2002年7月14日 本能寺跡 〜おやかたさま〜!!〜
普段は大河ドラマの再放送まで見ないのですが、昨日は見てしまいました。「本能寺の変」。
小学生のときから大河ドラマを見ている私は何度も本能寺の変を見ているわけですが、反町く んの信長は姿かたちからして信長のイメージぴったりで、初回から気に入ってました。役作りも
京都ってこういう石標を探して歩くだけでも楽しいです。
2002年7月22日 箱根旧街道 〜おすすめハイキングコース〜
湯本から途中まではバスで。私たちは鎖雲寺から歩きましたが、一般的にはもう少し上の畑 宿から歩く人が多いかもしれません。呉女が歩いたのは結婚間もない今に比べりゃ若かりしこ ろなのですが、それほどきついコースではないと思います。また歩きたいと思いますもの。歩い たあとに芦ノ湖畔で食べたカツ丼はやたらおいしく感じたなあ〜。その上温泉に入って汗を流 せば、最高ですね。 2002年7月25日 薬師寺展 〜「持統天皇千三百年玉忌」〜
そのために奉納されたものなど、けっこう新しいものの展示が主で、それはそれで新鮮なので すが(平成の十大弟子像など)古いもの、特に奈良時代のものは私が見た限り2点、東塔初 層支輪板と菩薩像頭部だけ。見どころは、さらら様が天武天皇の七回忌に奉納した大講堂 の本尊で16世紀に焼失した「阿弥陀三尊繍仏」復元図。新しい講堂に飾るべく今当初の大き さのものを復元中なのだそうで、今回の展示はその前の段階の1/9の大きさの図。復元され るのは本当に刺繍でできているのかしら? だとしたら楽しみ〜〜。それから小倉遊亀画伯 の「天武天皇像」「持統天皇像」も神様のごとく展示されていましたが、その前で、やっぱり自 分のホームページに「さらら紀行」と名づけ、ダンナのことをオオアマさま(天武天皇の名にちな む)と呼んでしまうことはやはりおそれ多過ぎたなあ……と反省してきたのでした。 2002年7月29日 因幡国府 〜万葉集最後の歌が詠まれた地〜 「鳥取県に研修で行くことになったんだけど、前泊しなきゃなんないから一緒に行かない?」と いうオオアマさまの誘いに、「そんなお金がどこにある〜」と一瞬頭をよぎったものの、「鳥取」と いう誘惑には勝てませんでした。それで今、鳥取に来ています。
見てオオアマさまは今にも逃げ出しそうでした。今日は研修へ出かけるオオアマさまを見送っ たあと、炎天下、自転車でこの周囲を一人で走ってきました。 「珠玉の町」第2段は鳥取です。タイトルは「ある采女のふるさと」。いつアップできるかな? 「珠玉の町」たちのほうはまだできあがりませんが、ここで詠まれた大伴家持の歌については「私のイチオシ万葉歌」 の2回目で紹介しています。 2002年12月 2002年8月16日 大文字五山送り火
映像で見るとただの灯りに見えますが、実際に見ると火が燃えているのがわかるし、消えてい くときの風情がまたいいのです。こんなに暑いのに、あの火を思い出すと、ああ夏も終わるの かな、という気分になってしまいます。 2002年8月18日 賤ヶ岳古戦場 〜「利家とまつ」クライマックス〜
か風情のあるところです。琵琶湖といってもこの辺りは北陸に近く、冬はスキー場があったりす るので、関西の方にはなじみがある地域なのかもしれません。 2002年8月19日 北の庄城跡 〜勝家とお市の終焉の地〜
たんでしょうね、この二人は。 2002年8月28日 「飛鳥・藤原京展」その1 昨日、上野の東京都美術館で開催中の「飛鳥・藤原京展」(9月29日まで、秋に宮城、冬は四 日市で開催)を見に行ってきました。 この展覧会は明日香に日本の中心があった、仏教公伝の時代から初の本格的都城「藤原京」 ができるさらら様(持統天皇)の時代までを通観するもの、つまり呉女が大好きな時代とドンピシ ャリなのです。ものすごく目新しい展示物があるわけではないのですが、その時代がよく整理さ れ、網羅されているわけですから、呉女にとっては展示会場で寝泊りしたくなるような極楽空間 です。特に「天武持統天皇夫妻の手によってわが国の古代国家は誕生をみたのである」なん て書かれちゃうと「キャ〜〜〜」って叫びたくなっちゃう。(何なんだか……)
人と東京の人とでは感覚が違うのではないでしょうか。明日香は大阪からなら電車で一本。お そらく小学校や中学校の遠足か何かで一度くらい訪れているでしょう。それにひきかえ関東の 人間は私のような「もの好き」でなければなかなか行きません。碁盤の目に整然と区画された 都の模型を見ても、その周囲の土地の感じや、現在の状況とのギャップがなかなか想像でき ないでしょう。ま、展覧会に来るような人は「もの好き」が多いかもしれませんが。この展示を見 て、明日香へ行きたくなる人が増えてくれればいいなと思います。 2002年8月29日 「飛鳥・藤原京展」その2
などと書かれた木簡が多数見つかり、そこが浄御原宮でもあったことがわかったニュース (1985年)、もちろん最近の飛鳥池遺跡や酒船石遺跡なども。そんな記事が新聞の一面を飾る たびに心躍らせたことを、展示を見ながら懐かしく思い出せるのです。 私がはじめて明日香に行った二十数年前と現在とでは、明日香はずいぶん変わっているの です。まるでパズルを一枚一枚めくるように、遺跡が増えたり、場所が変わったり……。そし て、これからもパズルがめくられるたびに新しい発見があるかもしれません。 今回の展示の最後にある粟田真人を正使とする遣唐使は、はじめて対外的に「日本」を名乗 った、といわれています。その「日本」が生みの苦しみをした時代とその場所の、まだまだ底知 れない魅力を少しでも知っていただければ、と思います。 2002年9月11日 ニューヨークの思い出 〜9.11に思うこと〜 結婚する何年か前、はじめての海外旅行の行き先はニューヨーク。私も若くて無鉄砲だった。 いっしょに行った友人がこれまた勇敢だったこともあって、のっけからツアーの市内観光をキャ ンセルし、勝手に歩きまわった。最初こそ目の色も肌の色も髪の色もすべてがバラエティーに 富みすぎる人々に囲まれておびえていたけれど、ほどなく「自分もその中の一人に過ぎない」こ とに気づくと、とたんに自由になった気がした。夜、ブロードウェイミュージカルを観に突然飛び 出して、帰ってから深夜営業の店でしゃべりこんでいたら、ツアーの人たちに行方不明になっ たものと思われて大騒ぎさせてしまったっけ……。帰りたくなくて帰りたくなくてしかたなかった 最後の夜、マンハッタン・ディナークルーズの船に乗った。ディナーのあと、寒さをこらえて甲板 に出たら、ライトアップされた自由の女神の向こう側にまばゆいばかりに輝く摩天楼群がそそり たっていた。「信じられない……」とつい口に出たほどの美しさだった。 今まで見た風景の中で何をもう一度見たいかと問われたら、あの輝く摩天楼群と答えるな、と 去年の9月9日ころに突然思ったのを覚えている。2日後に、その風景が、少なくとも2本のビ ルがいちばん高くそびえたつ風景が永遠に消えてしまうなどとは、どうして考えられただろう? 消えてしまってから考えた。あのころはバブルの絶頂期。経済は右肩上がりに成長するもの と思いこみ、人類は進化するものと思いこんでいたような気がする。つまり「人類の勝利」を信 じ、その象徴があの摩天楼群だったのだ……。それが幻だったかもしれないと感じるようにな った今、あの風景はまた違った意味をもって思い出されてしまう。 たかだか十数年しかたっていない。それなのにこの差はなんなのだろう? 私自身変わって いないようで実はずいぶん変わったのだ。結婚も私を変えたし、年齢も私を変えた。そして私 の価値観を根底から覆した事件が阪神大震災とこのテロ事件なのだ。 今回イタリアへ行っても思ったのだけど、歴史ってただ進むものではない、と。ときには足踏 みもするし後退もする。あの自由の女神をつくり、摩天楼群をつくった大きな歴史の流れが、今 どこへ行くのか考えあぐねて渦を巻いているような気がする。こんな毎日グデグデしているだけ の私でさえ、その歴史の渦の中にいるってことだけはひしひしと感じてしまう……。 2002年9月26日 東山 〜京都を歩こう!〜 秋分の日の連休は京都の菩提寺での法要に参加するため関西に行ってまいりました。今日 はその「こじつけでない旅日記」第1弾。 お昼過ぎに法要は終わり、お精進のお昼もいただいて、その日泊まっていたホテルに荷物を 取りに行くわけですが、連休のお彼岸なんて京都の道路が渋滞しないはずないのであって、バ スに乗ってもどうせ動かないなら天気もいいしぼちぼち歩こうか、と結局菩提寺のある岡崎あ たりから京都駅に比較的近い東山七条のホテルまで歩いてしまいました。
し、その大学に寄り道したので遠回りすることになりましたが) 案の定、どこのバス停もバス が来ないらしくて人があふれ、来たバスも私たちと同じくらいの速度で走っていました。 普通ならあまり歩こうとは考えない距離なのかもしれませんが、途中に観光地がいっぱいあ って雰囲気もいいからついつい歩いてしまう。これぞ京都の魅力だと思うのです。特に東山近 辺はその代表です。私はこのくらいなら地図なしで歩いてしまうリピーターなのですが、岡崎か ら北へ歩けば哲学の道を銀閣寺へ至りますし、京都初心者の方にも「まずは東山を歩いて」と 勧めています。 2002年9月27日 三十三間堂 〜修学旅行コースは侮れない!〜 秋分の日連休「こじつけでない旅日記」第2段です。この日は義母いる実家に泊まるのです が、東山七条に着いた時点でまだ時間はあったので、一ヶ所観光することにしました。以前に もこの近辺をオオアマさまと観光したことはありましたが、その時素通りしてしまったのが修学 旅行の定番、三十三間堂。リピーターってついこういうところを軽く見てしまいがち。それで初 心にかえってみようと。 そしたら、何だかすごくよかった〜。お堂の中は外国人の団体であふれていましたが、皆に 「見て見て〜」と自慢したくなるような……。1000体の千手観音がズラーリ整然と階段上に並ぶ 様は「まるで宝塚のフィナーレだね」。その迫力に圧倒されますが、真ん中の湛慶作のご本尊 さまもとてもいいお顔の観音さまです。
並ぶ裏側のところに、こういう場所には珍しく(笑)わかりやすい解説がされていますので、ゆっく り読まれることをお勧めします。 この近辺については興味深いこととか、お気に入りのお店とかあるのですが、京都ページを 作るときのためにとっておこう、っと。 2002年10月2日 瀬田の唐橋 〜ぐる〜っと瀬田川、駅のチラシは情報の宝庫〜 秋分の日連休「こじつけでない旅日記」第3段です。関西の駅に降り立つと、まず観光情報の チラシやパンフレットを収集するのが呉女の趣味。これが貴重な情報源なのです。今回もいい モノみつけました。連休を含む5日間限定で瀬田川周辺をぐるぐる周ってくれるバスが運行す るというのです。しかも乗り放題500円!! 法要の翌日、夕方の新幹線までの観光はこれに キマリ!!
した。近江はホントに面白いですよ。第3弾までの予定だったけど第4段までいっちゃいます。 2002年10月3日 岩間寺(いわまでら) 〜ぐる〜っと瀬田川、観音巡礼と古代史めぐり〜
その役所が起源ともいわれています。もう一つ立木観音。ここは670段の石段をのぼるという のでパスさせていただきました(こういう人には御利益ないのよね)。 そのほかに近江国の一宮、建部大社。これは他の場所から大海人さま(天武天皇)が国家鎮 護の場所として移転させたとのこと。唐橋の近くだから? それから川幅も狭くなる奥の方のほ とりには近江朝の重臣中臣金が中大兄さま(天智天皇)の命で創建したという佐久奈度神社が あります。この日行ったのは以上ですが、これだけ連れて行ってもらえて、各スポット乗り降り 自由で500円は破格でしょ。しかも「紫式部クリアファイル」などお土産つき。うれしい企画でし た。瀬田川流域観光連盟さん、ありがとう! このように、瀬田川周辺は地味だけど古代史スポットがいっぱい。ほかにも近江の国府や国 分寺、阿部ちゃん(孝謙上皇)と道鏡が出会った保良宮跡など、行っていないところもまだまだ あります。また行こうっと。 秋分の日、こじつけでない旅日記はこれにて終了です。 2002年10月12日 鎌倉を歩こう! 〜でも、鎌倉市にチト言いたい〜
すが、何しろ大正時代に建てられたものなので説明書きが見事な旧字体。現代人にはとても 読めたものではありません。そばにわかりやい解説をつけるとかしないとあんまり意味がない ような気がするのですが。この石碑を見るたびにそれが気になってしかたがないのです。何と かしてくれないものでしょうか……。 2002年10月14日 鶴岡八幡宮 〜観光バス利用法〜 日曜の午後はオオアマさまの提案で定期観光バスに乗ってみることにしました。 「このサイトについて」で書いたように、普通はあまり観光バスには乗らないのです。理由は@ お金がかかるAもっと見たいと思っても集合時間に縛られるB自分で地図を見ながら歩かな いとその町そのものの印象が薄くなってしまう……など。でも今回乗った「よりとも号」は建長 寺、鶴岡八幡宮、鎌倉宮、長谷寺、大仏をまわって2250円。拝観料だけでも1000円以上します から、まあリーズナブル。ABは何度も来ている、または再訪が容易な場所なら問題ないわけ です。むしろ初心にかえったといいましょうか、以前訪れた場所でも新鮮に思えて、なじみのあ る町で観光バスに乗ってみるのも面白いものだな、と発見しました。これからクセになったりし て……。以下、別に観光バスで聞いた話ではないのですけれど。
まはくもの巣が大の苦手!) |