約束 10






× × ×


 とても天気のいい日だった。
 遠くまで空はよく晴れていて雲が少なく、高台から海の方を見れば世界の全てが海のようにも見えた。
 視線を向けた先には空と海しか見えないが、この先にはクールークがあって、更にその先には赤月帝国がある。
 距離はあるけれど1年も2年もかかる距離じゃない。
 目を向けたこの先に赤月帝国はあって、1ヶ月や2ヶ月もすれば見えてくるのだから、別にそんな遠い距離ではないよなとキリルは思った。
 少し時間をかければいつだってまたこの綺麗な海に囲まれた国へと戻ってこれる。
 今日がここを発つ日でも、やはり多少の寂しさはあるが、思ったよりもずっと気分は軽かった。
 態々見送りに来てくれたハーヴェイとシグルドと予定の時間まで笑って話をしながら過ごせるくらいだ。
「それではラズリルにもミドルポートにも行かれたんですか?」
「はい。一緒に旅をした人達とは、やっぱりちゃんと挨拶をしておこうと思ったから。」
「それで帰りには他の島にも寄るとか…、お前は無駄に律義だな。」
「でも何人か居場所の分からない人がいるんです。」
「それは仕方ないですよ。オレ達も今は何処で何をしているのか知らない仲間はいますから。」
「何かの機会に会う事があれば礼くらい伝えといてやるよ。」
「ありがとうございます。」
 挨拶に寄ったキリルを皆は笑って迎えてくれた。
 別れを惜しんでもくれて、また会おう、と誰もが言ってくれた。
 それにキリルは笑顔で頷いた。
 群島諸国に来るのはこれが最後ではないから、頷けた。
「赤月に行ったらどうするんだ?」
「まずは父さんが住んでいた家に行ってみるつもりです。そこに住めたらいいんですけど、まぁ何処か住める場所を探して、今までみたいな仕事をしながら暫くは過ごしてみようかなって思っています。」
 赤月帝国にもララクルがやっているギルドがあると聞いた。
 どうやら赤月帝国にあるギルドに知り合いがいるらしく、キリルさんなら向こうのギルドでも歓迎してくれると思いますよ、と言って紹介状のような手紙をくれたので行ってみるつもりでいる。
 そうして彼女も、また来る事があったら顔を見せてください、と言ってくれた。
 群島諸国では本当に色々な人と出会えた。
 今まで色々な場所を旅してきたが、ここでの出会いは今までよりも深いもののように感じる。
 やはり共に戦ったからだろうか。
 何度も繰り返した別れとは少し違った気分でいる。
「体には気を付けてくださいね。」
「はい。ハーヴェイさんとシグルドさんもお元気で。」
「どうせまた会うんだろうし、そんな改まるなよ。」
「それもそうですね。」
 躊躇いなくそう答えたキリルに、ハーヴェイは満足そうな顔をして軽く頭を小突く。
 キリルがルクスと話をした事は知っているが、どんな話をしたかまでは知らない。
 でもオベルに帰るまでの船で一緒に過ごしていた2人の様子と今のキリルの返事で、詳しく聞かなくても何となく予想はついた。
 何処までも手間がかかる2人だが、そして今回も呆れるくらいくだらない事で悩んていたが、やはり清々しい顔をしてくれれば気分がいい。
「またここに来たら島にも寄ってください。キカ様もオレ達も歓迎しますから。」
「どうせなら酒を飲める年になってから来いよ。半年やそこらじゃ帰ってこないだろうからな。」
「はい。」
「やめなよ。ハーヴェイに付き合って飲んだら碌な目に遭わない。」
「うわっ!」
 後ろから声が聞こえてハーヴェイは勢いよく振り返る。
 人の気配はなかったというのにルクスがいつの間にか背後に立っていた。
「気配を消して来るのやめろよ、悪趣味だな!」
「気付かない方が悪い。」
「ボクも気付かなかったよ、びっくりした…。」
「ごめん。」
「その態度の違いがあからさま過ぎて流石にむかつくんだが。」
「キリル君と同じように接したら気持ち悪がるくせに。」
「それでも一言くらい謝れ。」
「嫌だよ。」
「ルクス様、どうされました?」
「そろそろ時間だから。」
 出発の時間までまだもう少し余裕はある。
 定期船ではないので乗り遅れるという心配はないが、それでも時間に余裕があった方がいいと思ってルクスはキリルを呼びに来た。
 アンダルクとセネカはもう船に乗っている。
 元々そんなに多くない荷物も全て積み終わり、後はキリルが乗ればすぐにでも出港出来る。
「態々ありがとう。」
「うん。」
「それじゃあまたな。」
「また会いましょう。」
「え?」
 早々に別れを告げる2人に、見送ってはくれないのか、とキリルが思えば、大丈夫ですよ、と言ってシグルドが笑った。
「見送りに来たんですからここで帰りません。先に港に行くだけです。」
「のんびり2人で港に来いって気遣いなんだから素直に受け取っとけ。」
 軽く手を上げて2人は港への道を下りて行く。
 どうせ同じ道を行くのだから一緒に行けばいいのにとも思ったが、折角の気遣いなので2人の姿が見えなくなるのを待つ事にした。
 気遣われているのが嬉しくもあるが気恥ずかしくもあり、ルクスとキリルは顔を見合わせて照れたように笑う。
「暫くは天気がいい筈だから、クールークまでは多分問題なく行ける。」
「それならよかった。」
「メルセトまで一緒に行こうかと思ったけど、ボクはここで見送るよ。」
「うん。」
「行こうか。」
「そうだね。」
 ゆっくりと歩き出して、何となく2人は手を繋いだ。
 これが最後ではないし、この別れが辛いわけでもないが、どうしても感じる寂しさを紛らわしたかったのかもしれない。
 エルイール要塞からオベルに帰るまで、キリルとルクスは時間をかけて色々と話をした。
 旅の終わりが近付いて色々と1人で抱え込み調子が悪くなった頃から話す事を無意識のうちに避けてきてしまったので、あの時にすべき話から順番にのんびりと話していった。
 そうして2人が出した結論は、1度ここで別れよう、だった。
 キリルは名前しか知らない故郷への憧れに似た気持ちはどうしても捨てられないし、かといってルクスが今すぐに生まれ育った場所を手放せるかと聞かれたらどうしても難しい。
 これに関しては時間をかけて考えるべきだという話になった。
 オベルに帰るまでの時間では全然足りない、もっと多くの時間をかけて納得の出来る結論を出そうと。
 だからキリルは赤月帝国へと帰り、ルクスはオベル王国に残り、ここで1度別れる。
 そして同時に、また会おう、という約束もした。
 キリルが赤月帝国に帰った後に定住を決めるかもしれないし、再び旅に出る事を選ぶかもしれない。
 ルクスはいつまでもオベルを出ないと心に決めるかもしれない。
 でもどんな結論が出ようとも必ずまた会おう。
 いつか絶対にキリルの方が群島諸国に来る。
 だからそれをルクスはオベルで待っている。
 その約束を交わして2人は今回の別れを納得して受け入れた。
 遠い未来の約束も再び再会するという約束も2人にとっては少し恐怖感のある事だ。
 ルクスは何かに強く執着するという事そのものが珍しい。
 キリルは別れを繰り返し過ぎて気付けば慣れてしまっていた。
 その2人がいつかまた会おうという約束を交わすのは思いのほか勇気がいる事だったが、同時にそんな約束を交わせる相手がいる事がとても嬉しく思えた。
 その場だけで終わる約束ではなく、必ず守られると信じられる約束。
 別れの寂しさはこの約束で耐えられる。
 でも離れている間の寂しさまで耐えきれるかは不安だったので、手紙を書くよ、とキリルが言った。
 距離があるので頻繁には無理だ。
 でも何かの折に、例えば季節が変るのを合図に、話したい事をたくさん手紙に書いて送る。
 そう言ってくれたキリルに、返事を書く、とルクスも言った。
 何かしら繋がりがあるのは心強い。
 そんないくつかの約束を重ねて今日の別れの日を迎えた。
「そういえば、真の紋章の宿主は年を取らない、っていうのは本当かな?」
「どうだろう?まだあまり実感がない。」
「じゃあ次に会った時はボクの方がもう少し大きくなっているかな。」
「………、もうそんなに成長が望める年でもないと思う。」
「そうだとしても、今の段階でボクの方が少しだけ高い。」
「正確に測らないと分からない程度だよ。」
「ルクスももう少し身長がほしい人?」
「ないよりはある方がいい。」
「次に会うのが楽しみだな。」
「成長まで止まると決まったわけじゃないよ。」
 ささやかなルクスの強がりにキリルは小さく笑う。
 もう少し話をしていたいが、港まであまり距離はなかったので、船が見えたところでお互いに手を離した。
 いくら話したってどうせ話し足りない。
 そして今更未練がましく時間を引き延ばす気もない。
 これが最後ではなくまた会えるのだから、ルクスもキリルも笑って手を離せた。
「それじゃあね、ルクス。」
「うん、元気で。」
「ルクスが待ちくたびれる前に来るようにするから。」
「大丈夫。何年だって何十年だって待つから。」
「何十年って、そんなに待たせる気はないよ。それにそんなに待たせたらルクスに忘れられそうだ。」
「忘れないよ。キミを忘れられる筈がない。」
「まぁそうだけど。」
「でも、あまり長いとボクが寂しいから、早いと嬉しい。」
「うん。」
 頷いたキリルは先程手を繋いだ時とは別の意味でルクスへと手を差し出す。
「とりあえず、今回の旅では色々とありがとう。本当に助かった。」
 そう言うキリルの手を改めてルクスがしっかりと握った。
「こちらこそ。目的が一致した結果とはいえ助かったのはこちらも同じ。」
「そしてキミに会えて本当によかった。」
「ボクもだよ、キリル君。本当にありがとう。」
 ぎゅっと強くお互いの手を握って、そうして離す。
 そしてキリルは停泊している船へと走って行った。
 途中で隣に停泊しているのがハーヴェイとシグルドが乗ってきた船だと気付き、手を振ってくれている2人にキリルも走りながら手を振り返す。
 もういつでも出港が出来る船はキリルが乗船すると同時に準備が始まる。
 キリルは走ったまま船の後部へと向かい、港に立っているルクスへと身を乗り出すようにしながら名前を呼んだ。
「ルクス、またね!」
「うん、また会おう。」
 大きく手を振るキリルにルクスも手を振る。
 それは船が出港してお互いの姿が小さくなり見えなくなるまで飽きる事なくずっと続けられていた。










END





 


2011.10.01

最後の最後まであまり変わらなかった2人を見守ってくださり、そして5年間お付き合い頂き、ありがとうございました




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