チカゴロの呉女 2004.1〜2

2004年1月

1月1日(木) あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします〜。

 29日に旅とお墓参り(年末に義父の命日があるため)から帰ってきました。結婚してから迎える10回目のお正月。
でもそのほとんどを義母の家で迎えていたので、自宅で新年を迎えてお節をつくるのはまだ3回目。過去2回は近所
で買出しをして、田作りもきんとんも手作りしたけど、少人数家族に手作りはかえってムダなこともあるので、今回は
お煮しめと紅白なます以外はすべて買ってくることにしました。ちょうどお墓参りで京都に行くのだから錦で買い物をし
てこよう!と勇んで錦にのりこんではみたものの……。
 義母の家で迎えるときは必ず錦に買出しに行っていたのですが、いつも義母の荷物持ちをやってるだけで、自分の
お財布から買うのは初めてだったから、かなりスリリングでした。途中まで「今まででいくら使った」と覚えていたけ
ど、そのうち忘れちゃって。それで荷物はどんどん増えるし、最後には「こんなにいっぱい誰が食べるの〜
〜?」
それでも帰ってきてから足りないものを買い足して、お重(ちょっと小ぶりの三段。友人の結婚式の引き出物ですが気
に入っています)に詰めてみたら、ちょうどよいくらいでした。大晦日の夜10時過ぎになって「よーし、詰めるぞー」と思
ったら、すでに寝ていたはずのオオアマさま(すごい早寝なんですー)がなぜか起きてきて、「詰めるの手伝うよー」と
言うので、私が切る役、オオアマさまが詰める役。……でわかったことにはオオアマさまの目的は「つまみ食い」だっ
たようで。でも、何のかんのと言いつつ、けっこうきれいに詰めてくれて、本人も満足したようで再びぐっすり眠ってしま
いました。
 私はその後「紅白」の最後くらい見ようかとテレビをつけたら、ちょうどトリのSMAPでした。勝敗は白の圧勝。私は
新聞で曲の一覧を見たとたんに「今年は白」と予測してました。アッタリ〜。それから夜型の私はパソを始めわけ。だ
って一週間もパソに触っていなかったし。旅行の写真の取り込みをしたり。それで現在午前2時。
明日の朝は関西風に白味噌のお雑煮にするつもり。でもこの調子では何時に起きられることやら……。
←元旦の食卓

1月3日(土) 初詣未遂
 例年は京都か奈良で初詣をしてからこっちに帰ってくるのですが、今年はめずらしく地元相模にいるのだから、
模の国の一の宮に初詣に行こう、ということになりました。
相模の国の一の宮って「お・ま・つ・り。」の国府祭のところには出てくるのですが、全国的にはあまりメジャーではな
いでしょうね。寒川神社っていうんです。私の住んでいる地域は古代の相模国高座郡に含まれるのですが、この「高
座郡」というのは今でもほんの少しだけ残っていて、その高座郡寒川町に鎮座する寒川神社。それはどのへんか、と
いえば湘南の平塚や茅ヶ崎、といったらわかる方も多いと思いますが、そのへんから相模川を遡って少し行ったとこ
ろ。相模川の東岸を今だ単線の「相模線」というローカルな電車が走っているのですが、茅ヶ崎から三つ目の駅が寒
川。神社はその次の宮山と言う駅のすぐそばです。
 いくら相模線が単線で不便な電車だからといって、電車で行けばよかったんですけどね。あとで知ったことには海老
名駅や大和駅から臨時バスも走っていたみたいなんです。でも、その後に寄りたいところもあったので車で出かけて
しまったのです。考えてみたら、ウチが車で初詣に出かけたのは初めてのこと。ウチから行くと神社の東の道から入
っていくことになるのですが、この道がひどい渋滞! もちろん初詣客で、です。片道一車線しかない道で逃げようも
ないし、道の左右にチラホラ「駐車場1000円」という看板が出てくるんです。初詣客をあてこんだ民間の臨時駐車場
です。でも、普段あまり車で出かけない、しかもケチな我が家にとって1000円は暴利としか思えず、しかも神社まで
はまだかなりあるし、神社には以前に行ったことがあるけど(そのときはほとんど人などいなかった)駐車場もあるは
ず、とガマンして渋滞に並んでいたわけです。ところがその渋滞の行きついた先というのが行き止まりで、そのすぐ脇
の駐車場に1000円払って駐車するか(それすらも順番待ち)その脇の細い道を通って元の道へ戻るかしか選択肢が
ないんです。
 けっこう気の短いオオアマさまはブチッと切れてしまいまして「やめたッ!」と、その細い道を通って戻り、さっさと次
の目的地に向かってしまいました。というわけで初詣は未遂に終わってしまったわけです。ついでにオオアマさまは
「寒川神社には2度と行かんゾ」とまで言って怒っとります。
 帰ってから寒川神社のホームページを開き、初詣の交通規制や駐車場について書いたページを探したところ、神
社 の東側には無料の駐車場はかなり離れたところに少しあるだけで、主に西側にあったことがわかりました。ただ、
この日は交通規制をしていたため、神社の東から西へ抜けるのにはぐる〜っと遠回りをしなければならなかったので
す。私はオオアマさまほどは怒ってないけど、二人の意見として共通しているのは、現地に駐車場に関する案内など
が全くなかったこと。神社周辺で交通規制をしている、という看板はいっぱい見ましたけど。そりゃ民間の駐車場にと
っては無料駐車場の存在は知られたくないだろうし、神社からすれば民間駐車場は勝手にやってるものだから関知
したくないのだろうけど、そりゃあ無責任ってものでしょうよ。私らとしても「あちらに無料駐車場もありますが、こちら側
からではかなり遠い。こちらには有料駐車場しかありません」と最初から知らせてくれていれば、どちらにしようか、と
か、渋滞にガマンして並んでいないで手前の駐車場にとめるとかの判断をできたというもの。ところがそういう案内そ
のものがなかった、というのが納得いかない。
教訓。初詣には公共交通機関を使っていきましょう!
……で、寒川神社の少し南にある史跡をちょっと見学してきました。そこの住所はかの湘南、茅ヶ崎市なんだけど、
びっくりするほどのどかな場所で牛やら馬やらがいたくらいなんだけど、さすが湘南というべきか、住宅街の中に「湘
南麦酒蔵」というけっこうおしゃれなお店があって(と言うか、店はそれしかないのだけど)そこでお昼を食べてオオア
マさまは機嫌を直し、私も一杯飲ませていただきました。

←「湘南麦酒蔵」にて。飲んでいるのは呉女だけ。飲めないオオアマさまは好物のオムライス(ここのは正確には「オムレツライス」)を。
ちなみに「湘南麦酒蔵」はJR相模線香川駅から歩いて少しです。

1月5日(月) 時代劇三昧
今日から出勤、という方が多いのでしょうね。ウチのオオアマさまも始業式は8日ですが、今日はクラブ活動で出か
けたし、明日も出勤すると言ってるし、実質的には昨日までが冬休みだったかなー。
お正月は「見て、食べて、寝る」だけでした。だいたい例年2日ごろに関西から帰ってきて、3日か4日は私の
実家に行って……てなスケジュールだったから、お正月のテレビなんてめったに見たことがなかったのですが、今年
は見た見た。なにせ2日の10時間ドラマ「竜馬がいく」は全部見ちゃったし(桂小五郎を見ては「あなた、この前薩摩
藩士だったでしょう?」とか高杉晋作さんを見ては「この前、長州征伐に行ってたでしょう?」とかチャチャ入れながら
見てました。楽しかった〜)、昨日は「独眼竜政宗」の総集編の後半と「大友宗麟」を見たし。元旦には「聖徳太子」の
再放送も見ました。年末の草ナギ君の秀吉(「さると呼ばれた男」)も見ちゃったし、「武蔵」の総集編も見ちゃったし
(「大奥」の再放送までは見られなかったなあ……)。時代劇三昧ってとこですな。他に見るもん、ないんかいね(は
い、ないんです)。オオアマさまは私ほど見ていないのに、すぐ「その気」になっちゃう人だから日常会話まで時代劇
調になってるよ! ああ、日曜日の「新選組!」が待ち遠しい……。
ところで「独眼竜政宗」はNHKの「もう一度みたい」番組アンケートで大河ドラマで一位だったそうで。ちなみに二位
以下は「利家とまつ」「秀吉」「武田信玄」「徳川家康」だそうです。……うーん……。二位、三位は最近の作品だから
でしょ。評判の「独眼竜」と「武田信玄」は私は百貨店勤務中だったので観られなかったんです。残念〜。「徳川家
康」は役所広司さんが織田信長役でブレイクした作品ですよね……。それはものすごくよく覚えているのだけど(役所
さん、好きだし)あとは記憶にあんまりない……。つまり、私の「もう一度みたい」とはかけ離れた結果なんだけど、ど
んなもんなんでしょ。

1月7日(水) コミュニティバス
今日はオオアマさまの冬休み最後の日。昨日おとといは出勤していたオオアマさまも最後の1日はゆっくりするかと
思いきや、前日の晩には「仕事のストレスがあまりに多いからお祓いでもしてもらってくる!」なんて言っていながら、
朝になったら熱心に原稿書きをしている。そこに相模国国分寺の話が出てくるらしく、午後には「相模国国分寺跡の
写真を撮りに行こう」ときた。「んじゃ、一緒に行く〜」とデジカメ持って車に乗った。……で、国分寺の話は前にも日記
に書いたことがあるし、長くなるからやめておきます。
 最近、各地でコミュニティバスというのが走っています。たいてい小型のバスで住民の便宜を第一としていて料金
はだいたい100円。海老名市でもこれを秋から走らせているらしく、国分寺跡の前を走っていく。バスの大好きなオオ
アマさまはこういうものを見るとわけもなく乗りたがる。私もそれに同調する。で、1時間に一本しか走っていないその
バスをつかまえて、ちょっとだけ乗ってみました。面白かったのは、中に「情報公開」として、このバスにかかるコスト
のことが掲示してあったこと。現在の乗客数では乗客一人あたり200円以上のコストがかかり、不足分は海老名市が
毎月100万円と少しくらいを負担しているということでした。それはともかく、車をとめている場所まで歩いて帰れるよう
に、あらかじ見当をつけておいたバス停で降りてみたところ、何せ住宅街の中をクルクル回って走っているので、どっ
ちに歩いたらいいのか皆目わからず、しかも思ったよりずっとイナカダッタので、ものすごーく心細くなってしまいまし
た。まあ、結果的に迷子にはならずにすみましたが。
 このコミュニティバス。海老名駅の次のバス停の名が「天平通り」。それが気になって、帰りにそのバス停へ行って
みたけど、「これが?」という何にもない通り。たぶん、その通りの延長上の脇に国分寺の七重塔の復元(今はビナウ
ォークというショッピングセンターに取り囲まれている)があって、そこから実際の国分寺跡の方向にのびている通り
だから、この名があるんだろうな。
←相模国
国分寺の
塔跡
←バス停のデザインは
かわいい。





ビナウォーク(以前は公
園だった)の中の国分
寺七重塔の復元。実際
はもっと大きかった。→

1月10日(土) 私は道子さん?
今日、オオアマさまは勉強会があって外出。私もひょんなことから都会に出ることになりました。その途上、小田急
線の「旧塗装車」に乗りました(見たことはあったけど、乗ったのは初めてでした)。普通の車両なのですが、上部は
黄色で下部が紺色のいかにも古めかしい感じがする「旧塗装車」は昭和30年代後半から40年代前半にたくさん造ら
れた通勤用大型車(2600系というらしい)の最後の生き残りの6両なのだそうで、これが来年度中に引退することに
なったので、昔のカラーに塗りなおしてこの秋から走っているのだそうな。乗った車両は昭和42年に造られたものの
ようでした。そんなに働いているのか〜とも思ったし、私よりは若いじゃん、とも思ったし……。 高度成長期真っ只中
に郊外の人口が急増した昭和史の一端を思いました。デジカメを持ってくるのだったと後悔しました。こういうときに限
ってケイタイも電池切れ。も〜〜。
 なんと帰りにも同じ車両がやってきました。1編成しかないはずなんですけどねー。で、また喜んでしまい、家に帰っ
てオオアマさまに「行きも帰りも旧塗装車だったのよ〜」などと自慢気に話してしまいました(もともとこの車両につい
てはオオアマさまから聞いていました)。フツーの人はこういう車両についてどう思っているのかな? こういうことで
喜ぶ私って道子(鉄道ファンの男性を「てっちゃん」と呼ぶのに対して女性をこう呼ぶそうです)なのかしら? 

 ところで、都会に出たついでに、見たかった「棟方志功展(Bunkamuraにて2月1日まで)」を見てきました。夏に青森
へ行って興味を持っていたからです。ねぶた祭りの絵巻は「ラッセラ〜、ラッセラ〜」と聞こえてくるよう。その近くにあ
った怒った天神様やサモトラケのニケに首をつけようとしている作品も何だか楽しくなってしまいました。気の向くまま
に彫ってるように見える彼の作品も実は綿密な計算の上に成り立っていることもだんだんわかってきました。

1月13日(火) 我が家に光ファイバーがやってきた!
やっとウチに文明開化が……(ToT)。だって今までダイヤル・アップ接続オンリーだったから、遅いし電話料金は気に
なるし、たいへんだったのよー。これで接続時間は気にしないですむようになるけど、節度なくやり過ぎて睡眠不足に
ならないように気をつけないと。
 過去にもADSLを申し込んだことはあるのですが、NTTから「残念ながらお宅のマンションはADSLにはできません」と
いう回答。実際その直後に新聞で読んだことには、ある一時期に建てられたマンションは構造上の問題でADSLを入
れられないのだそうで、たまたまウチはそれに該当していたのです。そのとき「光ファイバーまで待ってください」と言
われて、そんなんいつの話だろう、と思ったのが、時代が流れるのは本当に速いですね。Bフレッツマンションタイプ
入れることがこの秋のマンションの管理組合の総会で決まって、年明けから入れられることになって、今日工事をし
てもらいました。
 ところが設定の段階になって……。もう私のパソコン苦手度のひどさを暴露しますけど、NTTからもらったCD-ROM
の接続ツールで設定をしていたら、途中プロバイダーのIDやらパスワードやらを入力するところで受け付けてもらえな
い。「なんで〜?」とプロバイダーに電話。そしたら「XPなら接続ツールを使うよりカンタンな方法がありますよ」と「コレ
を開いて、ソレのチェックをして、適用を押して……」と懇切丁寧に教えてくださるのを、言われるままに操作していた
ら、いつのまにか設定が出来ていました。速い〜!感激! 「ありがとうございました」と電話を切ったものの、考えて
みたら最初に設定できなかった原因はわからずじまい。そこがなんだか納得いかない。
 だいたいある程度の若さの人は学校なり職場なりで習っているのでしょうけれど、私の大学卒業時にはワープロさ
え普及していなかったのです(卒論だって手書きですよ、手書き!)。ある程度の操作はできるようになっても根本的
なことがわかっていない。そういう人向けの教育の場ってあるかしら?
 私の世代は、たとえば一度仕事を辞めて子育てが終わって仕事に復帰しようとしたとき、職場環境のあまりの変化
に適応できない、以前に得た技術が役に立たない、なんてこともあるわけです。その上、働いていたのがバブルの時
代で(だからって給料が高かったわけでは決してない!)、まさかこんなに仕事のない時代がくるなんて、あの頃に
は想像もできなかったから、けっこう安易に仕事を辞めちゃっていたのです。私の友人には実際に専業主婦が多いの
ですが、そういうことも一因ではないかと思います。

1月16日(金) 新旧交替!
光ファイバーに続いて、我が家に新しいダイニングチェアがやってきました。
 結婚したとき、私がオオアマさまが住んでいたアパートに転がり込んだだけだったので、あまり新しい家具を買った
りはしなかったのですが、ダイニングセットはその新婚当初に買った数少ないモノの一つ。それから10年。座の部分
と本体をつなぐネジがゆるくなったらしくて、何度ネジをしめなおしても、とれてしまって、座がはずれてしまうようにな
ったのです。私にしては座のカバーが汚れると布を買ってきて取り替えたり、一度は中のクッションがボロボロになっ
ていたので、それも取り替えたり……と珍しく手をかけたモノだったので愛着はあったのですが、あまりのみすぼらし
さに買い替えることにしました。テーブルには問題ないので椅子だけ。先日二人で家具屋さんに行ったのですが、い
ざ売り場に行くと、テーブルの色がどのくらいの濃さか、わからないものですねえ。ちょっとシブめのものを買ってしま
ったのですが、置いてみたら思ったよりしっくりときて、安心しました。古いチェアもまだ家にいます。私はまだ一応で
も使えるものはなかなか捨てられない。そういう類いのものが家の中にたまってきたから、そのうち粗大ゴミにごっそ
り出すことになるんだろうな。なんだか名残惜しい……。
 昨日、もうひとつ新旧の交替が。新しいパウ(フラダンス用のスカート)を縫ったのです。おとといの午後にミシンをか
けて、昨日の朝ゴムを入れて、早速昨日のお稽古ではいたら、教室の人たちに「ステキ」「とても1メートル580円の
生地で縫ったとは思えないわ」とえらく褒めていただき、いい気分になりました。パウは既製品を買うと5000円から
10000円くらいするんです。私はチビだからサイズの問題もあるし、縫ったほうがリーズナブル。縫うのは直線をダダ
〜ッだけだからカンタン。フラの世界でパウは私たちを守ってくれる神聖なもののひとつとされています。はくときは足
を入れるのではなく、頭から被ることになっているくらいなんですよ。
旧→新チェア
少しはオトナに
なったかな?
新←旧パウ
冬用にシックにしてみたつもりが、出来上がったら意外に派手でした。

それにしても、自衛隊の先遣隊がイラクに行っちゃった……。小泉さんは「開国か攘夷かのときのように理解しても
らえるときがくるでしょう」なんて言ってるみたいですが、アンタは井伊直弼か! あとから考えたら日本の大きな恐ろ
しい転換点だった……なんてことにならないよう、祈るのみです。

1月20日(火) 推薦入学を考える……
昨日オオアマさまが帰宅するなり、朝ポストから持っていった朝日新聞の朝刊を取り出して、ちょっと興奮気味に「こ
こ、読んで」。それはまさに普段のウチの食卓での会話そのものの内容であったのです。「私の視点」という欄にのっ
た法政大学の川成洋先生の投稿で「大学再生―推薦制やめて全員に入試を」という記事でした。
 この先生はかなりオコッテいました。入学試験を省略した推薦入学が普及してからというものの、「学力が液状化」
している。大学側は少子化時代に学生を確保しないことには成り立たないから、そのために推薦制を使う。もともとは
激烈な大学入試の弊害から推薦制度を希望した高校側も、今では多数が推薦で決まってしまい「遊びモード全開」
だから最後の学期は完全崩壊して悩んでいる。大学入学後も問題山積。これらを克服するために大学はすべての学
生に入学試験を課すべきだ……というのがだいたいの内容。
 今日のネット上にはすでにこれに対する反論が書かれたりもしています。実際少し前の朝日新聞の記事でも推薦
制に対する賛否は半々、記事としてはやや賛成寄りか、と思われましたし。でもウチの夫婦はこの先生の意見に賛
成派。
 今でも一部の難関大学への入試は以前とかわらず厳しいものがあります。そういう大学への推薦制はあっていいと
思うのですけど、それ以外の大学は本当に「生徒を確保するための」推薦制に傾倒し、そのことを知っている生徒た
ちは小手先で「内申点を取ること」だけは考えても、ちゃんと「記憶する」勉強をしようとしない。よく「記憶力より思考
力が大事」というけど最低限は記憶も必要だと思います。その最低限が崩れてしまっているのです。それでも大学へ
は入学できる。それで大学の格差はどんどん広がっていく。そうしたら……。
 オオアマさまが実際に高校で困っている、ということもあります。それ以上に私は20年と少し前、ちょうど推薦制度
が注目され、盛んになってきた頃に入試のない推薦入学をした者の実感として思うのです。受験勉
強はしておくべきだったと。若いときには多少頑張って無理やり記憶することもいい経験です。だって、ある程
度のトシになると、そんなことをやりたくでもできなくなってしまうのだもの……。
 これ以上書くと「オバさんの主張」になっちゃうから、やめとこ。

1月23日(金) フラガールたちの昭和史
昨日のフラのお稽古のあと、恒例のランチタイム。フラガール6人ほどで自分たちの若かりし頃の話に花を咲かせて
いました。メンバーの中では私が一番若くて、40代、50代、60代とバランスのよい世代構成。若いほうは「スカートの
長さがどうだった」とか「ディスコでこんな感じが流行っていた」とか。「サタデー・ナイト・フィーバー」がどうの、グルー
プサウンズがどうの、とだんだん時代はさかのぼり……「私のときなんか、まだ進駐軍がいたわよ。『ギブ・ミー・チョ
コレート』とは言わなかったけど」でヤンヤ、ヤンヤと盛り上がる。最後に一番年上の方(娘さんが私と同じ年だそうで
す)が「私は大陸から引き揚げてきたんです」と。こうなると、もう盛り上がるという話ではなく「私は小さかったからよく
わからなかったけど、軍人だった兄は大陸にいたころは英雄扱いだったのに、戦争が終わって帰ってきたら、全然世
間の目が変わっていて、ずいぶん悩んでいたみたい」……。いっしょに踊っている仲間の中で、どうしてこれほどの差
があるのか、とガクゼンとしてしまいました。もっと若い人がいたら、ますますギャップが激しくなるわけで。そして
争を知っている世代の人に今もっと語ってもらわなければ、未来の世代との断絶がますます大きくなってし
まう……という危惧を感じたのでした。

ところで、今日、また2600系旧塗装車↑1月10日参照)に乗る機会がありました(決し
て旧塗装車をわざわざ待って乗っているわけではありません) それでやっとケイタイで写
真撮ることができました。やった!

噂の(?)旧塗装車→

1月26日(月) さよなら 東急桜木町駅
来月1日から横浜にみなとみらい線という地下鉄(横浜―元町・中華街)が開通し東急東横線が乗り入れするのをき
っかけに、今までJRと併行して走っていた東横線の横浜―桜木町間が今週の金曜いっぱいで廃止になるのです。そ
れで最後に乗りに行こうと、昨日二人でわざわざ出かけていきました。横浜から乗ってこっそり写真でも撮って、そそ
くさと退散しようと思っていたのですが、桜木町駅に着いてみたら、私らみたいな人でいっぱいで、みんなしてシャッタ
ー押しまくり。それが必ずしも「てっちゃん」ばかりでなく、若い女性もけっこう撮ってる。ケイタイで撮る人もいれば、カ
メラの人もいる。電車を撮ったり「桜木町」という行先表示を撮ったり駅を撮ったり、まるでお祭り騒ぎ。それに気をよく
して私たちもパチパチ。皆で去り行くものに労をねぎらい別れを惜しむ。なんとも心温まる光景ではありま
せんか!(……そうかぁ?)
 私たちはその後、歩いて少しのところにある神奈川県立歴史博物館(みなとみらい線が開通したら馬車道駅下車
すぐ)へ行って常設展示を楽しみ(これについて書いたらキリがないのですが、古代では千代廃寺跡出土の鬼瓦とか
が迫力だったし、円覚寺舎利殿内部の復元とか、明治初期の横浜の居留地のジオラマとか、なかなか面白いです)
それから駅にもどって、線路沿いの道を次の高島町駅まで歩いてみました。この道でカメラをかまえているのは、さす
がにてっちゃんばかり(見ればわかります)。高島町駅についてみると、普段はそんなに人のいる駅じゃないのに、こ
の日は消え行く駅に別れを惜しむ人でホームはいっぱいでした。高島町から横浜駅までなんて電車に乗るのがバカ
バカしいくらいの距離だけど、最後だと思って乗りました。オオアマさまは学生時代、横浜に住んでいたこともあるの
で感慨もひとしおのようでした。

桜木町駅で写真を撮る人々。

この光景はもう見られない。

桜木町駅の記念入場券。売り場には列が

1月29日(木) ハリウッド的殺人事件
きのう、「ハリウッド的殺人事件」という映画を見ました。友人とテキトーな時間に待ち合わせてシネコンに行って、
時間的にいい映画の中から友人に見る映画を決めてもらいました。映画をあまり見るほうではない私ですが、自分で
選ぶとジャンルが偏ったりするから、たまにはこういう見方もいいもんだ、と思います。内容はハリソン・フォード主演
のコメディなんですけど、共演のジョシュ・ハートネット(「パール・ハーバー」に出た人らしい)もわりと私好みのいいオ
トコだったし、この2人がオチャラケルわけではなくて、至極まじめそーにおかしな行動やら言動やらをするんです。後
半では手に汗握るカーチェイスがあるんですが、その最中までオカシイ。こういうコメディは好きです。


2004年2月


2月2日(月)  命を見つめた2日間
 いつもオキラクをウリにする呉女にしては、今日はヒトが変わったようなお話。
 この土日の2日間、午前午後びっちり、重度障害をもつ人の日常支援をするためのヘルパー研修に参加してきまし
た。この研修の主催者が高校時代の同級生なのです。彼女のお母様はALS(筋萎縮性側策硬化症)という神経難病
で、彼女は家族だけで介護する限界を感じて、ALS患者の介護支援をする会社を自分で立ち上げたのです。たまた
ま昨年の秋、別の同期生が勤める福祉施設で彼女と久々に顔を合わせたこともあり、私は時間的な余裕のある人
間ですから「今度、研修に参加してみるわ」なんて、正直なところ軽い気持ちで参加してしまったのですが……。
 実際参加していたのは、すでにボランティアなどで介護にあたっている看護系の学生さんたちや、神経難病や介護
に関わりのある仕事についている方、それに家族がALSの宣告を受けて悩んでいるという方など、私のような白紙の
人間がそこにいることが場違いなような気もし、また白紙の人間こそこういう勉強もするべきなのかも、という思いの
中でゆれ動いた2日間でした。
 ALSは運動神経が侵されて、自分の意思で動かせるはずの筋肉が動かなくなっていく病気です。その病気自体で
命を落とすものではないのですが、呼吸する筋肉に及ぶと人工呼吸器をつけなければ生きていけなくなる。人工呼
吸器をつけるとそのケアのために24時間の介護が必要になるのです。実際のALSの患者さんやそのご家族、また介
護者の人たちに接して、たとえ体が動かなくても患者さんの頭の中、心の中は私たち健常者と同じように動いてい
る。身体的な介護をすることはもちろん、その患者さんの「心の宇宙」を取り出し、表現し、実現させることこそ、介護
者の重要な役割なのだ、ということが心にしみてわかってきました。それを「取り出す」ためのコミュニケーション方法
として文字盤による方法をちょっと習ったのですが、もう目からウロコというか……。
 それから印象に残ったお話が、私たち健常者の価値観では早い、効率的、言われなくても時間内にできる限りのこ
とをする、というのがよいこと、とされているけれど、障害者にとってはそれがかえって居心地が悪いことであったりす
るので、健常者の価値観で判断してはいけない、ということでした。私の弟が福祉施設で働いているので、実家でも
福祉や介護の話はよく話題にのぼるのですが、先日「今度研修に行くのよ」と言ったら、母から「アンタみたいなのん
びり屋は意外に合ってるかもよ」と言われたのを思い出しました。今後、そういう仕事をするかどうかも含めて今のと
ころは全くの白紙ですが、こういう障害のことは、まずは健常者も「知る」ことが大切だと思います。今回はほとんどが
講義でしたが、まだ実習の機会もあるようなので、また機会があったら書きたいと思っています。

2月5日(木)  パソ、入院
 そういや先週末、足にコードをひっかけて、棚からノートパソコンをガチャンっ!と落としたのでした。そのときは「なん
かメールソフトの調子がおかしい」と思ったくらいで、そういうことは今までにもないことはなかったし、週末中もオオア
マさまが普通にワードとか使っていたから、さして深刻には思ってなかったのだけど……。
 月曜になったら、いくつかのアプリケーションが立ち上がらなくなっていました。これはたいへんと、バックアップをと
っていなかったデータの保存をはじめたのですが、なんとCDドライブが働かない! 
 火曜日、ドライブのいらない外付けハードディスクを買ってきてみたものの、前日より状況が進んでいて、それを受け
付ける体力もないし、FDを含め「保存」ということがすべてできなくなっていました。プリントアウトもだめ。本当にだん
だん弱っていくんです。ちょうど「命の研修」を受けたばかりだったし、「だんだん機能がおとろえる」って機械でさえも
こんな悲しいことか、と思いました。
 水曜日、もうセーフモードでしか立ち上がらない。バックアップをとれなかったデータはあきらめるしかありません。被
害として一番深刻なのは私のHP作成ソフトだけど、HPそのものはウェブ上に残っているのだから、手間ひまさえかけ
れば復活も可能。でも帰ってこないのはデジカメで撮った写真です。幸い、CDコピーしていなかったほとんどの写真
はまだスマートメディア内に残っていたから、消えてしまうのがそれほど多くはないものの、それでも年末の旅行で撮
ったお気に入りの写真など、惜しいものもあります。オオアマさまは「写真が消えても、旅した事実が消えるわけじゃ
ないでしょ」と慰めてくれましたが。それで最後に何をしたかというと、セーフモードで立ち上げてまだ表示することの
できた写真の画面をまたデジカメで撮りまくったのです。写真としてはボケボケでヘンだけど、完全に消えちゃうより
マシです。
 それで今日、修理の窓口にもっていって「初期化してもよい」という書面にサインもして、入院させました。はぁ〜。

2月8日(日)  房総縦断。久留里線初体験。
 ここのところ、私はパソコン故障のこととか、オオアマもいろいろと……ストレスがたまっていたので、天気もいいし、
旅にでることに。オオアマさまは気晴らしには大好きなバスに乗るに限るということで、まず横浜から東京湾アクアラ
インを渡って木更津へ行くバスに乗りました。
 木更津は以前にも行ったことがありますが、こう言っちゃナンだけど、あいかわらず切なくなる町。アクアラインがで
きて栄えるかと思いきや、逆に木更津の人が東京方面に出て買い物などをするようになってしまったらしく、商店街
は大打撃を受けちゃったみたい。しかも駅前のそごうの撤退。駅から海へ向かう長い商店街はシャッターだらけ。私
は週末しか見てないから平日の様子は知らないけれど、何気ない町でもシャッターを押すのが好きな私も、あの町に
は胸が痛くてカメラを向けられない……夢破れし町
 そんな商店街の中に、なんとフラショップを発見。ちょっと入ってみたら、入り口近くのボディが着ていたパウスカート
にひと目ボレ。ここの店のセンスは私に合うらしく、布地もオリジナルパウも、みんな素敵に見える。で、ひと目ボレパ
ウを買ってしまいました。だって、買わずに帰ったら夢に出てきて後悔しそうな気がしたんだもの……。オオアマさま
はあきれ顔。いいじゃないの、木更津の経済に貢献したんだから。
 つぎにJR久留里線に乗ってみようということになりました。久留里線は木更津から房総半島のほぼ真ん中の上総
亀山まで走るローカルな電車。だいたい一時間に一本。私にとっては前からすごーく気になっていた線なんです。だ
って途中の駅名に「馬来田」なんて地名があるし(壬申の乱で活躍した大伴馬来田を想起する……)俵田という駅周
辺は大友皇子東下り伝説の地で、大友皇子を祀る神社や大友皇子の墓と伝わる古墳(時代は合わないのだけど)、
その上房総半島には十市皇女や愛しのの高市皇子にまつわる伝説も残っているらしいのです。山奥かと思っていた
ら、意外に平地というか盆地みたいなところ。電車の中から二人してキョロッキョロして「これなら車でも歩いても散策
できそう」「お弁当持ってこないと、飲食店はあまりないね」などと、そのうち必ず実行したい散策の下準備
 
いかにも「のどか〜」な馬来田駅。
後ろの山のほうには「鎌足」なんて地名も。

俵田駅から。あっちに「伝大友皇子の墓」があるらしい。
 昨日は俵田の次の久留里駅で下車。「南総里見八犬伝」ゆかりの久留里城がある町ですが、お城までは歩いてか
なりかかりそうだったのでやめて、久留里の名水で打ったおそばをいただき、今度は外房の鴨川へ出るバスに飛び
のりました。オオアマさまが「海が見たい」というんです。東京湾でなくて、ちゃんとした太平洋。そういう心境、わかる
気がします。海を見ることはあっても、砂浜を歩くのはすごく久しぶり。暖かかったから気持ちよくて。打ち寄せる波を
見て「波ってこんな形だったっけ」とフラの波をあらわす振りをやってみる。「頼むから、ここで踊らないで」とオオアマさ
まに懇願されるも、夏になったら砂浜で月明かりを浴びて踊りたいワ、などとすっかり自分の世界に入ってました。

久留里駅にて。電車の通過でタブレ
ットを交換するところ。

久留里の町のあちこちに名水が湧く。

安房鴨川の砂浜にて。向こうに見えるのは日蓮が生まれた小湊あたり
 世の中便利になったもので、以前は南房総ってすごく遠い気がしていたけど、今じゃ一時間に一本鴨川駅前からア
クアライン経由のバスでわずか二時間で東京駅へ着いてしまうのです。電車でも特急なら時間は同じくらいだけど、
料金はバスのほうがずっと安い。ちょうど南房総は花摘みの季節。日帰りができるようになっちゃったことは観光を生
業としている人にとっては必ずしもいいことばかりではないようですが。
 バスと電車に乗っただけで、別に何したわけではないんですけど、こんなのんびり旅もたまにはいい……。私は大
満足なんですけど、企画したオオアマさまのほうは「花摘みくらいしてくればよかった〜」なんて言ってます。

2月9日(月) 「発掘された日本列島2003」展
 昨日は相模原市立博物館の「発掘された日本列島2003」展へ。確か去年も書いたと思うけど、毎年必ず行くことに
している展覧会が、今年は地元で開催。しかも昨日は吉村武彦先生の今城塚古墳に関する講演会があるということ
で、それを楽しみに行ったのですが、講演会の時間ギリギリに行ったら、午前中から並んだ人もいたということで先着
200名の定員はかなり早くいっぱいになってしまったのだそうで、入り口では入れなかった人たちが束になって博物
館の人に詰め寄って怒っていました。博物館の人は「こ、こんなに多くの人が来るとは予想していませんで……」。ど
うも地元の人はギリギリに来るから入れなくて、遠くから来た人のほうが早く来ては入れたらしい。そりゃ、そういうこ
ともあるわよねー。怒る気持ちもわかるけど、しかたないじゃない。……と残念ではあるけど、気持ちを切り替えて、
展示を見ることに専念しました。
 展示スペースは狭いのですが、今城塚古墳から出た巨大な埴輪の数々(私には最近、埴輪の巫女を見ると、どれ
もフラを踊っているように見える……ビョーキだ)は迫力! 実際に現地説明会に行った紫香楽の鍛冶屋敷遺跡の出
土物。私にとって一番興味深く印象的なのは大阪の讃良郡条里遺跡。讃良……そう、さらら様の名前の由来になっ
た、さらら様ゆかりの地の古代祭祀遺跡です。8〜9世紀のものだそうだけど、馬の絵も鮮やかな絵馬やユニークな
人面土器の数々。それに福岡の鴻臚館からの出土物も面白かったなあ……。
 帰りに売店で「日中古代都城図録」なんてもん、買っちゃったよ。連日、出費がかさんで、大丈夫か?

2月10日(火) 女性専用タクシー
 今日は入試の仕事でお忙しいオオアマさまをほっぽって、フラ仲間とハワイアン・スラック・キー・ギターのコンサート
を聴きに行きました。
 その帰り、私にしては珍しく深夜(というほどでもないが)の帰宅。「そうだ、女性専用タクシーに乗ってみよう」。女性
専用タクシーは、ウチの地元のある駅で1月末から2月いっぱいくらい、国土交通省の実験として試みられているので
す。夜10時を過ぎると女性専用の乗車場ができて、女性運転手のタクシーが来るのです。ニュースや新聞にも取り
上げられていたりして、興味をもっていました(現に今日もテレビが取材に来ていたから、撮られたかもしれない)。私
も実はタクシーという「密室」があまり好きではなくて、昼間でも一人では積極的には乗りたくない。女性運転手なら
ずいぶん気が楽になるというものです。でもニュースや新聞記事によれば、女性運転手の確保がむずかしいとか(実
際この実験に参加している女性運転手は7名だそうです)、だからタクシー待ちで並んでいる状況によっては女性専
用でないほうが回転が早いから女性でも利用しない人もいるとか、たまたま女性専用車が来たら女性が優先される
から男性客から苦情が来るとか、女性専用タクシーからすれば途中で客を拾えないし無線もとれないから効率は悪
いとか、いろいろ問題があるそうです。ま、だからこそ、実験をしているわけですけど。
 でも考えてみたら、客の立場で「密室」を恐怖に感じることがあるのとは逆に、タクシーの運転手さんもさまざまな受
難に合うと聞きますから、女性運転手ならもっといろいろな恐怖を味わっているのかも……。そんなことをおしゃべりさ
せていただいていたら、この仕事が7年目という運転手さんは「幸い、あまり怖い目にはあってないです。それにこの
仕事はみんな覚悟してやっていますから……」。燐としたその言葉には、お仕事に対する誇りとか気概というものを
感じて、ちょっと感動しました。そして、タクシーに乗ることに抵抗を感じるということは、男とか女とか関係なくこの方
たちにとっては失礼なことなのかも……と。
 周りの女性に聞いてみると男性運転手のタクシーに抵抗を感じる人と、全くそんなこと感じたこともない、という人と
が真っ二つみたい。私としてはやっぱり女性専用タクシーってあったらいいと思うし、「効率」を度外視しても実現して
ほしいと思うのですが、国土交通省はどういう結論を出すのでしょうか。

2月12日(水) 寒川神社、再び
 パソコン故障で写真の一部が消えてしまった、その実害が出てしまいました。先月、オオアマさまがFDで原稿に添
えた相模国分寺跡やそのほかの遺跡の写真が印刷するには容量が足りないと。こういう写真に限ってスマートメディ
アからも消しちゃった……。
 で、近くなんだから、また撮りに行けばいいじゃん、というわけで、昨日車に乗って海老名と、1月3日に行った相模
線沿線の史跡へ再び行ってきました。また「湘南麦酒蔵」に行ってみると、わずか一月のあいだにリニューアルされ
て、お店の名前も「トラットリアMOKICHI」に。ピザ釜が入ったのが一番の違いみたいです。私たちもけっこう待たされ
ましたが、予約していったほうがよさそうな盛況ぶり。ピザもとてもおいしかったです。
 それでついでだから初詣未遂に終わった寒川神社にも寄ってみることに(だいたいオオアマさまの「寒川神社へは
もう二度と行かんゾ」などという言葉はアテにならんのです)。
 初詣は込んでいたけど、今度はガラガラだろうと思いきや、なんといくつもある駐車場は満車寸前。境内もえらい賑
わいよう。紀元節ということもあるかもしれないけど、そればかりではないみたい。なんだか「八方除け」をしてもらう人
が列をなしていました。「へぇ〜、相模の人って意外と信心深いんだ」と感心してみたり、しっかりした回廊のある立派
な社殿にもさすがは一の宮と感心してみたり。周辺地図などを見てみると、このあたりは梶原景時の屋敷があったあ
たみたいですね。またゆっくり散策……なんて日が来るでしょうか?

「湘南麦酒蔵」改め「トラットリアMOKI
CHI」

相模国一ノ宮、寒川神社拝殿。

ずっと前来たときも食べたけど、門前のお団子はけっこうおいしい……。

2月13日(金) パソコン、また受難
 先日、パソが修理から帰ってきて、また例によってネット接続でモタモタし、またサポートセンターの助けを借りてや
っと接続。は〜っとため息をついてその日は就寝。翌日立ち上げてみると、なんだか調子がおかしい。それで今日、
修理窓口に電話で相談の上、さっそくもう一度持っていって見てもらった。そしたら、やはり「ウィルスですね……」。
つまり、修理に出す前のパソはOSのアップデートを繰り返して、ウィルスに対処できる「オトナ」になっていたけど、修
理から帰ってきて初期化されたパソはアップデート前の「コドモ」に戻っていたから、ネットに接続したとたんに、その
弱点をついて攻撃されてしまったらしいのです。昨年の夏頃にはやったウィルスだということで、幸い他の方にご迷惑
をおかけするようなものではないそうです。ウィルスは駆除 してもらい、帰ってすぐにウィンドウズのアップデートをしま
した。……でももしアップデートをしている間にまたやられたらどうするんだ? 今までもプロバイダーのメールウィルス
チェックサービスには入っていましたが、加えてパソ全体のウィルスチェックサービスにも加入しました。そのサービス
では立ち上げるたびにチェックしろ、とのことですが、そのくらいの用心深さは必要なんだな、と痛感しました。

2月15日(日) 中世の女帝観
 神奈川県立金沢文庫の「寺社縁起と神仏霊験譚」という企画展を会期終了直前の昨日見に行きました。寺社縁起
というのは江戸期くらいになると観光ガイドみたいになってくるし、とても面白いのですが、ここではちょっと気になった
縁起を二つ。一つは鎌倉時代に書かれた『興福寺涅槃会縁起』。興福寺のある僧が孝謙天皇の寵愛を拒んで左遷
された、という話が出てくる。道鏡とのことがあるから、他の僧とも……ということでしょうか? もうひとつ、やはり鎌
倉時代の『善光寺縁起』。善光の息子が地獄に行ったところ、皇極天皇が羅刹に攻められているのを発見し……とい
う話。「ちょっとひどくない?」と私は憤慨してしまいました(笑い)。一人の女帝も生み出さなかった中世には、こういう
女帝観があったということなのでしょうか?
 このあと、金沢八景散策をしました。野島の展望台からの眺めなど、とても気に入りました。伊藤博文が明治憲法
を作った場所も(てことは、女帝を否定した皇室典範もここで生まれたのか……)。最後にシーサイドラインに乗った
ら、八景島シーパラダイスのキャラクター、シーパラシー太のぬいぐるみが電車を運転していたのに大ウケ(シーサイド
ラインは運転席はあるけど、自動運転なので、運転席にいるのがぬいぐるみでも呉女でもちゃんと動くのです)。春一
番の吹く海辺の町を歩いたので風に飛ばされそうになったり砂ぼこりだらけになったりしましたが、楽しい散策でし
た。このコースはオススメなので、いつか書こう(と思っている場所がいくつあるやら)……。

金沢文庫のある称名寺

野島の展望台から

運転席にいるのは……

2月20日(金) 春はもうすぐ 
 最近、2月にしては異様に暖かいです。このまま春がきてくれればいいのですが、また
そのうち寒くなるんだろうな。今日は実家へ行きました。この時期、ときどきニュースなど
でも紹介される国立駅の早咲きの桜。今日見てみたら、周囲に建物ができたりして、なん
だか窮屈そう……。昔はもっとのびのび咲いていたような気がするのに……。
で、ウチの両親はせっかくあたたかくなってきたのに、わざわざ寒いところへ旅行に行くの
だそうです。母は新潟出身だからよしとして、父はものすごい寒がりで「冬に寒いところに
行くなんて」という人だったはずなのに、どういうわけか最近は平気らしい。なんでもいい
けど、温度差には気をつけて、無事に帰ってきてね。

国立駅の桜。ケイタイにて→

2月22日(日) 南禅寺と松下村塾
 昨日は上野の東京国立博物館で開催中の「南禅寺展」へ。なにせウチは南禅寺の檀家なので、半ば義務感みた
いなものもあって……。とはいえ、さほど派手な企画とも思えないのに、会場には人がいっぱい。それに思ったよりず
っと面白かったです。南禅寺を開いた亀山法皇の700年御忌記念展ということで、南禅寺としても力を入れたというこ
ともあるのでしょうが、展覧会としての構成がとてもわかりやすく「ここでは何を見せたいのか」というのがはっきりして
いたのが、とてもよかったと思います。それで有力寺院というのが「宗教施設」という枠には収まらない、学問文化の
センターであり、外交の拠点でもあり……という姿が浮かびあがってきました。特に南禅寺は京都五山のそのまた
上。しかも家康の側近、金地院崇伝の存在……我が家はその金地院の檀家なんですけど、考えるとすごい寺なん
だわ、ウチらしくないわ、とちょっと戸惑い。展示物では復元されたビーズ細工の「瑠璃燈」が話題ですけど、私は崇
伝が秀忠に出した草稿のひとつという「武家諸法度」に感激。オオアマさまも出口で待ち合わせしていたのに、なか
なか出てこないから「どうせ武家諸法度をスミからスミまで読んでるんだろうなあ……」と思ったら、案の定。待ってる
間に売店を覗いていたら、「南禅寺オリジナルグッズ」なるもの、しかも五右衛門をモチーフにしたヤワラカイものがあ
ったりするのに、檀家としてはチトびっくり。

 帰りに用事があって、東急世田谷線という線に初めて乗りました。もとは路面電車だったであろう二両編成の小さ
な電車ですが「乗ったことがない」ということがどうも気になっていたので(なんで?)とても嬉しくて。「ちょっと寄り道し
よう」と松陰神社前の駅でおりて徒歩3分の松陰神社へ。ここに吉田松陰を祭神とする神社があり、松陰先生のお
墓もあるらしい、ということは知っていたけれど、本殿の横に松下村塾の復元があることまでは知りませんでした。
オオアマさまは「いくらなんでも、実物はもっと大きいんだろ?」。私は小学生のときに萩で松下村塾を見たことがあっ
て、その印象は忘れられません。まさにその思い出どおりの「小屋」でありました。「そうか、松下村塾ってこんなに小
さいのか……」とオオアマさまは感慨深げ。そして驚いたのが、夕暮れどきのこの神社に、次から次へと人が現れ、
お参りしていくことでした。幕末ブームだからかしら?
それにしても、先週は伊藤博文ゆかりの地へ行ったし、近々桂小五郎ゆかりの地へ行く予定もあり。その前にも…
…。最近、なんだか長州藩づいているなあ。

三軒茶屋駅にて東急世田谷線

松陰神社

復元、松下村塾

2月23日(月) 考古学者になればよかった……
 昨日は地元の文化財団主催の考古学講座に二人で参加しようと申し込んであったのに、呉女は朝から頭痛でとて
も行く気になれず(今はもう治りましたけど)、オオアマさまに一人で行ってもらいました。帰ってきてから話をきいたと
ころでは、地元の話半分、考古学の基礎の話半分で、受講生は130人くらい。けっこう楽しかったようです。基礎の講
座で持って帰ってきたのが、それぞれ少しずつ形が違う図式化された土器の絵が描かれた17枚のカード。考古学の
相対年代をどうやって決めるか、という話で、少しずつの変化を読み取って17枚を時代順に並べ替えるという、考古
学の基礎実習に使われるというものでした。「なかなか17枚全部を正確に並べるのは難しいみたいだよ」というオオ
アマさまの言葉に、頭痛そっちのけで闘志を燃やした呉女は、早速「時代順並べ」に取り組んでみました。5分後、解
答を見たら、全問正解。「えっ、全部並べられたの? すごいじゃん……」。 私って、考古学の才能があったのかも
……(単にパズルとかの類が好きなだけじゃないの?)

   
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