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霊山太鼓の歴史

350年余りの歴史 霊山太鼓

太鼓の写真

霊山太鼓は、江戸時代寛文年間(※1)が始まりといわれ、信達地方(福島・伊達)で独自の発展を遂げ、継承されてきた伝統ある太鼓で、町内には約60組の太鼓が保存継承されています。
霊山太鼓の特色は、桐の太く短いばちを高く上げ華々しく大太鼓を連打する“曲打ち”にあり、全国的にみても勇壮活発なうえに技巧的で華やかに磨きあげられた祭囃子の代表的な型だと評価されています。
曲目には「通り囃子」や豪快で華やかな「打ち囃子」、しっとりとした「中切り」など変化に富む十数曲を伝えております。
霊山太鼓は、350年を越える歴史があり、代々打ち継がれてきた太鼓でありながら、いつ聴いても新鮮であり、聴衆の心を魅了して離さないのは不思議です。
曲はもちろんのこと、打ち手の姿にもご注目いただければ、伝承太鼓である霊山太鼓のすばらしさが、一層おわかりになるものと存じます。

  • ※1:

    寛文年間とは、江戸時代の寛文(かんぶん)年間で1661年から1673年までの13年間をいいます。1670年(寛文10年)に信達地方の生糸が「登世糸(のぼせいと)」といわれ、京に出荷され西陣織りの原料となり、品質、量とも飛躍的に進歩を遂げました。この頃から、蚕種、蚕糸、織物の分業制になりました。
    掛田生糸(カケダシルク)の取引を通じて、更に磨きあげられてきたといわれています。