気まぐれ日記No.17
   2008年1月〜          毎週月曜更新しています       藤山一男

  ●気まぐれ日記No.16へ   ●トップページへ   ●気まぐれ日記No.18へ
                          ●掲示板へ 
●(259) 2008年9月29日
「酔芙蓉の寺」
 山科の日ノ岡にある大乗寺はこのところ酔芙蓉の寺として有名になりました。大きなお寺ではないのですが境内に2000本ほどの酔芙蓉を植えていて、そろそろ満開の時期ですので先週行ってみました。結構咲いているのですが、まだ蕾も多くこれからもっともっと咲くようですので十月に入ってからの方がよさそうです。拝観料も入場料も要らないのですが、車は2、3台しか止められない上に狭い一方通行の道ですので、行かれるなら週末、休日を避けられた方がいいでしょう。この大乗寺のことは以前にも書きましたので場所など詳細は、
       「気まぐれ日記No.10」No.155(2006年10/2)「酔芙蓉」、のところをご覧下さい。
 このところなかなか忙しくて日記も内容不足ですみません。

                 
                      大乗寺の酔芙蓉
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 先週の妻は5月以降で今日が一番元気と毎日言っているくらいですから、日毎元気を更新しているようです。

●(258) 2008年9月22日
「結婚式」
 店のアルバイトのお嬢さんが結婚することになり、式と披露宴に夫婦で出席しました。この歳になりますと冠婚葬祭のなかでも、法事を含め葬祭イベントに出席することの方が多く、今回は久しぶりの嬉しい会でした。
 今回、教会の式では牧師さんがイタリヤ人で、聖書のお話などが日本語とイタリヤ語。いつも英語圏の牧師さんしか知らなかったので最初は少し違和感がありましたが、イタリヤ語の響きも馴染んでくると妙に説得力があって耳に残りました。
 かつて婚礼には、ほとんど仕事で行っていたわけですが、今回はお客として気楽な参加です。でも、やっぱり先方のご希望で2曲ほど歌うことになりましたので、早めに行って音響さんと簡単な音合わせ。ところがその出番が新郎新婦から両親への花束贈呈の直前ということなので、ほとんど披露宴の最後です。飲みすぎてはいけないので、少々控え目にと思ってはいたのですが、いろいろお酌を受けてしまってだらしなく飲んでしまうのはいつものこと。本番は司会者から丁寧な紹介を受けて、会場はシーンと静まりかえった中、さながらコンサートのような雰囲気で終了。過分の拍手を頂戴しました。
 やはりお祝いの会は心が洗われます。このところ歳とともに涙腺がゆるんでくるようで、友人のスピーチや本人から両親への謝辞、そのときの親の顔など見ていると、なんでもないのにいつのまにか垂れ目の目尻から涙が流れ落ちて恥ずかしくなってしまいます。これから新しい家庭をつくっていく人を見ていると、若かった頃の自分たちのこともついつい思い出してしまいます。

          
              人生で一番幸せな二人

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 妻は先週も1日だけ薬剤治療があり少々疲れ気味ですが、今回の婚礼にも出席して歌ったり、当日お酒も少し飲んでみようかというくらいでしたから、足腰の筋力が衰えているだけでなかなか元気にはしています。

●(257) 2008年9月15日
「イベントいろいろ」
 ★先日は亡くなられた「萬養軒」の社長を偲ぶ会がホテルで行なわれ行ってきました。「萬養軒」は宮内庁御用達のフランス料理の名店で、ダイアナ妃などにも料理をだされたお店です。四条通りにあった頃、私達は青年会議所の宴会を初め、会社のパーティー、婚礼などなど、一年間に何十回も行っていて、亡くなられた社長とも長い間のお付き合いでした。私どもの身分ではなかなか行けないようなお店でしたが、そんな仕事の関係もあって立派な料理をいつもいただいていたことはありがたいことで、高級エスカルゴなどもサザエみたいに気楽な感覚で食べていたような気がします。この社長は私のひと回り上の戌年ですから、まだまだお若かったのに残念です。
 ★日曜日には大学のクラブ(合唱団)の元顧問の先生の喜寿のお祝いを兼ねた同窓会をしました。半年以上前から諸々の準備も大変でしたが、当日もお昼から夜まで三次会、四次会と延々9時間もの長丁場のお付き合いで少々疲れました。でも卒業してから初めて会う人もあって、皆さんに喜んでいただけたようですので疲れも癒されます。28名の参加で大盛り上がりでした。
 ★またその翌日は知人の企画する第4回「マルベリー(桑)フォーラム」というイベントが建仁寺でなわれ行ってきました。臨済宗の栄西禅師がもともと桑の効能を伝えたということで、この栄西が開かれた建仁寺で行なわれているそうです。桑は英語でマルべり-ということも初めて知ったのですが、桑の葉を有効利用に関するフォーラムで、桑の葉を粉末にして桑茶として飲むと血圧や糖尿に効果があるという話です。特に糖尿にはよく効くらしいですから、糖尿になったら試してみる価値ありそうです。西陣工業組合の理事長は桑を食べて育つ蚕から作る絹織物関連の話で、一つの繭から約1500メートルもの糸がとれるという話。最後は茂山一門による狂言「鐘の音」。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 先週、妻は久しぶりの抗がん剤治療でかなり疲れたようです。でも何とか店には出てきています。このところかなり頭髪が生えました。

●(256) 2008年9月8日
「くだらない」
 いつも「くだらない」ことばかり書いておもしろくないといわれているこのページですが、もともと文才が乏しいのでお許しください。才能のないなか約5年ほど毎週欠かさず書き続けてきたことは大変で、何もネタがない時はまったく困ってしまいます。そんな時はいろんな本の中から面白そうなことを捜して書くことになります。京都に黒田正子さんというライターがおられて「京都の不思議」などという本などを書かれて出版されていますが、私はその方のファンで、たまたま書店でその方の著書を見つけると買ってきています。年齢は書いてないのですが本の内容からして私よりも4、5歳若い方のようです。先日も「京都語源案内」という本を見つけ買ってきましたが、京のことばなどについてもよく調べておられ面白く読んでいます。今回の日記もネタ不足でその方の以前の本の中から拝借してみました。「くだらんもの」ということばの由来です。
 「くだらんことするな」とか「くだらんやつ」とか「くだらないものですが・・・」とか、「くだらない」という言葉はよく使いますが、もともと「くだらん、下らない」と言うことばの語源は「上る、下(くだ)る」の「下らない」という、京の都で使われた言葉らしい。もともと京の都の産物には優れた物がたくさんあって、それが全国各地へ持ち帰られて「下りもの」として賞賛されました。ところが、たとえ都のものであっても各地でありがたがれないものは、都から下っていかない「くだらんもの」「くだらないもの」といわれたそうです。言葉の語源もおもしろいものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 私も妻の状況は日毎に良くなっているとは感じているのですが、毎日見ている私などと違いお客様などは何ヶ月ぶりかで来られるわけで、その回復に驚いておられます。見た感じだけでも、この一ヶ月でも見違えるほど元気になっているらしいです。今週は念のためにと久しぶりに薬剤治療をします。

●(255) 2008年9月1日
「花火の大きさ」
 先月、突然に宇治の花火大会に行くことになりました。車で行くと渋滞で帰れないと聞いていましたので、JR六地蔵駅から電車で行くことに。約1時間半前に地下鉄でJR六地蔵駅へ着くと、もうすでに長蛇の列。何を並んでいるのかと思うと券売機に並ぶ行列。私たちはプリペイドカードを持っていたので大たすかりですが、この場合カードは必須条件です。1時間ほど前に宇治駅に着いたのですが、すごい人、人、人・・・・。何とか宇治川の土手で適当な場所を確保しましたが、もちろんゆっくり座れるような場所ではありません。それでも久しぶりに間近で見る花火の大迫力に圧倒されました。帰りも少し早めに駅へ向おうとしましたが人、人、人・・・・。でもほんの少し早く帰りかけたのは大正解。お蔭で15分ほどで電車に乗れましたので、こんな程度なら全然大丈夫でした。
 今回、宇治で打ちあがったのは5号クラスの花火とのアナウンス紹介がありましたが、間近で見ると相当な迫力です。この5号玉がどのくらいの大きさかと調べてみると、花火玉の大きさは尺貫法で、この5号玉が5寸玉といわれ、打ち上げる筒の直径が約5寸(約15センチ)、3号玉は筒が約3寸ということのようです。花火自体は筒よりひと回り小さくて5号玉が14.2センチくらいでほぼメロンくらいの大きさ、3号玉(3寸玉)はリンゴくらい、10号玉(尺玉)はスイカくらいだそうで、ここからは尺玉といわれる花火です。以前にも書きましたが新潟の3尺玉は30号ということなって、玉自体の直径が85.5センチ、4尺玉になると114センチもあって4尺(120センチ)くらいの筒で上げるとのことですから、とてつもなく大きいもののようです。この4尺玉などは重さも約400キロもあるそうなので、軽自動車がまるまる上空600メートルまで打ちあがるようなものらしい。また花火の開いた大きさでは、5号玉で直径180メートルほどあるようで、東京ドームを上から見た大きさらしい。10号(1尺)になると直径300メートル、20号(2尺)で500メートルもの大きさだそうです。これがまさに一瞬のまたたきであるからこそ感激もひとしおです。
 たまたま花火を背にして反対側を見ると、みんな空を見上げてる顔が見えます。パッと明るくなってみんなの顔が照らされて「わぁー」という歓声とともに素晴らしい表情。このみんなが嬉しそうに喜んだ顔を見ていると、また花火以上に大きな感動があります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 妻は変らず日毎に元気になっています。特に髪の毛はこの一週間の間にかなり生えたようですが、来週、念のためにと抗がん剤の点滴をする予定ですので、また抜けなければいいのですけれど・・・。

●(254) 2008年8月25日
「大文字」
 めずらしく五山の送り火を見に行きました。今後の観賞ご案内の知識のためにと、少し早めに車で出かけ最適な観賞ポイントを探してみることに。やはり「大」の字は出町から銀閣寺あたりで見るのがいいかと今出川通を東に走ってみました。今出川通りを通ってみると、「大」の字はずっと見えているわけでなく川端から東へ行くとしばらく見えなくなります。百万遍あたりでまた見えるのですが、またしばらく吉田山に遮られ、銀閣寺近くになるとまた見えます。銀閣寺交差点あたりも近い距離からよく見えるのですが、あまりに近すぎて「大」の字の右下のほうが下の木で隠れてしまうようです。やはり元気なら吉田山の東斜面を少し歩くとよく見えそうですが、一般的には出町近辺がベストかもしれません。鴨川の川原では三条あたりから北山より上まで幅広い場所でよく見えそうです。川端一条あたりもからも真正面によく見えることも分りましたが、結構、小さな道の間にも、よく見えるポイントがたくさんあるようでした。
 人気スポットの出町付近は川端通りも加茂大橋から高野川の御蔭橋、そして出町橋から葵橋からあたりも車両全面通行止めになってしまいます。今出川通り近辺を走ると1時間前くらいから除々に道路も混雑が始まり観賞スポット近くの駐車場はどこも満車になります。やはり2時間以上前から空いてる駐車場に入れてしまうことが大切です。結局私たちも駐車場が見つからず、車に乗りながら見ることを選択。渋滞の中、時間を計って走り、ピッタリ8時過ぎに河原町今出川交差点を東へ通過しましたが、8時過ぎではまだ点火時間で少し早すぎました。そのまま渋滞の道を東へ走って、百万遍で「大」の字を見ながら左折すると今度は「妙法」の「法」の字が真正面に。そのままトロトロ走って高野を左折、北大路通りを西行して川端に着くとまた高野橋の真正面に「船形」。北大路通りは西に向いているのに、真正面に「船形」が見えるのには納得がいかず、家へ帰って地図で調べてみると、高野橋は西北⇔南東方向へ傾いて架かっているようで納得。そのあと川端通りをまた北行して「法」の字を見ながら北山通りへ入って「妙」の字へと。
 今回、たまたま車で走ってみるといろんな観賞ポイントがあることを発見しました。また車で行っても、そこそこ見れることが分りました。少し下れば「左大文字」も簡単に見れるわけですから、車でも「鳥居」以外は確実に見れそうです。もう少しコースどりを考えると車でも五山の全部を見られるようですので、今度、五山全部の観賞コースを考えてみることにしましょう。

 以前に京都の行事は旧暦でするべきと書いたことがありますが、この八月十六日の「大文字」は絶対に旧暦でなければいけないということを、天文学者の山本一清先生が言っておられたようです。今は午後8時に点火ということが決っているのですが、昔は旧暦の七月十六日の日没と月の出の間に点すのが習わしだったようです。西の空に日が沈み、やがて薄暮に点火されると、暗くなるにつれて大の字が浮かび上がってきます。そしてその上に十六夜(いざよい)の月がでて、それがまた宮中の池に映る、という演出だということです。今年はこの日がたまたまぴったり旧暦の七月十六日でしたが、少し曇っていたのと、私も渋滞の車からの観賞でしたので、月を確認する余裕もなかったのが残念です。
               
               今出川通りの加茂大橋から点火したての大文字

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 妻は少しずつ確実に元気になっています。先日、店へ来られた名古屋の美容院経営者がママの頭を見て、高級シャンプーを送って下さいました。それを使い始めたお蔭かも知れませんが、かなり頭髪が生えてきています。

●(253) 2008年8月18日
「ほろにが会」
  妻の病気もあってしばらく音楽の仕事はなかったのですが、数ヶ月ぶりに夫婦でロータリークラブの「ほろにが会」の仕事に行ってきました。妻も耳の調子が良くないといっていたのですが、多少回復したようで何とか無事終了。以前にも書いたことがありますが「ほろにが会」は、アサヒビールが後援する月例のビールを飲む会で、ライオンズクラブの「ほろにが会」、「ほろにがクラブ」などもあります。この会にはもう三十年近く前から年に何回か行っているわけで、ほとんどのメンバーは知り合いで、昔からのメンバーは70、80歳代になっておられますが気楽な会です。今回は90名ほどで、芸妓さんもコンパニオンも入って華やかな会でした。
 もともと923のビールがアサヒビールなのも永年のそういったお付き合いからです。歴代アサヒビールの京都支社長(以前は支店長)さんとは知り合いになるのですが、そんな中から重役になられたり社長にまでなられる方もおられます。923で永年お世話になっているアサヒビールの元社長さんも、もともと京都におられた方で、去年は相談役をされていたのですが、NHKから招聘され今年からNHK会長という重職を務めておられますが、優秀な方はどんな仕事にでも対応できるのだなと感服します。
 ということで、私もアサヒビールさんとは永年のお付き合いですから、少しでもお役に立てればと、毎日頑張って(?)ビールを飲んでいるわけです。(頑張りすぎ!)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 大和大路通り七条上る(国立博物館東側)の百日紅(サルスベリ)並木が、今週あたり満開です。毎年同じような場所で写真を撮っているのですが、今年はあまり良く撮れなくてすみません。
                 
                  百日紅(サルスベリ)並木
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 妻も仕事で歌えるくらいですから、日毎に元気です。

●(252) 2008年8月11日
「病院通い」
 このところ家族の病気のため生活時間全体の中で、病院に費やす時間が非常に多くなりました。
 先週、入院中の母の病状が多少落ち着いたということで大部屋へ移りました。六人部屋でほとんどが脳溢血の患者さん。お名前もチヨ、千代、イト、み代、ツネさんという名前でもわかるよう80歳以上の高齢の方々ばかりです。毎日、病室に行っているのですが、看護士(といってもやはり女性ばかりですが)さんのお世話されるのを見ていて、その大変なお仕事にほとほと頭が下がる思いです。特に食事時には、ほとんどみんな介助が必要な患者ですから、一口ずつスプーンで食べさせたりで看護士さんは総動員です。我がままを言って食べない人には、あの手この手で説得して食べさせたり、患者さんの無理難題があっても、上手に応対をしながら仕事をされています。患者は、「・・・看護婦さん! お茶下さい、 (補助)テーブルを外して、 椅子に座り直させて、 エプロンを外して、 食べたくない、 片付けて、 ベッドへ移りたい、 トイレへ行きたい、・・・・・」と、我がまま、気ままな人もいて、さながら保育園、幼稚園のようです。私の母は寝てばかりで、入院してからまったく食べる意志がなくなってしまいましたので、私も食べることに少しくらいお手伝いをと、お昼の食事時に行って食べさせるようにしています。でも相変わらず食欲はまったく無く、わずかばかりを嫌がる口に無理に入れるだけです。こんな状態ですから毎日の食事は鼻からの流動食が主食です。
 ところが、この部屋の中でも一人だけ模範となるような、しっかりしたお婆ちゃんがおられます。名前も喜美代さんという古臭くないお名前。食事は介助なし、自分でしっかり食べて、折り紙したり、裁縫したり、人の気遣いもされるというこの方、この部屋の最年長で97歳。こんな年寄りになりたいものです。

 今はどこでも百日紅(サルスベリ)がよく咲いていますが、自宅近所の川原で写真を一枚。
                 
                  自宅近所の百日紅
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 妻は毎日僅かずつ元気になっていっているのでしょう。先週土曜日も鴨川納涼のイベントで、川原を三条から四条まで行って店まで歩きました。こんなに歩いたのは病気してから初めてかもしれません。

●(251) 2008年8月4日
「花火のシーズン」
 このところは毎日のように各地で花火大会があって、花火好きには嬉しい時期でしょう。以前は8月に車で移動していると、いろんなところで花火大会に遭遇しました。諏訪湖、岐阜長良川、琵琶湖の長浜や彦根、島根の安来や宍道湖あたりなど、車から通りがかりにたくさんの花火を見ました。でも、現場でゆっくり花火を見る機会はなかなかないものです。はじめて間近で見たのは子供の頃に行った嵐山の花火大会でした。昔は嵐山でも花火大会があって渡月橋のすぐそばで見て感激した記憶があります。数年前には宇治のお客さんの家によんで頂いて、宴会しながら花火を見せてもらったことがありますが、やはり現場に近いところで見ると、音と光の迫力に感動します。また飲みながら食べながらの花火見物は最高です。
 伝統がある日本一の花火というと、やはり新潟県の花火でしょう。毎年8月2、3日に信濃川で行われる長岡の花火には、いつでも来て下さいといわれるのですがなかなか行けません。以前も7月末に長岡のお寺でライブをしたことがあって、観覧席の準備の様子をうらやましく眺めて帰ったことがあります。3尺玉が上がる長岡の花火、また4尺玉が上がるという隣りの小千谷の片貝の花火が日本一、世界一を争っています。片貝の4尺玉というと直径120センチ、重さが420キロにもなるらしく、クレーンで吊り上げて高さ5メートルの円筒で打ち上げるそうです。片貝の花火は毎年9月の9、10日に行なわれるようですが、一度は見てみる値打ちがありそうです。
 京都の近辺では先月25日の天神祭り、今月1日のPL、8日の琵琶湖、9日の淀川、10日の宇治と続きます。行ってみたい気もするのですが、帰りの混雑を考えると尻込みしてしまいます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 家内は今年のあまりの暑さに参ってはいますが、多少食欲も回復してきていて、少しずつ元気になってきているようです、毎日店に出ています。

●(250) 2008年7月28日
「鮎の塩焼き」
 先週の休みの日に、今夜は「鮎の塩焼き」で一杯と決めていました。そういえば今年はまだ一度も鮎を食べていませんでした。ということは鮎の解禁後から料理屋や居酒屋にも行っていないことにもなります。そもそも妻は鮎が嫌いで食べません。鮎はスイカと同じ匂いがするといいます。もともと妻はスイカ、メロン、瓜、などのウリ類が嫌いで、鮎もコケを食べているので同じようなやウリ(草)系の青臭い香りがするらしいです。だから鮎が嫌いな人でスイカやメロンが好きだというのは味覚がオカシイのではないかと言っています。妻は自分は鮎が嫌いでも、私の分くらいは家では焼いてもくれるのですが、なにぶん先週頃は体調不十分でしたので、その日は焼いたものを自分で買ってくることに。
 母の見舞いの後、夕方に近所のスーパーに寄ってみたのですが、そんな日にかぎって鮎の塩焼きが置いてない。しょうがなく他の店を2軒まわってみたけれど、そこにもたまたま置いてない。こんな暑い土用の頃にはやっぱり「うなぎ」なのでしょうか?一旦はあきらめたのですが、昼からそのつもりでいたので意地になって7時前に別の店に行くと、売れ残りで割引きしたものを発見。大したものではなかったのですが、2尾入りのを買って一人で完食。バカみたい、と言われそうですがそれなりに満足。
 ところで鮎にはどうしてあんなに「タデ酢」が合うのでしょう? 私も鮎を食べる時には絶対にタデ酢が必要で、無ければ美味しさは半減します。ところが焼いた物には付いていますが、このタデ酢だけを買おうとすると、あまり売っていなくて困ります。以前にも天然鮎をたくさん貰って探しまわったことがあります。タデ酢は、ヤナギタデの葉をすりおろして、酢にまぜてつくるらしいのですが、そもそもタデは魚の臭みを消すばかりでなく解毒作用もあるので、お造りのつまみなどにも添えられていれば、残さず食べる方が身体のために良いようです。なお白身の魚にはベニタデ、赤みの魚にはアオタデということです。まあ、そんなことより、とりあえず鮎を食べるときにあればいいだけですが。

●(249) 2008年7月21日
「蓮の花」
 この連休中に母の見舞いにと埼玉から姉が来ましたが、見舞いの中休みに近くの三室戸寺行ってみました。先月のアジサイ園はすっかり刈られて閉鎖されていましたが、本堂前の1000本もあるというハスの花は今が見ごろでした。こんな暑い頃に咲くハスの花の不思議さにも驚きますが、歳のせいか体力も落ちたかなと思っていたのですが、帰ってお天気ニュースを見ると京都は37.4度だとか。そりゃ暑いはず!。あまりの暑さに夜も飲みすぎ・・・・?。 「気まぐれ日記」も暑さのためか、気力不足でごめんなさい。

    
              三室戸寺のハスの花
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 家内は少しづつ抗がん剤の薬が抜けてゆくようで、日毎に元気にはなっていますが、このところの猛暑に辟易です。

●(248) 2008年7月14日
「稲荷山」
 あまりの暑さと連日の飲みすぎで少々バテ気味でしたが、少しは汗でもかいてアルコールを出すためにと、日曜日の午後に突然思いたって、自宅近くの大石神社からお稲荷さんへ行くことに。伏見稲荷大社の正面側から登るともっと時間がかかるのでしょうけれど、山科側からは30分足らずで山頂の「一ノ峰」に到着します。一般の参道と違って、まったくの山道なのでほとんど人には出会いません。もう何度もこの山の中を歩いていて、このあたりの道はほとんど知り尽くしていますので、どんなコースでもご案内できますが、人と一緒に来たことはありません。毎回いろんなルートを通りますが、今回も帰りは誰も通らないような沢沿いの近道を、クモの巣を払いながら山科神社へと下りてきました。
 山頂の「一ノ峰」から山科方面へ帰ろうとする私の後を、観光で来ている様子の外国人カップルがついてきました。心配になって「どこへ行くつもり?」と訊いてみると「こっちからぐるっと周って帰りたい」とか。「こっちへ降りると全然違ったところへ出るからダメですよ」と、流暢(?)な英語で説明。「千本鳥居のところに沿って歩かないとダメですよ」と説明しようとしたのですが。「鳥居」の英語が分らず思わず「・・・along the Red Gates」。何とか通じたみたい。帰ってから調べると「鳥居」は「sacred arch」というらしい。
 せいぜい1時間半のことですが、久々に絞れるほどの汗をかきました。これでまた今夜も飲めそうですが、今日は少々控えることにしましょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 家内は先週の検査でも結果は良好なのに、しばらく熱が続いていて辛そうでした。ようやく熱も下がり今週は元気になりそうです。ところが今度は婆ちゃん(母)が脳出血ということで入院してしまいました。次から次へと難題が続きます

●(247) 2008年7月7日
「ガソリン高騰」
 ガソリン高騰の影響か、このところ道路が空いているように思います。これだけ高くなるとマイカー通勤していた人も、公共の交通を利用したり、会社でも営業用の車の経費の節減をいわれたりとかもあるのでしょう。
 そんななか産油国のオイルマネーが一気に流入したアラブ首長国連邦のドバイという町は、常識を超えたような馬鹿げた開発バブルの町になっているようです。巨大な人工島の超高級別荘地、800m以上もあるという世界一高いタワー、一泊数十万もする超高級ホテル。その上、気温が50℃もあるというこの地に人工スキー場、そして現在計画中らしいのですが、各フロアーが回転するという超高層ビル。どれもまったくのエネルギーの浪費としか考えられませんが、余るほどお金があれば行くかもしれません。世界中の建設用クレーンの2〜3割、埋め立て用の土砂を採取する浚渫船(しゅんせつせん)の8割が、ここに終結しているらしいですが、ちょっとちょっとやりすぎではないでしょうか。
 我々世代は、戦後の何も無い時代から今の豊かな時代まで生きてきたわけですから、戦後の大変化のすべてを見てきた証人かも知れません。我々の子供の頃は洗濯機もエアコンも冷蔵庫も車も、風呂もTVさえなかった時代でしたからから、その頃と比べると今は当時の何百倍のエネルギーを使っているかわかりません。人間の欲望は留まることを知らずに拡大して、経済原理の上で進んでゆきますので、もう止めることができなくて、このまま加速度がついて一気に地球の環境破滅へと突き進んでゆくような気がします。昔より便利にはなりましたが、はたしてみんな幸せになったのでしょうか?
 地球のエネルギーや環境問題が危惧されるこの時代ですが、人類の英知をもってしてもこの難問を克服できるような気がしないのは私だけでしょうか。私どもがいくら心配してもしょうがないのですが・・・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 今週の妻は薬で抵抗力の弱っているところに、ウイルス感染したようで熱を出してしまいました。検査では特に悪いところは見つかっていないので心配はしていませんが、しばらく熱が続いています。


 ●気まぐれ日記No.16へ    ●トップページへ   ●気まぐれ日記No.18へ   
                        ●掲示板へ