緩和 09






 それはまるでゴールテープでも切ったかのような感覚だった。
 狭い道から抜け出し、広く見通しのいい場所へと躍り出る。
 これまで前を向いて走る事に精一杯だったが、この時初めてチラリとでも後ろを振り返る余裕がハーヴェイの中で生まれた。
 追い掛けられている状況は変わらないというのに、広い場所に出たというだけで「ここまでくれば何とかなる」という漠然とした勝機を感じたのだ。
 何故かは判らない。

 そして横目で見た背後の状況についても、すぐに理解する事が出来なかった。

 先ほどまであったはずの自分に向けられた「待て」や「宝石寄こせ」の大声がいつの間にか消えている。
 その代わりに辺りに響いたのは、カエルの潰れたような声や盛大な悲鳴。
 バタバタと何かが一斉に倒れる音。
 一体何が起きたのか。
 今度は大きく首を回して後ろを振り返ろうとするが、その時急に脚と脚がもつれ合ってバランスを崩し、顔面から滑るようにして地面へと叩きつけられた。
「……ッ!!」
 痛いなんて一言ではとても片付けられない激しい衝撃がハーヴェイを襲う。
 うつ伏せに倒れた事で身に着けていた宝石が地面とハーヴェイとの間に入り、硬いそれが身体に容赦なくめり込んでくる。
 声も出ない激痛の中で思わず涙目になりながらも、今の状況を確認する為に顔面を手で覆いながら何とか仰向けに身体を起こした。

 見るとそこには無数の人の山が出来あがっていた。
 折り重なるようにして地面に伏せっている人、人、また人。
 それは先ほどまで怒涛の勢いでハーヴェイを、いや宝石を追いまわしていた連中に間違いない。
 未だ状況が呑みこめずに尻もちをついたまま目を白黒させていると、聞きなれた声が近くから振ってきた。

「お、お疲れ様でした、ハーヴェイさん」

 キリルである。
 罪悪感混じりの声の方にジンジン痛みの響く顔を向けると、裏道出口の角で身を潜ませるようにして膝をついているキリルの姿が目に入った。
 そして反対側の角には同じようなルクスの姿。
 二人とも一本のロープの端と端を手に持ち、それを互いに引いてピンと張っている。
「………………」
 地面から三十センチほどの高さにある、裏道出口に突如出現した障害物。
 それを見た瞬間、ハーヴェイは全てを理解した。

「どうだった? 俺の作戦は」

 キリルの隣で壁に背を預けて悠長に腕を組んでいるこの策の首謀者へと視線を向ける。
 先ほど別れた時と同じ苦笑いからは、今にも「手酷く転んだな」という言葉が聞こえてきそうだ。

「……はは、ムカつくくらい完璧だよ、ったく……」

 顔面から手を離して後ろ手に付き、肩や胸を上下させて荒い呼吸を整える。
 その時地面につく手の感覚で自分が未だにナイフを握りしめているという事実に気づき、思わず乾いた笑みがこみあげてくる。

 視界の端では、ロープに脚を取られて共倒れとなった連中一人一人を容赦なく捕え、逃げられないよう手足を縛っていく非常に頼もしいキリルとルクスの姿があった。





 


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