DASH!

秘密
(1)

 秘密を知られたというのは、彼にとっては案外に安心できることのようで、現在同居しているチームメイトでもある『哲』に、自分が本当は女性であることを知られたあと、自分のことをいろいろと話すようになった。ぎりぎりの成績でようやく入学した高校(女子校であったらしい)を、この思わぬハプニングのため、やむなく退学したことだとか、兄がひとりいて、現在はアメリカに留学中であるとか、それまではいうのもためらっていた食事の好き嫌いのことであるとか(どうやら、彼(彼女?)には変に偏った男性像があるらしく、好き嫌いを口に出すのは男性として恥ずかしいことなのだと思っているようだ)、哲にとって大切なことも、そうでないことも、とにかくいろんなことをふたりで話すようになっていた。
 彼『恵(けい)』は、本名を『めぐみ』といい、小柄で、美人とはとてもいえないが、それなりにきれいな顔をした、かわいらしい少女だった。(少なくとも、哲にはそう見える)
 片や、哲の方も、この奇妙なかわいらしい同居人にたいして、彼女(彼?)が話すのにつられていろいろと話して聞かせていた。アイドルになるという話が決まったあたりの話とか、11歳も年の離れている姉のこととか、小学生の頃に始めた柔道と空手の大会に出場したときのこととか、そんなようなことを、毎日、飽きもせずに話しこんでいた。

 そして、すっかりうち解けたようすのふたりの間に、残るもうひとりのメンバー、『翔』が、高校の転校手続きを終え、ふたりの住むマンションに越してくる日が来た。恵は、やはり、哲にたいしてしたのと同じように、翔にも自分の正体を内緒にしていてほしいと訴えた。
 哲の方も、本当は正体については翔にも話しておいた方がよいのはわかっていたのだが、なんとなく、恵のいうとおりにすることにしたのだった。なぜなのかはわからない。ただ、まだ、『めぐみ』のことは、自分ひとりのものにしておきたかった。それに。彼がそうであるからといって、翔も恵の正体について黙っていてくれるのかどうか、話しても信用のおける人物なのかどうか、まだよくわかってはいなかったからだ。
 ともかく、3人の生活は始まった。

 翔は、朝が早い。夜中まで明かりがついているところをみると、どうやら遅くまで勉強しているようなのだが、それにもかかわらず、哲が起き出すと、すぐに起き出してくる。そして哲がランニングに出かけている間に、軽くシャワーを浴びて、髪をきちんとセットし、コンタクトレンズを入れて(夜中はさすがにめがねを使っているようだ)、時には朝食の用意をして新聞を読んでいる。テレビ欄くらいしか読まない哲と恵に反して、翔は隅々まで読んでいる。トップニュースはもちろん、政治経済の欄から株式の欄まで。それも一紙ではなく、新たにふたつ、新聞の契約をしたほどだ。しかも、読むのはめちゃめちゃ早い。ちゃんと読んでいるのか、恵がテストしたら、隅までしっかりと覚えていた。記憶力もすばらしくいいらしい。さすがに、広告欄や通信販売欄は、よく覚えていないようだが。
 さすがに大学を受験しようという男は違うのだと、哲などは感心していたりする。
 朝食の用意ができる頃、ようやく恵も起き出してくる。しかし、彼の寝起きの悪さは、半端ではない。パンやコーヒーを口に運んではいるが、あとで聞くと、何も覚えてはいない。そもそも、食事をしたことすら覚えてはいないようなのだ。夏休みを利用しての強化レッスンに向かい、準備運動が終わったところで、ようやく意識がはっきりしてくる。目覚めたことはすぐにわかる。突然話す言葉がはっきりしてくるからだ。だいたい、起き出してから2時間は経過している。夜中のデート(?)で、哲が聞いてみたことがあるが、やはり、めぐみの姿の場合でも、寝起きは最悪だったらしい。で、寝付きも悪いのかというと、そうではない。寝付きはすこぶるよろしい。枕に頭をつけたなり、あっという間に眠っている。会話の隙などありもしない。夜中デートの最中にも、ふと会話のとぎれた隙に、眠ってしまったことも、2度や3度ではない。そして目覚めない。あきらめてベッドに寝かせ、自室に戻るなど、日常茶飯事かも知れない。
 本人にいわせると悩み事があるときは眠れなくなるらしいが、果たして、どうなのだろうか?

 同居をはじめて1週間が経過した頃、哲は身の回りのことを当番でする事を提案した。もちろん、デビューすることができたら、それはだんだんと変わっていくだろうが。
「食事だけど、恵は朝がやばいから、朝の当番はなし。その分、夜の方の担当を増やす。」
「そりゃ、かまわねえけどさ、俺、目玉焼きくらいしか作れねえんだけど。」
 翔がそういうと、哲は、それなら、と、翔の夕食当番をカットすることに決めた。哲は、はっきり言って、ふたりの子供を育てるために忙しかった母親と、やはり物心つく頃には働いていた姉の手伝いをするために、料理の腕は、普通の女の子よりも上だと自負している。かなり凝ったものも、平気で作れたりする。しかも完璧主義なのか、プロにでもなれるほどだといわれている。
 恵の料理はというと、かなりアバウトな作り方をしているのか、味はよい方だし、むしろ味だけなら哲よりもおいしいほどなのだが、その欠点は、見た目だ。見た目でかなり損をしている。本人は、めぐみの姿の時と違って、恵の姿だと手が大きいから勝手が違うのだといっているのだが。その点に関しては、正直、哲は信用していない。以前、翔がこのマンションにくる前に夜食を頼んでみたところ、恵の時と大差のないものを作ってきたからだ。今では、味がいいから良しだと思っている自分を発見して苦笑している。
 次にゴミ捨てだが。もちろん、夜中にだしたりするわけにはいかないので、恵はあてにならない。そうである以上、ふたりでするしかない。代わりに、玄関の掃除をするのが恵の仕事になった。

 翔は、素直に感心していた。なぜなら、彼らがグループを組んだ頃はあまり体力がなかった恵に、ずいぶんと体力がついてきていたからだ。はじめの頃でこそ、恵の寝起きの悪さを知らずに早朝ランニングをしていて、思わぬ苦労をしたのだといっていたのだが、どこをどうしたものやら、本当に体力がついてきている。下手をすると勉強でどうしても睡眠不足になってしまう自分の方が体力が落ちているようだ。これでは将来が心配だ。
 もっとも。父親のあとをおとなしく継ぐつもりなど全くないのだが。

 やはり夏となると、気温と同時に湿度も上昇する。蒸し暑い夜のことだった。うとうとしていた翔は、ふと目が覚めた。
「やっべ。ちくしょ。なんだか焦るぜ。」
 ものすごく自分の勉強が遅れているような気がする。そんなはずはないのだ。まだ、転校してから10日ほどしかたっていないし、転校前の成績は学年トップを、当然のようにキープしていたのだ。だが、やはり焦燥感は拭えない。
「……寝るか。」
 まだ、1年生なのだ。今から焦っていては身がもたない。
 とりあえず、この日は寝ることにした。疲れていたのだろう。枕に頭をつけるなり、深い眠りに落ちていった。

 翌日。やはり同じくらいの時間に目が覚めた。今日はちゃんとベッドに入っているし、普段なら一度寝たら朝までぐっすりと眠るタイプなのは自覚している。物音がしたり、人の気配がしたりといったことがない限り、目を覚ますことはない。耳を澄ませてみたが、特に目が覚める原因になりそうな音はしなかった。
 そのときは、きっと何かの間違いだろうと思ったのだが。
 さすがに、10日も続くと不審に思えてくる。
 10日間、毎晩のように目が覚めるのだ。
 それも。だいたい同じような時間に。とうとう翔は、その原因となる音をつきとめることに決めた。
 レンタルショップでビデオを借りてきて、哲と恵のふたりを誘って、鑑賞会を開く。借りてきた映画は、スプラッタムービーと、ハードアクションもの。特に、アクションものの方は、何とかいう有名な賞をもらったのだとパッケージに書いてあるものだ。
 しかし、1本目で、すぐにドロップアウトしたものがいた。恵だ。どうやら、あまりグロい画面は得意ではないようだ。と、いうか、ほとんどはじめの5分ほどで気分が悪いといいだし、10分もしないうちに、自室に引っ込んでしまった。終わったあと、アクションものを気分直しに見るということにして呼びにいったら、すでに眠っていて、いくら起こしても起きる気配がない。
「だめだ、こりゃ。寝ちゃったよ。」
「ああ、一度寝たら起きねぇよ。どうする?このまま見るか?それとも明日にするか?」
 時計を見ると、まだ時間は早い。哲には悪いが、例の、目が覚める時間までつきあってもらうことにして、もう1本のビデオをセットした。

 しかし、この夜は何も、翔が目覚めるほどの音はしなかった。