約束 8






 兵士達が紋章砲に巻き込まれた声かと思ったが何かが違う。
 どうしようもない恐怖感に息苦しいような重圧感。
 気を抜けば体が震えて冷や汗が流れそうな、人々の悲鳴に似た音と辺りを支配する強い力の重圧感には覚えがあり、それは紋章砲のものではない筈だ。
 そしてその感覚の代わりに覚悟をしていた衝撃は来ない。
 もしかして、という考えが一瞬頭を過ぎるが、それはあまりにも自分に都合がよくありえないとキリルは思った。
 ありえない筈だった。
「大丈夫?」
 けれどその考えを一蹴するかのように聞き慣れた声が聞こえてきて、キリルはそろりと声を上げる。
 一瞬これは幻聴だろうかと思ったが、もしこれが幻聴ならば幻覚まで見えてしまっている事になる。
「………、ルクス?」
 左手から不気味な暗い力が消え、ようやく辺りの空気が少し軽くなる。
 あのどうしようもない恐怖感を与える力には何度も助けられ、その紋章を扱えるのは1人だけ。
 そしてその宿主であるルクスは確かにキリルの目の前に立っている。
 急な事に頭が付いていかず、何とか状況を理解しようと辺りを見回す。
 キリルの傍にいた兵士達は殆ど全員が倒れている。
 壊した紋章砲だけでなく無事だった紋章砲までいくつか巻き込まれた様子で、その残骸が全て吹き飛び地面がいくらか抉れている。
 けれどルクスとキリルがいる周辺だけは無傷で、他の仲間達の無事を確認しようと顔を向ければ、驚いてこちらを見てはいるが怪我はなさそうだ。
 その間にも別の砲台から次の砲弾が放たれる。
 今となっては貴重な物だというのに、突然の襲撃者を撃退する事が優先、と砲弾を使う事に躊躇いは見えない。
 その砲弾へとルクスが腕を伸ばす。
 途端に暗い赤と重苦しい黒が入り混じったような力が集まり、紋章砲の光を受け止めると酷い音を響かせた。
 先程の悲鳴に似た音だ。
 キリルは顔を顰めたがルクスは気にした様子もなく紋章に意識を集中させる。
 紋章砲の攻撃を受け止め、そのまま罰の紋章の力で霧散させる。
 そうして隙が出来た瞬間に砲台へと紋章を発動させる。
 攻撃を止めた力がそのまま固まりになったかのように砲台と砲手に降り注げば、ルクスの左手にあるのは途方もなく強い力を持った真の紋章、これに耐えきれる筈もなく砲台は崩れ砲手も吹き飛ばされた。
「怪我はない?」
 まだ多少混乱しているキリルが何度も頷く事で質問に答えれば、そう、とルクスは安心したように笑った。
 その笑顔にキリルの肩から力が抜ける。
 紋章砲の攻撃から無事だったという事と、ルクスがこうして傍にいてくれる事、その両方に無駄な緊張感がすっと消えた。
 武器を握る手を見れば微かに震えているが、ぎゅっとしっかり握ればすぐに落ち着く。
「ありがとう。」
 どれだけ感謝しても足りない気分だがお礼を言うくらいが精一杯。
 それでもルクスは嬉しそうな顔をして、次に周りの兵士達へと射抜くような視線を向けた。
 兵士達が一瞬怯んだように見えたのはルクスに気圧されたのか、それとも紋章砲を止めた罰の紋章に恐怖したのか。
 いつまでも動揺しているような相手ではないが、ほんの少し出来た隙は態勢を立て直すには十分だった。
「後で色々と聞かせてもらうよ。」
「いくらでも。」
 戦力が増えたのはありがたい。
 しかもそれがルクスだなんて願ってもない事。
 ルクスの強さは疑いようもなく、キリルにとっては最近までずっと一緒に戦ってくれていた人が隣にいるというだけで安心出来る。
 こうなれば勢いは完全にキリル達のもの。
 あまりルクスの紋章に頼りたくはないが、確実に紋章砲を止める手段があるというのは敵の動きを抑止するのに十分な効果があり、そうして動きにも躊躇いが見えるようになった。
 そのまま攻め込めば兵士達が段々と後退していく。
 何とか巻き返そうとしたがそれも叶わず、立っている兵士よりも倒れている兵士の数が圧倒的に多くなった頃に、撤退しろ、と指揮官らしき男の声が響いた。
 紋章砲は配置されたまま、仲間達も多く倒れている。
 躊躇う素振りは見られたが、戦意を失った兵士は1人また1人と離脱していき、そう時間もかからずに敵の姿は見えなくなった。
 潜んでいる敵はいないだろうかとルクスが辺りを見回すが心配はなさそうだ。
 確認したルクスが双剣を鞘に収めたのを合図にキリル達も武器を下した。
「意外と呆気なかったな。」
「この国の状態もあるからな。混乱の影響だろう。」
「結局はお前に見せ場を持ってかれた感じだしよ。」
「ボク?」
「お前以外に誰がいる。」
「別にそんなつもりはなかった。」
「その前に何でルクスがここに?」
 ハーヴェイに小突かれながら、近くにいたから、とルクスはキリルの質問に答えた。
「近くって…。」
 ここからオベルまで結構な距離だ。
 そんな、たまたま近所を歩いていたら見かけたから、みたいな気楽さで言われても反応に困る。
「リノさんの依頼だよね?」
「うん。」
「出したのはボクだから。」
「………、気になって来たの?」
「少し。手も空いていたし。」
「それなら最初からルクスが行った方がよかったんじゃ…。」
「紋章があるから。」
 罰の紋章を持っているのは群島諸国の英雄。
 クールークの人間がどれだけその事を知っているかは知らないが、もしかしたら2年前の戦争に関わっていた兵士がいたかもしれない。
 もし群島諸国の人間だと知られてしまったら、これでも一応は今でも停戦中なのだ、面倒な事になりかねない。
 今のクールークに他国を追及している余裕はないだろうが、一応は気にして動くのもルクスの立場なら仕方がない。
 そうシグルドが教えてくれたのでキリルはルクスの言葉の意味を理解する。
 ここ暫く会ってはいなかったが、やはりルクスは相変わらずのようだ。
「でもさっき思いきり使ったけど、あれは大丈夫なの?」
「これだけ証拠があれば、なんとでも。」
 辺りを見回せば壊れた紋章砲と倒れた兵士、それに配置されて無事なままの紋章砲もある。
 ルクスが踏み込んだ言い訳はいくらでも出来る。
 けれど向こうだって実際に攻め込んだわけではない。
「でもまぁ、一応はもう少しくらい証拠はほしいよな。」
「そうだね。」
「指揮官は逃げたので、一般兵がどこまで理解しているのか少し気になりますが、でも必要ではありますね。」
 ルクスは倒れた兵士を見回し、そのうち1人の傍によって軽く頬を叩く。
 目を覚ます事はなかったが小さく呻き声を上げる反応があった。
「彼で。」
「お前の勘なら信じて損はないな。」
「キリル様達は少し待っていてください。」
「………、何をするんですか?」
 聞かなくても何となく分かる。
 でも思わず聞いてしまったキリルにシグルドはにこりと笑った。
 ハーヴェイも、わざわざ聞くな、と言わんばかりの曖昧な笑顔。
 ルクスだけが平気な顔をして答えた。
「少し脅すだけだから平気。」
「平気…、なのかな、それって…。」
「うん、平気。」
 こくりと頷きながらルクスは兵士の腕を引っ張る。
 キリル達の目の届く場所でやる気はないようで、ハーヴェイがもう片方の手を掴んで手伝いながら何処かへと引き摺っていく。
 壊れた要塞の跡地なので足場はあまりよくない。
 不揃いな石畳の上を引き摺られていくその姿は少し可哀相に見える。
 3人がそんな酷い事をするとは思わないが、無事に戻ってくるといいな、と見知らぬ兵士の安否を心配してしまった。
 兵士を引き摺って行く3人の姿はそのうち崩れた壁の陰に消えた。
「大丈夫かな…。」
「それってどちらの心配です?」
「………、わりと連れて行かれた人が。」
「まぁ、大丈夫ですって。あの3人に凄まれて平然としていられる人なんて滅多にいませんよ。」
「それもそうだよね。」
 特にルクスの威圧感は凄い。
 キリルは直接それを実感した事はないが、何度か目の当たりにした経験のあるアンダルクとセネカは思い出して少しぞっとした。
 あの威圧感はとても20手前の青年のものではない。
 多少粘っても結局は威圧感に負けて白状するだろう、と言葉にせずとも全員の意見は見事に一致した。
 もしかしたら兵士が死に物狂いで向かってくるのではないか、という心配もするべきなのだろうが、ルクスとハーヴェイとシグルドが揃って滅多な事が起きるとは思えない。
「キリル様。我々はこちらで紋章砲をどうにかして待ちましょう。」
「それもそうだね。」
 何処に隠し持っていたのか紋章砲の数は改めて見てもやはり多い。
 思っていた以上に紋章砲はまだまだ存在するのかもしれない。
 紋章砲を探す旅を本気で考えた方がいいかもしれないな、とキリルが今まで以上に強く思った瞬間だった。





 


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