百 花 の そ よ 風    マネージャー余話  吉沢武久

第 11 回   紫 陽 花       2023年6月1日

   今年2023年、東海地方は5月末に梅雨入り宣言がなされました。これは10年ぶりとのことです。梅雨の季節にぴったりな花は

 紫陽花です。私の好きな花、10指に入る花でもあり、アトリエ作者と50年も寄り添うことになるきっかけとなった花でもあります。

  学生時代、詩人になるつもりは全くなかったのですが、詩を書くことは趣味でした。作者と初めて出会ったのは、クリスマスですが

 その半年後の7月に誕生祝いとして自作の詩集 「少女の好きな花」 を贈ったのです。少女の好きな花の一番目が紫陽花、そして

 ヒナギク、ナデシコ、月見草、くちなし、白百合と続き、最後の7番目がスズランで終わります。{少女の好きな七つの花を、集めて

 作った花束を君に贈る・・・}というような内容の詩集でした。

  この誕生日プレゼントを境にして作者との距離がぐっと縮まり、3月の卒業式の一週間後に結婚式を挙げていました。

                        

  紫陽花は世界に誇れる日本原産の花です。花のように見える4枚の花びらは萼(ガク)で、その真ん中にある小さな点が花です。

4枚の萼にちなんで、四葩(よひら)という別名があります。また、莟から花が咲き終わるまでその色が変化することから、七変化とも

いわれ、中国では八仙花と呼ばれています。

 日本原産ですから、古くは万葉集に「安治佐為」という言葉で和歌に詠まれています。アジサイのアジは集まるのあづ、サイは

「真藍」(まっさお)で青い花が集まって咲く「あづさい」がなまってアジサイになったとか・・・あづさいのほうがなまっているんじゃない

の、と言いたくなりますが、有力な説のようです。

                    


  日本固有の紫陽花をヨーロッパに広めたのが、江戸時代に日本で活動していたドイツ人医師シーボルトです。シーボルトは長崎の

遊郭で出会った楠本滝(通称オタキさん)を日本人妻としました。ヨーロッパへ帰ったシーボルトは、持ち帰った紫陽花にオタキさんの

名前を用いて、「オタクサ」と命名しました。

 現在、NHK朝ドラの主人公のモデルとなっている牧野富太郎博士も紫陽花が好きでした。牧野博士はその紫陽花の学名に元遊女

の名前を用いるとは、美しい紫陽花を冒とくするものだ、と憤慨していたそうです。

 でも、牧野博士だって自分が発見した新種のササに奥様、寿衛子さんの名前を冠して 「スエコザサ」 と名づけているのですから、

どっちもどっちですね。

 寿衛子さんは博士より早く、55才で亡くなりました。そのお墓には牧野博士の俳句が刻まれているそうです。

     世の中の  あらん限りや  スエコ笹



                 

                                                      
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