Esper−City

第1部
(1)

 惑星エナシュ。
 そろそろ夕方といっても良い時間になりつつある。
「ミルカート中尉!」
 快活な青年の声が、少女を呼び止めた。
 気候は穏やか。各方面に向かっているリフト・チューブが、太陽光を反射してきらめいている。珍しく渋滞もしていない。
 アスファルトの地面に靴音を響かせながら、軍服姿の青年(青年というよりは、どちらかというと『少年』というほうがぴったりくるような顔立ちだったが。)が、立ち止まった相手に走り寄った。
 すでに私服を着ている、その少女は、名前をキャサリン・フランセリア・ミルカートといい、先に青年が呼びかけたように、軍隊において中尉という役職に就いている。若すぎるその中尉は、もちろん、エスパーだ。それも、かなり強力な。
 少女は、長く伸ばした金髪を、風のもてあそぶままに任せ、青年が自分の元に来るのを、冷ややかとも言えるまなざしで見つめていた。深い、湖を連想させる、青い瞳。まつげは長く、鼻筋も通っている。白磁の肌と珊瑚のような唇は、その年代の少女独特の美しさを持っている。
「軍曹。何か?」
 冷酷ともとれる、アルトが青年の耳に届いた。
 青年は、その言葉を聞いただけで、彼女のご機嫌がすでによろしくないことに気付いていた。
 またか、と、思いつつ敬礼してみせる。もちろん、彼女が不機嫌である原因は分かっている。
 普段は、そのようなことはしない。お互い、ファーストネームで呼び合っているし、もちろん、敬語も普段は使うことはない。
「非番のところ、申し訳ありません。ドースン元帥がミルカート中尉をお呼びするようにと。」
「元帥が?やれやれ、またか。いい加減にしてくれ……」
「また、辞表をだされたそうですね。」
「自分の給料の分くらいは働いたつもりだがね。それとも、まだ働きが足りないというのかな?なあ?エルンスト?」
 いわれて彼、エルンスト・モートンは一瞬言葉に詰まる。彼女が軍隊をいやがる理由を、彼はよく承知していたからだ。
 だが、彼が何かを答えるよりも早く、彼女はあっさりと自分の非を認める。
「ごめん。エルンストに八つ当たりしても仕方ないのに。」
「なんでもありません。」
「敬語はやめてくれ。」
「一応、勤務中ですから。それに、年齢こそわたしのほうが上ですが、階級はあなたのほうが上ですし。」
 男のような言葉遣いをする少女が、ため息をついて首を振った。
 長い金髪が、頭の動きに会わせて、さらさらと踊る。
「まじめだな。エルンストは。仕方ないね。いくよ。」
「お気をつけて。」
 くすんだ金髪の青年が、ほっとした表情で彼女を見送った。

 壮麗と、悪趣味が紙一重になっているような内装の司令室で、元帥の指がとんとんとデスクをたたいてみせた。
 一応、軍服に着替えてきたらしいミルカート中尉はいらいらした様子で、元帥の次の言葉を待っている。
 先ほどから、あいさつの言葉を交わした以外、何もいってこない。
 敬礼ひとつするわけでない彼女の態度には、元帥は何もいわない。別の何かを言い出そうとして、どういったらよいのか、考えあぐねているようにも見える。
 ちらりと、中尉の視線が、元帥の、かなり薄くなってしまっている頭髪に向けられた。
「……また、辞表をだしたようだな。」
 ようやく発せられた言葉に、中尉はいらつく。
「そんなことを言うために呼び出されたのですか。それでしたら、わたしはこれで。」
「待ちなさい。話はまだ始まってもいない。」
 これに似た会話は、過去、何度となく繰り返されている。
 元帥は、あきらめて本題を切り出すことにしたようだ。
「君の気持ちは分かるが、エスパーである以上、仕方のないことだろう。」
「お言葉ですが。どこがおわかりになると?両親を、双方とも軍人に殺されたのに、なぜエスパーであるというだけで、いつまでも仇の職に就かねばならぬのか、教えていただきたい。いつになったら、わたしを解放して下さるのです。」
「……戦争が終わるまでは、君の退役はあり得ないだろう。……行きなさい。大尉。」
「『大尉』……?また、昇進……ですか。」
 昇進と聞かされて、ため息をつく軍人は、そうはいない。だが、彼女の場合は、これも、よくある話だった。
「つまり、退役を認められるためには、もっと働くように、というわけですね。」
「そういうことだ。」
 中尉、否、大尉は、あからさまにため息をつくと、元帥の取り出したばかりの階級章を、いささか乱暴な手つきで取り上げると、くるりと振り返った。
「とりあえず、こいつはありがたくいただいていきますよ。ご心配なく。給料の分くらいはがんばって働かせていただきます。」
「そうしてくれ。」
 自動ドアが彼女を元帥の視界から追い出すと、元帥はひそかにため息をついた。
 どこにでも、型破りな軍人はいるものだが、彼女の場合は根が深い。先ほど、彼女がいっていたとおり、彼女の両親は軍人によって殺害されている。
 元帥は、秘書に飲み物を運ぶように命じた。

 太陽がその姿を消し、薄暗くなってしまった公園に、先ほどの少女が、どっかりと腰を下ろしている。その髪型さえなければ、男性用の軍服を着ているせいもあるが、少年のようにも見える。
「キャシー。」
 キャサリン、という名前から、当然連想される愛称で、先ほど彼女と話していたのとは別の、長身の青年が呼びかけた。
 彼の名は、ダニエル・オースティン。やはり軍人らしく、軍服を着ていて、階級章は少尉を示している。黒に近い茶色の髪、この惑星ではあまり珍しくないが、青い瞳だ。
「どうした?元気ないな。聞いたぞ。また辞表を出したって?」
「ああ。出した。」
「断られたんだろう。」
「あたり。その上、こんなものまでもらってきた。」
 キャシーは、無造作に先ほどもらってきた階級章を、ケースごと彼、ダニーに放り投げる。ダニーも、慣れた調子で受け取って、ケースを開けてみる。
「大尉の階級章じゃないか。まったく、辞表をだすたびに昇進してないか?」
「もう、いいだろうと思って出すと、なぜか……」
「仕方のないやつ。」
 だだっ子をあやすような表情で、ダニーの手が、キャシーの頭をぐりぐりとなでた。
「いいじゃないか。階級があがると、それだけ退役後の恩給が上がるからな。」
「マリアと、同じことを言う。」
「その、マリアがそういってたんだぜ。まあ、前向きに考えるんだな。」
「そうだね。」
 その、ダニーを見る、キャシーの表情が、先ほどまでとはうって変わって、穏やかなものになっている。彼女にとって、彼は、心を許すことのできる相手であるらしい。
 そのうちにやがて、ふたり連れだって、その公園を後にした。

 この惑星では、どこの軍事国家でもそうであるように、エスパーの入軍は義務となっていて、軍隊に入る前に(まれに成人してから覚醒するものもいるが、そういうひとは軍隊に所属しながら)訓練校に通うことになっている。
 その、訓練校時代からの古いつきあいのこのふたりは、お互いにファーストネームを愛称で呼び合う仲でもある。
 仲良く談笑しているふたりの動きを注意深く観察していると、気付く人もいるだろうか。何気なくダニーが、キャシーに他人が接触しないようにかばっているとしか思えない場面が、何度となく見える。

 ドアが開いた。
 やはり、金髪に、青い瞳を持った少女が、振り返った。
「キャシー!どこに行ってたの?今日は、非番のはずだったわよね?」
「うん。そうだったんだけど、元帥に呼び出されてね。それより、お客さんだよ。」
 顔立ちはそっくり似通っているこのふたりは、実は一卵性の双子である。
 しかし、姉にあたるはずの彼女、マリア・フローリア・ミルカートは、軍人ではない。彼女はエスパーではないのだ。
 身長も、キャシーのほうが手のひらひとつ分ほど高い。男のような言葉も、マリアは使わない。エプロンをしていて、実にふんわりとした少女だ。顔つきもキャシーより、はるかにやわらかいように見える。
「お客?あら!ダニー!」
「やあ。お邪魔するよ。キャシーに誘われてね。夕食を一緒にさせてもらおうと思って。迷惑じゃなかったかな?」
「迷惑じゃないけど、キャシー!誘うなら、前もっていってちょうだい。どうせだったら、ダニーの好きなものを食べさせてあげたいじゃない。」
「今日の夕食のメニューは、なんだったかな?」
「シチューよ。」
「俺の好物だ。」
「だから誘った。かまわないよな。マリア?」
 キャシーはにやりと、いたずらっ子を思わせる表情で笑ってみせた。
「仕方ない人ね。ああ、そうそう。キャシー。わたし、就職が決まったの。」
 キャシーは足早に、自分とマリアが共有している部屋に向かいながら、聞いた。
「へぇ。どこ?」
「マーキュリーセンターのデータタイピスト。」
 マリアの返事に、さっそく軍服を脱ぎにかかっていたキャシーの手が止まった。その表情が曇る。
「マーキュリー?マリアの成績なら、もっと大手だってねらえただろう。」
「ううん。マーキュリーでいいの。小さい会社のほうがわたしにあっているもの。」
「隠すなよ。」
 そういって、一瞬マリアが逃げようとする隙をついて、キャシーの手が、マリアの手をつかんだ。
 他人と直接接触することによって、その人の記憶、過去などを読みとってしまう、いわゆる『接触テレパス』であるキャシーは、マリアが必死に隠そうとしたことまでも読みとってしまう。もっとも、彼女の力は、彼女自身にはいまだにコントロールができない。読みとる気のない通行人の記憶まで読みとってしまうことがよくあり、また、ある程度以上強い力を持ったエスパーには、自分の情報が流出するのを止めることもできない。きわめて不完全な能力なのだ。彼女を知る人間で、このことを知らぬものはいない。先ほど、ダニーが彼女をかばうようにして歩いていたのは、このためなのだ。あまりにも制御のきかぬ能力を持っているため、不用意に他人と接触すると、精神に異常をきたすためだ。キャシーの精神は、他人の存在にたいして、あまりにも、もろい。
「やっぱり。嘘じゃないか。」
「ずるいわよ。キャシーにだけはこのこと、黙っていようと思ってたのに。だって。あなた、気にするじゃない。」
「気にもするさ。僕のせいでアスターの就職だって、なかなか決まらなかったんだからな。」
「気にしなきゃいけないのは、キャシーじゃなくて、エスパーにこだわる軍のほうだわ。」
 エスパーがその能力に目覚めた後、軍に入らなければならないのは、この『エナシュ』の住人であれば、まだ言葉を解さない赤ん坊をのぞいて、誰でも知っていることだ。
 軍隊は最低、3年の任期の後に、退役が許可される。
 キャシーは、すでに17歳の誕生日をもって3年が経過したため、先日から辞表を何度も提出しているのだが、その、強大な能力を手放したがらない軍の上層部によって、なかなか希望が叶えられずにいた。それどころか、かえってくる返事は、逆に昇進を意味するものばかりだったのだ。
 また、現在のところ、人工的にエスパーを作り出すということができなくなった昨今、突然変異で産まれてくるものなのか、遺伝によって産まれてくるものなのかよくわかってはいない。なので、エスパーの肉親、まして一卵性双生児であるものは、特にエスパーになりうるというのが、一般的な世論だった。
 つまり、せっかく就職者を入社させても、軍によってその労働力を奪われる可能性があるものは、どこの会社でもいやがられる。今の、マリアがそうであるように。彼女たちの姉であるアスターが、かつてそうであったように。
「それに……わたしにだって11年前のような事件があったら……」
「やめろ。いうな。」
「だって。」
「僕はもう覚えていないんだ。その記憶はディスクに記録されているだけだ。マリアまで、あんな『人格強制処置』を受けなければならないようなことにはなってほしくない。」
「キャシー……」
「たくさんだ。自分の記憶をいじられるなんて。」
「でも、そうしなければ、あなた、発狂するところだったんでしょう?父さまが聞いたら悲しむわ。人格設定を『少年』にしたのは父さまだもの。」
「それしか、僕のほうが受け付けなかっただけだ……」
 キャシーの長い髪が揺れた。
「この話題は良くなかったわね。思い出させてごめんなさい。いきましょう。ダニーが、おなかをすかせて待っているわよ。」