5月   6月のリビング  7月
6月25日(水) 障害は 個性か

先日 友人に 誘われて
視覚障害者のための チャリティーコンサートに でかけた。

モーツァルトの ピアノ協奏曲に 始まり
ソロ と 合唱による
アメリカ民謡 黒人霊歌 ゴスペル ミュージカル
と 続いた。

協奏曲を 弾き終えた ピアニストから メッセージが あった。

「<障害は 個性 >という ことを 言った人が いる。私は その言葉を 認めない。冗談じゃない。 <個性というのは 自由に のばしたい!と 思うものだ> 私は 自分の 障害を のばしたいなんて 思わない」


さっそうと ピアノに 歩みより オーケストラを バックに 協奏曲を 弾き終えた彼が 
さっそうと マイクを 手に 語る 彼が
視覚障害者 だったのだ。

「さいきんは まあ そんなに こだわっていません」と
ほほえんで
彼は アンコールの 曲を 弾き始めた。

心に しみる トロイメライ だった。


6月19日(木) ここはどこ?

三郎兵衛 伍兵衛 七郎兵衛 八兵衛 
孫兵衛 惣兵衛 
文吾 源左衛門 甚左衛門


近隣の 家の呼称。

ほとんど 使われなくなったが
「ときどき 使われている」という

大阪市内から 一時間の 
ゆっくりと 時間の 流れる 村。


6月16日(月) 野球ファンになれるか?

毎年 夏になると
ナイター中継が 始まって
つまらない 時間を 過ごしていた 私

短い人生が もったいない!

と いうわけで
「ナイター中継を 好きになる」 ことに した。

阪神巨人戦を 2回 みた。
きのうの 試合は ベテラン(ファン)から みても
いい試合 だったらしい。

この 私が テレビ放送終了後 すぐ ラジオに 走った。
そして

あの 大嫌いだった スポーツニュースまで 見てしまったのだ。
どういうこと!


6月11日(水) 附属池田小事件

附属池田小事件から 一年。

文科省の責任 教育大学の責任 附属小学校の責任 担当者の責任
すべてが 学校の安全管理 に 関する 問題に 終始している。

国の〜 
教育を研究する国立大学の〜
実験実習校としての附属学校の〜
教育に 対する 責任 は ないのか。

不幸にも 教育的環境に めぐまれず エリートへの道など
はじめから とざされたような 子供達が

将来への 夢を 失わずに 成長できるような
そんな 教育を 探求するのが

国立 たる 責任では ないのか。

 
6月9日(月) 田植え

土曜日と 日曜日で 田植えをした
今年は 我が家のたんぼも あわせて 2反

田植え機を 使ってはみたものの
操作に てこずり はかどらず
結局 最後は お手植えとなった

Yさんの 家族 我が家の 家族 そして 
子供達の 友人が
集まってくれた

なんと 20代の 若者 6人が 参加するという
すばらしい 田植えになった。

打ち上げは みんなで バーベキュー!

6月4日(水) カンパニュラ

Yさんに 内緒で 
Yさんの 畑の すみに 植えた 秘密の花
「カンパニュラ」が さいた。

雑草と まちがわれて ぬかれてしまうという
ハプニングも あったが
我が家の 庭 や 畑 のすみ で 冬を 越し

春になると ぐんぐん 伸びて
かれんな 花をつけた。

紫 白 ピンク えんじ 
Yさんに さしあげようと 思ったら
「そのまま 野に おいといてあげて せっかく 咲いているんやから」
と いわれた。

Yさんが 学生時代 好きだった 宮沢賢治の 童話
「銀河鉄道の夜」


6月1日(日) 田植えの季節

田植えの季節がやってきた

春の雑草 が 残っていた 田圃も
トラクターで ほりかえされて

いつのまにか あたり一面 新しい 土色に なっている
もう 水を みたしている 田圃も ある。

そして 1週間もすると
まるで 衣替えのように
一面の 緑 になる

SAKKOに 電話したら 「もう 一年かあ〜」と いっていた。

Yさんの 米作り ネット でしか 見ていないんです。
5月