約束 3
考えれば考えるだけ痛みは増し、最近では戦闘や生活にまで支障が出るようになり、キリルは少し前にこの事に関して考えるのをやめた。
やめたと言っても意識して頭から追い出そうと必死になっているだけで、結局はふとした瞬間に思考が戻ってきてしまう。
だから早く進みたいんだ。
心の中で疲れたようにキリルは呟いた。
ずっと追ってきた物との決着をつけたい。
父親の仇を取りたい。
色々な人を悲しませた原因を壊したい。
そういった気持ちは強くキリルの中にあって間違いなく心からの願いなのだが、これだけならば状況を万全にしようというルクスの意見に何の反論もなく同意していた。
でも、余計な事は何も考えたくない、という気持ちのせいで先に進みたいと考えてしまう。
忙しければ余計な事を考えている時間はなくなる。
旅が終わってしまえば終わった後の事なんて考える必要はなくなる。
そんな考えから逃げる為だけに先に進みたいと言う自分がどれだけ酷いか分かっているが、どうしてもその気持ちが強くて感情のコントロールが上手く出来ない。
胸の痛みと、そんな事を考えてしまう自分への嫌悪感から、キリルは無意識に地図を握る手に力を込めていた。
くしゃりと紙を握り潰してしまった音が聞こえて我に返り、キリルは慌てて余計な事を考えを追い払うように頭を振る。
「キリル君?」
「ごめん、何でもない。」
そう言ってみるものの説得力はない。
ルクスが再度、キリル君、と名前を呼ぶ、
隣を見ればコルセリアまで心配そうな顔をしていたので、キリルは諦めてちゃんとルクスと向き合った。
「ごめん、ルクス。」
「何が?」
「ボク、本当に早く終わらせたいんだ、今回の事を。」
「分かってる。」
何処か不安そうに揺れてしまった声でキリルが言えば、すぐにルクスはしっかりと頷いた。
「ボクだって同じ気持ちだ。でもそれ以上に確実に終わらせたい。」
「うん…。」
「群島への脅威が間違いなく去るように、キミの旅が確かに終わるように、少し時間はかかるけれどボクはそちらを優先したい。」
キリルは小さく頷くが、納得していないのは表情でよく分かる。
完全に駄々を捏ねる子供のようになってしまっているが、ルクスは怒る事も呆れる事もせず、キリルの理解をちゃんと得ようと思っているようで優しい表情のままだ。
「キミの旅はこれで終わらせよう。少しでも確実に、少しでも早く。」
ルクスの目に少しの迷いもない。
真っ直ぐに真剣にこの旅の終わりを見ている。
もちろん自分の目的もあるだろうが、こちらの目的も考えていてくれて、キリルにとってはそれがとても嬉しい。
けれど同時に早く終わるという事はそれだけ別れも早くなるという事だから、平気な顔をして終わりにしようと言うルクスに悲しくもなる。
本当に色々な感情が入り混じってキリル自身も自分の気持ちがよく分からない。
それでもルクスの声を聞いているうちにだんだんと気持ちが落ち着いてようやく諦めが付いた。
キリルは少し不恰好になるだろうなと思いながらルクスににこりと笑顔を向けた。
「うん、そうだよね。」
「キリル君。」
「ごめん、焦りすぎた。止めてくれてありがとう、少し頭が冷えたよ。」
「それじゃあ、この方向で準備をするよ?」
「分かった。ボクも手伝う。」
「大丈夫。キリル君は休んでいて。」
「でも…。」
「最近疲れているみたいだから、ボクはキミに1番休んでほしい。」
立ち上がろうとしたキリルの肩をルクスがそっと押さえる。
ルクスの気遣いに、ありがとう、と戸惑いがちにだがキリルが返せばルクスはとても嬉しそうに笑ったので、キリルはそれ以上何も言えなくなった。
「それじゃあ、明日にでもまた報告に来る。」
早々に立ち去ったルクスをキリルは無言のまま見送る。
コルセリアが、どうしたの、と気遣うようにキリルへと声をかけたのがルクスにも聞こえてきた。
それに対してキリルが何も言わない事が少し気になったが、自分がするべきは明日からの準備だとルクスは振り返らずテントのある方へ向かう。
コルセリアがいるのでキリルは1人ではないし、こういう時に頼りになる人物はルクスの頭の中にすぐ浮かび、タイミングのいい事にその人物が視線の先に立っていた。
何か言いたそうな顔をしているのでこちらの話は聞いていたのだろう。
説明する手間が省ける、とルクスは思いながらハーヴェイとシグルドに声をかけた。
「今の話は聞いてた?」
「ああ。」
「じゃあそのつもりで。キカさんにはちゃんと伝えておく。」
「分かりました。」
「移動を抜いて休めるのは2日くらい。言うまでもないけど準備は万端に。」
「お前は大丈夫なのかよ。」
「………。」
歩きながら話をしてそのまま他の仲間達の所に行こうとしていたルクスの足が止まる。
すぐに答えを出さない辺り何か迷いがあるのかとハーヴェイもシグルドも思ったが、ルクスの目に少しの揺らぎもなく表情もいつも通りだった。
2年前の戦争で自分達の前に立った軍主の、何かを強く心に決めた迷いのない表情。
以前はその様子に、彼なら大丈夫だろう、という安心感を持った。
けれど今はハーヴェイもシグルドも不安しか感じない。
そんな2人の心配を余所にルクスは軽く2人へ頭を下げる。
「ここのところ迷惑をかけた、ごめん。」
「ここのところって言うか迷惑はいつもだろうが。」
「でも、いつもより面倒をかけた、と思う…。」
「確かに最近はずっと何かを悩んでいる様子でしたね。」
「もう平気。確かに少し迷いがあったけど、でももう片付いた。」
淡々とした声でルクスは言う。
最近ずっとルクスは何かに悩んでいて、彼らしくもなくそれは戦闘や他の事にまで影響する程だった。
ルクスがこんなに深く悩むなんてキリルが関係している何かだろうと予想し、きっとそのうち何か弱音を吐いてくるんじゃないかと思っていたが、結局ルクスは一言も悩みを口には出さなかった。
キリルへの気持ちをルクスは持て余す事が多く、いつもは少し突けば相談をしてきたし、それが定着すれば突かなくても勝手に相談するようになっていたが、今回ばかりは何も言わなかった。
ルクスが1人何を悩んで何に決着をつけたのかは知らない。
ただルクスの表情を見る限り本当に彼の心は決まったようだ。
それを揺さ振るなんてただの迷惑にしかならず、そうか、と言ってこれ以上は首を突っ込まないのが1番なのかもしれない。
でも今まで散々世話を焼いてい頼られて、それなのに今になって知らない顔をするなんて、そんな器用な事はとても出来ない。
「お前、キリルと話はしたのか?」
ハーヴェイが耐えきれずに口を出す。
シグルドはそれを止めなかったので彼も同じ気持ちのようだ。
そんな2人の心境に全く気付いていないルクスは、何故そんな事を聞くのか、と言いたそうな表情を浮かべた。
「今した。聞いていたじゃないか。」
「そういう話じゃなくて、例えばこの旅が終わった後の事とか、そういう話だ。」
「何故?」
質問の意味を尋ねたルクスは本当に不思議そうだ。
本当に全く分かっていない様子の表情に、ハーヴェイの方が返事に困ってしまった。
「何故って…。」
「そういう話は全くしていないのですか?」
「する必要がない。」
おそらく群島諸国から旅立つだろうキリルの今後はハーヴェイやシグルドだって気になるというのに、あれだけキリルを大切に想っているルクスが気にならないなんて不自然でしかない。
けれど答えるルクスはいつも通りで何らおかしな様子はない。
「ボクがするべきはボクの出来る全てでキリル君の旅を助ける事。他は一切必要ない。キリル君が見ている次があるなら、ボクはその次の為に今を全力で助ける。それだけ。」
それどころか何処か誇らしげでもある。
成程これがルクスの出した答えなのか、と彼らしいとしか言いようのない結果にハーヴェイもシグルドもただ呆れた。
この旅の中でルクスは今までにはなかった経験を重ねてきた。
それでも彼は結局1人きりでは変わりきれなかったようだ。
短期間で人はそう簡単に変わるものではないが、それにしても今なら他の選択肢がちゃんと見えていた筈なのに。
「………、お前なぁ…。」
「まだある?悪いけど後にしたい。」
「………、ええ、どうぞ。時間を取らせてすみませんでした。」
「じゃあまた。」
歩いて行くルクスにハーヴェイもシグルドも思わず同時にため息をついた。
キリルの方を見れば、こちらに気付いているのかいないのか、コルセリアと談笑をしている。
表面上は楽しそうだが、ふとした瞬間に何か悩んでいるような素振りを見せている。
いつもならハーヴェイがルクスの首根っこを掴み、シグルドがキリルを引っ張ってきて、何かしらお節介を焼いていただろう。
でも今は状況が状況で、そうして2人はリーダーだ。
キリルはリノから今回の調査を頼まれたという事があって決定権を委ねられる事が多く、ルクスは軍主だったので以前一緒に戦った仲間達に今でもリーダーという扱いをされてはいるが、そのルクスがキリルに従う事を選んでいるので、キリルがトップで補佐がルクス、という図式が自然に出来上がった。
相変わらず自由奔放に今回の戦いに参加したリノが表立って行動しない限りはこの図式が崩れる事はないだろう。
それなりに今の状態で上手くここまでこれた。
それを下手に引っ掻き回しては最悪士気の低下に繋がる。
少しもやもやとした気持ちを抱えながらハーヴェイとシグルドは焚火の方へ向かった。
残念ながら今は時間があまりない。
納得出来ない部分はあるが、今は引っ掻き回して解決させるよりもこれからの戦いへ集中させる事が優先される。
そう結論を出した2人はとりあえず2人の雑談に交じろうと声をかけた。
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