緩和 08
「………………」
耳元で煩く鳴る宝石に音に混じって、微かに砂利を踏む音が聞こえる。
ジリジリ摺り足に体重をかけたような、飛び出るタイミングを計っているような音。
――――――――――かかった。
ゆっくりとした歩はそのままに、ハーヴェイの瞳が鋭くとがって後ろの気配を素早く探る。
三人、四人、いや、もっとか。
気配を隠しているつもりなのだろうが、ギラギラと獲物を狙う殺気がダダ漏れだ。
まさかこんな判り易い囮に食いつく人間がいるとは思わなかったが、どうやら明日からの士気の心配はしなくてもよさそうだ。
暇を持て余していた頭が回転を始める。
シグルドに授けられた策はここまで。
後ろに集まった連中をどう料理しようかと考える。
今まさに入ろうとしていた狭い裏道を利用し、多勢に無勢の状態から一対一に持ちこむ手もあるが、それだと戦闘状況を見て奪うのは無理と判断した人間がパラパラと逃げ出してしまうかもしれない。
一対一の状況を作るのは、相手よりもむしろハーヴェイにとって不利に働く可能性の方が高い。
ならばいっそ身動きがいくらでも取れるこの場所で素早く片付けてしまうのがいいか。
背後の砂利を踏みしめる音の感覚が狭まってきたような気がする。
ハーヴェイが裏道に入ったところで勝負をかけようと、しかし逸る気持ちを抑えられずに既にジリジリと詰め寄ってきていると、そんなところだろう。
連中はハーヴェイが自分達の気配に気づいている事を知らない。
ハーヴェイの口元がニヤリと持ち上がる。
難しい事を考えるのはもう止めにしよう。
先手必勝。
素早く振り返ると、息を呑む暇も与えずに気配のする方へと突っ込んでいく――――――――――いや、行こうとした。
が、ハーヴェイの脚は思わずその場で停止してしまう。
「おいおい、ちょ、な、何なんだこりゃ!?」
更には素っ頓狂な声まで上がってしまう。
間髪入れずに勝負をかけようとした不意打ち作戦は見事なまでの失敗に終わったのだが、しかし叫ばずにはいられなかった。
一網打尽に出来ればと思った。
そしてそれはハーヴェイの心配を余所に無事成功したといっていい。
しかし問題は、網に引っ掛かった獲物の数だ。
「お前らどんだけ金目のもんに飢えてんだ、この野郎!!」
大声で文句を放つと、闇討ちを諦めたらしい連中が一人、また一人と暗闇から姿を現す。
十まではハーヴェイもちゃんと数えたが、それ以降はもうそれどころではなくなった。
何が三、四人だ。
自分はここまで気配を読むのが下手だったのかと落ち込みたくなってくる。
今ハーヴェイの目の前には、二十はいるであろう男達がギラギラと瞳を光らせて臨戦態勢を取っていた。
その視線の先は、皆同じくハーヴェイの身体に無防備にぶら下がっている宝石のみ。
その状況にヒクヒクとハーヴェイの顔が引き攣る。
冗談ではない。
欲に塗れた人間はより大きく、強く、恐ろしく見えるというが、今がまさにそれだ。
いくら戦闘面に対して自信があるといっても、この中に飛び込むのは勇敢でもなんでもない。
ただの無知で無茶で無謀な行為だ。
次の瞬間、ハーヴェイの身体はくるりと連中に背を向け、猛スピードで裏道へと駆け出していた。
「逃げたぞ!」
「追え追え!!」
「それ全部寄こせ!!」
「ぎゃあああああああ! こっち来んなあああああ!!」
当然のように追ってくる連中に悲鳴めいた声が上がる。
宝石をガチャガチャいわせながら本日何度目かの全力疾走を強いられ、そして予想以上の動きづらさに思わず舌打ちをした。
余計なハンデがある分、ハーヴェイの足取りは徐々に連中よりも遅れ始める。
まだ裏道の半ばだ。
こんなところで捕まれば、宝石は一つ残らず持ち主の元に帰る事は叶わないだろう。
それはとてもハーヴェイに弁償出来る額ではない。
仕方がない、と腰に常備している剣へと手を伸ばす。
どう見ても一般人である連中に武器を振るうのは躊躇われたが、これも立派な正当防衛だ。
威嚇になればそれで良し。
そのまま態勢を立て直せばいいし、剣を振るうにしてもちょっとした切り傷程度に加減すればいい。
グッと柄を握りそれを引こうとする。
が、ここでハッと気づく。
こんな狭い場所で剣を抜いて満足に振るう事が出来るのか、と。
威嚇になってくれればいいのだが、そうならなかった場合、ハーヴェイはハンデを増やした状態でまた駆け抜けなければならなくなる。
とてもじゃないが逃げ切れる気がしない。
ならばこの状況をどう切り抜ける。
考えている時間はなかった。
スピードの落ちてきたハーヴェイに迫る叫び声や殺気、そして一本の腕の気配を敏感に感じ取ったから。
「……ッ!」
刹那、走るのを止め後ろに飛び退くように身を翻したハーヴェイは、流れる動作で懐から取り出した鋭利な一筋の光でそれらを掃い除けた。
薄皮一枚薙いだ程度か。
大切に身に着けていた、大切な借り物で。
それまで怒涛のごとく勢いで追い掛けて来ていた連中の脚が怯んだように一斉に止まる。
あの勢いで走っていてよくぶつからずに全員立ち止まる事が出来たなと、いっそ感心してしまうほど綺麗に。
「おいちょっと待て! コイツ、ナイフなんか持ってやがるぞ!」
「何だと!? 隙だらけだと思ってたらそんなもん隠し持ってやがったのか!」
皆口々に好き勝手な文句を垂れているが、これまで無防備だと思っていた人間の思わぬ反撃に警戒心を持ったようだ。
腰にぶら下げた剣に気づかないくらい宝石に目が眩んでいた連中だが、適度な間合いを保ったまま近づいてくる気配がない。
緊迫した空気が場を支配する。
まさかこんなところでシグルドから借りたナイフが役に立つとは思わなかったが、しかしそれは今確かにハーヴェイの身を守ってくれた。
きいたのか。
威嚇は成功したのか。
ハーヴェイはナイフを構え、ジリジリと対峙したまま相手の出方を窺う。
「怯むな! こっちは数で勝負だ!」
が、均衡は一瞬にして崩れ去った。
連中の間から上がった雄叫びに再び勢いに火がつく。
不毛な鬼ごっこ再開の合図である。
「やっぱ駄目だったああああああああああ!!」
ナイフを握りしめたまま再び走り出す。
一対一もやむなしな状況だというのに、ハーヴェイの頭からはそれがスッポリと抜け落ちてしまっている。
まずは連中の勢いを止める事。
いや、止めるまでいかなくても弱らせる事。
これが出来なければ話にならない。
今はただこの狭い場所から一刻も早く抜け出し、隙を見つけて態勢を立て直すしかない。
歯を食いしばって懸命に腕を振る。
この裏道の出口を、拓けた場所を目指して、立て直しの機会を目指して。
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