私のイチオシ万葉歌

リンクでもご紹介させていただいている「明日香村ファン倶楽部」。
呉女も会員なのですが、月2回発行されるメールマガジンに「私のイチオシ万葉歌」というコーナーがあります。
発行人ちゅんたさんが聞き手となり、ゲストが自分の好きな万葉歌について語るというコーナーなのですが、
どういうわけか依頼を受けて、2回連続でゲストとして呉女が出させていただきました。
呉女は万葉集の時代が好き、というだけで特別に万葉集の勉強はしたことがないし、
例によって「歌」の話、というよりは「場所」の話になってしまったり、とお恥ずかしい限りなのですけれども
せっかくですので、ちゅんたさんの許可をいただいてここに転載させていただきます。

1回目は呉女が「好きな万葉歌は?」と聞かれれば素直に答える大伯皇女の歌について、
「姉」という立場と、大伯皇女の高貴すぎる血筋から語らせていただきました。
2回目は、好きな歌というより、時節柄タイムリーで、旅サイトを開いている者として
好きな場所(鳥取)に関わりのある大伴家持のお正月の歌。
それと、詠み人知らずではあるけれど、呉女がとっても好きな歌についてです。
「ある方に教えてもらった」と出てきますが、とてもお世話になったその方は
その後亡くなられてしまっただけに、その方の記憶とも重なる歌なのです。


以下、転載です。まず2002年12月1日号から。

◆※◆※◆※◆※◆※◆ 私のイチオシ万葉歌 ◆※◆※◆※◆※◆※◆
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明日香好きなら、誰でも一首はお気に入りの万葉歌があるはず。。
このコーナーでは、皆さんのお気に入りの万葉歌について、インタビュー形式
で語っていただきます。古代の万葉びとに思いを馳せてみましょう〜♪
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☆第三十六回☆  ゲスト:呉女さん
   「さらら紀行」http://www5e.biglobe.ne.jp/~sarara/
 呉女さんと旦那様の二人旅がつづられた、優しくて穏やかなページです。
 明日香への旅行記もとっても楽しげ♪ステキな二人旅のテキストですよ。

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★呉女さんのイチオシ万葉歌はなんでしょう?
持統天皇大好きで、大津と草壁なら草壁派を自称しているんですけど、実は
大伯皇女の一連の歌が好きです。特に
わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露にわが立ち濡れし」と
現身の人なるわれや明日よりは二上山を弟背とわが見む」が好きです。

★うんうん、私も大好きです♪どうしてこれらの歌がお好きなんですか?

わかりやすいから(笑) 特に「わが背子を」ははじめて聞く人でも情景が
思い浮かぶような歌で、恋の歌に思えるけれど、実は歴史的な背景があって恋
の歌ではない。まさに歴史の証人です。実はこの時代に興味をもった10代のこ
ろ、男女の情愛の歌にはピンと来なくても、姉の弟に対する思いというのは共
感しやすかったんです。私にも弟がいてメチャチメャかわいがりましたから。
ちゅんたさんにも弟さんがいらっしゃるそうですが、姉にとって弟は理屈ぬき
で特別にかわいい存在だと思いませんか?

★「歴史の証人」って、素敵な言い方ですね♪
 この歌をご自分に置き換えて鑑賞されるなんて、私には思いつきませんでし
 た!弟はかわいくて仕方なかったけど、ウチのはジャイアンみたいな子でし
 たから(笑)。だから呉女さんのお話を聞いて「なるほど」と思ったんです
 よ。今一度、私も大伯になったつもりで、弟を思いながらこの歌を鑑賞して
 みたいと思います。
 それにしても大伯と大津って悲劇・・。呉女さんはこの二人について
 どう思われますか?

 ウチの弟は中身が草壁で外見はジャイアン(笑) それでもかわいいんです
よー。大伯の歌がまるで恋の歌だから、二人の間には恋愛に似た感情があった
のではないかという人がいますが、私には姉の弟に対する情愛の歌として自然
に受け取れます。二人兄弟で姉と弟の組み合わせってほかの兄弟の組み合わせ
より何か濃いような気がする上に、この二人の場合早くに母を失っているか
ら、弟は姉に母の面影を見るシスコンだったかもしれないし、姉も弟を守らな
きゃという思いは人一倍だったと思います。私は結婚したら「弟なんてモンも
いたわね」程度になりましたから、大伯も幸せな結婚をしていたら弟の呪縛か
ら少しは逃れて、もっと別の歌も残したかもしれません。でも大伯はずっと未
婚だったと思われますから、非業の死をとげた弟を一生思い続けて亡くなった
のではないかと。

★そうなんですよ、大伯は結婚していたらもっとステキな歌を残していたん
 じゃないかなぁ。以前もお話させていただきましたけど、彼女のごく普通の
 感情を詠んだ歌を見てみたかった。

 大津についてはあの時代状況からしたら謀反くらい起こさなきゃ(笑……ご
とじゃないんですけど)。両雄並び立たない時代には天皇になるかならないか
ではなくて生きるか死ぬかの選択ですから。伊勢にも何らかの意志があったか
ら行ったのでしょう。かわいそうだけど讃良様のほうが一枚上手だったのだと
思っています。もし壬申の乱みたいに大津が勝っていたら、讃良様が悲劇の女
性といわれていたかもしれませんね。

★歴史ってわからないものですよね。歴史に「もしも・・」という言葉はタブ
 ーだと言われますが、持統さんの「悲劇の女帝」像も見てみたかった気がす
 る・・・(笑)。
 
 大伯って血筋が良すぎたのが悲劇だったのかも、と思うんです。天皇の子で
母親も皇女なのは、天武の子には男子は5人いるけど女子は大伯だけです。記
録に残っていないとは考えにくいし、その前後を見ても敏達天皇の子くらいま
で遡れば別ですが、大伯の血に匹敵するのは間人くらい。準じるのが氷高、吉
備でしょう。皇女に生まれただけでも結婚相手は限られるのに、皇女の中でも
とび切りの血筋とくれば、たとえ斎宮にならなかったとしても、おいそれと結
婚できなかったと思うんです。間人も孝徳天皇以外に結婚相手はいなかったと
も思えます。そう考えると大伯と氷高が未婚なのもわかる気がするし、長屋は
天皇になる可能性がかなりあったとも考えられる。逆に「天上の虹」では吉備
を元明の子ではないと描いているのももしかして……と思ったり。よく讃良様
が大伯に草壁との対抗上意地悪して大伯を結婚させなかったみたいなことを言
う人がいますけど、そういう問題ではないのではないかと。また天皇の名代と
して神に仕えるにはもってこいの存在だったともいえるわけで……。

★血筋が良すぎたのは確か。呉女さんのご意見さすがー!
 「天上の虹」(里中満智子)での吉備皇女の出生の謎(?)も解けた気がし
 ます。「どうして元明さんの娘として描いてないんだろう?」と思っていた
 んです。
 大伯に対して、持統さんが意地悪して云々・・・というのは、私も間違って
 いると思いますね。斎宮を解かれて都に帰った大伯が、実際は豊かな生活を
 していた事も考えられるようですし。持統さん自身、そういう狭い考え方の
 人ではなかったと思います。
 なんといっても「天皇、深沈にして大度有り」ですから。

 ちゅんたさんがこの前書かれていた名張の夏見廃寺。大伯が寺を造ったとい
うのはそれだけの経済力があったと思えますよね。私も一度行きましたが大好
きな場所なんです。金堂の復元はとても豪華な荘厳ですけど、とても清らかに
も見えて大伯のイメージにピッタリ。金堂は大伯の生前に出来ていたと考えら
れるそうですから、あの前に大伯がたたずむ姿を想像できますね。大伯の思い
に包まれるような感じで胸があつくなります。

★同感ですー!きっとあの地に立った方は、みんな同じような感想を持たれる
 のではないでしょうか?静かで清らかで、大伯はここで何を祈ったのかな?
 と思うと物悲しくなる場所でした。また行きたいと思っています。
 今回の呉女さんのお話で「弟を見る目」を変えてみようと思います(笑)。
 少しはかわいく思えるかも。
 今回もステキな歌のご紹介、ありがとうございました♪















明日香から見る二上山
(左は石舞台)
2002年3月




二上山上の大津皇子の墓



































伊勢の斎宮跡
1996年11月






夏見廃寺跡
2000年5月





続いて、2002年12月16日号から

☆第三十七回☆  ゲスト:呉女さん
           **〜**〜**〜**       **〜**〜**〜**
★前回に引き続き、旅好きな呉女さんにゲストとして登場していただきまし
 た。いろんなこだわりが聞けそう♪

万葉集の故地でオススメの場所、といったら鳥取の因幡国府跡をあげたいで
す。大伴家持が国司として赴任していたところです。
大和三山になぞらえた因幡三山というのがありまして、藤原京と土地の雰囲気
が似ている気がするんですよ。 

★私は岡山出身でして、鳥取にはよく遊びに行っていたのです。因幡三山も国
 府跡も、それと認識しない内にきっと見ているはずなのですが、いまいちピ
 ンと来ません。単に家持について勉強不足なだけなんですけど(笑)。

やはり関西の方にとっては鳥取ってそう遠い場所ではないのですね。
関東人の私にはすごく遠い感じなのですけど。市街地とは逆方向ですが、因幡
三山は鳥取駅前のビルからでも見えます。 その三山に囲まれた田園風景の中
に因幡国府跡があるんです。

★ほほー。いつも鳥取砂丘(海遊び)を目指していたから、やっぱり見たこと
 はないかも(笑)。スイカや海産物には目がないのですけれどね(笑)。

因幡三山の面影山と国府跡
右奥が鳥取市街
1997年5月
そろそろ歌の紹介をしませんとね(笑)。
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事
(あらた)                         (し)(よごと)

すみません。ちょっと早い正月気分(笑)。
年賀状にこの歌を書く方もいらっしゃるそうですね。
家持さんが国府に赴任して間もなくの新年祝賀会で歌った「新春のごあいさ
つ」みたいな歌です。確かに歌だけ見ればまことにおめでたい歌なんです
が……。
家持さんといえば、今では歌人とか万葉集を編纂した中心人物として評価され
ていますけど、生前の政治家としての彼はかなりあぶなっかしい坂道をのぼっ
たりおりたりしながら生きたという感じです。それを名門貴族の藤原氏に対す
る反発とみるか、日和見的で奈良朝の複雑な政治抗争に巻き込まれて翻弄され
たと見るかはともかくとして。

越中に赴任した若いころは勢いがあっていい歌もいっぱい残していますが、41
歳での因幡への赴任は、多分のその前年の奈良麻呂の乱にかかわる左遷でしょ
う。
すごく遠い国ではないし、大陸に近い日本海側に対する認識も今とは全然違う
と思いますけど、本人としては不本意だったはず。だから気分としては「あん
まりいいことないけど、ま、ボチボチがんばろうか」という感じかな、と私は
思っているんですけど。

家持さんはこのあと20年以上生きるのに、なぜかこの歌を最後に歌を残してい
ないようです。
そして、これが万葉集最後の歌になります。

★この歌が万葉集最後の歌。。。というのは有名な話ですが、家持さん作とし
 てみえる歌の最後でもあったんですねー。

この歌を万葉集の最後にもってきたのも家持さん自身だとすれば、自分の未来
に対するかすかな希望みたいなものを込めたのかもしれませんよね。
死んじゃってまで罪に落とされるとは知らずに。

★先に書きました通り、私は家持さんに関してはまったくの無勉強でして。
 かなり波乱に満ちた生涯だったのですね。因幡だけでなく、この後は薩摩に
 も赴任して行ったとか。大伴の家や自分の将来について悩むことも多かった
 のかもしれませんね。

薩摩のあと、私の住む相模の守にもなっているらしいですよ。転勤族みたいで
すね。 どうせなら相模の歌、詠んでほしかったですー。
ところで、この藤原京に似た感じの因幡国府跡なんですけど、家持さんは平城
京に遷ってからの生まれですから、この土地をどう思ったかはわかりません。
でも、この地方の有力豪族伊福吉部(いふきべ)氏の徳足比売(とこたりひめ)と
いう人が文武朝に采女として出仕しているんです。故郷に帰ることなく亡くな
って火葬された遺骨だけが帰郷して墓誌も残っているのですが、私が今因幡三
山を見て藤原京を思うように、彼女は大和三山を見て故郷に似てると思ったの
かなあ、なんて考えると時空をボーンと超えたような気がします。

★呉女さんが言われるような、「時空」の中で遊べるヒントをくれる万葉集っ
 てすごい。。。そのロマンにたくさんの人が魅了されているのですから。

因幡三山がよく見える場所に「因幡万葉歴史館」という家持さんと徳足比売の
ことなどを展示した施設もありますので、機会があったら訪ねてみてくださ
い。
徳足比売さんが歌を残してくれていないのは残念ですが、作者不明の歌の中に
彼女の歌もあるかもしれない。

そこで作者不明ですが、私の好きな歌をひとつ。
うち日さす宮路を人は満ちいけどわが思ふ人はただ一人のみ

★ほー。。。この歌を私は知りません。どんな歌なのでしょう??

私も万葉集をスミズミまで読んでいる人間ではありませんので、この歌もある
方から教えていただいて知ったものなんです。巻十一にあります。
「人麻呂歌集」にあった歌のようですから、ここで言う「宮路」は、藤原京の
宮路なんでしょうね。
これもわかりやすい歌でしょう? 
今でいえば、オフィス街で信号が青に変わってたくさんの人が一斉に横断歩道
を渡ってくる。そんな群集の中にいると、ふとミョーに客観的になっちゃっ
て、「ああこんなにたくさんの人のそれぞれに人生があるんだなあ」なんて思
うこと、ありません? そんな中で自分は一番大切な人はただ一人と選んだわ
けだし、自分を選んでくれた人もいる。それって神秘的なほど不思議なことで
すよね。もし「別れようかしら」なんて考えているときなら「星の数ほど男は
いる!」なんて思いそうですけど、自分の気持ちに自信があれば、片思いであ
れ両思いであれ、こんなにたくさんいる人の中でも「ただ一人のみ」と言い切
れてしまう。そういう感じが「わかるなー」って。

★うわぁぁ、いい歌!!それこそ星の数ほどいる人間。そのたくさんの人の中
 から、運命的な出会いをするって、凄く不思議なこと。それが男女であった
 り、大切な友人だったり・・・私もそういう思いにふけるときありますよ。
 「わかるなー」、ホントに(笑)。

わかっていただけます? 
こういう歌でふっと古代の人と気持ちが重なったような気になれるのは、万葉
集が「時を旅させてくれる」ものだということでしょうか? 
横断歩道の向こうに朱雀門があるような気がしてしまったりして……。

★おっしゃるとおり、万葉集は古代へと旅をさせてくれますね。そんな魅力が
 あるからこそ、長い時を経て愛され続けているのだと思います。
 二回も連続してゲストになってくださり、ありがとうございました♪
 またステキな旅の話と万葉歌を聞かせてください。 

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◆ゲスト大大大募集〜♪ あなたのお好きな万葉歌を教えてください!!◆
  お好きな万葉歌を、あなたのこだわりと共に語ってみましょう♪
 インタビュー形式で、ご紹介していきます。
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万葉集最後の歌の歌碑
2002年7月


























因幡三山の甑山と
上の歌碑のある集落
右は因幡万葉歴史館の展望台
2002年7月








藤原京跡
2002年3月








平城京跡朱雀門
1998年5月



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