業界裏話集

このコーナーでは私が今までに見聞きした「普段はほとんど表面に出る事のない話」をなるべく分かりやすく書いていきたいと思います。あ、これはあくまでも山ほどある意見や考え方の中の1つであることをご了解下さい。これが全てではない、ってことです。

1.出る杭は抜かれる!?
2.本当の被害者って…?
3.精神科病棟でのお勉強
4.ある医療従事者の本当のホンネ
5.大学病院ブランドに魅せられて
6.大学病院ブランドに魅せられて〜PART2〜
7.大学病院ブランドに魅せられて〜PART3〜
8.開業医の秘密 PART1
9.ナースとドクターの関係
10.遺体の搬送
11.外科病棟での話
12.老人医療の現実〜PART1〜 5/21追加
13.老人医療の現実〜PART2〜 5/25追加 9/10 追記部分あり!
14.厚生労働省の野望〜PATR1〜 5/27追加
15.厚生労働省の野望〜PART2〜 6/1追加
16.厚生労働省の野望〜PART3〜 6/5追加
17.厚生労働省の野望〜PART4〜 6/14追加
18.厚生労働省の野望〜PART5-1〜 6/20追加
19.厚生労働省の野望〜PART5-2〜 6/30追加
20.厚生労働省の野望〜PART6〜 7/13追加
21.厚生労働省の野望〜PART7〜 8/6追加
22.厚生労働省の野望〜PART8〜 8/13追加
23.厚生労働省の野望〜PART9〜 8/28追加
24.厚生労働省の野望〜PART10〜 9/28追加
25.厚生労働省の野望〜PART11〜 10/5追加
26.厚生労働省の野望〜PART12〜 10/19追加
27.厚生労働省の野望〜PART13-1〜 11/22追加
28.厚生労働省の野望〜PART13-2〜 12/22追加
29.厚生労働省の野望〜PART14〜 12/28追加
30.厚生労働省の野望〜PART15-1〜 H15.2.4追加
31.厚生労働省の野望〜PART15-2〜 H15.3.6追加
32.厚生労働省の野望〜PART16〜 H15.4.11追加
33.厚生労働省の野望〜PART17・最終章〜 H15.10.13追加




出る杭は抜かれる!?  1つの問題提起

最近のマスコミを賑わしている(?)医療ミス等について考えてみたのですが、
あくまでも1個人の意見としての書き込みなので悪しからずご了承下さい。
医療ミスだけでなく医療界の何かがおかしいと思うのです。それは以下の2点に要約されるのではないでしょうか。

@科学的根拠という割には、理屈よりも従順を求められる。
A主体的に動くと言うより、古来からのやり方を“教え込まれる”という印象が強い。

こうなるとほとんど“公務員状態”という感じです。
主体的に、自主的になんて動こうものなら、あの手この手を使って引きずり降ろされるし、
最後には肩たたき…なんて事態もあり得ます。まあ、普通のというべきか、他の職種でも同様のことがあるみたいなので、
一概には言えないとは思いますが…。私が数年前に働いていた病院でこのような事がありました。
1つの例を示してみたいと思います。私の先輩に当たる方の実話です。

仮にA看護婦としましょう。
Aさんは知識・技術・人間性…どれをとっても非の打ち所が無いという感じの人でした。
スタッフ内での発言とそれに伴う行動も伴っていましたが、管理職連中にはそれが気に入らなかったのか、
あるいは自分達の出来ない事をやっているというネタミなのかは知りませんが、
いつの頃からか「患者から苦情があった」とか「投書が来た」とかいうありもしない事を言われ始め、
呼び出し→面談(口頭注意?)ということが多くなりました。
Aさんにとっては“寝耳に水”という感じで否定し、かつ「非がない」という自信があったので堂々と働いておられました。
これも管理職はお気に召さなかったのでしょうね。次なる嫌がらせは、先日フジテレビの番組で某介護会社で働いている人が
へき地への転勤辞令と共に退職届が同封されていた時のように、いわゆる「肩たたき」でした。
私は「Aさん、ここで辞めたら負けですよ」と言うしかありませんでした。

Aさんの場合はCT室への勤務交代でした。
CT室と言っても機器そのものは1台しかなく、既にパート勤務の看護婦が1人いるような状況でしたので、
Aさんの仕事と言えば機械の掃除やパートの人が帰った後の1時間前後の時間に在室していることでした。
この間に検査が入ることは事実上皆無でした。何事もなく勤務し続けたAさんに対し、
当時の総婦長は2ヶ月近く経過した頃に「他部門(レントゲン技師)から苦情が来た。もう貴方を配属する場所がない。
他をあたって下さい」と言ってきたそうです。
どういう意味なのか聞いたAさんに対する返答はなく、翌日の始業と同時に内線電話で呼び出され
“その日その場からの総婦長室勤務”を言い渡されたそうです。
私はその日の夜に直接Aさんから聞きまして、どこまでも強気でしかも1人で戦っているAさんに対して
「Aさん、それで何て反応したんですか?」と聞きました。
笑顔でカバンを置く場所と自分の座る椅子がどれかを聞いたそうです。
Aさんは「総婦長はひっくり返りそうだった」と笑っていました。当日の業務は午前中に1枚の書類を書くこと、
午後はコピー取り1回とダンボール箱の整理で午後3時には総婦長が入れた、無言のコーヒーTIMEもあったらしいです。

Aさんは、それでも退職する意志など全く示しませんでした。
労働組合や全国の同系列の病院を取り仕切っている上の機関へも、肉声が入った証拠のテープと書面で訴え続けて、
最後には弁護士にまで相談に行ったとの事でした。その日その場からの、という点が就業規則に違反していたのです。
まあ、弁護士さんが電話1本かけただけで翌日からはコロッと態度が変わってみたいですけどね。
途中で事務長や庶務課長などが自宅に状況説明という名の“言い訳”をしに来たけど、門前払いにしたそうです。
そりゃあ当然ですよね!?
そして約1年後、総婦長はいなくなりました。

そう言えば、一昔前に「お役所のオキテ」という本が世間を騒がせて(?)いたことがありましたが、
よく似ていると思ってAさんを応援していました。具体的には話を聞くしか出来なかったのですが…。

ここまで強固な例は余りないとしても『理屈より従順』そして『主体性より古来からのものを』というのが
重視される世界であることは確かです。たぶん、この辺に悪循環の要素があるのではないかとと思うのです。
それに従わなかった者は、前述のAさんや「お役所のオキテ」の著者の方のようなイジメを受けるのです。
結果的にはこのタイトルのように「出る杭は(打たれるのでなく)抜かれる」ような世界になっているというのが現実なんですよね。

こういう性質を持った業界であるからこそ、ミスが表に出にくいし、
出るとしたらほとんどが内部告発等のことが多いのだと思います。
今、表面に出ているのって「氷山の一角」だと思うのは私だけでしょうか?

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本当の被害者って…?

こんな事を書くと、どこからかおしかりが来てしまいそうですが…。
医療に関する一連の報道で皆さんの“医療不信”が、イメージの上で広がらないかと思ったりします。
要するに「皆、ああなんじゃないか」と思われたりすると、こちらが善意でやっていることでも
通じなくなってしまいますから…。

都のような事故対応マニュアルは、仮にあったとしても現場のスタッフには見られないというか、
そこまで降りてこないと思います。現に某総合病院で管理職をやっている人から聞いた話では
管理職会議というのがあって、その中でも更にセレクトされたメンバーで構成されている会議という名の
集まりでしか見られないそうです。
内容的には企業のクレーム対策と似ているらしいですが、都のように
「話が長引くのでソファーには座らない」とかいう具体的なのは書いてないみたいです。
要するに、だらだらと話を長引かせているうちに相手が去るのを粘り強く待つというのに尽きるでしょうね。
実際「深くお詫び申し上げます」と言っても「申し訳ございません」とテレビでも実際にも言っている人はいないでしょう?
病院も警察も。

特に国公立病院や半官半民の病院はそういう傾向が強いと思われます。
半官半民は“国が設置して民間団体に経営を委託”という名目ですが、
民間団体とは厚生省等の役人の天下り先になっていますので、国公立と同じだと思って良いでしょう。
とても民間では通用しないことがあると聞きます。

最近、マスコミを賑わしている医療ミスですが、あんなのは氷山の一角であり、
何処の病院でも国公立か半官半民か民間化は問わず結構な数があるのは医療従事者なら
誰もが感じていることだと思います。ただ表面に出ることが多くなっただけだと思いません???
国公立の病院が多く騒がれているのはたぶん、官僚や警察などの不祥事が続いて厳しい目があるだけでなく、
職員や患者の家族からの内部告発や投書も多いですからね。
一連の報道等での“本当の被害者”は医療関係者であり、黒幕は官僚だと思います。
もちろん、その後ろには患者さんがいるという事を、私自身の入院体験から学びました。

病院経営は赤字続きで、それを解決するには患者を薬漬け・検査漬けにし、
厚生省のお役人達の天下り先の製薬会社等を潤さなければならない仕組みになっているのです。
このような事が黙認されている風土が消えない以上は
日本の医療界は公☆員と同じで『進歩も発展もない』でしょうな。なんてね。

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精神科病棟でのお勉強    

皆さんはこの言葉を聞いた時にどんなイメージを持ちますか?
たぶん「刑務所のようだ」とか「鍵がかかっていて出入りをするのに不便だ」とか「暗い」というものではないでしょうか。
私もそうでした。実際に勤務するまでは…。確かにそういう雰囲気の所もありますが、
私の勤務した大学病院の中にある“精神・神経科病棟”という所は違っていました。

そこは半開放病棟といって、1年365日・1日24時間施錠しているという訳ではありませんでした。
病棟の廊下がカタカナの“コ”の字をした構造でした。“コ”の字の一画目の最初と、二画目の最後の部分が
行き止まりになっていました。一画目の最初の部分が施錠されてあって、配膳車はそこから出入りしていました。
保護室以外は他の病棟と同じような雰囲気だと思えば良いでしょう。

そうそう、ナースステーションは“コ”の字の一画目の最初の部分の横にあり、
また二画目の最後の部分とも接していました。患者さんや家族の出入りは必ずナースステーション内を横切らないと
いけないようになっていました。お分かり頂けましたか?
私達スタッフはナースステーション内にあり、尚かつ外とも通じている休憩室から出入りしてました。

文字だけでイメージさせるような表現をするのはとても難しいと思いますが、何とか最後まで読んでみて下さい。
私は准看護婦の資格をGETした直後の昭和60年4月に某大学病院の精神・神経科病棟に配属されました。
何も知らない、それまでは田舎の個人病院でしか働いた経験がない為、驚くことばかりの1年間でした。
何たって最初は検査室の中で迷い子になってましたから…(*^_^*)

そこに配属されて最初に言われたことは…。
患者さんには極力後ろ姿を見せないように、という事でした。理由はやはり「病状が急性期にあると
自分を傷つける自傷行為だけでなく、他者を殴ったりすることが充分にあるから」だと説明されました。
あと保護室に入る時は以下に記すものは取り外してからにするようにと言われました。

“ナースキャップ、ピン止め、ネーム、ボールペン等の先端が鋭利な物や危険な物”

冒頭に書いた刑務所のようなイメージというのは、そこの病棟では“保護室”という所だけでした。
保護室は前述の「病状が急性期にある人」だけでなく、年に数回は犯罪者の精神鑑定というのも行われていました。
この「犯罪者の精神鑑定」の時は特別な措置がとられまして…。
検温などの定期的な看護婦の訪室はありませんし、各種の放送も入らないように設定します。
食事の配膳は2人で行きますし、会話はなく無言で小窓から行います。食器は発泡スチロールでした。
要するに鑑定をしているDr以外との接触は必要最低限になっていました。
保護室の中にはトイレもありましたが、便座にフタはなくトイレットペーパーの芯も抜いていました。
新しいトイレットペーパーの補充は、Drがやっていたようでした。

この2つ(保護室がある事と数カ所に鍵がかかる事)以外は一見すると他の普通の病棟と同じような雰囲気でした。

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ある医療従事者の本当のホンネ

一連の医療ミスに関する報道で、ようやく「事故は起こりうること」という認識が広まってきているのは、
事故予防の第1歩になると思います。今までは“あってはならないもの”というふうにタブー視されてきましたが、
これからは利用者である患者サイドも“自己責任”ということを考えた上で病院選びをすることでしょう。
医学を、医師を崇高な特別なものとして見ること自体がそもそもの間違いだということなんです。
自分が選んだ医師や病院で被害にあっても、それには選んだ方の自己責任というものです。
分別のある大人が自分の責任を棚に上げて…なんてことは勘違いもはなはだしいですね。

だから訴訟を起こされても「運が悪かった」としか思わないのでしょう。
現に訴訟を起こされただけでは当事者の立場は悪くならないし、それが医師であれ看護婦であれ
(余程でない限り)職場の仲間はこぞって守ろうとします。
やはり誰もが「自分も同じミスを犯すかもしれない」と思いますし、悪意があってのことではありません。
第一、病院や医師の方から頼んで受診してもらったのではない、という事です。
患者が“良い治療・良い看護を受ける権利”とそればかり主張しますが、
それは同時に“医療者が良い治療・良い看護を行う権利”でもあると一体何人の人が思っているのでしょうね。
どちらもが責任転嫁をしているうちは何も変わらないでしょう。(Dr.Bより)

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大学病院ブランドに魅せられて

巷に「○○大学病院の☆☆先生に診てもらった」とか「▽▽教授をしっている」とか「◆◆大学の◇◇科にかかった」
というだけで、満足気に得意気に話す人を見かける事が多々あります。
そうかと思えば「人体実験にされた」とか「インターンの練習に使われた」とか、
あるいは「検査漬けにして人を何だと思ってるんだ」と怒っている人もいたり「教授の診察に行ったのに、
診察室に若いのが何人もいてプライバシーがない」等々…、色々と文句を言っている人は数えられません。
私にしてみたら「それが何か?」という感じなんですが、皆さんも多かれ少なかれ、
このような人々にお目にかかったことがあるのではないかと思います。
大学病院はその名の通り、各大学医学部の付属病院です。そして大学自体の存在意義は勉強しにいく所、
すなわち教育機関であるという事は誰でも知っていることでしょう。これは医学系の大学だからと言って何ら変わりはありません。
医師という職業を目指す人達も「勉強しにいく」という点においては他の学生と同じだということなんです。
これは何も「実験台にされた」等々のことを容認しろ…と言っているのではなく、
そういう目的で設立されている医療機関を選んだのは利用者自身なんだ、という事
を改めて指摘しているだけですから、誤解なきよう。

医療系の人材育成(医師・看護婦・理学療法士・作業療法士・視能訓練士・薬剤師・
レントゲン技師・検査技師等)においては、人間教育をほとんどしないというのは、周知の事実でしょう。
国家試験等の試験ではそういう内容がほとんど出題されず、専門知識のみを問うているというのが現状なんです。
結局、個人の人間性に任されるということになるのですが、ここで究極の選択をしてみてはいかがでしょうか?
皆さんは「頭や腕は悪くてどうしようもないけど人間性が抜群に良い医師」と
「人間性はどうしようもないけど能力が優れている医師」のうち、どちらの治療を受けたいと思いますか?


医療はサービス業である…と言われ始めてから随分と時間がたちました。
サービス業であるなら当然のことだと思いますが、顧客(利用者)の満足度を限りなく100%に近づけるというのが
目標であると同時に、努力はするけれど現実的には不可能に近いので
「選択権は利用者にあるので、私どもでご満足頂けないので
あれば申し訳ないけど他をあたって頂くことになります」という市場の原理が働きますよね!?

そういう私もかつては“大学病院ブランド”に魅せられた1人でした。
大学は症例が多いから勉強になるだろうという程度に考えていたのです。若気の至りだったのでしょう。
しかし、恐ろしい現実を目の当たりにし「自分の親でなくて良かった」と思ってからというもの、
一刻も早く退職したいと思うようになりました。その“恐ろしい現実”とは…。
不幸にしてお亡くなりになった患者さんの家族に「ご臨終です」と告げてから、家族には病室の外に出てもらいます。
死後の処置というのを行うという目的です。その時もそうだと思っていたら、家族が外に出た瞬間、
新人の医師が死体を使ってある処置の練習をし始めたのです。
人工呼吸器につながれている患者さんをみた事がある人はお分かりかと思いますが、口から管が入っていて、
その先に人工呼吸器が接続されていることが多いでしょう。
口から管を入れる処置を挿管(そうかん)というのですが、新人医師は上の先生に言われたということもあり
死体で挿管の練習を始めたのです!この現実を見てしまった私は絶句しました。
しかし後になって考えれば「あのドクターもああして練習しないと生きている人では出来ないし、
本当に病状が急に変化した時にその処置が出来なかったばかりに…、
なんて事がある前で良かったのかも」と思えるようになりました。
(PART2へ続く)
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大学病院ブランドに魅せられて〜PART2〜

医師の国家試験は毎年春にありますので、合格してすぐの医師免許を持った人達は夏の気配を感じる寸前の季節
くらいから、現場に出てくるでしょう。外来の処置室で採血(血液を採ること)業務をしていたり、あるいは病歴聴取という
初診の方の問診を担当していたりします。
病棟だと先輩医師について処置を習ったり、治療法を教えてもらいつつ勉強したりすることでしょう。
まさに新人医師の宝庫とも言える時期でしょう。

これは私個人の考えなのですが、彼らが練習するのはやむを得ないと言うか、今までもそうやって育ってきた
先輩方もたくさんおられますし、今更その方法を変更する理由が見あたらないと言うのも事実です。
実験や練習によって培われてきた理論や成果もあることは否定出来ません。
従って、医師も看護婦も新人がわんさかいると思われる時期の大学病院受診はあまりお勧め出来るものではありません。
とは言っても、必要に迫られる人も中にはいるでしょうから、そういう時はこの事を頭に入れてから受診することを
お勧めしたいと思います。

30代、40代の油ののった世代のドクターがもっといれば良いのですが、
人事の関係で各科の提携している民間病院に医師を送り出している事も考えれば仕方のないことでしょう。
そういう世代の人達は実家が開業していることも多いので、外の病院での勉強を数年間繰り返したあとは、
実家に帰って親の跡を継ぐか新たに開業するという人もいますしね。
大学に残る人は論文を書いたり、研究室に入ったりしてどんどん出世コースを上っていくみたいです。
そして気付いた時には頭に白いものが…、なんて!

そして、もう1つあります。
私も何回か患者として近くの病院を利用したことがありますが、各々メリットとデメリットがありました。
それは人によって違うと思いますが、私が患者として病院を利用する事を考えた場合、いくつか気をつけていることがあります。
それは…。
「口コミでいくら評判が良いからと言っても、誰にも同じようになるとは限らない
ので病状や治療法については納得いくまで説明を求めること」が1つです。
それでお茶を濁すようなら受診先を変更した方が良いと思います。
それでも受診し続けて文句だけは“重箱の隅をつつくように言う”というのは、
本末転倒で勘違いも甚だしいですし、選択権は利用者にあるのですから何も我慢をしてまで受診しないで
さっさと転院すればすみます。利用する患者側も自己責任を持つ、って事ですね。


2つ目は…。
詳しい法律の名称までは知りませんが、医療機関は宣伝や広告が制限されています。

それはそれで良いのですが、私自身の心がけとして「マスコミによく登場する“芸能ドクター”や、
一般人向けに得意分野の解説本を出版している所には(病院の大小を問わず)行かないし人にも勧めない」という事です。
全員がそうだとは言えませんが、客集めに走る人もいるからです。

これら2つのことは何も大学病院を受診する時だけでなく、一般的に医療機関を訪れる時に知っておいた方が
いいと思われることでしょう。あとは昔の人がよく口にしていた言葉で、皆さんも1度は耳にしたことがあるでしょう。
「先生に全ておまかせします」っていう例の言葉…。
時代は平成になってからもう12年も経ちますし、もうすぐ21世紀がやってくるというのに、自分の大切な身体や人生まで
他人に預けるという発想が私の頭の中にないので、その言葉の主旨は分かりません。
これを読んでいる貴方は、他人の大切な人生を預かれますか?
医療ミスだの医療過誤だのと言ってこれだけ騒がれているからというだけでなく、
せめて自分の身体のこと位は(可能な範囲で)勉強するという姿勢を持ってみてはいかがでしょうか。
知ろうともせず文句の多さだけは天下一品…、なんてナンセンスですよね!?


それにしても日本人のブランド好きは“天上知らず”なのでしょうか。
(PART3へ続く)

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大学病院ブランドに魅せられて〜PART3〜

先日、あるテレビ番組で平成11年の医療裁判は638件あったと報じていました。
この数字を多いと見るか、少ないと思うか…については各個人によって違うと思いますが、
その中で私が注目したのは次の2つの意見でした。

 @大学の“医局という封建社会”が無くならない限り、医療ミスの減少は無理
 Aどんなに技術が良くても入ってくるお金(収入)が同じという診療報酬保険点数制度でなく、
  技術そのものに対する報酬が得られるようなシステムがないと駄目

@について
私はドクターではありませんので内部の詳しい事情は分かりませんが、知り合いのドクターから聞いた話だと、
医局内では「教授など上の人が言うことには絶対服従」で反抗したら職務権限とやらで遠くの勤務地に出向だそうです。
また教授が2人以上いると、そこはまるで“ミニ永田町”のようになり、医療本来の姿とは違い派閥構成が発生します。
ホント、子供みたいですね。これは大学病院に勤務していた時、何となくではありますが肌で感じていました。

大学病院では数人のドクターが1つのグループで患者の治療にあたりますが、たまたま同じ科の違うグループの患者さんの
カルテに書いている治療方針の意味がよく分からないことがありました。
その患者さんの担当医グループ4人のうち、誰も周囲にいなかったのでナース同士で相談し、
「同じ科だし聞いてみよう」という事になり、言葉の意味を聞こうと思った時
「あの先生(グループのトップのドクター)は〇〇先生(教授のこと)だから」という答えが返ってきたことがありました。
これが全てを表しているとは言えませんが、派閥の一部分が見え隠れしていると感じました。

教授について研究室(動物実験多数)に入ることもあるらしく、論文をたくさん書いた人が医学博士の屋号を与えられるのだし、
医学博士でないと医局内だけでなく出向した外部の病院でも出世に響く…とテレビで言っているだけかと思っていたら、
本当にそうらしいので驚きました。研究重視・臨床軽視で、それまで挫折を知らずどこから出たか分からない多額の学費を使い、
医学部で勉強してきた“お坊ちゃん”や“お嬢さん”達がひたすら歩んできたエリートコースを歩み続け、
更に出世街道を前進するには医師免許よりも獣医の免許を差し上げたいと思いませんこと?

Aについては全くその通りだと思います。

それなりのサービスや技術の提供を受けたい人は、それなりのコストを負担するべきだと思います。
医療は「サービス業」なのですから、自分の希望するサービスを受けるにはどこが良いか…と自分に合った所を探したり、
勉強したりしますよね!?自分の希望に近いところが出てきたら内容・料金等を確認し、納得してからサービスの
提供を受けて料金を支払う…というのが“市場の原理”だと思います。
そして知識や技術だけでなく、人間性に問題があったり、あるいはミスがあったりする所はどんどんスタレていく…。
これって市場の原理ではないのでしょうか?
今はそうではないから、ミスをしても平気で仕事が続けられたり、謝らなかったりする医療者だらけなのだと思うのです。
医療ミスに該当するようなことが営業の仕事であったとしたら、これはもう信用問題になり
ますので当然「平気な顔で営業し続けられる」なんて馬鹿なことはあり得ないでしょうね。

ちょっと話題を変えますが、ドクターやナースに対して廊下の隅の方でこそこそと金品を
差し出していると必ず受け取る…と批判する人々もいますが、自ら「出せ」という人も居ないと思います。

そこには「私だけに“特別な配慮”をしてもらいたい」というエゴイズムがあるからに
他なりません。本人が気付いているかどうかは別として・・・。

私はこういう人達の方を痛烈に批判したいと思います。
極端なことを言えば「健康をお金で買えるかもしれない」とか「自分や家族だけに特別の配慮を」なんていう
馬鹿者につける薬はありません。一体、特別の配慮とはなんなのでしょうかね。
大体、そういう人に限って、病気に関する勉強なんてこれっぽっちもやらない人が多いし、
重箱の隅をつつくような事でクレームを付けてきたりする人も居ますから…。これを本末転倒と言わず何というのでしょうか。
この部分に関してだけは患者側のモラルもが低下している…というより、無いに等しいと言わざるを得ませんね。
受け取った医療者でなく、下心見え見えで金品を渡す方が責められてしかるべきでしょう。

感謝の気持ちを表現したいというのなら、公衆の面前で堂々と「ありがとうございました」と
いうだけで充分だと思うのは私だけでしょうか。

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開業医の秘密 PART1

私が准看護婦の資格を取得する前…正確に言えば准看護婦資格試験の受験資格を得る為に通学していた
無資格の学生時代に、2年ほど住み込みで働いていた“医師会所属の個人病院”でのお話です。
今から思えば「あんな所でよく730日も居られたなあ」と自らに感心出来る位の凄まじい戦場のような所でした。

午前6時前に起床、同室の先輩を起こさないよう気を配りながらトイレと台所周囲の掃除をしつつ、白衣に着替えます。
寄宿舎と呼ばれていたその建物と病院は渡り廊下でつながっていたので、傘は不要だし通勤時間は“徒歩3秒”でした。
夜勤の先輩が仮眠から目覚めるかどうか…という時間にタイムカードを押し、外来・手術室、そして病棟へと
各々が散っていきます。各場所共通の朝の仕事として、床掃除、窓拭き、ゴミ箱をあける、タオルやシーツの洗濯等があり、
これらの事を午前7時に始まる院長回診までに済ませておくことが1.2年生の任務でした。
そして寄宿舎チームの朝食当番が持ち回りするので、それに当たった時は無資格の生徒が近所の八百屋まで買い出しに行きます。

NHK朝の連続テレビ小説が始まる頃になると、朝の一仕事を終えた人から順番に6畳ほどの広さにテレビと
テーブルだけがあるという殺風景な和室へと集まってきます。
婦長1名、准看護婦の資格を持っていて寄宿舎生活をしている人2〜3名、准看護婦学校へ通っている生徒6名
(1.2年生各3名ずつ)…合計10名程度が一堂に会して朝食を取ります。
生徒のうち、1年生か2年生のどちらかが午前中に授業がありますので、この朝食が終わったら
そのまま寄宿舎に戻り制服に着替えて学校に行きます。
1.2年生とも3人ずつだったので、3人が一緒に立ち上がり「学校に行かせて頂きま〜す!」と大きな声で言い、
まだ朝食を食べ終わっていない先輩の「いってらっしゃあ〜い」という
眠そうな返答を聞いて初めて和室を去る…という儀式のようなものがありました。
又、学校から帰った時も、その後の仕事があるなしに関係なく一端は白衣に着替え、必ず3つの場所
(外来・手術室・病棟)に全員で「ただいま帰りましたぁ〜!」と言って回ります。
これは午前中が仕事で午後から学校という場合にも行われていました。
2年生になり、総合病院での実習に出かける時・帰ってきた時も同じでした。

ここで余談なのですが、その個人病院では“有資格者と無資格者を外見から分かるようにする”ということで、
頭の部分で見分けがつくようになっていました。看護婦・准看護婦などの有資格者はいわゆる“ナースキャップ”で、
無資格の生徒は“三角巾”でした。三角巾のうちでも2年生のそれはグレードが上でして、
1年生にとって一応は憧れの的というか、とりあえずの目標でした。
2年生になると「来年は(准だけど)看護婦さんと呼ばれる」という無言のプレッシャーがある代わりに
幾つかの特典がありました。
それは各種注射の練習や、小さな手術の直接介助(ドクターにメスやピンセット等の機材を
直接手渡す役目の人)が出来ると言うことです。
今は無資格の身分だけど、試験に合格したからと言って直ぐに何でも出来るという訳ではありませんので、
2年生の後半くらいから練習しておかないと有資格者になった時に「使えない奴」という評価が下されるのです。
そのような世界だったのです。
その代わりというべきか、食費・寮費・学費など一切不要でして、給料として支払われていたのは月額4万円でした。
昭和50年代後半のお話です。

このようにして過ごした2年間でしたが、もちろん今の時代のイジメに該当するような事もありました。
夜の授業から寄宿舎に戻ったら既に先輩が布団を敷いており、自分の敷く場所がなかった為、
敷居の上に布団を敷いて寝たことは1度や2度ではありません。
先輩よりも良い成績だと長期間にわたってネチネチと嫌みを言われたりしました。
イジメの実際は多岐に渡っており、とてもここには書き切れませんが、
そのような事をされるのは1年生の宿命とも言われていました。
しかし、私はそのような先輩を見ていると次第に「ああいう風にはなりたくないし、なってはいけない。
准看護婦だけでなく必ず看護婦の国家資格を取ってあいつらを見返してやる」という思いが強くなっていきました。
2年生の後半はこの言葉を呪文のように唱えながら日々を過ごしていたのを今でもハッキリと覚えています。

本来ならば医師会の規則(?)とやらで“お礼奉公”なる期間を数年間過ごしてからでないと、
進学も退職も出来ないことになっていましたが、私は親に事情を話して「引き取りに来てもらう」という形で辞めました。
その時、いくらかお金を支払ったのかどうかは知りませんが、とにかく“お礼奉公”を1日もしないで辞めたというのは、
当時の医師会にとっては画期的なことだったのです。それから数日後には大都会に出てきていました。

お礼奉公という空白の期間をおかずに上の学校に進学したかったので、
極秘で資料を取り寄せたり受験したりしていましたが、裏から手が回っていたようで7校受験して全て不合格でした。
とても悔しかったので翌年に同じ学校を再度受験しましたら、全て合格でした。ふん、ざまあみろ!…っていう感じでしたね。
7校のうちで1番有名であり、業界の中に知らない人は居ないだろうという人物が設立した看護学校に進学しました。

当時、田舎の個人病院ではどこでも同じような扱いでしたが、今の私にとっては「貴重な原始体験」と言えるでしょう。
ところが驚いた事に大都会でも大差のないことが行われているのだと、
数年後に知ることになるとは当時の私は思ってもいませんでした。

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ナースとドクターの関係

口や態度に出すかどうかは別として、未だに「看護婦に何が分かるのか」と言うドクターがいます。
(時々、いえかなりの確率で患者さんにもいます)
私の経験からすると割と年輩の世代に多いようですが、時代はもう21世紀になろうとしているのに古いですね。
自分の方が受け入れられてない、って事を自覚した方が早く周りと溶け込めると思うのですが…。

最近はいわゆる“オヤジ世代”だけではないみたいなのです。
大学系列の病院で管理職をしている友人の話によると、免許取り立て・卒業して間もないドクターにも、
そのような種類の人達が出てきているそうです。
要するに「あなたは看護婦さんなんだから、僕たちの言うことを聞いていれば良いんです」という感じだそうです。
ところが昔のドクターと違うのは、意外と話が通じたりする…というか、両方の言いたいことが伝われば
上手くコミュニケーションがとれるし「ナースが適当に持ち上げていれば(ナース達の)思うように動いてくれるのヨ」と
友人は言っていました。

私個人の考えでは「ドクターだから」とか「ナースだから」とかいう職業別分類は頭の中にないし、
同僚という感覚ですから上記のような事はありません。
ドクターもナースも“患者さんをよくする”という共通の目的を持って仕事をしている訳ですから、当然のことなんですけどね。
もちろん法的には“医師の指示に基づいて”という部分がありますから、それを遵守しながら、ってことになります。
ドクターがどうしたいのかが分からない時は必ず聞いてから処置等に入るようにするのが当然というか、
常識というか…そうだと思っていたら実は違っていて、ナースの中にも未だに「ドクターの言っていることは絶対従わなくては」と
いう人もいるみたいです。おしんの時代じゃない、っていうの!ちょっとCRAZYですよね、ここまで来ると…。
「ドクターがどうしたいと思っているのか」を聞いてからでないと、
結局は説明にしても何にしても迷惑を被るのは患者さんになってしまいます。

病院で威張ってナースを見下しているようなドクターは、家でも同じか、あるいは全く逆のパターンで
奥さんの尻に敷かれているタイプのどちらかである事が多いでしょうね。私の経験では後者の方がダントツに多かったのですが…。
なかなか面白いウオッチングが出来るものですね。
これについては世の中のサラリーマン諸氏のご意見を聞いてみたいものです。

他に皆さんの興味のある部分として必ず出てくるのは、ナースと女医さんの確執のようなものではないでしょうか。
私がナースになった頃は女医さんの絶対数が少なかったという事もありますが、
皆さんが想像するような醜い争いというのは見たことがありません。
それよりも同い年の女医さんと友達つき合いをしている位なんです。
たまたま同じ病棟で仕事をしていましたが、白衣を着ている時はお互いが職業人ですし、あまり話もしませんでした。
何度か仕事以外で食べたり、飲んだり、遊んだりしたことがありますが、人間的にいい人だと思いますし、
自分だけでなく身内を診てもらっても良いかな…というふうに思いますもの。

中には面白いというか、強者の女医さんもいました。
院長さんの2号であるにもかかわらず、患者の父親(彼女は小児科医なので)とか、院内の男性ドクター達を食い物にし、
日々違う人と同伴出勤…なんてのは日常茶飯事でした。誰も珍しいとかで驚きませんでした。
院内では「なまじお金を持っているものだから、ああいう事も出来るんだね」なんて呆れられていましたが、
ある時、院長さんにバレてしまいました。翌年には転勤という形で飛ばされてました。

世の中のドクター達の名誉のために(?)書きますが、こういう人ばかりではありません。
人間的にもいい人はたくさんいますので誤解なきよう!ここには極端な例を挙げただけですから…。

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遺体の搬送

読者の皆さんは遺体の搬送というと、一体どんな場面を思い浮かべるでしょうか?
「病院等の病室から霊安室まで」「霊安室から自宅又は葬儀場までの往復」「自宅や葬儀場から火葬場まで」・・・、
せいぜいこのような場面でしょう。しかし、今回のお話は空輸で遺体を搬送する時のことです。
これは長年看護婦をしていても知らなかったし、こんな風に扱われるのかと思うと
何だかとても居たたまれない気持ちになりました。

つい先日、医療界とは全く無関係の友達と話をする機会がありました。
その時に9/15に亡くなった元同僚の話をしました。そして亡くなった日のうちにご遺体を実家のある某県まで
空輸で連れて帰ったらしい・・・と話をしていると、頭の中を「棺に入った遺体は一体飛んでいる飛行機のどこにいるのか?」
という事がとても不思議に思えてきました。
この友達は航空・旅行関係の業界にいるので「もしかして知っているかも」と思って聞いてみましたら、
意外なことに「荷物として扱われる」というのです。そして旅客ターミナルには一切入らず、
普通にトラック等で運ばれてくる荷物と同じ出入り口から飛行機の下まで運ばれるそうです。
私達人間のお客が座っている座席の下辺りにそういう荷物を収納するスペースがあるらしく、
普通の荷物と共にその場所に置かれて空輸されるとのことでした。
ただ、棺の上に物を乗せられないので遺体も同時に運ぶ便は手荷物を乗せるスペースが極端に少なくなるとのことでした。

では家族は一体いつまで、どこまで遺体とともに居られるのか・・・という疑問がわいてきました。
それについては空港に向かう時点で別々の車に乗る場合もあるし、同じ車で家族だけをターミナルで降ろす場合もあるそうです。
家族はターミナルで降ろさないと荷物でなく人間ですから、搭乗手続きをしないと乗れない・・・、ごもっとも。

棺に入った遺体は荷物として扱われ、普通の手荷物等と同じスペースに置かれて空輸されるという話は、
このとき初めて知りました。しかも棺ごと例のエックス線装置とかいうのを通して「遺体の中や棺の中に変な物が
入ってないかチェックする」とのことでした。
これで何か反応があったら、例え遺体であろうとも徹底的に調べられるそうです。
もちろん親族の同意を書面でとって・・・のことになるらしいですけど。
前述の友達が遭遇した1番恐かったのは、亡くなった赤ちゃんのお腹に麻薬が詰められていたということもあるそうで、
そうなると血も涙もないものだと感じました。
そこまで強烈な犯罪レベルの話は別格としても、航空関係の法律上では「遺体は荷物」というのを知り、
腸・・・いや超ビックリしたので裏話として書いてみました。
「これは誰も、いや関係者でも知らないんじゃないか」とその友達が言っていました。皆さん、知ってましたか?

11/26追記
リンク集の中にある現役の葬儀屋さんこと“エステートパパ”氏より許可を頂きましたので、掲示板の書き込みを
そのまま引用させて頂きます。葬儀屋さんも最初はびっくりしたという“遺体は荷物扱いされるという事実”…。

ところで、業界裏話項目にある「遺体の輸送」の件ですが、私も仕事柄2回ほど「遺体の空輸」に携わったことがあります。
遺体を納棺した棺は確かに「荷物扱い」されました。国内の空輸だったのですが(海外空輸はしたことないです。)
我々は羽田空港まで搬送し、更に貨物便のエリアまで移動し(大型トラックが行き交うへんぴな場所でした。)、
コンテナ内に入れる作業でした。その後は空港の人任せでしたが、見てるとそのコンテナをフォークリフトで
どこかへ運んでいきました。初めてみたときは、ほんと驚きました。完全に荷物扱いしていたので・・・。



2002.1.9追記
掲示板に実体験を語る書き込みがありましたので、了解を得てこちらに転載します。海外からの遺体搬送に関することです。

「遺体の搬送」のところで私は偶然にもその事実を知りました。
父親が台湾で心肌梗塞(台湾での死亡診断書にはこう書かれてました。心筋梗塞だそうです)で死亡しました。
それで台湾まで確認、遺体処理のために行きました。遺体を持ち帰るには「エアーカーゴ」になるそうです。
つまり「荷物」ですよね。料金も確か高くなったと思います。で、色々あって結局は現地で仮葬儀になりまして、その後火葬。
遺灰を持って帰る事に…。やはり遺灰にもあれこれ麻薬とかを紛れ込ませて運ぶ輩がいるらしく厳重に「封印」されました。
遺灰入れの容器の合わせ部分にその葬儀屋さんか何かの紙のシールみたいなのを貼ってました。
それでも「機内持ち入れ手荷物」で「荷物扱い」になるんですけどね。空輸って大変なんやなぁ…って初めて知った時でした。

(2002.1.7 REYさんの書き込み)

遺体搬送の海外よりの引き受けを経験しました。やはり、荷物扱いなのですが棺がすごい。
木箱の中からジュラルミン(←だと思います。鉄板製)のようなの棺が出てきたのです。しかも蓋が溶接してあります。驚きました。
海外からの空輸だと、やはり諸国の規定なのか詳しくは分かりませんが、厳重に封印をしなくては空輸できないようです。
こちらに来て、日本の棺に入れ替えるのですが、大変な作業でした。

(2002.1.7 現役葬儀屋・エステートパパ氏の書き込み)


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外科病棟での話

以前このような事があったというのを思い出しました。外科病棟でのお話です。
ある患者さんは手術を控えて自分で買い物にも行けなかったので、家族に電話をして必要物品を説明し、
持ってきてくれるように依頼しました。電話での応対では「はい、分かりました」というお返事だったらしいので、
スタッフはその旨患者さんに伝えたそうです。当然、患者さんは家族が持ってくるものだと思っているし、
私達看護婦もそう思っていました。ところが数日後に届いた荷物一式は・・・。タオルも腹帯も何もかもがまっさらの
値札がついたものだったのです。デパート等で買ってそのままダンボールで病棟の患者さん宛に送りつけてきたと
いうことなのです。
その時、患者さんは平然としていたのですが私達スタッフははやりきれなさを感じていました。

何ヶ月か経過してその方が亡くなられた時、本当は遺体も引き取りたくないんだけど・・・と家族の方がおっしゃっており、
役所で埋葬したというのを当時の病棟婦長から聞きました。
手続きは婦長がやっていたので詳しいことは分かりませんが、とにかく遺体は役所の人が引き取ったといいます。
死亡診断書がないと埋葬許可が出ないので、通常は家族が死亡診断書を持って帰るのですが、
この人の場合は役所の人が取りに来たとのことです。
後日、会計をする為に家族の方が病院にいらした時、重い口を開いたそうで、婦長に次のように言ったそうです。
婦長はそのまま私達スタッフに教えてくれました。彼女も長年看護婦をやっていて
「久し振りにこんな例を見た」と言っていました。家族は「仕方なく」と言っていたらしいですよ。何回も・・・。
「皆さん(医師や看護婦)は私達家族のことをなんとヒドイと思われたでしょうけれど、私達家族がそうするのは
それなりの理由があるからです」ということでした。
これを婦長から伝え聞いたさすがの私達も考えてしまいました、みんなで。
確かに亡くなった方は生前、家族にとても口に出来ないような仕打ちをしていたらしく、具合が悪くなった時だけ
言ってこられても・・・という思いがあるのが充分伝わってきたと、婦長は言っていました。

つまり、具合が悪くなった時でさえも面倒を見てもらえないような事をしてきた人だったんだという事でしょうね。
彼の自業自得とでもいうべき最期だったのだと思います。
1つの事実だけで人を判断するのは良くないと感じざるを得なかった一件でした。
同時に「体調が悪くなった時は、最低限親族に助けてもらえるはず」という思い込みがあったということも反省しなければ
なりませんでした。世の中は私達が思っている以上に広いし、色々な生き方をしている人がいる・・・というのは
本当に勉強になりました。


今、このことを思い出してみると「人に囲まれて亡くなるのはある意味では幸せなことなの
かもしれない」という思いがこの灰色の脳細胞の中を駆け巡っているのです。

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老人医療の現実〜PART1〜

以下のコラムは内科医のDr.KOH氏が自らのサイト内で発表しているものです。
一般の方々も医療従事者も知らない人がいるのではないかと思い、世の中にこういう現実があるというのを
知ってもらうことが必要ではないかと考えました。
しかも看護職の視点でなく、現場の医師の視点であるというのがポイントです。
そこでDr.KOH氏に転載又は直リンクの許可を頂けないかとお願いした所、快諾のお返事を頂いたので、
ここに転載させて頂くことにしました。
元の記事はこちらにありますが、サイト内での階層変化も考えられるのでご注意願います。
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/wa2/koh-i/medicalexpense.html

尚、太字等で強調してある部分は、私こと“ナースのおばちゃん”が深く同意する部分であったり、
納得する部分であることを付記しておきます。
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老人医療費(コラムのタイトル)

中学時代の友人のご母堂が、脳卒中に倒れ、寝たきり状態だという。
先日、その彼が電話で酷く憤慨していた。発作を起こして担ぎ込まれた救急病院では、
なんとか車椅子で外出できるまでに回復したのだそうだ。ところが、そこではそれ以上長くは入院させられないと言われ、
関連の療養型病院に転院させられた。その途端、寝たきりになってしまったというのである。
「ひでえところなんだ、何時行ってもナースセンターに看護婦の影さえ見えないんだぜ」 と彼は憤っている。
ほっぽらかしにされた挙げ句、一月後には寝たきりとなり、今では息子の識別すらできないという。

そんな・・・もんだろうな。旧友には悪いと思いながら、老人科医の一人である私は、内心そう思わずにいられなかった。
そういえば、別の知り合いも、最近父親を卒中でなくした。
その人も、救急病院では結構回復したのに関わらず、療養型に送られた途端悪化して死んだのだそうだ。

今、日本の老人医療の現状は悲惨である。この国は、遂に老人にはまともな医療はしないと決めたのだろうか?
現場に立って、つくづくそう思わざるを得ない。政府、財界のみならず、マスコミも、巷の人々も、
高齢者に無駄な医療費がつぎ込まれることこそ諸悪の根元であることで意見が一致している。
寝たきりになった年寄りに治療なんてしたってしようがない、みんな、そう思っている。

そう思っているだけならともかく、それが現実のものとなっているのが、昨今の老人医療の実態ではないか。

先日、ある老人病院で当直した時のことだ。夕方、老人ホームから往診の依頼があった。
行ってみると、吐血だ。痰が多いので吸引しようとしたら、突然血を吐き出したという。
出血量はかなり多い。吸引チューブが咽を擦ったぐらいでは、到底こんな大量の出血にはならないだろう。
明らかに、胃の辺りに何か起こっているのだ。潰瘍か、あるいは癌か。
その場の応急処置をした上で、翌日、病院に搬送して胃カメラをするよう、ホームの看護婦に指示した。

ところが、である。
翌朝その看護婦が言うには、胃カメラをするのに家族の同意が取れないというのだ。
家族が曰く、こんな年寄りで、寝たきりなのに、胃カメラなんかさせては可哀想だと。
じゃあ血を噴いているのは可哀想ではないのか?その判断はともかく、大量吐血に対し胃カメラをするのは
救急医療の範疇に属する。
ホームという、いわば医療の砂漠地帯で起こった出来事だから、その晩は出来なかったが、
常識的には、一刻も早いカメラによって、出血の原因を突き止めなければその後の対応のしようがない。
ところが、その家族に言わせればそうではないらしい。
この患者は以前にも血を吐いたことがあった、その時は薬でよくなったので、今回も薬で治療してくれ、と。
”可哀想”などというのは明らかに言い訳なのだ。
要は、こんな寝たきりの年寄りがせっかく急変してくれたのに、
治療など余計なお節介はやめてくれと言うことに過ぎないのは明白であった。


よりによって、こんな時は急変が続くものである。
その同じ日の早朝、今度は療養型病棟に入院中の患者の容態がおかしくなった。
突然、右片麻痺が来たのだ。痴呆はあったが、なんとかご飯も多少の介助で食べていた人が、
右手をだらんと下げたまま意識がなくなってしまった。朝1番でCTを撮ると、案の定脳出血である。
さて問題はここからだ。
私はもちろん、直ぐに脳出血急性期に必要な治療をしようと試みた。
ところが、そこで判明したことは、その療養型病院には脳出血の急性期に必要な薬物が、何1つ無いと言うことだったのだ。
一般に、そうした薬剤は高価である。しかし今、療養型といわれる病院では薬剤費は総て「丸め」、つまり治療をしてもしなくても
1ヶ月1人幾らと決められているのである。それ以上は、どんな治療をしても、医療保険から病院にびた一文支払われない。

この定額方式は、厚生労働省が老人医療費を減らす特効薬として強力に推し進めている政策の1つだが、その結果、こうした病院には
いざ入院患者が脳出血を起こしても、その当座の対処をする治療薬すら何1つ無いという事態が生じているのである。

制度の建前としては、この様なとき、患者は急性期対応をする病棟、もしくは急性期対応が出来る他の病院に移すことになっている。
だが、この病院にはそもそも療養型の病棟しかないのであった。
ではこの患者を他の救急病院に移してはどうか?
しかしそこで持ち上がるのがまたしても「家族」である。療養型の病院にこうした患者を家族が長く入院させておくのは何故か。
その理由はただ1つ、「付き添いがいらないから」というに尽きる。

こうした療養型の場合、看護スタッフを充実させ、家族の付き添いや私費で雇う付添婦は置いてはならないと言うことが義務づけられ、
また実際それがこうした病院の売りでもあるのだ。
つまり、自分たちが付き添わずに手間の掛かる年寄りを置いておける、というのがこうした病院の唯一の長所なのだ。
案の定、この脳出血の患者の家族も他院への転院は拒否した。
急性期を扱う一般病院に転院させたら家族の付き添いが必要となる。それはとてもできないというのである。
結局、その患者はそのままそこにいることになった。もちろん、事実上何1つ治療らしいことは出来ないのが分かっての上だ。

制度を牛耳るお役人からは、ここで横やりが入るかも知れない。
今一般病院を含む総ての病院で家族の強制的付き添いや私費で雇う付添婦は禁止されている、と。
だが、ここがいやらしいからくりなのだ。確かに所謂付添婦は禁止されたが、それだからといって病院の看護は充足されなかった。

結局、これまで金を出して付添婦を雇っていた家族は、自分達が病室に寝泊まりして付き添うか、
でなければ入院を拒否されるかしかないのだ。
家族の付き添い、という“タダの労働力”を暗黙のうちに強制し、医療費の削減を謀る制度である。

結局、纏めるとこういうことになる。高齢で、あちこち不自由になり、手間が掛かる老人に対しては、まず
1.療養型の病院、老健施設、老人ホームなど、総て医療については定額制が取られている。
  こういう所では、一旦病気になり、急な対応が求められても、殆ど何も出来ないに等しい医療水準しか用意されていない。

2.それらの患者を、まともな医療が出きる病院に移そうとすると、今度は家族の付き添いの問題が発生する。
  手間を掛けたくない家族からは、殆どの場合、これは拒否される。
  結局、こうしたお年寄りが何か急変を起こせば、見殺しにするより他は無いというのが現在の老人医療である。

ちなみにこの制度は、この春からより一層徹底されるようになった。
これまで認められていたレントゲン撮影すら、定額制の丸めに入れられてしまったのだ。
直ぐ肺炎を起こすようなお年寄りが熱を出しても、レントゲン1枚撮るのに躊躇せざるを得ない。
1枚撮れば、それはその分病院の持ち出しとなるからだ。
寝たきり老人がせっかく肺炎でくたばってくれるのに、治療するなんてとんでもない・・・国も、家族も、自治体も、
この国中の人々が
こぞって内心そう思っている。
そのくせ、いざ自分の親がそう言う状況に置かれると突然、”ひでえ病院だ”などと 憤慨したところで、それはどうしようもない。

薬も、採血も、レントゲンも、つまり診断したり、治療したりすることは全部”丸め”にして、病院の持ち出しとする。
そして事実上、そう言うことを少しでもやれば到底病院の経営が立ちゆかなくなるような値段設定しかしないで置く。
この政策の意味するところはただ1つ「年寄りに治療なんかしなくていい」、それしかない。
毎年毎年老人医療費が増えて国家財政を圧迫している。やれ困ったものだ、医療費の無駄遣いだとマスコミが書き立てる。
我々の税金が多いのも、保険組合が破綻するのも、みんな年寄りに治療費なんかを使うからだと誰もが思っている。
だから、使わなくてよい。死ぬまで、ともかく収容して置きさえすればいい。
この国民的合意が、今我が国の素晴らしい老人医療システムとなって結実しているのは間違いない。
だが、人々はまだ満足できないらしい。今年もまた、老人医療費の高騰が騒がれている。
哀れな人生の末路を迎えたお年寄りから、人々はこれ以上何を奪いたいのだろうか?(2002.4.23)
written by Dr.KOH
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読者の皆さん、いかがでしたでしょうか?
これは医師の視点から書かれているものですが、PART2では私が体験した実際を書いてみようと思います。
10年前となんら変わっていない現実もあるのです。社会の末端では末恐ろしいこしが当たり前のように起こっているのです。
何かの問題提起、あるいは読者の皆さんが考えるキッカケになれば・・・と思います。
転載を許可して頂いたKOH先生には感謝いたします。やはり、こういう所で「声をあげて知らしめる」という事も大切なんだと感じています。
理想論だけでなく、まずは現状を認識しないと何も出来ませんから。

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老人医療の現実〜PART2〜

うば捨て山とは上手く表現したものだと思いますが、老人医療の現場とはこういうものです。
そして、それは10年以上前と何ら変わっていないということも・・・。
平成の始め頃、70床ほどの老人病院でバイトをしていたことがありますが、当時の記憶があまりにも鮮明に残っているので、
それらを箇条書きにし、Dr.KOH氏のコラムと連動するべく説明を書いてみようと思います。
尚、私が10年以上前に勤務していたこの老人病院では、平成14年になった現在でも全く変わらない現実であることを、
今も在職中の職員に確認した上であることを付記しておきます。

1.面会人
2.夕食の配膳
3.夜間不穏になる人達の対処法
4.おむつ交換のからくり
5.経管栄養食
6.付添婦のその後
7.表面的には看護師が重宝がられる理由

では、まず1の「面会人」について、ですが・・・。
昼夜を通して面会人はほとんどありません。たま〜に定期的に現れる人もいましたが、長持ちして1.2ヶ月という人が多かったです。
当時はまだたくさんいたいわゆる“付添婦”という人達にお金を預けてあるのですが、必要物品がある時はそこから出してもらえば良い訳だし、
何も家族が来る必要性はないという理屈です。発熱くらいで家族に連絡しないでと怒られた事は1度や2度ではありません。
急変して生命に危険が及ぶようになってからで充分だそうです


次に「夕食の配膳について」・・・。
患者さんの夕食は日勤者(看護職やヘルパーが主)や厨房の勤務者の都合で16時台の後半に配膳されます。
ほとんどが介助要の人なので配膳されたら看護婦も准看護婦もヘルパーも、全員出動で食事介助に突入です。
定時に帰るためとはいえ、さすがの私もこれには閉口しました。
ご飯もおかずもみそ汁も全部混ぜてしまい、それを患者さんの口に入れるのだと無資格のヘルパー(いわゆる看護助手で年輩者が多い)に
指示されました。誤飲の危険も考えられると示唆したら「そうなったら側にあるポータブル吸引器を使う」とのことでした。
しかも、ミスだの何だのと言われると困るので大部屋は必ず複数人で介助にはいることや、個室で何かをやる時は必ず入り口を開けて
(元から開けっぱなしなのですが)、声を出して行うという細かいことも教わりました。これは全てのことに通じるらしいです。そこのでは。
定時までに介助が終わらなかった場合は「遅番」という勤務体系のヘルパーに任せて帰宅します。

次に「夜間不穏になる人達の対処法」について・・・。
こういう人は事前に薬剤が処方されています(夕食後と寝る前、または寝る前のみ)ので、ドクターの許可を貰っておいて
「夕食後に寝る前の薬を服用」させて夜間の鎮静をはかります。老人は吸収・排泄機能の関係から薬効が出るのが遅く、
処方通り寝る前の服用だと明け方からウトウトし始める場合が多く見られるからという理由です。
大抵はこの方法(寝る前の鎮静剤を夕食後に服用する)で効果があるのですが、これでも不穏になる場合や、
長期間の連用によって耐性が出来てきた場合などは“それでも不穏の場合1〜3”と段階的に指示が出ているので、
その範囲内でどんどん使用します。

Dr.KOH氏のコラムでは「その療養型病院には脳出血の急性期に必要な薬物が、何1つ無いと言うことだったのだ」とありますが、
正にその裏バージョンであり、不穏時の薬剤は内服薬も注射薬もたくさんの在庫があったし、病棟に無くなれば院内の薬局にストック
されていました。急性期の人に使用する薬剤は何かあったかな〜、と思い出してみたのですが、取り寄せてやっと出てきたミリスロール
しか思い浮かびません。ミリスロールについてはこちらを参照して下さい。
あ、あともう何種類かありましたけど、全て取り寄せでしたね。それじゃあ急性期には使えない、っつうの!
まあ家族にしてみたら「余計なお世話」らしいですけどね。

これを読むと一般の方はなんてひどい事を・・・と思われるでしょうけど、この不穏(ふおん)な状態というのは
半端じゃないですね、正直言って。寝たきりの人の方がまだマシでしたね。
夜間の当直体制は看護婦・准看護婦が1人と看護助手(ヘルパー)1人の女性2名のことが多く、ハッキリ言って女2人では
太刀打ちできずに院長宅に電話して応援を頼んだことは数え切れません。
一例をあげますと、大声出して暴れるだけでなく、その辺の物(Bed-sideに置いてある物等)を投げたり、手当たり次第に口に入れたり、
廊下を歩き回って他の病室での大声や罵声・暴力、まるで「入院する科が違うのでは?」と思うこともありました。
しかも、こういう状況は消灯と同時に別のスイッチが入って、そこから活動開始するので家族は全くこういう状況が分からないのです。
困り果てて家族に連絡しても夜中に来る訳ではありませんし、そんな事で夜中に電話しても迷惑がられますし
「一体、いま何時だと思っているんですか?看護婦さん」という人が大多数です。
家族に来てもらうことによって何かをしてもらうのは期待していなくて、そういう現実を見せておくことが大切という院長の
方針でしたが、数ヶ月でもろくも崩れ去りました。


ここで「どうして精神病院に転院させないのか」・・・という疑問が生じましたが、それが解消されるまでには
大して時間がかかりませんでした。それは社会的な体裁だけでなく、家族自身が精神科というところに偏見を抱いていたからに
他なりません。
私がバイトしていた老人病院の看板は先代院長や、数人の勤務医の診療科のことがありますので「内科・外科・整形外科・
脳神経外科・そして人工透析」というふうになっていました。この診療科目は現在も同じだそうです。

次に4の「オムツ交換のからくりについて」・・・。
そこの老人病院では1日のオムツ交換回数なるものが決まっていました。自分で訴えられない人が多かったので、もちろん定期的に
チェックはしていましたけど、それには制度も含めたからくりがあったのです。特に夜間は睡眠との関係もあり、
標準とされていた21時、0時、3時、6時の計4回でした。安眠を妨げて起こして不穏になられるよりは・・・という考えが裏にあったというのは
当時の私にも容易に予想が出来ました。

で、そのからくりの中身なんですが、これは各自治体から支給される紙オムツの枚数と深い関係がありました。
例えば1人ひと月100枚の支給があったとします。1日に換算すると3.3枚という計算になりますよね。
自治体からはこれだけしか支給されないので、これ以上オムツ交換をするとその分は病院の持ち出しということになります。
(自治体によって支給枚数に差があります!今でも)
しかし、1日3回で足りないのは誰が見ても明白です。特に下痢をしていれば当然オムツ交換の回数は増えますし、夜間の頻尿も
老人特有の症状だったりしますのでね。
しかし、病院側は支出を抑えなくては経営が成り立ちませんので、色々と工夫が必要になってきます。
その1つは「排泄物がないか定期的にオムツチェックはするが汚染がなければ交換しないのは当然」ということになります。
つまり交換回数を3回以内に抑えるためです。不足分、すなわち4回目以降の分に関しては業者と提携して布オムツを使用します。
いくら老人病院でも汚れたオムツをしたまま・・・なんて事はありませんでした。

その“業者と提携した布オムツ”は1セット30〜50円程度だそうで、そこの老人病院では毎朝6時前にはトラックが来て、
前日に使用したオムツを入れてあるランドリーBOXを回収していくと同時に、当日分として何セットかを置いていってました。
では「布オムツは誰に何セット使ったか」というのを、どうやってコスト請求するかという点についてですが、これは簡単でして
各々のBed-side(多くは床頭台)にメモ帳を置いてあり、そこに布オムツの欄があるので使うたびに“正の字”を書いていく、
そして何日かおきにまとめて家族に請求するという形を取っていました。付添婦がいる患者さんはこの限りでなく、
家族が付添婦さんに紙おむつを買う現金を渡していたり、あるいは布オムツ用のコストだけを別に支払う家族もありました。

ここで1つ疑問点が出てきまして、利用者同士の感染ではなく、回収する業者の人達への感染も問題になるのではないかと
思っていましたが、そもそもそこの老人病院は、感染症がある人は入院させてなかったみたいので、この件に関しての問題は
生じるはずがありませんでした。老人ホームでは感染症があるとなかなか入所出来ないと聞いたことがありますが、
巷の老人病院でもこういう事があるとは当時の私は知らなかったのです。
私は最初、この布オムツに抵抗がありましたが、良く考えてみると赤ちゃんにも布オムツが推奨されているという事もありますので、
コストのことを考えると妥当な線なのかと思って自分を納得させていました。

この「オムツ交換のからくり」の理屈は、Dr.KOH氏の言っている次の部分に該当します。

『今、療養型といわれる病院では薬剤費は総て「丸め」つまり治療をしてもしなくても1ヶ月1人幾らと決められているのである。
それ以上はどんな治療をしても、医療保険から病院にびた一文支払われない』

薬剤費と紙おむつでは出所(支給元)が違います(薬剤費は厚生労働省で、紙おむつは各自治体)が、一定以上は
1円も出ない
というお役所的な部分においては非常に似通った性質のものだと感じます。
読者の皆さんはいかがでしょうか?

さあ「老人医療の現実」はまだまだ続きます。次は5の「経管栄養食について」・・・。
経管栄養というのは「口から食べられない為、鼻から胃に通した管で流動食のようなものを流して経口食の代わりとすること」です。
経管栄養にしている原因や根拠は患者さんごとに違うので、一概には書けません。
従ってここでは“業務の中の経管栄養食”について書きたいと思います。私がバイトしていた老人病院では、朝食分については
(少なくとも)日勤者が来るまでに終わらせなければなりませんでした。また夜勤業務は他に山ほどあるにも関わらず、
夜勤者はヘルパーと看護職(正・准問わず)という2名でしたから、検温など有資格者でなければ出来ないことを優先して考えると、
どうしても時間的に早く開始せざるを得ない状況があったという方が正しいですね。

そこの老人病院では、経管栄養食がある人は早朝5時くらいから始められていました。
こういうタイプの患者さんは大抵オムツを使用していますが、朝のオムツ交換は経管栄養開始前に行うか、終了してから行うかの
どちらかでした。全介助の人がほとんどであるにも関わらず、日勤者の人数(患者数40〜45人に対して、看護職は4〜5人で
ヘルパーなどの無資格者も2.3人)
は少ないし、処置等はたくさんありますので夜勤業務が日勤者の勤務時間(9時)以降に
ずれ込むという事は、それらの業務にも支障をきたすということになるのです。
お分かり頂けましたでしょうか?もっと患者さんと話したり、Bed-sideに行きたいと言ってもそれは理想論でしかありませんでした。

次に6番目の「付添婦のその後」について・・・。
これはまず、Dr.KOH氏の『今一般病院を含む総ての病院で家族の強制的付き添いや私費で雇う付添婦は禁止されている、と。
だが、ここがいやらしいからくりなのだ。確かに付添婦は禁止されたが、それだからといって病院の看護は充足されなかった』という
文章を読んで下さい。

私がこの老人病院でバイトをしていたのは平成の始め頃ですから、まだ付添婦はいた時代でした。
これらの人達は家政婦会に所属しており、そこから派遣(?)されてくる場合がほとんどでした。
中にはお金持ちの人も居て、家族が探してきた場合もありましたが、いずれにしても病院側からするとやって貰うこと(話し相手、体温測定、
オムツ交換、体位変換、食事介助等)に大差はなく、日本人でない人も割と多くて、読み書き不能と言う人もいました。
1人の患者さんに1人の付添婦ということもありましたが、付添婦にしてみたら「1人で何人も面倒を見る方がコストが良い」訳でして、
その辺は病院側の婦長の裁量で決められていました。
要するに「何階の〇〇さんは1人で何人も見ている」というひがみもありましたので、そういうのが出ないように配慮していたという事です。
とは言っても、付添婦の仕事は過激・過酷という言葉しか見当たりませんでした。
24時間つきっきりですし、自分達(付添婦さん達)が寝るのは、担当の患者さん達のBedの足下にいわゆる“ボンボンベッド”を使って
寝るとか、あるいはござの上に薄い布団を敷いて寝ていた人がほとんどでした。
日本人の付添婦でも2ヶ月に1回は長期休暇を与えなければならず、その間は付き添いがなかったり、あるいは代わりの人を家政婦会に
頼んでいたこともありました。また日本人でない場合は、ビザの関係で数ヶ月に1回は本国に帰らなければならなかったらしく、
あれは今から思えば不法就労だったのではないかと思えてきました。しかし、日本で付添婦を数ヶ月やった給料で立派な家が建ったと
言いますから「いくら貰っていたんだろう」という点と「その国との経済格差」を感じずにはいられませんでした。

間もなく、現在の制度になりましたが移行期を経て、付添婦は廃止になりました。
私は数年後にもこの老人病院に2ヶ月ほどバイトに行きましたが、この時代に付添婦をしていた人達が選択した道は次の3つのうちの
どれかになっていたようです。

「日本人でない人は本国に帰る」
「病院職員として残り、付添婦から看護助手へ転向」
「自費か又は家政婦会の資金援助でホームヘルパー講習を受けて資格を取る」

もうお分かりかと思いますが、付添婦は無資格でも出来ることでありましたし、実際の現場はそういう労働力に頼らないと
やっていけないという現実もありました。病院に職員として残るのが手っ取り早いと思うかも知れませんが、雇う側の都合もありまして
全員の付添婦を職員にする訳にもいきませんし、それは家政婦会が黙認するはずがありませんでした。
病院の職員になる場合は、家政婦会を退会してこないといけないし、給料の手取額は半分以下になったと聞きましたが、
保険証が出来たでけでも違うと言っていた人もいました。家政婦会では給料の手取額が高いぶん身分保障がないというのが
欠点だったようです。
しかし、これは価値観の問題でして一概に責めることは出来ませんし、日本人でない人にとっては簡単な計算が出来て、
日常生活程度の会話が出来れば充分勤まることでしたから・・・。
付添婦さん達の間でも慣れたものでして、この手の人が新しく病院に来た場合はそれなりに助けあっていたようです。
また助け合わないとやっていけませんので、彼女たちの団結力は相当に強いものがあったと聞きます。

ちなみに「ホームヘルパーの仕事」については以下のようなものがあります。
主に身体介護と家事援助がありますが、家族への介護技術の指導や精神面のケアなども重要な仕事になっているようです。

身体介護:食事の介助、排泄の介助、衣類の着脱、入浴の介助、通院・デイサービスへの付き添い、体位交換、リハビリの介助等。
家事援助:症状に合わせた食事の準備、洗濯、衣類の繕い、掃除・整理整頓、買い物など。
相談助言:生活や介護、居住環境などについての相談、精神面のケアなど。

ホームヘルパーになるためには、厚生労働省によって定められた「ホームヘルパー養成研修」を受講する必要があります。
カリキュラムは1級から3級までの3課程と、継続養成研修の計4課程があります。

3級:入門編です。研修時間は50時間。
2級:ホームヘルプサービスの基本の習得が目的で、ホームヘルパーとして働くためには最低限必要な研修。研修時間は130時間。
1級:チーム運営方式の主任ヘルパーなど、中心的なヘルパーとして働く人を対象にしている。原則として、2級課程を修了後、
    1年以上のホームヘルパーとしての活動実績があることが望ましいとされている。研修時間は230時間。

継続養成研修:1級を修了した人のための課程で、その資質の維持・向上のためのものである。

ホームヘルパー養成研修を実施している機関については、自治体が直接実施、あるいは委託している機関、または厚生労働省か
自治体の指定を受けている民間企業や学校法人でホームヘルパー養成研修を実施しています。具体的には、自治体の他に、
社会福祉協議会、福祉公社、民間企業、専門学校、医療法人、農協、生協などがあるようです。

移行期間を経て無資格の付添婦はいなくなりました、看護助手にヘルパーの資格を取らせた上で「給料の手取りに
毎月数千円の上乗せするだけで」対外的には“ヘルパーの資格を取った助手がいる”という恰好のアピールポイントにした事は
言うまでもないことなのでした。

Dr.KOH氏も触れているように『療養型の病院にこうした患者を家族が長く入院させておく理由は付き添いをしたくないから』なのだから、
家族にそういうのをアピールすると「安心しておまかせ出来ます」という答えが返ってくるのです。
資格が出来た背景や、実際の中身も知らない人には手がかかる年寄りの面倒を見てさえくれれば、ハッキリ言って資格の有無は
どうでも良いことだったのです。どこでどんな安心が得られるのかは知りませんが、日本人の甘い一面を垣間見たようでした。

上記のようなことは何も資格が無くても出来ることですし、家庭で病人を見ているような場合を考えると、制度自体に疑問符が
つきます。
言葉は悪いですが、付け焼き刃的でしかありませんし、日本人の“資格が大好きな国民性”を巧みに利用した制度
だと言えるでしょう。

その証拠に、家庭で病人や老人を見るような場合にもこうした資格が必要とはどこにも書かれていませんしね。
正に資格好きの盲点をつかれたと言えるでしょうね。
私はこの資格、無意味だと思っていますけどね・・・。

最後は「表面的には看護婦が重宝がられる理由」について・・・。
これは一口に言って“裏勤務表”の存在があるからに他ならないのです。
バイトに来ている看護婦、准看護婦の免許証のコピーがあればいとも簡単に出来てしまう作業なのです。
例えば週に2.3回しかバイトに来なくても、働くからには免許証の提示が求められますが、そこを利用しているのでしょう。

正規の職員だけでは当然夜勤も日勤もこなせないので、バイトを入れざるを得ないのですし、病院側の経営戦略の1つとして
『准看護婦の方が少しでもコストが安い』というのがあります。
要するに看護婦は正規の職員にしない、ということも1つの原因だったと思われます。さすがに婦長と主任だけは国家資格を持ってた
らしい(私は実際に彼女達の免許証のコピーを見たわけではないのでこう書きます)のですが、他の職員は全員准看護婦でした。
老人病院だけでなく、多くの個人病院では年輩の准看護婦の方が発言権があるという現状はそれを浮き彫りにしているのだと考えます。
上手く病院側のやり方にハマッていたのでしょう。いや、無意識のうちにはめられていたのかも・・・。

裏勤務表は監査の時にのみ利用されますので、現場の看護婦には大して影響がありません。
それに監査は「いついつ監査です」と予告がありますから、その時に備えておけば良いだけということになります。
正規の職員は婦長、主任、そして数名の准看護婦だけという時期もありました。
しかし、どう考えてもそれだけでは無理なので、昼間はパートの主婦(お母さん看護婦)が数人来ていましたし、
その人達はご主人の扶養者になっている人達がほとんどでしたから、一定額以上の給料が出ないように働きます。
その人達は夜勤をしませんので、少ない常勤者とバイトをかなり入れてまわしていた・・・というのが現状でしょう。

これはバイトする方から言わせてもらうと「コストが良い」ということでした。夜勤当直1回で数万円という施設もありましたし、
病院側は人件費がいらないし免許証を提示させるのは当然(就労者の届け出のようなものが必要)としても、
裏でそれらを使えるというメリットもあるのです。悪用されると言っても実害があるわけではないし、働く方もコストが良いので
暗黙の了解だったのです。
今でも私が住んでいる地域では(病院にもよりますが)一晩3万円という所が求人広告に度々出ています。

どうしてそんな現状があるのかと思われたでしょうけど、老人病院には職員が定着しません。
理由は簡単「体力的にきつくて給料が安い」ということでしょう。大病院からの転職組の中にはカルチャーショックを起こして
来なくなる人もたくさんいました。特に国家資格を持ってなくても出来るのではないかと思う場面が多く、
法律上の「准看護婦は、医師、歯科医師、または保健婦・助産婦・看護婦の指示の元に」という部分を自分達(無資格者か
年輩の准看護婦)の都合の良い所だけ使い“責任転嫁”というテクニックを酷使される
と、若い人達はやっていけないでしょう。

「〇〇さん、これってこうしても良いよね!?」という問いに「それで良いと思います」なんて答えたもんなら大変なことになります。
看護記録に「〇〇看護婦と相談の元に☆☆処置施行」等と書かれてましたから・・・。私はこういう時「あなたはどう思うのか?」と
いつも問い返して、心の中では「その手には乗らないぜ」とほくそ笑んでいました。そうするしか自己防衛する手段がなかったのです。
私も「老人病院や個人病院は、小遣い稼ぎの短期間バイトには絶好だけど職員として勤務するのは勘弁してもらいたい」と思ったので、
そこではバイトしかしませんでした。数年後に2ヶ月間だけバイトに行った時も今も大して状況は変化して無くて、変わったことと言えば
国の制度だけだとぼやいていました。

《参考サイト》→主に定員を調べるのに使いました。コピー・ペーストでどうぞ。
http://www.ajha.or.jp/topnews/backnumber/2001/01_10_15_2.html
http://www1k.mesh.ne.jp/iroren/seisaku/seisaku01.htm
http://www.roken.or.jp/severs/rk_3.htm
など多数。

H14.06.14 本人の許可を得て読者からのメールをここに転載します。介護施設に勤務する「元医療従事者」の方からのメールです。

ここ数ヶ月、役所の苦情相談窓口で件数が増えている相談は、現在入院している要介護高齢者を抱える家族からの転院紹介希望だ。
急に退院を迫られ、在宅で介護するのも困難でどうしたら良いか困っているという、病院の一方的な対応に対する苦情や、
受け皿になる社会資源が乏しい現状に対して行政への不満も圧倒的に強まっている。
私の勤務する在宅介護支援センターでも、転院紹介のみならずその調整まで関わり、1件の転院先を調整するにも1日中電話に
かかりきりとなることも珍しくない。今どこの病院に依頼しても2〜3ヶ月待ちが当たり前で、入院治療の必要性が低い長期入院、
いわゆる「社会的入院」は敬遠される傾向が強い。(私こと、ナースのおばちゃんは当然だと思います)

今年(2002年)4月1日より社会的入院の解消を狙い、医療保険の新ルールが始まった。
この新ルールは「社会的入院」に対して患者自身に金銭負担を求めることで選択させるものである。

(ナースのおばちゃん的注釈としては「今まで自己負担がほとんどない状態で老人医療が行われていたのがおかしいだけで、
会社員と同様に負担をするのは当然だと思う」というものだ。老人医療費が国の経済を圧迫している事に変わりはないのだから!)

新聞報道によると入院が180日を超えると、患者負担が増える。3月末現在で入院中の場合、経過措置が適用される。
負担は当初は1ヶ月に1万〜2万円程度、段階的に増え2年後には約4万〜5万円になる。
今回の新ル―ル導入により現場の医療機関自体でも戸惑いが広がっているという。
それは新ルール対象外とする「長期入院が許される状態」の中身に対して具体的な解釈が提示されていないため、
混乱をきたす事が容易に予測できるためである。厚生労働者は「長期入院が許される状態」として難病患者、重症患者、
重い副作用のある抗がん剤を注射で投与、ガンの放射線治療など9項目を挙げているという。
しかしその解釈が具体性に欠けているため新ルールの対象と対象外の線引きがかなりあいまいな物になっているというのである。
例えば9項目の1つ「重度の肢体不自由者」の定義を「寝たきり状態」と広く位置付け、更に「9項目に準ずる状態」の追加も
検討されているなど・・・。

厚生労働省は制度変更の影響を受ける患者を5万人と見込み、受け皿としては各市町村が作成する5ヵ年の介護保険事業計画に
盛り込むとしか説明はなされていない。
病院側も詳細が決まっていない中で、経営の安定のためにも長引きそうな患者は入院前に選ばざるを得ないとの意向が強く、
ますます入院拒否や追い出しが強まることは必定である。
高齢者が90日以上入院していると病院が受け取る診療報酬が大幅に切り下げられるため、大体の病院は収入減を理由に退院を迫る。
さらに昨今胃ろうなどの経管栄養、在宅酸素等医療機器を携えての退院も珍しくなくなっており、在宅介護の医療的ニードは高まり、
その介護負担は家族に身体的、精神的、経済的に重くのしかかっているのが現状である。
また介護保険制度の利用状況や要望からも分かるように在宅サービスの利用は6割に留まり、ショートステイや施設介護サービスに
比重が傾いている。
医療現場でも実際には病状が安定せず、介護施設へ移れる状態ではないケースまで社会的入院とみなされることが起こり得る。
抗がん剤を使用せずモルヒネで痛みを和らげている患者や気管切開している患者等は介護施設で受け入れも困難な状況で、
これらの患者も社会的入院とみなされ、新ルールの適用となる。
受け皿が無いため長期入院を余儀なくされ、自己負担が増えていく。自らが選択したくても選択できず、自己負担増をよしとするしかない
この理不尽な状況に対して怒りを禁じえない。

今後介護施設側も医療機関と潤滑に連携が図れたり、また医療面に適応できる施設運営の見直しやマンパワー教育により、
よりサービスの質の向上を図っていく努力が必要になろう。受け皿として社会資源を育成し、運営の安定化を図れる行政の支援も必須だ。
今回医療保険制度改正で診療報酬も改定され、さらに患者本人にも経済的負担を押しつけてきている。
介護保険と医療保険の領域の擦り合いの状況の中で、将来に向けて社会保障制度のなかでどう位置付けて有効的に機能させていけるか、
私たちひとりひとりがどうしていきたいかという議論を出して行こう。(メール転載部分終了)

<2002年6月27日>沖縄タイムス社説より引用・要約・・・掲載は2002.7.11
〜社会的入院の解消が改革へつながる〜

入院して治療する必要はほとんどないのに、依然として病院に長期入院している「社会的入院」の対策があらためて浮き彫りになっている。
「社会的入院」の解消は、患者本人の治療のためにも、また大幅な赤字となっている医療保険の財政面からも、
取り組まなければならない緊急課題といえよう。

4月から「社会的入院」解消の仕組みとして、診療報酬を改定する新しい医療保険のルールが始まっている。
治療する必要性の低い患者が180日を超えて入院すると、最終的には月4〜5万円が保険のきかない自己負担となる。

厚生労働省は、在宅や施設に移っても療養できる患者は約5万人以上に上ると見込んでいる。

しかし「社会的入院」の多くを占めている高齢患者にとって、退院しようにも受け皿となる介護施設・サービスの現状はまだ不十分である。
また、本当に入院が必要な患者でも、自己負担できなければ退院を余儀なくされるのだろうか。
このままでは、負担分を払えずに行き先を失うお年寄りも出かねない。患者や家族の負担も一層重くなるばかりである。
(だからと言って税金で面倒を見るのもいかがなものかと「ナースのおばちゃん」は思うのだけど・・・。)

「社会的入院」にはさまざまなケースがある。
医療現場でも長期入院が許される状態の判断をめぐって戸惑いが少なくないという。入院が長引きそうな患者について、
病院側は、家族が自宅に引き取る意思があるのか、自己負担の用意ができているかを事前にチェックすることにもなりかねない。
(これは当然でしょう。お金のない人に物を売る人はいないのと同じですね。未収金分は病院側の負担ってこと!?)

早くも医療の現場では重症患者の転院が難しくなっている、との指摘もある。そうなれば在宅療養するしか道はあるまい。
新しいルールは、患者の必要な医療が抑制されかねず家族にも犠牲を強いることになる。
ほころびが目立つ解消策だが、問われているのは特別養護老人ホームなど施設増設と介護サービスの充実だ。
(しかし、そういう所は常に人材募集しており定着しないのがお約束です。労力の割にお金にならない仕事は嫌われるようです。)

2000年4月にスタートした介護保険は・・・。
「在宅重視」が目指されながらも、現状は利用者の施設志向の強さが目立っている。
有料老人ホームがこの2年間に、全国で100カ所以上も増え四百カ所を超えているのも、施設頼みの根強さの表れではないか。
施設の建設も進んでいるが、ほとんどの地域で入居待機者があふれている。
施設とともに自立支援のケアハウス、グループホームなど多様な受け皿づくりが迫られる。
医療改革には「社会的入院」の解消が不可欠だ。

H14.9.10 本人の了解を得て読者からのメールを転載します。
私の働いている病院にも、家族に見捨てられたお年寄りが、たくさんおられます。
家では絶対みない、施設も嫌だ、病院において欲しいと言われております。
なんでも病院に入院している方が、家族の経済的負担も少ないそうです。年金は家族が受け取っているようです。
当の本人は、うまく食べ物が喉を通らず、誤嚥性肺炎を繰り返しています。治療の為には絶食にしなければ治らないのですが、
家族は絶食を拒否、直接喉を通さず、管から胃に栄養を送る経管栄養なんてもってのほか・・・という考えだそうです。

主治医が何度も話し合いの場をもったとのことですが「かわいそうだから」の理由で拒否されているようなのです。
それで熱は下がりませんので延々と抗生剤の点滴が行われています。
そのうち、抗生剤の効かない耐性菌が出現することでしょう。
耐性菌が蔓延すると、本当に助けなければいけない人が不利益を被る事が考えられます。
抗生剤だけでも1日4000円以上かかっているのに、絶食にしないのなら肺炎は治りませんので無駄な医療費であると思われます。
しかし、肺炎がもっと悪化するのを防いでいると言われればそうかもしれません。「生かさず、殺さず」の治療が行われています。
肺炎が治らなければ堂々と病院にいる事が出来ますし、生きていれば年金が入ってくるわけですから・・・。
主治医の治療方針は、そんな家族の思惑に加担しているような気がしてなりません。

また別の症例では、老人保健施設から急性心筋梗塞で入院になった後、
内服薬が増えた為に老健施設に戻れないで困っている方がいます。
そういった場合、もし家族も希望されれば、内服薬をすべて中止してしまうことはいかがなものでしょうか?
同様に老健施設から乳癌の手術に当院に入院され、抗癌剤の内服をされている方の場合も老健施設に戻る事を施設から断られました。
家族が希望されれば、医学的に正しいと思わなくても薬を中止すること許されるのでしょうか?


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厚生労働省の野望〜PART1〜

今回からは、今年4月から改正された医療法をテーマに“シリーズ物”をお届けしようと思います。
著者は私こと“ナースのおばちゃん”ではなく、薬剤師免許をお持ちの医療ジャーナリスト・Y氏です。
氏があるところに掲載したものを御厚意で当サイトに転載許可を頂きました。
では、いらぬ説明は省いて本文をとくとご覧下さい。
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ご存知のように4月1日から医療法が改正されますしたが、実に分かりにくい法改正です。
しかしよく読んでみるとそこには厚生労働省の長期にわたる野望が隠されています。(というか詳細に読めば分かりますが)

今回はその1回目でテーマは「日本の製薬業界の今後」です。
今回の法改正で、ついに10年前までは官財癒着の権化とまで言われた製薬業界への絶縁状とも言うべき決断をしています。
それはジェネリック品の推奨をなんと国自らが行っているという点です。
通常、このような知的所有権の絡むものは中国をのぞけば政府サイドは保護するのが普通ですが、
医療費削減という大命題の前には「そんなものに関わってられない」と見切りをつけた感があります。

これによって既に水面下ではかなり動いていましたが、業界トップの武田薬品以外は合併吸収が起こるであろう、というのが
業界の通説になりつつあります。この際技術力、開発力ではにほんのそれと1桁違う欧米製薬会社の進出が
これから10年の間に派手に行われることが推察されます。
実際中堅どころの中外製薬はロシュ(本社スイス)に事実上吸収されましたし、ファイザーはある業界上位の会社を狙っているのも
事実です。

その結果日本の薬の汚点ともいえる”ゾロ新薬”というものが今後ほとんど出てこないという現象が予測されます。
つまり医薬品は画期的な新薬とジェネリック品の2つに淘汰されるであろうということです。
これは”ゾロ新薬”の売上が欧米に比べて異常に高い現状を根底から覆すことであり、その中にドイツやイギリスで行われている
最低保証という公的保障の制度を取り入れることによって薬剤費の国庫負担が大幅に減少することが予想されます。
この製薬業界には約10万人が勤務しておりますが、この政策により半分以上必要なくなるでしょう。

次回は「病院が減る?」です。
※尚、このコラムはあくまで「本業のアイテムとしての知識や情報を自分のものにするため」の手段の1つですので
 「知識のひけらかしではない」ということをご了解ください。


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厚生労働省の野望〜PART2〜

病院が減る?

さて、今回の医療法改正を見ると実に官僚の悪巧みという観がしてなりません。その1番典型的なものが病院に関するものです。
実はこの病院に関する改正というか野望は既に前回の改正時にその布石は打たれておりました。
どういうものかというと「急性期病院(大学病院、大規模病院など)の初診料は自由に医療機関が設定できる」という点です。
日本人はすべてにおいてそうですが、ブランド志向の激しい国民性を持っています。
すなわち風邪であろうが、ちょっとした怪我であろうが、そういう大きな病院にかかろうとする傾向があります。
これを抑制しようというものが初診料の自由化なのです。
これを知らずにいつものように「3時間待ちの3分診療」と文句をたれながら、さらに「自己負担が増えた」とわめいている貴方、
それは単に「無知」なだけ
です。
実際のところその初診料は2000円〜3500円というところに設定されており、その辺の開業医の数倍です。
ただしこれも裏がありまして「本当にそのような急性期病院を必要としている患者」は近くの開業医でも個人病院でも構いませんが、
紹介状を書いてもらいそれを持っていけばその“初診料”は必要なくなります。さらに時間を予約できるところも多いのです。
このように病院自体を差別化する政策が既に行われていました。

・・・で、今回の改正はその差別化を一層進めるものでして「入院日数によって入院料などの点数を変える」という点です。
これも先回から始まっているものですが、今回はそれが一層進みました。
具体的にいいますと「患者の在院日数が短いほど高い点数を取れる」という点です。
「入院してきた患者を無駄なく治療し、場合によっては手術を行い、術後のリハビリを行い退院させる」これの期間を短縮すれば、
病院は高い診療報酬が得られるという仕組みです。これを行うには欧米で盛んに行われている「クリティカル・パス」という、
一種の決まったフローチャート通り治療を行わないといけません。

ここまで読んで皆さん、こういうことを感じませんか?「不完全な治療が横行し、医療レベルが低下する」
そうなんです。普通の人はそう考えます。病院側もそう考えます。患者がその病院にそういう考えを持ってしまったら、それで“終わり”です。
ですから病院としては治療レベルは落とせません。その結果病院サイドはどうするかというと、
1) 看護師の数を増やす。
2)無駄な検査を省く。
3)優秀な医師を集める。
などの実に患者にとってはありがたい行動を取るようになります。

さてこのようなことがどこの病院でも出来るのでしょうか?
答えはNOです。そんなに人材は日本にはいません。(特に看護師)
この結果、そういう病院に移行できないところは自ずから介護保険管轄の「療養型病床群」と呼ばれる病院への変更を迫られます。
またはベッド数を減らして外来主体の診療へと変換を図ります。日本医師会が今回の改正に大反対なのはここにあるんですね。

ところが「療養型病床群」は既に満杯というのが現状なのです。一部の地域を除き、必要病床数を既に越えている自治体が多いです。
その結果、廃業もしくは診療所への返還を迫られるのが必死で、病院と名が付いているものはこれから減少していくというのが実際です。

また「入院日数を減らす→点数が上がる」というのは、チョット見ればそのような病院は儲かるように見えますが、
これは単に利益を前倒ししているだけです。

その空いた隙間を埋める患者を持ってこなければ、人件費、設備投資を考えればマイナスになります。
ですから急性期病院にも競争の原理が働き、ついていけないところは変換を迫られます。

最終的に病院は減るのですが、ここに官僚主導の大きなトリックが隠されています。
今回は見送りになりましたが医療法人の株式会社化です。この件に関しては次回に。
(官僚はこういう悪巧み?には才能がありますよね。)

                                                                    このページのトップへ戻る

厚生労働省の野望〜PART3〜

3割で済むのか自己負担

今“一般病院”といわれている病院が急性期病院にも療養型病床群にも変換できない場合、外来主体のそれこそ一般のクリニックに
変われればよいですが、それも出来ない時普通は「つぶれます」。ただここに厚生労働省の悪知恵(笑)が働いていまして、
今回は見送られた「医療法人の株式会社化」というのが浮上してきます。

企業の健康保険も破綻しつつある現在、注目されているのが「民間の医療保険」というものです。そうです、そこの貴方正解です(笑)。
つまり健康保険組合自体が「民間の医療保険」に加入してその保険専用の医療機関で診療して貰うということなのです。
今回の法改正でこれが認められています。ただし、今のところそのような診療を受け付けてくれる医療機関がありません。
さらに健保からの脱退も認められていません。


すでに会社の健康診断では実施されているところがありますよね。「〜検査センター」とかという健康診断専門の医療機関で。
となると厚生労働省の野望はこうなります。
「企業の健保がつぶれてその分の保険者が国民健康保険にくるくらいなら、老人保健の供出金なんか
いらないから(本当は欲しいけど)勝手に民間でやってくれ」

まだ、大丈夫です。これはこのままの状態で進むと、2006年〜2007年くらいに起きそうな未来予想です。さてそのような形で
民間の保険を利用するとなるとどうなるか?
答えは簡単です。民間は赤字を出せません。さらにその保険会社の要望どおりの診療をやってくれる医療機関も必要です。
ここで経営が危ない病院の登場です。
はい、株式会社化がOKになればどこかの企業が(保険会社かもしれませんが)その病院ごと買い取っちゃいます。
当然生まれ変わったその病院は保険会社の利益が出るような診療を行います。薬剤費は劇的に減るでしょうね。
診療レベルはそこそこでしょう。(低レベルになると加入者が減りますからね)


当然その保険に加入している企業の社員は自分の好きな医療機関で診療してもらえません。
医療機関は会社ごとに指定されます。それでも好きなところに行きたい場合は全額自己負担です。
ついでに言うと、そのような場合も想定して個人向けの医療保険もできるでしょう。
そうすれば患者の選択肢は増えます。ただし保険料は増えますが。

さてお分かりでしょうか?
今までドル箱だった老人医療は健保の撤退、政管健保の民営化によってその財源を断たれることになります。
結果、介護保険管轄に移行するわけです。
また健保が加入する民間の医療保険は企業の規模、強さにもよりますが、今の医療レベルは保障してくれないでしょう。
その分はすべて自己負担となります。

《結論》
場合によっては自己負担金が3割どころか5割を超えるケースもあり。
ただ普段から健康を維持している人、そのように努力している人、さらに医療関係の情報に強い人は負担は「減ります」。


《追加》
1番の問題は企業が民間の保険を導入した時「今は義務である健保への加入を除外してくれるかどうか」という点です。
財政状況が厳しければ、民間に移行しても負担させられる可能性は大。
そうなると民間の保険レベルは低くなるし、個人負担は増える。(病気になれば)


あと一応お断りしておきますが、この連載は私自身の「知識のひけらかし」ではなく「個人の知識向上、仕事での有効アイテム」
として集めた情報を自分なりにまとめ消化するのが1番の目的でありますので御理解下さい。

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厚生労働省の野望〜PART4〜

医師にもリストラの風が

時代を遡ること48年、ある税金に関する決定がなされます。
それは「医師(勤務医師を除く)には収入の28%を課税対象とする」というものです。俗に“医師優遇税制”と呼ばれたもので、
医師には夢のような時代でした。開業医であれ、個人病院であれ、すべての収入のうち72%は必要経費としてみなされ、
黙ってても儲かってしまう古きよき時代でした。
さらに国民皆保険制度が導入され、すべての国民はどこでも好きな医療機関で診療が受けられ、また診療を担当する医師は
それが保険適応範囲であるなら、どんな濃厚診療、薬剤の過剰投与でも全部認められる時代でした。
この頃、日本中で医師の数が足りないために筍のように増設された医学部(私立)には「医師になれば儲かる」という理論のため、
医師のご子息で少々受験技術に劣る方でも受け入れてくれるところもありました。
信じられない金額の寄付金もらく〜に出せるだけの財力があったんですね、当時は。

さて時代は移り、そのような税制も、無制限だった保険適応もなくなる時代がきてしまいます。
“医師の数を増やす”というものも限界値に達してしまう時代がきてしまいます。
既に「医師は儲かる」という理論は破綻しちゃっています、現在。
皆さん、いわゆる病院に雇われている勤務医の方々がどのくらい給料をもらっているかご存知でしょうか?
年齢や専門、腕前にもよりますが、40代半ばを例に取りますと多分大手企業に勤務されている方のほうが収入は上です。
背負わされている責任、勤務時間、条件を考えましても明らかに上です。


「開業医は稼いでいるじゃないか?」こうお考えになる方も多いでしょう。ところが実はそうでもないのです。
親の医療機関を受け継いでそのまま働いている開業医師の方は確かに稼いでいるでしょう。
ただその医療機関が流行っている場合に限りますが。
それ以外の自分で医療機関を建設した場合に関しては、そのローンといったらもう大変です。
特に今から12〜3年前に開業された方に関してはバブルの真っ最中でしたから、金利がすごい。
これで患者が多ければまだ何とかなりますが、少ないとなると結果は火を見るより明らかで(笑)。
夜逃げされちゃった方もいるんですね。

そんな状況下で役人は面白い法改正を出してきました。
それは「その医療機関における治療のレベルで診療報酬を差別化する」というものです。
例を挙げますと例えば「心筋梗塞における手術実績」。これを年間実施した回数によって
多ければ多いほど診療報酬が高くなっています。他にもいままで書いてきましたが「急性期病院による様々な手術」は
すべてそのようなものが今回導入されています。

そうなるとどうなるか?
「回数をこなし、設備も揃っており、経験豊かな医師を集められる医療機関が勝ち残る」ということなんですよね。
これは医療機関だけではなく、医師にも当てはまります。つまり実績のある医師は引っ張りだこですが、
そのような実績の無い医師は不必要と判断されるわけです。特に手術を行わない内科医が今非常に大変なことになりつつあります。
急性期病院でも内科医は必要ですが、今までのほほんと勤務していて高い給料を得ていた医師はその立場が危なくなっています。

そりゃそうですね、安い賃金で(我々よりは多分高いですが)若くやる気のある医師を雇った方が良いに決まってますから。
実際既にそのようなリストラがもう始まっています。

この業界に長くいますとほとんどの方はこう言います。「医師にはなりたくない」
ある意味素直な考え方ですよね。普通の文科系大学生が大学生活を謳歌している頃、授業や実習に追いまくられ遊ぶ暇も無い。
やっとのことで医師国家試験に合格すれば、医局という封建社会に放り込まれ、高校生のバイト代程度の給料しかもらえず、
生活するために夜間は民間の医療機関で当直のバイト。ふらふらになりながらやっとのことで学位を取得しても今度は地方に飛ばされる。
そういった社会が嫌になり開業したら今度はローンとの追いかけっこ。
患者は24時間離してくれないし、気が休まる暇も無い。まあ、すべてではありませんが、大変な職業です、医師って。

そんな中、数が足りないと思えば大学を増やし、過剰気味になれば遠慮なくばっさりとやる役人って、
ゴーンさんよりも冷たいって事ですね。

                                                                       このページのトップへ戻る

厚生労働省の野望〜PART5-1〜

薬価差益のからくり

“薬価差益”…医療界における諸悪の根源のような響きすら感じてしまう今日この頃。
そもそも薬価ってどういう風に決まるかご存知でしょうか?今回はその基本的なことからお話いたします。

新薬が厚生労働大臣によって承認されますと、製薬会社は保険適応と申しまして薬価基準に収載されるよう申請をします。
承認は取れたけど、薬価基準に収載されていない薬というのも実は存在しておりまして、例えば有名なのが“バイアグラ”や“低容量ピル”、
これらは薬価基準に収載されていません。すなわち保険が使えません。
さらに“中年オヤジの希望の星“とまでいわれた”リアップ“これは保険どころか医師の処方箋すら必要としない一般薬として発売されています。
(これはT正製薬の戦略でして、成功例ですね)

さて普通の医療用医薬品は薬価を取得するわけですが、基本的に従来からあるその分野の薬価が薬価算定の最初の基準になります。
ここでその新薬が持つ画期性、重要性、また患者数などを考慮して薬価が決まります。
画期的な新薬は従来の新薬より高い値段がつけられます。

こうして決まった薬価も基本的に2年に1度改正されます。その際の新薬価は次の式によって算定されます。
新薬価=旧薬価×(末端納入価格の加重平均/薬価+R)Rは現在0.02
この薬価というものには消費税は含まれています。

“末端納入価格の加重平均“とはすべての医療機関に納入されている医薬品の価格をすべて足して、納入数量で割った価格のことを言います。
この調査は該当年(2年に1度)に行われ本調査といわれているものと、製薬会社、卸による薬価防衛工作を防ぐための
計時変動調査といわれているものとがあります。ここの“末端納入価格の加重平均”には消費税は含まれていません。

これだけ考えてみても次のようなことが分かります。
「消費税抜きの価格(実納入価格は薬価)で販売しても、薬価は下がる」
医療機関は“消費税込みの”薬価以上では医薬品を購入しません。そりゃそうですよね。薬価までしか保険から支払われませんから。
そうするといわゆる“薬価差益0”で販売しても、上の式に当てはめて見ますと
(薬価=100円とします)
新薬価=100×(95.23/100+0.02)=97.23

このように薬価は下がる計算になります。
実際のところ一部の医療連合を除けば値引率が5%〜10%というところです。世間で言われている“薬価差益”は
すでにこんな低レベルになっているのが現状です。10年前の15〜25%引きというものはもう過去の出来事なんですね。
そりゃ医療機関の経営が危なくなるのも当然でしょう。利益がそれだけなくなっているわけですから。
ちなみにジェネリック品といわれているものの実勢価格はものによりますが、
25%〜40%OFFといったところです。(ものによっては80%OFFなんてものまであり)

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厚生労働省の野望〜PART5-2〜

結局、厚生労働省は「薬価差益をなくす」なんて発言していましたが、本当の目的は「薬価をどんどん下げる」ことにあるのです。
そもそも最初に決まる薬価を(新薬承認後の)“あれは適正価格だ”と発言しておきながら、どんどん切り下げていく・・・。
とても自由経済の国とは思えない統制経済がここにはあるんですね。
R=0.02というのはこういう意味があるのです。(本来ならR=消費税率となるべき)

ここまでは、あくまで“普通の”医薬品であって、ここにさらに厚生労働省の様々な戦略が毎回追加されます。
例えば「良い薬なので非常に売れている薬」こういう薬にはさらに無条件で10〜20%のダウンが強制的に行われたりします。
先日一般紙にも報道されていましたが、C型肝炎の治療薬であるインターフェロンの保険適応が、今までの最長6ヶ月から
医師の判断により延長されることになりました。普通でしたら、インターフェロンを販売している製薬会社は大喜びですが、
今回の改正ではなんと25%もダウンさせられるといった結果になっています。

元々販売価格は上記のほぼ薬価に近い価格だったにもかかわらずなのにです。さらにそのインターフェロンを使う医師によれば
「6ヶ月を超える投薬は制度が変わってもそれほど増えないだろう」というのが今の所の話です。
(副作用が多く通常でも六ヶ月の投与に耐えられない患者が多い)

第1回目の連載に「厚生労働省は製薬会社との関係を断絶した」というのは、こういうところにも如実に現れているのです。
普通の会社で25%も利益が落ちればこれは大変なことですよね。

で、結論です。
本当に必要な新薬は基本的には生き残れる。しかし厚生労働省の突然の介入で薬価を下げられることもあり、先行きが不透明。
その他のどうでもよい“ゾロ新薬”は値段で勝負せざるをえず、薬価も改正のたびに大幅に下がり、
販売会社(製造会社)の採算性からいって長生きできない。
結果的に、研究開発力、資本力が日本のそれと比べ物にならないほど強い外資に日本の薬業界は席巻される。


この業界にいるとどうも変な勘ぐりをする性格になっちゃいまして・・・。
こういう厚生労働省の意向ってここ数年業界自体が天下りを極端に減らしたからなんじゃないかって思っちゃいます。(笑)
天下りを採っても、役立たずだし(笑))

                                                                        このページのトップへ戻る

厚生労働省の野望〜PART6〜

医薬分業の長期的策略

今ではごく当たり前に浸透している医薬分業。でも10年前を考えてみてください。
もっと遡れる人は20年前でも結構です。医療機関から処方箋をもらって街中の調剤薬局で薬をもらう。
こんなことがほとんど行われてはいませんでしたよね。
何故ここ10年でこんなに進んだのかお分かりの方はいらっしゃいますか?

日本において元々医師は、醫(くすし)と呼ばれていました。つまり「診断をして自分で調剤をして
患者に与える」ということなのです。
さらに医師に比べて薬剤師の数が昔は圧倒的に少なかったという事実もありますが、
決め手となったのは医師優遇税制が決められたのと同じ年に、日本医師会が医薬分業に反対したことが、
欧米のそれに比べると大きく遅れる原因となっています。
日本医師会の反対理由は、前述の「薬剤師(調剤薬局)が少ない」というのが表向きの理由ですが、
実際は「薬による儲け」であることは明白です。
結局このときのことがその後薬価差益による医療機関の儲け、薬漬けなどの弊害を生み、さらには
製薬会社の研究開発能力の遅れとなるわけです。


さて時代が進み世も平成になりますと、厚生省(当時)は既に将来の医療費増大を念頭に置くようになります。
すでにお話していますが、医療費の伸びを止める、医療費を削減する、
このような目的のため様々な長期的策略を彼らは考えていたのです。
その1つが「医薬分業の推進」です。
まず医療機関から薬価差益というものを減らすまたは無くすために、薬価改正の基準を思いっきり厳しくしました。
これは(5)で述べた方法です。
最初はRを0.15として薬価差益を15%までは認めていました。
(それ以前は25%くらいが当たり前だったし、別の算定方法を使っていた)
これをR=0.12→0.10→0.05→0.02と段階的に減らしていき、現在のように
実勢価格も10%OFF程度に落ち着かせることに成功しています。

時を同じくして、医療機関が調剤薬局へ処方箋を出す「処方箋料」というものを大幅に引き上げています。
こうなると医療機関はこう考えます。
「薬価差益は少なくなるし、処方箋料は増えた。薬を自分のところで管理しておくと、
人件費などの管理費もかかる。いっそのこと全面的に院外処方にするか」これが医薬分業が大幅に進んだ原因なのです。


でもこれは厚生省の策略の始まりに過ぎませんでした。ある程度分業が進んだと見ると、今度は次のようなことをやっちゃいます。
「大きな病院の前にある調剤薬局と街中にある調剤薬局とでは基本調剤料の点数に差をつける。
(大きな病院の前にある薬局=門前薬局のほうが点数が低い)」

患者さんは最初このように考えました。
「門前薬局で長時間待たされるよりは、家の近くの薬局の方が良い」
でもすぐにおかしなことに気がつきます。「薬代が高くなった」
そこの鋭い方、正解です(笑)。
分業促進を図る一方で、患者のコスト意識も睨んでいたんですね、厚生省は。

・・・で、今回の改正で医療機関が出す処方箋料と調剤薬局の基本調剤料を思いっきりダウンさせています。
はしごをかけて、煽りまくって医薬分業を進めさせておいて、広まったらはしごを外してしまう。
これを長期的策略と呼ばずして何というでしょうか(笑)。
はっきり言います。処方箋料や調剤基本料はこれからも下がります。
そんなに歴史の無い調剤薬局でも合併、統合、チェーン店化がもう5年前から急速に行われているのがすべてを物語っているのです。

                                                                      このページのトップへ戻る

厚生労働省の野望〜PART7〜

2010年にはどうなっているか

(患者負担)
景気の動向、国の借金の額にもよるが2010年には現在の3割負担でも足りずに、すべての公的保険は4割負担になるのが必至。
ほとんどの疾患に定額性が導入され、それ以上の治療などを求める場合には自己負担。
ここで民間の医療保険がその穴埋め分を負担するようになる。

(医療機関)
1)大学病院、循環器センター、癌センターの研究機関
2)スタッフを揃えた急性期病院
3)民間の医療保険指定の一般病院
4)いわゆる老人病院
3)開業医
の5種類に分けられ、「普通の一般病院」は淘汰される。

(医薬品関係)
1)製薬会社
ドラスティックな吸収合併が進み、さらには外資系製薬会社が売上上位を占める。

2)医療用医薬品
ジェネリック品を使う医療機関とそうでない医療機関に分かれる。
前述の医療機関では1)、2)と5)の一部のみが先発品を使うが、それ以外ではジェネリック品を好んで使うようになる。

3)ジェネリック品
薬価が安いことから一部の医療機関で汎用されるようになるが、副作用問題で対応が遅れ社会問題になる。(一部の循環器用薬など)

(総括)
老人医療を完全に介護保険管轄に移管するが、団塊の世代の現役引退と若年者が定職に就かないなどの問題で、
健康保険組合の財政はぜんぜん良くならない。同時に健康保険料も上昇し、健保脱退の動きが急速に加速する。
国民健康保険に加入せず民間保険のみの国民が増え、国民皆保険制度の抜本的改革が叫ばれるようになる。


いやあたった8年後なのにかなり悲観的な結論になってしまいました。しかしご安心ください。
あの厚生労働省はついに「予防医学」を認める方向のようです。
このことにより、私たちは情報と知識それに行動によって、現在の負担額からそれほど増やすことなく、医療は受けられます。
この件に関しては次回に。

                                                                     このページのトップへ戻る

厚生労働省の野望〜PART8〜

患者も勉強せよ

日本の医療というものは長い間ドイツのそれを規範にしていた歴史があり、
したがって医療制度や保険制度も非常に類似しているものと言っても過言ではありません。
しかしここ数年厚生労働省の動きを見ていると、明らかに“脱ドイツ”というものが伺われます。
で、どういう方向へ向かっているのかとなると「自己責任型」のアメリカ方式なんですね。
しかしここで大きな問題があります。
日本の社会って特に日本人ってそこまできちんと自己責任でやっていける人種なのでしょうか?
将来はわかりませんが、今現在は「NO!」ですよね。
ところが、過去の投稿でおわかりだと思いますが、そんなのんきなことを言っていると、本当に「自己負担額は増えます!!」

今まで医療関係の情報はその業界に従事している人間は知っていましたが、それ以外の人にとっては闇の中でした。
(調べる気になれば調べられましたけど)
でも厚生労働省は「自己責任型」に移行するにあたり、さまざまな情報を公開するようになってきています。
たとえば薬の公定価格である“薬価”。これはもうすぐ厚生労働省のHPですべて公開されます。
(実は今までも公開はされていましたが、調べるのが大変だった。)

今自分が処方されている薬の値段を知らないこと自体問題があります。
これをやらないで「自己負担増はんた〜い」と叫んでいるあなた。はっきりいって「それじゃダメだよ!」


病気にしたってそうです。病気に関するサイトなどそれこそ「腐るほどあります」。
自分の自覚症状をきちんと把握して調べればある程度の見当はつきます。
それから医療機関にかかれば「無駄がなくなります」。
「頭が痛い」
何にも分からない患者はまず内科に行きます。単なる風邪ならばここで終わりですが、そうじゃないことも結構多いのです。
で、結果的に「頭が痛い」原因を突き止め治療するまでに、複数の医療機関に行き、その件数分の初診料を払い、治療費を払い、
場合によってはその件数分の薬代まで払ってしまう。こんなことをやっているから「日本の医療費は多い」のです。

大名商売だった医療機関もここ数年大きく変わってきています。
ちょっと前まで医療機関にとって患者は「患者(クランケ)」でした。今では違います。患者は「患者さま」です。
今医療機関の受付や外来の呼び出しで「〜さま」と呼ばない医療機関に行っている貴方。
直ちに医療機関を変えましょう。その医療機関はダメです。医療機関は患者の確保に必死になっています。
そんな風潮を利用しない手はありません。患者も医療機関に任せっぱなしではもうダメなのです。
さまざまな情報を集め、その情報から自分なりに判断し(正しい判断は必要ですが)、
きちんと行動すれば「医療費の自己負担は増えません」

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厚生労働省の野望〜PART9〜

介護保険の甘い罠

皆さん、介護保険の基本理念ってご存知ですか?

1.介護が必要な人に少ない保険料で適切なサービスを行う。
2.これから予想される高齢化社会の中で、一部社会問題になっている家族の介護疲れを解決する制度。

上記の文章は公式に発表されたものですが、これは厚生労働省の本音でしょうか?

正解は「違います」
ここまでのシリーズを読んだ方はピンッときたでしょう(笑)。
そうです!日本の医療費を圧迫している老人医療費の抑制、さらには健康保険制度からの切り離しが「最大の目的」なのです。

過去には医療機関も、患者も、患者の家族もその老人医療をある意味で悪用していたんですね。
(患者と家族に関しては、制度を知らないという意味です)
今でも一部そうですが、10年ほど前には老人医療というものは医療機関の「金の成る木」でした。
行われた診療、治療、投薬、検査、これらすべてをそれこそほぼ無制限に請求できたのです。さらに患者の負担はごく一部。
痴呆が始まった老人は家族も面倒を見るのが大変だったし、医療機関も「金の成る木」でしたから、どんどん受け入れました。
結果的にこのことが今後の人口体系を予想した厚生官僚の”情熱”に火をつけちゃったんですね。


さて介護保険に移管される老人医療は原資に限りがありますから、救急の場合を除き完全に定額化されます。
なんせ1日に支払われる金額が決まってますから。
さらに入院期間が長くなると、支払い額はどんどん減ります。
こういった緊急性の無い患者の居場所は今まで一般病院や老人病院でしたが、そこからも追い出されることになります。
その受け入れ機関がいわゆる「老人介護施設」と呼ばれるものですね。

介護保険法を良く精読していくと明らかにある方向性が見えます。
それは「患者は出来る限り家族と生活するべし。介護の一部は国がやってあげるから」なんですね。
「そんなひどいことが許されるのか」とお嘆きの貴方、これが
現在の税制では当たり前の世界なのです。
野党が発言している「増税反対!」という主張は実はこの介護保険制度を認めてしまう結果になっているのです。
「大企業から金を搾り取れ」どこかの政党が非公式に言っていることですが、
これも結果的に介護保険制度を認めていることになるのです。

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厚生労働省の野望〜PART10〜

どうすりゃ良い?
さて今回は医療費を安く済ませる実質的なアドバイスです。

1) 薬は(院外処方箋の場合)処方箋占有率が高いところでもらえ。
その調剤薬局が受け取る処方箋が一定医療機関から出されたものが6割を超える場合、調剤基本料は低めに設定されています。
この目的は院外処方を薦めるためですが、その逆をいきましょう。特に大病院の門前にある薬局は良いかもしれません。

2) 慢性疾患の場合まとめて薬をもらえ。
今回の改定で1ヶ月を超える処方が可能になりました。高血圧症、高脂血症、糖尿病など長く薬を飲まなければいけない場合は
3ヶ月分くらいまとめてもらいましょう。1ヶ月ごとにもらうケースと比較しても、3割負担で500円も違います。

3) 自分が処方されてる薬の値段(薬価)を調べろ
厚生労働省のHPで公開されています。
http://www.mhlw.go.jp/topics/2002/03/tp0328-1.html
急性期病院、大学病院などではジェネリック品はまず使いませんが、普通のクリニックなどでは今後一部の薬に対して
ジェネリック品を使う傾向があります。
またチェーン店化している調剤薬局では汎用されるだろうと思われるジェネリック品は購入の動きがあります。
薬価を調べ、ジェネリック品が存在するのなら一般名処方をお願いしてみるのも、安く済ませるコツです。

4) 処方箋の内容を確認しろ。
今回の改正で一回の処方に対する薬の種類の制限がなくなりました。
今までは7種類以上の場合、診療報酬が1割カットされていましたが、その項目がなくなっています。
したがって考えられるのは「山盛りの薬」(笑)。どう考えても必要ないものは拒否しましょう。
またそれに対して文句を言う医師はこっちから絶縁状を叩き付けましょう。そんな医師はダメです。

5) 風邪で抗生物質の処方は拒否しよう。
風邪で抗生物質が頻繁に処方されているのは日本だけです。
その処方目的は「風邪で抵抗が落ちている臓器に対して、風邪のウイルスによって引き起こされる感染症の予防のため」
はっきりいって普通の大人では、上記のようなことはほとんど起こりません。
また抗生物質は風邪のウイルスそのものに対して効果は0です。抗生物質は薬価が高いし、飲む価値はほとんどありません。
ただし子供、高齢者に関しては必要性が高いので、無理です。

6) 種々の情報により自分のホーム・ドクターを作れ。
自分の出身大学、地域の機関病院に顔が利き、さらには「医療はサービス業だ」ということを自覚しており、
勉強熱心なDr.を1人探しましょう。いきなり大学病院や急性期病院に行くより、紹介状というものを書いてもらうことによって、
数千円お得です。

7) 医療保険を適切に選べ。
外資系の保険会社が参入してからというもの、値段やサービスの内容がかなりお得になっています。
それこそ生命保険会社のバカ高い「定期付養老保険」などより、よっぽどお得です。浮いた分は自分で利殖したほうがベストです。

8) 医学の知識を身につけろ。
病気に関するサイトは星の数ほどあります。その中でも「頭痛」「腹痛」など実際の症状から判断できるサイトなどを利用し、
無駄な初診料を払わないようにしましょう。

これらを駆使した場合、たとえ3割負担になっても今の2割負担で支払っている医療費より少なくなるか、
または同じような金額にすることは十分可能です。そしてその行為は「日本の医療費の削減」にもつながります。

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厚生労働省の野望〜PART11〜

企業の参入?〜厚生労働省の野望(11)〜

今回の医療法改正でもう1つ大きな話題になるはずだったのが「医療機関の株式会社化」でした。
これは日本医師会をはじめとするさまざまな圧力によって見送られることになりました。
何故、日本医師会は株式会社化に反対したのでしょうか?
答えは簡単です。
「企業が参入するから」


さて皆さん不思議に思うかもしれません。
「こんなに厳しくなっている医療関係に、利潤を追求する企業が何故参入するのか?」
これは現状の医療機関がいかに今まで“競争原理”というものに意識が無かったかということを顕著に表すものなのです。
企業の側から言わせればこうです。
「制度に従えば必ず100%回収できる。それが医療機関」
そうです。企業は常にモノやサービスを販売するとき、その代金をいかにきちんと回収するかを日々考えているのです。
与信がいかに大切かということなのです。
医療機関はその点において、まったく心配が無いのです。なんせバックはお上ですから(笑)。

サービス業としては最近考えを改めた医療機関と、すでに相当以前からやっている企業とではかなりの差があります。
患者=客にいかに来てもらうか。きちんと満足させて(サービス内容。コストパフォーマンスなど)返すことが出来るか。
それこそ医療法の隙間を縫うように(笑)、絶対損をせず、さらに患者にも満足させる、そんなことが企業なら可能なのです。
当然今の既存のやり方を企業はやらないでしょう。以前もお話しましたが、医療保険との抱き合わせによって上手くやりくりするでしょう。
そうなると、大学病院などの特定高度医療機関や救急医療機関を除いて、普通の一般病院は太刀打ちできないでしょうね。

まず企業が参入するとこういう医療をやると考えられます。

1) 徹底的なコスト管理
医薬品などの購入に徹底的な値引き(すなわち薬価差益の獲得)を行う。
ただし今その辺の医療機関が行っている「Buying Power」のみの行為は行わず、さまざまな取引と併用する。

2) 厚生労働省の野望に従う(笑)
厚生労働省が狙っている方向(すなわち高い点数が取れる医療)を積極的に行う。

3) 患者の確保
健康診断から人間ドックそこで異常が見つかった患者はすべて自前で治療。企業(健康保険)の患者を丸ごと頂く。

4) 治療費は分割可
同列系の金融機関を使い、分割払いも認める。

5) 医療保険との抱き合わせ
今の医療保険は病気になると患者サイドが逆ザヤになるケースが結構ある。
抱き合わせることによって、そういった無駄を省く。逆にならないケースは患者も喜ぶし、お互いOK。

6) 明朗会計(笑)
患者にどういう医療行為を行うか選択させる。
ジェネリック品Or先発品、医師の選択(経験豊かな医師は高く、そうではない医師はそれなり、など)

もうおわかりでしょう。こんなことやられたら、今の病院は簡単につぶれます。

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厚生労働省の野望〜PART12〜

民医連は大丈夫!

今回は民医連の今後についてのお話です。一応ナンバリングはしましたが、番外編と受け取ってもらっても結構です(笑)。
さていきなり“大丈夫”と言いきっちゃいました(笑)。本当に大丈夫なのでしょうか?

「はい、大丈夫です」

私は過去より民医連に関して苦言を言いつづけてきましたが、医療機関としてのそれは結構、
先を見据えたかのように思えることもあります。
一部の事務職員、薬剤師の中には「本当に共産党員かよ?」と思える方もいらっしゃいますし、
その辺の真面目な支持者とは一線を画すような行動をされてる方もいらっしゃいます。
しかし医療機関の顔である医師は非常に真面目で、献身的な方が多く存在しているのです。

ここから本題です。
「民医連が厚生労働省の野望の先でも生き残れる理由」

1) 自前の病診連携を持っている。
ほとんどの民医連管轄の大規模病院は比較的都市部に位置しており、さらに自前の診療所までその組織下に存在しています。
すなわち厚生労働省が望んでいる、大病院と開業医との差別化と申しますか、すみわけが既に出来あがっています。
まだすべてではないですが、「介護保険」を睨んだ介護保険適応医療機関の準備も進んでおり、
1つの組織でここまでやっているのは一部の自治体を除いてほとんどありません。

2) 固定客を持っている。
客=患者の意味ですが、一応共産党員は全国に300万人ともいわれています。さらに支持者まで合わせると5%にもなります。
1つの医療機関でその地区の5%を押さえることが出来れば、勝ち残れます。

3) 医師が経験豊富。
とにかくここに勤務している医師はものすごく真面目です。勤務医なのに1日3診療制も請け負っている方も多いです。
(注)3診療制:
普通は午前:9:00〜12:00、午後14:00〜17:00という2診療制ですが、民医連や旧社会党系医療機関ではさらに、
夜:18:00〜20:00という3診療制をとっているところが多い。

さらに大学病院や救急病院のように専門性が特に強いわけではないので、様々な疾患の患者を経験しているのです。
本当に専門性を要求される疾患については若干不安は残りますが、それを除けばその辺の一般病院よりもレベルは上かもしれません。

4) 薬や医療機器などの値引きに実績がある。
既出の話題ですが、買い叩きには実績があります(笑)。

5) 瞬間に同じ方向を見ることが出来る。
党員仲間ですから、トップがある見解を出せばその日に同じ方向を見ることが出来ます。
実はこれはどこの組織でも(企業でも)1番難しいことで、それが瞬時にできるのはトップが判断を誤らない限り、
これからの困難にも対応していくことが出来るのです(笑)


つまり民医連がその気になれば、薬は必要なものしか処方しない。ジェネリックに変更可能なものは
変更する。(既に2割くらいジェネリックを採用していますけどね。
ずいぶん前から)などの対策を取れば、患者負担はそれほど増やさずに対応できるんですよ。
ということは、勝ち残れるんですね。
上手く立ち回ればその辺の一般病院から患者ごと引き抜くことだって可能。
私が民医連のトップだったら、今回の改正は歓迎しますね。患者を増やして、支持者まで増やせるかもしれないし(笑)。

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厚生労働省の野望〜PART13-1〜

他国の医療制度

さて現在の日本の医療制度は世界に誇れるものですが、他国ではどのような医療制度になっているのでしょうか?
今回は幾つかの国を例に挙げてみることにします。

1) イギリス
NHS(国民保険サービス)と呼ばれる無料の保険サービスとプライベート(全額自己負担)の2つに分けられています。
このNHSは有名な言葉「ゆりかごから墓場まで」で表されていました。
しかしご多分に漏れず、不景気と人口体系の変化により医療費が急増することになります。
NHSは日本の公的保険と違って全額税金から賄われていますが、国家財政を苦しめる結果になってしまいます。
そしてサッチャー首相時代にこのNHSに医療費の枠が決められてしまうことになります。
その後どうなったか?
生命に関わる緊急時を除き、いわゆるホーム・ドクターで解決できない疾患の場合、すべて予約制となる事態になりました。
1年待ちというのも珍しくなく種々の問題が山積することになります。
確かに医療費は無料です。そのかわりに「好きなときに好きな医療機関に行く」という日本では当たり前のことが認められていません。
さらに「使える薬」も国から指定されたものだけです。
さすがに最近ブレア首相が大幅に医療費への国家予算を大幅に増額しましたが、問題はまだ解決していないようです。
この国の税金が日本より高いことは知ってますよね?(笑)

2) アメリカ
いわゆる自己責任型の医療制度で国民は大きく3種類に分類される民間の医療保険に加入するか、
自己の健康を信じどこにも加入せず万が一の際には全額自己負担になるかの選択を迫られます。
3種類の医療保険(民間)は次のようです。

(A)HMO
指定された医療機関でしか診療を受けられず、緊急の場合はその医療機関が所属している総合病院でのみ治療を受けられる。
ただしほぼ全額補償される。

(B)PPO
基本的に好きな所で診療を受けられる。ただ免責額が決められており、それを超えるものについては自己負担。

(C)POS
HMOとPPOを併せたプラン。ケースによって様々。

保険料はHMO<PPO、POSはケースによって様々。
この国の医療はまさに「地獄の沙汰も金次第」ですね。
なお追加として、これ以外の無料の医療というものが存在しています。それは「薬の治検」なんです。
ご存知のように新薬が承認されるにはかなりの数の臨床試験が必要です。
その試験を“治検”と呼びますが、これにかかる費用、もちろん患者の医療費は全額製薬会社が負担します。
アメリカの臨床試験が他国のそれに比べかなり短い期間で終わるのはこういう事情を内包しているからなのです。
もちろん「訴訟天国アメリカ」ですから(笑)、治検に参加する患者には契約を締結してもらいます。
例えばこんな風に「もしこの薬の副作用で死に至ったり、回復できない後遺症が残ったとしても一切損害賠償はいたしません」。
まあ当然その治検までに分かっている薬の情報は患者には公開されますけどね。

3) ドイツ
この国は収入によって「ある一定金額以下の収入」の場合公的医療保険に加入することが出来ます。
その公的医療保険による診療、治療は国が定めている基準(処方される薬、治療内容、
入院の際の病室基準など)に関しては自己負担金は最高でも年収の2%。
また慢性疾患患者については年収の1%。低所得者と18歳以下の患者は無料となっています。
もちろん国が定めている基準以上のものに関してはいずれの場合も全額自己負担です。
さらにこの基準以上のもの、すなわち自己負担になるものを補完するものとして民間の医療保険があります。

収入が増えると公的医療保険の受給資格がなくなりますが、一定期間公的医療保険に加入していると、
民間の医療保険より安上がりなもう1つの「公的医療保険」に加入することが可能になります。
この国が他国と違う点は「どのような医療サービスを受けても最高限度額が決められている」という点にあります。
最大、たとえ民間保険を利用した私費診療でも、公的保険の3.5倍以内ということが決められています。


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厚生労働省の野望〜PART13-2〜

他国の医療制度

4) フランス
基本的に日本と同じ国民皆保険制度を採っていますが、若干その内容は異なります。
医療機関はいわゆる保険が使える保険医と保険が使えない無保険医、その中間にあたるものの3種類に分けられています。
国民はこの3種類の医療機関の中から自己判断で選択することが出来ます。
保険医では、自己負担比率が、診療費に関しては3割負担、検査に関しては4割負担などです。
薬に関しては完全院外処方箋になっており、処方される薬により無料、35%負担、65%負担と変化をつけているところが特徴です。
これはジェネリック、ジェネリックがある(特許が切れている)先発品、新薬と考えても良いでしょう。
ただしこの自己負担比率は国が指定している医療機関の場合であって、
それ以外の医療機関ではさらに自己負担比率は上昇します。
一般的に先進医療や技術の高い医療機関に関しては国の指定がなく、ここでの治療費に関しては
薬を含めて自己負担比率が100%になることもあります。
このため民間の医療保険がその穴埋めとして使われるケースがあるようです。

この他にフランスの持つ特殊性が、「薬剤費が高い」ということです。
日本も同じことを言われていますが、最近のデータですと医療費全般に閉める薬剤費の割合は17%といったところです。
ところがフランスでは20%にものぼり、EU諸国では最大の薬剤消費国家になっているようです。
その原因として「いわゆる薬屋さん」がこの国には存在していないようで、医師の処方箋を必要としていない薬に関しても
調剤薬局からしか購入する術が無いということと、先に述べた3種類の医療機関があることから、患者が“はしご”をする傾向があり、
そのため必要以上の薬剤が使われていることが上げられます。

5) シンガポール
この国の医療制度は一種の「自己責任型」なのですが、アメリカのそれとは全然違います。
MSAと呼ばれる制度で、大まかに言うと
「国民は一種の財形貯蓄のような貯蓄制度に強制加入させられ、その貯蓄から医療費が支払われる」というものです。
この貯蓄は本人は当然のこと、家族にも使うことが出来ますし、
健康に留意し医療機関にお世話にならない場合は、その貯蓄したお金を住宅購入などの消費に回すことが出来ます。

公的な負担はケースによりますが、いわゆるプライマリー・ケア(初期治療)は50%、日帰り手術に関しては65%が補助されます。
入院の際の室料に関してはいわゆる個室を除き20〜80%が段階によって補助されます。
これはあくまで公的な医療機関の場合であって、民間の医療機関については別です。

また公的な医療機関には1入院にあたりの医療費の上限が定められており、超えた場合は政府補助金は支給されません。
民間の場合は完全出来高払いとなっています。
最大の特徴は医療サービスに競争原理を持ち込んでいるが適正化に失敗した場合、政府が直接介入できるということと、
国民には自己責任を要求するが、医療サービスを比較的安価に提供するということを目標にしている所にあります。


さて今回は長編になりましたが、今の日本の医療制度がいかに誇れるものであるかということが良くお分かりになったことと思います。
日本では「好きな医療機関に、待ち時間なしで(数時間程度は待ちますけど)、その時点における最高レベルの治療と最良の薬が
保険の種類に関わらず受給できる。
それもアメリカやイギリス、ドイツにおける最高レベル医療に支払わなければならない料金よりも格安で」

こんな素晴らしいサービスは日本の健康保険制度を考えれば人口体系がピラミッド型で成立するものであって、
今後原資を供給する勤労者層が減少し、高齢者が増えてしまう逆ピラミッド型の人口体系では成立しません。
もっとも所得税、消費税ともにアップして、さらに最大の高齢者医療負担金を支払っている企業に公的な支援をすれば別ですけどね。

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厚生労働省の野望〜PART14〜

高齢者医療は何故金がかかる?

「本態性高血圧症」「高脂血症」「糖尿病」「動脈硬化症」
テレビをはじめとするマス・メディアでほとんど毎日出てくる言葉です。
さてこれらの病気はそれだけで人間を死に追いやるでしょうか?
答えは「NO!」です。

これらは死に至る病気の「リスク・ファクターの一つ」であって、これだけで死に至ることはありません。
じゃあ、何故毎日目や耳にするのでしょうか?
答えは「この病気を持っていると数年〜数10年で死に至る病気に罹患する確率が高い」からです。
さらにこれらの病気は「加齢」とパラレルな関係にあります。従って高齢者は高齢者というだけで、危険度が高いのです。
また、これらの病気は完治しません。(例外的なケースもたまにはありますが)従って治療は「死ぬまで」続きます。

もう1つ大きな問題があります。それは「死に至る寸前の医療費がべらぼうに高い」ということなのです。
日本の医療は基本的に患者も家族も「出来るだけ長く生存させたい」という想いと、
医療機関側の「末期患者は点数を稼げる」という意図のもとで、戦後飛躍的に平均余命を伸ばしてきました。
(注:最近「平均寿命」という言葉が医療業界では余り用いられなくなる傾向があります。)
また国民皆保険制度もその風潮をバックアップしていました。
このことが良いことなのか、はたまた悪いことなのか、私には結論は出せません。
しかしはっきりしていることはこの濃厚な治療が医療費を押し上げていることなのです。

さらに日本には、特に地方では「社会的入院」という高齢者特有の現象があります。
これは例えば「痴呆になり家族が面倒見きれなくなって、精神病院や老人病院に入れてしまう」とか
「北海道や東北地方の様に寒冷期に通院が不可能なため生活には支障がないのに入院する」などが挙げられます。

ただでさえ加齢によって病気を1つ2つ抱える。さらに病状がじわじわ進行し、その治療にまた医療費が追加でかかってしまう。
まあ当然のことですが、これが高齢者に異常なほど医療費がかかってしまう原因なのです。

この問題は別に最近になって始まったものではありません。過去からそのようなことはとっくに分かっていました。
ただその頃は人口体系が今のように、また「団塊の世代」があと10年後以降に突入することなど想像の域を越えていたように思えます。
医療保険料を支払える現役の勤労者が圧倒的に多ければ十分支えられますが、これが仮に1:2になった場合、
上記のような病気やその進行した病気にかかる医療費はとても現行の医療制度では負担できません。

さて、ここ10年ほど世界中の医療関係者の興味は「どのような治療を行えば(どんな薬を使う、
どんな生活指導をするなど)寿命を延ばすことが出来るか?」にあったといっても過言ではないでしょう。
それを示しているいわゆる「大規模臨床試験」というものがかなりの数行われてきました。
その結果最初に書きました4つの病気(検査値と捕らえるのが良いかもしれません)をある一定の値以下に押さえると、
死に至らしめる重大な病気(心筋梗塞、脳出血、脳梗塞、腎不全など)の発症を抑えることが出来るという結論があちこちから出ています。

この事実はこれから先進国で深刻化する「高齢者医療」への1つの提言かもしれません。
死に至らしめる病気を発症し、その病気から救命するために様々な治療を行い、さらに社会復帰させるために様々なリハビリや
治療を行うことによってかかる医療費と、病気の発症を起こさせない、起こすとしてもその時期を遅らせるためにかかる医療費。
どちらが少ない金額で済むのか明白ですよね。

今のところ「高齢者医療は」膨大な金額の医療費がかかります。
しかし様々なエビデンス(薬、生活習慣、食事など)によって今後「今の勢いで伸びている高齢者医療費を押さえる事」は可能です。
ただし「自己責任」を考えない医療制度では無理でしょう。

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厚生労働省の野望〜PART15-1〜

さて今回のテーマは内容が濃いので2週に分けて投稿することにします。

役人という連中〜厚生労働省の野望(15)〜

厚生労働省の役人、特に旧厚生省管轄の仕事をやっている役人は他の省庁と比べると違う点があります。
それは「高度な専門性が必要」だということです。
もちろん財務省や法務省にもその専門性は要求されますが、日進月歩の度合いから考えると比較にはならないでしょう。
世間では「官僚の数を減らせ」とあちこちから意見が飛び交っています。
私も基本的には賛成ですが、こと厚生労働省になると話は別なのです。
はっきり申しますと「全然人が足らない」これが厚生労働省の実態です。

ところで役人(官僚)には2つの特性があります。
1) 前例踏襲性→新しいことがなかなか出来ない。
2) 野望策略性(笑)→ちなみに造語です。ある野望を思いついたり指示されると入念な準備の元に策略を張り巡らす。

まず「前例踏襲性」から述べたいと思います。
これは言葉のとおり、「新しいことができない」「過去と同じ対応をする」なのです。
“薬害”という言葉がありますが、過去何回繰り返されたでしょうか?

私の記憶が正しければ(笑)、
1) サリドマイド
2) クロロキン
3) スモン
4) 接種・注射禍事件
5) 陣痛促進剤被害
6) 薬害エイズ
7) ソリブジン
8) CJD(薬害ヤコブ病)
9) 集団接種によるC型肝炎
これだけあります。
このうち1)〜5)までは世界的に見ても日本の対応が世界のそれに比べてまずかったわけではありません。
国際基準での副作用モニタリング制度が無かったことが薬害を増やした原因でもあります。
しかし6)以降については問題外です。どれも「前例踏襲性」と「人数の少なさ」が招いた問題点なのです。

6)に関しては皆さんご存知の通り、上記の2つの問題点に加え、裁判で結論は出ていませんが「製薬会社と医師の自己保身」も挙げられます。
7)に関してはチョット複雑で、上記の2つの問題点と「製薬会社の対応のまずさ」さらに「医師の薬に関する不注意」、
あと「同じ薬の並売(2社以上による同時販売)」もあります。
8)に関しては事実関係が微妙な所で、言及は避けます。
9)に関しては薬というより「注射における常識の相違」の問題ともいえるでしょう。

日本ではソリブジン事件以降、副作用に関するかなり厳しい規定が“やっと”設けられ、
現在はその“厳しい”(といってもやっと世界基準並)で行われています。
その典型的な例が昨年の「セリバスタチン」という高脂血症治療剤でして、ある薬剤と併用すると横紋筋融解症がまれに起こり
死亡する可能性もあるという副作用です。ところが日本では“ある薬”というのは発売されておらず、さらに1例も問題は起こっていないのに
海外報告だけで製造中止になりました。

アメリカでは同じようなことをやっている行政機関としてFDAというものがありますが、
そこに従事している職員の数は日本の厚生労働省に比べて数倍です。
そんな状態で「新しいことをやれ」といってもまあ無理でしょう。
せいぜい「これから裁判沙汰にならないように厳しく監視する」くらいが関の山でしょう。

もう1つの問題は「人数が少ないために許認可が遅い」というものがあります。
「厚生労働省の許認可は海外のそれに比べて2〜3倍時間がかかる」というのが事実です。
これがどのような問題を引き起こすか?これに関してはまたそのうち述べたいと思います。

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厚生労働省の野望〜PART15-2〜

役人という連中〜厚生労働省の野望(15)〜その2

さて前例を踏襲し職員も少ない厚生労働省ですが「ある目的を遂行する」事に関しては一致団結して
「国家公務員上級試験」を突破した有能な頭で様々なことを考えます(笑)。
現在のテーマは「医療費における国庫負担の削減」なのです。

彼らがどのような手順でそれを実行していきつつあるか、それを順番に述べます。

薬価差益の解消(平成2年頃より)
           ↓
薬価差益ダウンに耐えられない医療機関続出
           ↓
院外処方箋への変更、定額制医療機関への変換
           ↓
調剤薬局の急増、製薬会社のMR(Medical Representative)の急増
           ↓
基本調剤料の差別化(処方箋集中率が高いと低額)
           ↓
設備、人員による医療機関への医療報酬の差別化(変化に耐えられない所が続出)
           ↓
調剤基本料の大幅値下げ、定額制医療機関への医療報酬ダウン
           ↓
高度医療指定病院、救急病院の差別化(現在、危ない所が続出)

ここまでが今の所「医療法に基づく策略の歴史(笑)」です。
かなり周到な準備の元に行われています。はしごをかけて急に取っ払うということを平気でやっています。
今、日本医師会のそれも地域における組織で「自民党に投票するのは止めよう」という運動が起こりつつありますが、
彼らは実態をわかっていません(笑)。
彼らが支援している議員はこの厚生労働省の野望には一貫して反対しているからです。
でも「無い袖は振れない」なんですね。次の衆議院選挙でどのように動くか、非常に楽しみです。
ところが「野望はまだ実行途中」なのです。問題はこの後なのです。

で、前回の質問の答えです。
「日本の医療は“厚生労働省の野望”としてどこを目指しているか?」
1) 国民皆保険制度の撤廃はまず考えていない。
2) 企業の参入は歓迎している。さらに株式会社化も近い将来実施される。
3) 国庫負担として今のレベルより2〜3割程度少ない所を狙っている。
4) 老人医療に関しては、救急時を除いて全面的に介護保険管轄に移行させる。
5) 民間の医療保険に関する規制を緩める。
6) 欧州諸国のように「公的負担の医療レベルを今より下げる」、すなわち民間の医療保険と
  抱き合わせで「高度医療は自己負担」の方向へ移行させる。


気になる自己負担ですが、国民健康保険料も社会保険の個人負担&企業の負担も、
更に介護保険料とサービスを受ける受益者負担も増えます!
そりゃ当然ですよね。国庫負担を今より減らそうとしているし「金のかかる高齢者はこれから増える一方」ですから。
ただし、お役人もバカじゃないですからここ数年での負担増はさすがに考えていないようです。有り得るとしたら2006年くらいでしょうか?

普通はお役人連中は予算確保の為に、というより予算のアップの為に色々な策略を考えるのですが、
こと医療関係に関しては今までとは違った方向に動いているようです。
誰が後ろで糸を引いているか?実は旧大蔵省こと財務省なんですね。
これは今年になって始まったことじゃなくて、既に4年前からあったのです。

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厚生労働省の野望〜PART16〜

新薬が使われる理由(原版は2002/5/20記載)

一部の医療機関を除き「薬価差益で儲ける」ということはかなり難しい時代になっています。
それでも医師が新薬を使う理由は非常に簡単です。
1)QOL(Quarity Of Life)が良い
2)確実にしかも緩徐に効果が得られる
3)患者が喜ぶ

ちなみに高血圧症と高脂血症を例に取ると

『高血圧症』
日本で良く使われている高血圧治療薬は分類でいくと
1)Ca拮抗剤
2)ACE阻害剤(AU拮抗剤)
3)βブロッカーとなりますが、
上記の条件に当てはまる薬はまだ後発品が上市されてません(特許が切れてない)。
後発品があるものもありますが、上記の条件には当てはまりませんし、患者からは嫌がられます。
2)、3)においても同様です。

『高脂血症』
同じように汎用されている薬は、
1)スタチン系、2)フィブラート系、3)陰イオン交換樹脂系となっています。

1)は三共が開発したもので、世界的な開発品でした。その後その薬を上回る薬が開発され、
ここ3〜4年中にさらに良い薬が上市される予定です。もちろんこの分野の薬には今の所
後発品はありません。来年三共の薬「メバロチン」には後発品が出てくるようで、
この際どのように市場が動くのかが注目されています。

結局、日本では使える薬に健康保険での制限が無いために、
当然の如くメリットが多い新薬に市場も消費者も傾いてしまうのは当然のことと思われます。


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厚生労働省の野望〜PART17・最終章〜

既に投稿した中で、新しく判明した部分を追加記載します→原版は2002.8月記載

それは「今回(2002年4月)の医療法改正で1番損害を受けるのは?」

サラリーマン本人?
違う。彼らは病気のときに、それなりの立ち回りをしなかった場合、知識を得ようとしない場合は負担が増えるが、
改正によって増える負担は慢性疾患でも年間1〜2万円。それに負担が増えるのは来年4月以降の”予定”。
(実際2003年4月から健保本人の自己負担額が3割になった!)
今は診療報酬も、薬価も下がっているので今のところは”お得”。

「高齢者?」それも違う。
定額制から1割負担にはなるが、そもそも無駄なものが多い。医療機関はサロンではない。
それ以外の人も負担増はケースバイケースだが急性期でなければ1万円程度の増。それも平成14年10月以降のお話。

正解は「整形外科」

医療機関のマイナス査定は−1.3%なのだが、なんと整形外科においては−30%!
(さまざまな算定を合計したもの)特にローンを払い終わっていない開業医は大変だ。

ということが判明して、某2CHを覗いてみたらやっぱり大荒れ(笑)。
そりゃそうだよね。リストラされたわけでもないのに国から一方的に3割も収入を減らされりゃ、たまらんわね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
厚生労働省は整形外科を狙い撃ちにしたわけで無く、偶然が重なってこうなったと思われます。
仮に狙ったとしたら、こんなに大幅ダウンさせることはしなかったでしょう。
今回の改定で大きなものは「1ケ月4回以上の診療に関して再診料が大幅に減った」というものなのです。
整形外科という特殊性を考えると、これが大きくのしかかってしまうわけです。

特に高齢者の「腰が痛い」「肩が痛い」などの慢性疾患は、医療現場に行けば分かりますが、
それこそ1日おきに「低周波治療、牽引、マッサージ」など「だけを」受診しにいくわけです。
こういった”処置”だけで、再診料を請求できますが、実はこれが整形外科の大きな収入源だったのです。
これが大幅に減額されたため、整形外科は大変なことになっているとす。



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