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お知らせ★
建仁寺・禅居庵の夜桜コンサートの日が
3月31日に変わりました。
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●(177) 2007年3月5日
「もはや3月」
今年も早いもので、もう3月になってしまいました。特に2月は日数が少ないので突然に終ってしまう気がします。
うるう年以外2月は28日しかなく、7で割り切れるので2月と3月は同じ曜日になります。また11月も同じ曜日です。小学校の頃そんな暦の原理から、手の指を使って何月何日が何曜日だということがすぐ分かる方法を覚えました。去年の日でも来年の日でも指定された日の曜日を言い当てることができます。覚えると簡単なのですが、紙面での説明は長くなりますのでまたそのうちに書いてみたいと思います。
ところで来年はアメリカ大統領選挙の年、夏季オリンピックの年ということで4年に一度のうるう年です。うるう年を4年毎にしていても地球の一年の公転では少しづつ端数がでるらしい。その微調整で100年毎に一度、うるう年にしないということらしい。ということで本来、西暦2000年は100で割り切れるのでうるう年ではないはずなのでしょうけれど、これがまた400年毎にそれを施行しないということになっていて、2000年は400で割り切れる年で通常どおりのうるう年であったらしい。
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先週は開店以来より来られているお客様の褒章受賞の祝賀会にお招きいただきました。列席者500名位の立派なパーティーでした。舞妓さん芸妓さんコンパニオンの女性などだけでも7〜80名位来られていたのではないでしょうか。オープニングは祇園町の芸妓さんお二人による祝舞「鶴亀」、宴が始まってからの音楽は北野ただおとアロージャズオーケストラメンバーに古谷充という豪華なプレイヤーによる演奏。今回の私のテーブルはお茶屋さんの女将、料理屋のご主人、バーのママ、そして私のような飲み屋のオヤジたちで気楽な雰囲気。久々の懐かしいメンバーにたくさんお会いできた楽しい会でした。
●(176) 2007年2月26日
「トイレあれこれ」
最近はどこのトイレも綺麗で私たちの子供の頃と比べると格段の違いがあります。デパートでトイレに入ってもウオッシュレットが設備されていて驚きます。また、最近の調査ではトイレの小用時に3割以上の男性が座ってするのだそうですが、これも信じられないことです。
先日、小倉百人一首殿堂「時雨殿」へ行った時のこと。さすが任天堂がつくった殿堂で、展示物はハイテク機器を駆使しています。帰りがけに家内がトイレに行くと、トイレも最新式のようでドアを開けると照明が点き、個室に入ると便座の蓋が自動的に開いたということで驚いていました。外へ出てからそんな話を聞いて、早く聞いていれば私も入ってみたのにと残念な思いでした。店でその話をしていますとそんな便座の機能は当たり前だとのことで、その方の自宅も便座の蓋は自動的に開くということでした。ただトイレの照明はいちいち自分でしなくてはいけないようで、機能の優先順序が逆だろうということで大笑い。そういえば我が家のトイレも十年以上前から、入ると自動的に.照明が点灯、出ると消えるようにはなっていますが、ノブを回すことによってスイッチが入るだけでいたってアナログです。
そんな新しいトイレがある中で、まだまだひどいトイレもあります。昨年、ライブへ行ったときのことですが、ライブの前に食事をいただいて、控え室近くの和式トイレへ入ったのですが、その大用の個室のドアがどうしてもきちんと閉まらない。当然カギはかけられないし手を放すと大きく開いてしまいます。その男性用トイレには個室は一ヶ所しかなくそこを使うしかない。しょうがないので左手でノブを持ちながら使用したのですが、そこでまたまた不幸が。今度は右手でトイレットペーパを引っぱると芯ごと台から外れて下へ落ちて床へゴロゴロ。しばらく思案をしてみましたが元の台へ戻すにはどうしても両手が必要で、もう腹をくくって開き直りました。左手を放してドアが開いたままの状態でペーパーを取り付けることに。そのあいだ誰も入って来られなかったのと、トイレ自体はきれいに掃除されていたのが不幸中の幸いですが、かなり悲惨な状況であったことは確かです。
●(175) 2007年2月19日
「積翠園」
昨年11月頃に店で家内が自分のスカートを踏んで転びました。次の日もあまり痛いのでと病院に行くと、やはり足の指にヒビが入っているとのこと。以前にも歩いていて段差で足をぐねっただけで骨折ということがありましたが、私も含めて歳をとると何が起こるかわかりませんので気をつけなければいけません。
ということで病院へ行くことになったのですが、病院では指を動かさないようにと簡単なギブスをしただけで、あとは自然に回復するのを待つだけです。病院は東山通りの馬町を下がったところの東山武田病院で送迎は私の担当です。診察が終るまで時間をつぶして待っているわけなのですが、この病院には大きな回遊式庭園があって驚きました。積翠園(しゃくすいえん)という名前のついた立派な庭園で説明書きによると、平清盛の長男、重盛の山荘庭園といわれているもので、江戸時代に改修されたとはいえ数少ない平安時代末期の庭園で貴重な文化的遺産ということです。もともとこの辺り一帯は隣接する妙法院の所管だったようです。妙法院は蓮華王院(三十三間堂)、方広寺(大仏)、新日吉神社などを管理下に置く東山随一の巨刹として栄えていたようで、三十三間堂は現在も妙法院所管の仏堂です。またこの病院では屋上も患者さんに開放されていて市内が一望できます。遠くには左大文字、船形、妙法なども見え、隣りの妙法院も上からの伽藍が眺められたり、清水寺の五重の塔なども見えます。
病院ですから用もなく立ち入ることはご迷惑になりますが、またお見舞いにでも行かれた時の参考に。
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冬場の積翠園 病院屋上から妙法院 市内西方面
●(174) 2007年2月12日
「京都の川」
前回の桂川の呼び方の疑問について調べてみることにしました。
調査の結果、桂川は京都市の左京区と南丹市美山町の境の佐々里峠あたりが源流らしい。ここが分水嶺で一方は由良川になって日本海へそそぎ、この桂川は最終的に淀川となって瀬戸内海へと流れてゆきます。佐々里峠のある左京区を源流として、そのあと右京区→南丹市の日吉町→園部町→八木町→亀岡市→京都市へと流れてくるようです。嵐山で京都盆地に出てから南進、松尾からその名前のとおり桂を通って伏見で鴨川と合流、大阪府との境、天王山の下流あたりで木津川、宇治川と合流して淀川となります。
その呼び方ですが右京区の京北町流域では上桂川、園部に入ると桂川、亀岡市に入ると大堰川、亀岡市中域から嵐山辺りまで保津川、嵐山公園辺りは大堰川、嵐山を出ると桂川ということらしい。こんなに何度も名前を変える川も珍しいようです。
ところで京都盆地は北が高く南が低いということは常識で、当然、川も北から南へ向って流れています。住所でも北へは上がる、南へは下がると表記しています。ところで哲学の道にある川なのですが、ほとんどの方がイメージ的に銀閣寺から南禅寺のほうに向って流れていると考えているのではないかと思います。それがまったく逆で、南から北へと流れている川だということをご存知でしょうか。この川は銀閣寺の通りまで北上すると西に曲りますが、白川通りを越えるとまた右折してどんどん北上してゆきます。もともとこの川は疎水の分線で、このあたりの田畑のかんがい用水としての役割もあったようで、高野川を横断して松ヶ崎まで北上してゆきます。松ヶ崎辺りの標高が琵琶湖の水位と同じくらいでここより北へは流れていけないらしいので、ここで西南方向へとカーブします。洛北高校の北側から下鴨の住宅街を通って北大路通りを斜めに横切ります。そのあと、あの賀茂川の下を潜って紫明通りへと入って、最終的には堀川まで行っていたようです。そういえば京都市街の道は碁盤の目のように東西、南北の道路がほとんどであるのに、紫明通りだけは珍しくなだらかにカーブした通りです。
川もいろいろ調べてみるといろんな発見がありますが、今回もあまりおもしろくない話題で叱られそうです。
●(173) 2007年2月5日
「ホテル嵐亭」
先週は嵐山のホテル嵐亭でロータリークラブの講師として「金子みすゞ」のライブをしました。ほとんどのロータリークラブの例会はお昼で、PAの準備を考えると私は9時には起床ですので、前日はお酒も控え気味(?)にして早めに帰宅。以前からロータリーの夜の宴会には数えきれないくらい行っていて、当方としてはどちらも音楽をしているしているだけなのですが、お昼の例会講師とし行く時は多少気を遣います。例会の講師としては以前にもロータリソングを作曲した時や、.「金子みすゞ」のライブなどでも行っていますが、講師は恒例として例会開始の時点から席に着いてご紹介を受けて、皆さんと一緒に食事をすることになっています。例会は全体で1時間、そのうち事務報告とお食事で30分、後半の30分を時間厳守で講演ということになります。私たち演奏者は通常ライブ前には食事をしませんし、演奏前には声慣らしをしたり調弦したり、弾きにくいところや間違いやすいところの確認をしたり、段取りを考えたりしているものです。ということで、この日も儀礼的に早々に食事を済まして控え室へ行って、そこで歯磨きと化粧(?)と進行の打ち合わせ。控え室も支配人の配慮で延命閣の貴賓室という素晴らしい部屋をとって頂いて大満足でした。通常の講師の方々も講演前には、講演内容の確認などがあるので、食事の時間は準備に使いたいと思っておられるでしょうね・・・・。
例会で無事お役目終了後に嵐亭の前に出てみると、渡月橋と小倉山を望む川畔で天候もよく最高の景色。そういえば私の子供の頃は、ちょうどこの場所が桂川の遊泳場で、夏休みには度々来ていた場所ですから非常に懐かしいところです。桂から電車に乗って来て、泳いで屋台のたこ焼きを食べて帰るのが楽しみでした。当日はあまりの好天に渡月橋バックで写真を撮ろうとしたのですが、お正月に橋の上から車が転落して欄干が破損中で景色がよくないので取りやめ。嵐亭の横に昨年できた小倉百人一首殿堂「時雨殿」を訪問。
子供の頃には、この前も桂川と言っていたのですが、地図で見ると渡月橋より上は大堰川のようです。どこが保津川でどこから大堰川で桂川になるのでしょうか?
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ホテル嵐亭入り口
この週は1月28日(日)に年に何回もある小学校の同窓会があり洛西の農園ですき焼き宴会、31日(水)にはこの嵐亭での仕事、そして2月3日(土)は12月にコンサートホールで行なう大学合唱団OB会での練習、2月4日は一日遅れの節分祭と、夜の仕事以外にも用事が多くバタバタして疲れました。
●(172) 2007年1月30日
「小銭入れ」
3%の消費税が施工されてからもう18年目になるらしい。あれ以来1円硬貨を貰うことが多くなりましたが、このところは小売店なども値引き合戦で1円単位の価格設定も多いので、どうしても小銭入れが必要になります。
去年スーパーのトイレに永年使い慣れていたレノマの小銭入れを忘れてしまいました。そう高級なものではなかったのですが、使い慣れていたものだったのでなくなると非常に不便で、とりあえず家にあった手ざわりのよい革製の小銭入れを使ってみましたが、コインの分別ができなくて失格。他のものも使ってみたのですが、入れるところがせいぜい2ポケットで使い勝手がわるい。日本で使う小銭入れは1円と5円、10円と50円、100円と500円と3種類に分けられて、ホックボタンですばやく開け閉めができるものでなければ、と思っているのですがどうでしょう。2ポケットですと、完全に分類ができませんので、その後も財布売り場などで3層になった小銭入れを探すのですが、それが意外とないものです。たまに3層のものを見つけても留めがファスナーであったり、1箇所にはふたがなくお札やレシート入れになっているものでした。また1万円もする高級なものもあったのですが、たかだか小銭入れ用に買うにはちょっと躊躇してしてしまいます。でも先日、とうとう適当な価格の3ポケットのものを発見しました。これでコンビニやスーパーで、何百何十何円といわれてもスムースにすばやく支払いができそうです。メーカーはどうしてもっと3層の小銭入れを作らないのかと思っているのですが、そんな事を思うのは私だけでしょうか。そういえば昔の二つ折の札入れにはコインを入れる場所が付いていましたが、最近は見かけなくなりましたね。
●(171) 2007年1月23日
「続 千の風になって」
昨年度のカラオケの人気ランキングでは、1位[青春アミーゴ」(修二と彰)、2位「桜」(コブクロ)、3位「粉雪」(レミオロメン)・・・ということだったようですが、私はどれも完璧には歌えないでしょう。
先週は名古屋へカラオケ大会のテープ審査に行ってきました。6月1日に御園座で本選が行なわれるカラオケの全国大会のテープ予選です。毎回千人以上の申込みの中から約40名だけが本選に出ることができます。皆さん本選めざして一生懸命に歌われているテープですので、審査する方も5名以上で真面目に丁寧に判定して、落選者には講評を書き添えて送付します。歌われている曲は大部分が演歌系で、実は私もほとんど知らない歌ばかりです。毎年たくさんの曲がリリースされていますがヒットするのは僅かです。曲を作る側も当然ヒットを狙って作るのですが、最近は音楽配信の変化もあって大ヒット曲が少なくなりました。
そんな中、先日このページで書きました秋川雅史の「千の風になって」が、紅白で歌われてからすごいブームになっているようです。去年の12月初めごろにはオリコンの80位くらいだったのが、紅白出場すると決ってからどんどんオリコン順位を上げて、年明けには4位、そして先週はとうとう1位になりました。有名歌手でもなく、ポップス系でもなく、このような曲がベストテンにランクインすることは非常に珍しいことです。またこの曲は沖縄生まれの盲目のテノール歌手、新垣勉も2年以上前からCDを発売していたようですが、それが相乗効果で20日付のYahoo!の音楽配信ランキングで総合3位になったようです。この歌の詩とメロディーが多くの人の心をとらたのでしょうが、もうすっかり追悼の歌としても定番になっているようで、1月17日の阪神大震災の追悼の会でもトランペットがこの曲を奏でていました。
私個人としては歌手の秋川雅史さんの歌は絶唱タイプで、自分の声の良さばかりを強調しすぎているようで少々疲れます。もう少しソフトに歌ってもいいのではないかと思うのですが・・・。
●(170) 2007年1月16日
「イノシシ年の守り神」
今年の初詣は2日に建仁寺塔中・禅居庵にある摩利支尊天堂にお参りしました。大和大路(縄手)通り八坂通の角、ちょうど先週十日ゑびすで賑わった恵美須神社の斜め前にあります。この摩利支尊天はつねにイノシシに乗って現れるということで、ここの狛犬は犬ではなくて狛イノシシで、境内のいたるところにイノシシが祀られています。今年は12年に一度の亥年ということで、先週も特別にご本尊の開帳が行なわれました。開運、勝利にご利益があるとのことですから亥歳生まれの人はもちろんのこと、今年の幸運を祈ってお参りされてはいかがでしょう。
帰りに建仁寺にも入ってみました。建仁寺は栄西禅師の開いた京都最古の禅宗寺院で、臨済宗建仁寺派の大本山です。私も永年、祇園で仕事をしているので毎日のように建仁寺や禅居庵の横を通っているのですが、なかなか行く機会は少ないものです。実は境内へ入ったのは初めてのことです。
今年の4月7日(土)、桜の咲く頃、この建仁寺の禅居庵で夜桜コンサートをさせて頂きます。
禅居庵で写真を撮ってみたのですが、カメラのせいか被写体のせいか(?)あまり写りが良くありませんでした。妻からはこんな写真を載せないで!と言われているのですが、今年は妻の亥年ですので狛イノシシとの写真を少し小さめに。私の写真はもっと悲惨でしたので削除。
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禅居庵の狛イノシシ 建仁寺境内
●(169) 2007年1月9日
「年末年始」
年末は29日まで営業。30日も店の後片付けをしてからお正月の準備。妻は掃除とおおせちづくり。私は少なくなったとはいえ、約700枚もある年賀状作りにかかりっきりです。親戚などへの個人的な年賀状は何とか大晦日には投函しますが、店の年賀状は年が明けてからになります。大晦日の夜は片付かないまま正月用の飾り付けをして、とりあえず家族で宴会をしながら紅白歌合戦を見るというのが恒例です。ということなので私の年賀状は元旦には届きません。すみません。元旦から店の年賀状作りですので、店の分の届くのはもっと遅くなってしまいます。まことにすみません。ずーっと失礼ばかりしているような方にでも、この50円のハガキで一年間の非礼を許していただけないかと厚かましく思っています。もう何十年も会っていない友人とも、毎年のこの年賀状一枚で多少なりともコミュニケーションができているような気もします。
ところで毎年この時期に、住所録の訂正と確認をするわけですが、このところの喪中連絡ハガキの多いのには驚きます。11月末から連日届きますので、その分の除外確認や整理だけでも大変な作業です。ちょうどそんな年頃なのかもしれませんが、私たちと同世代の方の親御さんが亡くなられてのご連絡をたくさんいただきます。
その上、このところは店に来られているような若い方々が突然亡くなられることも多くて驚かされます。70代、60代、50代など、特に我々と同世代よりも若い方が亡くなられるのは何とも心が痛みます。今年も年が明けてまだ一週間というのに親しい方々が亡くなられて4人もの方のお葬式がありました。昨日も音楽界のために貢献された方が突然の事故で亡くなられてのお葬式でした。お葬式には著名なジャズミュージシャンたちが演奏してお見送り。出棺は故人が創設されたフルバンドのジャズオーケストラの演奏に合わせて、弔問客全員で手拍子でお送りして下さいとのことでしたが、賑やかな演奏の中にも故人を思い出してみなさん思わず涙でした。
その夜、知人と飲み会に行くと前回の日記で書いていました「千の風になって」のカラオケを発見。歌ってみるといろんな方々の思いが巡って複雑な気持ちでしたが、亡くなられた方々も光になり、雪になり、鳥になり、星になって、この広い世界の中で「千の風」のように、いつも大空を吹きわたっているのだと考えて気持ちを楽にしたいと思っています。
●(168) 2007年1月2日
「千の風になって」
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくおつき合い下さい。
店は12月30日からは正月休み、といっても翌日も後片付けと掃除。それから家の片付けと、お正月の用意ですから、昔のように終ってすぐスキーというわけにはいきません。大晦日、元旦も遅ればせながらの大量の賀状作りで長時間パソコンと向き合っています。それでも年末の紅白歌合戦が始まる頃には毎年、家族集まっての宴会、そして紅白の終る頃には年越しのそばを食べるのが恒例です。その昨年の紅白で「千の風になって」という曲を木村拓也が朗読して秋川雅史というテノール歌手が歌いましたが歌手も曲もあまり馴染みがないのではと思います。
昨年の11月に、たまたま本屋でCDブック「千の風になって」というCD付きの本が目にとまって買いました。その本によると、もともといつだれが書いたか分からないが、「a thousand winds」(千の風)という12行の英語詩があったらしい。映画監督ハワード・ホークスの葬儀でジョン・ウエインが朗読したり、マリリ・モンローの25回忌や、2001年ニューヨークでの同時多発テロの追悼集会でもこの詩が朗読されているらしい。たまたま知人の死をきっかけにこの英語詩にであった新井満という作家が自分流に日本語に訳し、それに曲を付けられたようです。新井満は私と同じ歳で、その昔に電通の社員の立場でCMソングを作って歌っていた記憶があります。そのCDブックは作者の新井満が歌っていて、彼自身それほど歌が上手いとは思わないのですが、聴いているとシンプルできれいなメロディーにだんだんはまってきて、最近はついつい口づさんでしまうほどです。今ではいろんな方がこの曲を歌っておられるようですが、シンプルで唱歌のような曲ですのでかえってむずかしいです。気がつくと[自作曲」(No.163)のところで書いていましたシャンソン歌手のCDにも収録されていました。
秋川雅史の歌うこの曲は昨年5月に発売されてからジワジワとヒットして、この十数週オリコンに登場しています。まだカラオケには入っていないようですがもう時間の問題でしょう。歌詞をご紹介します。
「千の風になって」
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの 大きな空を 吹きわたっています
あの 大きな空を 吹きわたっています
●(167) 2006年12月25日
「本年のライブ終了」
先週は大変多忙な一週間でした。年末で店自体も忙しいのですが、水曜日にはホテルで会社の150名規模のパーティーでの演奏と店での二次会。土曜日には700名規模のパーティーと二次会。閉店後にPA機材をとりにホテルへ行って深夜2時過ぎに帰宅。そして日曜日は午後から滋賀県でライブがあるので朝9時起きで10時出発。草津市の芦浦会館で「人権問題を考える会」での「金子みすゞ」ライブでの演奏。ホテルのパーティーは少々体調不良でも何とかなるのですが、「金子みすゞ」のライブは皆さん静かに真剣に聴いて下さるので気を遣います。この日も夫婦とも少々風邪気味でしたが何とか大過なく終了。この日で今年の店以外での演奏活動は終了しましたのでほっと一息です。ライブの帰りに近くの琵琶湖博物館に立ち寄りました。600円の入場料で水族館だけ見て帰りましたが、充分に満足できました。
家へ帰ってからは母を連れて街のイルミネーション見物。京都ホテルオークラ前と市役所近辺も毎年のことながらなかなかきれいです。次にうわさに聞いていた平安女学院の室町通側へ。ここも派手に飾ってありますがいろんな色が使われているので、ちょっとゴチャゴチャしすぎかな。
メインはやはり西大路五条のロームの豪華な光の世界へ。毎年11月下旬からクリスマスまでの約一ヶ月間、16時45分から22時30分までの点灯で、今年も80本の木に57万個もの電球を付けているらしい。この日もあまりの見物客の多さに車が大渋滞でしたが、色を統一した電飾の美しさは素晴らしいものがあります。写真に撮ってみましたが、現場で見る華やかさはこの写真では伝えられません。
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ロームのイルミネーション
●(166) 2006年12月18日
「都ホテル 探鳥路」
12月は日曜日に前日のホテルの宴会のPA機材をとりに行くことが多いのですが、先週の日曜日も機材を取りにウエスティン都ホテルへ行きました。こんな機会にホテルへ行ったついでに裏山にある探鳥路を歩いてみることにしました。以前(No.60:2006年12/6)にも一度書いたことがあるのですが、都ホテルの裏山にはよく都ホテルを利用されている方でもあまりご存じない隠れた遊歩道スポットがあります。ホテルの裏山には可楽庵という茶室や、佳水園といった和風の別館、婚礼用のチャペルなどがあります。その佳水園の横に探鳥路の入り口があって少し踏み入るだけで、とてもホテルの中とは思えないような山の中へ入ったような気がするところです。1990年から京大の理学部の協力でつくられたという野鳥の楽園で、植物名などにも名札をつけてあって、道や階段も充分に整備されています。
5分ほど登ったところに御百稲荷神社があり市内北西部の展望が開けます。そこからもう少し登ったところにも
都だいらという展望のよい場所があり、比叡山方面がよく見えます。普通に歩くだけなら30分もあれば戻ってこれるのですが、ゆったりと1時間くらいの余裕をもって楽しみながら歩かれるとよいでしょう。
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御百稲荷神社から 都だいら展望台から
●(165) 2006年12月11日
「還暦を迎える」
先週の6日に誕生日がきまして60歳になってしまいました。自分としては60の大台にのったという実感はまったくありませんが、若い者から見ると60代の年寄りであるということは確かです。妻からは赤いチャンチャンコならぬ、赤いネクタイを、親戚の甥姪からはマフラーなどをもらって、無理やり還暦を感じさせられるようです。
先月末には小学校の同窓会がありました。年に3、4回もあるのにいつも15名ほどが集まり、今回は還暦を祝う会とかいうことで18名の参加。メンバーは大学教授、小学校の先生、パイロット、個人タクシーのドライバー、農家のご隠居、フォーク歌手、会社員、そして私のような飲み屋のオヤジ、などなどです。来年の早生まれの者を除いてほとんどが今年中に還暦を迎えます。会社勤めの者は誕生日とともに次々に定年退職です。といってもすぐに仕事を止めてしまうわけでなく、そのまま再雇用で会社には残る者、新たな仕事を始める者などいろいろです。航空会社の機長も先日の同窓会の日が誕生日で定年、その前日にパリからラストフライトだったらしいのですが、また再び雇用契約してまだまだ続けるらしい。私も先週末はホテルで800名の大宴会での演奏と、そのあと二次会で60名あまりが来店と、かなりハードなスケジュールでしたが元気なものです。今週から来週はもっともっとハードな予定ですが覚悟しています。
そんな中で少しの余裕を見つけて12月8日に東福寺へ最後の紅葉狩り。12月になると観光客も減って静かになりますので毎年この頃に寄ってみます。今年は市内のどことも、もみじの色付きがよくなかったようです。この日も、しぐれ模様で陽も射さないような天気でしたが、写真に撮るときれいに見えるものです。
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通天橋から方丈 もみじの絨毯
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