約束 9






× × ×


 白状した兵士の話によると、群島諸国への復讐、が主な目的だったらしい。
 今の国の内情を自分達の事は全て棚に上げて群島諸国の責任にした。
 そしてここで攻め込む準備を始めていたらしい。
 一般の兵士の言葉でも攻め込む意思があったと分かれば十分。
 ルクス達は兵士を解放し、配置された紋章砲を全て壊してから、調査はもう十分、というルクスの言葉もあってオベルに帰る事にした。
 キリル達はキカから借りた船でここまで来たが、勿論ルクスも彼がリノから借りている船でここまで来た。
 キリルへの依頼をギルドに届けた後にここへと来たらしい。
 不用意に上陸は出来ないが上手くやれば姿を見られる事なく偵察が出来るかもしれない。
 そう思っていたがタイミングがなかなか合わず、辺りを哨戒するに止まっていたところでキリル達が来た。
 キリル達から少し遅れて上陸し、戦闘の気配を感じて駆け付けた。
 そうしてルクスが合流したので当然船は2隻ある。
 ルクスは当然のように自分の船で帰ろうとしたが、折角だからこっちに乗って行け、と声をかけたのはハーヴェイ。
 船を放置していくわけにはいかないので2人ほどキリル達が乗ってきた船からルクスの船へと移し同じ航路で帰ろうという提案。
 別にわざわざ人を入れ替えてまで船を移る理由が分からない、とルクスは最初断っていたが、最終的には意見を譲らないハーヴェイと一緒にルクスを誘ったシグルドに根負けした形でルクスは船を移った。
 仕方なさそうにルクスが頷いた瞬間にシグルドはキリルの肩をぽんと叩いた。
 話し合う時間をくれたんだと理解してキリルは大きく頷く。
 ここからオベルまでの時間なら十分に話し合う事が出来る。
 2人の気遣いを無駄には出来ない。
 そう思ったが最初の2日間くらいは何も出来なかった。
 色々考えてしまってタイミングを見失ったというのもあるが、単純にエルイールでの戦闘が疲れたというのもある。
 こんな時に話をしても上手くまとまる自信がない。
 ただでさえちゃんと話し合えるのか不安なのだ、せめて体調だけは整えて気持ちに余裕を持たせたい。
 そう考えていたのだが、やはり何処か緊張したり不安があるのだろうか、ふと変な時間に目が覚めてキリルは起き上がる。
 外の様子を見て変な時間に起きてしまったなと思ったが、もう1度寝なおそうとは思えなかった。
 暗い部屋に1人きりというのはあまり良くない。
 どうしてもこの静かな空間は無駄な事を色々と考えてしまうので、眠れないと思ったキリルは諦めて部屋を出た。
 静かなこの時間では何処にいても考え事には打って付け。
 以前の旅で使っていた船ならば酒場と化した食堂に行くという手段が使えただろうが、この船にそんな場所はなく飲みたい人は部屋で飲んでいるのだろう。
 少し考えてキリルは甲板に出る。
 波や風の音があった方がいいかもしれないという考えがあったのと、慣れた人の気配があるような気がしたから。
 ふらりと甲板に出て見回せばキリルの勘は正しかった。
 向こうもこちらの気配に気付いて振り返る。
「どうしたの?」
 キリルの姿を見てルクスが少し驚いた様子で尋ねる。
 こちらにしてみればルクスだってどうしたんだと尋ねたいが、何となく、と返されるだけだろうと思って、目が覚めたんだ、と素直に質問に答えた。
「今ってどのくらい?」
「日付が変わって少し経ったくらい。」
「それならよかった。」
 他愛のない話をしながらキリルはルクスの隣に立つ。
 何気なく眠れない夜に甲板で眠くなるまで時間を潰した事は何度かあり、ルクスは毎回それに付き合ってくれた。
 だからこれは話をするいいチャンスだと思った。
 心の準備は出来ていないが、こういった偶然を大切にした方がいい時もある。
 今はきっとその時だと思った。
 覚悟を決めて旅の間に出来なかった話をしようと思ったのだが、その前に何故かルクスは寄りかかっていた船縁から体を離した。
「あまり遅くならないように。」
 それだけを言って立ち去ろうとしたルクスの腕をキリルは咄嗟に掴んだ。
 振り返ったルクスはキリルの腕を振り払いはしなかったが、少し困惑しているように見える。
「キリル君?」
「邪魔をしたのかな?」
「そんな事はない。」
「でもボクが来たから帰るんじゃないの?」
「………。」
「もしかして、ボクの事を避けてる?」
 今までそんな風には感じなかった。
 オベルにた時もあまり会えなかったが、ルクスは以前から無人島にいるか海に出ている事が多くオベルにはあまりいないという話を聞いていたので、元の生活に戻ったのなら仕方ないと思っていた。
 でも今のルクスの動きは不自然だ。
 自惚れかもしれないけど、ルクスはいつだって自分との時間を大切にしてくれたから、今までのままならこのまま一緒にいてくれる筈だ。
 眠くなるまでの時間を心配しながらも付き合ってくれる。
 そんなルクスに背を向けられれば、どうしたって避けられていると感じ、もしかしたらオベルにいた間も意図的に会わないようにしていたのかとさえ思えてしまう。
 しっかりとルクスの腕を掴んでキリルは答えを待つ。
 ルクスは困った様子のまま視線を逸らし、やがて小さくこくりと頷いた。
 嘘もつかず正直に肯定するルクスに、ショックではあったが同時に微笑ましい気持ちにもなり、苦笑いに似た笑みをキリルは浮かべていた。
「ボクは何かした?」
「何もしていない。キミは何も悪くない。」
 軽く首を横に振り、ルクスは覚悟を決めたように顔を上げる。
「ただキミと一緒にいたくない。」
 そうして綺麗な目を真っ直ぐに向けながらルクスはそんな事を言った。
 ルクスが持ってきた物だろうか、近くにあるランプの明かりが反射してルクスの薄い海の色をした目は不思議な色をしている。
 夕日に染まった海のようで、どちらにしても綺麗だ。
 そんな綺麗な目が辛そうに揺れる。
「どうして?」
「キミとの思い出は、もう欲しくない。」
 衝撃は確かにある。
 じわりと広がる鈍い痛みを感じるのだが、そんな事よりもルクスの様子の方が気になり、キリルはルクスの言葉の続きを落ち着いて待てた。
 逆にルクスの方がずっと動揺している。
 ルクスが落ち着いてキリルを宥める事ばかりが多いので、その逆は珍しいせいか何だか新鮮だ。
 新しい一面が見れたような気がして、それがとても嬉しい。
 やっぱりこのまま終わりにしたくないなとキリルは思った。
 こんなに大切で大好きな人を手離すなんて出来るわけがない。
 仕方がないと笑って頷けるような理由がない限りは絶対に手を離してやるものかと心に決めれば、自然とルクスの腕を掴んでいる手に力がこもる。
 その痛みを顔に出す事はしなかったが、ルクスはそれを合図にしたのか覚悟を決めたようにキリルの名前を呼んだ。
「キリル君。」
「うん。」
「ボクはキミに会えた事を奇跡みたいなものだと思っている。出会えて本当によかった。」
「ボクもだよ、ルクス。」
「ありがとう。そう言ってもらえてとても嬉しい。」
 ルクスがほっとしたように笑みを浮かべる。
 けれど不安そうなまま微笑まれても痛々しいだけだった。
「だからこれで十分だ。キミと出会えて一時でも傍にいられてキミの旅の手伝いが出来て。本当に十分で、ボクはこれで終わりにしたい。キミとの思い出は全てあの旅の中だけにしたい。」
 ルクスの腕を掴んでいるキリルの手を、ルクスも遠慮がちにそっと掴む。
 触れたと言ってもおかしくないくらいだが、でも確かにルクスもキリルへと手を伸ばした。
「そうしないと…、キミから手が離せそうにないんだ。」
 だから離してほしいとルクスの目が訴える。
 掴まれた手を振り払うなんて出来ないから、キリルの方から手を離して、そうしたら2度と動揺しない程に諦めらられる。
 大切な人のこれからを痛みと一緒に受け入れられる。
 本当は今回キリル達と合流するつもりもなかった。
 戦力の違いはあったがキリル達なら大丈夫だと思い、クールークの現状を少しでも自分の目で見て気付かれないうちに帰るつもりだった。
 紋章砲さえなければ実際にそうしていただろう。
 でも紋章砲の狙いがキリルに向けられていたのを見た瞬間にそんな考えなど全て頭から抜けて勝手に体が動いていた。
 あの場所でキリルを助ける為に動いた事は後悔していない。
 でもハーヴェイとシグルドにいくら粘られてもこちらの船に乗るべきではなかったと、その部分は後悔していた。
 もうキリルの事は諦めたのに、諦めたと思っていたのに、やはりどうしても未練がある。
 その弱さがここにいる原因になり、もう2度と作るまいと思っていたキリルとの時間を新しく作る結果になってしまった。
 今度こそ本当に諦めたい。
 キリルがオベルを旅立つ日に、ただ静かに見送れるようになりたい。
 だから手を離してこれで終わりにしたい。
 出来る事ならば一緒にいたい、なんてそんな気持ちを全て抑え込み、ルクスはじっとキリルの次の行動を待つ。
 おそらく手を離してくれるだろうと思っていた。
 キリルも自分と似たような気持ちでいる事をルクスは何となく感じている。
 だから何も問題なくこれで終われると思ったのだが。
 ぎゅっと唇を結んだキリルは、掴んでいるルクスの腕を急に自分の方へと引っ張り、突然の事に自分の方へとよろけたルクスに向けて思いきり頭突きをした。
「っ!?」
 突然の衝撃と額の痛みがあまりにも予想外で息が詰まった。
 同時にキリルの手がルクスからは離れる。
 突き放したというよりは、頭突きをしたキリル本人も勿論相当痛くて、船縁に寄りかかり額を押さえて痛みに耐えた為だ。
 ルクスもずきずきと痛む額を押さえながら呆然とキリルを見る。
 望み通りに手を離してくれたのか、それとも何か別の意味があるのか、ルクスにはさっぱり理解出来なかった。
 全く頭が動かないまま痛みに耐えるキリルが顔を上げるのを待っていれば、程なくして勢いよくキリルはルクスを睨み付けた。
 少し涙が目に滲んでいるのは頭突きの影響なのかルクスの言葉に対してなのか。
 あまりの剣幕に少しルクスは気圧された。
「………、キリル君?」
「ボクはキミと一緒にいたい!」
 突然キリルがそう叫び、思わずルクスは口を噤む。
「ボクはこれからもルクスと一緒にいたくて、でも故郷にも帰りたくて紋章砲も気掛かりで、もう何度キミの事をいっそ攫えればいいんだろうって考えました!」
「………。」
「ルクスは!?」
「え…?」
「これがボクの本心だ。我慢も何もしていない、ルクスの気持ちも一切考えていない、間違いなくボクの本心だ。これに、出来る事ならキミの本心を返してほしいと思う。ずっと逃げていて今更都合がいいとは思うけど、でもボクはちゃんとキミの言葉を聞きたい。」
 呆然とキリルの言葉を聞いたルクスは、段々と状況を理解すると共にどうしようもない嬉しさが込み上げてくるのを感じた。
 キリルの言葉も射抜くような視線も今はどちらも心地いい。
 これからも一緒にいたいと、攫ってしまいたい程だと、そんなふうに想われていたと知れば嬉しさしかなかった。
 キリルも同じように想ってくれるだろうか。
 躊躇いなく本心を言った時にキリルも今の自分のように感じてくれるだろうか。
 ルクスは少しだけそう考えて、でも答えは考えるまでもなかった。
「………、ボクも、キミと一緒にいたい。」
 ぽつりとルクスは小さく呟く。
 今までキリルは何度も大切だと大好きだと伝えてくれた。
 そうして今も凄い勢いで自分への気持ちを伝えてくれる。
 それはルクスが強く決心した気持ちを簡単に崩すくらいの力があった。
「でも今すぐにオベルを出る事は考えられない。出来る事ならキミがこのままオベルにいてくれればいいのにと何度思ったか分からない。引き止めていいのなら何をしたって引き止めたい。」
 初めて聞けたルクスの本心にキリルは笑う。
 こんなふうに想っていたなんて知らなくて、それを知れたのがとても嬉しくて、キリルは笑ってルクスへと手を伸ばした。
 握手を求めているような手をルクスは不思議そうに見る。
「ルクス。ボクはオベルに戻ったら赤月に帰ろうと思っている。」
「うん。」
「ボクはやっぱり帰るし、キミは当然ここにいる。それを今すぐに変えるなんて多分無茶だ。ボクはキミにそんな事をさせたくない。」
「ボクもだよ。」
「だから、その後の話をしてもいいかな?」
「その後?」
「キミはここにいて、ボクは帰って、その後。」
 これがキリルの出せる答えの精一杯だった。
 今どうしようもないのなら時間をかけるしかない。
 いつになるか分からない話をするなんて少し不安で、その結果ルクスを縛り付ける事になるんじゃないかというのも不安だ。
 でもルクスのこれからを決めるのはルクスしか出来ないので、キリルはただ正直に自分の気持ちと考えを話すだけ。
 シグルドが以前言っていた通り、話そうと思えばいつだって話せるが、赤月帝国に帰れば暫く話せないのは事実。
 今となってはもう変な後悔は残したくない。
 諦めるのをやめてしまったのだから、もう全部を素直に話して納得をしてから帰りたい。
 そう決めたからキリルはまだルクスが掴んでくれない手を下ろそうとはしなかった。
「オベルに帰るまで時間があるから、旅の間に出来なかった話を今したい。あの時逃げ出した事とちゃんと向き合いたい。ダメかな?」
 黙ったままのルクスはそろりとキリルへ手を伸ばす。
 キリルの手と触れる寸前で少し躊躇ったように手が引かれたが、キリルが黙って待っていれば指先が触れて、その直後にルクスはキリルの手をしっかりと掴んだ。
 改まって握手をするというのは何だか不思議な気分だ。
 気恥ずかしいような気もして目を合わせるとルクスもキリルも思わず苦笑した。
「先の話って…、あまりした事がない。」
「うん、ボクも。」
「何年も先の話とか…、キリル君としてもいいのかな。」
「してくれたらボクは凄く嬉しい。」
「そう…。そっか。」
 キリルの言葉を確かめるようにルクスは呟いて、それからとても嬉しそうに笑った。
 それにキリルもつられて笑い返す。
 とても穏やかな気持ちで笑い合っていたが、けれどそんな雰囲気はあまり長く続かなかった。
「でも今日は寝よう。明日も移動が続くだけでも睡眠は大切。」
 急に真顔になってルクスがそんな事を言う。
 あまりにも態度が急変してキリルは何とも言えない気分になった。
 何も今になってそんな事を真剣に言わなくてもいいじゃないか。
 ルクスらしいと言えばそれまでだが、今は流石に不満の方が強くなり、ため息をついたキリルは拗ねたようにルクスへ文句を言った。
「ボクはさっきまで寝てたよ。ルクスなんかずっと起きていたじゃないか。」
「ボクはいつも。」
「その言い訳はずるい。寝ていないのは一緒じゃないか。」
「でも眠くないの?」
 そう聞かれると急に眠気を感じた。
 ルクスとの話し合いが一区切りついて気が抜けてしまったのかもしれないが、この状況で素直に眠気を認めるのは悔しい。
 けれど即答出来なかったキリルに、ほら、とルクスは言った。
 今までずっとルクスがキリルへと向けていた、キリルにとってはすっかり見慣れた穏やかで優しい表情だった。
「ルクスが寝るなら、寝る。」
 以前と変わらないまま話をしていられるのが嬉しく、調子に乗って我儘を言ってしまおうと、握っているルクスの手を引っ張り自分の方へ引き寄せてからキリルはそう言った。
「キリル君。」
「ルクスが寝ないなら話す。今すぐにさっきの続きを話そうなんて言わない。ボクだってオベルからここに来る間に随分と考えたんだ。だから今はもっと別の話をしよう。」
「それも明日。」
「ルクスの頑固者。」
「何とでも。ボクも寝るから。」
 そう返されてはこれ以上の我儘は言えない。
 キリルが、分かった、と頷くとルクスはキリルの額に手を伸ばして前髪をかき上げる。
 その時にルクスの指が額に触れて鈍い痛みを感じ、先程ルクスに対して思いっきり頭突きをしてしまった事を思い出した。
 あの時は勢いでやってしまったが、後々になって考えるとさっとキリルは血の気が引くのを感じた。
「さっき引っ張られら時、また頭突きされるのかと思った。」
「………、それに関しては本当にごめんなさい。」
「気にしないで。むしろ礼を言いたい。目が覚めたような気分だったよ。」
「ルクス…。」
「でも続けてもう1回は勘弁してほしいな。」
「もうしません、反省します、ごめんなさい!」
 勢いよく頭を下げたキリルの耳に、珍しく声をたてて笑うルクスの笑い声が聞こえてきた。





 


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