Esper−City

第1部
(4)

「キャシーに、闇討ち?」
「ああ。その上、今日検索していたら、妨害プログラムが割り込んで犯人に関するサーチデータも、すべて消去された。失敗したよ。データだけでも、バックアップしておけばよかった。」
 エルンストの言葉に、ダニーは思わず頭を押さえた。
「まったく……あいつの周りはいつもきな臭い……本人にはそんなつもりはまるでないのにな。むしろ、いやがっているくらいなのに……」
「犯人グループだけど。」
「ん?」
「あれは、ひとつの小隊じゃなくて、かなり広範囲からの寄せ集めらしい。いくらエスパーが少ないといっても、そうやっていくつもの組み合わせを試していたら、めちゃめちゃ時間がかかったよ。」
「ああ。そうだろうな。」
「せめて、表示していたら、少しは覚えていて報告できるんだけど、なぁ。」
 心底悔しそうなエルンストに、ちらりと目を向けてダニーは、物思いに耽っていった。友人であり、恋人の双子の妹。大切な仲間。自分の上官でもある。
 その、彼女を襲撃する、卑劣な男たち。
 許さない。

 キャシーが、走っている。
 誰かに追われているようだ。時々後ろを振り返っている。
 息が荒い。
 拭う余裕もない汗が、あごを伝ってしたたり落ちる。
 ドン。
 たった、一度、悪夢にも似た音が響いた。
 その瞬間、キャシーの胸が朱に染まった。
 背中に、小さな焦げた穴。
 力を失ってキャシーの身体が、地面に沈んだ。
 見開いたままの目は、自分の力では、もう、閉じることができないようだ。
 口の端から、どろりとした、赤い液体が流れてくる。
 うつろな、光を失った、青い、瞳。
 身体が、だんだん冷えて、かたくなっていく……

「いやあああああぁぁぁ!」
 悲鳴をあげて、マリアは起きあがった。
 体中が、べっとりと汗にまみれている。
 隣のベッドを見やると、薄闇に、まだ夢の世界を漂っているかのような妹の姿が、視界にあった。目覚める気配はないが、確かに生きて、呼吸している。
 ほう。
 雄弁なため息をついて、マリアは水を求めてキッチンへ向かった。
 よほど疲れているのか、普段なら割とすぐに目覚めるタイプのキャシーが眠ったままなのが、今のマリアにはありがたかった。
 先ほど見た不吉な夢を、妹には話せない。なぜだか、彼女はそう思った。
 あまりにもリアルに見せつけられた夢。
 現実感が伴った、怖ろしい、夢。
 あまりにも強く感じる不安感。
 なぜだか、はっきりと理解される予感。
 キャシーが、マリアの前からいなくなってしまう。
 不吉な、予感。

「わかるって?……いなくなるって……キャシーが?……死ぬ、とか?」
「……具体的にはなにもわからないんだけど……でも、これだけはわかるの。キャシーが、わたしの前からいなくなってしまうって。」
 不吉な夢に安眠を妨げられた翌日、ダニーの勤務の終了を待って、ようやくマリアは彼に相談することができた。
(予知……だろうか……)
「わからないわ。わたし、エスパーじゃないはずだもの。」
「俺、今、口に出していったか?」
 マリアの身体が、びくりと震えて、ダニーを見た。
「いわなかった?はっきり聞こえたわ。ダニーの声、だったわ。」

 念のため、義務に従ってESPの検査を受けてみたが、マリアに対しての判定は、『能力なし』だった。

 だが、そのまま何事もなく、1ヶ月が経過した。
 ダニーは、考えることが多すぎて、それに没頭していたので、傍目には、何もせずに、ぼーっとしているように見えるようだ。
 ひょっこりと、エリナが目の前に現れたのも、声をかけられるまでは気付かなかったほどだ。
「な。エリナか。どうした?」
「会費をいただきたいのですけど、聞こえていませんでした?」
「悪いな。聞いてなかった。会費って?なんの?」
「大佐と、マリアのバースデーパーティーの会費ですよ。」
「ああ、そうか。あさってだったな。これでいいかな?多い分は、カンパということで。」
「ありがとうございます。そうだ。ねえ大尉。プレゼントは、何がいいでしょうか?」
 いわれて、ダニーが、ぐっと詰まった。そんなことまで考えてはいなかったのだ。眉間にたてじわをよせたのを見て、エリナは、察したようだった。
「大変ですね。考えることが多くて。」
「あれ。大佐は?」
「また元帥にお呼び出しされています。どこからか、闇討ちされたという情報が元帥の耳に入ったらしくて。」
 キャシーが、元帥のお気に入りだという噂があることを、どうやら元帥は知らないらしい。彼が呼び出すたびにまた、キャシーへの反感を高める輩がいることも、事実だというのに。
 やがて、キャシーは何事もなかったかのように、小隊の使用している司令室に戻ってきた。何を話してきたのか、その表情からはうかがうことができない。ちらりと時計を見て、終業時間が近いことを確認すると、ダニーに声をかけた。
「ダニー。後で買い物に行くんだ。つきあってくれよ。」
 屈託のない表情は、先ほどまで元帥と話をしていたとはとうてい思えないほど、明るかった。(多少不機嫌になって戻るくらいは、日常茶飯事なのだ)

 瀟洒な店の建ち並ぶあたりをふたりで歩きながら、それでもダニーは、何事か考え事をしていた。そのダニーの耳に、キャシーの声が飛び込んでくる。
「何がいいかなぁ。プレゼント。ダニーは、どう思う?」
「……最近は、自分のほしいものをあげるというのが流行らしいけど、マリアには逆効果だろうな。」
「?何がほしいんだ?」
「ダビドフ社の最新のクオーツ時計。興味、ないだろうな。」
「そういう趣味は聞かないなぁ。」
 キャシーが、くすくすと笑ってみせた。こういう表情をすると、やはりマリアと双子であるということが実感される。
 突然、突風が吹いて、キャシーの髪を思うさまなぶっていく。
「痛……」
「目にゴミでも入ったか?見せてみろ。」
 見ると、左目に何か入っているようだ。ダニーは、ESPを使ってそれを取り除いてやる。
「どうだ?もう大丈夫だと思うけど。」
「ああ。ありがとう。」
「お礼というわけじゃないけど、マリアの最近の趣味はね、香水なんだ。」
「香水?それはまた古くさいものを。」
「うん。香玉でなくて、どういうわけか、香水。」
 この時代、香料を小さなカプセルに詰めて、よい香りを発する『香玉』というものが大流行していた。真珠のような見た目をしているので、アクセサリーとしても使われていて、ポケットに入れてもじゃまにならない。まれに、香玉でも香料に対してもアレルギーをおこすものがいるが、そういう人をのぞいては、ほとんどの女性が、その香玉を持っていた。
「そういえば、キャシーは、持ってないんだな。香玉。」
「気に入った香りがなくてね。」
 そういって歩くキャシーの髪を、また風が踊らせていった。
 腰まであるその髪が、夕日に反射してきらきらと輝いた。
 キャシーの耳に、あまり飾りけがないとはいえ、ピアスが光っているのが、ダニーにはとても意外なことに思われた。