百 花 の そ よ 風    マネージャー余話  吉沢武久

第 12 回  ピエール・ド・ロンサール  2023年7月1日

   百花のそよ風が12回目を迎えました。1年前の第1回はバラでした。百花を達成するには、8年と4ヶ月、2030年12月です。

 私80才、アトリエ作者81才ですが、それまで二人とも健康でこのアトリエを続けていられるかは、定かではありません。けれども

 それを目標にしたいと思います。そしてもう一つの目標は、百種類の花(花以外の植物や果物、野菜等が入るかも)について、

 書こうと思っていました。ところが、12回目にして早くも第1回で書いたバラを再び書きたくなりました。理由は、ベランダで咲いた

 ピエール・ド・ロンサールにあります。基本的には、一季咲きのツルバラなのですが、今年は6月に返り咲いたのです。

  5年前になります。畑の土作りに必要な堆肥と元肥を買いに花屋さんへ出掛ける時、作者から絵のモデルにするので、バラの

鉢植えをついでに買ってきて、と頼まれました。バラに関しては何の知識も持たない私は、バラのコーナで一番目に付いた白バラ

とピンクのバラを買いました。白バラにはアイスバーグ、ピンクのバラにはピエール・ド・ロンサールという名札が付いていました。

                        

  アイスバーグもピエール・ド・ロンサールも毎年花を付けます。アイスバーグは四季咲きなのか、何度も花を付けますが、ピエール

・ド・ロンサールは、今までは5月に咲いたきりでした。それが買ってきて5年目にして我が家のロンサールさん、ご機嫌が良かった

のか今年初めて、二度咲きしてくれたのです。三度咲くこともあるらしいので、まだ花の残る今、大切に扱っています。

 調べてみて分かったのですが、ピエール・ド・ロンサールというのは人物の名前でした。ルネサンス期(13世紀末〜15世紀末)の

フランス詩人、貴族出身で61才の生涯でした。田園やバラを含む花や恋の詩を書いています。でも、61才でこの世を去るとき

「私はあれほどたくさん恋をうたったのに、何ひとつ得るところがなかった」と嘆いたように、恋する女性とは結ばれなかったようです。

 その死後200年は完全に忘れ去られていましたが、19世紀になって再評価の機運が高まり、その詩は学校の教科書にも載って

います。有名な1節は { 恋人よ 見に行こう あのバラを・・・ }

                    

  そんなロンサールの名前をつけたバラは、1988年にフランスのメイアン社が作出しました。ピンクと白のグラデーションが美しい

バラです。素人の私の目に留まったように、バラの初心者が一目惚れする人気品種になりました。莟もころんと丸く愛らしく、3年に

一度開かれる世界バラ会議の決定により、2006年にバラの殿堂入りを果たしました。

 ちなみに、その世界バラ会議が2025年(再来年)にバラの街、広島県福山市で開かれるそうです。作者とバラを巡る旅の出発点

となったのも福山市でした。かなうなら、その世界バラ会議に合わせて、また福山市のバラ達に会いに出掛けたいと思っています。


                 

                                                      
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