気まぐれ日記No.10
2006年8月21日〜      毎週月曜日更新しています       藤山一男

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●(164) 2006年12月4日
「師走突入」
 今年もあっという間に12月、いよいよ年末戦争に入ってしまいました。毎年12月は通常の月の倍以上も人が来られるわけですから、何としても頑張らなければなりません。一昨日はホテルで700名のパーティーでの仕事で、そのあと店はその二次会で貸切り。ホテルでは当然立派な料理が出るのですが、その運営スタッフの皆さんは、お世話係で充分に食べていることができませんので、その人たちのためにと毎年食べる物も用意をします。
 妻は数日前からおでんの準備、当日は午前中から、おにぎり70個、卵50個分のだし巻きなど、簡単なつまみを作って用意、そのあと店に入っておでんなどの準備。私は3時間以上前からホテルでPAの準備と調整。いよいよ本番7時には夫婦で歌手をして、ステージが終れば妻はまた店に戻って準備。私はそのあと少しギターを弾いて宴会終了後、PAを片付けて店へ直行。そのお客さんが店へ流れて今回は延べ約50名ほどが来店。その日は結局、店の片付けなどをして朝の4時前帰宅。翌日はお昼からホテルへ車をとりに行って、そのあと店のあと片付けと掃除。全く同様の大規模なパーティーが来週、再来週と続きます。おまけにその間にも、他のパーティーでの演奏の仕事、17日には滋賀県で「金子みすゞ」ライブも控えています。
 今月はまたこの忙しいさなか今日4日が妻の誕生日、6日が私ということで、とりあえず昨日の3日に誕生日会をすることに。夕方に疲れてひと寝入りしたあと、近くの焼肉屋でささやかに乾杯。そういえば私も、いよいよこの6日で大台、還暦を迎えることになります。ああ恐ろしや〜〜。

●(163) 2006年11月27日
「自作曲」
 先日、店のお客様と一緒に活躍中のシャンソン歌手が店に来られました。そのときは私のギターの伴奏で何曲か歌われたのですが、お帰りのときに私達も演奏活動をしている旨、話しておりましたら、そのあと923のホームページを見て数日後にまた来られました。その日は「金子みすゞ」の曲や、私の自作の「青春の門」シリーズ曲を是非、聴いてみたいということでした。「青春の門」シリーズの歌は私も長いあいだ歌っていなくて、その日は譜面も見つからないので適当に歌ってみました。「金子みすゞ」曲も「青春の門」の曲も気に入られて、自身で歌いたいということでした。
 「青春の門」シリーズの曲では五木寛之さんの詞に私が付曲してアルバムに収録されたものがあります。かつて短い期間でしたが週刊現代で「青春の門」シリーズの一般公募の作曲コンテスト(主催:キングレコード、日音、講談社)がありました。私は2回選ばれ、講談社本社へ行って五木寛之さんから直接、賞状、楯、副賞などを戴いたことがあります。「あせり」という曲と「手のひらはだまっている」という2曲でしたが、かなり昔のことですで正確な楽譜を探してみると、家の本棚の奥から当時の週刊誌がでてきました。
 どちらも指名手配のような顔写真に略歴がついていて、「あせり」の選評には全国244曲の応募から10曲を残し、さらに5曲の中からこの作品が選ばれたと記してある。「この歌詞が持っている、ややホコリっぽい感じが生かされているところが評価されての受賞・・・」という講評。「手のひらはだまっている」は294編の応募から最終選考に12作品、そのあと6作品に絞られてからの受賞。講評は「うたい出しから、むしろそこが”サビ”と言えるような起伏に富んだメロディーで否応なしに聞かせてしまう(それも自然に)力感があり、そこがキメ手となった・・・」と記されている。
 先日のシャンソン歌手が自分のステージで歌われるということで、改めてその週刊誌掲載の楽譜を見てみると、先日、私が歌ったのとはかなり違っていたようです。そのあと、その歌手には「金子みすゞ」曲を含め正しい楽譜を用意して歌のレッスンにも来て頂き、今後の自身のステージで歌えるようにと覚えていただきました。
 もう何十年も駄作曲を作りつづけているいるわけですが、このような古い作品などを久し振りに見ると、一生懸命に曲作りをしていた当時のことが思い出されます。

●(162) 2006年11月20日
「冬支度」
 暦の上ではもう冬とはいえ温かい日が続いていましたが、木々の色づきとともに、いよいよ冬本番にむかい始めたようです。ひと雨ごとに気温が下がってきて、我が家もそろそろ冬支度をしなければなりません。
 我が家の暖房は外で灯油を焚いて各部屋に熱を供給するタイプですので、室外機の準備が要ります。
 我が家としての冬支度は、@こたつをだす。A寝室に電気敷き毛布を付ける。B各部屋に熱を送っている室外機に防錆剤を入れて、タンクに灯油を給油する。C各部屋に付いている通気口の弁を半分もしくは全部閉めて、入ってくる外気の量を減らす。D風呂や給湯の設定温度を上げる。E屋外の排水パイプの清掃。
 @のこたつに関しては10月からだしてあるので問題はありません。通常我が家は一年のうちで全くこたつの出ていないのは6、7、8月だけです。いつもは9月の終わりからでているのですが、今年は10月で、遅かったくらいです。Aの敷き毛布もすでに2週間前からつけてくれています。Bの暖房器も完了で、CDは簡単にできます。あとはEのパイプと通しが結構大変ですが、早くしないと寒くなってよけいにツラくなります。
 いよいよ店も一年のうちで一番忙しい師走ですから、絶対に風邪をひけません。と言っていても毎年ひいてしまうのですけれど、今年も12月はホテルで800名規模のパーティーが3回あります。このところ夫婦揃って何となく風邪気味ですが絶対に悪化しないようにと、連日風邪薬を飲んで抑えています。

●(161) 2006年11月13日
「秋の叙勲」
 いよいよ秋本番で、祇園近辺でも日毎に観光客が増えてきています。先日は文化の日もあって、秋の叙勲と褒章の発表がありました。毎年、店のお客様などの中からも勲章や褒章を授章されたり、先週の園遊会にご招待されたりと立派な方々がいらっしゃいます。
 褒章のほうは紫綬、黄綬、藍綬くらいは新聞にも載っていて知っていたのですが、その他にも紅綬、緑綬、紺綬と全部で六つも褒章の種類があるそうです。今週の中ごろにそれぞれ授章の担当の大臣から頂戴するようです。
 勲章のほうも、勲章の種類によって天皇陛下や内閣総理大臣や担当の大臣から先週に戴かれたようです。我々庶民としては、授章のときには一体何を頂戴するのかと興味がありますが、勲章と賞状とお菓子なのだそうです。そのお菓子は三笠のようなもので、中にはこしあんを練ったような少々硬めのあんが入っているものらしい。そう簡単に食べてしまうのはもったいないし、いろんな方にご披露もされるでしょうし、少し日持ちがするようにできているようです。

●(160) 2006年11月6日
「すばる」
 谷村新司が久し振りの新曲「風の暦」という曲をだして、年末のディナーショーでも活躍するめようですが、先日、店で彼の歌った「昴」のことが話題になりました。「すばる」の名は昔から富士重工の車の前の七つ星や、ハワイ島のマウナケア山に設置されている国立天文台の世界最大の望遠鏡にもその名前にも付けられていて馴染みがあります。このところ実際の星の「すばる」を見ていないのであらためて調べてみる事にしました。
 「すばる」は冬の星座のおうし座にあるプレアデス星団とかM45とかいわれている星団で、ヨーロッパでは七つ星でセブンスターといわれていたらしい。日本では枕草子に「星は昴・・・」と書かれていたくらい平安時代からよく知られていた星で、六つの星のかたまりで「むつらぼし」と呼ばれていて、「統(す)ばる」=結ぶ、縛る、というところからきているらしい。
 視力上からは6〜7個見えると正常らしいのですが、私はこのところの老眼の進行もあって光りのかたまりにしか見えません。眼鏡をかけてやっと4つくらいでしょうか。8つ以上も見える人は相当な視力のようですが多分、遠視です。双眼鏡などでは数十個見えるようですが、実際には120個ほどの星が集まっているらしい。
 冬は一年中で最も星座のきれいな時。「すばる」も1月、2月頃の9時ごろには天空に見えます。今の時期でも店から帰る時間はもうすっかり冬の星座。今は天候も安定しているので、たまに夜中に星空を仰いで悠久のロマンに想いを馳せるのもいいのでしょうけれどでも、おっちゃんがが深夜に外で空を見上げてうろうろしていると怪しまれそうです。

●(159) 2006年10月30日
「基準音」
 演奏する前には、管楽器も弦楽器も音合わせをしなければなりません。ヴァイオリンやギターなどの複数弦のある楽器の場合にはまず基準音を定めて、そこから相対的に全体の弦を合わせるわけですが、一人で弾いている場合は少々基準音が狂っていても、その楽器自体の弦が相対的に合っていればどうってことはありません。ところが他人と一緒に演奏をしたりオーケストラなどの場合は、当然、全員で基準音を合わせなくてはなりません。私も学生時代からギターケースの中には必ず音叉が入っていましたし、合唱などの無伴奏で歌を歌う場合は必ずどこかで基準の音をとっていたわけです。以前に堀内孝雄が野球の試合前の「君が代」を歌うのに、出だしの音を高く出すぎて、死にそうなほどの高音を出しているのを聞いたことがあります。あれはキーの基準音を間違ったのですが、基準の音を間違います大変なことになつてしまいます。
 通常、合奏の場合、A音(ハ長調のラ)を440Hzとして合わせています。その基準音ですが、このところ世界のオーケストラなどでは全体に基本のA音を高めにする傾向があります。アメリカや日本の主要オーケストラでも442、またベルリンフィルやウィーンフィルではA音=445〜446で合わせているようです。周波数が高くなることによって音に張りが出るとか、華やかになる、つやが出るということらしいですが、ピアノなどの楽器の材質強度の向上もキー上昇の要因のひとつです。
 店のカラオケも少々高めで、A音=440で合わせたギターでは低すぎて合いません。カラオケ伴奏も少し高めの442以上で作っているようです。楽器を弾く場合はいいとしても、クラシックの歌手などは、曲によっては自分の高い音の限界を使った歌もあるわけですから、僅かとはいえ高くなるとつらいものがあると思うのですが・・・。

●(158) 2006年10月23日
「JR時刻表」
 以前に大学のサークルで「時刻表クラブ」というサークルがあるときいて驚いたことがありますが、鉄道クラブと思えばあってもおかしくはありません。私も特にどこへ旅行をするということがなくても、定期的に新しい時刻表を買っています。時刻表にはJR列車のダイヤや料金は当然のことで、私鉄路線、航空ダイヤ、長距離バスのダイヤ、また駅間の距離、主要駅構内の地図、列車の編成、各地の弁当など、読みきれないほどの情報が掲載されていて、ひまつぶしに読んでいると退屈しません。それぞれの好みでいろんな角度から楽しめます。忙しくてなかなか行けない旅行のプランなどを、いろんなコースで計画してみることもあります。この本の情報量を考えると、一冊約千円は安いと思うのですが、興味のない人にはどうでしょうか。
 そういえばおかしなことに私の母も昔から時刻表が好きで、定期的にポケット型の小さい本を買っていました。ポケット型の小さい本は見にくいので、私はほとんど大型の本しか買わないのですが、母は見えない眼で虫眼鏡を覗きながら見ていました。母も以前は郷里の新潟県の上越や長岡あたりへも何度も行っていたのですが、いつも時刻表で到着時間などを上手に調べていました。新潟へ行くのには時刻表では京都駅から北陸線の湖西線→信越線と見ていかなければならず、おまけに京都から北陸、信越方面へは何故か下り列車です。時刻表を見慣れない人は、なかなか見難いものですが、母は富山到着が何時、直江津が何時とよく分かっていましたので多分しっかり見ていたのでしょう。今年はもう87歳で認知症患者なのですが、今年も徘徊して2度も埼玉県の大宮の親戚のところまで列車を乗り継いで行ったくらいですから、なかなか時刻表にも鉄道路線にも詳しいようで驚きます。

●(157) 2006年10月16日
「芸術の秋」
  先日は「京琳派 神坂雪佳展」へ行ってきました。神坂雪佳なんて今まで全く知らなかったのですが、画家先生などからお誘いを受けて一緒に行くことになりました。雪花は明治から昭和にかけて日本画家そして工芸のテザイナーとして多大な功績を残した方らしい。もともとこの「琳派」というのは尾形光琳の名からとったのだそうですが、江戸初期の本阿弥光悦、俵屋宗達らの芸術活動の流れをくむもので、日本美術を.代表する大きな潮流のようです。展覧会では絵画はもとより、呉服留袖をはじめ、陶器、漆器などにも絵付をしたたくさんの作品もあっていろんな分野の楽しみがありました。
 日曜日は街なかのホールでシャンソン教室の発表会。年に一度の発表会で、店のお客様も着飾ってたくさん出演でしたので表敬訪問。今週は日本画の大先生方十数名による「平成の表装展」ということで、お軸の展覧会があります。そして今月末は知り合いのギターリスト主催のコンサート、そして日本舞踊の会と、毎週のように展覧会やコンサートが続きます。まさに芸術の秋でいろいろ楽しめますがすが、疲れるのもあります。.
〜〜〜ご案内〜〜〜
★平成の表装展★ 高島屋京都店(10/18〜24)、高島屋大阪店(11/8〜14) 入場無料
  伊藤彬、大野俊明、千住博、竹内浩一、中島千波、中野嘉之、平松礼二、森田りえ子、渡辺信喜、他
★第4回関西ギター愛好家交流演奏会 10月29日(日)午後1時30分 京都呉竹文化センター 入場無料
  中西清一、丸谷純一、川原久美子、渡邉信行、神島泰公、高井登貴男、渡辺一由、中村昭三、他

●(156) 2006年10月9日
「軽音楽部OB会」
 大学の軽音楽部OB会から同窓会の案内がきましたので行ってきました。大学でのクラブ活動は合唱団で幹事長(部長)をしていたのですから、当然合唱団に所属していたわけですが、実は一回生の最初の半年は軽音楽部に入っていました。小さい大学のクラブですので僅かな期間しか所属していなくてもみんなに案内をくれます
 高校の後半は受験勉強もありますので、好きな音楽も少し我慢をしていたのですが、大学へ入ったら絶対に軽音に入って音楽をすると決めていました。中学から聞き始めた音楽は洋ものポップスが主でしたが、クラシックなども含め雑多に曲を聞いていましたのでどのジャンルの音楽でもよく知っていました。当時NHKで「シャープさんフラットさん」という曲名を当てる番組がありましたが、出場すればかなりいけるだろうという自負もあったくらいです。
 入学当時の軽音は以前から続いているハワイアン系バンドと、スタンダードジャズ、ポップス系のバンドが主体でしたが、部員が少ないのでそれぞれいろんなバンドを兼務します。私はギターとボーカル担当。当時はダンスパーティー全盛期で、各クラブが資金集めのためにダンパを企画しました。そんな演奏に行くことは新入生18歳頃の私にはなかなか刺激的な体験でした。もちろん我々は演奏ばかりで踊ることはなかったのですが・・・。
 この十数年以内に卒業した軽音OBの会は毎年行なわれているそうなのですが、我々世代のOBが参加するのは卒業後初めてということです。大学の学生会館で2時〜9時ごろまで延々と20バンドほどが演奏を披露し、そのあと打ち上げをするらしい。我々世代は12時から1時半までOB会をしてそのあと合流。参加はほとんどが現役のバンドですが、大音量で叫び歌う若者の演奏には我々世代はついていけなくて、しばらく外で休憩。今回は我々世代からも、テナーサックスのソロと、急遽結成をしたバンドがベンチャーズ、ビートルズなどの曲を演奏。
 このメンバーと会うのは卒業以来初めてのことで、私も1回生だけの所属ということを考えると、約40年ぶりの再会。同級生でも自己紹介されるまで隣りにいても全く誰だかわからないような変貌ぶり。若かりし当時のことが蘇える懐かしい一日でした。

●(155) 2006年10月2日
「酔芙蓉」
 市内から三条通りを通って東山を越えた山科の日ノ岡あたりりはその昔、罪人の処刑場があったようで、今でも三条通リ沿いのそのあたりには、供養のための大きな石碑が残っています。今も近辺には血洗(ちあらい)町とか封じ山町とかいう意味ありげな町名が残っています。
 その三条通りの南側に三条通りに並行して旧東海道の道が残っています。車が一台が通れるくらいの狭い一方通行の道で、九条山の手前の信号で三条通リに合流するのですが、その旧街道の途中に大乗寺という酔芙蓉の寺があります。もともと廃寺であったこの寺を、平成4年頃に新しく来られた住職がツルハシ一本で参道造りから始めて酔芙蓉を育てて、現在は約1500本もの木が植えられています。その酔芙蓉の花が今ちょうど満開です。
 酔芙蓉の花は朝の咲き始めは白色で、午後になるとピンク色になり、夕方には紅色になります。時とともに色を変えてゆく様を、人が酒に酔って赤くなってゆくようだということで、この名がつけられたようです。一日で散ってしまうといわれているのですが、翌日も咲いているそうですので、一本の木に三色の花がいっしょに咲いているのが見られます。
 芙蓉は7月から8月あたりに咲きますが、その変種の酔芙蓉は少し遅く9月から10月ごろに咲きます。芙蓉は一重なのですが、酔芙蓉はほとんどは八重の花です。こんな芙蓉の花は平安時代から観賞用に栽培されていたようで、与謝野鉄幹も「白き芙蓉 赤き芙蓉と重なりて 児のゆく空に 秋の雨ふる」と歌っています。石川さゆりの「風の盆恋歌」の一番の歌詞にも「蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉・・・」と登場してきます。
 ところで私のオンボロパソコンで「すいふよう」を漢字変換すると「水夫用」です。

    

●(154) 2006年9月25日
「NHKのど自慢予選会」
 日曜日の昼に放送されている「NHKのど自慢」は、どなたでも一度はご覧になったことがあると思います。テレビ長寿番組のNo.1で、53年間と6ヶ月も続いているのだそうです。この「のど自慢大会」は本選であって、当然その前に予選会があります。仕事がら深夜(早朝?)に帰宅しますが、その頃にテレビで、地区予選会の落選した人ばかりの模様を放送している番組があります。月に一度くらい月曜か火曜の深夜2時〜3時頃にやっているようですが、先週も19日の火曜日にやっていました。
 予選落ちの人ばかりですので当然、あまり上手くない人がほとんどです。昔は歌の途中で無残に鐘が鳴ったように思いましたが、今は鐘は鳴らず「ありがとうございました」というアナウンスが落選のお知らせで、終わりの合図のようです。審査はなかなか温情があって、歌詞を忘れる人、出だしをまちがう人、音程が全然違う人など、歌の最初の部分を聞いて絶対落選と思うような人でも、そこそこ30秒くらいは歌わせてくれています。まあ、ご当人はこの日のために一生懸命に練習してきたのですから。
 人気のある曲などで、たまたま歌う人が複数おられる場合は、伴奏者の都合で続けて何人も歌われます。先日も「なごり雪」「涙そうそう」などは何人かが続けて歌っておられましたが、つくづく伴奏する人たちのご苦労も感じます。

●(153) 2006年9月18日
「JR運賃」
 先日、甲子園の帰りに焼肉を食べに鶴橋へ寄りましたので、京都へ帰るのに鶴橋から環状線で大阪駅へいくことになりました。行きがけは京都から阪急で梅田で来たのですが、帰りは阪急か京阪かJRかを決めていなかったので環状線の大阪駅までの切符を購入しましたが、結局大阪駅では改札を出ずにそのままJRで京都へ帰ることに。なれない京都の田舎者ですので先発の快速に乗車すると、途中で次発の新快速に追い越されてしまう。そのまま山科駅まで乗って行くつもりだったのですが、山科から地下鉄、タクシーを利用するよりも、京都駅から直接タクシーで帰る方が安くて早いようですので急遽京都駅で降りることに。
 ところで納得のいかないのがJRの料金。京都駅で鶴橋⇔大阪の切符170円を持っていて乗り越しの清算をするとナント!追加料金が720円です。大阪から京都の切符が540円なのでそれよりも安いかな、と思っていたのが素人の大間違い。阪急なら大阪⇔京都は390円、京阪なら400円。JRは少々高いというという認識はしているのですが、それでも540円。ところが清算料金はそれよりも180円も高い720円。あとで運賃を調べてみると鶴橋⇔京都は890円らしい。京都⇔大阪⇔神戸間の私鉄他社との競合路線は安いのですが、少しでも外れると途端に高くなってしまいます。
 ちなみに大阪⇔京都は540円、私の住んでいる山科から次の京都駅までは180円なのですが、大阪から山科までを買うと一気に100円加算されて820円になってしまいまいます。大阪、京都以遠のところに行くときには、京都、大阪駅などで一旦改札を出て買い直すようにしたほうがかなり得だということを学習。
 大した額ではないのですが知らない者はだまされているようでバカらしいです。

●(152) 2006年9月11日
「ビートルズ」
 先日、券をもらってビートルズのコピーバンドのショーへ行ってきました。ホテルの「ビートルズ来日40周年記念」というイベントで、食事のあいだからビートルズの映像と音楽一色です。たくさん料理もでるのですが、このところは好きな物を少しつまむだけです。
 ビートルズのコピーバンドの「BEATRIPS」というグループなのですが、ビートルズバンドとしては、なかなか名の売れたバンドのようです。食事の後の約1時間のショーなのですが、メンバーは多分30代から40代のベテランで上手いのですが、ビートルズの激しい曲が続くとかなり息があがっているようでした。ビートルズの曲は3分くらいの短い曲も多いので、1時間のショーになるとかなりの曲数を演奏しなければならないし、おまけに当然のことながら歌詞も全部覚えていなくてはならないので、私どものような気楽な演奏者からみると、その頑張りに感心します。
 ビートルズは我々が高校に入った頃に衝撃的なデビューをして、ポップスの世界に大旋風を巻き起こしましたので、我々には初期の頃の曲が特に印象に残っています。
 若者にはカリスマ的に支持されたビートルズですが、当時の親などにはあの賑やかな音楽、ファッション、ヘアースタイルなどに、かなりの拒絶反応があったようです。
 ちょうど今の時代、若者の穴あきジーンズ、へそ出しルック、カラフルな髪の毛、耳や鼻のピアス、ラップ音楽などなどに、我々が馴染めないのと同じようなものなのでしょう。
 そんなギャップを感じるのは歳のせいだと自覚はしているのですが・・・・。

●(151) .2006年9月4日
「甲子園」
 27日の阪神-巨人戦のチケットをもらって、久し振りに夫婦で甲子園に行ってきました。阪神球団には妻の親戚の子供もいますので、その気になればいつでも行けるのですが、なかなか行く機会はないものです。松井秀喜がジャイアンツに入った同じ年に、その親戚の子供もドラフトでタイガースに入団したのですが、現在は球団職員として主に井川専属のブルペン捕手をしています。
 今年のタイガースはJFKの故障もあって、当日すでに中日とは9ゲーム差で、今年のペナントは終ったかなという状況。前日まで広島に3連敗、巨人に2連敗と全く精彩がありません。でも阪神ファンはありがたいです。夏休み最後の日曜日ということもあって子供達も多く甲子園は満員御礼です。
 電車に乗る前に阪神デパートでビールのつまみを仕入れます。かの有名な「いか焼き」も食べてみたくて売り場を捜すのですが長蛇の列。列は約60名、妻が15分ほど並んでやっと手に入れる。
 電車に乗るとすでにタイガース専用列車。球場に着いて、まず親戚の球団職員に差し入れを届ける。球場に入ると観客の数とあまりの熱気に圧倒されて驚きます。席は1塁ベンチのすぐうしろの見やすいところですが、席につくとビールを飲まないではいられません。ビールは500mlの缶を紙コップに入れてくれて600円だからまずまず良心的です。席の狭いのと応援団のあまりの騒々しさに妻はダウン寸前。
 試合は7回まで杉山と台湾からきた新人の姜建銘の投げ合いで1対1。ここから藤川が出て勝ったのですから、このあと大騒ぎだったようですが、はじめから7回が終ったら帰る予定でしたので7回終了時点で退場しましたが、現場での風船上げは壮観でした。
 最近はめったに大阪へ来ない田舎者ですので、最初から鶴橋で焼肉を食べようと計画していましたので、大阪へ戻って環状線へ。鶴橋は私も初めてのことなので駅員さんに焼肉屋の場所を訊いて、結局、可愛いお姉さんが呼び込みをしている店に入ったのですが美味しかったです。でも焼肉と中華は絶対に大人数で食べに行くべきですね。二人ではたくさんの種類が食べられませんから。
 鶴橋へ向う電車の中で携帯のネットで阪神の勝利を知りましたが、一日堪能しました。

       
             超満員の甲子園(8/27巨人戦)

●(150) 2006年8月28日
「水位、浮子観測所」
 いよいよ8月も終わりで、子供達は夏休みの宿題のまとめで大忙しでしょう。夏休みの宿題で最後に残るのは、図画、工作、自由研究、読書感想文、絵日記というところらしい。昔は書き忘れた日のお天気などを調べるのは大変だったのですが、このごろはスーパーなどで客集めのため(?)、夏休み中のお天気、気温の一覧表を張り出していたりするらしい。
 小中学校時代は夏休みの宿題ではいろんなことがありました。姉が描いた絵を出す者、親父が作った工作をだす者。またそんなものがたまたま入選することもあって困ることもありました。読書感想文では毎年同じ偉人の伝記の感想文を書いていた者。毎年同じでも毎年担任が替りますので気づかれないようです。
 今回は私も小学生の自由観察の宿題みたいな面白くない話題ですみません。
 先週は豊中で一時間に110ミリという記録的な豪雨がありました。100ミリ以上になるとちょっと想像を絶するような降りかたらしい。こんなデーターもどこかで正確に測量しているのでしょうが、私のランニングコースにも水量を測量しているところを発見。山科川にある勧修寺水位観測所は京都市にある6箇所ある観測所のひとつらしい。機械によって自動的に観測を行い、その結果を無線によって土木事務所に送って洪水時の危険予知に使っているらしい。またここでは雨量も同時に観測しているとか。
 また同じところで浮子観測というのも行なっていて、川の流れる速さを測っています。60メートルの間を何秒で流れるかというものです。日頃の水量では流速は0.4m/秒くらいで、川の中の60mを150秒で流れているそうですが、観測史上もっとも早かった62年の大雨のときは、流速は3.2m/秒で,水深が1.73mだったそうです。
 写真に写すと何でもないものですが。
                   
         浮子観測(60m先にも同じ物があります)     水位観測

●(149) 2006年 8月21日
「ろれつのまわり」
 私などはもともと話下手ですので、いろんな会合ではなるべく話をしなくてもいいようにと願っています。話が下手ということは、文章を整然と組み立てられないのが原因で、当然、文章を書くことも下手なのだと私自身は思っているのですが、話をすることと文章を書くこととは、また違う才能だという人もあって、実際どうなのでしょう。
 話し下手の上に、お酒を飲むと、内容だけでなく、ろれつの回りも悪くなります。ろれつという言葉は、もともと雅楽の音階に長音階にあたる呂旋と、短音階にあたる律旋といわれる音階があって、その呂と律を楽器で吹き分けられない様を呂律(ろれつ)が回らないといっていたのが、元の意味らしいのですが、私の場合、酔って呂律が回らなくても、何とか歌を唄ってられるのが救いです。
 妻はもともとアナウンサー志望でおしゃべり得意なのですが、私は声を出す仕事をしているとは思えないほど声もカツゼツも悪く、人前でのおしゃべりには向きません。そのうえ店では毎日相変わらず飲んでいるわけで、ろれつが回らなくなるようなことは度々あります。店の者はそんな私の欠点を知っていて、昔から私の飲み過ぎ度検査に「ヒデとロザンナ」という言葉を言わせます。続けて3回言うのですが、これが酔った私には非常に難しい。
 先日、テレビの番組で現役アナウンサーに訊く「言い難い言葉」のベスト10をアンケートで選んでいました。第三位は「低所得者層」、第二位は王監督の手術もあったのでしょうが「腹腔鏡(ふくくうきょう)手術」。そして第一位は「摘出手術」ということでしたが、みなさんは如何でしょう。私にはどれも非常に難しく、去年のラジオ番組の時にも痛感しましたが、アナウンサーには絶対なれない。

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