6月      7月のリビング          8月
7月27日(日) かぶと虫をみつけた

今日は早朝から 村全体で お墓の掃除
一年に一回 お盆の行事になっている

6時半に墓地に行くと もうほとんど 掃除が 終わっている
事前に それぞれの 家の墓を きれいに しておく ということもあり
この日は いわば 「顔合わせ」

早起きついでに 家に帰って 庭仕事
赤い「らん」のような花を残して
裏の畑の 草を刈っていると

「らん」の葉っぱに カブトムシがつかまっていた
カメラを 取りに戻って 撮影に成功!

くぬぎの木 や トマトのそばで みかけることは あったが
こんな 葉っぱのところで 何をしていたのだろう。  


7月25日(金) 「らい」という言葉

学生時代にかかわっていたフレンズ国際労働キャンプから
毎月 活動報告が 送られてきている。

封筒には 小さくではあるが
「交流(むすび)の家はFIWCの建設したらい復権の家」
と 印刷されている

最近 療養所や社会復帰者の方から「らい」という言葉をはずしてほしい
という 意見が 出たそうだ。

療養所の中にも 「ハンセン氏病」という表現を拒否し あえて 「らい」にこだわりつづける人もいないことはない。

「私たちが問題とするのは 病気 ではなく 差別である」といったような ことだったと思う。

差別にかかわる 運動が 差別を きわだたせてしまう という 逆説

個人的な関係の中で 馴れ合いになっていたことの 反省

いずれにせよ

「やめてほしい」という人が一人でも いる以上 郵便物への印刷をやめる
べきだろう。

「交流の家」は すべての人にとっての 「人間復権の家」なのだから


7月20日(日) オニユリ

庭のすみに 咲いている 百合
去年も 同じ場所に 咲いていた。

「子供のころにも あの場所に オニユリが 咲いていた!」??
半世紀あまりを この家ですごした 夫がいう。

日本はゆりの王国といわれているそうで
基本種だけでも 12種類の百合が各地に自生しているそうだ。

花が 上向きのものと 横向きや下向きのもの
白 黄色 橙色のもの 班点入りのもの
葉のつき方等に よって 種類が ちがうようだ

名前が こわそうなので 他の種類であれば と 思ったが
「オニユリ」 らしい。

半世紀もいきていることになる 


7月18日(金) 教育の目的


少年少女が関係する事件が相次いでいる
家庭の問題 教育の問題 社会の問題が
そのたびに とりあげられ
そして 忘れられていく

合格しながら 入学を辞退した大学に支払った入学金や授業料は
返還されるべきであると いう判決が出た

教育は 誰のためにあるのか
受験生に きいてみたい
「あなたは これまで 教えそだてられた こと 
そして 選ばれて これから学ぶこと を 
誰のために 使うつもりなのか」と

「金正日さまが 私たちに学校を つくってくださった。
私たちは 感謝して しっかり 勉強して
良い国を つくります。」
というような 趣旨の歌を 北朝鮮の子供達が 歌っている映像をみた。

「国のために 教育がある」とは 思わないが
教育が あまりにも
個人の幸福追求の手段に なりはてていないか


7月9日(水) 少年事件

少年が 少年を
少年が 幼児を 
成人が 児童を 

二度と かえらない 命
それは 加害者にとっても 
二度と とりもどせない 無垢の過去 で あったのかもしれない

世の中から はずれてしまった自分の前に
何の不安もなく 未来を 信じる 無垢な 存在がある

少年事件
それは
祝福されなかった 人生の

無垢な命への 嫉妬なのかもしれない


7月5日(土) 合歓の木のそのしたで

思い出には いろいろな かたち が ある
食べ物にまつわる 思い出
草花に まつわる 思い出
旅にまつわる 思い出
歌に まつわる 思い出

学生時代 参加していた 労働キャンプでは
労働のあいまに いつも みんなで 歌を 歌っていた。

だれでも知っている歌もあったが
どこからきたか わからない歌 も あった

インターナショナルや
ワルシャワ労働歌
花の全学連 というのも あった

知床旅情 も なぜか はいっていたし
桑畑 や イムジン川 というのも あった。

合歓の木に ふんわりと 咲く その花をみると
なつかしい あのころが よみがえる。

6月