DASH!

秘密
(2)

 深夜のビデオ鑑賞会を開いて3日目。とうとう、哲が根をあげた。
「勘弁してくれよ。今は夏休みだから問題ないけど、新学期が始まったりしたらいくら俺でも朝起きる自信なんてねぇよ。ただでさえレッスンで疲れてるんだから。恵を見ろよ。2本目はつきあえないで寝ちまうじゃねぇか。」
 哲のいうとおりであった。物音らしい物音はしないし、恵は1本を見終わると、だいたい『眠い』といって、自室に引っ込んでしまう。哲も眠そうだが、人がいいのか、つきあってくれるが、かなり迷惑そうだ。正直、自分も朝がつらくなってきている。不毛なことは、早々にやめることにして、ビデオ大会はやめてしまった。
 でも、原因の追及をやめたわけではない。はじめからこうすればよかったのだと思いながら、勉強に切り替えることにする。もしかしたら、音がするのは自分の部屋だけかもしれないし、ビデオの音にかき消されて聞こえないのかもしれない。ビデオの方に夢中になって聞き逃しているのかもしれない。
 しーんと静まり返った自室で、ノートになにやら書き込むペンシルの音だけが、やたらと響く。
 そして、その時間が、来た。
 かちゃり。ぱたん。
 ドアが開いて、閉まる音だ。そして廊下を歩く音。そしてまた、ドアの音。あとは、何も音がしない。
 翔は、自分の耳を疑った。恵が、哲の部屋に行った?ような音だ。しばらくして、また逆の方向へ音がする。
「ああ、びびった。なんだろう。こんな時間に。なんの用だろ?」
 さすがに口には出していなかったが、翔は、心の中でそういっていた。
 それからまた1週間。8月も半ばになってきているところで、翔は確信していた。どうやら、毎晩、自分が目を覚ましていた物音は、恵が哲の部屋へ、あるいは哲が恵の部屋へとお互いに行き来しているときの音だ。もっとも、圧倒的に哲が恵の部屋へ行っているときの方が多いのだが。
「あいつら。あんな時間に何をしているんだろう。」
 考えはじめるときりがなかった。部屋へ行き来するとき以外の物音がしないのも不気味だし、哲と恵が仲がいいのすらも、なんだか、勘ぐった目で見てみれば、いくらでも勘ぐれる。何度も、あらぬ想像をしてみては、自分でその想像を打ち消して、また、むくむくとたくましく発達していく妖しい想像に悩まされていた。
「まさか。男同士だぜ。」
 そう思ってみても、やはり噂では、芸能界というところは、そういう趣向の人間が多いということだし、まだデビューしていないとはいえ、彼らも芸能人として生きる以上、その素養があってもおかしくない。しかも、そういう目で見てみると、ことに、恵の方が少女めいた顔をしているだけに、妙にリアリティがあったりして、翔としても、心中穏やかではない。
 まあ、仮にこのふたりが「そう」であったとしても、別にそれでデビューをやめるとか、実家に戻るとか、そういうことにはならないと思うが、黙ってこそこそとふたりの秘密をもたれるのは、正直、あまり気分の良いものではない。というか、はっきりと不快だ。そのうえ、自分でもとまどうことなのだが、特に恵の顔を見ていると、妙な気分になってくるときがある。
 いったい、夜遅くにふたりで会っていたりして、何をしているのだろう。そう考えるのも、だんだんと想像がエスカレートしていって、とうとう夢にまででてきた日には、もう、どうしようもない自己嫌悪に襲われていた。
 夢の中の恵は(ここで、哲がでてこないあたりが、また自己嫌悪を誘う)ひどくみだらなポーズで翔を誘うのだ。時には彼と抱き合っていたりする。しかも全裸で。
 夢を見るたびに飛び起きて、べっとりと汗をかいているのを呆然と見やりながら、深々としたため息をついた。
 それなら、それでもかまわない。ふたりができているのなら、それでもいい。ただ、秘密にはしないでほしい。別に同性同士だからといって偏見はもたないように努力するし、なんといっても、本当にそうであるとは限らないから、万一、このようなことを考えているのがばれたりしたら、どんな冒涜だと思われても反論できない。
 真実が、知りたかった。どんなショッキングな事実でもいい。本当のことが知りたかった。
 自分が相当追い詰められた状態であることを、ようやく彼は自覚した。

「翔。翔?どうしたの?気分でも、悪い?」
 レッスン中に、ボーっとしていたらしい。恵の心配そうな顔が目の前にあった。夢の中の彼とは違って、現実の恵は、いたって無邪気な表情で翔の前にいる。色素の薄い目が翔をまっすぐに見つめていた。
「少し休んでいたら?どうせ俺、へたくそだからなかなかうまくできないし。」
 確かに、恵だけ不器用なのか、なんなのか、与えられた課題をこなすのに、翔や哲よりも、かなりたくさんの時間を必要とする。そのかわり、一度覚えたものはしつこく自分のものにしているようだが。
「もう少し、俺ひとりで練習してるから、翔はちょっとそこで休んでおいでよ。」
 恵が、にっこりと笑った。確かに、あの夢の中の彼とは違う表情をしている。現実の恵は、あんな表情は、とてもしないだろう。
 それは、やはり、よくわかってはいるのだ。そして、哲も、翔の部屋に来たときに、ちょっとアダルトな内容の本を見つけて、真っ赤な顔をしながらのぞいてみていたこともあったので、決して同性愛に走っているというわけではない。恵を女性としてみているという考え方もできるが、恵だって、どこからどう見ても男なので、それもありえないだろうと思っている。
 思っては、いるのだ。だが、一度走り出した妄想は、止まることがない。
「翔?本当に気分悪そうだよ?ねえ。大丈夫?」
 ひどく心配してくれているらしい恵の声が、遠く聞こえる。でも、中性的な言葉遣いに、また考えまいとしている想像に火をつける。
 もう、やめてくれ。この自己嫌悪から、俺を救ってくれ!
 頭を抱えた姿勢のまま、心でそう叫ぶ。
 どれくらいそうしていただろうか。いっこうに動こうとしない翔を見て、どうやら放っておくことにしたらしい。恵が少し離れたところでレッスンしているのが、睡眠不足気味で、ボーっとした翔の頭にも、ようやく理解されてきていた。そういえば、今日は哲の姿がない。そんなことにまで気づかないほど、考えが煮詰まっていたのかと、翔は愕然としていた。
 恵にそれを聞くと、
「哲?確か用事があるっていってたよ。それより翔。気分はどう?」
「気分……めちゃめちゃわりー……」
「どうする?レッスン、できる?」
「やるよ。」
 八つ当たりだとわかっていても、恵の心配そうな様子が、妙に気にさわった。純粋に翔を心配してくれているのがわかっていても、どうしても素直に受けとることができない。
 限界だ。
 これ以上、自分ひとりだけ事情を知らずにいることが、どうしようもなく不快でたまらない。
 とうとう、翔は、意を決して恵を問いつめることにした。ふたりを相手にするほどの根性はない。万一、想像が事実であったときに、自分を保っている自信がない。どちらかの部屋に行って問いつめてもいいが、その音を聞きつけてもう片方がやってきたら、翔の精神の方が耐えられない。そして、今日は、珍しく片方がいない。次にこんなチャンスが、いつ巡ってくるのかわからない。
「なあ。恵。」
「ん?何?」
「単刀直入に聞くけどさ、……」
 そして、なんとなく言いよどむ。
 恵が、翔の方を見て、小首を傾げた。
「おまえら、真夜中にふたりで、何やってるわけ?」
 とうとう、ずっと知りたかったことを口にした。もう、後には引けない。
 恵の顔色が、なんだかすっと青ざめたような気が、した。