約束 4






× × ×


 扉を開けばカラカラと飾りが揺れて可愛らしい音が響いた。
 その音を聞いた店主が顔を上げ、すっかり顔馴染みになった人の姿を見つけて笑みを浮かべた。
「キリルさん、こんにちは。」
「こんにちは。」
 キリルも笑顔を返して店の中に入った。
 ミドルポートにあるギルドはキリルがよく顔を出す場所。
 今日は珍しく誰の姿もなく、ちょうど暇な時間だったようだ。
 その時間を利用して掃除をしていたらしい店主のララクルが手を止めて店の奥から出てきた。
「今日は静かだね。」
「ええ。最近ちょっと忙しかったから、そのせいでしょうか。」
「そっか。あ、これ、依頼で頼まれていた物。」
「もう持ってくてくれたんですか?」
「うん。何とかなったから。」
 渡された荷物の中身を確認すれば確かに依頼の品。
 キリルは簡単に何とかなったなどと言うが、なかなか依頼を引き受けてくれる人がいなかった難しい物だ。
「ありがとうございます。きっと依頼主さんも喜んでくれます。」
「それならよかった。」
「キリルさんくらいの人ってなかなかいなくて、また来てくれるようになって本当に助かっています。」
「ボクも色々と仕事を回してもらって助かっているよ。」
「でも、もう少しで群島諸国から行ってしまうんですよね。」
「うん。」
 ララクルが少し寂しそうな顔をしてくれたのを嬉しく思いながらキリルは頷いた。
 紋章砲を追っていたキリルの旅は1ヶ月程前に終わりを告げた。
 群島諸国に来たのは紋章砲を追っていたからで、それが終わればここに居続ける理由はない。
 オベルが気に入ったなら住めばいい、と国王であるリノが気楽に言ってくれたが、キリルは記憶にない故郷の赤月帝国に帰るつもりでいる。
 群島諸国から船でクールークに入り北上。
 距離は旅暮らしを続けていたキリルにとって問題になる程ではない。
 でも少しまとまった旅費は持っておきたかった。
 そんなキリルの考えと難しい依頼を受けてほしいというララクルの願いは綺麗に一致している。
 難しいが報酬はいい仕事をララクルが優先して紹介してくれたおかげで目標にしていた金額にかなり近付いた。
 これなら赤月帝国へ向けて出発出来る日はそう遠くない。
「出発の日取りは決まっているんですか?」
「具体的には決めていないんだ。でもあまり長居するのも悪いかなって。」
「今はオベル王国にいるんですっけ?」
「うん。リノさんの好意で旅費が貯まるまで住む場所を貸してもらっているんだ。遠慮しなくていいって言ってくれているんだけどね。」
「そうですか…。実はキリルさんを指名しての依頼があるんですけど、どうしますか?」
「ボクを?」
「はい。」
 にこりと笑ったララクルは店の奥へと入っていった。
 そうして戻ってきた彼女の手には依頼の内容が書かれた紙がある。
 こちらに公開する依頼内容の書類は依頼主の名前欄が偽名だったり本名だったりとまちまちだが、この書類には見覚えのある名前が堂々と書かれていた。
 オベル国王リノ・エン・クルデスの名前が偽名も使わずにしっかりと。
「リノさん…。」
「是非キリルさんにって。」
「こんな事をしなくても言ってくれればいいのに。」
「それじゃあ報酬を受け取ってくれないだろうからちゃんと仕事として依頼したい、だそうです。」
「まさかリノさんが直接ここに!?」
「流石にそれはないですよ。代理と言ってルクスさんが来られました。」
「ルクスが…。」
 群島諸国の英雄が何をしているんだろう、と思わなくもないが、ルクスはそんな事を気にする人ではない。
 リノに頼まれたままに依頼を申し込みに来て、そうしてその伝言を真顔で伝えたのだろう。
 そう考えればキリルは自然と笑みを浮かべていた。
 ただその笑みは嬉しそうだけれど何処か寂しそうでもある。
 旅が終わってから今日まで、キリルがルクスと顔を合わせた回数は少なく、一緒に過ごした時間は一緒に旅をしていた時とは比べ物にならないくらいに減った。
 今ではルクスの居場所すらキリルは知らない。
 それが寂しくて、でも当然の事。
 少し感傷に浸ったキリルは、すぐに気を取り直してララクルへと頷いた。
「じゃあこの依頼を受けさせてください。」
「はい、よろしくお願いしますね。」
「え?仲介料金は…。」
「もう貰ってありますから大丈夫です。」
「………、本当に、直接言ってくれればいいのに。」
 しかもよく見ると報酬金額は結構な金額。
 これなら今回の依頼で目標金額に十分届く。
 群島諸国では色々な事があったが、これで本当に終わりになりそうだ。
「本当にボクは払わなくていいの?」
「だってもう受け取りましたから。」
 少しララクルと仲介料金について話をしたが、彼女は笑顔のまま意見を変えてくれる事はなかった。
 受け取った事実はあるので仕方がないとキリルは諦め、その後は他愛のない話をしてから店を出た。
 オベル王国へ行く定期船までまだもう少し時間がある。
 それまで少し町を見て回ろうと賑やかな人の声が聞こえる方へと歩き出した。
 目的はないが今はどうせ1人きり。
 アンダルクとセネカは先にオベルへと帰ってもらったので気ままに店を見て歩く。
 装備や道具を揃えるわけでもなく何となく店を見て回るなんて、ここのところあまりしなかった事なので、最近ではキリルの中でちょっとした楽しみになっている。
 何かお土産になる物はないだろうかと1つの店の前で足を止めたが、美味しそうな果物やお菓子があるものの、オベルまでは数日かかってしまうので買うならオベルの方がいいかもしれない。
 でもちょうどヨーンの好きな果物があるのに勿体ない。
 そう考えたキリルは後ろを振り返る。
 もうヨーンはここにはいない。
 以前なら後ろに立って黙ってキリルを見守ってくれていたが、今はずっと帰りたがっていた故郷で父親と共に暮らしている筈だ。
 2人の幸せを願う気持ちと寂しさが同時に込み上げてくる。
 5人で始まった旅はやがて4人になり、オベル国王と出会った事を切っ掛けに一気に大人数となったが、終わった今ではたった3人になってしまった。
 一気に人数が減った事と、母親とは知らなかったが家族だとはずっと思っていたヨーンがいなくなった事は、やはりどうしたって寂しい。
 たくさんの仲間とも、たった1人の母親とも、大切な人とも、旅の終わりに別れた。
 そうしてたくさんの出会いと別れのあった群島諸国からも、もう少しで旅立つ。
 過去ばかり見ていても仕方ないが、でも前だけを見て歩きだすにはまだ時間がかかりそうだ。
「………、あれ?」
 ぼんやりとしていたキリルの視界に見慣れた人の姿が映る。
 町を歩いていた向こうもキリルに気付いて足を止めた。
 全員がこんな所で偶然にも出会うとは思っていなかったので、驚いた顔をした後に再会を喜ぶように笑顔を見せた。
「キリルじゃないか。」
「ハーヴェイさん、シグルドさん。」
「お久し振りです。1人でどうしたんですか?」
「お前が保護者なしでいるなんて珍しいじゃないか。」
「子供じゃないんですから1人で出歩くくらい普通にしますよ。」
 アンダルク達を先に帰らせた時、1人では心配です、とアンダルクには相当粘られたが、その部分は伏せてキリルは反論する。
「はは、それもそうだな。悪い。」
「ハーヴェイさんとシグルドさんはどうしたんですか?」
「ちょっとした仕事の帰りです。キリル様はどうしたんですか?」
「あの…、前は一応リーダーだからってその呼び方で押し通されましたけど、もうボクは別に何でもないんですから普通に呼んでくれたら嬉しいんですけど…。」
「………、言われてみればそうですね。ですがこれで慣れてしまいましたから…。」
「だからって今でもキカさんやルクスと同じ呼ばれ方はちょっと…。」
「そんな細かい事は気にするなよ。呼び方なんて分かればいいだろう。」
「大雑把過ぎます。」
「まぁ、気にしないでください。」
「シグルドさんまで。」
「そんな事より質問に答えろよ。何してんだ?」
 どうやら聞き入れてくれる気はないようで、キリルは諦めたように小さく息をつくと店の方を振り返って店主に声をかけた。
 先程見ていた果物を3つ買い、いつまでも店の前で話しては迷惑だからと場所を移した。
 そこで果物を2人に1つずつ渡す。
 礼を言って受け取ってくれた2人と食べれば変な感傷に浸る事なく素直に美味しいと思えた。
「ボクはギルドに行ってきた帰りです。次のオベル行き定期船の時間まで町を見ていました。」
「何か面白そうな依頼でも受けてきたか?」
「面白そうかどうかは分かりませんが、リノさんから依頼を1つ。」
「わざわざギルドで?」
「はい。」
 やっぱりそこは気になるよな、とキリルは自分の気持ちが正しかったと実感しながら2人になら大丈夫だろうと依頼内容が書かれた紙を見せた。
 内容を読んだハーヴェイの目がとても楽しい事を見つけたように輝く。
 その反応を見たシグルドが仕方なさそうに肩を竦めたが、彼も特に止めようとはしない。
 キリルがどうしたのだろうと不思議そうにしていたのはほんの一瞬で、すぐにハーヴェイが何を考えているのか分かり慌てて依頼内容の紙を引っ込めたが、もう遅い。
「何だよ、随分面白そうな物を持っているじゃないか。」
「面白そうって、きっと危ないですよ。」
「だから面白そうなんじゃないか。それを独り占めするなんてまさか言わないよな?」
「………、シグルドさん…。」
「この依頼内容からして戦力が多過ぎるのは問題ですが、少な過ぎるのも心許無いですよね。」
 ハーヴェイは完全に乗り気で、にこりと笑顔を見せるシグルドもどうやら同じのようだ。
 依頼内容はクールークの調査。
 不審な動きが報告されたので詳しく調べてきてほしい、というなんとなく漠然とした依頼内容だ。
 まるで前回の旅のようだなと最初この内容を見た時にキリルは思った。
 前のように長い旅にはならないと思うが、危険性が付き纏うのは変わらない。
 それなのにこんな簡単に協力を申し出てくれるなんて、キリルとしてはありがたいが、本当にいいのかと心配になる。
「今更何を遠慮する事があるんだよ。」
 そんなふうに色々と考えてなかなか頷かないキリルの背中をハーヴェイが勢いよく叩いた。
「ちょっ…、ハーヴェイさん!」
「キカ様の許可はいるが、多分大丈夫だろうしな。」
「でも2人だって色々とあるんじゃ…。」
「なかなか海に出られないのは今も変わっていませんから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」
「………、そうなんですか?」
 紋章砲の砲弾は2年前にルクスが、そして砲台は今回キリルが、それぞれ元となる物を壊したので新しく作られる事はもうない。
 もう残っている物だけが全てになり、その残りに関してはリノが何とかするという約束をしてくれた。
 1ヶ月程度で全てが片付く筈もないが、この海で紋章砲の使用は禁止する、という決まりは今回の出来事と共に伝えられている。
 以前、紋章砲があるかないかで大きく戦況が変る為に簡単に海に出られなくなった、と海賊島の人が話をしていた。
 だったらもう今は大丈夫なんじゃないかと思うが、お前は本当に素直だな、とハーヴェイに苦笑交じりに言われてしまった。
「使う奴は使うって。海賊は特にな。」
「そういうものですか。」
「そういうものですよ。もっとも今となっては切り札のような扱いでしょうから簡単に使われる事はないと思います。でも一応は警戒をして、今は誰もが様子見をしているような状態です。」
「だから暇なんだよ。今回だって仕事というかお使いみたいなもんだしな。」
「なのでこちらの事情は心配しなくても大丈夫です。」
「そう…、ですか…。」
 ここまで言われて断る理由はない。
 それに大人数は避けたいが自分とアンダルクとセネカにもう少しだけ人数がほしかったのは事実なので、ここはもう素直に好意を受け取った方がよさそうだ。
「それじゃあ、よろしくお願いします。」
「ああ、任せておけ。」
「またお願いします。」
「そんじゃあ準備して船に戻るか。一旦島に戻るが定期船よりこっちの方が早いだろうから、キリルもこっちに乗って行けよ。」
「はい。」
「そんで買う物は何だって言ってたっけ?」
「だからメモでもしておけと言っただろう…。」
「お前に言ったから必要ないだろう。」
「オレはお前のメモ帳じゃない。」
「別にいいだろう、そのくらい。」
 2人のやり取りは以前と何も変わっていない。
 笑ってしまうのを何とか我慢しながらキリルは買い物に向かう2人の後を追いかけた。





 


前<<  >>次

NOVEL