ここでは転院を決意し「H13.6.9に退院したた後の行動」と「実際に転院できるまでのプロセス」をなるべくリアルタイムに
書いていきたいと思う。日記風・・・とまではならないが、何か新しいことがある度に更新していきたいと思っている。
平成13年6月分
6/9(土)
回診直後に退院。回診を受けてからにしたのは、次の医者に診察を受けるまでの期間を出来るだけ短くしたかったからである。
退院の時点では既にいくつかの転院先を頭の中でピックアップしていたし、11日(月)部長さんの外来時に“紹介状”を書いて
もらいに行こうと考えていた。紹介状なしでも別に構わないのだが、あるに越したことはないと思っていたからだ。
帰宅してからというもの、13日以降に転院先に持参しようと思っていた“自作の詳しい病歴一覧”を作成していた。
もちろん、退院時点での最新の血液データーも含めての物であり、中身はDrが書いた紹介状よりも詳しいものになっていた。
(これは紹介状を開封して渡された為、中身が見られたのだ)
6/11(月)
整形外科部長さんの外来で「病院を替えることにしたから紹介状を書いてもらおうと思って」と言い、紹介状をGETした。
そして、ついでに内科の診察も受けて同様のことを申し出ることにした。この病院は移転を控えており、
縮小・閉鎖傾向にあるのは事実なので閉鎖間際になって慌てて転院先を探すよりは賢明なのではないか・・・と
内科のドクターは言っていた。確かにその通りであると思った。
6/13(水)
自宅から比較的近くにある300床クラスの民間病院(システムだけは大学病院並?)整形外科を受診した。
その日の初診は整形外科医長さんという人だった。レントゲンと採血を施行した結果、以下のようなコメントが発表された。
1.抗生剤(フロモックス)の内服はあと2週間続ける。
2.それ以降は経過(内服中止しても左膝が腫れるかどうか)を見ないと分からない。
3.滑膜切除は膝関節を開けても、関節鏡でやっても効果は同じだと思うし、僕は開ける気がしない。
なるほど、そうなのか・・・と思いつつ、フロモックスの処方を受けて帰宅した。
しばらく、ここで治療を受けてみようかと思ってはみたが・・・。
とりあえず、この時点での「自分の左膝に関する一考察」というのを書いてみた。こちらをクリックして頂きたい。
6/16(土)
左ACL(前十字靱帯)再建術を施行してから「あと2日で丸2年かぁ」等と考えていたら、4回のOPのうちで最初の2回を執刀した
O医師が隣町のK病院にいることを思い出した。とりあえず、今の状況を見せるだけ見せてみるか・・・と思ったのでK病院にTELして
O医師の診察日を確認したら、月曜日の午前中という情報があった。行くだけ行ってみようと思った。
但し、K病院は個人病院(一応、入院設備あり)なので、ここで身体にメスを入れたりすることは避けなければならないと考えていた。
今の段階でのコメントを聞きたかったのだ。
初対面の医師よりは、1回でも執刀していれば何かしら“それなりの”コメントがあるかもしれないと思っていた。
6/18(月)
早速、O医師のいるK病院で診察を受けてきた。O医師の見解は以下に記すとおりだった。もちろん、自作の「現病歴一覧」も持参した。
1.抗生剤の内服は27日まで続けて以後中止して経過観察。
2.OPについては「感染が治まらないとどうにもならないだろう」
→この場合“感染が治まる”というのはフロモックス(抗生剤)を中止しても炎症反応が出たり、
あるいは左膝が腫れたりしないことをいう。
病院は小さいが「何かあった時は大学病院のルートがあるので、紹介してもらえば良いか」という風に考えていた。
帰宅する時点ではO医師のところで経過観察してもらおうと思っていた。
ところが意外なことに、大学病院で翌日の初診予約が簡単に取れたとのことで「K病院は夜中の急患は受け付けていないし、
仮に受けていたとしても非常勤の当直医しかいないのは分かっていたので、とりあえず大学にカルテを作っておけば
何かの時にはどうにかしてくれるかも」という軽い気持ちで行ってみる事にした。
この時点では「大学病院で続けて治療を受けることになる」とは考えず、むしろ「実験台にされるのは嫌だし、今の時期は
新人ナースや新人ドクターがうようよいるのでおもちゃにされないようにしなければ」とか「検査だけ」という風に思っていた。
6/19(火)
前日に運良く「初診予約」が取れたのでAM9時に大学病院に出かけた。私は労災保険で治療を受けているため、
他の人とは少し違っていたのだが、そんなのはハッキリ言って私に関係ない。事務のお姉ちゃん達の仕事なのだ。
紹介状を窓口に提出して必要な手続きを済ませてから整形外科外来へ向かった。
最初の診察(初診係?)の順番を待っている時、隣の処置室という所に出入りする人があり、
中にいた医師の横顔が見えたのだが、びっくり!!
去年の4月初対面で「まだ働いてないんですか?」と疑われたY澤医師(患者生活・平成13年3回目の感染編中の
転院の理由の所)がいたのだ。もちろん、向こうは気付いてないかもしれないし、気付いているかもしれないが、
私よりも向こうの方が嫌なんじゃないかと思う。初診医というドクターにY澤医師にも治療を受けていた事を話しておいた。
言うまでもないが、この大学病院にも「自作の現病歴一覧」を持参していた。何回も同じ事を聞かれるのはご免だ。
そしたら、着替えているうちに教授さんのところに行ったらしく、「経過が長いので主任教授の所にカルテを回します」とか言われ、
採血やレントゲンをしている間にそのようになっていたみたい。教授とか大学病院とか言うと、お高くとまっているのが多いし、
断ろうかと思ったが「まあ、とりあえず診察だけでも」と思って受けてみることにした。
外見ではエロジジイ・・・という程ではなかったけど、ごま塩頭に天然パーマがかかっているちょび髭オヤジ、って感じかな。
たまたま今日は初診の患者を診ているとのことで、診察室には若そうなドクター(いや学生かも?)がたくさんいた。
でも、それらはレントゲンを出したり片付けたり、あるいは採血のデーターが貼ってある伝票を出したりする係だったり、
または教授が私の左膝を診察しながらいう言葉をカルテに書いていたりという“下っ端”のことをやっていた。
・・・で、教授さんの見解は以下に記す通りである。
1.今、服薬中の抗生剤は無くなるまで(27日)続け、以後中止。
2.5回目のOPをするとしても、時期を間違えてはならないので今はその時期でないと思う。
3.内服が中止になり、次回の診察までの間に各種検査をしましょう。
4.色々とやりすぎたのかもしれない。(OP?)
5.次回までに具合が悪くなったら、夜中でも良いので受診して下さい。
これで「私という1症例に関して3人の医師(1人は最初の2回のOPで執刀医だった)の見解が出た」ということになる。
違うドクターの見解を求めるのはこれで終了だ。3人とも“今の抗生剤の内服薬を6/27まで続ける”という迄は同様の見解だった。
あとの違いは―――――
13日の医師が『膝関節を開けて滑膜切除しても関節鏡でしても同じだと思うし、僕はあまり開ける気がしない』
4回のOPのうち最初の2回を執刀したO医師は『やるにしても感染が治まらなくてはどうにもならないだろう』
今日の教授さんは『時期を間違えると大変な事になるので、色々と調べてからにしましょう。(その場で検査予約!)』
これで13日の医師は対象外になってしまった。心情的にはO医師が良いと思ったのだが、なんせそこは個人病院というのが
ネックである。医療機器、人材、検査設備、夜間の体制等・・・、どれを取っても13日の病院や大学病院とは比較の対象にならない。
従って、嫌だった大学病院で検査をしてもらうことにしたのだ。各種検査結果が出る頃には何か変化があるかもしれないし、
検査結果で新しい判断が出るかもしれないのだ。
個人病院や13日の病院はその後のfollow upにでも取っておく事にしようと思っている。
そして何と表現したら良いのか戸惑う面があるのだけど、Mという教授さんから「次回の診察や検査までに具合が悪くなったら
私の名前を出して良いから、いつでも来なさい(受診して下さい、という意味)」という一言を言われた時、なぜか安心感にも似た
ような感覚があった。それは“大学病院の教授から声をかけられた”という世間一般の人が思うような特別意識ではなく・・・。
何というか、H12.10.23以降の入院は全て緊急または緊急に準ずる形での入院だったのだが、最低でも一晩、多いと(2/13の
入院前の2.3日)3日間は自宅で痛みと熱に耐えざるを得ない状況の病院だった。夜間の体制で必ずしも整形の医師が当直を
しているとは限らず「今夜は外科系」と言われても実は耳鼻科医が当直だったということもあるからだ。
そういうのを知っていたら「わざわざ行って他科の医師に見せても大したことはしてもらえない」というのが分かっていたので、
行くだけでエネルギーと体力を使うよりは、我慢の範囲ギリギリまで我慢して外来が始まる時間まで待っていた方が無難だと
考えたからだ。
そういう思い(夜中に膝がボコボコに腫れてきても翌朝まで我慢)をしなくて済む・・・というだけで、妙な安心感が
あったのだ。これは6/9まで入院していた病院では得られなかったものだと確信している。
6/21(木)
一昨日の教授さんの診察時「結核でも培養で菌が出ない関節炎がある」と言われ、念のためにツベルクリン反応を施行していた。
今日は48時間後にその判定をしてもらいにいった。そんなもの自分でやれると思ったのだが、ま、一応、ってことで医師に診せて
測定してもらった。16ミリ×17ミリの陽性。かゆみもないし、痛くもない。これで結核性の疾患は否定された。
6/27(水)
フロモックス(抗生剤)の内服薬が本日までで終了となる。「また左膝が腫れてボコボコになるのではないか」という不安もあるのだが、
今までと違い夜中に我慢しなくても良いというだけで気分的に楽になる。そりゃあ痛いことは嫌だけど、なってしまったものは仕方が
ないんだし流れにまかせるしかないのだ。大学病院なので研修医が多く、その分医療ミスも多いのは確かなのだが・・・。
「行けばどうにかなるだろう」というものがあるだけでも精神的に違う。
6/30(土)
確か20:00頃にDr友達の1人でもあるUから電話があった。大した用事はなかったようたが、何か嫌なことがあったらしい。
この人は医師として・・・という場面だけでなく、それ以外のプライベート面(私が軽自動車に乗っていた時、この人も軽を持っており
私が参加していた軽自動車のツーリングクラブのイベントに一緒に参加したりしていた)での付き合いもあるのだが、なかなかいい人
である。こちらから連絡しなくても定期的に電話かメールが必ず向こうからくるし、男にしてはまめな方だと思われる。
私がかつて大学病院に勤務していた頃、この人は新人医師として病棟に勤務していたというだけの関係である。
私の悪友と付き合っていたこともあるらしいが、今は立派な父親になったらしい。夫人は麻酔科医なのである。
その後、お互いが違う病院に勤務したりしていたのだが、行く先で必ず“知り合いの知り合いがつながっている”ということになり、
妙な感覚に襲われていた。
・・・で、私が左膝を怪我してからの事も知っているし、ここは1つ手を打っておこうと思い、去年から開業している親の跡を継いで
小さな医院の院長になったのを知っていたので「こんな足なんだけど、どこも行くところが無くなったら使ってね」とお伺いをたてて
おいた。どうやら数年先の構想もあるらしかったので、転ばぬ先の杖ではないけれど「何かの時に」という思いが強かった。
肝心の向こうは私の現状を知り「君には悪いと思うので先に謝っておく。君の状況を聞いて、自分より辛い思いをしている人がいると
分かって少し元気になれた」というのだ。私はこんな状況でも他人の役に立てたということなのだろうか・・・?
とりあえず、2001年の前半が終了した。
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平成13年7月分
7/5(木)
今日は予約してあった骨シンチとMRIという“いわゆる放射線系の検査日”である。
朝から1日がかりであることは事前に予測できていた。
10:00 骨シンチ注射
10:45 MRI(左膝)
13:00 骨シンチ撮影
という予定になっていた。
一般の方に分かりやすく説明すると、骨シンチという検査は事前にラジオアイソトープという放射性物質を微量(2〜3ml)静脈内に
投与しておき、数時間後に撮影するというものである。静脈内に投与したものが目的とする部位(この場合は全身の骨)に
到達するまでには、ある程度の時間が必要だという事はお分かりになっただろう。
今、手元にある教科書によると、MRI(磁気共鳴画像)とは体の中にある水素などの原子核が持つ小さな磁石の性質を
外から磁石と電波で揺さぶった時におこる、核磁気共鳴という現象を使って、自由な方向で体の中の断層撮影を行い、
画像化したものだと書いてある。放射線を使って断層撮影を行うCTscanと異なり、磁場は身体に無害で、
また骨の影響による画像の歪みもなく、CTscanでは困難だった矢状断(縦切りの断層像)が可能となり、脳幹部から脊髄、
脊椎を「縦切り」に写し出すことが出来るし、さらに無症候性脳梗塞などCTscanでは判らないような、小さな脳梗塞も描出される。
また脳血管像も造影剤を使わずに写し出される(MR
angiography=磁気共鳴血管画像法)ので、
くも膜下出血の原因である脳動脈瘤の検出が苦痛もなく出来、脳ドックの有力な画像診断法となっている。
このほか、体の中のリンの分布を画像化してリン酸代謝を調べて、脳代謝を調べることなどにも利用されているとの事である。
仕事をする上では数え切れない位「骨シンチヤMRIを受ける患者さん」を見たことはあるのだが、
自らがこういう検査を受けるのは初体験だった。
痛くもないし、簡単なことだと分かっていたのだが、喘息という持病があり造影剤等を使用しての検査はやったことがなかった。
まあ、6/9まで入院していた病院には検査機器そのものがなかったという事もあるのだけど・・・。
ここはなんせCTが1台のみというお粗末な所だったのだ。それでも通い続けたのは自宅から近いという理由だけだったというのは、
このホームページ内の至る所に書いてある通りだ。
案の定・・・というべきか、MRIの時造影剤のない一般撮影までは普通に撮影出来たのだが、造影剤を注射する段階になって
若手の医師が現れて「喘息の人は基本的に出来ない事になっているので、ここまでにしておきましょう」と言ってきた。
もちろん、6/19の教授さんの診察時にも喘息があることは申告してあったのだが、たぶん教授さんはそんな事を考えないで
検査の指示を出したのだろう。教授なんてこんなものなのだというのは分かっていたので、レントゲン技師に呼ばれたと思われる
若手の医師には「教授さんはそこまで頭が回ってなかつたんじゃないのかしら」と伝えておいた。
造影剤という異物を体内に注入した時のアレルギー反応で、ショック状態になったりすることも考えられるし、
喘息のある人は一般の何もない人よりもリスキーだという不安があったのだ。
漠然とした不安とはこういうものなのかと体験学習した。
入院患者ならまだしも、外来で検査の為だけに来ているような者にどこまでの細かい配慮が出来うるのかと考えたら
「ここは造影剤を使わないという選択」が正しいと感じたので、若手の医師に従うことにしておいた。
MRIから骨シンチの撮影までは時間があったので、なるべく人がたくさんいる所を狙ってイスに座って休憩したり、
喫茶コーナーでトースト等の軽食を取ったりしていた。人がたくさんいれば、例え意識がもうろうとしても
誰かに見つけられやすいと思ったのである。これは造影剤の副作用で血圧が急降下した経験のある看護婦仲間からのアドバイスである。
帰宅は夕方になっていた。1日がかりの検査であったし、働いている人には申し訳ないけど本当に疲れた1日だったのだ。
帰宅したらぐったりしてしまった。
7/10(火)
やっぱり1日がかりになった。とりあえず、あと1ヶ月間は投薬なしで経過観察をするとのことだ。
今日はこの大学病院では初めてとなる呼吸器内科も受診しそちらで採血をしたのだが、整形の待ち時間に採血等を済ませたら、
教授さんの診察時にその結果が出ていたのでパソコンの画面を見ながら教えてもらったので数値をメモした。
炎症反応を示すCRPは0.2で6/19と同じ、白血球数は5600と正常値だった。
5日・木曜日の2種類の検査の片方(骨シンチ)では、やはり左膝に特異的に集積像(ラジオアイソトープが
炎症等のある部位に集まっているという画像)があり、これは私にも一目瞭然で分かった。
何かあることに間違いはないのだが、今はまだ3/9にOPをした後の膝関節内の組織が修復しきってないだろう・・・とのコメントで、
このまま外来で経過観察をするらしい。時期は早いという事なのだろうか。
ま、よく考えてみれば2/13に入院した時も、12/10に退院後2ヶ月目での再発だったので、まだまだという感じが
しないでもないのは確かである。ツベルクリンが大きい(16×17ミリ)が気になるとは言っていたが、
この検査(ツベルクリン)が陽性に出たという事は(BCG接種の既往があるので)結核菌に耐性(抵抗力)があるという事なので、
教授さんはまた何か別の考えがあるのかと思った。
本日の診察では何か溜まっている気配は感じられないとのことだった。
屈曲具合に関しては『無理矢理曲げると腫れてきます』とのことで「四頭筋(太ももの筋肉のこと)がまだまだだな」と言っていた。
だけど今日はタカピーな感じがした。時間が時間だったこともあり、食事をしてないのかイライラした様子で「いかにも教授」って
いう感じの対応だったのだ。昼ご飯を食べてないようだったし、時間的にも診察室に入ったのが2時頃だったので、
そりゃあお腹もすくだろうけどね。
それと6/9まで入院していた病院から取り寄せ中のデーターが届いてないものがあるとのことだったので、
いくら何でも次回は届いているだろう。たぶん。6/19以降の休業補償用紙は書いてもらったし、次回はお盆の頃なので、
それまで経過観察だろう。一瞬「夏は暑いからOP件数を減らしてるんだろうか」と思ったのだが、
夜中に具合が悪くなれば受診出来るというだけでも違うので、まあヨシとしよう。
いずれにしても経過観察することには変わりないし、診断に関する資料が揃ってないのでは『経過観察しましょう』としか
言えないのも分かる。やりようがない・・っていうのかな。
そして、もう1つはこの大学病院にかかってからは“左膝が腫れてない”ので、どんな物なのか判断しにくいのではないかとも思える。
だから前の病院から資料(データー)を取り寄せてみようとしたのだというのも理解は出来るのだ。
取り寄せ自体はそんなに時間がかかるとは思えないので、前の病院の怠慢だろう。
あ〜あ、それにしても最低でもあと1回は左膝が腫れなければならないのだろうか・・・?
そうでもなければ積極的な治療をしてもらえないようにも思えるのだが、それは考えすぎであって欲しいものだ。
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7/16(月)
夜9時過ぎになってドクター友達Uから携帯に連絡が入った。6/30に話をした後、メールで現状を詳しく報告し意見を求めて
いたのだが、その答えである。もちろん今までの経過はこれまでにも話をしていたことは確かであるが、メールで報告したのは
今回が初めてのことだった。内容は「自作の現病歴一覧」と同じ物である。そうでなければ意味がない。
・・・で、ドクターUのアドバイスは以下のようなものだった。とてもありがたいと思ったし、持つべきものは友達だとも思った。
内科医なのでその立場から主に感染ということについてアドバイスをもらったのだが・・・。
◎ウイルス性のものではなさそう。
→抗生剤の投与のみで自覚症状や診察所見の軽快と共にCRPは下降しているし、元々白血球数は正常範囲内なので
そのままである。ウイルス性のものなら抗生剤では軽快しないだろうから・・・。
◎結核も現時点では否定的であるが数ヶ月後に再検しても良いと思う。
→今までにOPの度に胸部レントゲンを撮影しているし、レントゲンと同時かどうかは定かでないが、内科医の診察は受けている。
(H13.3月は聴診はなく問診のみ)最近は結核が密かに結核が流行っているので念のため。結核なら血沈ももっと亢進している。
◎何もしない勇気も必要。
→今すぐOPというのでなく、時期を見ているというのはあると思う。本当に何もしないのではなく“経過観察”をしているはず。
同様の症状を繰り返していること自体を、悪化でなく“OPの侵襲からの回復過程”ととらえれば、
教授の「やりすぎたのではないか」という意見も分かる気がする。
最近の若いドクターは直ぐに抗生剤等の“薬”を使いたがるが、それが良いとは決して思えない。
僕が内科医に成りたての頃、先輩に教わったこととして「例えば発熱が主訴で入院した人には、可愛そうだけど最初の2.3日間は
余程辛くなければ抗生剤を使わないで経過を診るように」ということだった。人間本来の自然治癒力が必ずあるのだから、
それを待っているのかも・・・。今の状況が回復過程だとすれば、あなたが働きたい気持ちは充分に伝わってくるけど、
ここが我慢のしどころかも。教授が経過を診るしかないと言ったのは「どうしようもなくなる前にOP」と考えているのでは??
もし、そうだとしたら僕は内科医としてだけど教授の意見に賛成である。あなたがそれを納得して我慢出来るかどうかだと思うよ。
ただ“様子を見ている”というのでなく、何かあったら夜中でも受診出来る体制は整えてあるのだから、
具合が悪くなれば遠慮せずに行けば良いと思う。
というのが要点だった。うーむ、納得!
6/19、最初に教授さんの診察を受けた時「やりすぎたのかも」と言っていたし、7/10は「経過を診るしかないけど無理矢理曲げたり
動かしたりしたらまた腫れる」とも言っていた。それと去年の10/24から12/10まで入院してOPしなかった時、当時の担当医も
これと同じ事を言っていたのを記憶している。この後に再発はしているけど・・・(-_-;)
教授さんが「何回もOPしているし時期を間違えたら大変なことになる」とか「組織が修復するには3ヶ月やそこらでは無理」と言っていた
意味が分かった・・・というか自分の中で解釈出来た。普通なら当人に聞くのが1番なのだが、ああいう人種は自分の言葉でしか
喋らないので困ったものだ。私はこれでも一応業界人間なので、人には説明出来なくても“言われている内容”は理解出来ていたけど、
一般の人は無理だと思った。ここが「言われれば理解できる」のと「言われても分からない」の違いなのだろう。
紹介状に「OP予定だった」と書いていたのに、今の段階ではOPはまだで時期を見計らっているという状況に
ささやかな不満があったのだと気が付いた。しばらくは教授さんにかかってみよう。最低半年はね。そうでないと、また病院を替えると
基準局に何を言われるか分からないし、今の日本では大学病院以上に高度なことをやっている医療機関はないので・・・。
一般の中小規模病院で出せる手は出し尽くした・・・と、6/9まで入院していた総合病院の整形外科部長氏も言っていたしね。
あ、そうそう、書き忘れる所だったけど、ドクターUは次のようにも言っていたっけな。
『T総合病院での治療がやり過ぎと決めつける訳ではないけど、出来上がりつつあったかさぶたがはがれないうちに
次のOPや処置をやったとも考えられなくはない。教授はかさぶたが出来てはがれるのを待っているのかもね。
時期を間違えると大変なことになるというのはそういう意味かも』だって・・・。なるほど、と思った。
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