9月          10月のリビング      11月    
10月31日(日) 白菜4分の1

きのう買い物に行ったら
白菜4分の1株が 100円で売っていた

「台風による品不足のため できるだけ多くの方に買っていただけるように
お一人様1個(4分の1)でお願いいたします」
と ただし書きが張ってあった。

できるだけ多くの方に というところが 
ナンだか 泣かせるし

4分の1では 鍋ができないし。。と思ったが
明日 もう一度 4分の1 買えば 2分の1になる。

そう思って 買っておいて正解だった。

きょうは きょうの4分の1の白菜を買って
しゃぶしゃぶ が出来た。

あしたのための 大根も買っておいたし

野菜を積み立てるのも
なかなか いいものだと 思った。


10月30日(土) 灯台下暗し

10月31日はハロウィーンという事が新聞に載っていた

スーパーマーケットやお菓子屋さんの店先に
オレンジのかぼちゃのおばけが置いてあったりするあれだ。

西洋では 子供達が仮装して隣近所の家を「おどして」回り
お菓子をもらう楽しい行事なのだ。

「日本では定着したとはいえません」という研究者のコメントが
記事をしめくくっていた。

ちょっと待ってよ。

悪霊を祓って 子供の健康を祈る行事なら
昔から日本にも ありますよ。

ご存知ありませんか?
地蔵盆。


10月29日(金) うちのお米

きょう農協から 今年の収穫米が届いた。

一反の田んぼで全部で約11本(308キロ)
そのうち 5本は委託費用にあてるため
6本だけの新米だ。

田植えと収穫を農協に委託し始めて約10年
美味しいときも 美味しくないときもあったが
うちのお米 と思って食べてきた。

ところが数年前
おどろくべき事実が判明した。
それはなんと 「うちのお米ではない」ということだった。

収穫本数に応じて 配分されているだけ
だったのだ。

というわけで
「良い田んぼで育ったお米が当たりますように」
と お祈りするしかないのです。

* Yさんのお米は本物です。ご安心ください。

10月28日(木) 知らない町を

名前はよく知っていて そんなに遠くでもなくて
それなのに 一度も降り立ったことのない駅

N駅は 思っていたより大きな駅だった。
南か北か どちらから出るのがいいのだろう。

2階部分にあるらしき改札を出て
エスカレーターを降りると 行きたい方面へは出られないことがわかった。

階段を戻って ともかく目的地方向への出口を探す。
陸橋を渡ると また 建物の中に入ってしまった。

目的地方向にまっすぐ進むと
今度は出口がなくなった。

「OOはどう行けばいいですか?」
「あの細い道をまっすぐ行って行き止まりを左に行ってOO高校のところを右に行けば左にあります」

さて 私はきょう何駅で降りて どこへ行ったのでしょう。
スルットKANSAI 1840円(往復)使いました。

10月27日(水) 宇宙船

5日前に台風23号のことで
ノアの箱舟を思い起こさせることを書いた。

翌日新潟で地震がおこり
余震が続く中 行方不明の家族の捜索が行われた。

命がけで救援活動をする人
命がけで見守る家族
命がけで避難する人

台風や地震そのものは
避けようが無くても

宇宙に船を出せる時代
箱舟くらいは 何艘でも出せると思う。


10月26日(火) 焼き魚

どこがどうなのか うまく言えないけれども
それは違う と思う コマーシャルがある。

焼き魚の臭いがしみこんだらしいカーテンやじゅうたんに
せっせと 消臭スプレーをかけるコマーシャル。

確かに 臭いというのは 気になるもので
いい臭いばかりというわけにはいかない。

それはそうだけど 臭いが残っているのは
そんなに いけないことなのか。

食べさせてくれた 魚に対してもずいぶん
失礼だと思う。

「臭いものに 蓋」よりひどいように思う
私は 変な人?

10月25日(月) 大根1本

仕事から帰って 自転車で買い物に行ったら
うわさの通り野菜が値上がりしていた。

レタス289円のこの店はけっこう安い。
ところが 大根が1本380円だった。

「え〜っ!?」と思ったが
普段の農産物の値段が安すぎるのだ。

土づくりから始まって
種まき 施肥 炎天下の草取り 水遣り 
収穫 整理
大根1本にどれだけの時間を費やしているのか

そう思うと 380円の大根に罪はないと思った。
そして よく見ると 新潟産だった。

地震の前に こっちに来たんだね。

10月24日(日) 復興支援


台風がきたのが20日
地震が起きたのが23日

わずか3日で台風被害地域のことを
忘れそうになっている

食料や水 毛布 衣類
それぞれの地域で 必要なものは少しづつ
違っているとは思うけれど

どちらにも必要不可欠なのは

人手 だろう。

「コクナイデ サイガイハッセイシタ  フッコウシエンブタイ スグ カエラレタシ」

10月23日(土) 想像力

午後6時前
新潟で震度6強の地震というニュースが流れた

「街の様子は特にかわりなく 
今のところ けが人などの情報は入っていません」
という おちついた コメントだった。

阪神大震災の時もそうだった。
はじめてのニュースは山陰地方とか滋賀県か三重県と
言っていたように思うし
阪神高速道路の高架橋が倒れている という映像ばかり
が映し出されていた。


今回も震度6強なのに 
「そんなはずはない」と思っていたら
徐々に 被害の情報が入ってきている
新幹線が脱線。
道路が陥没
けが人も多数発生している模様という。

テレビというものは
映せる時の映せるものしか 映せないのだ。

10月22日(金) ノアの箱舟

水没した道路上で
バスの屋根に取り残された人々の姿は
ノアの箱舟を思わせる

ニューヨークのビルが破壊された時
バベルの塔を思い出した

人間は こうしていつも 同じことを 
くりかえしているのかもしれない。

戦争の記憶 地震の記憶 水害の記憶
それらが いつか 神話となって
未来に語り継がれるのだろうか。

10月21日(木) 予想できなかった。

台風で大変な被害が出ている
予想できない雨量だった。

児童虐待 なぜ防げなかったのか
予想できなかった。

車の欠陥による事故
予想できなかった。

薬害
予想できなかった。

原子力発電所の事故
予想できなかった。

予想できなかった ではなくて
対策考えていなかった。
ではないですか。

少なくとも 台風は予報してました。

10月20日(水) 台風23号


大雨 洪水 暴風警報が出ているのに
雨が降っているだけで ほとんど風がふいていない。

もうすぐ 来るのかと 緊張していたら
通り過ぎてしまっている

テレビを見たら 各地で大変な被害が出ているし
我が家も暴風圏に入ったままだ。

*テレビニュースに一言*
台風だからといって 傘が飛ばされたり 高波が押し寄せる波打ち際ばかり放送しないでいただきたい。

たまには 風がふかない地域もあることを 放送していただきたい。
  
暴風圏内でも 風がまったくふかないことが続くと 映像を信用しなくなり
危険です。


10月19日(火) 命について

幼稚園の頃 疫痢になって死ぬところだった。
小学生の時 突然死の恐怖に襲われて 毎晩泣いていたら
「そんな子は 長生きするから 安心しなさい」と母が言ってくれた。

母と 言い争って 「死んだら後悔してくれるかもしれない」と思ったけれど
やさしくなった母を見ることができないと気がついて 死なないことにした。

絶望の淵にあると 思っているのに
ご飯だけは 食べている自分に気づいて
なんとなく なんだかな と 思って立ち直った。

機動隊にはさまれて デモに参加したあと
疲れきって 家に帰ったら母にきつくしかられた。

「遊んでいるのではない 真剣に生きようとしているのだ」
と 生意気に 言い返したら
「何をしようと 子供が危険な目にあうのを黙ってみている親がどこにいる」
と 父に言われた。

「自分の子供に危害を加えようとする奴は 機動隊であろうと 凶悪犯であろうと お父さんが 鉄砲で撃ってやる」と 言われ 何も言えなかった。

それ以来 「命がけ」のデモには 行っていない。

特別に 名を残すような 父母ではなかったけれど
「私」という こわがりの 命を残していたんだと 気がついた。


10月18日(月) 自殺サイト

自殺サイトというのがあるらしい
その自殺サイトでいっしょに死ぬ相手を探す人もあるらしい
そして その自殺サイトを観察して取材している人もいるらしい
そして その自殺サイトを観察して取材している人を紹介している記事を見た

人にはいろいろ事情があるだろうと思う。
死にたいことや 生きていけないこと が あるというのは否定しない。

でも 他人を誘って死ぬのは殺人じゃないのか?

それを 知っていて とめないのも 犯罪じゃないのか
なぜ そんな人を価値あるもののように紹介するのかよくわからない

一人の人間を 本当に死なせたくないと思っている人は
そんなに たくさんいるものではない。


10月17日(日) フランスデモ

ちょうさじゃ> ちょうさじゃ ちょうさじゃ> ちょうさじゃ
祭りの掛け声が一日中 聞こえている

遠くになると 「アンポ ハンタイ アンポ ハンタイ 」
のように 聞こえてくる

サトウ タオセ 」「アンボ フンサイ」だった? か ?

フランスデモは 今でもあるんだろうか。

10月16日(土) 本当の贈り物


きのう すばらしい贈り物をもらった
それは 私のために いっしょうけんめい作ってくれたもの

贈り物を だきしめると
小さい頃からの いろいろな思い出が走馬灯のように
よみがえった

それは 透明な光を放ちながら
私の心を 暖かく 包んでくれた

贈り物 というのは 心を贈るということ
愛情を贈るということ

芸術の役割というのものも
そういうことなんだと 本当に 本当に
思った。


10月15日(金) ホームページあるときあるとき

何か の時にしか帰ってこない息子が
久しぶりに何かわからない ときに 帰って来た

「このあいだね〜 大津。。。」
「。らしいな」

「SAKKOはね げん。」
「。みたいやな」

「お父さんはね あい。。。。」
「ああ」

「熊」
「そやな」

「16日」
「今んとこ4人!」

10月14日(木) だから どうした!

稲刈りに向けて布団を整理していると(泊まるかもしれない)
どこかで だれかの 声がした。

表をのぞいていたら
裏口に作業服らしき人影が見えた。

「すみませ〜ん。この辺はガスですか?」

「あの ご用件は?」
「だから この辺はみんなガスですよね」(目的いいたくないんだ〜)

「知りませんけど それがどうしました?」
「この度 国のほうで 認定を受けた。。。の。。。の。。。が。。。を。。。。で
。。。。になるということを ご存知ですか?」(はっきり言いたくないんだ〜)

「知りません。忙しいんです。 用件は?」(早く 決定打を。。)
「だから 。。の。。。の。。。。。。。国が。。なるんです」

「国の命令ですか?」(んなわけないけどね!)

「。。。違います」(そうやろ そうやろ)

違うんだったら うちは いりません!


10月13日(水) 受けてばかり

テレビニュースをきいていたら

「〜〜したのを受けて 政府は〜〜対策を検討」
「また 〜〜を受けて 〜〜が早急に〜〜することになった」
と 「受けて」を連発していた。

ほんとに 受身な世の中だ
たまには 先に「投げて」みたらどうなのだ。


10月12日(火) 熊予想

生きるために人里にあらわれて
撃退される熊が かわいそうでならない。

人間に危害を加えさえしなければ
もとの山へ もどされるとはいうものの

食料のなくなった山にもどっても
また 出てくるしかないだろう。

原因については 諸説あるようだけれど
野生動物や 環境保護の研究者達は
こうなる前に もっと活躍してほしいと思う。

少なくとも熊より先に 
食料を確保しておいてあげる とか。

10月11日(祝) 比叡山ケーブル

曳山を見た後 坂本に向う
前回 観光センターでもらった 割引クーポン(往復1570円→1260円)で

日本一長いという ケーブルに乗る
琵琶湖を見下ろしながら 約11分で頂上の延暦寺駅につく

5時半の最終便まで 45分!
参拝者もいなくなった 根本中堂を散策していたら
最澄と空海の 不仲説を思い出した。

空海が教えてと 頼んだのに 最澄が教えてやらなかったのか
最澄が教えてと 頼んだのに 空海が教えてやらなかったのか

結論が出ないまま
最終便の時間になった。

夫婦の言い分でさえ 食い違うのに
1200年前の二人の言い分なんて

勝手に 決めて欲しくないだろうな。



10月10日(日) 大津曳山

坂本に行こうと琵琶湖へ向ったら
今日は 大津祭りだった。

浜大津のPに車をとめて外に飛び出す。
「あれ〜目の前に電車が〜」
「踏み切りも信号もないんか あぶないなあ〜」
などど いいながら 曳山の囃子の方へ急ぐ。

なんと そこには 13基もの 曳山が勢ぞろいしていた。
からくり人形が動いたあと 拍手に答えてちまきがなげられる

祇園祭の雛型のような この祭り
曳山の後を ぐるっとついてまわった

日本の文化 まだまだ あちこちに あるんだろうな。
http://biwa-kaze.hp.infoseek.co.jp/otsumatsuri/matsuri.htm

* 京阪浜大津駅の駐車場を出たら 信号も踏み切りもないのに
突然 電車がきたのは そこは 線路だったからのようです。人間は
歩道橋を渡りましょう。(帰りに気がつきました)

10月9日(土) ドメスティックバイオレンス

外来語言い換え案の検討で
「ドメスティックバイオレンス」を
「配偶者間暴力」とすることは 意味を充分表現していないとして
保留されたそうだ。

研究者は別として
そもそも どんな関係間での暴力かを
区別するということが ドメスティックバイオレンスの
問題なんじゃないのか。

全世界の人々よ〜
ドメスティックバイオレンスなんて 言うな〜!
ただ ひとこと 「暴力」 と 言え〜!


10月8日(金) 方程式
 
夫の誕生日から 妻の誕生日がくるまでの
3ヶ月間 妻は夫より2歳 年下になる。

追加条件
妻の誕生日から 夫の誕生日がくるまでの
9ヶ月間 夫は妻より1歳 年上になる。

夫と妻は 同学年である。
この夫婦の関係とそれぞれの誕生月を答えなさい。

こんな問題を 自分で思いついてしまって
解けるのか 解けないのか
わからなくなっている

.現在 2歳年下の 妻。


10月7日(木) ウルトラ日帰りクイズ

友人と車で でかけた。
行く手に二上山が見える。

「ほら 万葉集で有名な大津皇子の。。。」
「知らんなあ〜 」

博物館についた。
「三角縁神獣鏡!うちの近くで出たんよ」
「三角縁?なにそれ 知らんなあ〜。。」

「古墳の中の様子かあ 死んでも生きてるのと同じと思ったんやね」
「でも そのわりに 入り口の扉しめて 帰ってこんようにしたんや。。」

「きたないもん みたなかったんやろね」
「ほんで みたな とか言って黄泉の国からおいかけてきたんや」

「そうそう ほんで 桃投げたんや」
「知らんなあ〜」

「これ何 この 木い みたいなん」
「それは 修羅! 藤井寺で出土したんや」
「知らんなあ 修羅て 阿修羅は知ってるけど?関係あるん?」
「知らんなあ〜」

「古墳が出きるまで 16年かかったて 書いてあるわ」
「ほんなら 死んでから16年どこに置いてたんや?」
「いや だから 死ぬ前につくっといたんちゃうん?」
「自分でかなあ そしたら 途中で権力の座をうばわれたら
どうしたんやろ」

「わからんなあ〜」


10月6日(水) なんでやろ???

日記を書いている目の前で 
OOOがゴリラのような格好で
夕食の残りを食べている

「行儀が悪い!」と 注意したら

「なんで 一番楽な姿勢が ひとからみたら 感じわるいんやろね?」
と 質問された。

う〜ん   なんでやろ???

10月5日(火) やっぱり気になる夢銀行
こぶしの実
人里に熊が出没しているそうだ
台風の影響とか
冬ごもりのためのどんぐりが減っているので
食料を調達しようとしているのではないか
とか
人里と熊の住む森の中間地帯(里山)が
なくなっているせいではないか
とか いわれている

集めたどんぐりが
木になる夢銀行

熊にとっても
気になる 夢銀行


10月4日(月) 車が破裂!

仕事に行こうと 車にのって
いつものように ドアをしめた途端
バラバラバラバラッ と 異様な音がした。

「もう! また 車に変なもの乗せてるわ!」
と 振り返ると スモークガラスにぽっかり穴が開いている。

「?」

車を降りて 後ろ側にまわると 
フロントガラスではなくて なんていうんだろ
バックガラスが 粉々に砕けて 飛び散っていた

くるまやさんに電話したら なんと定休日

「神さま わたしじゃ ありません。信じてください」


10月3日(日) ああそれなのに

JRに乗り換えるので 券売機の前に立つ。
行く先までは 170円。

財布には 小銭以外は1万円札が入っているだけだった。
小銭は 100円硬貨1枚 10円6枚 5円1枚 1円12枚だった。

うきうきした気持ちで 切符を買おうとしたら
5円と 1円を 入れるところがない。

177円もある! のに
ああそれなのに それなのに〜

大切な 1万円札を使うしかなかったのだった。

10月2日(土) 電車の中で

電車に乗っていたら 突然
「電車の中ではちょっと〜〜しないでください」
という 中年女性の声が聞こえた。

顔を上げると 向かい側の席で
一心不乱に化粧をしていた女性が手を止めた。

視線を左に回すと 同じ向きにすわっているらしき
男性の手が見えた。たばこの箱を持ったまま かたまっていた。

次に視線を右に回すと ペットボトルからお茶を飲もうとしている
おばさんが かたまっていた。

「〜〜化粧〜〜さい」と中年女性が付け加えた。
化粧の女性は おかまいなく 化粧を続けた。

次に駅で 中年女性が降りると
かたまっていた 人達が いっせいに動き出した。

〜〜〜 結局 どんな単語だったんだろう。

10月1日(金) 気になる夢銀行

「木になる夢銀行」というのがあるそうだ。

どんぐりを集めて 「木になる夢銀行」に預けると「通帳」に個数を書いて
もらえるのだそうだ。
そのどんぐりを 府(大阪府)が苗木に育てて どんぐり200個たまれば
苗木を一本返してくれるということだ。
家庭や幼稚園 小学校で取り組んでほしい と 書いてあるので
個人でも 受け付けてくれるのかもしれない。

地域の緑化 に 役立てる という 趣旨らしいが
自然に落ちた ままにするのと どう違ってくるのかな?
どんぐり 街へ行く?

「気になる夢銀行」

2003年の10月