約束 5






× × ×


 久し振りに会ったキカはキリルとの再会を喜んだ後にとてもあっさりハーヴェイとシグルドの同行を許してくれた。
 最近の海は2人が言う通りとても静からしい。
 妙な緊張感のある静かさだが暫くは大きな切っ掛けでもない限りこの状態が続くだろうとキカは考えていて、むしろ暇そうだから使ってやってくれ、と彼女は笑いながら言った。
 そしてありがたい事に船も貸してくれた。
 あまり大きくては目立つだろうという事で少し小さめの、でも少人数で動くには十分な船だ。
 戦力に加えて船まで貸してもらい何かお礼がしたいと申し出たが、クールークの情報が手に入れば十分だと返された。
 キカと押し問答をしたところでキリルの負けは目に見えている。
 少し話をした後にキリルは何度もお礼を言って彼女の好意を受け取った。
 その後はオベルでアンダルクとセネカの2人と合流し、事情を説明した後にクールークへ向けて出発した。
 ネイ島とイルヤ島を経由して、とりあえずは群島諸国へ何かしら動きを見せるのならエルイール要塞が1番近いという事でそこの様子を見に行き、何もなければメルセトまで船で行こうと決まった。
 借りた船は紋章の力で強化されているらしく普通の船よりも速いという話だ。
 季節的にもクールークの方角に行くにはいい流れだと船の操舵手が教えてくれた。
 その代わり帰りには時間がかかってしまうが、紋章の力があるので影響はそんなに大きく出ないだろうとも言っていた。
 でも何もない海の上では速いのか遅いのか遠くを見ているとよく分からない。
 水を切る音と流れる風で速さは何となく伝わるが、でも景色は同じままで殆どずっと変わらない。
 そうと分かっているのに飽きもせずぼんやりと海を眺めていたキリルを呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。
「お前は本当に飽きないよな。何がそんなに楽しいんだ?」
「面白い物でも見えるんですか?」
 船内にいるのも飽きて出てきたらしいハーヴェイとシグルドがキリルの隣に立って海を見る。
 当然そんな面白いものが見えるわけではない。
 波の形と雲の動きが変るくらいで、後はずっと同じ景色だ。
 しかも先程までは1人きりだった。
 以前ルクスとよくこうやって景色を眺めながら色々と話していた時はとても楽しかったが、今では退屈だと答える他ない。
「いえ、別に変った物は見えないです。」
「そのわりには随分と長くいたようですね。」
 シグルドがキリルの頬に手を当てると少し冷たかった。
 それだけ長く風に当たっていた証拠だ。
「えっと…、ちょっと見ておこうかなって思って。」
「海を?」
「赤月帝国って海が遠いらしいんです。」
 遠くをぼんやりと眺めながらキリルは言った。
「それならもうなかなか見れなくなるのかなって思って、見納めって言うのも違いますけど、見ておきたくなったんです。」
 移動の度に散々見てきた景色だが、今ではもう少し見ていたいとさえ思う。
 この綺麗な青色の景色が見れなくなるのは酷く勿体なく感じた。
「海がないとか想像出来ないな。」
「確かに。」
「2人は海賊ですしね。ボクでも少し不思議な感じです。」
「やはりキリル様は故郷に帰るんですね。」
「はい。ずっと自分の故郷を見てみたいと思っていましたから、この依頼が終わったら帰るつもりです。」
 故郷に帰ってそこで暮らせるかは行ってみなければ分からないが、ずっと故郷だと聞いていた名前しか知らない赤月帝国には行ってみたいと思ってた。
 その後の事は考えている最中だ。
 故郷で暮らせたらいいなとは思うが、残りの紋章砲も気になる。
 リノとの約束を信じてはいるが、彼が今すぐに何とか出来るのは群島諸国内に限られる。
 紋章砲は主に群島諸国周辺で使われていたらしいが、他の国にだって売られた可能性はあり、出来ればその全てを壊せればとも思っているので、故郷に帰って落ち着いた後に再び旅に出る事も考えている。
 どちらにしても赤月帝国に帰ってからの話。
 今までの旅の大きな目的は達成したので少しくらいのんびり考えてもいいだろうと焦らず決めるつもりでいる。
「なあ、キリル。」
「はい?」
「ルクスの事はもういいのか?」
「…っ!」
 キリルは勢いよく顔を上げてハーヴェイの方を見る。
 思ってもみなかった質問にキリルの表情は驚きの為に強張っていた。
 ハーヴェイはその反応を黙って眺める。
 その視線に我に返ったキリルは、あまりにも過剰だった反応に気まずくなって俯いた。
「まったく…。」
 ハーヴェイのため息が聞こえてキリルの肩が微かに揺れる。
「もしかしたらお前達の世話を焼くのもこれが最後かもしれないからな。変な後悔は残したくないから一応言っておく。」
「えっと…。」
「ルクスはもうお前を諦めたぞ。」
 淡々としたハーヴェイの言葉は酷い衝撃をキリルに与えた。
 突き刺さるような痛みと気持ち悪さ。
 目の前が真っ暗になったような錯覚さえ覚えた。
 何も言えずにキリルがただ茫然としていれば、落ち着かせるようにシグルドが背中を軽く叩く。
「落ち着いてください。」
「あ…。」
「ハーヴェイの言っている事は本当です。でもルクス様が貴方を嫌いになったというわけではない。そこは安心してください。」
 シグルドに促されて何度か深呼吸を繰り返す。
 それからそろりとハーヴェイの方を見れば随分と冷たい表情をしていた。
「ショックなんか受けるなよ。お前だって同じだろう。」
「それは…。」
「このまま何もせず赤月に帰れば同じだろう。何が違うんだ?」
 返す言葉が何処にもない。
 諦めたという表現は確かに正しい。
 ルクスの事は本当に大切で本当に大好きだ。
 でもこのまま赤月帝国に帰れば、そのままルクスとは別れ、その後に彼と何処かで再会出来るなんて思っていない。
 それをキリルは仕方ないという気持ちと共に何とか受け入れた。
 別の言い方をすれば、諦めた、という事だ。
「だって…、だってルクスは…っ!」
 言い訳なら色々とある。
 ルクスの故郷がここである事、群島諸国にとって彼は英雄である事、彼の紋章はオベルにあった物だという事、この海を守っていくつもりだと言っていたのを聞いているという事。
 色々な物が積み重なった結果の結論だと言いたかったが、その全てがただの言い訳でしかないと分かってキリルは言葉に詰まった。
 旅の終わり間際にルクスと話す時間があっても今後の事については徹底的に避けていた。
 話すのも聞くのも辛くて、何も言わないまま旅の終わりに別れて、そのまま相手の気持ちなど全て無視してキリルはルクスを諦めた。
 諦めたと必死に自分に言い聞かせた。
「ボクは…、他にどうしたらいいか、分からなくて…。」
 また俯いてしまったキリルの頭をハーヴェイはぐしゃぐしゃと撫でた。





 


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