ひとりごと

 絵を始めるにあたっては、退職後に何か趣味を持たなければボケが早く来ると世間でよく言われていたころ、私も何か始めなければという強迫観念に陥っていた。

 子供のころに、親にもらう1日10円の小使いを貯めて月刊の少年雑誌を毎月楽しみにして買っていた。その頃の値段で1冊80円程度だったと思う。その雑誌にはその頃流行の絵物語というのが沢山載っていた。今でいう劇画のようなものである。人気作家の小松崎茂とか山川惣治、高畠華肖といった面々のペン画を真似て紙質の悪いノートによく落書きをしていた。なかでも私は小松崎茂のファンだった。そのことを思い出し、ペン画は修正がきかないが、鉛筆画なら出来るかも・・・というのが絵を始めるきっかけとなった
 描き始めた頃は、(”えんぴつ画Gallery1”参照)これなら何とかなりそうだと思い始めていたが、色を塗るのが本当に怖かったのである。なにせ記憶では、小学校の図画の時間以来である。水彩画のテキスト本を2〜3冊買ってきて、絵の具は画材店で色々と物色したが、結局分からずに店の人に初心者用の水彩絵の具が欲しいと、訊く始末。
 透明水彩絵の具という名前は聞き及んでいたが、それがどんなものかはさっぱり分かっていなかった。しかし透明という名前からしてなんとなくきれいに描けるのではないかという感じがしたので、店の人に薦められたこともあり、ホルベインの24色というのを買って帰った。それが悪戦苦闘の始まりだった。1994年3月のことである。
 絵画教室に通えば楽に・・・・とはいかないまでも、少なくとも同じ域に達するのに確実に時間の節約にはになっていたと思う。
 しかしそこが気まぐれ者の、気まぐれ者たる所以で、他人に習うことを由としないひねくれた性格で、良く言えば自分で何とかする・・・というか、何とかなるやろという安易な考えにもとずいている。そのぶんキッチリしんどい目にあうのは、自分でも今までの経験から充分過ぎるほどよく分かっているのに、そうしないのはたぶん、自分の自由に出来る時間に他人の介在を許したくない、という気持ちの現れに過ぎないだけだと、自分では分析をしているつもりである。
 何事においてもこの調子なので、新しい何かを始めるにあたっては一大決心をするかと言えば、それがそうでもなくすぐその気になってしまう。その辺がやっぱり気まぐれ者かな〜、と思っている。
 したがって絵を描くことについてはまったくの我流であり、また無理やりに作った趣味だと思っている。
               





パソコンのこと
 パソコンを買った理由がいまだにはっきりしていない。興味がなかったわけではないが何故買う気になったのか、そのときの気持ちが思い出せずにいる。(ボケてきたのか?)
確かに絵と同じでボケ防止に、という意識は働いていたと思うが、これも気まぐれ者がゆえということにしておこう。
 今は閉店してしまったあるところの家電量販店で買ったのだが、そこへたどり着くまでに3軒ほどの店を見て回った。その買った店が特別に安かったわけでもないが、ただあっちこっちと見て回ったので疲れていたこともあって、もうこの辺で手を打とうと言うことにしたものである。
 パソコンに関しての知識というのがほとんど皆無に等しかったので、「今出ている機種で容量が多くて何でも出来るやつはどれですか?」といったような訊き方をした。すると店員は、「買い替えですか?」とおっしゃった。初めて買う人はそんなに欲張った機種を買わないらしい。しかしこちトラはそんなに何回も買い換える余裕など持ち合わせていないので、そこそこのものを買っておきたいと思っていた。今になって思えばそれが正解だったようだ。こうしてホームページを立ち上げるに至っても、何ら支障を感じないが、欲を言えばメモリがもう少し欲しい。というのも画像を一度に沢山取り込むとフリーズする。しかし私が買った時点ではこれ以上のメモリはなかった。

 パソコンの機種及び仕様
 NEC: VALUESTAR T  セパレートデスクトップ型  TFT液晶15型デイスプレイ
 CPU: 667MHz  メモリ:128MB   HD:: 30 GB  CD-R/RW  DVD-ROM
というやつで、おまけに
 プリンター:EPSON Calario820c  デジカメ:OLYMPUS CAMEDIA c-3030zoom
 スキャナ:EPSON GT-7700U  タブレット:WACOM intuos
これはまさに気まぐれ者の衝動買いである。しかしタブレット以外は皆充分に役立っている。2000年9月下旬のことである。
 
 パソコンのセットアップについては、買った店の人が「5000円程の手数料でセットアップをしますよ」と言ってくれたが、「いや!自分でする!」と言ってしまった。(そんなもん何とかなるやろ!と言ういつもの悪い癖が出た。)それからがまた、悪戦苦闘、マニュアルと首っ引きで配線をつなぎ、画面の指示どうりに何とかセットアップに成功した。
 さあ何をしようか?
 せっかく買ったデジカメを活かそうと、まずは画像の取り込みに取りかかった。と言っても何をどうすればどうなるのかが分からない。パソコンとデジカメのマニュアルを交互に見ながら、Wクリックとドラッグドロップを覚えていろいろ触っていたら、偶然取り込みに成功した。その操作を忘れないうちにノートにメモして忘備禄を作ったが、今その忘備禄を見ていると、いろんなことが書いてある。「ワアこんな稚拙なやり方をしていたのかア」と言う思いと、懐かしさが入り混じった妙な気分である。
 そうこうするうちに年末になり、21世紀の年賀状と300件余りの住所録を作成した。ついでにインターネットに繋いでしまえ!と言うことで、21世紀を待たずしてメールをはじめた次第である。
 パソコンを買った頃は、「年寄りの冷や水」、「六十の手習い」等々いろいろ冷やかされもしたが、「なんとかなるやろ!」といういつもの悪い癖が、いい方に作用したようである。
 このたびのホームページ開設にあたっても、「なんとかなるやろ!」でソフトはあるがマニュアルなし、またまたインターネットと首っ引き、賽の河原の何とかで積んでは崩し、また積んでは崩しの繰り返し、やっと目処がついたときは2ヶ月近くかかっていた。その間
ほとんど毎日深夜までかかって、相当睡眠不足が続いているが、始めは「なんとかなるやろ」だったのがだんだんと「なんとかしてやる!!」に変わってきた。壁にブチあたったらみょうなファイトが出てくる、そういう新しい自分を発見したみたいである。HPアップの日と決めた、語呂のいい2003.4.5 のその当日の今、午前0時54分である。そろそろ眠くなってきて目もショボついてきたし、何とか目標は達成出来たので今夜はこれぐらいにしといたるわイ!。寝ようっと!。


釣りのこと
 子供の頃の釣りといえば、家の前に池があり、その池でフナ釣りやモロコ釣りに興じていた。その頃は池の水もきれいで、スイレンやジュンサイ、ヒシ、マコモなども生えていて、6月の梅雨時になるとそういった藻にフナが産卵をする。産卵することをセスリと言っていたが、正しい学名かどうかは今もって定かではない。セスリの間は釣れないが、それの前後はよく釣れた。水質の良さは、釣った魚はもちろん食べられたし、ヒシなどもよく食べた。今の子供たちには想像も出来ないことかもしれない。
 海釣りを始めたのは1967年で結婚した年にあたる。たまたま住み着いたアパートが海の近くということもあり、あわせて趣味と実益を兼ねて始めたものである。
 まづは投げ釣りを始めたが、スピニングリールというのを扱ったことがない、釣具屋で投げ竿とリールを買ったときに扱い方を教わったが、相当の練習が必要だった。勢いよく投げたつもりがすぐ目の前に落ちたり、そうかと思えばまっすぐ上のほうにあがって、落ちてきたオモリに当たりそうになったりで散々な目にあった。
 その頃の竿は、合竹というやつで竹の皮を薄くそいで張り合わせたものだった。そうこうするうちすぐに、グラスファイバーの竿が売り出されたが、価格が大分高かったように記憶している。
 ウキ釣りは海でするものではないと思っていたので、投げ釣り一辺倒でやっていた。なぜなら海は池と違って常に波があるから、ウキでは魚のあたりが分からないと思い込んでいたのだ。しかしウキ釣りを始めたら、この方が断然面白い。竿は軽くてしなやかで反発力の強いカーボン製が売り出された。餌はシラサエビをエビ箱に入れて、ねらうはメバル、アイナメその他もろもろ五目釣り、波止や一文字へよく出かけたものである。特に手漕ぎのゴムボートでテトラの一文字へよく渡ったが、テトラで滑って海にはまったり、ボートに乗り移るときに股裂き状態になってはまってしまったり、ゴムボートのゴムが貝に擦れて破れて帰れなくなったりと、これもまた散々な目にあったがそれも懐かしい思い出となっている。
 このごろは波止へ行っても釣り荒れているというか、なかなか魚が釣れなくなった。もっぱら最近は船釣りであるが、これも年に4〜5回行ければいいほうである。
 
スキーのこと  スキーを始めたのは、1960年の3月頃だったと記憶している。その頃はまだ、スキーをする人は少数のごく限られた者だけだった。最初に行ったのは鉢伏スキー場、今でいうハチ高原スキー場である。リフトは大久保ゲレンデに一機あるのみで、ハチ高原に上がるにはシールを着けなければ、雪が深くて歩けない状態だった。しかしシールみたいなものは持っていないので、スキーにわら縄を鎖のようにして巻き付けて、歩いて登ったものである。
 最初のいでたちは、スキーウエアーなんかもちろんあるはずがなく、ジャンバーのうえにオーバー(その頃はコートとは言わなかった)を着て、足元はといえば革の長靴を履いてリュックを担いで行った。夕方仕事を終えてから姫路で乗り換えて播但線経由で八鹿駅から全但バスに乗り継ぎ、終点から歩いて40分程かけてやっと宿についた。40分の道のりは延々と続くのぼり坂で、おまけに革の長靴は道に流れている雪解け水を充分に吸って、オーバーの上に担いでいるリュックよりも重く感じられた。
 そもそもスキーなどというものをしようとは思ってもいなかったのが、仕事の先輩に誘われるままになんとなく「行ってみようか」が始まりとなった。
 マイスキーはもちろん持っていないので、宿でお願いをしてスキーを借りてもらったが、単板というやつで、ミズナラ材の一枚板を加工して作った、エッジもついていない代物だった。今から思えば滑る技術を持ち合わせていない者には、それで充分だったのかもしれない。 

(その後、すぐに本格的に始めようと思って、マイスキーを買った。ヒッコリーパックというやつで、ミズナラ材を芯にしてヒッコリーという米材を両面に張り合わせた合板で、これにはちゃんとエッジがついていた。ストックは「釣りのこと」でも書いたが、竹を薄く張り合わせた合竹だった。その後もスキーは何台か乗り換えたが、オーストリア製でクナイスル社のメタル(195Cm)というのは、ずいぶんと長く愛用したものだ。)

 私としてはその仕事の先輩であるT氏だけが頼りなのに、「お前、一回滑ってみい」といわれ、「やったことがないのに、そんなもんできるかあ!」と思いながらも、ゆるい斜面だったのでおっかなびっくりながら滑ってみた。ものすごい緊張感だった。ところが最初のひと滑りは転ばずにうまく出来た。しかも滑り終わったところが逆勾配になっていて、転ばずに止まった。「お前、うまいやないか、その調子でしばらくそこで練習しといて。」といって、かってに一人ですべりに行ってしまった。
 子供の頃にローラースケートをして遊んだことがあり、高校時代にアイススケートをした経験が、滑るという感覚を体に覚えさせたといえばオーバーになるが、なんとなく馴染みやすかったのは事実である。
 ところがうまくいったのはその一度だけ、スキーとスケートは大違い、あの自分の背丈よりも長いモノを足につけて歩くだけでもままならない。後はボテボテに転びまわった。その難しさが病みつきになるきっかけとなったのは皮肉なことである。
 それからというものは明けても暮れてもスキースキーで、一番多く滑った年は1962〜63年にかけて1シーズンで70日ちかく雪の上にいた。よく仕事が首にならなかったものである。
 その後もT先輩とはよくご一緒させてもらったが、最初の同行で斜滑降というのを教わっただけで、「これをマスターしたら何処でも、どんな斜面でもいける。」というのがうたい文句だった。したがって私のスキーは、これまた全くの我流で、スキースクールなんかは一度も入ったためしはなく、「私のスキーの先生はT先輩だ」と、ひとにはいっているが事実上の師匠はいない。もっとも、ゲレンデで滑っているうまい人すべてが、私にとって先生、師匠であるといえなくもない。なぜなら、そこいらで滑っている上手な人のすべりを見よう見まねで練習してきたからに他ならない。
 私のホームゲレンデは鉢伏山を中心としたその周りのスキー場である。特にハチ高原スキー場は、最初に行ったところという親しみやすさからか、いちばんよく通ったスキー場である。最初に行った頃とはずいぶんと様変わりをしたが、それでも行けば懐かしさが心を満たしてくれるし、鉢伏山の容姿は昔とちっとも変わっていない。昔は煙を吐く汽車を乗り継ぎバスに乗り換え、そして徒歩で・・・・しめて4時間近くを要した道のりが、今では車で2時間半ほどで着いてしまう。
 また最近はカービングスキーなるものがはやっている。私は旧態依然としたスキーを履いているが、人によってその評価が違うので、カービングにするかどうか迷っている。
 同じく最近は何処のゲレンデに行っても、ボーダーばかりが目立つ。ボーダーを非難するわけではないが、非常に危ない。うまい人はそれは素晴らしい滑りを見せてくれる。しかしそうでない人は、危ない。私もぶつけられたことがある。前向きに滑っているのが、ターンをせずにそのまま後ろ向きでバックしてきた。急に、しかも前へ行くものと思い込んでいるのに鋭角でバックしてきたので、避けきれなかった。大事には至らなかったが、打ち身が残った。
 さて、これからのスキーをどうするか。寄るとしなみで、シーズン前にトレーニングを始めようと思う矢先に風邪を引く。その風邪が長引いて年が明けても、2月になってもすっきりしない。そんなパターンが2年ほど続いている。
 「今年こそは行ってやる!」と意気込んではいるが、同じパターンに陥るか?分からないが、そのつもりでがんばってみようと、鼻うがいを始めた。遅きに失した感は否めないが・・・・・なんとなく調子はよさそうである。
 
Louらうんじnge
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