Esper−City

第1部
(5)


  その日。マリアは、隣のベッドで眠っていた妹が起きあがったのを感じて、自身も身を起こした。
「おめでとう!」
「ん?」
 かけられた言葉の意味が分からず、キャシーはびっくりした表情で双子の片割れの顔を見つめた。
「おめでとう。お誕生日。誰よりも早く言いたかったの。」
 彼女の言葉に、キャシーもにこりと笑って返す。
「マリアも、おめでとう。今日から20歳だね。」
 2月15日。
 この日は、小隊が全員で休暇を取り、ふたりの誕生日を祝うことになっている。すでに、早朝からエリナが押しかけてきていて、アスターとともになにやら料理道具と格闘しているらしい。
 昼が過ぎたあたりから、マリアがキャシーにもおめかしをさせようと奮闘を始めた。たいして手入れもしていない髪をブラッシングし、自分と揃いであつらえたドレスと、アクセサリーの数々をベッドの上に散らばせている。
 これを着ることが、すなわち自分へのプレゼントになるのだと主張されては、キャシーも逆らうわけにはいかないらしい。
 もつれた髪を苦労してときほぐし、ポニーテールのように結い上げて髪飾りでとめる。そして、足下がすうすうすると文句を言うキャシーを無視してドレスを着せ、キャシーにとっては生まれて初めてになるパンプスを履かせる。その上で、化粧まで施す。ドレスを着せられたあたりから、キャシーはすっかり無口になってしまった。
「うーん。完成。ああ、疲れたぁ。」
「……動きにくい。」
「文句、いわないの。もう。必要以上に苦労しちゃったわ。普段から、もう少しきれいにしていれば、こんなには苦労しなかったのに。」
「化粧までは許可してないぜ。」
「ここまでやって、お化粧もしなきゃ、おかしいでしょう。」

 言いあううちに、ドアチャイムが、来客を伝える。
 マリアに促されて、キャシーは渋々従ってドアを開ける。
 来客はふたり。ダニーと、エルンストだった。
「なんだ。ずいぶん可愛い格好をしてるじゃないか。」
「よく似合うよ、キャシー。」
 口々にほめられて、ようやくキャシーの機嫌も直ってきたようだ。
 だが、キャシーとは裏腹に、マリアの顔色が、さえない。表面でははしゃいでいるが、時々、ふっと切なげな目でキャシーを見つめる瞬間がある。
(予感がするのよ。あの夢。本当になりそうな、いやな予感が。)

「……で?結局、いつにしたんだ?予約。」
「3日後だよ。もっと早く気づくべきだった。すっかり忘れていたから。」
 楽しげな、婚約者と妹の会話を聞いて、マリアは我に返った。なに食わぬ顔をして、手近なソファに身を沈める。
 主役のひとりでもある彼女には、それより他にすることがない。だったら、奇妙な予感におびえている彼女は、少しでも妹のそばにいたくて仕方がなかった。
 会話の内容から、どうやら義手の交換の話らしい。妹の右腕は、義手だ。
 義手という単語を思い出して、改めてマリアは思いだす。
 生まれてから、ずっと一緒に育った半身。運命のあの日、せめて同じ場所にいられたら、彼女と同じ運命をたどったのだろうか。そして彼女の持つ痛みを、彼女の味わった苦しみを、半分にできたのだろうか。
 もし、そうできたのなら、もう、離れたくなかった。
 ふたりで、痛みも、喜びも、分け合いたかった。
 同じ日に、同じように生きる運命を持って生まれたはずなのに、あの日を境に、こんなにも違ってしまった。
 あの日。両親の友人たち一家と合同でピクニックに出かけた日。
 キャシーひとりが熱を出して、出かけることができなくなってしまった。母は、そんなキャシーのために家に残り、看病するといい、他の家族は予定通りピクニックへ出かけたのだ。
 詳しいことは、彼女には教えられなかった。かなり大きくなってから、ニュースソースなどで、ようやく事件の経過を知ったほどだった。あまりにも、理解するには幼かったからだ。
 ただ、彼女が知っていたのは、楽しく帰宅したあとに、母の死と、妹の発狂。妹の右腕は無惨にも切り落とされ、その事件のあと、彼女自身は二度と立ち入らせてもらえなかった自宅の床が、血と、靴あとですさまじいことになっていたということだけ。
 父の嘆きは深かった。
 その後、その事件のあった家を見ることもできなくなってしまったくらいに。それでも他人がこの家に住むことも耐えられなかった。
 もっとも、他人が、この凄惨な事件のあった家を欲するわけもなく、住むものもいないまま、手放すこともできず、彼ら一家は引っ越した。それが現在のアパートメントだ。この時代の標準的な広さと、当時の最新設備を誇っている。
 ニュースソースにあった事件のあらましは、こうだ。

 軍人の集団が自宅を来襲し、金品を要求した。
 母は要求されたものを渡したが、殺されてしまった。
 その一部始終を目撃していたであろうキャシーに対し、おそらくは暴力をもって口封じをしようとしたが、ESPに「目覚めた」キャシーによって、反対に自分たちが殺されてしまった。

 だが、この記事には、どうして母が殺されたのか、いつ、どのようにしてキャシーの右腕を切り落とされたのか、そこまでは書いていない。証言できるものが、当のキャシーひとりだったため、事件の詳細は、ついにわからずじまいだった。
 軍人が犯人だということで、ジャーナリストでもあった父が、その事件について、真相を究明し、何とか娘の精神を取り戻そうとがんばったのだが、結局それも未解決のまま、やはり父も殺されてしまった。
 幸い、面倒を見てくれていた叔母がいたのと、キャシーが、その事件以後、エスパーとして登録されたため、生活費にも困らなかった。
 現在は、その叔母も他界し、彼女たちの身よりは、彼女たちだけとなってしまっている。
 キャシーの精神が、現在のように落ちつくまでには、かなりの年月がかかった。はじめのうちは、マリアの声にすら、反応することができなかった。
 事件の記憶を、何人ものエスパーがかかって、なんとか封じ込め、日常の生活ができるように、何度も矯正する。犯罪者レベルの処置までしたが、あまりにも強い恐怖はそれでも残り、大人、特に男性を極度に怖がる反応だけは、現在までも残った。

 つらい運命だった。
 同じ日に、同じ女性から生まれ落ちていながら、片方だけが、このような陰惨な運命に巻き込まれてしまったとは。
 マリアは、ずっと罪悪感を抱いていたのだ。
 だから。
 もう、二度と。離れない。
 彼女は能力者ではないから、軍隊にまで一緒にはいられないけど、そのかわりにダニーがついていてくれる。
「……リア。マリア?」
「え。」
 また物思いに耽ったマリアの顔を、キャシーが覗き込んでいる。
 キャシーの、それだけは昔と変わらない金髪が揺れる。深い蒼の瞳が、心配げに彼女を見ていた。
「気分でも悪い?顔色、よくないよ?」
「大丈夫。なんでもないの。ちょっと、変な夢を見たから、そのことを思い出していただけ。」
「そう?だったら、いいけど。無理するなよ?」

 もう、二度と離れない。

 パーティは、何事もなく始まった。
 マリアの予感をよそに、和やかな雰囲気で食事をし、ケーキを切り分け、プレゼントを渡される。
 ダニーからのプレゼントは、ふたり揃いのピアスだった。先日、キャシーがつけていたのを見たのだと、彼はいった。さっそく、お互いにつけるのを手伝って、ふたりで鏡を覗いた。
 エリナからは、飾りのついた時計。やはり揃いだ。
 エルンストからは、マフラー。最近流行の、手触りのよい動物の毛で作られたものだ。
 アスターは、髪飾り。現在ふたりの髪を飾っているものが、それだ。
 キャシーがマリアへ送ったものは、天然シルクの手袋だった。しばらく前に姉妹揃って買い物に出かけたときに、足を止めて見入っていたのを覚えていたらしいが、実は、マリアもそれを選んだのだった。お互いにお互いのプレゼントをあけて、くすくす笑いあう。

 ふと、その和やかな雰囲気を壊して、電話のベルが鳴った。
 普段使用する回線ではなく、軍専用の緊急回線だった。
「どうしたんだろう。まったく。非番だっていってあるのに。」
 キャシーが、立ち上がって電話の応対に立ち上がる。軍回線だから、機密事項もあるので、オープン回線にはならない。旧式の電話よろしく、わざわざ受話器を持って話す必要がある。
 マリアの頭の中で、警報が鳴った。
『ソレニデテハイケナイ』
『ソノデンワニデテハイケナイ』
「キャシー!やめて。でないで!」
 思わず、といった感じで、マリアはそう叫んでいた。キャシーが、振り返る。
「ごめん。こんな日だけど、もし助けが必要なら、いかなくちゃならない。契約は、果たさなくては。」
 そういって、電話の受話器を取る。短い会話のあと、キャシーの顔色が変わる。ダニー、エリナ、エルンストといった、小隊の面々の表情も、休日のそれから、仕事中のそれへと変化する。
 キャシーが受話器を置いた。
「E−2ブロックで戦闘発生。ただちに鎮圧に向かう。宗教団体同士の大規模な戦闘らしい。時間がない。動きにくいが、このままの服装で向かう。いくぞ。」
 その言葉を聞いて、さらに身体のふるえを止めることができなくなってしまったマリアは、ただただ、呆然と見送るしかない。ダニーの心配そうな顔が、視界に入ったが、それどころですらなかった。
「キャシーは、俺が守るから。」
 ダニーが、そういうのに、マリアは、ただ頷くしかできない。
「きっと帰るから。そうしたら、また、この続きをしよう。」
 その言葉を残して、キャシーはでていってしまった。マリアの前から。