気まぐれ日記No.20
 2009年4月〜        毎週月曜更新しています          藤山一男

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●(303) 2010年1月25日
「年賀状のないお正月」
 今年のお正月は家内がいなくなったことでの寂しさもありますが、年賀状が来ないのも寂しいことです。もちろん当方からの喪中欠礼ハガキが遅れたことでの連絡不足もありますので数10枚程度の年賀状は頂きます。
 そんな中、かつての日本を代表するテニスプレイヤーだったFさんから新年早々に年賀状の代わりに心温まるはがきを頂き、お気遣いに感激しました。毎年ウィンブルドンのTV放送で解説をされているあの方です。
 「謹賀新年」とかが書いてある場所には「偲ぶ春」。そして文面にはご丁重な偲ぶ言葉が書かれています。多分喪中の方には年賀状が出せないので別にこのようなはがきを作って新年のご挨拶として出されているのだ思います。Fさんは普段からも几帳面で真面目な方なのですが、何事にも細やかな気遣いをされる方なだとつくづく感心します。以前にもウィンブルドンから何回か絵はがきを下さいましたが、まめにたくさんの方にはがきを書いておられるのだと思います。また年賀状にはいつも必ず自筆の文章が書き添えられているのも私などとは違います。
 今年は他にも知人から早々に寒中見舞いを頂きましたが、年賀状のない今年の正月の寒中見舞いなどは嬉しいもので今後見習わなければと思います。といいながら寒中見舞いを出そうと思いながらも毎日の雑用に追われて間にあわなくなってしまっているのが現状です。

●(302) 2010年1月11日
「今年のおみくじ」
 謹賀新年。皆さまにはよい年をお迎えになられたことと思います。本年も何卒よろしくお願い致します。新年早々から遅れ遅れの更新で失礼します。
 あっという間にお正月休みも終ってしまいました。年末は29日まで仕事でしたが当日は会社の忘年会で貸切り、それが終ると店は早仕舞いで我々もささやかな忘年会。30日は店の掃除と片付け。31日は家の片付けと正月の料理。おせちは年末に料理屋に頼んだとはいえ自分でもカズノコを戻したり、大きなたらの子を焚いたり、くわいも焚いたりと初めての試みばかり。毎年お正月に母がしていた寒天も作ってみました。夜は紅白を見ながらすき焼きをして一杯、年越し前には鰊そばを作って新年を迎えました。元旦は少々遅い寝起きでしたがそれでも起きてすぐにおすましの雑煮を作っています。慣れないことゆえこのところキッチンに立っている時間も長く母や妻の苦労が分りました。
 新年2日に近所の大石神社に初詣でに行って珍しくおみくじを引いてみると「吉」でした。ところで「大吉」「中吉」「小吉」「末吉」とあると「吉」は運勢的にはどこに位置するのかと考えてしまいます。「中吉」と「吉」では「中吉」のほうがよさそうですが「小吉」の場合はどうなのでしょう。また「末吉」よりは「吉」のほうがよさそうなのですが・・・。まああまり良いことも書かれていないので「吉」の中でも一番下のようです。今年ももっと努力しなさいということなのでしょうからそれなりに頑張りますのでどうかよろしくお願い致します。

●(301) 2009年12月28日
「よい年をお迎えください」
 本当に毎日が超特急で過ぎてゆき自分の時間が持てない日々が続いています。「気まぐれ日記」もこの時点で再開したのは少々早すぎたと反省しています。その日にしなければならない事がその日にできなくて翌日、翌々日に順送りになっているような状況です。そもそも妹の食事の世話や掃除、洗濯、母親の見舞い、店のための準備などなど、基本的にしなければならない仕事でほとんどの時間がつぶれ、プライベートな時間がないのが現実です。景気が悪いとはいえ年末になると店もそれなりに忙しく、そのうえ出張演奏の仕事もあるので毎日が戦争状態です。店も忙しいと買い物や掃除、仕入れや付き出しなどの準備の時間も増えます。経理も伝票の数が増えると記帳も増え請求書を出す仕事量も多くなります。喪中の年賀状欠礼のハガキも年末ギリギリでやっと200枚ほどだけ先週に出し終えたところです。本当に毎日小走り状態で生活しているようで、店にいるときが一番ノンビリゆったりしている時のようです。
 あたりまえのことでしょうが妻が亡くなってからは生活のすべてを自分の責任でしなければいけません。戸締り、ゴミだし、風呂の火やエアコンなどの確認、店の仕入れ、支払い、洗剤や調味料などの残量確認と買い物。ずっと妻頼みでいた頃は無頓着でしたが今はゴミだしなどもあるので曜日と日にちの認識意識は非常に高くなりました。この歳になってボケ防止にはいいかもしれませんが毎日いろんなことに気を張っていなければいけません。今まで経験のない料理などにも本を見ながら毎日挑戦していると何とかなるもので、少しずついろんなことが分かって日々新たな発見があります。
 そんな忙しい中にも、大学時代の女性たちが「私を励ます会と誕生日会」に招待してくれたり、知り合いの展覧会で高島屋へ行ったり、お歳暮の段取りをしたりと、あっという間に一週間、十日が過ぎてしまいます。まだ日展にも行かなくてはなりませんが来年早々にしましょう。
 今年は家内のことを含め皆さんに大変お世話になった一年でした。まもなく今年も終ろうとしています。
 どうぞよい年をお迎えくださいますよう心よりお祈り申し上げます。

●(300) 2009年12月14日
「今年の東福寺」
 一日中仕事に追われている毎日ですが、12月になるとなおさら忙しく「気まぐれ日記」を書いている時間もありません。ご覧になっておられる皆さまにはお許しを頂きたいと思います。ということで今週は写真で失礼します。
 先日通りがかりに東福寺へ行ってみました。12月になってもまだまだ人が多い。今年の紅葉は早かったこともあってほとんど枯れ落ちていました。モミジの絨毯さえも枯れて色あせています。でも写真に撮ってみるとそれなりには写りますが・・・。

  
                            東福寺の紅葉

●(299) 2009年12月7日
「哲学の道の川の行く末A」
 「哲学の道」沿いの川は疎水分流として人工的に造られた川です。もともとは南禅寺のところから北上して銀閣寺道のところで西へ曲り、北白川通を越えてまた北へと向きを変えます。しばらくは北白川と並行して北上、そのあと次第に北西へ向きを変えて高野橋(北大路通高野川)の少し北のところで川の下を通って松ヶ崎へ抜けます。洛北高校の北側を通るのですがこの辺りが琵琶湖の水位と同じ位で、ここより北へは行けません。次第に南下して下鴨の住宅街を南西方向へ通り抜けて北大路通りの府立大学前を斜めに横切ります。そして今度は賀茂川の下をくぐり抜けて紫明通り沿いに堀川まで行きます。紫明通りが市内の道にしては変にカーブしているというのはもともと疎水が流れていたからなのでしょう。
 今年の3月末でしたか、40年ぶりに堀川に水が流れるようになったという記事を見ました。一条戻橋から押小路までの間を親水公園として一般に開放されることになりました。京都以外の方は一条戻橋といってもご存知ないかもしれませんが、このところ有名になった晴明神社のあるところで今出川を下がったところです。そこから御池までの約2キロの距離です。もともと堀川は平安京造営のための材木運搬のために造られた運河で我々の子供時代には友禅染の洗いで使われていた記憶がありますが昭和30年代の道路整備などで水を流さなくなりました。この川にまた再び水を流すようになったのですが、これに先の疎水分流から引いた水を使っているとのこと。
 ということで話は長くなりましたがもともと「哲学の道」のところに流れていた水が堀川に流れているということになります。夏前には下鴨の疎水沿いはホタルの名所になっています。そのうちに堀川にもホタルが飛んだり琵琶湖の魚が泳いでいたりすることがあればいいのでしょうけれど。と思って通りがかりに川のところへ降りてみましたが余りにも水が少なく底を濡らしている程度で乾いている所もあるくらいでした。これでは魚は住めないしホタルも来ないだろうとガッカリでしたが・・・。

      
                        堀川の親水公園


●(298) 2009年11月30日
「哲学の道の川の行く末@」
 この時期の京都は一年で一番観光客が来られる忙しいシーズンで、なかなかホテルの予約もとれない。東山沿いなどは慢性的な渋滞になりますが、哲学の道なども街なかのラッシュ時のような混雑になります。
 哲学の道は春は桜、秋はもみじと、年中観光客の散策スポットになっていますが、この哲学の道沿いの川は以前にも「京都の川」No.11(174)として書いたこともありますが、市内の川としてはちょっと異例の川です。というのは京都では北へ行くことを上がる、南へ行くことを下がるというように市内の川はすべて北から南へ向って流れてゆきます。ところが南から北へ流れている川が2ヶ所あります。
 一つは蹴上げから動物園横を通って流れてくる疎水が岡崎の仁王門通りから冷泉通りへ向うところです。ちょうど「みやこめっせ」(京都市勧行館)や「京都会館」の西側を流れているところです。もう一つは「哲学の道」沿いの川です。どちらも疎水ですから人工的に造られた川です。「京都会館」横の疎水の北上は僅か数百メートルの距離なのですが「哲学の道」沿いのものは相当長く北上します。「哲学の道」を歩いている人は常識的には川は銀閣寺の方から南禅寺の方へ流れていると思うでしょう。その川が北に向って流れているという不思議に気がつく人はあまりないと思います。またその後、その川がどこへ流れてゆくのかということは京都の人でもあまり知らないでしょう、というか気にしていないのでしようけれど・・・・。 (続く)

●(297) 2009年11月23日
「寿命」
 妻が亡くなって4ヶ月以上が過ぎました。「散る桜 残る桜も 散る桜」という句がありますが、残された私たちもそういつまでも生きられるわけではありませんので長い歴史の中でみればそう大した差ではないのかもしれません。
 日本人の寿命は今や80歳ほどになってきていますが、今からほんの100年前の平均寿命はまだ43歳だったらしいです。当時の世界の最先進国であった英国ですら46歳だったようです。明治時代なら我々も今のこの歳まで生きられてよかったと思わなければなりません。信じられないようなことですが日本人の平均寿命が50歳を越えたのはなんと昭和22年だそうです。この半世紀で日本人の寿命は30年以上伸びたらしい。
 長く生きていればよいというものでもないし、短くても内容が充実していればいいのではないかとも思います。私も50歳くらいまでは遊んでばかりのお気楽人生でしたが、この十年くらいは父親の死と家族の病気で人生についていろいろと考させられます。遅ればせながらこの歳になって人生の全体像が分ると.つくづく残された時間を大切にと思うこの頃です。

 春先には豪華絢爛に咲く高野川沿いの桜もすっかり色づきました。下には「気まぐれ日記No.5」(78)より桜の時期の写真を載せてみました。

                        色づいた桜の木(出町柳より)



●(296) 2009年11月16日
「虹」
 虹は英語ではレインボー「rainbow」で「雨の弓」、フランス語ではアルカンシェル「arc.en.ciel」といって「空に架かるアーチ」の意味らしい。日本の方言では「鍋づる」「お釜つる」「太鼓橋」などと表現されている。たまに驚くような美しい虹を見ることがあります。
 11月2日は冬型の気圧配置になり木枯らし1号が吹いた日でした。午前中は妹が検査入院をするので伏見区の病院へ送り届け、午後は母の見舞いで北山の病院まで行くことに。途中でしぐれの雨が降りだしましたが西山の方は晴れていて太陽が光っていました。東の空を見ると突然色鮮やかな大きな虹。こんなに大きな綺麗な虹にであうことは5年に一度もあるでしょうか。出雲路橋のところで思わずカメラを出して写真を撮ってみましたが、とくした気分です。まわりを見るとみんな携帯で写していました。
 太陽が高い位置にあるときの虹は小さいのですが、この日は3時を過ぎてからでしょうか、かなり低い位置でしたので格別大きな虹になりました。大きすぎて私のカメラでは1枚には入りきらなかったので2枚つなげてみましたがどうでしょう?:翌日の新聞にも掲載されていたくらいですから相当すごい虹だったようですが、写真では現場で見たときほどの感激は写りません。こんなこともあるのでいつでも何かあれば写せるようにと車には常時カメラが置いてあります。
 たまたま見た週刊誌の川柳投稿欄で「虹」がお題に。その中から一句。
          「出た虹を 見知らぬ人に 教えられ」
 そうそう!きれいな虹が出ているときに気付いていない人がいれば教えてあげたい気持になりますね。

   
                         虹の景色(出雲路橋)
●(295) 2009年11月9日
「妻とラストステージ」
 当初から「偲ぶ会」で私が30分ほどのステージをすることは義務付けられていました。当日はいつも一緒にステージをしていますギターリストの古川忠義氏がどうしても都合がつかないということで知り合いのピアニストと一緒に、とかいろいろ考えてみたのですが時間的に合せる余裕もなく、結局私一人でのステージになりました。私一人といってもステージ後ろに大きなスクリーンを出してもらって、プロジェクターで妻のしゃべったり歌ったりの映像を映しながら二人での最後のステージとなりました。ステージの構成が良かったとプロの方をはじめいろんな方に誉めて頂きました。
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「ステージ」の進行
 このステージに相応しい曲ということで2曲選びました。どちらもたまたま中島みゆきの曲になってしまいました。
**「糸」** 
 まず最初に「糸」という歌を歌いました。概略はこんな詩です。

 〜♪〜 なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
      いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない
      どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語
      縦の糸はあなた 横の糸は私 
      織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない
      逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合わせと呼びます 〜♪〜

**「百万本のバラ」**
 次に妻が歌う「百万本のバラ」の映像を流しますと、後半は皆さんの手拍子で盛り上がりました。
**「金子みすゞ」ステージ**
 “みすゞ”さんの曲から妻のMCで私が歌う、私のMCで妻が歌うという構成で5曲を綴りました。
 最後は「私と小鳥と鈴と」を新しいパートナー本郷さんと歌いました。
**「きのう京」**
 35年前の二十代の我々が歌っている映像を流しましたが、当時の髪型とファッションに大受け。
 私の大アップの映像では爆笑。
**「誕生」**
 もう一曲私の選んだ曲で、今日のテーマです。もともとはかなり長い曲でちょっとしつこい気がします。
 勝手に1番と2番をまとめて1コーラスにしました。歌った歌詞の概略はこんなものです。

〜♪〜 ひとりでも私は生きられるけど でも誰かならば人生ははるかに違う
     強気で強気で生きてる人ほど ささいな寂しさでつまづくものよ
     ふり返るひまもなく時は流れて 帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
     すがりたい誰かを失うたびに 誰かを守りたい私になるの

     別れゆく季節をかぞえながら 別れゆく命をかぞえながら
     祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
     忘れない言葉は誰でもひとつ たとえ「サヨナラ」でも愛してる意味
     
     Remember生まれた時 誰でも言われたはず
     耳をすまして思い出して 最初に聞いたWelcome
     Rememberけれどもしも 思い出せないなら
     私いつでもあなたに言う 生まれてくれてWelcome

     Remember生まれたこと       Remembe出逢ったこと
     Remember一緒に生きてたこと  そして覚えていること 〜♪〜

**「ヘッドライト テールライト」**
 三十周年のアンコール曲で歌っている映像から最後部分のみ流しました。
 最後は妻は感激してウルウルしながら「旅はまだ終らない〜〜〜」と歌いながら幕が降ります。
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 「糸」も「誕生」も良かった、覚えてみたいという方が何人かおられました。この日までに「誕生」という歌を練習している時に「Remember〜〜〜」のところで思いがこみ上げて歌えないことが度々ありました。当日もしっかり泣かずに歌えるかは心配でしたが、歌い手が泣いてしまうことは厳禁。絶対にしっかり歌うという強い信念で臨みこの日は何とか平常心で歌いきれjました。
 お越しになった方々に「よい会だった」、「感動した」と言って頂きました。喜んで頂けたようで嬉しいです。
 私もやっと妻の供養ができたような気がしてほっとしています。

  

●(294) 2009年11月2日 
「偲ぶ会」
 10月18日(日)にハイアットリージェンシー京都で「偲ぶ会」をして頂きました。家内が亡くなりあとに残された頼んない私のことを心配して「由美ママを偲びながら 923を励ます会」という長いタイトルの会になりました。
 発起人さんのお世話があるとはいえ当方の準備も本当に大変でした。案内状ができたのが9月のシルバーウィーク前の19日(土)でした。連休中は一人で封筒入れと切手貼り。宛名書きは間にあわないのでタックシール。何とか600枚を出しましたが、配達されるのは連休明けの24日(木)ですから遅すぎます。でも印刷などをお世話下さる皆さんも頑張って頂いているのですからしょうがないことです。それでも京都の方はもちろんのこと北海道、九州、四国、北陸、関東などからもお越し頂いて約200名にもなりましたことは驚異です。
 そのあとは本来9月末で締め切ったはずの出席者の名簿作りですが、いつまでたっても連日ハガキがきたり電話での申込みがあったりで出席者が確定しない。4、5日前に受け付け用の五十音順の名簿を作ったのですが、その後も連日出席者が増えたり、都合の悪い人があったりと毎日名簿を作り直しです。最終的に当日の午前中に名簿を作ったのですがその後も出席者1名と欠席1名がありました。
 席決めでもかなり苦労をしました。とりあえず全員の名刺サイズのカードを作って、知り合いごとに一緒にして十人の組を作るという作業にしました。ところがそこから何人か欠席者が出ると、それを埋めるためによそのグループからもってくる。とするとまたそれを埋めるために他のグループを壊す。ということになってまたまた全体がバラバラになってゆきます。当日の会場でまで席の入れ替えをしていました。
 それにしてもこのひと月はよく泣かされました。家内が亡くなってからはもう3ヶ月になりますので家内の亡くなったことで泣くのは終りました。それよりこの「偲ぶ会」のご案内を出してから、皆さんに頂いた手紙やメッセージなどで思わず感動、感謝の涙を流してしまいます。お越しになる方のお気持はもちろんのこと、すでに予定が決っていて来れない方の返信用のハガキにギッシリ書かれた思い出、長文の励ましのお手紙、メールでのメッセージなど皆さんの優しさと暖かさが心に沁みました。家内も天国で皆さんに出逢えたことの幸せをつくづく感じていることと思います。

●(293) 2009年10月25日
「”気まぐれ日記” ボチボチ再開します」
 家内が亡くなって3ヶ月以上が過ぎました。百か日も過ぎ、「偲ぶ会」も無事終わりました。でも入院中の母と病気リハビリ中の妹の世話で、相変わらず毎日雑用に追われて一日中働きづめです。いつになったらノンビリできるでしょうか?またヒマを見つけて「気まぐれ日記」ボチボチ始めてみます。どうぞよろしくお願いします。

●「偲ぶ会」
 家内は8月27日に忌明けをしまして無事天国へ着いたことと思います。当方はあとあとの用事に追われて毎日忙しく動き回っています。
 お客さま方のお世話で下記の如く「偲ぶ会」をして下さるそうです。もしご都合がよろしければご出席して下さい。

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     「由美ママを偲ぶ会&923を励ます会」


   と き   10月18日(日)PM5:30受付 6:00開会
   ところ   ハイアットリージェンシー京都  (075)541-1234
             東山七条西南(〒605-0941東山区三十三間堂廻り644-2)
   主 題  「由美ママを偲ぶ会&923を励ます会」
   会 費  10,000円
            ご自由な服装でお越しください

   発起人代表  井澤英夫
   発起人     武田隆男、柏岡紀久雄、富田謙三、山田敏夫、若林卯兵衛、内海貴夫、
             四方宏治、田舞徳太郎、海蔵講平、長谷川佐喜.男、
             真宗大谷派・グループ恒沙、六人会。

   ご連絡  藤山携帯 090-8234-7939  E-mail:kf923@ezweb.ne.jp

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●「家内逝去」●
 わが妻923のママは長い間、闘病致しておりましたが7月11日の夜11時に力尽き、穏やかに天国へと旅立ちました。葬儀、告別式は近親者のみで執り行いました。長い間のご厚志に心より感謝致します。
 またお客さま方が秋に「偲ぶ会」を企画して下さっています。決りましたらこのページでもご案内を差し上げますので、ご都合がよろしければお越し頂ければ幸甚です。


●(292) 2009年5月18日
「毎週更新終了」
 家内が入院しまして約一ヶ月になります。病人の世話と介護で一日があわただしく終ってしまいます。つまらない事ばかり書いておりましたこのページもとうとう続けられなくってしまいました。
 「気まぐれ日記」ということで内容は“気まぐれ”で内容のないものでしたが、一応5年半以上も毎週欠かさず更新できましたことは、皆さんのご支援あってのことと感謝致しております。今後はそれこそ“気まぐれ”に書くこともあるかも知れませんが毎週の定期更新は終了します。長い間のお付き合いに心より御礼申し上げます。

●(291) 2009年5月11日
「コラボでコンサート」
 今年になってからは妻の体調が良くないので、ほとんどFUZZとしてのライブの仕事は受けていません。
 ゴールデンウィーク中の5月4日に草津のアミカホールで、初めて妻以外の女性と「金子みすゞ」ライブをすることになりました。ピアノの先生で歌手の方ですが、たまたま昨年店に来られて私の歌が歌ってみたいということがきっかけになりました。「スプリングコンサート」というピアノの発表会の後半の30分ほどを「金子みすゞ」でご一緒しました。私の「金子みすゞ」曲を6曲と武満徹の「小さな空」という曲をギター伴奏で歌いましたが、家内以外と「金子みすゞ」ライブをすることは初めてのことでキーの違いなんかもあって、音域的には少々無理をして歌う曲や新たに編曲した曲もありました。また武満徹の「小さな空」はそれまでまったく知らない曲でしたので自分で勝手なハーモニーを付けてデュエットにして歌いました。いつものポピュラー風ステージと違ってクラシック系のステージですので歌やギターのリバーブも薄く、声の悪い私などはアラが目立ちますので丁寧に歌わなければなりません。夫婦でするライブでの失敗は「ごめん」で済むのですが、今回は相手の方に迷惑のかからないようにとの責任がありますので失敗のないようにが基本です。今年になってから3回ほど音合せをしてのこの日でしたが、コンサートは必ず録音物で記録が残りますので後で聴いて上手く歌えていないと辛いものがあります。出来はともかく喜んではいただけたようですが・・・。
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 妻は依然として入院中。

●(290) 2009年5月4日
「ちあきなおみ」
 先週はライオンズクラブの歌唱(カラオケ)同好会のお稽古日でした。もう20年も続いているいる会で、年配の方が病気などで抜けていくのですが、それでも今回も最高齢は84歳。たまたま若い人の欠席が多かったこともあって平均年齢は70歳位でしょうか、年々平均年齢が上がってくるような気がしていますがみなさんお元気です。
 いつも新曲2曲を覚えて頂いていていたのですが、今回からは新曲は1曲にしてもう1曲は少し古くても良い歌をということになりました。今回の新曲は遅ればせながら昨年から大ヒットの秋元順子「愛のままで・・・」、もう1曲はちあきなおみ「黄昏のビギン」が課題曲です。この曲はもともと水原弘のオリジナル曲ですが、このところちあきなおみバージョンが人気です。
 「ちあきなおみ」はまったくテレビに出なくなって久しいのですが、以前に彼女が出したCDのアルバムは未だに人気があって良く売れているようです。自分のオリジナル曲はもちろんですが、他の歌手の歌をカバーしているのが特に人気があります。ちあきなおみというと「喝采」を代表とする演歌系歌謡曲のイメージですが、このアルバムで聴くと、ジャズを歌ってもきっと上手いだろうなと思います。「黄昏のビギン」も彼女がギターと語り合うように歌うこの曲はまったく違うイメージになっています。かつてCMにも使われたこともありましたが、カラオケにも「ちあきなおみ」バージョンの「黄昏のビギン」があるくらいです。アルバムの曲はすべて彼女のためにとまったく違う編曲がされていて、「夜霧よ今夜も有難う」や「東京の花売娘」もジャズバラード風の演奏で彼女の独自の世界を作っています。それとこの曲も以前にCMで使われていましたが「星影の小径」は秀逸です。
 翌週の新聞を見ると裏全面に「ちあきなおみ」大全集の通販広告が出ていました。私が借りてきたのは2巻だけでしたがが全部で10巻166曲ものセットがあるようでした。他にも「朝日のあたる家」「氷の世界」「酒と泪と男と女」などの入ったアルバム、「愛は傷つきやすく」「別涙(わかれ)」「愛のフィナーレ」」などのアルバム、「シャンソン」ばかりを歌ったアルバムなどがあって、どれも一度は聴いてみたい気がします。
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 妻は依然入院中です。病院ではそれなりに元気にはしています。

●(289) 2009年4月27日
「筍」
 先日いただいた高級タケノコを湯がくには非常に大きな鍋が必要です。多分普通の家庭ではこんなに大きな鍋は持っておられないでしょうが、我が家はタケノコ湯がきは春の定番でしたから特大の鍋が2つもあります。タケノコのことは以前の「気まぐれ日記No.2」(28)の「蕁麻疹」のところにも書いていますが、毎年知り合いのところで度々タケノコを採っていましたのでアク抜きの要領は分っているつもり。
 何とか上手く湯がけたのでとりあえずタケノコごはんをすることにしましたが、毎年食べているのにいざ自分で作ろうとするとどのくらいの量を、どう切ったらいいのか分らない。とりあえずサイコロ状に角切りにしたのですがこれが失敗で少々歯に触りすぎました。味の付け方も薄くて失敗でした。2回目は細長く切って味も少し濃くしたのですがそれでもまだ味つけが足lりません。味は薄くてもタケノコ自体が最高のものでタケノコの香りを感じて美味しく食べましたが・・・。たまたまTVを見ていると料理番組でタケノコごはんの特集をやっていたので勉強してみると、タケノコご飯を焚く場合には吸い物よりも濃い目の味付けするとのこと。もう1回分はあるので今週再度挑戦。
 今まで食事の時には味噌汁専門で吸物や煮焚きものはやったことがなかったのですが、タケノコの吸い物にも初めて挑戦。料理本を見るとダシと酒、薄口醤油を入れるらしいのですが量の加減が分らない。何とか少し入れては味見をして、何とか吸物らしい味になりましたがワカメと木の芽を買い忘れたのがまた失敗。このところは必要に迫られてTVの料理番組も真剣に見るようになりました。

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 妻は前週の抗がん剤の治療以来体調が良くなく、とうとう20日から入院してしまいました。この「気まぐれ日記」も時間的に余裕がなく内容不足は否めませんがお許し下さい。


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