きまぐれにっき

 2014.2.16   予想した通り今年の冬は厳しい寒さが続いている。週末の2月8日に大雪が降って日本列島をマヒさせた。と思ったのもつかの間、2月14日バレンタインデーにも大雪が降って2週続けての大雪は当地方では70年余り生きてきた身にも覚えがない。立春は過ぎたが春まだ遠い厳しい冬が続いている。

 それはそうとWindows8は何とか動くようになって昨年10月にWindows8.1にアップデートしたが、これがまたくせ者でフリーズはするは、Windows office2013 のwordとexcelがソフトごとどこへ行ったか消えてしまったり、確定申告のe-Taxが動かないは、でやむなくまた昨年10月時点の Windows8に1月30日にリカバリーした。しかしWin8用にインストールしたソフトを再インストールをし、Windows officeも再インストールをして確定申告を済ませたのが2月4日となった。Windows8.1はどう見てもプログラムバグが多いと思うので、これからもWin8のままで行こうと思っている。


2013.10.20  10月16日に日付が変わってすぐに、伊豆大島に台風26号がもたらした豪雨で山津波が発生し、死者、行方不明者合わせて40名あまりの災害に見舞われ今も行方不明者の捜索が続いているが、翌17日以降では最低気温が10度台前半で推移し寒い日が続いている。やはり秋を飛び越えて一気に冬を呼び込んでしまったようだ。しかるに、先週末にはまた台風27号が発生し、26号と同じような軌道をたどりつつ26号より強大に発達しているらしく、今週中頃に日本に近づく気配を見せている。今後の台風予報には目が離せない状況になっている。
 これでますます冬に一直線で、着るものも夏物と冬物があれば事足りるようであるが、春物、秋物は必要なくなれば、夏はほとんど裸で過ごせるので、冬物だけで一年間過ごせるのは非常にありがたいことと言わねばならない。


 2013.10.9   秋が早いと思ったのもつかの間、10月になっても30度を超えている。神戸気象台では観測史上初めてのことだという。秋と真夏が共存しているが、やっぱり秋がなくなって直接冬が来そうな雰囲気である。季節の二極化は確実に進みつつあるようだ。
 このままいけば、今年の冬は暖冬ではありえないと思うがどうなのか?なんだか厳しい冬になりそうな気がしてならない。


 2013.9.8   今日の早朝5時20分、東京に2020年オリンピック招致が決定した。各メディアはテレビもラジオもこぞってそのニュースで持ち切りだ。
 1964年東京オリンピックは残念ながら観戦はできなかったが、我が街を聖火が走り抜けていったのを今でもはっきりと覚えている。2020年まで生きながらえていたとしても、よわい80歳たぶん現地観戦には無理があるだろうことは想像できるのでテレビ観戦となるだろう。
 それよりもこれの経済効果の期待のほうが大きいのではないか、それもいまから2020年までの経済効果に期待をしたいと思う。アベノミクス効果があらわれ始めて、これかからの景気がどっちを向くのか不透明な今だからこそ期待も多きというものである。


 それにしても今年の夏の猛暑は各地でもたらされたゲリラ豪雨による被害もさることながら、関東を中心にした竜巻の連続発生による被害も含め未だかつてない異常気象だと気象庁も認めている。これは今年だけの現象なのか、それともこれから頻繁に起こってくることなのかはわからないが、ここ数年の傾向を考えると波はあるものの、暑い年はより厚く寒い年はより寒く二極化が進んでいくように思えてならないのは私だけではあるまい。
 しかし今年は一昨年同様秋が早そうに思う。猛暑の後、日本近海で発生した台風15号、17号が相次いで温帯低気圧に変わり、日本列島を覆った秋雨前線と合体をして各地にゲリラ豪雨を発生させた8月の末頃から一週間ほど続いた雨の影響で、それまで続いていた36度前後の気温も今は30度を切って過ごしやすくなってきた。9月初旬に30度を切るのは最近では珍しいので、このままで行ってほしいと願っているところである。


2013.6.10  5月19日に新しいパソコンを注文した。それは2014年3月でWindowseXPのサポートが終了するということだが、10年目に入ったわがパソコンのモニターが、チラついて見にくくなってきたのと、来年になると消費税が上がりそうなのを考えあわせてのことである。今度買ったのはいま使っているPCと同じメーカーの Dell XPS8500 というやつで、OSは Windowse 8 がインストールされている。配送されたのは5月30日だったが、新品のモニターの左端4分の1ほどが真っ黒で映らない状態だった。旧PCでのチャットサポートで問い合わせをしたが要領を得ないので、何とか電話番号を調べて電話で事情を話し新品と取り換えてもらった。届いたのが6月4日の夜だった。今度はしっかり映った。しかし Windowse 8 というのは今までのPCの常識を超えた操作方法で、はじめは何をどうしていいのかわからず、1週間たった今、記録を残すためにやっと”きまぐれにっき”をつけておこうと思うに至った次第である。しかし旧PCにインストールしたソフトはWindose8でインストールしなおしても、そのほとんどが動作をしてくれない状態で、これから動作をしないソフトの買い替えで、だいぶ高くつきそうであるが、しかし10年も使用に耐えてくれた旧PCをねぎらってやるべきかもしれないと思うのも事実である。



2012.9.27
 一年ぶりのにっきをつけようと思う。
 今日は一年に一度となった定期検診の日で病院に行ってCTを撮ってもらったが、「順調ですね」と執刀医からスキャン画像を見ながら言われたので、一安心といったところであるが、胸部大動脈も太くなっているので血圧には注意をするように言われた。手術をしてから今月の29日でまる4年になる。以来、降圧剤を処方してもらっているが血圧は高めで推移している。夏は130〜70前後なのに対して、冬は150〜80前後になってしまう。若い頃から血圧は高めだったので、いつの間にかそんなに気にはならなくなっていたが、血統的に循環器系に問題がある家系なので注意を怠らないようにと医者から言われていたものである。
 しかし、気はつけなければいけないが、気にしたらあかんと勝手な理屈をつけて品行はすこぶる良くない生活をしてきたものだ。そのつけが来たといえばそうだと思うが、古希を過ぎるまであまり悔いのない人生を歩ませてもらい感謝しなければと思うが、さて、何に?誰に?感謝をすべきなのだろうか。
 すべてのものに感謝!と口では言えても実感がわかないのも事実である。しかし2008.10.10 のきまぐれにっきの最後に書いた大きな力の存在は今も感じて感謝している。


 話は変わるが、今年の夏も猛暑続きで一昨年に匹敵すると言われるが、報道は一昨年のように過激ではなかったようだ。ここへ来て朝夕が過ごしやすくなった気がするが、猛暑日の記録を更新したという報道もあった。にもかかわらず一昨年に比べてもそんなにひどかったとは感じていない自分がいるという現実は、これって馴れなのか?報道にも馴れの現象があらわれているのか?それって怖いことではないのか?・・・・・。
 今年の冬は北の方を除いて暖冬になるという予報が出た。齢を重ねてくると暖かいほうがうれしいと感じるようになった。
 もうスキーにも行けなくなったので雪はいらない。

 

2011.10.8  今年は秋が去年より早く訪れたような気がするが、夏の暑さも昨年よりは過ごしやすかったように思う。
 しかし、今年は3.11の東日本大震災に始まり、震災に伴う原発事故、9月初めから台風12号、15号が相次いで上陸をし、奈良、和歌山に豪雨をもたらして甚大な被害と多くの死者を出した。今年は「災害の年」といっても過言ではないだろう。
 以前は、台風と言えば風による被害がほとんどであったが、兵庫県西、北部豪雨と呼ばれる災害が、2009年の台風9号によってもたらされたのがまだ耳新しいように、最近は風よりも集中豪雨による水の被害が顕著になってきている。
 台風の怖さが風から水に変わってきたのは、日本近海が亜熱帯並みの高水温になってきた結果、この海水温が台風にエネルギーを与えて勢力が衰えないという現象に加え、太平洋高気圧と上空のジェット気流までもが関与をして台風の速度を遅くさせ、長い時間集中して同じ場所に多量の降雨をもたらし被害を拡大させているようだ。このような台風のメカニズムはなんとなく理解出来るような気がする。、
 しかし、夕立と呼ばれる情緒ある夏の現象が気象用語から消え、最近はゲリラ豪雨と呼ばれる集中豪雨が都市部で頻発して被害を出している。これはヒートアイランド現象がひとつの要因と言われているが、よくわからない。
 原発事故は震災に起因するものであるが、これは人災と言える。台風、豪雨、竜巻などの気象現象の激変は、いわば地球温暖化がなせる業である。地球温暖化といえば、これも人災というべきだろう。
 こう考えてくると、地震災害は自然災害であるが、その他はすべて人災ということになるようだ。
 これ以上人災を増やすのはお断りしようではないか!。


2010.10.4  またまた一年ぶりの「きまぐれにっき」である。
 今年の夏は、猛暑日という気象用語が作られた2007年の暑さをはるかに超えた暑さだった。熱中症での搬送者数や死亡者数、猛暑日、熱帯夜の日数、ゲリラ豪雨の発生数や地域、はたまた台風の発生場所の北上、発生数の減少(少なくなることはよいことだが)、進路まで東シナ海を迂回して北から日本列島に上陸するというかつて無い記録的な気象現象に見舞われた。今の段階でいえたことではないが、何年かおきに猛暑となる年が繰り返されて、その間隔が狭まっていって温暖化が進行していくのではないかと、そんな気さえしてくる今年の猛暑だった。来年は過ごしやすい夏であってほしいと思うが、その前に今年の冬はどうだろうか?

 大動脈の手術をしてから2年が過ぎた。腹部の動脈瘤を手術をした人は、胸部の大動脈もやる人が多いと言われCTの断層写真を撮ってもらった。しかし胸部は今のところ大丈夫らしい。
 相変わらずスポーツジムは通っているが、1週間に3回行くのが少ししんどくなってきて1週に2回というのが増えてきた。


2009.9.9  ほとんど一年ぶりの「きまぐれにっき」である。
 一昨年は猛暑続きで、昨年もそれなりに暑かったが今年は秋が早いようだ。9月にはいってから30度を越す日もあるが、今日なんかは28度ほどだが蒸し暑さが無くさわやかで過ごしやすい。
 6月に例年のように入梅したが雨はほとんど降らず、本格的な梅雨は一ヶ月遅れの7月10日ぐらいだった。それからは8月の盆前頃まで雨が多く、完全に梅雨が一ヶ月ずれた感じだ。しかしおかげで今年はだいぶ過ごしやすい夏だった。

 大動脈瘤の手術をしてから1年がたとうとしている。手術後半月ほどはじっとしていたが、体を慣らすためそれから1ヶ月ほど散歩に励んだ。30分程度から段々足を伸ばして1時間近くの散歩も苦にならなくなった頃からスポーツジムへの復活を果たした。最近は手術前と変わりなくスポーツジムに通っている。病院での経過観察も3ヶ月に一度薬をもらいに行くのと、6ヶ月に一度の血液検査でも変わりない経過をたどっている。30センチあまりの傷跡も退院直後は突っ張ったり、引き連れたりして腹筋運動をするのも大変だったが、この頃は傷跡はどうにもならないが、あまり気にならなくなってきた。また退院直後は63キロまで落ちていた体重も、70キロまで戻ってしまったが、今は何とか68キロで抑えるようにしている。


2008.10.10  まるまる一年ぶりの「きまぐれにっき」である。
 今年の夏も暑かったが、昨年のように30度越えが9月いっぱいとまではいかなかった。昨年はまだ夏の暑さは地球温暖化のせいなのか?とマスコミでも疑問符をつけながらの報道だったが、たった一年で地球温暖化以外の何者でもないという風潮に変わってしまった。世の中すべての事柄がものすごいスピードで移り変わっている。それは自然現象そのものも、人の思考もすべてにおいてである。そのスピードについていけなければ人生の落伍者になってしまうような危惧さえ覚える昨今である。

 話は変わるが・・・・
 実は2年半前に患った閉塞性動脈硬化症で歩けなくなった際に、CTスキャン、MRIなどの画像診断でわかったことだが、心臓から下半身に血液を送っている大動脈(腹部大動脈)に動脈瘤が発見されていた。いずれ大きくなってくれば手術をしなければならないといわれていた。普通直径が2.5Cm程度の太さの動脈が私の場合、5Cmを超えてきたのでそろそろ大動脈破裂の危険性が大きくなってきたと7月10日に検査結果を聞きにいった際に言われた。破裂をすると出血性のショック状態になり、よほど運がよくないかぎり助からないといわれていた。腹に爆弾を抱えて生きているという、、常に強迫観念にさらされた危うい2年半をすごして、いよいよ覚悟を決める時が来たかと自身にいいきかせた。手術は動脈瘤の部分を切除して人工血管に置換するというもので、一般的には全身麻酔による開腹手術で約6時間程度かかる大手術だと聞いた。リスクがないわけではないが覚悟して、8月31日の検診日に9月25日入院、9月29日手術を決めた。入院から手術まで5日ありその間で手術にあわせた体調管理、手術後退院まで約2週間といわれた。

 29日午前9時30分、手術室へ、即、全身麻酔・・・・・・・・・。
 麻酔が覚めかけたのは午後7時半ごろか?よく覚えていない。後で聞いたのは手術にはやはり6時間ほどかかったとのこと。手術室を出てICU(集中治療室)に入ったのが午後3時半ごろだったようだ。
 麻酔が覚めかけたとはいえ、家族に声をかけられたときに無理やり起こされただけで、後はまた夢の中・・・・・・・何も覚えていないというか記憶が曖昧模糊としている。
 しかし、驚いたのは翌日からである。起きあがって動かないと癒着する。その次の日には、ベッドから出て歩け歩けである。腹を33センチも切り開かれたばかりなのにである。しかし傷の部分には常に麻酔の点滴が効いているのでほとんど痛みは感じないでおれた。
 ICUに2日いて病棟に6日いたら、経過がいいので退院しろといわれ10月7日に病院を追い出された。手術後退院まで2週間かかるといわれていたのが、入院から13日で退院の運びと相成った。何に感謝をすればいいのかわからないが、こんなに早く自由の身になれるとはうれしい限りである。
 2年半前に閉塞性動脈硬化症で歩けなくなっていなければ、特に自覚症状のない大動脈瘤の発見もなかったし、気がつかないままに病状が進み、そのうちに破裂という最悪の状態で一巻の終わりを迎えたであろうことは想像に難くない。手術後の快復の速さと、病気の発見に至った経緯などを思い起こすと、何か目には見えない大きな力が働いたと感じずにはいられない。
 まだ死ぬときではなかったのか・・・?生きてやらなければならない別の使命があるのか・・・?


2007.10.7  今年の夏は暑かった。猛暑日という気象用語まで出来たり、観測史上の最高気温も何十年ぶりかに更新された。また熱中症にかかった人の数も半端じゃなかった。9月いっぱいは連日30度を超える真夏日が続いた。ここにきてやっと最高気温が30度を切ったが、それでもまだ我が家では室温が28度を超える残暑が続いている。これはとりもなおさず地球温暖化のなせる業なのか?ラニーニャなのか?
 今では耳にタコが出来るほど毎日見聞きする「地球温暖化」という言葉に私が最初にであったのは、二十数年前の1980年代の初頭に「Newton」という科学雑誌を読みはじめた頃のことである。その頃は、ここ数年の間に発生しているような大型で強烈な台風や、時と場所を選ばない集中豪雨による災害、干ばつによる水不足、竜巻による被害等々は我が国に限って言えばめったに起こることではなかったように記憶している。
 さらに地球規模でいうなら、世界各地で干ばつと洪水が繰り返されその被害たるや甚大なものがある。北極の氷が解けてなくなりつつあり、今年の夏は氷の面積が観測史上最低となった。白熊の絶滅も時間の問題といわれている。異常気象が異常気象でなくなりつつある今日、最近頻繁に発生している巨大地震までもが温暖化と関わりがあるのではないかと疑りたくなるようなところもある。NASAでジェームス・ラブロックが唱えたガイア理論で言えば、驕り高ぶっている人間どもに鉄槌を加えるべく、憤怒の形相すさまじくあたかも地球が身震いをして邪魔なものを振り落とそうといるようなそんな観が否めないほどである。
 季節感が薄れていく、特に過ごしやすい春と秋が短くなっていく、このままで行くと一年が夏と冬だけになってしまうそんな危惧さえ抱くようになってくる。
 わずか30年ほどの、地球の歴史からいえば瞬きをする間という表現も比較にならないほどの短時間にこれほど激変する自然環境は、6千万年前の恐竜が絶滅をした、(その理由が何であれ)その時代の環境変化に匹敵するのではないか?或いはそれ以上かもしれないこの変化に、誰にこの先10年の予想がつくだろうか。
 6千万年前にも哺乳類が生き延びたように、人類が滅亡してしまうことはないにしろ、地球の唯一の天敵といわれる人類が今のまま突き進めば、いや、すでに手遅れかもしれないが、地球(人類)が被るダメージは想像を絶するものとなるだろうことは想像に難くない。
 10年先のことは別にしても、とりあえず今年の冬は暖冬だったが、次の冬はどうなのか?気象庁も長期予報が出しづらそうである。


2007.4.27  この頃何をやってもうまくいかない。ツキに見放されているようだ。株ではおお損をしているし、車では事故を起こすし、春の声を聞いてから3度も風邪を引いて医者通い、したがって3月いっぱいはスポーツジムを休んでしまった。4月に入ってからはボチボチ行けるようになっているが、それでも週に2回程度である。これはリハビリも兼ねているし、健康管理の上からも続けていきたいのだが・・・。
 よく考えてみると、昨年病気をしてからず〜と良いことがない。いや、もうチョッと前からかもしれない。2005年は仕事をハッピーリタイヤーしてサンデー毎日を楽しむため、好きなことや趣味を拡大していこうとアレコレ考えていた。意気揚々としていた。しかし、サンデー毎日に慣れるのに精一杯だったのかもしれない。考えていたこと、考えていることが次々と出来なくなっていく・・・、と言うよりも逆の方へ行ってしまうことが多くなっているように思う。リタイヤーして以来何か良いことがあったかと考えてしまうが、記憶の中に浮かんでこない。つくづくツキがないのかとボヤきたくもなる。またツキという他力のせいにしようとする自分に腹が立つ。いままで大過なく過ごしてきたことがツイていたのか・・・とも思えてくる。
 「ツキ」とはいったいどういうものか考えても答えの出るものではないが、しかし「ツキ」というものは厳然として存在すると思う。
 「今私はツイている」とか、「いま全然ツイてない」というようなことを感じたことがあるのは誰でも一度や二度ではあるまい。ある人は、ツキとは目には見えないがツキが入っている袋のようなものを各人が持っていて、またそのツキの量は人によって違っているらしく、使えるツキの量は各人でまちまちで、ツキがなくなるのはツキを使いすぎてその袋が空っぽになってしまうからだ。とそういった。
 そうすると私はツキを使いすぎてしまったのかも知れない。しかし、使いすぎたという自覚は全然ないが、知らず知らずの間に使ってしまったのか、もともと持っているツキの量が少なかったのか・・・?
 それにしてもツキがない。ツキの袋にツキを貯める方法を誰か教えてくれ!!。


2007. 3.21  半年振りの日記つけようと思う。
 足が動かなくなって入院してからちょうど一年になる。スポーツジムでのリハビリが効を奏したのか、3Kmぐらいなら歩けるようになった。血流検査の結果も右足は左の80%まで回復したようだ。しかし、100%はないといわれた。「長嶋茂雄さんがもう一度野球が出来ると思うか?」とも言われた。ということは、私も二度とスキーは出来ないものと覚悟しろ、と言われたようなものである。まあ、スキーはしゃぁないやろな。しかし体力回復を確認するためもあり、3月14日から3泊4日で八重山諸島へ旅行に行ってきた。体力的には問題はなかったが、行く前から風邪をこじらせて、薬片手のしんどい旅行となった。しかし、ゆったりとした行程の旅行だったので、その点は助かった。石垣島と西表島とその間にある小浜島とか竹富島をめぐってきた。天気は予報では曇りか雨だったが、雨は1日だけで、まぁまぁの天気に恵まれた。
 絵の材料も何点か仕込んできたので、しばらくは気がまぎれそうである。
 

2006. 9.21  一葉散って天下の秋を知るというが、今年は意外と秋が早いようだ。まだまだ残暑は厳しいが朝夕がだいぶ過ごしやすくなった
 早いもので退院してから半年が過ぎた。入院してから3ヶ月休んでいたスポーツジムも、再開してから3ヶ月。増えつつあった体重も何とか入院前に戻った。しかし右足の状態は依然として半年前の70%しか回復していない。医者によると「これが限度かなぁ」ということらしい。それでも退院した頃は、30mも歩くと足がツッパってきて歩けなくなっていた。それがスポーツジムでリハビリをした結果、ウォーキングマシーンで時速4Km程度ではあるが、1Kmほど歩けるようになって日常生活にはほとんど差し支えがなくなった。
 今考えると、1年前にスポーツジムへ行くようになったからこそ、病気後もその延長線上 (本音は会費を年払いしていたので、もったいなかったから・・・・)でまたジムを続けられるようになり、ここまで回復できたものと思う。もし1年前ジムへ通う決心をしていなければ、歩けなくなった段階で何も出来なくなり、またする気も起こらなくなってしまったのではないかと思う。
 これが限度といわれながら、これからも70%を100%に近づける努力をしていきたいと考えている。


2006. 4.23  歩けなくなってから一ヵ月半になる。その間桜が咲いてそして散ってしまったが、いっこうに暖かくなってこない、薄ら寒い日が続いている。またカラッと晴れた日が少ない。そのうち急に暑くなるのに違いないと思うが、近年ほんとにさわあやかな季節がなくなった思いがする。暑いか、寒いか季節も二極化が進んでいるようだ。

 実は3月15日に入院して2週間病院にいた。閉塞性動脈硬化症という病名である。動脈硬化というのは若い頃からよく言われ、耳慣れた言葉になっていて病気という意識が薄らいでいたし、自覚症状がまったくといっていいほどない。しかし突然やってきた。歩けなくなったのは右足の膝の辺りで、動脈が突然詰まって血流がまったくなくなってしまった結果だといわれた。それがたまたまスキーをしている最中に起こっただけなのだ。しかしそのままだと4時間以内に血管のバイパス手術をしなければ、筋肉組織が壊死してしまって、膝から下を切断しなければ一命にかかわるところだった。ところが以前から詰まりかけていたようで、少なくなった血流を補うために細い血管ながらもバイパスができていたので切断を免れた、ということらしい。しかし筋肉組織へのダメージは相当なもので、一ヵ月半たった今でも50メートルほど普通の調子で歩くと右足が突っ張ってきて、しばらく休まないと歩けなくなる。それに加えて足が冷えるとダメージを受けたところがうずいてきて、次にしびれが来て感覚がなくなってくる。どちらかというと私は、暑いより寒い方がしのぎやすかった方だが、この頃の薄ら寒さが恨めしい。
 閉塞性動脈硬化症というのは、タバコを吸う人がよく発症するそうで、吸わない人はほとんど発症しないらしい。私のタバコ暦は50年に手が届こうかというぐらい半世紀近い歴史があるが、その間に二度ほど禁煙に挑戦したことがある。一度目は4ヶ月ほどで4Kgほどふとってしまった。これを減量するのに4年ほどかかった。二度目はなんということなしに吸わなくなって、なんと言うことなしにまた吸うようになった。このときに思ったことは、やめる気になればいつでもやめられそう、ただいまは本当にやめる気になっていないからだ、ということだった。
 入院をする朝、7〜8本かため吸いをして、これできっぱりと吸い収めと本気で思った。いまは食事の後に意識には上るが、ただそれだけに過ぎない。ひょっとして私はセルフコントロール(マインドコントロール)の天才か・・・・?


2006. 3. 9  2月の上旬に北海道へ、流氷と雪まつりを見に行った。絵を描く材料が不足していたのと、流氷や雪まつりはテレビなどではよく見ているが実際に見たことがなかったので、一度は見てみたいものだと思っていたからである。 いま描いている絵はそのときの取材によるものである。したがってGallery5の絵も順調に増えている。

 一方では、昨日ハチ北高原へスキーに行ってきた。ちょうど1年前にスキーの再開を宣言して、今シーズンに行ったのはこれで3度目となる。1月と2月にはちくさ高原に、そしてこのたびは1月のメンバーとハチ北へ。順調そうに見えたスキー再開もここに来て一頓挫。実は朝の9時過ぎから楽しく滑って、昼食時に1時間ほど休憩を取り、また午後2時ごろにもティータイムを30分ほどとってからまた楽しく滑っていた。午後4時ごろだったと思うが、山の上にいたので下のゲレンデに降りてそこでもう2〜3回リフトに乗って今日は終わりにしようかと相談し、もう1回ここのリフトに乗って降りようということになった。その最後のリフトで滑り降りていたとき、下半身の力が突然抜けて滑れなくなってしまった。
 最初のうちは、今日は朝からあまり休憩も取らずに、また年齢も考えず若者と同じように重いシャーベット状の雪の上を滑っていたので疲れが足に来たと思い、しばらく休めば大丈夫とメンバーにウエストバッグを預けて、そこでしばらくへたり込んで休んでいた。20分ほど休んだが一向に回復の兆しが見えてこないばかりか、ますます腰から下の力が抜け、それに加えて膝から下が猛烈に痛み出して、歩くこともままならなくなってきた。メンバーに連絡を取ろうにも電話はウエストバックの中、しかたがないので、エェままよとスキーを履いて直滑降、転げまわりながらようやく登行リフトの上の降り口までたどり着いた。動けなくなってしばらく雪の上で座り込んでいたところスキーパトロールの方が4,5人通りかかり、やっと下りのリフトに乗せてもらった。
 昨夜は疲れているはずなのに足が痛んで寝付かれず、今日は起き上がったもののトイレに行くのも大変な状態、もちろん車の運転なんかもってのほか、仕方がないのでタクシーにきてもらって、お医者行き。
 整形外科のお医者さんの言うことにゃ、足の一時的な血行不良が原因と思われるので、内科で精密検査をする必要があるとのこと。ついでにそこで紹介してもらった、内科医院で血液検査をしてもらった。詳しい検査結果は後日ということで帰ってはきたが・・・右足の血流が左に比べて半分以下と、動脈硬化が進んでいるようなので今後治療を要するといわれた。
 いままでスキーをしてきて、そりゃ多少の筋肉痛があるのは承知の上だが、こんな目にあったのは初めての経験である。
 災い転じて福となす、というけれど本人も知らないうちに悪化していく大きな病気が、こういった機会で発見されればそれを由とするべきであろうと思う。
 とはいえ、この動けない状態を早く何とかしてくれっ!!!


2006. 1.11  新年を迎えて、気まぐれサイトのGalleryを増やすことにした。Gallery4が36点描けたので、Gallery5を新設した。ここでも月に一枚以上は描きたいと思っている。目標はGallery4と同じくらいの36枚を目指したい。はたしてどれくらいの期間で埋めることが出来るか楽しみである。index(表紙)にはGallery6もいっしょに造ったが、ここまでいくにはまだ先のことである。
 近頃は旅行にも行っていないので材料不足は否めない。そこで自宅の付近を題材に描いている。取材に行きたいが、こう寒くてはその気が起こらない。スキーにも行きたいが、雪が多すぎてヤバそう。題材は当分の間、身近なものでまにあわそうか・・・・・。


2005. 9.27  やっと「サンデー毎日」の生活に慣れてきた。一日の生活パターンがほぼ固まってきたようだ。夜更かしは相変わらずであるが、朝の目覚めはおおむね、7:00〜8:00頃に定着してきた。これも8月下旬頃からセミの鳴きはじめ時間がだんだん遅くなってきたことにある。7月の梅雨明け頃からお盆の頃までは、早朝の5時過ぎになると一斉に鳴き始める。(まだ夜が明けきってないやろ!)それも家の庭と向かいの公園からステレオで、その鳴き方といえばキ〜ンと耳に刺さるような感じでとても6時まで寝ていられない。しかし寝不足分を昼寝で補えるのも「サンデー毎日」の賜物である。
 私が子供の頃は竹の先に袋を縫いつけてよくセミ取りをしたが、その頃はセミをあちこち探し回らなければ取れなかった記憶がある。この頃はセミが行列をなして木に並んでとまっている。充分素手で手づかみできる。どうしてこんなにセミが増えたのか?近頃の子供があまりセミ取りをしなくなっただけが原因とは思えない・・・。
 せみの声がまったく聞けなくなった今、かえって一抹の寂しさを感じるのは去り行く夏へのノスタルジーか、一葉散って秋を感じるせいなのか?。


2005. 5. 5  4月からは、仕事に行かなくてもいいということで、夜更かし、朝寝坊も自由自在で、「サンデー毎日」を楽しんでいるが、1ヵ月が過ぎた今も家の中の雑用に追われて、いまだに片付かない。1年半ぶりに車のワックスがけをし、庭木のサンパツ(まだこれも片付いていない)、プランターの花の植え替えとその毎日の水遣り、女房と買い物の付き合い、等々・・・・退屈している暇がない。
 しかし毎日花に水をやっていると、花々も今までと違って生き生きとしてくるので、やっぱり花には水が必要だったのかと、あらためて当たり前のことが再認識させられる。
 同年代の人の話によると、「朝早く目が覚めてしまう」というのがあるが、私は目覚まし時計がないといまだに決まった時間に起きられない。目覚ましのお世話になるのは早朝の釣り以外になくなったこの頃は、なんとなく気分が晴れ晴れとしている。
 サラリーマン時代は、「言いたいことを言うのではなく、言うべきことを言う。したいことをするのではなく、するべきことをする。」と、他人に対しても、自分に対してもそういってきたが、これからは「言いたいこと」も「したいこと」もできる立場になった今は、これもまた晴れ晴れとした気分である。


2005. 3.15  2月26日と、3月12日に、なんと4年ぶりにスキーに行った。2月はホームグラウンドであるハチ高原スキー場、3月はハチ北高原スキー場へ出かけた。
 4年ぶりということでどうかな?と思っていたが、4年前の感覚がすぐに取り戻せた。スキーも自転車と同じで体が覚えているのだろう。
 実はスキーを再開するに当たって、新しいスキー板を買ってしまった。今流行のカービングスキーというヤツだ。新しいのを買うと、もったいないと思うから一度きりでチョンにはしないだろうと、自分自身にプレッシャーをかけたつもりである。
 今年の4月からは「仕事」からまったく解放されて「サンデー毎日」となる。したがって来期のスキーシーズンは、長年の憧れであった平日スキーがいつでも出来るわけである。しかしそれも健康であればこそ出来ることである。そういうこともあって、昨年の12月からスポーツジムへ通うようになった。おかげで約3ヶ月でベルトの穴がひとつ半ほど縮まったが、その効果はゲレンデで証明できたようだ。
 スキーは60歳まで続けるという目標を持ってやってきたが、その目標も4年前に達成できた。64歳である今、スキーを再開するに当たり、70歳までという新たな目標に取り組んでいきたいと思っている。
 

2005. 1.23  大晦日に宝物がまた一つ増えた。孫(男子)が出来たのである。また大晦日に出てくるとは・・・あわて者か?我慢の出来ない短気なやつか?いずれにしても将来が少し心配なヤツだ。これで外孫、内孫2人ずつで合わせて4人(男子3人、女子1人)になった。しかし、これ以上の予定はないようだ。私も2人しか子供をもうけていないので、これでよしとしよう。
 そのうちに、「Lounge」の「たからもの」コーナーに登場すると思うが、その節にはよろしくお願いをしたいと思う。                


 
2004.11.27  最近、仕事が忙しくて絵を描く時間が取れない。とくに土、日の仕事が多かったせいもある。休日画家としては痛いところである。忙中閑ありといってその気になれば時間を取れなくもないが、その気にならないだけのようだ。これも気まぐれものの最たるところで、HPのタイトルどおりである。
 仕事の方も、もう少しするとかたが付くのでそれから絵の方に取り掛かろうと思っている。


 
2004.10. 2  最近、「死ぬ権利」についてというシンポジュームが京都で開かれた、と新聞で読んだ。その詳細についてはわからないが、おそらく尊厳死とか、無駄な延命医療をどう考えるか、といったような内容ではなかったかと推察する。

 大多数の人々にとっては人間は生きることが権利であると主張する。しかし死ぬことが義務だとはおそらく考えていない。それでも死は万人に訪れる。生きることは四苦八苦という。四苦八苦には「死」そのものも含まれているが、他の七つは生きているために起こってくる苦しみである。苦しむことが権利なのか?・・・・社会通念では自己を有利に導くことが権利であることの方が断然多く、苦しむことはむしろ義務であることの方が多い。三段論法ではないが、生きることを義務であると考えた方が自然で理にかなっているのではないのだろうか。
 したがって、健康を保つための努力をするのは義務を履行することであり、自殺をすることは権利放棄ではなく義務の不履行である、ということになる。
 こう考えてくると、死ぬことは当然の権利ということになるが、義務はまた当然のことながら履行しなければならないことである。

     いま逝くとも わが人生に 悔ひはなし
             この世に未練は 残るといへど     <なりさん>


2004. 6.27  6月は絵が描けなかったので日記をつけることとした。

 7月11日は参議院議員の通常選挙が実施されるが、どの政党も「わが党こそが正義なり」といわんばかりの舌戦を繰り広げている。大きくは与野党の対決姿勢で年金問題と、イラク問題のようだが、憲法改正問題も陰に隠れつつも見え隠れしている。
 
 「正義」とは何ぞや?といいたくなるが、それで思い出した話がある。「阿修羅の正義」という話である。
 アスラ(阿修羅)というのは、インドの神話に出てくる正義の神様で、同じく、インドラ(帝釈天)という力の神に愛娘を略奪婚されてしまう。怒ったアスラはインドラに娘を返せと、幾度となく戦いを挑むが、いかんせん力の神には正義の神といえども歯が立たず負け戦となってしまう。時が過ぎ、略奪された娘は最初のころは嫌がっていたが、やがてインドラとの間に子供が出来、一緒に生活をするうちに段々とインドラを愛するようになってゆき、父であるアスラに、もう戦いはやめてくれるようにと頼むが、正義の神である父は一向にやめようとはせず、負けても負けてもインドラの不正が許せない。・・・・・というお話。
 
 正義というのは狭量で、相手のことを考えてやる余裕がない、自分の理屈だけで怒りを燃やし相手を許すことが出来ない、という見方も出来ると思うが、さて余裕のある政党はどの党かよく見定めたいものである。


2004. 6.12  最近思うに、企業の堕落が目立つ。企業が堕落した、というのは正確ではない。企業の責任者が堕落しているのだ。その企業の一部の責任者が、自己の保身、或いは一部のトップグループの安泰だけを考えての行動の結果、その企業そのものを根底から潰してしまいかねない信用の失墜を招いている。鶏と卵事件、牛肉の詐欺事件、車のリコール隠し、等々数え上げれば枚挙にいとまがない。その企業で働くおおかたの人にとっては、いい迷惑であると同時に死活問題になっている。
 
 『資本主義は禁欲的でないと堕落する』 と我々が生まれるはるか昔に、マックスウエーバーが言ったと、ものの本で読んだことがある。
 しかも、「禁欲というのは、もし出来るなら、所有していても使わず、自分が得ている権利さえも放棄し、自我をコントロールし、得だけではなく損をする道を選ぶことができ、悪評を恐れず、社会の風評につられず、死を引き当てにしてもどのような生を選ぶかを考えることである。」 といった意味の注釈つきである。
 企業の責任者にとどまらず、あらゆる社会的地位にある人は、この『禁欲』という言葉の意味を噛み締めるべきである、と思うのは私だけではあるまい。
 と、雨の日の気まぐれに思う・・・・・・・・・。


2004. 5. 1  パソコンというのは3年ぐらいするとダメになるように作られているのか?と思うようなことが、ユングの唱えるシンクロニシテイー(共時性の法則)のように耳に入ってきた。
 知人のパソコンが立ち上がり難くなったという。ひどいときには強制終了と立ち上げを、何度も繰り返さなければ立ち上げが出来ないという。そういう話を最近になって何度か耳にした。いずれのパソコンも3年以上はたっているという。
 実は私のパソコンも操作中にエラーが出たり、フリーズしたりで強制終了しないということを利かなくなってしまうことがたびたびで、特に私の場合は画像を一度にたくさん取り込んで処理をすることが多いので、メモリーが不足をしているのかな?、ぐらいにしか考えていなかった。私のパソコンは2000年の9月に買ったもので、3年過ぎたころからおかしくなりはじめたが、その辺の話をあわせるとパソコンの寿命というか、耐用年数は3年そこそこかなあと思うようになった。
 もっとも、私はイラチな方で(気まぐれでもあるが)パソコンが動かないということにはガマンがならなかったので、今年の2月に買い換えてしまったのだが・・・・・。
 たびたび買い替えをしないようにと、その当時なんでも出来るヤツ(HPのひとりごと参照)を買ったのに、まさか動かなくなるとは思っていなかった。今度のパソコンもデカイのを買ってしまったので、3年しか使えないのかと思うとちょっぴり反省。
 しかし、今度のは DELL Dimension シリーズの XPS というヤツで、メモリーが2Gbあるので、画像を相当取り込んでもまったくフリーズしないし、BBも40Mhに変えたのでインターネットもほとんど待ち時間なしの、イラチにとっては快適なパソコン生活である。

2004. 4.11  絵のほうは3月いっぱいお休みをしたが、4月に入って再開。
 Gallery4に高知城を追加した。
 3月に夫婦2組で高知県に旅行をした。車で行ったが、この頃はナビという便利なものがある。しかしめったに使わないので、戸惑うことしきり。それでも何度か間違えそうになりながらも、大歩危経由で高知市に入った。
 ホテルには直行せずに桂浜まで足を伸ばした。ついたのは午後になり日も西へ傾きはじめていたので、せっかくの桂浜ビューが逆光となって絵にならなかった。
 しかたがないので翌日に高知城へ行った次第。高知城の門前で日曜市が、かなりの規模で開かれていたが残念ながら、時間の都合上全部を見学できなかった。
 往路は明石大橋、帰路は瀬戸大橋で走行距離はしめて約700キロ。さすがにちょっと疲れたようだ。
 
2004. 4. 5  ホームページをアップロードしてから今日でちょうど1年になる。去年も桜の花が満開だったが、今年もまた桜が満開に近い。
 この頃とみに日がたつのが速く感じる。年齢のせいか・・・・?
 Galleryにもずいぶん絵が増えた。気まぐれに描いた絵も1年で16枚、月に換算して1.3枚、月に1〜2枚と決めて自分にプレッシャーをかけてきたが、まずまずの成果と自己満足。
 これからもなるべくこのペースでいきたいと思うが、さてどうなることやら・・・・・?
 とりあえず1周年を記念して『気まぐれ日記』をアップすることにした。



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