住宅設計にあたっての考え方(2010.12) 建築には使う人・住む人がいて生活があるのだから、身体的な快適性や機能性はもちろんのこと、一つ一つのディテールやデザインが住む人に対してどのような肉体的かつ精神的な影響およびストレス(良い意味でも悪い意味でも)を与えうるかを建築家は考慮しなければならないと考えています。また与えられた影響やストレスに対して、住み手がどう受け取り、その中でどう生活していくかを十分に考慮する必要があると思います。 |
癒しと木(OZONEはじめての木の家/展示寄稿2010.02) 設計するときに常に考えているのは、住まいとは住む人が癒される上質な空間であるべきだということです。心身共に死ぬまで成長し、且つ怠けモノ?でもある人間が、癒されるというのはどういうことなのか。「癒される」ということは「愛される」と同義ではないでしょうか。人と人との関係であれば一方的に愛されるだけという関係は成り立ちにくく、空間においても一方的に住む人が癒されるのではなく、住まいや空間を愛することで癒される空間が初めて成り立つと思うのです。 |
過程そのものをデザインしたい(2010.01) 人は何の為に建物を造るのか。もっと大風呂敷を広げてしまえば、人は何のために生きているのか。多くの人々や宗教などがこの問いをメインに据えるほどの大テーマです。誤解を恐れずに且つ逃げるわけにもいかないこのテーマに、あえて私なりの考えを述べさせていただくとすれば、それは「幸せになる」ためです。もちろん自分だけがということではなく、しかし自分を犠牲にすることなくという条件がつくと考えています。そのことに対して設計という仕事を通してどのように関わっていけるのかが私自身の大テーマです。 |
住宅設計にあたっての考え方(1999.3) 家とは本来そこに住む家族と共に自然と歳を重ねてゆくのが良いと思います。しかし現在の建物の多くは時間の経過とともにただ古く汚れていくだけのモノが多いのではないでしょうか。例えば柱のキズが思い出になる様な建物は少なくキズはただ汚いだけです。それは石油製品の氾濫やメンテナンスフリーという事を求めすぎた結果であり、その様な建物は古くなっても完成時の価値を越えることは無い様に思います。ゆえに私は古くなる事、歳を重ねる事により新たな価値を付加していける様なモノ造りを目指して行きたいと思っています。 |
建て主へのメッセージ(1999.3) 楽しい毎日を過ごす為の家をいつも考えています。快適なのは当たり前で、「楽」の部分こそがプランニングの基礎であるべきだと思います。何が自分にとって家族にとって「楽しい」のか、それを考えて下さい。 家を建てるということは自分の事や家族の事、その関係性等を見つめ直す事に他ならないと思うのです。その上で、家造りを楽しんで出来たら素敵だと思います。家を設計するということは間取りや形状という物をデザインするだけではなく、住む人そしてその生活を包む「空間」をデザインするということだと考えています。 |