●(288) 2009年4月20日
「主夫奮闘記」
前々回の「時には昔の話を」の歌詞では若い頃は「嵐のように毎日が燃えていた」とありましたが、このところ私は家事仕事に追われ「嵐のように毎日が過ぎてゆきます」ということになりますか。掃除はともかく洗濯と食事の準備は必須で、特に食事は待ったなしです。洗濯は何とか慣れてきましたが料理の方は段取りが悪いのでしょう、時間がいくらあっても足りません。もともと妻は料理が得意でしたから私はキッチンではほとんど何もしたことがありません。食べることと作るほうはまったく別物で、私は今まで料理がどのようにして作られているのかというようなことにはまったく無頓着でした。未だに料理を作るということに関しては才能がなくて好きにはなれませんが、それでも今は必要に迫られて何とかしなくてはならないという不幸な状況になっています。
毎日とりあえずご飯と具たくさんの味噌汁を定番として、でき合いのお造り、煮魚、フライ物などを買っていたのですが、この頃は本を見たりして何か作れるようなものはないかと努力もしています。やっと魚を焼いたり、ダシ巻き、サラダ、酢の物くらいは作るようになりましたが、慣れないことゆえ時間がかかってしょうがないです。そのうちに煮物にも挑戦しなくてはと思っていたところ、昨日は京都西山の日本一の筍が届き、何とかアク抜きして焚きました。素材が美味しいので料理の拙さも助けられます。わさび醤油で筍のヒメカワ部分のお造りも最高でした。
食事の用意は当然ですが片付けもまた大変で、キッチンに立っている時間も長くなります。その他にも冷たいお茶づくり、洗濯、ゴミだし、風呂の準備などなど・・・。洗濯物も干して取り込んで片付けるのに結構手間がかかるので、いろいろ丁寧にやろうとすると一日何時間あっても足りません。
また水仕事ばかりしていると手も荒れて、もともとは女性の手みたいといわれていたようなきれいな(?)私の手でしたが、今やガサガサで指先がササクレだっています。少し温かくなって冬場よりはマシになったようですが。
健康のためのランニング、ウォーキングも時間的に余裕がないので長いあいだ行っていませんし、血圧もしばらく測っていません。余裕がないと自分の健康管理もできません。
そろそろこのページも体力的、時間的に限界になっています。いつまで続けられることやら・・・・。
すっかり桜も終わりましたが、一週前に東山七条の智積院の門前を通るとあまりに綺麗なので撮ってみました。
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智積院の門前
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家内は先週の抗がん剤治療以降、極度に体力低下。薬が抜けると元気になると思うのですが・・・。今週の元気値は50!と最低。
●(287) 2009年4月13日
「円山公園の枝垂れ桜」
今年は天候に恵まれて記録的に長いあいだ桜が楽しめました。例年の如く店の帰りにタクシーで妻と円山公園の枝垂れを見に行きました。もう樹齢が70年を越えているということで、毎年小さくなってゆくようです。
与謝野晶子が「清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき」と詠んだのは23歳のときで明治34年(1901年)のことらしい。このときすでに与謝野鉄幹との恋に燃えていたのだそうだ。私の行ったこの日も同じような桜月夜、彼女も百年以上も前のこんな夜に清水へ向ってこの道を歩いたのでしょう。
夜空にはほとんど満月の月(右の写真)が明るく照らす。月をいれようとすると桜のアングルが悪いのですが無理矢理一緒に写してみました。
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円山公園の枝垂れ桜 月と一緒に
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妻は相変わらずですが、体力筋力の衰えを割り引いて元気値は66!
●(286) 2009年4月6日
「時には昔の話を」
以前のこのページに書きましたが私の大学時代に所属していた合唱団の50回記念演奏会が、一昨年の12月にコンサートホールで行なわれ私も出演しました。そのとき現役とOBとの合同ステージがあり、そのステージではもちろんアンコール曲も歌ったのですがOBが退場してから最終は現役だけで「時には昔の話を」という曲を歌いました。現役は50回記念というこの日のためにと特に選んでくれた曲なのでしょう。当日我々は出番が終ってホッとしている状況でしたのでよく聞いていなかったのですが、昨年末にに送られてきたステージの録音CDを聞くと内容がちょうど我々の青春時代そのものを歌ったような詩で心に響きました。調べてみると,、もともと加藤登紀子さんが作って歌った曲なのですが、宮崎アニメの「紅の豚」の主題歌になっていたようです。曲自体はシンプルなもので最後の「そうだね」、「どこかで」というところが非常に印象的でした。歌詞は丁度60年〜70年代の学生運動が激しかった頃の内容で、加藤登紀子さんは亡くなられたご主人のことを思って作られたのではないかという気もします。私もこの頃は歌詞に惚れます。歌詞の概要は次のようなものです。
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時には昔の話をしようか 通いなれたなじみのあの店 コーヒーを一杯で一日
見えない明日をむやみにさがして 誰もが希望をたくした
ゆれていた時代の熱い風に吹かれて からだ中で瞬間(とき)を感じた そうだね
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道端に眠ったこともあったね お金はなくても何とか生きてた
小さな下宿屋に いく人もおしかけ 朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた 息がきれるまで走った そうだね
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一枚残った写真をごらんよ ひげづらの男は君だね
あの日のすべてが空しいものだと それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて 走りつづけているよね どこかで
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恐いもの知らずの青春時代。何でもできるかなと思って未来に夢を描いていたあの頃を懐かしく感じました。また何かの機会に歌ってみたいと思い覚えてみることにしました。
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妻は相変わらずの調子、今週も元気値は変らず68!
●(286) 2009年3月30日
「夜櫻コンサート」
毎年桜の季節恒例になりました建仁寺・禅居庵の「夜桜コンサート」は今年も素晴らしい企画をされていますのでご案内させて頂きます。お時間があれば行ってみて下さい。晴れることを祈っていますが雨天でも行なわれます。雨が降っても客席自体は部屋の中です。
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夜櫻コンサート◆ 建仁寺山内
禅居庵〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★4月3日(金) 宮内ユーリ
アコースティックギターを軸とする繊細なエレクトロニカ・サウンドとして幅広い活動。
プレイヤーはまだ26歳ということらしいです。私も興味がありますので行ってみたいです。
★4月4日(土) 西村圭也(胡弓)、西村愛志(胡弓)、中村美砂子(ピアノ)
ベテラン胡弓プレイヤーとピアノの調べ。これも楽しみです。
両日とも 18:30開場、19:00時開演、入場無料、雨天決行です。
「禅居庵」は花見小路四条下る建仁寺境内南西 お問い合わせ 075(561)5556
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私どもが夜櫻コンサートで「金子みすゞ・こころの世界」をさせて頂いてからもう2年になります。当日の花は5分咲きくらいでしたが超満員になるほどたくさん来て頂いて、終盤近くになって突然の稲光りと雷鳴。大の雷嫌いの妻があわててアンコールをして終了したコンサートでした。終って数分で雨が降り出してほっと胸をなでおろしたような記憶があります。
今から思うと当時は家族みんな元気でしたのに、この2年の間に状況は一変、私以外の家族が全員病気になって地獄のような生活になってしまいました。またたった2年のことなのですが、このあいだに親しくしていた方も何人か亡くなってしまわれ寂しい思いをしています。このところ悲しいお知らせに驚くことが続きますが、私も歳をとったせいでしょうか。桜の花もはかないですが、人の命もつくづくはかないと感じるこの頃です。
家の近所にある大石内蔵助ゆかりの大石神社内にある枝垂れ「大石桜」が満開です。
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大石桜
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妻の具合は相変わらずですが少々体力落ちの様子で元気値は68!
●(285) 2009年3月23日
「東大生OB会」
大学時代は将来絶対に学校の先生にはならないだろうと決めて教職免許もとりませんでした。でもこの歳になると学校の先生はいいなと思うことはよくあります。店には小学校から大学までいろんな先生が来られ、同窓会の時にももちろんご一緒に来られます。先生は教え子たちがどんなに年配になっても生涯教え子たちの大切な恩師で、死ぬまで親のように慕われているのは羨ましく思われます。
この何年か毎年3月に東大の大学院の卒業生が923に集まります。工学部のとある研究室のOBが京都で食事会をして二次会は923にということになっています。もともと923でアルバイトをしていた京大の学生が東大の大学院へ行ったことがきっかけで、その研究室の先生と親しくなったのですが、この先生が学生の面倒見もよくみんなに慕われています。その先生を囲んでOBと今年の卒業生とが毎年わざわざ京都で懇親会をするというのもユニークです。関西在住の者はもちろんですが関東からも駆けつけてきます。丁度この時期は京都も「花灯路」とお寺の夜間拝観をしていますので、今回も一次会のあと東山を散策して高台寺の夜間拝観へ行ってからの来店となりました。今年は14名が集合しましたが、当然みんな技術系研究職で就職しているメンバーでパナソニック、日立、キャノン、三菱重工など大手企業ばかりですが大学の先生になっている者もいます。まだ20代の好青年ばかりですが将来は偉い人になるのでしょう。「偉くなったら仕事で923を使って」との先生の言葉ですが、それまで店があるかどうか?
川端通りを走っていると鴨川沿いで桜がチラホラと咲きかけています。と思ったら京都の桜は19日に開花宣言。平年より12日も早いらしい。店の近くの祇園白川沿いの桜もまもなくです。
病院通いで毎日通る川端通り沿いの出町柳のお寺の門前の梅が満開。思わず写真を撮ってみました。
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出町柳 長徳寺の梅
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妻は相変わらず店には出ているのですが、先週と変らず元気値は69!今週は妹もいろいろ障害がある状態ながら退院して帰ってきますのでまた大変です。どうなることやら。
●(284) 2009年3月16日
「桂枝雀」
車に乗っている時間が多いので枝雀の落語をいくつか借りてきて聞くことにしましたが、やはり枝雀は何度聞いてもおもしろい。昔のカセットテープの時代には全集を揃えていてスキーなどに行く時にも車の中、列車の中と暇を見つけては聞いていましたので覚えてしゃべれるほどでした。あるとき全部を人に貸してあげたら戻ってこなくてなくなってしまいました。その後CDになって発売されていますが、昔のものとは内容や言葉の違う部分がいくつかあります。最近は放送コードみたいなものがあるのでしょうか、不適切な表現部分は変えられているところがあります。そういう意味では最初のテープのものが一番おもしろかったような気がしますので、なくなってしまって残念です。
枝雀の落語は、まくら部分もユニークな話しでおもしろいのですが、本題では酔っ払いの話が特におもしろく、「親子酒」などは絶品です。その他どれも枝雀が話すとおもしろいのですが「代書」は得意の演目でした。昨年、小米朝がこの話を作った米團治を襲名しましたが、もともとは枝雀が米團治を襲名する予定だったようです。その他私が好きだったものは「寝床」「青菜」「地獄八景亡者戯」などでしょうか。その他には「崇徳院」「くやみ」「日和ちがい」などもよく聞きましたが。
車から見える満開の梅をゆっくり愛でることもなく、毎日が猛スピードで過ぎてゆきます。家事雑用に追われプライベートな時間はほとんどありません。人生で今が一番大変かもしれません。
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妻は相変わらずの状態で、横になっている時間が多いですが何とか店には出ています。今週の元気値は少し下がって69!
●(282) 2009年3月9日
「徒然草」
昨年の夏に高校の同窓会をして担任の先生にも来て頂きました。担任の先生は古文の先生で、皆の思い出スピーチにも古文の授業の話がでました。その中のひとりが「徒然草」の中の「仁和寺の法師・・・・」という話を習ったことが非常に印象に残っているとのスピーチをしました。
「徒然草」の第52段にでてくる話で内容は、「仁和寺のお坊さんが長い間行きたかった石清水八幡に初めてお参りに行くのですが、石清水のある山の上まで登らず麓にあるお寺や神社などだけをお参りして帰ってきます。当人は石清水へ行ってきたと思い込んでまわりの人に、“長い間の念願を果たし貴いものを見てきました”と自慢話をします。“でもお参りする人がみんな山に登って行かれたのは山で何かあったのでしょうか。私も行きたかったのですがこのたびは石清水にお参りすることが目的なのでやめました”と言います。何事にも案内人が必要です。」というものです。
私もその話はしっかり頭にはいっていて、暗証できるほどに覚えていました。多分だぶって2回習ったような気もします。その彼のスピーチに続き冗談半分でその全文を空で言うと、まわりにの者には少々驚かれ、何でそんなことを覚えているのかと変人あつかいされました。あとで確認すると第52段、53段、54段と仁和寺のお坊さんの話がでてきますが、何故か不思議にこの石清水の文章だけは今でもしっかりと頭に残っています。
余談ですが我が家近くにできた吉田さんという鍼灸の先生が経営する治療院の名前が「吉田ケンコー館」。ちょっと笑ってしまいます。
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妻は先週より少しは元気そうで、今週の元気値は71!
●(281) 2009年3月2日
「玉置浩二、石原真理子」
このところ毎日が病人の世話と家事にかかりっきりでまったく自分の時間がありません。毎回ぎりぎりになって何を書こうかと悩んでいるようなことで内容不足は否めません。しばらくこのページも休もうかと考えているようなことです。
ところでそういえば先週は「玉置浩二と石原真理子が復縁して電撃結婚」との芸能ニュースに驚きました。923には過去いろんな著名人が来店しましたが、この二人も昔、京都でのコンサートのあと私の店に来ていたことを思い出します。週刊誌などに出る前の熱愛中の頃で、それから数ヶ月後には不倫愛として芸能ニュースで大きくとりあげられました。安全地帯として「ワインレッドの心」が大ヒットして、次の「恋の予感」が発売されてまもなくの頃でした。当時は楽譜も少なく月刊誌の「平凡」か「明星」の付録の歌本から楽譜を探して伴奏をした覚えがあります。玉置浩二さんは根っからの歌好きで私の伴奏で何曲もいい声を聞かせてくれましたが、私も本人の前で「ワインレッドの心」を歌ったことを覚えています。破局してから23年も経っているらしいので、逆算すると玉置浩二さんが27歳で石原真理子さんが22才だったようで、私はすでに39歳のおっちゃんだったようです。当時の石原真理子さんの美しさは輝くばかりの美貌で強く印象に残っています。
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妻は先々週からの抗がん剤治療のせいか疲れて寝ている時間が多くなっています。先週はほとんど店を休んでしまい、今週は出ると言っていますがどうでしょう?今週の元気値は先週より下がって66!
●(280) 2009年2月23日
「家事」
先週は妻が3日間、抗がん剤の薬剤治療に行きました。抗がん剤治療中は特に疲れがひどく、寝ている時間がより多くなります。相変わらず病人ばかりの我が家で、私の毎日は慌ただしく過ぎてゆきます。夜はもちろん店があるわけですが、これも妻のやってくれていた仕事もあるので私の負担はより多くなります。昼間は病人の見舞いと家事、雑用で一日中バタバタ。お陰で今までやったことのない洗濯はもちろん、ご飯を炊いて食事の用意もできるようになりした。味噌汁くらいは作れるまでに進歩しています。こうして家事をしてみるとつくづく主婦の仕事の大変さを実感します。洗濯も洗濯機がしてくれるからと思っていたのですがのですが、なかなかそうでもなく、干して、取り込んで、たたんで、しまうということはなかなか手間のかかることです。食事の準備も大変ですが、食べ終ってからの片付けはそれ以上にめんどうなことです。料理も勉強するとおもしろいのでしょうけれど、今のところ楽しむ余裕はまったくありません。ということで、このところまったく自分の時間がなく、今週も内容のないことで失礼します。
ある調査では苦手だと思う家事の仕事は次のようなものらしいです。
●男性の場合
★1位、食器洗い(後片付け)、★2位、キッチンの掃除、★3位、風呂掃除、
★4位、トイレ、洗面所の掃除、★5位、ゴミ出し
●女性の場合
★1位、キッチンの掃除(ガス台、換気扇の掃除)、★2位、アイロンがけ、
★3位、食器洗い、★4位、窓拭き、★5位、窓やサッシの掃除
●(279) 2009年2月16日
「交通違反」
昨年末から続けて3回も交通違反の切符を切られました。ここ数年は駐車違反もしない優良運転手でいたのですが、連日の病院通いで車に乗ることも多いからでしょうか、捕まることが続きました。まず昨年11月に病院へ行く途中に同乗者がシートベルトをしていなかったため青切符で減点1点。これは私も違反の認識が足らなかったのと、また久しぶりの違反で罰金も無かったので今後気をつけようということで納得していました。ところが12月には自宅近くのあまり通らない道を通って一旦停止の取り締まりトラップ(?)にピタリとはまり減点2点で罰金7千円。そしてまた今月も平安神宮近くで一旦停止違反。これはサイレン鳴らした白バイが追ってきて、「えっ!私か」と驚きました。毎日行く場所は変らないのですが、向うに見える信号の都合で曲ったりして、いろんな道を通るのが失敗の原因。大通りを通っていけばまず違反をすることはないのですが・・・。とりあえず減点がトータルで5点ですから、次に何かすると免停になりますので、この1年間は駐車違反もできません。
そもそも生活圏の中では取り締まりの場所も知っていますので、ほとんど捕まることはないのですが、若い頃には遊びなどで遠出をした時には何度か捕まりました。特に5月のゴールデンウィーク中などは最も多く、信州からスキーの帰りにみんなで高速を連なって走っていて、私だけがスピード違反で捕まったりなんてこともありました。高速道路でのスピード違反は最低でも20キロでしょうから、この時も25キロ以上オーバーで即免停になった苦い思い出があります。また地方であまり車の通らない農道のような国道で、10数キロのスピードオーバーで捕まったのなどは許して欲しいようなものでしたが、違反は違反でしょうがないです。
交通違反で捕まれば、以後反省して安全運転に気をつけるようしなければいけないのは当然なのですが、どうも運の悪さを嘆いている自分があります。
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今週も妻の体調は変らず、元気値は70!
●(278) 2009年2月9日
「世界天文年」
このところは我が家の家族も病人ばかりで心にゆとりが無くなります。今日の夕方たまたま東の空を見るとちょうどきれいな満月。仕事が終って帰るころに空を見上げると天空はもうすでに春の星座で北斗七星が輝いて見えます。たまには世俗から離れてゆっくり夜空でも眺めてみるゆとりを持ちたいものです。無限の空間、無限の時間の大宇宙の中で今わずかな時間、ここに生きている神秘と不思議さを思って人生のロマンに思いを馳せてみるのは如何でしょうか。
ところで今年は「世界天文年」らしい。ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で夜空を観測したのが1609年で、今年が丁度400年目になるので宇宙に関心をもってもらうようにと国連が「世界天文年」と定めたのだそうです。私達の見ている夜空も毎年いろんな天体ショーを見せてくれますが、今年の肉眼で見えるものは次のようなものです。
2月 9日 半月月食
20日 金星最大光度
★ 24日 ルーリン彗星
4月22日 こと座流星群
6月18日 コップ彗星
★★ 7月22日 皆既日食・部分日食
28日 みずがめ座デルタ流星群
★ 8月13日 ベルセウス座流星群(1時間に流星60個)
10月 3日 中秋の名月
21日 オリオン座流星群
★ 11月18日 しし座流星群(1時間に流星100個)
★ 12月14日 ふたご座流星群(1時間に流星100個)
22日 こぐま座流星群座
★印の付いたものはお奨めものですが、7月22日の皆既日食は★★で特にお奨めものです。私達も見てみたいですが観測地は奄美大島辺りらしく、その日は島の宿泊はどことも予約で一杯らしい。でも日本各地で部分日食は見られるようですので、京都で見ることにしましょうか。
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妻は相変わらず店には出ているのですが体調はもうひとつ。先日もお客様からどこでも何でも好きなものをご馳走するとご招待頂いたけれど、食欲が無いとお断りするような始末。今週の元気値も70!
●(277) 2009年2月2日
「お年玉つき年賀はがき」
先週、お年玉つき年賀はがきの抽選がありました。むかしは15日の成人の日が抽選日だったのですが、このところ10日ほど遅いようです。今年の我が家の賀状からは切手シートが7枚当りました。このところはいただく年賀状が300枚ほどですので、確率的には切手シートの当り6枚が妥当なところです。以前はもっと年賀状がきていたのですが、切手シート以外ほとんど当りません。以前に切手シートの上の3等の手紙セットか、ふるさと便の食品が数回当ったような記憶がありますがはるか昔のことです。
ところでこのところの1等賞の賞品をご存知でしょうか。平成に入ってからは好みの多様化に対応して切手シート以外はいろんな商品の中から選ぶようになっているようです。今年の1等賞はハイビジョンテレビ+ディスクレコーダー、一眼レフカメラセット、マッサージチェア、炊飯ジャーと米、旅行プラン・・・など。2等賞は家庭用ゲーム機、電子辞書、デジタルカメラ、多機能体重計、日帰り旅行・・・などの中から。3等賞は有名ブランド食材ということです。
そもそも年賀はがきは通常の官製はがきを年賀状として使っていただけで、このようなお年玉つきの年賀はがきが始まったのは昭和24年(1949年)とのことらしい。ちなみに昭和24年当時の特賞はというと「ミシン」らしい。1等賞は「純毛洋服地」、2等賞は「学童用グローブ」、3等賞が「学童用こうもり傘」だったそうです。その後の1等賞(最高賞)は昭和31年(1956年)が「電気洗濯機」だったらしいですが、そういえば我が家に電気洗濯機が来たのもこの頃だったような気がします。昭和35年(1960年)の1等賞品は「フォームラバーマットレス」だったそうですが、この頃もやはりスポンジラバーの入った3段折りのマットレスが流行っていて、親が買ってきたことを覚えています。昭和40年(1965年)以降になると電子機器の賞品が多くなり「ポータブルテレビ」とか「8ミリ撮影・映写機セット」など。そして昭和59年(1984年)には「電子レンジ」、昭和61年(1986年)には「ビデオテープレコーダー」が登場します。1等商品の変遷を見ても時代を反映していておもしろいものです。
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妻の体調は相変わらずで少々気力不足。今週の元気値は70!
●(276) 2009年1月26日
「ホテルの仕事」
先週は新年会のパーティーでブライトンホテルに行きましたが、あいにくの雨。たくさんの機材がありますのでブライトンホテルのように1階玄関から搬入のところは雨の日は困ります。ホテルでの仕事では準備のため宴会の始まる1時間半ほど前には会場に入ります。今はどこのホテルでも親切で表から堂々と搬入しますが、一昔前は楽器搬入などは出入り業者と同じような扱いで、裏口からとか調理場経由とかいうようなホテルもありました。そんなわけで宴会場のあるような京都のホテルは、どこでも裏からの入り口や内部の通路を知っていました。このところはホテルも親切でドア係りや宴会担当などがお手伝いを申し出られるのですが、迷惑で丁重にお断りをしています。機材は結構重く中には壊れ物もあるので、自分のペースでやるほうがよっぽど気楽ですし、まして最近のホテルのドア係りは女性ばかりのところもあって、こちらとしては女性に来られても気を遣うだけです。
会場での開宴までの準備は看板をつける大道具さんや、照明やPA調整の音響さんと一緒に仕事をしているのですが、ホテルの従業員は客用のテーブルの準備、食器やグラスの確認などにとおおわらわです。ホテルも宴会が詰っている時などは前の宴会が時間的に押してくると、隣りの部屋で準備待機していて、終ってから大急ぎで移動するわけですからみんなが大変です。ホテル側はもちろんテーブル準備が優先ですので、私も気をつかいながらバンドのステージを作ってもらって準備にかかるわけです。大きな宴会などでは時間が迫ってきますと、担当の責任者が「あと10分です・・・、あと5分です・・・、扉を開けます・・・、」と叫び、開宴の数分前まで会場内が戦争状態になっていることもあります。終ったあとも、はやる気持を抑えてすべてのお客さんが掃けるのを確認してからの片付けと翌日の準備になります。
私は開演前の準備から、宴会、そして終ったあとの片付けでトータルで約6時間もいるわけですから、ホテルの裏側と宴会中のサービスなどを一番よく見ているかもしれません。テーブルとグラス、フォークなど準備、開宴前の点呼やミーティングと指揮系統、もちろん宴会中の料理の内容と出し方、飲み物のサービスの仕方、後片付けの段取りなど。そして音楽的な部分では入場、お開き時、乾杯、表彰、抽選会などの時の音楽の使い方とタイミングです。昔と比べると、このところはどこのホテルも料理の出し方や音楽には気をつかっているようですが。
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妻の体調も相変わらずで変りはなかったのですが、先日店へ来られた大学病院の先生から「気力が足らない」とご指摘を受けました。それ以来少し積極的な気持で元気になったようで、今週の元気値は72!
●(275) 2009年1月19日
「年賀状」
このところ少なくなったとはいえ毎年300枚ほどの年賀状をいただくでしょうか。私どもも一年に一度のご挨拶のつもりでお出しするのですが、もう何十年も年賀状だけでしか連絡をとっていない人もいます。そういう方は賀状だけが近況や消息の確認できる手段でもあります。このところの我々世代から来る賀状では書いてある内容も人生を語るような内容のもの、定年退職、転職のこと、退職してからいろんな世界で頑張っているようなこと、それに病気と体力の衰えなどがほとんどですが、差出し人の名前を書き忘れているような呑気なものもあります。そんな頂いた賀状の中から本人に無断で少しご紹介。
◆趣味の世界で楽しんでいる人からのメッセージでは
★「”86歳まで現役で歌う”という指導者のもと、健康に気をつけて合唱を頑張っています。」
★「昨年ギター弾き語りと題して、2時間の発表をしました。楽しんでいます。」など
◆病気の話題からは
★「四十歳代に肝炎を患い医師から”食後の一睡、万病丹”を教わりました。
以後うまく昼寝をして健康を保とうと現在も続けています。」など
◆体力の衰えからは
★「最近、一段と脳の記憶容量が減ってきたように思います。何でもその場でメモ。
そんな自分に、『今を生きる人』と名づけました。『今この瞬間を大切に生きたい』という思いをこめて。」
◆そんな中でも思わず笑ってしまう同級生からの賀状です。
★「毛が抜ける、歯が抜ける、抜けないのは疲れだけ。
先日も冷蔵庫の前で何だっけ?しばらくして、あぁそうだ福神漬け、
この前はマヨネーズ。そんな毎日です。いやになります。」
今年も一年みんな元気で過ごしたいものです。
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妻は相変わらず店には出ていて、本人は元気だと言っているのですが、いつも疲れ気味の様子で暇があれは寝てばかりいますので、今週の元気値は先週より下がって69。
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