DASH!

秘密
(3)

「な、何を言い出す、ん、だ?いきなり。」
「夜中にふたりで部屋を行ったり来たりしてるの、俺が知らないとでも思ってるのかよ?」
 明らかに狼狽した様子の恵を見て、翔は、当たってほしくなかった想像が当たっていたようだと、内心、かなりショックだった。覚悟はしていたはずなのに、現実にそうだということを突きつけられると、どうしようもないやるせなさが彼を襲う。
「人にいえないことでもしてるっていうのか?」
「そ、そんなこと、してないよ!」
「どうだか。」
 うろたえる恵の姿に、翔は、とてつもなく意地悪な気分になっている自分を発見する。こうなったら、とことんまでやってやる。どうしてもいわないのなら、自分はもう、耐えられない。気は進まないが、実家に戻って、普通にお坊っちゃましていてもいい。その方がよっぽど気が楽だ。それに何より、恵や哲の、変な夢や想像に悩まされなくてすむ。……たぶん。
 どん、と、恵を突き飛ばした。あっさりとよろけてしりもちをつく恵を、自分でも恐ろしく冷ややかな気分で見下ろして、せせら笑う。
「なんだ。けんかもしたこと、ねぇのかよ。こんなことでよろけてるようじゃ、先が思いやられるぜ。それとも、姫君は誰かに守ってもらっているのかな?」
 翔が、気分のままにそういい放つと、恵の顔色がさっと赤くなった。それを見逃す翔ではない。
「顔色が変わったな。それじゃあ、少なくとも男だという自覚くらいはあるわけだ。でも、『姫』といったら、やっぱりおまえの方だよな。哲の方じゃない。どうする?俺にここまでこけにされて。愛しい哲に泣きつくのか?」
 止まらなかった。ここまでいうつもりはなかったのに。でも、もう発した言葉は戻らない。
 さすがに恵が立ち上がって、翔の胸ぐらをつかむ。
「い、言っていいことと悪いことがあるだろう!訂正しろよ!」
 翔の身体を揺すぶるようにして、恵がそう叫んだ。
「ほう。やる気。」
 翔は、自分でも冷たい口調だと思いながら、それでも怒りにまかせ、自分の胸ぐらをつかんだ恵の手を、あっさりともぎ離し、そのまま勢いに任せて恵の身体を背負って、投げた。
「きゃあ……!」
 女のような悲鳴を上げながら、恵の身体が大きな弧を描いて床に沈んだ。
 受け身ひとつとらなかったのは、予想していなかったから、とっさに手がでなかったのだろうか。それとも、柔道の受け身を知らなかったのだろうか。
 翔が、ぼんやりと考えながら恵を見やると、恵が動いていないことに気づいた。あわてて起こそうとすると、呼吸が止まってしまっているのに、愕然とする。
「まさか。おい。冗談きついぜ。悪かったよ。なあ。恵。目を開けろよ。おい!恵!」
 死んだように目を閉じ、ショックでなのか、呼吸も止めたまま、恵は静かに横たわっていた。翔が驚いて身体を揺すぶっても、一向に目覚めない。
 また、これも悪夢なのか?夢なら、とっととさめてくれ!
 翔が、強い絶望感にかられながら、強く恵を揺すると、何かに詰まったような音をたてて恵の呼吸が始まった。と、同時に、激しく咳き込む。
 ほっとして手を離すと、苦しそうな(当然だろう)恵は、それでも何も話そうとはしなかった。
「なあ。もう、いいから。何があったって驚いたりしねぇから。ふたりでこそこそするのは、もうやめてくれよ。俺、その方が耐えられねぇよ。偏見なんてもったりしないから。おまえらのじゃまもしないから。」
 自分でも、情けない声を出していると思う。どうしてこんなに気になるのかもわからない。ただ、知りたいと思った。恵も、哲も、本当をいうと、彼は気に入っていたから。もっと彼らとともにがんばっていきたいと思ったから。
「少し、時間をくれるかな……。もうちょっと、勇気がでるまで。……ちゃんと、話すから。正直に話すから。」
 恵の消え入りそうな声が聞こえた。
『勇気がでるまで』
 恵は、確かにそういった。翔の胸のつかえが少しだけ、軽くなった。

 あの、思わず放ってしまった背負い投げ事件から5日が経過した。
 いつものようにテキストを開いていると、哲が翔の部屋に入ってきて、今すぐ彼の部屋へ行くようにというので、翔は反射的に理解した。恵だ。とうとう、彼のいうところの『勇気』とやらがでたらしい。哲の部屋へ行くと、彼の予想を裏付けるように、恵が、ひっそりと座っていた。哲は、翔の後ろ、ドアの脇に立ったまま、自分の部屋だというのに、入ってこない。
 うすい茶色の髪がさらさらと顔にかかり、恵は、妙に少女めいてみえた。
 翔は、なんとなく落ち着かない様子で、そっと時計を見るふりをした。もうすぐ、3時。例の、ドアの音が聞こえる時間。
「落ち着いて、よく見ていろよ。」
 哲のひくい声が背中越しに聞こえた。
 緊張感で、ひどくのどが渇いた気がする。恵が、目を閉じた。髪と同じく、うすい茶色の瞳が翔の視界から消える。そして。

「なぁんだよ。そんならそうと早くいえっての。俺、とんでもない想像して眠れねぇほど悩んでたんだからな。」
 ようやく、事の真相を聞かせてもらった翔が、なんとなくうきうきした調子で、そういった。それを聞いた哲は、ちょっといやな顔をしてみせ、恵は、きょとんとして首を傾げている。それを見てとると、翔は、にやりと片方の頬をあげて、
「悪かったな。投げ飛ばしたりして。知らなかったとはいえ、女の子を投げ飛ばすなんて。」
 そういうと、恵は、それでも小さく首をすくめて、いった。
「ううん。あれは俺たちも悪かったんだよ。誰だって怒ると思う。俺が翔の立場だったらすごくいやだもん。ごめんね。」
 恵の返事に、翔は、いっそう気をよくする。すでに気に入っているさらさらの、うす茶の髪をぐりぐりと乱暴にかき回して、ご満悦だ。
「もう、気にするな。俺ももう気にしないし、事情を聞いたら、やっぱり隠したくもなるよなって、素直に思えるからな。でも、もう、隠し事はやめてくれよな。俺、今回、すげーつらかったんだからな。」
 つらかった、といわれて、恵が反応しないわけがない。計算づくの一言は、やはり功を奏したようだ。必死に謝る姿が、またかわいらしい。
 哲の渋い顔を(どうやら、かなりのやきもち焼きらしいと、翔はめざとく気がついた。)横目に見ながら、こっそり思う。
(おもしれー。当分、遊べそうだな。)

 彼ら3人が、ようやく本当の仲間になれた、最初の夜だった。