国府祭(こうのまち)
            大磯町(神奈川県)          2002年5月5日

 いつもなら、ヨソにでかけてしまうゴールデンウィーク。今年はたまたま家にいたので、地元相
模の国、湘南の大磯町に伝わるお祭り、国府祭に行ってみました。

  臨時駐車場の看板には「こくふさい」とありましたが、正しくは「こうのまち」と読むようです。
毎年5月5日に催されるこの祭りは、文字通り、律令時代(おおよそ奈良平安時代)の「国府」
(現在の県庁にあたる)に由来します。律令時代大好きのオオアマさまと呉女は以前から一度
見てみたかったお祭りです。

  国府祭の起源  都から国府に派遣されてくる国司(現在の県知事)の神社にかかわる仕
事として、巡拝と班幣(はんへい)というものがありました。
  班幣は国府の近くに斎場を設けてその国の神社の神主を集め、幣帛(へいはく、神への捧
げ物)を奉る神事を行うものでした。巡拝は有力な神社を国司が参拝して回るものでしたが、日
数も費用もかかるので、次第に巡拝する各神社の分霊を国府に近い神社(総社)に納め、総社
に参拝することに変えられていきました。この総社に分霊を納める祭祀と、班幣の神事が「国
府祭」の起源だそうです。

  その班幣神事の斎場にあたるのが、この祭りの行われる神揃山
(かみそりやま、かみそろいやま)。今もって神の揃う山なんですから、
面白いですねえ。山と言っても丘くらいの高さですが。正午前、山にの
ぼってみると、大勢の人が集まっている中に各社の神の依り代(よりし
ろ、神が降りる所)がありました。                     
  このすぐ側に、この日5つの神社から集まってきた神輿が鎮座し、
その脇の一角で正午から、この祭りのクライマックス「座問答」が始まり
ます。

  座問答  座問答とは、言ってみれば神社の社格争いです。
  巡拝では国内でもっとも有力な神社から順番に参拝することになっていたようで、この順番
が平安時代後期以降には一宮(いちのみや)、二宮……という社格になっていきます。相模の
国では一宮が寒川神社、二宮が川匂(かわわ)神社ということになっていますが、当初、この二
社の間で「我こそはこの国でもっとも有力な神社である」という争いがあったわけです。この争
いが儀式化されて神事として残ったのが座問答です。
といっても、実際に問答をするわけではありません。
寒川、川匂それぞれの宮司が神前に神の座を意味する虎の皮を置きます。そして片方の宮司が虎の皮を無言で前に進める(これが「我が社が一番だ」ということを表している)と、もう片方に宮司も負けじと自分の虎の皮を前へ進める。これを3回繰り返します。
  すぐ後ろには比々多神社(三宮)、前鳥(さきとり)神社(四宮)平塚八幡宮(五宮)の宮司が控えていて、三者が相談して仲裁に入る、ということになってます。そこで、3回の無言の問答の
後、比々多神社の宮司が前へ進み、「いずれ明年まで」と高らかに宣言し
ます。これで円満解決ということで、座問答は終わるのですが、この「い
ずれ明年」が現在まで続いてしまっている、ということでしょうか。

  ということで、座問答は始まればあっという間に終わってしまうものなの
ですけれども、「いずれ明年まで」と聞くと、なぜか観客(?)からは歓声と拍
手がわきおこるのです。気がつくと、呉女も心からの拍手をしていましたか
ら不思議なもので、なんだかあったかいお祭りです。
 
  95年の「神社巡り」の時にも、この神揃山にはのぼってみたのですが、その時はお祭りの
賑やかさがうそのように静かな山でした。桜の時期はピンクに染まってきれいなのだ、と地元
の人たちが話していました。  
  その神揃山をおりて、案内図を頼りに総社である六所神社へ行ってみようと少し歩きまわってみたのですが、なぜか道に迷い、そのうち空腹に耐えられなくったので断念しました。
これは95年に行った六所神社の写真です(このときは迷わなかったのですが)。このあたりの住所は「国府本郷」とか「国府新宿」とか、いかにも相模国府があったという地名が残っています。

 さて、近くのおそば屋さんで空腹を満たしたあと、もうひとつのお祭り会場である、馬場公園、
大矢場祭場へ向かいます。公園や周辺にはたくさんの出店が並び、各神社のお囃子が競い
合って、とても賑やかです。班幣の斎場の神揃山に対して、こちらは総社に各社の分霊を納め
る祭場。1時ころ、六所神社のお神輿が到着します。行列には平安装束で「相模国司」ののぼ
りをもった大磯町長さんも参加しています。
鷺の舞  1時半に舟形舞台の上で鷺の舞が始まりま
す。天下泰平を願う「鷺の舞」、五穀豊穣を願う「龍の
舞」、災厄消除を願う「獅子の舞」からなり、それぞれを
頭にかぶって優雅に舞うのですが、これは平安貴族が
庭の池に船を浮かべて酒宴を開く時の舞(それで舞台
が船の形)で、相模には国司によって伝えられた、という
ことのようです。明治以降途絶えていた鷺の舞は近年
になって復興したということです。
 お祭りは、これから五社の神輿が祭場に集まって神事を行い、それぞれ帰っていくところまであるので夕方まで続きますが、みどころは座問答と鷺の舞ということなので、ここで私たちは帰途につくことにしました。
駐車場に向かう途中、神揃山からで祭場に向かう五社の神輿と出会いました。後ろにあるのが神揃山です。


  このような国府のお祭りは各地にあったのだそうですが、国
府の機能がおとろえると次第に廃絶していきました。そんな中で相模の国にこの祭りが残った
のは、相模には鎌倉幕府ができて保護を受けたからだと言われています。
 この日は5月にしては太陽の照りつけるとても暑い日だったのですが、古式ゆかしい神事に
ふれて、相模の国の住人であることが、ちょっとは自慢に思えた一日でした。

アクセス
私たちはで行きましたが、小田原厚木道路の大磯インターを出て、少し道なりに走ると看板もあるし警備員さんもいるのですぐに会場にたどり着けました。場所としては大磯プリンスホテルの内陸側、東海道線と新幹線の間という感じです。
電車・バスの場合はJR大磯駅から二宮駅または国府津駅行きバスで「国府新宿」下車、徒歩15分。普段はもっと近くまで行くバスがあるのですが、お祭りの日はなくなるようです。
  
(2002年7月記)

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