気まぐれ日記No.9
  2006年 5月1日〜   毎週月曜日更新しています   藤山一男
                携帯でも見られるようページを分けています

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●(148) 2006年8月14日
「六道参り」
 前回に書きましたとおり、母はすっかり宇宙人のようなようになってしまいましたので、連日、引越しをするとか、遠いところへ行ってきたとか、庭に大きな鳥がいるだとか、庭にユリの花がたくさん咲いているだとか、いろんなことを言っていますが、人に迷惑がかからない状態であればありがたいことです。
 ちょうどお盆休みのあいだは私たちも家にいるし、仏さんのお参りでお坊さんが来られたり、近くの親戚も来てくれて宴会をしたりしていますと、かなり正常な状況です。わざわざ言わなければ親戚の人も気がつかないくらい普通に接しています。
 父が亡くなってからは毎年お盆前に母を連れて六道珍皇寺というお寺に参るようになりました。清水寺へ続く松原通りはその昔、もともとは五条通りだったのですが、六道さんはその松原通りの大和大路と東山通りの間にあります。
 昔は大和大路は東の果ての大通りで、そこから山手は鳥辺野と言われる葬送の地であって、六道の辻といわれるところは、それこそこの世とあの世の境目だったといわれています。珍皇寺の裏にある井戸が冥界へ通じる道で、井戸のそばに生えている高野槇(こうやまき)の枝を伝って井戸の中へ入っていけるということらしい。
 お盆前の七日から十日まではご先祖の霊をお迎えするための参拝者が連日長蛇の列をつくります。お参りの手順は、まずお坊さんに水塔婆に戒名(法名)を書いていただく。そしてそれを持って迎え鐘を撞いてご先祖を呼び出します。その迎え鐘も小さなお堂の中に入っているのでまったく中は見えなくて、鐘楼堂から出ている紐を引いて鐘を鳴らします。そのあと水塔婆を線香の煙で浄めて、高野槇を水に浸けたもので濡らして納めます(水回向というらしい)。
 ご先祖さんは迎え鐘で呼ばれて、井戸の中を通って高野槇を伝ってあの世から戻ってこられるのでしょう。
 珍皇寺の鐘はよく響く鐘なのですが、この期間中は終日この鐘の音が鳴り響いています。

●(147) 2006年8月7日
「母壊れる」 
 同居している私の87歳の母が突然壊れました。このところ多少はオカシイナと思うこともあったのですが、特に日常生活には支障のない程度のボケ加減でした。ところが先週のある日、朝からいろんな人が我が家に来るような幻想を見ているらしい。近所の人、親戚の人などなど、次々に来られる方々を、玄関でスリッパをだしてお迎えをするようになりました。菓子を用意してジュース、お茶、サイダーを持ってきたり布団を用意したりと大騒ぎです。そのくらいまではまだよかったのですが、そのうちに家の中にたくさん人が隠れていると言いだしまして、部屋の隅の穴から何人も人が出て来るというような状態になってしまいました。その人たちが顔を真っ白に塗っていて、家の物を持っていってしまうらしい。しまいにはその人たちに向かって怒鳴るようになり、そのうちに母と同居している私の妹のことも判別できなくなってしまったようです。心配しながらも夕方に私は店に出勤しましたが、店に着くと電話で「母がおかしい」とSOS。私は急遽タクシーで帰宅するのですが、帰ると家の前はパトカーと救急車が来ていて大騒ぎ、玄関前には大量の血痕。周りの話によりますと、母は「家の中からたくさん変な人が出てきて怖いから警察を呼んでくれ」と近所の家に駆け込む。そして家には怖くて戻れずにいて、玄関前の階段で転んで両肩と顔面を強打して左眼の上を切って大出血ということになりました。ちょうどその時、駆けつけた警察は「事件では?}と、慌てて救急車を要請。とりあえず病院へ運ばれその日は入院ということで店に戻りましたが、またすぐ病院の担当医から電話。母が帰ると言ってきかないらしくてどうしましょうかということ。とりあえずその夜は病院で保護していただくことをお願いする。翌日もいろんな検査をしていただいたのですが、ケガ自体は大した事はなく、慢性的な脳の萎縮による認知症ですのでと退院をすすめられる。結局、翌日退院ということで、またまた帰宅後の騒動を心配をしながらも、もらった安定剤の効果を信じることに。早めの夕食のあとその薬を飲ますと、前日大騒ぎの疲れもあったのでしょう、その夜は静かに休んでくれてホッと安心。それ以降は薬を飲まなくても何とか落ち着いていて、ボケの内容も「庭に大量のユリが咲いている」とかというものですので、人に迷惑がかからず今のところ平穏。

●(146) 2006年7月31日
「不慮の事故」
 先週、妻がガラス製の湯沸しポットを洗っている時に、割れている口まわりを握って回して、手のひらを2ヶ所も切って大怪我でした。日頃から気を付けていても、時おり思いもよらないことが起こるものです。交通事故も結局そういったものなのでしょうけれど。
 昨年のことですが風呂で頭をシャンプーして洗い流している時に、頭から顔をこすっている手の指が石鹸水で滑って鼻の穴にズポッ!風呂で体の血行のよくなっているところですから、 風呂場が鼻血で真っ赤になったことが二度もありました。歳のせいだともいわれても、「そんなことはない、たまたまのことだ」と思っているのですが、でも何十年も生きてきて、こんな失敗が一年に2回もあったのですから、素直に手先の感覚が衰えていることも自覚しておきましょう。こんな馬鹿げたことは私くらいだろうと思ってはいたのですが、先日ラジオの番組を聞いていると、視聴者の中にもそんな人はたくさんいるようで驚きました。みんなそんなバカな話をわざわざ人に言わないだけかも知れません。
 その時のラジオの投書でもう一つ笑った事があります。トイレで用足しをする時にタバコを吸っている男性は結構多いのですが、たいていは吸った後、そのタバコを便器の中へ捨てて消すようです。洋式トイレに座っている場合、足と便座の間の狭い隙間からタバコを捨てることになるわけですが、そのときにタバコが指にからまったりして的が外れ、誤って大事なところに落として火傷してしまった人が結構いるようです。これもあまり人に言えるようなことではないので、一般には知りませんが、ラジオの投書を聞いていてありそうなことだと妙に納得。愛煙家はご注意を!

●(145) 2006年7月24日
「早起き三連発」
 私たちは仕事がら夜が遅いので、当然朝のスタートも遅くて、一般の方とは時差があります。たまにロータリークラブの例会や、お昼のライブなどがあると、通常より早起きになります。先週末からは、たまたま3日連続で早起きしなければならない用事があり、さすがに3日続くと疲れます。
 22日(土)は午後1時半から滋賀県の南草津で図書館主催の「金子みすゞ」コンサート。1時半からといっても、1時にはお客様が入られますので、それ以前に準備を完了しておかなければなりません。荷物の運搬、PAの調整などを考えて自宅を10時過ぎに出発。ということは遅くとも9時には起床しておかばなりません。このところほとんどのライブはお寺とか、学校とか、ロータリークラブなど、そこのメンバーのためのライブでしたが、今回は久々に誰でも来ていただけるれるオープンのコンサートです。滋賀県在住のお知り合いにご案内をしておきましたところ、久々にお会いする大学の同級生ご夫婦、合唱団のOBとそのご家族なども来て頂いて嬉しい事です。JR南草津の駅は比較的新しい駅らしく、立命館大や龍谷大のキャンパスが草津にできたので、その学生のためにも利用されるようなところのようです。もう駅前にはビルもたくさんできていて、西友などもある賑やかで便利な所でした。 大過なくライブ終了。そのあと知人とお茶して、食事して大慌てで帰宅して店へ直行。
 23日(日)は京都駅前のホテルで12時半から大学のクラブの同窓会。それも私が企画したものですから、その準備も大変で、ホテルの打ち合わせ、出席者の名簿と当日歌えるようにと愛唱歌の楽譜の用意などなど・・・・。
この日も早めに起床して、12時半からの開宴、そのあと二次会、そのあともお付き合い。自宅付近まで帰ったところで、また別口から飲みに誘われて、結局また飲んでしまう。一杯飲んだところでダウンして帰宅。
 24日(月)は、以前から決っていたのですが、知人の新会社の仕事のお手伝いを頼まれていて、お昼から工業試験場でデーター収集。それが結構長引いて5時半終了。大急ぎで帰宅して、そのまま店へ直行。ところがそんな日に限って早くからお客さまが来られる。アリガタイけどツライ。
 と、バテバテの3日間でした。まあ飲まなければ、どうってこともないんでしょうけれど・・・・。
 でもあまり反省の気配なし。

●(144) 2006年7月17日
「祇園祭の粽(ちまき)」
 まさに祇園祭本番。夜は連日、宵々山、宵山、そしていよいよメインイベントの山鉾巡行を迎えます。こんな時期の祇園の店はだいたい暇でのんびりしているのですが、今年は923再開のこともあったかも知れませが、たくさんの方にお越しいただき、てんてこ舞いでした。毎年のことながら今頃は梅雨明け寸前で、連日ときおりとんでもない激しい夕立に見舞われて見物客を困らせています。
 毎年、我が家では祇園祭の粽(ちまき)は厄除けのため一年間、玄関に飾っています。いつも巡行が終った頃にはどなたかが持ってきてくださるのですが、今年は16日に鉾町近くに用事があったので、親用と我が家の玄関用の二つを買って帰ることにしました。さすがに長刀鉾の粽は一番人気で長蛇の列、おまけに一人にひとつの限定とか。もうひとつは別の鉾で買うことにしました。
 昔の巡行は鉾の上から粽(ちまき)を豪快に投げていたのですが、このところは観客の危険防止とかで投げなくなってしまって、お祭としては上品すぎて個人的にはもの足りないと感じています。子供の頃には寺町通りの狭い道を、軒先にあたりそうになりながら通っていた風景を思い出します。
 ところであの粽(ちまき)にはどれにも「蘇民将来子孫也」と書かれた護符がついていますが、蘇民将来さんというのは名前です。八坂神社の祭神であるスサノヲノミコトが旅先で宿がなくて困られたときに、たまたま蘇民将来さんという方のお宅で、貧しいながらも非常に心温まるもてなしを受けられたそうです。そのお礼にということで「「蘇民将来の子孫として、茅の輪をつけた人は代々、疫病を免れさせよう」と約束されたということです。今では「蘇民将来」は,八坂神社境内にある疫神社の祭神で、その子孫としてのしるしが、茅の輪→茅巻(ちまき)→粽(ちまき)だそうで、現在は笹の葉で作られてますが、祇園祭に奉仕する人々はみんな「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」の護符をつけた小榊(さかき)守を身につけてい.ます。
 今日の巡行が終ってもまだまだ祇園祭は続きます。

●(143) 2006年7月10日
「同窓会」
 先々週は小学校の同窓会、先週は923再開ということで高校の仲間が集まって同窓会、そして再来週は大学の合唱団のOB会を企画、現在ご案内中。この合唱団は来年が50回の定期演奏会ということで、12月にはコンサートホールの大ホールで現役と合同演奏が決っています。練習は来年1月から始まるようですが、おそらく私も出演することになりそうです。私の在学中の最後は11回の定期演奏会でしたが、定期演奏会は年一回しか行なわれていませんので、えらい歳をとったものです。小中高の同級生連中は今年還暦。大学の先輩後輩もすべて還暦前後で、そろそろ定年、退職といった年齢です。それぞれ定年後の生活設計も考えておられるようで、信州の別荘地を買って住んでる方、京都の街なかにマンションを買って京都に住む方、ニュージーランドなどの海外に住む方など、いろいろです。私たちのように自分で仕事をしている者などは、これからもまだまだ頑張って働かなければなりません。
 近所を歩いていると、くちなしの花が満開で香りがあふれています。くちなしは咲き初めは綺麗なのですが、すぐに汚くなってしまいます。我が家の胡蝶蘭もそろそろ終わりです。祇園祭は今日が鉾建て、いよいよ本格的な夏です。

●(142) 2006年7月3日
「声」
 まるまる2ヶ月の休み中、ライブの仕事もあったのですが、やはり営業時とくらべると声をだすことが少なかったようです。オープンしてからしばらくは声が出にくいなと感じていましたが、やっとなんとか戻りつつあるようです。私などは、もともとよく声の出るほうではないので、歌っていないと咽もすぐに衰えます。プロの声楽家などの話を聞きますと、プロ歌手は日頃から冷たい飲み物をあまり飲まないそうです。冷たい飲み物は咽の筋肉を収縮させるといことらしいですが、毎日ビールをあびている私などは声がでなくなっても当然です。クラシックなどの声楽家は「咽が命」ですから日頃から細心の注意をはらっているようですが、それでもコンサート前に風邪などで声がでなくなってしまう事もあるようです。そんな時はどうするのでしょうと訊いたことがありますが、咽に直接注射を打ってもらってとりあえずそのステージを乗り切るらしいです。
 私共もまた今月22日(土)に滋賀県で金子みすゞコンサートをしますので、少しは節制をしておかねばなりません。いつもは寺院やPTAやロータリーといった団体から呼ばれるコンサートで一般の方はお入りできませんが、今回は草津市立図書館主催で入場無料の一般公開です。場所、時間などは次のとおりですが、あらかじめお申し込みが必要のようです。
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      ♪南草津図書館開館4周年記念・のふれあい講座♪
        「ギターと歌で綴る金子みすゞこころの世界」

      ●日   時   7月22日(土)午後1時30分〜3時
      ●と こ ろ   市民交流プラザ大会議室(フェリエ南草津5F)
                JR南草津駅前の便利なところで、西友の向いです。
      ●参 加 料   無 料
      ●定   員   100名(定員になり次第締め切り)
      ●お申し込み  7月5日(水)10時以降 南草津図書館(077-567-0373)
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●(141) 2006年6月26日
「続多忙・・・新開店後2週間」
 まだまだ忙しい毎日が続きます。家にも店にもまだ整理しなくてはいけないダンボールが山積みですが、毎日のんびりひとつずつ片付けていっています。基本的には夫婦二人だけでやっていますので、昔の気楽な頃に比べて3倍くらい働いているような気がします。
 新しい店の評価は非常によく、少々お世辞の言葉としてもこの場所で良かったと思っています。以前の店からみると賑やかなところへでてきしたので、みなさん飲みに出たついでに一人ででも気楽に立ち寄って下さいます。店からの帰り道も、ビルの中からまっすぐ新橋通の石畳に続いていますのでよい雰囲気です。
 今回はできるだけお祝いのお花などのお気遣いをいただかないようにと、開店日を決めずにそっとオープンしましたが、それでもたくさんのお花などのお気遣いをいただいて恐縮です。

 またまたHPの更新が遅れてしまいました。いつものように日曜日の夜に書く予定でしたが、このあいだはお昼に小学校の同窓会。年に何回も開催されるのですが、今回は還暦祝いの同窓会。話はいつも、親の介護、定年、年金、病気。その夜はひさしぶりに先斗町へ、そのあと2軒ハシゴして深夜に帰宅。一応パソコンの前には座っていたのですが、そのまま高イビキで寝室へ連れ戻される。月曜夜もたまたま知り合いの店で朝まで飲んで更新できず。
 ということで現在火曜日の昼過ぎ、やっと更新。m( _ _ )m

●(140) 2006年6月19日
「忙中閑なし」
 ご挨拶などでは「ご多忙のところ・・・」とかは使わないほうがいいという人がありました。「忙」の字が亡くなるとか亡びるとかいう意味があるので、あまりよくないということでしたがどうなのでしょう。
 忙しい時には忙しいことが重なります。以前にも書きましたが、再開店前の毎日は時間的にも体力的にも精一杯でしたが、開店してからもまだまだずっと、備品、雑品の買物と整理、店の中の下駄箱や器具の設置、簡単な電気配線やスイッチの取り付け、音響の調整、楽譜の整理・・・・などと、いくら時間があっても足りません。以前の店の頃には日課のランニングも4、5日はしていたのですが、このところは2、3日走るのが精一杯です。
 そんな忙しい時に、またちょうど山椒の季節です。妻が年中、ちりめん山椒をつくっていますので、今この時期に一年分の山椒の実をとってアク抜きをして冷凍しておかなければなりません。以前は店のバイトさんたち全員で、何キロもの実ほぐしをしてもらっていたのですが、今年は人手不足ですので、私も手伝わないわけにはいけませんが、これがまったくの単純作業で疲れます。また山椒の旬の時期は結構短く、うかうかしていると、あっという間に市場の店頭から姿を消してしまいますので、今のあいだに頑張って作っておかねばなりません。
 また自家製梅ジュースも店で好評なのですが、これも今が梅の旬ですので、一年分を仕込んでおかねばなりません。トータルで10キロもの梅を洗って乾かして氷砂糖で漬けています。といっても私がしているわけではないのですが・・・・。またまた、いま旬の紫蘇もジュースにすると美味しいし、新生姜もスライスして酢みそに漬けると酒のつまみ、ご飯のおかずに最適ですし、茗荷を味噌や酢漬けにするのも良いし、この時期、時間があればつくってもらいたいものがいっぱいあるのですが、みんな一斉に旬で困ります。

●(139) 2006年6月12日
「縄手通新橋」
 また今週も「気まぐれ日記」の更新が遅れてしまいました。だいたいこのページは日曜日の深夜に書いていることが多いのですが、このところ新しい店の案内状の印刷、名刺作りでパソコンが占拠されています。古いワードのソフトを使って店の地図も描いてみましたがもうひとつです。それにしても我が家のオンボロパソコン、プリンターはよく働いてくれて助かります。
 ところで新しい店は縄手通り新橋なのですが、縄手通りは大和大路ともいいます。一般的には四条より下(南)は大和大路、四条より上(北)を縄手といっています。でも四条より上の縄手の白川に架かる橋は大和橋といっているように、昔はすべて大和大路通りであったようです。現在も郵便局の正式な住所としては、あのあたり一帯は大和大路西入る、東入るで表記されていて、有名な花見小路通りなども大和大路東何丁目何町というふうに表記されています。多分その昔、大和大路通リは鴨川向うにあって京都の最も東にあった大通りだったのでしょう。大和大路は大和(奈良の都)へ続く道で、京から祇園(八坂神社)西大門前、建仁寺前、方広寺大佛前を通って、本町通り経由で大和へと続く道であったことからこう呼ばれているということらしいです。大和大路通リには今でも歴史ある古くいお店がたくさんあります。

●(138) 2006年6月5日
「とりあえずオープン」
 新しい923はまだどなたにもご案内をださないまま、5月末より店を開けています。毎年5月末から2、3週間のあいだ、全国から京都へ仕事で来られるご住職グループがあります。その方々の強いご希望がありましたので大急ぎで店の準備をしていたようなわけです。開店までには大工さん、絨毯屋さん、水道屋さんの工事、保険所、郵便局などの手続き、荷物の運び込みなど、体力も使っての猛烈な忙しさで疲労困ぱいでした。
 そのご住職グループの方は連日来られていて、昨日の日曜日も特別営業をしていました。まだ店の中も、使い勝手が悪かったり、物の置き場所が分からなかったりですので、今は段取りを覚えたり、慣れるための稽古中です。ギターの演奏もできるようにと、やっと電気の接続ができたところですが、これからもまだまだ準備には時間がかかりそうです。それでもその間に電話やメールで開店を知った知人などが訪ねて来られたりもしますので、一応それなりに営業をしております。今週末ごろには開店のご案内状を作って出したいものですが、どうなりますやら。

 先週は親しい日本画の先生が詩仙堂のふすま絵八面を完成。一般公開を見に行きました。また今週は日本画家の先生達二十名ほどが「NEXT展」というグループ展を高島屋で開催。なかなかの力作ばかりで、見ごたえがありました。

●(137) 2006年5月29日
「923再開へ」
 「気まぐれ日記」の更新が初めてこんなに遅れました。136回まで毎週書き続けてきたのに、今週の更新がないのでひよっと病気で寝ているとか死んだのではと思っておられるかもしれません。
 「923最終章」ということで大々的に閉店して2ヶ月あまりが経ちます。再開希望の嬉しいお便りなんかもいただいていたのですが、たまたま音楽主体にやっておられた店の空きがあり、急遽再開に向けて進んでしまいました。まだどなたにもご案内はしておりませんが、近日ひっそりとオープンの予定です。ご案内状の準備も全く出来ておりませんので、このことはHPをご覧の方しかご存知ありません。
 場所は縄手通り(大和大路通り)新橋西側のスペース新橋ビル2Fです。辰巳神社から新橋通りを西へ突き当たったところで、1F入り口ににはワイン専門の酒屋さんがありますのですぐ見つかると思います。今回は10名以上入れるボックス席もありますが、通常はカウンター主体で営業をする予定です。以前よりは小さい店ですのでグループでお越しになる時には、あらかじめお電話をいだければありがたいです。電話番号は以前のままで(075)525-0923です。
 そんなことで店の準備で連日寝る間も惜しんで14時間も働いて疲れきっている上に、明日はロータリークラブの講師として「金子みすゞ」の歌と話をすることになっています。それにも時間をとられていますので、今回のHP更新の2日遅れはお許し下さい。

●(136) 2006年5月22日
「相撲」
 大相撲夏場所も朝青龍の欠場もありましたが連日の大熱戦で盛り上がり、千秋楽の優勝決定戦で白鵬の優勝ということで幕を閉じました。
 関西人は3月の大阪場所が一番親しみを覚えます。店にも3月の場所が終った頃にはお相撲さんを連れて来られことがあります。先場所後に来ていただいたお相撲さん達は気になりますので、今場所はどうかと新聞を見て勝敗を確認しています。まだ幕下の力士と三段目の力士ですので成績確認も大変ですが、幕下の力士は5勝2敗の成績ですので、来場所あたりには十両に上がれるのではないかと期待しています。
 もう十年以上も前の事ですが、若手経営者グループが3月の大阪場所中に前頭の14枚目くらいの関取をお連れになったことがあります。そのグループの中の一人は学生時代に相撲部で腕の力には自信があると、関取と腕相撲をすることになりました。みんなが見守る中、両者なかなかゆずらないまま決着がつかず、結局時間切れ引き分けということになりました。翌日は楽しみにテレビを見たのですがその関取は腕に白いサポーターをしているではないですか。その日の取り組みは腕が痛いのか、力を出しきれず負けてしまい、それ日以降も調子がでずに結局負け越して十両へ転落。翌場所も負け越して、その場所で引退ということになってしまいました。腕相撲で勝ったお客さんのほうは自分が強すぎたせいで悪かったと、自慢げに言っているのですが、周りは関取が気を使ってくれて加減をしたのが原因で腕をいためてしまったと思っているのですが。

●(135) 2006年5月15日
 「合唱のコンサート」
 先週は合唱界では全国的にも著名な三つの合唱団のジョイントコンサートがあり、久々にコンサートホールに行ってきました。最初のステージは名古屋からの男声合唱団「クール・ジョワイエ」。全日本合唱コンクールで何年も金賞を受賞した名門。次のステージは女性合唱団として数々の賞を受賞している大阪の「Mai」と、高い実力を誇る京都の「プリムローズ」合同の「Mai&プリムローズ」。最後は「アンサンブル・アカデミー・京都」。「アンサンブル・・・」の指揮者は私と同じ歳で、私が大学で合唱していた時代に同志社グリーの指揮者として活躍され、卒業後も「京都アカデミー合唱団」を創立して全日本合唱コンクールで金賞受賞常連の合唱団に育てた実力者です。923のお客さんでもあり、また飲み仲間でもありますが、このコンサートの仕掛け人です。当日はかなりの雨降りにもかかわらず大ホール満員のお客様で、私も大学の先生、クラブの知人、店のお客様など、いろんな方にお会いしましたが、久し振りに素敵な合唱のコンサートで楽しめました。このところは私も無職でフリーターの身分、睡眠も充分足りているので、居眠りもしないで最後まで真面目に鑑賞できました。
 私の大学時代はコンサートホールの場所はまだ私の大学の敷地内で、今はこの辺り随分変わりましたが、たまに歩くと非常に懐かしい思いがします。来年はその大学の合唱団の50回記念の定期演奏会とかで、10年ぶりにOB合同でこの大ホールでするらしい。

 今週は、”金子みすゞ”さんの詩のイメージを篆刻(てんこく)で表現されている方の個展で草津へ行ったり、また知人の書道の展覧会に行ったりと、仕事はなくても、あっという間に一週間が過ぎてしまいます。

 先日の5月9日には長岡天神のキリシマツツジを見に行ってきました。今年の満開は2日とかで約一週間が過ぎてそろそろ終わりという頃でしたが、まだまだきれいでした。

         
                     長岡天神のキリシマツツジ

●(134) 2006年5月8日
「誕生」
 歌を好きになる場合に、歌詞派とメロディー派があります。私の場合はどちらかというとメロデイー派で、歌詞は二の次という印象がありました。ところが歳のせいもあるのでしょうが、最近は歌詞に強く影響を受けたり共鳴したりもします。私の店に来られるお寺さんがよく歌っておられた中島みゆきの「誕生」という曲があります。かなり昔の曲でメロデイーも単調、詩も少々長過ぎるという印象があるのですが、じっくり詩を読んでみると、人生のなかで同じ世代を一緒に生きてきた者としての共感を呼び、こころに響きます。簡単な曲なのですが、今後、デュエットにでも編曲して一生歌える曲になればと思っています。歳とともに歌を感じる心も変わります。
 「誕生」の歌詞から適当に抜粋して書いてみます。

     「誕 生」        中島みゆき
  ひとりでも私は生きられるけど でもだれかとならば人生ははるかに違う
  強気で強気で生きてる人ほど 些細な寂しさでつまづくものよ
  めぐり来る季節をかぞえながら めぐり逢う命をかぞえながら
  畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
  泣きながら生まれる子供のように もいちど生きるため泣いて来たのね
  Remember 生まれた時  誰でも言われた筈
  耳をすまして思い出して 最初に聞いたWelcome

  ふりかえるひまもなく時は流れて 帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
  すがりたいだれかを失うたびに だれかを守りたい私になるの
  わかれゆく季節をかぞえながら わかれゆく命をかぞえながら
  祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
  忘れない言葉はだれでもひとつ たとえサヨナラでも愛してる意味
  Remember けれどもしも思い出せないなら
  私いつでもあなたに言う 生まれてくれてWelcome
  Remember 生まれたこと
  Remember 出逢ったこと
  Remember 一緒に生きてたこと 
  そして覚えていること

●(133) 2006年5月1日
「スタバ」
 923閉店後3週間が経ち、もっと時間的には余裕が出来てもいいのでしょうが、毎日あっという間に時間が過ぎてゆきます。今日も夕食後、妻の自転車同行でランニング。一杯飲んで、そのあと自分の部屋にこもって頼まれごとの録音。時計を見るともう夜中の1時半。編集はまた明日でいいか。「気まぐれ日記」も書かなければいけないし、と現在深夜。

 もともと私はコーヒーを飲むとむかついたり、胃腸の具合が悪くなるような体質なので、一人で喫茶店へ行くことはほとんどありません。たまに、人の付き合いで行っても、夏はコーラかトマトジュース、冬はココアか紅茶でした。でも最近は少々体調も良くなって、少しくらいならコーヒーも飲む事ができます。たまに喫茶店で格好をつけてコーヒーなど注文するのですが、残念ながら美味しいと思うことはありません。妻もコーヒーを飲まないので入れ方は自己流なのですが、通の人が納得するくらいうまいらしい。私は良い豆と我が家の良い水のお蔭だと思っているのですが・・・。
 先日は、たまたまどこかに座って書類を整理したいということで、はじめてスターバックスに入りました。若者流には略して「スタバ」と言うらしい。初心者の私は要領が分からず、とりあえず何か注文をしなければとカウンターの上に書いてあるメニューを見ましたが、たくさんあって何を注文していいのかわからない。本日のコーヒーとかいうのがあったのでそれを注文。カップをもらって席に向かったのはいいのですが、砂糖、ミルクが席には置いてなくてどこにあるのか分からない。コーヒーが飲めるといっても砂糖とミルクをたっぷり入れないとダメな初心者です。スタッフに尋ねようにも忙しそうでなかなかきけなく、自分でウロウロ捜すと、カウンターを曲ったところに置いてあるのを発見。やっと席について用事をしながら、蓋をとって飲んでいたのですが、周りを見るとみるとみんな蓋を開けていない。蓋に開けられた穴から飲むらしく、慌てて蓋を閉めて周りに合わせる。たくさん入っているので、やっと1/3ほど口をつけて用事が済んだところで、中味を捨てて出る。昔の喫茶店と違ってどうも落ち着かない。


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