖めた。
「……雪、止みませんね」
「そうね。なんだか風も強くなってきたみたい」
強風が車体を時折揺らし、窓ガラスなどはその殆どが白く染め上げられてしまっていた。かまくらの原理でいえば、こうして車体が雪で包まれてしまえば今よりは暖かくなるのだろうか、しかしその場合窒息の危険性が出てくるのではと、そんな考えがぐるぐると渦を巻く。
ぐぅ、と腹の音が聞こえたのはそんな時だった。
「……お腹空いたね」
くすりと、矢紗美が苦笑する。やや斜め後ろから覗き見る分には、その肌には大分血色の良さが戻ってきているように見えた。
「そういえば、お昼食べてから何も口にしてませんね」
「この際だから、雪乃へのお土産ちょっとだけ食べちゃおうか。少しは体も温まると思うし」
「……背に腹は代えられませんしね」
こうなってくると、大量にお土産を買い込んでおいたことが功を奏した。シャチ柄のチョコクッキーやペンギンの顔の形をした饅頭などを矢紗美と二人で分け合いながら口にいれ、腹の虫だけはどうにか収まった。
「……なんだか喉が渇きますね」
「そうね……お酒でもあればいいんだけど、売って無かったのよね」
この際であるから、甘いモノに酒は合わない等と贅沢は言っていられない。
「……あっ、そうだ……忘れてたわ!」
矢紗美が声を上げ、がさごそと土産物の入った紙袋を漁る。中から取りだしたのは、透き通った液体の入った1リットルサイズのペットボトルだった。
「ミネラルウォーター……ですか? 海洋深層水とか書いてありますけど」
「お酒を割る水にいいかと思って買ってみたの。コップはないから、直接口をつけて飲むしかないわね」
「そうですね。矢紗美さん先に飲んじゃって下さい」
「私は紺崎クンの後でいいわ。口紅とかついちゃいそうだし」
「そんなの別に気にしませんけど……解りました、じゃあ先に頂きます」
月彦はペットボトルの蓋を開け、そっと口をつける。慎重にボトルを傾けていき、零さぬように口に含む。
「んぐ……意外と普通の味ですね。海洋深層水っていうくらいですから、しょっぱいのかと思いましたが」
「ミネラルウォーターとして売られてるんだもの、さすがにしょっぱくはないと思うわよ?」
紺崎クンは普段ミネラルウォーターとか飲まないのね――苦笑混じりにそんな言葉を漏らして、矢紗美もまたペットボトルに口を付ける。飲み終えた後そっとハンカチで飲み口を拭うのを見て、月彦は己の配慮の疎かさに遅まきながらに気がついた。
(……っつっても、ハンカチなんか持ってないわけだけど)
そもそも、赤の他人同士というわけではないのだから、そこまで気にする必要はないのではないかとも思う。
(……そうだよな、矢紗美さんとは……何度もしたことだってあるんだ)
しかし、かつて自分が抱いた相手と、今側にいる女性は最早別人としか月彦には思えなかった。
腹は程々に満ち、毛布のお陰で寒さも堪えられない程ではない。車の外から聞こえてくる吹雪の音は強まりこそしていないものの弱くもなっていない。この現状が維持できれば、少なくとも明日の太陽が拝めないということは――朝になって天候が回復しない可能性も無論あるのだが――ない様に思えた。
が、しかし。月彦は今、別の問題に直面していた。
(ヤバい、なにげにこの状態はヤバいぞ)
腹ごしらえ前と同様、矢紗美を包み込むように抱きすくめてその体温を保護しているわけなのだが、ここへきて押さえつけられていた獣欲がムクムクと頭を擡げ始めたのだ。
(……ずっと、なんとも無かったのに)
腹が満ちたからだろうか。それとも日が落ちたからだろうか。密着して、矢紗美の匂いをダイレクトに嗅ぎ続けたからだろうか。
(いや、“状況”のせいか……?)
人間、危機に直面すると本能的に子孫を残さなければと思うようになるという。今の状況がまさしくそれではないのだろうか。
(……とにかく、これはまずい。矢紗美さんから離れ――るわけにはいかないから、どうにかしないと)
このまま密着し続けていたら、血の集まりきった場所を矢紗美に悟られる事になる。デートをするのは構わないが、エッチはなしと自分から言っておきながらそのような醜態を晒すのは堪えられない。そもそも、このような危機的状況において不謹慎ではないか。
(……いやでも、雪山とかで遭難したときって、実際そうやって体を温めるって話……聞くよな)
男と女に限らない。男同士でも、そういった状況に陥った時は裸で一つの寝袋の中に入り、互いの体を摩擦して温めあうと聞く。ならばむしろ、男と女でそのようにして体を温め合うのは至極当然な事ではないのか。
(って、それってまんまいつものパターンじゃないか!)
決して踏み出してはいけない道の方へ誘うような思考の変化に、月彦はぶんぶんとかぶりをふった。振りながら、さりげなくそっと下半身を矢紗美の背中の辺りから引いた。これ以上密着していたら強張りに気付かれそうだったからだ。
「……紺崎クン?」
「………………吹雪、止みませんね」
極力さりげなさを装ったつもりだったが、その挙動の怪しさは伝わってしまったらしい。疑問の声を上げる矢紗美の声に、月彦はそんな呟きで話を逸らそうと試みる。
バッテリーが上がらぬ様、食事をとった後、車内灯は極力つけないようにしていた。その為、車内は殆ど闇一色であり、闇に強い耐性を持つ月彦の目を持ってしても、矢紗美が今どのような顔をしているのかは見えない。
「……ドラマとか漫画とかだとさ、こういう時って……裸で暖め合ったりするのよね」
が、しかし矢紗美のその呟きで、どうやら悟られてしまったらしいと、月彦は感じた。
「……は、裸に……なりますか?」
口にした月彦自身、自分で何を言っているのか解らなかった。これはもう、エッチをしましょうと誘いをかけているようなものではないか。
「……ううん、止めとく。そんな事したら、我慢できなくなっちゃいそうだもの」
しかし、意外にも矢紗美の返事は拒絶だった。
「紺崎クンとの最後のデートに備えて、私だってそれなりに覚悟を決めてきたんだから。…………もし今、紺崎クンとエッチなんかしちゃったら……絶対決心が鈍っちゃう」
「そ、そうですよね……すみません、変なこと言って」
僅かに落胆しつつ、月彦はばつが悪そうに謝った。そうなのだ、矢紗美は真剣に諦めてくれようとしているというのに、自分という男は。
(……畜生、本当に……普通にいいお姉さんじゃないか……)
重ね重ね、月彦は残念でならなかった。初めての出会いからそうであれば、これほどまでに苦悩する事もなかったというのに。
(いや、今からだって……別に遅くは……)
こうして体を寄せ合い、矢紗美の香りを嗅いでいるとそれだけで脳が痺れてくるかのようだった。香水や化粧品の香りではない、純粋な――成熟したメスの匂いはどこまでも甘く、そして扇情的だった。
(矢紗美さんと……シたい……)
“平常時”であれば、或いは我慢が出来たかもしれない。この場を乗り切れば、後は家に帰った後、真央と好きなだけヤれると思えば、堪える気にもなったかもしれない。
(そうだ……これはしょうがないんだ)
よりにもよってな時に、よりにもよってな状況になってしまったのだから仕方がない。
(第一、このままじゃ矢紗美さんが凍えてしまう)
生き残って無事に明日の朝日を拝む為にも、これは必要な事なのだ――月彦の中で、徐々にそんな理論武装が出来上がっていく。
「矢紗美さん……」
まるで熱に浮かされたような声で呟いて、月彦はぎゅうっ、と矢紗美を抱きすくめていた手に力を込めた。
「きゃっ……こ、紺崎クン……!?」
それまで引いていた腰をむしろ押しつけるようにして体を密着させると、矢紗美はたちまち驚きの声を上げた。
「だ、ダメ……! 紺崎クン、止めて!」
またしても意外だったのは、矢紗美が思いの外本気で抵抗を示した事だった。
「お願いだから止めて、紺崎クン……もう、昔の私とは違うの。……遊びで男と寝たりとか、したくないの」
「……でも、矢紗美さん。気温がまた下がってきてますよ。…………このままじゃ、俺は兎も角矢紗美さんが持たないんじゃないかって心配なんです」
詭弁も良いところだった。しかしそうだと解っていて尚止められない程に、矢紗美の匂いは甘く蠱惑的で、月彦の獣欲を焦がさんばかりに焚きつけてくる。
「それに、これは浮気とかそういうんじゃなくてあくまで緊急避難措置です。カルネアデスの板です。生き抜くためにやむなく、って奴です。仕方ないんです」
「か、カルネアデスの板は違う気がするけど……でも……」
「ただ、服を脱いで裸で身を寄せ合うだけです。それ以上の事さえしなければ、何の問題もないんじゃないですか?」
知らず知らずのうちに、まるで敬虔な信徒を誘惑する悪魔のような口調になっていた。これではいつもと立場が逆だなと、まだ僅かに冷静な部分で月彦はそんな事を思う。
「……わ、解ったわ。……は、裸じゃなくて……下着姿までなら…………」
月彦の強引な“押し”に絆され、矢紗美が渋々譲歩する。
「…………そうですね、別に完全に裸にならなくても、それなら十分体温が保持できると思います」
名案だ、とでも言わんばかりに同意しながらも、矢紗美の慎ましやかな物言いに月彦はより一層獣欲が強まるのを感じた。勿論、ただ下着姿で体を寄せ合うだけで満足するつもりなどは元より毛頭無かった。
互いに下着だけの状態になり、月彦は矢紗美の体を背後から覆うようにして身を寄せる――それは思っていた程には、体温の保持には効果を発揮しなかった。むしろ、防寒着を脱ぎ捨てた分だけ体温を逃がしやすくなったような気さえした。
「……やっぱり、ただ服を脱いだだけじゃダメみたいですね」
「そ、そうね……さっきより寒いし……」
腕の中の矢紗美は微かに震えている様だった。月彦はそとなく両手で矢紗美の手を揉むようにして擦り上げる。そう、初めはそうして、あくまで体温の保持の為にしているのだと、建前を主張するかのように。
「……寒いところがあったら言って下さいね。こうして擦れば、少しはマシになると思います」
「う、うん……ありがとう、紺崎クン。……紺崎クンは大丈夫?」
「ええ、俺の方は……熱いくらいですよ」
それは強がりでも何でもなく、事実だった。矢紗美という、美味そうなメスを前にして体の方は完全にやる気を出してしまっているらしく、勝手に臨戦態勢を整え始めた結果体温までもが上昇していたからだ。
「ひっ……こ、紺崎クン……!?」
ぐい、と。下着をつきやぶらんばかりに膨張している肉塊を矢紗美の背に押しつけるように密着させると、そんな悲鳴が聞こえた。
「……この通りですから、俺の事は心配しないで下さい」
「そ、それはよく分かったけど……ンッ……」
矢紗美の手を揉むように摩擦していた手を、徐々に肩から脇、腹へと移動させていく。あくまで、体表面が冷えないよう摩擦しているだけという体裁を保ちながら、さらに腹部から腰、太股へと。
「だ、ダメ……ぁっ……」
闇の中、矢紗美が僅かに吐息を乱し始める。月彦の手を制そうとするかのようにその手首に自らの手を沿えるも、それ以上の妨害は無かった。月彦は手のひらで矢紗美の太股を擦るように触り、そのまま膝、脹ら脛へと動かしていく。
(……矢紗美さんの肌、すべすべだ……)
うなじの辺りに鼻をすりつけ、“女”の香りを胸一杯に吸い込みながら、月彦は久方ぶりにまともに触れる女性の肌の質感に軽い感動すら覚えた。
(すべすべしてて……柔らかい……)
再び手を戻し、太股と腰回りなどを重点的に触る。特にその辺りを触るときが、矢紗美が呼吸を乱すからだ。
「こ、紺崎クン……やだ……そんなに、触られたら……あンっ……!」
匂いを嗅ぐだけに留まらず、月彦はつい目の前に見える耳たぶに唇を寄せ、食んでしまう。矢紗美の甲高い声を耳にしながら、手のほうは下着の上から胸元をまさぐる。
「ぁ、ぁ…………」
声を震わせながら、矢紗美が身を強張らせる。その緊張をほぐすように、再び全身を愛撫する。……矢紗美の体が、徐々に体温を上げていくのが、手のひらから伝わる熱で解った。
「……大分暖まったみたいですね」
そこで一端、月彦は全ての手の動きを止め、ぎゅうと矢紗美の体を強く抱きしめた。耳を澄ませば、外の吹雪の音に交じって微かに荒い矢紗美の呼吸音が聞き取れた。
「も、もう……紺崎クンのばかぁ…………………………我慢できなくなったら、どうしてくれるのよぉ……」
呼吸を整えながら、そんな恨み言を言う矢紗美が無性に可愛く思えてくる。
(……だったら、本当に我慢できなくしてあげましょうか?)
そんな台詞を胸の中だけで呟いて、月彦は再び手を蠢かせる。矢紗美が最も良く反応した、太股とその付け根のあたりへと這わせ、さわさわと撫でる。
「んっ……」
矢紗美の反応を見ながら、それとなく指先を下着のほうへと近づけていく。そして不意にしゅっ……と指先で擦るようにして撫でつけると、矢紗美はたちまち吐息を漏らして反応した。
「だ、ダメ……紺崎クン……」
月彦の右手首を掴む矢紗美の手に、些か力がこもる。が、月彦はそんなか細い妨害は妨害ではないと言わんばかりに、人差し指と中指で下着の上から秘裂を刺激する。
(……湿ってる)
割れ目をなぞるように指を動かすと、その湿り気が途端に増え始めた。
「だ、ダメ……本当に、ダメなの……」
懇願するような矢紗美の声。手首を掴む手の力はさらに強くなるが、月彦は最早指だけでこしゅこしゅと下着の上からその場所を刺激している為、何の問題も無かった。
はっ、はっ……そんな短い吐息を小刻みに漏らす矢紗美の背に、さらに月彦は自らの股間を押しつける。押しつけながら、囁く。
「矢紗美さん。どこか触って欲しい所があったら言って下さいね」
「んァ……! やっ……ぁ、はぁ…………」
下着の上から、矢紗美の最も敏感な場所を指先で揉むように刺激した後、月彦はついと指を引き、また先ほどまでの“ただ抱きしめるだけ”の体勢に戻った。腕の中で、矢紗美がモゾモゾと焦れったげに動く。
「矢紗美さん?」
「も、もぉ……紺崎クンの意地悪ぅ……私が一番触って欲しい場所が何処かなんて、初めから解ってるくせにぃ……」
右手首を掴んでいる矢紗美の手に力がこもる。それは今までとは違い、阻害の為ではなく導く為のものだった。
「クリがいいのぉ……お願い、もっとクリ弄ってぇ……!」
「……解りました。矢紗美さんはおねだり上手ですね」
苦笑を一つ漏らして、月彦は指先をショーツの下へと滑り込ませる。そして、矢紗美の願い通りにぷっくりとした突起へと指を這わせ、優しく弄る。
「ぁっ、ぁっっ、ぁっ……スゴ、い…………自分で触る、より……全然、いいのぉ……!」
「矢紗美さんは本当にココ触られるの好きなんですね」
ならば焦らしてやろう――とは、月彦は考えなかった。むしろ、純粋に感じさせてやりたいと思い、矢紗美が痛がらない程度に愛撫を強くし、時には指先で挟むようにしてコリコリと刺激する。
「きゃっっ……ぁんっ! ぁはァ……やっ……腰、びくびくって……勝手に跳ねちゃう……」
「……凄いですね、どんどん溢れてきますよ。……そうだ、矢紗美さん?」
小刻みに体を震わせながら、クリへの愛撫にすっかり陶酔しきっている矢紗美の耳元へと、月彦は唇を寄せる。
「そんなにクリが良いんでしたら、この前のアレ……またしてあげましょうか?」
「ぇ……アレって……アレのこと?」
「はい。……さすがに三時間コースはきついんでやりませんが、普通にするだけで良ければ」
「そ、それは………………こ、紺崎クンがシてくれるのなら……シて欲しい、わよ……も、勿論普通に、よ?」
どこか強がるような物言いにまたしても苦笑しながら、月彦はシートに矢紗美の体を横たえ――既にとっくにシートは全て寝かせてある――ショーツを脱がせてしまう。そして足を開かせ、香しい蜜泉の突起へと唇を寄せる。
「ぁあんっ!」
ちゅっ、と吸うようにして唇をつけると、それだけで矢紗美は過敏に反応し、腰を跳ねさせた。
「あっ、あっ、あっ……んっ……そこっ、ぁぁっ……吸って、もっと吸って……ぁぁあッ!!」
矢紗美の言葉通りに吸い、吸っては離し、離しては吸いを繰り返しながら、唇で包皮を剥くようにしてくわえ込み、舌先でてろてろと舐め上げる。より矢紗美が体を跳ねさせ、より声を上げる様に。
「あぁっ、ぁっ……やぁっ……そん、な……指、までぇっ……はぁあっっ……やっ、もっ、来るっ……来ちゃうっ……イくぅッ!!!!」
舌と唇で丁寧に淫核を愛撫しながら指で秘裂を弄ると、矢紗美は忽ち声を上げて腰を跳ねさせた。キュキュキュゥと凄まじいばかりの締め付けが指にからみつき、その痙攣にも似た動きがおさまるや、月彦はゆっくりと指を引き抜いた。
「はーっ…………はーっ…………はーっ…………もぉ、年上にこんな声上げさせるなんて……」
暗闇の中で良くは見えないが、口ぶりからして矢紗美の顔は真っ赤に染まっている事だろう。
「ねぇ、紺崎クン……次は私にさせて。……いいでしょ?」
体を起こしながら、今度は矢紗美が妖女のような手つきで月彦の股間をまさぐってくる。勿論、月彦に異論など在るはずがなかった。
「むぐ、んむっ……はむっ……んはっ……んんっ……」
それはさながら、久方ぶりの骨ガムにかじりつく犬のような、貪欲なしゃぶり方だった。
「っ……矢紗美さん、すごく……いいです…………」
月彦は胡座をかき、矢紗美の頭を撫でながら呻くように言った。単純に矢紗美の奉仕が巧いというのもあるが、月彦自身そうやって剛直をしゃぶられるのが本当に久しぶりというのも大きかった。
(だって、今までは真央が……)
それこそ毎日、なし崩しに行為に持ち込んでは乳飲み子のそれのように貪欲にむしゃぶり、精を吸い取る愛娘の所業が妙に懐かしくすら思える。
(あぁ、でもこの感じ……すごく久しぶりだ)
また矢紗美の口戯自体が巧いから、久しぶりという事も相まって余計に感じてしまう。うわずった声が出そうになるのをなんとか吐息として逃がしながら、月彦は完全に矢紗美の口戯に腰砕けになりつつあった。
「んく、んっ……ちゅっ……はっ……ふぁっ……紺崎クンの……いつもより硬いみたい……それに、んっ……ちゅっ……漏れてくるお汁も、いつもより濃いし」
「……それは、最近あんまりシてなくて、溜まってましたから……っ……」
「スゴい……本当にガッチガチね…………惚れ惚れしちゃう」
矢紗美が頬ずりをしながら呟き、さらにぬめぬめと竿に舌を這わせ、そのまま先を窄めて鈴口を抉るように舐めてくる。鋭い刺激に僅かに腰を引くと、矢紗美は先端部分を重点的に攻めてきて、月彦は危うく声を漏らしそうになった。
「や、矢紗美さん……ちょっ、そろそろ、ヤバいです……」
「んっ……いいよ。紺崎クンの好きなときに……んっ……んんっ……」
「いえ……できればその……口じゃなくて、ちゃんと矢紗美さんとシてからイきたいです」
それは理屈ではない、本能的な欲求だった。目の前に魅力的なメスが居て、溜まりに溜まった子種を一も二もなく注ぎ込みたくて仕方が無いという、人間のオスとして至極当然の衝動だった。
「えと……それって……私とシたいって……事だよね」
何を今更、と言いたくなるようなコトを言って、矢紗美は浮かない顔をする。
「……流されてこんなコトまでしちゃってアレなんだけど、紺崎クン……本格的にエッチするのは止めにしない?」
「…………どうしてですか?」
まさかここまできて矢紗美に拒否されるとは夢にも思わず、月彦は純粋に疑問を口にした。
「だってほら、元々エッチはしないって約束だったし…………雪乃にも悪いし……」
「確かに……そういう約束でしたけど……」
ここまでしておいて、さすがにそれは殺生ではないかと月彦は思う。
「それにね、私……決めたの。もう、遊びで男と寝たりしないって。……私のこと、本気で好きになって、大事にしてくれる人としかエッチしないって……決めたの」
「……っ……矢紗美さん……」
本当に、この人は変わってしまったのだと。月彦はこの時ほど強く実感したことは無かった。そしてそう変えてしまったのは他ならぬ自分なのだ。
「……本気で好きになっても、いいんですか?」
それは頭で考えるよりも先に、口から出ていた言葉だった。
「えっ……」
「もし、本気で矢紗美さんの事を好きになったら……矢紗美さんは俺を受け止めてくれるんですか?」
「……や、やだ……紺崎クン、何言ってるの? 紺崎クンには……雪乃が居るでしょ?」
「……少なくとも、今……俺が矢紗美さんを抱きたいって思ってる気持ちは本気です。……先生よりも、矢紗美さんが欲しいって……そんな事を思ったのは初めてです」
「そんな……ダメよ、紺崎クン……そんなの、ズルいわ……んんっ……」
拒否は許さない、とばかりに月彦は矢紗美を押し倒し、その唇を奪う。初めは抵抗をしていた矢紗美も、次第に体の力を抜いた。
「……いいですか? 矢紗美さん」
「だ、ダメ……お願いだから止めて、紺崎クン……」
それは、言葉だけの拒絶だった。獣性がより昂っている為か、暗闇の中でも矢紗美が吐息を乱し肌を上気させ、とろりと蕩けた目で自分を見上げているのが月彦には見えた。
「……すみません、矢紗美さん。ダメだって言われても、俺……止まりません」
「こ、紺崎クン……やっ……」
死ぬ前に、子孫を残さなければ――滾る本能の欲求に従い、月彦は形ばかりの抵抗をする矢紗美の足を強引に開かせ、その間へと体を入れ、剛直を押し当てる。
「だ、だめぇっ……やっ……ぁっ……は、入って……ぐいぐいって、広げられて…………かひぃっ……!」
「ッ……矢紗美さんの中……狭くて、ぎちぎちって……ッ……っくっ……」
体格のせいもあり、窮屈なのは身をもって知って居たが、その分を差し引いて尚いつになく狭く感じた。それこそ、手加減を間違えれば裂けてしまうのではないかと思う程に。
「や、だ……紺崎クンの、いつも、より……硬くて、太いぃ……はぁはぁ……だめ、裂けちゃう……!」
「……大丈夫ですよ、すぐ、馴染みますから……くぁっ……ホントに、締まる……」
これはただ、狭いとか窮屈というだけではない。純粋に、締める力が強いのだ。
「や、矢紗美さん……なんか、凄く……締まるんですけど……もしかして――」
「……うん、ずっと鍛えてるよ。……二度とユルいとか言われたくないもの」
「いや、あれは本当に、ちょっとした嘘のつもりで……っ……ちょっ、矢紗美さん……そんなに……っ……」
ぎゅぬ、ぎゅぬと絞るように締め付けられて、長らく禁欲を強いられてきた身としては堪らず迸らせてしまいそうで、月彦は一端挿入の手を止めねばならなかった。
(ヤバッ……これ、病みつきになりそうだ……)
窮屈というのであれば由梨子のそれも同じではあるが、あちらはまだ成長途中な為かどこか堅さの残る感じがするのに対し――無論、それが逆に良かったりもするのだが――矢紗美の場合は適度にこなれた感じが心地よく、慣れれば多少の無理は利きそうな感触が今の月彦には有り難かった。
「んっ……っ……だめ、ぇ……紺崎クンの……ほんと、硬くて大っきぃ……力、入らなくなっちゃう……」
最早、挿入前あれほど躊躇い、拒絶していたのが嘘のように矢紗美は甘い声を漏らし初めていた。勿論、矢紗美の拒絶など、口先だけであることも月彦は見抜いていたわけだが。
「っ……矢紗美さん、少し……動きますよ」
月彦は矢紗美の腰のくびれを掴み、ゆっくりと抽送を開始する。強烈な締め付けのせいで十分すぎるほどに潤滑油が溢れていても、それでも摩擦による凄まじい快感に声が出そうになる。
「ぁっ、あっ、あっ……! くぅっ、んっ……ぁっ……ぁぁっ……!」
抽送に合わせて、矢紗美が雅に声を上げる。月彦はまだ胸元につけられたままになっていたブラを乱暴に外し、露わになったたわわな塊へと手を伸ばす。成人女性としては平均以上であるそれも、普段から常識はずれな巨乳ばかりを触ってきただけに物足りなさを感じてしまうのは否めない。
が――。
「はぁっ、はぁっ……やっ、むねっ、ぇ……んっ! あぁんっ……!」
胸を揉みしだきながら腰を使うと、より一層矢紗美が背を反らすようにして悶える。その反応を見ているだけで、物足りなさを補って余りある満足感を得ることが出来る。もっと、もっと矢紗美を悶えさせてやりたいと、月彦は上体を被せるようにして口づけをし、そのまま耳へと舌を這わせて食むようにしながら、さらに胸をこね回し、こね回しながら腰を使う。
「きゃぅうっ……はぁっ……はぁっ……ひんっ、んんっ! やぁぁっ……すご、いぃ……太い、ので……ごりごり、ってぇ……だめっ、も、イきそ……」
「奇遇、ですね……矢紗美さん。……俺も、そろそろ……我慢の限界です」
下半身に集まる、はち切れんばかりの熱量を感じて、月彦は掠れるような声で言った。はやく、早くこの濃厚な子種を、目の前のメスに注ぎ込んでやりたい――そんな切羽詰まった思いから、自然と抽送まで早くなる。
「ま、待って……紺崎クン……さ、最後は……外に、出して……」
耳を疑うというのはこの事だった。いつもいつも、ナカに欲しいと駄々に捏ねる矢紗美の言葉とは思えなかった。
「どうしたんですか? 矢紗美さん。……いつもは――」
「い、言ったでしょ……もう、男遊びはしてないって……だから、避妊対策とか、何もしてないの……薬だって飲んでないし……だから、ナカは、ダメ、なの……」
「中はダメ、ですか……」
何故だろう。そう言われれば言われるほどに、中出ししたくてムラムラとしてくるのは。そして、それは最早理性などではどうしようもないほどに強く、月彦の全身を支配しきっていた。
「……どうしてもダメ、ですか?」
尋ねながら、やんわりと腰を使う。――そう、矢紗美が焦れる程の弱さで。
「だ、ダメよ……だって、もし……デキちゃったりしたら……んぅ……」
「……ええ、矢紗美さんの言うことが正しいって事は重々承知してます。…………だけど俺、もう……矢紗美さんに中出ししたくて、堪らないんです……」
ぐり、ぐりと先端を奥に擦りつけるようにしながら、月彦は瀕死の獣のような息づかいで囁く。
「だ、ダメよ……紺崎クン、お願い……ナカは、止めてぇ……!」
止めて、と悲痛な声を上げるわりには、矢紗美の手は月彦の体を押しのけるどころか背にまわりきゅうとしがみつくようにして抱きしめてくる。言葉よりも、そちらの方が本音であると、月彦は思う事にした。
「だめっ、だめっ……お願い、紺崎クン止めて!……やっ……ぁっ……だめっ……そんなっ……ンッ! だめっ、だめっ……だめェ……!」
イヤイヤをする矢紗美を押さえつけ、はぁはぁと息を荒げながら、一心不乱に責め立てる。最後は強烈に締め付け、絡みついてくる肉襞をこじ開けるように先端を膣奥に擦りつける。
「――ッ……!」
どくんっ、と。そんな衝撃にも似た反動を感じた刹那、月彦は反射的に矢紗美を抱きしめていた。
「ぁっ……やっ、出て……ッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
特濃の白濁を注ぎ込むと同時に、矢紗美が声にならない叫びを上げた。そんな矢紗美を抱きしめながら、どぷ、どぷとタップリの精液を注ぎ込んでいく。
「かっ、ふ……………ッに、これぇ……熱いのが、どんどん入って来て……だ、だめっ……こんなのっ……こんな、濃いの、反則……ッ……〜〜〜〜〜ッ!!」
長い射精の間に、矢紗美が二度目の絶頂を迎えたのが月彦には解った。
(……本当に、先生と一緒で濃いのを中出しされるのが好きなんですね)
そして勿論“コレ”も好きですよね、と。月彦はたっぷりと注ぎ込んで尚、全く萎えない剛直でぐりぐりと矢紗美の膣内を抉るようにして“マーキング”を開始する。
「あっっぁっ、ぅ……やっ……ちょっ、……紺崎クン……ぁっ……そ、それ……ダメッ、……ぁぁぁぁぁ………ぁぁぁあああッ!!」
にゅぐり、にゅぐりと特濃の白濁をさらに塗りつけるようにして動かすと、たちまち矢紗美は腰砕けになり、とろけるような声を出しながら達した。
「ふーっ……ふーっ……ふーっ………………矢紗美さん、今度は矢紗美さんが上になってくれますか?」
ぐったりと脱力しきっている矢紗美に、月彦は小悪魔のような口調で問いかける。外から聞こえていた吹雪の音は、いつのまにかすっかり消え失せていた。
一体、どれほどの時間が経っただろうか。
「んぁぁぁあァッ……! んぁっ……奥っ……おくっ……おくぅっ……奥に当たるぅっ……あぁっ、あぁああ!」
胡座をかき、矢紗美の膝の裏を持つようにして上下に揺さぶり、突き上げるとたちまち甲高い声を上げ、ぶるりと体を震わせる。
「そんなに奥が良いんですか。……それとも、こっちですか?」
月彦は一端突き上げる手を止め、そのまま背後から抱きすくめるようにして結合部へと伸ばし、勃起している小さな突起をくりくりと弄る。
「きゃぅんっ……! やぁっ……そん、な……クリ、弄っちゃらめぇ……!」
「でも矢紗美さん、こうして奥刺激しながらクリ弄るとすんごい良い声出しますよね」
くりくりと指先で弄りながら、矢紗美が声を上げて体を跳ねさせる中、月彦はさらに強引に腰を使う。
「やぁっ……ひんっ! あぁぁっ……らめぇっ……そんなっ、一緒になんてぇ……あぁっ、ぁっ、ぁっ、ぁ、ぁ、ぁ……!!!」
藻掻くように暴れる矢紗美の体を抱きしめ、月彦は容赦なくクリを弄り奥を小突き、戦慄かせる。
既に、車内は発情した二匹の獣の発する熱量が充満し、汗が噴き出るほどに暖まっていた。――無論、体を温める事自体が最終目的ではないから、そんなことで二匹のケダモノが(主に♂の方が)止まるわけもない。
「っ……矢紗美さん、そろそろ……」
矢紗美の腰を掴み、ぐいと押さえつけるようにして、剛直の先端を子宮口へと擦りつけ、そのままどくどくと子種を打ち出していく。
「あぁんっ! ……んぅっ! やぁ……また、出てるぅ……んぅ…………だめぇ……こんな、濃いの……妊娠しちゃう……」
嫌、ダメ、止めて――そんな拒絶の言葉を口にしながらも、その実中出しを受けるたびにキュンキュンと喜ぶように締め付け、ぶるりと体を震わせながらイく。
「ふーっ……ふーっ……」
たっぷりと子種を出し終え、肩を揺らしながら月彦は呼吸を整える。そして、再度動き出そうとした矢先――
「ま、待って……紺崎クン……お願い、少し……少しだけ休ませて」
矢紗美が堪りかねたように待ったをかけた。
「……矢紗美さん、もうギブですか?」
「そ、そうじゃなくて………っていうか、どうしていつもそんなに元気――」
まるで怪物を見るような目で見られて、月彦としては甚だ心外だった。
(……矢紗美さんが綺麗で可愛いから、っていうのもあるんですよ?)
口にするとひどく陳腐になってしまいそうで、月彦はあえて胸の内で呟くだけに留めた。
「わかりました。……じゃあ、その代わりに口でシてくれますか?」
まだまだ全然ヤりたりない月彦としては、こうして言葉を交わしている間すらももどかしかった。気を抜けば再び矢紗美に襲いかかり、その体を貪り尽くしたくて堪らなかった。
「……うん、口でいーーっぱい、紺崎クンが腰砕けになるくらいシてあげる」
今度はちゃんと口に頂戴ね?――まるで甘える猫のように、体を擦りつけながら矢紗美は体をずらすと、互いの分泌物でドロドロに汚れた剛直に手を這わせ、丁寧に舐め始める。
「んふっ……んむっ、んっ、ちゅっ……んんっ……」
そして、徐々に激しく、矢紗美が頭を前後させるようにして動き始めると、剛直の根本の辺りにじわじわと焦れったい熱の固まりのようなものが集まり始める。
「っっ……くっ…………」
弱い場所を適切に刺激するその動きに、一気に上り詰めてしまいそうになると、途端に矢紗美が口を離し、れろり、れろりと嘗め回すだけの動きに変わる。そして、そうされる事に焦れ始めた頃に、今度は先端を重点的に嘗め回され、月彦は思わずうわずった声を上げた。
(……ほんと、巧いよな……矢紗美さん……なんていうか、緩急の付け方が……)
巧いといえば真央のそれだが、兎に角イかせようという動きに特化したそれは、焦らしというものはあまり入る余地がない。由梨子の口戯がどちらかと言えば矢紗美のそれに近いが、年期の差かやはり矢紗美の方が上のように思えてしまう。
(……いやでも、アレはアレで凄くいいんだけど……)
普段の理知的な印象が強いせいか、いざ乱れ始めたときの破壊力が凄まじいというのが由梨子の魅力の一つだと月彦は思っていた。
「痛っ…………!」
そんな事を考えていると、不意に歯を立てられ、月彦は強引に思考を中断させられた。
「……紺崎クン、今……雪乃のこと考えてたでしょ?」
「い、いえ……そんな事は……」
「嘘。……こっそり雪乃と比べてたでしょ」
比べていたのは雪乃とではなく、真央や由梨子となのだが、どうやら“誰か”と比べていた事は何故かばれてしまったらしかった。
(……そういや、前にもこんな事があったような……)
女性には、男が他の女性の事を考えているかどうか解るセンサーでもついているのだろうか。
「……ばれましたか。……口でするのは矢紗美さんの方が巧いなぁ、って思ってたんです」
「……よろしい。そういうことなら許してあげる」
矢紗美は歯を立てた場所を労るように丁寧に舐め、唾液を絡めてちゅぷちゅぷと音を立ててしゃぶる。それは、今までのものとは違う、イかせようという動きの前兆だった。
「んっ、んくっ……んんっ……んんっ……んんっ……!!!」
矢紗美が眉根を寄せながら、剛直を頬張っていく。先端に喉奥が当たる感触を感じながら、強烈に吸われ、竿の下部が舐められる感触に月彦もまた徐々に吐息を乱していく。
「……ッ……矢紗美さん、そろそろ……」
「んんっ……んっ……んっ……んむっ……んっ……」
矢紗美は目配せだけで返事をすると、動きをより激しいものにする。ぢゅぽぢゅぽと激しい音が車内に響き、巧みな唇使い、舌使いによる刺激に月彦は堪えきれずに達してしまった。
「んんっ……んんっっ…………ンンンっ……!!」
剛直が胎動するように震え、びゅぐり、びゅぐりと白濁が打ち出されていく。矢紗美はそれらを全て口腔内で受け止め、ごくり、ごくりと喉を鳴らしながらゆっくりと唇を引き抜いていく。
「ンッ……んくっ……ふぅ……あんなに出した後なのに、こんなに濃いなんて……」
「そりゃあ……溜まってましたから」
そういう問題じゃ――と、呆れるように呟く矢紗美を、喋り終えるよりも早く月彦は抱き寄せる。
「……もう休憩は十分ですよね、矢紗美さん」
「あんっ、紺崎クンったら……」
まんざらでもない声を上げて、矢紗美は自ら体をすり寄せてくる。月彦は再び胡座をかいた足の上に矢紗美を乗せ、先ほどまでとは逆の向かい合った形で剛直を埋めていく。
「あぁンッ……ホント、どうしてこんなに……んっぅ!」
苦しげに呻きながらも、矢紗美は両手と両足を背中側へと回してくる。月彦もまた、それを受けて矢紗美の尻を掴むようにして、上下に揺さぶる。
「あっ、あっ、あんっ……あっ、あっ、あっ……! んっ、んんっ……んっ……!!」
眼前で切なげに声を上げる矢紗美に愛しさすら感じて、月彦は吸い込まれるように口づけをする。矢紗美もまたそれを受け、唇を互いに食むようにして唾液を交換した後は徐々に下を絡め、絡め合いながら腰をすりあわせるようにして快感を貪る。
「ふぁっ……ぁっ……んっ……スゴ、いぃ……とろけちゃいそ……あんっ……! あぁっ、ぁっ、あんっ……ぁあっ、んっ……おくっ、おくぅ……コンコンって……やぁっ、そんなに、ノックするみたいに……んぅ……!」
「こうして奥突くと、キュウキュウ締まってすっげぇ気持ちいいんですよ」
太股をふるぶる震わせながら小刻みにイく矢紗美の膣内をこれでもかと突き、時折抉るように腰をくねらせると背中に回した手が爪を立てるようにして藻掻き、一層甲高い声で矢紗美が鳴く。
そのまま何度も、何度も。小刻みにイく矢紗美の小さな体を抱きしめ、痙攣するように締まる膣内を蹂躙するようにして、月彦はどこまでも貪っていく。
「あぁんっ……あぁっ……あぁぁああァッ!!! ……はぁ、はぁ……やっ……も、無理……ほんと、無理ぃ……イき、過ぎて……からだ、力、はいらな……んぁッ!!」
「矢紗美さんが入らなくても、俺の方は全然いけますから安心して下さい」
事実、本当に体に力が入らないのだろう。両腕は辛うじて指先を肩に引っかけるようにしてしがみついているというよりはぶら下がっているという方が正しい状態だった。ただ、それでも――。
「ひィあッ……あっ、あーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
びゅぐりっ、と中出しをすると、その瞬間だけは全身を強張らせ声を上げ、ぎちぎちと全身でしがみついてくる。
「はーっ……はーっ…………はーっ……………………」
しっとりとした肌に玉のような汗を浮かべ、月彦の腕の中で矢紗美がくたぁ……と脱力する。普段の月彦であれば、さすがにそろそろ止めておきましょうか――と、解放したかもしれない。
しかし。
「……矢紗美さん、まだへばっちゃダメですよ」
「あうっ……! こ、……紺崎……クン?」
月彦は脱力しきっている矢紗美の中をこつんと突き上げ、強制的に覚醒させる。
「……まだ、物足りないんです。言いましたよね、…………すっげぇ溜まってるって」
「ぁ……ゃっ……」
困ったような、それでいてまんざらでもないような声を上げて、矢紗美は脱力するとそのまま月彦に体を預けてくる。
二匹の獣はどこまでも、そしていつまでも貪欲に互いの体を貪りあった。
ヤるだけヤった後は、矢紗美と二人毛布にくるまり泥のように眠った。目が覚めたのは、車外からキラキラと目映いばかりに差し込んでくる陽光の量が許容の限界を超えたからだったが、はっきりと意識が覚醒したのはなにやら“音”が接近してくるのを耳にしたからだった。
「……ッ……矢紗美さん! 車の音が……」
傍らで寝ている矢紗美の肩を揺さぶるも、余程深い眠りに落ち込んでいるらしく容易に起きない。
「矢紗美さん! 助けが呼べるんですよ!」
月彦は軽くぺちぺちと頬を叩き、漸くに矢紗美は眼を覚ました。虚ろな目をぼんやりと開けて、同じく車の走る音を耳にするや飛び起きるように体を起こした。
「と、兎に角急いで服を着ましょう!」
考えても見れば、服など着る前にまず窓を開けて車を止めるべきだったのだろうが、幸いなことに音の主は車の側まで来るや勝手に止まった。どうやら、何かあったものと思われたらしかった。
「あのぅ、大丈夫ですか?」
そんな声が聞こえたのは、二人ともギリギリ服を纏い終えた時だった。
「紺崎クンは中に居て。私が説明してくるから」
先に外に出ようとした月彦は矢紗美に制され、やむなく車内へと残った。窓からそっと外を覗くと、大きな黒の四駆が側に停車しているのが見えた。
(…………雪は、思ったほど積もってなかったのか)
昨夜の吹雪の勢いから察するに、下手をすれば車ごと生き埋めになっているのではないかと思ったが、こうして窓から積もった雪の量を見ると道路にはせいぜい十センチそこそこといったところだった。勿論、山肌も全て一面白く染められ陽光を受けて銀色に輝いている様はそれなりに圧巻ではあるのだが。
(……ていうか、車には殆ど積もってない……?)
窓から顔を覗かせて車の根本まで目をやると、車を避けるように雪が溶けているのが解った。そう、まるで車から発せられる熱量によって溶けたといわんばかりに。
「…………………………。」
まぁ、雪国なんかは木の回りだけ雪が溶けたりするもんな、とそんな奇妙な納得をしていると、程なく説明を終えたらしい矢紗美が車内へと戻ってきた。
「エンジン見てくれるって。なんだか、結構車に詳しい人みたい」
「へぇ……それは僥倖でしたね。うまく直してくれると助かるんですが……」
フロントガラスの向こうで若い男がエンジンカバーを開け、なにやら弄っているのが月彦にも見えた。詳しいことは解らないが、その手つきを見るに確かに手慣れた感じはうかがい知る事が出来た。
さわりと、不意に体を撫でる手の感触を感じて、月彦は矢紗美の方へと視線を戻した。
「矢紗美さん?」
「……結局、シちゃったね」
まるで甘える猫のような仕草だった。頭をかくんと月彦の肩に乗せ、すりすりと鼻先を擦りつけるようにして矢紗美は呟く。
「……シちゃいましたね」
そうだ、自分は矢紗美を抱いてしまったのだ――と、今更ながらに月彦は奇妙な自覚をした。
(……矢紗美さんとはシないって……そう決めてたのに)
しかも、いつもとは違い矢紗美にモーションをかけられ仕方なく……というわけではない。完全に自分から襲いかかってしまっただけに、言い訳のしようもなかった。
(……なんか俺、とんでもないこと口走ったよーな……)
昨夜の自分の行い、言動を思い出して、月彦は冷や汗をかいた。いくら性欲に惚けて矢紗美を抱きたくて抱きたくて抱きたくて抱きたくて仕方がない状態になっていたとはいえ、さすがに“アレ”はダメなのではないかと。
勿論、全てが嘘というわけではない。変わった矢紗美が可愛いと感じたのは本当の事であるし、そんな矢紗美に惹かれつつあるというのも嘘ではない。
「……安心して、紺崎クン」
そんな月彦の心の葛藤を読んだかのように、矢紗美がぽつりと漏らした。
「男の言葉が……全部真実じゃないって事くらい、私だって知ってるわ。……その場限りの嘘と、本気の告白の違いくらい、女にだって解るのよ?」
「……そんな、その場限りの嘘ってわけじゃ……」
どきりと心臓を跳ねさせながら、月彦はうわずった声で否定しようとした。その挙動自体が既に嘘だと半ば認めているようなものだった。
「……じゃあ、あの時紺崎クンが言った事、本気にしてもいいの?」
じっと。まるで純真無垢な子供が「サンタクロースって本当は居ないの?」と問いかけてくる時のような、そんな真摯な目だった。月彦はその眼差しの真剣さに堪えられず、咄嗟に視線をそらせてしまった。
「……う、そ。冗談、ちょっと言ってみただけ」
冗談めかした言葉を残して、矢紗美がついと体を離した。月彦はただただ、唇を噛む事しか出来なかった。
「ちょっと、エンジンをかけてみてもらえますか」
気まずい雰囲気を破ったのは、そんな若い男の声だった。はぁい、と矢紗美が明るい声を出して運転席へと移り、キーを差し込み捻るとあれほど難儀したエンジンスタートがたちまち成功し、小気味の良い振動が車内を包み込んだ。
「凄い……本当に直りましたね」
思わず、月彦も感嘆の声を上げた。窓の外に立つ男――角度のせいか顔は見えないのだが――が神々しくすら見えた。
「ありがとうございました、おかげで助かりました」
「ほんと、助かりました! ありがとうございます!」
矢紗美が運転席の窓を開け、丁寧に礼をする。月彦もまた助手席へと移りながら、男に礼を返した。
(……あれ?)
その時月彦は初めて男の顔を見たのだが、美形の若い男の顔が月彦が声をかけた一瞬、ひどく歪んだように見えたのだ。否、歪んだというよりは、まるで睨み付けるような――そんな顔だった。
「この先も結構雪が積もってますから、良かったらチェーンもお貸ししましょうか?」
しかし、それは極々一瞬の事で男はすぐに笑顔を取り戻した。
「大丈夫です。これくらいの雪道なら、ゆっくり走れば何とかなりますから」
「そうですか。ではお気を付けて」
男はハンチング帽を目深に被るようにして車から離れる。と同時に矢紗美が車を発進させ、男の姿は後方へと流れていく。月彦は何となく男の事が気になって、徐々に小さくなる男の姿を見守り続けた。
(……あれ、電話……してる……?)
自分の車にも戻らず、立ちつくしたまま矢紗美の車を見守っていたかと思えば、ポケットから何か小さなものを取り出し耳に当てたのだ。随分遠くなってしまっているから、はっきりとは解らないが携帯で電話をかけているとしか思えないような挙動だった。
(携帯は電波届かなかったんじゃなかったっけか……)
単純にメーカーの差なのだろうか。はてなと、なにやら得心のいかないものを感じて首を捻っていいると、
「紺崎クン、シートベルトちゃんとつけてね。ゆっくり走ってるけど、何があるかわからないから」
「あ、はい。すぐつけます」
どこか棘のある口調の矢紗美に釘を刺され、慌てて月彦はシートベルトをつけた。しかし、頭の中ではいつまでも、男の姿が澱のように残り続けた。
帰りの道中、矢紗美の口数は極端に少なかった。自然と月彦も口数が減り、殆ど無言のまま車は走り続け、最初に待ち合わせをしたファミレスの駐車場へと停車した。
「……これでお別れね、紺崎クン。無断外泊になっちゃってゴメンね、お家の方が心配してると思うから、なるべく寄り道せずに帰るのよ?」
「はい。……無断外泊になっちゃったのは故障と雪のせいですから、仕方ないですよ。……俺の方こそ、約束やぶってあんなコトしちゃって…………」
「ううん、紺崎クンは男の子だもの。異性と二人きりで居てエッチしたい、って思うのはすごく当たり前なコトだし、私の方こそ断り切れなくってゴメンね」
「…………誰でもいいってわけじゃないんですけどね」
月彦にぎりぎり言えるのはそこまでだった。とにもかくにも、矢紗美とはこれでお別れなのだ。そのことに身を千切られるような苦痛を覚えながらも、月彦は意を決して助手席を降りた。
「あっ、そうそう……待って、紺崎クン!」
ドアを閉めると同時に、矢紗美が声を上げて慌てて運転席を降りた。
「これ、忘れ物よ」
「えっ、これは……」
矢紗美が差し出したそれは水族館脇の土産物屋で買ったキーホルダーだった。一応贈り物ということで簡単なラッピングがしてあるそれを、何故矢紗美が持っているのか。
「多分、上着のポケットとかに入れてたんじゃない? 朝、急いで着替えてる時に落ちてるの見つけて、返さなきゃって思ってたんだけど……」
バタバタしててつい忘れちゃって――はにかむように笑い、小さな包みを差し出す矢紗美の姿に、月彦は強烈に胸を締め付けられた。
「雪乃へのお土産とかなんでしょ? 私も水族館のお土産いっぱい雪乃に渡すから、お互い巧く誤魔化さないと大変なコトになっちゃうね」
「……いえ、先生へのお土産じゃ……ないんです」
姉への――という言葉は、矢紗美の笑顔の前に飲み込まざるを得なかった。こんな、今にも決壊寸前のダムの前に立たされているような気分にさせる笑顔を見せられたら――。
「……本当は、今日のデートのお礼に……矢紗美さんにプレゼントしようと思って……買ったんです」
えっ、と。己の口から出た言葉に月彦自身疑問の声を漏らしそうになった。勿論、実際に声を出したのは矢紗美だけだったのだが。
「……私に?」
「はい。……開けてもらえれば、解ると思います」
口にしてしまったからには、もはや後戻りは出来ない。月彦に促されるまま、矢紗美が恐る恐る包装紙を剥がしていく。
「……これ――」
「矢紗美さんは貝殻とかはすぐ割れちゃうから、って言ってましたけど……そういうのなら大丈夫じゃないかと思って買ってみたんです」
それは、ピンク色の貝殻を透明な樹脂で固めたキーホルダーだった。勿論本当は姉への土産のつもりであり、気に入らないと言われれば自分の家の鍵にでもつけようかと思っていたのだが――。
「………………嬉しい」
ぎゅうと、両手で胸元に押しつけるようにして握りしめ、矢紗美は目尻に涙すら浮かべて呟く。
「……ねぇ、これ……本当に私がもらっちゃっていいの?」
「さすがに矢紗美さんが先生に水族館に行ったお土産渡す、って言ってるのに、俺が先生に貝殻のお土産なんて渡せるわけがないじゃないですか。……正真正銘、矢紗美さんへのプレゼントです。今日の……っていうかもう昨日の、ですけど……楽しいデートのささやかなお礼ってことで」
「紺崎クン……」
じぃんとしたものが聞き手の月彦にまで伝わってくるような、そんな呟きだった。矢紗美は片目から既に溢れそうになっている涙をそっと指先で拭う。
「ありがとう、紺崎クン。……私、大事にするね。……一生、大事にするから」
「そんなにありがたがらないで下さい。適当に家の鍵にでもつけて、割れちゃったら捨てるくらいの感覚で使ってくれれば俺は満足です」
これだけ喜んでもらえるなら、姉にではなく矢紗美に渡して良かったと思える。そう、あの冷酷無比な姉に渡したところでどうせ突っ返されるか、松葉杖の先で踏み割られるかの未来しか無いに違いないのだ。
(……でもほんと、矢紗美さん……変わったよなぁ……)
こうして小さなプレゼントを握りしめ、感動するように震えている姿などはとても年上には見えない。勿論背丈の問題もあるだろうが、見ている月彦の方が抱きしめてやりたくて堪らなくなるほどの可愛らしさなのだ。
(……いや、実際……抱きしめたい)
抱きしめて、そしてキスをしたい。体をまさぐって、それ以上のコトをしたい――そんな欲求が、ムラムラと体の奥底から沸き起こる。
「……矢紗美さん」
「えっ、きゃ……!」
それは恐らく矢紗美にとっては不意打ちのような抱擁だったに違いない。
「こ、紺崎クン……?」
まるで初恋まっただ中の少女のように、顔を赤くしながら自分を見上げる矢紗美がもう可愛くて堪らなくて、月彦は考えるよりも先にその耳に囁きかけた。
「……この後、矢紗美さんの部屋に行っちゃダメですか?」
「ぇ……?」
「昨日……あれだけシて申し訳ないんですけど……今度はちゃんと明かりのある……矢紗美さんの体がきちんと見える場所で、じっくりたっぷり体が動かなくなるくらいまでシたいんです」
「そん、な……あんなに、シたのに……」
呆れるような、絶句するような、それでいてまんざらでもないような呟き。そしてするりと、矢紗美の両手が月彦の背へと回ってくる。
「もう、ズルいわ。…………大好きな紺崎クンにそんなコト言われて、私が断れるわけ無いじゃない」
寄ったついでにファミレスで朝食兼昼食をとって、矢紗美の部屋へと向かった月彦の理性は、ベッドまで持たなかった。
「ちょっ……やだ、紺崎クン……んんっ……!」
玄関のドアを閉めるやいなや、矢紗美の小さな体を抱きしめ、唇を奪う。そのままカーディガンの上から体をまさぐり、スカートの下へと手を入れて月彦はハッとした。
「……矢紗美さん、下着……履いてなかったんですか?」
「だって……ぐしょぐしょになって冷たくなっちゃってたんだもの……あんな履いたら風邪引いちゃうし……」
成る程、道理でファミレスに居た時もどこかソワソワと落ち着きが無かったのかと月彦は漸く合点がいった。
(てっきり、矢紗美さんも“その気”になってて待ちきれないのかとばかり思ってたけど……)
考えてもみれば、昨夜あれほどガッツリと犯ったばかりなのだ。そうそう性欲というものは簡単には充電されないものの筈だ。…………一部のケダモノを除いて。
(……そうだ、俺も……あれだけシたら……当分は持つ筈なのに)
今またこうして衝動を抑えかね、矢紗美に手を出そうとしている。まるで少女が大人に憧れて背伸びをしているかのように、微妙に丈の大きなカーディガンの上から矢紗美を抱きしめ、壁に押しつけるようにして再び唇を奪う。
「んくっ……んんっ……ふっ……ちゅっ……んっ……!」
たっぷりと唇を食んだ後、矢紗美に壁の方を向くように囁き、その通りにさせる。腰を掴み、尻を上げさせ、ジッパーを下ろして解放した剛直をスカートの下へと突き立てる。
「ンぁぁああっ! やっ、そんっ……いきなりぃぃ……かひぃっ……!」
「すみません……矢紗美さんが可愛くて……我慢できなくなりました」
ロングニットのカーディガンごとスカートをまくしあげ、小振りな尻を露わにする。小振りながらも、間違いなく成人女性らしい肉付きのそれを揉みしだきながら、月彦はゆっくりと抽送を開始する。
「あぁぁっぁっ、ぁぁぁ……もぉ……紺崎クンの……太すぎぃ……ひんっ!」
早くも足をガクガクと揺らし、今にも崩れ落ちそうな矢紗美の腰を掴み、大きく腰を引いて打ち付ける。
「はぁんっ、あぁんっ……! ぁあっ、……んっ、ぁあっ、だめっ……も、立ってられな……あぁぁあっ……!」
「まだ始めたばかりじゃないですか」
「だって……昨日、あんなにシて……本当はもう、フラフラしてて……あぁんっ!」
「そうだったんですか? 本当に無理なら、今日はもう止めときましょうか?」
確かに、全身から伝わってくる感触として、矢紗美の体が相当に疲弊している事は月彦にも伝わっていた。
(……そういう事なら、断ってくれても良かったのに)
ヤりたいと思っているのが自分だけではそれは異性の体を使ったオナニーに他ならない。月彦は高ぶっていた気持ちが急速に収まっていくのを感じた。
――が。
「……いいの、紺崎クンがシたいのなら……続けて」
「でも……矢紗美さんはもう限界なんですよね?」
「ちょっと……疲れてるだけ。……私は大丈夫だから」
でも、と戸惑う月彦の口を遮るように、矢紗美は言葉を続けた。
「…………紺崎クンの方から誘われる事なんて、滅多にないんだもの。……ひょっとしたらコレが最後かも、って思ったら……ちょっと疲れてるくらいで断るのは勿体ないもの」
「矢紗美さん……」
月彦は再度、感極まって矢紗美を抱きしめた。強く、強く、呼吸すら止める程に。
「ちょっ……紺崎くっ……苦しっ……」
「すみません、矢紗美さん……俺、また止まらなくなっちゃいそうです」
ぐぐんっ、と。矢紗美の中に埋まっている剛直にさらなる力が宿るのを、月彦は感じた。
「ぇっ……ちょっ……やだっ……紺崎クンの……むくむくって……あぁぁ……!」
悲鳴を上げる矢紗美の腰を掴み、月彦は些か乱暴に腰を使う。
「あぁぁっぁァッ! あんっ……ぁぁっ、ぁっ! ぁひっ……ンンッ……! やっ……紺崎くっ……だめっ……もっと、優しッ……あぁあッ!」
眼下で白い尻を震わせて、足をガクガクさせながら悲鳴を上げる矢紗美に耐え難い興奮を覚えて、月彦は遮二無二腰を使う。
(本当にすみません、矢紗美さん……今は、今だけは――)
獣欲のままに犯らせて下さい、その代わりに――そんな事を考えながら、月彦はただただ矢紗美の体を貪るようにして犯す。
(殆ど服を着たまま……ってのが、また……)
月彦は特に着衣したままでの行為には拘らない。むしろ、触れる場所が減るという意味でデメリットのほうが多いとすら思っていた。だがしかし、デート用のお出かけ姿の矢紗美からただ下着だけを剥いだ状態で犯すというのは、予想だにしなかった興奮を呼んだ。
「だめっ、だめぇっ……こんな、こんなの……奥、まで……ゴリゴリってぇえぇっ……壊れ、ちゃう……!」
矢紗美が体を引いて逃げようとするが、勿論逃がす筈もない。さすがにもう立っていられなくなった矢紗美が玄関マットの上に四つんばいのような形で伏せてしまって尚、月彦はその秘裂に剛直を突き立てる。
「はぁはぁ……もぉ……らめぇ……んぁぁああっ! あんっ……ぁっ、んっ! あんっ……ぁっ、ぁっ……ぁっ、やっ……ひっ……ぁっ、あっ……あァーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
予告も何もなく、月彦は奥の奥まで剛直を突き挿れるや、子種をこれでもかと注ぎ込む。注ぎ込みながら、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す矢紗美の体を、そっと抱きしめる。
「ふー……ふーっ…………乱暴にしてすみませんでした、矢紗美さん」
カーディガンの生地に鼻を埋めるようにして、月彦は大きく息を吸った。厚い生地の下から矢紗美の汗の匂いを感じ取り、それがまたムクムクと剛直に力を宿す。
「でも大分スッキリしました。……これで、優しくできます」
「……やさ、しく……?」
同じくぜぇぜぇと呼吸を整えながら、矢紗美がまるで初めて耳にした言葉をオウム返しで呟くように言う。
「はい。後はベッドに行って……矢紗美さんが大好きな甘い甘ぁいエッチをしましょう。もう乱暴なことはしませんから、安心して下さい」
「ちょ、ちょっと待って……紺崎クン……ひょっとして…………まだまだ全然元気……?」
「……“コレ”が答えにはなりませんか?」
ぐぐんっ、と。月彦は矢紗美の中で剛直の存在をアピールするように腰を突き出す。
「ひっ…………ま、待って……紺崎クン……私、本当にもう……疲れて……」
「ええ、ですから乱暴なことはしません。ちゃんと優しくしますから」
「そういう問題じゃ……」
脅えるような矢紗美の声は、無論月彦の耳には届かない。事、エロに関しては一度やろうと決めた事を容易に変えるような繊細な神経をこの男は持ち合わせていないからだ。
月曜日の朝は基本的に気怠く、憂鬱なものだが、月彦はどこか清々しい気持ちでその日を迎えた。
(……なんか、今日は良いことがありそうな気がする)
相変わらず真央とはすれ違い気味で、今朝もまた先に家を出てしまった為一人での登校なわけだが、月彦の心はどこか晴れ晴れとしていた。理由としては、やはり密度の濃い休日を過ごせたからというのが大きかったかもしれない。
(……結局、夜まで矢紗美さんちに居たもんなぁ……)
玄関先でガッツリと犯った後、矢紗美の体をベッドへと運んでそれこそ体が解け合うほどに濃密で甘い時間を過ごし、溜まりに溜まっていた性欲も幾分解消されたというのも清々しさの一因だった。
(……なんだか、縁を切るって話はうやむやになった感は否めないけど……)
それだけが心残りと言えなくもなかったが、これはこれでむしろ良かったのではないかとも月彦は思う。
(…………ああいう矢紗美さんなら、巧くやっていけるかもしれない)
そのように希望的観測を持つ事で、月彦は現在の絶望的とも言える過密スケジュールがどうにかやりくりできる可能性を見いだすしかなかった。真面目に己の行動を振り返ってしまえば、自己嫌悪の海に沈んで二度と浮かび上がれそうな気がしたからというのもある。
(……あとは、真央の事……か)
実を言えば、少しだけ期待はしたのだ。休日に無断外泊などしようものなら、以前であれば玄関のドアの前に立っただけで背筋が凍るほどのプレッシャーを感じたというのに、日曜の夜に帰ってきた月彦にかけられた真央の言葉はただ一言「父さま、おかえりなさい」これのみだった。
(…………やっぱり、俺から謝るべきなのか)
躾のつもりだったとはいえ、意地悪をして悪かったと。しかし父親としてそれはどうなのだろうか。真央を増長させる事にはなりはすまいか。
(……………………さすがにこれは白耀には相談できないしなぁ)
真央が最近構ってくれないんだが、どうしよう――などとは口が裂けても言えない。ましてや、その母親になど論外だった。
(……そうだ、由梨ちゃんなら……)
遠回しに「最近真央の様子ヘンじゃないか?」的な感じで探りを入れる事は可能ではないだろうか。特にここ最近は由梨子と過ごす時間は多い様だから、由梨子としても何かしらの違和感は感じている筈だ。
(よし、久しぶりに帰りにでも由梨ちゃんを誘ってみるか)
自分の教室へと歩みながら、うむりと己の提案に満足する月彦の背に不吉な陰が指したのはその時だった。
「紺崎くん……ちょっといいかしら?」
「何の用ですか、先生。……もうすぐHR始まっちゃうんですけど」
「すぐ済むから。ちょっと座って待ってて」
例によって例の如く、半ば腕を引かれるようにして月彦は生徒指導室へと連れ込まれ、パイプ椅子へと座らされた。そこへきて漸く、月彦の頭に状況把握以上の事を考えるゆとりが生まれた。
(……先生、いきなりどうしたんだ……? そういや、この前の事……)
授業での事を謝らねばと思うも、肝心の雪乃は月彦を椅子に座らせたまま自分は部屋から退室してしまっていた。壁の時計に目をやりながら、ハラハラと胸が落ち着かないのは、決してHR開始の時間が気になるからではなかった。
(……ひょっとして、矢紗美さんとの事がバレたんじゃ……)
そうでなければ、このタイミングでいきなり声をかけられる事はないのではないか。こうして椅子に座らせておいて、刃物を手に戻ってきた雪乃に後ろから喉を掻ききられるのではないかと、そんな想像までしてしまって月彦は小刻みに背後を振り返っては、ドアがきちんと閉まっているのを確認した。
だから、ぱたぱたと小走りにかけてくる足音が聞こえた時にはむしろ安堵すら覚えた。
「待たせちゃってゴメンね、紺崎くん。…………はいこれ、金曜日体育着忘れてたでしょ」
少し呼吸を乱しながら雪乃が差し出したのは紙袋に入った冬用の体育着だった。
「え……体育着……?」
全く予想だにしなかった雪乃からのプレゼント(?)に、月彦は思わず肩掛け鞄とは別に右手に持っていた体育着入れの手提げに視線を落としてしまった。雪乃から紙袋を受け取りつつ、己の持ってきた手提げの中身を確認すると、同じような体育着がもう一着出てきた。
「……あの、先生……俺のはここにあるんですけど」
「……え?」
「ほら、ここ……胸の所に“紺崎”って刺繍入ってますし……第一、俺は金曜日ちゃんと体育着持って帰りましたよ」
「そんな……だってこれ、紺崎くんの席の所にあったのよ?」
わなわなと震える手で雪乃は紙袋を受け取り、そして月彦と同じく胸元にある小さな刺繍――夏用のゼッケンと違い、冬用のジャージには左胸の所に小さく名前自体が刺繍されている――の名前を確認するなり、雪乃の手から紙袋とジャージ一式が力無く落ちた。
「……“静間”って書いてありますね。和樹のだ、これ……」
「そんな……どうして…………」
よろよろと、雪乃は青ざめた顔で後ずさりをして、そのまま壁に凭れるようにしてずりずりと尻餅をついてしまう。
「私……紺崎くんのだと思って――」
そのショックの受け方が、単純に体育着を他の男子のものと間違えただけにしては大袈裟すぎるように思えて、月彦は恐る恐る尋ねてみる事にした。
「………………先生、ひょっとして……忘れ物の体育着で……何か変なことしたんですか?」
「…………っっっ……!!!!」
雪乃はびくりと、バネ仕掛けのように咄嗟に立ち上がり、ふるふると首を横に振った。その挙動がもう、何かをしたと雄弁に語っていた。
「……先生、和樹のジャージで一体何をしたんですか?」
「ち、違うの……私はただ……紺崎くんと仲直りしたくて…………だから……」
仲直り――雪乃の言葉に、月彦はハッと金曜日の出来事を思いだした。
「……そういうことなら、俺も先生と同じ気持ちです。…………先生、あの時は本当にすみませんでした」
モヤモヤと沸き起こるものを強引に押し殺して、とにもかくにも月彦はまず謝罪をすることにした。
「ちょっと……説明がすごく難しいんですけど、あの時はどうしても席を立ちたくなかったんです。……だから、あんなワケわかんない事言って……本当にすみませんでした」
「こ、紺崎くんの様子が変っていうのは、私にも解ったのよ? だけど……それがどうしてなのかわからなくって………………席を立ちたくなかったって、どうして?」
はたと、雪乃に突っ込まれ、月彦はうぐと言葉に詰まった。
「ああっ、そうか。俺のクラス、帰りのHRの時に席替えやったんですよ。だから、前の俺の席があった場所に下がってた体育着を先生が俺のと間違えちゃったんですね」
そうかそういう事だったのかと、月彦は声を荒げ強引に話題を逸らす事にした。
「え……あの席、紺崎くんの席じゃなかったの……?」
またしても、雪乃が顔を蒼くする。そんな雪乃の呟きを受けて、月彦の方こそショックを受けてしまった。
(……先生、一体全体俺の席(だと思いこんで)で何したんですか)
そう口にしたいのは山々だったが、目元に手を当ててなにやら真剣に考え込んでいる雪乃の姿を見てしまうと、それ以上の追求はできなかった。
「……と、とにかく、これは俺が和樹に返しておきますね。……なんか俺がお礼を言うのも変な気がしますけど、和樹の代わりに言っときます。洗濯、ありがとうございました」
「あっ、待って! 紺崎くん!」
では、と退室しようとする月彦の肩を、雪乃ががっしりと掴む。
「あの、先生……本当にもうホームルームが始まっちゃうんですけど」
「解ってるわ、解ってるの……だから、先に用件だけ言うわね。詳しいことはまた放課後話し合いたいから、紺崎くんも今日の放課後は空けといてね?」
「えっ……それはちょっと困るんですけど――」
「あのね、紺崎くん」
月彦の言葉など聞こえていないとでもいうかのように、雪乃が言葉を被せてくる。
「……部活、入ってみない?」
以下、人気投票上位記念のおまけ。
M属性の方のみお読み下さい。
ぴしりと。鋭い音が室内に響く。続いて壁を震わせたのは、悲痛な男の叫び声だった。
「……はぁ……はぁ……雛森先輩……どうして……あぐぅッ!」
男の声は、鋭く震われたムチの音によって遮られた。本物ではない、あくまで“プレイ用”のイミテイションじみた物だが、それなりに痛みも感じるし、本気で打てばみみず腫れくらいは残る代物だ。
そしてそれを手にしている矢紗美は、半ば本気でそれを振るっていた。
「どうして……そうね。どうしてかしら。……リュウ君、解らない?」
ムチの先で、矢紗美はつんつんと男の顎の先を突く。その姿は本皮製のボンテージ――ではなく、部屋着のセーターにミニのスカートなのは単純にそこが矢紗美のマンションのリビングだからだった。
そう、“あの日”の数日後、矢紗美は“仕掛け”を巧くやったご褒美という名目で男を呼び出し、呼び出すなり下着一つになるように命じ、正座をさせた。元々Mの素質がある男は何の疑いもなく矢紗美の言うままにした。その矢先での事だった。
「わ、解りません……だって、ちゃんと……ひぎぃッ!」
また、矢紗美がムチを振るう。男の肩から胸にかけて赤い痣が走った。
「確かに、仕掛けは上々だったわ。ちゃんと元通りに直した所も、私の注文通り。雪が思ったよりも積もらなかった事が計算外だったけど、これはリュウ君のせいじゃない。…………だけどね、携帯電話を使ったのは良くなかったわ」
「で、でも……直美からの電話で、無視したら後が…………そ、それに携帯を使ったらダメだなんて一言も……ぎゃあッ!」
「口答えしない。あと、正座も崩さない」
問答無用、とばかりに矢紗美は立て続けにムチを振るう。男は悲鳴を上げながら、必死に身を竦ませ、正座の体勢を維持する。
ゾクリと。男のそんな健気な様が矢紗美の心に黒い快感を呼ぶ。
「……まあでも、手抜かりはあったけどギリギリ及第点だったのは認めるわ。……だから、ここから先のお仕置きは、半分ご褒美にしてあげる」
くすりと、矢紗美は悪い笑みを一つ零し、戸棚の中からワイングラスを一つ手に取り、その容積の1/3程の所にサインペンで黒い線を引き、テーブルの上に置く。
「……雛森先輩……?」
不安げな、それでいて期待の籠もった眼差しを向ける男の前で、矢紗美は態と焦らすようにゆっくりとした仕草で靴下を脱ぐ。そして脱ぎ終えた靴下とワイングラスの両方を男へと差し出した。
「こっちがご褒美、そしてこっちが……罰」
「え……どういう事ですか?」
「オナニーしなさい。今、ここで」
矢紗美は冷徹に、しかし零れるような笑顔で言い放った。
「靴下はどう使ってもいいわ。但し、出した精液は全部グラスの中にいれること。そしてその線を越えられたら、今回の事は許してあげる」
それはさながら、無垢な少女が手品師に手品をねだるような口調だった。困惑する男をよそに、矢紗美はリビングの椅子へと腰かけ、脚を組む。
「ほら、何ボーッとしてるの。私の断りなしに射精してないんだったら、それくらい簡単な筈でしょ?」
「で、でも……こんな、こんなの無理です……! せめて、もう少し線を下げて……」
「だったら、もう靴下あげるの止めちゃおうかなぁ。私が履いた靴下欲しがってるのって、リュウ君だけじゃないし。次からは他の子にあげちゃおうかしら」
「……ッ……!」
男はハッと身震いして、そして弾かれたように手渡された脱ぎたての靴下を口元へと持っていき、くんかくんかと露骨に鼻を鳴らし始める。そして、躊躇いながらも――ムチで打たれている時からトランクスの下で勃起しっぱなしだった――男性器を取り出し、扱き始める。
「目を閉じない。……きちんとこっちを見ながらしなさい」
羞恥心の為か、目を閉じて行為に耽ろうとする男に矢紗美は鋭く釘を刺す。男はやむなく矢紗美を見上げるようにして靴下の残り香を嗅ぎ、嗅ぎながら自慰を始める。
(ああぁっ……!)
矢紗美は咄嗟にそんな声を漏らしてしまいそうになって、慌てて唇を引き締めねばならなかった。
男というのはなんと愚かな生き物なのだろうか。
(良いわ、すっごく良い……やっぱり、男はこうでなくちゃ)
溜まりに溜まっていた鬱憤が徐々に霧散していく心地よさに、矢紗美は身震いするほどの快楽を覚える。
(……人が履いたあとの靴下欲しがるバカなんて、あんた以外にいるわけないじゃない)
勿論、全国規模で捜せばそれなりにはいるのだろうが、少なくとも矢紗美の交友関係の中ではそのような特殊な性癖の持ち主は眼前の新米美形警官ただ一人だった。
(ふふ……あんなに一生懸命扱いちゃって。……可愛い)
靴下の残り香を必死にかぎ取ろうと鼻息を荒くしながら、必死に男性器を扱く様は滑稽を通り越して健気にすら見える。しかし、だからといって慈悲をかけてやったりはしない。これはある種の鬱憤晴らしなのだから。
「ふーっ……ふーっ……ふーっ………………うっ……!」
男がびくびくと体を震わせて、びゅるりと白い飛沫がワイングラスの中へと迸る。その量を見て、矢紗美は思わず舌打ちをしそうになった。
(何よ、あれ。本当に射精せずに貯めてたのかしら)
白いことは白い――が、どこか薄く、例えるならヨーグルトの上澄み液のような色合いのそれは、先だってしつこいほどに注ぎ込まれたものに比べてあまりにも粗末に見えた。
(しかも、量も……)
一番量が期待できる第一射だというのに、見たところワイングラスに引いた線の1/5にも達していない。これでは何度射精をしたところで、線を越える事はできないだろう。
(……でもこれが普通なのよね)
どこか冷めた頭で、矢紗美はそんな事を思う。このMッ気のある後輩が悪いのではない、あの年下男がおかしいのだ。
「……ちょっと、誰が手を休めていいって言ったかしら?」
矢紗美が言葉に弾かれたように男が自慰を再開する。思案に耽っている間、二度、三度と立て続けに自慰をした男は見るからに疲弊していたが、矢紗美は一切容赦をしなかった。
「……ひ、雛森先輩……すみません、俺……もう……」
男が泣きそうな声で懇願してきたのは、自慰を始めて二時間が経過した頃だった。最早透明な汁すら出ないほどに出し尽くして尚、グラスに引いた線の半分にも達していなかった。
「………………仕方ないわね。……じゃあ、線を越えられなかった罰として、貴方が自分で飲み干しなさい」
ぇ、と。矢紗美の無茶な要求にさすがの男も絶句したようだった。無論、矢紗美は自分の言葉は曲げない。
「ほら、どうしたの。飲むの、飲まないの」
「っ……く…………」
男はグラスの中に溜まっている液体と、矢紗美の顔を口語に見て、意を決したようにグラスに口を付け、一気に煽った。
ゾクゾクゾクゥッ!――男のそんな様を見て、矢紗美は寒気にも似た快楽に身震いする。
「そうよ、……それでいいの。……従順な子は好きよ」
矢紗美は椅子から立ち上がり、男の髪から頬、顎へと優しく撫でつける。
「良い子にしてるなら、また気が向いたときに声をかけてあげる。……いいわね?」
男を帰らせた後、矢紗美はふらふらと玄関を後にし、そのままベッドへと倒れ込んだ。
「……っ……んっぅ……」
先ほど見た、後輩のみっともない自慰に触発されたのか、体が熱く火照り始めていた。その熱気に堪えかねるように、矢紗美は自らの胸元をまさぐり始める。
「はぁんっ……ぁっ……ぁっ……ぅん……」
きゅん、と下腹に痺れるような疼きを感じて、矢紗美はミニスカートのホックも外し、脱ぎ捨てる。
「ッ、……何なのよ……っ……くッ……ン……」
それは、ある種の中毒症状のようなものだった。きゅん、きゅんと下腹が痺れるたびに、脳裏に一人の男の姿が屈辱の記憶と共にフラッシュバックする。
「はぁ……はぁ……なんで、こんな……ッ……」
苛立ち紛れに呟きながらも、矢紗美はショーツの端に指をかけ、片足を抜く。下着が湿っているのは、後輩とのプレイのせいだけではなかった。厳密に言えば、後輩に対して懐いた苛立ちの大半も実はただのとばっちりに過ぎない。
「っ……くっ、ぅん……はぁっ、はぁっ……んんっ……ぁっ、ぁっ……」
秘裂を弄りながら、空いている手でインナーごとセーターを捲し上げ、ブラをずらして胸元を弄る。弄りながら、喘ぎ声の合間を縫うようにして、矢紗美はくっ、と下唇を噛みしめた。
「あァァッ! ンッ……あっ、ンぅ!」
指の動きに合わせて、腰がビクンと撥ねる。矢紗美はさらに蜜まみれになった指で勃起している淫核を弄り、弄りながら妄想に耽った。
妄想の中で、矢紗美は男を踏みつけにしていた。以前、先ほどの後輩にしたようにアイマスクにギャグボールという出で立ちで全裸で拘束されているのは、言うまでもなく自分に忘れられないほどの屈辱を与えた男だった。
「……ったくもぉ……人の気も、知らないでッ……あぁもぅ、ムカツクぅ……!」
自慰を続けながら、矢紗美は毒づく。“優しく、思いやりに溢れた気の良いお姉さん”を演じ続けるのが、一体どれほどストレスが溜まる事なのかなど、あの年下男は知らないのだろう。その溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために、これまたどれほどの労力が必要かなど、無論知るよしがない。
「人が……下手に出てれば……いい気になって……あんな……んぅ……あんなに、濃いの…………はぁぁぁ……あぁぁぁんっ……!」
車の中で、まるで拘束するように抱きすくめられ、特濃の牡液を注ぎ込まれた時の事を想い抱して、矢紗美は声を震わせながらイく。
(違う、違うわ……そうじゃないのよ)
そうではない――矢紗美は必死に、記憶を辿ろうとする己の思考の動きを止める。そうではないのだ、あんな男とのセックスを思い出して自慰をするなど、どうかしてる。
(そうよ、ああいう男は……)
そう、先ほどの後輩同様、拘束して足下に転がして踏みつけにしてやればいいのだ。
(ううん、それよりも――)
ディルドーつきのパンツを使って逆に犯してやればいい。上級者用のイボ付きドリル機能付きのそれにたっぷりとグリスを塗り、散々命乞いをさせた後、慈悲もなく突き刺してやるのだ。
手加減など、誰がしてやるものか。
「あぁッ、ァッ……ぁあッ……あッ、あッ、あァァあアッ!」
己の妄想に矢紗美の興奮は最高潮に達し、ブリッジでもするように腰を突き出しながら声を荒げる。
「はーっ……はーっ…………ンッ…………」
派手にイッたあと、矢紗美は呼吸を整えながら、再び愛撫を、自慰を再開する。目を瞑り、唇をきつく噛んだのは、矢紗美自身薄々気がついているからだった。
そう。あの年下男を組み敷き、虐げ、好き勝手にする妄想を懐きながら自慰をするよりも、過去に抱かれた時の事を思い出しながらする時の方が、遙かに快感が得られるという事に。
(違うわ……違うのよ、これは……違うの)
誰に弁明するでもなく、矢紗美は心の中で否定の言葉を呟く。
屈辱。屈辱。屈辱以外の何物でもなかった。
そもそも一回りも年下の男にいいようにされた事自体屈辱であるならば、よりにもよってその男が妹雪乃の彼氏であるという事も屈辱。そして、その年下男とのセックスが忘れられなくて、自慰に耽ってしまう事も許容しがたい屈辱――だが、それより何より最も矢紗美が許し難いのは――
「んっ、んっ……ンッ……」
先ほどまでとはうって変わった、酷くもったいぶった優しい手つきで、矢紗美は己の淫核を、そして秘裂をなぞるように愛撫する。愛撫しながら、矢紗美は妄想をする。男を犯す妄想ではない、“優しく抱かれる”妄想だった。
(嘘……よ、こんなの……絶対、認めない…………ッ……)
息を弾ませ、顔が真っ赤に染まるほどの恥辱を覚えながらも、矢紗美は己の行為を止められない。鼻持ちならない――それこそ、八つ裂きにして犬に食わせてやってもまだ苛立ちが収まらないほどに嫌いな男が、まるで処女を抱くような優しい手つきで自分の肌に触れ、キスをするという妄想を――否、それは妄想ではない、確固たる記憶だった。
(……絶対、許さないわ………………)
忘れようとしても忘れられないほどに刻み込まれた、甘い記憶。それはあの日、玄関先でまるでレイプでもされるように犯された後の事。
『……矢紗美さんって、時々年上とは思えないくらい可愛く見える時があるんですよね』
そんな事を囁きながら、甘く、甘く。体が溶けてしまいそうなほどに優しく。ねっとりと濃いセックスを半日以上も続けられた。ガッツリとした、ケダモノ同士のそれではない。それこそ、遠距離恋愛を続けていた恋人同士が半年ぶりに顔を合わせ、それまで欠けていた互いの隙間を埋め合うかのような濃密な絡みは、かつてどの男と寝たときも得られなかったものを矢紗美に刻みつけた。
「はぁぁぁっ……ンッ……ぁぁぁぁぁああッ……!」
あまりの快感に、声が震える。全身が紅潮し、汗が雫となって浮き、止めどなく蜜が溢れてしまう。
(違う……違うの……私は、あんなの望んでない……私は、ただ――)
あの男を心底自分に惚れさせ、その上で少しずつ自分好みに調教してやりたいだけなのだ。あんな、あのような――女としての幸せを感じさせるようなセックスは決して求めてはいない。それを認めてしまったら、本当に自分が自分でなくなってしまうような気がして、矢紗美は半ば意固地になって否定し続ける。
「あッ、あッ、ァッ……あァアーーーーーーッ!!!」
否定をしながらも、矢紗美は決して自慰をする手を止められない。妄想と記憶の狭間で、矢紗美は強く抱きしめられ、そのまま優しく、何度も何度もしつこいほどに膣奥を小突かれ、特濃の精液を注ぎ込まれてイかされる。体が痙攣して息が止まるほどの絶頂とその余韻、駄々っ子をあやすような優しいキス――そして最後に囁かれる言葉はいつも決まっていた。
(……っ……認め、ない……!)
そもそも、最初はただの演技だった。“変わってしまった雛森矢紗美”を演じる必要上、セックスもまたそのように振る舞う必要があったのだ。――そう、勝ち気な年上女が実は優しく抱かれるのが好き等という幻想は正しく、甘っちょろい年下男が懐きそうな妄想ではないか。
事実、月彦は矢紗美の演技を鵜呑みにした様だった。そう、そこまではまさに矢紗美の目論見通りだった。しかし、その先が計算外だった。そうして優しく抱かれるという事がまさか本当にクセになってしまうとは予想だにしなかった。それこそ、今まさにこうして唇を噛み屈辱に耐えながら自慰に耽ってしまわねばならない程に。
(……ッッ……絶対、許さない……!)
未だかつて、これほどの屈辱を受けた事は無かった。ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てる指も、恥辱の極みとも言える甘美な妄想も、どちらも矢紗美の意志では止める事ができない。自分をそのようにしてしまったあの男が、憎くて憎くて仕方がない。
(許さない……絶対、許さない、んだから……!)
既にいくつも布石は打ってある。そう、“堕とす”為にはどんな手でも使ってやる。従順な女が好きならいくらでもそう振る舞ってもみせる。涙を見せればいいのなら、何度でも泣いてやる。
(そうやって、骨の髄まで虜にして、そして、そして――)
妄想の中で、矢紗美は尻を掴まれ、体を上下に揺さぶられる。その動きが、徐々に早くなるのは、終わりが近いからだ。“その瞬間”を待ちわびて、矢紗美は妄想の中で必死にしがみつき、キスをねだった。
「ぁっ、やっ……だめっ……ァッ――――」
極限の絶頂に達する一瞬、矢紗美は屈辱を忘れ、はしたないほどに声を荒げた。
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