気まぐれ日記No.18
 2008年1月〜    毎週月曜更新しています           藤山一男

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●(274) 2009年1月12日
「初コンサート」
 先週は西本願寺近くの祐西寺というお寺で「金子みすゞ」のライブをさせて頂きました。家内が病気になってからは「金子みすゞ」のコンサートはお休みしていましたので、もう一年以上ぶりのことになります。今回はご門徒さんの仏教婦人会ということで女性ばかりの会でした。このお寺の本堂は大きくはないのですがホールのように造られていて、会場は椅子席で周りには一段上がった桟敷の席があります。ご門徒さんからはミニ南座といわれるそうですが、もう三十年近くもイベントやライブをされているらしいです。
 ところで私達も「金子みすゞ」さんの曲を作ったお蔭で、いろんなところから呼んで頂だけることは非常にありがたいことです。だいたいミュージシャンが個人的にライブやコンサートをするのは結構大変なことで、企画するときに一番の課題は人集めです。私の知り合いでも歌手や演奏家はたくさんおられて、常々自分の発表の場を持ちたいとは思っておられますが、なかなか自分自身で企画はしにくいものです。すばらしい演奏の技術があるからといって人が集るとは限りませんし採算の問題もあります。それにひきかえ私どもも大した技術はないのですがお寺や学校などから直接声をかけて頂くのでありがたいことです。「みすゞ」さんの素晴らしい詩を歌っているということで呼んで頂けるわけなのですが、「みすゞ」さんの詩にめぐり合ったことに感謝しなければなりません。
 このところ音楽を通してのメッセージ性みたいなことを強く思います。コンサートではもちろん技術的なテクニックは大事なのですが、それだけではなく音楽を介してのメッセージのアピールのようなことが非常に大切だという気がしています。講演スピーチなどで話し方が上手くなくても心に響くことがあるように、音楽でも技術的レベルは高くなくても心に残るような暖かいコンサートもあります。私どもも「みすゞ」さんの詩を歌っているから呼んで頂けるわけですから、これからも来て下さる皆さんの心に何かを感じて頂けるようなステージができればと思っていますが・・・。
        
            祐西寺ライブ
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 9日の深夜から10日にかけて雪が降り、大文字のところが黒抜きの「大」になりました。病院へ行く途中で思わず写真を一枚。この日は比叡山もしっかり雪化粧(下の写真)。以前に「気まぐれ日記No.15」(225)「節分祭のところので雪の大文字の写真を載せましたがあの時のは白い大の字、今回は黒抜き。雪の降り方が違うようです。風で雪が吹き付けられると今回のような黒抜きになるのでしょうか。京都の人は「雪大文字を見た日はええことがおすえ」と言うらしい。今年もええ年になりますよう!
  
     雪で黒抜きの大文字                      雪の比叡山

 
  雪で白い大文字(2008年2月3日 No.225より)

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 家内は病院の検査では相変わらず異常なしということです。でも家では疲れて寝ている時間が多いようで、あまり食欲も無いので困ります。もちろん店には出ているのですが迫力不足です。
 今までの元気値は高すぎると言われていたのも考慮して今週の元気値は70!

●(273) 2009年1月5日
「お正月」
 明けましておめでとうございます。本年も何とぞよろしくお願いいたします。
 年末30日から4日までの休みでしたが、あっという間に終ってしまいました。ほとんどの方々はお正月を祝ってのんびり過ごしておられるわけでしょうが、中には全くお正月とは縁のないような方々もたくさんおられます。バスや電車の運転手さん。郵便局職員や配達のバイトさん。もちろん観光地、スキー場やホテル、旅館のスタッフの方々。もちろん病院もそうです。昨年から毎日のように病院へ行っていると、大晦日から新年を迎えるといっても単に日が変るだけです。元旦の日にも見舞いに行くと一部の外来窓口は開いていて、あたかも平日と同じように何人かの患者さんが来ておられました。廊下で妹の担当医と会うと、救急患者の緊急手術をするとか。病気には盆も正月もありません。もちろん病棟の看護士さんも事務方のスタッフ、患者の食事を作っておられる調理人の方々もいつもと同じです。
 私ものんびりと過ごしているわけではなくやっと30日から年賀状づくりです。原稿づくりと送付先の確認でまる一日かって31日になってやっと印刷開始ですが、31日はお正月用の買い物と新年の飾りつけもありますのではかどりません。まして紅白の始まる頃には飲みはじめていますので、その間はプリンターまかせ。とりあえず親戚や個人的なものを優先して、そのあと店用のを作って元旦の午前中にほぼ完成でポストへ。
 暮れも正月も毎日病院の見舞いに行くのですが、その合い間をぬって元旦には久しぶりで40分ほど運動のためのウォーキング。2日は十年ぶりくらいにテニスをしましたが当りが悪くガッカリでした。3日は家で片付けと譜面書きを少し。4日は今週の火曜日の「金子みすゞライブ」の練習と確認、そして店の準備。夜は毎晩飲んでいるわけですが、今年は家内も飲まないので毎晩おせちを食べながら寂しく独酌です。

●(272) 2008年12月29日
「病」
 先週と先々週とホテルでの演奏の仕事がありました。特に先週は今年最後の仕事で900人規模の大宴会、妻もまだまだ本調子ではありませんが無事終了しました。今年は景気の冷え込みで祇園街も静かとはいえ、923もさすがに週末は多少賑やかで、妻もしょうがなく働かされて疲れ気味です。
 そんな中、妹が原因不明の病気で入院することになりました。ウイルス感染症の疑いがあるとのことですが原因は未だ特定されていません。3日間ほど40度ほどの高熱とめまいと下痢が続き、一時は意識がなくなるほどの重症でした。婆ちゃん(母)は北山の病院へ転院、妹は醍醐の病院ということで、毎日、北へ南へと見舞いに行くだけでほとんどの時間がつぶれてしまいます。今年の我が家は大変な一年でした。昨年末に妹が退院して、家内は長期入院で春さきに肺ガンが完治と言われたところで脳への転移、七月には婆ちゃん(母)の脳出血、そして年末ギリギリになってまた妹が入院ということで、何とか元気なのは私だけです。私も数ヶ月間ランニングをしていないのですが、また始めなければいけません。先日今年を表す漢字が「変」ということに決まりましたが、私個人として今年の漢字を選ぶと「病」ということになりそうです。
 そんな一年でこのページも内容のないことですみせん。特に最近は写真も掲載していないのですが、忙しいということでお許しください。こんなに長い間写真を載せていないのも珍しいことです。明日(30日)から店は休みですが、これから年賀状作りが始まります。正月休みは年賀状書きと病院通いで終りそうです。
 今年もこんなつまらないページを見て下さっている優しき皆さまに心より感謝いたします。
 どうぞお身体を大切に、よい歳をお迎えください。

●(271) 2008年12月22日
「チャンポン」
 まさに忘年会のシーズンですが、このところの不況のせいで大阪の新地や京都の祇園も人の出が少ないということがニュースになっています。昔はこのシーズンにはよく酔っ払いを見ましたが、最近はそれもあまり見かけなくなりました。
 世界的には飲酒の量が減る傾向にあるらしいのですが、日本人の飲酒の量はこの四半世紀で1.3倍になっているそうです。私も若い頃は勢いにまかせて何でも飲んでダウンしたこともありましたが、このところはビール以外は飲まないので酔いつぶれることもなくなりました。いろんな種類のお酒を飲んでいると口が変ってついつい飲みすぎてしまうことが多いようです。いわゆる「チャンポン」ですが、そもそも「チャンポン」ってどこからきた言葉?
 ・「チャン」は鉦(かね)の音、「ポン」は鼓(つづみ)の音で、違う楽器を交互に鳴らすのが「チャンポン」だそうです。異なる二種の物を混ぜ合わせるという意味で「長崎ちゃんぽん」も野菜、海産物、麺を一緒に煮込んでいるのでそう名付けられたという説。
 ・他にはインドネシア語とマレー語での「混ぜる」という意味の「チャンプール(champur)」からきているという説。これは沖縄料理の「チャンプルー」も同じ意味です。
 ・老酒と日本酒を一緒に飲むと中国の「チャン」の酒と日本(ニッポン)の「ポン」の酒で「チャンポン」という説もあります。
 まあ年末年始にかけてお酒を飲む機会も多いわけで、くれぐれもチャンポンして飲みすぎにはご注意を!

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 妻は抗がん剤もすっかり抜けて元気になりました。若干、気管支が弱っているのか風邪気味なのか、空気の温度に過敏で咳がでやすい状態ではあります。少し足腰を鍛える必要もあります。元気値は先週と同じで84!

●(270) 2008年12月15日
「合唱 ”金子みすゞ”」
 私の作った「金子みすゞ」さんの曲を合唱用に編曲して歌っておられる合唱団があります。夏のコンサートでは妻の体調不良で聴けませんでしたが、先日14日(日)も滋賀県日野町での合唱祭で歌われるということでしたので妻と一緒に行ってきました。モミジの名所の永源寺地域の「コール・メイプル」という女声合唱団で、今回は「砂の大國」「お坊さま」「露」「私と小鳥と鈴と」の4曲を歌われました。いつも歌っている自分たちの曲を合唱で聴くのは初めてのことでしたが、また違った感激がありました。ママさんコーラスですので歌声はその直前の高校生の合唱団のような迫力には負けますが、ていねいに心を込めて歌っておられる気持は伝わっているようで、一曲ごとに会場からは大きな拍手がわき上がっていました。また曲紹介のアナウンスでも”金子みすゞ作詞、藤山一男作曲・・・・”と、「みすゞ」さんと一緒に紹介して頂いてありがたいことです。
 会場は日野町の「わたむきホール虹 大ホール」という400〜500名くらいのホールでしたが、このごろはどこにでも立派なホールがあるものです。ただこのあたりは名門ゴルフ場がたくさんあるところで、私もゴルフへ行く道しか通ったことがありませんので、それ以外のところはまったく走ったことのない地域です。もちろん前日からホールの場所を調べてプリントアウトしているので、近くまでは簡単に来れたのですが直前で通り過ぎて迷子。国道沿いの散髪屋さんで教えて頂いて何とか到着すると、ちょうど始まる寸前。ギリギリでしたが間にあってよかったです。終ってから「わたむきホール」という覚えにくい名前の意味を聞いてみると、「わたむき」は山の名前とか。帰って調べてみると鈴鹿山系に綿向山(1,110メートル)を確認。漢字を見ると覚えられます。
 この4、5ヶ月間、引越し作業でまったく自由な時間がなくどこにも行けなかったのですが、今回は久々にコンサートにでも行こうかという気になっただけでも、多少気分的に余裕ができたのかもしれません。

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 妻は抗がん剤が抜けるにしたがって日毎に元気回復。多分「そんなに元気ではない・・・。」と叱られそうですが、私の評価では先週の元気値は84(?)。

●(269) 2008年12月8日
「妻が入院」
 前回、妻の元気値が最低と書いていましたが水曜日に投与した抗がん剤の副作用が日毎にひどくなり、土、日、月と吐き下しで体調を崩してダウンしてしまいました。先週末には大きなパーティーでの仕事もありましたので、とうとう火曜日になって病院へ行くことに。主治医の診断では体力が相当衰えているのでと入院命令。火、水と2日間だけ入院をして一応元気になりましたけれど、足腰はかなり弱っている状態です。
 週末のパーティーは京都ホテルオークラで病院グループの800人規模の忘年会でした。もう20年以上も行っている会ですが、今や家族全員がお世話になっている病院です。去年の妹の入院時から家内の入院を含め今回の母の入院と、私も1年半の間ほとんど毎日病院へ行っているわけですから顔なじみの看護士さんがたくさんおられます。家内も今回4日に退院したばかりですから、みんなから大いに心配されましたが何とか無事に歌えて看護士さんや先生から大歓迎。でもステージ直前までは杖をついて歩いていて、ステージ中はヒールのある靴はツライかったようで途中からこっそり脱いでしまうというほどの体力不足。お客様にはほとんど気付かれなかったようですのでよかったです。ということで先週の仕事も何とか無事に終了。

●(268) 2008年12月1日
「続 引越し」
 未だ寝室や生活の部屋以外は引越し荷物の山。2世帯分の荷物を整理してきたわけですから相当な量がありますし、妻の体調も万全ではありませんのでなかなかはかどりません。日常生活で必要な物でも見つからないものもまだたくさんあります。もちろん引越し自体は大変なことですが、引越しの片付けで珍しいものがたくさん見つかったことはせめてもの楽しみでした。だいたい引越しすることでもなければ日頃片付けをするような気にはならないのでしょうが、何年かに一度は思い切って荷物の整理をすることは、それなりに価値がありそうです。このまま片付けなければ多分死ぬまで見ることのなかったようなものもたくさんでてきました。
 亡くなった親爺の大事にしていた物では、安物ばかりでしょうが当時の二眼レフのカメラをはじめ骨董品各種、親爺とおふくろの婚礼写真、亡くなった祖父母をはじめとする古い親戚の写真、永年勤続表彰などで戴いた時計や記念品や表彰状各種、園芸用の書物、親父好みのパズル。子供の頃に撮ってくれた家族写真のアルバム、まだ未整理の大量の写真とそのネガ。親爺が無理矢理やらされていた自治会会長時代のノートは議事録と詳細な予定が几帳面に記されていました。
 他には私が頼んだわけではないのですが私の学校時分に集めていた本や手品のネタやおもちゃ、卒業アルバムなども大事においてありました。それより驚いたのは小学校時代からの通知簿、卒業証書、賞状なども保管してくれていて、つくづく親のやさしい心を感じます。小学校の通知簿をチラッと見ると当時の評価がこと細かく書かれていて、1、2年の頃は音楽の通信欄には音程が取れないという先生からの書き込み。読んでいると面白そうでしたが引越し中は仕事がはかどらないので、落ち着いたらあらためてゆっくり見ることに。
 誰もみんな写真や本や親しい人から頂いた大切な物など、たくさんの思い出の品々を持っています。個人にとっては非常に大切な物でも他人にとってはほとんど価値のない物も多く、その人が亡くなれば多分処分されてしまうのでしょう。今のようなこんなデータ豊かな時代になるとなおさらで、パソコン、デジタル写真、CD、DVDといったものを活用して大量の個人データを持っているのですが、将来そのまま忘れられて処分されてしまうのでしょうから、少々寂しい気もします。
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 妻は先週水曜日から3日間、日帰りで抗がん剤点滴治療。今回は相当堪えたようで日毎に食欲減退。それでも店に出てきていましたが、たまたま金曜日は珍しく店が大忙しでダウン。土日は体調不良でほとんど食欲もなく家で寝ていましたが、日曜夜から少し回復の兆し。来週、抗がん剤が抜けていけば次第に回復するものと思っていますが・・・。今回の元気値は60と最悪。

●(267) 2008年11月24日
「広告メール」
 今月初めごろからでしょうか、引越しで忙しかったこの時期に妻と私の携帯に出会い系などの変な広告メールが大量に入ってくるようになりました。どこか大手の会社からデータが洩れたのだと思いますが、一番ひどい時には一日で500件以上も入ってきて、ピーク時は1時間に4〜50件も入り着信音が鳴りっぱなしでした。私のメール着信音は、うぐいすの「ホーホケキョ」ですが、うぐいすが鳴きっぱなしなので犬の「ワンワン」に変えましたが、これもやかましいのでとうとう着信音を切ってしまいました。もともと携帯でのメールは少ないので、ほとんど内容を見ないで削除していると、たまたま入ってきた通常メールも消していたようで困りました。最近は多少落ち着いてきましたが、それでも日に20〜30件くらいは入ってきています。このところは大手の会社でもデータ流出の事故も多い上に、その責任を誰もとってくれないのですから困りものです。また一旦データが知られてしまうと同業各社にばら撒かれるようですのでどうしようもないです。現在携帯アドレスを変えようかと思案中。
 今回の引越し作業は予想をはるかに越えて大変でした。まだまだ部屋の中は荷物が山積みで、今も荷物の隙間でパソコンをしています。いつになったら片付くのかと思いますが・・・。お正月までには何とかしなければ。
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 先週、妻の元気値を82と書いていたら、そんなに元気ではないと妻から言われました。でも疲れは今回の引越しのせいで疲れるのは当たり前、病人としてはかなり元気だと思います。先週の検査ではまた胸に怪しい影、今週は日帰りで抗がん剤点滴の予定です。

●(266) 2008年11月17日
「引越し」
 先週末に自宅の引越しをしました。今までの家から1kmほどしか離れていない所ですが、近いからといっても引越しは同じで大変なエネルギーが要ります。先週は引越しをしたといっても大きな物を業者にお願いしただけで、それ以前から小さな物は毎日運んでいるわけで、引越しの前も後も毎日が戦争状態です。準備を始めてから約3ヶ月になりますがその間も、婆ちゃんの見舞い、家族の病院通い、店の仕事などは通常どおりあるわけですから、いくら時間があっても足らないくらいでした。今日の日曜日も朝から一日中片付けと荷物運びです。深夜0時に帰宅してやっとパソコンがつながってこのページを書いている状態です。
 だいたい引越しをしようと荷物をまとめると、何とたくさんの荷物があるのかと思います。片づけてまとめるとその量が10倍くらいに膨れ上がるようで、よくもあのスペースにこれだけの物が収まっていたなあと感心してしまいます。夫婦でここへ引越ししてから20年弱、一度も開けていなかったダンボールケースがいくつもありました。もちろん結婚する前は私もここに住んでいたわけで、親の時代からの荷物から片づけだすといろんなお宝も出てきます。おびただしい数の写真とアルバム、自分たちの出した古いレコードや集めたレコードとCD、昔の愛読書をはじめ数百冊の本、貴重な手紙、忘れていたような賞状、親父やおふくろが集めていた宝物・・・・など。多分引越しをしなければ死ぬまで見なかったのではないかというようなものがいろいろ出てきますので、そういう意味では片づけは面白いのですが、ついつい片づけ中に余分な時間を費やしてしまいます。
 このところ「気まぐれ日記」の内容不足もそのせいでしたが、まだまだ片づけもありますので、しばらくは不充分なところお許しください。
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  妻は引越しで疲れているだけで、連日の荷造りと片づけは元気な者でも疲れます。今は相当元気な様子で、今週私から見た元気値は82.と今まで最高点。

●(265) 2008年11月10日
「駅名変更」
 いよいよ京都の山も色づき始め日毎に観光の人が増えてきています。これから年間でもっとも観光客の多いシーズンに突入します。
 先月の10月19日に京阪電車の中之島線というのが開通して、天満橋から分かれて中之島(国際会議場)へ行く路線が開通しました。京阪各駅の案内板の取替えに合わせて、これまでの京都の駅名も観光客の方などに分りやすくということで、少し変ることになりました。今までの五条が「清水五条」、四条が「祇園四条」、丸太町が「神宮丸太町」ということです。たしかに清水寺は五条坂の先にあるわけですが、五条で降りてしまうと、かなりの距離を歩かないといけませんし、平安神宮なども三条駅から行く方が、ずっと分りやすいのではないかと思いますので、この駅名もかえってややこしいように思いますが・・・。
 以前にも難読駅名ばかりの路線として書いたことがありますが、京福電鉄の嵐山線は他府県の方には読めない駅名が並んでいます。ここも路線名を「嵐電」と変え、駅名も観光客用にと今年3月に多少変更しました。今までの三条口を「西大路三条」、太秦を「太秦広隆寺」、車折を「車折神社」、嵯峨駅前を「嵐電嵯峨」。「太秦」は映画村で有名になりましたので読めると思いますが「うずまさ」、「車折」は「くるまざき」と読みます。他の難読駅名としては「蚕の社」、「帷子ノ辻」、「鹿王院」、「西院」などがあります。それぞれ「かいこのやしろ」、「かたびらのつじ」、「ろくおういん」、「さい」と読みます。阪急電鉄の「西院」は「さいいん」ですが嵐電では「さい」です。また同じ京福の北野線の駅名も少し変りまして高雄口を「宇多野」、御室を「御室仁和寺」、竜安寺道を「竜安寺」ということになりました。新しい駅名に馴染むまでには少し時間が必要です。
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 妻の元気度は78くらいか。かなり元気には、しているのですが、風邪のせいなのか少しセキがでます。

●(264) 2008年11月3日
「上戸、下戸」
 毎日毎日、酒(ビール)ばかり飲んでいる私ですが、今回も雑用が忙しくて書くネタがなかったので酒飲みの話でも・・・・。だいたい飲み助のことを「上戸」といいますが、この上戸の語源についての話を。
 一般的には秦の始皇帝が造った城の城壁(万里の長城という説もある)の.門番の話。城壁は非常に立派なもので相当高かったので、上にも下にも番兵を置いていたそうですが、何しろ寒いところですから下の門番はまだしも、上の門番は吹きさらしで凍えるような寒さでした。それで上の戸の門番には寒さに耐えるために酒が支給され、いつも酒を飲んで体をあたためていたらしい。それで上戸番は酒を飲む連中、飲まぬ者や飲めない者は下戸番を守ったとか。以来、酒飲みを上戸、飲めぬ者を下戸と言ったらしい。
 また他の説では、昔は一軒の家に8人以上居る家が「上戸」、3人以下が「下戸」、その間が「中戸」と呼ばれていたという話。「上戸」は結果として裕福な家が多く、婚礼の時などにもお酒がたくさん振舞われ、反対に「下戸」は貧しいところが多く、お酒を充分に振舞えなかったとか。転じてたくさん飲める人を「上戸」、飲めない人を「下戸」と言ったとか。
 左党、右党という言い方もあります。これも江戸時代の金山の鉱夫や大工の隠語からきているらしい。ノミを持つ手(左手)を「ノミ手」と言い、「飲み手」とかけて酒飲みを「左党」と言うようになったらしい。
 最後に上戸、下戸に関することわざから。
             「上戸は毒を知らず、下戸は薬を知らず」
 酒は百薬の長ですが、くれぐれも度を越さずにほどほどにとのこと。この「ほどほど」が一番むずかしい。
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 妻の具合は先週と同じようなもの。若干疲れ気味ですが元気値は76。髪の毛はかなり生えました。

●(263) 2008年10月27日
「絵の才能」
 店には著名な日本画の先生方もたくさん来られていたこともあって絵の展覧会にはよく行きました。永年いろいろ見せてもらっていると見る眼はかなり養われましたが、私自身自分で絵を描く才能はまったくありません。
 小学校の写生大会で土手から空を見上げる景色を描いたことがあります。もともと絵に対する興味はまったくなかったし、写生会は遠足やハイキングのようなもの。遊びの間に適当に描いていて、土手をいろんな色で塗りたくり、空の色も灰色か紫とかにしてとりあえず提出しました。数日後、学校の講堂での展覧会の準備中に「お前の絵が入選している」と友達が言ってくれました。展覧会前日の準備の中、こっそり講堂に入ってみると確かに私の絵に赤いリボンが付けられている。今まで絵で賞をもらったことなどまったくなかったものですから、展覧会を楽しみに翌朝喜び勇んで会場へ行くと、そのリボンは他の人の絵に変っていました。先生の気が変ったのか、もともとリボンが間違って貼られていただけなのか・・・。
 中学へ入って担任が美術の先生でした。先生に勧められるまま、調子乗りの私を含めてクラスの十名以上が美術部に入りました。初めは遊び半分でアトリエでデッサンをしたり陶芸をしたりしていたのですが、すぐに先生の指導で油絵をはじめることになりました。たぶん親に無理をいったのでしょう、道具一式を買いそろえたのですが、結局半年ほどで才能のなさを自覚して挫折、理化クラブへ転部してしまいました。でもそのときキャンパスに描いた貴重な油絵が1枚だけ残っています。
 家内とつきあい始めた頃、たまたま自宅にあったその絵を家内が自分の部屋に飾るからということで渡したことがあります。しばらくして部屋へ行くと確かに壁にその絵が架かっていましたが、なんと!上下が逆さまに!。その絵は大津駅の山手から琵琶湖を望む風景画ですから、どう見ても逆さではおかしいのですけれど・・・・。私の実力もその程度で、今でも馬と牛と犬の絵を見ないで描けといわれても、多分どれがどれだか分らないような絵になってしまうでしょう。

 前回の日記で、10月21〜23日は晴れの特異日で、時代祭には雨が降らないと書いていたら、22日の時代祭は珍しく雨。晴れの確率が80パーセントといっても5年に一度は雨が降る可能性があるわけですから、晴れるとの思い込みは禁物です。
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 妻は先週、MRIで頭の検査をしましたが、特に異常なしとのこと。このところ風邪のせいもあったのか多少疲れ気味でしたので、先週の元気値でいうと74位か。

●(262) 2008年10月20日
「天候の特異日」
 このところ毎週土、日は運動会とお祭りをしていますが、主催者にとっては天候は重要な問題です。お祭りの日は変えられないことも多いのですが、運動会は雨で中止になると、また日を変えて同じように準備をしなければいけないわけですから、降らないことを願わずにはいられません。今年も10月4日(土)、5日(日)に運動会を予定しているところがたくさんありましたが、あいにくの天気で雨のなか強行したところもあったようですが、ほとんどは翌週へ延期したようです。早くからの計画ですから天気は運まかせです。
 長い間の気象データーを調べて「晴れの特異日」というのがあります。一般的にはよくご存知の日としては10月10日。この日は晴れの特異日として東京オリンピックの開会式の日に選ばれ、その後も「体育の日」として祝日になって絶好の運動会の日でもありました。今年もやはり10日は雨が降りませんでしたが、このところの「体育の日」はハッピーマンデーとかで毎年変ってしまうのでやっかいです。
 日本の場合は「晴れ特異日」といっても国土は広く、特に冬場は日本海側と太平洋側で気象状況に大きな違いがありますので、「晴れ特異日」としては決めにくいものです。
 東北地方以北を除きますが、次のような日が「晴れ特異日」としてあるようです。
   ●「晴れ特異日」
      ☆ 1月 3日 太平洋側  
      ☆ 1月 6日 太平洋側
      ☆ 1月19日 太平洋側
      ☆ 4月 5日 全国的
      ☆ 5月13日 全国的
      ☆ 8月10日 全国的
      ☆10月16日 東北以南
      ☆10月23日 全国的
      ☆11月 3日 全国的
      ☆11月 8日 東北以南
      ☆12月 6日 太平洋側

 また以下の如く「雨の特異日」というのもあります。こんな日はゴルフなど、屋外イベントの予定を避けられたほうが良いかもしれません。
   ●「雨の特異日」
      ☆ 3月30日 関東以西
      ☆ 4月 8日 関東以西
      ☆ 6月28日 全国的
      ☆ 7月10日 沖縄以外
      ☆ 9月15日 北海道以外
      ☆10月13日 北海道以外
      ☆11月17日 北海道以外

 ところで10月10日の「晴れの特異日」も、もともとは東京地方のデーターらしく、関西では少々違ったようです。そのうえ東京でも必ずしもズバ抜けた特異日ではなかったようで、他にも晴れの特異日はあったらしいです。
 先日たまたま聞いたラジオトークの中での、この先3ヶ月間の大阪地方の「晴れの特異日」は次のようです。
      ☆12月13日、1月3日 約83パーセントの高確率で晴れ
      ☆10月21〜23日    約80パーセント確率で晴れ
 そういえば京都も大阪と似たようなものでしょうが、10月22日の京都の時代祭に雨が降ったような記憶はないような気がします。確率が高いといっても絶対に晴れるわけでもないのですが、ゴルフコンペ、旅行、などのイベント企画の参考にでも。
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 妻は今週は風邪気味で少々元気がダウン。先週の元気値が80であれば今週は70位でしょうか。

●(261) 2008年10月13日
「原子物理学」
 先週は株価の大下落で景気低迷、タイガースも巨人に優勝を奪われ、という失意の中、日本人のノーべル賞受賞ラッシュで大いに慰められました。受賞はすべて物理、化学の分野で、特に日本の原子物理系のレベルの高さを誇りに思います。特に原子物理系は京都大での研究成果が大きいようで、京都の人間としては嬉しく思います。また化学賞では蛍光タンパク質の研究の下村先生でしたが、私も大学では栄養化学の教室にいたわけですから多少昔のことを思い出しました。
 たまたまこの夏に永田和宏さんという京大の先生が、岩波新書から「タンパク質の一生」という本を出されて新聞に紹介されていたので買って読んでみました。飲み屋の私としてはすっかり忘れていることも多かったのですが、著者は私と1歳違いということで惹かれたところもあります。この先生も、もともと京大の物理学志望で、そのあと化学の方へ進まれたようですが、その物理学へ進むきっかけが、高校時代に読んだ猪木正文著の「数式を使わない物理学入門」という本だということが書いてありました。私も大学受験は原子物理を目指したのですが、そのきっかけはたまたま友達から借りたその本だったのでよけいに親しみを覚えました。その本は大変面白い本で、当時最先端の「相対性理論」などの難解な内容を高校生の私どもにも分るように数式を使わずに書いてあって、理科好き若者の原子物理学に対する興味を大いにかき立てる本でした。当時は私と同じようにその本を読んで物理学を目指した方もたくさんおられたことだろうと思います。
 また、あの戦後の復興時に育った我々世代は湯川博士のノーベル賞に大いに勇気づけられたもので、今回受賞された先生方も、そんな夢をもって物理学の道へ進まれた方もあったのではないかと思います。京大の原子物理は憧れの的で理学部は当時も今も難関です。私もその道へ進むには少々学力が不足でしたが。
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 妻は今回も元気を更新中。今が一番元気です。この連休も家の片づけに料理、洗濯と、一日中バタバタしていて大丈夫かなと心配するほどです。

●(260) 2008年10月6日
「小さな疑問」
 「金子みすゞ」さんの詩に「不思議」というのがあって、私も曲をつけて歌っています。
 〜〜わたしは不思議でたまらない〜〜。黒い雲から降る雨が銀にひかっていること。〜〜青い桑の葉たべている蚕が白くなること。〜〜だれもいじらぬ夕顔がひとりでぱらりと開くこと。〜〜またそれをみんなが当り前のことだと思っていること。〜〜
 みすゞさんは、みんなが当り前に思っていることでも、いつも違う角度から観察され、よく科学者の目をもっているといわれています。私も日頃からボーッとしてはいるのですが、つまらないことで不思議に思うことがよくあります。しばらく経つと解決のないまま忘れてしまうことも沢山あるのですが、最近の小さな疑問をひとつ。
 我が家近くの公園付近にあった高圧線の鉄塔が最近、いつのまにか無くなっていました。それはそれでいいのですが、どのような方法で片付けたかが不思議です。鉄塔自体を撤去することはクレーンなどを使ってすれば簡単にできそうですが、そもそも鉄塔には高圧用電線が何本も張られていて、鉄塔と鉄塔の間はかなりの距離がありますので、どのようにして電線を片付けるのかは興味があります。鉄塔はもう何十年も前からあったわけですから、今は高圧線の下が住宅地になっているところもあります。そういえば電線架設の時もどのようにしたのでしょうね。多分そんな時分は下にほとんど建物がなかった時代だったんだろうと思うのですが。
 高層ビルなどを建築する時にビルの屋上にある資材運搬用の巨大クレーンを、どのようにして撤去するのかというのを以前聞いたことがあります。上のクレーンより少し小さいクレーンを下から吊り上げ、それを使って大きなクレーンを解体して下へ降ろす。そしてこのような作業を繰り返して、最後は小さくなったものをエレベーターに乗せて降ろすということらしいです。
 電線の張り替えも一本の基本線があれば、それを伝ってできそうですが、鉄塔と鉄塔の間が数百メートルもあるところに最初の一本を張るのにはどうするのかが問題です。撤去の場合は何本もある電線も一本の基本線があればそれを使ってできそうですが、最後に残った一本はどうして片付けるのかということが問題になります。次第に細くして最後の一本は軽いロープのようなものにして片付けるというのでしょうか?それでも今は下に建造物などがあってはなかなか難しいように思うのですが・・・・。以前に「地下鉄の車両をどこから入れるのか」ということをネタにした漫才が大受けしたことがありますが、日頃の生活の中にも不思議に思うことはいろいろあります。
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 妻は益々元気です。昨日の日曜日はお客さまに誘われてフランス料理をご馳走になり、少しはお酒も飲みました。



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