「ねえっ。聞いてっ。ロザリア!」
優雅な午後。お茶を楽しむロザリアの部屋に、けたたましい声とともに、いきなりドアを開けて入ってきたのは、ライバルの(はずの)アンジェリークだった。
「ちょっと。アンジェリーク。ノックくらい、したらどうなの?」
ロザリアが思わず口にした苦情に、アンジェリークは、肩をすくめて上目遣いで彼女を見る。
「ごめんね。今、いいかな?」
「いいもなにも、もう入ってきてるじゃないの。」
つい、この子と話していると、つけつけとした口調になる、と、ロザリアは思った。自分でもいけないとは思っているのだが、どうしてもそうなってしまうのは、なぜなのかよくわからない。
ロザリアが、ばあやにお茶の支度を頼むと、アンジェリークも、勧められてもいないのに勝手知ったるという動作でいすに腰掛けた。その後はアンジェリークが、今日、日の曜日に炎の守護聖オスカーとデートしたときのことを、かなり興奮した様子で話し始めた。
「これって、どういう意味かなあ。ねえ?つきっきりでアドバイス……なぁんて。」
「さあねえ。でも、オスカーさまのことですもの。いつもの軽口と思うくらいでちょうどいいんじゃなくて?」
ロザリアがそう言うと、言ったのを後悔するくらい、アンジェリークは目に見えて落ち込んでしまった。
理由までは、ロザリアにはわからない。わからないが、このまま放っておくのも、あとで気になることだけは目に見えている。とりあえず、いちばん可能性のありそうなことを口にしてみる。
「ねえ。アンジェリーク?もしかして、あんた、オスカーさまのことを?」
耳どころか、首筋まで赤くして、アンジェリークはロザリアの言葉を肯定した。
「うれしかったあ。ああ言ってもらえて。……でも、そうよね。オスカーさまの言うことだもの……」
ふうっと、ため息をつくアンジェリークに、ロザリアは、もうひとつの質問を投げかけた。
「ねえ。もし、もしも、オスカーさまが、女王にならずに一緒になってくれって言ったら、あんた、どうするの?」
「え。」
アンジェリークは、とても意外なことを聞いたというような顔をして、ロザリアを見て、ちょっと考え込んだ後に、ようやく口を開いた。
「考えたこと、なかったわ……。女王試験のことで頭がいっぱいで。」
「そう。」
困ったような顔をしたライバルに、ロザリアまで困ってしまって、思わず、こう言っていた。
「まあ。もし失恋しても、わたくしが女王になった暁には、あんたは、補佐官にでも任命してさしあげるから、いくらでも、挽回のチャンスはあるでしょうよ。」
「うふ。ありがとう。ロザリア。」
にっこりとアンジェリークが微笑う。
ロザリアは、この少女の感情表現がストレートすぎるのが、時々苦手だ。見ているだけで恥ずかしい気分がしてくる。
「でも、だからといって試験の手は抜かないでね。わたくしが勝つのは当たり前の話だけど、譲ってもらったなんて、思うのも、まして思われるのも、ごめんですからね。」
「わかってるわよ。」
照れ隠しのためか、つい、また、口調がきつくなってしまったが、なぜかアンジェリークは、にこにこと笑いながら返してくる。
その笑顔を見て、また戸惑う。だが、そんなに悪い気持ちはしなかった。
そんな、ある日のこと。
ランディ、ゼフェル、マルセルの3人の少年守護聖たちが、向こうから走ってくるのが、ロザリアの視界に入った。
「あら。ごきげんよう。」
「あっ。ロザリア!大変なことが起きたんだよ。」
いつも通りにあいさつをしたが、それにすら気がつかないほど、彼らは焦っていた。何が起きたというのだろう。
ロザリアは、思い切って訊いてみることにした。
「いったい、どうなさったんです?」
「いいかい。落ち着いて聞いてくれよ。それからこれは、まだアンジェリークには内密にしておいてくれないか?」
「ええ。それは、かまいませんけれども……」
「実は……オスカーさまが……」「行方がわからないって……ランディさま……それは。」
「あ。」
ゼフェルの声に、そこにいた全員が振り返ると、アンジェリークが蒼白な顔をして、立ちつくしていた。
「アンジェリーク……」
彼女の名を呼んだのが誰なのか、もうロザリアにはわからなくなっていた。ロザリア自身の声であったような気もしたが……
アンジェリークが、守護聖たちに詰め寄る。
「あ……あの……アンジェリーク……」
うろたえたようなマルセルの声に、ロザリアは、はっと我に返った。
「今……なんて……」
そう。ロザリア以外にも、勘のいい守護聖の何人かはアンジェリークの気持ちを、少なからず承知している。この3人の少年たちも知っているらしい。ほかには、例えば、恋愛に敏感なオリヴィエとか、オスカーとはあまり親しくない分、余計にわかるのかもしれないリュミエール、なにも口には出さないが、知らないはずのないクラヴィスといった面々だ。
だからこそ、アンジェリークに余計なショックを与えることがないように、ロザリアにだけ話すことにしたのだろうけれども。
「教えてください。今のお話は、本当なんですか?」
アンジェリークの、ややヒステリックにもとれる声が響く。
ロザリアの耳にはその声が、悲鳴のように、聞こえた。
本当のことであると、ゼフェルに告げられた直後、アンジェリークは、その場に倒れてしまった。
あとでロザリアが聞いたところによると、アンジェリークは、明日にあたる日の曜日にオスカーと約束をしていたということだった。翌日、つまり、日の曜日。守護聖の筆頭であるジュリアスから守護聖、女王候補の全員に対し、王立研究院に集合するように、という指令が出された。
あのあと、倒れたアンジェリークを心配して、誰も詳しい事情を話そうとはしなくなっていたが、(そんな余裕もなかったというのも事実で)この王立研究院でジュリアスが直接説明するという話なので、まだ青白い顔をしているアンジェリークとふたりで、集合場所へ向かった。
ついてみると、ジュリアスが、パスハとなんだか難しい顔で相談していて、その横でルヴァが、たまに口を挟む格好になっている。
あとは、まだ来ていない守護聖といえば、オリヴィエと、クラヴィス。
そこまでロザリアが見回したところで、ジュリアスが、彼女たちを振り返った。
「よく来たな。女王候補たち。本来なら、そなたたちには知らせず、我々だけで処理するべき問題なのだが、守護聖全員で呼びかけても反応がないのでな。この際、関係者全員で呼びかけようと言うことになったのだ。」
「わたくしたちでお力になれるようでしたら、何なりと。」
ロザリアが答える。アンジェリークは、口をきく気力もないようで、ロザリアの言葉に頷いただけだった。
「心強い。では、クラヴィスとオリヴィエが揃うまで、事の次第と成り行きを説明しよう。」
ジュリアスは、部屋の隅にあったいすに腰掛けるよう、ふたりに言うと、自身も手近ないすに掛けて説明をはじめた。
事の始まりは、ある惑星における、炎のサクリアの異常が発見されたことだった。
当然のようにオスカーが派遣されたのが、4日前。
調査と必要な処理を終えて、帰還すると報告があったのが、2日前のこと。
そのあと、オスカーからの連絡が途切れた。
はじめは、どこかで寄り道でもしているのかと軽く考えられていたが、執務に就くべき時間になっても、報告に現れるべき時間になっても、オスカーは現れなかった。少なくとも、仕事を無断で放棄するようなオスカーでないことは、全員がよくわかっている。
昨日、(つまり、ランディたちが現れる直前)守護聖が全員でオスカーに呼びかたのだけれども反応がない、ということだった。
「それで、わたくしたちも?」
「そうだ。少しでも可能性のあることは全部やっておきたい。すでに調査員は向かってはいるが、彼らには、無理があるのかもしれないな。」
ジュリアスは、平静を装ってはいるものの、目がわずかに赤くなっているのに、ロザリアは気がついた。
(眠って、いらっしゃらないのだわ。)
突然消息を絶ってしったオスカーが、心配でないわけがないだろう。
ふと、隣に腰掛けていたアンジェリークが、ロザリアの袖をつかんだ。
「アンジェリーク?」
「オスカーさま……」
また、泣きだしてしまったアンジェリークに、ロザリアは向きなおって言った。
「アンジェリーク。しっかりなさい。オスカーさまの命に何かあったと決まったわけではないのよ?」
放っておいてもかまわないのだが、なぜか放ってはおけない。
なおも、泣きじゃくるアンジェリークに、ジュリアスも声を掛ける。
「ロザリアの言うとおりだ。アンジェリーク。気をしっかり持て。オスカーが帰ってきたら、また子供扱いされるぞ。」
「はい……すみません……」やがて、全員が揃った。
遊星盤を改良して作成された、次元回廊とつながっている、プールを連想するような形の機械に向かって、全員で呼びかけた。
「オスカー!」
「オスカーさま!」
ある時は全員で。ある時はひとりひとり、必死で念じながら、オスカーに向かって呼びかけた。
「反応が……」
パスハの声が、突然、広間に響いた。
「オスカーさま!」
ちょうど、順番だったのか、アンジェリークが、半分絶叫するように、機械に身を乗り出しながら、オスカーを呼んだ。そのときだった。
「オスカーさま!」
『アンジェリーク!』
ロザリアの頭の中で、オスカーの声がした。
遠く、かすかに、だけれども、はっきりと。
アンジェリークの声に応えるように。
「オスカー!」
「オスカーさま!」
もう一度、全員で呼びかける。
『ジュリアスさま。クラヴィスさま。ルヴァ。リュミエール。ランディ。ゼフェル。マルセル。ロザリア……』
間違いではない。幻聴でもない。
これは、確かに、オスカーの声。
アンジェリークの方を見ると、うれしそうに微笑っている。
「どこだ。そなたはどこにいる。」
ジュリアスが問いかけた、そのとき、不意にオスカーの反応が途切れてしまった。
そのときのアンジェリークの顔。
その夜は、ロザリアは明け方まで寝付けなかった。
アンジェリークの、あの顔が目の前にちらついて。
それでも、収穫がまるでなかったというわけではない。
オスカーのいる場所が、特定できたらしい。再び、全員が(但し、心労で寝込んでしまったアンジェリークをのぞいて)集合させられた。
「何か、事情があるに違いない。生きていて、連絡がないなどと、オスカーに限ってはありえぬ。」
「残留思念だったりして。」
「ゼフェル。不謹慎だよ。そういうことを言うのは。」
「ジュリアス。オレに行かせてくれよ。あいつがホントーに生きてんのか、生きてたらなんでレンラクのひとつもよこさねーのか、本人にききてーんだ。いーだろ?」
「あー、じゃあ、わたしもついて行っちゃおうかなー。」
オリヴィエだ。
ゼフェルも、オリヴィエも、ともにアンジェリークとは仲がいい。
程なく、ジュリアスもそれを認め、オスカーを迎えに行くのは、ゼフェルとオリヴィエのふたりとなった。
ロザリアが、アンジェリークの様子を心配してライバルの部屋に詰めていると、ドアをノックする音。
「ゼフェルさま。オリヴィエさまも。」
「ハーイ。どう?アンジェの様子は。」
「ええ。少しはよろしいようですわ。」
「よかった。じゃあ、少し、いいかな。」
「はい。かまいませんわ。」
眠っていたアンジェリークが、目を覚ます。
かわいそうに。眠りも、浅いようだ。
「あんたの大好きな人を、迎えに行ってくるからね。」
アンジェリークの顔が、朱に染まった。
「心配、しねーで、待ってろよな。」
「ゼフェルさま。オリヴィエさま。……あの……気を、つけてください……」
ふたりは、軽くウィンクをして、部屋を出ていった。程なく、ふたりから連絡があった。
ロザリアは、アンジェリークの部屋へ、マルセルにもらった花を飾ってあげに向かった。そのついでにオスカーの話をしてあげてもかまわないだろう。
「アンジェリーク。オスカーさまが見つかったそうよ。」
「本当に?」
伏せていたベッドから半身を起こして、アンジェリークが目を輝かせる。
「ええ。ただ、あちらで片づけなければいけない問題があるらしくて、お帰りになるのは、そのあとということになるらしいわ。」
アンジェリークの瞳が、また、あふれてきたもので揺らめいた。
「だから、あんたも……」
元気を出して、というひとことが、なんとなく言い出せずに口ごもっていると、アンジェリークが真剣な顔をしてこんな事を言いだした。
「ねえ。ロザリア……。わたし、オスカーさまに告白しようと思うの。」
「え?なんですって?あんた、そんなこと言って、試験はどうするのよ。」
「だって、もう、なにも手につかないんだもの。エリューシオンのことを考えようとしてみても、オスカーさまのことしか考えられないの……」
ロザリアは、呆然としてアンジェリークの告白を聞いていた。
『オスカーさまに告白する』
つまり、それは、成就の暁には、女王候補を辞退するということで……
「たとえ、振られることになったとしても、この気持ちをオスカーさまに伝えなきゃ、試験どころじゃないもの。」
ロザリアには、理解できなかった。
確かに、好きな人ができたら、一緒にいたいと思うものだろう。
でも、そのために候補であることを辞退するということは、ロザリアにとっては別の話になってしまう。
でも、アンジェリークまでそうであるとは限らない。女王候補を辞退しても一緒にいたい人が、オスカーだったということになるのだろうか。
「そう。」
「あのね。今、ロザリアが入ってきてくれる少し前に夢を見てたの。オスカーさまの夢よ。向こうを向いているから、『オスカーさま』って呼んでみたの。振り返ってくれたんだけど、そこで目が覚めちゃって。」
ぱたぱたと音を立てて、滴が毛布に落ちた。
「そうしたら……すごく……寂しくなって……一緒に、ずっと一緒にいたいって……そう、思って……」
とうとう声を上げて泣き出してしまったアンジェリークに、ロザリアは、なんといえばいいのかわからなくて、ただ、馬鹿みたいにそこに立っていた。ココニイルノハ、ワタクシノシラナイ、あんじぇりーく。
彼女の頭の中で、ぐるぐるとその言葉だけが回り続けていた。
女王補佐官ディアからの呼び出しがあったのは、その日の午後だった。
「お呼びですか。ディアさま。」
「ええ。……そこへ」
ロザリアが、示されたいすに腰掛けると、ディアはようやく話し始めた。
「オスカーが、明日、帰ってくるそうですよ。アンジェリークの様子はどうですか?」
「あいかわらずですけど、オスカーさまのことを聞いたら、きっと元気になると思いますわ。」
「そうですか。ところでロザリア。オスカーのことですが、少々、問題があるのですよ。」
「問題?……とは……?」
ディアは、口に出すのをためらうように、言葉を切った。
「オスカーは、何らかの事故にあったらしくて、記憶が、ないらしいという報告が、オリヴィエから届きました。」
「記憶が?」
「はじめは、自分の名前すらも覚えていなかったらしいのです。」
オスカーの、記憶が、ない。
悪夢のようにその言葉が頭の中に響いた。
アンジェリークの顔が目の前にちらついた。
あの子に、何と言えばいいのだろう。
オスカーが、オリヴィエとゼフェルに付き添われて帰ってきたときは、アンジェリークも、オスカーの記憶のことを知っていた。
ロザリアは、何と言ってこの子に伝えたのか、よく、覚えていなかった。
次元回廊に、あの懐かしい姿が現れたとき、アンジェリークが息をのんだ。
オスカーの、どこかうつろな目が、あたりを見回した。
記憶がないのなら、見覚えのない場所のはずだ。
そして。
ロザリアはそのあと、長い間その顔を忘れることができなかった。
オスカーの表情が、アンジェリークを見たとたんに変化したのだ。
ゆっくりと、確実に。